故三浦文夫先生の「お別れ会」、「偲ぶ会」のご案内 故三浦文夫先生は予

故三浦文夫先生の「お別れ会」、「偲ぶ会」のご案内
故三浦文夫先生は予ねて療養中でしたが、薬石効なく、去る 8 月 3 日午後 4
時 45 分にご逝去されました。ご葬儀は既に家族のみにて執り行われました。
故三浦文夫先生に長らくご厚情頂いた人、学恩を頂いた人が中心になって下
記のように三浦文夫先生との「お別れ会」並びに「偲ぶ会」を企画いたしまし
た。お忙しいこととは思いますが、多数の方々にご参会頂きたくお誘い申し上
げます。
なお、関係者への個別のご案内の発送は致しかねますので、どうぞお知り合
いの方々に周知並びにご連絡お願い申し上げます。その際には、ご参会頂く方々
に事前に下記に示した宛先にメールかFAXでご参会者の氏名、所属、できま
したら故三浦文夫先生とどのようなご厚誼の関係であったかを記述して頂ける
と事務局として助かりますのでご協力お願い致します。
(
一、日時
2015年11月3日
記
)
午後1時30分~5時 30 分
一、場所
私学会館アルカディア市ヶ谷(TEL、03-3261-9921)
(JR総武線市ヶ谷駅下車徒歩5分、地下鉄都営新宿線市ヶ谷駅下
車徒歩3分)
一、 次第 第一部 「故三浦先生とのお別れの会」
午後 1 時 30 分~午後 3 時 30 分
アルカディア市ヶ谷「大雪」の間
第二部
「故三浦文夫先生を偲ぶ会」
午後 3 時 45 分~5 時 30 分
アルカディア市ヶ谷「阿蘇」の間
一、 会費
#
1万円(当日会場で受け付けます)
参加申し込みは、一般財団法人社会福祉研究所へお申し込みください。
FAX(03-5579-8386)
メール(scsmm@jewel.ocn.ne.jp)
# お香典並びにお供物は基本的にご辞退させて頂きますが、ご芳志のある
方のご供花については受け付けます。
(スタンド台式ご供花代は 1 万 8 千円(消費税込み)
ご供花のお申し込は、一般財団法人社会福祉研究所のFAXかメール
でお願い致します。
#
ご供花代の振り込みは以下の口座にお願い致します。
振り込み口座
みずほ銀行 市ヶ谷支店(支店番号207)
普通 口座番号 2290766
口座名義 三浦文夫先生を偲ぶ会
お香典並びにお供物は基本的にご辞退させて頂きますが、「お別れ会」
及び「偲ぶ会」に参会できない方でご芳志(5 千円とさせて頂きます)
を故三浦先生にお届けしたいという方は受け付けさせて頂きます。
その申し込み及び振り込み先は上記したFAXかメールでお申し込み
頂き、指定の口座にお振込みをお願いいたします。
申し込まれた方には、先生の略年譜及び研究・社会活動を紹介した冊子
を後日送らせて頂きます。
# 「偲ぶ会」のご案内は、基本的に個人宛の案内郵送はしませんので、口コ
ミ及び幹事団体のホームページ等で関係者への周知をお願い致します。
「偲ぶ会」実行委員会幹事団体及び発起人
(個人)順不同
大橋 謙策、和田敏明、小林光俊、吉田隆幸、白澤政和、小林良二
上野谷加代子、牧里毎治、坂田周一、中野いく子、和気康太
(幹事団体)順不同
日本社会事業大学、武蔵野大学、東北福祉大学、群馬医療福祉大学
学校法人敬心学園
一般社団法人日本社会福祉学会、日本地域福祉学会、
公益財団法人日本生命財団
公益財団法人損保ジャパン日本興亜福祉財団
一般社団法人日本社会福祉教育学校連盟
社会福祉法人東京聖労院
一般財団法人社会福祉研究所、特定非営利活動法人日本地域福祉研究所
全国社会福祉協議会
世田谷区生涯大学(旧世田谷区老人大学)
「お別れ会」及び「偲ぶ会」事務局 (連絡先・FAX及びメールは前述)
一般財団法人社会福祉研究 (TEl 03-5579-8385)
理事長大橋謙策、常務理事高橋信幸
理事小林光俊、前監事吉田隆幸、主任研究員中野いく子
(
式
次
第
)
第1部 「お別れの会」(午後1時30分~3時30分)
開式の辞
発起人代表挨拶
大橋謙策
三浦文夫先生の略年譜、研究業績、社会活動の紹介
(坂田周一、中野いく子、小林良二、白澤政和、和田敏明、上野谷加代子、
和気康太、吉田隆幸)
弔辞
①
友人代表 阿部志郎氏(元日本社会福祉学会会長、神奈川県
立保健福祉大学名誉学長)
② 日本社会福祉学会会長 岩田正美氏
ご遺族の病状報告及びご挨拶(三浦
摂郎氏)
献花(白いカーネーション)
第2部 「先生を偲び、思い出を語る集い」
立食パーティ方式、午後3時45分~5時30分
開会の辞
思い出及び感謝の言葉
①
関係団体の代表(実行委員会の幹事団体)
②
関係行政・機関(国、東京都、富山県、世田谷区等)
③
教え子(中部社会事業短期大学時代、社会保障研究所時代、日本社
会事業大学時代等)
④
知人・友人
閉会の辞
『追悼の辞――三浦文夫先生のご逝去を悼む』
一般財団法人社会福祉研究所 理事長
大橋謙策
一般財団法人社会福祉研究所(以下「当社会福祉研究所」と略)の前理事長である三浦文
夫先生が2015年8月3日に、心筋梗塞でご逝去された。享年86歳であった。三浦文夫
先生は、戦後日本の社会福祉学界は固より、国及び地方自治体の社会福祉行政や社会福祉政
策にも大きな足跡を残された巨大なリーダーであった。まだまだお教え頂きたいことが
多々あっただけに残念でならない。
三浦文夫先生のご逝去を悼み、三浦文夫先生のご冥福を祈念しつつ、三浦文夫先生を偲び、
三浦文夫先生の研究業績、社会的活動の功績の一端を紹介して、当社会福祉研究所の弔辞と
させて頂きたい。
(三浦文夫先生とのご厚誼の始まり)
三浦文夫先生と久しくお付き合いできるようになった大きな契機は、未だ三浦先生が社
会保障研究所の部長のころで、故伊部英男日本社会事業大学理事長の命で、故福武直先生を
団長に、故石井哲夫先生とともに1975年に、アメリカの社会福祉教育の視察調査に派遣
された折であった。約1か月近くに亘る視察調査の中で、福武先生と三浦先生の師弟関係を
垣間見たり、日本の社会福祉研究及びその教育について熱く語っていた時が実質的に最初
であった。
その後、幾度となく海外調査視察旅行にご一緒させて頂いた。その海外研修は、主に8月
末から9月に掛けて行われたため、三浦先生の9月5日の誕生日を幾度となく海外で祝う
ことになった。中でも、二人で調査研究に行った1982年の旅行は忘れられないものであ
った(
『行政とボランティアに関する調査研究結果報告書』財団法人行政管理研究センター、
1983年3月)
。フランスでは、今日の生活困窮者問題と同じような課題に取り組んでい
た「Quart Monde」というボランティア団体を訪ねたり、イギリスの「世界のボ
ランティアの父」と呼ばれるアリック・ディクソン卿とお会いしたり、バークレイ報告を手
に入れたりと思い出深いものであった。
それ以外にも、三浦先生を団長に、吉田隆幸氏(当社会福祉研究所前監事)、小林光俊氏
(当社会福祉研究所理事)や中央法規出版の故荘村多加志氏らとデンマーク、スウェーデン、
ノルウエイ、オーストリアの介護施設でのケアのあり方を学んだことも思い出である。
しかしながら、それだけ時間を共にしていたにも関わらず、三浦先生の生い立ち、大学時
代、研究者を志した動機等を体系的にお聞きした記憶がない。今回、改めて三浦先生の生い
立ち等を知ろうとしたが、
「○○先生に聞く」とか、
「○○先生が自分史を語る」とかいう類
のまとまったインタビューを受けたものやそれに就いて書かれたものがあることを寡聞に
して、現時点では発見できなかった(学術的には『地域福祉の源流と創造』や『福祉政策学
の構築――三浦文夫氏との対論』等がある)。
)
(三浦文夫先生の研究スタイル)
三浦先生が自からの生活史や研究史を体系的に語ったものを読んでないままに、述べる
ことは失礼ではあると思いつつ、断片的に三浦先生から聞いたことを基に、三浦先生の研究
スタイルを私なりに整理しておきたい。
三浦先生は、東京大学の社会学を専攻され、福武直先生に指導をうけて、卒業論文では
漁業・漁村の社会学的分析をされたと伺っている。一方、大学時代に川崎でセツルメント活
動をされており、その活動を通して奥様と結婚されたという(川崎セツメント活動をしてい
た人の中に、私の東大の社会教育専攻の先輩である木下春雄先生がおられ、木下春雄先生ご
夫妻と三浦文夫先生ご夫妻とがとても仲のいい友人関係だったこともあり、時々木下先生
の話がでてきたことがあった)
。
三浦先生は、一方で、社会学という社会問題を冷静に分析する研究を深められ、他方で社
会問題の”集積地域”である”スラム街”で住民の生活を向上させる活動に情熱を傾けられた。
この相反するようなベクトルが収斂されたのが「三浦社会福祉政策研究」ではなかったかと
思っている。三浦理論を紐解くとすれば、この2つのベクトルとその先に収斂されたことを
十分押さえておかないと理解できないのではないだろうか。
中部社会事業短期大学時代における大学行政への関与の在り方や学生たちと一緒に取り
組んだ伊勢湾台風被災者救援等はまさに社会問題解決への”情熱”的な対応、行動であるが、
1965年に恩師福武直先生に特殊法人社会保障研究所に呼び戻されて以降は、その情熱
は沈下、昇華され、社会問題の調査に基づく具体的な生活問題のニーズの把握とその冷徹な
分析を踏まえて、その解決方策を国や地方自治体の社会福祉政策によって具現化させよう
と考えたのではないか。そこに、
「三浦社会福祉政策研究」のカギがあると思っている。よ
く、東京都の社会福祉審議会や他の研究会等でも、私が”問題解決のシステムづくりやその
人材、方法についても触れるべきである”と発言すると、”もっと抽象化して物事を考えろ”
と私は先生から叱られたものであった。ある意味、私と三浦先生との違いは、私が問題解決
のシステムや方法、実践の在り方を含めて社会福祉政策を考えていたのに比し、三浦先生は
その解決方法とは距離を置いて政策化を図ろうとされていたのではないかと私には思えた。
私自身、解決方策のシステム化や実践の方法も政策化の対象になると考えていたが、それは
必ずしも先生の賛同は得られなかった。
三浦先生は、社会福祉政策、社会福祉制度は多様な価値館にさらされても、それに耐えう
るものでなければならないと考え、より抽象化しようとしたのであろうが、私は問題解決こ
そが大事だと“若気の至り”で反発していたのかもしれない。社会福祉政策は“没価値”と
は言わないが、多様な価値を持つ住民に受け入れなければならない訳で、私のように自分の
価値の実現のみを求めたことへの戒めであったと今は分かるような気がする。
(社会福祉政策・運営論構築への貢献)
三浦先生の理論をどう位置付けるかは、
『福祉政策学の構築――三浦文夫氏との対論』(
全国社会福祉協議会、1988年、京極高宣・小林良二・高橋紘士・和田敏明編集)や『社
会福祉政策研究の課題――三浦理論の検証』
(小笠原浩一・平野方紹、中央法規、2004
年)に詳しいし、これからも多くの関係者が検証されると思うので、ここでは簡単に三浦先
生の社会福祉学研究上の功績と社会福祉学界活動上の功績について触れておきたい。
社会福祉学理論構築への貢献の第1は、ティトマスの「社会福祉の普遍化」を踏まえて、
社会福祉ニーズを貨幣的ニーズと非貨幣的ニーズとに分類し、非貨幣的ニーズである在宅
福祉サービスの体系化を行ったことである。非貨幣的ニーズの必要性は「森永ヒ素ミルク事
件」において金銭的給付のみならず、非貨幣的ニーズを提供することの必要性の論議の中で
思いついたとのことであった。
それらの考え方は、1971年に中央社会福祉審議会から出された「コミュニティ形成と
社会福祉」の起草委員を務めた三浦先生が、その後全国社会福祉協議会の永田幹夫先生、あ
るいは日本社会事業大学の仲村優一先生らとともに、ハート財団からの助成を受けて、全国
各地でモデル事業を展開し、福岡県春日市の毎日型食事サービスや東京都武蔵野市での福
祉公社、サービスコーディネーターシステム、リバースモーゲージ方式等のモデル事業を体
系化させ、それらを踏まえて1979年に『在宅福祉サービスの戦略』を上梓し、在宅福祉
サービスの体系化を構築していく。
第2には、在宅福祉サービスの体系化を試みた三浦文夫先生は、区市町村自治体における
在宅福祉サービスの供給体制を整備し、その実績を踏まえて東京都や国のレベルの高齢者
分野の政策形成に大きく貢献する新たな政策形成方式とそれに関わる研究領域を確立させ
たことである。
“社会福祉の主体についても実践主体と政策主体に区別する必要がある”と
考え、社会福祉政策研究の領域を確立した。それらが1980年に『社会福祉経営論序説』
(碩文社)及び『社会福祉政策研究』
(1985年、全国社会福祉協議会)の刊行につなが
った(当時、社会福祉の主体は行政と考える人が多く、
『社会福祉教室』
(有斐閣)でも、住
民を社会福祉の客体、主体を社会福祉行政として扱っていた。三浦先生の主体の考え方とこ
の分け方もその延長上にあると思われる。住民及び社会福祉サービス受給者を客体と考え
る考え方に当時、私は違和感を感じていた)
。
第3には、1968年のイギリスのシーボーム報告に基づき、日本のコミュニティケアを
どう推進するかという論争があった際、三浦先生は、コミュニティケアの中に入所型施設も
いれ、在宅福祉サービスとどう連続的にサービスを市町村ごとに整備するかを主張した。そ
れは、今日の「社会福祉法人の地域貢献」を見越していた立場でもあった。
そのような立場から、三浦先生は在宅福祉サービスを軸にした地域福祉の展開に関わる
地域福祉論の研究組織の整備の必要性を考え、岡村重夫先生や永田幹夫先生との交流を重
ねながら地域福祉学会の設立や地域福祉論の研究の深化を図っていった。日本地域福祉学
会の創設とその後の研究活動の向上にむけての活動で多くの研究者が学恩を受けた。中央
法規から刊行された『地域福祉事典』
(1997年、総勢132名の会員が執筆)等はその
一環である。
(社会福祉政策形成への貢献と研究者の立ち位置)
先に挙げた『社会福祉政策研究の課題――三浦理論の検証』の中で、小笠原浩一先生は、
三浦理論の位相として、
「政策形成における研究者のかかわり」、
「政策研究と政策形成」を
取り上げて執筆しているが、三浦先生の功績を考える際の大きなポイントはこの点である。
三浦先生が国レベルや都道府県レベルで、社会福祉政策形成に大きな役割を果たしたこ
とは何人も認めるところであるが、そもそも社会福祉政策はどうあるべきで、どう形成され
るべきであるかという研究は1970年までは殆ど皆無と言ってよい。その中で、社会福祉
政策の在り方とそれに関わる研究者の立ち位置を実践的に切り開き、ある意味整理したの
は三浦先生である。それは、
“情熱において禁欲的であり”、
“事実分析において冷徹であり”、
“政策形成において普遍的であれ”と考えた三浦先生の真骨頂かもしれない。
三浦先生は、1970年前後、永田幹夫先生、仲村優一先生等と全国社会福祉協議会の組
織を活用し、社会福祉政策へのソーシャルアクションを展開する。その第1弾が、戦後社会
福祉体制の見直しの論議であり、新福祉事務所構想、地域福祉センター構想、社会福祉事業
法改正や社会福祉士試案等の一連の制度改革の構想を提起する(『地域福祉の源流と創造』
参照)
。
その後、1987年の地方分権一括法や補助金の見直しに関与し、中でも 1990 年社会福
祉関係 8 法改正につながる改革案を、中央の各社会福祉関係審議会の合同企画委員会の部
会長として取りまとめに大きな役割を果たす。その基本的骨格は、2000 年の社会福祉法へ
の改正へと繋がっていく。
と同時に、三浦先生は世田谷区や東京都の各種審議会を活用しての政策提言を図るが、
地域福祉計画に大きな影響を与えたのが、東京都が 1989 年に提言した地域福祉計画の三相
構想である。
社会福祉政策研究における研究者の関与のあり方、政策形成のシステム化のもう一つの
モデルは各種民間助成団体の助成事業を活用してモデル事業を行い、その成果を政策に反
映させていくスタイルである。
先に述べたハート財団の助成による在宅福祉サービスに関する研究事業は1975年か
ら始められた。また、1987年以降携わった日本生命財団の「高齢社会助成事業」もその
一つである。日本生命財団の助成により、全国各地で先駆的に取り組んでいる特別養護老人
ホーム等を経営している社会福祉法人を選び、認知症高齢者支援のサービス開発や在宅福
祉サービスの開発等の新たなサービスを開発してもらい、それを政策化する実践的研究を
行ったのも三浦先生の研究スタイルの一つの特色である。
(社会福祉学の社会的評価を高める活動)
三浦文夫先生の功績の大きな一つは、社会福祉学の立場から大いに発言し、その立ち位置
と社会的評価を高める活動を展開したことである。
たとえば、出版の分野では、中央法規出版より、1984年以降全8巻の「高齢化社会シ
リーズ」を監修・刊行している。
「高齢化社会と女性」、
「高齢化社会と労働」
「高齢化社会と
生活空間」
、
「高齢化社会と教育」等、高齢化社会がもたらす影響を各分野において体系的に
取り上げ、問題提起している“先見の明”には鋭いものがあった。
高齢化社会の進展に伴う課題の一つとして、高齢者の社会参加、生きがいづくりの問題を
取り上げている。それらの活動のいわば典型として創設された、本格的な、体系的な二年制
の世田谷区老人大学に三浦先生は大きな関心を寄せる。初代学長は三浦先生の恩師である
福武直先生である(先に述べた1975年のアメリカ調査研究旅行の際、老人大学の起草に
関わった私が、福武先生に東大定年後どうするのですかと聞いた折、福武先生は東大紛争で
懲りたので大学には行かないというので、三浦先生と相談し、世田谷区の老人大学の学長は
如何ですかとお願いしたところ、初代学長を引き受けて下さった)が、その2代目学長に1
989年度より就任し、修学旅行にも参加するほど意欲的な学長であり、高齢者の学習、社
会参加の道筋を自ら実践された(
『老いて学ぶ老いて拓く』ミネルヴァ書房参照、世田谷区
老人大学はその後世田谷区生涯大学と名称変更され、第3代学長は小林良二先生)。
更には、日本社会福祉学会が学会創立50周年を記念して学会賞を創設したが、それより
も早く、1999年より損保ジャパン社会福祉学文献賞の創設に関わり、その選考委員長を
4年間務め、社会福祉学の社会的役割を高めることにも貢献された。
その他、
「森永ヒ素ミルク事件」では、
“疑わしきは救済する”、
“金銭給付もさることなが
ら、対人援助を継続的に提供する”という考え方で救済に当たられた。
また、大河内一男先生等と失業対策事業の見直しを行い、「高齢者事業団」を創設する。
これも高齢者の社会参加、生きがいづくりに関わる政策であり、実践であった。それは、そ
の後シルバーサービス人材センターへと改組され、全国で展開されていく。
かように、三浦先生の研究と実践は大きな広がりと深まりをもっており、それがどこから
もたらされたのかを改めて確かめることが出来ないのが、今となっては返す返す残念でな
らない。三浦文夫先生が切り開いてこられた地域を基盤とした社会福祉政策研究、そのため
の地域福祉計画づくり等の研究領域をより深めることが地域福祉研究を志した我々後輩の
責務であり、かつ後任の理事長として一般財団法人社会福祉研究所を任された私自身の責
務だと改めて考えている。
故三浦文夫先生のご冥福を祈りつつ、故三浦文夫先生に追悼の辞を当社会福祉研究所を
代表して捧げたい。三浦文夫先生、長い間ご薫陶賜りありがとうございました。心より厚く
御礼申し上げます。
(2015年9月5日、三浦先生の誕生日の日に記す)