ダウンロード

題字は初代会長笠井正人氏
会長挨拶
会 長 柿 﨑 正 義
東京鳩会の皆様におかれま
し て は、 お 元 気 で ご 活 躍 さ れ
東京鳩会の皆様には益々ご
清 祥 の 段、 心 よ り お 慶 び を 申
後 と も ご 支 援、 ご 鞭 撻 の ほ ど
念 申 し 上 げ る と と と も に、 今
ますますのご活躍ことをご祈
し 上 げ ま す。
で 申 し 上 げ ま す。
学 校 長 塩 野 英 雄
三位一体の学校づくり
を お 願 い 申 し 上 げ、 ご 挨 拶 ま
柿 崎 正 義 会 長 様 は じ め、 貴
会 員 各 位 に は、 昨 年 の 九 十 周
年 記 念 事 業 を は じ め、 平 素 か
ら 格 別 な ご 支 援 を 賜 り、 心 よ
り 厚 く 御 礼 を 申 し 上 げ ま す。
もとより浅学菲才な者でご
ざ い ま す が、 こ の 度 会 長 と し
て お 世 話 に な る こ と に な り、
つつしみてご挨拶を申し上げ
ま す。
挨 拶 と さ せ て い た だ き ま す。
米寿を迎えて
中学十八回生 田口忠男
転々……そして今
からまだ先は長い(と思いたい)。
方々のことと思っておりまし
寄る年波、私が卒業した六十
年程前には古希・喜寿を超えた
旅行にスポーツ(といってもせ
どうするか?思い浮かんだのは、
生活を完全リタイア。これから
さて、タイトルは仰々しいが,
中身は大したことはない。今か
た。日本男子の平均寿命八十歳
いぜいゴルフ)。
高校四回生 佐治木康正
超の今日、傘寿を超えても「年
ンなど。ダヴィンチやミケラン
らおよそ十年前にサラリーマン
寄り」と思わないのは負け惜し
旅行は海外の名画、美術館巡
り。行き先はイタリア、スペイ
みでしょうか。平均寿命の延び
と競って頑張り、昭和八年生ま
今年六月無事米寿を迎えるこ れも健常で日々を過ごしてます。 ジェロ、ベラスケス。出来れば
とが出来た。自分では、そんな ( 閑 話 休 題 ) 両 親 が 長 野 市 な の オランダへ行きレンブラントや
に長く生きて来たという実感は
文化の香り高い東京鳩会総
会 の 雰 囲 気 を 思 い 出 し、 ま ず
は 音 楽 の 話 題 に て、 ご 挨 拶 を
平成
桑畑一反歩を借り、桑木の引き
へ!という熱の入れ様。
月謝を払ってゴルフスクール
と、 学 業 に 生 徒 会 活 動 に 班 活
る 日 常 行 動・ 湯 上 り 後 の 毎 日
勿論、自分自身でも、若い時
からの禁煙・極力階段を利用す
杯である。
来の友人。各地転々中も変わら
何と言っても有難いのは高校以
信を重ねてる方もいます。だが、
一別以来五十年以上経て今も交
おわりに一言、夢を抱け、体
を鍛えよ!
る。思わぬメリットである。
行 く 先 々 で 良 き 方 々 に 恵 ま れ、 治・経済の側面が良く理解でき
歳
(敬称略・
音順)
年度 総会出席者名簿
母校来賓
﨑 和順
同 窓 会 長 宮
橋 康人
校 長 高
地 憲一
同窓会副会長 赤
川 正秀
事 務 局 長 横
中 回 中
條 高徳
高 回 瀬
在 幸安/戸矢崎 哲
高 回 宇
野 忠/近藤 成敏
田中 榮/水澤 雄也
高
高
うと、客観的には結構長生きし
抜き、土地が固く鍬も備中も歯
フェルメールに会う。
申 し 上 げ ま す。
たことになる。ただ、ここまで
が 立 た ず 難 儀 し た の も 遙 か 昔。
計画は立派だったが、好事魔
今は母校も中・高一貫教育とか、 多し。家内が転倒して大腿骨骨
で小四時戦争激化から集団疎開
東 京 鳩 会 の 役 割 は 、「 屋 代
高 校 は ひ と つ」 と い う ス ロ ー
来るにはご多分に漏れず様々な
折、以来家内の体調が思わしく
ゴルフは月二回のラウンドを
目標、そのためにはウン万円の
私が本学校歌作曲者・草川
信 に 関 心 を 持 ち 始 め た の は、
から本校の教育活動に温かい
病気との闘いがあった。膝・肺・
私達は学制改革で屋代中学に入
と縁故疎開と有り、縁故で川中
十 年 前、 ハ ン ド ボ ー ル 班 O B
ご 支 援 を た ま わ り、 誠 に あ り
胃・大腸・前立腺・網膜剥離・
島村に母親と先発で疎開。早速
こ の こ と は、 屋 代 高 校 の 「質
の 柳 澤 俊 大 君(高 校 第
が と う ご ざ い ま す。 本 年 度 よ
が 八 〇.二 一 歳 で あ る こ と を 思
実 剛 健、 文 武 両 道」 の 精 神 を
が 校 長 室 に 見 え て 、「 全 国 大
り屋代高校ならびに附属中学
ないため、計画はすべてご破算。
と 申 し 上 げ ま す。
多 く の 名 曲 の う ち、 本 学 校 歌
動 に 励 ん で お り ま す。 来 年 度
の ス ト レ ッ チ・ 年 一 回 の 人 間
なった。もう六十年あまりも前
50
回 荒
川 好玄/宮崎 忠蔵
回 市
川 保雄/久保田定弘
左治木康正/堀内 良一
柳澤 昭雄/柳澤 朋夫
田中 茂/田中 清人
田中 勇雄/中澤 弘治
長岡 繁人/中村 富家
堀田 育男/宮入 朗
中條 良/宮尾 徹
回 新
井 繁己/笠井 源吾
北澤 俊美/武井 武
高 回 柿
﨑 正義/塚田 三男
宮城 宏成/山崎 裕一
高 回 岡
田 健三/小崎 國光
高
松井 登
回 恩
田乾次郎/春原欣之助
山本 守夫
高 回 青
木 昱雄/市川 高昭
田中 正俊/西澤 利男
東 京 鳩 会 に あ る と し 、「 思 い
会等でいろいろな校歌を聞い
学以後高校と中・高一貫の学生
最 後 に、 母 校 鳩 会 同 窓 会
会 長 に 赤 池 憲 一 氏 新 任、 学 校
歳の
え て 「一 貫 生」 が 高 一 と な り、
生 涯 の う ち の 壮 年 期 に あ た る 、 は 、「 普 通 科 」「 理 数 科 」 に 加
を 作 曲 し た の は、 彼 の
三つの文化が融合した三位一
高校五回生 宮本泰治
のことなのに、今でもあの日の
胸 の 高 鳴 り を 忘 れ な い で い る。
高
( 母 校 愛 )」 と 「 魂 の ふ る さ と
て き た が、 わ が 校 の 校 歌 ほ ど
腰椎椎間板ヘルニア等々の病を
回)
屋 代」 の 高 い 志 と 誇 り を も っ
校長を務めます塩野でござい
長 に 塩 野 英 雄 氏 が 就 任 し、 新
昭 和 7 年 (1 9 3 2) の
体のさらに活気ある学校が始
ると、今日元気でも明日どうな
二〇二〇年のオリンピックをこ
屋代駅から学校までの道は、朝
の目で見る事の二つを目標に据
え、これからも一日一日を大切
高校五回生は、今年八十歳に
なったか、間もなく八十歳にな
に生きて行きたいと思っている。 る。思えば長生きしたものであ
夕学生服に学帽、下駄履きの東
高 生 で 狭 い 道 が 一 杯 に な っ た。
る。それでも日本人男子の平均
寿命に到達したばかりで、これ
て よ り 発 展 し、 成 長 さ せ て ゆ
名 曲 は な い 。」 と 言 わ れ た こ
結局得たものは家事一切を取り
く こ と が 必 要 で あ り ま す。
生活を送った仲間が大半で、健
ま す。 高 橋 前 校 長 の あ と、 伝
経験し、その一部は今も治療を
と に よ り ま す。 彼 の 言 葉 が 契
統ある屋代高校の校長を務め
ジを受けずに来ている。これも、 を重ね現在地に。
役員が選任されましたことを
の 時 で す。 草 川 音 楽 の 特 徴 は
ず音信を呉れ今でも隔月に集
お り ま す。
ご 報 告 し ま す。 東 京 鳩 会 の 総
「 明 る く、 メ ロ デ イ に 無 理 が
ドック・週一回ペースのゴルフ
お医者さんを始めその時々にお
会 に は ご 両 人 と、 ほ か の 方 々
ま り ま す。
ても主婦(夫)の視点で見ると、
し!としましょうか。それにし
仕切る専業主夫の座。
機 と な り、 作 曲 家 ・ 草 川 信 へ
振り返って信州生活から東京
を挟み札幌・広島・大阪・長野
在者多数です。川中島の生活も
そ れ に は、 会 員 相 互 の 交 流
と 協 力 が 極 め て 重 要 で、 一 人
県三郷村・名古屋と転々。幸い、 会 社 人 間 の 気 付 か な か っ た 政
高卒で終了。以後東京を主に日
の 関 心 を 深 め ま し た。
世話になった多くの方々のお蔭
続けている。幸い、何れも適切
で は 何 も で き ま せ ん。 ま た、
「 ゆ り か ご の 歌 」・「 ど こ か
で 春 が 」( 1 9 2 2 年 )、「 夕
本 年 度、 中 高 一 貫 生 が 三 期
生 ま で 揃 い、 千 百 名 弱 の 中 高
によるものと感謝の気持ちで一
な医療によって決定的なダメー
「 東 京 鳩 会 ( 愛 )」 の 会 員 の 発
焼 け 小 焼 け 」( 1 9 2 3 )、「 汽
生 が 同 じ 学 び 舎 で「 質 実 剛
ま す こ と、 責 の 重 み を 感 じ て
展 の た め に は、 会 員 の 全 員 参
車 ポ ッ ポ 」( 1 9 3 7 )、「 み
以後、十年、主夫の座を守っ
て い る の で、 そ れ は そ れ で 良
加で年会費を納めて頂きたい
ど り の そ よ 風」
( 1 9 4 7 )等 、 健 」「 文 武 両 道 」 の 校 是 の も
も ご 出 席 頂 け ま す の で、 東 京
な く、 簡 明 で 歌 い や す く、 美
飯綱おろし
鳩会会員の多数のご出席をお
まってワイワイガヤガヤと友情
し く 流 麗 な 響 き が 耳 に 残 る 。」
等々、健康への日常的気配りを
待 ち い た し ま す。 ま た、 渡 邊
昨年度末卒業生は現役国公
立大学合格者百十九名という
飯綱おろしと呼ばれていた冷
たい風が、春の風と入れ替わる
を暖めてます。この集まりを
「三
と い う 吉 本 隆 行 の 評 価 (「 草
本 年 度、 イ ン タ ー ハ イ に ハ ン
るかわからないが、ここまで生
続けて来ており、それも、ここ
さんのトランペット演奏に感
子 が 出 場、 ギ タ ー マ ン ド リ ン
頃、私は期待と不安を半々に当
(旧姓柿崎)
高校七回生 大石須美子
と め る こ が で き ま す。
班も全国大会で優秀賞を受賞
か し て 頂 い た 事 に 感 謝 し 乍 ら、 高齢化時代をどう生きる?
で 中 学 生 が 全 国 準 優 勝、 高 校
続くよう願って筆を置きます。
そ し て、 草 川 信 は バ イ オ リ
ニ ス ト で し た か ら、 わ が 校 歌
し ま し た 。 ま た 、「 デ ー タ ビ
生 が 八 位 入 賞 な ど、 各 種 コ ン
いるものと思う。この年齢にな
は、 バ イ オ リ ン 演 奏 が 最 も 似
ジ ネ ス 創 造 コ ン テ ス ト」 で 全
ド ボ ー ル 女 子、 山 岳 部 男 子 女
合 う の で は な い か、 と の 思 い
ま り ま し た。 そ の 後 の 進 歩 は
クールにおいても優秀な成績
時の屋代東高等学校の生徒と
が あ り、 六 十 の 手 習 い に よ る
水会」と言いますが今後も永く
輝 か し い 実 績 を 残 し ま し た。
―――御 挨 拶に代えて
同 窓 会 長 赤 地 憲 一
まで生きる上でプラスに働いて
川 信 の 童 謡 に つ い て 」) に ま
私 がバイオリンを習い始めた訳
動 し て く だ さ い。
し っ か り 活 動 し て ゆ き た い。
ガ ン の も と、 首 都 圏 と し て
て い る こ と と 存 じ ま す。
感
ないが、日本人男性の平均寿命
柿﨑会長はじめ東京鳩会の
皆 様 に お か れ ま し て は、 日 頃
雑
九 十 歳 ま で ゴ ル フ を 続 け る 事、
遅 々 と し て お り ま す が、 2 月
を 収 め て お り ま す。
国 最 優 秀 賞 、「 知 の 甲 子 園 」
の 貴 鳩 総 会 の 頃 に は、 校 歌 の
私のバイオリン教室通いが始
演 奏 く ら い は な ん と か、 と い
う 思 い で お り ま す。
結 び に、 東 京 鳩 会 の 更 な る
東 京 鳩 会 員 各 位 の ご 健 勝 と、 ご 発 展 を ご 祈 念 申 し 上 げ、 ご
25
1 18
2
3
4
6
7
8
9
中澤 嘉雄/松本 章
山本 良雄
高 回 浅
野井 眞/安藤 公裕
松澤 修二
高 回 中
澤 好邦/西村 孝雄
高 回 相
澤 正志/大日方六夫
高松 雄行/千野 郁雄
10
12 11
高 回 高
津 熟/名取 玲子
高 回 岡
田 正夫/重見 憲明
岡村 國弘/横山 洋治
高 回 河
口 收/中山 宣子
仁科 陽
13
14
高 回 伊
東 博道/小林 明美
峯村 英治
高 回 清
水 勝/森 正明
高 回 北
川 正次/倉科 悦子
田中 重充/柳澤 久
高 回 北
澤 悦雄/倉島 洋二
松林モトキ
18 17 15
19
20
高 回 小
山田 浩
高 回 竹
内 冴/宮尾 佳世
和田ちひろ/渡邊 優
高 回 高
橋 修
高 回 大
久保 修/太田 友和
高 回 川
嵜磨理子/唐澤しず子
神野 明久
29 26 22 21
57 35
53
55
39
長野県立屋代高等学校
発 行: 東 京 鳩 会 事 務 局
第 23 号
2014 年(平成 26 年)12 月 15 日 月曜日
会報
東 京 鳩 会 会 報
(1)
当時軒を連ねていた商店は今は
野鳩八会を招いての大会となり
菅平高原カントリークラブで長
里の長野での実施が計画されて
したメイマン(T.H.Ma
て、世界初のレーザーを発明
ニアのヒューズ研究所を訪ね
A.1980年代にカリフォル
有難うございました。本装置
が活用され近未来に素材開発に
なと思う此の頃である。
そろそろ終焉の地に戻る時期か
と親戚の応援など何かと故郷と
疎ら、通る人も少なく、多くなっ
二十四名の参加者で久しぶりの
携わる若者が輩出されることを
月一回の山行を楽しんで
高校十五回生 高砂和子
は今も続いている)など建替前
は良い仲間に恵まれ、付き合い
ラブで継続されております。プ
バーコースである赤羽ゴルフク
は、 会 長 の 荒 井 忠 夫 氏 の メ ン
さて、この会の原点となる毎
月実施されている東京での会
開発の研究所や大学の先生方
いと考えておりました。素材
た時から何かお手伝いをした
A.母校がSSH校に指定され
か
との関係はどうなんでしょう
ハイスクール)の母校と装置
Q.SSH(スパーサイエンス
三十五年間勤めた。
神を胸に林業職の地方公務員を
その間「屋高の質実剛健」の精
なショックであった。その感動
で初めて見た直江津の海は大き
松代の在、旧東条村に生れた
私には、小学六年生の修学旅行
持ちで、受講後すぐに入会しま
もできそうだな」という軽い気
いと、小田原に暮らして半世紀。 が あ り、 受 講 し ま し た。「 私 に
が忘れられず海辺の町に住みた
した。
約筆記とは何か』という講習会
した。そんな時、市の広報に『要
だろうかと考えるようになりま
かし、何か社会に貢献できない
十数年前までは、自分の好き
な事ばかりをしてきました。し
沢の紅葉は真っ盛りで言語を絶
で奥穂高に登ってきました。涸
んでいます。先日は元同僚六人
しつつ、観劇や旅行をして楽し
六十五歳で完全に退職してか
らはスポーツジムで体力を維持
出来ました。
らも定年まで仕事をすることが
の病気休暇等で迷惑をかけなが
高校が数校に限られています。 今、NHK大河ドラマ「軍師
官兵衛」の影響もあり、歴史に
素材開発の講座を設けている
必要であると考えました。新
開発に興味を抱かせる動機が
育成するには高校生から素材
A.次代を背負う若い研究者を
高い関心を持って小田原を訪れ
の落書き消し等で結構多忙だ。
イド、城周りの清掃、道路施設
活動に取り組んでいるが観光ガ
めなどから、現在ボランティア
伴侶との無用の軋轢を避けるた
ジ精神と脳の老化防止、さらに
ある。生来の探究心、チャレン
にリタイア後気付かされたので
今でも、要約筆記をなんとか
続けています。皆さんの周りに
があります。
し く 」「 読 み や す く 」 の 三 原 則
性が追求されます。「速く」「正
えています。要約筆記は、同時
記」もあり、年々その需要は増
す。最近では「パソコン要約筆
方法は様々で、OHPを使っ
たりノートテイクをしたりしま
伝えることです。
いる内容を要約し、文字にして
てください。
さを忘れさせてくれる楽しみが
と思いますが、生きがいと大変
様、仕事と子育ての両立は大変
ります。また、女性の後輩の皆
最後になりますが会員の皆様
の益々のご活躍をお祈りしてお
がらも・・・・・。
夫婦からは「お母さんは人生を
過ごそうと考えています。長男
これからも年齢を気にせずに、
いろいろなことに挑戦し人生を
には早すぎませんか
すでに、東工大付属高校では
ことはどんなでしょうか
てガイドしている。
ずです。
きっと新しい何かが見つかるは
あります。どうか挫けず頑張っ
屋代の郷を観る
高校十五回生 小林和男
東京鳩会 相談役
片 山 久 (高1)
瀬 在 幸 安 (高1)
上尾市上一一七四 ―
一
☎〇四八 ―
七七一 ―
三四〇七
日本大学
東京鳩会会員の皆様には大変
ご無沙汰しております。
私は昭和三十八年に当時の屋
代東高校を卒業し上京、四十二
元総長
の旧校舎には沢山の思い出が詰
られており、毎回ゴルフ以上の
授業は勿論、意識の上でも男 レー後は幹事長が会報で紹介さ
女の区別なく過ごした三年間は、 れた「一源」での飲み会は続け
まっていた。
楽しみが待っている事となりま
から、最近の若い人は素材開
現在「多摩市要約筆記サーク する見事さでした。年齢的には
ル 」 に 所 属 し 活 動 し て い ま す。 厳しいコースと思われましたが、
大型の育成装置を活用してお
るお客様が増えており、そうし
もボランティア活動はたくさん
Q.高校生が新素材開発をする
り結晶育成を希望した生徒が
た方々に秀吉対北条の小田原合
あ る と 思 い ま す。 自 分 に 向 い
A.幸い母校はSSHで好成績
謳歌しているよな」と言われな
入学してくるとの話を聞きま
戦の様子や小田原城の開城が中
て い る と 思 う も の が あ っ た ら、 姥捨の棚田から
です。育成方法には各種あり
五八〇五
―
医師
笠 井 源 吾 (高8)
三四八五
―
代表取締役
六 ―
十六
―
四二一五
―
)
多摩市貝取一 ―
六〇 ―
五
☎〇四二 ―
三三九 ―
一一七二
高校十回生
松 澤 修 二 (高
葛飾区奥戸四 ―
八 ―
一〇
三六九二 ―
九〇三五
☎〇三 ―
高校十回生
)
)
一三 ―
一七
―
六一八六
―
中 村 守 (高
二七五
―
大和市つきみ野七
髙 松 雄 行 (高
☎〇四六
日本大学
常務理事
東京鳩会 広報部長
株式会社酒千蔵野
千 野 郁 雄 (高
親 松 逸 雄 (高
株式会社 一宇
顧問
五〇二六
―
目黒区駒場一 四
―四 一
―四 四
―一七
☎〇三
参議院議員
民主党副代表
北 沢 俊 美 (高8)
紀州食品株式会社
三二六九
―
中野工業産業協会 会長
国際電子工業株式会社
足立区西竹の塚二
☎〇三 ―
三八九九
柿 﨑 正 義 (高9)
東京鳩会 会長
☎〇七 三 六
二 二
一〇四 一
―
―
東 部 連 絡 所 鴻 巣 市 忍 三 二 九 六 ―
三
☎〇四 八 ―
五 四 八 ―
七 六 六 八
本社 和歌山県伊都郡かつらぎ町東渋田五八五
武 井 武 (高8)
代表取締役
社
長
五〇名様までの
大小宴会承ります。
堀 内 良 一 (高4)
役
新座市野火止七 ―
二〇 ―
三
☎〇四八 ―
四七八 ―
八六四二
新素材開発装置の製造販売
― ―
九三二 ―
八五四三
―
渡 利 敏 弘 (高7)
新 井 繁 己 (高8)
中央区日本橋小舟町九 ―
一〇
ステュディオ日本橋七〇四
三六六二 ―
四三三一
☎〇三 ―
山 崎 裕 一 (高9)
株式会社テクノサーチ
柳 澤 朋 夫 (高4)
株式会社三興設計事務所
副会長
中央大学 白門三六會
江東区深川二 ―
一三 ―
九
三六三〇 ―
九二一一
☎〇三 ―
代表取締役
会
長
みつわ印刷株式会社
二〇
上尾市平方五二五 ―
☎〇四八 ―
七八一 ―
七七四一
取締役会長
吉 村 弘 (高7)
超精度真空熱処理加工
株式会社ハーモテック
☎〇四五
社団法人東京電気管理技術者協会会員
横浜市緑区竹山四 一 三 五ー五〇九
田 中 茂 (高7)
タナカ電気管理事務所
電気設備の総合管理
渋谷区渋谷二 ―
二二 ―
三
五四八五 ―
七五二五
☎〇三 ―
代表取締役恩田乾次郎 (高7)
人と医療の架け橋
株式会社ウイングメディカル
株式会社ウィングツーリズム
一
中央区日本橋小舟町六 ―
早川ビル6階
☎〇三 ―
五八四七 ―
五五〇〇
取締役会長
(一級建築士事務所)
取 締
有限会社幸龍
中華酒膳 幸龍
中野区南台五 ―
三十四 ―
十
☎〇三 ―
三三八四 ―
四四一一
取締役社長戸矢崎 哲 (高1)
☎〇三
新宿区市ヶ谷左内町三十二
市ヶ谷グランドマンション六階
年から公務員として働きながら
子育てをしてまいりました。当
私のこれまでの生き方の芯と
す。この会が二百回を迎える時
梯子や鎖場で眩暈を感じながら
高校十四回生 中山宣子
要約筆記のボランティア
チ の ク ル マ 帰 郷 が 億 劫 に な り、
の接点が増してきている。月イ
たのは車だけ、道幅を広げてき
iman)博士の研究紹介が
く思います。
れいに舗装された歩道が寂しげ
郷里での同窓とのゴルフは大変
期待しています。
た。私自身の専門分野であり
ませんが、この装置は国内外
の「新素材開発と研究」に不
リタイア人生
開発の動機・基礎となりまし
に見える。
の七月の会か継続されておりま
私たち七期は女生徒六名、三 懐かしい楽しい会となりました。
学 年 合 せ て も 二 十 四 名 だ っ た。 これを機に東京の梅雨を避けて
先輩の怖い指導での応援歌の練
習 に 始 ま り、 文 化 祭、 運 動 会、 す。
なったかけ替えの無い大切な時
は、メンバー全員G八十才を越
発の研究を嫌う傾向があり学
海の幸や箱根、湯河原の温泉
に近い小田原は、小田原城と一
月に2回、定例会が開かれ、要
も根性で登ってきました。
時は四か月間の産休のみで職場
間であった。
える事となりますが、一組でも
生が集まらないとの話を伺い
夜城の二城を始めとする歴史的
約筆記の練習をしています。
可欠のものと考えております。
高速道路のトンネルを抜ける
と、遠くに飯綱山、その手前に
良いから頑張ろうと励ましてお
資源が乏しい我が国で新素材
資源も多く残されているが、そ
東京鳩会 幹事
した。
世から近世への転換点となった
ま ず は 行 動 し て み て く だ さ い。
復帰し、同僚には産休や子ども
は屋根に天文台をのせた懐かし
ります。
開発が欠くことの出来ない基
んな環境に長く住んでいながら
クラスマッチ、部活(新聞部で
河口 浚
い魂の故郷、我らが母校が見え
礎研究の重要な部分の一つと
要約筆記とは、聞こえない方
や聞こえにくい方へ、話されて
高校十二回生 て、何とも言えない安堵感が心
最後となりますが、この会を
立ち上げた会長荒井忠夫氏、幹
余りにもこの町を知らないこと
を満たしてくれる。
考えておりました。
しょうか
れたようですが何の装置で
Q.母校に貴重な装置を寄贈さ
インタビューにて研究装置の
概要と寄贈の理由を伺う
インタビュー 高校九回生 山崎裕一
母校に「新素材開発の
研究装置」を寄贈
借りし“感謝”“感謝”です。
事長竹前皓司氏にはこの場をお
関東鳩八ゴルフ会
高校八回生 丸山 實
この会の幹事であります竹前
皓司氏が十年前の平成十六年一
月の会報に東京鳩八ゴルフ会の
紹介を掲載致しました。その時
は当会は十七回目の開催が終了
した頃でした。その後会員も増
えると同時に東京以外の居住者
が多くなり、関東鳩八会と名称
変更致しました。
平成二十二年十二月には百回
の開催となり、忘年ゴルフ大会
ことなど、この地の歴史につい
ますが、本装置は「単結晶引
ところで、郷里の実家を建て
直すべく着工した家が中途で建
Q.母校の若い人達に期待する
ゴルフクラブで開催されました。
を生みだしている現状に加え
A.新素材開発の研究用の装置
記念のネーム入りゴルフバッグ
上げ装置」と言い、小型単結
として継続していた大熱海国際
用 タ ッ グ が 幹 事 長 よ り 渡 さ れ、
ねって流れる青い千曲川。はる
きらきらと、黄金色に染まっ
た姥捨の棚田。たわわに実った
築会社の倒産に遭って自ら家造
足掛け三年を経て平成二十三年
か東の稜線に優しくなだらかな
稲 田 の 眼 下 に、 ゆ っ た り と う
て、今後新分野を展開し、本
興味を持った学生が一人でも
に漸く完成した。その家の管理
りの一部を手掛ける羽目になり、
多く輩出されれば非常に嬉し
装置が活用され新素材開発に
晶を育成するものです。
に関係されたのですか
Q.ではなぜ新素材開発の装置
大変好評で宴も盛り上がりまし
た。
この忘年ゴルフ大会と夏の大
会として、平成十八年七月に郷
10
10
)
12
)
12
12
(2)
東 京 鳩 会 会 報
2014 年(平成 26 年)12 月 15 日 月曜日
または
ために、毎回最高の演奏をしな
ければなりません。
良い演奏をするためには、技
術面はもちろん精神面もとても
大切です。
本番では、必ずといっ
て言いほど緊張するため、強い
和定食を食べ、午前中は城ヶ崎
ジェット機等が発着するのを待
際空港の滑走路で他のジャンボ
チェコ製で時速650km、国
くさんの方と一緒に演奏するた
ソロで演奏することと違い、た
ケストラ、ビッグバンドなどは、
思います。とくに吹奏楽やオー
ことは、とても幸せなことだと
習で完璧にできることは、本番
そうならないためには、やは
り日々の練習が不可欠です。練
まうこともあります。
ように楽器が吹けなくなってし
開 会 午後3時
伊東への旅行
高校十七回生 市川清二
F A X 0 4 3 4
- 86 8
-7
87まで。
私の仕事
精神力が必要とされます。適度
の緊張は、アドレナリンが分泌
海岸まで足を延ばし絶景を楽し
つ。飛び立つと上昇の早いこと
分の自信には繋がります。自信
を持って演奏できるよう、これ
鏡台山。そして、手前に拡がる
緑豊かな屋代の郷。視線を少し
左に振ると、うっすらと、白く
程度で目的地に着く。ちょっと
て丸い円筒が、飛び込んで来る。 九月初旬の連休に家族と一泊
そうだ! 今も、昔も変わらぬ 二日で伊東に行った。東京から
屋代東のシンボル! “天文台” 踊り子号に乗って一時間四十分
だ。
高校五十七回生 どは、手が震え、息が吸えなく
渡邊 優
私は、トランペット奏者とし
て仕事をしています。自分の好
した小旅行だ。
一 日 目 は、 チ ェ ッ ク イ ン 後、
温泉に入り温泉街を散策、夕食
なるほど緊張してしまい、思う
され集中力を高めてくれますが、
は伊豆の海・山の幸を使った会
きなことを仕事にできるという
この風景、あの母校を目にす
ると、懐かしく、高校時代に浸
れる至福の時だ。
席 料 理 を 楽 し ん だ。 二 日 目 は、
野球部、ハンドボール部、柔道
んだ。お昼に駅前の居酒屋で鮮
あっという間に高度
感できます。
自分の演奏に不安があるときな
当時、屋代東高のグランドは
拡張され、文武両道を目指して
部、弓道部、水泳部等々は活発
度落ちがはやく地元でしか食べ
急上昇、急降下、スパイラル等
からも努力を怠らず、精進して
高校十二回生有志
相 澤 正 志 (高
河 口 浚 (高
中 澤 嘉 明 (高
松 田 紘 一 (高
山 本 良 雄 (高
東京鳩会 幹事長
河 口 収 (高
)
)
)
)
)
)
)
志木市舘二 ―
三 ―
四 ―
四〇三
四七三 ―
六九七六
☎〇四八 ―
山吹福茶庵
福 永 眞 一 (高
)
新 宿 区 山 吹 町 三 三 四
サトービル一階
六二六五 ―
〇〇一八
―
☎〇三
東京鳩会 広報担当
岡 田 正 夫 (高
)
横浜市都筑区荏田南三 七
― 八
―
☎〇四五
一四四〇
―
九四二
―
川崎市人事委員会
重 見 憲 明 (高
杉並区和田一 一
―三 一
―九 二
―〇七
☎〇三 ―
三三八二 ―
六四四九
廣 田 正 文 (高
電気通信大学 名誉教授
三井住友海上 女子柔道部監督
)
)
一五 ―
六
―
柳澤道場
四〇一六
―
柳 澤 久 (高
鎌ヶ谷市富岡三
四四五
―
北 澤 悦 雄 (高
☎〇四七
相撲絵師
)
武蔵野市境南町四 ―
一六 ―
三
武蔵野ハイム一〇五
☎〇四二二 ―
三一 ―
一四二七
松林モトキ (高
台東区上野公園一一 ―
三七
東京芸術大学 大学美術館内
三八二一 ―
五三四〇
☎〇三 ―
大浦食堂
)
佐倉市六崎一五二五 ―
一一
☎〇四三 ―
四八六 ―
五三一一
代表取締役
空調・衛生・土木排水管工事
さくらエンジニアリング株式会社
委員長
12
12
12
12
株式会社 八光
)
)
四二 ―
六
―
NKDビル
八五〇〇
―
菊 池 修 治 (高
五八〇四
―
文京区本郷三
代表取締役
副 会 長
☎〇三
株式会社 カーネル
加 藤 文 男 (高
代表取締役
)
川口市差間二 ―
二 ―
二五
☎〇四八 ―
二九四 ―
五二六一
東京米油株式会社
伊 東 博 道 (高
代表取締役
社
長
)
目黒区下目黒五 ―
一八 ―
一七
☎〇三 ―
三七一六 ―
五二〇一
濱田・水澤法律事務所
水 澤 恒 男 (高
新宿区新宿一 ―
九 ―
三
NBKビル8階
☎〇三 ―
三二二六 ―
四六〇一
)
)
五 ―
一
―
六四四一
―
清 水 勝 (高
☎〇三
株式会社 オーディンホーム
森 正 明 (高
北欧デンマーク住宅設計・施工
住宅マンションのリフォーム設計・施工
東日観光株式会社
米 村 道 章 (高
赤 澤 光 則 (高
)
十六 ―
一
―
いちご神田錦町ビル
三二九一 ―
四〇四一
―
千代田区神田錦町一
☎〇三
)
町田市大蔵町三一六〇 ―
一一
☎ 〇八〇 ―
四三五七 〇
―八 七 四
E-mail : [email protected]
神 野 明 久 (高
東京鳩会 広報担当
取締役
株式会社 アサヒトラベルインターナショナル
☎〇三
中央区築地四 ―
七 ―
五
築地KYビル四階
五一四八 ―
一七一一
―
代表取締役
社
長
)
品川区東五反田五 二
―五 一
―九
東京デザインセンター六階
☎〇三 ―
五七九八 ―
七三七三
代表取締役
)
新宿区高田馬場一 三
―〇 一
―四
コルティーレ6F
五二九二 ―
〇一六二
―
代表取締役
社
長
中 沢 安 昭 (高
株式会社 テクノプラン
台東区台東一
☎〇三 ―
三八三五
担当部長
生活環境事業本部生活環境事業部
第一営業本部PBI推進部
凸版印刷株式会社
弁護士
19
20
20
20
、ワルシャワ条約機構時代の
で、特に北信地区では強豪・有
られない「うずわ」を肴に一杯
をやって見せてくれる。私が恐
しかし、それを仕事にするこ
とは、楽しいことばかりではあ
いきたいと思います。
受 付 午後2時30分~
12
14
14
17
各 運 動 部 は 活 発 だ っ た。 特 に、 朝食に地元特産の干物と薄味の
力部だったと思う。
やって帰路についた。
怖の声を上げないため失神して
りません。仕事として演奏する
第32回 東京鳩会総会開催
内 正 彦
でもできるは限りませんが、自
小生は野球部へ。玉拾いから
スタート。ひたすらボールを追
大変楽しくリラックスできた
旅行だった。家族で過ごす時間
いるのではないかと、2〜3分
澤 久
島 洋 二
村 英 治
000m、 め、音楽の楽しさをより一層実
前の野球部時代が懐かしく、今
の貴重さをあらためて感じた。
田 正 夫
いかけ、汗にまみれた五十数年
でも鮮明に思い出される。特に
た。定年後、家族で泊りは久し
)と返答
声 が か か り 私( I have
し操縦かんを握る。私はもっぱ
ため、ミスは許されないのです。
ボール探し・水田守備の方が長
ぶりだった。家に引きこもりが
ら、スパイラル、垂直回転飛行
ごとに声をかけてくる。ついに
かった記憶。
遣いを感じた。大変嬉しかった。 程度で5分間くらいで終了。ま
ちな私に対する子供達からの気
さか私の人生でジェット戦闘機
日 時 平成27年2月28日(土)
場 所 銀座東武ホテル 2階「桜の間」
屋高ふるさと会担当幹事 (若干名)
ゴルフ部(会長:吉村 弘、幹事:浅野井 眞)
ふるさと会(例:ハイキング、旅行、まんが描き、写真会、などの企画)
相談コーナー(例:建築設計・施工関係、不動産・資産関係、弁護関係、介護関係、パソコ
ン操作関係、など)
屋高ふるさと(親睦)会の親睦に合わせて
21
21
また、見に来てくださる方々の
夏休み中の野球部練習、特訓
に、とてつもない大先輩が参加
みんなありがとう!
澤
利
井
﨑
崎
村
利
敏
裕
國
孝
男
弘
武
一
光
雄
)と
パイロットから( you have
してきた。バッティング練習を
んでした。感激。
内 良 一
ボールは貴重品で新人一年生は、 今回の旅行は息子を中心に子
供達が手配してくれた旅行だっ
始めると、全てが場外ホームラ
ただ、子供達にいいたい。私
への気遣いはいいので早く良い
ぶすことで終了。
城で2000m上空よりスカイ
東京鳩会 役 員 名 簿 ( 平 成 2 7 年 4 月)
(案)
グランド守備より垣根越えの
ン。外野のフェンスを越えて田
伴侶を探せと!それが私の目下
トン、650馬力、時速
けたようなもの。前に重機を運
ザーに足のアクセルペダルをつ
km位。感じとしてはブルドー
量
今度は空港のそばで戦車操縦、
英国製センチュリオン戦車、重
が操縦できるとは思いもしませ
植えの終わった水田へ。我々一
一番の気がかりである。
歳最後の冒険
年坊主はスパイクを脱いでボー
ル探し。それもそのはず、東京
六大学野球、神宮で活躍、早稲
田大学の四番でホームランバッ
ター。野球少年だった小生には
転していたこともあり操縦は
で し た。 最 後 に 3 万 円 の オ プ
高校十七回生 廣田正文
ニュージランドジェット機操
縦、戦車操縦、という日本のテ
ション、乗用車を戦車で踏みつ
あこがれの大先輩。屋代東の伝
年前は
月
コースを逸脱することなく簡単
モーターグライダーを操縦して
説の人でもあるその人の名前は
春原大先輩。
いたので2013年、
ダイビング等をやりました。(タ
これ以後、富津岬でモーター
パラグライダー、このお盆に茨
トチャーチ国際空港内、簡単な
ンデム)
日、クライス
レビ番組を見て、私も
書き進めていくと、止めども
無く屋代の風景にいろいろな場
日
面がフラッシュバックされてく
改めて振り返ってみると屋代東
ブリーフィングを受け、重力6
る。 屋 代 東 を 卒 業 し て 半 世 紀、 に家内と出発。
の三年間は、その後の人生の魂
hotmail.com
DVD(無料)希望者は
Gに耐えるため耐圧スーツを着
させられる。
@
se_hirota
科 陽
2
とふるさととなった。
ジ ェ ッ ト 機 は、 ア エ ロ L ―
林 一 美
村 寛
高校学年幹事
(高 1) 片 山 久 、小
(高 2) 小 林 善 男 、藤
(高 3) 越 石 萬 三
(高 4) 井 口 勗 、堀
(高 5) 丸 山 国 彦
(高 6) 松 井 登 、西
(高 7) 恩 田 乾 次 郎 、渡
(高 8) 新 井 繁 己 、武
(高 9) 宮 城 宏 成 、山
(高10) 松 澤 修 二 、小
(高11) 中 澤 好 邦 、西
(高12) 千 野 郁 雄
(高14) 河 口 収 、仁
(高15) 木 谷 孝
(高17) 重 見 憲 明 、岡
廣 田 正 文
(高18) 山 内 豊 司 、柳
(高19) 松 林 モ ト キ 、倉
(高20) 水 澤 恒 男 、峯
伊 東 博 道
(高21) 清 水 勝 、森
(高22) 赤 澤 光 則 、高
(高27) 小 林 昌 史
(高29) 神 野 明 久 、竹
(高31) 沼 田 明 広
17
17
18
40
正 明
橋 修
29
52
21
21
22
29
22
20
10
19
19
24
監
事
新 井 繁 巳
(高 8)
水 澤 恒 男
(高20)
総務担当幹事
仁 科 陽
(高14)
重 見 憲 明
(高17)
柳 澤 久
(高18)
倉 島 洋 二
(高19)
伊 東 博 道
(高20)
清 水 勝
(高21)
赤 澤 光 則
(高22)
高 橋 修
(高22)
小 林 昌 史
(高27)
竹 内 正 彦
(高29)
広報担当幹事
千 野 郁 雄
(高12)
岡 田 正 夫
(高17)
松 林 モト キ
(高19)
峰 村 英 治
(高20)
森 正 明
(高21)
神 野 明 久
(高29)
沼 田 明 広
(高31)
会 長
柿 﨑 正 義
(高 9)
副 会 長
井 口 勗
(高 4)
堀 内 良 一
(高 4)
恩田乾次郎
(高 7)
渡 利 敏 弘
(高 7)
新 井 繁 己
(高 8)
木 谷 孝
(高15)
顧 問
宮 島 優
(中 5)
平 林 林
(中17)
中 條 高 徳
(中18)
相 談 役
片 山 久
(高 1)
瀬 在 幸 安
(高 1)
金 澤 勝 美
(高 1)
小 林 善 男
(高 2)
幹 事 長
河 口 収
(高14)
会
計
中 澤 好 邦
(高11)
西 村 孝 雄
(高11)
68
2014 年(平成 26 年)12 月 15 日 月曜日
東 京 鳩 会 会 報
(3)
歌 山 を 中 心 と し た 大 水 害、 ア
ベ ノ ミ ク ス、 消 費 増 税、 東 京
ウ ム・ フ ォ ー ラ ム の 報 告、 更
に 中 高 一 貫 に 伴 い、 校 内 が 若
よ る 乾 杯 の 音 頭 で 始 ま り、 メ
回)のトランペット演
インイベントは渡邉優さん
る 川 中 島「 酒 仙 蔵 野 」 よ り 取
ダ ー ス の 抽 選 会 を、 倉
り 寄 せ た に ご り 酒 4 0 0 c
c瓶
最 後 は 中 澤 好 邦 氏( 高
回)リードで
の閉会の辞でお開きとなった。
島 洋 二 氏( 高
の は 皆 美 し い 」( 枕 草 子 ) を ( 同 じ く 高
う 気 持 ち が 湧 く 、「 小 さ き も
日 旅 立 ち 」「 あ ま ち ゃ ん 」「 A
奏、 ピ ア ノ 伴 奏 は 竹 内 冴 さ ん
返り自然に子供を慈しむとい ( 高
された高円宮妃殿下の気品漂
引 用 さ れ た。 高 橋 康 人 学 校 長
列 車 で 行 こ う 」「 ふ る さ と 」の
曲。 万 雷 の 拍 手 に 包 ま れ て
お 二 人 に 花 束 贈 呈、 大 好 評 で
斗 の 星 の 」 を 声 高 ら か に 斉 唱。
の 国 、応 援 歌 「 東 の 空 に 」「 北
回)
実 施、 大 い に 盛 り 上 が っ た。
うフランス語でのスピーチ等
よ り の ご 挨 拶 で は、 従 来 の 普
回 )。 曲 は 「 い い
のトピックスに触れ最後に会
通 科、 理 数 科 及 び 附 属 中 学 校
期 の 事 業・ ( 中 高 一 貫 ) の 三 位 一 体 で の
校として今般文科省の審査で
回)のリードで信濃
あ っ た。 次 に、 恒 例 の 高 橋 修
最高ランクのA評価を受けた
氏( 高
教育の充実に邁進しているこ
拍 手 を も っ て 承 認 さ れ た。 東
期 事 業・ 予 算 計 画 を 報 告、 と、 ス ー パ ー サ イ エ ン ス 指 定
京鳩会の財政状況に鑑み会報
第
活 動 報 告 及 び 決 算 報 告、 更 に
て 、伊 東 氏 よ り 第
員各位の今後の変わらぬ協
19
力 願 う 挨 拶 が あ っ た。 続 い
オリンピック招致成功に貢献
1
総会
日( 土 ) 八 重 洲 富
名の
時 開 会 で あ っ た が、 今 回 は 正
最 後 は、 千 野 郁 雄 氏 実 家 で あ
回)に
第 部の懇親会は岡田正夫
氏( 高 回 ) の 司 会 の も と、
先 ず 千 野 郁 雄 氏( 高
11
月
回東京鳩会総会が平成
レポート
第
年
士屋ホテルに於いて約
午 開 会 と な っ た。 河 口 収 幹 事
こ と、 班 活 動 で も 剣 道 団 体・
人 )、 ギ タ ー マ ン ド リ ン 、 将
個 人、 女 子 山 岳 班、 陸 上( 個
あった。
う実績そして大学入試でも頑
棋( 個 人 ) で の 全 県 制 覇 と い
来 賓 の 御 紹 介 に 続 き、 先 ず
宮 崎 和 順 会 長 よ り ご 挨 拶。 昨
張 っ て お り、 い い 成 績 が 期 待
年末の本校創立
周年記念式
回 ) 会員有志から募ることも報告
への広告掲載による寄付金を
参 加 者 で 開 催。 従 来 は 夕 方
57
回 ) の 挨 拶・ 司 会 で
長( 高
始 ま り、 仁 科 陽 氏( 高
の リ ー ド で、 竹 内 冴 さ ん( 高
回)のピアノ伴奏に合わせ
校 歌 を 斉 唱。 続 い て、 伊 東 博
年
できるだろうとご披露があっ
回)より過去
間 の 物 故 者 氏 名 を 披 露 の 上、 典 の ご 報 告 が あ り、 記 念 事 業
た。
道 氏( 高
黙祷し、ご冥福をお祈りした。 と し て の 1) 同 窓 会 館 建 設 資
資 金 援 助、 へ の 協 力 に 謝 意 を
金 の 確 保 2) ク ラ ブ 活 動 へ の
柿 﨑 正 義 会 長( 高 回 ) よ
りは信州からの来賓のご臨席
表 明 さ れ た。 恒 例 の シ ン ポ ジ
東京鳩会ゴルフ会
(T・H・G)
回
その後、井口 昂(高 回)さん
が会長を引き継がれ、現在の紫カン
トリークラブ、平日の開催になりま
現在は吉村 弘(高 )さんが会
長を引き継いでいます。開催は紫カ
ン ト リ ー 東 コ ー ス と な っ て い ま す。
今の若手は高校 、 回の伊東さん、
清水さんとなってきました。
今回のコンペは会長の吉村さん
( 高 ) が 優 勝 で、 準 優 勝 は 宇 田 川
さん(高 )でした。
歳 以 上 は ゴ ー ル ド マ ー ク か ら、
乗用カートは距離のナビ付で、あま
り歩かないゴルフとなっていますが、
先輩とゴルフを楽しんでいます。
7
7
7
(出席連絡先:浅野井まで)
編集後記
会員各位のご協力・ご寄
稿等により会報第 号を出
平日の開催ですが、皆様のご参加
をお待ちします。
年二回開催のゴルフコンペですが、
早いもので、春の例会が丁度 回と
なりました。
今回は鳩会ゴルフの経過と、 回
コンペの報告をします。
私が鳩会ゴルフに初めて参加した
時は、平林 林さん(中 )が会長
で千葉カントリークラブ開催でした。
私たち(高 回)
は一番の若手でした。
東京鳩会ゴルフコンペ報告
第
単位:円
した。
稿できましたこと感謝申し
上げます。
本年は、冬は大雪になり
夏 は 猛 暑、 秋 に は 信 濃 の
国 の 歌 詞 の 御 嶽 山 の 噴 火、
代 々 木 公 園 等 の デ ン グ 熱、
又西アフリカではエボラ出
血熱等身近にありましたが、
会員の皆様がお身体に気を
付けてご活躍下さいますよ
うご祈念申し上げます。
尚、広告に伴う寄付金の
ご協力・ご支援に感謝申し
上げます。又、若手会員の
千野郁雄
参加・活動を期待していま
す。
http://www.t-hato.jp メール:[email protected]
支出金額
収入金額
57
21
23
4
20
東京鳩会のホームページにて、総会出欠の返事も出来ます
ので、下記アドレスにアクセスして下さい。そのほか皆様
からの情報や投稿を随時お待ちしております。
またホームページ編集委員を募集しています。メールでご
連絡下さい。
年の和
御来賓
75
東京鳩会ホ ー ム ペ ー ジ
¥159,436
次期繰越金額
25
90
¥1,201,378
¥1,360,814 支出合計
収入合計
60
60
22
22
20
458,000
83,800
109,791
502,552
20,000
1,565
25,670
17
2
17
78,814
430,000
135,000
685,000
32,000
前年度繰越金
年会費
会報広告料
総会参加費
祝儀
13
26
2 31
14
に 謝 意 を 表 し、 過 去
12
9
1
東京鳩会 第31期決算報告 (自平成25年4月:至平成26年3月)
60
6
26
57
総会費用
イベント、土産代
事務費
会報印刷発送料
役員活動費
通信費
雑費
4
テーブルを囲んで
懇親会の一コマ
応援歌を熱唱。若手会員頑張れ!
トランペット奏者
渡邉 優 さん
ピアノ伴奏者
竹内 冴 さん
応援歌のリード役
高橋 修 氏
抽選リード役
倉島洋二 氏
同窓会長
宮﨑和順 氏
学校長
高橋康人 氏
司会者
岡田正夫 氏
乾杯
千野郁雄 氏
総会風景
出演者に花束贈呈
90
14
1
幹事長
河口 収 氏
校歌リード役
仁科 陽 氏
東京鳩会会長
柿﨑正義 氏
総務担当
伊東博道 氏
(4)
東 京 鳩 会 会 報
2014 年(平成 26 年)12 月 15 日 月曜日