ベトナム・ミャンマー プラスチック産業視察団報告書

ベトナム・ミャンマー
プラスチック産業視察団報告書
2015/ 1/ 13
視察メンバー 長谷川正、渡辺幸男、滝沢太一、奥山勝市、水永敦、高橋海南
日程 10/21 ~ 10/25
ハノイ
1泊
ヤンゴン 2泊
10/21 1日目 ハノイ到着後ホテルにチェックインせずに移動
①ハノイ工科大学 (機械学部 副学部長ドン氏を訪問)
ドン副学長と金型の専門家の講師が対応して下さいました。
長谷川会長からATCNが成形、金型、材料、品質など総
合的な教育、指導を行う事が出来、連携することでより実
務レベルでの指導に深められる事を提案致しました。
右がドン副学部長
ドン副学部長からは実務に合った教育、指導等ATCNと
の連携について前向きな回答をいただきました。
会見ののち、大学の保有設備を拝見させていただき
写真はありませんが、小型の工作機械はかなり整備
されていました。
ハノイ工科大学は1956年にベトナムで最初の科学技術大学として開学されまし
た。以来、ベトナムの工業界を担うエンジニア育成と工学研究を推進する基幹大学とし
て、国の工業化に大きく貢献しています。国際連携にも積極的に取り組んでおり、長岡
技術大学とのツイニングプログラムの他、ドイツ、ロシア、フランス、米国、ニュージ
ーランドなどとも同様のプログラムを展開し数多くの海外の大学、研究機関、企業と提
携しています。(日本学生支援機構 ハノイの大学紹介より抜粋)
大学の学生数は 25,000 人(5 年制)で14学部で運営されています。
上記にも記載のある長岡科学技術大学とは 2003 年から*ツイニングプログラムという日
本語のできる指導的技術者の養成を目標とする教育プログラムを開始した事により現在
も交流が継続しています。
この教育プログラムはベトナム政府初の公式ツイニングプログラムだそうです。
*ツイニングプログラムとは
前半 2.5 年を現地にて日本語教育及び専門基礎教育を現地教員が主体
となって実施し、後半 2 年は日本において専門教育を行う仕組み
1
②VCI人材戦略研究所
(代表理事の阿部正行氏を訪問 国際教育交流フォーラム理事)
東京にNPO法人VCI人材戦略研究所を設立、代表理事に就任されている。
ハノイ日本アカデミー(旧称・VCI技術教育アカデミー:VCIAT)を2005年6月
に開校ハノイ日本アカデミーは2005年の開校以来約180名以上を日本全国の中堅
企業へ正社員のエンジニアとして送り出している。2008年3月当校はベトナム随一
の国立ハノイ工科大学と「日本語教育と就職支援」の業務協定をしており、本校の学生
の大半はハノイ工科大の卒業生である。機械系、電子・IT系、電機系、化学系の出身
者が多い。経営はここ、NPO法人VCI人材戦略研究所が行っている。
当日教室では日本人の教師による日本語の授業が行われ
ており、生徒は6名(男子2名 女子4名)でした。
日本語の作文も短いが難しい漢字なども使われていて
なかなかのものであると感じました。
長谷川会長の話に聞き入る学生
訪問終了後
阿部氏と共にベトナム料理をいただき、長谷川会長のご配慮に
よりハノイビールにハノイウォッカを入れたお酒で舌も軽やか
になり陽気に歓談させていただきました。
手前右側が阿部氏
さすがに空港からホテルへチェックインをしないで
ここまで来たのでさすがにこの辺では皆さんお疲れモードでした。
2
10/22 2日目 ホテルをチェクアウトして出発
③MEISEI VIETNAM を訪問
(同行されています、渡辺会長のベトナムの子会社です)
正面入り口
設計部隊の部屋
5Sが行き届いており、従業員の笑顔が印象的でした。
事務所の壁には 「家族が自慢できる会社にしましょう」
現場にも5S の看板と共に
「お客様満足度アジア No.1を目指す」の標語
④JICA ハノイ事務所 (松下高士氏を訪問)
近代的な高層ビルの中に JICA の事務所がありました。
3 人(現地スタッフ 1 名含む)の方に対応して頂きました。
前日ハノイ工科大学に訪問し今後プラスチック技術者の教育に関する
連携を進めていきたいので協力をお願いしたいと依頼を致しました。
実務レベルでの踏み込んだ指導には賛同いただきましたがJICAは
ハノイ工科大学よりハノイ工業大学との交流を勧めてきました、その
背景には、JICAがハノイ工業大学と人材育成支援
プロジェクトを推進して力を注いでいるからと思われ
ます、そのプロジェクトへ ATCN が協力する話には反応が
強く感じられました。
本日の飛行機でのミャンマー移動がありましたので短い
時間でしたがJICA訪問を終え空港へ移動しました。
JICAにて
3
ミャンマーへ移動
ハノイノイバイ空港から飛行機で 1 時間 50 分
ベトナムとの時差が 30 分、日本とは 2 時間 30 分
の時差となる。空港は国際線ターミナルが
2007 年 5 月に開業したらしいがピカピカで非常に
きれいでした。
通貨はチャット(Kyat)1米$=980チャット
到着したのは午後 6 時半過ぎでしたが外はもう暗く
なっていました。
ヤンゴン空港
ホテルに到着 なんとなくエキゾチックな感じの
ホテルの入口アジアンエスニックな雰囲気を十分
醸し出していました
パノラマホテル
早速、我々は楽しみにしていたヤンゴンの
夜の街に「さあ~」と足早に繰り出しました
我々が歩き始め、狭い通路から視界が広がった
右手に 出ました!
日本を代表する電機メーカー(今は・・・)
シャープの赤い大きな看板!
そして、ミャンマー特有の民族衣装で
スカートのようなものを穿く男性
(男性専用の民族衣装でスカートや腰巻に
似たものでロンジーというそうです)
ロンジー
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尐し歩きまわりましたが、初めて訪れたヤンゴンなので繁華街や屋台がどこにあるのか
わからずおなかが減ってきて「どこでもいいから、早く食べようよ」との声に一同文句
なく、先ほど通り過ごしたオープンカフェならぬ
オープン食堂へ急ぎ足で戻りました。
店先のテーブル席
心配していました、この暑さにぬるいビールが
出てきたらどうしようかと、さて、出てきたの
ミャンマービール
屋台
は冷え冷え~の生ビールでした。ほっ!!
道沿いにまで伸びた店先で「乾杯~!」心地よく冷えたミャンマービールが美味しい!!
このビール 600 チャット日本円で約 60 円でした。
ミャンマー語のメニュー
丸と四角の文字、さっぱり読めませんでしたが
幸い英語で書いてあり何とか注文できました。
ワイワイガヤガヤと、騒いで飲んで食べて
6 人で 21,000 チャット日本円で 2,100 円
1 人 350 円なり~
下はホテルへ帰る道で遠くに見えたスーレー
パコダです。
スーレーパゴダの夜景
5
崇高な感じです
10/23
朝食前にホテル周辺をブラブラと散歩
ミャンマーは仏教国ですがイギリス領であった事もあり
このような立派な教会がたてられているのだと思います。
そして下の写真は ヤンゴンの鉄道の駅と思っていたら裏側でした (・・;)
朝食後 JETRO へ行くまでの時間があったのでスーパーマーケットへ
よりました、そのスーパーで水永さんがロンジーを購入しました。
ロンジーとは腰巻のようなもので、丸い大きな筒状の布の中に入り
バンドなどを使わず布だけで外れないようにきちんと締めています。
はいた格好をじっくり見ると日本の袴のような感じでした。
水永さんがすぐに着て店員さんが要領を教えていたのでじっくり
拝見させてもらいました。
ごちょう
⑤JETRO(ヤンゴン事務所 牛腸純和氏を訪問)
ミャンマーの首都はネビードで 2006 年ヤンゴンより
軍事政権により遷都されました。
ネビードはヤンゴンの北約350km にあります。我々が訪れたヤンゴンは、1989年
まではラングーンと呼ばれ6世紀ごろから街ができ、19世紀中ごろのイギリスの支配下
になってから大きく発展を遂げた街です。
現在のミャンマーでの在留邦人は1000人とのこと、交通規制で驚いたのはヤンゴン市
内へのオートバイ乗り入れが禁止されている事でした。また、盗難はなく治安は非常に良
いとのことでした。
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現在のミャンマーへの直接投資国は1位が中国でタイ、香港の順となっています。
ミャンマーの国民一人当たりのGDPは869米$です。
日本からの直行便は成田から毎日就航(ANA)、車は日本の中古車が多い
プロジェクターにていろいろな情報をいただきました。
日系企業の直接投資分野
ティラワ工業団地の状況
経済特区の投資精度説明
各国の国政と現状
ごちょう
その中でも、牛腸氏が面白い比較をしてくださいました
ASEAN 各国の国政を日本の都道府県に当てはめてくれ、規模が分かりやすく理解できま
した。紙ベースで頂いたものは2012年ですが、プロジェクターで紹介して頂いたもの
は2013年でしたので、ここでは2013年のものを紹介いたします。
2013年
1人当たりの GDP
GDP
日本
49,015億ドル
38,491$
中国
91,812億ドル
6,747$
インドネシア
8,780億ドル
大阪+九州
3,510$
タイ
3,660億ドル
愛知県
5,680$
シンガポール
2,960億ドル
フィリピン
2,720億ドル
九州北部4県
2,790$
マレーシア
2,500億ドル
九州北部3県
10,550$
ベトナム
1,558億ドル
静岡県
1,902$
514億ドル
山口県
869$
ミャンマー
7
54,800$
予定していました視察はすべて終わり、ここから先はミャンマーで我々が訪れたところを
ご紹介いたします。
チャウッタージー・パゴダ
(パゴダ とは仏塔の事を言います)
高さ17.7m 長さ65.8m というミャンマー
最大級の寝釈迦像を訪れました。1909年に建立
された比較的新しいパゴダです。
この建物の中に寝釈迦像が
ある
足の裏には彫刻がなされており、
合計で108個のます目には、
それぞれ古代仏教の説く宇宙世界
の図や、釈迦の一生の絵が描いて
あります。
我々と比較してこんなに大きな足の裏です
シュエダゴンパゴダ
高さが99.4メートル
基底部の周囲は433m
付随する周囲の小さなパゴダは64もあり、圧倒的なスケールです。
ミャンマー仏教の総本山ともいえる存在だそうです。
金色に輝くパゴダの最頂部には76カラットのダイヤモンドを中心に
総計5,451個のダイヤモンドと、2,317個に及ぶルビー、翡翠
サファイアなどの宝石がちりばめられているそうです。我々は改修中
ですべてを見る事ができませんでしたが金の薄板が張り巡らされその
総数は8,688枚、60トンの重さになると言われています。
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昼のパゴダ
周囲の小さなパゴダ
夜ライトアップされたパゴダ
境内には各曜日の守護神が祭ってあるところがあり、
自分の生まれた曜日、そして水曜日だけは午前午後で
ちがう所に祈念する泉があります。その泉で願いを唱
えながら守護神に水をかけると願いがかなうとのこと
です。
当日はミャンマーの休日だったのか、普段から信仰が
厚くお参りに来るのか分かりませんが、夕方になり
パゴダがライトアップされ始めるころになると多くの
人が集まってきました。
月曜日の泉
土曜日の泉
10/24
今日は帰国する事になりますが、朝からヤンゴン発ヤンゴン着のヤンゴン市内を周回する
列車に乗り込むためヤンゴン中央駅へ、乗車時間は3時間だそうです。
6人分のエアコンクラスのチケット 1800 チャット
何と1人 30 チャット約3円
切符の購入はホームにて
流暢な英語を話す老駅員
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周回する列車は1日に2便しかないので朝7時35分の
列車に乗ることになりました。
列車は日本製のディーゼル車で内装もそのままで運用さ
れていました。そういえば市内では、自動車なども日本
の会社名などが表示されたままの中古車が数多く走って
いました。
日本製のディーゼル車
定刻どうりに列車は出発し、かなりの低速運転で進み始
めました、揺れが大きく、線路も尐し蛇行しているよう
に見えましたがそのせいで低速運転なのかもしれません、
線路のつなぎ目の「ガタン!」の音も気のせいではなく
かなり大きな音を出しています。
私は地図で周回列車の位置を確認しようとしましたが、
手持ちの地図には周回するところまでの地図が載って
日本語がそのままで
いなかったので山手線のように本当に乗ったまま周回
してヤンゴン駅へ戻るのか心配でしょうがありません
でした。しかし動き始めて1時間半ほどたったころ右
に大きく曲り始め、そこでやっと間違いないと安堵の
気持ちになりました。
出発当初はガラガラの車内でしたが半分ほど過ぎてからは徐々に乗ってく
る乗客も多くなりヤンゴンに近づいてくるとほぼ満席となってきました。
出発時の車内
ヤンゴン到着前の車内
朝の出勤時間なのかもしれません、プラスチックの椅子
を置き朝食のための食べ物や飲み物を売っている姿が
ヤンゴンに近づいてくると駅のホームのあちこちに見ら
れました。
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ヤンゴンの駅に到着後早めの昼食を取ることになりホテルの近くに
昨日、日本料理の看板が見えていたのでそこへ行く事になりました。
ミャンマーに来てから初めての
日本料理店です。味については
心配しましたがまずまずのお味
でした
店の名前は Japan Japan Restaurant でした
食事の後出発まで時間がありましたのでホテル周辺をまたぶらぶらと散歩を
ふるい建物ですが何となく趣がありました。イギリス統治時代の名残なのでしょうか
古い感じでしたが、2 か所ともブリティシュスタイルの赤レンガが特徴の建物でした。
短い時間のミャンマーでしたが、人の温かさが感じられたのは仏教国という事が影響し
ているのでしょうか?もう一度時間を取ってゆっくりと訪れてみたいと名残惜しさを心
にとどめミャンマーを後にしました。
御同行いただきました視察メンバーの皆様、勉強になる事が多く本当にありがとうござ
いました。
深夜便に乗り、セントレアに 10 月 25 日早朝の 6 時 40 分帰国
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