中国語疑問詞連鎖構文の研究

『言語の対照研究と語学教育』,大阪外国語大学,p.79-95,1992年
最終修正
2016/12/30
中国語疑問詞連鎖構文の研究
杉村博文
○ 問題提起
本稿は“谁跑得快,谁就得第一”(走るのが速いものが一番になる)に類する構文(以下「疑問詞連鎖
構文」)の形式,特に後節の形式に関する記述的研究である1)。具体的には,以下の二点を考察対
象とするが,
ⅰ.後節において疑問詞“谁”が人称代名詞に置き換わる現象
ⅱ.後節において疑問詞“谁”がゼロ代名詞に置き換わる現象
それに付随して以下の三点も簡単に取り上げる。
ⅲ.前後呼応して用いられる二つの疑問詞の前後節中における構文的役割と階層的位置
ⅳ.後節において接続機能を果たす副詞
ⅴ.多重疑問詞連鎖構文
本稿は以下のような代用記号を用いる。
S(Q,Q)
疑問詞連鎖構文。S(谁,谁)のように Q に具体的な疑問詞を代入することがあ
る。また,S(Q,Q,誓い)のように構文の意味特徴を加えることもある。さら
に,S(Q,Q)の異なる諸形式を代表して用いることがある。
C1
S(Q,Q)の前節。
C2
S(Q,Q)の後節。
Q1
C1 に用いられた疑問詞
Q2
C2 に用いられた疑問
Φ
C2 に用いられた Q1 に対応するゼロ代名詞
一 S(Q,Q)と階層構造
1.1. 本論に入る前に,S(Q,Q)における Q1,Q2 の構文的役割と階層的位置の違いが構文全体の
文法性に影響を与えるか否かについて簡単に見ておきたい。従来,このような問題提起がなされ
たことはないが,結論は以下の通り極めて単純である。
1) 疑問詞連鎖構文では形式の等しい疑問詞が前後呼応して用いられるのが基本であるが,“怎么”と“怎(么)
样”や“哪个”と“谁”の呼応で構成されることもある。
生活就是钢琴,你怎么弹,就奏出怎样的调子。(生活はピアノである。弾けば弾いたようにメロディーを奏で
る;王蒙《活动变人形》)
他把手枪顶上了子弹,哪个敌人弯身先看见他,他就首先打死谁。(彼は拳銃の弾倉を押し上げた。腰を屈めて
[覗きこみ]最初に彼を目撃した敵を,彼は最初に撃ち殺す;刘真《童年纪事》)
1
杉村博文「中国語疑問詞連鎖構文の研究」
Q1 と Q2 の構文的役割及び階層的位置の異同が構文全体の文法性に影響を与えることは
ない。
よって,この章で論じようとする二つの問題は理論上まったく意味のないものに見えるが,後
に Q2 が人称代名詞や指示代名詞,またゼロ代名詞に置き換わる現象を考察するとき,本節の観
察結果も一定の価値をもつものであることが分かる。
1.2. Q1 と Q2 が充当する構文的役割は同じであっても異なっていても構わない。両者の組合せ
は極めて自由で,いかなる制約も存在しないようである。今仮に疑問詞“谁”を例に取り,“谁”
が C1 と C2 において充当する構文的役割を主語,
目的語,
連体修飾語の三つに限定すると,
S(Q,Q)
には九種の組合せが成立し,九種の異なる構文パターンが得られる2)。
(1)主-主:每个人都有一条跑道,谁跑得快,谁就得第一。(誰にも一本のレーンがあり,走るのが
速いものが一番になる)
(2)主-目:谁敢过来,就杀了谁!(誰であろうと近づく奴は殺す)
(3)主-修:谁走露了风声,就砸谁的饭碗!(誰であろうと情報を漏らしたやつは馘にする)
(4)目-目:你爱提拔谁就提拔谁,我才不管呢!(あなたに抜擢したい人がいればその人を抜擢すれば
いい。私の知ったことではない)
(5)目-修:她是一个“吸血鬼”,专门用头发吸取人的血,只要她的头发碰到谁,谁的血就会
被吸去。(彼女は吸血鬼で,専ら髪の毛で人の血を吸った。彼女の髪の毛が誰かに触れさえす
れば,その人の血は吸われてしまうのだった)
(6)目-主:知识分子最怕被人瞧不起,他贬了谁,谁就跟他作对。(インテリは人に軽蔑されるのが
なによりも怖い。[だから]彼が誰かを低く評価すればそいつは必ず彼の敵に回る)
(7)修-修:谁的办法可行,我们就按谁的办法办。(実行可能であれば,誰のやり方であろうとその人
のやり方でやろう)
(8)修-主:谁的工资高,谁请客。(給料の高い者がおごる)
(9)修-目:是谁的责任,咱们就处理谁。(責任を負うべき者であれば,我々はそいつを処分する)
九種の組合せには使用頻度の高低が観察されるが,使用頻度の高低と文法的成否の間に直接的
な関連はないと見なし,本稿では扱わない。
1.3. Q1 と Q2 が位置する階層の深浅も異なってかまわない。
(10)谁(先回家),谁(做饭)。(先に帰宅した者が食事の用意をする)
(11)红灯,谁(闯)(罚)谁。不信,你闯个看。(赤信号は無視した者は罰金だ。信じないのならひとつ無
視してみろ)
この二例では二つの“谁”が C1 と C2 において同一の階層にあるが,以下の二例では二つの“谁”
が異なる階層に位置している。
(12)正常的逻辑应该是,枪(是((谁(扔))的)),谁(就是犯罪分子)!(正常な論理は,銃を捨てた
者,そいつこそが犯人だ,となるはずである)
(13)(谁(家))(送十斤小麦来),(就((把(她))((嫁(谁(家)))去)))。(十斤の小麦を持ってくる家
2) 下の例で一つ目の“谁”は“骂”の目的語,二つ目の“谁”は“把事做错了”の主語であり,「目-主」の例
であると言えるが,“谁确实把事做错了”は“意味着”の目的語の位置に埋め込まれている。本稿の考察範囲
はこのような状況にまでは及んでいない。
在族里,三爷骂谁就[意味着(谁确实把事做错了)]。(一族の中で,三爺が誰かを罵れば,それはその誰かが事
をし損じたことを意味する;季栋梁《吼夜》)
2
『言語の対照研究と語学教育』
があれば,彼女をその家に嫁がせる)
Q1 と Q2 を隔てる階層差は最大いくつまで許されるか。この問題は,理論的にはそれなりに意
味をもつであろうが,実際の言語運用においては大した意味をもたないようである。むしろ以下
の記述で明らかになるように,階層構造という縦の距離よりも,線状構造という横の距離のほう
が S(Q,Q)の組織に大きな影響を与えている形跡がある。
二 S(谁,他)の意味とシンタクス
2.1. 疑問詞に“谁”が代入された S(Q,Q)は,Q2 を第三人称代名詞の“他”で置き換え,S(谁,
他)という形式をとることがある3)。例えば,
(14)听说,在你们厂里,谁要是反对您的意见,您就撤谁的职?(聞くところによると,あなたの工
場では,誰かがもしあなたに反対すれば,あなたはすぐその者をポストからはずすそうですが)
(15)企业要靠牌子吃饭,没有牌子什么也谈不上。谁要是砸我的牌子,那我就扣他的工资!要
不然呢,我就开除他!(企業はブランドに頼って飯をくっている,名の通った商品がなければ何を
言っても始まらない。もし誰かが私のブランドにドロを塗るようなことをしたら,私はそいつの賃金を
カットする。そうじゃなければ,そいつを馘にする)
この二例は同じく「主-修」の構文だが,一方は S(谁,谁)という形式をとり,一方は S(谁,他)
という形式をとっている。これまでも,S(谁,他)という形式に言及した著作はあるが,S(谁,谁)
と S(谁,他)の意味上および用法上の違いを分析した研究はまだない。吕叔湘(1942:23.61)に以下
のような記述がある。文中“无定指称词”(不定指示詞)は疑問詞と同義である。
连锁句[…]在上下两小句叠用同一个无定指称词。第一个是任指性的,第二个表面也是任
指的,实际上随第一个为转移,并不是绝对无定,而是相对有定的。(連鎖文は[…]前後両節に
おいて同一の不定指示詞を用いる。一つ目の不定指示詞は任意の一個を指示する。二つ目の不定指示詞
もまた表面上は任意の一個を指示しているようだが,実際には一つ目の不定指示詞と連動しているため,
絶対的不定指示でなく,相対的定指示である)
このように Q2 が Q1 と指示対象を同じくする相対的定指示であるため――Q1 は Q2 の先行詞
であるという表現も可能であろう――,人称代名詞による Q2 の置換が可能になるのであるが,
更に以下の二点が探求すべき課題として残る。
ⅰ.Q1 が“谁”以外の疑問詞であっても Q2 を人称代名詞や指示代名詞で置き換えることが
可能であるか。
ⅱ.S(谁,谁)はいかなる状況にあっても S(谁,他)と言い換えることが可能であるか。
以下,この二点について考えてみよう。
2.2. 北京語言学院編《基础汉语课本Ⅳ》に次のような例文が挙げられている。
(16)哪儿的困难最多,领导干部就应该到那儿去。(問題の最も多いところにこそ指導的立場にある幹
部は赴くべきである)
3) 用例は少ないが,“人家”“你”“他们”などを用いて Q2 に対応させることもある(例 38 参照)。
谁要是对你表示点友好,你就恨不得把心都掏给人家……。(誰かがあなたに少し優しさを見せれば,あなたは
その人に心の奥底までさらけ出そうとする;王梓夫《蝉蜕》)
谁要是有了什么事去找他,他总很高兴地帮你的忙。(誰かがもし何か問題が生じ彼を訪ねたら,彼はいつも喜
んであなたの手助けをする;高玉宝《高玉宝》)
3
杉村博文「中国語疑問詞連鎖構文の研究」
この例では Q1 の“哪儿”を指示代名詞の“那儿”で承けているが,自然な例文であるとは言
えないようだ。八人の母語話者に確認したところ,六人までが不自然な文であると答えた。以下
に筆者の発見した S(哪里,那里)の例を挙げる。“她”は擬人法で,季節の春を指している。
(17)她走到哪里,就在那里留下她的脚印。(彼女が訪れたところには彼女の足跡が残る)
この例も(16)と同じく不自然さを残し,文学言語の色彩が濃い。母語話者の語感でも“那里”
を“哪里”とするほうが勝る。以下の三例は自然な文であるが,文章語であり,Q1 と Q2 が遠く
隔たっていることに留意したい。
(18)哪种语言使用这种句式越多,它就越接近(A)阶段。(この種の文型を使うことが多い言語ほど,
(A)段階に接近している)4)
(19)这种问句的词序与陈述句的词序一样,提问句子的哪个成分,就把疑问代词放在那个成分的
位置上。(この種の疑問文の語順は平叙文と同じであり,文中のどれかの成分について問うとき,疑
問詞をその成分の位置に置くのである)
(20)纠正的方法并不困难。首先,哪里发生了这类问题,就把主要责任放在那里的主要领导身
上。(正す方法を探すのは決して困難ではない。まず,どこかでこのような問題が発生したならば,即
刻主たる責任をそこの主な指導者のせいにするのである)
Q1 に“谁”以外の疑問詞が充当し5),且つ短くリズミカルな文では,Q2 を Q1 に対応する人称
代名詞や指示代名詞に置き換えることは困難である。
(21)生活有时候可真会捉弄人呢!怕什么偏要碰到什么/*它。(生活は人をもてあそぶのが実に巧み
なときがある。何かを嫌がればどうしてもその何かに出くわすのである)
(22)哪儿的人最多,哪儿/*那儿就有她的声音。(人の一番多い所には決って彼女の声がする)
(23)你爱怎么恨我就怎么/*那么恨我吧!(恨みたければ好きなように私を恨みなさい)
これがどういう理由によるものなのか,まだ分からない。現在言えることは次の点のみである。
S(谁,谁)以外の S(Q,Q)において,それが形式的に整った文章語における複文であり,
且つ Q1 と Q2 間の距離がある程度遠く隔たっている場合に限り,Q1 に対応する Q2 を
人称代名詞あるいは指示代名詞で置換し得る可能性が生じる。
S(谁,谁)であっても,Q1 と Q2 が接近している場合は,S(谁,他)に置き換えることが難しい。
例えば,次の二例は Q2 を“他”に換えることが可能である。
(24)谁技术全面,就让谁/他做中锋。(技術的にオールラウンドな者にセンターフォワードをやっても
らう)
(25)谁没看过这个电影,我就把票让给谁/他。(誰かこの映画を見たことのない人がいれば,私はチ
ケットをその人に与える)
しかし,次の三例では Q2 を“他”で置き換えることができない。Q1 と Q2 が極めて接近して
いる点に留意されたい。
(26)谁技术全面谁/*他就上。(技術的にオールラウンドな者に出場してもらう)
(27)谁看我给谁/*他。(見たい人にあげよう)
4) 例(18)は清水登先生から提供されたものである。
5) “谁”と同義になる“哪个”を除く。下例では Q2 の“哪个”を“他”に置き換えることが可能である。
不管是鬼子汉奸,哪个最坏,我就打哪个/他。(日本兵であろうが売国奴であろうが,一番悪い奴を俺はやっ
つける)
4
『言語の対照研究と語学教育』
(28)谁的东西谁/*他拿走。(自分の物は自分で持ち帰ってくれ)
このように,Q1 と Q2 の横の距離は C2 における“谁”から“他”への置換条件として看過で
きない。さらに,“谁”と“他”の置換が発生している実例を観察すると,S(谁,他)の出現には,
なお異なる形式的条件や S(谁,他)の構文としても意味も関与しているようである。
2.3. 形式と意味を規准に分類すれば,S(谁,他)は大きく二タイプに分かれる。“他”が C2 にお
いて主語以外の位置を占め,多く話者の強い決意を述べるのに用いるのがその一つであり,もう
一つは“他”が C2 において主語の位置を占め,話者が自らの信念を「真理」として述べるのに
用いる。
まず,決意を表す場合から見ていこう。決意は強い時もあれば弱い時もある。強ければ誓いと
なり,弱ければ単なる考えとなる。先に S(谁,他,誓い)の例を挙げる。
(29)谁要是放了人,就让谁身上缺胳膊少腿废了他。(誰かが人を逃したりしたら,その誰かの手足を
へし折り,そいつを廃人にしてやる)
(30)我在这个厂里干了一辈子,谁要是想把这个厂子给毁了,舍了我这老命我也绝不答应他!
(私はずっとこの工場で働いてきた。誰かがもしこの工場をぶち壊そうとするなら,この老いぼれの命
にかけても私はそいつを許さない)
(31)你们听着,谁再敢欺负老憨,我就把他送到菜市口去!(お前らよく聞け,誰かが今度もしヨッ
サンをいじめたりすれば,そいつを菜市口[旧北京の刑場]送りにしてやるからな)
(32)谁敢再来找我的麻烦,我就豁出去上县里给他打官司!(今度もし俺に難癖をつけたりすれば,
もう一か八か県に訴え出てそいつを裁判沙汰にしてやるからな)
(33)谁不跟我讲情义,我也就跟他六亲不认。(俺に対し義理人情を欠く奴は俺もそいつに対し一切情
はかけないからな)
(34)谁要是不老实,我就罚他的站。(大人しくしない人は立たせますからね)
(35)他妈的,谁今后再敢说一个“简”字,我就割掉他的舌头。(糞ったれが,今度もし誰か「削減」
の「削」とでも言ってみろ,そいつのべろをひっこ抜いてやるからな)
S(谁,他,誓い)には重要な特徴が二つある。
ⅰ.S(谁,他,誓い)は,誰かが私に対してどうであれば,私はその誰かに対して必ずやどう
する,目には目を歯には歯をだ,という文脈で使われることが多く,通常 C1 の“谁”
は主語の位置に在って施事者の役割を演じ,それを承けた C2 の“他”は主語以外の位
置に置かれ,動作主以外の役割(多くは受事者)を演じる。
ⅱ S(谁,他,誓い)は氾称的に人を指して言うよりも,特定の人物を意識して言う場合が多
い。これには,警告的効果の増大を狙い,特定の人物を意識しているぞと装って使う場
合も含まれる。
この第二の特徴が S(谁,他,誓い)の生まれる直接の意味論的基礎であるかもしれない。次の二
例を見て欲しい。
(36)是,我承认!我就是这样!谁对我好,我就对谁好。谁要妨碍我,我就干掉她。(そうだ,
認める,私はそういう人間だ。誰であろうと私によくしてくれる人には私も優しくする。もし私の邪魔
をしようとする者があれば,私はそいつ(女)を追い落とす;柯云路《夜与昼》)
(37)有一次,她发泄完了,我亳不客气地说:“委屈个啥?这是一场拼搏(天知道她是否听得懂
大陆术语‘拼搏’),谁占你便宜,就痛快地告诉她:‘别把人当傻瓜!’”(あるとき,彼
5
杉村博文「中国語疑問詞連鎖構文の研究」
女はうっぷんをぶちまけた。私は歯に衣を着せずに言った。「くやしがったところで何になる。これは
「拼搏」なんだ(彼女に大陸の用語「拼搏=命がけの戦い」が聞いて分かるかどうかは神のみぞ知る),
君からうまい汁を吸おうとする奴がいたら,「人を馬鹿にするな!」とはっきりそいつに言ってやれ)
(36)の点線下線部“谁对我好,我就对谁好”は氾称表現で,“谁”の指示対象は特定の存在で
はない。しかし(36)と(37)の実線下線部においては,単に Q2 が第三人称代名詞に置き換わって
いるだけでなく,指示対象が女性に限定される“她”に置き換わっている。この表記は C1 にお
ける“谁”が任意の存在を指すのではなく,特定の人物に目標が定まっていることを物語る。次
の例では Q2 が集合形の第三人称代名詞“他们”によって代替されている。これも C1 における“谁”
が氾称ではなく,特定の集団を指していることを示すものである。
(38)谁爱说什么就让他们说什么。反正他们有的是嘴。(なにか言いたいことのある奴がいたら言わ
せておくさ。どのみちあいつらに口はいくつでもあるんだから)
次の二例を比較されたい。騒がしい教室に耐え切れなくなった教師の警告である。
(39)a.谁要是不听,谁就出去。(言うことの聞けない人は出て行きなさい)
b.谁要是不听,他就出去。(同上)
S(谁,他)を用いた(39b)はクラス全員に向けた一般的な注意というよりも,特定の学生に対す
る教師からの警告と解釈される可能性が高い。母語話者の語感では,相当に口調の強い,遠慮の
ない警告である。(39b)で C1 の“谁”を承けた C2 の“他”は主語の位置を占めており,上で指
摘した S(谁,他,誓い)の一般的傾向,即ち C2 において“他”は主語以外の位置に置かれ,施事者
以外の役割(多くは受事者)を演じるという傾向に抵触するかのようだが,意味的に考えると,
“他
就出去”は“我就请他出去”(私はその人に出て行ってもらう)と言うのに等しく,“他”は施事者と
いうよりむしろ受事者である。よって,(39b)も S(谁,他,誓い)の例に含めることが許されよう。
2.4. 以上,S(谁,谁)が発話者の誓いを表明し,その誓いが特定の対象に向かうとき,Q2 が第三
人称代名詞で置き換えられる現象を観察した。
この観察は母語話者の語感とも一致する。しかし,
これは傾向にすぎず,S(谁,谁)を用いて誓いを表すことがないということではない。例えば,
(40)谁要是再想欺侮她,我就跟谁以死相拼!(誰かがもしまた彼女をいじめたりすれば,俺はそいつ
と命をかけてやりあうぞ;梁世宁《三个女人的遭遇》)
(41)我(鲁贵)知道她(蘩漪)是个利害人,可是谁欺负了我的女儿,我就跟谁拼了!(私は彼女が一筋
縄では行かない人であることを承知している,しかし誰であろうと私の娘をいじめたりしたら,私はそ
いつと命をかけてやりあってやる;曹禺《雷雨》)
(40)はすでに彼女をいじめた誰かがいなければ発せられない文であるが,S(谁,谁)を用いてい
る。(41)でも“谁”が“她(蘩漪)”を指していることは文脈上明明白白である。しかし,作者は
S(谁,谁)を採用し,S(谁,她)を用いてはいない。ここで,S(谁,他,誓い)には特定指示の傾向が
あるという観察に依拠しつつ,S(谁,谁)を用いた作者の心理を分析すれば,次のような答が考え
られる。
ⅰ.もし S(谁,她)を採用すれば,魯貴のこの台詞は蘩漪一人に対して発せられたものとなっ
てしまう。
しかしこの台詞を発するとき,
魯貴の心の中には紛れもなくもう一人の人物,
娘の四鳳を誘惑した周家の長男である周萍の姿が浮かんでいる。そこで,S(谁,她)を避
け,S(谁,谁)を用いることで指示対象を意図的にぼかし,魯貴の台詞を蘩漪に対したも
のとも,周萍に対したものとも解釈できるようにした。
6
『言語の対照研究と語学教育』
ⅱ.魯貴にとって“谁”はやはり蘩漪を指しているが,蘩漪はなんと言っても主家の女主人
であり,自らは一介の執事にすぎない。そこで表現が露骨になることを避け,S(谁,她)
ではなく S(谁,谁)を採用した。
いずれにしろ,もしこのような分析が成立するならば,曹禺のこの例は S(谁,他)が特定指示の
傾向をもつという本稿の観察を支持する根拠となる。さらに,S(谁,他)の口調が S(谁,谁)より強
くなることも,特定指示という傾向と関わってくる。下例は映画「關雲長」(2011 年,香港)の台
詞である。
(42)曹操:“关将军,不杀这些人,要是走漏了风声,你就臭了,而且遗臭万年。”
关羽:“谁敢动手我杀谁!”
曹操:“那你就当不成英雄了,你就前功尽弃了。”
关羽:“我说过了,谁敢动手杀人,我就杀了他!”
曹操:「関将軍,この者どもを殺さず,もし内情が漏れたりすれば,あなたの名声は地に落ちる。しか
も悪名を永遠に残すことになる」
関羽:「誰だろうと[この者どもに]手を下せば俺はそいつを殺す」
曹操:「それじゃあなたは英雄になれない。これまでの歩みがすべてむだになる」
関羽:「言っただろう,誰だろうと人を殺めようとするなら,俺はそいつを殺す」
同じ内容が先ず S(谁,谁)で語られ,続いて S(谁,他)で語られている。S(谁,他)を用いること
で特定の人物を意識しているぞ思わせることができれば,聞き手はより強い口調として受け取る
であろうし6),警告の効果も自然と高まる。
2.5. 次に,弱い決意,即ち発話者の一般的な考えを表明する S(谁,他,考え)を観察する。
(43)谁没看过这个电影,我就把票让给他。(誰かこの映画を見たことのない人がいれば,私はチケッ
トをその人にプレゼントする)
(44)大家看谁符合条件,就选他当车间主任。(みんなから見て条件に合致すれば,その人を工程主任
に選ぼう)
(45)要是今年再考不上就嫁人,只要谁有钱,我就嫁给他。(もし今年また不合格だったら結婚する。
お金がある人でありさえすれば,私はその人に嫁ぐ)
(46)从现在开始,烧了谁家的房,等“反扫荡”结束以后,全村负责给他盖新的。(今日から始
めて,誰かの家が焼かれたなら,「反掃蕩」が終わった後,村全体で責任をもってその人のために新しい
家を建てる)
(47)谁答应借给你们,你们就找他去吧。(君たちに貸すと約束した人を君たちは訪ねて行きなさい)
S(谁,他,考え)の形式は S(谁,他,誓い)に等しく,C1 と C2 における“谁”と“他”の分布も
S(谁,他,誓い)と似かよっている。即ち,C1 の“谁”はほとんどが主語の位置に現れ,C2 の“他”
は主語以外の位置に現れる。
S(谁,他,考え)と S(谁,他,誓い)の相違は意味にある。S(谁,他,考え)において“谁”が特定の
対象を指向する傾向は弱く,語気も S(谁,他,誓い)に比べて穏やかである。上例(47)では S(谁,
他,考え)がアドバイスの形をとっている。もし S(谁,他,誓い)の特定対象指向や強い誓約・警告
6) S(哪个,他)の例を一つ挙げておく。口調は極めて強く粗野である。
死也不能怕了他们!看哪个畜牲敢进来,就撕烂了他!(死んでも奴らを怖がったりはできない!入ってくるク
ソ野郎がいたら,そいつをぶち殺してやる;刘流《烈火金刚》)
7
杉村博文「中国語疑問詞連鎖構文の研究」
の口調を重く見なければ,S(谁,他,誓い)と S(谁,他,考え)をことさら二分する理由はないと言え
よう。
2.6. 話者が自らの信念を真理として語るとき,S(谁,谁)とほぼ同じ頻度で S(谁,他)が用いられ
る。語る内容が「真理」であるということは,任意の対象を意識した氾称表現として構成しなけ
ればならず,S(谁,谁)と S(谁,他)の間に意味上の差はないと言える。
(48)谁如果不想做奴隶,他就得学会主宰自己。(人は奴隷になりたくないならば,自らを支配するこ
とを学ばねばならない)
(49)谁只要真诚地对待生活,生活也会真诚地对待他。(誰であろうと真摯な態度で生活に臨めば,
生活もまた真摯な態度でその人を遇する)
(50)谁能在这块大地上把事业推进一步,或是让这儿的习俗乃至社会前进一步,那他无疑便是
英雄。(誰かがこの大地において事業を一歩推進させることができたなら,あるいはこの地の習俗,ひ
いては社会を一歩前進させることができたなら,その人は紛れもなく英雄である)
(51)谁要是以为他的权利可以无所不达,那他就还不了解“文革”后的中国。(誰かがもし彼の権
力は及ばぬところ無しであるとみなすなら,その人はまだ「文革」後の中国がわかっていない)
(52)谁要是认为吃饭不重要,那他是没挨过饿!(誰かがもし飯を食うことを軽んじるなら,そいつは
ひもじい思いをしたことがないということだ)
以下に S(谁,谁)で信念を語った用例を挙げる。S(谁,他)の諸例と比較されたい。
(53)每一个人都有缺点,如果谁想找到一个没有缺点的朋友,那谁就永远得不到朋友。(人はみ
な欠点をもっている。もし誰かが欠点のない友を捜そうとすれば,その人は永遠に友を得られない)
(54)谁想抓住发挥才干的机会,谁首先就得面对知识的挑战。(人は才能を発揮する機会をつかもう
と思えば,まず知識の挑戦に直面しなければならない)
(55)谁要是没有在 80 年代的中国医院里看过普通门诊,住过普通病房,谁就不会懂得中国普通
医生的忙。(もし 80 年代の中国の病院で問診治療を受けた経験がなく,一般病室に入院した経験もな
ければ,誰も中国の普通の医師の忙しさを理解できない)
S(谁,他,信念)には構文および構成成分にそれぞれ注意すべき特徴がある。
ⅰ.S(谁,他,信念)では,通常,C1 の“谁”も C2 の“他”もともに主語の位置に現れ,そ
れ以外の状況は少ない。C1 で“谁”が主語の位置を占める点では S(谁,他,決意)と等し
いが,S(谁,他,決意)では C2 の“他”が主語以外の位置を占めることが多い。
ⅱ.S(谁,他,信念)は典型的な主従複文を構成し,通常,C1 に接続連詞(“要是,如果,只要”
等)を含み,C2 に接続作用を担う指示詞の“那”や接続副詞“就”を含む7)。文は一般に
長く,緊縮文は見あたらない。
この第二の点は C2 において“他”で“谁”の代替が可能な形式上の根拠であると言える。即
ち,C1 に接続連詞が含まれ,C2 に指示詞や接続副詞が含まれることによって,C1 と C2 の間の
連接は十分に保証されるため,疑問詞連鎖という文法手段に頼らずとも,文が空中分解する恐れ
はないということである。加えて,C1 の“谁”と C2 の“他”は遠く隔たっている。このような
場合,S(谁,谁)よりもむしろ S(谁,他)の方が自然であると言う母語話者さえいる。本稿は S(Q,Q)
7) C1 が明確に仮定節であることを表すとき,通常“谁要是……”を用い,“谁如果……”や“谁若是……”の
使用頻度は極めて低い。これは S(Q,Q)が口頭で使用されることの多い表現であることを物語る。
8
『言語の対照研究と語学教育』
と S(谁,他)の使用環境や構文義の類似性に着目し,S(谁,他)を S(Q,Q)の下位分類として処理し
ているのだが,条件複文を体系的に観察した場合,ともに条件複文として同じレベルにあると考
えるべきであろう。S(Q,Q)は二つの未然命題 C1 と C2 が順接で連接しており,その意味で典型
的な条件複文を構成する8)。
三 S(谁,Φ)の意味とシンタクス
3.1. S(谁,谁)で C2 の“谁”が言語化されず,S(谁,φ)という形式をとることがある。先ず用例
を見てみよう。
(56)胜者王侯败者贼呀。布什和萨达姆,谁胜了谁当民族英雄;谁败了φ就是千古罪人。(勝て
ば官軍負ければ賊軍。ブッシュとサダム,勝ったほうは民族の英雄となり,負けたほうは歴史の罪人で
ある;孙云晓《握手在十六岁》)
(57)梁倩恨不得贴一张海报,声明她父亲是她父亲,她是她,自复山是白复山,谁该上天堂φ
就上天堂,谁该下地狱φ就下地狱,各人自己负责。(梁倩すぐにでもポスターを掲示して宣言
したかった。父親は父親,彼女は彼女,白復山は白復山であり,天国に昇るべき者は天国に昇り,地獄
に堕ちるべき者は地獄に堕ちる,みな自分で責任を負うのだと)
(58)你们谁喜欢他φ就嫁给他吧!(あなた達はあの人が気に入ったのなら,気に入った人があの人に嫁
げばよいでしょう)
(59)不是谁想当护士φ就能当护士的,要护士学校毕业才行。(誰でも看護婦になりたいと思えばな
れるものではない。看護学校を卒業していないとだめだ)
(60)谁的东西好、高级,φ就得意地笑着;谁的东西不好,φ就红着脸,一幅不好意思的样子。
(よいものや高級なものを持ってきた者は得意そうに微笑み,よいものを持ってこられなかった者は顔
を赤らめいかにもばつが悪いといった様子である)
S(谁,φ)の構文論的特徴は一目瞭然である。多くの場合,C1 で“谁”は「主語」の位置を占め,
C2 のφも主語の位置を占める。この点は前述の S(谁,他,信念)と平行するが,S(谁,φ)と S(谁,
他,信念)には,大きな違いが存在する。S(谁,他,信念)は,C1 と C2 がそれぞれ接続連詞,接続
副詞という連接成分を含み,緊縮文はまれであったが,S(谁,φ)は C2 に接続副詞の“就”を含
むことが求められる以外,他の接続成分を含むことはまれで,文も短いものが多い。換言すれば,
S(谁,φ)は緊縮度が S(谁,他,信念)にくらべて高いということである。このため,S(谁,φ)を S(谁,
谁)に言い換えることは容易であるが,S(谁,他)に言い換えることは難しい場合が多い。
3.2.
S(谁,φ)では“谁”もφも主語の位置を占めることが多いが,それ以外の状況にぶつかる
こともある。次の例では“谁”とφがともに目的語の位置を占めている。
(61)大老王又一想,公司在人事问题上跟下边从来没有商量,调谁走,你就得放φ;要谁进,
你就得收φ。(巨漢の王さんはまた考えた,会社は人事問題でかつて下[の部局]と相談したことはな
い,[会社が]誰かを移動させると言えば,部局は[その人を]出さなければならないし,[会社が]誰を入
れると言えば,部局は[その人を]受け入れなければならない)
また,S(Q,φ)は通常 Q1 が“谁”である場合に見られるのであるが,他の疑問詞に S(Q,φ)が
8) 大河内康憲(1967)参照。
9
杉村博文「中国語疑問詞連鎖構文の研究」
見られないわけではない。以下に S(什么,φ),S(怎么,φ)の例を挙げる。
(62)谁愿意说什么让他们说φ去!身正不怕影斜。(誰が何を言おうと言わせておけばいいんだ!自分
にやましいところがなければ人の噂など恐れるに足りない)
(63)我没什么责任!你们爱怎么负责任就φ负去!(私にはなんの責任もない!あなた達が責任を負
いたいのなら好きなように責任を負えばよい)
S(Q,φ)に共通する特徴は,Q1 が“谁”であるか否かに関わらず,Q1 とφが基本的に同一の構
文論的役割を担っている点である9)。(61)は「目-目」であり,(62)は「修-修」である。この現
象はゼロ代名詞の行動を研究する上で大いに示唆的である。
3.3. S(谁,φ)が C2 において接続副詞“就”を含むということはたいへん重要なことである。以
下の例を見て欲しい。
(64)谁要求没有缺点的朋友,谁就得不到朋友。(欠点のない友を求める者,そのような人間は友を得
られない)
(65)谁要求没有缺点的朋友,φ就得不到朋友。(欠点のない友を求める者に友は得られない)
(64)において“就”の有無は文の成立に影響を及ぼさない。一方,(65)において“就”の使用
は必須である。(65)から“就”を落とした次の文は成立しない。
(66)*谁要求没有缺点的朋友,得不到朋友。
この現象は,疑問詞連鎖を欠いて C1 と C2 を接続するという点で,2.6 で観察した S(谁,他)の
成立事情と重なってくる。即ち,(64)では疑問詞連鎖という文法的な手段と接続副詞“就”の使
用という語彙的な手段によって二重に C1 と C2 が結び付けられているため,たとえ“就”がなく
てもなお C1 と C2 の連繋は保たれる。しかし,(65)は疑問詞連鎖を利用していないため,C1 と
C2 を接続するものが“就”しかなく,それまで落とせば,C1 と C2 の脈絡が断たれて文が空中
分解を起こしてしまうと考えられるのである。この間の事情は(56)の S(谁,谁)と S(谁,φ)に具
現している。
3.4. S(谁,谁)と S(谁,φ)の意味上の違いはどうなっているであろうか。(64)と(65)を例に取っ
て言うと,S(谁,谁)は“谁”に焦点を当てた表現で,どういう人間が友達を得られないかを言っ
ている。それに対し,S(谁,φ)のほうは C2 の述部が焦点となっており,欠点のない友を求める
人間がどうなるかを言っている。このような意味解釈と関連しているのは,S(谁,他)の場合と同
様に,S(谁,φ)を通常の条件複文と区別する境界が定かでないことである。特に C1 が仮定接続
詞を含み明確に仮定節として構成されると,その傾向は強まる。
(67)一千年过去了,没人救他。魔鬼又发誓:谁能将他从瓶子中救出,就把全世界的金银都φ
献上……10)(千年が過ぎたが,彼を救う者は現れなかった。魔人はもう一度誓いを立てた。もし誰か
が彼を瓶の中から救い出せれば,全世界の金銀をすべて進呈しようと;柯云路《衰与荣》)
(68)别老郁闷了,咱们相互出谜语猜吧,谁要是输了φ就到最热闹的地方学一分钟狗叫。(黙っ
てばかりいるのはもうやめにして,別々に謎々を出してあてっこしよう。負けたほうが,人が一番たく
9) 例(60)は「修-主」の珍しい例である。また,今筆者の手元に S(哪里,φ)の実例が一例あり,しかも“哪里”
とφが異なる構文論的役割を担っている。
工人罢工,甚至冲入工厂(被扣留)。他们一听哪里有戒严部队的军车,马上就分拨赶φ去。(労働者はストライ
キをし,工場内に突っ込む連中まで現れ[拘留された]。彼らはどこかに戒厳部隊の軍用車があると聞くと,す
ぐグループに分かれてそこへ馳せさんじた)
10) この例をS(谁,谁)に作り直すには,前置詞“给”を補い“给谁献上”或いは“献给谁”とする。
10
『言語の対照研究と語学教育』
さんいるところへ行って一分間イヌの鳴きまねをする)
(69)学校里的伙食差,谁要是想减肥,φ到我们那儿吃上一个月,保证见效。(学食の食事はひど
い,誰かもしダイエットしたければ,私たちの学校に来て一月食べてみてください,効果抜群です;海
岩《永不瞑目》)
(70)谁要是翻动一下谱纸,他就会骂φ一声:“滚,臭猪!”(誰かがもし譜面をめくったりしたら,
彼は「うせろ,ブタ!」と悪態をつくのだった;刘索拉《你别无选择》)
(71)我首先想到准备一辆救护车,谁要是现场休克,马上送φ急救中心。(私は最初に救急車を一
台準備しておくことに思い至った。誰かがもしその場でショックを起こせば,すぐさま救急センターに
運ぶのだ;毕淑敏《拯救乳房》)
これらの例は,主節において省略の生じた通常の条件複文とみなすべきであろうか,それとも
S(Q,Q)であるが,C2 が述べる結果の中で Q2 への関心が低下し S(谁,φ)となったとみなすべき
であろうか。もしこれらを S(谁,φ)に含めれば,S(谁,φ)の用例は一挙に拡大し,共通する構文
論的特徴を見出すことも難しくなる。
3.5. 第1章において S(谁,谁)における Q1 と Q2 の構文的役割とその組合せに言及し,ほとんど
何の制約も存在しないと述べたが,上述の通り,この指摘は Q2 が人称代名詞やゼロ代名詞に置
き換わった S(谁,他)や S(谁,φ)に対しては該当しない。S(谁,他)や S(谁,φ)においては“他”
とφの分布に一定の偏りが見られ,その結果,それぞれの組合せの可能性もせばまり,単調なも
のになっている。つまりは S(谁,谁)が無標な形式であり,S(谁,他)と S(谁,φ)は有標な形式で
あるということである。
四 C2 に出る接続副詞
典型的な S(Q,Q)は接続副詞“就”によって C1 と C2 が結ばれているが,“就”以外の副詞も
ときたま見られる。例えば,
(72)我说的是老实话,能够做到什么才说什么。(私は正直なところを申し上げています。実行できる
ことだけを言っているのです)
(73)她不那么羞怯,一声连着一声喊叫,什么时候儿把冰棍儿卖完了,什么时候儿才回家。(彼
女はそれほど恥ずかしがらず,何度も何度も大声を張り上げた。家に帰るのはアイスキャンデーを売り
終わったときと決めていた)
(74)上次你怎么做,这次还怎么做。(前回あなたがやったのと同じように,今回もやりなさい)
(75)我没变,一点儿也没变。从前是什么样,现在还是什么样。(私は変わっていない,少しも変わっ
ていない,以前のままで今に至っている)
このことは“就”やその他の副詞が節の接続という文法的機能以外に,それぞれの語彙的意味
も伝えていることを物語る。
五 多重 S(Q,Q)の可能性
5.1. 最後に,二つの S(Q,Q)を重ね合わせて作られた二重 S(Q,Q)について見てみよう。以下の三
例は筆者の作例であるが,すべて問題なく成立する。
11
杉村博文「中国語疑問詞連鎖構文の研究」
(76)谁愿意去哪儿,谁就去哪儿。(誰がどこに行きたい,誰がどこに行く→行きたい人が行きたいとこ
ろに行く)
(77)谁该受什么处分,谁就得受什么处分。(誰がどのような処分を受けるべきだ,誰がどのような処
分を受ける→処分を受けるべき者がそれ相応の処分を受ける)
(78)谁对不起谁,谁应该向谁赔不是。(誰が誰に申し訳ない,誰が誰に謝罪すべきだ→謝るべき人が謝
るべき相手に謝罪する)
以下の二例は今筆者の手元にある二重 S(Q,Q)の実例である。
(79)再说,我认为,地球是属于全人类的。谁喜欢哪里,谁就去哪里。(それに,地球は地球上に
住む皆のものだから,誰もがどこでも好きなところに行くんだ;冯骥才《雾中人》)
(80)这次分梨不像往常,往常个儿大个儿小,有个挑头,现在大的大烂,小的小烂,大家都不
挑了,哪堆离谁的办公桌近,哪堆就是谁的。(今回の梨の分配はこれまでとは違った。これまで
は大きいのやら小さいのやらあり,分けがいがあったが。今回は大きいのは大きく腐り,小さいのは小
さく腐りで,みんな選ぶのをやめた。[その結果]どの山が誰の机から近ければ,どの山が誰のものだと
いうことになった;刘震云《单位》)
二重 S(Q,Q)の例が少ないのは,文法的には可能でも語用論的に避けられるからであろう。そ
の理由としては,文の焦点の多元化の回避が考えられる。以下の三例は二重 S(Q,Q)が避けられ
た例である。φの位置に“谁”を入れれば,S(谁,什么/哪儿,谁,什么/哪儿)という二重 S(Q,Q)
ができあがる。これに類する例は少なくない。
(81)谁不完成他那分工作,谁就耽误了首钢的计算机规划,耽误了首钢的经济承包责任制;谁
该受什么处分φ就得受什么处分!(誰であろうと自分の担当の仕事をやり通すことができなけれ
ば,その人は首都製鉄のコンピュータープロジェクトの足を引っ張ったことになり,首都製鉄の収支請
負責任制度の足を引っ張ったことになり,処分を受けるべき者がそれ相応の処分を受けるのだ)
(82)我想我们应该顺其自然,谁愿意搞什么φ就搞什么,谁也别贬低谁。(われわれは自然に任せ,
各自が好きなことをやればよいのであって,誰も人の仕事を貶めるべきではない)
(83)汽车停得也杂乱无章,约摸有一百多辆,谁爱停在哪儿φ就停在哪儿。(自動車の駐車も乱雑
で極まりなく,ざっと見て100台余り,誰もが停めたいところに好き勝手に停めている)
5.2. 二重 S(Q,Q)が文法的に成立するかしないかは疑問詞の組合による。例えば“什么”と“怎
么”を組合せて二重 S(Q,Q)を作り上げることはできない。(81)の S(什么,什么)と(82)の S(怎么,
怎么)は成立しているが,両者を掛け合わせて作った(83)の S(怎么,什么)は成立しない。
(84)想写什么就写什么。(なにを書きたいと思う,ならばなにを書く→書きたいものを書く)
(85)想怎么写就怎么写。(どのように書きたいと思う,ならばどのように書く→書きたいように書く)
(86)*想怎么写什么就怎么写什么。(なにをどのように書きたいと思う,ならばなにをどのように書く
→書きたいものを書きたいように書く)
日本語的感覚では(86)も十分成立しそうだが,中国語としてはどうにも意味のとれない奇妙な
ものであるようだ。“什么”と“怎么”のように文法的に許容されない疑問詞の組合には,他に
どのようなものがあるのか。二重 S(Q,Q)が可能ならば,三重 S(Q,Q)や四重 S(Q,Q)はどうか。
いずれも興味ある問題である。今後の探求に待ちたい。
*本稿の初出は《关于“谁跑得快,谁就得第一”一类句式的几个问题》(《第二届国际汉语教学讨论会论文选》,
12
『言語の対照研究と語学教育』
北京语言学院出版社,p.358-365,1988)で,本稿はその拡大修正日本語版である。執筆に当り,卢晓逸,宿玉堂,
马新丹,李华の四氏に,用例の成否優劣に関する判断を仰いだ。記して感謝したい。
参考文献
吕叔湘(1942),《中国文法要略》,商务印书馆。
丁声树等(1963),《现代汉语语法讲话》,商务印书馆 1979 版。
吕叔湘主编(1980),《现代汉语八百词》,商务印书馆。
朱德熙(1983),《语法讲义》,商务印书馆。
刘月华等(1983),《实用现代汉语语法》,外语教学与研究出版社。
王茂松(1983),《汉语代词例解》,书目出版社。
林祥楣(1984),《代词》,上海教育出版社。
向 若(1984),《紧缩句》,上海教育出版社。
林裕文(1984),《偏正复句》,上海教育出版社。
吕叔湘(1985),《近代汉语指代词》,学林出版社。
陈宁萍(1986),《汉语普通话第三人称代词的用法》,《国外语言学》1986 年第 4 期。
胡盛伦、王健慈(1989),《疑问代词的任指用法及其句式》,《汉语学习》1989 年第 6 期。
大河内康宪(1967),「複句における分句の連接関係」,『中国語学』176,1-12 頁。
杨凯荣(1991),「現代中国語における人称代名詞《人家》について」,『対照研究
指示語について』
所載,筑波大学・つくば言語文化フォーラム編。
Li. C and S. Thompson (1979), Third-person pronouns and zero-anaphora in Chinese discourse, Syntax and
Semantics 12, 311-335.
C.-T. James Huang (1984), On the distribution and reference of empty pronouns, Linguistic Inquiry 15, 531-574.
13