明 日 に 生 き る 第二十六号 作 文 コ ン ク � ル 入 選 作 品 集 ― ― 9:15:14 2016/02/10 5 ①作文集前付け.indd 明日に生きる � 作文コンク�ル入選作品集 � 目 次 第二十六号 講 評 志 村 昌 孝 1 金 子 勉 2 ペ�ジ 大田区立大森第一中学校 二年 男 澤 和 輝 5 選考を終えて 中学校の部 選考委員長� 飾区立 美中学校長� 選考をとおして 高等学校・専修学校の部 選考委員長�東京都立農業高等学校長� 表彰式の記念写真 中学校の部 最優秀賞 生き方を考える 優 秀 賞 四つの力 優 秀 賞 職場体験が教えてくれたこと 佳 作 夢 大 悟 直 希 葉 南 大田区立大森第六中学校 二年 佐 藤 真 智 7 足立区立第六中学校 三年 鏑 木 愛 美 8 愛国中学校 三年 浅 井 彩 華 中央区立晴海中学校 三年 遠 藤 佑 香 墨田区立両国中学校 二年 西 本 朱 里 由 依 中野区立第七中学校 三年 大 橋 中野区立第七中学校 三年 宮 﨑 北区立稲付中学校 三年 高 谷 練馬区立開進第四中学校 三年 安 部 佳 作 働くことの喜びと達成感 佳 作 全ては相手を考えて 佳 作 何かを想う気持ち 佳 作 栽培の楽しさとその技術 佳 作 校外講座で理科と技術を学んで 佳 作 物作りが夢に 足立区立第六中学校 三年 髙 足立区立第六中学校 三年 辻 飾区立堀切中学校 三年 木 橋 美 咲 村 茉 緒 村 真 夕 佳 作 職場体験から学んだこと 佳 作 ものづくりを通じて作る未来 佳 作 作物を作り育てるということ 9:15:14 2016/02/10 6 ①作文集前付け.indd 23 22 20 19 16 15 14 13 11 10 高等学校の部 最優秀賞 あの看護師さんのような看護師に 優 秀 賞 大きくなれた私 優 秀 賞 畜産を学んで 優 秀 賞 人工授精師を目指して 佳 作 笑顔がくれる力 佳 作 会計コ�スでできた夢 佳 作 夢を叶えたら 佳 作 私の進路 ! 佳 作 農業 佳 作 馬との出会い 佳 作 命の尊さ 佳 作 専門教科の学習で学び得たこと 佳 作 将来の夢 佳 作 私の将来の夢 専修学校の部 優 秀 賞 将来の夢 佳 作 決ま�ていた進路 佳 作 ボランテ�ア活動で得たもの ペ�ジ 沙亜羅 悠 衣 桃 子 愛国高等学校 三年 鯨 井 未 来 東京都立農芸高等学校 三年 鈴 木 晶 葉 東京都立瑞穂農芸高等学校 二年 五十嵐 香 月 ゆづき 東京都立瑞穂農芸高等学校 三年 佐 野 愛国高等学校 三年 石 川 愛国高等学校 三年 成 澤 愛国高等学校 三年 松 下 芙 由 理 香 実 莉 あす香 春 佳 希 帆 ペ�ジ 日本工業大学駒場高等学校 一年 髙 橋 ななこ 東京都立農業高等学校 二年 伊 藤 香菜海 東京都立農芸高等学校 二年 大 澤 萌 今日子 東京都立瑞穂農芸高等学校 四年 有 村 東京都立瑞穂農芸高等学校 二年 小 林 東京都立忍岡高等学校 三年 坂 本 国際理容美容専門学校 二年 早 坂 東京エアトラベル・ホテル 専門学校 二年 保 科 青山製図専門学校 一年 甲 斐 東京エアトラベル・ホテル 専門学校 二年 緒 方 9:15:14 2016/02/10 7 ①作文集前付け.indd 46 45 43 42 40 38 37 35 33 32 30 28 26 25 51 50 48 応募校等一覧表 作文コンク�ル選考委員名簿 あとがき 55 54 53 ①作文集前付け.indd 8 2016/02/10 9:15:14 11:47:14 2016/02/16 1 ①作文集前付け.indd �何かを想う心� を学んだことが述べられていました�これは� 講 評 普段の生活でも大変大切なことであります�体験を通して� 日常の生活に活かしていこうとする意欲が感じられました� そして�もう一人の優秀賞の�鏑木 愛美さんの�職場体 選考を終えて 験が与えてくれたこと��では�パン屋さんに職場体験に行 き�自分の将来の夢である海外で働きたいという思いと照ら 中学校の部 選考委員長 し合わせて�自分の将来の職業について真剣に向き合�て考 えたことが述べられておりました��楽して稼げることはな 志 村 昌 孝 い�と�苦労して給料をもらうということを学び�自分の将 来に活かすことにつなが�たと語られた�選考委員も共感し たものでした� 入選した作文の内容は�技術・家庭科の授業での体験的な 今 年 度 の 中 学 校 の 部 の 応 募 数 は� 学習や職場体験�ボランテ�ア活動などの体験的な学習から 八 十 二 編 あ り� そ の 中 か ら� 第 一 素直に感じたことや考えたことが語られ�その学び得たもの 次 審 査� 第 二 次 審 査 を 経 ま し て� からこれからの生活への意欲や将来の夢や強い決意をも述 十 三 作 品 を 入 選 と し� 最 優 秀 賞 一 べたものであり�とても魅力があるものでした�また�未来 名� 優 秀 賞 二 名 を 選 考 い た し ま し を担う皆さんの力強い姿勢が�大変頼もしく感じました� た� ど の 作 品 も 甲 乙 つ け が た い 内 容 で あ り� 選 考 に あ た � て は 委 員 これからの社会は�ますますグロ�バル化し�多様な価値 観と協働していくことが求められます�そのような中で�こ を悩ますものでした� れからの人生をどのように拓いていくのか�自らの生涯を生 今回�最優秀賞を受賞した�男澤 和輝さんの�生き方を き抜く力を�この中学校の生活の中で培�ていくことが求め 考える��は�職場体験に児童館に行�た体験が述べられた られます� 作文でした� 中 学 校 は� 自 分 は ど ん な 良 さ が あ る の か� 個 性 を み つ け� 人の言葉や行動に流されてしまいがちな自分を変えてい その個性を磨き�伸ばすところです�そのような点では�こ こうと�自分で体験先を決め�そして体験先では�小さな子 こに受賞された皆さん�個性あふれる人ばかりです�これか と遊んだり�その保護者と話をしたりする中で�主体的に考 ら の 時 代 を 担 う 皆 さ ん に は� よ り よ い 社 会 を 築 く 一 員 と し え行動している自分の達成感を素直に感じたことが語られ て�また幸福な人生を創り出していくよう�これからも皆さ ておりました� んの個性を磨き�伸ばしてほしいと期待しております� また�主体的に働くことの大切さに触れ�自分の生き方に おいて見つめることで�周りの人に左右されずに�自分の意 志で決めていく生き方をしていくことが力強く語られ�その 決意が選考委員に伝わ�てくるものでした� さらに�優秀賞の�佐藤 真智さんの�四つの力��では� 病院での職場体験で学んだ四つのこと��笑顔� �協力� �苦労� ─1─ 作品が最優秀賞や優秀賞�あるいは佳作として選ばれたと言 えます�この点では�専修学校の部において�そのことを強 選考をとおして く述べた作品が少なか�たことは残念でした�専門高校�専 修学校の目的は��スペシ�リストの育成�です�この点をし� 高等学校・専修学校の部 選考委員長 かりとおさえた上で�日頃の学習や体験に臨み�将来につな 金 げてい�てもらいたいと思います� 子 勉 これから様々な場面で文章を書いたり�進学や就職試験な どの面接の場で話をすることがあると思います�こうした視 点から文章や話の構成を考えると良いと思います�何よりも� 今年度は�高等学校の部で九十三 自分の生き方の軸がし�かりとしてくることと思います� 編� 専 修 学 校 の 部 で 二 十 一 編 の 応 作品を応募するにあた�て心がけておいていただきたいこ 募 が あ り ま し た� そ の う ち� 選 考 とがあります�それは��自分の作品を読んでいただく�と 委 員 会 で 慎 重 に 審 査 し た 結 果� 高 いう気持ちを持つことです�応募方法の�作成上の注意�に 等 学 校 の 部 で は� 最 優 秀 賞 一 名� 優 秀 賞 三 名� 佳 作 十 名 の 計 十 四 名� �自筆で作品を書く場合はHB以上の濃い鉛筆等を用いて丁 寧に�鮮明に書くこと�とあるようにこのことは応募にあた� 専 修 学 校 の 部 で は� 優 秀 賞 一 名� ての基本的なマナ�です�また�文字数についても�原稿用 佳作二名の計三名を入選者として決定しました� 紙�四枚以上六枚以内とする�とな�ていますが�たくさん どの作品からも現在在籍している高等学校や専修学校にな 書けば良いというものではありません�例えば�最初は原稿 ぜ入学することにしたのか�そこでどのような学習や経験を 用紙七�八枚くらいに書いてみて�それを五枚程度にまとめ 積んできているのか�そして�自分の将来をどのように描こ ていくと洗練された読み手に感動を与える文章が出来上がる うとしているのか�そうい�たことが伝わ�てきました� と思います� 募集要項では�作文の内容について��学習を通して体験 最後になりましたが�今回の作文コンク�ルへの応募を通 したことを踏まえて�そこから得た人生観・職業観�自己の して現在の学校における自分の在り方�生き方について考え 将来に対する考え方・心構え等について述べたもの��と書 を深め�将来への方向性を明確にすることができたとしたら かれています�なぜ現在在籍している学校に入学したのか� 幸いです�また�ご指導をされてこられました先生方には感 その学校で何を学び�何を体験し�何を考えてきたのか�そ 謝申し上げるとともに�これからも生徒たちの希望あふれる の学習や体験や考えてきたことを将来に向か�てどうつなげ 未来に向か�てご指導のほど�宜しくお願いいたします� ていくのか�そうした過去・現在・未来が具体的で明確であ り�将来につなげていこうとする強い思いを伝えられていた ─2─ 9:15:16 2016/02/10 2 ①作文集前付け.indd 平成 27 年度 作文コンクール表彰式(中学校の部) 12 月 15 日 東京都産業教育振興会 9:15:17 2016/02/10 3 ①作文集前付け.indd ①作文集前付け.indd 4 2016/02/10 9:15:17 平成 27 年度 作文コンクール表彰式(高等学校・専修学校の部) 12 月 15 日 東京都産業教育振興会 た�僕は�児童館や保育園を第一希望にした�それを見た友 中学校の部 最優秀賞 だちからは�意外だと驚かれた�このとき�周囲から見られ て い る 自 分 と� 自 分 が 思 � て い る 自 分 は 全 く 違 う の か な と 思�た��自己理解�の授業の中で�友だちも�自分�てこ 生き方を考える んな風に見られているんだ��と言�ていた�いつも一緒に 大田区立大森第一中学校 二年 行動している友だちでも�知らない一面がたくさんあるのか 男 澤 和 輝 なと思�た� 体 験 場 所 が 発 表 さ れ た� 児 童 館 に 行 く こ と が 決 ま � た と き は 嬉 し か � た� 班 長 に も 立 候 補 し て� 頑 張 � て み よ う と 自分のことは好きだ�そんな僕が�一つだけ直したいこと を挙げるとすると��人の言葉や行動に流されてしまうこと� 思�た�なぜこの職業を選んだかというと��一番身近な職 だ�友だちが辞めたからという理由で�部活も辞めてしま� 業だから�というのが大きい�つい最近まで�児童館で遊ん た�将来のことを考えたとき�このままでいいのかと�つく で い た し� 休 み の 日 づく思う� は一日児童館にいる ことも少なくなか� 第二学年の総合的な学習の時間は��生き方について考え よう�というテ�マで学習をしている��なぜ�人は働くの た� 児 童 館 に 行 け だろう�という小テ�マでは�一人暮らしをするのに必要な ば�必ず友だちがい お金や家族への職業観インタビ��を通して�働く目的につ た� 困 � た と き は� いて考えた��自己理解�という小テ�マでは�自分の特性 スタ�フの人が優し や職業に対する適性について考えた�こうい�た授業内容が く助けてくれること 増えたことで�友だちと志望校について話すことが多くな� も あ � た� 僕 に と � た�志望理由を聞くと�お兄ち�んが通�ているから�近く ての�第二の学校み だから�親が勧めるからと答える仲間が多く�僕もその一人 たいな存在が児童館 だ�今考えれば�将来の生き方さえも�人の言葉に流されて だ�た�そんな�よ いたのだと思う� く知�ている場所で 体験してみたいと 思�たのは�自然な そんな中�総合の授業で�職場体験�の取り組みが始ま� た�職場の希望調査は�体験してみたい産業を書くものだ� 中学校の部 最優秀賞 中学校の部 最優秀賞 男澤和輝君の朗読 ─5─ 14:21:02 2016/02/16 5 ②中学校の部.indd 流れだ�たように思う� 長く使いたくなるよね��と�児童館での工作は�みんなの ために作�たのに��というのはウソではない�でも��み 職場体験当日�職場の方々に挨拶をし�最初の仕事に取り 組んだ��赤ち�んタイム�という�生後間もない小さな子 んなのことを思�て主体的に作�た�わけではない�だから� た ち と 遊 ん だ り� そ の 保 護 者 と 会 話 し た り す る と い う も の �大切に使いたい�と思わせることができなか�たのかなと だ�た�保護者の方たちは�僕の名前の由来や母親のことを 後悔した�技術の授業で学んだことは�働く�て何だろうの どう思�ているかなど�これまであまり考えたことのないこ 答えの一つかなと思う�そのことを思い出してから�児童へ とを聞いてきた�受け答えに苦労したけど�なんだか楽しい の接し方を変えてみようと思�た��こ�ち来て���ブロ� 気持ちにな�た�誰かに必要とされることは�すごく気持ち クで遊ぼう�と�同時に声を掛けてきたとき��後で行くか のいいことだな�と改めて思�た� ら待�ていてね��と言�ても�納得してくれない�そこで� 同じ言葉でも視線を合わせて�気持ちを込めて言うようにし �赤ち�んタイム�は一時間だ�た�児童がや�てくるの は三時ごろ�それまでの時間は休憩かと思�ていたが�違� た�不満そうな顔はするが�静かに待�ていてくれるように た�児童への配布物を作�たり�工作の準備をや�たり�遊 な�た� びに来ていたときには想像もしていなか�た仕事だ�た�作 帰りの会では紙芝居を読むことにな�ていた�このときは る量の多さに投げ出したい気持ちにな�た�やすりでプラス 国語の授業で落語を発表したときのことを思い出した�登場 チ�クの板を削�ているときは�水ぶくれの痛さに悩まされ 人物になりき�て語るためにはどうするか�いろいろと工夫 た� ス タ � フ の 方 が こ ん な 苦 労 を し て い た と は 知 り も し な をした�その経験が役に立�た�一生懸命に読む僕の方を見 か�た� つめる子どもたちの視線は�すごく恥ずかしくもあり�嬉し くもあ�た� 三時になり�子どもたちが遊びに来た�僕たちの存在に困 惑していた子どもたちも�作�たものを渡すと�笑顔で受け 三日間の職場体験はあ�という間だ�たが�大切なことを 取�てくれた�しかし�僕が苦労して作�たものを平気で投 学んだ�それは�主体的に行動するかどうかが�仕事への達 げ捨ててしま�ている子たちを見て�怒りを通り越して�あ 成感や結果を大きく左右するということだ�そして�主体的 きれてしま�た�みんなのために作�たのに��そのとき� に行動するためには�これまでに学習してきた知識が土台に ふと去年の技術の授業を思い出した�自分たちが作�た本棚 なる�苦手だからと何となく取り組んでいる教科でも�社会 を研磨紙で磨く僕たちに�技術の先生がこんな話をしてくれ に出たときに役に立つ場面は多いように思う�身近な施設で た��研磨の作業は地味だけど�ここで気持ちを込めるんだよ� あ�た児童館は�人の言葉や行動を参考にし選んだ�自分が いい作品になれ�て気持ちで磨いてあげたものは�や�ぱり 本当にやりたい職業だ�た�そしてスタ�フや訪れた保護者 中学校の部 最優秀賞 ─6─ 14:21:02 2016/02/16 6 ②中学校の部.indd 14:21:02 2016/02/16 7 ②中学校の部.indd 四つの力 の方々のおかげで主体的に働くことができた�これからも� た�たの三日間でしたがそれでも学んだことはたくさんあり そんな生き方をしていきたい� ました� 一つは�笑顔の力です�職場体験中の三日間どの部門へ行� 僕は今�もう一度部活を始めた�今度は自分の意思で決め ても�誰にインタビ��をしても皆さん笑顔で私たちに接し た�職場体験を通して�自分の生き方を見つめることができ てくれました�病院職は一種のサ�ビス業ともいいますが� たような気がする� そ の 笑 顔 は と て も 気 持 ち の い い も の で し た� も し� 入 院 し てしま�たときにお医者さんや看護師さんが笑顔ではなく� 怒�た顔で診察をしにきたら�私だ�たら体だけではなく心 中学校の部 優秀賞 の中まで暗くな�てしまうと思います�それが笑顔だ�たら 安心して自分が今が痛いのかや何が気にな�ているのかを話 せるのではないでし�うか�病院で働く人たちは技術で体を 救うだけではなく�その笑顔で患者さんの心までも救�てい 大田区立大森第六中学校 二年 るのだと分かりました� 佐 藤 真 智 二つめは�協力することで大きな力が生まれるということ です�病院内は�受付の方のあいさつから始まり�医師に診 察してもらい�入院すれば専門医にみてもらい�看護師がケ �ここで働く人は皆�協力して患者さんを支え�守�てい ます�だから�その患者さんから感謝の言葉をいただくと勇 アしてくれて�資料などは事務の方々が整理してくれていま 気をもらえ私たちも元気になります�� した�つまり�患者さん一人一人のために何人もの人が動き 支えていたのです�患者さんを守るのだと心を一つに医師も これは�私が職場体験に行�た東急病院でインタビ��を した時にいただいた言葉です�この言葉一つからでも働くと 看護師も専門医もそして事務の人も全員で力を合わせていま いうことがどれだけ大変でどれだけやりがいのあるものなの した�その姿に私はとても感動しました� かが分かります�患者さんの�何人もの命を体を心を預か� 三つめには�どんな仕事も楽ではないということです�特 ている病院で働く人たちは患者さんを第一に考え全力で働い に病院は命を預か�ている場所なのでより一層大変さを感じ ていました� ま し た� 三 日 間 し か 体 験 し て な い 私 が 思 う く ら い で す か ら き�と毎日働いている大人たちはさらに大変なのだと思いま す�でも�その大変さもストレスも仕事仲間で分け合�て� この職場体験で私達は三日間�管理部門�診療技術部門� 看護部門�とそれぞれ一日ずつ体験させていただきました� 中 学 校 の 部 最 優 秀 賞/優 秀 賞 ─7─ 14:21:02 2016/02/16 8 ②中学校の部.indd 職場体験が教えてくれたこと 職業でも同じ疑問が浮かん だ�その疑問の答えを出そ うとすると�私の将来の夢 にたどりついた� 大変さをやりがいに変えてい�ているのではないかと思いま した�そのやりがいで次の仕事に向か�て進み続けているの だと感じました� 足立区立第六中学校 そして最後は�皆�何かのために�働いているのだという 三年 ことです�その�何か�は自分だ�たり患者さんだ�たり家 鏑 木 愛 美 族だ�たり�その人や職業によ�て違うとは思いますが�そ れを守りたい�支えたい�大切にしたいという思いは皆一緒 私 は�� 仕 事 � と い う も の に と て も 興 味 が あ る� 働 い て� なのではないかなと思いました�人に動くと書いて�働く� お給料をもらう�とても簡単そうに聞こえるが�実際はそう と書きます�自分のために勉強して�人のために働く�私た ではない�私はそれを�二年生のときの職場体験で知�た� ちの人生というものはすごく大きなものなのではないかと感 私の職場は�パン屋さんだ�た�そこは�とても明るい雰 じることができました� 囲気で�優しい方ばかりだ�たが�ず�と立ち�ぱなしのう この四つはいつか絶対自分の力になると思います�笑顔� え�お昼休憩は�三十分程というスケジ��ルだ�た�足が 協力�苦労�そして何かを想う心�学校生活の中でも生かせ 棒のようにな�てしまい�とても疲れた�職場体験でこの疲 ることは山ほどあります�笑顔で仲間に接すること�協力し れなら�毎日ここで働いている人は�も�と疲れが溜まるだ て皆で何でも乗り越えていくこと�苦労をやりがいに変えて ろう�そう思うと�仕事を甘く見ていたと�強く反省した� いくこと�何かを想�て動くこと�ちりも積もれば山となる� 体験中�ふと考えたことがある�ここには�英語を話すこ どんなに小さいことでも積み重ねていけば必ず自分が大人に とができる人はいなさそうなのに�外国人のお客さんが買い な�たときに役に立�ていくのではないでし�うか��働く� に来たとき�どうい�た対 ということはまだ中学生の自分からしたら少し遠い未来のこ 応をするのだろう?と�そ となのかもしれませんが�あと二年もしないうちに自分で働 う考え始めると�パン屋に ける年齢にな�てしまいます�そう考えると意外と遠くもな と ど ま ら ず� い ろ い ろ な いのかもしれません�だから�これから出会�ていくであろ う大きな山場を乗り越えられるように今から少しずつでも大 人に近づいていけたらいいなと思います�今回学んだことを 忘れずに�今日を明日を歩んでいきたいです� 中学校の部 優秀賞 ─8─ に�どうい�た行動が最善なのかを�冷静にな�て考えるこ 私の将来の夢は�海外で働いて�日本と海外を結ぶ架け橋 となること�具体的には�まだ決ま�ていないが�例えば� とができた� 通訳者�外国の本を�日本語に訳して�日本に外国の文化を よく� �楽して稼ごう��なんて言う人がいるが�楽して稼 伝えたり�日本のア�テ�ストが�海外巡業をした際�通訳 げるなんて�まずありえないし�楽して稼いだところで�は として�両国のコミ�ニケ�シ�ンが円滑に進むようにする� たして本当にそれが�自分のためにな�ているのか考えたと き�自信を持�て�はい�と答えられるのか�職場体験に行 私は今�将来のそうい�た夢のために頑張�ている�英語 の授業はもちろん�英語技能検定を受験したり�海外との交 く以前の私だ�たら�楽して稼ぐことを考えたかもしれない 流ツア�に参加したりしている�それに�高校も�英語に力 が�体験を終えた今�苦労して給料をもらうという仕事の本 を入れているところに進学を決めている� 質を学んだ私は�自信を持�て�いいえ�と答えることがで きる�それが�私自身の心の成長の証でもあり�経験から学 職場体験を経験したおかげで�将来就こうと考えている職 業に�真剣に向き合い�生半可な気持ちを�切り捨てること んだ道徳であると考えている�そして�この考えを�私の頭 ができた� の中だけにとどまらせず�私の身の周りの人間に広めていき たい� 日本は今�海外に進出し�多くの国々から認められつつあ る�そこで�英語が達者な日本人を�これからも増やしてい 中学二年生という�そろそろ将来について考え始める時期 くことが大切にな�てくる�すると�自然と国内に英語が広 に�職場体験というのは�とても良い機会だ�た�私は�そ まり�簡単な会話程度なら�誰でも話せるようにな�てくる こで�多くのことを経験し�学び�考え�それを自分の将来 だろう�そうすると�小規模の店に�外国のお客さんが来店 のために生かすことができた�これから先の人生で�たくさ しても�し�かりとした対応をすることができる�そう考え んの大きい壁が目の前に立ちはだか�たとしても�いつも自 ると�一つの結論に至�た� 分の経験を信じ�壁を乗り越えていく�その心構えで�自分 の進むべき道を突き進み�今の目標にたどりつきたい�その �何年かか�たとしても�日本と外国との交流をさらに深 め�片方の国の人が�もう片方の国を訪れた際�どんな場所 ために�今できることに精一杯取り組み�経験をたくさん積 でも親切かつスム�ズに�コミ�ニケ�シ�ンがとれるよう んでいきたい� な国際関係を築きたい�� これは�私が実際に友だちに言�た言葉だ�職場体験を経 て仕事の大変さを実感し�自分の将来を見据えて�現段階で 何をすべきなのかを知�た�そして�これからの日本のため 中学校の部 優秀賞 ─9─ 14:21:02 2016/02/16 9 ②中学校の部.indd 夢 辛い経験も人生の中で人を変える大切な経験なのではないか 中学校の部 佳作 なと思いました�私は八年前のこの出来事をき�かけに妹か ら家族から看護師になりたいという夢をもらいました�また� この頃から命のおもさについて考えるようになりました� そして一年後�妹も元気になり私が小学校二年生にな�た 愛国中学校 三年 頃でした�何日か前から歩く際に左足の股関節部分に痛みを 浅 井 彩 華 感じていました�そして数日後�痛みにたえきれなくなり私 は歩くことも難しくなりました�次の日�病院に行き検査が 行われました�そして私は股関節炎であることがわかりまし 私には�小さい頃からの夢があります�それは�看護師に なることです�私が看護師になりたいと志したのは私にと� た�ひどくなると妹と同様に化膿してしまい手術しなくては て大きな出来事がき�かけでした� なりません�でも私は化膿の一歩手前の水がたま�てしま� ている状態だ�たので安静にしていれば治ると担当医師から 八年前�念願だ�た妹も生まれ�妹が生まれて一年が経つ 頃でした�家族の皆が妹の一日一日の成長が楽しみでした� 伝えられ安心しました� 首がすわ�て�立つようになり�歩くようになり�そんなあ この股関節炎にな�たことは私の夢をより大きくしまし る日�妹の歩き方がおかしいと父が異変に気づきました�そ た�歩けなくなり不安でい�ぱいだ�た時期もありました� して�次の日�病院に行き検査が行われました�検査の結果 でも�そんな時たくさんの人が私を支えてくれました�担当 から妹は化膿性関節炎であることがわかりました�化膿性関 医師の先生�何度も何度も声をかけてくれて励ましてくれた 節炎とは関節内に何らかの原因で細菌が入り�関節内が化膿 看護師の方々�クラスメイト�学校の先生�そして家族�私 してしまう病気です�医師からは一�月の入院と手術をしな はたくさんの人に支えられ一�月以上の松葉杖との生活を終 くてはならないと伝えられました�私にと�て妹は初めてで え歩けるようになれました�小さな出来事が私の夢をより大 きた大きな存在でした�妹に対して自然と守らなければなら きくした瞬間でした�この病気をき�かけに仲よくな�たあ ないという強い気持ちがありました�だから�入院と手術の る一人の看護師の方がいました�病院へ行くと励ましてくれ 一�月間は妹にと�ても私たち家族にと�ても�忘れられな て�いつの間にかその看護師の方に憧れていて私もこんな人 い辛い一�月間となりました�でも�この一�月間で家族が になりたい�こんな看護師になりたいと思�ていました�だ 助け合�て支え合�て�絆が深ま�たような気がしました� から私は看護師になりたいという夢は家族や色々な方々から いただいたプレゼントだと思�ています�でも叶えるのは自 この�八年前のことをき�かけに楽しいことだけではなく 中学校の部 佳作 ─ 10 ─ 14:21:02 2016/02/16 10 ②中学校の部.indd 藤 佑 香 中央区立晴海中学校 三年 遠 私は中学二年生の二学期�職場体験として学校近くの老人 ホ�ムへ行きました�まだ中学生の私が役に立つかといえば� そうではないかもしれないけれど�自分に与えられた仕事を 一生懸命やりました� そこでの主な仕事内容は�タオルをたたんだり�昼食やお やつを配る地道な仕事や�施設を利用している高齢者の方と し�べ�てコミ�ニケ�シ�ンをと�たり�レクリエ�シ� ンの手伝いをすることでした�これらのことは一見簡単そう で�だれにでもできそうですが�実際に職場体験をしてみて� 簡単ではない�とても大変なのだということを思い知らされ ました� その中でも私が最も大変だと思�たのは�一緒にし�べ� てコミ�ニケ�シ�ンをとることです�私は普段から友達と し�べることが好きで�毎日たくさんのことを話しますが� やはり�同年代の友達と話すのとはわけが違うようで�とて も難しか�たです� まず�大前提として�当然ですが�友達ではない�自分よ りも何十年も長く生きてきた人生の大先輩であるということ を頭に入れなくてはなりません�これは�その老人ホ�ムで 14:21:02 2016/02/16 11 ②中学校の部.indd 働くことの喜びと達成感 分自身です� この二つの出来事を通して夢を叶えるためには限界を自分 自身で決めないことだと思います�努力が必ず報われるかど うかはわかりません�でも�その努力は絶対に無駄にはなら ないと思います�努力をして結果が出なか�たのなら何度も 努力をして挑戦すれば良いと思います�何でも諦めずに挑戦 して前に進むことが限界を自分自身で決めないことだと思い ます�私は�辛くな�た時�何もかもがどうにでもよくな� てしま�た時�自分だけが辛いのではないと思うようにして います�世界中には自分と同じように辛い時でも前に進んで いる人はたくさんいる�このように思うことによ�て自分だ けではない�頑張ろうと思えるようになれるからです� 将来�私自身がどんな人にな�ているか自分でも想像出来 ません�看護師にな�てたくさんの人の支えにな�て�あの 時出会�た看護師の方のようになれていれば一番嬉しいで す�もしかしたら違う職についているかも知れません�どん な自分でも自分は自分です�一生つき合わなければいけない ものだと思います�私は将来どんな自分でも誇りを持てるよ うに今から�最善の努力をして恥じない人間になれるように 努力していきたいです�そして�私に夢をくれた家族や看護 師の方々�たくさんの人に恩返し出来れば良いなと思�てい ます� 中学校の部 佳作 ─ 11 ─ 働いていて�職場体験として来た私たちの�担当の方にも言 ること�これも大変でした�気さくで明るく話しかけて下さ われました�しかし�先輩だ�目上の方だと強く思�てしま る方もいれば�気難しくて�なかなか話をして下さらない方 うと�それはそれで緊張してしまい�話せなくな�てしまう や�おとなしくてレクリエ�シ�ンなどにも参加せず�静か のです� にしている方もいました�二�三十人も人がいれば当然のこ とですが�この人はこういう性格だから�こうや�て話しか また�私と�高齢者で施設を利用している方々とでは�あ たりまえのように年齢が何十歳と違うので�話題を探すのに ける�あの人はき�と静かにしているのが好きなようだから� も苦労しました�私が普段友達と話すようなマンガのことや� そ�としておこうなどと�一人一人の性格を理解した上で行 音楽のことで利用者の方々を楽しませられないのはあきらか 動するというのは難しか�たです�しかし�名前や性格を覚 なので�だれとでも話せるような�趣味や好きなものなどの えて�一緒に話をして�そしてその人が楽しんでくれると� 話をしました� とてもうれしか�たです� そ し て� こ の 利 用 者 の 方 々 と 話 す こ と に お い て 最 も 大 変 この四日間の職場体験で私は�大変なことをたくさん経験 だ�たことが他にあります�それは�利用者の方々一人一人 しました�正直明日も行くのか�やだな�と思うこともあり の名前を覚えて�性格を理解することです�私がそのとき職 ました�しかし�私と話して利用者の方が喜んで下さ�て� 場体験をさせていただいた部屋は�かなり大きな部屋で�そ 笑顔を見せて下さると�あ��頑張�て良か�た�と思いま こに二十から三十人ほどの人がいました�そんな一クラス分 した�き�とこの仕事に就いている方々は�この笑顔や�頑 ほどの人数の名前を覚えるのは大変なことでした�しかも� 張�た後の達成感のために働いているのだろうということ 昔の名前は今�私たちがよく聞くような現代風の名前ではな を�た�た四日間でしたが感じることができました� い の で� 漢 字 の 読 み 私は�今は将来の夢というものがありませんが�早く職場 方 が 難 し か � た り� 体験で感じたような達成感を感じられるようなことを見つけ あまり聞いたことの て�それを将来の仕事にできるよう努力したい�と思いまし ない珍しい名前が多 た�それにはき�と�この職場体験で経験した苦労や�達成 く� 最 初 の 方 は� 名 感�喜びなどが役立つのだと思います�勉強や�すべきこと 前を間違えてしま� をすれば�何にでもなれる�そんな可能性をもとに�これか た り� 失 敗 も し ま し ら将来�自分が最も幸せになれる道に進みたいと思いました� た� そ れ か ら� 一 人 一人の性格を理解す 中学校の部 佳作 ─ 12 ─ 14:21:02 2016/02/16 12 ②中学校の部.indd 14:21:02 2016/02/16 13 ②中学校の部.indd 全ては相手を考えて マクドナルドは非常に笑顔を大切にしている会社です�です ので�私も様々な仕事を行う時も�常に笑顔を意識してみま した�すると�昨日と同じ仕事を行�ているにもかかわらず� 仲間と声かけをし合�て今までより早く商品を届けられるよ 墨田区立両国中学校 二年 うにな�たり�お客様とも元気に会話できるようになりまし 西 本 朱 里 た�笑 顔 とは受ける相 手 を良い気 分にさせるだけではなく� それを行�ている側にもパワ�を与えてくれる非常に素晴ら しいものなんだと気づくことができました� 私は�七月八日・九日・十日の三日間�職場体験学習でマ クドナルド両国西口店さんへ行�て�体験をさせてもらいま 三日目のテ�マは�ホスピタリテ��です�ホスピタリテ� した�その三日間はある一つのテ�マにそ�て仕事を行いま とは�何気ない心配りや気づかいができる心をも�て�お客 した� 様をおもてなしすることです�私はそれを意識して�お客様 を見てみることにしました�すると�ゴミを捨てようとサン 一日目のテ�マは�クレンリネス�でした�クレンリネス とは�いつも美しく衛生面の整�た環境を作る�いわゆる空 キ��BOXに並んでいる女性がいました�なので�私は 間作りのことです�マクドナルドでは頻繁にラウンド�店内 �もらいます� � 清掃�を行います�ちなみにラウンドとはマ�ク用語であり� と言�てかわりにゴミを片付けました�すると�女性から その言葉には一つ一つ特別な意味が込められています�クロ �ありがとう�とても助か�たわ� � ス�ぞうきん�で机やイスをふいたり�サンキ��BOX�ゴ と言�ていただけました�お客様の気持ちを考えておもてな ミ 箱 �にゴミがたま�たら す ぐにパ�クライナ�� ゴミ袋 � しをすることができ�それが�お客様にち�んと届いたこと の入れ替えをします�自らラウンドを行うことによ�て�こ は本当に嬉しか�たです� の仕事をいつもすばやく丁寧に行い�お客様が快適に過ごせ 今回の職場体験学習で学んだ三つのことは�全てがお客様 る空間を維持しているスタ�フの皆様に私は驚くと同時にと のための行動でした�ただ仕事をこなすだけではなく�どう ても感心しました� すればよりお客様に喜んでもらえるかを常に意識しているか らこそ�サ�ビス・ホスピタリテ�方針にかな�た行動がマ 二日目のテ�マは�サ�ビス�でした�サ�ビスとは�明 るく�大きく爽やかな声で�笑顔を絶やさず�少しの会話で クドナルドで働いている 人 達はできているのだと思いま す� も楽しく話す�このようなお客様を最高の気分にさせる行動 私もこの三日間で学んだ経験を忘れずに�相手の気持ちを考 のことです�スマイル0円というおなじみのフレ�ズの通り� えて行動したいと強く感じました� 中学校の部 佳作 ─ 13 ─ 何かを想う気持ち �アリガトウ�大すき� と書いてある手 紙 をもら い� そ れ が 何 よ り も 嬉 し か�たです�二日目の体験 中野区立第七中学校 三年 を通して�五才児は�私が 大 橋 由 依 いつも普通に行�ている書 くことや読むことなどが一 人でできることが一番の発 私は�中 学二年 生の時に�保 育 園で職 場 体 験をしました� 私は�子供と触れ合�たりするのが好きなので�とても楽し 見であり驚きでもありまし みでした� た� 職場体験は�三日間行われ�一日目は0才児クラス�二日 三日目の三才児クラスで 目は五才児クラス�三日目は三才児クラスの担当をしました� は�プ�ル入水後に子供に タオルを巻いたり�子供の水着の水気をと�て並べたり�昼 一日目の0才児クラスでは�子供の世話や昼寝のための布 団の準備などをしました�0才児は�人見知りな子供が多く� 食後の後片付けなどしました�三才児は�友達同士の意見の 仲良くなるのが大変でした�また�まだ言葉を話すことがで くい違いによりケンカが多く�それを止めることが一番大変 きないので�自分の考えを理解してもらうのに苦労しました� でした�しかし�三才児は�順番やル�ルを守れている子供 一日目の体験を通して�0才児は�一人一人考え方や感情に が多くて�とても驚きました�三日目の体験を通して�三才 違いがあるので�子供によ�て接し方を変える必要があるこ 児は� �ヤダ�や�イイヨ�など�自分の感情を友達に出すこ とを知りました� とができることが分りました� 二日目の五才児クラスでは�昼食のためのいす並べや�昼 今回�保育士の体験をして�色々なことを学ぶことができ 寝前のトイレへの誘導など�一日目より仕事が沢山ありまし ました�例えば�子どもがキレイで快適な環境で過ごせるよ た�五才児は�0才児に比べて�人見知りが少なく�楽しく うに�子供達が日頃使�ているおもち�やいす�机などをふ 遊んだり�話したりすることができました�また�五才児は いたり�らく書き帳や折り紙�行事で使う小物を作�たりす 外で遊ぶ子供が多く�かくれんぼや鬼ご�こをしました�私 ることを�子供達が昼寝をしている間に行う�これらは地道 は久しぶりに外で遊んだので�とても楽しか�たです�そし なことで大変ですが�保育園で子供を預か�ているという責 て二日目の体験終了時に二人の五才児に� 任 を 感 じました�また�ただ 子 供 と一緒に 遊ぶだけでなく� 中学校の部 佳作 ─ 14 ─ 14:21:03 2016/02/16 14 ②中学校の部.indd 栽培の楽しさとその技術 子供達に生活に必要な習慣を身につけさせたり�友達と触れ 合う中で�色々な人と共感できる心を育てたりと�様々な役 割があることが分りました� 中野区立第七中学校 私は�保育園の職場体験で学んだことを通じて�保育士に 三年 一番大切なことは� �子供を想う気持ち�だと思います�二日 宮 大 悟 目に五才児に手紙をもら�た時�私は嬉しい�と思�たのと 同時に� 僕が栽培を好きにな�たき�かけは�小学校のころにや� �私�保育士を体験して良か�たな� � たトマト栽培だ�たと思う�それは�当時受講していた通信 という喜びの感情が生まれました�それは私に� �子供が大好 教育セ�トのふろくについていた�簡単かつ小さなものだ� きな気持ち�があ�たからだと思います�保育士は� �子供を た�初めはトマトが食べたくて始めたが�水やりや観察をし 想う気持ち�があるからこそどんなに大変な仕事も乗り越え ていくうちに�トマトを成長させることが楽しみにな�てい� ることができると思います�最後に私は�保育士はとてもや た� りがいのある職業だということを実感することができました� そして�ある日ついに花が咲いた�毎日水をあげて待ちわ 三年生になり�家庭分野で�子供の成長について学習して びていたため�その達成感は大きか�た�そのキ�トにはト います�先生の話を聞いていると� マトの実を四角くさせるカバ�もついていたので�小さい実 �あ��そういえば保育園でもそうだ�たな� � と 内 容 を より ができた後にすぐカバ�をつけた�実が熟して�四角い実が 理解することができます�なので今とても授業が楽しいです� できたときはとても驚いた�それまで四角いトマトなんて見 私は�将来何になりたいのか�その答えはまだは�きりと たことがなか�たので�珍しく思い�食べる気もなくな�て はでていません�しかし将来やることは�やはり自分の好き しま�た� なことをやりたいです�なので�わたしはゆ�くり時間をか トマト栽培が終わ�た後も�も�といろいろな植物を育て けて好きなものを見つけて�そのために精一杯頑張りたいで てみたいと思�た� す� 中学校に進学したときに�部活動説明会で生活研究部とい う部活に目をひかれた�その部ではものづくりを中心に�梅 や サツマ イ モ な ど の 植 物 栽 培 を 行 �た り し て い た� 中 学 生 にな�ても植物の栽培はやりたか�たので�僕はその部活に 中学校の部 佳作 ─ 15 ─ 14:21:03 2016/02/16 15 ②中学校の部.indd 校外講座で理科と技術科を学んで 入�た� 種イモを土に埋めるのはもちろん知�ていたが�サツマイモ の茎を地 面に植 える�つぎ 芽 �という 方 法は知 らなか�た� 活動内容はやはり�ものづくりが主だ�たが�五月にな� て サ ツマ イ モの 種 イ モ を 植 え る 作 業 も あ�て� 楽 し い 部 活 つぎ芽は地 面に植えた芽 が直 接 成 長 してサツマイモを作る� だ�た�十月にな�て�育�たサツマイモを掘り出して収穫 という方法だ�しかし�僕は先生の説明を聞いて�茎を植え することにな�た�最初は�大きく育�ていればいいな�と ても�本当にこのやり方で育つのか�という不安は消えなか� 思�て土を掘�ていると�普通の大きさのサツマイモにまじ� た�そのため�数�月後に様子を見て�サツマイモが生長し て�バスケ�トボ�ルほどの大きさのサツマイモが出てきた� ていたときは本当に驚いた� そのサツマイモはあまりにも大きか�たため�掘り出すのが 僕はこのような経験を通して�植物を栽培することが好き とても大変だ�た�巨大なサツマイモはその珍しさから�し にな�た�植物を育てるときに�野菜や果物であれば�実が ばらくは食べられず�校内に飾られていた�普通の大きさの おいしくなるように�花であれば�きれいに花が咲くように� サツマイモは家に持�て帰り�焼きイモにして食べた�部活 様々な工夫をして成長させるのが植物の栽培の楽しいところ といえども�自分で育てたサツマイモは甘く�とてもおいし でもあり�難しいところだと僕は思�ている� か�た� 植物を上手に育てる方法はこの文で紹介した物以外にもた くさんある�そしてそれらは�人が長い間をかけて培�てき 中学校二年生にな�て部活以外に授業でも植物の栽培をす るようにな�た�小学生の時にや�たトマトの栽培とは違� た技術の結晶だといえる�僕もそれらをできるだけたくさん て�肥料を使�てより本格的に栽培することにな�た�僕は 知�て�それを後世に伝えていきたいと思う� それまで�肥料は一度与えたら�それだけで植物が成長する のかと思�ていた�しかし�実際に授業でやり方を聞いてい ると�一度肥料を与えて植物がある程度育�たら�もう一度 肥料を与えて成長を促す�追肥�というやり方を知�た� 北区立稲付中学校 授業で実際にや�てみたが�肥料の量の調整が難しく�な 三年 かなか上手くいかなか�た�時々�農家の人はこの難しい作 高 谷 直 希 業を毎年や�ていて大変だな�と思いつつ作業をしていまし た� 三年生にな�て�またサツマイモを育てる時にも植物栽培 僕は工作が大好きで�小さいころから作品作りを楽しんで で�新しく知�たこともあ�た�サツマイモを育てるときに きた�空き箱工作に始まり小学校高学年になると� �大人の科 中学校の部 佳作 ─ 16 ─ 14:21:03 2016/02/16 16 ②中学校の部.indd 学�という雑誌で電子工作を始めた�僕にと�て工作はただ 対象学年が広く�実験の結論に時間がかかり�物足りないこ の制作ではない�材料を集め�試作し�問題点を見つけ�評 ともあ�たからだ� 価する過程で�材料や知識と出合う場�そして同じ思いを共 中学一年で参加した東京ジ�ニア科学塾は工作に偏りがち 有する人との交流の場だ� な僕の考えを変えるき�かけにな�た�ノ�ベル賞を受賞し た白川さんの講演�伝導性ポリアセチレンという素材が電子 毎 年 夏 休みには様々な理科工作 講 座を楽しみにしてきた� 理科と工作は関わりが深く�その原理を知ることは工作のい 部品の発展につなが�たこと�無人深海探査機�江戸�子1 いネタになる�昔から人間は�科学の仕組みを道具という仕 号�見学の際は�説明を聞くだけでなく�電池について�性 掛けに換えてきた�身の周りのモノや道具は理科のネタであ 能や問題点を開発者と直接話すことができ�とても感激した� ふれていることをそれらの講座から学んだ� ベランダ風力発電の苦い経験は�この時少しだけ活かされた と感じた� 小学五年生の時�アクリル棒が屈折する原理を理科の先生 から教わり�太陽光をアクリル棒で室内に送り�照明にする そしてこの時� �最先端技術は学校の外にある�本や学校で 装置を制作した�それは北区のアイデア工夫展努力賞を頂い 身に 付 け た 知 識 は 校 外 た�小学六年の夏休みは�ベランダで風力発電ができないか 講 座の理解に使おう� と思い�インタ�ネ�トやイベント会場で情報収集し�専門 とひらめいた�義務教 書も買い込み�試作を繰り返した�泣きたくなるほどの試作 育で�工作が軽視され 時間と材料費を費やした作品は�自然風でLED球一つを点 ているのではなく�こ 灯させるのが精一杯だ�た�上位入賞を目指し意気込んで始 れら 校 外 講 座は 追 加 授 めたネタは�入賞にも届かなか�た�難しいテ�マを選びす 業なのだ�そう解釈す ぎたかな�と自分の技量のなさとモノづくりの大変さを味わ� ると�学校の授業が違 た� うものに思えてきた� 中学一年生になり�図工は美術科と技術科に変わ�た�自 中 学 二 年 の 夏 休 み 分らしさを作品にすることは美術科に向けられ�技術科では� はすごい夏休みとな� 簡単なキ�トが制作の中心にな�た�工夫する余地がない物 た�少し大げさかしれ 足りなさを感じ�工作は中学義務教育では�あまり評価され ないが�将来やりたい ないのかもしれないと疎外感を感じた�その反面�校外講座 職業像が少し見えた様 では充実した経験を多く得るようにな�た�小学生向けでは な�そんな機会を得た 中学校の部 佳作 ─ 17 ─ 14:21:03 2016/02/16 17 ②中学校の部.indd のだ�き�かけは�都立産業技術高専が夏に開催した小中学 生向け講座だ�た�応募から外れることを考慮に入れて五� 六講座も申請したが�そのほとんどが受講可能となり�工業 高校の講座と併せ�その夏は理科と技術科の特別授業三昧と な�た� それらの講座のどれもが素晴らしか�た�中でも都立産業 技術高専品川キ�ンパス電子工作講座�光センサ�でLED の光り方を調節��は�僕の欲しい情報にヒ�トした�当時 �XBE�という無線通信の設定に行き詰�ていたからだ�受 講がいい経験にな�たことは言うまでもない�机上の勉強が あまり得意でない僕が�その講義の時間はあ�という間に過 ぎ�一日だけでは物足りないと思�た� 講義終了後に講師の先生へ質問に行�たところ�後日�快 く指導をして下さり感激した�高専の先生は�僕が参考にし ていた本から誤りを見つけ�それが原因で接続設定が出来な いことを簡単に突き止めた�独学では解決策を特定するまで に時間を無駄に使う�専門的に学ぶ環境が必要だと感じた� 通信設定がうまくいくと�それをネタに工作がしたいと思� た�そこで距離センサ�と水滴センサ�を搭載した�雨から 洗濯ものを守る�ベランダ用巻き取りカ�テン�構想を練り� その作動実験を自宅で行�た� 装置の構想を技術科の先生に相談すると�技術室で作業を することを快諾して下さり�工具や材料を自由に使わせても らうことができた�家での作業は�はんだゴテのコンセントや ネジ等小さな部品の保管に気を遣わなくてはならないが�技 術室ではそんなことを気にせず�思う存分制作に取り組めた� 夏休み終了後�北区工夫展に出品したが�応援して下さ� た技術科の先生に良い報告ができなか�たことが残念だ�た� 嬉しか�たこともある�会場で出品作品の修理をしていた技 術者が�僕の作品について�カ�テンが巻き取られセンサ� までの距離がゼロになるとモ�タ�の電源が切れる点がよく 考えてある�と評価して下さ�たことだ�こだわ�た機構が 評価され本当に励みにな�た� 中学三年にな�た今年五月�技術科でクラスの担任にな� た先生に�や�と良い報告ができた�北区と都立産業技術高 専荒川キ�ンパス主催の中学生ロボ�トコンテストで準優勝 したからだ�先生にはとても感謝している� 中 学三年の夏 休み�僕はもう工作に明け暮れてはいない� 恒例の校外講座は産業技術高専の2講座に絞�た�将来は質 の高いモノづくりを仕事にしたい�そのために加工技術を学 びたい�プログラムの知識を得たい�得意でない机上の勉強 をその気持ちが支えている 電子工作を少しだけ��先日� ライト・気温・ 勉強の合間には� 気圧・高度と三軸加速度センサ�内蔵の腕時計が出来上が� た�あとは�格安で3Dプリンタ�を使わせて頂ける施設は ないかなあ�時計をはめ込む本体が出来上がれば �Nウ��チ� 完成なのだが�� 14:21:03 2016/02/16 18 ②中学校の部.indd 中学校の部 佳作 ─ 18 ─ 物作りが夢に 葉 南 練馬区立開進第四中学校 三年 部 二日目は自分達が考えた企画について発表する日でした� 練馬区の疑問�気になることについて�というタイトルで一 人一人が取り上げた話題について発表し合いました�この企 画会議で選ばれた四つの企画は本当に取材し�三分ほどの映 像に編集し最終日に行うスタジオでの収録で使われます�自 分の企画を通したい�と全員が思�て来ていたので�発表の スタイル�テ�マの目のつけどころ�企画書に工夫を凝らす など様々なスタイルがありました�また�この企画会議では 他人の発表を聞いておかしなところはないか�ほんとうに映 像化できるのか�中学生が取材できるものかを考え質問した り�改善案を出したりして企画をより確かな物に変化させて いきました�他人に質問したり反論したりするときは本当に それが正しいのか�今話題とされている議題に合�ているの か�などと慎重に考えながら意見を出しあ�ていきました� 最初は意見がなかなか出ずにとまど�てしまうこともありま したが�時間が経つにつれて活発に意見が出されるようにな りました�もう他人とは呼べない�つまり一つのグル�プと な�ていく�そんな瞬間を味わ�た気がしました�こうして 企画会議が無事終わり四つの企画が決定し取材�編集へと進 んでいきました�残念ながら私の企画は映像化されることは ありませんでしたが�通�た四つの企画のうちの一つに入り� 思う存分楽しむことが出来ました� 物作りには多くの種類があります�一人で木工作をしたり 何人もの多国籍の人が一つの飛行機を作�たり�私も同じ企 画のメンバ��主催者の人々�取材に答えてくれた人々皆で 一つの映像を作る物作りを体験しました�多くの人が関われ 14:21:03 2016/02/16 19 ②中学校の部.indd 安 物作り�と言�てもいろいろありますが�私は学校では習 わない物作りを経験しました�そして�その物作りが今は私 の夢とな�ています�夢をつかむチ�ンスとな�た企画は学 校で配布された手紙の中にありました� 中学一年の夏�中学生のための情報番組製作ワ�クシ�� プという文字を初めて見たとき何も思いませんでした�しか し�概要を読み進めていくうちに何かひかれるものがありま した�たまたま父の出身大学で行なわれている�ということ もあ�たので応募してみることにしました� そして迎えて初日�練馬区内の中学生二十人ほどが小さな ミ�テ�ングル�ムに集まりました�名前も知らない�聞い たこともない学校の中学生が二十人�これから本当に番組を 作�ていけるのだろうかと心配になりました�初日には主催 者の講義の後�簡単な流れについて説明を受けました�主催 者や大人の人々は皆�すぐに仲良くなれるから大丈夫と言� ていたけれど�その場にいた中学生のほとんどはその言葉を 信じていなか�たでし�う�私もそう思�ていました�初日 だけでも誰とも話せずにいるのに�共通の話題が何かさえも 分からないのに�不安ばかりが多く積み上がりました� 中学校の部 佳作 ─ 19 ─ 職場体験から学んだこと ば関わる程�内部で意見が大きく割れたり方向性が見えなく な�たりしていきます�その中で自分はどのような意見を� 意志を持�ているのか�ということを考えることが大切なの だ�と気付かせてくれるワ�クシ��プでした�大人数で行 足立区立第六中学校 三年 動したり何か一つのことを成しとげることは大変です�しか 髙 橋 美 咲 し私はそれが楽しいと思いました�企画会議で起こ�た笑い� 取材をした人との会話�企画のメンバ�と交わしたコミ�ニ ケ�シ�ン全てにおいて�やりがいを感じ�楽しさを味わう 私が中学二年生のとき�小学校へ職場体験をしに行きまし ことができました� た�私は将来小学校の先生になる道にもあこがれがあ�たの で�とても良い機会でした�そこで学んだことがいくつかあ ソ�シ�ルネ�トワ�クが発達した世の中では多くの人々 と繋がることが多いですがパソコンなどの画面と向き合う孤 ります� 独な時間が増えてきていると感じます�また動画などを作る 一つめに�小学生とい�ても小学一年生から六年生と�非 ときも一人�誰かに向けてコメントを発するときも一人�ど 常に幅広い年齢の子供たちに合わせて対応を変えることがで こかの誰かと繋が�ているのかもしれないけれど結局�単独 きる応用力がなければ難しいということです�例えばこんな 行動にな�てしまう世の中です�そんな時に大人数でわいわ ことがありました�小学一年生のプ�ルの授業で一人の男の いと騒ぎながら一つのことを成しとげる喜びを味わえた事は 子がプ�ルに入りたくないと泣いていました�こんな状況の 大変貴重な体験であり良い経験になりました�ワ�クシ�� 中�私はどうしたら良いのかわからずあたふたしていると� プを終えた一年生の夏�私はメデ�アに関する仕事に就く� 優 し か � た 印 象 の そ の 子 の 先 生 が� 私 で も 怖 く な る く ら い と決心しました�多少のリスクはあるかもしれませんが自分 怒�てプ�ルへつれていきました�自分は正直やりすぎなん の意見を持ちつつ多くの人の意見を聞き入れる仕事につきた じ�ないか?でも�こうしなければその子のためにはならな いと思�たからです�その思いは二年た�た今でも変わるこ いんだよな�と色々な感情がわきおこ�てきました�そして とはありません� 私はこれを見て�ち�んとしか�てあげるというのは本当に 大切なことなんだなと思わされました�けれど�それと同時 物作りをすることによ�て完成した達成感を味わえる事は よくありますが�夢に変えるという発想はなかなか考えられ に�もし自分が将来先生にな�たとして�あの先生のように ないと思います�この体験談をもとに物作りの大切さと重要 厳しくしか�てやることができるのかな���と不安になり 性を多くの人に考えてもらえればと思いました� ました�き�と�あの先生が泣いていた男の子に最後まで優 中学校の部 佳作 ─ 20 ─ 14:21:03 2016/02/16 20 ②中学校の部.indd しくなだめていては�次のプ�ルも�その次のプ�ルも入り たくないとい�て駄々をこねていたことでし�う�仕事をす るにあた�て�時には心を鬼にすることができる人になるの もとても重要なことの一つなのだと学びました� 二つめに�この仕事は本当に心の底から子供が好きで�子 供のためなら自分の時間なんておしまない!というような人 にしか続けていけることなんて無理だろうということです� 自分の担任でもあ�た先生にインタビ��をする機会があ り�この仕事をしていて一番の喜びはなんですか?とたずね ると �児童が解けない問題にぶつか�てしま�た時に�自分がア ドバイスなどをして�わか�てくれた瞬間の表情や�ありが とうという言葉をもら�た時だね�� と答えてくださいました�教える�というのは自分が勉強す ることよりもず�と難しいことではあるけれども�その先に はこんなにうれしいことがあるんだ!と小学校で働くことに どんどん興味がわいてきました�もちろん働く人の朝は早く 帰りもおそいし�責任だ�て中学生よりもず�と重いことは あるけれど�自分の好きなことを職にすることは�自分にと� てものすごくステキなことだと感じました� あ の 三 日 間 を 通 し て� 私 の 仕 事 に 対 す る 印 象 は 大 き く 変 わ�たことを覚えています�職場体験をする前の自分は正直� 責任が重くなる社会人�ていやだな��自分が大人にな�て 仕事をしている姿なんて想像もつかないや���このまま学 生生活が続けば幸せだろうなと思うことが多々ありました� けれど�職場体験をしたあとは�もちろん大変だ�たけど一 中学校の部 佳作 つ一つ仕事や問題を解決したあとの達成感ややりがいは中学 生の仕事のやりがいとは格段にちが�ていてとても楽しか� たです�私はこの体験をしていなか�たら�もしかすると社 会人になるまで働くことに対して嫌悪感をいだいたまま過ご していたかもしれません�そう考えると背筋がゾ�としまし た�人のために一生懸命にな�て働くことの辛さと楽しさ� そして百円を稼ぐということもとても大変なのだと身にしみ てわかりました�これから先自分の就きたい職業をみつけた ときに困らないためにも�より一層勉強して力を注いでいき たいと思います� ─ 21 ─ 14:21:03 2016/02/16 21 ②中学校の部.indd ものづくりを通じて作る未来 専では様々なコ�スがあり�将来技術者になりたい人達が集 ま�ていて�五年間学習することが分か�た時�技術や工業 に興味があ�たことと�色んなことを知�たり学んだりする ことが好きだ�たので�産技高専に行きたいと思いました� 足立区立第六中学校 三年 産技高専に行きたいと思い始めたある日�私は将来の夢を 辻 村 茉 緒 見つけました�前から将来は誰かを助けることができたり� 笑顔にできるような職業に就きたいと思�ていました�そし て�どんな職業に就けば誰かを助けたり笑顔にすることがで 中学生になり�技術を学ぶようにな�てから�材料と加工 に関する技術�エネルギ�変換に関する技術�生物育成に関 きるのか考えました�色々考えていた時�杖をついている男 する技術�情報に関する技術など�様々なことを学んできま 性を見かけました�周りを見渡してみると�杖をついている した�様々な技術を学んできた中で�二年生の時にLEDあ 人や車椅子の人が少なからずいることに気が付きました�そ んどんを作�たことがとても印象に残�ています�LEDあ の時�体の不自由な人や高齢者がも�と不自由なく�快適に んどんを作�た時に�何かを作ることが楽しいと思いました� 過ごせるような社会にしていく一歩になれるような仕事に就 そして技術の授業がさらに楽しみになるようになりました� きたいと思いました�そして�祖母のために階段をのぼる時� 父の仕事が空調換気設備工事の仕事なのもおそらく関係して 楽にのぼれるような機械を作りたいと思�ていたことを思い いるのですが�昔から様々な機械や工業に興味がありました� 出しました�また�産技高専には医療福祉コ�スがあること 小学生の時には祖父と一緒に使えなくな�たラジオ等を解体 も思い出しました� して遊んだりもしました�中学校で技術を学べると知り�楽 医療福祉コ�スについて調べると�私がやりたいと思�て しみにな�てとてもわくわくしていたのを覚えています� いたようなことを学べることが分かりました�そして今年� 産技高専のものづくり科学教室で�身体の電気信号で動く福 中学校で技術を学習して�技術は様々なことと関わ�てい ることを知りました�普段の生活の中にも技術で学んだこと 祉機器�という講座を受けました�その日�身体に流れてい がたくさんあることに気付かされました�そして�技術は重 る電気信号を使�て動かす福祉機器があることや�脳波を利 要な教科なのだと思いました� 用した義手やパソコンを操作する福祉機器があることを知り ました�医療福祉コ�スについて調べていたので�義手等を 中学生になり�高校を調べていて�産業技術高等専門学校 という高専があることを知りました�そして�産技高専では 学んでいることは知�ていたのですが�義手等以外にも様々 ものづくりに関することが学べることを知りました�産技高 な事を学んだりしていることを知りました�また�義手や義 中学校の部 佳作 ─ 22 ─ 14:21:03 2016/02/16 22 ②中学校の部.indd 作物を作り育てるということ 村 真 夕 飾区立堀切中学校 三年 木 技術の時間を通して�二年生の時には大根�三年生の時に はトマトを育てることを学びました�最初は��どうして技 術の時間に作物の栽培をするのだろう��と思いました�そ れは�私の中でこのような授業は�理科の分野だと思�てい たからです�でも�どのように育てると丈夫に育つのかを工 夫したり�創造したりすることは�突き進んで考えていくと 栽培技術という分野にも行きつくのではないかと実際に栽培 しているうちに思うようになりました� 私は作るという作業が好きです�何もないところから始ま り�工夫をしたり�時には失敗を重ねたりしながら少しずつ 形にな�ていく過程が楽しいからです�失敗をしてしま�た 時にはとてもシ��クで悲しいけれど�そこから得る物があ るということも物作りの素 晴らしいところでもあると 思います� 一口に作物を作り育てる と言�ても�ただ種や苗を植 えて水をあげればいいとい うものではありません�種ま 14:21:04 2016/02/16 23 ②中学校の部.indd 足には様々な種類があることを知りました�そして�まだま だ多くの課題があることも知りました� この日から�将来は義手や義足等を作れる義肢装具士にな りたいと強く思うようになりました�義肢装具士になり�手 や足を失な�てしま�た人達が�より過ごしやすい日々を送 れるようにしていきたいと思�ています�そして�より多く の人を笑顔にすることができたら良いなと思�ています�こ れから様々なことを学んでいく上で�義士装具士になりたい という夢がもしかしたら変わ�てしまうかもしれません�人 は日々成長してゆき�考え方などもどんどん変わ�てゆくの で�未来の自分は今の夢とは違うことをしているかもしれま せん�しかし�昔から思�ていた誰かを助けたいと思う気持 ちや�誰かを笑顔にしたいという気持ちはこれからも変わら ないと思います�そして�ものづくりを通じて�多くの人が 不自由を感じない社会にしたいという思いも変わらないと思 います�将来どのような職業に就いているか分からないけれ ど�今は自分の夢や目標に向か�て頑張�ていきたいです� 中学校の部 佳作 ─ 23 ─ きや苗を植えるにしても�大根とトマトでは生育適温が異な 品種もあるそうです�今では葉はついていない状態で売られ るのでそれぞれの作物にと�てよりよい時期に植えるのが好 ていますが�根�茎�葉全部食べることが出来るそうです� ましいのです�日照の問題や間引き�肥料のことなど�気に いつも食べている白い部分が根�こだということを知�た時 かけなくてはならない事はたくさんあり�大変と感じること には驚きました� もありましたが�だからこそ手をかけなければならないこと 作物という言葉を聞いて頭に浮かんだ事があります�それ の大切さも分かり�ほんの少しの成長でも嬉しか�たりもし は�日本の農業従事者の平均年齢は六十六歳で�高齢化が進 ました�又�普段土に触れる機会もほとんどないので�触� み農業を仕事としている世帯が年々減�てきているというこ た土の感触が心地よか�たのを覚えています�しかし�自分 とです�それと同時に�若い人達は田舎暮らしを嫌い�都会 の葉の成長と周りの友達の葉の成長を見比べて�自分の方が に出て行�てしまう状況が続いています�国土が狭いという 成長が遅か�たり�葉の色が黄色くな�てきてしま�たりす 問題もありますが�日本の食料自給率は三十九%しかありま ると�きちんと実になるんだろうかと心配になることもあり せん�しかし�最近は大勢の若い人達が農業の分野に進出し ました�物を作る前には�一見すると簡単そうに感じること て い る と 聞 き ま す� 例 え ば� よ り 甘 い ト マ ト の 生 産 に 向 け も�実際に自分で作�てみると�予想通りにいかないことや� ての研究や��日本一美味しいお米を作るぞ�という若いパ 心配事も出てくるものだなと思います� ワ�が農業を活気付けているのです�若い人達が今までとは 違�た目線で新たな技術を開発し�品種改良も盛んに行われ 今までの技術の物作りと違うことは�対象が生きていると いう事です�小学校の時にも朝顔やひまわりなどを育てまし るようになると�狭い土地でもたくさんの作物を作れるよう たが�中学校の技術の時間に再度やることで�小学校の時よ になる日が来るのではないかと思います� りさらに細かい知識を身に付けることが出来ました�トマト 大人にな�てからいきなり農業の分野に進む人は少ないと は自分達で食べましたが�大根は家に持�て帰りました�母 思います�小さい頃の体験�例えば今回の大根やトマト作り に見せると�小ぶりではありましたがきちんとした大根が学 の経験が�その道に進む一つのき�かけになることもあるの 校で作れることに驚いていました�冬だ�たので鍋料理に入 ではないでし�うか�そういう意味でも中学校の技術の授業 れてくれて�とても美味しいと言�てくれました�その瞬間� で�このように種や苗から野菜を作り�土と触れ合うことの 私は家族のために作ることの喜びを感じました� 楽しさや�命あるものを育てる責任感を学ぶことは�とても 勉強になりました�高校でこのような授業を行うのは�限ら 大根を栽培する授業は�作物についてより興味を持つき� かけにもなりました�大根は品種の多さ�生産量ともにト� れた専門の学科のある高校だけだと思うので�中学校で全員 プの野菜で��桜島���守口�など土地の名前がついている が体験出来たことは�とても貴重な経験だ�たと思います� 中学校の部 佳作 ─ 24 ─ 14:21:04 2016/02/16 24 ②中学校の部.indd 高等学校の部 最優秀賞 あの看護師さんのような看護師に 未 来 愛国高等学校 三年 井 も頑張�て��と手書きのメ�セ�ジがあ�たそうです�そ の看護師さんの言葉があ�たから出産を決意することができ たと母は言�ていました�その話を聞き�私もその看護師さ んのようになりたいと強く思いました� 高校の衛生看護科に進学した私は現在三年生となり�臨地実 習が始まりました�実習では実際に患者様を受け持たせて頂き ました�学校で習�た知識や技術を活用し�患者様の容態に合 わせた個別性のある看護を提供しなければなりません�学校で 学んだことを実践にどれ程活かせられるだろうかという期待と 不安が入り混じ�た気持ちを胸に実習に臨みました�私が受け 持たせて頂いたA様は�手術を終えた直後の患者様でした�手 術 後 は 創 傷の痛 み が強く�歩くことさ えままなりません� だからとい�てベ� ドに臥床したままの 状 態 だ と� 筋 力 低 下 をは じ め 様 々な 合 併 症 を 招 いて し ま い ま す� 私 は 術 後の観 察 項 目 や 援 助の際の注 意 点 な どを調べ�いかに患 者 様 に 安 全・ 安 楽 なケアを提供できる かを考えました� 9:22:43 2016/02/10 25 ③高等学校&専修学校の部.indd 鯨 � マ マ の 心 の 中 に は 忘 れ ら れ な い 看 護 師 さ ん が い る ん だ� 未来にもそんな看護師さんにな�て欲しい�� 看護師になりたいと将来の夢を語�た私に母が言�た言葉 です�母の忘れられない看護師さんとは�兄が通院していた 病院の小児科の看護師さんのことです� 兄が病気を患�ていることが判明したと同時に�私が母の お腹に宿�ていることも判明しました�兄の病気は遺伝性の 疾患だ�た為�また同じ病気の子供が生まれたら��と家族 全員に反対されたそうです�子供は生みたい�でも生まれて くる子供が病気を患�ていたら育てていけるのだろうか�家 族全員が反対している中で生むことはできるのだろうかと不 安でい�ぱいだ�たそうです�兄の主治医に相談したときに 側にいたのがその看護師さんでした�その時黙�て話を聞い てくださり�後日病院で会う度に励ましの言葉をかけてくだ さいました�ある時�一冊の本をプレゼントしてくださ�た そうです�それは障害のある子供を育てている芸能人の本で した�その本の最後のペ�ジには�生まれてくる子はお兄ち� んやお母さんのことを助けてくれるはず�だから何があ�て 高等学校の部 最優秀賞 高等学校の部 最優秀賞 鯨井未来さんの朗読 ─ 25 ─ 大きくなれた私 治療�それぞれにどのような看護が必要かを知�ていなけれ 実習が始まり数日経�たときのことです�患者様の元へ訪 室し�情報収集も兼ねてA様とお話をしていました�情報収 ばなりません�その知識や技術で�患者様の身体だけでなく 集とい�ても尋問のようなものではなく�会話の中からご家 心のケアもすることが看護師には求められます�身体的な看 庭での生活などを知るというものです�その会話の中でA様 護については勉強すればするほど身につくと思います�しか は次のようにお�し��ていました� し�精神的な看護についてはいかに患者様の立場で考えるこ �手術の傷の痛みが治ることは頭では分か�ているのに�ど とができるか�患者様の気持ちを理解できるかが重要になる うしても不安にな�てしま�て駄目ね����� と思います�これから沢山のことを学び�経験を積んで心の 豊かさを育んでいきたいです�そして将来�母の心の中の看 その言葉を聞いて�私は母の話を思い出しました�温かい 言葉で母を支えた看護師さん�その話を聞き�患者様の心に 護師さんのようにいつまでも�この看護師さんに会えて良か� 寄り添うような�頼りがいのある看護師になりたいと思�た た� �と思�て頂ける看護師になりたいと思います� 私�今の私はどうでし�う�身体的な問題についてばかり考 え� A 様 の 抱 く 不 安 な ど 精 神 的 な こ と に つ い て は 二 の 次 と な�ていました�看護の対象は�疾患�ではなく�患者様� 高等学校の部 優秀賞 です�失敗を避けて物事をうまく進めようとしていた私は� 本質を見失�ていました�それからは清潔や排泄の援助に加 え�A様の不安が無くなるようにとどのような経過で回復し ていくのかを説明し�A様が順調に回復していることを伝え 東京都立農芸高等学校 三年 ました�また�少しでも安心できるようにとA様の手を握り 鈴 木 晶 葉 ながら不安や悩みを傾聴するよう努めました�そしてA様が 退院する前日� �学生さんの温かい手と�温かい言葉と�温かい対応で不安 �何かに一生懸命取り組んだ後�当たり前のことをすると� いつもより特別に感じる�特別に感じる�て�本当に難しい が和らいだの�ありがとう��とお�し��ていました�そ ことなんだよ��この言葉は私が五日間牧場実習でお世話に の言葉を聞いて�私はA様の心のケアもすることができたと な�た農家さんから言われた言葉だ� いう達成感と�憧れの看護師さんに少し近づけたことへの喜 びを感じました� 私は�将来動物関係の仕事に就きたいと考えていることか ら�今年の夏�牧場での実習にチ�レンジした� 検査� 看護師には知識と技術が必要不可欠です�疾患や症状� 高 等 学 校 の 部 最 優 秀 賞/優 秀 賞 ─ 26 ─ 9:22:43 2016/02/10 26 ③高等学校&専修学校の部.indd なる�この手の痛みは喜びなんだと思�た�さらに�私は初 牧場実習なんて今までや�たこともないし�どんなことを するのか分からず�とても不安だ�た�最初は�失敗や迷惑 めておいしさに喜びを感じた�お世話にな�ている牧場の牛 を掛けないようにすること�そのことだけを考えていた� 乳で作�ている自家製アイスを食べた�多分�普通はアイス を食べた時�ただ�おいしいな��と思うだけだと思う�し 初日�仕事を覚えるのに必死で周りなんて見えていなか� た�その上�牛を目の前にすると恐怖心があり�集中できな かし�汗をたくさんかいて�手が痛くなるまで掃除をした後 か�た�牛は人間の言葉なんて分からないし�牛が何を考え に食べるアイスは格別だ�た�今まで�こんなにもアイスが ているのか人間が分かるはずがないと心の中で思�た�私は おいしいと感じたことはなか�た�大げさかもしれないが� のちにそれが間違いだと感じる�二日目�仕事を覚え�前よ 素直にそう思�た�一生懸命に取り組んだ後�当たり前のこ りもスム�ズに作業ができるようにな�た�しかし�思いも とをすると特別に感じるということは�このことなんだと分 よらないことが起きた�今年の夏はいつもより一段と暑く� か�た�当たり前のことを特別に感じることはとても難しい 猛暑だ�た�牛は元々寒い場所が得意であるため�暑さは苦 ことだ�この先もそう感じることはあるのだろうか�そう思 手である�そのため�猛暑で具合の悪か�た牛が死んでしま� うと少し寂しくな�た�けれども�何をやるにも一生懸命に た�ほんの少し前まで目の前で生きていたのに�悲しみと脱 取り組んでいこう�そう思うことができた� 力感でい�ぱいだ�た�これまで多くの人が�この牛に関わ 五日間�長時間の作業は大変だ�た�しかし�作業が終わ� り�育ててきたのに�始ま�た命はいつか終わる�そう分か� た後は�楽しい疲労感でい�ぱいだ�た�楽しい�そのよう ていても命の重みをすごく感じた� に自分が思える理由を考えた�自分は動物が好き�確かにそ れもある�でも好きだけではできない作業もあ�た�振り返� 経験を積んでいくうちに�牛に対する気持ちが変わ�てい ることに気付いた�恐怖心があると牛も人間に恐怖心をもつ� てみたら�実習中�たくさんの会話で溢れていた�作業中は そのことを知�てからは�なるべく牛に触れ合い�話しかけ 個々の仕事があるため�し�べることはなか�た�けれども� た�私も牛も恐怖心がなくな�た�牛と人間がコミ�ニケ� 仕事が一段落ついたら�学校のこと�部活のこと�家族のこ シ�ンを取ることなんてできないと思�ていた�しかし�そ となど�農家さんとたくさん話をした�自分のことを話すの れは大きな間違いだと気付いてからは�仕事にも集中でき� も楽しか�たし�私が知らないことや牛について聞くことは 今までの倍以上�実習が楽しくな�た�集中して力が入りす も�と楽しか�た�私は話すことはできなか�たが�ある日� ぎて手はまめだらけで痛か�た�そのことを農家さんに言う 遠くから見学に来た人と農家さんが色々な話をしていた�農 と� ま じ め に 取 り 組 ん で い る 証 拠 だ よ � と 言 わ れ た� 確 か 家さんは�質問に答えるだけではなく�見学に来た人の話に に�勉強すれば手が痛くなり�運動すれば体のどこかが痛く 耳を傾け�逆に農家さんが質問していた�だから�話が盛り 高等学校の部 優秀賞 ─ 27 ─ 9:22:43 2016/02/10 27 ③高等学校&専修学校の部.indd 畜産を学んで 上がるんだと分か�た�会話が人を元気にしてくれることを 実感した�私は�この会話があ�たからこそ�つらい作業を 乗り越えることができ�楽しいと思うことができた� 東京都立瑞穂農芸高等学校 私は�五日間の実習を通して�自分が実際に体験しないと 二年 分からない大変さ�嬉しさ�悲しさに触れることができた� 五 十 嵐 香 月 少人数でたくさんの牛の世話をすることは大変だ�それでも 一頭一頭大切に育て�愛情に溢れていた�牧場に勤めている 以外の人も牧場には多く関わ�ていた�表からは見えなか� みなさんは畜産についてどういう印象を持つでし�うか� たけれど�獣医の先生�エサを運ぶ人�大学の先生�家族� 動物たちと触れ合えて楽しそうと思うでし�うか�動物を殺 こんなにも多くの人が協力していた� したりするからいやだと思うでし�うか�人それぞれいろい ろな考えを持�ていると思いますが�中には�あまり良い印 今�私たちが飲んだり�食べたりしているもの全てにおい て動物の命をもら�ている�毎日�ご飯を食べられるのは当 象を持�ていない人もいるのではないかと私は思います�そ たり前ではなく�多くの人や多くの動物�植物によ�て支え れは私がこんな体験をしたからです� られて生きている�食べる前の�いただきます��食べた後 瑞穂農芸の畜産科に入学して私はたくさんの動物と触れ合 の�ごちそうさま�は�動物や植物への感謝の気持ちが詰ま� いとても充実した学校生活を送�ていました�とても楽しく ている�必ず言うべきだ� て両親や中学の時の友達にたくさん自慢していました�そん な私に入学してから初めての壁が立ちはだかりました�それ 私は�今回の牧 場 実 習を通 して成 長できたと思う�仕 事 は�ブロイラ�という肉用種の鶏の飼育と�と畜・解体です� に対 する大 変さや�命の大 切 肉用種の雛を自分の担当として一羽を決め�みんな名前をつ さなど� 多 くのこと を 学 ぶこ けて可愛がりました�私も雛に�セロリ�という名前をつけ と がで き た� 私 は�これ か ら て大切に育てました�セロリたちの成長とともに�気の重い� も 牛 のよ う に 大 き く 成 長 して �と畜�の日が来ます�とうとう�と畜�の日が目前に来た いきたい� ころセロリたちは�ヒヨコ�の頃の面影が無く�大きく成長 していました�黄色か�た毛の色は真�白になり�細か�た 脚は�脚�についている�脚管�が食い込むほど太くな�て いました� 高等学校の部 優秀賞 ─ 28 ─ 11:48:48 2016/02/16 28 ③高等学校&専修学校の部.indd ように感じて怒りと涙が込み上がりました�更に�とどめを いよいよ解体の時がきました�エプロンとマスクを付ける 準備が終わり�一人目の生徒の解体が始まりました�かごの さすように姉が�鶏殺したのによく肉とか食べられるよね�� 中に入れられて順番を待�ていた鶏たちが少しずつ減�てい と言いました�私は悔しくて�悔しくて怒りが止まりません きました�鶏たちも殺されるのを分か�ているかのようにあ でした�ただ牛のすごさを伝えたか�ただけなのに�好きで ばれだし�私がセロリをゆ�くり抱き上げるとセロリもあば 殺したのではないのに�と思いました�私はその時や�ぱり れて私のうでを爪で引�掻いてきました� 畜産に良い印象を持�ていない人が多いということを感じま した� 私はセロリに�わか�ているのだね�痛みがわからないよ うにするからね�と声を掛けてセロリの首を鋭く研がれた刀 思い出してみると�中学の時�動物とか臭いし汚いから嫌 で切り裂きました�放血器に入れるとバタバタと暴れ�しば いという人や�鶏殺すのでし�と馬鹿にしてくる人がいまし らくするとセロリは動かなくなりました�セロリは私が殺し た�しかし私は畜産を学んで動物が大好きになりました�そ たのです�解体作業を終え�いつもお店で見るような部位に の分�辛いこともたくさん経験することになりました� して家に持�て帰ると�両親は頑張�たねと褒めてくれまし 校外見学の授業で品川にある食肉市場を見学しました�こ た�その夜�食卓には鶏肉料理が並び�両親からの暖かい言 こでは�牛や豚を解体し�枝肉に加工してセリにかける卸売 葉とともに�命をいただく�夕食となりました� 市場の役割を担う施設でした�解体の現場では多くの職人の 方が手際よく衛生的に解体を進めています�私たちの行�た 二 年 に な り� 一 年 時 よ り た く さ ん の 出 来 事 が お こ り ま し た�牛の出荷�食肉市場の見学�牛の出産そして死�楽しい 鶏と違い�牛は大きく血の量も黒いほど流れ出ています�私 ことも辛いことも学びました�ある時�家族で焼肉を食べに は�この作業があ�て�私たちの大好きなお肉が食べられる 行�た時のことです�牛の舌の話になり私は自慢げに話し出 のだと思いました�き�と辛い仕事だけれど�肉を生産する しました��牛の舌は結構大きいんだよ���猫みたいにザラ ために真剣に取り組んでくださ�ていることに感謝しまし ザラしていて�舐められると痛いんだ��私はどんな反応が た�ところが見学していると�解体の作業に従事している者 返�てくるのかなと期待していました�答えは�そんなこと への偏見と差別があるという説明や展示物がありました�私 今聞きたくないよ��でした�私は何も言えなくなりました� は前にもあ�たように怒りと悔しさがこみ上げてきました� 父が私をかばうように�でも�そういう勉強をしているんだ 私は�畜産は誰もが出来る仕事ではないと思います�動物 もんね��と言うと兄は�知�ているけど�言わなくて良い に愛情をそそぎ�生死を見守り食料を生産し暮らしを豊かに ことは言わなくて良いんだよ���と子供に言い聞かせるよ する仕事�技術や知識に加え�家畜と共に歩めることが求め うに私に言いました�私は私だけでなく畜産を馬鹿にされた られる厳しい仕事であることを学びました�誰もが出来る仕 高等学校の部 優秀賞 ─ 29 ─ 9:22:43 2016/02/10 29 ③高等学校&専修学校の部.indd 人工授精師を目指して 事ではないからこそ私は畜産という仕事に就きたいと思いま させないといけないので�餌代が余分に掛かります�また� した�今の私にできるすべは一つ�私たち畜産を学ぶ高校生 授精に使う凍結精液も一回当たり平均で五千円必要です�受 が�し�かりとした考えで畜産を学び�これからの社会に活 胎しないとその回数分�費用が発生します�人工授精師の役 かしていくこと� 割は家畜の受胎率を向上させ経営を安定させる責任ある仕事 です� 二学期には瑞高祭で�豚汁や卵�焼き鳥にアイスクリ�ム の製造や販売があります�たくさんの友達を呼んで�私たち 二年生の4月に牛の管理を初めて経験しました�最初は先 の育てた家畜の恵みを友達にも味わ�てもらいたいと思�て 輩から与えられた仕事を一つ一つこなすことがや�とで�当 います� 番の日にしか牛の管理に参加していませんでした�また牛の 管理は力仕事が多く�終わ�た後は辛い仕事をやりこなした という達成感に満たされていました�牛の管理は私にと�て� ただの自己満足でしかなか�たのです� そんなある日�授業で乳房炎について学びました�乳房炎 とは感染により乳房内が炎症し乳質を著しく低下させる経営 的に損失の大きい病気です�原因は私たちの手や器具�牛床 東京都立瑞穂農芸高等学校 三年 など�至る所に付着している細菌によ�て起こる病気で�し� 佐 野 ゆ づ き かりとした衛生管理が必要となります�そのために�搾乳前 に行う手洗い一つから酪農を経営するということが始ま�て いたのです� �牛は私たちに応えてくれる�これは�私の尊敬する先生 が教えてくださ�た言葉です�この言葉を切�掛けに私の牛 乳房炎を学んでからというもの�何も知らずに�作業�と に対する接し方が大きく変わりました� して行�ていた自分を恥ずかしく思いました�また同時に牛 の管理に真剣に取り組もうと強く決意し�その日から私の牛 私は毎日�必ず牛の様子を見に行くようにしています�そ れは牛舎での体験で人工授精師になる目標ができたからです� への管理は一変しました�今までや�てきた時間がも�たい ないと思えるほどです�毎朝牛の管理に行くと�牛の動きや 人工授精師とは家畜人工授精師講習会を受講し修了試験に 合格した者を指す国家資格です�酪農は受胎率の向上が酪農 状態の変化を感じ取れるようにな�てくると同時に�牛の私 経営の利益と大きく関わりがあります�例えば今月の発情で への対応も変化してきました�牛は私に応えてくれたのです� 受胎しなか�た場合�次回の発情迄の約1�月間�餌を食べ 牛舎には�コノミ�という脚で人を蹴り払う危険な牛がい 9:22:43 2016/02/10 30 ③高等学校&専修学校の部.indd 高等学校の部 優秀賞 ─ 30 ─ ます�この牛を搾乳するには�数人がかりで�いつも一苦労 です�しかし優しく声を掛けてから搾乳を始めるよう毎日毎 日�繰り返すと�以前は暴れていたのが嘘のようにおとなし くな�たのです�さらに搾乳が終わ�た後のことです�横か ら視線を感じ�ふと視線の先を見ると�終わ�た?�とい� ているかのようにコノミが私を見つめていたのです�これは 決して1年前には見られなか�た光景です�私は初めてコノ ミに認められた気がしてとても嬉しか�たです�今では必ず 搾乳が終わ�た後はコノミだけではなくどの牛にも�お疲れ 様�いつもありがとう�と言いながら頭を撫でるようにして います� 牛舎の清掃や栄養バランスのとれた餌やりは快適な環境を つくり�牛のストレスを軽減させることができます�これは 人工授精の受胎率を向上させるために必要不可欠なことで す�人工授精・受胎・分娩そして搾乳�分娩してはじめて酪 農経営が成り立ちます�牛舎の掃除や餌やりなどは一見密接 な関わりがないように思えますが�実は全てのことに意味が あり�その全てが重なり合うことで�私たちは良質な牛乳を 生産できているということを体験しました� このような経験から毎日�耳で聞き�観て�触れて�ほん の少しの違いを感じ取ることが�どれだけ重要なことである かに気付きました�そのことが私にと�て大きな自信になり 学ぶ目標となりました� これらの経験から私は人工授精師にな�て酪農経営に貢献 したいという思いが強くな�ています�受胎率の向上は発情適 期の見極めや牛の状態変化に気付く能力が求められます�こ 高等学校の部 優秀賞 の目標のために毎日�牛の様子を見に行くようにしています� わたしは課題研究の授業で日本獣医生命科学大学と連携し ブラウンスイス種を学校の牛に受胎させることに取り組んで います�また卒業後は大学に進学を希望し�継続的に繁殖を 学びたいと考えています�私たちが日々必要としている乳製 品が安定して供給されるには�人工授精師の活躍が不可欠で す�私の理想とする人工授精師は種を付けることだけではな く�酪農家さんからの質問や相談にものれる�ともに一緒に な�て経営を改善していけると思�てもらえる信頼される人 工授精師です�これからも�と様々なことを学び�経験し� 将来的には日本の酪農業を支えるような人になりたいです� ─ 31 ─ 9:22:43 2016/02/10 31 ③高等学校&専修学校の部.indd 高等学校の部 佳作 笑顔がくれる力 川 沙 亜 羅 愛国高等学校 三年 石 私は現在家政科に通う高校三年生だ�この学科は卒業と同 時に調理師免許を取得できるということで知られ実際に私も それが目的でこの学科を選び入学した�私は幼い頃から美味 しいものを食べることが大好きで折角だ�たら自分でも美味 しいものを作れるようになりたいと思�たこともある�また 調理師になりたいというよりは免許を取得しておけば後の就 職にも有利になるだろうと考えたためでもあ�た�なんにせ よ最初は自分の楽しみのために選んだ道だ�た� 入学してからは普通教科に加えて調理の実技面だけでなく 公衆や食品に対する衛生の知識や栄養学�世界の食文化につ いてなど多くの専門教科を学ぶことができた�特に三年生に 進級してからは一�二年生の時に比べて格段に専門教科を学 ぶ時間が長くな�た�毎日が新しいことの発見で勉強自体は 難しいながらもそれ以上に好奇心が勝�ているような感じ だ�た�そうして学んでいく中で出会�たのが集団調理とい う授業だ�た� 集団調理はこれまでの実習に比べて大きく異なる点がいく つ か あ る� 大 き な と こ ろ で ま ず 一 つ め に 班 の 人 数� 二 つ め に 喫 食 者 の 数� 三 つ め に 作 業 時 間 の 長 さ だ� 通 常 の 実 習 で は四�五人で班を作り自分たちで作�たものは自分たちで試 食�そして用意から片付けまでを含めて三時間程度で終わら せる�それに比べて集団調理では十人程で班を作り約百食も の料理を作る�当然班員だけでは食べきれないので家政科内 の他クラスにも試食を頼む�喫食数が多いためその分時間も かかり調理作業に四時間�片付けに二時間というような配分 になる�効率よく動くことが要求され�より疲労も溜まり裏 方に徹するその様はまさに他人のために料理を作るとい�た 態だ�た�片付けや次のクラス分の用意などで自分たちの試 食時間は短く�折角作�た料理をゆ�くりと味わうことので きないこの授業が私は少し苦手だ�た�さらに今年の夏休み はその授業の一環として生徒たちの高原生活に同行し高原生 活中の食事の全てを担当するというある種の課題が課せられ た�私の班は十四人と他の班より少し多か�たが一日三食� 三泊四日分の食材の検収から調理�配膳�果ては片付けまで の全てを担当するということは想像以上に過酷なことだ� た�朝は誰よりも早く起きて身支度を済ませて調理場へ入り� 食事中も何か不具合があれば自分の食事を中断してそれに対 応する�そして一回の食事が終わればすぐに次の食事の用意 に取り掛かる�朝早くから夜遅くまでの調理場作業は普段の 集団調理の授業と比べても段違いに疲労が溜ま�てい�た� そんな実習中�調理作業も終わり生徒たちと一緒に食事の 席に着いた時のことだ�た�その時は私も班員も度重なる疲 労から疲れの色を滲ませていた�そんな中会話もそこそこに ただ黙々と食事をしていた私の耳にある言葉が聞こえてき 9:22:43 2016/02/10 32 ③高等学校&専修学校の部.indd 高等学校の部 佳作 ─ 32 ─ 会計コ�スでできた夢 た��おいしい��声の方を見ると料理を口にした生徒が呟い とを意識して勉強している�そしてその考えは調理師という たようだ�た�そして他の生徒たちも料理を食べては口々に 職業の本質なのではないかとようやく理解することができ �本当だ�おいしいね��と言い笑顔で周りの生徒たちと話を た�美味しい料理を作ることで同時に多くの笑顔も作れる� していた�今自分たちが食べているものと同じ料理�確かに そしてその笑顔は本人が嬉しいのは勿論それを見た周りの人 自分でも一口食べた時に美味しいと感じて友人ともそのこと も元気になれる�料理にはそんな可能性も秘められているの を話していた�それと同じ言葉�行動�異なるのはそれを他 ではないか�私はその時強く感じた� 人がしているということ�とりとめのないことだというのに 何故だか私の心はじんわりと温かくなり�調理作業で溜ま� た疲労も少し軽くな�たように感じた�自分が作�た料理で 他人を笑顔にすることができる�そのことがとても素敵なこ とのように思えてその時の私は大きな喜びを感じていた�そ れと同時に他人の笑顔を見ているとなんだか自分も嬉しくな 愛国高等学校 三年 り元気にな�たような気がして笑顔には何か特別な力がある 成 澤 悠 衣 のではないかと本気で考えたりもした�ふと周りの班員を見 ると少し恥ずかしそうにそれでいて嬉しそうに微笑んでいて 私は現在�商業科会計コ�スで簿記を専門に学んでいます� そう感じているのは私だけではないのだなと思�た�他人に ただ単に�簿記が好き�という理由でこのコ�スを選んだの 料理をふるまうことがこんなにも楽しいことだ�たなんて� ですが�これが私にと�て大きな決断となりました� その時の私は初めてそのことを知�た�以前は自分の楽しみ 高校に入学して初めて簿記とは何なのかを知りました�一 のために作�ていた料理も視点を変えて誰かのために作るこ 番に覚えたことは基礎である�借方・貸方�と�簿記の五要素�� とで作る喜びも楽しみも倍になる�それからはただ何となく そこから発展して帳簿など様々なことを勉強してい�たので 調理をするのではなくその料理を食べる人の気持ちを考えて すが�毎回授業の前になると�今日は何をやるのだろう�と� 誰かのために料理を作ろうと思�た� 授業が始まると次々に入�てくる新たな知識にわくわくして まだまだ私が学ばなければならないことは沢山ある�あま いました�初めて勉強を楽しいと感じることができ�私はど りの難しさに壁にあたることもあるだろう�それでも今はど んどんと簿記の面白さに引き込まれていきました� うしたら相手に安全に料理をふるまうことができるのか�美 味しい�楽しいと感じて食事をしてもらえるのか�というこ 二年生に進級する時�私は迷わず会計コ�スを選びました� 高等学校の部 佳作 ─ 33 ─ 9:22:44 2016/02/10 33 ③高等学校&専修学校の部.indd 理由は初めにも書いたように�簿記が好きだ�たからです� そのことを知�ている先生は私たちに深く理解することを しかし先輩から�会計コ�スは検定や補習などで忙しく�軽 求 め ま し た� 私 は と に か く� 怒 ら れ な い よ う に � 必 死 に 取 い気持ちでこのコ�スを選んだらあとで自分が苦労するとい り 組 み ま し た� す る と そ れ が い つ の 間 に か 身 に つ い て い た うことを言われてしまいました�本当にこれで良いのだろう の で す� そ の こ と に 気 が 付 い た の は 検 定 の 勉 強 を し て い た かと他のコ�スも考えました�しかしいくら考えても�私が 時 の こ と で し た� 問 題 集 が す ら す ら と 解 け� な ぜ こ う な る やりたいと思うのはやはり簿記だけでした� の か ま で 考 え な が ら 進 め る こ と が で き� 理 解 が 深 ま � て き ていることを実感しました� 二年生になり簿記を学びたいという気持ちを抱いた二十名 が新たなクラスの仲間となりました�学年が上が�たという そんなある時�友人から ことで各教科の先生が変わり�簿記も一年生の頃に教えて下 �この問題はどうや�て解くの?� さ�ていた先生とは別の先生に習うことになりました�その という質問を受けました�私は自分で理解した方法で説明し 先生の授業を受けたクラスは検定の合格率が高いとの噂を聞 てみました�しかしうまく伝えることができず�むしろ余計 いていたのですが�新たなクラスメイトのほとんどがその先 に混乱させることにな�てしまいました�検定前なのに悪い 生の大きな声を耳にしたことがあり�私たちの中では厳しい ことをしてしま�たと申し訳なく思うと同時にうまく教える というイメ�ジが付いていました�そのため最初の授業は皆 ことができなか�たことに悔しさを感じ�どうしたら理解し 緊張して教室内の空気がピリピリとしていたのを覚えていま てもらえるのかいろいろと考えました�そして物を使�たり す�その環境の中での授業は一年生の頃のような楽しさを感 紙に書いたりと教え方を工夫してもう一度説明してみまし じることはできず�授業の後には疲ればかりが残りました� た�すると友人の口から� �あ!なるほどね!� しかし私は確実に授業の内容が身についていることを感 じ ま し た� そ う 思 � た の は� そ の 先 生 が� 答 え は な ぜ そ う という言葉が飛び出しました�私の説明で理解してもらえた なるのか�というところに重点を置いて教えて下さ�てい のです�私は達成感や嬉しいという気持ちでい�ぱいになり たからです�会計コ�スで目標とするのは�高校卒業までに ました�そしてその時�簿記の先生�という新たな夢が生ま 日 商 簿 記 検 定 二 級� 全 商 簿 記 検 定 一 級 を 取 得 す る こ と で す� れたのです� 当 然 で す が 級 が 上 が る ご と に 内 容 は 高 度 に な � て い き� 暗 高校で初めて簿記と出会い�簿記を好きになり会計コ�ス 記 だ け で 合 格 す る こ と は 難 し く な り ま す� な ぜ そ う な る の を選びましたが�将来の夢が変わるとは思�ていませんでし か� ど の よ う な 工 程 を 経 て そ の 結 論 に た ど り つ く の か� そ た�しかし私は教師という夢を抱く以前から憧れている先生 こ ま で 理 解 し て い な い と 応 用 問 題 に は 対 応 で き な い の で す� がいました�初めはその先生の優しさや温かさを感じ�私も 高等学校の部 佳作 ─ 34 ─ 9:22:44 2016/02/10 34 ③高等学校&専修学校の部.indd 夢を叶えたら そんな人になりたいと思�ていました�そしていつの日から か�私が教師にな�たらそんな先生になりたいとも考えるよ うにな�ていたのです�今考えると�その先生に出会�た時 から私は教師になりたいという気持ちを抱き始めていたのか もしれません� 私は会計コ�スの目標である日商簿記検定二級�全商簿記 検定一級を取得することができました�卒業までに取得する という目標は達成したものの�人に教える立場を目指すから には更に上の資格を取りたいと思�ています�進路はもちろ ん四年制大学の商学部への進学を希望しています�そこで今 よりも多くの知識を身につけ�より高いレベルの資格�そし て商業の教員免許を取得したいと考えています� 下 桃 子 愛国高等学校 三年 松 私は今�看護師になる為に愛国高校の衛生看護科に通�てい ます�私にと�て看護師という職業は�夢であり�憧れです� 私が看護師になりたいと思�たのは小学生の頃です�その 頃は深い事は考えず�母が看護師だからというだけで決めて いました�真剣に考えたのは中学三年生の進路を考える時で す�母から本校の衛生看護科を薦められました�その時に看 護師としての母の話を聞き実習が大変だ�た事や�勉強が難 しか�た事など昔の思い出を話してくれました��衛生看護 科に行くと看護師以外の道を目指しにくくなるからよく考え なよ��と言�てくれました�私は頑張ろうと思い本校を受 験し�合格することができました� 入学して三年�高校三年生にな�た私は今臨地実習を行� ています�忙しく睡魔と戦いながらも充実している毎日を過 ごすことができています� � 先日�母性実習で産婦人科を見学させていただきましジた �ク フ 産 婦 人 科 に は 出 産 を 控 え た 妊 婦 さ ん や� 出 産 を 終 え た 褥 婦 さんが毎日数多く訪れます�その中で助産師の職域はとても 幅広く�出産の介助から母親の産後のお世話�沐浴・授乳指 導�退院指導など多くの事をこなします�定期健診や個別相 9:22:44 2016/02/10 35 ③高等学校&専修学校の部.indd いつか必ず夢を叶え�私が先生を尊敬するように�生徒か ら尊敬される先生になれるよう努力したいと思�ています� 高等学校の部 佳作 ─ 35 ─ 談も行�ています�私は看護師の資格をもつ助産師さんの助 薬の無い地域などの医療・看護があります�色々調べていく 産師外来を見学しました�女性同士ということもあり�話し うちにとても過酷で悲惨な現状�どうにもならないことが多 やすそうな和やかな雰囲気の中で出産に対する不安などの相 くあるということを知りました� 談を行�ていました�初めての出産で分からない事だらけの なぜ国境なき医師団の看護師になりたいと思�たか尋ねて 妊婦さんに不安を取り除くかのように一つ一つ丁寧に相談に みると�自分の限界まで試してみたいから�と言�ていまし のるその様子を見学しているうちに�私の中で�憧れ�の気 た�その言葉を聞き�なんてストイ�クなのだろう�と思い 持ちがでてきました�それは幼い頃に抱いた中途半端な気持 ました��国境なき医師団の看護師になりたい�なんて軽い ちではなく�助産師になりたい�という強い気持ちです�あ 気持ちで言う事は出来ないと思います�私はただ�すごいな� とでその助産師さんに話を伺うと�産婦人科で看護師として という尊敬の気持ちでした�私にはまだそんな事の言える勇 働いているうちに�も�と色々な事をしてみたくて助産師の 気も覚悟もありません�ですが�数十年後の私に知識・技術 資格も欲しくな�た��とお�し��ていました�今�私の が共に備わ�た時�また考えてみたいと思いました�そして 夢は看護師になることです�そしてその夢が叶�たら�いず そんなか�こいいストイ�クな人になりたいと思いました� れは�助産師になりたい�と思いました� 海外研修の帰りの飛行機で私は座席のポケ�トにある物を 見つけました�それはユニセフの�航空機内募金活動�の封 高校三年生の夏休み�私は学校の海外研修のプログラムに 参加し約三週間アメリカでホ�ムステイを経験しました�言 筒でした�海外から持ち帰�た外国のお金を世界の子供たち 葉も文化も通じずや�ていけるか不安でした�私のホストマ のために役立たせるとい�たものです�私はふと�国境なき ザ�はカンボジア人でした�日本への留学経験があり日本語 医師団について調べてみた時のことを思い出しました�私は も英語もカンボジア語も話せる方であり�間違�た英語は正 財布からお金を取り出し封筒に入れました�ち�ぽけな金額 しく直し�難しい英語は日本語で話してくれました�ホ�ム だ�たかもしれませんが�その小さなお金でも国境を超え誰 ステイ開始から一週間が経�た日の夜��将来何になるの?� かのためになると思うと嬉しく感じました� と聞かれました�私は看護師になる為に衛生看護科に通�て 私は今回�夢のまた夢を考える事ができました�どんな夢 いる事や助産師にもなりたいと思�ている事を話しました� であれ人の役にたちたいと強く思います�夢は実現させなけ するとホストマザ�の妹が看護師として働いている事がわか れば意味はありません�甘い覚悟ではなく自分にストイ�ク りました�彼女はいずれ国境なき医師団の看護師として働き に夢に向かいます�その為にもし�かり勉強をしていき知識 たいと考えているそうです�国境なき医師団の活動は紛争地 や技術を得て看護師になるという夢を必ず叶えます� や難民・国内避難民�自然災害被災地�感染症流行地�病院・ 高等学校の部 佳作 ─ 36 ─ 9:22:44 2016/02/10 36 ③高等学校&専修学校の部.indd 9:22:44 2016/02/10 37 ③高等学校&専修学校の部.indd 私の進路 思います�また�自動車整備士になりたいという私を家族は 理解し�応援してくれます�父や従兄弟は自らの進路につい て話してくれたり�自動車整備士の資格を得るために受ける べき講習を教えてくれたりします�家が自動車整備の仕事を 日本工業大学駒場高等学校 一年 しているからとはいえ�自分の目指すことを応援し�支えて 髙 橋 な な こ くれる人達が家族であるという事を�私はとても幸せに思い ます�そして�そんな家族の人達は私の宝物であり�誇りです� 私 は 自 分 の お お ま か な 進 路 を 中 学 生 の 頃 に 決 め て い ま し しかし�私にはとても心配で不安に思う事が二つあります� た�それは��自動車整備士�になるための進路です� 一つは�責任の重さ�です�自動車は人の命を乗せています� 家族連れなど�一人ではなく複数人が乗る事も多くあります� 私の家は自営業で自動車整備をしています�そのため�小 さい頃から�手伝い�として父に工場へ連れて行�てもら� そんな自動車を整備していて�もし整備漏れがあ�たら大き ていました�小さな私に手伝える事はとても限られていて� な事故につながります�一度に複数の命が危険にさらされま 見学ばかりでしたが�そうして祖父や父の背中を見ている内 す�たかが整備�されど整備なのです�前に�職業説明会で に�いつからか自動車の整備に興味を持つようにな�ていま 話をしてくださ�た自動車整備士の方も��責任の重い仕事 した� だ�と話していた事を強く覚えています�そんな重い責任を 背負えるのか�今の私はとても不安です� 興味を持�た�自動車整備士�に私もなろうと本格的に思� たのは�中学二年生の時でした�私には兄が二人いますが� もう一つの心配な事は� �本当に自分が自動車整備士になれ 二人とも自動車整備士という道を選びませんでした�このま るか�という事です�祖父や父の仕 までは自営業である会社が無くな�てしまうと考えた私は� 事を見ていると�様々な部品を取り 将来就きたい仕事に自動車整備士を選びました� 替えたり�点検しています�そして� それぞれに使う工具や部品の交換の 将来就きたい仕事に自動車整備士を選んでから�私は従兄 弟が通�た自動車整備学校について調べたりし�具体的な進 順序�取り替えたオイルの処理など 路の道筋をたてました�そして�時間のある日は工場に連れ を手早く行い�お客様から自動車の て行�てもらい�自動車の整備を少しずつ勉強し始めました� 不調を聞くとすぐに整備の目星をつ 小さか�た頃の見学とは違い�工具の名前を少しずつ覚えて け� 自 動 車 を 修 理 し て し ま い ま す� きたので今ではち�んとした手伝いができるようにな�たと 整備士にな�て何十年の父達と自分 高等学校の部 佳作 ─ 37 ─ 藤 香 菜 海 東京都立農業高等学校 二年 伊 学 校 の 門 を く ぐ る と� 我 が 高 校 を 象 徴 す る 一 本 の 大 き な ス ギ の 木 が 立 � て い ま す� そ れ は 開 校 当 時 か ら 守 ら れ て い るもので�長い歴史を物語�ています� 敷 地 内 に は� 広 い 畑 や 果 樹 園� ビ ニ � ル ハ ウ ス� 種 類 豊 富 な 農 工 具� ト ラ ク タ � な ど が あ り� 普 段 暮 ら し て い く 中 でなかなか目にしない様な光景が広が�ていました� 私 の 通 � て い る 農 業 高 校 に は� 農 業 に 関 す る 科 が 三 つ あ ります� 人と緑との関係を学ぶ�緑地計画科�食品製造�食品化学� 応 用 微 生 物 な ど に つ い て 学 ぶ� 食 品 科 学 科� そ し て 私 が 学 ん で い る 都 市 園 芸 科 で は� 都 市 に お け る 園 芸 の 生 産� 流 通� 利用などについて勉強しています� � 農 業 � と 一 言 で 言 � て も� 畑 を 耕 し て 作 物 を 育 て� 収 穫 す る と 言 う 事 だ け で は な く� 色 々 な 方 面 で 農 業 が 関 わ � て いる事を知りました� 今� 私 が 学 ん で い る 野 菜 や 草 花 の 栽 培 で は� 自 分 た ち の 手 で 一 か ら 作 業 を し て い ま す� 土 を 耕 し� 畑 を 作 り� 種 を ま い て� 肥 料 を ま い て� 水 を あ げ� 周 り の 雑 草 を 抜 い た り� 病 害 虫 を 駆 除 し た り と� と に か く 成 長 し て 収 穫 で き る ま で 9:22:44 2016/02/10 38 ③高等学校&専修学校の部.indd ! 農業 では全く違うと分か�ていても� �私はそんなにたくさんの事 を覚えられない�と思�てしまいます�不調の原因を探るた めに必要な自動車の構造を覚えるというのも�覚えきる事が できるか不安です� �好きこそ物の上手なれ�という言葉もあ りますが�私は自動車が特別好きというわけでもない為�き� とおもしろいようには覚えられないと思います� �自動車の事 が大好きだから�構造を全て理解して自分の好きなようにエ ンジンを触りたい�この車種とあの車種ではここの部分が違 うため�燃費が変わ�てくる�というように�苦手意識がな い状態であれば苦に思う事もなく�楽しく覚えられますよね� できるのであれば�私もそのように思えるようになりたいで す� このように�私には�責任の重さ�や�整備士になれるの か�とい�た不安があります�しかし�それらはこれからの 学校生活や本格的な整備士の勉強をしていく上で�自分に�あ る程度の自信を持てるようになる�ことにより�徐々に薄ま るだろうと思います�そして�祖父や父のような自動車整備 士になれるよう�強い気持ちを持�て勉強していくでし�う� 今の私は�まだその前の�不安な気持ちを取り除く段階にい るにすぎません�まだ�自動車整備士への進むべき道を歩き 始めたばかりです�これからの学校生活で焦らず�少し先の 自分のために生活していきたいと思います�想像しているよ りも大変で辛い道かも知れませんが�私は絶対に自動車整備 士になります� これが私の進路です� 高等学校の部 佳作 ─ 38 ─ 時 間 が か か る 上� 手 が 抜 け な い で す� 真 夏 の 炎 天 下� 温 室 し た� も ち ろ ん� 辛 い 事 ば か り だ け で は あ り ま せ ん� 天 気 で の 作 業� 真 冬 の 雪 の 中 で も 関 係 な し に 作 業 を し な け れ ば が良い日に花に水をあげている時や自分なりのアレンジメ な り ま せ ん� 栽 培 す る 事 が こ ん な に も 大 変 な ん だ と� 想 像 ン ト が 完 成 し た 時 は 本 当 に 幸 せ で す し� 将 来 の 夢 の 為 と 思 と現実のギ��プに驚かされました� い�頑張�ています� そ ん な 時 で も� 仲 間 と 声 を 掛 け 合 う と� 自 然 と 頑 張 れ た 最 近 私 は� 園 芸 療 法 と 言 う も の に も 興 味 を 持 ち ま し た� りして�不思議とパワ�が湧いてきます� 園芸療法は既に十八世紀から実施されていたそうなのです が� 最 近 ま で 全 く 知 り ま せ ん で し た� 土 や 植 物 に 触 れ る 事 ど の 植 物 栽 培 に も 共 通 し て 言 え る 事 は� 一 つ で も 作 業 を 怠 る と 成 長 が 遅 く な � た り� 虫 に 食 わ れ て し ま � た り� 病 に よ � て 心 が 豊 か に な り� 気 持 ち を 穏 や か に す る 事 が 出 来 気 に な � て し ま � た り し て し ま い ま す� 当 然 の 事 で す が� る と い う 事 で し た� ま た� 園 芸 作 業 を す る 事 で� 手 や 足 の 植 物 は 生 き て い る の で す� 汗 を 流 し� 時 間 を か け て 育 て て リ ハ ビ リ に も な る そ う で す� 私 も 植 物 と 触 れ 合 � て い る 時 あ げ る の で す� 楽 し て 良 い も の は 育 ち ま せ ん� 本 気 で 向 き は� 気 持 ち が 涼 々 し く な り ま す し� 農 業 を 教 え て 下 さ � て 合 う こ と が 大 切 で す� だ か ら こ そ 農 業 は 楽 し い の だ と 思 え い る 先 生 方 は� い つ も ました� 優しく笑顔で接してく れ て い ま す� 土 や 植 物 育 � た 野 菜 は 収 穫 し� 自 宅 に 持 ち 帰 る 事 が 出 来 ま す� 学 校 帰 り の 私 の か ば ん の 中 に は� 教 科 書 と� ダ イ コ ン� ジ � に は� 人 を 優 し く し て ガ イ モ� ト マ ト� キ � ウ リ な ど が ぎ � し り 入 � て い ま す� くれる見えない力があ 取 り 立 て の 新 鮮 な 野 菜 を 持 ち 帰 る と� 母 が と て も 喜 ん で 夕 るようです�種をまき� 食を作�てくれます�そして家族が�美味しい��とい�て 芽 が 出 て� 葉 が つ き� 食べている姿を見た時�私は一番喜びを感じます� 花 が 咲 き� 実 が な る 姿 を 見 て い る と� 生 命 の 二 年 生 に な る と� 農 業 の 授 業 の 選 択 肢 が 広 が り� 生 産 専 攻 と デ ザ イ ン 専 攻 に 分 か れ� 各 分 野 を よ り 深 く 勉 強 す る 事 すばらしさを感じさせ が 出 来 ま す� 私 は 将 来� ブ ラ イ ダ ル フ ラ ワ � デ ザ イ ナ � に て く れ ま す� そ ん な 気 な り た い の で� デ ザ イ ン 専 攻 を 選 択 し ま し た� デ ザ イ ン 専 持ちにさせてくれる植 攻 で は� 草 花 の 栽 培 と ア レ ン ジ メ ン ト を 交 互 に 行 � て い ま 物 と 関 わ り な が ら� 心 す� 草 花 の 栽 培 は 見 た 目 の 華 や か さ と は 裏 腹 に 力 仕 事 で� 身に悩みや不安を抱え 現実はそんな甘いものではないという事を思い知らされま ている方のサポ�トが 高等学校の部 佳作 ─ 39 ─ 9:22:44 2016/02/10 39 ③高等学校&専修学校の部.indd 馬との出会い 出来る�園芸療法についても勉強してみたいと思いました� こ の 夏� 私 は 農 業 関 係 の 大 学 や 専 門 学 校 に 行 � て き ま し た� ブ ラ イ ダ ル フ ラ ワ � 科 が あ る 専 門 学 校 の オ � プ ン キ � ン パ ス で は� 現 在 結 婚 式 場 で 働 い て い る 方 の お 話 を 聞 く 事 東京都立農芸高等学校 二年 が 出 来 ま し た� 技 術 を 磨 く 為 に� 仕 事 が 終 わ � て か ら も フ 大 澤 萌 ラ ワ � ア レ ン ジ メ ン ト の 練 習 を し て い る そ う で す� 一 つ 一 つ 丁 寧 に 育 て あ げ た き れ い な 花 を さ ら に ア レ ン ジ し て� み んなを笑顔に出来るフラワ�デザイナ�になりたいと思い 馬 に� お は よ う � と 言 � て� 私 の 一 日 が 始 ま り ま す� 馬 ま し た� 農 業 関 係 の 大 学 で は� 野 菜 を も � と 美 味 し く 育 て 術 部 に 入 り� 馬 た ち と 出 会 � て 一 年 半 が 経 ち ま し た� 毎 朝� る に は ど う し た ら 良 い の か� ま た� 育 て た 野 菜 の 流 通 の 仕 厩 舎 で 馬 た ち に エ サ を あ げ� 馬 房 掃 除 を し て か ら 教 室 に 行 方 な ど 新 た な 取 り 組 み を 研 究 さ れ て い る そ う で す� 農 業 は き ま す� 放 課 後 は� 馬 場 に 馬 を 連 れ て 行 き� 部 員 や コ � チ 奥が深く�改めて農業の難しさ�大変さを感じました� に馬術を教えていただき�日々練習に励んでいます� 農 業 高 校 に 入 学 し て� た だ 植 物 を 栽 培 し て い る の で は な 入 学 当 初� 私 よ り も 背 の 高 い 馬 に な か な か 近 づ く こ と が く� よ り 多 く の 事 を 学 ん で い ま す� 自 然 と 触 れ 合 い� 一 粒 で き ま せ ん で し た� 見 て い る と カ ワ イ イ と 思 う の で す が� の 種 を 育 て て 収 穫 が 出 来 た 時� 花 が 咲 い た 時 の 嬉 し さ� そ 馬 の 前 に 立 つ と� 耳 を 伏 せ て 威 嚇 し て き た り し て� 少 し 怖 し て 美 味 し く い た だ け た 時 の 喜 び を 感 じ て い ま す� ま た� か � た で す� 馬 に 乗 � て も� な か な か 言 う こ と を 聞 い て く 仲 間 と の 触 れ 合 い� 声 か け の 大 切 さ な ど� こ れ ら は 人 間 に れ ず� め げ そ う に な � た こ と も 何 度 も あ り ま す� し か し� と � て か か せ な い も の で す� こ れ こ そ が 農 業 の 醍 醐 味 な の 先輩たちの姿を見ていると�自分の合図で馬を動かし�様々 ではないかと思いました� な 形 の 障 害 物 も 普 通 に 飛 ん で い ま し た� 私 も 上 手 く な � て� 馬を私の思�たように動かせるようになりたいと強く思� た こ と を 今 で も 覚 え て い ま す� ま ず は 馬 と 仲 良 く な り� 人 馬 一 体 と な れ る よ う に 頑 張 る こ と を 目 標 に 定 め� 毎 日 目 標 に向けて練習に励みました� 初 め て 大 会 に 出 場 し� 馬 場 の 経 路 を 回 � た 時� 障 害 物 を 飛 ん だ 時� 不 安 や 緊 張 は あ り ま し た が� そ れ 以 上 に� 楽 し いという気持ちで一杯でした�練習してきてよか�た�も� 高等学校の部 佳作 ─ 40 ─ 9:22:44 2016/02/10 40 ③高等学校&専修学校の部.indd と上手くな�て高いレベルの種目に出場したいと強く思い 魅 力 を 伝 え て い ま す� 他 に も� 練 習 を 見 に 来 た 保 育 所 の 子 ま し た� 馬 術 競 技 は� 野 球 や サ � カ � の よ う に 団 体 で 出 場 供 た ち や 近 所 の 方 々 に� 馬 の 魅 力 を 分 か � て も ら え る よ う す る 競 技 で は な く� 個 人 で 馬 と と も に 出 場 す る 競 技 で す� に� 分 か り や す く 馬 の 説 明 を し た り� 近 く で 馬 を 見 て も ら し か し� 出 場 す る 選 手 だ け で は 成 り 立 た な い ス ポ � ツ で す� う 活 動 を し て い ま す� 十 一 月 に 行 わ れ る 文 化 祭 で も 乗 馬 体 部 員 の 支 え が な け れ ば 出 場 す る こ と は で き ま せ ん� ま た� 験 を や � て お り� 最 初 は 怖 い と 言 � て い た 女 の 子 が� 馬 か コ � チ� 部 員� 親� 先 生� 地 域 の 方 々 の 協 力 が あ り� 部 活 ら 降 り た 時 に 馬 を カ ワ イ イ と 言 � て く れ ま し た� す ご く 嬉 が 成 り 立 � て い ま す� こ れ か ら も 馬 術 部 を 支 え て く れ て い し か � た で す� ま た� 厩 舎 の 外 で 馬 の 名 前 を 呼 ん で い る 近 る 多 く の 方 々 へ の 感 謝 の 気 持 ち を 忘 れ ず に� 大 会 に 向 け た 所 の 方 々 や 子 供 た ち の 声 を 聞 く と� 私 も 嬉 し く な り ま す� 練習に励んでいきます� これからも馬好きの人がも�と増えるように頑張ります� 私 は 馬 と 出 会 � て� 今 ま で の 生 活 が 大 き く 変 わ り ま し た� 高 校 で 馬 術 部 に 入 り� 馬 の 魅 力 に 引 き 込 ま れ ま し た� 二 生 活 の リ ズ ム も� 起 床 時 間 も� 毎 日 馬 中 心 の 生 活 に な り ま 年 生 に な � た 私 は� 馬 た ち と 一 緒 に 人 の た め に 役 に 立 て る し た� 朝 昼 夕 と 馬 と 一 緒 に い る と� 愛 着 が ど ん ど ん 湧 い て こ と が な い か と 思 う よ う に な り ま し た� あ る 本 を 読 ん で� い き� 一 日 で も 会 わ な い だ け で 寂 し く な り ま す� そ し て� 私 は 将 来 や り た い こ と が 決 ま り ま し た� 今 は ア ニ マ ル セ ラ 今 で は 馬 の 性 格 や 癖 な ど が 分 か る よ う に な り ま し た� 馬 は ピ � を 学 び� 動 物 が 人 に ど れ だ け 影 響 を 与 え る こ と が で き 環 境 や 気 候 が 大 き く 変 わ る と 体 調 を 崩 し た り� 練 習 や 手 入 る の か� 癒 や す 力 が あ る の か� 自 分 で 研 究 し た い と 考 え て れ中�馬は人を見ており��この人はまじめにやらないと怒 い ま す� そ し て� 将 来 は 乗 馬 を 通 し て� 生 き る 力 を 身 に 付 られるな��など�馬が思�ていることを感じることができ けることができると言われているホ�スセラピ�の仕事に る よ う に な り ま し た� 馬 は と て も 繊 細 で 賢 い 動 物 で す� な 就 き� 馬 の 力 を 最 大 限 に 利 用 し て� 多 く の 方 々 を 幸 せ に し により馬は人を笑顔にさせることができる力をも�ていま た い で す� そ の た め に も 今 で き る こ と を き ち ん と や り� 人 す� 私 は そ の 力 に 何 度 も 救 わ れ ま し た� 辛 い こ と が あ � て の 気 持 ち や 馬 の 気 持 ち に つ い て 勉 強 し� 将 来 の 夢 に 向 か � も�馬は幸せな気持ちにしてくれます�私にと�て馬たちは� て馬術部の活動を頑張�ていきたいです� 私 の 人 生 に 欠 か せ な い 存 在 で あ り� 家 族 と 同 じ く ら い 大 切 私 は 今� 馬 や 馬 術 部 の 仲 間 た ち と 出 会 え て� 本 当 に 幸 せ です� です� 馬 術 部 で は� 地 域 の 方 々 と の 交 流 も 行 � て い ま す� 近 く の 小 学 校 に 馬 を 連 れ て 行 き� 馬 場 馬 術 を 見 て も ら � た り� 小 学 生 に ニ ン ジ ン を あ げ て も ら う 体 験 な ど を 通 し て� 馬 の 高等学校の部 佳作 ─ 41 ─ 9:22:44 2016/02/10 41 ③高等学校&専修学校の部.indd 命の尊さ 村 今 日 子 東京都立瑞穂農芸高等学校 四年 有 私 は� 自 分 の 命 を 大 切 に 生 き て い き た い と 考 え て い ま す� 瑞 穂 農 芸 高 校 定 時 制 の 農 業 科 で は� 毎 年 三 年 生 が 授 業 で 鶏 の と 畜 を す る こ と に な � て い ま す� 三 年 生 に な � た 私 は� 適 当 な 覚 悟 で� ま あ� 自 分 に も で き る だ ろ う � と 軽 く 考 え て い ま し た� 当 時 の 私 に は� 命 と い う も の が よ く わ か � て いなか�たのです� 鶏 の ヒ ナ が 学 校 に 来 た こ と を 知 り� 動 物 好 き の 私 は� す ぐに育すう舎というヒナを育てている場所へ見に行きまし た� 孵 化 し て か ら 数 日 し か 経 � て い な い ヒ ナ は� 片 手 で 握 ら れ る ほ ど 小 さ く� 一 生 懸 命 生 き よ う と し て い ま し た� 私 は� 毎 日 育 す う 舎 へ 通 い� 何 枚 も 写 真 を 撮 � て� ヒ ナ の 成 長 を 観 察 す る こ と に し ま し た� ヒ ナ は� 始 め の う ち 高 所 を 怖 が � て い ま し た が� 徐 々 に 私 の 背 や 頭 に 登 る よ う に な り ました�また�声は�いつの間にか大人の鶏の鳴き方になり� 体 も 大 き く な � て い き ま し た� 私 は� そ の 成 長 速 度 に 驚 き� 喜 ん で い ま し た� し か し� 日 が 経 つ に つ れ て� 体 の 大 き さ が 異 常 で あ る こ と を 感 じ る よ う に な り ま し た� 足 の 大 き さ に 対 し て 体 が 大 き く 太 り す ぎ て い る と 思 � た か ら で す� そ し て� 自 分 の 体 重 に 耐 え ら れ な く な � た 一 羽 の ヒ ナ は� 足 が 折 れ� 水 を 飲 め な く な り� つ い に 死 ん で し ま � た の で す� その姿を見た私は��本当に人間に食べられるためだけに生 まれてきた子なんだ�と実感し�悲しくな�てしまいました� 数 � 月 経 ち� ヒ ナ か ら 大 人 の 鶏 に な � た 頃� 担 当 の 先 生 か ら と 畜 を 行 う 日 程 を 伝 え ら れ ま し た� そ れ を 聞 い た 私 は� こ れ か ら 罪 で も 犯 す よ う な 気 分 に な り ま し た� そ し て� ど ういう覚悟で臨めばいいのかわからないままと畜実習の日 に な � て し ま い ま し た� 始 め は 先 生 に 手 本 を 見 せ て も ら い ま し た� 首 の 後 ろ を 小 さ い 包 丁 で 深 く 切 り� 血 抜 き� 脱 皮 を し て か ら 解 体 を す る と い う 流 れ で す� 動 物 を 殺 し た こ と がなか�た私は�包丁を持�た瞬間�緊張で手が震えました� �一気に切らなければ 鶏が痛い思いをする� と 先 生 に 言 わ れ� 私 は 開き直るよう自分に言 い 聞 か せ な が ら� 鶏 の 首 を 切 り ま し た� 切 � てすぐに死ぬというわ けではありませんでし た が� 私 に と � て は 想 像 よ り も あ � け な く� 一瞬だ�たように感じ ま し た� 切 � た と き の そ の 感 触 は� 一 生 忘 れ ることはできないと思 います�その後も私は� 9:22:45 2016/02/10 42 ③高等学校&専修学校の部.indd 高等学校の部 佳作 ─ 42 ─ 9:22:45 2016/02/10 43 ③高等学校&専修学校の部.indd 専門教科の学習で学び得たこと 殺 す こ と を 嫌 が る 人 た ち に 代 わ り� 同 じ こ と を 何 度 も 繰 り が 始 ま る 数 分 前� 腹 を 空 か せ た 豚 た ち が 啼 き だ す 中� 入 口 返 し ま し た� 脱 皮 の 後 の 解 体 は� 特 に 嫌 な 思 い を す る こ と から7番目のスト�ルに収容されたその豚は決して起きて もありませんでした�羽のない状態の鶏は�近所のス�パ� はくれなか�た� 等 で よ く 見 か け る 鶏 肉 と 全 く 同 じ だ � た か ら で す� 数 日 後 学んでいる�畜産科学科では2年生から 私は高校で畜産がを ん に 私 た ち の 鶏 は� 燻 製 に な り� 実 習 を 行 � た 生 徒 で 食 べ ま 酪農・養豚・愛玩動物の3類型に分かれ�類型の授業�管理 した��と畜され�加工したものを私はいつも食べているん が加わる�1年生の3学期に類型が決まり� 養豚類型での日々 だ�という実感を初めて持ちました� が始ま�た�冬休みも明け�作業に慣れ始めたころ�担当の 母豚を決める�母豚の担当者になると発情確認�種付け�受 今 回 の 実 習 で� 私 は テ レ ビ や 動 画 だ け で は わ か ら な い� 本当の命の大切さを知りました�命を奪うのは�一瞬でした� 胎確認�分娩�離乳という繁殖に関わる役割を任される�生 し か し� 一 瞬 だ � た か ら こ そ� 私 は そ の 命 が 重 く� 尊 い も 産の元手となる母豚をサポ�トする重要な仕事だ� の に 感 じ ら れ ま し た� 動 物 に 限 ら ず� 私 は 毎 日 魚 や 植 物 か 私の担当豚は�トン吉�に決ま�た�先代の種雄豚�ギンガ� ら も 命 を も ら � て 生 き る こ と が で き て い ま す� 命 を く れ た と 現 在 の 種 雄 豚� ヤ マ ト � を 生 ん だ ベ テ ラ ン� 温 厚 従 順 で 生 き 物 に 感 謝 す る た め に は� ま ず 自 分 が し � か り 生 き て い 皆 に 愛 さ れ る 豚 だ� 2 年 生 の 4 月 下 旬 か ら 6 月 に か け て 豚 く こ と が 大 事 な の で す� 一 生 懸 命 に 生 き て い た 鶏 の ヒ ナ の 舎は分娩ラ�シ��トン吉の種付けも意識し始めた5月末� ように�私も自分の命を大切にして生きていきたいです� �トン吉も次の発情が来たら付けるよ�� と 先 生 に 言 わ れ た� ト ン 吉 の 場 合� 親 子 の た め ヤ マ ト と の 自然交配は出来ないので外部から買�た精液で人工授精を し た� 陰 部 に カ テ � テ ル を 挿 入 し� 子 宮 頸 管 に 精 液 を 注 入 す る の だ が� 奥 ま で 挿 入 す る の が 難 し く 血 が 垂 れ て き た� おそらく尿道を傷つけてしま�たのだ� 東京都立瑞穂農芸高等学校 6 月 に 入 � て か ら 血 尿 や 血 便 が 多 く 見 ら れ� あ る 日 エ サ 二年 を 食 べ な く な � た� 膀 胱 炎 を 起 こ し て い た� こ ま め に 水 を 小 林 芙 由 飲 ま せ� 管 理 後 は エ サ を 練 り 餌 状 に し� 口 に 突 � 込 み 食 べ さ せ た が 食 欲 は 戻 ら な か � た� 抗 生 物 質 を 投 与 し た が 膀 胱 の 痛 み は 治 ま ら ず 尿 の 出 な い 日 が 続 い た� 皆 が 心 配 し て 様 子 を 見 て く れ た が ト ン 吉 は 死 ん で し ま � た� 2 0 0 ㎏ 越 え �トン吉�死んじ��たよ�� 更 衣 室 で 談 笑 し て い る 時� 先 生 の 声 が 耳 に 入 � た� 管 理 高等学校の部 佳作 ─ 43 ─ の巨体を皆で豚舎入口まで運び終え�顔を覗き込む� 理 由 か ら 殺 処 分 と い う 強 力 な 措 置 を と る� 本 来 な ら 乳 や 肉 � を も � と 生 産 で き た は ず な の に 殺 さ れ る� 感 染 し た 家 畜 の �目閉じていてよか�たよね�苦しまずにいけたかな� 隣にし�がむ友人も同じことを思�たようだ�やはりトン吉 乳や肉を食べても感染しないが他の家畜への感染を防ぐた は皆に想われているんだなあ�少しうれしく誇らしく思�た� め 死 体 は 速 や か に 埋 却 処 分 さ れ る� 資 源 と し て 利 用 す る こ と も で き な い� 農 家 も 獣 医 師 も や り き れ な か � た だ ろ う� 次 の 日� ト ン 吉 は 化 製 場 へ 行 � た� 農 場 で 死 ん だ 豚 は� 食 肉 に は な ら な い� 化 製 場 で 丸 ご と 砕 か れ 高 温 処 理 を し て 救 い た い の に 殺 す し か な い 無 力 さ� ま だ 利 用 価 値 の あ る 家 飼 料・ 肥 料 と な る ら し い� ま だ 子 を 残 せ た は ず な の に 死 な 畜 た ち を 処 分 す る と い う 不 条 理� 経 済 動 物 は 人 の 都 合 に 合 せ て し ま � た� 豚 舎 で 死 ん だ た め に 食 肉 利 用 も で き な い� わ せ て コ ン ト ロ � ル さ れ 利 用 さ れ て き た� だ か ら こ そ せ め 死体を速やかに処理するためにお金を払�て化製場に引き てその家畜の能力を最大限発揮できる環境をつく�てやり 取 � て も ら う� 経 済 動 物 は 人 間 の 都 合 に 合 わ せ て 利 用 さ れ た い� 排 泄 物 や 死 体 も 不 要 物 に し た く な い� 価 値 を 持 た せ 尽くすのだと実感した� た い� 家 畜 と 関 わ � て い く 中 で そ う 思 う よ う に な � た� そ してそれは畜産に携わるすべての人の望みだろう� 夏 休 み 中� 数 人 の 産 業 動 物 獣 医 師 の 話 を 聴 く 機 会 が あ � た� 動 物 を 助 け た く て 獣 医 に な � た が� 感 染 症 を 食 い 止 め 畜 産 は 多 く の 人 の 生 活 を 支 え る 産 業 だ� 豚 肉 の 生 産 一 つ る た め に 殺 処 分 し な け れ ば な ら な い� 現 場 で は 大 動 物 を 扱 と � て も 様 々 な 人 が 絡 ん で く る� 養 豚 農 家� 飼 料 製 造・ 販 える獣医師が不足している�自分が動かなければ�2010 売 会 社� 器 具 器 材 販 売 会 社� 種 畜 生 産・ 販 売 会 社� 食 肉 処 年宮崎での口蹄疫の際�現場へ出動した獣医師は言う� 理 業 者� 加 工・ 流 通・ 販 売� そ し て 生 産 物 に 対 価 を 払 う 消 費 者 に よ り 成 立 し て い る� 食 に つ な が る 産 業 は 誰 に と � て 疾 病 予 防 の 有 効 な 手 立 て と し て ワ ク チ ン が あ る� し か し� 日 本 で は 口 蹄 疫 ワ ク チ ン を 使 え な い� 日 本 が ワ ク チ ン 非 接 も他人事ではない�生産者も消費者も�関連する多くの企業� 種 清 浄 国 だ か ら だ� 日 本 に は 口 蹄 疫 ウ イ ル ス を 保 有 す る 家 団 体� 公 的 機 関 も 誰 も が そ の 意 識 を 持 ち 続 け� 創 意 工 夫 を 畜がいないと専門機関に認定されることで畜産物の価値を 重 ね る こ と で よ り 良 い 畜 産 が 育 ま れ る� 今 ま で 培 � て き た 高 め て 他 の 清 浄 国 に 輸 出 で き る� ワ ク チ ン を 接 種 し た 動 物 � 常 識 �� 先 入 観 � が 改 善 の 妨 げ に な る こ と も あ る し� 知 識 は 抗 体 が で き� 感 染 し て も 症 状 を 示 し に く く 感 染 を 見 逃 し や 経 験 が な け れ ば 情 報 の 取 捨 選 択 を 誤 り� 本 当 に 価 値 あ る て し ま う� ま た� 抗 体 検 査 を し た と き 本 当 の 感 染 に よ り で も の を 残 し て ゆ け な い� だ か ら 生 産 者� 消 費 者 が そ れ ぞ れ き た 抗 体 と の 区 別 が つ か な い� 一 度 ワ ク チ ン を 接 種 す る と の立場からどうしたら良くなるか考え続けなければならな 再び清浄国と認められるには抗体を持つ家畜を一掃しなけ い�自分たちの暮らしに合�た畜産を構築するために� れ ば な ら な い� 口 蹄 疫 は 人 に 感 染 す る 危 険 は な い が 経 済 的 私 は 実 習 や 管 理 で 感 じ 取 � た こ と� 学 び 得 た こ と� 蓄 え 高等学校の部 佳作 ─ 44 ─ 9:22:45 2016/02/10 44 ③高等学校&専修学校の部.indd 9:22:45 2016/02/10 45 ③高等学校&専修学校の部.indd 将来の夢 た 知 識 と 経 験 を 基 に 畜 産 の� 積 極 的 振 興 � に つ な げ て ゆ き のヒ�ロ�に憧れる気持ちと同じで��パテ�シエ�という たい� 職業をどこか遠い存在のように感じていた� その憧れの気持ちからパテ�シエを将来自分が就きたい 職 業 と し て 真 剣 に 捉 え る よ う に な � た の は� 中 学 一 年 生 の と き で あ る� 姉 の 同 級 生 が� 忍 岡 高 校 生 活 科 学 科 � に 進 学 し た と 聞 き� 高 校 生 の う ち か ら 家 庭 科 に 特 化 し た 勉 強 が で き る と 知 � た� そ こ か ら 生 活 科 学 科 や パ テ � シ エ に つ い て 調 べ 始 め� 学 習 内 容 や パ テ � シ エ の 仕 事� 現 状 を 改 め て 知 東京都立忍岡高等学校 三年 る よ う に な � た こ と が き � か け だ� そ し て こ の 生 活 科 学 科 坂 本 理 香 に 進 め ば� 調 理 に 関 す る 技 術 や 知 識 が 身 に 付 き� 将 来 の 夢 に一歩近づくことができると思�た� 将 来� ホ テ ル な ど の 特 別 な 空 間 で� 特 別 な 瞬 間 に 華 を 添 入 学 し て か ら 様 々 な 授 業 を 通 し て パ テ � シ エ と い う 職 業 え ら れ る よ う な お 菓 子 を 作 る パ テ � シ エ に な り た い� こ れ について�また働くことについてさらに深く考える機会が増 が私の現在の夢である� え た� 一 見 � 関 連 の な い と 思 � て い た 授 業 や 単 元 で も 視 点 を変えてみると�栄養や調理の授業内容に役立つことがあ� � 将 来 の 夢 は ケ � キ 屋 さ ん に な る こ と�� 幼 稚 園 の 卒 園 ア ル バ ム の 表 紙 に は 拙 い 字 な が ら も 大 き く 書 か れ て い た� も たり�新しい考え方に繋が�たりと物事が相互に作用しあ� と も と� 調 理 師 免 許 を 持 つ 祖 母 の 影 響 で 幼 い 頃 か ら 食 に 関 て い る こ と が わ か � た� 自 分 が 必 要 だ と 思 � て い る こ と 以 わる仕事に興味があ�た�そこから洋菓子という一つのジ� 外 に も 目 を 向 け るこ とで � 視 野 が 広 が るのだ と 感 じ た � ンルに興味が向いたのは五歳の誕生日に祖父母が買�てく そ し て 現 在� 高 校 三 年 生 に な � て 課 題 研 究 と い う 授 業 で れ た デ コ レ � シ � ン ケ � キ が き � か け だ� ケ � キ に 施 さ れ � デ コ レ � シ � ン � の 研 究 に 取 り 組 ん で い る� 調 査 を 進 め る た 綺 麗 な デ コ レ � シ � ン が 幼 い 私 に は 宝 石 の よ う に 見 え た� う え で� 文 献 を 読 ん で い る と� 今 ま で 自 分 が 知 ら な か � た 薄力粉やバタ�などの形や性質も違う材料が合わさること 知 識 が 多 く あ � た� 中 学 一 年 生 の 時 か ら パ テ � シ エ や お 菓 で生まれる華やかなケ�キをいつか自分で作りたいと思� 子 に つ い て 調 べ� 様 々 な こ と を 知 � た つ も り で い た が� 知 たのである� ら な い こ と が た く さ ん あ る と い う 驚 き の 一 方� ま だ ま だ 新 し い こ と を 知 � て い け る と い う 喜 び も 感 じ た� 今 後� 上 級 学 校 に 進 み� さ ら に 専 門 的 な 学 習 を し て も 新 た に 知 る こ と し か し 今 改 め て 考 え て み る と� 幼 い 頃 の 気 持 ち は 単 な る 憧 れ だ � た よ う に 思 う� 例 え ば 童 話 の 中 の 王 子 様 や ア ニ メ 高等学校の部 佳作 ─ 45 ─ 私の将来の夢 が多くあるだろう��料理や製菓に究極はない�これらを仕 事にする者は一生が勉強なのだ�と語�た辻静雄先生の言 葉が今の私の信念である� 国際理容美容専門学校 十 二 年 前 に 志 し た 将 来 の 夢 は� 新 し い こ と を 知 る た び 変 二年 化してきた��ケ�キ屋さん�から�パテ�シエ�へ�そし 早 坂 実 莉 て 今 で は 理 想 の パ テ � シ エ 像 を 思 い 浮 か べ る ま で に な り� 新 た な 夢 も 増 え た� 誕 生 日 や 結 婚 式 と い � た 人 生 の 節 目 で� 私 の 将 来 の 夢 は� 美 容 師 で す� 美 容 師 に な り た い と い う 人 を 笑 顔 に で き る よ う な や り が い の あ る 仕 事 を し た い� 日 夢 を 持 � た 理 由 は 二 つ あ り ま す� 一 つ め は� 私 の 母 の 将 来 本とは違う環境の海外で働きたい� の 夢 が 美 容 師 で 実 際 叶 え ら れ ず� そ れ で も 私 が 保 育 園 に 通 違 う 世 界 に あ る よ う な 遠 い 存 在 だ と 考 え て い た 思 い が� い 始 め て 髪 の 毛 が 結 べ る く ら い に 伸 び は じ め た 頃 か ら� 私 年 を 重 ね� そ れ に 近 づ い て 現 実 味 を 帯 び れ ば 帯 び る ほ ど� の 髪 の 毛 を か わ い く ヘ ア ア レ ン ジ を し て く れ て い ま し た� 夢 が 目 標 に な る� い つ ま で も 思 い 描 い て い る だ け で は 夢 の も と も と 美 容 師 と い う 夢 を 持 � て い た の で� 周 り の 友 達 か ま ま で も� そ の 夢 に 近 づ く た め の 行 動 を 起 こ し て 自 分 の 手 らもうらやましがられるほどヘアスタイルをしてくれてい が 届 き そ う な と こ ろ ま で 近 づ い た ら� そ れ は た だ 描 い て い たのを今でも覚えています� た 夢 か ら 達 成 す べ き 目 標 に な る の だ と 思 う� 私 が 今� 憧 れ 自分でも髪の毛をアレンジ出来るようにな�た頃ぐらい 続 け た 夢 を 目 標 に す る た め に や ら ね ば な ら な い こ と は� 新 か ら� 友 達 の 髪 の 毛 も 最 初 は と て も 簡 単 な 二 つ 結 び だ � た た に 知 る こ と を 恐 れ ず� 知 識 や 技 術 を 進 化 さ せ 続 け る 弛 ま り� 三 つ 編 み を し て あ げ れ る よ う に な � て い ま し た� そ の ぬ 努 力 を す る こ と で あ る� そ し て 一 日 も 早 く� 夢 か ら 目 標 頃 か ら� 自 分 や 友 達 の 髪 の 毛 を い じ � た り す る こ と が 好 き へと近づいていきたい� でした� 小学校に入学すると少しオシ�レをすることが好きにな り� 学 校 の 友 達 が や � て い な い よ う な 髪 型 を 毎 朝 母 に や � て も ら � て い ま し た� 保 育 園 に い る 時 と 変 わ ら ず 小 学 校 に 入 学 し て か ら も� 周 り の 友 達 に う ら や ま し い と い つ も 言 わ れ て い ま し た� 高 学 年 に な る と 毎 朝 母 に ア レ ン ジ を や � て もら�ていたのも自分で鏡に向か�て自分でやるように 高等学校の部 佳作 ─ 46 ─ 9:22:45 2016/02/10 46 ③高等学校&専修学校の部.indd な�ていました� 中 学 校 に 入 り 規 定 の 制 服� 髪 型 に な り� 小 学 校 の と き よ りもヘアアレンジをする機会が減�てしまいました�もし機 会 が あ � た と し て も 学 校 の 後 に 遊 び に 行 く 時 だ � た り� 学 校がない休みの日に自分や友達のをアレンジするくらいで し た� 中 学 二 年 生 頃 ぐ ら い に な る と 進 路 を 考 え 始 め る 時 期 に な � て い ま し た� 周 り の 友 達 が ど ん ど ん 進 路 が 決 ま � て いく中で私はなかなか行きたい学校が見つからずにいまし た� そ の ま ま 決 ま ら ず 三 年 生 に な る と 本 格 的 に 友 達 は 志 望 校 を 決 め� そ の 学 校 に 進 学 す る た め 試 験 勉 強 を し て い る 人 達 が 沢 山 い ま し た� そ の 中 で 私 は 一 人 焦 � て 高 校 の 資 料 を 見ていると最後のペ�ジに今通�ている国際理容美容専門 学 校 の 美 容 高 等 科 を 見 つ け ま し た� そ の 少 な い 資 料 の 中 に 一 日 で も 早 く 美 容 師 に な り た い と 書 い て あ り ま し た� そ れ を 見 た 瞬 間� こ の 学 校 に 通 い た い と い う 気 持 ち が 一 気 に 強 くなりました�物心がついてから�花屋さん�ケ�キ屋さん� パ ン 屋 さ ん� デ ザ イ ナ � と よ く 小 さ い 頃 に 抱 く 夢 も 私 も あ り ま し た が� 母 が 叶 え ら れ な か � た 美 容 師 と い う 夢 が あ � た ので そ の 時 に 見つ け た 時 は と て も 惹 か れ て い ま し た � そ し て も う 一 つ 美 容 師 に な り た い と 思 � た 理 由 は� 私 の 姉 に 障 害 が あ る か ら で す� 障 害 が あ る こ と で� じ � と し て 座�て待�ていることが出来なか�たりと慣れない環境に 行くことが大変なのでなかなか美容院に行くことが出来ず に い ま し た� 姉 の 通 � て い る 学 校 に 行 く と 姉 と 同 じ よ う に 気 軽 に 美 容 院 に 行 け な い 子 供 が 沢 山 い ま し た� そ れ を 小 さ い 頃 か ら 見 て い た 私 は� 障 害 の あ る 人 達 も 親 も 周 り の 目 を 高等学校の部 佳作 9:22:45 2016/02/10 47 ③高等学校&専修学校の部.indd 気にせずに気軽に来れる美容院を作�てあげたいと強く思 いました� 自分の中で夢が美容師になるということが決まり�今通� ている国際理容美容専門学校を受験することが決まりまし た� そ し て 今 こ う し て 美 容 師 に な る た め に 勉 強 を し て い ま す� それぞれ強い個性を持�た仲間がいてみんな同じ夢を 持 � て い て� こ の 学 校 に 入 学 出 来 て よ か � た と 思 い ま す� もちろん入学したては不安だらけで三年間や�ていけるか わ か り ま せ ん で し た� す ぐ に 実 技 試 験 が あ り と て も 緊 張 し て い た の を つ い こ の 間 あ � た よ う に 覚 え て い ま す� 一 年 生 の 中 で 何 度 も 実 技 試 験 が あ り ま し た� 何 回 か 不 合 格 だ � た こ と も あ り ま し た� そ の 度 に 自 分 は 本 当 に 立 派 な 美 容 師 に なれるのかと思いました� でもくじけそうになる度に自分がどうして美容師になり た い か を 見 つ め 直 し た り し て い ま す� そ の 他 に も 仲 の 良 い 友達と将来どんな美容師になりたいかやどんなサロンで就 職 し た い か を 話 し 合 � た り し て� ま た 夢 を 叶 え る た め に 頑 張ろうと思�て勉強しています� も う 入 学 し て か ら 約 二 年 が 経 ち 沢 山 美 容 を 学 び ま し た� 学んだ中で得意なものが出てきたり苦手なものもありまし た� 自 分 は カ � ト よ り 小 さ い 頃 か ら 好 き だ � た ヘ ア ア レ ン ジ が 得 意 で し た� 最 近 は 前 ま で 母 が 姉 の 髪 の 毛 を 切 � て い ましたが私が切�てあげられるまでになりました� 地 元 の 友 達 は 普 通 の 高 校 生 で� 自 分 は 高 校 生 と 美 容 学 生 を両立しています�その大変さにたまには普通の高校に通� ─ 47 ─ 専修学校の部 優秀賞 将来の夢 希 帆 東京エアトラベル・ホテル専門学校 二年 科 18 9:22:45 2016/02/10 48 ③高等学校&専修学校の部.indd 保 私の将来の夢は�長野の良さを長野県の駅を利用されるお 客様に発信していく駅員になることです�私は 年間長野で 暮らしてきて�専門学校入学を機に初めて長野を離れました� 初めは東京で一人暮らしをすることに憧れて上京したので� 毎日が新鮮なことばかりでした�しかし同時に�東京での時 間を過ごす中で�東京にはない地元長野の魅力を改めて感じ ることができました�長野を離れたからこそ感じることので きた魅力をたくさんの人に伝えていきたいと考えるようにな りました� 長野県の魅力を伝える方法はたくさんありますが�その中 で私は駅を通して魅力を伝えていきたいです�その理由は二 つあります� 一つめは�現在在籍している観光旅行科の授業で旅行プラ ンを作る機会があり�お客様を安全・安心に目的地まで運ぶ 鉄道に興味を持つようにな�たことです�旅行プランを作る 上で�初めはお客様に楽しんでもらうことに重点を置いて� どのような順番でどこの観光地を巡ろうかなどとプランを考 えていました�しかしプランを作る中でお客様に楽しんでも て 青 春 し た い な と 思 � た り も す る こ と が あ り ま す� 周 り の 友達の学校行事の話を聞くと�とても羨ましいです� 時々今頑張�ていることを全て辞めたいと思�てしまう事 もありますが�沢山の友達が応援していてくれたり�私が美 容師になれるように�この学校に通えているのも父が一生懸 命働いてお金を出してくれているので絶対に母が叶えられな か�た夢を叶えられるようにしようと思います� ど ん な 人 で も� か わ い く� か � こ よ く し て あ げ て� サ ロ ン を 後 に す る 人 達 全 員 が 笑 顔 で 帰 れ る よ う に� ま た 来 た い と思わせるような素敵な美容師になりたいと思います� も し 諦 め て し ま い そ う な 時 は� 周 り の 励 ま し や 支 え だ � た り� 初 心 に 戻 � て 気 持 ち を 切 り 替 え て 自 分 の 美 容 師 と な る 夢 が ぶ れ な い よ う に し よ う と 思 い ま す� こ れ か ら も き � と投げだしたい時があると思いますが今しか出来ないこと を し� 沢 山 勉 強 し 経 験 を し 学 ん で 立 派 な 美 容 師 に な り た い と 思 い ま す� そ し て 小 さ い 子 供 や� お 年 寄 り の 方� 障 害 の ある人達を笑顔に変えて喜んでもらえるようなサロンを作 りたいと思います� 高 等 学 校 の 部 佳 作 /専修学校の部 優秀賞 ─ 48 ─ らうためには�目的地まで安全に運ぶことも重要だと思うよ にしていました�届いてみると�手紙も一緒に入�ていまし うになりました�JR運賃の計算方法や�鉄道についての知 た�祖母からの手紙は初めてで�とても嬉しか�たです�ど 識を授業で学んだこともあり�交通機関の中でも一番身近な こにいても私を支えてくれている家族や祖父�祖母のために 鉄道に興味を持つようになりました� も立派な駅員にな�て恩返しをしていきたいです� 二つめは�現役の駅員の方の活躍を見て憧れを持�たから 自分が理想とする駅員になるために�今実践していること です�現在私は�中央線沿いの駅のホ�ムにある�ハニ�ズ があります�それは自分から笑顔で挨拶をすることと�国内 バ��というスム�ジ�を売るお店でアルバイトをしていま 旅行業務取扱管理者の国家試験合格に向けて勉強をしていま す�そのアルバイト中に電車の緊急停止ボタンが押されたこ す�挨拶は�あ�あかるく�い�いつでも�さ�さきに�つ とがありました�その時�ホ�ムを走り回り�トラブルに対 �つづけてを心掛けています�挨拶の仕方でその人の第一印 応する駅員の方々の姿を目にすることがありました�駅員の 象は決まると思うので�相手に良い印象を与えることのでき 方の素早い対応ですぐに電車は運転再開をすることができま るよう爽やかな挨拶を心掛けています� した�また�ごみ出しに行くときに通路の扉を開けたままに 国内旅行業務取扱 しておいてくださ�たり�すれ違う時はいつも笑顔で挨拶を 管理者の国家試験は してくれたりと�迅速な対応と親しみやすい存在である駅員 昨年も受験しました の方に憧れを持ちました�現在スム�ジ�を売るという形で が� 不 合 格 と な � て お客様と関わ�ていますが�駅員にな�て駅を利用されるお し ま � た の で� 今 年 客様と関わ�ていきたいです� は昨年よりも勉強に 力を入れて取り組ん また�私は一人暮らしを始めて感謝の気持ちを以前よりも 感じるようになりました�長野の実家で暮らしていた時は� で い ま す� 長 野 県 の ご飯や洗濯物�掃除など母親がや�てくれるのが当たり前に 知 識 は も ち ろ ん� 他 な�ていました�ですが�一人暮らしで家事全部を自分でや の都道府県のことも らなければいけなくな�てみて�改めて共働きで働きながら よ く 知 り� ま た 旅 行 家事をしてくれる母親の偉大さを感じました�それから私が 業についての知識を 上京して�いつも家族や祖父�祖母に支えられていたことを 深めています� 実感しました�一度�祖母が育てた桃と手紙を送�てくれた 来年からは社会人 ことがありました�私は祖母の桃が大好きで届くのを楽しみ の 仲 間 入 り を し ま す� 専修学校の部 優 秀 賞 ─ 49 ─ 9:22:45 2016/02/10 49 ③高等学校&専修学校の部.indd 決ま�ていた進路 学 生 生 活 で 学 ん だ こ と や� ア ル バ イ ト で 感 じ た こ と を 活 か いた�そして�仕事場に連れて行�てくれた叔母でさえ大変 し�長野県の駅を利用したお客様に長野にまた来たいと思� な仕事だから�と反対していたのだと母から聞いた�私はあ てもらえるように長野県の魅力を伝えていける駅員になり やふやな気持ちのまま進路を決めてしま�た自分をそのとき たいです� 責めた� 入学をすると�最初の一週間ひたすら線を描くことから始 まり�建築材料や製図の仕方など様々な授業を受けた�入学 前の自分の心境とは明らかに変化していた�新しいことを学 専修学校の部 佳作 ぶ度に興味を抱き�疑問を持ち�ワクワクしながら授業を受 ける日もあ�た�元々細かい作業をすることが好きだ�たた め�もはや定規で測れない世界を描くのが楽しか�た�建築 に関して無知のまま入学した為�初めて知�たことや初めて 青山製図専門学校 一年 経験することが多く�喜んで吸収する毎日であ�た� 甲 斐 あ す 香 私は最近�小さい頃のことをよく思い出すようにな�た� 何となく見ていた叔母の仕事している姿�これは橋を作�て いるのだと知り�こんな線の集まりが自分の何倍もの大きさ 小学生の頃�よく叔母が仕事場へ連れて行�てくれた�3 人兄弟の中で唯一�私だけ� の 形 あ る も の に な る の だ と 驚 い た こ と も あ � た� チ ラ シ に 入�ていた住戸の間取りを長い時間�ただ見つめていたこと パソコンの画面い�ぱいに線が描かれてあ�たこと�お菓 子をくれる優しいお兄さんがいたことしか印象になか�た� もあ�た�興味が無か�たと勘違いしていたが�小さい頃か 興味があ�た訳でもない�しかし�何故か小学校の卒業式で ら建築に自ら関わることさえあり�恵まれた環境で過ごせて �橋をつくる建築家になりたい�と言�ていた� いたことに気付いた� それから成長し�進路を決めなくてはいけない節目になる 建築は人間の生活に大きく関わ�ており�大昔から存在し� 度に頭を抱え�他の道に進もうかと思�たこともあ�たが� 影響を与え続け�現代では無くてはならないものにな�てい 趣味は趣味でしかなく�自分には建築の道しかないのだと謎 る�毎日口にする食事�食事をするための食材を買うス�パ� の使命感で今の学校に入学した�不安でい�ぱいだ�た�何 は建物にな�て存在している�怪我や病気をしたときに行く を学ぶのか全く想像出来なか�た�本当にやりたいことなの 病院だ�て建物である�私は今の進路に進み�建築に関する かが分からないままで良いのか�と入学ギリギリまで悩んで 知識や技術を学ぶのと同時に�このような当たり前過ぎて気 9:22:45 2016/02/10 50 ③高等学校&専修学校の部.indd 専修学校の部 優秀賞/佳 作 ─ 50 ─ 佳 づかなか�た�素晴らしいことにも気づくことが出来た�私 はこのように�人々の生活に大きく関わり�影響を与える分 野について学べていることをとても嬉しく�そして誇りに思 う�このような感動をまだ経験できていない人々や�これか らの未来に影響を与えられる仕事をしたいと思�ている� 今では叔母の隣でパソコンを並べ�同じソフトを開き�課 題をすることもある�それがまた嬉しくて�新しいことを学 ぶ機会でもある�この道へ進むき�かけを作�てくれた叔母 に感謝するとともに�この進路を選び�学ぶことが出来て本 当に良か�たと思�ている�これからも楽しみながら�成長 していきたい� ボランテ�ア活動で得たもの 春 東京エアトラベル・ホテル専門学校 二年 方 園児の保育の手伝いや昼食の配膳�教材の作成などでした� 内容の一つ一つはとても簡単なことでしたが�子供と接した り�子供に何か伝えたりすることはとても難しいことでした� 例えば�ボランテ�ア活動のル�ルの中に�子供に対して 指導をしてはいけないというものがあります�私たちは免許 や資格を一切持�ていないため�注意をしたり方法を教える ことは可能ですが�先生方のように子供を叱�たり�教育を することはできないのです�なので�子供と話をする前に言� ても良いことなのかを考え�そして子供にも伝わる言葉遣い に直してから話すため苦労しました� 他にも�子供に何かを伝える時にはきちんとした理由を添 えて話す必要がありました�例えば�単に �走�てはいけないよ�� と言うのではなく� �走るとお友達にぶつか�て怪我をしてしまうかも知れない から�走らないでね� など�どうしてこうしてはいけないのか�またこうするとど うな�てしまうのか�とい�た事を正しく伝えなければなり ません�これらの事は�頭では理解が出来ていても実際に子 供を前にすると�強い口調で注意をしてしま�たり�と�さ にだめだと理由を付けずに言�てしま�たりと�上手く話し をすることが出来ませんでした�私は自分に出来ない事が多 いことに悔しさを感じていました�すると保育園の先生はそ んな私の気持ちに気付き声をかけてくださいました�私が上 手く出来ずに悔しさ感じていると話すと� �私たちは仕事だからこれでお給料を貰�ているけれど�あ 9:22:46 2016/02/10 51 ③高等学校&専修学校の部.indd 緒 私は中学生と高校生の間に合計三回のボランテ�ア活動を しました�ボランテ�ア活動を始めたき�かけは�中学二年 生の時に授業で保育園へ行き�そこでの活動が印象的だ�た からです�その体験後�私は市で行�ているボランテ�ア活 動の団体に登録し�毎回その保育園で活動しました� 保育園では様々な事を経験しました�活動の内容は主に� 専修学校の部 佳 作 ─ 51 ─ な た は ボ ラ ン テ � ア だ か ら 仕 事 で は な い の� で は あ な た に サ�ビスというものは目には見えないので�お客様が買わ と�てのお給料は何か�それは経験と感謝される事なのよ�� れたものにいかに付加価値を付けることが出来るかが大切だ とお�し�いました�私はこの言葉に深く感銘を受けました� と思います�目に見えないものを提供することは難しいです 確かにボランテ�ア活動には報酬はありません�しかし�ボ が�保育園でのボランテ�ア活動が私に教えてくれた�経験 ランテ�ア活動でなければ�保育園で子供たちと触れ合う事 というお金には代えることの出来ない大切な事を意識して� も�保育士の仕事や働く事の大変さも知ることは出来なか� 何事にも挑戦したいです�また�社会人にな�てからも時間 たと思います�この言葉を聞いてから�私は何でも上手にす を作�て�また新しい経験のためにボランテ�ア活動に参加 るのではなく�多少の失敗があ�ても常に経験を大切にしよ したいと思います� うとする気持ちや�学び取ろうとする気持ちを持�て行動す ることが出来るようになりました� また�ボランテ�ア活動の最中には気が付きませんでした が�相手と会話をする時には�相手により正確に伝えるため に一度考えてから話すようにしたり�相手の立場に立�て物 事を考えられるようにな�ていたりなど�ボランテ�ア活動 の経験を通じて�自分自身の成長にも気付きました�そして 感謝されることで�次はも�と出来る事を増やして�また役 に立ちたいという向上心も生まれ�更に自分自身を成長させ ることが出来ました� 私は将来接客の仕事をし�サ�ビスを通じてお客様に満足 を提供出来る人になりたいと思�ているので�ボランテ�ア 活動で学んだ事を生かし�相手の立場に立�てより喜んで頂 けるサ�ビスを行いたいです� また�お客様の中にはお子様連れのお客様も多いと思うの で�その時には保育園で学んだ子供との接し方や言葉遣いを 思い出し�様々な年代のお客様にも丁寧な接客が出来るよう に心がけたいと思います� 専修学校の部 佳 作 ─ 52 ─ 9:22:46 2016/02/10 52 ③高等学校&専修学校の部.indd 平成 27 年度 作文コンクール 応募校一覧(応募数・入選数) (中学校の部) (高等学校・専修学校の部) 番号 区・市名 1 中央区 晴海中学校 2 文京区 音羽中学校 7 3 墨田区 両国中学校 10 1 大森第一中学校 1 大森第六中学校 9 4 5 大田区 学校名 応募数 入選数 4 1 番号 学校名 応募数 入選数 1 東京都立農芸高等学校 2 2 2 東京都立農業高等学校 10 1 3 東京都立瑞穂農芸高等学校 8 4 1 4 東京都立農産高等学校 10 1 5 東京都立大島高等学校 3 6 世田谷区 松沢中学校 7 6 東京都立田無工業高等学校 2 7 中野区 第七中学校 6 2 7 東京都立小金井工業高等学校 2 8 北区 稲付中学校 1 1 8 東京都立赤羽商業高等学校 10 9 荒川区 第七中学校 3 9 東京都立忍岡高等学校 10 10 練馬区 開進第四中学校 1 1 10 東京都立晴海総合高等学校 1 第五中学校 1 11 愛国高等学校 10 第六中学校 6 12 岩倉高等学校 5 13 蒲田女子高等学校 4 14 日本工業大学駒場高等学校 6 1 国際理容美容専門学校 10 1 11 12 足立区 3 13 亀有中学校 2 14 堀切中学校 10 一之台中学校 6 15 15 飾区 16 1 1 4 美中学校 2 小計 93 14 17 調布市 第四中学校 2 1 青山製図専門学校 9 1 18 私立 愛国中学校 計 4 1 2 中央工学校 2 82 13 3 二葉栄養専門学校 1 4 東京エアトラベル・ホテル専門学校 8 5 マリールイズ美容専門学校 2 1 小計 21 3 計 114 17 (まとめ) 区 分 応募校数 応募人数 入選数 中 学 校 18 82 13 高 校 等 15 93 14 専修学校 5 21 3 計 38 196 30 総 ─ 53 ─ ④作文集後付け.indd 53 2016/02/16 11:51:42 平成二十七年度 作文選考委員名簿 �順不同・敬称略� 市 区 学 立 立 院 第 江 高 七 南 中 中 等 学 学 学 校 校 校 長 長 長 一 平 正 美 晴 彦 竹 内 真 安 部 元 彦 佐 谷 肇 吉 川 泰 弘 武 田 尚 高 橋 進 石 坂 敦 子 庄 司 一 也 寺 島 京 子 出 井 玲 子 坂 詰 悦 子 金 子 勉 大神田 佳 明 入 山 賢 一 宮 下 みどり 深 井 明 美 飾区立 美中学校長 �中学校の部 委員長� 志 村 昌 孝 中 央 区 立 日 本 橋 中 学 校 長 平 松 功 治 熊 井 久 乃 立 飾 区 立 一 之 台 中 学 校 長 川 小 平 市 立 小 平 第 十 五 小 学 校 長 立 足 中 野 区 立 第 七 中 学 校 副 校 長 新 宿 区 立 新 宿 養 護 学 校 長 荒 川 区 立 赤 土 小 学 校 副 校 長 板 橋 区 立 上 板 橋 第 三 中 学 校 長 東 京 都 立 農 業 高 等 学 校 長� 高 校・ 専 修 の 部 委 員 長� 東 京 都 立 八 王 子 桑 志 高 等 学 校 長 東 京 都 立 江 東 商 業 高 等 学 校 長 東 京 都 立 鷺 宮 高 等 学 校 長 東 京 都 立 王 子 総 合 高 等 学 校 長 部 日 本 工 業 大 学 駒 場 高 等 学 校 教 諭 安 国 際 理 容 美 容 専 門 学 校 教 頭 東京都教育庁指導部義務教育指導課指導主事 東京都教育庁指導部義務教育指導課指導主事 馬 場 金 澤 大 森 14:06:02 2016/02/02 54 ④作文集後付け.indd 東京都教育庁指導部高等学校教育指導課指導主事 東京都教育庁指導部高等学校教育指導課指導主事 ─ 54 ─ 21 27 あ と が き 12 20 114 10 82 93 18 15 文をできる限り尊重いたしました�しかし人権に配慮し問 題のある表現や�明らかな誤字や脱字につきましては直さ せていただきました� 応募された生徒や学生の皆様からは日々の学習活動や 様々な体験活動の中から学び得たことを通して自分自身の 生き方や将来の夢を展望する作品が寄せられました�応募 された生徒や学生が作文を書くことを通して�自ら学ぶ意 味や将来への道筋を考える切�掛けとなり�これからの学 校生活の充実や将来への進路を考える一助となれば幸いで す� 最後に�この作品集が会員校のみならず�広く教育機関 等において活用されることを期待しております� 14:06:03 2016/02/02 55 ④作文集後付け.indd 11 10 平成 年度の作文コンク�ルにつきましては7月の応募 作品の募集に始まり�9月の第一次選考� 月の第二次選 考を経て受賞作品が決定されました� 月に選考結果の発 表を行い� 月に受賞者に対して表彰式を挙行いたしまし た�そして最後に作文コンク�ル入選作品集�明日に生き る�第二十六号を発行することができました� その間�応募してくださ�た多くの学校の生徒さんや学 生さんの作品に対する努力はもとより�ご指導いただいた 先生方�厳正な審査をしていただいた選考委員の諸先生方� さらに作文コンク�ルの運営等にご協力�ご尽力くださ� た多くの皆様方に心より感謝申し上げます� 今年度の応募作品数は中学校の部で 校 編�高等学校・ 専修学校の部で 校 編�高等学校 校 編�専修学校5 校 編�でした�昨年度と比較して特に中学校の部で 校 編の減少にな�てしまいました� この原因としては今年度�募集要項を見直して改訂した ため�その処理に時間がかかり募集案内の会員校への送付 が例年に比べて遅れてしま�たことが考えられます�生徒 指導上�各学校が夏季休業に入る前に十分に余裕をも�て 募 集 案 内 を 会 員 校 に 送 付 す る こ と が 必 要 だ と 感 じ ま し た� 来年度は日程管理を厳密に行い�学校にと�て余裕のある 募集案内の送付に努めます� この作品集の編集につきましては�それぞれの作品の原 52 ─ 55 ─ 明日に生きる 第二十六号 作文コンク�ル入選作品集 ― ― 東京都産業教育振興会 平成二十八年三月一日 発行 発 行 〒 一六三 ― 八〇〇一 ― 一 ― 東京都新宿区西新宿二 八 東京都教育庁都立学校教育部高等学校教育課内 電 話 〇三 五 ―三二〇 六 ―七二九 FAX ―三八八 一 ―七二七 〇三 五 印 刷 株式会社小薬印刷所 14:06:03 2016/02/02 56 ④作文集後付け.indd
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