07P153_内田 望

平成 24 年度新潟薬科大学薬学部卒業研究Ⅱ
論文題目
大腸菌の細胞内 pH 及び Na 濃度調節に関与する遺伝
子の機能的スクリーニングについて Functional screening for genes involved in the regulation of
cellular pH and Na + concentration in Escherichia coli .
微生物学研究室 6 年
07P153
内田 望
(指導教員:山口 利男)
要 旨
ほとんどの生物は、pH やイオン濃度などの細胞内環境を維持する働きを持ってお
り、特に細胞膜は外界との唯一の仕切りであることから、細胞内の影響を最小限に押
さえるために多数の機構を有している。細菌のアルカリ耐性においては cation/H+
antiporter が重要な役割を果たすことが知られており、現在最も研究が進んでいる大
腸菌では Na+/H+ antiporter として nhaA、nhaB 、及び Na+(K+,Ca2+)/H+ antiporter
の chaA がアルカリ耐性及び塩耐性に主要な役割を果たすことが明らかとなってい
る。一方で nhaA、nhaB、chaA の 3 つの cation/H+ antiporter を欠損させた株は、
Na+濃度の低い環境であれば pH 9.0 でも生育が可能であることが明らかになってお
り、大腸菌のアルカリ耐性には他の遺伝子産物も関与している可能性が高いことが示
唆されている。
こうした背景から栁らは、細菌のアルカリおよび Na+耐性について、これまでの解
析では見出されなかった新規の機構を見出すことを目的とし、大腸菌の単一遺伝子破
壊株ライブラリー(Keio collection)を用いたスクリーニング法を確立し、1200 株程
度の破壊株について解析を行った。本研究では栁らの研究を引き継ぎ、Keio collection
のうち未解析であった 2800 株程度のスクリーニングを行い、彼らの結果と統合して
解析することで、大腸菌のアルカリ耐性に必須の遺伝子候補の同定を行った。
その結果、エネルギー産生、コリスミ酸生合成、芳香族アミノ酸生合成、鉄輸送等
に関与する複数の遺伝子をアルカリ耐性に重要な役割を果たす可能性の高いものと
して見出した。なお興味深いことに、本研究で同定された遺伝子のほとんどは、アル
カリ耐性への関与が知られていないものであった。加えて、現段階ではアルカリ耐性
に関与する遺伝子は Na+/H+ antiporter 以外の遺伝子の関与はあまり知られていなか
ったが、本研究の結果から、多くの他の遺伝子がアルカリ耐性に関与していることが
示唆された。現段階ではこれらの破壊株でアルカリ耐性が低下した詳細な機構は不明
だが、今後は本研究によりアルカリ耐性に関与していると考えられる遺伝子について
再現性の検証や相補性試験の実施、および遺伝子産物の生理機能の解析などを進める
ことで、大腸菌のアルカリ耐性の機構を包括的に理解する上で重要な証拠を提供でき
ると考えている。
キーワード
1.nhaA
2.nhaB
3.chaA
4.アルカリ耐性
5.Na+耐性
6.大腸菌
7.Keio collection
8.aro 遺伝子
9.ent 遺伝子
10.エンテロバクチン
11.コリスミン酸
12.鉄の輸送
目 次
1.はじめに
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
1
2.実験方法
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
2
3.結果
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
3
4.考察
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
10
謝 辞
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
13
引用文献
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
14
1.はじめに
ほとんどの生物は、pH やイオン濃度などの細胞内環境を維持する働きを持って
おり、特に細胞膜は外界との唯一の仕切りであることから、細胞内の影響を最小限
に押さえるために多数の機構を有している。これまでに多くの生物の細胞膜におい
て細胞内環境の維持に関わる様々な機構が同定されており、その一つである
cation/H+ antiporter は、細菌のアルカリ耐性や塩耐性において重要な役割を果た
すことが知られている。cation/H+ antiporter は全ての生物に存在し、細胞膜上で
カチオンとプロトンの交換を行うことによって細胞内の pH を一定に保つ働きを
担うと考えられている。現段階で研究が進んでいる大腸菌においては、3 種類の
cation/H+ antiporter がアルカリ耐性及び塩耐性に主要な働きを行うことが報告さ
れている。大腸菌で最初に発見された Na+/H+ antiporter である nhaA は、アルカ
リ条件下において細胞内 Na+と細胞外 H+を交換輸送することによって細胞内の過
剰なアルカリ化を防ぐことが知られ(1)、また Na+の排出を行うことから Na+耐
性にも重要な役割を果たすことと考えられている(2)。大腸菌においては、nhaA
以外にも Na+/H+ antiporter である nhaB(3)並びに Na+(K+,Ca2+)/H+ antiporter
である chaA(4)がアルカリ耐性及び塩耐性に主要な役割を果たすことが報告さ
れている。しかしながら、nhaA、nhaB、chaA の 3 つの cation/H+ antiporter を
欠損させた株は、Na+濃度の低い環境であれば pH 9.0 でも生育が可能であること
が明らかになっていることから(5)、大腸菌のアルカリ耐性には他の遺伝子産物も
関与している可能性が高いことが示唆されている。 一方で、大腸菌のトランスクリプトーム解析により、アルカリ条件下では細胞内
に H+を保持するように遺伝子の発現パターンが変化することを示すことが報告さ
れており、例えば、H+の細胞外への排出に関与する呼吸鎖複合体関連遺伝子や、
鞭毛や走化性に関与する遺伝子の発現が抑制されることが見出されており、逆に
1
ATP 合成酵素など H+の取り込みに関連する遺伝子については発現が誘導されるこ
とが明らかとされている(6)。また pH 8.3 程度のアルカリ条件下である海水中に
おいては、成長の停止に伴い、細胞分裂とヌクレオチド生合成を担う遺伝子は抑制
されることが見出されており、逆に代謝や移動性、および走化性に関与する遺伝子
は誘導されることが明らかになっている(7)。従って、移動性や走化性を担う遺伝
子が海水中の大腸菌の生存に関与していると予想される。しかしながらこれらの解
析は、トランスクリプトーム解析の性質上、ストレス負荷により転写が活性化ある
いは抑制された遺伝子のみについての検討したものであるため、恒常的に発現して
いる遺伝子については遺伝子発現の変化が生じにくいと考えられることから、例え
ばハウスキーピング遺伝子の様な常に一定の発現が見受けられることの多い遺伝
子がアルカリ条件下の生育に関与していたとしても、原理的に検出不可能である。
こうした背景から栁らは、細菌のアルカリおよび Na+耐性について、これまでの
解析では見出されなかった新規の機構を見出すことを目的とし、大腸菌の単一遺伝
子破壊株ライブラリー(Keio collection)を用いたスクリーニング法を確立し、1200
株程度の破壊株について解析を行った。本研究では栁らの研究を引き継ぎ、Keio
collection のうち未解析であった 2800 株程度のスクリーニングを行い、彼らの結
果と統合して解析することで、大腸菌のアルカリ耐性に必須の遺伝子候補の同定を
行った。
2.実験方法
使用した菌株および培養条件
大腸菌の単一遺伝子破壊株ライブラリー(Keio collection)は国立遺伝学研究所
より供与を受けた。なお、Keio collection はカナマイシン耐性遺伝子が各遺伝子に
挿入された変異株コレクションであるため、すべての培地にはカナマイシンを添加
2
した。寒天平板上で提供された各菌株は 96 well plate に移し、LBK 培地 (1% Bacto
tryptone, 0.5% Yeast extract, 86mM KCl) に 15µg/ml のカナマイシンを加えたも
ので 37℃一晩静置培養後、終濃度 15%のグリセロールを加えて使用時まで-80℃で
保存した。
スクリーニング条件の検討時には LBK200 培地(1% Bacto tryptone, 0.5%
Yeast extract, 200 mM KCl, 25mM bis-tris propane pH 7.0 あるいは 9.0)、
LBNa200 培地(LBK200 の KCl を 200mM NaCl に置き換えたもの)の4種の培
地を用いた。また、寒天平板から 96 well plate、あるいは 96 well plate 間での各
菌株の植え替えには 96 ピンプレート(アズワン)を用いた。
アルカリおよび Na+耐性に関与する遺伝子破壊株のスクリーニング
スクリーニングは栁らの確立した方法を用いて行った(3)。スクリーニングの前
培養として、Keio collection をグリセロールストックから LBKagar(1% Bacto
tryptone, 0.5% Yeast extract, 86mM KCl, 1.2% Agar)96 ピンプレートによりプ
レート上に各菌株を移して 37℃で一晩培養した。次いでこれらを 96well plate 上
に分注した LBK100(pH 7.0)に移したのち 24 時間静置培養した後、培養液の濁
度(OD660)を測定した。OD660 の測定には HTS7000 Plus(Perkin-Elmer)を用
いた。次いで、各株を LBK200、 LBNa200(pH 7.0 あるいは 9.0)培地を各 96well
plate 上に分注したものにそれぞれ継代し、同様に 37℃で 24 時間静置培養後 OD660
を測定した。各条件につき 3 度の実験を行い、4 種類の培地(LBK200 pH 7.0 あ
るいは pH 9.0、LBNa200 pH 7.0 あるいは 9.0)で得られた OD660 の平均値を算出
した。次いで Keio collection 全体の各条件における平均の生育度合を得るため、
本研究で得られた測定値と栁らが測定した同様の OD660 値の結果を合わせ、4 種類
の条件ごとに OD660 値の平均を算出した。これらのデータについて、各破壊株で得
られた OD660 値が上述の全体の平均 OD660 値の何%に相当するかを算出し、平均値
3
から差し引いて生育阻害率(偏差)を求め、さらに偏差の標準偏差(σ)を4種類
の条件下ごとに算出した。これらのデータを基に、生育阻害率が 3σ 以下の値を示
した株をアルカリ及び Na+耐性に関与する可能性があると判定した。
3. 結果
1. 各条件における Keio collection 全体の生育の比較 栁らは、Keio collection の一部である約 1200 株の破壊株について、アルカリ条
件下で生育が低下する変異株のスクリーニングを行った。本研究では栁らの研究を
引き継ぎ、Keio collection のうち未解析であった約 2800 株の破壊株について同様
の方法でスクリーニングを行い、栁らの結果と統合して解析を行った。
スクリーニングの際には、栁らと同様に、アルカリ及び Na+耐性に関与する遺伝
子の破壊株を探索するため、LBNa200 培地の pH を 7.0 及び 9.0 に調製したもの
をセットで用いた。また、破壊株の生育の低下が pH の違いに起因するのか、ある
いは Na+の毒性に起因するのかを区分する必要があったため、スクリーニングの際
には Na+を K+と置き換えた LBK200 pH 7.0 及び pH 9.0 でも同様に培養を行い、
それぞれの結果を比較し解析を行った。
LBK200、LBNa200(pH 7.0 あるいは 9.0)における各株の生育について度数
分布グラフを描いたところ、各生育条件における個々の株の生育はほぼ正規分布に
従うことが明らかとなった(Fig. 1)。一方で、各条件における中央値を比較する
と LBK200、LBNa200 共に pH7.0 の条件下よりも pH9.0 の条件下の方が低値を
示し、更に pH9.0 条件下同士で比較すると LBK200 より LBNa200 の条件下の方
が低値を示した。以上の各条件における中央値の差異は、従来の知見、すなわちア
ルカリ条件が大腸菌の生育に負の影響を及ぼすこと、およびアルカリ条件下では
K+より Na+の方がより強い毒性を持つことを反映するものであると考えられる。
4
また、個々の株の生育が平均値からどの程度変化したかについて、個々の株で得
られた平均値の条件全体で得られた平均値からの差(偏差)を個別に求め、度数分
布表を作成した (Fig. 2)。この表から各条件における Keio collection 全体の生育
度合いの分布を比較すると、同じ pH であれば LBK200 と LBNa200 のいずれを
用いた場合でも生育の分布に殆ど差異が無いのに対し、LBK200、LBNa200 共に
pH 9.0 の条件下の方が pH 7.0 の条件下よりも生育度合いのばらつきが多いことが
明らかとなった。このことは、多くの変異株の生育にとってアルカリ条件がストレ
スとなっていることを示しており、アルカリ耐性に関する遺伝子がほとんど同定さ
れていないことを考慮すると極めて興味深い知見であると考えられる。また、アル
カリ条件下での生育が大幅に低下した株が多く見られた一方で、生育の低下の程度
が小さい株も多く見受けられることが明らかとなった。
2. アルカリ条件下における生育に必須の遺伝子の探索
上記の結果から、アルカリ条件において大きく生育が阻害される株が多く見られる一方
で、生育に大きな影響が見られない株、すなわち、pH 9.0 においても平均よりも極めて
高い生育を維持する変異株も多数存在することが明らかとなった。特に後者は、これらの
株がアルカリ耐性であることを示し、ほとんどの株がアルカリ条件においては中性条件下
よりも生育が落ちていること、および Keio collection が遺伝子破壊株のコレクションであ
ることを考慮すると極めて興味深い示唆を含んでいると考えられる。しかしながら、本研究
は、アルカリ条件下での生育に必須の遺伝子の探索を目的としているため、こちらについ
ては考慮しないこととした。
各条件について、全株で得られた生育の偏差の標準偏差を算出し、アルカリ条件下
(LBK200 あるいは LBNa200, pH 9.0) においてのみ特に高い偏差を示した株、すな
わち生育阻害率が全株の偏差の標準偏差(σ)の三倍以上低い株(注:-3σ 以下となっ
た株)を探索したところ、44 種類の遺伝子の破壊株が該当することを見出した (Table 1
5
および 2)。また、これらの遺伝子が生体内のどのようなプロセスに関与するかについてデ
ータベース検索により調査したところ、興味深いことに細菌のアルカリ耐性に重要な役割
を果たすと考えられている H+や Na+の輸送に関与する遺伝子は殆ど検出されず、その
一方で、いくつかの個別の生合成経路に関与すると考えられる遺伝子が複数検出されて
いたことが明らかとなった。またこの結果を受け、さらにそれぞれの経路が関与する可能
性を詳細に検討すべく、上記で特定されたものと同一の経路に関与する遺伝子の破壊
株について、平均からの差(偏差)が 3σ以下の株についても探索した(Table 3)。その
結果、コリスミ酸生合成経路に関わる遺伝子(aro 遺伝子)や、鉄の輸送に関わる
Enterobactin の生合成に関与する遺伝子(ent 遺伝子)などではほぼ全ての遺伝子が
アルカリ条件下での生育に何らかの形で関与することを見出し、これらの遺伝子産物およ
びその機能が大腸菌のアルカリ条件下での生育に必須であることを見出した。またリポ多
糖の生合成に関与する遺伝子群(rff 遺伝子群)、および物質の膜輸送に関与する
Tol-Pal system を構成する遺伝子群、さらに蛋白質の膜輸送系の一つである Tat
system を構成する遺伝子(tat 遺伝子群)についても、 先の二例よりも重要度は低いも
のの、大腸菌のアルカリ耐性での生育に何らかの形で重要な役割を果たすことが示唆さ
れた。
6
Fig1. 各条件における Keio collection 全体の生育の比較
LBK200、LBNa200(pH 7.0 あるいは 9.0)で 24 時間静置培養した後の OD
横軸とし、その値に相当する株の数を縦軸として作成した。
7
660
値を
Fig. 2 各条件における個々の株の生育変化の評価
横軸に個々の株の生育の偏差、縦軸に該当する株の数を示した。
8
Table 1 アルカリ条件下においてのみ高い偏差を示した株
注:全株で得られた生育の偏差の標準偏差を算出し、アルカリ条件下(LBK200 ある
いは LBNa200,pH9.0)においてのみ特に高い偏差を示した株、すなわち生育阻害
率が全株の偏差の標準偏差の三倍以上(3σ)低い株を赤色で示した。参考までに偏
差が 2σ~3σの間であった株を茶色で、1σ~2σの間であった株を緑色で示した。な
お、表中の lo No.は locus number を、gene は遺伝子名をそれぞれ表す。
9
Table 2 アルカリ条件下の生育に必須と考えられる遺伝子名および機能
10
Table 3 ア ル カ リ 条 件 下 の 生 育 に 必 須 と 考 え ら れ る 遺 伝 子 の 関 与 す る 生 体 内 プ ロ セ ス
解糖系/エネルギー産生
aceE, aceF, lipB,pfkB, fbaB, cydB, cydD
輸送体
argO, dcuC, atpG, yqjA
コリスミ酸生合成/
芳香族アミノ酸生合成
aroA, aroC, aroD, aroE, aroB, ydiB, pheA,
pheL, pheM
ストレス応答関連
hit, dnaJ, dnaK, relA, ahpC
リポ多糖生合成
rfe, rffA, rffG, rffH, rffM, cpsG, rfbX, yfbE, gmhB,
タンパク質輸送
rfaJ, rfaQ, rfaY, rfbX, wbbL
tatA, tatB, tatC, tatD, secB, secG, ycgV,
Tol-palsystem
flu
tolB, tolQ, tolR, pal
転写制御関連
ychA, yfgA, arcA, arcB
タンパク質修飾/脱修飾
cobB, hitT
鉄輸送
entA, entB, entC, entE, entF, fecR, fepA,
細胞壁生合成/
リサイクリング
fepG
dapF, ddlB, mtgA, mrcB, pbpG, amiA, ampG
Cell division
dedD
機能不明
ybgT,ybjI,yciB,ydaQ,yeaO,ylaB,yqjA
注:Table 1 で示した変異株で破壊されている遺伝子について、それらが関与する
細胞内プロセスごとにまとめた。また参考までに、同一経路に関与する遺伝子のう
ち生育阻害率が 3σ~2σ の間に該当した株についても茶色で記載した。
11
4.考察
本研究では、栁らが確立したスクリーニング手法を用い、2800 株あまりのスク
リーニングを行った。その結果と栁らの結果を合わせて約 4000 株からアルカリ耐
性に関与する遺伝子の破壊株を探索した結果、エネルギー産生、コリスミ酸生合成
/芳香族アミノ酸生合成、鉄輸送等に関与する複数の遺伝子をアルカリ耐性に重要
な役割を果たす可能性の高いものとして見出した。興味深いことに本研究で同定さ
れた遺伝子のほとんどは、アルカリ耐性への関与が知られていないものであった。
加えて、これまでアルカリ耐性に関与する遺伝子は Na+/H+ antiport 以外の遺伝子
の関与はあまり知られていなかったが、本研究の結果から、他にも多くの遺伝子が
アルカリ耐性に関与していることが示唆された。なお現段階では、今回検出された
破壊株でアルカリ耐性が低下した詳細な機構は不明だが、特に多くの遺伝子が検出
された生合成経路等について、以下に各遺伝子の機能とアルカリ耐性との関連につ
いて、これまでに報告されている知見と併せて考察する。
本研究による検討の結果、エネルギー産生に関与する遺伝子が幾つかのアルカリ
耐性に関与するものとして同定されたが、その中でピルビン酸デヒドロゲナーゼの
サブユニットをコードする遺伝子が 2 つ同定された。ピルビン酸デヒドロゲナーゼ
は、E1,E2,E3 の 3 個のサブユニットからなるヘテロオリゴマーで、それぞれ aceE,
aceF および lpd の各遺伝子によってコードされているが、スクリーニングの結果、
中性条件を含む全ての条件下で生育が極めて低かった lpd を除く残りの2遺伝子、
すなわち aceE と aceF がいずれもアルカリ耐性に関与する可能性が高い遺伝子と
して検出された。以上の結果は、大腸菌においては、ピルビン酸デヒドロゲナーゼ
がアルカリ耐性に重要な役割を果たすことを示唆する。ピルビン酸デヒドロゲナー
ゼは、ピルビン酸をアセチル CoA に変換する反応を触媒することから、解糖系と
TCA サイクルを繋ぐ重要な酵素として知られているが、我々のスクリーニングで
はいずれの経路に関する遺伝子群も検出されていない。従って解糖系を通じたエネ
12
ルギー産生がアルカリ耐性に直接関与しているとは考えにくいが、現在のところ詳
細は不明である。
また、aceE、aceF と同様にエネルギー産生に関与する遺伝子である cydB は、
電子伝達系の Terminal oxidase である Cytochrome bd-I oxidase (CydAB)のサ
ブユニットをコードする遺伝子であり、cydD は CydAB の複合体形成に必須の遺
伝子であることが知られている。これらはいずれも過去に pH 8.5 のアルカリ条件
下で発現が誘導されることが知られており、機構は不明であるがアルカリ条件での
生育に何らかの形で関与していることが示されている(6)。なお、大腸菌には他
にも Terminal oxidase(CyoABCDE)が存在することが知られているが、これら
をコードする遺伝子はいずれも本研究では検出されなかった。CydAB は 2 個の電
子を受け取る代わりに2個の H+を細胞外に輸送する一方で、CyoABCDE は 2 個
の電子当たり 4 個のプロトンを排出することが知られており、CydAB の方が、消
費する電子当たりのプロトンの排出が少ないため、細胞内のアルカリ化が起こりに
くいと考えられる。また、Terminal oxidase の活性が低下すると、電子伝達系を
経由したエネルギー生産も低下することから、結果的に細胞の生育に悪影響が生じ
ることは想像に難くない。以上を考慮すると、上記のうち本研究では CydAB に関
与する遺伝子の変異株だけに強いアルカリ感受性が認められたことは、アルカリ条
件下では CydAB が Terminal oxidase として優位に働いており、CyoABCDE はほ
とんど機能していないことを示唆しているのではないかと考えられる。なお、cydA
は Keio collection に含まれていないため、本研究では解析を行わなかった。
また、芳香族アミノ酸の生合成に関わる aro 遺伝子群、及びエンテロバクチンの
生合成に関与する ent 遺伝子群に含まれる遺伝子が、アルカリ耐性において重要な
役割を果たす遺伝子として複数検出された。aro 遺伝子群は、芳香族アミノ酸等の
生合成に用いられるコリスミ酸の合成経路を構成する遺伝子群であり、ent 遺伝子
はコリスミ酸を出発原料としたエンテロバクチン生合成経路に含まれる遺伝子で
13
ある。本研究の結果では、aro 遺伝子群に含まれる aroA ,aroC, aroD, aroE の破壊
株に加え、ent 遺伝子である entA, entB, entC, entE, entF の破壊株の生育が大幅
に低下した。なお、エンテロバクチンは 3 価の鉄イオンと強い親和性があり、鉄の
取り込みに主要な役割を果たす化合物である。また、アルカリ条件下では鉄のイオ
ン化が起こりにくいため、中性条件下よりも積極的な鉄の取り込み系が必要である
可能性も考えられる。鉄は細胞の生育に必須の元素であるため、その欠乏は生育に
大きな影響を及ぼすことは想像に難くない。従って、ほとんどの ent 遺伝子の変異
株がアルカリ感受性を示したことは、エンテロバクチンを利用した鉄の輸送系がア
ルカリ条件下では必須の鉄の取り込み経路であることを示唆している。なお、アル
カリ条件下での生育に鉄の取り込み系が重要な役割を果たすことは、同様の知見が
酵母を用いた実験においても得られている(8)。また、大腸菌には他にも幾つかの
鉄の取り込み系が存在することが明らかとなっているが、本研究では他の経路に関
する遺伝子は検出されていないことから、アルカリ条件においては ent 遺伝子が関
与する経路が主要な鉄の取り込み経路として機能していることも明らかとなった。
興味深い結果として、本研究では、これまで生理機能が不明であった ybgT, ybjI,
yciB, ydaQ, yeaO, ylaB 及び yqjA の破壊株の生育がアルカリ条件下で大きく低下
することが明らかとなり、これらの遺伝子が少なくともアルカリ耐性に関与する可
能性が新しく示された。これらの遺伝子についての詳細な役割については今後順次
解析していく必要があるだろう。
以上に加えて、本研究ではこれまでアルカリ耐性への関与が知られていなかった
遺伝子を数多く検出することが出来た。これらの結果は、大腸菌のアルカリ耐性に
多くの未知の遺伝子産物が関与しているという具体的な証拠を提示するものであ
ると考えている。今後、本研究によりアルカリ耐性に関与していると考えられる遺
伝子について、変異株の表現型の再現性の検討および intact の遺伝子を用いた相
補試験を行い、また遺伝子産物の生理機能の解析などを進めることで、大腸菌のア
14
ルカリ耐性の機構を包括的に理解する上で重要な証拠を提供できると考えている。
15
謝 辞
Keio collection の利用はナショナルバイオリソースプロジェクト(NBRP)大腸
菌事業(NIG)のご協力によりご提供頂きました。同事業に深い感謝の意を表させ
て頂きます。
本研究の実施および本論文の作成において、ご助言とご指導を頂きました微生物
学研究室 山口利男 助教に心から感謝いたします。
16
引 用 文 献
1. Padan, E., The enlightening encounter between structure and function in
the NhaA Na+-H+antiporter. Trends. Biochem. Sci., 33, 435-443 (2008).
2. Karpel, R., Olami, Y., Taglicht, D., Schuldiner, S. and Padan E., Sequencing
of the gene ant which affects the Na+/H+ antiporter activity in Escherichia
coli. J. Biol. Chem., 263, 10408-10414 (1988).
3. Pinner, E., Pandan, E. and Schuldiner, S., Cloning sequenching, and
expression of the nhaB gene, encoding a Na+/H+ antiporter in Escherichia
coli. J. Biol. Chem., 267, 11064-11068 (1992).
4. Ivey, D. M., Guffanty, A. A., Zemsky, Z., Pinner, E., karpel, R., Pandan, E.,
Schuldiner, S. and Krulwich, T. A., Cloning and Characterization of a
putative Ca+/H+ antiporter gene from Escherichia coli upon functional
complementation of Na+/H+ antiporter-deficient strains by the
overexpressed gene. J. Biol. Chem., 268, 11296-11303 (1993).
5. Yamaguchi, T., Tsutsumi, F., Putnoky, P., Fukuhara, M. and Nakamura, T.,
pH-dependent regulation of the multi-subunit cation/proton antiporter
Phal system from Sinorhizobium meliloti. Microbiol., 155, 2750-2756(2009)
6. Maurer, L. M., Yohannes, E., Bondurant, S. S., Radmacher, M. and
Slonczewski, J. L., pH regulators genes for flagellar motility, catabolism,
and oxidative stress in Escherichia coli K-12. J. Bacteriol.,187, 304-319
(2005)
7. Rosen, Y., Larossa, R. A., Templeton, L. J., Smulski, D. R. and Belkin, S.,
Gene expression analysis of the response by Escherichia coli to seawater.
Antonie Van Leeuwenhoek, 81, 15-25 (2002)
8. Simon, E., Arino, J., Copper and iron are the limiting factors for growth of
the yeast Saccharomyces cerevisiae in an alkaline environment. J. Biol.
Chem., 279, 19698-19704 (2004)
17