押森さんインタビュー

上田市真田町にある真田氏ゆかりの神
社 山家神社宮司。
さ
ん
少しでも多くの方に、
真田の郷に足を運んでいただけるよ
うに、
地域に根付いた神社として様々な発信をしたい。
山 家 神 社 宮 司押 森
慎
「真田幸村」大河ドラマ実現に向けて、長期に渡る署名活動の甲
斐 あ っ て、 つ い に 待 望 の 2 0 1 6 年
大河ドラマ「真田丸」
が 放 送 決 定 と な っ た。 地 元 で は、 放 送 に 向 け て 具 体 的 な 何 か を 模
索しながら活動が始 ま っ て い る 。
います。
たようです。戦没者の慰霊も祀られて
うと試みているところなんです。とはいえ、
すが、以前は行っていたことを復活させよ
私一人では絶対できないことなので、昔か
ら真田氏に山家神社が愛され、地域の方も
お宮を大切にしてくれた風習が根付いてい
だと思いますね。
て今でもこのように、協力してくださるん
押 森 四 阿 山 山 頂 の 奥 宮 は 二 社 あ
り、南向きの社を東宮(信州向)
、東
例大祭での浦安の舞が 年振りに生演奏
で奉納されたそうですね?
山家神社の奥宮は四阿山(あずまや
さん)山頂にあるのですね?
向きの社を西宮(上州向)と呼びます。
っています。奥宮には水分の神(みくま
年に一回、6月1日に開山祭を執り行
な水源だったのだと思います。松代の殿
で曲
押森 今はほとんどのところが
を流して舞を奉納しています。こちらでも
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昭和 年頃から浦安の舞を奉納し始めて
踊りだけは、毎年奉納しているのです
でした。
が、やはり
そうしたら、本殿に長い間閉まってあ
った楽太鼓が少し前に見つかり、衣裳も
探し出してきて、土蔵に5着あり、縦笛
横笛とかは前からあったので、 今年は生
演奏を試みました。
「山家雅楽会」を結成
して、私も諏訪大社に居たときに、舞の
奉 仕 で、 歌 と 楽 器 も 経 験 し て き た の で、
私が皆に教える事になったので、実際難
しかったのですが、気持ちが伝わるよう
に努力しました。練習は、例大祭の半年
前 ぐ ら い か ら 始 め、 祭 の 前 は ほ ぼ 毎 日。
生演奏は
とはテンポが違うので、舞
を舞う子たちも大変。踊り手と奏者の両
方の息が合わないといけないので、苦労
もありましたが当日は大成功でした。
メンバーはほぼ同級生でそれを見て近
隣でも参加してくれる方もいて、良い活
C
D
民間レベルでも様々な取り組みをしている方々がいます。どん
な 試 を し て い る の か、 シ リ ー ズ で お 話 を お 伺 い し ま す。 今 回 は、
りのかみ)がいて上田城主の藩主も歴代
崇敬してきました。全ては四阿山の川の
信仰からで、神川の支流に吉田堰という
のがあり、東御のほうに水を分けたりと
様が四阿山まで馬でお参りに来ていた、
神川沿岸に暮らす人々を支えてきた大切
山家神社・真田神社は真田
氏と深い関係がある古い歴史
去年の4月から山家神社の宮司とな
り、まだ1年と少しですが、新しい活
直し、コンク
今年は上州向の方を
リートのブロック造りだったものを
木造に直して、ヘリコプターも使わ
ず皆で資材を担いで上がっていった
んです。もう一つの方も近いうちに
直したいとおもっています。
していたようです。
す。当時は、水の力の強さを重んじ感謝
という古文書なども残っているようで
ある神社なのですね?
押森 山家神社は1000
年 以 上 の 歴 史 を も つ 神 社 で、
上田城の鬼門除けとして真田
氏だけでなく歴代の上田藩主
も深く崇敬してきた神社で
す。境内に祀られている真田
神社は、もともとは山家神社
より少し上の方にあり、幸隆、
動を沢山されていますね。
昌幸、信之と幸村(信繁)の
る為建立された社です。後に
3代を祀り、地域の鎮護とす
管 理 が 難 し く な っ た た め、
1919(大正8)年に真田
押森 新しいことのように見えてま
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N
H
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氏崇敬の山家神社境内に移し
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山家神社宮司の押森 慎 さ ん で す 。
山家神社前で
真田氏が大切に守り、
そして護られた、四阿山から流れ出る神川水系一帯の産土神であり
水分神。真田昌幸公がこの神川を戦にも利用し、徳川軍を退けたようにその恩恵は広く、
上田城鬼門除けの神として真田氏を始め歴代上田藩主から篤い崇敬を受ける。
インタビュー
押森 慎(おしもりまこと)さん(31 歳)
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動 に な っ て い ま す。 地 元 好 き な 人 が 多 く、
協力者がいるので、出来た事と実感してい
ます。
2016年「真田丸」放送にあたり何か取
り組んでいることはありますか?
「山家神社」
「真田神
巡る神社は、
社」
、御屋敷跡の「皇大神社」
、真田
本 城 に は「 諏 訪 神 社 」
、松尾古城に
は「安智羅神社」幸隆公幸村公幼少
の像が祀られている神社、天白城と
いう城があり昔は天白神社という神
様が祀られていて今は「北赤井神社」
というお社があります。その6神社
めぐりを考えています。
分 か り づ ら い 場 所 に あ っ た り で、
知らない神社もあると思います。是
非、地元の人にも知ってもらいたい
と思っています。
真田本城の諏訪神社は、昌幸公が
攻め入りやすい場所に神社を祀った
という文献があり、諏訪というと武
田の流れがあり、守ってもらえるよ
うに祀ったという、神社のいわれを
見ると面白いことがわかります。
今後の計画としては、9月に真田
氏十四代当主(松代)真田幸俊さん
を招いての植樹祭を計画していま
す。その時、雅楽演奏なども考えて
います。
他に地元で話していることは、山
家 神 社 で も 宝 物 が 残 さ れ て い る し、
真田町では個人でも色々なものを持
っている人がいるので、真田ゆかり
の貴重なものが見れて、なおかつ身
体を休める所が作れたらという話は
出ています。大河だけで終らない様
に学べる仕組みを作りたいです。
他にはどんな活動を?
押森 真田神社で新しいお守りを
作 り ま し た。 真 田 氏 が 兜 に 鹿 の 角
を あ し ら っ た こ と に ち な み、 本 物
の鹿の角を使った「鹿角守(かづの
まもり)
」というのを作りました。
今後の活動や抱負は?
「真田相伝六神社御朱印めぐ
押森 り 」 で す が、 六 神 社 を 巡 り、 後 日、
御朱印を山家神社にて提示すると(撮
影写真可)限定御守り「立志木札守」
を無料でさしあげています。是非ま
た真田の郷に来ていただきたいとの
思いで、このようなことも行ってい
ます。例えば、この木札を見せると
何かサービスを受けられるような
も の が あ る と、 町 ぐ る み で の 取 り
組みとしておもしろいなと思って
います。
あとは、太々神楽に「獅子の舞」
が あ り、 真 田 と 横 沢 の 2 地 区 か ら
出 て い る ん で す が、 昔 は 6 地 区 か
ら 出 て い て、 さ ら に、 助 け 役 と し
てお獅子が色々な所から集まった
ん で す。 各 地 で 残 さ れ て い る 獅 子
舞 に は、 特 色 が あ っ て 面 白 い と 思
っ て い る の で、 是 非 復 活 さ せ た い
で す。 山 家 神 社 に 集 め て 獅 子 の 大
き な お ま つ り を、 来 年 あ た り 出 来
ればいいなと。 真田神社に残された創建趣意書
に「 次 世 代 に 伝 え る 」 と 記 さ れ て
いるように、地域との連携で歴史・
文 化・ 伝 統 な ど を 守 り 伝 え て い か
なければと思います。
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山家雅楽会
「真田相伝六神社御朱印めぐり」
専用色紙に押してもらえるよう、真田氏ゆか
りの神社の参拝の証「御朱印」
を揃えた
真田三代を祀る真田神社
真田神社の鬼瓦。瓦の上部に真田氏
の家紋である六文銭が見える。
神社脇には真田氏(松代)十二代
当主が植樹したという杉が生い茂る。
押森 地元にある戦国武将真田氏ゆかり
の六神社に参拝の証(御朱印)をそろえて、
各神社を巡ってもらい記念にしていただけ
ればと、専用の色紙も作りました。古城跡
とか、屋敷あとなど良い所が沢山あるので
すが、せっかく行ったら何かお印があると
嬉しいですよね。
浦安の舞