々を~ - 東京歯科大学同窓会

く
〉 同窓の皆様の御協力で
房義秀貞義喜
吉人策夫次男弘
三千 円
帝国ホテル
四月十 二日(水﹀ 午 後 三 時 よ り 母 上 田 貞 三 氏 内 山 利 平 氏
校第三教室において会則第二六条小野寅之助氏大塚貞夫氏
倉繁房士口氏
の 規 程 に よ り 東 京 お よ び 山 梨 県 在 公 平 邦 弥氏
氏
住の支部長評議員により臨時評議員栗林真吾氏榊原勇
口
士
会を開き次の 十 八 氏 を名誉会員 K推 佐 々 木 重 衛 門 氏 沢 口 源 作 氏
庄司 喜 内 氏 栃 原 義 人 氏
薦する乙とに決定した。
新名誉会員氏名長屋弘氏早野栄蔵氏
入 江 義 次 氏 平 松池円
氏郎
向氏井 喜 男 氏
田次
明治
山
。 六月講演会
血ロ
期 日 七 月 十 七 日 (月﹀より二十二日 (土)まで
内 容 保存、 補 綴 、 口 外 、矯正 、小 児歯科、 放 射 線 の臨床六科目につい
て、一日一科づっ六日間にわたり、実技を主体として 、 講習を行
なう予定であります。
)
定員 四十名(但し、 A B二組に分け一組二十名編成 と し ま す 。
受 講料 一万二千円
他に材料貨の実授を申し受ける乙とであります。
O宿舎のあっせん 地方より参加される方のために宿舎のあっせんも致し
ます。
O 詳 細 は 次 号 に 掲 載 し ま す。
今年度は、従来の一科目三日間の方法をやめ 、 会員の希望もありますの
で、
慎 重 に 協 議の結果一日一科で実技を主体とした講習方法に致しました。
。 夏期講習会
日 時 六 月 十 七U ハ 土 ) 場 所 母 校 講 堂
。 東京歯科大学学会例会
五月二十一 日 矯 止 に お け る 処 町 西 口 定 彦 助 教 授
六月十一日鋳造と精度金竹哲也教授
O内容については第二頁をと低下さい。
。 日曜セミナー
日 時 六 月 十 八 日 (日)午後一時半より
場所母校教室
﹁最新歯科臨床技法の話題 ﹂ (予定 )
宿題
町
講 師 保 存 、 補 綴、 口外、矯 正、小児歯科、放射線の各科 より一名
右の各科より一名で講師をお願いし 、 最も新らしい 、 歯科臨床の
テクニック 、材料、そ の他について、実際的なお話しを伺う予川ん
であります。 今 日の臨床にすぐ役立ち、進歩する歯科医学にとり
残されないよう、極めて怠義のある企劃で自負しております。
具体的内容は 、 目下 、 各教室と交渉中でありますので 、 次 号 に 詳
細にわた り掲載します。
予
。
叩
お願いさるようお願いします
O同封の返信用ハガキは祝賀会の U
O本 部 で 調 査 し た 叙 験 者 お よ び 受 出 欠 と 同 時 に 同 窓 会 員 名 簿 の 資 料 品
川 章 者は別掲の通りですが 、 洩 れ て と す る 目 的 を も っ て お り ま す の で ⋮
M いる方々もあると思われますの是非とも五月六日までに御投函下丸
山 で、御存知 の方は 、 至 急 返 信 用 ハ さ る よ う お 願 い し ま す。 川
町 ガ キ を 御 利 用 の う え 、 お知らせ下
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午 前 十 一時 より
午後二時まで
五月十四日(日)
沢口源作
上回貞 三
溝上喜久男
榊原勇吉
内山利平
池田明治郎
公平邦弥
早野栄蔵
円
次
来 る 五 月 十 四 日 (日曜日 )
。受章者
藍綬褒章
長屋
向井
入江
大塚
福島
栃原
倉繁
平
松
東京歯科大学同窓叙勲者・受章者
顕彰祝賀会開催
是非とも盛大な祝賀会にグ く
>
ロ
可
合会~. ~t f,...~主的多乞 々を~
於帝国ホテル
母校と同窓会 の共同主催により、
叙勲あるいは受章の栄誉を受けられ
た同窓の方々をお招、きして、栄誉を
たたえ 、 共に喜びを分かちあうため
左おの要領で顕彰、祝賀の宴を催す
ことになりました 。 時候もよし、場
所もよし、この機会にあげて同窓の
親睦の実をあげたく是非一人でも多
く御参集をえて、盛大な会にいたし
たいと存じます。御出席の程を切に
お願い申し上げます。
顕彰される方(敬称略順不同)
紺綬褒章
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記
佐々木重衛門
日
時
費場
O 叙勲者
勲二等瑞宝章
三〉、ぷ〉
勲四等瑞宝章
勲四等旭日小綬章
福島秀策
池田明治郎
圧司喜内
榎本美彦
小 野 寅之 助
長屋弘
向井 喜男
栗林真吾
一
、
臨時評議員会聞かる
新らしく十八名の方々が名誉会員に
動⋮五等双光旭日章
一
一
、
、
昭和 4
2年
4月1
5日
/
6
東京歯科大学問窓
田丸将士
杉山不二
石河幹武
幹事
(敬 称 略 順 不 同 )
叙勲者および受章者顕彰祝賀会
役員つぎの通り決まる
名誉 会長
名誉顧問
会長
副会長
大 井 清 、長谷川慶蔵、
武藤実 、渡辺茂、
北村勝街、関根永滋
雪ニ 、 高 北 義彦
O祝賀 宴委員長
委員長天野博徳
副委員長後藤芳郎
委員
、 長谷 川正
木村吉太郎、石川達 也
康、佐藤徹一郎、高橋一祐、 浅 井
康宏、渡辺正、町田 幸雄、 今 西 孝
博、野口八九重、鈴木弘造、 松 尾
武夫 、山崎可夫、 金竹哲也、相
三街、和田知雄、山路千 秋、 小谷
虎次郎、 阿保喜七郎、赤穂英一 、
今野忠夫、福田 寿男、北村宗久 、
川中健之助、野上順平、 大 関 英
明、浜 旧 良 箕、新原広光、小徳静
犬、中村議兵衛、北 正朋、 上 野
附、附凹正信、森下が夫、小 杉 太
郎、尚橋省己、伊藤保、猪子寿
て平田正儀、佐藤て長田
昇、武石義広、佐々木達夫、片倉
八郎、猪鹿倉兼三 、倉橋和啓、 藤
村監、 二宮 哲 夫、服部玄門、 広 瀬
文質、杉山間多、川村長久治、 神
作藤古 、 滝 沢 一郎、氏家英輔 、 秋
山 基 二 、 谷 間 齢、林 清 一郎
O会場委員
委員長五十嵐発附
副 委 員 長 大 橋 忠 、宝 田 忠
委員
鵜 養 弘 、 羽賀通夫、関根 弘 、
片岡保夫、 田島篤治、竹内 光 春、
清水秋雄、 鈴 木芳太郎、川島康 、
坂田 三弥 、葛西四朗、南 部 実 、
平井満喜男、 大野虎之進、 金 光 秀
明、中尾一彦、安達直、佐々木
力、渡 辺 正 信、原 島 登 、 小 池 千
白、佐 藤 武 正 、岩、氷行正、能勢
要、平岩宗平、中島律郎、 桁楠三
郎、勝井義介、矢島正 三郎、 笠 原
清文、堀英一郎、関剛 三郎、 津 島
武夫、加藤倉三、高添一郎、見明
J
l 概要
A
陶材焼付用メタル の高田川鋳造にいた
るまで、そ の重要性はますます高ま
っている 。 埋没材や鋳造方法に対す
る考え方も変ってきている 。 正確な
鋳造体、失敗のない鋳造体を作るに
は、どんな材料をどん な方法で取扱
うべきか、ぞ 、 それぞれ の 付金別に
詳細にお話ししたい。さらに鋳造に
際してあらわれる多く の失敗や事故
の原因と対策を項目別に採り上げ、
ζと鋳造に関しては疑問を一掃した
い、と考えている 、午前中にお話し
をすませ 、午後はそれに基づいて 、
鋳造の実習を各自行なっていただ
き、平索、悩 まされている問題を解
明してゆきたい。これに要する金属
材料、埋没材などはすべて理工学教
室において準備する。またと希望に
より鋳造用合金の簡単な作成法を各
種 C紹介する。
姻江芳夫、 高橋文平、鈴木和男
三、石山芳雄、西村寛猛、百 東
川
品
彦、須藤至、高田輝男、古屋松茂
松村正澄、佐々木八郎、依田清、
鉄雄、島田宗武、前原誠二郎、児玉
良知、熊谷一義、 三島平八郎、久
木留一広、山崎文男、 三宅直晴、
長井義博、斎藤利世、伊藤英雄、
小松不 二男 、 佐 藤 邦 重 、 山 崎 安
力、古川忠夫、中島頼輔、田口芳
治 、 中 村 旭 、 村田秀純、本間章
介、小池光雄、大森茂春、浅井寿
清、林 淳 て 山本又雄 、飯島金
司、松、氷芳太郎、清信静夫、谷
一昌、高橋六一 、 日高国雄、小坂
一、滝 義 胤 、城所定雄、前回卯
太雄、山本糧三、秋川福繁、中村
m
邦俊、氏 家 英 峰、藤原鎮雄、 明楽
佐一郎、岩 崎 之、 小 池 弘 、 村
義季、沢田英三 、山本啓介、 菊
池山豆、伊藤博夫、小坂剛也、大
多和彦二 、 池 田 正 て 大井基道、
神谷文彦、桜井善行、上平初五
、三輪源
郎、黛 誉 治 、霞 泰
七、宮下清、加藤正街、伊藤
嵩、小宮 山 昌 雄、平 佐 武 郎
O受付、接待委員
委員長松井隆弘
ミナ
副委員長山本義茂
委員
、
瀬端正之、 西口定彦、山 村俊士 n
﹂日同木圭二郎、 堤 邸 二、 上 条 薙
彦、若月英三 、緒 方 銭 、 上田喜
て 西 村 正 雄、田 熊庄三郎、 山村
、
D舌側弧線装置の製作法
-維持帯環及び装位、 2維持装置
鍬着、 3主線の適合 、 4口腔内装
着、 5補助弾線
E応用法
個々 の歯牙の位附不正の治療法
下顎前突、上顎前突、その他
。鋳 造 と 精 度 六 月 十 一 日
金竹智也教授
/
他理工学教室全員
銀合金のインレーから、金床ゃ 、
結熱
。矯正における処置
五月二十二日
西口定彦助教授
双線弧線装世
,
ny 同官官 ご 釦コnq
)
回﹃巾 同門
(叶 dヱ ロ 話
フライヤ l
A調製に必要な .
B材料 の紹介
C双線弧線装置の製作法
-帯環、 2鍬 着、 3主線調製、 4
セ
顧問
庶 務 天 野 博 徳、小林 一郎 、後
藤芳郎、大 橋 忠
会 計 田 辺 明 、永田 令 蔵、中
久 喜 八十
広 報 五 十 嵐 莞 昭、高 橋 重 雄、
高木昂
記 録 福 岡 明 、宝 凶 忠
、久保田和F、
事務原徹
有江晴美
O式典委員
委員長長尾喜景
副委員長山本為之
委員
三崎鉢郎、 坂本英次、 高 橋 庄 二
郎、加 藤 繁 次 、 岩 野 孝、 野口好
之、中 久 喜 祷 、米沢和一 、 仁田
原一郎、神野て大森清弘、竹
、 秋山誠一
中正一郎、 河合貞士円
郎 、 高 橋 義 夫 、 中 山 誠、 鈴木録
二、高橋敬文、中村正尾、 石原文
海、安保正浪、 関谷三郎、 筒浦武
夫、林 武 夫 、向山 英三 、 長谷川
筒、木津義雄、鈴木又吉 、 服部敏
夫、杉田末吉、佐々木三知夫、成
田武雄、 浅田喜三郎、中 島 賢 、
山内馨児、金子康雄、坂田健次
郎、山口重敏、渋谷孝磨、 藤尾木
好、小 川 洋 、榎本太郎、 安達嘉
つ
典、安嶋宣中山、堤 敏 郎 、 安 藤
正、荒川紋喜、長尾英典、 官同北義
雄、花 田 実 、高田秀男、 長岡寛
伯、成川隆明、饗庭格太郎、梅田
曜
荒巻広政、 荒 谷 龍 、青 戸 陽 て
井合関三 、 五十嵐庭治、 五十嵐嘉
秋、石井次 三、 井 上 真 、 大 塚 立
美、小掠善男、加藤久二 、片 山 清
て 河 村 弘 、 菅 野 修 、 九津見
盤、黒 崎 博 、小林与兵衛、 斎 藤
静三、佐竹健造、佐和和美、椎貝
敏郎、杉江玄照、鈴木重五郎、 春
、高木健吉、 高
原定栄、 清藤 一身士口
原寛五 、獄崎玄生、館山文次郎、
徳永寅蔵、中村恒吉、 花 岡 十 之
亙、松 本 績 、 堀 内 清 、 堀江鮭
て 正 岡 健 夫 、 宮 下 一 郎 、 矢崎正
方、山川卯平、山口正人 、山口 玄
洋、 横矢重包、吉沢八郎、 若 葉
清、渡辺日目夫
実行委員
永凶令歳、中久喜八十 、 天 野 博
徳、五十嵐 発昭、大 橋 忠 、後 藤
芳郎、 小林一郎、高 木 昂 、高 橋
重 雄 、 宝 田 忠、 田 辺 明 、 福 岡
明 、 松 宮 誠 て 山 崎 数 男、 山 本為
之、渡辺冨土土大
O本部
幹事長
松宮誠一
副幹事長
山本為之、山崎数男、
渡辺冨土夫
日
一一月講演会盛会裡におわる
二 月 十 九 日 ( 日 曜 ) 午 後 一 時 よ り 母 校 第 一 教 室 に お い て 、 熱心な会員が
多数参集し、昨年四ケバにわたる欧米視察の旅をおえて旧勝二十八日元気
に 帰 国 さ れ た 和 養、 渡 辺 両 教 授 お よ び 診 療 上 の ト ラ ブ ル か ら 裁 判 沙 汰 に な
っ た 場 合 の お 話 し を 立 正 大 学 教 媛、 信 州 大 学 医 学 部 講 師 の 穴 旧 秀 男 先 生 に
O特別講演
歯科における診療
過誤とその対策
穴田秀男氏
大正大学教授
信州大学講師
日本における医事紛争の実態は 、
その社会的な影仰の大きいことから
二十七件ありそのうち十七件は医師
厚生約では明らかな数字を発表して
いないが 、 判 例 な ど か ら 調 査 す る と
側の敗訴となっている。さらにその
弘教授
出山介における補綴学の教育の実体
らの紛争の根拠となる法律について
は約百三十件ほどある。そしてこれ
ている。また現在争われているもの
七件あり十五件は有罪の判決をうけ
攻合採得の方法ならびに如辺動の理
O
うちで刑事責任を問われたものは十
,﹄
t
今
論についてその実態を明らかにされ
鵜養
O 欧 米の ﹁補 綴 ﹂
を中心として
それぞれ専門的立場からお話しをうかがいました。
O わ た し の み た 欧 米の
﹁充 填﹂ あれこれ
渡辺富士夫教授
欧米におけるアマルカム 、 シリケ
l トセメント 、 レ ジ ン の 充 填 に 対 す
る 考 え 方 な ら び に イ ン レ l充 填 の 窟
洞 の 形 態、 お よ び 令 箔 充 娠 の 実 態 な
どについて興味深いお話しがあっ
た
。
事例を上げながら平易に解説され
た。最後に 、 こ の よ う な 紛 争 と し て
表面化されるのは 、 数 と し ては 十 分
の一ぐらいで 、 大 部 分 は 表 面 化 し な
ι
い で 医 師 と 魚 咽の間で解決されてお
り、 さらに問題となる事故の 十倍 く
らいの数の診療上の事故が起ってい
る と 推 測 さ れ る 。 し か し そ れ らの 事
ったりするのはその先生の日常の 診
故 が 問 題 と な り 紛糾 し た り 、 しなか
療 態度 に か か っ て い る と い う 点 を よ
く考 え て い た だ き た い と 講 演 を 終 ら
。
れた
なお穴田先生には次のような 著 書
がありますのでと参考にして下さ
﹁医 師 と患者の法律﹂
﹁医事紛争 と 臨 床 の法律 ﹂
﹁医 師,のための法律﹂
(
両先生の 講 演 の内 容 は次 号 に 原
のでご期待 下さい 。 )
稿を い た だ く こ と に な っ て お り ま す
。逝
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員
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豆、三、一 定 品 川
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、福 を 心 よ
謹んで右の方々の御冥
川字垣錦三
山
医 早 川 七郎
5野 間 伊 予
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医 日 比 野 実太 郎 豆、ュ、主
推安藤博品
、
対 藤 田 知 道 豆 、 ニ ニO 石 川
、=、ェ一一一千葉
推鬼塚工豆
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6三 代 一 雄 豆
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二 、
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5鈴 木 勇 四 郎 豆 、ニ ゴ一北多摩
3牧 野 市 郎 豆
推富田保助
推飯尾信一郎豆、一、完京都
佐藤在豆
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一六 宮 崎
上村午呈、一、
、一
、
完杉並
推 稲 見 三 好 四 一 、三、一九岡 山
推保坂直四一 、 、
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、
が喜多見賢治一ユ九二一 一O 目 黒
俣宮内広雄一元、田中野
会
り お 祈 りいたします。
事
四
間
mn
合同協議会
編集部座談会
信
日 歯 役 員 ・代 議 員 懇 談 会
定例役員会
ω
日 曜 セ ミ ナ ー ( 参加 者
都支部長懇談会
名
﹀
山崎理事
京北会田丸会長
芝支部総会田丸会長
墨田区支部総会田丸会長
六街科大学連合同窓会
田 丸 会 長 ・五 十 風 理 事 ・
福岡理事
実
芳夫
M浅井義孝衆議院議員に当選
長 に 選任 された。
鹿 島 俊 雄参 議 院 議 員 ・商 工 常 任 委 員
AV
会員の動静
千 代 田区支部
足 立区支部
評議員委任
︿V
1月 日
刊
1月日
初日
2月 9日
2月
1月 間
ω日 神 奈 川 県 支 部 新 年 宴 会
五 十 風 理 事 ・松 宮 理 事 ・
︿V
役員出張
3月 初 日 会 報 編 集 委 員 会
会
章者顕彰祝賀会実行委員
3月 お 円 医 政 部 第 二 部 会
3月 お 日 母 校 卒 業 式
3月 日 東 歯 同 窓 叙 勲 者 お よ び 受
3月 4日
3月 凶 日
3月 げ 日
3月 凶 日
3月 凶 日
2月日H 定 例 役 員 会
2月 剖 円 医 政 部 第 二 部 会 都 支 部 長
内
臨時役員会
短
行
本
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L 円刀η
H
︿V
部
堀花
江田
去
を開催し 、 その席上で同窓会員章を
贈呈していたが 、今年から卒業式の
十三名
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後で記念品および同窓会此章を贈呈
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生 百
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壁:圃圃・・I!II
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第 七十二回
卒業式挙行さ
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新卒業
新会;
卒よ:
業 りj
千
~.圃圃圃圃圃圃.iJ !代℃窓畔卒 i
満前必を苦
念
東京歯科大 学第七十二 回卒業証書
授与式は 、 三月二十五 U (土﹀午後
一時三十分よりの校ホ lルで挙行さ
れた。
長尾学生部長の司会により、国歌
斎唱、 つづいて北村学監より学事報
告が行なわれた 。現在本学に在籍す
る学生は九百十九名で今回の卒業生
はこのうちの行四十三名であった。
高山歯科学院設山以来ω卒業生は八
窓:
同窓会では例年新卒業生の歓迎会
}
に
て
:
一
.
首
巳
業
生述
べ石
河情
あに
涙書
を十
三わ
れ人
にな
つ
にごか学日卒会 1
) 後会とー
終 れ 歌 代 ら 理 ふ し 授 目 、杉 7
こ
。 や え 六 、業 が
、が 父 教 ひ 了 l
江│介N.れ事るた与に 1
寺山
かりイド父仲間 1
1
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rij-兄室主し u
寺l
明 ω た 長 る 。し 他 l
こ学
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. と で っ た 盛 が 答 。 、学 っ た 界 、長
に 、1f1兄:宍保証王後 t
歓終を共
さ で 六 わ IJ) 全 づ 。 大 行 計 在 団 長 づ 時 し 卒 よ
談 始 ふ 々 教 れ 訟t
n
'
i
'れ 懇 教 主 裡 な 、学 : 丸 の い に た 業 り
しなり在職、恩ょに談授第
にわ校生同告ては福式証
つ
同:
今 年 度 卒 業 による
新 入会
Eコ
︿1
年度本会に入会 される新会員は
次の各氏でゐる 。
安達登(東京﹀赤穂英生(東京)
荒木覚(広島)荒川明(東京)浅野
宏(宮城)有明一(秋田)榎本洋 史
(千葉﹀福島町 樹(青森 )海老原典
子(東京﹀羽田野金衛(愛知)羽生
晴好(東京)藤原浩二(滋賀)市原
定宜(香川﹀萩野利昭(岐阜)一指山
駿(神奈川)飯野和男(鹿児島)
員
m
m
ご一月一一十七日(月)には衛生士学
校の卒業式が行なわれ 、関根校長の
告訴など刑のととくとり行なわれ、
式後赤坂プリンスホテルにおいて謝
恩会が開催されたっ新卒業生は四十
三名で次の人々の各 地に おられる。
衛生士学校卒業式
大 曽 根 洋 ( 東 京 ) 宗 本 匡由(兵庫)
大沢武雄(東京)坂下邦夫(福井)
百四十三名
興津潤(東京)佐古級胤(広島)
大石孝弘(東京)佐藤潔(愛媛)
星野敬(新潟)橋口哲郎(鹿児島)
傾川悦子(長野)大 川 進(東京)
今村幸男(香 川)市 川隆一(静岡)
関谷和夫(滋賀)大野誠(群馬)
林 朔(広島)石田五十男(山形)
白須賀直樹(東京)柴旧功(静附﹀
飯島和彦(長野)伊藤英紀(愛知)
佐牟旧和印刷(東京)曽我宏世(滋賀﹀
池田恒彦(東京 )市 川泰右(長野)
伝的部宏(福附)関根英臣(群馬)
後藤建機(宮崎)伊必康裕(東京)
杉村俊之(北海道)高橋利武(埼玉﹀
飯島龍司(埼玉)笠間啓(東京)
曽我部勉(高知)高橋潤一郎(広島﹀
合回功(北海道)稲森幾多郎(三重)
高嶺博子(沖縦)問中一貫(愛知﹀
川田守徳 (高知)加藤強(愛知)伊
田辺晴庶(東京)鈴木則雄(福島﹀
丹景子(東京)河谷佐代子(山口)
田代俊三(佐賀)矢川柳明(京東﹀
勝海昭(新潟)後藤忠正(福島﹀菊
長野)
高木久美子(笈知)児野草川穂 (
地雄一郎(静岡)川野俊郎(長附)
山山由 美(長野)凹 中文彦(烏取﹀
首村泰永(群馬)小松柑一(山梨)
矢内儒策(群馬) 山中喜男(和歌 山﹀
桐原俊一治(山梨)上村延幸(福島)
旧能村賞久(東京)山川雑義(東京﹀
黒田百樹(東京)古賀克隆(東京)
谷山部賢一(茨城)薬川寺仁(神
川村康中(広島﹀中島史和(東京)
奈川)横村順子(埼玉)吉井修
黒田昌彦(徳島)菊地誠(栃木)中
(東京)山口秀晴(東京)柚木邦夫
川勝洋(神奈川﹀永井教之(新潟﹀
(富山)氏原健一(長野)矢崎秀昭
鬼題政勝(愛知)南波宏行(北海道)
(東京)梅原征四郎(岩手﹀上平一
中川正晴(山形)径 祥一(山梨)
晴(埼玉)増田進致(神奈川)羽賀
増田川出司(埼玉)野上宏一(東京﹀
玲子(静岡)梅村和弘(愛知)大塚
黒 須 誠 ハ 埼 玉 ) 西 川士口博(北海道﹀
倫昭︿埼玉﹀和栗秀瓜(附山)高垣
野村昭子(広島)、氷田義昭(熊本)
順占(広島)熊谷原列(東京) 山本
牧野伯一(山形)間瀬千賀子(島
裕祥(岡 山) 森 下 洋 ( 栃 木 ) 山凶
根)中村秀勝(福島)盛 陽 一 郎
進(静岡)
以上百四十三名
(愛知)松川清三(北海道)西堀
修(岐阜)松井康子(東京)神庭武
久(島根)森輝夫(茨城)松本信
彦(東京)宮 川 淳(長野)真木好
行 (山形 )宮地建夫(東京)守田誠
一(神奈川)松井一成(岡山)堀部
昭美(愛知)村居正雄(東京﹀松本
功(群馬)村田滋美(三重﹀小貫
克(東京﹀道脇孝二(千葉)及 川
澄江(東京)大岡紀一郎(東京)
水 上 佳 彦 (山梨﹀小野武文(東京)
みた。
衛生士学校の卒業者
浅野慈子(東京﹀安重節子(千葉)
五十嵐保代(神奈川)井上智子(東
京 ) 井 ノ 口 美 恵 子 (神奈川)伊藤美
保子(神奈川﹀上平登母美(埼玉﹀
大越邦子(茨城﹀岡本いつ子(東京)
沖 節 子 ( 愛 媛 ) 賀 来 繁 子 (山形)
梶井淑子(北海道) 神谷佐智子(東
京) 北 千 鶴 子 (
熊本)北野雅子(東
京 ) 木 原 則 子 (山形) 久 津 間 雅 子
(
山形)栗原恒子(栃木) 小池和 子
(神奈川﹀小泉 一枝(叉京)坂口和
代(三重)佐々木深(宮崎)高野優
子(東京﹀高田きみえ(宮城)高橋
順子(神奈川)高橋紀子(埼 玉)高
橋 道 子 (山形﹀田中深零(東京﹀蔦
林和子(東京)螺良順子(栃木)手
二郎
塚京子(東京)橋本富貴子(東京)
東
馬場富 士子 (長野﹀原 口千鶴子 (
京)樋口 千寿番(鳥取)平原万友美
(神奈川)藤間桂子(茨城)星名敏
子 (千葉)松尾ひろ子(宮城)松山
よしみ(東京)村上沓江(東京)矢
沢芙美子(東京)依田弘子(東京)
血脇先生の思い出
愛知学院大学
案しているんだと問われて 、近藤の
奴に嫁を貰ってやるんですがどう考
えても費用が足りないんですと御返
事すると 、 どれ位あればよいのかと
のお聞に 、 ﹁あと三百円もあ ればや
れるんですが﹂とお答になると 血脇
先生は。﹁ぢゃオレが四百門 出 して
やるから余ったら貯金にして渡して
やれ﹂と仰しゃって翌日 出して下さ
ったそう です。
乙の血脇先生が 、ある時、私が事
務室に行った時、腰 か け て お ら れ
て、 おい 、 近藤君お茶を容れてくれ
給へ 、 と仰しやりながらと 自分の湯
呑みをお 出 しになり、お湯はこの湯
呑みに一杯だけわかすんだよ。余計
にわかすとガスを使うし 、他の人が
お茶を飲むとき出なくなるからな﹂
と仰しやられた先生と同じ人かと疑
った程にったが 、締まるべき時は徹
底的にしまり、 必要な時には惜しみ
なく使わ れる先 生の御気性に思い 到
るといまだに頭の下がるのを禁じ得
ない。
かような御気風はその後数限りな
く遭遇して見てそぞろに先生の御人
格、御人徳に崇敬を犠げている。
一
史料室いよいよ発足
かね て本 学理事会は 、光輝 ある本
学の史料を蒐集し 、 乙れを、氷く後世
に伝えるべく史料編纂委員会を組織
しその蒐集に努力してきたが、過般
の同窓会 七十 周念記年事業の一環と
して 、 本学史料設備資金の寄贈を受
け、 乙れを基金として今回いよいよ
史料室を開設する運びとなった 。
最近、 東大をはじめ慶大その他歴
この理事会その 他 の意向を受け過
般来学内 に関根教授を委員長とし 、
史料室運営委員会を設置し 、史料 の
収容設備、今後の運営方針などを協
議、その後、現在大学の学内にあっ
た史料 の一部などを移管、また史料
室分類規程など定めて現在着々と整
理中である。
史料室の場所
新館二階図書館の隣り
顧問杉山不二学長
福島秀策常務理事
委員長関根永滋(口佐治療学)教授
副 グ 三 崎 鈴 郎 ( 放 射 線 )hH
事
。人
東京歯科大学病院長任期満了退任
(
一
一
一 ・一
一
一
一
)
大井清教授
四 ・一)
東京歯科大学病院長新任 (
関根永滋教授
教授昇任
(
二 ・一四)
市病外科加藤繁次助教授
(外科学講座主任、外科部長)
会
一 ・一)
講師新任
市川病院墨田口問博
五十年に亘る水道橋生活の中に血
脇先生に関する思い出は深 山の泉の
ように 、 汲めども汲めども尽くる所
を知らない程湧き出してくる。
大正八年、当時検定試験の実地試
験を受けるには丸坊主では絶対に合
格しないといわれて六月頃から一生
懸命手入れしてようやく髪の毛を伸
ばし 、 ポマードをとってりつけて七
一一一に分け 、九月 の試験にやっとこさ
で合格させて貰った。その年の十
片、宴会 の席で 乙
ω絡こうで血脇先
生の前 K呼ばれ 、歌を歌わされた後
で、 ﹁お前みたいな奴がいくら頭を
崎ばしてしゃれて見ても女が惚れや
し伝いから切ってしまえ﹂と仰せら
れた 。次の日床ゃに行ってキレイき
っぱり 切り落してしまった。爾来四
十七年いまだに丸坊主 、 いが栗で過
してきでしまった。
大正十三年私が結婚するにあたっ
て、煤酌人だった故遠藤先生が 、ど
う算段しても代用が足りなくて深夜
算盤を前にして一践をひねっておられ
る所へ 、 血 脇 先 生 が お い で に な り
(当時遠藤先生は血脇先生の 棟続き
の離れ 、現在市 川運動場の入 口にあ
る建物 K住まっておられた) 何を思
藤
よ
史ある大学においてそれぞれ大学の
発展を物語 る史料室の整備がようや
く活溌になってきた 。本学において
も常務理事会、学務審議会等にて今
後乙れを 充実し、もって栄誉ある本
学の歴 史と 伝統とを十分後進者の教
育に役立し めると云うことに決定を
同グ竹内光春(口腔衛生)。
総務室長
石川達 也 ( 保 存 学 ﹀ グ
委員町田幸雄(小児歯科)。
整理管理として
山崎潤之介(司書)図書館員
全員担当
真、記録 、古い校友会誌、また輝か
しい母校七十七年の歩みを物語る貴
重な史料等がとぎいましたなれば御
寄贈またはと貸与下されば孝甚と存
じます。と都合によりそれらの記念
等は目録のみにでも結構でありま
す
。 ζの際お知らせ頂けば大学の史
料と して加えきして頂きたくと存じ
ます。これらの史料に関する御連絡
は史料室運営委員長関板永滋教授宛
にお願い申し上げます。
。 大学の史料蒐集についてお願い
昭和四十五年は栄ゐる母校八十州
年に相当いたします。それまでに母
校の発展巻物語ふ史料を完全なもの
いたしたくと現在大学にては史料の
収集に努めております。乙の件につ
きましては 、 さきに会報一 O 四号
(昭和四十年五月一日)にて田丸会
長より同窓へ懇願いたしたところで
ありますが 、若し御手元に高山歯学
院、東京歯科医学専門学校等の古い
写真、 あるいは記念 品 ま た 血 脇 先
生、奥村、 花沢、遠藤など諸先生の写
近
校
明治四十一年血脇先生と当時の
標本室(寄贈専問学校第一回卒
業アルバムより)
一
母
⋮
、
て
石田英
二⋮
また私の体験談を話せとおっしゃるのですか 。 お話しても良いのですが 、今日のは陽気な
のではなく 、 余 り気 持ちの良い話じゃないんですよ 。 私はネ 、 幼 いときから 、妙に人の死に
目う乙とが多く 、数えきれないくらいで 、 それも、異常な死ゃ 、悲嘆乙の上ないというのば
か り 。 ぇ ? 今 で は 慣 れ っ こ に な っ て 、 何とも感じないんぢゃないか つて引 そんなこたあ
ないですよ。これでも人一倍血の気が多く 、涙脆く 、 映画や劇でさえ涙を乙ぽすくらいです
からね。見損わないで下さいよ。それでは 、 そのうちの二つの事件を
ゐれは 、僕の学生時代、三年生の初夏の頃でした。うす暗く て
、 なま暖かい朝の九時過ぎ
僕は寝過ごして授業に遅刻していまい 、 気もそぞろに水道橋駅のプラ ット ・フォームに下り
立ったのですが 、 御承 知 のように 、 あそこら学校の屋上が歩きながらでも見えるんです。 ふ
と、 屋上に黒い人影が 動 いているのが 何 気なく自に 止まりました 。今とろ一たい 何 をしてい
るんだろう、 あんな所に一人きりで居るのは 、 おかしい ナと思いながら急ぎ足で裏の校門を
くぐったのです。人ッ子一 人居ない 静 けさです。授業中なんですから。通りも今と違って 、
行き交う人も車もまばらです。 靴脱ぎ場へ数歩というところで 、僕の目 の前にまつ黒い大き
なものが 、 スウ !といきなり降ってきたのです。とたんにバ サリッ ーという何ともいえない
無気味な音がしました 。僕が大 して 麓 きも しなかったのは 、 生れつきでしょうか 。 いや 、 危
い ζとばかりして 、 い つも、命知らず だ と母 にいわれ て いたくらいだったからでしょうか グ
目の前に黒い学生 販 を着 た男が横た わっ てい ます。僕が今す乙し歩い ているか 、 又は 、 乙の
男が遅く落ちてくるかすれば、頭にぶつかって僕はどうなった乙とでしょう・ ・。 間一髪と
はほんとうにこの ζとでしょうね。運がよかったのか 、 神 様の思召しか 、どうかわからない
のですが 、 まかりまちがうと、今 こ う し て
、 あなた の前には居なかったかも知れません 。叫
箆 に僕 は、下宿のおばさんが 大 ぶ前から易や 手相に凝っ て いて
、 いつか 僕 に﹁ 大 きなものの
そばとか上かから落ちてきそうなところには居ないこと 、 注意しないと命にかかわるよ﹂と
云ったことを思い出し て いました 。 危いと乙ろでした 。 おばさんの云った乙とが本当になり
そうだつ たから です。
学生服の男はヒクヒク動いていました 。 コンクリートの通路に顔面制動のかたちに頭から
落ちたのですよ。顔がひどくゆがみ 、 目が白く釣り上ったままで 、大小の品闘があちこちに
五、 六本散らばり、 そして口から 血を噴き出しました 。め たりはみるみるうちに血の海にな
りました。僕はすぐさま彼の頭を左腕に抱えながら、右手で脈をとりました 。微弱というよ
り、 ほとんど感じられぬくらいでした 。彼の魂は 、今やもう此の世から離れ去って行こうと
しています。僕が何をしようとしても、もはや彼の命をとりとめるには何の役にも立たない
のです。散らばった血だらけ の歯をかき集めるだけでした。歯科医 の卵だから気味怒くない
だ ろ う と お っ し ゃ る ん で す か っ そ う で す ね ││ 。解剖はやったし 、 いつも触れている歯で
すが 、 乙の場合余 りいい気 持は勿論しませんでしたよ 。 学生般の二人がうづくまって、しか
もどす黒い血があた りを染め ているんですから 、通行の人に異様に見えたのでしょう。門の
口 々に何か云いながら::。僕は大声で、小使いさん の名を叫びました。何度も呼ぶと 、
わきへ集ってきました 。
やっと聴えたらしくあわててやってきました 。 そして一目見るなり跨怖に青ざめて﹁石田さ
ん、 ζりや大変だっ HH﹂
た。 僕は 、 門を締めるように云
H と云ったきりウロウロするにけで し
って 、 又脈をみましたが 、 学生の顔からは血の気が去って、とうとう ζと切れました。僕は
口の中で念払を唱えなが ら、頭をお ろし 、く の字形になった身体を直ぐになおし、 合掌する
しかありませんでした 。授業に遅れているんですから、いつまでもそこに居る訳には参りま
せん 。 アトは小使いさんに委かせて教室へ入りました 。
その日は落ちつかないままに過ぎて行きました 。落ちてき た男は 、名も知らぬ一年下級の
学生でしたが、どんな事情で前途ある身の 、 尊 い 生 命 を 自 ら 断 っ て し ま っ た の だ ろ う と 気 に
なって仕方がゐりませんでした。この事件は 、 その日の夕刊に出ましてネ﹁日本歯科医専﹂
の学生 、学校の屋上から投身、原因は失恋か / とあったのです。 学校名が乙の事実と違う
ので 、 日本歯科医専から新聞社と僕の学校へ苦情がもち ζまれたそうですよ。これは 、 あと
で 聞 い た 話 で す が : :。 下宿のおばさんは﹁私の云ったことが当らなくて良かった 。 でもこ
れからもあること 、 よく気を附けなさいよ﹂と云ってくれましたが 、 この場合気のつけよう
がないなどと理屈をいっても始らないので 、 僕は背くだけでした 。 その後、 学校のコンクリ
ート通路のこの時の血は 、洗っても、雨が度々降っても、永く黒ずんだままで 、 跡が消えな
かったのです。僕は乙乙を通る度に 、 血というものに何か神秘的与ものを感ぜずに居れず、
逝 った学生氏の冥福を祈る のでした:: 。
・
・
今一つの事件ですが
この事があってか ら、 私は一年の後卒業して帰省、兵庫県立病院の歯科へ勤務していまし
た。 真夏の暑い昼前でした 。広い技工室の中で 、 十人ばかり の若 い先生たらと懸命に技工を
やっていたのです。 風がはいるとガス 、 バーナーの焔がゆらぐので、まわりのすり硝子の窓
は半開きになっていて 、外はまる っきり見えませんが 、静かで明るい日差は気分を落ちつか
せ、能率があがるのでした 。私は 、 窓ぎわから反対のす乙し離れた机にいて、うつむいてし
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.仕事が遠い/
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京都市伏 見区東浜南町 6
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きりに手を動かしていたのです。
すると突然、窓の 向うを縦にすう!と何かが動いた気配が感じられ 、 とバサリッ!と鈍い
たたきつけたような音がしました。私はとたんに 、大きな声で﹁人が落ちた﹂とどなったの
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U. S. ~ PA~
です。丁度さきほどお話したのと同じ感じの音でしたから:::。室内の人達は 、 何 を云うか
というような顔で私の方を見るばかりでした。そばに居た看護婦の一人は﹁石田先生おどか
さないで・・﹂インタ ー ソの一人は 、 ﹁先生いい加減な ζとをいわないで下さいよ﹂。と云
います。﹁ウソなんかいうもんか 、早く窓を開けなきい。早く /﹂と私です。
看護婦は窓を全聞にしました。
﹁ ア ッ ほ ん と だ / 人 が 倒れ ているワ / 大 変 ﹂顔色を変えて叫びました 。私は 、 いきな
り窓から身を躍らせて 、 地下室への明り取りになっているコンクリートの壁の空聞を飛び越
えて 、 外へ出ました。すぐさま 、広場のコンクリートに延びている白かすりの寝巻姿の若い
男の頭を抱え 、眠肌州問をみました 。消えんばかりです。前述の学生時代のととが 、私の頭の中
をかすめました 。彼の顔は苦痛の表情はぜんぜんゐりませんでしたが 、限はやはり、 白眼に
なり、 黒い臆は上を向いたままです。 四階の窓から飛んで、途中の庇に撃突してから、 もん
どり打って足から地についたのでしょう。 両方のくるぶしは無惨に砕けていました 。 血は一
滴も出ないのに 、 これが反って凄惨でした。
私は窓ぎわからのぞいている若い先生方に向 って﹁誰か抱えてくれ﹂と大声をあげました
が、 誰一人来ません 。 みな顔をそむけているばかりです。 一刻も早く 外科の外来手術室へ運
ぶつもりなのですが:::。 やっと看護婦の一人が駆けてきました 。 二人では軽すぎるくらい
痩せた病人です。運び込んで手術ム口の上へ横たえました 。
私達はこの時も何のすることもなく 、 又しても無駄でした 。 間もなく 、声もなく私の腕 の
中で静かに息を引き取りました 。 その時、 附添らしい一人の女性が息せきって駆け込んでき
ました 。 ﹁便所へ行ったとばかり思っていたのに 、 こ ん な 姿 に な っ て ; ﹂ と 涙 声 で 、 あと
は言葉になりません 。私は時聞を見て御臨終ですと云って頭をさげるだけでした 。
乙の人は結核で一年余も入院していての厭世自殺だったのです。 乙れで私は 、 二度も飛び
下り自殺に間接ながら関係した訳です。 二度目の直感めいたものは 、 体験からきた第六感の
ひらめきとでも云えましょうか 引 あれからもう三十四年にもなります。 ﹁死﹂というもの
を考えると今でも、 あの二つの情況が 、殊に血まみれの歯と 、 砕けた足とが 、 そして二人の
苦痛の表情のない顔つきが自に浮ふのですが 、 そのたびに 、 二人の冥福を祈らずに居れませ
ん・:・:。(原文のまま﹀
(筆者は、昭和七年卒。 宝塚市仁 川 に在住)
。岡筆、 短歌、地方の変った行事の紹介、診察上の経験ゃ 、 アイデア、その他、 なんでも結
構で す 。 ド シ ド シ 御 投 稿 下 さ い 。 ( 編 集 部 )
回
続・法歯学 F
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国際法医学会
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言って胸を張ったところ 。
私 に 招 待 状 を 下 さっ た り円・同町
・
﹁ノlノl﹂という会場のめらら
は、 第 四 回 国 際 法 医 学
事 件 が、 大 見出 しで
ューヨークタイムス
機上の人となる。 ニ
我夢中で彼らと固い撮手をかわし、
者 を 紹 介 し て く れ た 。 私は 、 も う 無
先に到着していたチェコスロバキア
の り円・虫色白 は じ め 多 く の 同 好 の 学
の手をちぎれんばかりに握りしめ、
歯学委員会の セ ク レ タ リ ー で も あ
る。 満 面 に 微 笑 を た た え た 彼 は 、 私
会 の 準 備 委 員 で ゐ り、F ・
D ・- の法
程親切にして下さった 。
んばかりに 、 各国学者たちが有難い
本から私一人だけが参加したた め
が、 地 球 の 片 岡 か ら よ く 来 た と い わ
した 。 も っ と も、 乙の学会には 、 日
謝 し た 。 少 し く ら い 英 語 の発音が 劣
い て く れ た こ と を 確 め て 、 心から感
凹
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報じられていた。英
すぐに仲よしになってしまった 。前
オスロ ーか ら 再 び
国 で は 、 警官を過っ
夜祭には 、 ス ト ッ ク ホ ル ム の 会 議 に
の警官が射殺された
私は 、 こ の 反 応 に よ っ て 、 講 演 を 聞
っても、 誠 意 は 通 じ る も の だ と 痛 感
見 知 り だ っ た た め か 、 とくに楽しい
トライブで見学した。インターポー
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ζち ら の 芦 と 共 に 、 爆 笑 が 湧 い た 。
て殺しても死 刑ドいと
い う か ら、 こ れ は 大
出 席 し た 法 医 学 者 が 多 く 、 すでに顔
には 、 ロンドンのブ
レ"フロ ック 街 で 三 人
へ ん な 騒 ぎ で のろ
学会期間中に暇をみて 、 歯科大学
ゃ、 フ レ デ リ ッ ク 城 を は じ め 各 地 を
う。だんだん法医の
一時だった。
しの車で 、 ア ン デ ル セ ン の 人 魚 像 は
じめ市内各地を見学することができ
た。 そ の 夜 か ら 、 ホ テ ル の 受 付 に い
る美男美女(学生さんだそうだ)は 、
﹁クレイト ・プ ロ フ ェ ッ サ 1 ・スズ
った。ロ 1 7の ベ ネ ッ ト 通 り を 歩 い
をいったときは 、 さすがに恥かしか
て い た ら、 ど ぎ つ い 化 粧 を し た 女 性
やかれておどろき。設かが日本語を
から﹁コンバンワ﹂と日本語でささ
大きな
優ジョン ・ウ ェ イ ン に 会 っ た 。
教 え た の で あ ろ う。 世界は狭い。
ベニスの空港では 、 私 の 好 き な 俳
先 生 の 御 指 示 に 従 っ て 、 無理しでも
ロンドン大学やハイドパ l pのロ
素晴しいそしてたくましい男性だ。
キ ﹂ と 呼 ぶ よ う に な り、 笑い方も一
段 と 美 し く な っ た 。 や っ ぱ り、 古 畑
学会に出席して良かったと思った。
出発前に古畑種基先生のアトパイ
F B Iの力
ニューヨークに入った 。
イブなど楽しい思い出を作りながら
ケーショ ン風 景、 グラスゴ 1 のドラ
学 会 も 終 り、 愈々コベ γ ハlゲン
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を去ろうとする前夜、 H
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司立巾円印巾 ロ (
F D I会 長 ) か ら 電 話
が あ り、 明 朝 八 時 半 に ホ テ ル へ 行 く
と の 事。 有名 教 授 の お 越 し と あ っ て
胸はワクワク 。 時 間 カ ッ キ リ に 教 授
ドイツを振り出しに観光旅行とし
ゃれ 込 ん だ 。ベ ル リ ン の 夜 は 楽 し
ヨーロ ッパ あ ち ら こ ぢ ら
恐ろしくこわそうな大男から言われ
て、 思わず﹁オ l ・イ エス ・サl﹂
係官の荷物検査が始まった。
﹂
﹁オープン ・ユオ l ・パグゲ ージ
た。 入 国 が う る さ い と 見 え て 、 税 関
とを忘れて 、 ケ ネ デ ィ 空 港 に 入 っ
スで 、F D I (連 邦 捜 査 局 ) の フ │
パ l長 官 か ら 招 待 状 を 貰 っ た の で 、
そ の コピーを持参していた 。 しかも
ると 、 夫 人 か ら 、 毎 朝 乙 乙 で ルフ
コ
,
を や っ て か ら 出 勤 す る のだと聞かさ
く、 外人観光客に混ってテレホンパ
l へ行ったり、 ビ ー ル を 飲 み 合 っ た
け た 途 端、 コ ピ ー を 見 付 け た 係 官、
﹁
オ l ・ユl アl ・フlパ lゲス
何となく気味が悪い。トランクを開
別に惑い物はない筈だがと思ったが
と踊っている。 音楽 が 変 る と 、 彼 女
ムlドでヌ lド ダ ン サ ー が く ね く ね
騒 々 し い 音 楽 に 合 わ せ て 、 ゐやしい
ビートルズまがいの四人が演奏する
りして最後に 、 薄暗いムンムンした
ナ イ ト ク ラ ブ に 入 っ た 。 そこでは、
が来られ、ホテルの食堂で歓談した
後 、 彼は私のために各国学者への紹
それをトランクの一醤上にはいたこ
七 ヶ国 か ら 集 っ た 約 六 百 名 の 学 者 を
一堂に会して 、 開 会 式、 招待講演さ
れ、 ビックリギョ l テン 、 私 た ち と
翌、 八 月 十 五 日 か ら は 、 世 界 三 十
ルの鵬首官を混じえて 、 私 た ら 約 二十
人 が り円・同mF
師免 ・
宅に招待
介 状 を 書 い て 下 さ っ た 。 私は 、 これ
ィ の 連 続 と い う 盛 沢 山 の行事 が 繰 り
の隔だたりに今更ながらガッカリ。
ロロ (米)、ロ﹃・ ω釦
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法 歯 学 関 係 で は 司円。同・。5g 片的 ・
夫人間伴の学者も多いので楽し
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事 も な げ に 答 え る と 、 ﹁エクスキュ
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お よ び 私 で ゐ っ た が 、 一般の法医学
め の 空 港 銀 行 出 張 所 ま で 、 彼自身が
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ブリ付きにすわらせられた私は 、 い
さ さ か 酔 っ て い た が 、 隣のイタリヤ
門
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巾 の隣にゐる
人 の 釣 り が 下 手 な の を 見 て お れ ず、
私 の ト ラ ン ク を 持 っ て 案内 してくれ
た。 古 畑 先 生 に 改 め て 感 謝 し た 一 幕
らに検査は中 止 され 、 紙幣交換のた
と き の 情 な い 顔 は 印 象深かった。
反応なしで 、 ホテルに一緒に帰った
私 が 代 行 し た 。 結 果 は 大 成 功、 他の
の下着を竿で釣る競技が始った。カ
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私 は 、間四円四ロ同出回 目円
。ミ 0同 m
巴円。品。ロg
oEニロ ﹄喜 一自 の題目
で、 ト ッ プ に 講 演 を 行 い 、 殺 人 事 件
学 会 中、 私 の 記 事 がB-Tと い う
︿母校法歯学研究室主任助教授)
であった。同窓の方々に深謝して筆
新聞一面を占めて報道されたので 、
の 姿 は 道 化 じ み て お り、 美 女 に 会 う
は開放されてホテル
例ゃ 、 日本の ζ の 方 面 に わ た る 一 般
者も会場に集って講演に傾聴した。
として提供される)
開問
goロケ22 0一の一
的 状 勢 に つ い て 報 告 し た 。 途 中、 私
を 止 めたいと思います。
コ
﹁グラツアス﹂ :::等 々 と 私 に お 礼
お 客 は 口 笛 を な ら し 、 大喜びで
﹁サ ンキュl﹂﹁、タンケシェン﹂
学生寮(夏期休暇中
室に荷物を下ろす間
デンマ ー ク 在 日 本 大 使 館 で 招 待 さ れ
た。 お 蔭 で お 伴 つ き の 大 使 館 差 し 廻
た び に 、 首 を す く め 、 口笛を吹く 。
も な く 、 会場のデン
自 身 の 姿 が ス ラ イ ド 上 に 出 たので 、
﹁ ヒ l イ ス ヤ ン 、 ク エスト ﹂
つ
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マー ク工科大学へ案
)
内された 。
〉
男
和
木
鈴
支部のう ごき
V台 湾 在 住 の 同 窓 よ り
中華民国台湾省には現在、
四八名の同窓がおります。乙
ちらでは目下凶体管理の関係
で、東歯同窓会台湾支部を作
る乙とはできません。
そこで 、台湾の中 心にあた
る、 台中市におられる張深鍛
先生を中心として、それに私
達が加わって親睦会を聞き 、
すでに今年で六回を数えました 。私
、 二日を乙
達は毎年新暦の一 月 一日
れに 当てています。一 九六二年台中
市、六二年陽 明山(北技)。六四年日
月何。六五年扉東 ・高雄。六六年苗
粟 ・新竹。 そして 本年(第六回 )は
嘉義に集まりました。もちろん家旅
同作です。嘉義に一泊し 、翌日は有
名な関子嶺出泉を巡って台南に出
て、解散しました 。乙の写真は 嘉義
近郊 の﹁呉鳳の廟﹂の 前で撤 った 記
念写真です。
一昨年は 大井、関根両教授が来台
され 、また本年一月には長尾教授が
みえました 。 その結果、台湾在住の
四八名 の同窓の胸には 、 母校思慕の
情が、ますます強くなりました 。
ヂヱァトで飛べば、東京 ・台北聞
は飽か 二時間位ですが 、 やはり台湾
は速く離れた島です。台湾在住の同
窓(逢士会)は 、 はるか彼方から母
校の発日肢を祈っております。同窓の
諸兄よ / 台 湾へ来ら れる機会があ
祐)
ったと 、どうか私達に連絡して下さ
い。払達は五日こんで皆さんをお迎え
します。 (一九六七 、 二、 二三呉仁
V近 畿 連 合 同 窓 会
日時昭和四十一年十一月て十一 日
一
一
場所大阪府泉州羽衣新東洋
正午各的県別受付開始、各支部長
先頭にて陸続支部会員会場に参集、
別宅にて支部長会議、午後一時過平
大阪附副支部長の司会にて総会開
催、校歌斉唱、物故会員並びに母校
講先生の霊に黙悼 、当番県村田義孝
大阪府支部長挨拶、田丸将土同 窓会
長、杉 山不 二学長 、渡辺自白夫日歯副
会長、山崎秀 治 大 阪 府 歯 科 医 師 会
長、大阪歯科大学々長代理中村正雄
教授の祝辞に続いて次期当番岩崎充
奈良県交部長の挨拶があり、本部よ
m
り五十嵐宛昭、 山崎数男両理事 の講
演があった 。
﹁日頃吾 々会員の渇望し ている同窓
会と 、母校 との一層深いつながり。
会員子弟の母校への進学に対する一
層の考慮を押しすすめら れたい ﹂と
の 藤 原 滋 賀 支 部 長 の 動 議 に よ り、
H と決議され 、円 滑裡に
﹁要望する と
総会は終了。 かくて料亭臼慢のジャ
ングル温泉につかり、一同サッパリ
とした気分にな って夕刻五 時半より
懇親会に入る 。遠隔の知己と久方ぶ
りの歓談、日々 に同窓の一一 の結束
を強調し 、 ま た 抽 銭 に 心 を は ず ま
せ、五妓の舞踊に 、会円以のかくし芸
やのど臼憶にと、秋の夜長に興尽き
る乙となく午後八時、名 残りを惜し
米年は又奈良で逢いませ
みつつ ﹁
う﹂と蛍 の光に送られて解散した 。
(来賓︺杉 山学長、 田丸同窓会長、
渡辺日掬副会長、五十嵐理事、山
附理事、山仙川秀治大阪府歯科医 師
会長、中村 正雄大阪歯科大学々長
代理、成問 郎会長、堤敏郎氏
一
(
出席者) 一
兵庫県十八 。京 都 府 五 。 滋賀県
四。奈良 県四 。和歌山県四 。大阪
府三四。 計 六 九 名 以 上
(
畠 山記)
V神 奈 川 県 支 部
一月二十八日 、神奈川支部は熱海
赤尾ホテルで 、 母 校 か ら 福 島 前 学
長、 松宮 、 松井、山本、 石川教授
と、東歯のシンボル近藤三郎先生を
お迎えして 、盛大 な会合を催した 。
、 ζれに日歯の 山崎
出席会員九十 名
常務、五十嵐元日歯専務の諸兄が好
意をもって参加され盛会を極めた 。
先づ保存の石川教慢が﹁充爆の生
物学的意義﹂と題して講演され 、 さ
すが新進気鋭の教授らしい学説に一
同感嘆。
幹事会は 小守理事司会で行わ れ、
役員紹介、事業、庶務報告があり、
幹事長には丸森氏が選出された。
続 い て 熱 田 副 会 長 司 会 で 、福島先
c
に も 伝 え 、向先生の 精 神 を 継承する
人 物 の 怒 川 せ ん 事 を 乞 い 願 って 州い
文を顧みず筆取った次第である
野問先生が若い理事者に対し正し
い指導と努力を惜しまなかった事は
特筆大書すべき事でゐった。鉄は熱
い中に 叩け、若 い 理 事 達 は 今 の 内 に
と云う先生の伯熱には
鍛え上げよ 。
兎角若い人を無視し勝ちな攻々には
将に一大響鐘でもめった ο
先 生 の 指 導 方 針 は 、 常に執行部の
μ
だ け で 事 足 れ と し て は な ら な い。業
v
問ル血用
ローマ法王に個人接見の栄
健 康 優 良 学 校、
訪欧に加って
Z
光
生の瑞宝章動三 等 受 章 の 祝 賀 会 に移
り、 福 島 先 生 に は 小 池 光 雄 会 長 よ
赤尾ホテルの大広間を埋めつくし
り 、 先 生 の 栄 誉 を 祝 し て 、山風のよう
な拍手の中で花瓶が贈られた 。
た懇親会は 、 旧 上 副 会 長 の 司 会、長
老榊以閉山士円氏の乾杯ではじまった。
い つ も の こ と な が ら 、 神奈川県同
窓会の懇親会は、会を重ねる毎に華
単 に 会 計 の 収 支 の 辻 穫 が 合 ってる 事
事業がやり易い様な財政措山とアド
H
監事は
務監査と併せて考祭すべきである
バイスを行って来られた。
ってゆく。
いつ果てるともない楽しい会も松
と主仮して米られた。他以はいざ知
やぎを増し 、 和やかな空気が濃くな
井 教 授 の 万 才 三 唱 と 、校歌の斉唱で
一応閉会になったも のの 、 各部屋で
ら ず、 木 県 に 於 て は 早 く か ら 全 国 魁
J
西ドイツ, スイス, イタリー,
は深更迄談笑で賑わっていた。
ス
けて 監 査 業 務 は 毎 刀 励 行 さ れ て 来
た。 厳 重 な 監 査 の上 に 立 っ て 執 行 し
たものは会運営の円滑さと会計の清
コ
学 校 と 同 窓 生、 同窓生と同窓生と
の鉾が間く結ぼれている姿に姥し 、
吾 が 支 部 が 全 国 の モ デ ル ケー スたる
小見明記)
八イスを卒直に受入れた処に会述包
潔さを珊潤した。執行部も監 恨 のアド
角を矯めて牛を殺す
M
執行部が其意慾を阻
H
の 妙味 が あ る 。
先生は常に
な υ と云う。
碍 さ れ 、 其機能が萎縮麻癖したとし
る
イギス , オラン夕、¥ ベル ギー
6日
6月 2
フランス,
程
、
│l
司
主
乙のたび大学当局のと厚立によ 一
り、 は か ら ず も朝 日 新聞 社 の 主 催
一す る 全 日 本 健 康 優 良 学 校 、 児 童 友
一
彰関係者訪欧同の団長として参加
一する乙とができた。
一 一行五名は一月 四日 夜羽田発。
“パ リ で 五 泊 、 ロ1 7で 三 泊。バチ
カン 宮でロ l マ法王に謁見、 ロl
マ児屯と の交飲、ロン コlニ小学
一校 訪 門 な ど 教 育 事 情 視 察 と と も
、
、に こど も 大 使 として の 親 善 旅 行
の成 果 を あ げ、 一月 十 四 日 夜 全 員
一元 気 で 帰 国 す る ζとができた。
一 法 玉 へ 謁 見 の 日 は 、 十 一 日 の日一
一
カ
一
一で、 バ チ カ ン 宮 の 奥 ふ か く 、 一
一一昨の受付を通って荘重な個人接見 一
室で 、 パ ウ ロ 六 位 に お 目 に か か 一
る 。 越 智神 父 が 中 に 立 ら、 私 か ら 一
、
子ど
戸順 に 一 行 五 名 を 紹 介 二人の
一も た ら は 、 世界が平和に み な が 幸 '
一せ で あ る よ う 願 っ て い る と あ い さ 一
、 法 王 は 、 くぼんだするどいが 一
一つ
一や さ し い 目 な ざ し で 、 一人一人に
一や わ ら か い 温 い 手 で 慢 手 し 、 金 色 一
一の メ ダ ル を わ た さ れ、私 は 踏 絵 を 、一
乙どもたちは本をさしあげた。
一
法 王 は 、 上 気げんで 、 一緒に写 一
真をとろうといわれ、 法 王 を か 乙 (
んで記念媛影をしたが、 突然のこ
と で 写 真 師 が 上 っ て し ま ったのか
この写真が写っていなかったのは 一
残 念 。 法 王 は 、 ベトナムについて 一
は私も心をくだいている 、 日本 の
一
皆様に私の気持をったえてほし 一
ぃ、 み な さ ん のお家族 に も よ ろ し 一
深かい感銘をうけたゆ一
くとい わ れ 、
1
7日 (
2
2日間〉
日
~ 7 月
感を深くした 。 (
昭五卒)
野間伊予先生 (
の死を悼む
神奈川 県 歯 科 医 師 会
監事松原山節
た ら、 そ れ 乙 そ 監 査 の 行 き す ぎ で あ
。
験 か ら 来 る 経 理過 と 云 う 事 も 特 殊 な
四国訟山が生んだ的熱と叡智 の
人 、 野 問 先 生 (昭和五年東京歯科医
専卒)は宿病の胃炎常じて遂げい千五
存 在 で あ り 、 冷 徹 な 性 格と併せて乙
μ と極言された
百 会 員 働 央 の中に三月十八日五十八
(筆者円本歯科医専二十回卒)
れ ばならない義務と責任がある。
辺 に は な い 。然 し 野 間 イ ス ム は 会 に
浸透している。乙れを継承されなけ
乙の素晴しい指導看はもう私の周
の聞 に 追 従 を 許 さ な か っ た 。
長い間歯科医師信用組合理事の経
才 を 以 て 幽明鏡を異にされた。
県歯の躍進の蔭にかくれて先生の
功 績 は 表 面 に 出 な い 俵 葬 り去るには
誠 に 忍 び 難 い も の が ゐ り、 乙乙に故
人 の 功 績 を 讃 え 、 遺 徳 を 忍 び 、故人
を 浮 彫 に し て 次 の 世 代 に 教 え 、神奈
川 に も、 ζんな 人 物 が 存 在 し た と 云
、 全国の学友及び同業の方々
う 事を
5月 1
0日
申込締切日
¥ 500,000 (1人当 り) (一般のヨーロッパ旅行経費は約 65万円で す。〉
用
費
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国際歯科医学会議(パリ 〉に共に出席しましょ う .
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3-2
6
2-3421
係員参上御説明いたします D
1
J
1
フ
一
ス
,
乙
、
ゐ
、
コ
玄
だ
会
祝う会の記
そ ん な 顧慮 を考える前感謝感激の嬉
乙の会報に祝っても らう小畑自身
が書くのは少々的ハズレの様だが 、
s
ろう。
て いるの た
この五月には去年総会での約束通
り関西での会をと今から彼は一人で
張 切 っているが 、 吾々は彼の云うな
りについて来たし今後もついていけ
ばいい のだが関西の会の時にでも今
この頃は吾々クラスメートも年の
扱て漫文集だが ζんなにも皆がほ
日迄の労苦その恩に報レたいと思う
のだがどうだろう。 是 非 諸 君 の賛同
を得たいと思っている 。
セイもあるが集ることが少くなっ
た
。
尤も考えると七十にもう一歩か 、
七十か七十を幾つかっミ出している
のだから無理もない 。 それがまだま
だ寒くて痘燈にでも這入 って一杯や
っている方が余程いいような梨、い目
だった の に (二月 二十八日)よく集
ってくれてとても嬉し かっ た。殊に
山 なのにまた磨いたり、いい気にな
ったりで実は第二集の原稿にとりか
か ね る も のだが 、 そ れ を 長 田 や高野
など実にジャンジャン紹介してくれ
てお影で随分方々から注文を頂いた
が、 第二集を是非出せという人が沢
に顔を出さなくなってしまった杉山
かっている。自分も来年は満七十才
になるからなんとか元気でいてその
記 念 の意味でも第 二集を出版したい
と思 っている 。
第 二集には終戦後 の ハルピン の同
胞が日本と不可侵条約下にあ ったソ
連が戦争未期日本の旗色が悪くなる
とその条約を破奨参戦し 、 首吊 り の
胞が惨逆行為の前にどの様な思いを
したが 、 それは人間として絶対許し
足 を 引 張るの挙に出てその為在満同
得 な い 筈 のも の で あ る が そ の ことを
あった。
た
。 横 須 資 の本問 、 深谷の宮本など
塗々遠い所をとこれまた感謝一杯で
過しだった のが判りとても嬉しかっ
田 部 も 久 娠 り に顔を出した。乙の前
は何処か元気がないように見えた岩
垣、 そ れ に 長 田 も 頗 る 元 気 な 血 色
のいい顔をして出てくれ自分の思い
学 長、 それに苦々とは縁を切ってし
まったのかと思う程遠退いていた若
多忙寸暇も惜しくクラス会にも滅多
自分では気が引けて仲々人には推め
めてくれ 、また喜んでく れ るとは想
像もしなか ったので実に吃跨仰 天と
まではいかぬが 、 眉 に唾をつけなが
ら少々跨いている 。 ζういうものは
しさが先に立って書かないでは居れ
なくなった 。
長の筈だが先づ見渡す処一番元気で
クラス会の世話を一体幾年やって来
よ
り
小畑の漫文集 ﹁
乗 の目玉 ﹂出版を
赤
時間厳守と自ら歌いながら一番遅
書いて見たいと思っている 。 尤も人
間 の 住 む 処何 処の社会にも、 互いに
許す親友と称する者の中にもそれと
同機人 の弱身につけ入って漁夫の利
をしめる者の多い世の中だが 、兎に
角 第 二集はど のようなも のが出来上
るかクラスメート諸兄もと より 、同
窓、 先輩皆様方 の何分の御声援をお
願いする次第です。
出席者杉山不二
。 岩 垣 宏。 本間太
郎。 宮 本 正 春
。 長田 卓爾。 若山部
。
敏行。 河村喜久治。 小 畑 番
ll
会一
昭和五年卒
鈴木勇四郎君を悼む
ライ トイエ ロ
ー
・
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2
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作品が数多く遣されている乙とはそ
れ を 裏 書 す る も の で す。 御 長 男 が 東
品聞大を出られてから慶大で の御研究
を終えられ親子仲よく診療に従事さ
れた日 の余りに短かかった二月十三
日、突如として不幸な事になり、真
にお気 の毒でなりません 。 御霊前 k
へし母校の関線、松宮両教授を始め
m瑚 会 の名を以て日頃の好物をお供
多く の親しい友が香をたいて在天 の
会
﹂
霊 の安らかに 、 災せられん乙とをお
日
祈り致しました 。
﹁い
鮎瀬国衛君の死を慎む
黒崎弘 毅
昭久会級友鮎傾国衛君は去る一月
村田秀純
君は春 の如、き川容を以て珊瑚会の
五H午 後 五 時十五分宿病 の脳溢血発
作を起し 、 八日未明逝 去され、五十
叔父 の歯科医故鮎 瀬 七作氏の面倒に
男として 生 れたが早く父に死別し 、
一年六月 の生民を終られた。那須ヶ
原の東北、伊玉野 の名門鮎瀬家の長
集いには必ず出席され、君 の指先の
妙技は我々 の集 いを 一段と楽しいも
のにしてくれた 。
僕 は 君 の並 々 な ら ぬ 友 情 の御蔭で
,た。 昭和十
今 日乙うしていられる の
八年、満鉄病院 を や め て 北 京 から帰
はいつし か級友 の信頼 を受け、 クラ
スの会計に推され 、 ユーモアと栃木
よって水道橋学会生活を送った 。 ま
とう方なく質実、誠 実、 重厚な人柄
することがな かな か容易ではなか っ
た。 その時僕に 救 いの手 を 差 し のべ
てくれた君は、と自分の医院と目と
靴りを振りまきながらよくその任務
を来された 。 十 三年 三月 卒 業 、 十 二
って来た当時、 東京では食糧を手に
鼻 の近くに凶業にはとても好適な地
山倒
を僕に捜し与えてくれ 、 色んベと 戸
月 陸 軍 に 入 隊。 世田谷陸軍自動車学
校にて訓練を受け、甲幹合格。見習
士宮として朝鮮に渡り、制帽 重少尉に
任 官 し て 除 隊、 一時叔父の診療を助
けた。 十 六年 十月 召集さ れ おそらく
と御恩は今でも家族共々有灘く感謝
をみて下さった 。 本 当 に 凡 人 の な し
得る事ではなく、君のこの厚い友情
存在であった野村公雄氏のよき理解
最 初 の 歯 科 軍 医 少 尉 と な り、 ビルマ
から印度、 ラパウル の野戦病院に活
し て い ま す。 又珊瑚会での異色ある
者 で あ っ て 同 氏 に 対 し 、 非常なお力
を尽くされた乙とは君のお宅に彼の
4
砂
装
4
砂包
4つの色調で広範囲な用途
ト
・ ・
・ ・・
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半身不随の不遇な状態は淘に御気毒
で開催する事になりました。すでに
御案内状はお 手 元に参っている事と
存じますが卒業二十五年にもなりま
すので 、長年、 日夜御苦労をおかけ
している奥様も同伴で是非御参加下
さいます様お願い致します。
日時は四月二 十九日 (祭)三十日
(日)五月一日と二泊三日ですが連
休日を利用致しますので休診日を少
くできる様配慮致しました。
参加希望の方は旅館その他準備の
都合もありますので関東地区は 山
田、前原君、 関西地区は平君。その
他の県の方は直接金沢の大島右迄申
込み下さい。なお 、 最近番地変更が
大変ありますので 、 新しい名簿を現
在製作中ですので 、 その内発送致し
ます。(東京世話人会)
出席 者 佐 藤 ( 章 )、飯田 、城所 、 松
、 鹿野
回、中村(和)、福本、本山
(善)、金沢、 村田 、坂、 三島、 鈴
木(貞)、 児玉 、小 沢、宮坂
以上 十 七名
ll
昭和二十三年卒
昨秋﹁南国酒家﹂における総会
O第二十回 総 会予告
で、 その開催地は北海道か京都のい
ずれかを全員に問うて決定しようと
いうことになり、 先般アンケートの
はがきを発送したところ早速八七通
の返信をいただきました。この資料
をもとに在京幹事会で検討の結巣 、
今秋京都で開催と決め 、北海道はま
たの機会に譲ることにしました 。 そ
乙で関西いづみ会の面々にお竹折り
いただこうとお願いしたと乙ろ 、 先
べ協議
日第一回準備委員会を聞き緩 ん
された結果を山下U山郎兄が連絡し
て参りましたので報告します。
て 期 日 十 月 二 十 一 H(土)、 二
十二日(日)の両H
二、場所大津のホテル紅葉(びわ
たてておいて下さい。
O関東いづみ会
本会も恒例となり本年は会場を東
京から千葉に移して開催された 。 三
月十八日 、木更津の観月廷にて大い
に旧交を混めた。世話人は萩原、 佐
藤(卓)、斉勝(登)、西田、多謝。
発行所
マ四 十 一年度クラス会資五百円未納
の方は会計の 山 田君まで御送金下、ョ
マ会員名簿近日中に整理の 上御送付
します。
マ本年度クラス会の御希望やら、 折
にふれ消息を幹事までどうぞ。
(長井記)
東 京 都 千 代 田 区 三 崎 町 二 丁目 九番 十 八号
東京歯科大学同窓会
電話東京
二一
(
代
﹀
(二六二 ) 三 四
編集兼発行人渡辺冨
区(青森、秋田 、 山形、宮城 、
福島)
大竹奨、下回一郎。関東地区(神奈
川、千葉、 埼玉 、 茨城、 群 馬 、 栃
木)三島平在衛門、島田孝。東京地
区、現幹事。中部地区(長野、新 潟
富山、福井、石川 、 静附、愛知、 岐
阜、三重)北村実雄、皆川明、 谷口
富士雄 、渡辺製一。近畿地区(大阪
京都、兵時、奈 良、 和歌山)、矢野
普作。西日本地区(岡 山
、 鳥取、 島
板広島、四国、九州)早瀬明天。
マ昨秋のクラス会御出席の方で記念
写真が未着の方は西尾君まで御連絡
下さい 。
昨秋のクラス会で決定致しました
全国各地区別述絡代表者御依頼の件
は、昨年十一月末に都内在住の有志
の方々 、熱田 、 白川 、 鈴木、森本、
堀、小山、森、武久 、 亀井、明楽 、
山田 、西尾の諸兄に長井の十三名が
参集次のように決定致しましたので
まげて御承諾下さるようお願いしま
す
。
北海道地区、佐々木裕刈。東北地
会
躍して二十一年五月帰還 、郷里の生
家にて開業。真撃な診療は人々の信
用と博しておられた。二十九年軽い
脳溢血に縫恵、 三十年一月再発し右
にて 、級友はひとしく同情し 、 闘 病
生活を慰問したものも多かった 。 徹
底した菜食生活 、夫人の手厚い看護
と診療技工の介補、更には後輩二人
の従兄弟の援助のかいがあって左手
による診療に円熟し、最近は体力の
快復とともに気分も大らかになって
念願の合理的な 診療所 住宅を新築し
今後は充実した診療と三人の子女の
育成に専念されると乙ろ、突如とし
て黄泉の客となられ御泣族の略的きと
悲みは 如何なばかりと謹んでお悔み
申上げる次第です。夫人の御話では
来る十月と日光で開催予定の昭久会
には是が非にも出席し諸兄との交歓
を期待しておったのに
。君の質
・
・
朴な削容は今はなく 、吹
雲の那須連
山からの寒風がひと際厳しい一月十
日、長源寺にての葬儀氏は御通夜か
ら弔問の親友鈴木盛君、県内級友の
斎藤哲、菊地貞 、 天沼の諸兄と私が
心 から御冥福を祈り、御家族のお慰
め申し上げた。
湖畔)
三、 日 程 二 十 一 日 現 地 集 合、 同
夜懇親会、 一泊 、 二十二日朝総会 、
京都観光、午後五時駅前にて解散
四、会 抗 八 OOO円
五、第二 十 回を記念して 、 とくに
夫人同伴を歓迎する。 C同伴の方に
は特別室を用意しますので会資は一
人あて一 、 五O O円加算
し
り
二月二 十 一日 、 新春初の東京会を
赤い霧の街浅草﹁鶴八﹂活魚料 理に
舌打ながら楽団の奏でる普のメロデ
ォl、新しいリズ ム
、 名歯科医者
児 玉先生の独演は時のたつのを忘れ
楽しい歓談の一夜でした。今回は東
京在住のクラスメートの集りでした
が、機会ある度ぴに十六会を盛大に
開催致し度いと思います。新幹事、
古田、 小沢、 本 山
、 児玉 、鹿野(諮問﹀
に指準協力お願い申し上ます。
十
四
年
卒
会
だ
昨年の総会で決定しました本年の
と
み
詳細は後日 関 西支部より会円氏名位
にと案内いたしますから、 一人でも
多く と参会 下 さるよう今から予定を
昭
和
つ
よ
企画運営等御意見を重ねてお聞か
せ下さい。
士
(
一
1
一新
進学課程
旧
│新
市川病院 │
一
し
、
い
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Z
J
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クラス懇親会は 、 大島、牛村、乾、
加藤、宮元君の御骨折により金沢市
│
│ 旧 千 葉 県 市 川 市 菅 野町 6丁 目1
91
0番地
×
i
X
千 葉 県 市 川 市 菅野 4丁目 1
8番 7号
千 葉 県市川 市 菅 野 町 4丁 目1
2
3
5番地
千 葉 県 市 川 市菅野 B丁目 7番 1号
水道橋本校
旧
i
夫
母校の住居表示変更のお知らせ
水道 橋 本 校は昭 和 4
2年 4月 1日から ,市川 病 院,進 学 課 程
は 昭 和4
2年 2月1日から , 住居 表示 が 次 のよ うに変 りま した。
×
東 京 都 千 代 田 区 三 崎 町 2丁目 g香 川 号
東 京 都千 代 田区神 田三崎町 1
丁 目7
番地
新
会
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芸会
年
卒
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