第46号

第 46 号
サッカー部
第 回全国高校
サッカー選手権大会
かけがえのない3年間
サッカー部
主将
安藤 翼
(平成26年度)
93
3年連続出場
試合終了の笛が鳴った瞬間、生まれて初め
て夢を見ているのかなと思いました。日本一
という目標を実現させようと、三年前不安と
希望を持って総附に入学しました。親元を離
れて洗濯、掃除など今まで当たり前のように
親が自分にしてきてくれたことを自分でする
ようになり、親の大変さや苦労がわかるよう
になりもっと感謝の気持ちを持っておかなけ
ればいけないなと思いました。寮に入ること
で人間的な部分が養われ気持ちの部分で余裕
も持てるようになってきました。
私は一年生の頃から試合に出て、そしてよ
り多くの経験をさせていただきました。特に
一年生の時は、三年生が人間的にもサッカー
の場面に おいてもとても大 人に映り、
『自分
も必ずこんな三年生になってやろう』と思っ
ていました。しかし現実はそんなに甘いもの
ではありませんでした。三年生ではキャプテ
ンに指名されたのですが、高総体では結果を
出すことができず、選手権大会では全国出場
を果たすことができたにもかかわらず、一回
戦敗退という非常に悔しい結果となってしま
いました。しかし、これまでの厳しい練習や
多くの苦楽を分かち合い頑張ることができた
のは、かけがえのない仲間がいたからこそだ
と 思 い ま す。 本 当 に 感 謝 し て い ま す。 ま た、
出場する際に多くの方々からたくさんの補助
や寄付をいただきました。心から感謝の気持
ちでいっ ぱいです。この気持 ちを忘れずに、
これからも皆さんに応援していただける高校
へとさらに成長し続けてほしいです。
最後に、この三年間の学校生活や部活動を
通して学んだことは、これから始まる長い人
生のなかできっと生きてくると思います。こ
の経験を活かして頑張っていきたいです。
4連覇(平成25年度)
新人戦
!
!
5連覇達成!
印刷所 ㈱ 岩 永 印 刷 所
TEL(821)2341
第51回
卒業式特集号
附属高新聞
発行所 長崎総合科学大学附属
高 等 学 校 新 聞 委 員 会
長 崎 市 宿 町 3 −1
TEL(838)2413
長崎総合科学大学
2015 年3月1日
2連覇(平成23年度)
3連覇(平成24年度)
卒 業
緒方 恵子
第五十一回卒業生のみなさん、ご
卒業おめでとうございます。 早 く も あ り、 長 く も あ り の 三 年
が 終 わ り ま し た。 皆 さ ん に と っ て 、
どんな三年間だったのでし ょ う 。 義
務教育を終え、遠くは神奈川・沖縄・
九州各地から、それぞれの志を胸に、
あどけなさを残した表情で 入 学 式 の
会 場 を 訪 れ た 姿 が 思 い 出 さ れ ま す。
本校は数年前から、運動部 に 力 を 入
れ、地元のみならず多方面 か ら の 生
徒達が寄り集まるようになりまし
た。元気いっぱいの、食欲 旺 盛 の 運
動部員に圧倒されながら、 一 方 、 自
分がやらねばならないこと を 、 こ つ
こつと取り組んでいる人た ち の 姿 も
また印象的でした。
学 校 に は、 行 事 毎 に た く さ ん の
写 真 を 残 し て い ま す。( 皆 さ ん に 卒
業記念として作成したDV D に 、 出
来るだけ多くの写真を挿入 し て い ま
す。)初々しい笑顔の一年生。
ほ ん の 少 し 成 長 し て、 少 し 誇 ら
しげに照れた笑顔の二年生 。 ぐ ん と
大人に近づいた様子で、進 路 決 定 に
真剣に取り組む凛々しい顔の三年
生。この三年間の変遷が手 に 取 る よ
うに見えてきます。良き思 い 出 と し
て、折に触れ幾度となく見 て く れ た
ら幸いです。
本当に思い出多い三年でした。そ
の中でも、一生に一度体験 で き る で
しょうか。長年の願いであ っ た 新 校
舎への移転。夏の暑い中、 生 徒 と 教
M1グランプリ
Mr. 総附
歌うまコンテスト
スト
学級委員の皆さんに対する呼びかけ
に 感 動 し ま し た。
「 自 分 た ち は、 新
校舎に移ってきたばっかりだ。どん
なハプニングが起こるか分からな
い。先生方だって初めての経験なん
だ。どんな場面でも乗り越えられる
力を我々生徒が身につけよう」とい
う趣旨の発言でした。なんと前向き
で未来志向に溢れた発言であったこ
とか。その後も体育祭や文化祭を新
しい校舎で、その条件の中で見事に
やり遂げてくれました。また、新し
く整備していただいた芝生広場を有
効に活用し、生徒会立ち会い演説会
や選手激励会、優勝報告会などの全
校生徒集合場所として利用する発案
など生徒会の皆さんや三年生そして
全校生徒の協力と頑張りに感謝しま
す。 心 を 込 め て「 有 り 難 う。」 の 言
葉を贈ります。
私たちは附属高校は、
学校法人から東長崎地区の最高の場
所に新校舎を設置していただきまし
た。この新校舎を拠点として新しい
附属高校の時代「新生総附」を築き
上げていかなければなりません。今
ここに卒業していく皆さんがその基
礎を築いてくれました。二年生、一
年生の在校生の皆さん、四月に入学
し て く る 新 入 生 と も 力 を 合 わ せ て、
卒業生の思いを受け継ぎ附属高校の
新しい時代を築いて行きましょう。
私は、卒業アルバムに「自分が変
わることを決意という」と書きまし
た。就職であれ進学であれ、それぞ
れの夢を実現するため一人一人が新
たな決意を胸に今ここから旅たちま
す。どうか次の言葉を胸に刻んでく
ださい。「本気になると世界が変わっ
てくる。
自分が変わってくる。変わっ
てこなかったら、まだ本気になって
い な い と い う こ と だ。
」大変厳しい
表現ですが、実社会の様々な壁にぶ
つかったときに思い起こしてくださ
い。皆さんが附属高校の三年間で学
習や部活動、総合的学習や様々な学
校行事で体験し身につけた総合力が
き っ と 皆 さ ん の そ れ ぞ れ の「 決 意 」
を後押ししてくれるでしょう。
女装コンテ
卒業式式辞(抜粋)
は高校総体において亀山裕嗣君がシ
ングルの個人優勝に輝きました。強
化指定クラブ以外の運動部において
も、また、文化クラブにおいてもそ
れぞれの目標に向かって地道に努力
し、懸命に頑張る姿勢は立派でした。
生徒会の皆さんや他の三年生の皆さ
んも一年時、二年時、そして三年時
と積み上げてきた学校行事に対する
姿勢や取り組みはきっと後輩たちの
お手本となることでしょう。ここで
冒頭にも触れた新校舎への移転につ
いて所感を述べてみたいと思いま
す。昨年の八月初旬に長年住み慣れ
たグリーンキャンパスからシーサイ
ドキャンパスの新校舎に移転(引っ
越し)をいたしましたが、その際も
三年生が中心となって作業に協力し
てくれました。シーサイドキャンパ
スに附属高校として独立した校舎を
持つことは、附属高校教職員の長年
の夢であったと聞いています。大学
の学部学科改組によるキャンパスの
再配置計画や耐震構造対策などと連
動 し て、 校 舎 移 転 が 実 現 し ま し た。
理事長のご指導の下、管財課の方々
と十分に検討し準備をしてきたつも
りですが、私には大きな不安があり
ました。何か大切なことを見落とし
てはいないか、根本的な間違いを気
づいていないのではないか、など不
安と心配で眠れない夜も多くありま
した。
八月二十五日、いよいよ新校舎に
おける二学期の開始でした。午前中
の新校舎使用開始式に引き続き午後
の二学期の始業式は、雨のため一階
のエントランス通路で実施しまし
た。翌二十六日の学級委員認証式は
豪雨のため急遽委員だけを多目的室
に集めての実施となりました。シー
サイドキャンパスに体育館はありま
せ ん。 必 要 な と き は 全 校 生 徒 で グ
リーンキャンパスに移動しなければ
なりません。当初から分かってはい
たことですがいきなりスタート時点
から天候に恵まれず、困難に直面し
ました。そんなとき友田生徒会長の
∼今しかない!今がチャンス!∼
卒業生の皆さん、
卒業おめでとう。
皆さんは、新校舎に移転して初めて
の卒業生です。記念すべき思い出に
残る卒業生となりました。
皆さんは、
今 か ら 三 年 前、 五 十 一 回 生 と し て、
本校に入学してまいりました。皆さ
んは、本校の創立五十周年記念の年
の入学生として、
まさに「新生総附」
を立ち上げて牽引する学年として大
きな期待の中で入学してきたので
す。皆さんは見事にその期待に応え
てくれました。振り返れば、まだま
だ東日本大震災・福島原発事故の余
韻と影響の残る二〇一二年四月に入
学し、不安の多い高校生活のスター
であったと思います。
しかしながら、
二,三年の上級生と協力し、その年
の十月に実施された創立五十周年の
記念式典を始め様々な五十周年記念
の学校行事を成功させました。特に
二年生後半からは、学校を「背負っ
て立つ」という気概にあふれていた
と思います。サッカー部においては
安藤翼主将のもと新人戦四連覇を達
成し、三年生の高校総体は惜しくも
三位に終わったもの秋の選手権大会
では見事に三連覇を達成し、三年連
続 で 全 国 大 会 出 場 を 果 た し ま し た。
このことは、わが長崎総合科学大学
附属高校の名前をサッカー強豪校と
して、長崎県下はもちろんのこと全
国に知らしめてくれました。
野球部、
バレー部においても各大会において
常に有望チームとして新聞等で取り
上げられる活躍でした。ヨット部で
張
未成年の主
生徒会を通して
文化祭への想い
私は高校生になって初めての文化
祭が終わったあと、もっと生徒全員
の思い出に残るような楽しいものに
したいと強く思いました。二年生に
なり生徒会選挙が始まり、文化祭を
変えたい一心で生徒会長に立候補し
ました。最初に先生方に文化祭のア
イディアを出した時は学校としても
初めての取り組みばかりで、戸惑い
ましたが、熱心に取り組んでいくう
ちにたくさんの方々が協力してくだ
さるようになりました。こうして皆
で試行錯誤しながら創り上げた今回
の文化祭は、無事成功させることが
できました。この経験をこれからの
人生のプラスにして、頑張っていき
たいと思います。
友田 宗大
第 51回 生
夢に向かって羽ばたけ!
職員が力を合わせて引っ越しをしま
し た。 本 当 に 大 変 な 作 業 で し た が、
何とか新学期に間に合うように移動
することが出来ました。旧校舎から
の景色は、季節毎に味わい深いとて
も美しいものでした。長年先輩達が
学んだ校舎から離れることは、言い
ようのない寂しさもありました。
し か し、 今、 第 五 一 回 卒 業 生 で
ある皆さんと共に、新しい地での新
しい歴史の第一歩を、踏み出すこと
が出来たことは、大変貴重なことで
あり悦びです。まさに今総附は、故
きを温ねて新しきを知る。温故知新。
これからは先輩方が築いた歴史を大
切にしながら、どんどん新しい時代
に即したアイディアを駆使し、より
良い学校にと歴史を積み上げていく
ことでしょう。皆さんはその一歩を
共に担っています。それぞれの進路
先で、自信と誇りを持って、大いに
活躍してください。これからも共に
頑張っていきましょう。
最 後 に、 い つ も 伝 え た い と 思 っ
ていることです。孔子の思想を書き
残 し た「 論 語 」 の 中 に、「 人 が 一 生
の中で、もっとも大切な言葉を一言
で 言 う と す れ ば、 そ れ は 何 で す か 」
と問う弟子に対して、孔子は、それ
は「 恕 だ 」 と 答 え て い ま す。(「 恕 」
とは、自己を愛するように他人をも
愛 す る こ と、 思 い や り を い う。) つ
ま り、「 己 の 欲 せ ざ る 所、 人 に 施 す
ことなかれ」自分が望まないことは、
他人に対して行うな、ということで
す。「 一 人 は み ん な の た め に、 み ん
なは一人のために。」思いやりをもっ
て、助け合う気持ちがあれば、皆さ
んの母校も間違いなく素晴らしい学
校へと。そして、立派な社会も築い
ていけるものと信じています。
“自分の幸せは
自分しか分からない”
卒 業 生 の み な さ ん、 明 る い 未 来
をしっかり作り上げていってくださ
い。
No time
like the present
玉城 保美
学校長
生徒会長
2
3
3年学年主任
後 輩 達 へ
入学したいという気持ちを、サッ
カ ー 人 生 で 学 ん だ こ と も 踏 ま え、
しっかりアピールすることで合格
することができました。
手遅れという言葉はない
進路早めの選択・行動
(長崎県立大学 経済学部 流通経営学科)
(長崎総合科学大学 工学部 船舶工学科)
何事も挑戦が大切
入学をする後輩のみなさん、部
活動で来る人、進路を考えて来る
人、それぞれ違う目標や夢を持ち
皆さん入学することでしょう。し
かしそれらの夢、目標を実現する
に は や は り 勉 強 し か あ り ま せ ん。
でも、苦手な教科、得意な教科な
ど色々あることでしょう。苦手な
教科はしない、できないからいい
やという考えは不必要です。何事
もやらなければ成長はありませ
ん。始めることで、自分の夢を実
現できるのであれば、常に挑戦始
めること、そこに手遅れという言
葉は存在しないので、目標、夢を
持って努力してください。
三年一組
牧島 悠晃
三年一組 福田 賢人
私は、長崎県立大学の佐世保校
に推薦で合格することができまし
た。そこには早めの進路の決定と
その進路実現のための早めの取り
組みが大きかったと思います。し
かし、合格したからといって終わ
りではありません。センター試験
などで入学する人は私よりもはる
かに勉強ができると思います。そ
の 人 た ち に も 負 け な い た め に も、
総附で培った人間性を重視して頑
張 り ま す。 後 輩 の み な さ ん も、
まだ進路で悩んでいる人も多いと
思いますが、早めの選択と行動を
心がけてください。
一発勝負
(名桜大学 人間健康学部 スポーツ健康学科)
根路銘国宏
(東海大学 教養学部 人間環境学科 自然環境課程)
竹内 清隆
す。
大学受験では、
先生方のサポー
トもあり第一志望の大学に合格で
きました。私が思うに、進路のこ
とについて家族、先生、先輩など
とたくさん話すことと、もう一つ
は何事にも挑戦することが将来を
明るくする行動だと思います。
経験すること
ホン
セイル
(長崎外国語大学 国際コミュニケーション学科)
洪 世一
三年四組
私は日本に来てサッカーだけで
はなく、いろいろ経験することが
できました。最初はきつくて、韓
国に帰りたいと思った時もあった
が、
今考えると、
日本に来てよかっ
たと思いました。サッカーで日本
一 に な る た め に 毎 日 練 習 を し て、
夏休みや冬休みにはいろいろな県
に行った経験もできました。そし
て、日本語が話せるようになって
韓国の人が来た時に通訳した経験
もできたので将来に対して自信を
持 つ こ と が で き ま し た。 な の で、
後輩にも一生懸命やって高校生活
を過ごして、いろいろな経験をし
てほしいと思います。
なんくるないさ
進むことを決めました。学校の倍
率は高かったが、挑戦したい気持
ちがあったので迷わずこの学校に
行 く と 決 め ま し た。 入 試 の 当 日、
「 あ と は 楽 し む し か な い。 そ の 後
の結果はなんくるないさ」って感
じで緊張がほぐれ楽しむことがで
きました。 皆さんも最上級の緊
張がきたら、とにかく楽しむ。そ
の後はなんくるないさって感じで
この先も頑張ってください。
まだまだこれから
(三菱日立パワーシステムズ株式会社)
辻 純治
三年一組
私は自分に負けないように部活
動 と 学 習 に 取 り 組 んで き ま し た。
目に見える結果はそんなに多くあ
りませんでした。しかし、何 事に
も一所 懸 命 取り 組 んできたことで
私は人として成長できたと思って
います。また、継 続 することの大
切さを学ぶことができました。
四月からは社会人として働きま
す。この三年間で基盤はつくられ
たと思っています。
苦しくなったり、
悩み がある時には、原点にかえり
頑 張っていこうと思います。三年
間本当にありがとうございました。
努力と感謝
(社会福祉法人 平成会)
2014年8月より新しい学校生活がスタート!!
( 沖縄リハビリテーション福祉学院 理学療法科)
石井さくら
新 校舎完成しました
なく、辛いことや焦りなどもたく
さんありました。その時に周りの
友だちが声をかけてくれたり、先
生方が何度も面接練習を手伝って
くださいました。このように多く
の人のおかげで就職を決めること
ができました。この感謝の気持ち
を忘れずに、これからも努力をし
ていきます。
平成二十六年度主な
進路決定先
(平成二十七年三月卒業見込)
■四年制大学
(公立大学)
長崎県立大学・名桜大学
(私立大学)
長崎総合科学大学・駒澤大学・
東海大学・近畿大学・大阪商業
大学・大阪経済法科大学・東海
学園大学・長崎外国語大学・長
崎国際大学・熊本学園大学・九
州産業大学・第一工業大学・九
州共立大学・沖縄大学・沖縄国
際大学 (芸術系)名古屋芸術大学
■高等技術専門校
佐世保高等技術専門校・長崎高
等技術専門校
■専門学校
長崎公務員専・長崎柔鍼スポー
ツ・長崎医療技術専・トヨタ名
古屋自動車大学校・佐賀工業専・
福岡ビジョナリー・沖縄リハビ
リ・履正社医療スポーツ専 他
■就職
三菱重工・西海建設・長崎県漁
連・川添硝子㈱・三原台病院・
㈱オートバックス・井筒造船・
空港協力事業㈱・㈱にしけい・
福山通運㈱ 他
Open
Library
三年三組
私は三年間就職という目標に向
かって努力してきました。しかし
一・二 年 生 の 時 は 細 か な 目 標 は な
く、三年生になってようやく進路
のことについて深く考え始めまし
た。就職を決めることは簡単では
13:25 終業式
粟國 朝晴
う
今までありがと
さようなら
三年一組
11:50 大掃除
三年四組
私 は、 沖 縄 県 の 沖 縄 リ ハ ビ リ
テーション福祉学院の理学療法科
に合格しました。それまでは将来
のことについてとても悩み、両親
や友だちに相談していました。そ
して、サッカーを諦め、医療系に
2014年8月25日 開始式
ュー
図書館も新しくリニ
アルしました!
図書
光が射し込む明るい
4
館です。
5
15:30 下校
12:40 昼休み
8:50 1・2校時授業
8:25 打ち合わせ
8:00 登校
私は神奈川県の東海大学に合格
しました。私は中学生の頃から勉
強が苦手でいつも勉強から逃げて
きてばかりでした。ですが高校に
入学すると将来何になりたいのか
を意識し始め、少しずつ勉強する
ようになりました。その結果、進
路の幅も広がり、何事にもチャレ
ンジする精神力がついたと思いま
10:50 討論大会
三年一組
この地でおよそ50年…。友人同士の楽しい会話や笑い声、
時には先生方の大声。
たくさんの場面を見て聞いてきた旧校舎
本当にありがとう。
私は、沖縄県の公立名桜大学に
合格しました。私は両親にわがま
まを聞いてもらい長崎の高校へ進
学させてもらいました。そのため
大学は両親への負担を少なくする
ため地元の公立大学を選びまし
た。しかし、私は高校生活のほと
んどがサッカー漬けで勉強に力を
入れていなかったため、スポーツ
推薦の受験を選択し、もしダメな
ら 浪 人 と い う 条 件 で 受 け ま し た。
そこで小論文や面接でどうしても
旧 校 舎 最 後 の 日
野 球 部
高校野球を振り返って
橋村 佳樹
三年一組
私は三年間、仲間と共に甲子園
という夢に向かって頑張ってきま
し た。 決 し て 楽 な 練 習 で は な く、
辛く苦しく悩んだ日もたくさんあ
りました。毎日仲間と励まし合い、
助けられて私はキャプテンとして
の責任を果たすことができたと
思っています。甲子園という夢に
は届きませんでしたが、自分たち
にしかない大きなものを作り上げ
られたと思います。仲間がいたか
らこそ乗り越えられたこともたく
さ ん あ り ま し た。 自 分 た ち の プ
レーの陰には応援してくれ、支え
てくださった人たちがたくさんい
ることを忘れてはいけません。本
当に感謝しています。
バレー部
三年間を振り返って
奥村 海斗
三年二組
私の三年間は、放課後毎日のよ
うに仲間たちと試合で一つでも上
に行けるように頑張った日々で
す。一年生の時には、練習につい
ていくので必死で嫌な時もありま
し た が、 先 輩 な ど に 励 ま さ れ 頑
張 っ て こ れ ま し た。 三 年 生 に
なってからはキャプテンをするこ
とになりました。正直不安だらけ
でしたが、仲間たちに支えられて
最後までやってこれました。この
三年間は私の一生の思い出です。
硬式テニス部
三年間を振り返って
バスケットボール部
部
真
部
総文祭 第 回
長崎県写真展 優良賞
写
私はこの高校に入学が決まって
か ら、 中 学 の 時 か ら バ ス ケ ッ ト
ボールをしていたこともあり、こ
の高校のバスケットボール部に入
部しました。最初は多少の不安が
ありましたが先輩方のおかげです
ぐに慣れ、
すぐ馴染むことができ、
それから毎日が楽しくて本当に部
活を好きになりました。それから
学年が上がり私はキャプテンにな
りました。チームをまとめるのは
大変でしたが、他の三年生の支え
もあり、やりきることができまし
た。あと最後の高総体の開会式で
は旗手という大役を務めることが
できました。本当に充実した三年
間でした。
三年一組
下春 昴弥
三年間の部活動について
平尾 良太
三年三組
テニス部は部員も少なく日々の
練習で打ち込みや体力トレーニン
グに励んできました。私が部活動
を通して学んできたことは「諦め
ない気 持ち」です。私は一年 生の
冬にテニス部に入部しました。最
初は慣れないスポーツに戸 惑いも
あり、何度も辞めてしまいそうに
なりました。ですが、顧問の住岡
先 生の 指 導 や 部 員の 支 え も あ り、
テニス部を続けることができまし
た。最後の高総体では団体戦も勝
ち上がることができ、ベスト と
いう結果をだすことができ、とて
も楽しい部活動でした。最後に顧
問の住岡先生、私たちを厳しく指
導していただき、本当に感謝して
います。今までありがとうござい
ました。
道
剣道部は、今年度は残念ながら
新入生が入ってこず、後輩の望月
君と二人で部活動をしていまし
た。
高総体では二人とも初戦で敗退
し ま し た。 高 総 体 が 終 わ る ま で、
情 け な い 自 分 を、 望 月 君 は よ く
慕ってくれました。二人でも寂し
いのに、ひとりになると益々さみ
しかったり、校舎が移って少し練
習 し づ ら く な っ た り し て ま す が、
頑張ってください。もし新入生が
入らなくても、めげずに頑張って
ください。自分についてきてくれ
て、感謝しています。
三年一組
村山 京哉
ありがとう
剣
各部長からの思い
部活動を振り返って
部
柔
道
バドミントン部
三年間について
大串 直人
三年三組
部活動を通して
学んだこと
堀 一樹
私が三年間クラブを通して学ん
だことは、何事にも強い気持ちを
持 っ て 取 り 組 む と い う こ と で す。
高校での練習は、二年次から部員
一 人 で 取 り 組 み ま し た。 練 習 は、
先生、OBの先輩、他校と取り組
んでいました。最初の頃の練習で
は、なかなか慣れず、戸惑いもあ
りましたが顧問の福島先生の御指
導があったので続けることができ
たと思っています。そして、中学
生の頃は、練習や試合で気持ちで
負けていましたが、高校では市の
大会で三位になりました。この経
験を今後に活かしていこうと思い
ます。充実した三年間でした。
グラバー園から
岡本 京弥(二年)
強化指定クラブ
平成 年度戦績報告
26
◆サッカー部
◎長崎県Ⅰ部 リーグ優勝
(3連覇)
◎第 回全国高等学校サッカー選
手権大会長崎県大会 優勝
(3連覇)
◎第 回全国高等学校サッカー選
手権大会出場
【VS 中京大中京高校】
◎長崎県高校新人体育大会 優勝
(5連覇)
◆ヨット部
◎長崎県高校総体
男子総合 2位
男子FJ級 ソロ 2位
男子シングルハンダー級 優勝
◎高校総体九州大会
(福岡市小戸ヨットハーバー)
男子FJ級 ソロ 位
男子シングルハンダー級 5位
◆野球部
◎平成 年度全国高校野球選手権
長崎大会
ベスト
◆バレーボール部
◎長崎県高校総体 ベスト8
◎平 年度 長崎地区高等学校新
人体育大会
3位入賞
93
93
26
6
7
18
16
第69回国民体育大会「長崎がんばらんば国体」に
本校よりサッカー部4名が出場しました。
三年四組
私がバドミントン部に入部した
時、先輩は二年生しかおらず、同
学 年 は 自 分 一 人 で し た。 当 時 は
コーチもごく稀にしか来ないので
自分たちで試行錯誤してやってい
ました。
私が二年生になりキャプテンを
任されました。中学生の時、部活
に入っていなくて、後輩ができた
のも初めて、キャプテンになるの
も初めてで色んなことを探り探り
やっていたのをよく覚えていま
す。 部活動の三年間は後悔した
ことや楽しかったことをたくさん
経験できたので、この経験を活か
してこれからの人生頑張っていこ
うと思います。
2014年10月12日日〜10月22日水
壮行式の様子
君の夢 はばたけ今 ながさきから
10
26
左から 熊谷 廉(2年)
中村 匡希(2年)
伊原虎之介(1年)
鈴木 颯太(1年)
第69回国民体育大会
16
School
Life
友だちとともに過ごした思い出の時間。
総附の1年
∼ あの日、あの時 ∼
4月
●歓迎遠足
●中間考査
●GW学習会
5月
6月
●ペーロン体験
●オープンスクール①
●スポーツ大会
●1学期終業式
●夏季補習
●地区清掃
●送別スポーツ大会
●2学期終業式
1月
2
月
●卒業式
●学年末考査
●1・2年総合学習発表会
●地区清掃
●弁論大会
●3学期終業式
●中間考査
●文化祭
●オープンスクール③
11月
12月
●3学期始業式
●卒業試験
●夏季補習
●平和学習
●学習合宿
●2学期始業式
9月
10月
●生徒会役員選挙
●総大特別推薦試験
●期末考査
●高総体
●補習開始
●三者面談
●期末考査
7月
8月
●体育祭
●オープンスクール②
●入学式
●始業式
●基礎学力試験
●フレンドリーセミナー
●2年修学旅行
●1年三者面談
3月
8