生の意味についての弘法大師との韻文による対話 書くことの

エリーザ・ビアジーニ
水の月――生の意味についての弘法大師との韻文による対話
書くことの鏡に寄ってみてよ
左足で一歩、右足で一歩
藻の中を泳ぐように、
闇がみえない人なんていない
これこそわたしがすべき感じるということ
時という名の敵は
風のベッドに運ばれる、
生は矢のようにはやい
生は朝露のように空っぽ
これこそわたしがすべき感じるということ
流れる涙をとめられない
息は出ていくばかりで戻らない、
イメージは泡に沈みこむ
苦しみだけが残った
これこそわたしがすべき感じるということ
瓶から瓶へ水を注ぐ
息することは生を産むこと
しかし膝は崩れ
骨はただ梁のかたまり
これこそわたしがすべき感じるということ
年月は年月に続き、色を失う
太陽は別の太陽に続き、枯れる
爪と髪は泥と草であり
松の木の下で粉々になっている
これこそわたしがすべき感じるということ
シラブルは小川にかかった橋
風とほこりもとめられない、
涙をふき、また別の小径に消えていく
月のもとで肌と血に変わる
これこそわたしがすべき感じるということ
わたしたちの眠りは浅く、無数の夢を見る
雨のように通り過ぎる仲間
肉体は袋で、歯のあいだの草
しかしいまや、口の空洞に
声が湧き、空間に震える