平成 24 年度新潟薬科大学薬学部卒業研究Ⅰ

平成 24 年度新潟薬科大学薬学部卒業研究Ⅰ
論文題目
ビスフェノール A による肥満誘発のメカニズム
Mechanism of obesity induced by Bisphenol A
公衆衛生学研究室 4 年
09P096
山﨑 信也
(指導教員:佐藤 浩二)
1
要 旨
世界的に肥満人口が増加しており、数多くの疾患のリスクファクターとして危惧され
ている。肥満の原因は運動不足など生活要因もあるが、近年、プラスチック製容器など
に用いられている化学物質のビスフェノール A などに肥満要因があることが報告され、
肥満とビスフェノール A との関係が注目されている。そこで、ビスフェノール A とその構
造を含む関連物質が肥満を誘発するメカニズムについて調べた。ビスフェノール A に
はエストロゲン活性があり、エストロゲン受容体に結合することで従来の脂肪生成経路
を使わずして肥満を誘発することが示唆された。さらにビスフェノール A は 11β-HSD1
を活性化し肥満を誘発するとした研究があったが、11β-HSD1 の活性を阻害するとし
た研究もあり、未だその関係は明らかではない。ビスフェノール A の関連物質の
BADGE が、PPARγ を阻害しつつも間葉系幹細胞を脂肪細胞へと分化すると明らか
にされた。ビスフェノール A とその関連物質の作用機序には未解明な部分がまだあ
り、さらなる研究で解明されることを期待したい。
キーワード
1.肥満
2.ビスフェノール A
3.エストロゲン
4.11β-HSD1
5.ビスフェノール A ジグリシ
6.BADGE
ジルエーテル
7.間葉系幹細胞
8.PPARγ
9.環境ホルモン
10.内分泌撹乱物質
2
本 文
はじめに
近年、世界的に約4人に1人が肥満であり、わが国でも肥満が増加傾向にある。
肥満は、糖尿病や高血圧、心筋梗塞などの生活習慣病を始めとした数多くの疾患の
リスクファクターとなっており社会問題となっている。肥満は食生活の欧米化によ
る高脂肪食や運動不足など様々な要因で誘発されている。さらに、肥満のリスクフ
ァクターはそれら生活習慣に関わるようなことだけでなく、近年、化学物質もリス
クファクターになる可能性が指摘されている。
普段我々が口にしている飲料ボトルや缶に含まれている「環境ホルモン」と呼ば
れるビスフェノール A が尿中に高濃度で検出されている人は肥満との相関が高い、
ということが近年相次いで報告されている 1-5。これは、ただ単に炭酸飲料などの
飲み物を飲みすぎたことによるカロリーの過剰摂取の他に、体内への取り込んだビ
スフェノール A が肥満を促進する作用を持っている可能性がある。肥満とビスフ
ェノール A とその構造を含む関連物質との関係について調査した。
調査結果
ビスフェノール A
ビスフェノール A は環境の至るところに存在する。哺乳瓶や飲料ボトルなどの
プラスチック製容器やアルミ缶の内側、歯の充填剤やシーラント、店で使用する熱
感応レシートのコーティングにも使われており、国内で年間数十万トンが消費され
ている 6。
様々な環境にビスフェノール A が存在しているということは、その分ビスフェ
ノール A が体内に取り込まれやすいということになる。ビスフェノール A は「環
境ホルモン」、
「内分泌撹乱物質」などと呼ばれており、人体に悪影響を及ぼすこと
がある。Trasande らの研究 1 では、6 歳から 19 歳までの 2838 名の子どもと若者
を無作為に抽出し、尿中 BPA 濃度と体脂肪の関連を調べた。人種 や民族、年齢、
保護者の学歴、収入に対する貧困率、性別、血清コチニンレベル、カロリー摂取、
3
テレビ視聴、尿中クレアチニンレベルで調整後、尿中 BPA レベルが最も高い子供
は、最も低い子供に比べて、2.6 倍肥満になる割合が高かった。最も高い尿中 BPA
レベルの子供の中で肥満は 22.3%、最も低いレベルの子供の中では 10.3%に肥満が
見られた。ビスフェノール A の尿中濃度がもっとも高い子供は肥満のリスクが倍
以上となっていた。しかし、この関連性は白人にのみ見られ、黒人やヒスパニック
には見られなかった。日焼け止めや石鹸のような消費製品に広く使用されている環
境フェノール類と、肥満は関連しなかった。その他に、Carwile らの研究 2 では、
アメリカの 2003 年 4 月と 2005 年 6 月の健康栄養検査調査から共同出資されたデ
ータを使用して、2747 人の大人(18–74 歳)の尿中ビスフェノール A、肥満指数と胴
囲の断面分析を行った。その結果から、より高濃度のビスフェノール A を取り込
むと中心性肥満になる可能性が高いとした。さらに、Takeuchi ら 3 や Wang ら 4、
Shankar ら 5 もそれぞれビスフェノール A と肥満の関係を研究し、ビスフェノー
ル A を体内に取り込んでいると肥満になる可能性が高いとした。このことから、
ビスフェノール A が体内に取り込まれていると肥満になる傾向が高いとわかる。
では、肥満になる原因は何なのであろうか。
ビスフェノール A には弱いながらもエストロゲン活性があることが知られてい
る。エストロゲンには,女性副生殖器の発育や促進,乳房を大きくするなど女性ら
しい体型にする働きがあるとともに,脂質代謝などに対する生理活性がある 7, 8。
しかし、Nadal の研究 9 によると動物実験でビスフェノール A はエストロゲン受容
体と結合して体重を増加させたとし、エストロゲン受容体は脂質代謝制御の働きを
しなかったと発表した。Nadal の研究は従来の脂肪生成の経路ではない経路によっ
て脂肪が作られたことを示唆した。
また Wang らの研究 10 によると、ヒトの子供の脂肪組織を用いた実験で、ビス
フェノール A が酵素 11β-ヒドロキシステロイド・デヒドロゲナーゼ・タイプ
1(11β-HSD1)を活性させて脂肪生成を促進させるとした。11β-HSD1 は主に肝臓、
脂肪、血管に発現し、非活性型グルココルチコイド(コルチゾン)から活性型グルコ
コルチコイド(コルチゾール)への変換を担う酵素である 11。つまりコルチゾールに
より脂肪が蓄積され、肥満へとなっていくと考えられる。しかし、Guo らの報告
12 では、ヒトの肝臓とラットの精巣のミクロソームおよび、ラットのライディッヒ
細胞を用いた実験を行ったところ、ビスフェノール A は 11β-HSD1、11β-HSD2
のどちらも活性を阻害する物質であるとされた。Wang らと Guo ら二つの研究は
相反する結果を示しており、ビスフェノール A が 11β-HSD を活性化することで脂
肪生成をし、肥満を誘発するということは明らかにできていない。
ビスフェノール A が肥満を誘発するメカニズムは未だに明らかではないが、今
後の研究によって解明されることを期待したい。
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ビスフェノール A ジグリシジルエーテル(BADGE)
ビスフェノール A 型液状エポキシ樹脂の主成分に BADGE という化学物質があ
る。BADGE を主成分に持つエポキシ樹脂は硬化剤や金属の腐食防止、美観などに
用いられている。Chamorro-García らは、BADGE は間葉系幹細胞の脂肪細胞へ
の変化を促進させる効果があると報告した 13。さらに、その効果は BADGE に見
られることであって、ビスフェノールAに見られることではないとした。間葉系幹
細胞は骨髄間質細胞が分化誘導されることにより、間葉系に属する細胞(骨細胞、
心筋細胞、軟骨細胞、脂肪細胞など)になる細胞である。さらに、BADGE はペル
オキシソーム増殖因子活性化受容体 γ(PPARγ)を阻害することが知られている。
PPARγ は、主に脂肪組織に存在しているタンパク質で、脂肪の代謝や、貯蔵をコ
ントロールしている物質である。
ここで、BADGE は PPARγ のアンタゴニストでありながら間葉系幹細胞を脂肪
細胞へ分化させるという、一見矛盾したような結果となった。しかし、
Chamorro-García らは、PPARγ を阻害することが、BADGE によって間葉系幹細
胞が脂肪細胞へと分化することを抑制しないとし、間葉系幹細胞が脂肪細胞へと分
化する際に、PPARγ が関与しない経路を使用しているのではないかと推測した。
まとめ
「環境ホルモン」であるビスフェノール A が生体に及ぼす影響は未だ解明され
ておらず、研究が続けられている。vom Saal ら 14 により従来の無作用量より遥か
に低濃度でのみ毒性を有するという「低用量仮説」が発表された。これを受けてか
日本やアメリカ、カナダ等で低用量でのビスフェノール A の研究がされている 15。
さらに、ビスフェノール A はエストロゲン受容体に結合するのではなく、エスト
ロゲン関連レセプターγ(ERRγ)に天然のエストラジオール並みに結合するという
ことを九州大学の研究グループが明らかにした 16。これにより低用量作用が ERRγ
を介しているのかどうか、今後の研究に期待される。
肥満を引き起こす可能性のあるビスフェノール A の関連物質を調べてみたが、
BADGE 以外を調べ出すことはできなかった。
ビスフェノール A とその関連物質は肥満につながる危険性があると様々な研究
から伺える。肥満による生活習慣病を始めとした多くの疾患の重要さを考える上で、
5
新たに化学物質による肥満を考慮すべきだと思う。ビスフェノール A に規制値は
設けてあるが、その値は肥満の誘発を考慮して設定されたものではないので、ビス
フェノール A による肥満の増加の因果関係が明らかになれば、規制値の見直しな
どの対策をとるべきであろう。
謝辞
今回、本論文をまとめるにあたりご指導して頂いた佐藤浩二助教、引用させてい
ただいた数多くの文献の著者に感謝いたします。
6
引用文献
1
2
3
4
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8