Untitled - 東京都産業教育振興会

明 日 に 生 き る
第二十六号
作 文 コ ン ク � ル 入 選 作 品 集
―
―
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明日に生きる
�
作文コンク�ル入選作品集
�
目
次
第二十六号
講
評
志
村
昌
孝
1
金
子
勉
2
ペ�ジ
大田区立大森第一中学校
二年
男
澤
和
輝
5
選考を終えて
中学校の部
選考委員長� 飾区立 美中学校長�
選考をとおして
高等学校・専修学校の部
選考委員長�東京都立農業高等学校長�
表彰式の記念写真
中学校の部
最優秀賞
生き方を考える
優
秀
賞
四つの力
優
秀
賞
職場体験が教えてくれたこと
佳
作
夢
大
悟
直
希
葉
南
大田区立大森第六中学校
二年
佐
藤
真
智
7
足立区立第六中学校
三年
鏑
木
愛
美
8
愛国中学校
三年
浅
井
彩
華
中央区立晴海中学校
三年
遠
藤
佑
香
墨田区立両国中学校
二年
西
本
朱
里
由
依
中野区立第七中学校
三年
大
橋
中野区立第七中学校
三年
宮
﨑
北区立稲付中学校
三年
高
谷
練馬区立開進第四中学校
三年
安
部
佳
作
働くことの喜びと達成感
佳
作
全ては相手を考えて
佳
作
何かを想う気持ち
佳
作
栽培の楽しさとその技術
佳
作
校外講座で理科と技術を学んで
佳
作
物作りが夢に
足立区立第六中学校
三年
髙
足立区立第六中学校
三年
辻
飾区立堀切中学校
三年
木
橋
美
咲
村
茉
緒
村
真
夕
佳
作
職場体験から学んだこと
佳
作
ものづくりを通じて作る未来
佳
作
作物を作り育てるということ
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23 22 20 19 16 15 14 13 11 10
高等学校の部
最優秀賞
あの看護師さんのような看護師に
優
秀
賞
大きくなれた私
優
秀
賞
畜産を学んで
優
秀
賞
人工授精師を目指して
佳
作
笑顔がくれる力
佳
作
会計コ�スでできた夢
佳
作
夢を叶えたら
佳
作
私の進路
!
佳
作
農業
佳
作
馬との出会い
佳
作
命の尊さ
佳
作
専門教科の学習で学び得たこと
佳
作
将来の夢
佳
作
私の将来の夢
専修学校の部
優
秀
賞
将来の夢
佳
作
決ま�ていた進路
佳
作
ボランテ�ア活動で得たもの
ペ�ジ
沙亜羅
悠
衣
桃
子
愛国高等学校
三年
鯨
井
未
来
東京都立農芸高等学校
三年
鈴
木
晶
葉
東京都立瑞穂農芸高等学校
二年
五十嵐
香
月
ゆづき
東京都立瑞穂農芸高等学校
三年
佐
野
愛国高等学校
三年
石
川
愛国高等学校
三年
成
澤
愛国高等学校
三年
松
下
芙
由
理
香
実
莉
あす香
春
佳
希
帆
ペ�ジ
日本工業大学駒場高等学校
一年
髙
橋
ななこ
東京都立農業高等学校
二年
伊
藤
香菜海
東京都立農芸高等学校
二年
大
澤
萌
今日子
東京都立瑞穂農芸高等学校
四年
有
村
東京都立瑞穂農芸高等学校
二年
小
林
東京都立忍岡高等学校
三年
坂
本
国際理容美容専門学校
二年
早
坂
東京エアトラベル・ホテル
専門学校
二年
保
科
青山製図専門学校
一年
甲
斐
東京エアトラベル・ホテル
専門学校
二年
緒
方
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51 50 48
応募校等一覧表
作文コンク�ル選考委員名簿
あとがき
55 54 53
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1
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�何かを想う心�
を学んだことが述べられていました�これは�
講
評
普段の生活でも大変大切なことであります�体験を通して�
日常の生活に活かしていこうとする意欲が感じられました�
そして�もう一人の優秀賞の�鏑木
愛美さんの�職場体
選考を終えて
験が与えてくれたこと��では�パン屋さんに職場体験に行
き�自分の将来の夢である海外で働きたいという思いと照ら
中学校の部 選考委員長
し合わせて�自分の将来の職業について真剣に向き合�て考
えたことが述べられておりました��楽して稼げることはな
志 村 昌 孝
い�と�苦労して給料をもらうということを学び�自分の将
来に活かすことにつなが�たと語られた�選考委員も共感し
たものでした�
入選した作文の内容は�技術・家庭科の授業での体験的な
今 年 度 の 中 学 校 の 部 の 応 募 数 は� 学習や職場体験�ボランテ�ア活動などの体験的な学習から
八 十 二 編 あ り� そ の 中 か ら� 第 一
素直に感じたことや考えたことが語られ�その学び得たもの
次 審 査� 第 二 次 審 査 を 経 ま し て�
からこれからの生活への意欲や将来の夢や強い決意をも述
十 三 作 品 を 入 選 と し� 最 優 秀 賞 一
べたものであり�とても魅力があるものでした�また�未来
名� 優 秀 賞 二 名 を 選 考 い た し ま し
を担う皆さんの力強い姿勢が�大変頼もしく感じました�
た� ど の 作 品 も 甲 乙 つ け が た い 内
容 で あ り� 選 考 に あ た � て は 委 員 これからの社会は�ますますグロ�バル化し�多様な価値
観と協働していくことが求められます�そのような中で�こ
を悩ますものでした�
れからの人生をどのように拓いていくのか�自らの生涯を生
今回�最優秀賞を受賞した�男澤
和輝さんの�生き方を
き抜く力を�この中学校の生活の中で培�ていくことが求め
考える��は�職場体験に児童館に行�た体験が述べられた
られます�
作文でした�
中 学 校 は� 自 分 は ど ん な 良 さ が あ る の か� 個 性 を み つ け�
人の言葉や行動に流されてしまいがちな自分を変えてい その個性を磨き�伸ばすところです�そのような点では�こ
こうと�自分で体験先を決め�そして体験先では�小さな子
こに受賞された皆さん�個性あふれる人ばかりです�これか
と遊んだり�その保護者と話をしたりする中で�主体的に考
ら の 時 代 を 担 う 皆 さ ん に は� よ り よ い 社 会 を 築 く 一 員 と し
え行動している自分の達成感を素直に感じたことが語られ
て�また幸福な人生を創り出していくよう�これからも皆さ
ておりました�
んの個性を磨き�伸ばしてほしいと期待しております�
また�主体的に働くことの大切さに触れ�自分の生き方に
おいて見つめることで�周りの人に左右されずに�自分の意
志で決めていく生き方をしていくことが力強く語られ�その
決意が選考委員に伝わ�てくるものでした�
さらに�優秀賞の�佐藤
真智さんの�四つの力��では�
病院での職場体験で学んだ四つのこと��笑顔�
�協力�
�苦労�
─1─
作品が最優秀賞や優秀賞�あるいは佳作として選ばれたと言
えます�この点では�専修学校の部において�そのことを強
選考をとおして
く述べた作品が少なか�たことは残念でした�専門高校�専
修学校の目的は��スペシ�リストの育成�です�この点をし�
高等学校・専修学校の部
選考委員長
かりとおさえた上で�日頃の学習や体験に臨み�将来につな
金
げてい�てもらいたいと思います�
子
勉
これから様々な場面で文章を書いたり�進学や就職試験な
どの面接の場で話をすることがあると思います�こうした視
点から文章や話の構成を考えると良いと思います�何よりも�
今年度は�高等学校の部で九十三
自分の生き方の軸がし�かりとしてくることと思います�
編� 専 修 学 校 の 部 で 二 十 一 編 の 応
作品を応募するにあた�て心がけておいていただきたいこ
募 が あ り ま し た� そ の う ち� 選 考
とがあります�それは��自分の作品を読んでいただく�と
委 員 会 で 慎 重 に 審 査 し た 結 果� 高
いう気持ちを持つことです�応募方法の�作成上の注意�に
等 学 校 の 部 で は� 最 優 秀 賞 一 名�
優 秀 賞 三 名� 佳 作 十 名 の 計 十 四 名� �自筆で作品を書く場合はHB以上の濃い鉛筆等を用いて丁
寧に�鮮明に書くこと�とあるようにこのことは応募にあた�
専 修 学 校 の 部 で は� 優 秀 賞 一 名�
ての基本的なマナ�です�また�文字数についても�原稿用
佳作二名の計三名を入選者として決定しました�
紙�四枚以上六枚以内とする�とな�ていますが�たくさん
どの作品からも現在在籍している高等学校や専修学校にな
書けば良いというものではありません�例えば�最初は原稿
ぜ入学することにしたのか�そこでどのような学習や経験を
用紙七�八枚くらいに書いてみて�それを五枚程度にまとめ
積んできているのか�そして�自分の将来をどのように描こ
ていくと洗練された読み手に感動を与える文章が出来上がる
うとしているのか�そうい�たことが伝わ�てきました�
と思います�
募集要項では�作文の内容について��学習を通して体験
最後になりましたが�今回の作文コンク�ルへの応募を通
したことを踏まえて�そこから得た人生観・職業観�自己の
して現在の学校における自分の在り方�生き方について考え
将来に対する考え方・心構え等について述べたもの��と書
を深め�将来への方向性を明確にすることができたとしたら
かれています�なぜ現在在籍している学校に入学したのか�
幸いです�また�ご指導をされてこられました先生方には感
その学校で何を学び�何を体験し�何を考えてきたのか�そ
謝申し上げるとともに�これからも生徒たちの希望あふれる
の学習や体験や考えてきたことを将来に向か�てどうつなげ
未来に向か�てご指導のほど�宜しくお願いいたします�
ていくのか�そうした過去・現在・未来が具体的で明確であ
り�将来につなげていこうとする強い思いを伝えられていた
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平成 27 年度 作文コンクール表彰式(中学校の部) 12 月 15 日 東京都産業教育振興会
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平成 27 年度 作文コンクール表彰式(高等学校・専修学校の部) 12 月 15 日 東京都産業教育振興会
た�僕は�児童館や保育園を第一希望にした�それを見た友
中学校の部 最優秀賞
だちからは�意外だと驚かれた�このとき�周囲から見られ
て い る 自 分 と� 自 分 が 思 � て い る 自 分 は 全 く 違 う の か な と
思�た��自己理解�の授業の中で�友だちも�自分�てこ
生き方を考える
んな風に見られているんだ��と言�ていた�いつも一緒に
大田区立大森第一中学校
二年
行動している友だちでも�知らない一面がたくさんあるのか
男 澤 和 輝
なと思�た�
体 験 場 所 が 発 表 さ れ た� 児 童 館 に 行 く こ と が 決 ま � た と
き は 嬉 し か � た� 班 長 に も 立 候 補 し て� 頑 張 � て み よ う と
自分のことは好きだ�そんな僕が�一つだけ直したいこと
を挙げるとすると��人の言葉や行動に流されてしまうこと�
思�た�なぜこの職業を選んだかというと��一番身近な職
だ�友だちが辞めたからという理由で�部活も辞めてしま�
業だから�というのが大きい�つい最近まで�児童館で遊ん
た�将来のことを考えたとき�このままでいいのかと�つく
で い た し� 休 み の 日
づく思う�
は一日児童館にいる
ことも少なくなか�
第二学年の総合的な学習の時間は��生き方について考え
よう�というテ�マで学習をしている��なぜ�人は働くの
た� 児 童 館 に 行 け
だろう�という小テ�マでは�一人暮らしをするのに必要な
ば�必ず友だちがい
お金や家族への職業観インタビ��を通して�働く目的につ
た� 困 � た と き は�
いて考えた��自己理解�という小テ�マでは�自分の特性
スタ�フの人が優し
や職業に対する適性について考えた�こうい�た授業内容が
く助けてくれること
増えたことで�友だちと志望校について話すことが多くな�
も あ � た� 僕 に と �
た�志望理由を聞くと�お兄ち�んが通�ているから�近く
ての�第二の学校み
だから�親が勧めるからと答える仲間が多く�僕もその一人
たいな存在が児童館
だ�今考えれば�将来の生き方さえも�人の言葉に流されて
だ�た�そんな�よ
いたのだと思う�
く知�ている場所で
体験してみたいと
思�たのは�自然な
そんな中�総合の授業で�職場体験�の取り組みが始ま�
た�職場の希望調査は�体験してみたい産業を書くものだ�
中学校の部 最優秀賞
中学校の部 最優秀賞 男澤和輝君の朗読
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流れだ�たように思う�
長く使いたくなるよね��と�児童館での工作は�みんなの
ために作�たのに��というのはウソではない�でも��み
職場体験当日�職場の方々に挨拶をし�最初の仕事に取り
組んだ��赤ち�んタイム�という�生後間もない小さな子
んなのことを思�て主体的に作�た�わけではない�だから�
た ち と 遊 ん だ り� そ の 保 護 者 と 会 話 し た り す る と い う も の
�大切に使いたい�と思わせることができなか�たのかなと
だ�た�保護者の方たちは�僕の名前の由来や母親のことを
後悔した�技術の授業で学んだことは�働く�て何だろうの
どう思�ているかなど�これまであまり考えたことのないこ
答えの一つかなと思う�そのことを思い出してから�児童へ
とを聞いてきた�受け答えに苦労したけど�なんだか楽しい
の接し方を変えてみようと思�た��こ�ち来て���ブロ�
気持ちにな�た�誰かに必要とされることは�すごく気持ち
クで遊ぼう�と�同時に声を掛けてきたとき��後で行くか
のいいことだな�と改めて思�た�
ら待�ていてね��と言�ても�納得してくれない�そこで�
同じ言葉でも視線を合わせて�気持ちを込めて言うようにし
�赤ち�んタイム�は一時間だ�た�児童がや�てくるの
は三時ごろ�それまでの時間は休憩かと思�ていたが�違�
た�不満そうな顔はするが�静かに待�ていてくれるように
た�児童への配布物を作�たり�工作の準備をや�たり�遊
な�た�
びに来ていたときには想像もしていなか�た仕事だ�た�作
帰りの会では紙芝居を読むことにな�ていた�このときは
る量の多さに投げ出したい気持ちにな�た�やすりでプラス
国語の授業で落語を発表したときのことを思い出した�登場
チ�クの板を削�ているときは�水ぶくれの痛さに悩まされ
人物になりき�て語るためにはどうするか�いろいろと工夫
た� ス タ � フ の 方 が こ ん な 苦 労 を し て い た と は 知 り も し な
をした�その経験が役に立�た�一生懸命に読む僕の方を見
か�た�
つめる子どもたちの視線は�すごく恥ずかしくもあり�嬉し
くもあ�た�
三時になり�子どもたちが遊びに来た�僕たちの存在に困
惑していた子どもたちも�作�たものを渡すと�笑顔で受け
三日間の職場体験はあ�という間だ�たが�大切なことを
取�てくれた�しかし�僕が苦労して作�たものを平気で投
学んだ�それは�主体的に行動するかどうかが�仕事への達
げ捨ててしま�ている子たちを見て�怒りを通り越して�あ
成感や結果を大きく左右するということだ�そして�主体的
きれてしま�た�みんなのために作�たのに��そのとき�
に行動するためには�これまでに学習してきた知識が土台に
ふと去年の技術の授業を思い出した�自分たちが作�た本棚
なる�苦手だからと何となく取り組んでいる教科でも�社会
を研磨紙で磨く僕たちに�技術の先生がこんな話をしてくれ
に出たときに役に立つ場面は多いように思う�身近な施設で
た��研磨の作業は地味だけど�ここで気持ちを込めるんだよ�
あ�た児童館は�人の言葉や行動を参考にし選んだ�自分が
いい作品になれ�て気持ちで磨いてあげたものは�や�ぱり
本当にやりたい職業だ�た�そしてスタ�フや訪れた保護者
中学校の部 最優秀賞
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四つの力
の方々のおかげで主体的に働くことができた�これからも�
た�たの三日間でしたがそれでも学んだことはたくさんあり
そんな生き方をしていきたい�
ました�
一つは�笑顔の力です�職場体験中の三日間どの部門へ行�
僕は今�もう一度部活を始めた�今度は自分の意思で決め ても�誰にインタビ��をしても皆さん笑顔で私たちに接し
た�職場体験を通して�自分の生き方を見つめることができ
てくれました�病院職は一種のサ�ビス業ともいいますが�
たような気がする�
そ の 笑 顔 は と て も 気 持 ち の い い も の で し た� も し� 入 院 し
てしま�たときにお医者さんや看護師さんが笑顔ではなく�
怒�た顔で診察をしにきたら�私だ�たら体だけではなく心
中学校の部 優秀賞
の中まで暗くな�てしまうと思います�それが笑顔だ�たら
安心して自分が今が痛いのかや何が気にな�ているのかを話
せるのではないでし�うか�病院で働く人たちは技術で体を
救うだけではなく�その笑顔で患者さんの心までも救�てい
大田区立大森第六中学校
二年
るのだと分かりました�
佐 藤 真 智
二つめは�協力することで大きな力が生まれるということ
です�病院内は�受付の方のあいさつから始まり�医師に診
察してもらい�入院すれば専門医にみてもらい�看護師がケ
�ここで働く人は皆�協力して患者さんを支え�守�てい
ます�だから�その患者さんから感謝の言葉をいただくと勇
アしてくれて�資料などは事務の方々が整理してくれていま
気をもらえ私たちも元気になります��
した�つまり�患者さん一人一人のために何人もの人が動き
支えていたのです�患者さんを守るのだと心を一つに医師も
これは�私が職場体験に行�た東急病院でインタビ��を
した時にいただいた言葉です�この言葉一つからでも働くと
看護師も専門医もそして事務の人も全員で力を合わせていま
いうことがどれだけ大変でどれだけやりがいのあるものなの
した�その姿に私はとても感動しました�
かが分かります�患者さんの�何人もの命を体を心を預か�
三つめには�どんな仕事も楽ではないということです�特
ている病院で働く人たちは患者さんを第一に考え全力で働い
に病院は命を預か�ている場所なのでより一層大変さを感じ
ていました�
ま し た� 三 日 間 し か 体 験 し て な い 私 が 思 う く ら い で す か ら
き�と毎日働いている大人たちはさらに大変なのだと思いま
す�でも�その大変さもストレスも仕事仲間で分け合�て�
この職場体験で私達は三日間�管理部門�診療技術部門�
看護部門�とそれぞれ一日ずつ体験させていただきました�
中 学 校 の 部 最 優 秀 賞/優 秀 賞
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職場体験が教えてくれたこと
職業でも同じ疑問が浮かん
だ�その疑問の答えを出そ
うとすると�私の将来の夢
にたどりついた�
大変さをやりがいに変えてい�ているのではないかと思いま
した�そのやりがいで次の仕事に向か�て進み続けているの
だと感じました�
足立区立第六中学校
そして最後は�皆�何かのために�働いているのだという
三年
ことです�その�何か�は自分だ�たり患者さんだ�たり家
鏑 木 愛 美
族だ�たり�その人や職業によ�て違うとは思いますが�そ
れを守りたい�支えたい�大切にしたいという思いは皆一緒
私 は�� 仕 事 � と い う も の に と て も 興 味 が あ る� 働 い て�
なのではないかなと思いました�人に動くと書いて�働く�
お給料をもらう�とても簡単そうに聞こえるが�実際はそう
と書きます�自分のために勉強して�人のために働く�私た
ではない�私はそれを�二年生のときの職場体験で知�た�
ちの人生というものはすごく大きなものなのではないかと感
私の職場は�パン屋さんだ�た�そこは�とても明るい雰
じることができました�
囲気で�優しい方ばかりだ�たが�ず�と立ち�ぱなしのう
この四つはいつか絶対自分の力になると思います�笑顔�
え�お昼休憩は�三十分程というスケジ��ルだ�た�足が
協力�苦労�そして何かを想う心�学校生活の中でも生かせ
棒のようにな�てしまい�とても疲れた�職場体験でこの疲
ることは山ほどあります�笑顔で仲間に接すること�協力し
れなら�毎日ここで働いている人は�も�と疲れが溜まるだ
て皆で何でも乗り越えていくこと�苦労をやりがいに変えて
ろう�そう思うと�仕事を甘く見ていたと�強く反省した�
いくこと�何かを想�て動くこと�ちりも積もれば山となる�
体験中�ふと考えたことがある�ここには�英語を話すこ
どんなに小さいことでも積み重ねていけば必ず自分が大人に
とができる人はいなさそうなのに�外国人のお客さんが買い
な�たときに役に立�ていくのではないでし�うか��働く�
に来たとき�どうい�た対
ということはまだ中学生の自分からしたら少し遠い未来のこ
応をするのだろう?と�そ
となのかもしれませんが�あと二年もしないうちに自分で働
う考え始めると�パン屋に
ける年齢にな�てしまいます�そう考えると意外と遠くもな
と ど ま ら ず� い ろ い ろ な
いのかもしれません�だから�これから出会�ていくであろ
う大きな山場を乗り越えられるように今から少しずつでも大
人に近づいていけたらいいなと思います�今回学んだことを
忘れずに�今日を明日を歩んでいきたいです�
中学校の部 優秀賞
─8─
に�どうい�た行動が最善なのかを�冷静にな�て考えるこ
私の将来の夢は�海外で働いて�日本と海外を結ぶ架け橋
となること�具体的には�まだ決ま�ていないが�例えば�
とができた�
通訳者�外国の本を�日本語に訳して�日本に外国の文化を
よく�
�楽して稼ごう��なんて言う人がいるが�楽して稼
伝えたり�日本のア�テ�ストが�海外巡業をした際�通訳
げるなんて�まずありえないし�楽して稼いだところで�は
として�両国のコミ�ニケ�シ�ンが円滑に進むようにする�
たして本当にそれが�自分のためにな�ているのか考えたと
き�自信を持�て�はい�と答えられるのか�職場体験に行
私は今�将来のそうい�た夢のために頑張�ている�英語
の授業はもちろん�英語技能検定を受験したり�海外との交
く以前の私だ�たら�楽して稼ぐことを考えたかもしれない
流ツア�に参加したりしている�それに�高校も�英語に力
が�体験を終えた今�苦労して給料をもらうという仕事の本
を入れているところに進学を決めている�
質を学んだ私は�自信を持�て�いいえ�と答えることがで
きる�それが�私自身の心の成長の証でもあり�経験から学
職場体験を経験したおかげで�将来就こうと考えている職
業に�真剣に向き合い�生半可な気持ちを�切り捨てること
んだ道徳であると考えている�そして�この考えを�私の頭
ができた�
の中だけにとどまらせず�私の身の周りの人間に広めていき
たい�
日本は今�海外に進出し�多くの国々から認められつつあ
る�そこで�英語が達者な日本人を�これからも増やしてい
中学二年生という�そろそろ将来について考え始める時期
くことが大切にな�てくる�すると�自然と国内に英語が広
に�職場体験というのは�とても良い機会だ�た�私は�そ
まり�簡単な会話程度なら�誰でも話せるようにな�てくる
こで�多くのことを経験し�学び�考え�それを自分の将来
だろう�そうすると�小規模の店に�外国のお客さんが来店
のために生かすことができた�これから先の人生で�たくさ
しても�し�かりとした対応をすることができる�そう考え
んの大きい壁が目の前に立ちはだか�たとしても�いつも自
ると�一つの結論に至�た�
分の経験を信じ�壁を乗り越えていく�その心構えで�自分
の進むべき道を突き進み�今の目標にたどりつきたい�その
�何年かか�たとしても�日本と外国との交流をさらに深
め�片方の国の人が�もう片方の国を訪れた際�どんな場所
ために�今できることに精一杯取り組み�経験をたくさん積
でも親切かつスム�ズに�コミ�ニケ�シ�ンがとれるよう
んでいきたい�
な国際関係を築きたい��
これは�私が実際に友だちに言�た言葉だ�職場体験を経
て仕事の大変さを実感し�自分の将来を見据えて�現段階で
何をすべきなのかを知�た�そして�これからの日本のため
中学校の部 優秀賞
─9─
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夢
辛い経験も人生の中で人を変える大切な経験なのではないか
中学校の部 佳作
なと思いました�私は八年前のこの出来事をき�かけに妹か
ら家族から看護師になりたいという夢をもらいました�また�
この頃から命のおもさについて考えるようになりました�
そして一年後�妹も元気になり私が小学校二年生にな�た
愛国中学校
三年
頃でした�何日か前から歩く際に左足の股関節部分に痛みを
浅 井 彩 華
感じていました�そして数日後�痛みにたえきれなくなり私
は歩くことも難しくなりました�次の日�病院に行き検査が
行われました�そして私は股関節炎であることがわかりまし
私には�小さい頃からの夢があります�それは�看護師に
なることです�私が看護師になりたいと志したのは私にと�
た�ひどくなると妹と同様に化膿してしまい手術しなくては
て大きな出来事がき�かけでした�
なりません�でも私は化膿の一歩手前の水がたま�てしま�
ている状態だ�たので安静にしていれば治ると担当医師から
八年前�念願だ�た妹も生まれ�妹が生まれて一年が経つ
頃でした�家族の皆が妹の一日一日の成長が楽しみでした�
伝えられ安心しました�
首がすわ�て�立つようになり�歩くようになり�そんなあ
この股関節炎にな�たことは私の夢をより大きくしまし
る日�妹の歩き方がおかしいと父が異変に気づきました�そ
た�歩けなくなり不安でい�ぱいだ�た時期もありました�
して�次の日�病院に行き検査が行われました�検査の結果
でも�そんな時たくさんの人が私を支えてくれました�担当
から妹は化膿性関節炎であることがわかりました�化膿性関
医師の先生�何度も何度も声をかけてくれて励ましてくれた
節炎とは関節内に何らかの原因で細菌が入り�関節内が化膿
看護師の方々�クラスメイト�学校の先生�そして家族�私
してしまう病気です�医師からは一�月の入院と手術をしな
はたくさんの人に支えられ一�月以上の松葉杖との生活を終
くてはならないと伝えられました�私にと�て妹は初めてで
え歩けるようになれました�小さな出来事が私の夢をより大
きた大きな存在でした�妹に対して自然と守らなければなら
きくした瞬間でした�この病気をき�かけに仲よくな�たあ
ないという強い気持ちがありました�だから�入院と手術の
る一人の看護師の方がいました�病院へ行くと励ましてくれ
一�月間は妹にと�ても私たち家族にと�ても�忘れられな
て�いつの間にかその看護師の方に憧れていて私もこんな人
い辛い一�月間となりました�でも�この一�月間で家族が
になりたい�こんな看護師になりたいと思�ていました�だ
助け合�て支え合�て�絆が深ま�たような気がしました�
から私は看護師になりたいという夢は家族や色々な方々から
いただいたプレゼントだと思�ています�でも叶えるのは自
この�八年前のことをき�かけに楽しいことだけではなく
中学校の部 佳作
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藤
佑
香
中央区立晴海中学校
三年
遠
私は中学二年生の二学期�職場体験として学校近くの老人
ホ�ムへ行きました�まだ中学生の私が役に立つかといえば�
そうではないかもしれないけれど�自分に与えられた仕事を
一生懸命やりました�
そこでの主な仕事内容は�タオルをたたんだり�昼食やお
やつを配る地道な仕事や�施設を利用している高齢者の方と
し�べ�てコミ�ニケ�シ�ンをと�たり�レクリエ�シ�
ンの手伝いをすることでした�これらのことは一見簡単そう
で�だれにでもできそうですが�実際に職場体験をしてみて�
簡単ではない�とても大変なのだということを思い知らされ
ました�
その中でも私が最も大変だと思�たのは�一緒にし�べ�
てコミ�ニケ�シ�ンをとることです�私は普段から友達と
し�べることが好きで�毎日たくさんのことを話しますが�
やはり�同年代の友達と話すのとはわけが違うようで�とて
も難しか�たです�
まず�大前提として�当然ですが�友達ではない�自分よ
りも何十年も長く生きてきた人生の大先輩であるということ
を頭に入れなくてはなりません�これは�その老人ホ�ムで
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働くことの喜びと達成感
分自身です�
この二つの出来事を通して夢を叶えるためには限界を自分
自身で決めないことだと思います�努力が必ず報われるかど
うかはわかりません�でも�その努力は絶対に無駄にはなら
ないと思います�努力をして結果が出なか�たのなら何度も
努力をして挑戦すれば良いと思います�何でも諦めずに挑戦
して前に進むことが限界を自分自身で決めないことだと思い
ます�私は�辛くな�た時�何もかもがどうにでもよくな�
てしま�た時�自分だけが辛いのではないと思うようにして
います�世界中には自分と同じように辛い時でも前に進んで
いる人はたくさんいる�このように思うことによ�て自分だ
けではない�頑張ろうと思えるようになれるからです�
将来�私自身がどんな人にな�ているか自分でも想像出来
ません�看護師にな�てたくさんの人の支えにな�て�あの
時出会�た看護師の方のようになれていれば一番嬉しいで
す�もしかしたら違う職についているかも知れません�どん
な自分でも自分は自分です�一生つき合わなければいけない
ものだと思います�私は将来どんな自分でも誇りを持てるよ
うに今から�最善の努力をして恥じない人間になれるように
努力していきたいです�そして�私に夢をくれた家族や看護
師の方々�たくさんの人に恩返し出来れば良いなと思�てい
ます�
中学校の部 佳作
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働いていて�職場体験として来た私たちの�担当の方にも言
ること�これも大変でした�気さくで明るく話しかけて下さ
われました�しかし�先輩だ�目上の方だと強く思�てしま
る方もいれば�気難しくて�なかなか話をして下さらない方
うと�それはそれで緊張してしまい�話せなくな�てしまう
や�おとなしくてレクリエ�シ�ンなどにも参加せず�静か
のです�
にしている方もいました�二�三十人も人がいれば当然のこ
とですが�この人はこういう性格だから�こうや�て話しか
また�私と�高齢者で施設を利用している方々とでは�あ
たりまえのように年齢が何十歳と違うので�話題を探すのに
ける�あの人はき�と静かにしているのが好きなようだから�
も苦労しました�私が普段友達と話すようなマンガのことや�
そ�としておこうなどと�一人一人の性格を理解した上で行
音楽のことで利用者の方々を楽しませられないのはあきらか
動するというのは難しか�たです�しかし�名前や性格を覚
なので�だれとでも話せるような�趣味や好きなものなどの
えて�一緒に話をして�そしてその人が楽しんでくれると�
話をしました�
とてもうれしか�たです�
そ し て� こ の 利 用 者 の 方 々 と 話 す こ と に お い て 最 も 大 変 この四日間の職場体験で私は�大変なことをたくさん経験
だ�たことが他にあります�それは�利用者の方々一人一人
しました�正直明日も行くのか�やだな�と思うこともあり
の名前を覚えて�性格を理解することです�私がそのとき職
ました�しかし�私と話して利用者の方が喜んで下さ�て�
場体験をさせていただいた部屋は�かなり大きな部屋で�そ
笑顔を見せて下さると�あ��頑張�て良か�た�と思いま
こに二十から三十人ほどの人がいました�そんな一クラス分
した�き�とこの仕事に就いている方々は�この笑顔や�頑
ほどの人数の名前を覚えるのは大変なことでした�しかも�
張�た後の達成感のために働いているのだろうということ
昔の名前は今�私たちがよく聞くような現代風の名前ではな
を�た�た四日間でしたが感じることができました�
い の で� 漢 字 の 読 み
私は�今は将来の夢というものがありませんが�早く職場
方 が 難 し か � た り�
体験で感じたような達成感を感じられるようなことを見つけ
あまり聞いたことの
て�それを将来の仕事にできるよう努力したい�と思いまし
ない珍しい名前が多
た�それにはき�と�この職場体験で経験した苦労や�達成
く� 最 初 の 方 は� 名
感�喜びなどが役立つのだと思います�勉強や�すべきこと
前を間違えてしま�
をすれば�何にでもなれる�そんな可能性をもとに�これか
た り� 失 敗 も し ま し
ら将来�自分が最も幸せになれる道に進みたいと思いました�
た� そ れ か ら� 一 人
一人の性格を理解す
中学校の部 佳作
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全ては相手を考えて
マクドナルドは非常に笑顔を大切にしている会社です�です
ので�私も様々な仕事を行う時も�常に笑顔を意識してみま
した�すると�昨日と同じ仕事を行�ているにもかかわらず�
仲間と声かけをし合�て今までより早く商品を届けられるよ
墨田区立両国中学校 二年
うにな�たり�お客様とも元気に会話できるようになりまし
西 本 朱 里
た�笑 顔 とは受ける相 手 を良い気 分にさせるだけではなく�
それを行�ている側にもパワ�を与えてくれる非常に素晴ら
しいものなんだと気づくことができました�
私は�七月八日・九日・十日の三日間�職場体験学習でマ
クドナルド両国西口店さんへ行�て�体験をさせてもらいま
三日目のテ�マは�ホスピタリテ��です�ホスピタリテ�
した�その三日間はある一つのテ�マにそ�て仕事を行いま
とは�何気ない心配りや気づかいができる心をも�て�お客
した�
様をおもてなしすることです�私はそれを意識して�お客様
を見てみることにしました�すると�ゴミを捨てようとサン
一日目のテ�マは�クレンリネス�でした�クレンリネス
とは�いつも美しく衛生面の整�た環境を作る�いわゆる空
キ��BOXに並んでいる女性がいました�なので�私は
間作りのことです�マクドナルドでは頻繁にラウンド�店内
�もらいます�
�
清掃�を行います�ちなみにラウンドとはマ�ク用語であり�
と言�てかわりにゴミを片付けました�すると�女性から
その言葉には一つ一つ特別な意味が込められています�クロ
�ありがとう�とても助か�たわ�
�
ス�ぞうきん�で机やイスをふいたり�サンキ��BOX�ゴ
と言�ていただけました�お客様の気持ちを考えておもてな
ミ 箱 �にゴミがたま�たら す ぐにパ�クライナ�� ゴミ袋 �
しをすることができ�それが�お客様にち�んと届いたこと
の入れ替えをします�自らラウンドを行うことによ�て�こ
は本当に嬉しか�たです�
の仕事をいつもすばやく丁寧に行い�お客様が快適に過ごせ
今回の職場体験学習で学んだ三つのことは�全てがお客様
る空間を維持しているスタ�フの皆様に私は驚くと同時にと
のための行動でした�ただ仕事をこなすだけではなく�どう
ても感心しました�
すればよりお客様に喜んでもらえるかを常に意識しているか
らこそ�サ�ビス・ホスピタリテ�方針にかな�た行動がマ
二日目のテ�マは�サ�ビス�でした�サ�ビスとは�明
るく�大きく爽やかな声で�笑顔を絶やさず�少しの会話で
クドナルドで働いている 人 達はできているのだと思いま す�
も楽しく話す�このようなお客様を最高の気分にさせる行動
私もこの三日間で学んだ経験を忘れずに�相手の気持ちを考
のことです�スマイル0円というおなじみのフレ�ズの通り�
えて行動したいと強く感じました�
中学校の部 佳作
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何かを想う気持ち
�アリガトウ�大すき�
と書いてある手 紙 をもら
い� そ れ が 何 よ り も 嬉 し
か�たです�二日目の体験
中野区立第七中学校 三年
を通して�五才児は�私が
大 橋 由 依
いつも普通に行�ている書
くことや読むことなどが一
人でできることが一番の発
私は�中 学二年 生の時に�保 育 園で職 場 体 験をしました�
私は�子供と触れ合�たりするのが好きなので�とても楽し
見であり驚きでもありまし
みでした�
た�
職場体験は�三日間行われ�一日目は0才児クラス�二日 三日目の三才児クラスで
目は五才児クラス�三日目は三才児クラスの担当をしました�
は�プ�ル入水後に子供に
タオルを巻いたり�子供の水着の水気をと�て並べたり�昼
一日目の0才児クラスでは�子供の世話や昼寝のための布
団の準備などをしました�0才児は�人見知りな子供が多く�
食後の後片付けなどしました�三才児は�友達同士の意見の
仲良くなるのが大変でした�また�まだ言葉を話すことがで
くい違いによりケンカが多く�それを止めることが一番大変
きないので�自分の考えを理解してもらうのに苦労しました�
でした�しかし�三才児は�順番やル�ルを守れている子供
一日目の体験を通して�0才児は�一人一人考え方や感情に
が多くて�とても驚きました�三日目の体験を通して�三才
違いがあるので�子供によ�て接し方を変える必要があるこ
児は�
�ヤダ�や�イイヨ�など�自分の感情を友達に出すこ
とを知りました�
とができることが分りました�
二日目の五才児クラスでは�昼食のためのいす並べや�昼 今回�保育士の体験をして�色々なことを学ぶことができ
寝前のトイレへの誘導など�一日目より仕事が沢山ありまし
ました�例えば�子どもがキレイで快適な環境で過ごせるよ
た�五才児は�0才児に比べて�人見知りが少なく�楽しく
うに�子供達が日頃使�ているおもち�やいす�机などをふ
遊んだり�話したりすることができました�また�五才児は
いたり�らく書き帳や折り紙�行事で使う小物を作�たりす
外で遊ぶ子供が多く�かくれんぼや鬼ご�こをしました�私
ることを�子供達が昼寝をしている間に行う�これらは地道
は久しぶりに外で遊んだので�とても楽しか�たです�そし
なことで大変ですが�保育園で子供を預か�ているという責
て二日目の体験終了時に二人の五才児に�
任 を 感 じました�また�ただ 子 供 と一緒に 遊ぶだけでなく�
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栽培の楽しさとその技術
子供達に生活に必要な習慣を身につけさせたり�友達と触れ
合う中で�色々な人と共感できる心を育てたりと�様々な役
割があることが分りました�
中野区立第七中学校
私は�保育園の職場体験で学んだことを通じて�保育士に
三年
一番大切なことは�
�子供を想う気持ち�だと思います�二日
宮
大 悟
目に五才児に手紙をもら�た時�私は嬉しい�と思�たのと
同時に�
僕が栽培を好きにな�たき�かけは�小学校のころにや�
�私�保育士を体験して良か�たな�
�
たトマト栽培だ�たと思う�それは�当時受講していた通信
という喜びの感情が生まれました�それは私に�
�子供が大好
教育セ�トのふろくについていた�簡単かつ小さなものだ�
きな気持ち�があ�たからだと思います�保育士は�
�子供を
た�初めはトマトが食べたくて始めたが�水やりや観察をし
想う気持ち�があるからこそどんなに大変な仕事も乗り越え
ていくうちに�トマトを成長させることが楽しみにな�てい�
ることができると思います�最後に私は�保育士はとてもや
た�
りがいのある職業だということを実感することができました�
そして�ある日ついに花が咲いた�毎日水をあげて待ちわ
三年生になり�家庭分野で�子供の成長について学習して びていたため�その達成感は大きか�た�そのキ�トにはト
います�先生の話を聞いていると�
マトの実を四角くさせるカバ�もついていたので�小さい実
�あ��そういえば保育園でもそうだ�たな�
� と 内 容 を より
ができた後にすぐカバ�をつけた�実が熟して�四角い実が
理解することができます�なので今とても授業が楽しいです�
できたときはとても驚いた�それまで四角いトマトなんて見
私は�将来何になりたいのか�その答えはまだは�きりと
たことがなか�たので�珍しく思い�食べる気もなくな�て
はでていません�しかし将来やることは�やはり自分の好き
しま�た�
なことをやりたいです�なので�わたしはゆ�くり時間をか
トマト栽培が終わ�た後も�も�といろいろな植物を育て
けて好きなものを見つけて�そのために精一杯頑張りたいで
てみたいと思�た�
す�
中学校に進学したときに�部活動説明会で生活研究部とい
う部活に目をひかれた�その部ではものづくりを中心に�梅
や サツマ イ モ な ど の 植 物 栽 培 を 行 �た り し て い た� 中 学 生
にな�ても植物の栽培はやりたか�たので�僕はその部活に
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校外講座で理科と技術科を学んで
入�た�
種イモを土に埋めるのはもちろん知�ていたが�サツマイモ
の茎を地 面に植 える�つぎ 芽 �という 方 法は知 らなか�た�
活動内容はやはり�ものづくりが主だ�たが�五月にな�
て サ ツマ イ モの 種 イ モ を 植 え る 作 業 も あ�て� 楽 し い 部 活
つぎ芽は地 面に植えた芽 が直 接 成 長 してサツマイモを作る�
だ�た�十月にな�て�育�たサツマイモを掘り出して収穫
という方法だ�しかし�僕は先生の説明を聞いて�茎を植え
することにな�た�最初は�大きく育�ていればいいな�と
ても�本当にこのやり方で育つのか�という不安は消えなか�
思�て土を掘�ていると�普通の大きさのサツマイモにまじ�
た�そのため�数�月後に様子を見て�サツマイモが生長し
て�バスケ�トボ�ルほどの大きさのサツマイモが出てきた�
ていたときは本当に驚いた�
そのサツマイモはあまりにも大きか�たため�掘り出すのが
僕はこのような経験を通して�植物を栽培することが好き
とても大変だ�た�巨大なサツマイモはその珍しさから�し
にな�た�植物を育てるときに�野菜や果物であれば�実が
ばらくは食べられず�校内に飾られていた�普通の大きさの
おいしくなるように�花であれば�きれいに花が咲くように�
サツマイモは家に持�て帰り�焼きイモにして食べた�部活
様々な工夫をして成長させるのが植物の栽培の楽しいところ
といえども�自分で育てたサツマイモは甘く�とてもおいし
でもあり�難しいところだと僕は思�ている�
か�た�
植物を上手に育てる方法はこの文で紹介した物以外にもた
くさんある�そしてそれらは�人が長い間をかけて培�てき
中学校二年生にな�て部活以外に授業でも植物の栽培をす
るようにな�た�小学生の時にや�たトマトの栽培とは違�
た技術の結晶だといえる�僕もそれらをできるだけたくさん
て�肥料を使�てより本格的に栽培することにな�た�僕は
知�て�それを後世に伝えていきたいと思う�
それまで�肥料は一度与えたら�それだけで植物が成長する
のかと思�ていた�しかし�実際に授業でやり方を聞いてい
ると�一度肥料を与えて植物がある程度育�たら�もう一度
肥料を与えて成長を促す�追肥�というやり方を知�た�
北区立稲付中学校
授業で実際にや�てみたが�肥料の量の調整が難しく�な
三年
かなか上手くいかなか�た�時々�農家の人はこの難しい作
高 谷 直 希
業を毎年や�ていて大変だな�と思いつつ作業をしていまし
た�
三年生にな�て�またサツマイモを育てる時にも植物栽培 僕は工作が大好きで�小さいころから作品作りを楽しんで
で�新しく知�たこともあ�た�サツマイモを育てるときに
きた�空き箱工作に始まり小学校高学年になると�
�大人の科
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学�という雑誌で電子工作を始めた�僕にと�て工作はただ
対象学年が広く�実験の結論に時間がかかり�物足りないこ
の制作ではない�材料を集め�試作し�問題点を見つけ�評
ともあ�たからだ�
価する過程で�材料や知識と出合う場�そして同じ思いを共
中学一年で参加した東京ジ�ニア科学塾は工作に偏りがち
有する人との交流の場だ�
な僕の考えを変えるき�かけにな�た�ノ�ベル賞を受賞し
た白川さんの講演�伝導性ポリアセチレンという素材が電子
毎 年 夏 休みには様々な理科工作 講 座を楽しみにしてきた�
理科と工作は関わりが深く�その原理を知ることは工作のい
部品の発展につなが�たこと�無人深海探査機�江戸�子1
いネタになる�昔から人間は�科学の仕組みを道具という仕
号�見学の際は�説明を聞くだけでなく�電池について�性
掛けに換えてきた�身の周りのモノや道具は理科のネタであ
能や問題点を開発者と直接話すことができ�とても感激した�
ふれていることをそれらの講座から学んだ�
ベランダ風力発電の苦い経験は�この時少しだけ活かされた
と感じた�
小学五年生の時�アクリル棒が屈折する原理を理科の先生
から教わり�太陽光をアクリル棒で室内に送り�照明にする
そしてこの時�
�最先端技術は学校の外にある�本や学校で
装置を制作した�それは北区のアイデア工夫展努力賞を頂い
身に 付 け た 知 識 は 校 外
た�小学六年の夏休みは�ベランダで風力発電ができないか
講 座の理解に使おう�
と思い�インタ�ネ�トやイベント会場で情報収集し�専門
とひらめいた�義務教
書も買い込み�試作を繰り返した�泣きたくなるほどの試作
育で�工作が軽視され
時間と材料費を費やした作品は�自然風でLED球一つを点
ているのではなく�こ
灯させるのが精一杯だ�た�上位入賞を目指し意気込んで始
れら 校 外 講 座は 追 加 授
めたネタは�入賞にも届かなか�た�難しいテ�マを選びす
業なのだ�そう解釈す
ぎたかな�と自分の技量のなさとモノづくりの大変さを味わ�
ると�学校の授業が違
た�
うものに思えてきた�
中学一年生になり�図工は美術科と技術科に変わ�た�自 中 学 二 年 の 夏 休 み
分らしさを作品にすることは美術科に向けられ�技術科では�
はすごい夏休みとな�
簡単なキ�トが制作の中心にな�た�工夫する余地がない物
た�少し大げさかしれ
足りなさを感じ�工作は中学義務教育では�あまり評価され
ないが�将来やりたい
ないのかもしれないと疎外感を感じた�その反面�校外講座
職業像が少し見えた様
では充実した経験を多く得るようにな�た�小学生向けでは
な�そんな機会を得た
中学校の部 佳作
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のだ�き�かけは�都立産業技術高専が夏に開催した小中学
生向け講座だ�た�応募から外れることを考慮に入れて五�
六講座も申請したが�そのほとんどが受講可能となり�工業
高校の講座と併せ�その夏は理科と技術科の特別授業三昧と
な�た�
それらの講座のどれもが素晴らしか�た�中でも都立産業
技術高専品川キ�ンパス電子工作講座�光センサ�でLED
の光り方を調節��は�僕の欲しい情報にヒ�トした�当時
�XBE�という無線通信の設定に行き詰�ていたからだ�受
講がいい経験にな�たことは言うまでもない�机上の勉強が
あまり得意でない僕が�その講義の時間はあ�という間に過
ぎ�一日だけでは物足りないと思�た�
講義終了後に講師の先生へ質問に行�たところ�後日�快
く指導をして下さり感激した�高専の先生は�僕が参考にし
ていた本から誤りを見つけ�それが原因で接続設定が出来な
いことを簡単に突き止めた�独学では解決策を特定するまで
に時間を無駄に使う�専門的に学ぶ環境が必要だと感じた�
通信設定がうまくいくと�それをネタに工作がしたいと思�
た�そこで距離センサ�と水滴センサ�を搭載した�雨から
洗濯ものを守る�ベランダ用巻き取りカ�テン�構想を練り�
その作動実験を自宅で行�た�
装置の構想を技術科の先生に相談すると�技術室で作業を
することを快諾して下さり�工具や材料を自由に使わせても
らうことができた�家での作業は�はんだゴテのコンセントや
ネジ等小さな部品の保管に気を遣わなくてはならないが�技
術室ではそんなことを気にせず�思う存分制作に取り組めた�
夏休み終了後�北区工夫展に出品したが�応援して下さ�
た技術科の先生に良い報告ができなか�たことが残念だ�た�
嬉しか�たこともある�会場で出品作品の修理をしていた技
術者が�僕の作品について�カ�テンが巻き取られセンサ�
までの距離がゼロになるとモ�タ�の電源が切れる点がよく
考えてある�と評価して下さ�たことだ�こだわ�た機構が
評価され本当に励みにな�た�
中学三年にな�た今年五月�技術科でクラスの担任にな�
た先生に�や�と良い報告ができた�北区と都立産業技術高
専荒川キ�ンパス主催の中学生ロボ�トコンテストで準優勝
したからだ�先生にはとても感謝している�
中 学三年の夏 休み�僕はもう工作に明け暮れてはいない�
恒例の校外講座は産業技術高専の2講座に絞�た�将来は質
の高いモノづくりを仕事にしたい�そのために加工技術を学
びたい�プログラムの知識を得たい�得意でない机上の勉強
をその気持ちが支えている
電子工作を少しだけ��先日�
ライト・気温・
勉強の合間には�
気圧・高度と三軸加速度センサ�内蔵の腕時計が出来上が�
た�あとは�格安で3Dプリンタ�を使わせて頂ける施設は
ないかなあ�時計をはめ込む本体が出来上がれば
�Nウ��チ�
完成なのだが��
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中学校の部 佳作
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物作りが夢に
葉
南
練馬区立開進第四中学校
三年
部
二日目は自分達が考えた企画について発表する日でした�
練馬区の疑問�気になることについて�というタイトルで一
人一人が取り上げた話題について発表し合いました�この企
画会議で選ばれた四つの企画は本当に取材し�三分ほどの映
像に編集し最終日に行うスタジオでの収録で使われます�自
分の企画を通したい�と全員が思�て来ていたので�発表の
スタイル�テ�マの目のつけどころ�企画書に工夫を凝らす
など様々なスタイルがありました�また�この企画会議では
他人の発表を聞いておかしなところはないか�ほんとうに映
像化できるのか�中学生が取材できるものかを考え質問した
り�改善案を出したりして企画をより確かな物に変化させて
いきました�他人に質問したり反論したりするときは本当に
それが正しいのか�今話題とされている議題に合�ているの
か�などと慎重に考えながら意見を出しあ�ていきました�
最初は意見がなかなか出ずにとまど�てしまうこともありま
したが�時間が経つにつれて活発に意見が出されるようにな
りました�もう他人とは呼べない�つまり一つのグル�プと
な�ていく�そんな瞬間を味わ�た気がしました�こうして
企画会議が無事終わり四つの企画が決定し取材�編集へと進
んでいきました�残念ながら私の企画は映像化されることは
ありませんでしたが�通�た四つの企画のうちの一つに入り�
思う存分楽しむことが出来ました�
物作りには多くの種類があります�一人で木工作をしたり
何人もの多国籍の人が一つの飛行機を作�たり�私も同じ企
画のメンバ��主催者の人々�取材に答えてくれた人々皆で
一つの映像を作る物作りを体験しました�多くの人が関われ
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安
物作り�と言�てもいろいろありますが�私は学校では習
わない物作りを経験しました�そして�その物作りが今は私
の夢とな�ています�夢をつかむチ�ンスとな�た企画は学
校で配布された手紙の中にありました�
中学一年の夏�中学生のための情報番組製作ワ�クシ��
プという文字を初めて見たとき何も思いませんでした�しか
し�概要を読み進めていくうちに何かひかれるものがありま
した�たまたま父の出身大学で行なわれている�ということ
もあ�たので応募してみることにしました�
そして迎えて初日�練馬区内の中学生二十人ほどが小さな
ミ�テ�ングル�ムに集まりました�名前も知らない�聞い
たこともない学校の中学生が二十人�これから本当に番組を
作�ていけるのだろうかと心配になりました�初日には主催
者の講義の後�簡単な流れについて説明を受けました�主催
者や大人の人々は皆�すぐに仲良くなれるから大丈夫と言�
ていたけれど�その場にいた中学生のほとんどはその言葉を
信じていなか�たでし�う�私もそう思�ていました�初日
だけでも誰とも話せずにいるのに�共通の話題が何かさえも
分からないのに�不安ばかりが多く積み上がりました�
中学校の部 佳作
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職場体験から学んだこと
ば関わる程�内部で意見が大きく割れたり方向性が見えなく
な�たりしていきます�その中で自分はどのような意見を�
意志を持�ているのか�ということを考えることが大切なの
だ�と気付かせてくれるワ�クシ��プでした�大人数で行
足立区立第六中学校
三年
動したり何か一つのことを成しとげることは大変です�しか
髙 橋 美 咲
し私はそれが楽しいと思いました�企画会議で起こ�た笑い�
取材をした人との会話�企画のメンバ�と交わしたコミ�ニ
ケ�シ�ン全てにおいて�やりがいを感じ�楽しさを味わう
私が中学二年生のとき�小学校へ職場体験をしに行きまし
ことができました�
た�私は将来小学校の先生になる道にもあこがれがあ�たの
で�とても良い機会でした�そこで学んだことがいくつかあ
ソ�シ�ルネ�トワ�クが発達した世の中では多くの人々
と繋がることが多いですがパソコンなどの画面と向き合う孤
ります�
独な時間が増えてきていると感じます�また動画などを作る
一つめに�小学生とい�ても小学一年生から六年生と�非
ときも一人�誰かに向けてコメントを発するときも一人�ど
常に幅広い年齢の子供たちに合わせて対応を変えることがで
こかの誰かと繋が�ているのかもしれないけれど結局�単独
きる応用力がなければ難しいということです�例えばこんな
行動にな�てしまう世の中です�そんな時に大人数でわいわ
ことがありました�小学一年生のプ�ルの授業で一人の男の
いと騒ぎながら一つのことを成しとげる喜びを味わえた事は
子がプ�ルに入りたくないと泣いていました�こんな状況の
大変貴重な体験であり良い経験になりました�ワ�クシ��
中�私はどうしたら良いのかわからずあたふたしていると�
プを終えた一年生の夏�私はメデ�アに関する仕事に就く�
優 し か � た 印 象 の そ の 子 の 先 生 が� 私 で も 怖 く な る く ら い
と決心しました�多少のリスクはあるかもしれませんが自分
怒�てプ�ルへつれていきました�自分は正直やりすぎなん
の意見を持ちつつ多くの人の意見を聞き入れる仕事につきた
じ�ないか?でも�こうしなければその子のためにはならな
いと思�たからです�その思いは二年た�た今でも変わるこ
いんだよな�と色々な感情がわきおこ�てきました�そして
とはありません�
私はこれを見て�ち�んとしか�てあげるというのは本当に
大切なことなんだなと思わされました�けれど�それと同時
物作りをすることによ�て完成した達成感を味わえる事は
よくありますが�夢に変えるという発想はなかなか考えられ
に�もし自分が将来先生にな�たとして�あの先生のように
ないと思います�この体験談をもとに物作りの大切さと重要
厳しくしか�てやることができるのかな���と不安になり
性を多くの人に考えてもらえればと思いました�
ました�き�と�あの先生が泣いていた男の子に最後まで優
中学校の部 佳作
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しくなだめていては�次のプ�ルも�その次のプ�ルも入り
たくないとい�て駄々をこねていたことでし�う�仕事をす
るにあた�て�時には心を鬼にすることができる人になるの
もとても重要なことの一つなのだと学びました�
二つめに�この仕事は本当に心の底から子供が好きで�子
供のためなら自分の時間なんておしまない!というような人
にしか続けていけることなんて無理だろうということです�
自分の担任でもあ�た先生にインタビ��をする機会があ
り�この仕事をしていて一番の喜びはなんですか?とたずね
ると
�児童が解けない問題にぶつか�てしま�た時に�自分がア
ドバイスなどをして�わか�てくれた瞬間の表情や�ありが
とうという言葉をもら�た時だね��
と答えてくださいました�教える�というのは自分が勉強す
ることよりもず�と難しいことではあるけれども�その先に
はこんなにうれしいことがあるんだ!と小学校で働くことに
どんどん興味がわいてきました�もちろん働く人の朝は早く
帰りもおそいし�責任だ�て中学生よりもず�と重いことは
あるけれど�自分の好きなことを職にすることは�自分にと�
てものすごくステキなことだと感じました�
あ の 三 日 間 を 通 し て� 私 の 仕 事 に 対 す る 印 象 は 大 き く 変
わ�たことを覚えています�職場体験をする前の自分は正直�
責任が重くなる社会人�ていやだな��自分が大人にな�て
仕事をしている姿なんて想像もつかないや���このまま学
生生活が続けば幸せだろうなと思うことが多々ありました�
けれど�職場体験をしたあとは�もちろん大変だ�たけど一
中学校の部 佳作
つ一つ仕事や問題を解決したあとの達成感ややりがいは中学
生の仕事のやりがいとは格段にちが�ていてとても楽しか�
たです�私はこの体験をしていなか�たら�もしかすると社
会人になるまで働くことに対して嫌悪感をいだいたまま過ご
していたかもしれません�そう考えると背筋がゾ�としまし
た�人のために一生懸命にな�て働くことの辛さと楽しさ�
そして百円を稼ぐということもとても大変なのだと身にしみ
てわかりました�これから先自分の就きたい職業をみつけた
ときに困らないためにも�より一層勉強して力を注いでいき
たいと思います�
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ものづくりを通じて作る未来
専では様々なコ�スがあり�将来技術者になりたい人達が集
ま�ていて�五年間学習することが分か�た時�技術や工業
に興味があ�たことと�色んなことを知�たり学んだりする
ことが好きだ�たので�産技高専に行きたいと思いました�
足立区立第六中学校
三年
産技高専に行きたいと思い始めたある日�私は将来の夢を
辻 村 茉 緒
見つけました�前から将来は誰かを助けることができたり�
笑顔にできるような職業に就きたいと思�ていました�そし
て�どんな職業に就けば誰かを助けたり笑顔にすることがで
中学生になり�技術を学ぶようにな�てから�材料と加工
に関する技術�エネルギ�変換に関する技術�生物育成に関
きるのか考えました�色々考えていた時�杖をついている男
する技術�情報に関する技術など�様々なことを学んできま
性を見かけました�周りを見渡してみると�杖をついている
した�様々な技術を学んできた中で�二年生の時にLEDあ
人や車椅子の人が少なからずいることに気が付きました�そ
んどんを作�たことがとても印象に残�ています�LEDあ
の時�体の不自由な人や高齢者がも�と不自由なく�快適に
んどんを作�た時に�何かを作ることが楽しいと思いました�
過ごせるような社会にしていく一歩になれるような仕事に就
そして技術の授業がさらに楽しみになるようになりました�
きたいと思いました�そして�祖母のために階段をのぼる時�
父の仕事が空調換気設備工事の仕事なのもおそらく関係して
楽にのぼれるような機械を作りたいと思�ていたことを思い
いるのですが�昔から様々な機械や工業に興味がありました�
出しました�また�産技高専には医療福祉コ�スがあること
小学生の時には祖父と一緒に使えなくな�たラジオ等を解体
も思い出しました�
して遊んだりもしました�中学校で技術を学べると知り�楽
医療福祉コ�スについて調べると�私がやりたいと思�て
しみにな�てとてもわくわくしていたのを覚えています�
いたようなことを学べることが分かりました�そして今年�
産技高専のものづくり科学教室で�身体の電気信号で動く福
中学校で技術を学習して�技術は様々なことと関わ�てい
ることを知りました�普段の生活の中にも技術で学んだこと
祉機器�という講座を受けました�その日�身体に流れてい
がたくさんあることに気付かされました�そして�技術は重
る電気信号を使�て動かす福祉機器があることや�脳波を利
要な教科なのだと思いました�
用した義手やパソコンを操作する福祉機器があることを知り
ました�医療福祉コ�スについて調べていたので�義手等を
中学生になり�高校を調べていて�産業技術高等専門学校
という高専があることを知りました�そして�産技高専では
学んでいることは知�ていたのですが�義手等以外にも様々
ものづくりに関することが学べることを知りました�産技高
な事を学んだりしていることを知りました�また�義手や義
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作物を作り育てるということ
村
真
夕
飾区立堀切中学校
三年
木
技術の時間を通して�二年生の時には大根�三年生の時に
はトマトを育てることを学びました�最初は��どうして技
術の時間に作物の栽培をするのだろう��と思いました�そ
れは�私の中でこのような授業は�理科の分野だと思�てい
たからです�でも�どのように育てると丈夫に育つのかを工
夫したり�創造したりすることは�突き進んで考えていくと
栽培技術という分野にも行きつくのではないかと実際に栽培
しているうちに思うようになりました�
私は作るという作業が好きです�何もないところから始ま
り�工夫をしたり�時には失敗を重ねたりしながら少しずつ
形にな�ていく過程が楽しいからです�失敗をしてしま�た
時にはとてもシ��クで悲しいけれど�そこから得る物があ
るということも物作りの素
晴らしいところでもあると
思います�
一口に作物を作り育てる
と言�ても�ただ種や苗を植
えて水をあげればいいとい
うものではありません�種ま
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足には様々な種類があることを知りました�そして�まだま
だ多くの課題があることも知りました�
この日から�将来は義手や義足等を作れる義肢装具士にな
りたいと強く思うようになりました�義肢装具士になり�手
や足を失な�てしま�た人達が�より過ごしやすい日々を送
れるようにしていきたいと思�ています�そして�より多く
の人を笑顔にすることができたら良いなと思�ています�こ
れから様々なことを学んでいく上で�義士装具士になりたい
という夢がもしかしたら変わ�てしまうかもしれません�人
は日々成長してゆき�考え方などもどんどん変わ�てゆくの
で�未来の自分は今の夢とは違うことをしているかもしれま
せん�しかし�昔から思�ていた誰かを助けたいと思う気持
ちや�誰かを笑顔にしたいという気持ちはこれからも変わら
ないと思います�そして�ものづくりを通じて�多くの人が
不自由を感じない社会にしたいという思いも変わらないと思
います�将来どのような職業に就いているか分からないけれ
ど�今は自分の夢や目標に向か�て頑張�ていきたいです�
中学校の部 佳作
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きや苗を植えるにしても�大根とトマトでは生育適温が異な
品種もあるそうです�今では葉はついていない状態で売られ
るのでそれぞれの作物にと�てよりよい時期に植えるのが好
ていますが�根�茎�葉全部食べることが出来るそうです�
ましいのです�日照の問題や間引き�肥料のことなど�気に
いつも食べている白い部分が根�こだということを知�た時
かけなくてはならない事はたくさんあり�大変と感じること
には驚きました�
もありましたが�だからこそ手をかけなければならないこと
作物という言葉を聞いて頭に浮かんだ事があります�それ
の大切さも分かり�ほんの少しの成長でも嬉しか�たりもし
は�日本の農業従事者の平均年齢は六十六歳で�高齢化が進
ました�又�普段土に触れる機会もほとんどないので�触�
み農業を仕事としている世帯が年々減�てきているというこ
た土の感触が心地よか�たのを覚えています�しかし�自分
とです�それと同時に�若い人達は田舎暮らしを嫌い�都会
の葉の成長と周りの友達の葉の成長を見比べて�自分の方が
に出て行�てしまう状況が続いています�国土が狭いという
成長が遅か�たり�葉の色が黄色くな�てきてしま�たりす
問題もありますが�日本の食料自給率は三十九%しかありま
ると�きちんと実になるんだろうかと心配になることもあり
せん�しかし�最近は大勢の若い人達が農業の分野に進出し
ました�物を作る前には�一見すると簡単そうに感じること
て い る と 聞 き ま す� 例 え ば� よ り 甘 い ト マ ト の 生 産 に 向 け
も�実際に自分で作�てみると�予想通りにいかないことや�
ての研究や��日本一美味しいお米を作るぞ�という若いパ
心配事も出てくるものだなと思います�
ワ�が農業を活気付けているのです�若い人達が今までとは
違�た目線で新たな技術を開発し�品種改良も盛んに行われ
今までの技術の物作りと違うことは�対象が生きていると
いう事です�小学校の時にも朝顔やひまわりなどを育てまし
るようになると�狭い土地でもたくさんの作物を作れるよう
たが�中学校の技術の時間に再度やることで�小学校の時よ
になる日が来るのではないかと思います�
りさらに細かい知識を身に付けることが出来ました�トマト
大人にな�てからいきなり農業の分野に進む人は少ないと
は自分達で食べましたが�大根は家に持�て帰りました�母
思います�小さい頃の体験�例えば今回の大根やトマト作り
に見せると�小ぶりではありましたがきちんとした大根が学
の経験が�その道に進む一つのき�かけになることもあるの
校で作れることに驚いていました�冬だ�たので鍋料理に入
ではないでし�うか�そういう意味でも中学校の技術の授業
れてくれて�とても美味しいと言�てくれました�その瞬間�
で�このように種や苗から野菜を作り�土と触れ合うことの
私は家族のために作ることの喜びを感じました�
楽しさや�命あるものを育てる責任感を学ぶことは�とても
勉強になりました�高校でこのような授業を行うのは�限ら
大根を栽培する授業は�作物についてより興味を持つき�
かけにもなりました�大根は品種の多さ�生産量ともにト�
れた専門の学科のある高校だけだと思うので�中学校で全員
プの野菜で��桜島���守口�など土地の名前がついている
が体験出来たことは�とても貴重な経験だ�たと思います�
中学校の部 佳作
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高等学校の部 最優秀賞
あの看護師さんのような看護師に
未
来
愛国高等学校
三年
井
も頑張�て��と手書きのメ�セ�ジがあ�たそうです�そ
の看護師さんの言葉があ�たから出産を決意することができ
たと母は言�ていました�その話を聞き�私もその看護師さ
んのようになりたいと強く思いました�
高校の衛生看護科に進学した私は現在三年生となり�臨地実
習が始まりました�実習では実際に患者様を受け持たせて頂き
ました�学校で習�た知識や技術を活用し�患者様の容態に合
わせた個別性のある看護を提供しなければなりません�学校で
学んだことを実践にどれ程活かせられるだろうかという期待と
不安が入り混じ�た気持ちを胸に実習に臨みました�私が受け
持たせて頂いたA様は�手術を終えた直後の患者様でした�手
術 後 は 創 傷の痛 み
が強く�歩くことさ
えままなりません�
だからとい�てベ�
ドに臥床したままの
状 態 だ と� 筋 力 低
下 をは じ め 様 々な
合 併 症 を 招 いて し
ま い ま す� 私 は 術
後の観 察 項 目 や 援
助の際の注 意 点 な
どを調べ�いかに患
者 様 に 安 全・ 安 楽
なケアを提供できる
かを考えました�
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鯨
� マ マ の 心 の 中 に は 忘 れ ら れ な い 看 護 師 さ ん が い る ん だ�
未来にもそんな看護師さんにな�て欲しい��
看護師になりたいと将来の夢を語�た私に母が言�た言葉
です�母の忘れられない看護師さんとは�兄が通院していた
病院の小児科の看護師さんのことです�
兄が病気を患�ていることが判明したと同時に�私が母の
お腹に宿�ていることも判明しました�兄の病気は遺伝性の
疾患だ�た為�また同じ病気の子供が生まれたら��と家族
全員に反対されたそうです�子供は生みたい�でも生まれて
くる子供が病気を患�ていたら育てていけるのだろうか�家
族全員が反対している中で生むことはできるのだろうかと不
安でい�ぱいだ�たそうです�兄の主治医に相談したときに
側にいたのがその看護師さんでした�その時黙�て話を聞い
てくださり�後日病院で会う度に励ましの言葉をかけてくだ
さいました�ある時�一冊の本をプレゼントしてくださ�た
そうです�それは障害のある子供を育てている芸能人の本で
した�その本の最後のペ�ジには�生まれてくる子はお兄ち�
んやお母さんのことを助けてくれるはず�だから何があ�て
高等学校の部 最優秀賞
高等学校の部 最優秀賞 鯨井未来さんの朗読
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大きくなれた私
治療�それぞれにどのような看護が必要かを知�ていなけれ
実習が始まり数日経�たときのことです�患者様の元へ訪
室し�情報収集も兼ねてA様とお話をしていました�情報収
ばなりません�その知識や技術で�患者様の身体だけでなく
集とい�ても尋問のようなものではなく�会話の中からご家
心のケアもすることが看護師には求められます�身体的な看
庭での生活などを知るというものです�その会話の中でA様
護については勉強すればするほど身につくと思います�しか
は次のようにお�し��ていました�
し�精神的な看護についてはいかに患者様の立場で考えるこ
�手術の傷の痛みが治ることは頭では分か�ているのに�ど
とができるか�患者様の気持ちを理解できるかが重要になる
うしても不安にな�てしま�て駄目ね�����
と思います�これから沢山のことを学び�経験を積んで心の
豊かさを育んでいきたいです�そして将来�母の心の中の看
その言葉を聞いて�私は母の話を思い出しました�温かい
言葉で母を支えた看護師さん�その話を聞き�患者様の心に
護師さんのようにいつまでも�この看護師さんに会えて良か�
寄り添うような�頼りがいのある看護師になりたいと思�た
た�
�と思�て頂ける看護師になりたいと思います�
私�今の私はどうでし�う�身体的な問題についてばかり考
え� A 様 の 抱 く 不 安 な ど 精 神 的 な こ と に つ い て は 二 の 次 と
な�ていました�看護の対象は�疾患�ではなく�患者様�
高等学校の部 優秀賞
です�失敗を避けて物事をうまく進めようとしていた私は�
本質を見失�ていました�それからは清潔や排泄の援助に加
え�A様の不安が無くなるようにとどのような経過で回復し
ていくのかを説明し�A様が順調に回復していることを伝え
東京都立農芸高等学校
三年
ました�また�少しでも安心できるようにとA様の手を握り
鈴 木 晶 葉
ながら不安や悩みを傾聴するよう努めました�そしてA様が
退院する前日�
�学生さんの温かい手と�温かい言葉と�温かい対応で不安 �何かに一生懸命取り組んだ後�当たり前のことをすると�
いつもより特別に感じる�特別に感じる�て�本当に難しい
が和らいだの�ありがとう��とお�し��ていました�そ
ことなんだよ��この言葉は私が五日間牧場実習でお世話に
の言葉を聞いて�私はA様の心のケアもすることができたと
な�た農家さんから言われた言葉だ�
いう達成感と�憧れの看護師さんに少し近づけたことへの喜
びを感じました�
私は�将来動物関係の仕事に就きたいと考えていることか
ら�今年の夏�牧場での実習にチ�レンジした�
検査�
看護師には知識と技術が必要不可欠です�疾患や症状�
高 等 学 校 の 部 最 優 秀 賞/優 秀 賞
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なる�この手の痛みは喜びなんだと思�た�さらに�私は初
牧場実習なんて今までや�たこともないし�どんなことを
するのか分からず�とても不安だ�た�最初は�失敗や迷惑
めておいしさに喜びを感じた�お世話にな�ている牧場の牛
を掛けないようにすること�そのことだけを考えていた�
乳で作�ている自家製アイスを食べた�多分�普通はアイス
を食べた時�ただ�おいしいな��と思うだけだと思う�し
初日�仕事を覚えるのに必死で周りなんて見えていなか�
た�その上�牛を目の前にすると恐怖心があり�集中できな
かし�汗をたくさんかいて�手が痛くなるまで掃除をした後
か�た�牛は人間の言葉なんて分からないし�牛が何を考え
に食べるアイスは格別だ�た�今まで�こんなにもアイスが
ているのか人間が分かるはずがないと心の中で思�た�私は
おいしいと感じたことはなか�た�大げさかもしれないが�
のちにそれが間違いだと感じる�二日目�仕事を覚え�前よ
素直にそう思�た�一生懸命に取り組んだ後�当たり前のこ
りもスム�ズに作業ができるようにな�た�しかし�思いも
とをすると特別に感じるということは�このことなんだと分
よらないことが起きた�今年の夏はいつもより一段と暑く�
か�た�当たり前のことを特別に感じることはとても難しい
猛暑だ�た�牛は元々寒い場所が得意であるため�暑さは苦
ことだ�この先もそう感じることはあるのだろうか�そう思
手である�そのため�猛暑で具合の悪か�た牛が死んでしま�
うと少し寂しくな�た�けれども�何をやるにも一生懸命に
た�ほんの少し前まで目の前で生きていたのに�悲しみと脱
取り組んでいこう�そう思うことができた�
力感でい�ぱいだ�た�これまで多くの人が�この牛に関わ
五日間�長時間の作業は大変だ�た�しかし�作業が終わ�
り�育ててきたのに�始ま�た命はいつか終わる�そう分か�
た後は�楽しい疲労感でい�ぱいだ�た�楽しい�そのよう
ていても命の重みをすごく感じた�
に自分が思える理由を考えた�自分は動物が好き�確かにそ
れもある�でも好きだけではできない作業もあ�た�振り返�
経験を積んでいくうちに�牛に対する気持ちが変わ�てい
ることに気付いた�恐怖心があると牛も人間に恐怖心をもつ�
てみたら�実習中�たくさんの会話で溢れていた�作業中は
そのことを知�てからは�なるべく牛に触れ合い�話しかけ
個々の仕事があるため�し�べることはなか�た�けれども�
た�私も牛も恐怖心がなくな�た�牛と人間がコミ�ニケ�
仕事が一段落ついたら�学校のこと�部活のこと�家族のこ
シ�ンを取ることなんてできないと思�ていた�しかし�そ
となど�農家さんとたくさん話をした�自分のことを話すの
れは大きな間違いだと気付いてからは�仕事にも集中でき�
も楽しか�たし�私が知らないことや牛について聞くことは
今までの倍以上�実習が楽しくな�た�集中して力が入りす
も�と楽しか�た�私は話すことはできなか�たが�ある日�
ぎて手はまめだらけで痛か�た�そのことを農家さんに言う
遠くから見学に来た人と農家さんが色々な話をしていた�農
と� ま じ め に 取 り 組 ん で い る 証 拠 だ よ � と 言 わ れ た� 確 か
家さんは�質問に答えるだけではなく�見学に来た人の話に
に�勉強すれば手が痛くなり�運動すれば体のどこかが痛く
耳を傾け�逆に農家さんが質問していた�だから�話が盛り
高等学校の部 優秀賞
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畜産を学んで
上がるんだと分か�た�会話が人を元気にしてくれることを
実感した�私は�この会話があ�たからこそ�つらい作業を
乗り越えることができ�楽しいと思うことができた�
東京都立瑞穂農芸高等学校
私は�五日間の実習を通して�自分が実際に体験しないと
二年
分からない大変さ�嬉しさ�悲しさに触れることができた�
五 十 嵐 香 月
少人数でたくさんの牛の世話をすることは大変だ�それでも
一頭一頭大切に育て�愛情に溢れていた�牧場に勤めている
以外の人も牧場には多く関わ�ていた�表からは見えなか�
みなさんは畜産についてどういう印象を持つでし�うか�
たけれど�獣医の先生�エサを運ぶ人�大学の先生�家族�
動物たちと触れ合えて楽しそうと思うでし�うか�動物を殺
こんなにも多くの人が協力していた�
したりするからいやだと思うでし�うか�人それぞれいろい
ろな考えを持�ていると思いますが�中には�あまり良い印
今�私たちが飲んだり�食べたりしているもの全てにおい
て動物の命をもら�ている�毎日�ご飯を食べられるのは当
象を持�ていない人もいるのではないかと私は思います�そ
たり前ではなく�多くの人や多くの動物�植物によ�て支え
れは私がこんな体験をしたからです�
られて生きている�食べる前の�いただきます��食べた後
瑞穂農芸の畜産科に入学して私はたくさんの動物と触れ合
の�ごちそうさま�は�動物や植物への感謝の気持ちが詰ま�
いとても充実した学校生活を送�ていました�とても楽しく
ている�必ず言うべきだ�
て両親や中学の時の友達にたくさん自慢していました�そん
な私に入学してから初めての壁が立ちはだかりました�それ
私は�今回の牧 場 実 習を通
して成 長できたと思う�仕 事
は�ブロイラ�という肉用種の鶏の飼育と�と畜・解体です�
に対 する大 変さや�命の大 切
肉用種の雛を自分の担当として一羽を決め�みんな名前をつ
さなど� 多 くのこと を 学 ぶこ
けて可愛がりました�私も雛に�セロリ�という名前をつけ
と がで き た� 私 は�これ か ら
て大切に育てました�セロリたちの成長とともに�気の重い�
も 牛 のよ う に 大 き く 成 長 して
�と畜�の日が来ます�とうとう�と畜�の日が目前に来た
いきたい�
ころセロリたちは�ヒヨコ�の頃の面影が無く�大きく成長
していました�黄色か�た毛の色は真�白になり�細か�た
脚は�脚�についている�脚管�が食い込むほど太くな�て
いました�
高等学校の部 優秀賞
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ように感じて怒りと涙が込み上がりました�更に�とどめを
いよいよ解体の時がきました�エプロンとマスクを付ける
準備が終わり�一人目の生徒の解体が始まりました�かごの
さすように姉が�鶏殺したのによく肉とか食べられるよね��
中に入れられて順番を待�ていた鶏たちが少しずつ減�てい
と言いました�私は悔しくて�悔しくて怒りが止まりません
きました�鶏たちも殺されるのを分か�ているかのようにあ
でした�ただ牛のすごさを伝えたか�ただけなのに�好きで
ばれだし�私がセロリをゆ�くり抱き上げるとセロリもあば
殺したのではないのに�と思いました�私はその時や�ぱり
れて私のうでを爪で引�掻いてきました�
畜産に良い印象を持�ていない人が多いということを感じま
した�
私はセロリに�わか�ているのだね�痛みがわからないよ
うにするからね�と声を掛けてセロリの首を鋭く研がれた刀
思い出してみると�中学の時�動物とか臭いし汚いから嫌
で切り裂きました�放血器に入れるとバタバタと暴れ�しば
いという人や�鶏殺すのでし�と馬鹿にしてくる人がいまし
らくするとセロリは動かなくなりました�セロリは私が殺し
た�しかし私は畜産を学んで動物が大好きになりました�そ
たのです�解体作業を終え�いつもお店で見るような部位に
の分�辛いこともたくさん経験することになりました�
して家に持�て帰ると�両親は頑張�たねと褒めてくれまし
校外見学の授業で品川にある食肉市場を見学しました�こ
た�その夜�食卓には鶏肉料理が並び�両親からの暖かい言
こでは�牛や豚を解体し�枝肉に加工してセリにかける卸売
葉とともに�命をいただく�夕食となりました�
市場の役割を担う施設でした�解体の現場では多くの職人の
方が手際よく衛生的に解体を進めています�私たちの行�た
二 年 に な り� 一 年 時 よ り た く さ ん の 出 来 事 が お こ り ま し
た�牛の出荷�食肉市場の見学�牛の出産そして死�楽しい
鶏と違い�牛は大きく血の量も黒いほど流れ出ています�私
ことも辛いことも学びました�ある時�家族で焼肉を食べに
は�この作業があ�て�私たちの大好きなお肉が食べられる
行�た時のことです�牛の舌の話になり私は自慢げに話し出
のだと思いました�き�と辛い仕事だけれど�肉を生産する
しました��牛の舌は結構大きいんだよ���猫みたいにザラ
ために真剣に取り組んでくださ�ていることに感謝しまし
ザラしていて�舐められると痛いんだ��私はどんな反応が
た�ところが見学していると�解体の作業に従事している者
返�てくるのかなと期待していました�答えは�そんなこと
への偏見と差別があるという説明や展示物がありました�私
今聞きたくないよ��でした�私は何も言えなくなりました�
は前にもあ�たように怒りと悔しさがこみ上げてきました�
父が私をかばうように�でも�そういう勉強をしているんだ
私は�畜産は誰もが出来る仕事ではないと思います�動物
もんね��と言うと兄は�知�ているけど�言わなくて良い
に愛情をそそぎ�生死を見守り食料を生産し暮らしを豊かに
ことは言わなくて良いんだよ���と子供に言い聞かせるよ
する仕事�技術や知識に加え�家畜と共に歩めることが求め
うに私に言いました�私は私だけでなく畜産を馬鹿にされた
られる厳しい仕事であることを学びました�誰もが出来る仕
高等学校の部 優秀賞
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人工授精師を目指して
事ではないからこそ私は畜産という仕事に就きたいと思いま
させないといけないので�餌代が余分に掛かります�また�
した�今の私にできるすべは一つ�私たち畜産を学ぶ高校生
授精に使う凍結精液も一回当たり平均で五千円必要です�受
が�し�かりとした考えで畜産を学び�これからの社会に活
胎しないとその回数分�費用が発生します�人工授精師の役
かしていくこと�
割は家畜の受胎率を向上させ経営を安定させる責任ある仕事
です�
二学期には瑞高祭で�豚汁や卵�焼き鳥にアイスクリ�ム
の製造や販売があります�たくさんの友達を呼んで�私たち
二年生の4月に牛の管理を初めて経験しました�最初は先
の育てた家畜の恵みを友達にも味わ�てもらいたいと思�て
輩から与えられた仕事を一つ一つこなすことがや�とで�当
います�
番の日にしか牛の管理に参加していませんでした�また牛の
管理は力仕事が多く�終わ�た後は辛い仕事をやりこなした
という達成感に満たされていました�牛の管理は私にと�て�
ただの自己満足でしかなか�たのです�
そんなある日�授業で乳房炎について学びました�乳房炎
とは感染により乳房内が炎症し乳質を著しく低下させる経営
的に損失の大きい病気です�原因は私たちの手や器具�牛床
東京都立瑞穂農芸高等学校 三年
など�至る所に付着している細菌によ�て起こる病気で�し�
佐 野 ゆ づ き
かりとした衛生管理が必要となります�そのために�搾乳前
に行う手洗い一つから酪農を経営するということが始ま�て
いたのです�
�牛は私たちに応えてくれる�これは�私の尊敬する先生
が教えてくださ�た言葉です�この言葉を切�掛けに私の牛
乳房炎を学んでからというもの�何も知らずに�作業�と
に対する接し方が大きく変わりました�
して行�ていた自分を恥ずかしく思いました�また同時に牛
の管理に真剣に取り組もうと強く決意し�その日から私の牛
私は毎日�必ず牛の様子を見に行くようにしています�そ
れは牛舎での体験で人工授精師になる目標ができたからです�
への管理は一変しました�今までや�てきた時間がも�たい
ないと思えるほどです�毎朝牛の管理に行くと�牛の動きや
人工授精師とは家畜人工授精師講習会を受講し修了試験に
合格した者を指す国家資格です�酪農は受胎率の向上が酪農
状態の変化を感じ取れるようにな�てくると同時に�牛の私
経営の利益と大きく関わりがあります�例えば今月の発情で
への対応も変化してきました�牛は私に応えてくれたのです�
受胎しなか�た場合�次回の発情迄の約1�月間�餌を食べ
牛舎には�コノミ�という脚で人を蹴り払う危険な牛がい
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高等学校の部 優秀賞
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ます�この牛を搾乳するには�数人がかりで�いつも一苦労
です�しかし優しく声を掛けてから搾乳を始めるよう毎日毎
日�繰り返すと�以前は暴れていたのが嘘のようにおとなし
くな�たのです�さらに搾乳が終わ�た後のことです�横か
ら視線を感じ�ふと視線の先を見ると�終わ�た?�とい�
ているかのようにコノミが私を見つめていたのです�これは
決して1年前には見られなか�た光景です�私は初めてコノ
ミに認められた気がしてとても嬉しか�たです�今では必ず
搾乳が終わ�た後はコノミだけではなくどの牛にも�お疲れ
様�いつもありがとう�と言いながら頭を撫でるようにして
います�
牛舎の清掃や栄養バランスのとれた餌やりは快適な環境を
つくり�牛のストレスを軽減させることができます�これは
人工授精の受胎率を向上させるために必要不可欠なことで
す�人工授精・受胎・分娩そして搾乳�分娩してはじめて酪
農経営が成り立ちます�牛舎の掃除や餌やりなどは一見密接
な関わりがないように思えますが�実は全てのことに意味が
あり�その全てが重なり合うことで�私たちは良質な牛乳を
生産できているということを体験しました�
このような経験から毎日�耳で聞き�観て�触れて�ほん
の少しの違いを感じ取ることが�どれだけ重要なことである
かに気付きました�そのことが私にと�て大きな自信になり
学ぶ目標となりました�
これらの経験から私は人工授精師にな�て酪農経営に貢献
したいという思いが強くな�ています�受胎率の向上は発情適
期の見極めや牛の状態変化に気付く能力が求められます�こ
高等学校の部 優秀賞
の目標のために毎日�牛の様子を見に行くようにしています�
わたしは課題研究の授業で日本獣医生命科学大学と連携し
ブラウンスイス種を学校の牛に受胎させることに取り組んで
います�また卒業後は大学に進学を希望し�継続的に繁殖を
学びたいと考えています�私たちが日々必要としている乳製
品が安定して供給されるには�人工授精師の活躍が不可欠で
す�私の理想とする人工授精師は種を付けることだけではな
く�酪農家さんからの質問や相談にものれる�ともに一緒に
な�て経営を改善していけると思�てもらえる信頼される人
工授精師です�これからも�と様々なことを学び�経験し�
将来的には日本の酪農業を支えるような人になりたいです�
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高等学校の部 佳作
笑顔がくれる力
川
沙
亜
羅
愛国高等学校
三年
石
私は現在家政科に通う高校三年生だ�この学科は卒業と同
時に調理師免許を取得できるということで知られ実際に私も
それが目的でこの学科を選び入学した�私は幼い頃から美味
しいものを食べることが大好きで折角だ�たら自分でも美味
しいものを作れるようになりたいと思�たこともある�また
調理師になりたいというよりは免許を取得しておけば後の就
職にも有利になるだろうと考えたためでもあ�た�なんにせ
よ最初は自分の楽しみのために選んだ道だ�た�
入学してからは普通教科に加えて調理の実技面だけでなく
公衆や食品に対する衛生の知識や栄養学�世界の食文化につ
いてなど多くの専門教科を学ぶことができた�特に三年生に
進級してからは一�二年生の時に比べて格段に専門教科を学
ぶ時間が長くな�た�毎日が新しいことの発見で勉強自体は
難しいながらもそれ以上に好奇心が勝�ているような感じ
だ�た�そうして学んでいく中で出会�たのが集団調理とい
う授業だ�た�
集団調理はこれまでの実習に比べて大きく異なる点がいく
つ か あ る� 大 き な と こ ろ で ま ず 一 つ め に 班 の 人 数� 二 つ め
に 喫 食 者 の 数� 三 つ め に 作 業 時 間 の 長 さ だ� 通 常 の 実 習 で
は四�五人で班を作り自分たちで作�たものは自分たちで試
食�そして用意から片付けまでを含めて三時間程度で終わら
せる�それに比べて集団調理では十人程で班を作り約百食も
の料理を作る�当然班員だけでは食べきれないので家政科内
の他クラスにも試食を頼む�喫食数が多いためその分時間も
かかり調理作業に四時間�片付けに二時間というような配分
になる�効率よく動くことが要求され�より疲労も溜まり裏
方に徹するその様はまさに他人のために料理を作るとい�た
態だ�た�片付けや次のクラス分の用意などで自分たちの試
食時間は短く�折角作�た料理をゆ�くりと味わうことので
きないこの授業が私は少し苦手だ�た�さらに今年の夏休み
はその授業の一環として生徒たちの高原生活に同行し高原生
活中の食事の全てを担当するというある種の課題が課せられ
た�私の班は十四人と他の班より少し多か�たが一日三食�
三泊四日分の食材の検収から調理�配膳�果ては片付けまで
の全てを担当するということは想像以上に過酷なことだ�
た�朝は誰よりも早く起きて身支度を済ませて調理場へ入り�
食事中も何か不具合があれば自分の食事を中断してそれに対
応する�そして一回の食事が終わればすぐに次の食事の用意
に取り掛かる�朝早くから夜遅くまでの調理場作業は普段の
集団調理の授業と比べても段違いに疲労が溜ま�てい�た�
そんな実習中�調理作業も終わり生徒たちと一緒に食事の
席に着いた時のことだ�た�その時は私も班員も度重なる疲
労から疲れの色を滲ませていた�そんな中会話もそこそこに
ただ黙々と食事をしていた私の耳にある言葉が聞こえてき
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会計コ�スでできた夢
た��おいしい��声の方を見ると料理を口にした生徒が呟い
とを意識して勉強している�そしてその考えは調理師という
たようだ�た�そして他の生徒たちも料理を食べては口々に
職業の本質なのではないかとようやく理解することができ
�本当だ�おいしいね��と言い笑顔で周りの生徒たちと話を
た�美味しい料理を作ることで同時に多くの笑顔も作れる�
していた�今自分たちが食べているものと同じ料理�確かに
そしてその笑顔は本人が嬉しいのは勿論それを見た周りの人
自分でも一口食べた時に美味しいと感じて友人ともそのこと
も元気になれる�料理にはそんな可能性も秘められているの
を話していた�それと同じ言葉�行動�異なるのはそれを他
ではないか�私はその時強く感じた�
人がしているということ�とりとめのないことだというのに
何故だか私の心はじんわりと温かくなり�調理作業で溜ま�
た疲労も少し軽くな�たように感じた�自分が作�た料理で
他人を笑顔にすることができる�そのことがとても素敵なこ
とのように思えてその時の私は大きな喜びを感じていた�そ れと同時に他人の笑顔を見ているとなんだか自分も嬉しくな
愛国高等学校
三年
り元気にな�たような気がして笑顔には何か特別な力がある
成 澤 悠 衣
のではないかと本気で考えたりもした�ふと周りの班員を見
ると少し恥ずかしそうにそれでいて嬉しそうに微笑んでいて
私は現在�商業科会計コ�スで簿記を専門に学んでいます�
そう感じているのは私だけではないのだなと思�た�他人に
ただ単に�簿記が好き�という理由でこのコ�スを選んだの
料理をふるまうことがこんなにも楽しいことだ�たなんて�
ですが�これが私にと�て大きな決断となりました�
その時の私は初めてそのことを知�た�以前は自分の楽しみ
高校に入学して初めて簿記とは何なのかを知りました�一
のために作�ていた料理も視点を変えて誰かのために作るこ
番に覚えたことは基礎である�借方・貸方�と�簿記の五要素��
とで作る喜びも楽しみも倍になる�それからはただ何となく
そこから発展して帳簿など様々なことを勉強してい�たので
調理をするのではなくその料理を食べる人の気持ちを考えて
すが�毎回授業の前になると�今日は何をやるのだろう�と�
誰かのために料理を作ろうと思�た�
授業が始まると次々に入�てくる新たな知識にわくわくして
まだまだ私が学ばなければならないことは沢山ある�あま
いました�初めて勉強を楽しいと感じることができ�私はど
りの難しさに壁にあたることもあるだろう�それでも今はど
んどんと簿記の面白さに引き込まれていきました�
うしたら相手に安全に料理をふるまうことができるのか�美
味しい�楽しいと感じて食事をしてもらえるのか�というこ 二年生に進級する時�私は迷わず会計コ�スを選びました�
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理由は初めにも書いたように�簿記が好きだ�たからです�
そのことを知�ている先生は私たちに深く理解することを
しかし先輩から�会計コ�スは検定や補習などで忙しく�軽
求 め ま し た� 私 は と に か く� 怒 ら れ な い よ う に � 必 死 に 取
い気持ちでこのコ�スを選んだらあとで自分が苦労するとい
り 組 み ま し た� す る と そ れ が い つ の 間 に か 身 に つ い て い た
うことを言われてしまいました�本当にこれで良いのだろう
の で す� そ の こ と に 気 が 付 い た の は 検 定 の 勉 強 を し て い た
かと他のコ�スも考えました�しかしいくら考えても�私が
時 の こ と で し た� 問 題 集 が す ら す ら と 解 け� な ぜ こ う な る
やりたいと思うのはやはり簿記だけでした�
の か ま で 考 え な が ら 進 め る こ と が で き� 理 解 が 深 ま � て き
ていることを実感しました�
二年生になり簿記を学びたいという気持ちを抱いた二十名
が新たなクラスの仲間となりました�学年が上が�たという
そんなある時�友人から
ことで各教科の先生が変わり�簿記も一年生の頃に教えて下
�この問題はどうや�て解くの?�
さ�ていた先生とは別の先生に習うことになりました�その
という質問を受けました�私は自分で理解した方法で説明し
先生の授業を受けたクラスは検定の合格率が高いとの噂を聞
てみました�しかしうまく伝えることができず�むしろ余計
いていたのですが�新たなクラスメイトのほとんどがその先
に混乱させることにな�てしまいました�検定前なのに悪い
生の大きな声を耳にしたことがあり�私たちの中では厳しい
ことをしてしま�たと申し訳なく思うと同時にうまく教える
というイメ�ジが付いていました�そのため最初の授業は皆
ことができなか�たことに悔しさを感じ�どうしたら理解し
緊張して教室内の空気がピリピリとしていたのを覚えていま
てもらえるのかいろいろと考えました�そして物を使�たり
す�その環境の中での授業は一年生の頃のような楽しさを感
紙に書いたりと教え方を工夫してもう一度説明してみまし
じることはできず�授業の後には疲ればかりが残りました�
た�すると友人の口から�
�あ!なるほどね!�
しかし私は確実に授業の内容が身についていることを感
じ ま し た� そ う 思 � た の は� そ の 先 生 が� 答 え は な ぜ そ う
という言葉が飛び出しました�私の説明で理解してもらえた
なるのか�というところに重点を置いて教えて下さ�てい
のです�私は達成感や嬉しいという気持ちでい�ぱいになり
たからです�会計コ�スで目標とするのは�高校卒業までに
ました�そしてその時�簿記の先生�という新たな夢が生ま
日 商 簿 記 検 定 二 級� 全 商 簿 記 検 定 一 級 を 取 得 す る こ と で す�
れたのです�
当 然 で す が 級 が 上 が る ご と に 内 容 は 高 度 に な � て い き� 暗
高校で初めて簿記と出会い�簿記を好きになり会計コ�ス
記 だ け で 合 格 す る こ と は 難 し く な り ま す� な ぜ そ う な る の
を選びましたが�将来の夢が変わるとは思�ていませんでし
か� ど の よ う な 工 程 を 経 て そ の 結 論 に た ど り つ く の か� そ
た�しかし私は教師という夢を抱く以前から憧れている先生
こ ま で 理 解 し て い な い と 応 用 問 題 に は 対 応 で き な い の で す�
がいました�初めはその先生の優しさや温かさを感じ�私も
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夢を叶えたら
そんな人になりたいと思�ていました�そしていつの日から
か�私が教師にな�たらそんな先生になりたいとも考えるよ
うにな�ていたのです�今考えると�その先生に出会�た時
から私は教師になりたいという気持ちを抱き始めていたのか
もしれません�
私は会計コ�スの目標である日商簿記検定二級�全商簿記
検定一級を取得することができました�卒業までに取得する
という目標は達成したものの�人に教える立場を目指すから
には更に上の資格を取りたいと思�ています�進路はもちろ
ん四年制大学の商学部への進学を希望しています�そこで今
よりも多くの知識を身につけ�より高いレベルの資格�そし
て商業の教員免許を取得したいと考えています�
下
桃
子
愛国高等学校
三年
松
私は今�看護師になる為に愛国高校の衛生看護科に通�てい
ます�私にと�て看護師という職業は�夢であり�憧れです�
私が看護師になりたいと思�たのは小学生の頃です�その
頃は深い事は考えず�母が看護師だからというだけで決めて
いました�真剣に考えたのは中学三年生の進路を考える時で
す�母から本校の衛生看護科を薦められました�その時に看
護師としての母の話を聞き実習が大変だ�た事や�勉強が難
しか�た事など昔の思い出を話してくれました��衛生看護
科に行くと看護師以外の道を目指しにくくなるからよく考え
なよ��と言�てくれました�私は頑張ろうと思い本校を受
験し�合格することができました�
入学して三年�高校三年生にな�た私は今臨地実習を行�
ています�忙しく睡魔と戦いながらも充実している毎日を過
ごすことができています�
�
先日�母性実習で産婦人科を見学させていただきましジた
�ク フ
産 婦 人 科 に は 出 産 を 控 え た 妊 婦 さ ん や� 出 産 を 終 え た 褥 婦
さんが毎日数多く訪れます�その中で助産師の職域はとても
幅広く�出産の介助から母親の産後のお世話�沐浴・授乳指
導�退院指導など多くの事をこなします�定期健診や個別相
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いつか必ず夢を叶え�私が先生を尊敬するように�生徒か
ら尊敬される先生になれるよう努力したいと思�ています�
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談も行�ています�私は看護師の資格をもつ助産師さんの助
薬の無い地域などの医療・看護があります�色々調べていく
産師外来を見学しました�女性同士ということもあり�話し
うちにとても過酷で悲惨な現状�どうにもならないことが多
やすそうな和やかな雰囲気の中で出産に対する不安などの相
くあるということを知りました�
談を行�ていました�初めての出産で分からない事だらけの
なぜ国境なき医師団の看護師になりたいと思�たか尋ねて
妊婦さんに不安を取り除くかのように一つ一つ丁寧に相談に
みると�自分の限界まで試してみたいから�と言�ていまし
のるその様子を見学しているうちに�私の中で�憧れ�の気
た�その言葉を聞き�なんてストイ�クなのだろう�と思い
持ちがでてきました�それは幼い頃に抱いた中途半端な気持
ました��国境なき医師団の看護師になりたい�なんて軽い
ちではなく�助産師になりたい�という強い気持ちです�あ
気持ちで言う事は出来ないと思います�私はただ�すごいな�
とでその助産師さんに話を伺うと�産婦人科で看護師として
という尊敬の気持ちでした�私にはまだそんな事の言える勇
働いているうちに�も�と色々な事をしてみたくて助産師の
気も覚悟もありません�ですが�数十年後の私に知識・技術
資格も欲しくな�た��とお�し��ていました�今�私の
が共に備わ�た時�また考えてみたいと思いました�そして
夢は看護師になることです�そしてその夢が叶�たら�いず
そんなか�こいいストイ�クな人になりたいと思いました�
れは�助産師になりたい�と思いました�
海外研修の帰りの飛行機で私は座席のポケ�トにある物を
見つけました�それはユニセフの�航空機内募金活動�の封
高校三年生の夏休み�私は学校の海外研修のプログラムに
参加し約三週間アメリカでホ�ムステイを経験しました�言
筒でした�海外から持ち帰�た外国のお金を世界の子供たち
葉も文化も通じずや�ていけるか不安でした�私のホストマ
のために役立たせるとい�たものです�私はふと�国境なき
ザ�はカンボジア人でした�日本への留学経験があり日本語
医師団について調べてみた時のことを思い出しました�私は
も英語もカンボジア語も話せる方であり�間違�た英語は正
財布からお金を取り出し封筒に入れました�ち�ぽけな金額
しく直し�難しい英語は日本語で話してくれました�ホ�ム
だ�たかもしれませんが�その小さなお金でも国境を超え誰
ステイ開始から一週間が経�た日の夜��将来何になるの?�
かのためになると思うと嬉しく感じました�
と聞かれました�私は看護師になる為に衛生看護科に通�て
私は今回�夢のまた夢を考える事ができました�どんな夢
いる事や助産師にもなりたいと思�ている事を話しました�
であれ人の役にたちたいと強く思います�夢は実現させなけ
するとホストマザ�の妹が看護師として働いている事がわか
れば意味はありません�甘い覚悟ではなく自分にストイ�ク
りました�彼女はいずれ国境なき医師団の看護師として働き
に夢に向かいます�その為にもし�かり勉強をしていき知識
たいと考えているそうです�国境なき医師団の活動は紛争地
や技術を得て看護師になるという夢を必ず叶えます�
や難民・国内避難民�自然災害被災地�感染症流行地�病院・
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私の進路
思います�また�自動車整備士になりたいという私を家族は
理解し�応援してくれます�父や従兄弟は自らの進路につい
て話してくれたり�自動車整備士の資格を得るために受ける
べき講習を教えてくれたりします�家が自動車整備の仕事を
日本工業大学駒場高等学校 一年
しているからとはいえ�自分の目指すことを応援し�支えて
髙 橋 な な こ
くれる人達が家族であるという事を�私はとても幸せに思い
ます�そして�そんな家族の人達は私の宝物であり�誇りです�
私 は 自 分 の お お ま か な 進 路 を 中 学 生 の 頃 に 決 め て い ま し しかし�私にはとても心配で不安に思う事が二つあります�
た�それは��自動車整備士�になるための進路です�
一つは�責任の重さ�です�自動車は人の命を乗せています�
家族連れなど�一人ではなく複数人が乗る事も多くあります�
私の家は自営業で自動車整備をしています�そのため�小
さい頃から�手伝い�として父に工場へ連れて行�てもら�
そんな自動車を整備していて�もし整備漏れがあ�たら大き
ていました�小さな私に手伝える事はとても限られていて�
な事故につながります�一度に複数の命が危険にさらされま
見学ばかりでしたが�そうして祖父や父の背中を見ている内
す�たかが整備�されど整備なのです�前に�職業説明会で
に�いつからか自動車の整備に興味を持つようにな�ていま
話をしてくださ�た自動車整備士の方も��責任の重い仕事
した�
だ�と話していた事を強く覚えています�そんな重い責任を
背負えるのか�今の私はとても不安です�
興味を持�た�自動車整備士�に私もなろうと本格的に思�
たのは�中学二年生の時でした�私には兄が二人いますが�
もう一つの心配な事は�
�本当に自分が自動車整備士になれ
二人とも自動車整備士という道を選びませんでした�このま
るか�という事です�祖父や父の仕
までは自営業である会社が無くな�てしまうと考えた私は�
事を見ていると�様々な部品を取り
将来就きたい仕事に自動車整備士を選びました�
替えたり�点検しています�そして�
それぞれに使う工具や部品の交換の
将来就きたい仕事に自動車整備士を選んでから�私は従兄
弟が通�た自動車整備学校について調べたりし�具体的な進
順序�取り替えたオイルの処理など
路の道筋をたてました�そして�時間のある日は工場に連れ
を手早く行い�お客様から自動車の
て行�てもらい�自動車の整備を少しずつ勉強し始めました�
不調を聞くとすぐに整備の目星をつ
小さか�た頃の見学とは違い�工具の名前を少しずつ覚えて
け� 自 動 車 を 修 理 し て し ま い ま す�
きたので今ではち�んとした手伝いができるようにな�たと
整備士にな�て何十年の父達と自分
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藤
香
菜
海
東京都立農業高等学校
二年
伊
学 校 の 門 を く ぐ る と� 我 が 高 校 を 象 徴 す る 一 本 の 大 き な
ス ギ の 木 が 立 � て い ま す� そ れ は 開 校 当 時 か ら 守 ら れ て い
るもので�長い歴史を物語�ています�
敷 地 内 に は� 広 い 畑 や 果 樹 園� ビ ニ � ル ハ ウ ス� 種 類 豊
富 な 農 工 具� ト ラ ク タ � な ど が あ り� 普 段 暮 ら し て い く 中
でなかなか目にしない様な光景が広が�ていました�
私 の 通 � て い る 農 業 高 校 に は� 農 業 に 関 す る 科 が 三 つ あ
ります�
人と緑との関係を学ぶ�緑地計画科�食品製造�食品化学�
応 用 微 生 物 な ど に つ い て 学 ぶ� 食 品 科 学 科� そ し て 私 が 学
ん で い る 都 市 園 芸 科 で は� 都 市 に お け る 園 芸 の 生 産� 流 通�
利用などについて勉強しています�
� 農 業 � と 一 言 で 言 � て も� 畑 を 耕 し て 作 物 を 育 て� 収 穫
す る と 言 う 事 だ け で は な く� 色 々 な 方 面 で 農 業 が 関 わ � て
いる事を知りました�
今� 私 が 学 ん で い る 野 菜 や 草 花 の 栽 培 で は� 自 分 た ち の
手 で 一 か ら 作 業 を し て い ま す� 土 を 耕 し� 畑 を 作 り� 種 を
ま い て� 肥 料 を ま い て� 水 を あ げ� 周 り の 雑 草 を 抜 い た り�
病 害 虫 を 駆 除 し た り と� と に か く 成 長 し て 収 穫 で き る ま で
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!
農業
では全く違うと分か�ていても�
�私はそんなにたくさんの事
を覚えられない�と思�てしまいます�不調の原因を探るた
めに必要な自動車の構造を覚えるというのも�覚えきる事が
できるか不安です�
�好きこそ物の上手なれ�という言葉もあ
りますが�私は自動車が特別好きというわけでもない為�き�
とおもしろいようには覚えられないと思います�
�自動車の事
が大好きだから�構造を全て理解して自分の好きなようにエ
ンジンを触りたい�この車種とあの車種ではここの部分が違
うため�燃費が変わ�てくる�というように�苦手意識がな
い状態であれば苦に思う事もなく�楽しく覚えられますよね�
できるのであれば�私もそのように思えるようになりたいで
す�
このように�私には�責任の重さ�や�整備士になれるの
か�とい�た不安があります�しかし�それらはこれからの
学校生活や本格的な整備士の勉強をしていく上で�自分に�あ
る程度の自信を持てるようになる�ことにより�徐々に薄ま
るだろうと思います�そして�祖父や父のような自動車整備
士になれるよう�強い気持ちを持�て勉強していくでし�う�
今の私は�まだその前の�不安な気持ちを取り除く段階にい
るにすぎません�まだ�自動車整備士への進むべき道を歩き
始めたばかりです�これからの学校生活で焦らず�少し先の
自分のために生活していきたいと思います�想像しているよ
りも大変で辛い道かも知れませんが�私は絶対に自動車整備
士になります�
これが私の進路です�
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時 間 が か か る 上� 手 が 抜 け な い で す� 真 夏 の 炎 天 下� 温 室
し た� も ち ろ ん� 辛 い 事 ば か り だ け で は あ り ま せ ん� 天 気
で の 作 業� 真 冬 の 雪 の 中 で も 関 係 な し に 作 業 を し な け れ ば
が良い日に花に水をあげている時や自分なりのアレンジメ
な り ま せ ん� 栽 培 す る 事 が こ ん な に も 大 変 な ん だ と� 想 像
ン ト が 完 成 し た 時 は 本 当 に 幸 せ で す し� 将 来 の 夢 の 為 と 思
と現実のギ��プに驚かされました�
い�頑張�ています�
そ ん な 時 で も� 仲 間 と 声 を 掛 け 合 う と� 自 然 と 頑 張 れ た 最 近 私 は� 園 芸 療 法 と 言 う も の に も 興 味 を 持 ち ま し た�
りして�不思議とパワ�が湧いてきます�
園芸療法は既に十八世紀から実施されていたそうなのです
が� 最 近 ま で 全 く 知 り ま せ ん で し た� 土 や 植 物 に 触 れ る 事
ど の 植 物 栽 培 に も 共 通 し て 言 え る 事 は� 一 つ で も 作 業 を
怠 る と 成 長 が 遅 く な � た り� 虫 に 食 わ れ て し ま � た り� 病
に よ � て 心 が 豊 か に な り� 気 持 ち を 穏 や か に す る 事 が 出 来
気 に な � て し ま � た り し て し ま い ま す� 当 然 の 事 で す が�
る と い う 事 で し た� ま た� 園 芸 作 業 を す る 事 で� 手 や 足 の
植 物 は 生 き て い る の で す� 汗 を 流 し� 時 間 を か け て 育 て て
リ ハ ビ リ に も な る そ う で す� 私 も 植 物 と 触 れ 合 � て い る 時
あ げ る の で す� 楽 し て 良 い も の は 育 ち ま せ ん� 本 気 で 向 き
は� 気 持 ち が 涼 々 し く な り ま す し� 農 業 を 教 え て 下 さ � て
合 う こ と が 大 切 で す� だ か ら こ そ 農 業 は 楽 し い の だ と 思 え
い る 先 生 方 は� い つ も
ました�
優しく笑顔で接してく
れ て い ま す� 土 や 植 物
育 � た 野 菜 は 収 穫 し� 自 宅 に 持 ち 帰 る 事 が 出 来 ま す� 学
校 帰 り の 私 の か ば ん の 中 に は� 教 科 書 と� ダ イ コ ン� ジ �
に は� 人 を 優 し く し て
ガ イ モ� ト マ ト� キ � ウ リ な ど が ぎ � し り 入 � て い ま す�
くれる見えない力があ
取 り 立 て の 新 鮮 な 野 菜 を 持 ち 帰 る と� 母 が と て も 喜 ん で 夕
るようです�種をまき�
食を作�てくれます�そして家族が�美味しい��とい�て
芽 が 出 て� 葉 が つ き�
食べている姿を見た時�私は一番喜びを感じます�
花 が 咲 き� 実 が な る 姿
を 見 て い る と� 生 命 の
二 年 生 に な る と� 農 業 の 授 業 の 選 択 肢 が 広 が り� 生 産 専
攻 と デ ザ イ ン 専 攻 に 分 か れ� 各 分 野 を よ り 深 く 勉 強 す る 事
すばらしさを感じさせ
が 出 来 ま す� 私 は 将 来� ブ ラ イ ダ ル フ ラ ワ � デ ザ イ ナ � に
て く れ ま す� そ ん な 気
な り た い の で� デ ザ イ ン 専 攻 を 選 択 し ま し た� デ ザ イ ン 専
持ちにさせてくれる植
攻 で は� 草 花 の 栽 培 と ア レ ン ジ メ ン ト を 交 互 に 行 � て い ま
物 と 関 わ り な が ら� 心
す� 草 花 の 栽 培 は 見 た 目 の 華 や か さ と は 裏 腹 に 力 仕 事 で�
身に悩みや不安を抱え
現実はそんな甘いものではないという事を思い知らされま
ている方のサポ�トが
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馬との出会い
出来る�園芸療法についても勉強してみたいと思いました�
こ の 夏� 私 は 農 業 関 係 の 大 学 や 専 門 学 校 に 行 � て き ま し
た� ブ ラ イ ダ ル フ ラ ワ � 科 が あ る 専 門 学 校 の オ � プ ン キ �
ン パ ス で は� 現 在 結 婚 式 場 で 働 い て い る 方 の お 話 を 聞 く 事
東京都立農芸高等学校
二年
が 出 来 ま し た� 技 術 を 磨 く 為 に� 仕 事 が 終 わ � て か ら も フ
大
澤
萌
ラ ワ � ア レ ン ジ メ ン ト の 練 習 を し て い る そ う で す� 一 つ 一
つ 丁 寧 に 育 て あ げ た き れ い な 花 を さ ら に ア レ ン ジ し て� み
んなを笑顔に出来るフラワ�デザイナ�になりたいと思い
馬 に� お は よ う � と 言 � て� 私 の 一 日 が 始 ま り ま す� 馬
ま し た� 農 業 関 係 の 大 学 で は� 野 菜 を も � と 美 味 し く 育 て
術 部 に 入 り� 馬 た ち と 出 会 � て 一 年 半 が 経 ち ま し た� 毎 朝�
る に は ど う し た ら 良 い の か� ま た� 育 て た 野 菜 の 流 通 の 仕
厩 舎 で 馬 た ち に エ サ を あ げ� 馬 房 掃 除 を し て か ら 教 室 に 行
方 な ど 新 た な 取 り 組 み を 研 究 さ れ て い る そ う で す� 農 業 は
き ま す� 放 課 後 は� 馬 場 に 馬 を 連 れ て 行 き� 部 員 や コ � チ
奥が深く�改めて農業の難しさ�大変さを感じました�
に馬術を教えていただき�日々練習に励んでいます�
農 業 高 校 に 入 学 し て� た だ 植 物 を 栽 培 し て い る の で は な 入 学 当 初� 私 よ り も 背 の 高 い 馬 に な か な か 近 づ く こ と が
く� よ り 多 く の 事 を 学 ん で い ま す� 自 然 と 触 れ 合 い� 一 粒
で き ま せ ん で し た� 見 て い る と カ ワ イ イ と 思 う の で す が�
の 種 を 育 て て 収 穫 が 出 来 た 時� 花 が 咲 い た 時 の 嬉 し さ� そ
馬 の 前 に 立 つ と� 耳 を 伏 せ て 威 嚇 し て き た り し て� 少 し 怖
し て 美 味 し く い た だ け た 時 の 喜 び を 感 じ て い ま す� ま た�
か � た で す� 馬 に 乗 � て も� な か な か 言 う こ と を 聞 い て く
仲 間 と の 触 れ 合 い� 声 か け の 大 切 さ な ど� こ れ ら は 人 間 に
れ ず� め げ そ う に な � た こ と も 何 度 も あ り ま す� し か し�
と � て か か せ な い も の で す� こ れ こ そ が 農 業 の 醍 醐 味 な の
先輩たちの姿を見ていると�自分の合図で馬を動かし�様々
ではないかと思いました�
な 形 の 障 害 物 も 普 通 に 飛 ん で い ま し た� 私 も 上 手 く な � て�
馬を私の思�たように動かせるようになりたいと強く思�
た こ と を 今 で も 覚 え て い ま す� ま ず は 馬 と 仲 良 く な り� 人
馬 一 体 と な れ る よ う に 頑 張 る こ と を 目 標 に 定 め� 毎 日 目 標
に向けて練習に励みました�
初 め て 大 会 に 出 場 し� 馬 場 の 経 路 を 回 � た 時� 障 害 物 を
飛 ん だ 時� 不 安 や 緊 張 は あ り ま し た が� そ れ 以 上 に� 楽 し
いという気持ちで一杯でした�練習してきてよか�た�も�
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と上手くな�て高いレベルの種目に出場したいと強く思い
魅 力 を 伝 え て い ま す� 他 に も� 練 習 を 見 に 来 た 保 育 所 の 子
ま し た� 馬 術 競 技 は� 野 球 や サ � カ � の よ う に 団 体 で 出 場
供 た ち や 近 所 の 方 々 に� 馬 の 魅 力 を 分 か � て も ら え る よ う
す る 競 技 で は な く� 個 人 で 馬 と と も に 出 場 す る 競 技 で す�
に� 分 か り や す く 馬 の 説 明 を し た り� 近 く で 馬 を 見 て も ら
し か し� 出 場 す る 選 手 だ け で は 成 り 立 た な い ス ポ � ツ で す�
う 活 動 を し て い ま す� 十 一 月 に 行 わ れ る 文 化 祭 で も 乗 馬 体
部 員 の 支 え が な け れ ば 出 場 す る こ と は で き ま せ ん� ま た�
験 を や � て お り� 最 初 は 怖 い と 言 � て い た 女 の 子 が� 馬 か
コ � チ� 部 員� 親� 先 生� 地 域 の 方 々 の 協 力 が あ り� 部 活
ら 降 り た 時 に 馬 を カ ワ イ イ と 言 � て く れ ま し た� す ご く 嬉
が 成 り 立 � て い ま す� こ れ か ら も 馬 術 部 を 支 え て く れ て い
し か � た で す� ま た� 厩 舎 の 外 で 馬 の 名 前 を 呼 ん で い る 近
る 多 く の 方 々 へ の 感 謝 の 気 持 ち を 忘 れ ず に� 大 会 に 向 け た
所 の 方 々 や 子 供 た ち の 声 を 聞 く と� 私 も 嬉 し く な り ま す�
練習に励んでいきます�
これからも馬好きの人がも�と増えるように頑張ります�
私 は 馬 と 出 会 � て� 今 ま で の 生 活 が 大 き く 変 わ り ま し た� 高 校 で 馬 術 部 に 入 り� 馬 の 魅 力 に 引 き 込 ま れ ま し た� 二
生 活 の リ ズ ム も� 起 床 時 間 も� 毎 日 馬 中 心 の 生 活 に な り ま
年 生 に な � た 私 は� 馬 た ち と 一 緒 に 人 の た め に 役 に 立 て る
し た� 朝 昼 夕 と 馬 と 一 緒 に い る と� 愛 着 が ど ん ど ん 湧 い て
こ と が な い か と 思 う よ う に な り ま し た� あ る 本 を 読 ん で�
い き� 一 日 で も 会 わ な い だ け で 寂 し く な り ま す� そ し て�
私 は 将 来 や り た い こ と が 決 ま り ま し た� 今 は ア ニ マ ル セ ラ
今 で は 馬 の 性 格 や 癖 な ど が 分 か る よ う に な り ま し た� 馬 は
ピ � を 学 び� 動 物 が 人 に ど れ だ け 影 響 を 与 え る こ と が で き
環 境 や 気 候 が 大 き く 変 わ る と 体 調 を 崩 し た り� 練 習 や 手 入
る の か� 癒 や す 力 が あ る の か� 自 分 で 研 究 し た い と 考 え て
れ中�馬は人を見ており��この人はまじめにやらないと怒
い ま す� そ し て� 将 来 は 乗 馬 を 通 し て� 生 き る 力 を 身 に 付
られるな��など�馬が思�ていることを感じることができ
けることができると言われているホ�スセラピ�の仕事に
る よ う に な り ま し た� 馬 は と て も 繊 細 で 賢 い 動 物 で す� な
就 き� 馬 の 力 を 最 大 限 に 利 用 し て� 多 く の 方 々 を 幸 せ に し
により馬は人を笑顔にさせることができる力をも�ていま
た い で す� そ の た め に も 今 で き る こ と を き ち ん と や り� 人
す� 私 は そ の 力 に 何 度 も 救 わ れ ま し た� 辛 い こ と が あ � て
の 気 持 ち や 馬 の 気 持 ち に つ い て 勉 強 し� 将 来 の 夢 に 向 か �
も�馬は幸せな気持ちにしてくれます�私にと�て馬たちは�
て馬術部の活動を頑張�ていきたいです�
私 の 人 生 に 欠 か せ な い 存 在 で あ り� 家 族 と 同 じ く ら い 大 切
私 は 今� 馬 や 馬 術 部 の 仲 間 た ち と 出 会 え て� 本 当 に 幸 せ
です�
です�
馬 術 部 で は� 地 域 の 方 々 と の 交 流 も 行 � て い ま す� 近 く
の 小 学 校 に 馬 を 連 れ て 行 き� 馬 場 馬 術 を 見 て も ら � た り�
小 学 生 に ニ ン ジ ン を あ げ て も ら う 体 験 な ど を 通 し て� 馬 の
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命の尊さ
村
今
日
子
東京都立瑞穂農芸高等学校
四年
有
私 は� 自 分 の 命 を 大 切 に 生 き て い き た い と 考 え て い ま す�
瑞 穂 農 芸 高 校 定 時 制 の 農 業 科 で は� 毎 年 三 年 生 が 授 業 で 鶏
の と 畜 を す る こ と に な � て い ま す� 三 年 生 に な � た 私 は�
適 当 な 覚 悟 で� ま あ� 自 分 に も で き る だ ろ う � と 軽 く 考 え
て い ま し た� 当 時 の 私 に は� 命 と い う も の が よ く わ か � て
いなか�たのです�
鶏 の ヒ ナ が 学 校 に 来 た こ と を 知 り� 動 物 好 き の 私 は� す
ぐに育すう舎というヒナを育てている場所へ見に行きまし
た� 孵 化 し て か ら 数 日 し か 経 � て い な い ヒ ナ は� 片 手 で 握
ら れ る ほ ど 小 さ く� 一 生 懸 命 生 き よ う と し て い ま し た� 私
は� 毎 日 育 す う 舎 へ 通 い� 何 枚 も 写 真 を 撮 � て� ヒ ナ の 成
長 を 観 察 す る こ と に し ま し た� ヒ ナ は� 始 め の う ち 高 所 を
怖 が � て い ま し た が� 徐 々 に 私 の 背 や 頭 に 登 る よ う に な り
ました�また�声は�いつの間にか大人の鶏の鳴き方になり�
体 も 大 き く な � て い き ま し た� 私 は� そ の 成 長 速 度 に 驚 き�
喜 ん で い ま し た� し か し� 日 が 経 つ に つ れ て� 体 の 大 き さ
が 異 常 で あ る こ と を 感 じ る よ う に な り ま し た� 足 の 大 き さ
に 対 し て 体 が 大 き く 太 り す ぎ て い る と 思 � た か ら で す� そ
し て� 自 分 の 体 重 に 耐 え ら れ な く な � た 一 羽 の ヒ ナ は� 足
が 折 れ� 水 を 飲 め な く な り� つ い に 死 ん で し ま � た の で す�
その姿を見た私は��本当に人間に食べられるためだけに生
まれてきた子なんだ�と実感し�悲しくな�てしまいました�
数 � 月 経 ち� ヒ ナ か ら 大 人 の 鶏 に な � た 頃� 担 当 の 先 生
か ら と 畜 を 行 う 日 程 を 伝 え ら れ ま し た� そ れ を 聞 い た 私 は�
こ れ か ら 罪 で も 犯 す よ う な 気 分 に な り ま し た� そ し て� ど
ういう覚悟で臨めばいいのかわからないままと畜実習の日
に な � て し ま い ま し た� 始 め は 先 生 に 手 本 を 見 せ て も ら い
ま し た� 首 の 後 ろ を 小 さ い 包 丁 で 深 く 切 り� 血 抜 き� 脱 皮
を し て か ら 解 体 を す る と い う 流 れ で す� 動 物 を 殺 し た こ と
がなか�た私は�包丁を持�た瞬間�緊張で手が震えました�
�一気に切らなければ
鶏が痛い思いをする�
と 先 生 に 言 わ れ� 私 は
開き直るよう自分に言
い 聞 か せ な が ら� 鶏 の
首 を 切 り ま し た� 切 �
てすぐに死ぬというわ
けではありませんでし
た が� 私 に と � て は 想
像 よ り も あ � け な く�
一瞬だ�たように感じ
ま し た� 切 � た と き の
そ の 感 触 は� 一 生 忘 れ
ることはできないと思
います�その後も私は�
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専門教科の学習で学び得たこと
殺 す こ と を 嫌 が る 人 た ち に 代 わ り� 同 じ こ と を 何 度 も 繰 り
が 始 ま る 数 分 前� 腹 を 空 か せ た 豚 た ち が 啼 き だ す 中� 入 口
返 し ま し た� 脱 皮 の 後 の 解 体 は� 特 に 嫌 な 思 い を す る こ と
から7番目のスト�ルに収容されたその豚は決して起きて
もありませんでした�羽のない状態の鶏は�近所のス�パ�
はくれなか�た�
等 で よ く 見 か け る 鶏 肉 と 全 く 同 じ だ � た か ら で す� 数 日 後
学んでいる�畜産科学科では2年生から
私は高校で畜産がを
ん
に 私 た ち の 鶏 は� 燻 製 に な り� 実 習 を 行 � た 生 徒 で 食 べ ま
酪農・養豚・愛玩動物の3類型に分かれ�類型の授業�管理
した��と畜され�加工したものを私はいつも食べているん
が加わる�1年生の3学期に類型が決まり�
養豚類型での日々
だ�という実感を初めて持ちました�
が始ま�た�冬休みも明け�作業に慣れ始めたころ�担当の
母豚を決める�母豚の担当者になると発情確認�種付け�受
今 回 の 実 習 で� 私 は テ レ ビ や 動 画 だ け で は わ か ら な い�
本当の命の大切さを知りました�命を奪うのは�一瞬でした�
胎確認�分娩�離乳という繁殖に関わる役割を任される�生
し か し� 一 瞬 だ � た か ら こ そ� 私 は そ の 命 が 重 く� 尊 い も
産の元手となる母豚をサポ�トする重要な仕事だ�
の に 感 じ ら れ ま し た� 動 物 に 限 ら ず� 私 は 毎 日 魚 や 植 物 か
私の担当豚は�トン吉�に決ま�た�先代の種雄豚�ギンガ�
ら も 命 を も ら � て 生 き る こ と が で き て い ま す� 命 を く れ た
と 現 在 の 種 雄 豚� ヤ マ ト � を 生 ん だ ベ テ ラ ン� 温 厚 従 順 で
生 き 物 に 感 謝 す る た め に は� ま ず 自 分 が し � か り 生 き て い
皆 に 愛 さ れ る 豚 だ� 2 年 生 の 4 月 下 旬 か ら 6 月 に か け て 豚
く こ と が 大 事 な の で す� 一 生 懸 命 に 生 き て い た 鶏 の ヒ ナ の
舎は分娩ラ�シ��トン吉の種付けも意識し始めた5月末�
ように�私も自分の命を大切にして生きていきたいです�
�トン吉も次の発情が来たら付けるよ��
と 先 生 に 言 わ れ た� ト ン 吉 の 場 合� 親 子 の た め ヤ マ ト と の
自然交配は出来ないので外部から買�た精液で人工授精を
し た� 陰 部 に カ テ � テ ル を 挿 入 し� 子 宮 頸 管 に 精 液 を 注 入
す る の だ が� 奥 ま で 挿 入 す る の が 難 し く 血 が 垂 れ て き た�
おそらく尿道を傷つけてしま�たのだ�
東京都立瑞穂農芸高等学校
6 月 に 入 � て か ら 血 尿 や 血 便 が 多 く 見 ら れ� あ る 日 エ サ
二年
を 食 べ な く な � た� 膀 胱 炎 を 起 こ し て い た� こ ま め に 水 を
小 林 芙 由
飲 ま せ� 管 理 後 は エ サ を 練 り 餌 状 に し� 口 に 突 � 込 み 食 べ
さ せ た が 食 欲 は 戻 ら な か � た� 抗 生 物 質 を 投 与 し た が 膀 胱
の 痛 み は 治 ま ら ず 尿 の 出 な い 日 が 続 い た� 皆 が 心 配 し て 様
子 を 見 て く れ た が ト ン 吉 は 死 ん で し ま � た� 2 0 0 ㎏ 越 え
�トン吉�死んじ��たよ��
更 衣 室 で 談 笑 し て い る 時� 先 生 の 声 が 耳 に 入 � た� 管 理
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の巨体を皆で豚舎入口まで運び終え�顔を覗き込む�
理 由 か ら 殺 処 分 と い う 強 力 な 措 置 を と る� 本 来 な ら 乳 や 肉
�
を も � と 生 産 で き た は ず な の に 殺 さ れ る� 感 染 し た 家 畜 の
�目閉じていてよか�たよね�苦しまずにいけたかな�
隣にし�がむ友人も同じことを思�たようだ�やはりトン吉
乳や肉を食べても感染しないが他の家畜への感染を防ぐた
は皆に想われているんだなあ�少しうれしく誇らしく思�た�
め 死 体 は 速 や か に 埋 却 処 分 さ れ る� 資 源 と し て 利 用 す る こ
と も で き な い� 農 家 も 獣 医 師 も や り き れ な か � た だ ろ う�
次 の 日� ト ン 吉 は 化 製 場 へ 行 � た� 農 場 で 死 ん だ 豚 は�
食 肉 に は な ら な い� 化 製 場 で 丸 ご と 砕 か れ 高 温 処 理 を し て
救 い た い の に 殺 す し か な い 無 力 さ� ま だ 利 用 価 値 の あ る 家
飼 料・ 肥 料 と な る ら し い� ま だ 子 を 残 せ た は ず な の に 死 な
畜 た ち を 処 分 す る と い う 不 条 理� 経 済 動 物 は 人 の 都 合 に 合
せ て し ま � た� 豚 舎 で 死 ん だ た め に 食 肉 利 用 も で き な い�
わ せ て コ ン ト ロ � ル さ れ 利 用 さ れ て き た� だ か ら こ そ せ め
死体を速やかに処理するためにお金を払�て化製場に引き
てその家畜の能力を最大限発揮できる環境をつく�てやり
取 � て も ら う� 経 済 動 物 は 人 間 の 都 合 に 合 わ せ て 利 用 さ れ
た い� 排 泄 物 や 死 体 も 不 要 物 に し た く な い� 価 値 を 持 た せ
尽くすのだと実感した�
た い� 家 畜 と 関 わ � て い く 中 で そ う 思 う よ う に な � た� そ
してそれは畜産に携わるすべての人の望みだろう�
夏 休 み 中� 数 人 の 産 業 動 物 獣 医 師 の 話 を 聴 く 機 会 が あ �
た� 動 物 を 助 け た く て 獣 医 に な � た が� 感 染 症 を 食 い 止 め
畜 産 は 多 く の 人 の 生 活 を 支 え る 産 業 だ� 豚 肉 の 生 産 一 つ
る た め に 殺 処 分 し な け れ ば な ら な い� 現 場 で は 大 動 物 を 扱
と � て も 様 々 な 人 が 絡 ん で く る� 養 豚 農 家� 飼 料 製 造・ 販
える獣医師が不足している�自分が動かなければ�2010
売 会 社� 器 具 器 材 販 売 会 社� 種 畜 生 産・ 販 売 会 社� 食 肉 処
年宮崎での口蹄疫の際�現場へ出動した獣医師は言う�
理 業 者� 加 工・ 流 通・ 販 売� そ し て 生 産 物 に 対 価 を 払 う 消
費 者 に よ り 成 立 し て い る� 食 に つ な が る 産 業 は 誰 に と � て
疾 病 予 防 の 有 効 な 手 立 て と し て ワ ク チ ン が あ る� し か し�
日 本 で は 口 蹄 疫 ワ ク チ ン を 使 え な い� 日 本 が ワ ク チ ン 非 接
も他人事ではない�生産者も消費者も�関連する多くの企業�
種 清 浄 国 だ か ら だ� 日 本 に は 口 蹄 疫 ウ イ ル ス を 保 有 す る 家
団 体� 公 的 機 関 も 誰 も が そ の 意 識 を 持 ち 続 け� 創 意 工 夫 を
畜がいないと専門機関に認定されることで畜産物の価値を
重 ね る こ と で よ り 良 い 畜 産 が 育 ま れ る� 今 ま で 培 � て き た
高 め て 他 の 清 浄 国 に 輸 出 で き る� ワ ク チ ン を 接 種 し た 動 物
� 常 識 �� 先 入 観 � が 改 善 の 妨 げ に な る こ と も あ る し� 知 識
は 抗 体 が で き� 感 染 し て も 症 状 を 示 し に く く 感 染 を 見 逃 し
や 経 験 が な け れ ば 情 報 の 取 捨 選 択 を 誤 り� 本 当 に 価 値 あ る
て し ま う� ま た� 抗 体 検 査 を し た と き 本 当 の 感 染 に よ り で
も の を 残 し て ゆ け な い� だ か ら 生 産 者� 消 費 者 が そ れ ぞ れ
き た 抗 体 と の 区 別 が つ か な い� 一 度 ワ ク チ ン を 接 種 す る と
の立場からどうしたら良くなるか考え続けなければならな
再び清浄国と認められるには抗体を持つ家畜を一掃しなけ
い�自分たちの暮らしに合�た畜産を構築するために�
れ ば な ら な い� 口 蹄 疫 は 人 に 感 染 す る 危 険 は な い が 経 済 的 私 は 実 習 や 管 理 で 感 じ 取 � た こ と� 学 び 得 た こ と� 蓄 え
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将来の夢
た 知 識 と 経 験 を 基 に 畜 産 の� 積 極 的 振 興 � に つ な げ て ゆ き
のヒ�ロ�に憧れる気持ちと同じで��パテ�シエ�という
たい�
職業をどこか遠い存在のように感じていた�
その憧れの気持ちからパテ�シエを将来自分が就きたい
職 業 と し て 真 剣 に 捉 え る よ う に な � た の は� 中 学 一 年 生 の
と き で あ る� 姉 の 同 級 生 が� 忍 岡 高 校 生 活 科 学 科 � に 進 学
し た と 聞 き� 高 校 生 の う ち か ら 家 庭 科 に 特 化 し た 勉 強 が で
き る と 知 � た� そ こ か ら 生 活 科 学 科 や パ テ � シ エ に つ い て
調 べ 始 め� 学 習 内 容 や パ テ � シ エ の 仕 事� 現 状 を 改 め て 知
東京都立忍岡高等学校 三年
る よ う に な � た こ と が き � か け だ� そ し て こ の 生 活 科 学 科
坂 本 理 香
に 進 め ば� 調 理 に 関 す る 技 術 や 知 識 が 身 に 付 き� 将 来 の 夢
に一歩近づくことができると思�た�
将 来� ホ テ ル な ど の 特 別 な 空 間 で� 特 別 な 瞬 間 に 華 を 添 入 学 し て か ら 様 々 な 授 業 を 通 し て パ テ � シ エ と い う 職 業
え ら れ る よ う な お 菓 子 を 作 る パ テ � シ エ に な り た い� こ れ
について�また働くことについてさらに深く考える機会が増
が私の現在の夢である�
え た� 一 見 � 関 連 の な い と 思 � て い た 授 業 や 単 元 で も 視 点
を変えてみると�栄養や調理の授業内容に役立つことがあ�
� 将 来 の 夢 は ケ � キ 屋 さ ん に な る こ と�� 幼 稚 園 の 卒 園 ア
ル バ ム の 表 紙 に は 拙 い 字 な が ら も 大 き く 書 か れ て い た� も
たり�新しい考え方に繋が�たりと物事が相互に作用しあ�
と も と� 調 理 師 免 許 を 持 つ 祖 母 の 影 響 で 幼 い 頃 か ら 食 に 関
て い る こ と が わ か � た� 自 分 が 必 要 だ と 思 � て い る こ と 以
わる仕事に興味があ�た�そこから洋菓子という一つのジ�
外 に も 目 を 向 け るこ とで � 視 野 が 広 が るのだ と 感 じ た �
ンルに興味が向いたのは五歳の誕生日に祖父母が買�てく
そ し て 現 在� 高 校 三 年 生 に な � て 課 題 研 究 と い う 授 業 で
れ た デ コ レ � シ � ン ケ � キ が き � か け だ� ケ � キ に 施 さ れ
� デ コ レ � シ � ン � の 研 究 に 取 り 組 ん で い る� 調 査 を 進 め る
た 綺 麗 な デ コ レ � シ � ン が 幼 い 私 に は 宝 石 の よ う に 見 え た�
う え で� 文 献 を 読 ん で い る と� 今 ま で 自 分 が 知 ら な か � た
薄力粉やバタ�などの形や性質も違う材料が合わさること
知 識 が 多 く あ � た� 中 学 一 年 生 の 時 か ら パ テ � シ エ や お 菓
で生まれる華やかなケ�キをいつか自分で作りたいと思�
子 に つ い て 調 べ� 様 々 な こ と を 知 � た つ も り で い た が� 知
たのである�
ら な い こ と が た く さ ん あ る と い う 驚 き の 一 方� ま だ ま だ 新
し い こ と を 知 � て い け る と い う 喜 び も 感 じ た� 今 後� 上 級
学 校 に 進 み� さ ら に 専 門 的 な 学 習 を し て も 新 た に 知 る こ と
し か し 今 改 め て 考 え て み る と� 幼 い 頃 の 気 持 ち は 単 な る
憧 れ だ � た よ う に 思 う� 例 え ば 童 話 の 中 の 王 子 様 や ア ニ メ
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私の将来の夢
が多くあるだろう��料理や製菓に究極はない�これらを仕
事にする者は一生が勉強なのだ�と語�た辻静雄先生の言
葉が今の私の信念である�
国際理容美容専門学校
十 二 年 前 に 志 し た 将 来 の 夢 は� 新 し い こ と を 知 る た び 変
二年
化してきた��ケ�キ屋さん�から�パテ�シエ�へ�そし
早 坂 実 莉
て 今 で は 理 想 の パ テ � シ エ 像 を 思 い 浮 か べ る ま で に な り�
新 た な 夢 も 増 え た� 誕 生 日 や 結 婚 式 と い � た 人 生 の 節 目 で�
私 の 将 来 の 夢 は� 美 容 師 で す� 美 容 師 に な り た い と い う
人 を 笑 顔 に で き る よ う な や り が い の あ る 仕 事 を し た い� 日
夢 を 持 � た 理 由 は 二 つ あ り ま す� 一 つ め は� 私 の 母 の 将 来
本とは違う環境の海外で働きたい�
の 夢 が 美 容 師 で 実 際 叶 え ら れ ず� そ れ で も 私 が 保 育 園 に 通
違 う 世 界 に あ る よ う な 遠 い 存 在 だ と 考 え て い た 思 い が�
い 始 め て 髪 の 毛 が 結 べ る く ら い に 伸 び は じ め た 頃 か ら� 私
年 を 重 ね� そ れ に 近 づ い て 現 実 味 を 帯 び れ ば 帯 び る ほ ど�
の 髪 の 毛 を か わ い く ヘ ア ア レ ン ジ を し て く れ て い ま し た�
夢 が 目 標 に な る� い つ ま で も 思 い 描 い て い る だ け で は 夢 の
も と も と 美 容 師 と い う 夢 を 持 � て い た の で� 周 り の 友 達 か
ま ま で も� そ の 夢 に 近 づ く た め の 行 動 を 起 こ し て 自 分 の 手
らもうらやましがられるほどヘアスタイルをしてくれてい
が 届 き そ う な と こ ろ ま で 近 づ い た ら� そ れ は た だ 描 い て い
たのを今でも覚えています�
た 夢 か ら 達 成 す べ き 目 標 に な る の だ と 思 う� 私 が 今� 憧 れ
自分でも髪の毛をアレンジ出来るようにな�た頃ぐらい
続 け た 夢 を 目 標 に す る た め に や ら ね ば な ら な い こ と は� 新
か ら� 友 達 の 髪 の 毛 も 最 初 は と て も 簡 単 な 二 つ 結 び だ � た
た に 知 る こ と を 恐 れ ず� 知 識 や 技 術 を 進 化 さ せ 続 け る 弛 ま
り� 三 つ 編 み を し て あ げ れ る よ う に な � て い ま し た� そ の
ぬ 努 力 を す る こ と で あ る� そ し て 一 日 も 早 く� 夢 か ら 目 標
頃 か ら� 自 分 や 友 達 の 髪 の 毛 を い じ � た り す る こ と が 好 き
へと近づいていきたい�
でした�
小学校に入学すると少しオシ�レをすることが好きにな
り� 学 校 の 友 達 が や � て い な い よ う な 髪 型 を 毎 朝 母 に や �
て も ら � て い ま し た� 保 育 園 に い る 時 と 変 わ ら ず 小 学 校 に
入 学 し て か ら も� 周 り の 友 達 に う ら や ま し い と い つ も 言 わ
れ て い ま し た� 高 学 年 に な る と 毎 朝 母 に ア レ ン ジ を や � て
もら�ていたのも自分で鏡に向か�て自分でやるように
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な�ていました�
中 学 校 に 入 り 規 定 の 制 服� 髪 型 に な り� 小 学 校 の と き よ
りもヘアアレンジをする機会が減�てしまいました�もし機
会 が あ � た と し て も 学 校 の 後 に 遊 び に 行 く 時 だ � た り� 学
校がない休みの日に自分や友達のをアレンジするくらいで
し た� 中 学 二 年 生 頃 ぐ ら い に な る と 進 路 を 考 え 始 め る 時 期
に な � て い ま し た� 周 り の 友 達 が ど ん ど ん 進 路 が 決 ま � て
いく中で私はなかなか行きたい学校が見つからずにいまし
た� そ の ま ま 決 ま ら ず 三 年 生 に な る と 本 格 的 に 友 達 は 志 望
校 を 決 め� そ の 学 校 に 進 学 す る た め 試 験 勉 強 を し て い る 人
達 が 沢 山 い ま し た� そ の 中 で 私 は 一 人 焦 � て 高 校 の 資 料 を
見ていると最後のペ�ジに今通�ている国際理容美容専門
学 校 の 美 容 高 等 科 を 見 つ け ま し た� そ の 少 な い 資 料 の 中 に
一 日 で も 早 く 美 容 師 に な り た い と 書 い て あ り ま し た� そ れ
を 見 た 瞬 間� こ の 学 校 に 通 い た い と い う 気 持 ち が 一 気 に 強
くなりました�物心がついてから�花屋さん�ケ�キ屋さん�
パ ン 屋 さ ん� デ ザ イ ナ � と よ く 小 さ い 頃 に 抱 く 夢 も 私 も あ
り ま し た が� 母 が 叶 え ら れ な か � た 美 容 師 と い う 夢 が あ �
た ので そ の 時 に 見つ け た 時 は と て も 惹 か れ て い ま し た �
そ し て も う 一 つ 美 容 師 に な り た い と 思 � た 理 由 は� 私 の
姉 に 障 害 が あ る か ら で す� 障 害 が あ る こ と で� じ � と し て
座�て待�ていることが出来なか�たりと慣れない環境に
行くことが大変なのでなかなか美容院に行くことが出来ず
に い ま し た� 姉 の 通 � て い る 学 校 に 行 く と 姉 と 同 じ よ う に
気 軽 に 美 容 院 に 行 け な い 子 供 が 沢 山 い ま し た� そ れ を 小 さ
い 頃 か ら 見 て い た 私 は� 障 害 の あ る 人 達 も 親 も 周 り の 目 を
高等学校の部 佳作
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気にせずに気軽に来れる美容院を作�てあげたいと強く思
いました�
自分の中で夢が美容師になるということが決まり�今通�
ている国際理容美容専門学校を受験することが決まりまし
た� そ し て 今 こ う し て 美 容 師 に な る た め に 勉 強 を し て い ま
す�
それぞれ強い個性を持�た仲間がいてみんな同じ夢を
持 � て い て� こ の 学 校 に 入 学 出 来 て よ か � た と 思 い ま す�
もちろん入学したては不安だらけで三年間や�ていけるか
わ か り ま せ ん で し た� す ぐ に 実 技 試 験 が あ り と て も 緊 張 し
て い た の を つ い こ の 間 あ � た よ う に 覚 え て い ま す� 一 年 生
の 中 で 何 度 も 実 技 試 験 が あ り ま し た� 何 回 か 不 合 格 だ � た
こ と も あ り ま し た� そ の 度 に 自 分 は 本 当 に 立 派 な 美 容 師 に
なれるのかと思いました�
でもくじけそうになる度に自分がどうして美容師になり
た い か を 見 つ め 直 し た り し て い ま す� そ の 他 に も 仲 の 良 い
友達と将来どんな美容師になりたいかやどんなサロンで就
職 し た い か を 話 し 合 � た り し て� ま た 夢 を 叶 え る た め に 頑
張ろうと思�て勉強しています�
も う 入 学 し て か ら 約 二 年 が 経 ち 沢 山 美 容 を 学 び ま し た�
学んだ中で得意なものが出てきたり苦手なものもありまし
た� 自 分 は カ � ト よ り 小 さ い 頃 か ら 好 き だ � た ヘ ア ア レ ン
ジ が 得 意 で し た� 最 近 は 前 ま で 母 が 姉 の 髪 の 毛 を 切 � て い
ましたが私が切�てあげられるまでになりました�
地 元 の 友 達 は 普 通 の 高 校 生 で� 自 分 は 高 校 生 と 美 容 学 生
を両立しています�その大変さにたまには普通の高校に通�
─ 47 ─
専修学校の部 優秀賞
将来の夢
希
帆
東京エアトラベル・ホテル専門学校
二年
科
18
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48
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保
私の将来の夢は�長野の良さを長野県の駅を利用されるお
客様に発信していく駅員になることです�私は 年間長野で
暮らしてきて�専門学校入学を機に初めて長野を離れました�
初めは東京で一人暮らしをすることに憧れて上京したので�
毎日が新鮮なことばかりでした�しかし同時に�東京での時
間を過ごす中で�東京にはない地元長野の魅力を改めて感じ
ることができました�長野を離れたからこそ感じることので
きた魅力をたくさんの人に伝えていきたいと考えるようにな
りました�
長野県の魅力を伝える方法はたくさんありますが�その中
で私は駅を通して魅力を伝えていきたいです�その理由は二
つあります�
一つめは�現在在籍している観光旅行科の授業で旅行プラ
ンを作る機会があり�お客様を安全・安心に目的地まで運ぶ
鉄道に興味を持つようにな�たことです�旅行プランを作る
上で�初めはお客様に楽しんでもらうことに重点を置いて�
どのような順番でどこの観光地を巡ろうかなどとプランを考
えていました�しかしプランを作る中でお客様に楽しんでも
て 青 春 し た い な と 思 � た り も す る こ と が あ り ま す� 周 り の
友達の学校行事の話を聞くと�とても羨ましいです�
時々今頑張�ていることを全て辞めたいと思�てしまう事
もありますが�沢山の友達が応援していてくれたり�私が美
容師になれるように�この学校に通えているのも父が一生懸
命働いてお金を出してくれているので絶対に母が叶えられな
か�た夢を叶えられるようにしようと思います�
ど ん な 人 で も� か わ い く� か � こ よ く し て あ げ て� サ ロ
ン を 後 に す る 人 達 全 員 が 笑 顔 で 帰 れ る よ う に� ま た 来 た い
と思わせるような素敵な美容師になりたいと思います�
も し 諦 め て し ま い そ う な 時 は� 周 り の 励 ま し や 支 え だ �
た り� 初 心 に 戻 � て 気 持 ち を 切 り 替 え て 自 分 の 美 容 師 と な
る 夢 が ぶ れ な い よ う に し よ う と 思 い ま す� こ れ か ら も き �
と投げだしたい時があると思いますが今しか出来ないこと
を し� 沢 山 勉 強 し 経 験 を し 学 ん で 立 派 な 美 容 師 に な り た い
と 思 い ま す� そ し て 小 さ い 子 供 や� お 年 寄 り の 方� 障 害 の
ある人達を笑顔に変えて喜んでもらえるようなサロンを作
りたいと思います�
高 等 学 校 の 部 佳 作 /専修学校の部 優秀賞
─ 48 ─
らうためには�目的地まで安全に運ぶことも重要だと思うよ
にしていました�届いてみると�手紙も一緒に入�ていまし
うになりました�JR運賃の計算方法や�鉄道についての知
た�祖母からの手紙は初めてで�とても嬉しか�たです�ど
識を授業で学んだこともあり�交通機関の中でも一番身近な
こにいても私を支えてくれている家族や祖父�祖母のために
鉄道に興味を持つようになりました�
も立派な駅員にな�て恩返しをしていきたいです�
二つめは�現役の駅員の方の活躍を見て憧れを持�たから 自分が理想とする駅員になるために�今実践していること
です�現在私は�中央線沿いの駅のホ�ムにある�ハニ�ズ
があります�それは自分から笑顔で挨拶をすることと�国内
バ��というスム�ジ�を売るお店でアルバイトをしていま
旅行業務取扱管理者の国家試験合格に向けて勉強をしていま
す�そのアルバイト中に電車の緊急停止ボタンが押されたこ
す�挨拶は�あ�あかるく�い�いつでも�さ�さきに�つ
とがありました�その時�ホ�ムを走り回り�トラブルに対
�つづけてを心掛けています�挨拶の仕方でその人の第一印
応する駅員の方々の姿を目にすることがありました�駅員の
象は決まると思うので�相手に良い印象を与えることのでき
方の素早い対応ですぐに電車は運転再開をすることができま
るよう爽やかな挨拶を心掛けています�
した�また�ごみ出しに行くときに通路の扉を開けたままに
国内旅行業務取扱
しておいてくださ�たり�すれ違う時はいつも笑顔で挨拶を
管理者の国家試験は
してくれたりと�迅速な対応と親しみやすい存在である駅員
昨年も受験しました
の方に憧れを持ちました�現在スム�ジ�を売るという形で
が� 不 合 格 と な � て
お客様と関わ�ていますが�駅員にな�て駅を利用されるお
し ま � た の で� 今 年
客様と関わ�ていきたいです�
は昨年よりも勉強に
力を入れて取り組ん
また�私は一人暮らしを始めて感謝の気持ちを以前よりも
感じるようになりました�長野の実家で暮らしていた時は�
で い ま す� 長 野 県 の
ご飯や洗濯物�掃除など母親がや�てくれるのが当たり前に
知 識 は も ち ろ ん� 他
な�ていました�ですが�一人暮らしで家事全部を自分でや
の都道府県のことも
らなければいけなくな�てみて�改めて共働きで働きながら
よ く 知 り� ま た 旅 行
家事をしてくれる母親の偉大さを感じました�それから私が
業についての知識を
上京して�いつも家族や祖父�祖母に支えられていたことを
深めています�
実感しました�一度�祖母が育てた桃と手紙を送�てくれた
来年からは社会人
ことがありました�私は祖母の桃が大好きで届くのを楽しみ
の 仲 間 入 り を し ま す�
専修学校の部 優 秀 賞
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決ま�ていた進路
学 生 生 活 で 学 ん だ こ と や� ア ル バ イ ト で 感 じ た こ と を 活 か
いた�そして�仕事場に連れて行�てくれた叔母でさえ大変
し�長野県の駅を利用したお客様に長野にまた来たいと思�
な仕事だから�と反対していたのだと母から聞いた�私はあ
てもらえるように長野県の魅力を伝えていける駅員になり
やふやな気持ちのまま進路を決めてしま�た自分をそのとき
たいです�
責めた�
入学をすると�最初の一週間ひたすら線を描くことから始
まり�建築材料や製図の仕方など様々な授業を受けた�入学
前の自分の心境とは明らかに変化していた�新しいことを学
専修学校の部 佳作
ぶ度に興味を抱き�疑問を持ち�ワクワクしながら授業を受
ける日もあ�た�元々細かい作業をすることが好きだ�たた
め�もはや定規で測れない世界を描くのが楽しか�た�建築
に関して無知のまま入学した為�初めて知�たことや初めて
青山製図専門学校
一年
経験することが多く�喜んで吸収する毎日であ�た�
甲 斐 あ す 香
私は最近�小さい頃のことをよく思い出すようにな�た�
何となく見ていた叔母の仕事している姿�これは橋を作�て
いるのだと知り�こんな線の集まりが自分の何倍もの大きさ
小学生の頃�よく叔母が仕事場へ連れて行�てくれた�3
人兄弟の中で唯一�私だけ�
の 形 あ る も の に な る の だ と 驚 い た こ と も あ � た� チ ラ シ に
入�ていた住戸の間取りを長い時間�ただ見つめていたこと
パソコンの画面い�ぱいに線が描かれてあ�たこと�お菓
子をくれる優しいお兄さんがいたことしか印象になか�た�
もあ�た�興味が無か�たと勘違いしていたが�小さい頃か
興味があ�た訳でもない�しかし�何故か小学校の卒業式で
ら建築に自ら関わることさえあり�恵まれた環境で過ごせて
�橋をつくる建築家になりたい�と言�ていた�
いたことに気付いた�
それから成長し�進路を決めなくてはいけない節目になる 建築は人間の生活に大きく関わ�ており�大昔から存在し�
度に頭を抱え�他の道に進もうかと思�たこともあ�たが�
影響を与え続け�現代では無くてはならないものにな�てい
趣味は趣味でしかなく�自分には建築の道しかないのだと謎
る�毎日口にする食事�食事をするための食材を買うス�パ�
の使命感で今の学校に入学した�不安でい�ぱいだ�た�何
は建物にな�て存在している�怪我や病気をしたときに行く
を学ぶのか全く想像出来なか�た�本当にやりたいことなの
病院だ�て建物である�私は今の進路に進み�建築に関する
かが分からないままで良いのか�と入学ギリギリまで悩んで
知識や技術を学ぶのと同時に�このような当たり前過ぎて気
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専修学校の部 優秀賞/佳 作
─ 50 ─
佳
づかなか�た�素晴らしいことにも気づくことが出来た�私
はこのように�人々の生活に大きく関わり�影響を与える分
野について学べていることをとても嬉しく�そして誇りに思
う�このような感動をまだ経験できていない人々や�これか
らの未来に影響を与えられる仕事をしたいと思�ている�
今では叔母の隣でパソコンを並べ�同じソフトを開き�課
題をすることもある�それがまた嬉しくて�新しいことを学
ぶ機会でもある�この道へ進むき�かけを作�てくれた叔母
に感謝するとともに�この進路を選び�学ぶことが出来て本
当に良か�たと思�ている�これからも楽しみながら�成長
していきたい�
ボランテ�ア活動で得たもの
春
東京エアトラベル・ホテル専門学校
二年
方
園児の保育の手伝いや昼食の配膳�教材の作成などでした�
内容の一つ一つはとても簡単なことでしたが�子供と接した
り�子供に何か伝えたりすることはとても難しいことでした�
例えば�ボランテ�ア活動のル�ルの中に�子供に対して
指導をしてはいけないというものがあります�私たちは免許
や資格を一切持�ていないため�注意をしたり方法を教える
ことは可能ですが�先生方のように子供を叱�たり�教育を
することはできないのです�なので�子供と話をする前に言�
ても良いことなのかを考え�そして子供にも伝わる言葉遣い
に直してから話すため苦労しました�
他にも�子供に何かを伝える時にはきちんとした理由を添
えて話す必要がありました�例えば�単に
�走�てはいけないよ��
と言うのではなく�
�走るとお友達にぶつか�て怪我をしてしまうかも知れない
から�走らないでね�
など�どうしてこうしてはいけないのか�またこうするとど
うな�てしまうのか�とい�た事を正しく伝えなければなり
ません�これらの事は�頭では理解が出来ていても実際に子
供を前にすると�強い口調で注意をしてしま�たり�と�さ
にだめだと理由を付けずに言�てしま�たりと�上手く話し
をすることが出来ませんでした�私は自分に出来ない事が多
いことに悔しさを感じていました�すると保育園の先生はそ
んな私の気持ちに気付き声をかけてくださいました�私が上
手く出来ずに悔しさ感じていると話すと�
�私たちは仕事だからこれでお給料を貰�ているけれど�あ
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緒
私は中学生と高校生の間に合計三回のボランテ�ア活動を
しました�ボランテ�ア活動を始めたき�かけは�中学二年
生の時に授業で保育園へ行き�そこでの活動が印象的だ�た
からです�その体験後�私は市で行�ているボランテ�ア活
動の団体に登録し�毎回その保育園で活動しました�
保育園では様々な事を経験しました�活動の内容は主に�
専修学校の部 佳 作
─ 51 ─
な た は ボ ラ ン テ � ア だ か ら 仕 事 で は な い の� で は あ な た に
サ�ビスというものは目には見えないので�お客様が買わ
と�てのお給料は何か�それは経験と感謝される事なのよ��
れたものにいかに付加価値を付けることが出来るかが大切だ
とお�し�いました�私はこの言葉に深く感銘を受けました�
と思います�目に見えないものを提供することは難しいです
確かにボランテ�ア活動には報酬はありません�しかし�ボ
が�保育園でのボランテ�ア活動が私に教えてくれた�経験
ランテ�ア活動でなければ�保育園で子供たちと触れ合う事
というお金には代えることの出来ない大切な事を意識して�
も�保育士の仕事や働く事の大変さも知ることは出来なか�
何事にも挑戦したいです�また�社会人にな�てからも時間
たと思います�この言葉を聞いてから�私は何でも上手にす
を作�て�また新しい経験のためにボランテ�ア活動に参加
るのではなく�多少の失敗があ�ても常に経験を大切にしよ
したいと思います�
うとする気持ちや�学び取ろうとする気持ちを持�て行動す
ることが出来るようになりました�
また�ボランテ�ア活動の最中には気が付きませんでした
が�相手と会話をする時には�相手により正確に伝えるため
に一度考えてから話すようにしたり�相手の立場に立�て物
事を考えられるようにな�ていたりなど�ボランテ�ア活動
の経験を通じて�自分自身の成長にも気付きました�そして
感謝されることで�次はも�と出来る事を増やして�また役
に立ちたいという向上心も生まれ�更に自分自身を成長させ
ることが出来ました�
私は将来接客の仕事をし�サ�ビスを通じてお客様に満足
を提供出来る人になりたいと思�ているので�ボランテ�ア
活動で学んだ事を生かし�相手の立場に立�てより喜んで頂
けるサ�ビスを行いたいです�
また�お客様の中にはお子様連れのお客様も多いと思うの
で�その時には保育園で学んだ子供との接し方や言葉遣いを
思い出し�様々な年代のお客様にも丁寧な接客が出来るよう
に心がけたいと思います�
専修学校の部 佳 作
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平成 27 年度 作文コンクール 応募校一覧(応募数・入選数)
(中学校の部)
(高等学校・専修学校の部)
番号
区・市名
1
中央区
晴海中学校
2
文京区
音羽中学校
7
3
墨田区
両国中学校
10
1
大森第一中学校
1
大森第六中学校
9
4
5
大田区
学校名
応募数 入選数
4
1
番号
学校名
応募数 入選数
1
東京都立農芸高等学校
2
2
2
東京都立農業高等学校
10
1
3
東京都立瑞穂農芸高等学校
8
4
1
4
東京都立農産高等学校
10
1
5
東京都立大島高等学校
3
6
世田谷区
松沢中学校
7
6
東京都立田無工業高等学校
2
7
中野区
第七中学校
6
2
7
東京都立小金井工業高等学校
2
8
北区
稲付中学校
1
1
8
東京都立赤羽商業高等学校
10
9
荒川区
第七中学校
3
9
東京都立忍岡高等学校
10
10
練馬区
開進第四中学校
1
1
10
東京都立晴海総合高等学校
1
第五中学校
1
11
愛国高等学校
10
第六中学校
6
12
岩倉高等学校
5
13
蒲田女子高等学校
4
14
日本工業大学駒場高等学校
6
1
国際理容美容専門学校
10
1
11
12
足立区
3
13
亀有中学校
2
14
堀切中学校
10
一之台中学校
6
15
15
飾区
16
1
1
4
美中学校
2
小計
93
14
17
調布市
第四中学校
2
1
青山製図専門学校
9
1
18
私立
愛国中学校
計
4
1
2
中央工学校
2
82
13
3
二葉栄養専門学校
1
4
東京エアトラベル・ホテル専門学校
8
5
マリールイズ美容専門学校
2
1
小計
21
3
計
114
17
(まとめ)
区
分
応募校数 応募人数
入選数
中 学 校
18
82
13
高 校 等
15
93
14
専修学校
5
21
3
計
38
196
30
総
─ 53 ─
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53
2016/02/16
11:51:42
平成二十七年度
作文選考委員名簿
�順不同・敬称略�
市
区
学
立
立
院
第
江
高
七
南
中
中
等
学
学
学
校
校
校
長
長
長
一
平
正
美
晴
彦
竹
内
真
安
部
元
彦
佐
谷
肇
吉
川
泰
弘
武
田
尚
高
橋
進
石
坂
敦
子
庄
司
一
也
寺
島
京
子
出
井
玲
子
坂
詰
悦
子
金
子
勉
大神田
佳
明
入
山
賢
一
宮
下
みどり
深
井
明
美
飾区立 美中学校長 �中学校の部
委員長� 志 村 昌 孝
中 央 区 立 日 本 橋 中 学 校 長
平
松
功
治
熊
井
久
乃
立
飾 区 立 一 之 台 中 学 校 長
川
小 平 市 立 小 平 第 十 五 小 学 校 長
立
足
中 野 区 立 第 七 中 学 校 副 校 長
新 宿 区 立 新 宿 養 護 学 校 長
荒 川 区 立 赤 土 小 学 校 副 校 長
板 橋 区 立 上 板 橋 第 三 中 学 校 長
東 京 都 立 農 業 高 等 学 校 長� 高 校・ 専 修 の 部 委 員 長�
東 京 都 立 八 王 子 桑 志 高 等 学 校 長
東 京 都 立 江 東 商 業 高 等 学 校 長
東 京 都 立 鷺 宮 高 等 学 校 長
東 京 都 立 王 子 総 合 高 等 学 校 長
部
日 本 工 業 大 学 駒 場 高 等 学 校 教 諭
安
国 際 理 容 美 容 専 門 学 校 教 頭
東京都教育庁指導部義務教育指導課指導主事
東京都教育庁指導部義務教育指導課指導主事
馬
場
金
澤
大
森
14:06:02
2016/02/02
54
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東京都教育庁指導部高等学校教育指導課指導主事
東京都教育庁指導部高等学校教育指導課指導主事
─ 54 ─
21
27
あ
と
が
き
12
20
114
10
82
93
18
15
文をできる限り尊重いたしました�しかし人権に配慮し問
題のある表現や�明らかな誤字や脱字につきましては直さ
せていただきました�
応募された生徒や学生の皆様からは日々の学習活動や
様々な体験活動の中から学び得たことを通して自分自身の
生き方や将来の夢を展望する作品が寄せられました�応募
された生徒や学生が作文を書くことを通して�自ら学ぶ意
味や将来への道筋を考える切�掛けとなり�これからの学
校生活の充実や将来への進路を考える一助となれば幸いで
す�
最後に�この作品集が会員校のみならず�広く教育機関
等において活用されることを期待しております�
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11
10
平成 年度の作文コンク�ルにつきましては7月の応募
作品の募集に始まり�9月の第一次選考� 月の第二次選
考を経て受賞作品が決定されました� 月に選考結果の発
表を行い� 月に受賞者に対して表彰式を挙行いたしまし
た�そして最後に作文コンク�ル入選作品集�明日に生き
る�第二十六号を発行することができました�
その間�応募してくださ�た多くの学校の生徒さんや学
生さんの作品に対する努力はもとより�ご指導いただいた
先生方�厳正な審査をしていただいた選考委員の諸先生方�
さらに作文コンク�ルの運営等にご協力�ご尽力くださ�
た多くの皆様方に心より感謝申し上げます�
今年度の応募作品数は中学校の部で 校 編�高等学校・
専修学校の部で 校 編�高等学校 校 編�専修学校5
校 編�でした�昨年度と比較して特に中学校の部で 校
編の減少にな�てしまいました�
この原因としては今年度�募集要項を見直して改訂した
ため�その処理に時間がかかり募集案内の会員校への送付
が例年に比べて遅れてしま�たことが考えられます�生徒
指導上�各学校が夏季休業に入る前に十分に余裕をも�て
募 集 案 内 を 会 員 校 に 送 付 す る こ と が 必 要 だ と 感 じ ま し た�
来年度は日程管理を厳密に行い�学校にと�て余裕のある
募集案内の送付に努めます�
この作品集の編集につきましては�それぞれの作品の原
52
─ 55 ─
明日に生きる
第二十六号
作文コンク�ル入選作品集
―
―
東京都産業教育振興会
平成二十八年三月一日
発行
発
行
〒 一六三 ―
八〇〇一
― 一
―
東京都新宿区西新宿二 八
東京都教育庁都立学校教育部高等学校教育課内
電 話 〇三 五
―三二〇 六
―七二九
FAX
―三八八 一
―七二七
〇三 五
印
刷
株式会社小薬印刷所
14:06:03
2016/02/02
56
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