新中国以降の新疆ウイグル自治区における農業の現代的変容 古澤 文

北海道中央ユーラシア研究会
2015 年 1 月 19 日掲載
例会報告書
北海道中央ユーラシア研究会
第 112 回例会
新中国以降の新疆ウイグル自治区における農業の現代的変容
古澤 文
(愛知大学国際・中国学研究センター/ICCS 研究員)
カザフスタン南東部ジャルケント周辺における農業の現代的変容
渡邊 三津子
(奈良女子大学・共生科学研究センター/研究支援推進員)
日時:2014 年 3 月 15 日(土)15 時~
場所:北海道大学スラブ研究センター小会議室(401 室)
討論者:地田 徹朗(北海道大学スラブ研究センター/GCOE 学術研究員)
司会者:宇山 智彦(北海道大学スラブ研究センター/教授)
参加人数:9 人
<報告要旨・古澤報告>
中国西北部に位置する新疆ウイグル自治区(以下新疆)では、当地の農業の現代化をけ
ん引するとして、施設栽培が注目されている。経済発展と共に増す都市部の生鮮野菜需要
を受け、都市近郊農村を中心に生産地が広がってきた。そしてその市場は新疆内の各オア
シス都市から中央アジア地域まで展開しつつある。本研究では新疆における農業の現代的
変容として施設栽培を取り上げ、その現状と課題について、事例を通じて考察することを
目的とする。対象地域は新疆内都市向け野菜生産地として南西部に位置するカシュガル市、
また海外向け生産地として西部に位置するグルジャ市とした。そして輸出先であるカザフ
スタンのアルマトゥ市における野菜の販売状況もあわせて調査した。
カシュガル市の施設栽培は当初、個々の農家を主体として行われていたが、政府からの
奨励もあり、生産地域の再編、集約・規模化等の変化を経て現在に至る。そして栽培技術
指導、新規建設と建て替えにより設備の改善も図られ、生産条件は整いつつある。一方、
同市は 2010 年に経済特区に指定され、市内北部に設けられた工業区には国内外からの企業
誘致が進められている。これにより、都市部の発展と人口の増加が今後見込まれると同時
に都市住民の野菜需要がますます高まると考えられる。ただし、地下水利用をめぐる状況
についてみると、今後、都市人口の増加、工業区の展開に加え、現在、農業用水の渇水対
策として進められる井戸掘削等、その需要もますます高まっている。
こうした状況を鑑み、
水利局では地下水調査をカシュガル地区全体で開始した。その結果によって地下水の使用
が制限される可能性もあるという。そうした取水制限に対して、地下水利用が基本となる
施設栽培では灌漑の際の節水対策を施す必要があると考える。
グルジャ市ではカザフスタンへの輸出を視野に入れた、施設栽培基地の建設、貿易促進
のための高速道路や国際鉄道路線の開通などが進められている。またアルマトゥ市の市場
で中国産野菜は低価格、見た目の良さ、豊富な種類と供給量から輸入量は増加し、特に地
元産の野菜が減少する冬季の需要は高い。しかし、聞き取り調査によると、中国産野菜の
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取引先は東部沿岸地域であり、
新疆産はまだ一部に限られている。これは東部地域に比べ、
新疆は施設栽培の後発地域で販路が十分確保されていない事に加え、販売者は正規ルート
の安全で安定した品物を必要としているため、経験豊富な東部沿岸地域へ集中していくと
考えられる。貿易に関わるインフラ整備等ハード面は着実に進展し
ているが、販路確保・拡大のためには正規の輸出入手続きの経験と
信頼性の確保、そしてカザフスタンの市場・販売業者との関係構築
などソフト面で改善すべき課題が調査を通じて見えてきた。
今回の報告ではそれぞれの事例を紹介、予察的段階の調査結果を
提示するにとどまったが、今後は地域の比較を通じて、栽培地域の
特徴を明確化すると共に、このあらたな農業の取り組みが、乾燥地
域である新疆農業で持続的なものとなりえるのか、見定めていきた
いと考える。
【記:古澤】
<報告要旨・渡邊報告>
ソ連が推進した第一次産業部門の社会主義的近代化が、実際にカザフスタンの地方農村
レベルでどのように実施され、結果として何が起こったのか、という点について中心的な
話題として取り上げた研究例はまだ多くない。報告者らは、アルマトゥ州における社会主
義的農業開発の実態を明らかにすることを目的として、2008 年から当該地域で調査を実施
してきた。手法としては、ソ連時代の農業開発を担ったソフホーズ(国営農場)やコルホ
ーズ(集団農場)を単位として、そこで実際に開発に従事した人々へのインタビューや、
年次報告書等の分析をおこなった。本報告では、これまでの成果をもとに、個人の語りか
ら得られる人やモノの移動、景観の変化など、さまざまな情報を、文献資料や衛星画像か
ら得られる情報で肉付けし、本地域の農業をめぐる地域誌を復元する試みについて紹介し
た。対象地域として、ソ連時代に種用トウモロコシの一大生産地であったカザフスタン共
和国アルマトゥ州パンフィロフ地区とし、その中でも特に有力であった「十月革命 40 周年
記念」コルホーズに焦点を当てた。
報告では、最初に農業開発を支えた労働力としての移民について議論した。当時、働き
手の慢性的な不足を解消するため、カザフスタンにおいては積極的に移民が奨励された。
旧ソ連圏や東欧の社会主義圏からの移民が大半を占めた他地域の事例に対し、対象地域の
場合には、1950 年代の終わりから 1960 年代にかけて流入した中国からの移民の存在が労
働力として大きな役割を担った。そして他地域の移民の多くが、ソ連崩壊後に祖国へ帰国
してしまったのに対し、対象地域の移民の多くが現在もとどまっていることが、本地域が
ソ連崩壊後も、種用トウモロコシの生産地としての地位を継続していることに少なからず
影響していると考えられる。
次に、モノの動きがもたらす地域の変容について、種用トウモロコシに焦点を当てて検
討した。種用トウモロコシの導入は、作物の変化や農地拡大にともなう景観の大きな変化
だけでなく、それまでの地産地消的なあり方から外部での消費を目的とする作物栽培への
転換、ひいては地域分業の一要素としてそれぞれを結ぶネットワークに依存する農業への
転換ももたらした。このような他地域との相互依存型の構造は、ソ連崩壊後の当該地域の
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農業にも引き継がれてきた。
USGS(米国地質調査所)から無料で公開されている Landsat 画像や、Corona 衛星画像の
判読に基づき、農業開発やソ連崩壊後の農地放棄など当該地域の土地利用変化について紹
介した。開発の過程で「条件の良い土地」から「条件の悪い土地へ」と農地が拡大し、ソ
連崩壊後に「条件の悪い土地」から放棄されていく様子や、分配によって土地利用が細分
化されていく様子、国境を挟んで中国側とカザフスタン側とで土地利用が異なる様子など、
ソ連時代から現在までの流れの中での土地利用の変化を示した。
最後に、ソ連崩壊後から現在にかけての動きとして、コルホーズ解体後にいったん細分
化された土地が、再び農地として利用され始めたことや、市場の自由化にともない外国か
らの青果流入増加を受け、新規参入者らが始めた施設栽培導入の動きについても紹介した。
以上が、本報告の内容である。これまで、社会主義的近代化が地域の画一化をもたらし
たという側面が強調されてきたが、地域レベルで見ればその実態は実に多様であり、今後
は、他地域との事例の比較を通して、中央ユーラシアにおける農業部門の社会主義的近代
化がもたらした新たな地域性について検討したい。
【記:渡邊】
<参加記>
2013 年 11 月に行われた Jie Liu 氏による例会に引き続き、二名の地理学者をお招きして
北海道中央ユーラシア研究会の例会を開催することができた。この参加記の筆者は二報告
の討論者を務めた。古澤文氏は、社会主義体制下での新疆における農業史について概観し
つつ、主に 2000 年以降にあらわれた野菜を中心とする「施設栽培」(つまり、温室栽培・
ハウス栽培)の振興という新たな動向について報告を行った。渡邊三津子氏は、カザフス
タン領の中国との国境地域であるジャルケント周辺における農業について、1950 年代から
今日までという長期的な変容について報告を行った。いわば、カザフスタン領と中国領の
国境域での農業の変容についてパラレルに知ることができ、
大変有意義な研究会であった。
古澤報告も渡邊報告も、通時的に衛星画像を解析することにより中国=カザフスタン国
境地域における農業の変容について視覚的に示したことが特徴的だった。古澤報告は、こ
こ数年の土地利用のトレンドについて都市内部のミクロなスケールでの画像を解析するこ
とで示し、渡邊報告はもう少し大きなスケールでコルホーズという単位での農地開発の特
徴の変化について通時的に示した。同時に、二報告とも、衛星画像解析から見えてきた研
究対象地域の具体的な土地利用や農業の変容をよりマクロな国家レベルでの経済体制、社
会・経済情勢、農業政策の変化に位置づけることを試みている。渡邊氏は、社会主義的開
発がもたらす画一性という歴史像から脱して、その中での「地域誌」を明らかにしたいと
述べた。全体性を意識しながら地域(誌/史)の解明に取り組むというアプローチには大
いに共感できる。あらゆる現象はマルチスケールな性質をもっており、また、あらゆる現
象に時間軸でのプロセスがある。地理学者は例えば衛星画像や地理情報システムを用いた
解析を得意とし、歴史学者は緻密な一次資料に基づいた実証を得意とする。しかし、地域
研究は本来的に両方のアプローチを必要とする学問である。この参加記の筆者は歴史研究
者であり、今回の例会は改めて歴史学と地理学の協働の可能性と必要性について確認する
機会となった。
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3 月中旬という、センタースタッフの調査出
張が集中する時期だったこともあり、例会参加
者の数はそれほど多くなかったが、逆に濃密な
議論を行うことができた。また、報告者二名と
討論者は、今回の例会を契機として、地域研究
コンソーシアム次世代ワークショップや日本中
央アジア学会 2014 年度年次大会でのパネルセ
ッションを共同組織することになったことも付
言しておきたい。
【文責:地田】
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