詳細はこちら - かつらぎ会合唱団

第 6回 演奏会
か つ らぎ会合 唱団
平成 17年 11月 20日 2時 開演
ク レオ 大 阪 中央 ホ ー ル
共催 東京かつ らぎ会
共演 大阪バロック協会合奏団
ごあ いさつ
かつ らぎ会合 唱 団
団長
松尾
彰
本 日は、かつ らぎ会合唱団第 6回 演奏会 に御来場 いただき厚 く御礼を申 しあげます。
昭和 26年 (1951)5月 、当時高 2生 だ った私は、住吉高校音楽部 (合 唱団)第 2回 演奏会の ステ ー
ジに 1メ ンバー として立って いま した。 メインプログラムは、 シューベル ト「ミサ曲」 (卜 長調)で 、指
揮は私の 1年 先輩 にあたる松平朗氏、大阪市大オ ーケス トラとの共演で した。
想 い返せば、 当時の部員は、来る 日も来る 日も授業後の厳 しい練習、昼休みはパー ト練習、 さ らにラ
テ ン語歌詞の習得 ・・・ と必死 に取 り組みなが ら、その 日を迎えま した。そ して全てのメンバー にとっ
て長 く記憶 に残る演奏会 にな りま した。
このステ ージの感動 によって結ばれた強 い絆が、住吉音楽部活動 の原点 とな り後の世代 に引き継がれ、
その流れの中で平成 9年 (1997)「 かつ らぎ会合唱団」が再びスター トできたのです。
そ してそのステ ージか ら半世紀 を超えて、本 国の演奏会 においては、その シーンが、 当時と同 じ松平
朗氏の指揮 によ り、 「東京かつ らぎ会」 との共演で再現 されよ うとして います。
また、 「作 曲家 としての松平朗氏の作 品を初演」 という名誉 と喜び。 さらに豊かな感性をもって地域
における合唱活動の リーダ ー と して活躍 中で、 同窓生で もある阿部良行氏を指揮者 として迎え、 当合唱
団は いま、 同窓生以外のメンバー も加わ り充実 した活動を続 けています。
さをよみがえ らせなが ら、 各 々のメン
私たちは青春 時代 に、 ひたす ら取 り組んだ コー ラス ヘ の熱 い′
バーの人生の積み重ねを結集 させた創造的な演奏を 目指 して本 国を迎えま した。
どうか私たちの熱 い想 いを感 じて いただきなが らお楽 しみ くださ い。
今後 とも、よ リー層の ご支援を賜 りますようお願 い 申 しあげます。
感謝 の 言 葉
東京 かつ らぎ会
会長
鍋谷
′子
再び、か つ らぎ会合唱団の方 々 と共 に、 このク レオ中央のステージに立てる ことを大変嬉 しく思いま
す。本 国ご来場賜わ つた皆様 にも、厚 くお礼を申 しあげます。
私達は、前回の演奏会終了後 も引きつ ゞき、 月 1回 世 田谷の経澤邸 に集 ま り、松平朗作 品を作 曲家 自
身の指揮で歌 って参 りま した。2年 にな ります。 いや 3年 かな。毎回、 どこかのパー トに不具合が生 じ、
「音が違 う」 「音程が悪 い」 「おくれる」 「勝手に遅 くするな」 と叱られます。叱られても叱られ ても、練
習の後の ワイ ンパーテ ィーの楽 しさを頭 に浮か べなが ら我慢 して練習を重ねて参 りま した。
大阪のか つ らぎ会の練習 にも、作 曲家は月 1回 顔を出され、帰京のた びに仕上が り具合の報告があ り
ます。 韓 さんの丁寧な下稽古の成果 もあるので しょう、 「こ ゝの ところは大阪の方が、 はるか に上手
そ う云われる度 に、私達はガクンと頭を下げて いま した。演奏会が近 づ くにつれ、そのガクンの
数が減るど ころか、 増え続 けてきたよ うに思 います。それで も懸命 にな って、例えば 「 自然 に、充分 自
然に」はそのタイ トルのコ トバのところ、 「天景」は、 「光る魚鳥の天景を」 の難 しい詩の一節、 「則 は、
だ
!」
「わが呼ばへ ば」の 4小 節、 「蛍」は 「ら、
たつみつでた」の 3種 類の音節
な どな ど、松平芸術の中に何
とか入 り込 もうと努力を いた しま した。 ミサ曲 卜長調 も同 じで、永年重ねて歌 ってきた この 名曲に、
くらませてお ります。
また新 しい発見があるのでは、 と期待 に胸を応、
-2-
∼プログラム∼
第
1ス テ ー ジ
大中
恩合唱曲集
海の若者
指揮
1
2.秋 お饗■
3.花 笛
4.沼
5.淡 月梨花の歌
佐藤春夫
作詞
佐藤春夫
作詞
北島万紀子
作詞
大木惇夫
作詞
佐藤春夫
作詞
第 2ス テ ー ジ
アメ リカンエ ンターテイメン ト
l
Moon River
2
「West Side Story」
『可音F 良イ
テ
ピアノ
杉原なお子
書F 良イ
〒
指揮
F可
ピアノ
杉原なお子
よ りTonight,Amettca,Mana
3. Charade
4
Sing,Sing,Sing!
5. l heme froln New York,New York
第 3ス テ ー ジ
朗 組曲 「自然に、充分自然に」
松平
1.自 然 に、充分 自然 に
2
3
(初 演)
伊東静雄 「夏花」
萩原朔太郎 「月に吠える」
天景
萩原朔太郎 「月に吠える」
伊東静雄 「春の いそ しぎ」
員
4.蛍
合唱
かつ らぎ会合唱団
独唱
岩崎
ピアノ
杉原なお子
指揮
作 曲者 自身
練習指導
韓
東京かつ らぎ会
睦
庚姫
―休憩 ―
第
4ス テ ー ジ
シューベル ト 「四重奏断章」ハ短調
D703
第 5ス テ ー ジ
シューベル ト 「ミサ曲 第 2番 」 卜長調
1.Kyね (主 よ憐れ み た まえ
2 Glα O(栄 光 神 にあれ
3.Credo(我 は信 ず
D167
指揮
桂
合唱
かつ らぎ会合唱団
弦楽合奏
東京か つ らぎ会
大阪バ ロ ック協会合奏 団
独唱
韓
)
)
)
4.Sanct厖
大阪バ ロ ック協会合奏 団
豊
庚姫
土 井淳司
(聖 な るかな )
5. Benedct厖 (祝 福 )
山本修三
6.Agrus Dd(ネ 申の仔羊)
指揮
-3-
松平
朗
仙舶勧
大 中 ワ ー ル ドヘ の誘 い
「人前でハダカで立っているようなはずかしさ ・ ・ ・ 」
作 曲者大中恩は こ う語 つて いる。 今 日取 り上げた
作品のように若 い頃の作品はとて も素直な気持ちのまま表現 しているので今ではテ レくさいのだそ うた。
今年 81歳 を迎え、 益 々お元気な大中氏は、 昨年何 と 38歳 年下の美 しいソプラノ歌手とゴール イン。
この 1年 間に傘寿記念 コンサー トと銘打 つ演奏会が全国で 20回 余 り開かれ、 その リハーサル に演奏会
50年 も前の 自分の作品が演奏 される気持ちを、
に、 と新妻 と共 に精力的に日本中を回 られた。 しか も 「愛」 をテ ーマ にした歌曲の新作 を続 々 と生
み 出 し、 それ らの初演 は殆 どが新妻北原聖子 によるものだ。
最大の理解者 である名 コンビだ つた従弟の阪 田寛夫氏を今春失 つて しまつた痛手は大き いが新たな人
生のパ ー トナ ーを得 て今後の作 曲活動 が一層期待 される。
昨年 このかつ らぎ会合唱団の指導の 一端を任 された時、 迷わず懐か しい大 中蔀 をやると決めた。 そ
れは―種の ノスタルジアで もあるが、 合唱の基礎 のよ うな シンプルな形で聴 く人の心を捉えず にはいら
れな い名曲だ と信 じていたか らだ。
団員のみんな に私の思 いが ど こまで伝わるだろ うか と一抹の不安があ つたが、 皆よ く理解 し、 消化
吸収 して くれた。
甘 く美 しく、 時 に切な い大 中ワール ドが皆様の心 に届きますよ うに。
(F可
音6」支イ
〒)
アメ リカンエ ンターテイメン ト
GMは トヨタに抜かれ、 カ トリーナ、 リタという名の猛女 には痛めつけられ、 イラクはますます泥
沼状態 の国アメ リカ。
キャデラック、 月面着陸、 ケネディ、 プレス リーそ してオー ドリー ・ ヘ ップバー ン ・ ・ ・ 。 あ
の頃のアメ リカはキラキラと輝 いていま した。
第 2ス テ ージには懐か しのハ リウッ ド映画とブロー ドウェイ ミュージカルから、 良き時代のアメ リカ
ン ・ メロディをお聴きください。
「ティファニーで朝食を」 のテ ーマ曲 《ムー ン ・ リバー》 と 「シヤレー ド」 のテ ーマ曲。 どち
らもヘ ンリー ・ マンシーニの名曲で、 オー ドリーがなん と可愛かつた ことで しよう。
バーンスタイン作曲の強烈な リズムととろけるようなメ ロディ。 世界中をアッと驚かせた不滅の名作
「ウエス トサイ ド・ ス トー リー」 より 3曲 「 トゥナイ ト」 「アメリカ」 「マ リア」 を演奏 します。
べ二一 ・ グ ッ トマ ンが大 ヒッ トさせたス ィ ングジャズナ ンバーか ら誰 もが思わず踊 りた くなる
「Sing,Sing,Sing!」
。
ライザ ・ ミネ リ主演の映画主題曲 「New York,New York」 。
以上 7曲 のアメ リカンエ ンターテイ メン トステ ー ジを、 いささか英語 に苦 しみなが ら演奏 します。
どうぞお楽 しみ ください。 (阿 部良行)
組 曲 『 自然 に、 充分 自然 に』
わが母校、 住吉高校 の前身大阪府立住吉中学校 の教師を つ とめた伊東静雄 の詩 と、 その詩 に敬意を
表 してわ ざわ ざ前橋か ら大阪まで、 当時無名 だ つた この詩人を訪ねた萩原朔太郎 の詩 に作 曲 してみた
い、 と い う気持 ちは学生時代 か ら持 つて いた。
現在 まで に朔太郎の詩 による合唱組 曲 「蛙の死」 を住吉高校音楽部第
-4-
10回 記念演奏会 で、
そし
(蜻 蛉、 燕、 夜の葦)を 同声会関西支部の演奏会 で発表 したが、 2003
年か つ らぎ会合唱団を指揮する ことにな り、 学生時代 に計画 しただ けで未完のままだ った 「 自然 に、
充分 自然 に」 (静 雄 )と 「天景」 (朔 太郎 )を この 機会 に書き上 げた。
その 2曲 に、 東京か つ らぎ会の発足を祝 つて 2001年 に作 曲 した 「員」 (朔 太郎 )と 、 今回
て静雄の詩 による歌 曲
の演奏会のため に新 しく書 いた 「螢」
して 本 日演奏する。
シ ューベ ル ト
(松 平
(静 雄 )を 加え、 4曲 の組 曲
『 自然 に、 充分 自然 に』 と
朗)
「四重奏 断章」 ハ 短調
D703
卜長調 ミサ曲の前座 に弦楽合奏だけで短 い曲な ら 1曲 や って もよろ しい、 とお許 しが 出たのですが、
さて、 何を演奏するか選 曲に悩み ま した。 行きつ いた 先が、 この 「四重奏断章」 です。 演奏時間
は 10分 程度、 同 じシューベル トで、 うまく収 まる と思 ったのが浅薄で した。 実 に難 しい曲です。
本 日の演奏会 に一点花を添えるつ も りが、 汚点を つ けて しまいかねな い。
指導を戴 いたバ ブアゼ先生か らどうして こんな 難 しい曲を選んだのか、 と云われて しまい、 また、
練習の途 中で ア レグロア ッサイは とて も無理で、 ア レグロモデラー トな ら何 とか、 という議論 も起 こ
る しで、 困つて しまいま した。
しか し、 シューベル トの この 曲の美 しさには、 何 とか征服 した いという願望が、 フツフツと湧 い
て くる魅力があ ります。 8分 の 6拍 子、 ソナタ形式、 1楽 章 しかな いのは、 2楽 章 アンダ ンテ 41
小節で筆を止めて しまったか らです。 15曲 の弦楽 四重奏 曲の第 12番 で、 この 曲に続 く 「ロザム
ンデ」 イ短調、 「死 と乙女」 二 短調、 最後の 卜長調 と並んで弦楽 四重奏 曲の重要な レパー トリーで
す。
弦楽 四重奏 曲を弦楽合奏で演奏すると い うのは、 多分 マー ラーの発 明で しょうか。 ウイ ー ンフィル
と 「死 と乙女」 2楽 章を演奏 した ときのス コアが出版 されて いて、 ビオ ラとチ ェ回の入れ替えや、
コ ン トラバス の巧みな使 い方を見る ことができまり。
四重奏 曲に 1本 の コ ン トラバスが入るだけなの に、 音の響 きが大きく広がる ことに、 どうぞ皆様 ご
注 目くだ さい。
(鍋 谷
淳)
シュ ーベル ト ミサ 曲
第 2番
卜長調
D167
大雑把な言 い方を許 して頂 くが、 ミサ曲とはキ リス ト教、 特 にカ トリック教会の儀式と結びついた音
楽である。 歴史的に、 また地域や宗派 によって、 それぞれ異なる複雑な変化をとげてきて いる。
現在は、 特別な儀式に用 いられる荘厳 ミサ曲の他 に歌 ミサと呼ばれる通常のミサ曲、 短縮 されたもの
それ に死者のための鎮魂曲 (レ クイエム)が 主 として演奏される。 本 国の
(ミ サ ・ ブ レーヴィス)、
ミサ曲 卜長調は、 シューベル トが書 いた 6曲 のミサ曲の 2番 目のもので、 内容はミサ曲の基本型である
5つ の部分、 キ リエ、 グロー リア、 ク レ ド、 サ ンク トゥス、 アニ ュス ・ デイ、 それ にサ ンク トゥス
の後半部分を独立させた ベネデ ィク トゥスを加えた 6つ の部分か らな っている。
シューベル トは、 このミサ曲を 18歳 のときに、 1週 間足 らずで書き上げて しまった。 恐るべ き若書
き、 そ して速や書き。 そのためだろうか。 必ず しも納得できない音が散見される し、 テキス トを読み
間違えて作曲 した部分もあるよ うだ。 また、 かな りな期間出版 されず、 後 に何人かが手を加えている。
だが、 この 曲の真価は、 そのような ことには少 しも影響 されない。 若 々 しい輝きと厳粛さに満ちたこ
の曲。 合唱と独唱の対比のみ ごとさ、 そ して比類のない美 しさを持つメロデ ィー。 まさに、 演奏する
喜びに溢れた作品だ。
(松 平
朗)
-5-
《プロフィール》
松平
朗
1931年 東京生まれ
清水脩氏の個人指導を受け、 後に東京芸術大学音楽学音岡乍
曲科に入学。 池内友次郎、 矢代秋雄両氏に師事。 音楽之友社 に入社 し 「音楽芸
術」 編集長、 著作権課長を歴任。 1970年 から 2年 間ワルシャワ音楽院に留学。
A・ ドブロヴォルスキ、W・ ル トスワフスキ両氏に師事。 1976年 日本ヴィエ
1982年 ポーラン ド文化功労賞を受賞。 1990年 ヴィ
エニ アフスキ国際 コンクーノИ乍曲部 Fヨ 審査員を、 1998年 と 2000年 に日本
ハー プ ・ コンクール審査員をつ とめた。 作品は声楽曲、 室内楽曲か ら管弦楽曲
ニ アフスキ協会を創設は
な どにおよび、 そのほとん どが ベル リン、 ワルシャワな どで演奏されている。
1992年 には CD 聡 平朗 ・ 室内楽の輸
をアダム ・ エース社か ら発売。
2003年 11月 、 プラハ交響楽団の定期演奏会で、 小松―彦氏の指揮により 「序
曲 ・ 唄散華」 が演奏された。 今年 3月 14日 、 ワルシャワ音楽院で開催された
演奏会 「 20世 紀の ノスタルジア」 で、 ヴァイオ リン ・ ソナタ リレトスワフス
キアーナ」 が演奏された。
F可
音Б 康と
イ
〒
住吉高校で コー ラスに出会 い、 早稲 田大学ではグ リー クラブ学生指揮者。 大学
の先輩である須賀敬一氏率 いる豊 中混声合唱団で副指揮者 も体験。
東宝東和 (株 )在 職 中は阪急東邦グル ープ男声合唱団 (現 在男声合唱団ネク
ス ト)、 大学の OB合 唱団 :大 阪稲門グ リーク ラブを指揮。 トヨコン (豊 中
混声合唱団)で 知 り合 った妻 阿部和子 (声 楽家)と 共に (有 )あ べぶ らんを
立ち上げ、 コー ラスや朗読教室を主宰。
長女加奈子はフランス人作 曲家 R鑢 総CANPOと 結婚 しパ リで指揮者 となる。 長
男晶人は電通勤務の傍 らクラ リネ ッ トを吹き、 次女未奈子はダ ンサーである。
曲
里
桂
1954年 阪大造船学科卒業の技術者。
大阪大学男声合唱団の倉1始 指揮者。 卒
業後は大阪大学交響楽団 にも指揮活動 を広 げ活躍 した。 当団結成直後指揮者 に
就任、 以来の指揮者である。 また 74年 には今やア マチ ュアオーケス トラ界屈
指の実力団体関西 シテ ィフ ィルの前身、 関西 OB交 響楽国の設立者のひ と りと
な り、 第一 回定演で は指揮台 に立 った。
指揮は山田和男、 カロ藤直 四郎 に師事。 持論の
変厳 しく、 合奏 団員を悩 ませて いる。
-6-
“
左脳 による音楽作 り" は大
草
葦
t女 臣
瘍
大阪音楽大学声楽部卒業。 関西 二 期会オ ペ ラスタジオ元準会員。 声楽 を齊木
幸子、 家島正子両氏 に師事。 現在、 かつ らぎ会合 唱団で は ヴォイス トレー
ナ ーおよび団内指揮者。 大阪市 内の地元では生野女声合唱団、 新登 中学校 PttA
コー ラス、 南登小学校生涯学習 コー ラスの伴奏および副指導を務める。 ソ リ
ス トと して も活動 し、 今年 1月 は羽曳野混声 コー ロソノールの リサイタルでオ
ペ ラハ イライ ト 「椿姫」 の ヴィオ レッタ を演 じた。
ロ
ヨ
E
岩崎
大阪音楽大学声楽科卒業、 大阪音楽大学大学院歌 曲研究室修了。 第 23回 卒
業演奏会 に出演。 学生時代 にはオ ペ ラ研 究部 に所属 し、 多数 のオ ペ ラ に出
演。 阪上和夫氏 に師事。 ザ ・ 夕 ロー ・ シンガ ーズの創設 メ ンバ ー と して宗
教 曲アンサ ンブル に参加。 その他、 ミュージカル、 非F楽 な ど幅広 いジ ャンル
で活 動。 (歌 って踊れ るシンガーをモ ッ トー と して、 聴 く人 に楽 しんで もら
うことを喜 び と して いる。 )現 在、 大阪府立岸和 田養護学校教諭。
土井
山本
淳司
小 学 校 の 頃 に合 唱 と 出会
い、大学時代 は “
大阪市立
大学混声合唱団"の パー ト
リー ダ ー を務めた。 卒業後
は “
合唱呻場 の会"に 所属
しなが ら様 々な演奏会 に出
演。現在 はかつ らぎ会合唱
かつらぎ会 'の 母
団団員、 “
修三
昭和 35`ミ 住吉高校卒業
在校 中は音楽部で指揮 を担
当。昭和 39年 、関西学院大
学卒業。 在学中はグ リー ク
ラブに所属。 東京か つ らぎ
会会員。現在、声楽を久住庄
一郎氏に自
扉軋
体である住吉高校教諭。
な お子
杉原
相愛子供の音楽教室幼児科 ・ 本科卒業。 大阪教育大学卒業。 ピアノ専攻。 ラ
イプツィヒ ・ メンデルスゾーン音楽学院 にて コーツ教授 に師事。 終了演奏会
出演。 合唱、 ア リアの伴奏者として各種 コンクール、 音楽祭等の場で活動。
ピアノを故山田康子、 ピアノ伴奏法を奥村智美、 岡原慎也の各氏に師事。 か
つ らぎ会合唱団 ピアニス ト、 ワタナベ楽器受験準備 コース講師。
大阪バ ロ ック協会合奏団
大阪大学 バ ロ ック協会合奏団" が結成 され、
当時の大阪大学交響楽団の弦奏者有志で “
"
“
と意気軒昴であ つた。 5回 の定期演奏会を経て団員卒業後、 解
若 さにまかせ
イムジチを 目指せ
“
大学" を取 つて “
大阪バ ロ ック協会合奏団" とな った。 今 も
散の形だ ったが、 1980年 再開、
"
“
だが、 メ ンバー の枠 は広が り、 かつ 自由な練習で合奏を楽 しんで いる。
通称 は
阪大 バ ロ ック
1961年 、
合唱団との共演 は初めてですが、 美 しいシューベル トの音楽 を合唱団の皆 さん とこころゆ くまで再現
した い と願 って います。
-7-
ヽク
,11鰤
か つ らぎ会 合 唱 団
Soprano
A比 o
',′
小 田原 和 美
韓
庚女
臣
塩田
栂井智勢子
中本
和子
南野 喜代 子
敏子
濱川ス 王 子
藤 田 英子
前 田 淑江
松本 マキエ
矢野
糸井
井上
敬子
岩崎
睦
中村真 由美
西田
啓子
杉原なお子
乙女
杉本
田中美代子
日高
章子
道子
神川久美子
白石みな子
千絵
林
孝子
藤井千鶴恵
今井
逸郎
坂本
真―
土井
淳司
中村
敏浩
Bass
柏原
章雄
永田
昌夫
的場
好昭
馬渕
正純
陽子
志村あや子
鈴木
和子
長 谷川 昌子
彰 司
泰
Tenor
尾 本
松 森
宮澤喜代子
東 京 か つ らぎ会
Soprano
金森
福岡
敏子
仁雄
宮地 あき子
Atto
秋 山真紀子
東
瑛子
山本
潤子
Tenor
和泉
隆
小林庄次郎
酒井
―郎
経澤
宏之
Bass
鈴木
哲夫
鍋谷
淳
西前
正忠
人見
宣彦
待山
山本
修三
岩崎
智実
梶谷
正彦
北村
昌章
田原 口安代
豊 辺 勢津 子
中村
佳子
波田
凱夫
藤井
大 阪 バ ロ ック協会 合 奏 団
Ⅵdn
伊 藤 美 那子
角崎
悦子
別段
美子
Vbla
池田
宏也
中村
正俊
鍋谷
淳
VblbncdЮ
黒田
育世
松永
修
水野
大輔
正英
Contrabass鷲 田 真 弓
Concert Master 藤井 正 英
幅広 tヽ 年齢層の団員、 多士済 々な指揮者たちを擁する
「かつ らぎ会合 口
昌団」であなたもご―緒 に歌 いませんか。
練習は月 2回 、主 に日曜午後で す。 まずは見学 にきてくだ さい。
問い合わせ先 松尾
彰 丁巨ヒ.0725-56-8101
-8-