(1) 平成27年 22 月月 27 27 日日 (1) 平成27年 は る に れ は る に れ 第第 79 79 号号 は る に れ は る に れ 第第 79 79 号号 平成27年 22 月月 27 27 日 (12) 平成27年 日 (12) 五高トピックス 五高トピックス 広報誌はるにれ 「優良賞」 受賞 !! 広報誌はるにれ 「優良賞」 受賞 -今、旅立ちの時- -今、旅立ちの時- 題字 鈴 木木 香香 風風 題字 鈴 平成26年度青森県高等学校高P連広報紙コンクールにおいて、 本本 平成26年度青森県高等学校高P連広報紙コンクールにおいて、 校の広報紙 「はるにれ」 78号が今年も 「優良賞」 を受賞することがで 校の広報紙 「はるにれ」 78号が今年も 「優良賞」 を受賞することがで きました。 なんと8年連続の入賞です。 きました。 なんと8年連続の入賞です。 今年度のコンクールには県内の56校からの応募があり、 去る1月1 今年度のコンクールには県内の56校からの応募があり、 去る1月1 6日~1 7日に開催された県校P連調査広報委員会において審査され 6日~1 7日に開催された県校P連調査広報委員会において審査され たものです。 たものです。 ◎最優秀校 (1校) ◎最優秀校 (1校) 八戸学院光星 『東雲』 八戸学院光星 『東雲』 ◎優秀校 (2校) ◎優秀校 (2校) 青森工業高校PT Aだより』 青森工業高校PT Aだより』 三沢高校 『きざき野』 三沢高校 『きざき野』 ◎優良校 (6校) ◎優良校 (6校) 五所川原高校 『はるにれ』 五所川原高校 『はるにれ』 五所川原農林高校 『涓流』 五所川原農林高校 『涓流』 十和田工業高校 『もみじ』 十和田工業高校 『もみじ』 黒石高校 『西ヶ丘』 黒石高校 『西ヶ丘』 八戸東高校 『桜ヶ丘だより』 八戸東高校 『桜ヶ丘だより』 月月 日日 内 容 場 所 内 容 場 所 三本木高校 『すずかけ』 三本木高校 『すずかけ』 ◎奨励賞 (5校) ◎奨励賞 (5校) PTA広報紙 1日㈯ 1日㈯ PTA広報紙 「はるにれ」 第78号発行 「はるにれ」 第78号発行 ◎努力賞 (8校) ◎努力賞 (8校) 8年連続の受賞はPTA会員の 8年連続の受賞はPTA会員の PTA ・PTA後援会 PTA ・PTA後援会 青森県 青森県 1111 皆さんのご協力のおかげです。 皆さんのご協力のおかげです。 月月 中間監査 アップルパレス 中間監査 アップルパレス 本当にありがとうございました。 本当にありがとうございました。 12日㈬ 12日㈬ 平成26年度後期 平成26年度後期 PP TT A・ P TT A後援会会務報告 A ・P A後援会会務報告 五所高 PTA第2回三役会 PTA第2回三役会 五所高 1212 五高第3回広報委員会 五高第3回広報委員会五所高 五所高 18日㈭ 月 月18日㈭ 編編 集集 後後 記記 高P連西北地区協議会 高P連西北地区協議会立佞武多の館 立佞武多の館 23日㈮ 23日㈮ 「情報交換会」 『春楡』 「情報交換会」 『春楡』 1 1 月月 五高PTA研修委員会 ・・ 五高PTA研修委員会 28日㈬ 28日㈬ 健全育成委員会 ・・ 健全育成委員会 立佞武多の館 立佞武多の館 『春楡』 『春楡』 広報委員会合同反省会 広報委員会合同反省会 高P連西北地区 高P連西北地区 17日㈫ 17日㈫ 健全育成委員会 健全育成委員会 第3回理事会 第3回理事会 高P連西北地区 高P連西北地区 18日㈬ 18日㈬ PTA研修委員会 PTA研修委員会 2 2 月月 五工高 五工高 鶴田高 鶴田高 第3回委員長会議 ・理事会 第3回委員長会議 ・理事会 第2回単位 第2回単位 19日㈭ 19日㈭ PTA会長会議 PTA会長会議 青森国際ホテル 青森国際ホテル PTA広報紙 PTA広報紙 27日㈮ 27日㈮ 「はるにれ」 第79号発行 「はるにれ」 第79号発行 PTA ・PTA後援会 PTA ・PTA後援会 第3回三役会 第3回三役会 五所高 五所高 5日㈭ 5日㈭ PTA ・PTA後援会 PTA ・PTA後援会 3 3 月月 第2回役員会 第2回役員会 発発 行行 者/五所川原高等学校 PT A 編 集/五所川原高等学校広報委員会 印 刷刷 所/有限会社 アー ト印刷 者/五所川原高等学校 P TA 編 集/五所川原高等学校広報委員会 印 所/有限会社 アー ト印刷 プラザマリュウ 高P連西北地区協議会 高P連西北地区協議会プラザマリュウ 16日㈪ 16日㈪ 五所川原 第3回三役会 ・役員会 第3回三役会 ・役員会 五所川原 第79号発行をもって、 今年度も無事に広報委員会の活動 第79号発行をもって、 今年度も無事に広報委員会の活動 を終えることができました。 毎年のことですが、 今回もまた を終えることができました。 毎年のことですが、 今回もまた 卒業の特集号です。 3年生の言葉はその短いメッセージの中 卒業の特集号です。 3年生の言葉はその短いメッセージの中 にも親への感謝の思いがあふれていて、 どれを読んでも我が にも親への感謝の思いがあふれていて、 どれを読んでも我が 子と見紛うかのような錯覚に陥り、 編集作業中に涙ぐんでし 子と見紛うかのような錯覚に陥り、 編集作業中に涙ぐんでし まうことしばし……でした。 まうことしばし……でした。 第79号の編集で、 広報委員長と副委員長も卒業いたし 第79号の編集で、 広報委員長と副委員長も卒業いたし ます。 そして、 来年度の 「はるにれ」 が更に充実したものにな ます。 そして、 来年度の 「はるにれ」 が更に充実したものにな るよう、 1、 2年生の担当者へバトンタッチいたします。 これ るよう、 1、 2年生の担当者へバトンタッチいたします。 これ からも 「はるにれ」 をよろしくお願い申し上げます。 からも 「はるにれ」 をよろしくお願い申し上げます。 広広 報報 委委 員員 長 會津 隆史 長 會津 隆史 広報副委員長 平田真由美 広報副委員長 平田真由美 1414 較にならないほど厳しい環境の中で 較にならないほど厳しい環境の中で 子供たちは勉強、部活動、学校行事 子供たちは勉強、部活動、学校行事 を通じて日々研鑽を重ね、自分の目 を通じて日々研鑽を重ね、自分の目 標に向かって歩んでいます。 標に向かって歩んでいます。 夢の実現のために、学校が中心と 夢の実現のために、学校が中心と なって父兄の皆様も子供とともに一 なって父兄の皆様も子供とともに一 体となって歩んできたわけでありま 体となって歩んできたわけでありま すが、それも一段落し、幕が下りよ すが、それも一段落し、幕が下りよ うとしています。これまで培ってき うとしています。これまで培ってき たものは財産となり、これからの社 たものは財産となり、これからの社 会に向かって歩み出す原動力になる 会に向かって歩み出す原動力になる と思います。これもひとえに校長先 と思います。これもひとえに校長先 生はじめ担任の先生方、諸先生方の 生はじめ担任の先生方、諸先生方の 一致協力によるご努力の賜物であり 一致協力によるご努力の賜物であり ます。心から深く感謝申し上げる次 ます。心から深く感謝申し上げる次 第であります。 第であります。 終わりに、三学年は3 月2日で卒 終わりに、三学年は3 月2日で卒 業式を迎えられますが、父兄及び役 業式を迎えられますが、父兄及び役 員の皆様方、本当にお疲れ様でした。 員の皆様方、本当にお疲れ様でした。 子供とともに光輝ある五所川原高校 子供とともに光輝ある五所川原高校 の卒業生であることに誇りをもって の卒業生であることに誇りをもって 旅立ちます。6 年間本当にありがと 旅立ちます。6 年間本当にありがと うございました。 うございました。 P T A 会 長 菊 池 忠 P T A 会 長 菊 池 忠 決するためや情報交換や諸活動の調 決するためや情報交換や諸活動の調 整 の た め に、全 国 的 なPTAの 連 合 整 の た め に、全 国 的 なPTAの 連 合 組 織 に 所 属 し て い る。 」と 日 本 大 百 組 織 に 所 属 し て い る。 」と 日 本 大 百 科全書はPTAについて解説してい 科全書はPTAについて解説してい ます。その趣旨に沿って父兄と先生 ます。その趣旨に沿って父兄と先生 方が連携して、子供たちのためにと 方が連携して、子供たちのためにと い う 命 題 の も と に、五 高PTA連 合 い う 命 題 の も と に、五 高PTA連 合 は活動を続けてまいりました。 は活動を続けてまいりました。 先代の對馬、工藤、木村会長から 先代の對馬、工藤、木村会長から の「交流の場を持って親睦を深める の「交流の場を持って親睦を深める ことが肝要で、酒を飲む機会を多く ことが肝要で、酒を飲む機会を多く 持つことが大切である」という語り 持つことが大切である」という語り 継がれてきた金言を頑なに守り活動 継がれてきた金言を頑なに守り活動 を 続 け て き た と こ ろ で あ り、私 に を 続 け て き た と こ ろ で あ り、私 に と っ てPTA活 動 は、多 く の 人 と の と っ てPTA活 動 は、多 く の 人 と の 出会いと貴重な経験を積む機会をい 出会いと貴重な経験を積む機会をい ただいたという点でも、有意義な6 ただいたという点でも、有意義な6 年間でありました。 年間でありました。 高等学校は生徒が自立した社会人 高等学校は生徒が自立した社会人 として生きるための様々な資質を身 として生きるための様々な資質を身 につける場であり、将来を考え進路 につける場であり、将来を考え進路 を決定する場として大切な役目を を決定する場として大切な役目を 担っています。五所川原高校は私の 担っています。五所川原高校は私の 母校で、これまでを振り返ってみて 母校で、これまでを振り返ってみて も思い出深く、一番心に残っていま も思い出深く、一番心に残っていま す。しかし今は時代が変わり、旧三 す。しかし今は時代が変わり、旧三 市に並ぶ進学校となり、当時とは比 市に並ぶ進学校となり、当時とは比 「卒 卒 業 業」 」 「 平成 年4月7 日、子供とともに 平成 年4月7 日、子供とともに 五所川原高校の門をくぐり、入学式 五所川原高校の門をくぐり、入学式 に参加したのが事の始まりで、半強 に参加したのが事の始まりで、半強 制的な長尾先生のお導きがあり、子 制的な長尾先生のお導きがあり、子 供が人質に取られていることもあっ 供が人質に取られていることもあっ て、断 り 切 れ ず に 未 知 な るPTAの て、断 り 切 れ ず に 未 知 な るPTAの 世界へ足を踏み入れることになって 世界へ足を踏み入れることになって しまったのであります。 しまったのであります。 一 昨 年 の 4 月 のPTA総 会 で 木 村 一 昨 年 の 4 月 のPTA総 会 で 木 村 前会長の強い後押しがあって会長に 前会長の強い後押しがあって会長に 選任されて二年が経過し、3 月でP 選任されて二年が経過し、3 月でP T A活 動 に ピ リ オ ド を 打 つ わ け で あ T A活 動 に ピ リ オ ド を 打 つ わ け で あ り ま す が、今 年 一 年 を 振 り 返 っ て み り ま す が、今 年 一 年 を 振 り 返 っ て み ると、4 月の総会から始まり、各種 ると、4 月の総会から始まり、各種 委員会(朝の挨拶運動・立佞武多運 委員会(朝の挨拶運動・立佞武多運 行・校内外の研修・広報の発行等)、 行・校内外の研修・広報の発行等)、 地 区 大 会、県・東 北・全 国 大 会 等、 地 区 大 会、県・東 北・全 国 大 会 等、 すべては役員及び委員会の皆様方の すべては役員及び委員会の皆様方の ご尽力によって、活発に活動がなさ ご尽力によって、活発に活動がなさ れてきました。心から感謝申し上げ れてきました。心から感謝申し上げ る次第であります。 る次第であります。 「児 童、生 徒 の よ り よ い 教 育 環 境 「児 童、生 徒 の よ り よ い 教 育 環 境 の醸成を目指す保護者と教師(教職 の醸成を目指す保護者と教師(教職 員)に よ っ て 構 成 さ れ る 教 育 団 体。 員)に よ っ て 構 成 さ れ る 教 育 団 体。 また、学校を超えた広域的問題を解 また、学校を超えた広域的問題を解 4646 「旅 旅立 立つ つ勇 勇気 気、 、そ そし して て覚 覚悟 悟」 」 「 せて頂きました。また、今年度6 月 せて頂きました。また、今年度6 月 日第1 回PTA3 学年部会保護者 日第1 回PTA3 学年部会保護者 参加数17 4名、そして9 月6 日第 参加数17 4名、そして9 月6 日第 2 回学年部会保護者参加数15 8 2 回学年部会保護者参加数15 8 名、 PTA会 員 の 皆 様 方 に は 多 大 な 名、 PTA会 員 の 皆 様 方 に は 多 大 な るご尽力を賜り職務を全うする事が るご尽力を賜り職務を全うする事が 出来たこと大変感謝致しておりま 出来たこと大変感謝致しておりま す。過日センター試験が終わり、今 す。過日センター試験が終わり、今 度は国立大・私立大の入試、そして 度は国立大・私立大の入試、そして 3 月2日の卒業式と、高校入学から 3 月2日の卒業式と、高校入学から 正にあっという間の3 年間、親子そ 正にあっという間の3 年間、親子そ してPTAの方々と過ごしてきた時 してPTAの方々と過ごしてきた時 間もそろそろ卒業を迎えます。〝宿題 間もそろそろ卒業を迎えます。〝宿題 が多いかも〞〝また試験・・・〞〝部活は が多いかも〞〝また試験・・・〞〝部活は キツイけどオモシレー〞〝朝は目 覚 まし キツイけどオモシレー〞〝朝は目 覚 まし 鳴 り 続 け〞〝アイコンタクトは無 理っ〞〝 鳴 り 続 け〞〝アイコンタクトは無 理っ〞〝 今 す ぐ、迎 えに来て〞〝修 学 旅 行では 今 す ぐ、迎 えに来て〞〝修 学 旅 行では 語 り 明かし〞〝高 校 総 体 完 全 燃 焼!〞〝 語 り 明かし〞〝高 校 総 体 完 全 燃 焼!〞〝 五高祭、食って・笑って・踊って〞〝終始 五高祭、食って・笑って・踊って〞〝終始 踊 りっぱなしの五 高 立 佞 武 多〞等 々、 踊 りっぱなしの五 高 立 佞 武 多〞等 々、 こんな出来事とも卒業です。 こんな出来事とも卒業です。 3 月2 日は、山内校長も3 学年P 3 月2 日は、山内校長も3 学年P TA保護者も同時に卒業です。 TA保護者も同時に卒業です。 やはり最後もノミュ(飲み)ニケー やはり最後もノミュ(飲み)ニケー ションで仕上げですね、菊池会長! ションで仕上げですね、菊池会長! 皆様3 年間お世話になり、誠にあり 皆様3 年間お世話になり、誠にあり がとうございました。 がとうございました。 三 学 年 部 会 長 木 村 康 仁 三 学 年 部 会 長 木 村 康 仁 葉から)旅に出て、素晴らしい風情 葉から)旅に出て、素晴らしい風情 に浸り、人と出逢い、そして如何に に浸り、人と出逢い、そして如何に そ の 国 の 料 理 を 堪 能 し 感 動 し て も、 そ の 国 の 料 理 を 堪 能 し 感 動 し て も、 時として自分の故郷、この津軽が 〝や 時として自分の故郷、この津軽が 〝や はり吾妻しい〞と感じることはない はり吾妻しい〞と感じることはない でしょうか。菊地麻由さんの台詞は でしょうか。菊地麻由さんの台詞は 旅の話ではありませんが、福島に育 旅の話ではありませんが、福島に育 まれた郷土愛から滲み出た非常に重 まれた郷土愛から滲み出た非常に重 い言霊のように伝わってきます。わ い言霊のように伝わってきます。わ た し た ち も、こ の 津 軽 に 愛 を 抱 き、 た し た ち も、こ の 津 軽 に 愛 を 抱 き、 どのような条件下に置かれても歯を どのような条件下に置かれても歯を 食いしばりながら必死になって、今 食いしばりながら必死になって、今 も、そしてこれからも生き続けなけ も、そしてこれからも生き続けなけ ればなりません。例え、この津軽を ればなりません。例え、この津軽を 離れたとしても、目の前のことをや 離れたとしても、目の前のことをや りこなすだけではなく、知恵と勇気 りこなすだけではなく、知恵と勇気 を活かし、5 年後そして 年後の長 を活かし、5 年後そして 年後の長 いスパンで自分の未来を創造しつ いスパンで自分の未来を創造しつ つ、ビ ジ ョ ン・方 向 性 を 熟 慮 し、具 つ、ビ ジ ョ ン・方 向 性 を 熟 慮 し、具 体的な行動が出来る人物に育って欲 体的な行動が出来る人物に育って欲 しいと切に願います。 しいと切に願います。 3 年前の春、研修委員会副委員長 3 年前の春、研修委員会副委員長 として役員を拝命し、昨年度からは、 として役員を拝命し、昨年度からは、 菊池忠会長からの推薦により学年部 菊池忠会長からの推薦により学年部 会長の大役を仰せつかり、同時にP 会長の大役を仰せつかり、同時にP T A副 会 長 並 び に 後 援 会 役 員 理 事 へ T A副 会 長 並 び に 後 援 会 役 員 理 事 へ の 就 任 と 中 身 の 濃 い3 年 間 を 過 ご さ の 就 任 と 中 身 の 濃 い3 年 間 を 過 ご さ 1010 2121 2020 20 11年3 月 日 時 分東日 20 11年3 月 日 時 分東日 本大震災発生、今回の卒業生が入学 本大震災発生、今回の卒業生が入学 する1年前の出来事であった。当日、 する1年前の出来事であった。当日、 鶴田町の姉妹都市である米国のフッ 鶴田町の姉妹都市である米国のフッ ド リ バ ー に1 週 間 ほ ど ホ ー ム ス テ イ ド リ バ ー に1 週 間 ほ ど ホ ー ム ス テ イ に旅立つため、成田空港にて出発の に旅立つため、成田空港にて出発の 時を待ち望んでいる時刻、その地震 時を待ち望んでいる時刻、その地震 は 起 こ っ た。そ の 後 の 情 報 が 錯 綜 す は 起 こ っ た。そ の 後 の 情 報 が 錯 綜 す る中、安否を気遣い長い時間が経過 る中、安否を気遣い長い時間が経過 したとき、娘から自宅へ電話が入っ したとき、娘から自宅へ電話が入っ た〝お父さん、空港の天井が落ちて た〝お父さん、空港の天井が落ちて きて大変、でも私は大丈夫だから〞 きて大変、でも私は大丈夫だから〞 とだけ言って公衆電話は切れた。全 とだけ言って公衆電話は切れた。全 く状況がつかめないまま、その日の く状況がつかめないまま、その日の 夜アメリカへ旅立って行った。それ 夜アメリカへ旅立って行った。それ から1年の後、娘は五所川原高校へ から1年の後、娘は五所川原高校へ 無事入学となった。 無事入学となった。 「福島に生まれて、福島で育って、 「福島に生まれて、福島で育って、 福島で働く。福島で結婚して、福島 福島で働く。福島で結婚して、福島 で子どもを産んで、福島で子どもを で子どもを産んで、福島で子どもを 育てる。福島で孫を見て、福島でひ 育てる。福島で孫を見て、福島でひ 孫を見て、福島で最期を過ごす。そ 孫を見て、福島で最期を過ごす。そ れが私の夢なのです」(震災後当時、 れが私の夢なのです」(震災後当時、 全国高校総合文化祭での会津若松ザ 全国高校総合文化祭での会津若松ザ ベリオ学園高校の菊地麻由さんの言 ベリオ学園高校の菊地麻由さんの言 1111 平成27年 平成27年 22 月月 27 27 日 日 (2) (2) は る に れ は る に れ 第第 79 79 号号 第第 79 79 号号 は る に れ は る に れ (3) (3) 平成27年 平成27年 22 月月 27 27 日日 「 幼い日に」 「 幼い日に」 福士広司 教 頭 福士広司 教 頭 祖 父 が、本 県 出 身 の 大 横 綱 で 土 祖 父 が、本 県 出 身 の 大 横 綱 で 土 俵の鬼と呼ばれた初代若乃花が引 俵の鬼と呼ばれた初代若乃花が引 退して間もない頃、肥満児ぎみだっ 退して間もない頃、肥満児ぎみだっ た私に関取か西北地区の教員に た私に関取か西北地区の教員に なって欲しいと言っていたことを なって欲しいと言っていたことを 思い出す。 思い出す。 鰺 ヶ 沢 町 赤 石 深 谷 は、滝 吉 姓 の 鰺 ヶ 沢 町 赤 石 深 谷 は、滝 吉 姓 の 人々が寄り添って生活している集 人々が寄り添って生活している集 落 で あ る。青 森 市 に 住 ん で き た 私 落 で あ る。青 森 市 に 住 ん で き た 私 は、祖 父 に 連 れ ら れ 青 森 駅 か ら 冷 は、祖 父 に 連 れ ら れ 青 森 駅 か ら 冷 凍ミカンとゆで卵を抱えて蒸気機 凍ミカンとゆで卵を抱えて蒸気機 関 車 で 川 部 ま で。川 部 で 長 い 待 ち 関 車 で 川 部 ま で。川 部 で 長 い 待 ち 時 間 を 過 ご し、デ ィ ー ゼ ル 機 関 車 時 間 を 過 ご し、デ ィ ー ゼ ル 機 関 車 で 鰺 ヶ 沢 駅 ま で。私 に と っ て 鯨 餅 で 鰺 ヶ 沢 駅 ま で。私 に と っ て 鯨 餅 は、朱 色 で 胡 桃 の 入 っ て い な い の は、朱 色 で 胡 桃 の 入 っ て い な い の が 正 統 で あ る。鰺 ヶ 沢 か ら 赤 石 川 が 正 統 で あ る。鰺 ヶ 沢 か ら 赤 石 川 沿 い を バ ス に 乗 り、更 に 降 り て か 沿 い を バ ス に 乗 り、更 に 降 り て か ら山際の道を1時間程歩かなけれ ら山際の道を1時間程歩かなけれ ば な ら な か っ た。同 じ 年 頃 の 子 ど ば な ら な か っ た。同 じ 年 頃 の 子 ど もは毎日この道を学校へ歩いて もは毎日この道を学校へ歩いて 通っていた。 通っていた。 母 は 高 校 へ 進 学 す る た め 親 元 を 母 は 高 校 へ 進 学 す る た め 親 元 を 離 れ な け れ ば な ら な か っ た。祖 父 離 れ な け れ ば な ら な か っ た。祖 父 は、そ ん な 思 い を 孫 に 託 し た の だ は、そ ん な 思 い を 孫 に 託 し た の だ と 思 う。炭 焼 き を し て い た 祖 父 と と 思 う。炭 焼 き を し て い た 祖 父 と 過ごす夏休みは夢のようで生物の 過ごす夏休みは夢のようで生物の 教員になることを決定づけた日々 教員になることを決定づけた日々 で あ っ た。炭 に 使 え る 木 の 見 極 め で あ っ た。炭 に 使 え る 木 の 見 極 め 方。畑 を 荒 ら す ア ナ グ マ や ウ サ ギ 方。畑 を 荒 ら す ア ナ グ マ や ウ サ ギ の 捉 え 方。鮎 の 友 釣 り、清 流 の せ の 捉 え 方。鮎 の 友 釣 り、清 流 の せ せ ら ぎ、千 畳 敷 で の 素 潜 り、木 の せ ら ぎ、千 畳 敷 で の 素 潜 り、木 の 幹にびっしりへばり付いているカ 幹にびっしりへばり付いているカ ブ ト ム シ や ク ワ ガ タ ム シ。夏 休 の ブ ト ム シ や ク ワ ガ タ ム シ。夏 休 の 宿題の昆虫標本は同級生が羨むも 宿題の昆虫標本は同級生が羨むも のだった。 のだった。 土 俵 の 鬼 に は な れ な か っ た が、 土 俵 の 鬼 に は な れ な か っ た が、 年目にして西北地区で勤務する 年目にして西北地区で勤務する 機 会 を 得 た。祖 父 は 亡 く な っ て 久 機 会 を 得 た。祖 父 は 亡 く な っ て 久 し い が、き っ と 喜 ん で く れ て い る し い が、き っ と 喜 ん で く れ て い る に違いない。 に違いない。 3232 (5) (5) 平成27年 平成27年 22 月月 27 27 日日 は る に れ は る に れ 第第 79 79 号号 は る に れ は る に れ 第第 79 79 号号 親 親から から子 子へ へ 卒業生 卒業生への への メッセージ メッセージ 息子へ 息子へ 旅立つ娘へ 旅立つ娘へ 「ありがとう」~娘よ~ 「ありがとう」~娘よ~ 31HR 今川 里美(菜津美) 31HR 今川 里美(菜津美) 3年生の皆様、 3年生の皆様、 ご卒業おめでとうございます。 ご卒業おめでとうございます。 入学してからこの3年間 入学してからこの3年間 どのように過ごされましたか?あっという間だった人、 どのように過ごされましたか?あっという間だった人、 部活を頑張った人、 部活を頑張った人、 “えー休日がない” “えー休日がない” と感じ通学した人、 と感じ通学した人、 いやいやあの尋常でない程の課 いやいやあの尋常でない程の課 題と戦った人、 題と戦った人、 様々な想いがあると思われます。 様々な想いがあると思われます。 でもその分、 でもその分、 数多くの 数多くの 想い出があることでしょう 想い出があることでしょう。五高で培った多くのことを心に留め、 。五高で培った多くのことを心に留め、 これ これ から先、 から先、 困難なことに直面してもひるまずに突き進んで下さい。 困難なことに直面してもひるまずに突き進んで下さい。 2年程前 2年程前 “ホントにこの娘達はここを離れてしまう。 “ホントにこの娘達はここを離れてしまう。 いなくなっちゃう いなくなっちゃう んだ。 んだ。 たった1 たった1 8年しか一緒に過ごせない。 8年しか一緒に過ごせない。 寂しい。 寂しい。 ”と枕を濡らし、 ”と枕を濡らし、 お風 お風 呂では泣き、 呂では泣き、 消沈しておりましたが、 消沈しておりましたが、 自分も親元を1 自分も親元を1 8歳で旅立ったわけ 8歳で旅立ったわけ で、 で、 両親にもそんな想いをさせてしまっていたと悟り、 両親にもそんな想いをさせてしまっていたと悟り、 現実に戻ること 現実に戻ること ができました。 ができました。 今年は、 今年は、 先に巣立った長女の大学の入学式に皆で行き、 先に巣立った長女の大学の入学式に皆で行き、 大学の雰囲気、 大学の雰囲気、 キャンパスに圧倒されました。 キャンパスに圧倒されました。 また、 また、 地下鉄初デビューも経験しましたね。 地下鉄初デビューも経験しましたね。 夏には受験する大学のオープンキャンパスに一人で行き、 夏には受験する大学のオープンキャンパスに一人で行き、 モチベーショ モチベーショ ンを上げて帰ってきた姿は頼もしかったです。 ンを上げて帰ってきた姿は頼もしかったです。 高校最後ということで、 高校最後ということで、 大会や演奏会などにも出かけたり、 大会や演奏会などにも出かけたり、 大学下見のため小旅行も兼ね楽し 大学下見のため小旅行も兼ね楽し い時間を過ごしましたね。 い時間を過ごしましたね。 家では韓流ドラマやイケメンの話で盛り上が 家では韓流ドラマやイケメンの話で盛り上が り(?) り(?) 、ちょくちょくスイーツを作っては私達を肥えさせたり、 、ちょくちょくスイーツを作っては私達を肥えさせたり、 最近 最近 iphoneデビューした私達は、 iphoneデビューした私達は、 勉強中のあなたの手を止め何回もやり方 勉強中のあなたの手を止め何回もやり方 を聞いたりして反省しております。 を聞いたりして反省しております。 今までもあなたは、 今までもあなたは、 頼みごとに嫌な 頼みごとに嫌な 顔せずに接してくれて感謝してます。 顔せずに接してくれて感謝してます。 これから、 これから、 大学合格 大学合格 ・引っ越しなど ・引っ越しなど めまぐるしい日々が待っていますが、 めまぐるしい日々が待っていますが、 18回目の誕生日は必ず皆で過ごし 18回目の誕生日は必ず皆で過ごし ましょう。 ましょう。 お世話になった金子先生はじめ、 お世話になった金子先生はじめ、 諸先生方に感謝、 諸先生方に感謝、 共に過ごした友達 共に過ごした友達 に感謝の気持ちを忘れずに。 に感謝の気持ちを忘れずに。 これからは、 これからは、 感謝される人となり社会に貢 感謝される人となり社会に貢 献して下さい。 献して下さい。 またこれからの人生、 またこれからの人生、 いい師と巡り合って学び、 いい師と巡り合って学び、 自分の人生を謳歌し 自分の人生を謳歌し て下さい。 て下さい。 私達は見守っています。 私達は見守っています。 旦那様へ 旦那様へ “オヤジ行くよ。 “オヤジ行くよ。 ”と4年間五高までの送迎お疲れ様でした。 ”と4年間五高までの送迎お疲れ様でした。 『全国』という景色が見せてくれたもの 『全国』という景色が見せてくれたもの 36HR 野呂 理恵(泰平) 36HR 野呂 理恵(泰平) 「楽しみだな、 「楽しみだな、 総体。 総体。 」」 最後の試合となる高校総体を目前に、 最後の試合となる高校総体を目前に、 突然会話の中で聞こえてきた 突然会話の中で聞こえてきた その言葉。 その言葉。 各校の強豪者を相手に、 各校の強豪者を相手に、 どこまで自分の力を見せることがで どこまで自分の力を見せることがで きるのか、 きるのか、 その本番の勝負を心待ちにしているようでした。 その本番の勝負を心待ちにしているようでした。 この18年間、 この18年間、 ずっとそばにいた私もあまり見たことのない自信に満ちたその表情。 ずっとそばにいた私もあまり見たことのない自信に満ちたその表情。 練練 習の積み重ねに加え、 習の積み重ねに加え、 これまでの貴重な試合経験が気持ちを強くさせ これまでの貴重な試合経験が気持ちを強くさせ たのだと感じました。 たのだと感じました。 大きかったのは、 大きかったのは、 高2の夏のインターハイ出場。 高2の夏のインターハイ出場。 “3投に結果を出してくる、 “3投に結果を出してくる、 強い者がたくさんいる” 強い者がたくさんいる” 『全国』 『全国』 という景色を見ることができたことは泰平にとってどれほど貴 という景色を見ることができたことは泰平にとってどれほど貴 重な経験となったことでしょう。 重な経験となったことでしょう。 さて、 さて、 部活が中心と思われた高校生活。 部活が中心と思われた高校生活。 でも、 でも、 決して勉強はおろそか 決して勉強はおろそか にしませんでしたね。 にしませんでしたね。 連日の試合、 連日の試合、 度重なる大会、 度重なる大会、 その分の課題消化は その分の課題消化は 大変だったのだと思います。 大変だったのだと思います。 試合から帰ってきた後も机に向かっていた 試合から帰ってきた後も机に向かっていた こともありました。 こともありました。 それでも家族の前では愚痴ひとつこぼさず、 それでも家族の前では愚痴ひとつこぼさず、 黙々と 黙々と こなしていたのを思い出します。 こなしていたのを思い出します。 そんな時、 そんな時、 常に支えとなったのは、 常に支えとなったのは、 先生方の激励と周りの友達の頑張 先生方の激励と周りの友達の頑張 る姿だったのではないでしょうか。 る姿だったのではないでしょうか。 そして、 そして、 泰平なりに強い志を持ち続 泰平なりに強い志を持ち続 けてきたことだと私は思っています。 けてきたことだと私は思っています。 この3年間、 この3年間、 とてもよい環境の中で、 とてもよい環境の中で、 精一杯過ごせたことに感謝し、 精一杯過ごせたことに感謝し、 そそ してこの卒業を胸に、 してこの卒業を胸に、 新たな夢に向かって大きく一歩を踏み出してくれ 新たな夢に向かって大きく一歩を踏み出してくれ ることを願っています。 ることを願っています。 卒業、 卒業、 おめでとう。 おめでとう。 平成27年 平成27年 22 月月 27 27 日 日 (4) (4) 32HR 村山 明子(佑斗) 32HR 村山 明子(佑斗) 元気に卒業を迎えることができて心からおめでとうと言いたいです。 元気に卒業を迎えることができて心からおめでとうと言いたいです。 3年生の4月に入院し悪性のものかもと言われた時は、 3年生の4月に入院し悪性のものかもと言われた時は、 母として何をし 母として何をし てきたんだろうとただただ後悔しました。 てきたんだろうとただただ後悔しました。 けれどこうして元気になり無 けれどこうして元気になり無 事卒業を迎えることに感謝せずにはいられません。 事卒業を迎えることに感謝せずにはいられません。 毎日の勉強、 毎日の勉強、 土日の 土日の 講義や模試と本当によく頑張りましたね。 講義や模試と本当によく頑張りましたね。 この1 この1 8年間の思いはたくさん 8年間の思いはたくさん ありすぎて言葉に出てきません。 ありすぎて言葉に出てきません。 私にとり、 私にとり、 あっという間ではありません あっという間ではありません でした。 でした。 母として本当に手も思いもかけられず、 母として本当に手も思いもかけられず、 仕事中心になってしま 仕事中心になってしま い、 い、 申し訳なく思っています。 申し訳なく思っています。 これからたくさんの喜怒哀楽に出合うこ これからたくさんの喜怒哀楽に出合うこ とでしょう。 とでしょう。 あなたの未来に死ぬまでエールを送り続けます。 あなたの未来に死ぬまでエールを送り続けます。 がんばれ。 がんばれ。 私が今まで生きてきて思うことは、 私が今まで生きてきて思うことは、 心も体も元気であればどんなことで 心も体も元気であればどんなことで も乗り越えられる、 も乗り越えられる、 そこに自分を理解しサポートしてくれる友、 そこに自分を理解しサポートしてくれる友、 家族が 家族が いれば大丈夫ということです。 いれば大丈夫ということです。 あなたも自分を強くする何かを見つけて あなたも自分を強くする何かを見つけて 下さい。 下さい。 今まで元気でいてくれて本当にありがとうございます。 今まで元気でいてくれて本当にありがとうございます。 母親に 母親に してくれて感謝しています。 してくれて感謝しています。 最後に、 最後に、 3年間面倒を見てご指導下さった先生方、 3年間面倒を見てご指導下さった先生方、 ありがとうございま ありがとうございま した。 した。 お世話になりました。 お世話になりました。 34HR 田浦恵美子(木乃美) 34HR 田浦恵美子(木乃美) 感 謝 感 謝 33HR 平山真理子(丈夫) 33HR 平山真理子(丈夫) 18年。 18年。 一緒に試行錯誤しながら歩んできた年月。 一緒に試行錯誤しながら歩んできた年月。 ようやく、 ようやく、 ここまでたどり ここまでたどり 着いた、 着いた、 という思いです。 という思いです。 決して、 決して、 順風満帆とは言えないこの1 順風満帆とは言えないこの1 8年間。 8年間。 つまずき、 つまずき、 転びそうにな 転びそうにな りながらも、 りながらも、 その度に一緒に悩み、 その度に一緒に悩み、 話し合い、 話し合い、 「頑張ろう‼」 「頑張ろう‼」 と前進し と前進し ……これって正に七転び八起きですね。 ……これって正に七転び八起きですね。 回り道をしているのかもしれな 回り道をしているのかもしれな いけれど、 いけれど、 あなたにとってプラスに転じていると感じています。 あなたにとってプラスに転じていると感じています。 例えば、 例えば、 他人の立場になって物事を考えることのできる、 他人の立場になって物事を考えることのできる、 他人の気持ちの解る人 他人の気持ちの解る人 だということ。 だということ。 それは逆に考えすぎて行動できなくなるという欠点でも それは逆に考えすぎて行動できなくなるという欠点でも ありますが……これからは自分を信じて前進して下さい。 ありますが……これからは自分を信じて前進して下さい。 AOでいち早 AOでいち早 く合格できたのも、 く合格できたのも、 堪えて頑張ってきた 堪えて頑張ってきた “ごほうび” “ごほうび” かもしれないですね。 かもしれないですね。 これから埼玉での一人暮らしが始まります。 これから埼玉での一人暮らしが始まります。 そしてここから人生第2 そしてここから人生第2 章の始まりです。 章の始まりです。 決して一人で生きているのではなく、 決して一人で生きているのではなく、 いろんな人から いろんな人から 支えられ、 支えられ、 助けられていることを実感して欲しいと思っています。 助けられていることを実感して欲しいと思っています。 そし そし てこれまでの経験を充分に生かして下さい。 てこれまでの経験を充分に生かして下さい。 行き詰まることがあったな 行き詰まることがあったな ら、 ら、 抱え込まず、 抱え込まず、 今までのように電話ででも話しましょう。 今までのように電話ででも話しましょう。 遠慮せずに、 遠慮せずに、 まだまだ頼って下さい。 まだまだ頼って下さい。 立派な歯科医師となって戻ってくるまでどれくらいかかるかな…… 立派な歯科医師となって戻ってくるまでどれくらいかかるかな…… 10年……いや、 10年……いや、 もっとかな。 もっとかな。 納得のいくところまで充分に学んできて下 納得のいくところまで充分に学んできて下 さい。 さい。 そして人として更に成長している姿を楽しみに待っています。 そして人として更に成長している姿を楽しみに待っています。 そそ れまで母も元気でいなくては れまで母も元気でいなくては !! この1 この1 8年間、 8年間、 歩んできた道のりは長かったけれど、 歩んできた道のりは長かったけれど、 母も 母も “親” “親” として一 として一 緒に成長させてもらったことを感謝したいと思います。 緒に成長させてもらったことを感謝したいと思います。 今まで本当にあ 今まで本当にあ りがとね。 りがとね。 そして、 そして、 体に気を付けて。 体に気を付けて。 母より 母より 3年間、 3年間、 月日が経つのは本当に早いものです。 月日が経つのは本当に早いものです。 我が家の3姉妹の末っ 我が家の3姉妹の末っ 子が卒業です。 子が卒業です。 今思うと何事も初めて経験することばかりで、 今思うと何事も初めて経験することばかりで、 感動と優しさにあふれ 感動と優しさにあふれ た3年間でした。 た3年間でした。 入学する前から憧れていた吹奏楽部に入部。 入学する前から憧れていた吹奏楽部に入部。 毎日の帰宅は2 毎日の帰宅は 1時過ぎ 21時過ぎ の汽車になり勉強する時間もなく、 の汽車になり勉強する時間もなく、 家族との会話もなく、 家族との会話もなく、 夕食を食べて 夕食を食べて いる時、 いる時、 箸を持ちながら眠ってしまったのには驚きました。 箸を持ちながら眠ってしまったのには驚きました。 それもその それもその はずです。 はずです。 まだ暗い朝5時前に起床、 まだ暗い朝5時前に起床、 2時間以上かけての深浦からの汽 2時間以上かけての深浦からの汽 車通学なのですから。 車通学なのですから。 入学したばかりのあなたにとっては大変なことで 入学したばかりのあなたにとっては大変なことで したね。 したね。 親の私もやっと起床していました。 親の私もやっと起床していました。 それと同時に祖父の入院です。 それと同時に祖父の入院です。 部活が終わると深浦 部活が終わると深浦 (自宅) (自宅) に帰宅す に帰宅す るのではなく、 るのではなく、 反対方向の弘前へと毎日祖父の見舞いに来ては手足を 反対方向の弘前へと毎日祖父の見舞いに来ては手足を 拭いてくれたり介護をしてくたね。 拭いてくれたり介護をしてくたね。 勉強、 勉強、 部活、 部活、 介護と頑張ったけど、 介護と頑張ったけど、 精精 神的、 神的、 肉体的にも限界だったのでしょう。 肉体的にも限界だったのでしょう。 やさしいあなたは悩んだ結果 やさしいあなたは悩んだ結果 憧れて入部した吹奏楽部を退部して祖父 憧れて入部した吹奏楽部を退部して祖父 ・家族を選びましたね。 ・家族を選びましたね。 (木乃 (木乃 美ごめんね) 美ごめんね) でも、 でも、 祖父は亡くなり、 祖父は亡くなり、 泣き叫んで落ち込んでいたあなただけれど祖 泣き叫んで落ち込んでいたあなただけれど祖 父との約束がありました。 父との約束がありました。 「人の為に命を助けたい」 「人の為に命を助けたい」 と看護師になるこ と看護師になるこ とです。 とです。 退部した分、 退部した分、 積極的に勉強に取り組み黙々と勉強して祖父との 積極的に勉強に取り組み黙々と勉強して祖父との 約束を守る為に今まで頑張りました。 約束を守る為に今まで頑張りました。 その約束を今叶えようとしている その約束を今叶えようとしている ……きっと祖父は天国で喜んで応援していると思います。 ……きっと祖父は天国で喜んで応援していると思います。 そして姉の出産です。 そして姉の出産です。 生まれたばかりの赤ちゃんを抱いて手を握り、 生まれたばかりの赤ちゃんを抱いて手を握り、 命の誕生の素晴らしさ嬉しさを実感して益々看護の道を考えるように 命の誕生の素晴らしさ嬉しさを実感して益々看護の道を考えるように なりましたね。 なりましたね。 いつでも必ず一番に家族を考えてくれたあなたは いつでも必ず一番に家族を考えてくれたあなたは 「家族 「家族 のおかげで自分の夢、 のおかげで自分の夢、 進む道がわかった。 進む道がわかった。 ありがとう。 ありがとう。 」と言うけれど、 」と言うけれど、 私たち家族が 私たち家族が 「今までどうもありがとう。 「今までどうもありがとう。 」と感謝します。 」と感謝します。 これからはあ これからはあ なたの目標に向かって前進して下さい。 なたの目標に向かって前進して下さい。 家族みんなで応援しています。 家族みんなで応援しています。 あなたの成長は家族全員の喜びです。 あなたの成長は家族全員の喜びです。 あなたの成長はたくさんの人か あなたの成長はたくさんの人か ら支えられ愛された証です。 ら支えられ愛された証です。 これからが人生本番です。 これからが人生本番です。 今まで経験して 今まで経験して きたこと全部あなたの力になって助けてくれるはずです。 きたこと全部あなたの力になって助けてくれるはずです。 「可愛い娘 「可愛い娘 よ卒業おめでとう。 よ卒業おめでとう。 」校長先生はじめ先生方色々ご指導いただきお世話 」校長先生はじめ先生方色々ご指導いただきお世話 になりどうもありがとうございました。 になりどうもありがとうございました。 1年間担任をしてくれた山本先生、 1年間担任をしてくれた山本先生、 心より親子共々感謝しております。 心より親子共々感謝しております。 感動と優しさをどうもありがとうご 感動と優しさをどうもありがとうご ざいました。 ざいました。 もう一つ。 もう一つ。 俳句が得意で深浦俳句に入り、 俳句が得意で深浦俳句に入り、 小学校の時から県文化賞を 小学校の時から県文化賞を いただいたり、 いただいたり、 新聞、 新聞、 広報に載せられたりなど、 広報に載せられたりなど、 素晴らしい俳句を残しま 素晴らしい俳句を残しま した。 した。 深浦地域では有名な娘でした。 深浦地域では有名な娘でした。 娘よ。 娘よ。 ~いよいよ旅立ちの時です。 ~いよいよ旅立ちの時です。 春告げる 汽笛鳴らすや 五能線 春告げる 汽笛鳴らすや 五能線 (木乃美句) (木乃美句) 頑張った娘へ 頑張った娘へ 35HR 岡田寿賀子(鮎佳) 35HR 岡田寿賀子(鮎佳) もうすぐで高校卒業ですね。 もうすぐで高校卒業ですね。 早いもので、 早いもので、 あっという間の高校3年間。 あっという間の高校3年間。 自分で決めた五所川原高校入学。 自分で決めた五所川原高校入学。 中学時代の吹部仲間と一緒に入部。 中学時代の吹部仲間と一緒に入部。 新しい仲間と共に東北大会出場を夢見て頑張った 新しい仲間と共に東北大会出場を夢見て頑張った 3年間。 3年間。 定演のパート 定演のパート のアクセサリー作りを自分では作れないのをわかっているのに、 のアクセサリー作りを自分では作れないのをわかっているのに、 よく引 よく引 き受けてきたよね。 き受けてきたよね。 「お願い。 「お願い。 」と私に頼んできては、 」と私に頼んできては、 私なりにアイディ 私なりにアイディ アを考え、 アを考え、 楽しんで作ったりしたのを思い出します。 楽しんで作ったりしたのを思い出します。 ゴールド金賞にかけ、 ゴールド金賞にかけ、 皆で作った金色だらけの千羽鶴。 皆で作った金色だらけの千羽鶴。 これにも協力させてもらい、 これにも協力させてもらい、 初めて千 初めて千 羽鶴の組み立て方がわかり、 羽鶴の組み立て方がわかり、 勉強になりました。 勉強になりました。 「皆と一緒に演奏して 「皆と一緒に演奏して いる時が一番楽しくて、 いる時が一番楽しくて、 ストレス発散できるんだ。 ストレス発散できるんだ。 」と言っていましたね。 」と言っていましたね。 部活が楽しくて仕方なくて、 部活が楽しくて仕方なくて、 大好きで……。 大好きで……。 」」 3年生の秋、 3年生の秋、 部活を引退してからは、 部活を引退してからは、 これからの受験勉強に向けての これからの受験勉強に向けての 時間配分が上手くつかめず、 時間配分が上手くつかめず、 また、 また、 気分転換できる時間もなかなかとれ 気分転換できる時間もなかなかとれ ず苦労しましたね。 ず苦労しましたね。 大好きだった部活の時間が全くなくなることで、 大好きだった部活の時間が全くなくなることで、 今今 思えば、 思えば、 この頃から精神的にもとてもつらかった時期だったのかもしれ この頃から精神的にもとてもつらかった時期だったのかもしれ ないなと思いました。 ないなと思いました。 度々体調を崩しては保健室へ出向く回数も増え、 度々体調を崩しては保健室へ出向く回数も増え、 また、 また、 病院受診の為の早退や欠席も増えました。 病院受診の為の早退や欠席も増えました。 ある日、 ある日、 「何で自分だけ、 「何で自分だけ、 こんなんだろう。 こんなんだろう。 」と、 」と、 原因不明の体調不良に悩み、 原因不明の体調不良に悩み、 落ち込んだこともあ 落ち込んだこともあ りましたね。 りましたね。 いろいろなことがあった いろいろなことがあった 3年間だったけど、 3年間だったけど、 鮎佳覚えているかなあ。 鮎佳覚えているかなあ。 忘忘 れちゃっていることもたくさんあるかもしれないね。 れちゃっていることもたくさんあるかもしれないね。 いつでも先生方は親身になって相談にのってくれ、 いつでも先生方は親身になって相談にのってくれ、 その度に幾度とな その度に幾度とな く対応して下さり感謝しています。 く対応して下さり感謝しています。 また、 また、 いつでも体調不良の時気付い いつでも体調不良の時気付い てくれるクラスメイトがいたこと、 てくれるクラスメイトがいたこと、 安心できる環境を提供してくれた先 安心できる環境を提供してくれた先 生方、 生方、 数え切れないくらいの感謝の気持ちでいっぱいです。 数え切れないくらいの感謝の気持ちでいっぱいです。 ありがとう ありがとう ございました。 ございました。 今までがんばれたのも、 今までがんばれたのも、 友達やクラスメイト、 友達やクラスメイト、 そして、 そして、 先生方や関わっ 先生方や関わっ た多くの人達のおかげであることを忘れないで下さい。 た多くの人達のおかげであることを忘れないで下さい。 五所川原高校 五所川原高校 での3年間の思い出、 での3年間の思い出、 大切にして下さい。 大切にして下さい。 今は、 今は、 五高に入学してよかったと思えているはずです。 五高に入学してよかったと思えているはずです。 私は、 私は、 そう思 そう思 います。 います。 今年のセンター試験は、 今年のセンター試験は、 新課程となった1年目の年ということもあり、 新課程となった1年目の年ということもあり、 とても大変だったと思います。 とても大変だったと思います。 これから先、 これから先、 何があるのか誰にもわかり 何があるのか誰にもわかり ません。 ません。 自分の願い通りになることは決して多くはないかもしれません。 自分の願い通りになることは決して多くはないかもしれません。 だからこそ、 だからこそ、 自分の信じる道、 自分の信じる道、 自分の夢をあきらめずに前へ進んで欲し 自分の夢をあきらめずに前へ進んで欲し いのです。 いのです。 後悔しないためにも……。 後悔しないためにも……。 きっと鮎佳なら大丈夫。 きっと鮎佳なら大丈夫。 鮎佳の夢 鮎佳の夢 いつでも応援しているよ。 いつでも応援しているよ。 卒業おめでとう。 卒業おめでとう。 (7) (7) 平成27年 平成27年 22 月月 27 27 日日 は る に れ は る に れ 第第 79 79 号号 は る に れ は る に れ 第第 79 79 号号 平成27年 平成27年 22 月月 27 27 日 日 (6) (6) 普段は言えない家族へのメッセージ あ あ♥♥りり♥♥が が♥♥とと♥♥うう 普段は言えない家族へのメッセージ いつも何かと自分のた いつも何かと自分のた めに頑 めに頑 張ってくれるけ 張ってくれるけ ど、 ど、 家では口を開けば 家では口を開けば ケンカばかりで、 ケンカばかりで、 素直 素直 になれなくてごめんな になれなくてごめんな さい さい 。18年 。18年 間支 間支 えて えて くれてありがとう。 くれてありがとう。 ここ れ からも れ からも 迷迷 惑惑 か けるか か けるか もしれ もしれ ない なけ いけ ど、 ど、 よろしくお願いします。 よろしくお願いします。 お母さん お母さん !今まで育てて !今まで育てて 普段は言葉にはしませ 普段は言葉にはしませ くれてありがとう‼特 くれてありがとう‼特 んが、 んが、 今まで 今まで 育 ててく 育 ててく にお父さんが病気で亡 にお父さんが病気で亡 れて、進学もさせてく れて、進学もさせてく くなったのと反抗期が くなったのと反抗期が れてありがとう。 れてありがとう。 これ これ 重なった時期に育てて 重なった時期に育てて からはもっと人間とし からはもっと人間とし くれて感謝しています。 くれて感謝しています。 て成長していく予定で て成長していく予定で 自分もお母さんみたい 自分もお母さんみたい すす がが おお 世世 話話 にに なる なる のの に強い人になって、 に強い人になって、 お母さんを温泉旅行 お母さんを温泉旅行 でよろしくお願いします。両 でよろしくお願いします。両 親はもち 親はもち に連れて行きます。 に連れて行きます。 約束な 約束な !! ろん妹弟もいつもありがとう。 ろん妹弟もいつもありがとう。 3年間で一度もはるに 3年間で一度もはるに れに載ったことがない れに載ったことがない ね~なんて話をしたこ ね~なんて話をしたこ ともあったのに最後に ともあったのに最後に こういう機会が設けら こういう機会が設けら れるとは!廉だけでは れるとは!廉だけでは 物足りないと、 物足りないと、 真実の 真実の 真をつけて廉真。 真をつけて廉真。 親にはいい名を授け 親にはいい名を授け てくれて感謝しています。 てくれて感謝しています。 32HR 諏訪 智大 32HR 諏訪 智大 31HR 一戸 謙太 31HR 一戸 謙太 お父さんとお母さんに お父さんとお母さんに はは 毎日 毎の 日の 弁弁 当当 やや 送り 送り 迎えなどでたくさんお 迎えなどでたくさんお 世話になりました。弟 世話になりました。弟 達も勉強中にたくさん 達も勉強中にたくさん 騒いでくれました。家 騒いでくれました。家 族族 のお のお かげ かげ でで 今今 の自 の自 分があります。 分があります。 これからも迷 これからも迷 惑をかけ 惑をかけ るのでよろしくお願いします。 るのでよろしくお願いします。 3年間弁当を作ってく 3年間弁当を作ってく 高校3年間はとても辛 高校3年間はとても辛 れたり、 れたり、 雨の時や冬の 雨の時や冬の くて、 くて、 学 校に行 学 校に行 きたく きたく 送り 送迎 り迎 えな えな どど 本本 当に 当に ないと思うこともあり ないと思うこともあり 感 謝しています。 感 謝しています。 今日 今日 ましたが、 ましたが、 両親の励ま 両親の励ま まで育ててくれてあり まで育ててくれてあり しの し言 の言 葉葉 のお のお かげ かげ でで がとうございました。 がとうございました。 通い続けることができ 通い続けることができ あと あと 数数 年年 学学 費費 など など でで ました。 ました。 これからはな これからはな 迷惑をかけますが、 迷惑をかけますが、 親孝行できるよう 親孝行できるよう る べく迷 る べく迷 惑 をか 惑 をか けな けい な ようにする い ようにする のの にがんばりたいです。 にがんばりたいです。 で、 で、 見守っていてください。 見守っていてください。 35HR 棟方 涼生 35HR 棟方 涼生 34HR 近藤 敦史 34HR 近藤 敦史 3年 3年 間間 ずず っと っと 迷迷 惑惑 をを 父父 がが 海海 外外 へ仕 へ仕 事事 に行 に行 かけたり、 かけたり、 心配をさせ 心配をさせ くように くように なり、 なり、 1年 1年 がが てしまい、 てしまい、 とても手の とても手の 過ぎました。 過ぎました。 母は家事 母は家事 かかる息子だったと思 かかる息子だったと思 に加え、 に加え、 力仕事も一人 力仕事も一人 います。 います。 それでもずっ それでもずっ でで ここ なな しし 、辛 、辛 いい 日日 もも と支えてくれた父と母 と支えてくれた父と母 あったと思います。 あったと思います。 そそ には感 には感 謝しています。 謝しています。 れでも毎朝、 れでも毎朝、 元気に送 元気に送 これからも2人には迷惑をかけると思 これからも2人には迷惑をかけると思 り出してくれる笑顔にいつも救われて り出してくれる笑顔にいつも救われて いますが、 いますが、 宜しくおねがいします。 宜しくおねがいします。 いました。 いました。 ありがと!おっかぁ ありがと!おっかぁ !! 困 った 困 った とき とき にに 相相 談談 にに のの ってくれ ってくれ たた おお 父父 ささ ん、 ん、 毎日のように喧嘩 毎日のように喧嘩 しな しな がら がも らも 毎日 毎の 日の 生生 活を支えてくれたお母 活を支えてくれたお母 さん、 さん、 3年間ありがと 3年間ありがと う。 う。 これからも迷惑を これからも迷惑を かけることがあると思いますが、 かけることがあると思いますが、 親孝 親孝 行できるよう頑張りたいと思う。 行できるよう頑張りたいと思う。 3年 3年 間間 おお 弁弁 当と 当か とか そそ の他全般のことやって の他全般のことやって くれ くれ たマ たマ マ、 マ、 ありがと ありがと う。 う。 何回もケンカした 何回もケンカした けど一番理 けど一番理 解してくれ 解してくれ てるのはママです。 てるのはママです。 パパ パ、 パ、 ママ、 ママ、 大学生になっ 大学生になっ てからもよろしくね。 てからもよろしくね。 まず、 まず、 高校に入学させ 高校に入学させ てくれてありがとうご てくれてありがとうご ざいます。 ざいます。 予定は大き 予定は大き くずれて卒業後にいき くずれて卒業後にいき なり就職となってしま なり就職となってしま いましたが、 いましたが、 自衛隊は 自衛隊は 自分 自分 のの 夢夢 なな ので ので 誰に 誰に 反対されても大丈夫です。心配なさら 反対されても大丈夫です。心配なさら ず。 ず。 18年間お世話になりました。 18年間お世話になりました。 毎日仕事で忙しくても 毎日仕事で忙しくても お弁当をつくってくれ お弁当をつくってくれ たり、送 たり、送 迎をしてくれ 迎をしてくれ たりと、 たりと、 ずっと支 ずっと支 えて えて きてくれた2人には、 きてくれた2人には、 感謝の気持ちしかあり 感謝の気持ちしかあり ません。 ません。 これからもた これからもた くさん迷 くさん迷 惑をかけると思いますが、 惑をかけると思いますが、 よよ ろしくお願いします。 ろしくお願いします。 毎日 毎の 日の 弁弁 当当 作りや 作りや 送送 高高 校校 にに 入学 入 して 学 して かか らら 女手一つでここまで育 女手一つでここまで育 迎ありがとうございま 迎ありがとうございま は、 は、 意見の不一致や些 意見の不一致や些 て てくれ て てくれ たマッマ。 たマッマ。 仕仕 した。 した。 自分のやりたい 自分のやりたい 細なことでの口ゲンカ 細なことでの口ゲンカ 事が 事が ああ るる のの に毎 に毎 朝朝 早早 事事 だだ け して け して いい まし まし たた がが 絶絶 えま えま せせ んで んで した した く起きて弁当を作って く起きて弁当を作って がが 、叱 、叱 らら ずず 、た 、た だだ 見見 が、 が、 それでも三年間支 それでも三年間支 くれたり、 くれたり、 行きたい大 行きたい大 守ってくれましたね 守ってくれましたね 。。 えてくれたことへの感 えてくれたことへの感 学学 にに 入入 れれ てくれ てくれ たた りり 恩恩 返し 返し をした をした いい けけ れれ 謝は忘れられません。 謝は忘れられません。 ……本当に感謝です。 ……本当に感謝です。 ど、 ど、 何が恩返しか分からないので、 何が恩返しか分からないので、 自分 自分 まだまだ迷惑をかけるかもしれません まだまだ迷惑をかけるかもしれません かけてもらったお金は将来倍にして返 かけてもらったお金は将来倍にして返 で発見してから恩返しします‼ で発見してから恩返しします‼ が、 が、 よろしくお願いします。 よろしくお願いします。 すので、 すので、 老後はご自由にどうぞ。 老後はご自由にどうぞ。 本当に3年間学校に出 本当に3年間学校に出 いつも健康面を気にし いつも健康面を気にし 今まで自分を支えてく 今まで自分を支えてく てばっかりで、 てばっかりで、 自分 自分 中中 てくれた母。 てくれた母。 長い時間 長い時間 れてありがとう。 れてありがとう。 自分 自分 心で 心で 家家 族族 のの 生生 活活 がが まま 待たせてしまっても文 待たせてしまっても文 のの 進進 路が 路が なな かな かな かか 決決 わ って わ って いい たと たと 思思 いい まま 句を言わずに毎日送り 句を言わずに毎日送り まらないときに、 まらないときに、 アド アド す。 す。 恵まれた環境で勉 恵まれた環境で勉 迎 えをしてくれた 迎 えをしてくれた 父。 父。 バイスをくれたことに バイスをくれたことに 強強 やや 部部 活活 にに 打打 ち込 ち込 めめ 本本 当 にこ 当 にこ んん な自 な自 分分 勝勝 とて とて もも 感感 謝 して 謝 して いい まま たの たは のは 家家 族族 の支 の支 えが えが 手な私を支えてくれて 手な私を支えてくれて す。大 す。大 学では、 学では、 お世 お話 世話 あってこそでした。 あってこそでした。 本当にありがとう。 本当にありがとう。 ありがとう。 ありがとう。 絶対に親孝行するので楽 絶対に親孝行するので楽 になったことを忘れずに自立できるよ になったことを忘れずに自立できるよ これからもよろしくお願いします。 これからもよろしくお願いします。 しみにして待っていて下さい。 しみにして待っていて下さい。 うに頑張ります‼ うに頑張ります‼ 3年間、 3年間、 お弁当を作っ お弁当を作っ お母さん、 お母さん、 お 父さん、 お 父さん、 おお 父さん、 父さん、 お 母さん、 お 母さん、 てくれたり送り迎えを てくれたり送り迎えを のんちゃん、 のんちゃん、 3年間あ 3年間あ 今まで18年間育てて 今まで18年間育てて してくれてありがとう してくれてありがとう りがとう。 りがとう。 大 会のたび 大 会のたび くれてありがとう。進 くれてありがとう。進 ございました。 ございました。 進路の 進路の にに 応応 援援 にに 来来 てくれ てくれ たた 路についても、 路についても、 習いご 習いご ことでもたくさんお世 ことでもたくさんお世 り、 り、 声楽 声楽 のレッスンに のレッスンに とも一回も反対しない とも一回も反対しない 話になりました。 話になりました。 これ これ つれていってもらった つれていってもらった で好きなことをやらせ で好きなことをやらせ からの大学生活では、 からの大学生活では、 り、 り、 歌と真剣に向き合 歌と真剣に向き合 てくれてありがとう。 てくれてありがとう。 自分の夢を叶えられるように努力して 自分の夢を叶えられるように努力して えたのは家族の支えのおかげです。 えたのは家族の支えのおかげです。 あ あ これからもお世話になりますが、 これからもお世話になりますが、 よろ よろ いきたいと思います。 いきたいと思います。 りがとうございました。 りがとうございました。 しくお願いします。 しくお願いします。 36HR 石村 秀翔 36HR 石村 秀翔 36HR 野呂 泰平 36HR 野呂 泰平 36HR 北島 ありさ 36HR 北島 ありさ 35HR 對馬 和希 35HR 對馬 和希 35HR 江良 佳奈子 35HR 江良 佳奈子 34HR 一戸 遼太 34HR 一戸 遼太 34HR 赤平 朋代 34HR 赤平 朋代 36HR 窪田 春香 36HR 窪田 春香 35HR 加藤 百花 35HR 加藤 百花 34HR 釜萢 真希 34HR 釜萢 真希 いつも私のことを1番 いつも私のことを1番 に考え、 に考え、 18年 18年 間大 間大 切切 に育ててくれたお父さ に育ててくれたお父さ ん、 ん、 お母さん、 お母さん、 本当に 本当に ありがとう。温かくて ありがとう。温かくて 楽しくて大好きな箱田 楽しくて大好きな箱田 家に 家に 生ま 生れ まれ たた 私私 はは 誰誰 よりも幸せ者です。 よりも幸せ者です。 これからも夢に向 これからも夢に向 かって頑張るので応援よろしくね! かって頑張るので応援よろしくね! 毎日のお弁当作り、 毎日のお弁当作り、 送送 り迎 り迎 えありが えありが とう。 とう。 11 8年 8年 間間 いっぱ いっぱ いい 迷迷 惑惑 かけてきたのに、 かけてきたのに、 いつ いつ も1番に応 も1番に応 援してくれ 援してくれ てて たた 事事 、感 、感 謝謝 して して まま す。 す。 口では言わないけ 口では言わないけ ど、 ど、 お母さんの子どもに産まれてこれ お母さんの子どもに産まれてこれ て、 て、 幸せです。 幸せです。 進路の話をした時、 進路の話をした時、 県県 内じゃなくてもいいん 内じゃなくてもいいん だよって言ってくれた だよって言ってくれた のすごく嬉しかった。 のすごく嬉しかった。 ありがとう。 ありがとう。 自分が思 自分が思 うことを自由にやらせ うことを自由にやらせ てくれて本当に感謝し てくれて本当に感謝し てる。 てる。 これから寂しくなるけど、 これから寂しくなるけど、 時々会 時々会 いに帰るからね。 いに帰るからね。 36HR 箱田 有香 36HR 箱田 有香 35HR 三上 葵葉 35HR 三上 葵葉 34HR 木村 奏 34HR 木村 奏 33HR 白川 廉真 33HR 白川 廉真 33HR 平山 丈夫 33HR 平山 丈夫 33HR 三橋 孝平 33HR 三橋 孝平 33HR 長内 亜有子 33HR 長内 亜有子 3年間、 3年間、 いろいろとあ いろいろとあ 3年間、 3年間、 毎日学校まで 毎日学校まで りが りが とう とご うご ざざ いい まし まし 迎えに来てくれてあり 迎えに来てくれてあり た。 た。 冬の朝晩の送り迎 冬の朝晩の送り迎 がとう。 がとう。 仕事で疲れて 仕事で疲れて えや毎日の弁当など、 えや毎日の弁当など、 いい るは るは ずず なな のの に毎 に毎 日日 とても大変だったと思 とても大変だったと思 時時 間間 にに な ると な ると 迎迎 えに えに います。 います。 これまでの感 これまでの感 来てくれたことに本当 来てくれたことに本当 謝を忘れずに、 謝を忘れずに、 大学で 大学で に感謝しています。 に感謝しています。 大大 は高校生活よりも充実した生活を送れ は高校生活よりも充実した生活を送れ 学生になってアルバイトを始めたら両 学生になってアルバイトを始めたら両 るよう努力していきます。 るよう努力していきます。 親に何かプレゼントをしたいです。 親に何かプレゼントをしたいです。 32HR 新岡 健弥 32HR 新岡 健弥 32HR 金子 咲葵 32HR 金子 咲葵 31HR 高橋 弘樹 31HR 高橋 弘樹 31HR 佐藤 佑衣 31HR 佐藤 佑衣 32HR 相馬 茜 32HR 相馬 茜 31HR 成田 里美 31HR 成田 里美 毎日朝早くに起きて弁 毎日朝早くに起きて弁 面と向かって感謝を伝 面と向かって感謝を伝 当を 当を 作ってくれ 作ってくれ たり、 たり、 えたことはありません えたことはありません 学校までの送り迎えを 学校までの送り迎えを が、 が、 本当はとても感謝 本当はとても感謝 してくれ してくれ たこと、 たこと、 本当 本当 しています。 しています。 毎日欠か 毎日欠か に感 に感 謝しています。 謝しています。 春春 さずお弁当をつくって さずお弁当をつくって から から のの 大大 学学 生生 活で 活で はは くれて、 くれて、 どんなに朝 どんなに朝 早早 自分の夢に向かって一 自分の夢に向かって一 くて くて もも 学学 校校 へへ のの 送送 迎迎 生懸命勉強し、 生懸命勉強し、 立派な社会人になれる 立派な社会人になれる をしてくれました。 をしてくれました。 ありがとうございま ありがとうございま ように頑張ります! ように頑張ります! す。 す。 今後もお願いします。 今後もお願いします。 怠怠 惰惰 なな 私を 私を 見見 放放 すこ すこ となく、厳しく温 となく、厳しく温 かく かく 育育 てて てくれ てくれ たた おお 母母 ささ ん。 ん。 いつも私の考えを いつも私の考えを 最優 最 先して見守ってく 優 先して見守ってく れたパパ。 れたパパ。 本当に感謝 本当に感謝 が尽きません。 が尽きません。 いっぱ いっぱ い、 い、 ありがとう。 ありがとう。 今度は私が恩返しする 今度は私が恩返しする 番です。 番です。 楽しみにしていてね。 楽しみにしていてね。 33HR 斉藤 澪 33HR 斉藤 澪 32HR 三上 彩菜 32HR 三上 彩菜 31HR 三橋 美保 31HR 三橋 美保 は る に れ は る に れ (9) (9) 平成27年 平成27年 22 月月 27 27 日日 3学年団 3学年団 より より 第第 79 79 号号 の皆様 へ 保護者 保護者の 皆様へ 36HR 赤城 幸一郎 36HR 赤城 幸一郎 卒 卒 業業 式式 まま でで 残残 りり ああ とと わわ ずず かか とと なな りり まま しし た。ま た。ま ずず は入学時から男子 は入学時から男子 2020 名、 名、 女子 女子 2020 名計 名計 4040 名全員が 名全員が 誰一人欠けることなく無 誰一人欠けることなく無 事に卒業式を迎えられる 事に卒業式を迎えられる こと、それだけで幸せな気持ちでいっぱいで こと、それだけで幸せな気持ちでいっぱいで す。これ以上の喜びはありません。 す。これ以上の喜びはありません。 また、現理数科3年生から始まったSRP また、現理数科3年生から始まったSRP (東京研修)やELC (東京研修)やELC (勉強合宿)など新しい (勉強合宿)など新しい 取り組みも多い中、保護者の皆様の温かい支 取り組みも多い中、保護者の皆様の温かい支 援とご理解のおかげですべて達成することが 援とご理解のおかげですべて達成することが できました。高校生という多感な時期にこの できました。高校生という多感な時期にこの ような経験ができたことは生徒にとって大き ような経験ができたことは生徒にとって大き な財産であり、ものの見方や考え方を広げる な財産であり、ものの見方や考え方を広げる きっかけとなりました。これも保護者の皆様 きっかけとなりました。これも保護者の皆様 ご協力があってのことと思います。ありがと ご協力があってのことと思います。ありがと うございました。また、ご多忙の中、常日頃 うございました。また、ご多忙の中、常日頃 よりご協力いただいている役員の皆様や学年 よりご協力いただいている役員の皆様や学年 部会に足を運んでいただいた多数の保護者の 部会に足を運んでいただいた多数の保護者の 皆様、この場をお借りしてお礼申し上げます。 皆様、この場をお借りしてお礼申し上げます。 卒業式のお子様の立派な晴れ姿、ぜひ楽し 卒業式のお子様の立派な晴れ姿、ぜひ楽し みにしていてください。 みにしていてください。 35HR 35HR 担任 西村 勇士 担任 西村 勇士 リアルに、この前入学したと思っ リアルに、この前入学したと思っ たらもう卒業を実感しています。保 たらもう卒業を実感しています。保 護護 者者 のの 皆皆 ささ んん は、様 は、様 々々 なな 思思 いい でで いい らっしゃることでしょう。 らっしゃることでしょう。 昨年の春、3年生になり、すべて 昨年の春、3年生になり、すべて の学校行事に「最後の…」が付き、 の学校行事に「最後の…」が付き、 生徒達の気合いが違ってきました。最後の学校祭。3年 生徒達の気合いが違ってきました。最後の学校祭。3年 生は模擬店を出しましたが、我がクラスは「売り上げよ 生は模擬店を出しましたが、我がクラスは「売り上げよ りも売りたいものを売る」 りも売りたいものを売る」 という経営方針の下、 という経営方針の下、 忙しかっ 忙しかっ た割に最終的には若干の赤字となりました。また、最後 た割に最終的には若干の赤字となりました。また、最後 の競技大会では、昨年の総合最下位の汚名を晴らすべく の競技大会では、昨年の総合最下位の汚名を晴らすべく 臨んだ初日にクラス対抗リレーで優勝しました。2日目 臨んだ初日にクラス対抗リレーで優勝しました。2日目 も男子バレー、男子サッカーが優勝、女子バスケが2位 も男子バレー、男子サッカーが優勝、女子バスケが2位 と好結果を残し、総合上位に期待がかかりましたが、結 と好結果を残し、総合上位に期待がかかりましたが、結 果は第4位!なんとも微妙な位置が5組らしいとみんな 果は第4位!なんとも微妙な位置が5組らしいとみんな で納得していました。ただ、五高音頭がなぜ最下位だっ で納得していました。ただ、五高音頭がなぜ最下位だっ たのか不満です。勉強に関しても各自がそれぞれ頑張っ たのか不満です。勉強に関しても各自がそれぞれ頑張っ ていましたが、みんな3年 ていましたが、みんな3年 間相当頑張ってきた結果な 間相当頑張ってきた結果な ので、悔いは残らないでしょう。 ので、悔いは残らないでしょう。 あっという間に過ぎていったこの3年間、最後の学校 あっという間に過ぎていったこの3年間、最後の学校 行事となる卒業式で、生徒と保護者の皆さんが、誇らし 行事となる卒業式で、生徒と保護者の皆さんが、誇らし い気持ちで五高の門を出て行ってくれることを願いま い気持ちで五高の門を出て行ってくれることを願いま す。 す。 学年主任 山口 公美 学年主任 山口 公美 第3学年保護者の皆様、お子様のご卒業おめでとうございます。つい先日入学式を迎え 第3学年保護者の皆様、お子様のご卒業おめでとうございます。つい先日入学式を迎え たかのような錯覚に陥るほど時間の流れは速いものですが、気が付けば235名の旅立ち たかのような錯覚に陥るほど時間の流れは速いものですが、気が付けば235名の旅立ち を見送る季節がやってきました。 を見送る季節がやってきました。 本校は近隣地区はもちろんのこと、遠方からも多数の生徒が通学しています。朝早く起 本校は近隣地区はもちろんのこと、遠方からも多数の生徒が通学しています。朝早く起 きてお弁当を作り、朝食の準備、さらに登下校の送り迎えなどを考えますと、ご苦労の絶 きてお弁当を作り、朝食の準備、さらに登下校の送り迎えなどを考えますと、ご苦労の絶 えない3年間であったろうと頭の下がる思いです。また、各 えない3年間であったろうと頭の下がる思いです。また、各 PTA PTA 活動へも陰ひなたとなり 活動へも陰ひなたとなり 多数ご協力いただきました。スタート時より本学年の 多数ご協力いただきました。スタート時より本学年の PTA PTA 活動は非常にパワーがあるという評判をいただいて 活動は非常にパワーがあるという評判をいただいて おりましたが、その元気に励まされ、支えられ、そして甘えながら3年間楽しく学年を運営することができま おりましたが、その元気に励まされ、支えられ、そして甘えながら3年間楽しく学年を運営することができま した。役員を快く引き受け、会議のたびに学校へ足を運んで下さった方々をはじめ、これまで学校祭、立佞武 した。役員を快く引き受け、会議のたびに学校へ足を運んで下さった方々をはじめ、これまで学校祭、立佞武 多をはじめとする学校行事に参加ご協力いただいた保護者の皆様に心より感謝申し上げます。 多をはじめとする学校行事に参加ご協力いただいた保護者の皆様に心より感謝申し上げます。 間もなく子供たちの多くは親元を離れ、それぞれが選んだ道へ巣立ちます。時には慣れない環境で疲れてし 間もなく子供たちの多くは親元を離れ、それぞれが選んだ道へ巣立ちます。時には慣れない環境で疲れてし まうこともあるでしょう。私たちは生徒たちを見送る一方で、これからは困った時に帰ってくる場所でもあり まうこともあるでしょう。私たちは生徒たちを見送る一方で、これからは困った時に帰ってくる場所でもあり 続けたいと考えています。3年間本当にありがとうございました。 続けたいと考えています。3年間本当にありがとうございました。 は る に れ は る に れ 第第 79 79 号号 平成27年 平成27年 22 月月 27 27 日 日 (8) (8) 31HR 31HR 担任 金子 勇太 担任 金子 勇太 33HR担任 杉沼 裕三 33HR担任 杉沼 裕三 これまでお世話になった保護者 これまでお世話になった保護者 の方々に次の3つの言葉をぜひ伝 の方々に次の3つの言葉をぜひ伝 えたいと思います。 えたいと思います。 「おめでとうございます。 「おめでとうございます。 」」 感慨深いことは多々ありますが、 感慨深いことは多々ありますが、 なによりも無事に卒業できること なによりも無事に卒業できること をうれしく思い月並みではありますがこの言葉を贈りま をうれしく思い月並みではありますがこの言葉を贈りま す。卒業おめでとうございます。 す。卒業おめでとうございます。 「ありがとうございました。 「ありがとうございました。 」」 無事に卒業できたのも保護者の方々が様々な面で生 無事に卒業できたのも保護者の方々が様々な面で生 徒をサポートしてくださったおかげです。 徒をサポートしてくださったおかげです。 意識してサポー 意識してサポー トした部分はもちろん、普段の生活の中であたりまえの トした部分はもちろん、普段の生活の中であたりまえの 何気ないことが生徒にとっては大きな支えになったと思 何気ないことが生徒にとっては大きな支えになったと思 います。改めて感謝致します。ありがとうございました。 います。改めて感謝致します。ありがとうございました。 「お疲れ様でした。 「お疲れ様でした。 」」 3年間の保護者の方々の負担は想像するに難いこと 3年間の保護者の方々の負担は想像するに難いこと であり、一言で表せることではありませんが、ぜひ伝え であり、一言で表せることではありませんが、ぜひ伝え たいと思います。本当にお疲れ様でした。 たいと思います。本当にお疲れ様でした。 生徒・保護者の方々も3年間の頑張りに一息入れて、 生徒・保護者の方々も3年間の頑張りに一息入れて、 新たな気持ちで次に踏み出してくれることを期待してい 新たな気持ちで次に踏み出してくれることを期待してい ます。 ます。 昨年の6月に岩手県に出張 昨年の6月に岩手県に出張 に行きました。進路に関する に行きました。進路に関する 会議で岩手や秋田、北海道の 会議で岩手や秋田、北海道の 先生方と様々な情報交換をす 先生方と様々な情報交換をす ることができました。そこで ることができました。そこで 話題は学年PTAの内容や参 話題は学年PTAの内容や参 加加 者の人 者の人 数になりました。 数になりました。 ちょうど翌日が第 ちょうど翌日が第 1回 1回 3学年PT 3学年PT A部会だったので、 A部会だったので、 参加人数が179名の 参加人数が179名の 予定だと言ったところ、他校の先生方から本校 予定だと言ったところ、他校の先生方から本校 の保護者の方の意識の高さを羨ましがられまし の保護者の方の意識の高さを羨ましがられまし た。そして、翌日の学年部会で様々な進路情報 た。そして、翌日の学年部会で様々な進路情報 を提供させていただいたのですが、それを熱心 を提供させていただいたのですが、それを熱心 に聞いている保護者の方の姿を拝見し、気持ち に聞いている保護者の方の姿を拝見し、気持ち が引き締まったのを鮮明に覚えています。 が引き締まったのを鮮明に覚えています。 この3年間、保護者の方には多くの御協力を この3年間、保護者の方には多くの御協力を いただきました。五高で9年間、担任をさせて いただきました。五高で9年間、担任をさせて いただいていますが、本校の保護者の方の熱意 いただいていますが、本校の保護者の方の熱意 には頭が下がります。私も2児の父親です。自 には頭が下がります。私も2児の父親です。自 分も保護者として見習わなければと思っていま 分も保護者として見習わなければと思っていま す。3年間、ありがとうございました。 す。3年間、ありがとうございました。 32HR 32HR 担任 岡本 礁子 担任 岡本 礁子 34HR 34HR 担任 山本 元子 担任 山本 元子 ご ご 卒卒 業おめでとうございます。 業おめでとうございます。 1年という短い間でしたが、4組 1年という短い間でしたが、4組 の保護者の皆様には大変お世話に の保護者の皆様には大変お世話に なりました。心より感謝申し上げ なりました。心より感謝申し上げ ます。学級懇談でエンカウンター ます。学級懇談でエンカウンター をやっていただいたことも思い出 をやっていただいたことも思い出 の一つです。保護者の皆様同士がぐんと距離を縮め、 の一つです。保護者の皆様同士がぐんと距離を縮め、 子育ての悩みや長所自慢など、話に花が咲きました。 子育ての悩みや長所自慢など、話に花が咲きました。 親御さんの、ご子息ご息女に対する深い愛情を感じ、 親御さんの、ご子息ご息女に対する深い愛情を感じ、 HH R担任として責任を改めて感じた時間でもありました。 R担任として責任を改めて感じた時間でもありました。 怒って無理矢理やらせるなら誰でもできる。プロであ 怒って無理矢理やらせるなら誰でもできる。プロであ れば怒らずとも生徒自身に気付かせ実行させる、という れば怒らずとも生徒自身に気付かせ実行させる、という 信念のもと教師をしてきました。しかし、よくよく思い 信念のもと教師をしてきました。しかし、よくよく思い 返すと数回クラスで怒ってしまいました…。こんな未熟 返すと数回クラスで怒ってしまいました…。こんな未熟 な担任でも、いろいろ察して考え行動してくれた優秀な な担任でも、いろいろ察して考え行動してくれた優秀な 生徒達。だいぶ助けてもらいました。 生徒達。だいぶ助けてもらいました。 優しさと賢明さは親御さんの愛の証。それに五高で 優しさと賢明さは親御さんの愛の証。それに五高で 培った根性を武器にして、明るい未来を歩まれることを 培った根性を武器にして、明るい未来を歩まれることを 心より願っております。 心より願っております。 ご卒業おめでとうございま ご卒業おめでとうございま す。生徒達はこの3年間で大 す。生徒達はこの3年間で大 きく成長してくれました。入 きく成長してくれました。入 学当初は忙しい生活に戸惑 学当初は忙しい生活に戸惑 い、 い、 「入る学校を間違ったの 「入る学校を間違ったの ではないか」という声があが ではないか」という声があが りました。それでも学校祭や競技大会など行事 りました。それでも学校祭や競技大会など行事 を重ねる毎にたくましく成長していきました。 を重ねる毎にたくましく成長していきました。 休み時間など隙間時間を活用して勉強したりと 休み時間など隙間時間を活用して勉強したりと 時間の使い方を工夫するようになりました。教 時間の使い方を工夫するようになりました。教 室の狭さ・夏の暑さにも自分だけではないと不 室の狭さ・夏の暑さにも自分だけではないと不 満を言うこともありませんでした。特に3年生 満を言うこともありませんでした。特に3年生 になってからの1年間は将来の希望に向かって になってからの1年間は将来の希望に向かって 悩み苦しみながらも真摯に向き合っていました。 悩み苦しみながらも真摯に向き合っていました。 弱音を吐くこともなく、逆に保護者や友人、先 弱音を吐くこともなく、逆に保護者や友人、先 生方を気遣う発言が多く聴かれました。この五 生方を気遣う発言が多く聴かれました。この五 高で過ごした3年間は、とても中身の濃い充実 高で過ごした3年間は、とても中身の濃い充実 した時間で、生徒達にとっては大きな自信にな した時間で、生徒達にとっては大きな自信にな るのではないかと思っています。これからもきっ るのではないかと思っています。これからもきっ と自分の夢に向かって努力し続けると信じて、 と自分の夢に向かって努力し続けると信じて、 陰ながら見守っていきたいと思います。 陰ながら見守っていきたいと思います。 (11) (11) 平成27年 平成27年 22 月月 27 27 日日 は る に れ は る に れ 今年で私もPTA卒業となります。充実した、また楽 今年で私もPTA卒業となります。充実した、また楽 しいステージを提供して頂きありがとうございまし しいステージを提供して頂きありがとうございまし た。生徒諸君も日々、目標に向けて頑張っている最 た。生徒諸君も日々、目標に向けて頑張っている最 中。日々の積み重ねが、とても大事である事は、常に 中。日々の積み重ねが、とても大事である事は、常に 感じると思います。ここでの経験は、これから更に生 感じると思います。ここでの経験は、これから更に生 かされ、磨かれ自己の確立、自信へのレールを引続け かされ、磨かれ自己の確立、自信へのレールを引続け ていく事となります。夢と現実、反対語を同義語へす ていく事となります。夢と現実、反対語を同義語へす るため、ガンバル。諦めることなく突き進む。大人に るため、ガンバル。諦めることなく突き進む。大人に なってもその精神は、生き続けると思います。そし なってもその精神は、生き続けると思います。そし て、日々ライバルは、自分自身。生徒諸君も自分と て、日々ライバルは、自分自身。生徒諸君も自分と 戦っていると思います。楽しい・楽なことを前にする 戦っていると思います。楽しい・楽なことを前にする か、後ろにするかは、自身の心一つ。本気で努力し実 か、後ろにするかは、自身の心一つ。本気で努力し実 力・達成、熱い志を忘れずに日々精進してください。 力・達成、熱い志を忘れずに日々精進してください。 PTA・OBとして我が母校の生徒諸君、邁進あれ! PTA・OBとして我が母校の生徒諸君、邁進あれ! は る に れ は る に れ 平成27年 平成27年 22 月月 27 27 日 日 (10) (10) 『秋の大学満喫バスツアー』 『秋の大学満喫バスツアー』 と称して、 と称して、 11月5日に行われた校外研修は、 11月5日に行われた校外研修は、 弘前大学と 弘前大学と 県立保健大学の2箇所を巡るとても欲張りなツアーとなりました。 県立保健大学の2箇所を巡るとても欲張りなツアーとなりました。 先に訪れた弘前大学では、 先に訪れた弘前大学では、 広いホールに案内され、 広いホールに案内され、 職員から詳しく大学説明を受け 職員から詳しく大学説明を受け ました。 ました。 その後学食のランチを満喫して、 その後学食のランチを満喫して、 キャンパス探検。 キャンパス探検。 現在国際的な人材育成に力 現在国際的な人材育成に力 を入れ授業料免除で留学できる制度があり、 を入れ授業料免除で留学できる制度があり、 さらに多くの留学生を受け入れ、 さらに多くの留学生を受け入れ、 一緒に暮 一緒に暮 らせる学生寮も建築中だそうです。 らせる学生寮も建築中だそうです。 木々も紅葉し、 木々も紅葉し、 自然に恵まれ、 自然に恵まれ、 落ち着いた環境で学 落ち着いた環境で学 べる学生が羨ましく感じられました。 べる学生が羨ましく感じられました。 次に向かったのは保健大学。 次に向かったのは保健大学。 日本を代表する建築家の黒川紀章がデザインした建物は 日本を代表する建築家の黒川紀章がデザインした建物は 青空に良く映え思わずシッターを切ってしまいました。 青空に良く映え思わずシッターを切ってしまいました。 中を案内してもらうと看護やリ 中を案内してもらうと看護やリ ハビリの専門的な設備が整っており、 ハビリの専門的な設備が整っており、 将来 将来 〝チーム医療〟 〝チーム医療〟 の現場で立派に活躍する生徒 の現場で立派に活躍する生徒 が目に浮かぶようでした。 が目に浮かぶようでした。 この2つの大学は、 この2つの大学は、 いつでも行けそうで、 いつでも行けそうで、 なかなか行けない場所あり、 なかなか行けない場所あり、 今回とてもハー 今回とてもハー ドなスケジュールと思われましたが、 ドなスケジュールと思われましたが、 晴天に恵まれたせいか疲れもなく、 晴天に恵まれたせいか疲れもなく、 私自身とても 私自身とても 充実した一日となりました。 充実した一日となりました。 さて、 さて、 この3年間沢山の研修会に参加させて頂きました。 この3年間沢山の研修会に参加させて頂きました。 毎回そこで感じる事は、 毎回そこで感じる事は、 その その 時自分が抱えていた悩みに対し、 時自分が抱えていた悩みに対し、 何かしら前に進むヒントを貰える事に気付きます。 何かしら前に進むヒントを貰える事に気付きます。 答答 えでは無いかも知れませんが、 えでは無いかも知れませんが、 また頑張れる気になるのです。 また頑張れる気になるのです。 それは講師の話からで それは講師の話からで あったり、 あったり、 一緒に参加した保護者からであったり。 一緒に参加した保護者からであったり。 自分をリセットできる有意義な時間な 自分をリセットできる有意義な時間な のかも知れません。 のかも知れません。 確かに、 確かに、 美味しい物を戴く以上に効果はあります。 美味しい物を戴く以上に効果はあります。 また、 また、 沢山の人 沢山の人 に出会う事ができました。 に出会う事ができました。 一緒に悩み、 一緒に悩み、 一緒に笑い、 一緒に笑い、 支えて貰いました。 支えて貰いました。 本当にありが 本当にありが とうございました。 とうございました。 皆さんに巡り会えた事が私にとっての財産です。 皆さんに巡り会えた事が私にとっての財産です。 この先も大切にし この先も大切にし ます。 ます。 そして、 そして、 この出会いをプレゼントしてくれた我が子に感謝です。 この出会いをプレゼントしてくれた我が子に感謝です。 ありがとうさん。 ありがとうさん。 五高を支える5本の矢! 五高を支える5本の矢! くわかりました。 くわかりました。 )) 3 3生徒会通信五高立佞武多~五高立佞武多への取組 生徒会通信五高立佞武多~五高立佞武多への取組 状況の紹介・・・ 状況の紹介・・・ (五高立佞武多は永遠に続けてほ (五高立佞武多は永遠に続けてほ しい!) しい!) 4 4五高新聞~各部活動の部長からの抱負、新任の先 五高新聞~各部活動の部長からの抱負、新任の先 生方へのインタビュー、各クラスのキャッチフレー 生方へのインタビュー、各クラスのキャッチフレー ズ等の紹介・・・ ズ等の紹介・・・ (各クラスのカラーがわかってい (各クラスのカラーがわかってい いね!) いね!) 55 PT PT A広報紙「はるにれ」~AL A広報紙「はるにれ」~AL Tへのインタビュー、 Tへのインタビュー、 PT PT A活動の紹介、保護者向け受験講座等・・・ A活動の紹介、保護者向け受験講座等・・・ (そうそう、これが我々広報委員会の取組み!) (そうそう、これが我々広報委員会の取組み!) これら5本の矢が これら5本の矢が 1 つになって、 1 つになって、 生徒、 生徒、 教員、 教員、 保護者、 保護者、 そして地域の方々の心と心をつないでくれているので そして地域の方々の心と心をつないでくれているので すね。その意味でも、次年度、広報委員会へ御協力い すね。その意味でも、次年度、広報委員会へ御協力い ただける皆さん、宜しくお願いいたします。 ただける皆さん、宜しくお願いいたします。 26 26 研修委員長 箱田 智美 研修委員長 箱田 智美 広報「はるにれ」の 広報「はるにれ」の 編集に関わらせていただいて、 編集に関わらせていただいて、 早いもので3年が経とうとしております。 早いもので3年が経とうとしております。 「何か新しい 「何か新しい 企画はないか」 企画はないか」 、 「保護者の皆さんが求めている内容は 、 「保護者の皆さんが求めている内容は 何か」と委員の皆さんと悩み、話し合いを重ねながら、 何か」と委員の皆さんと悩み、話し合いを重ねながら、 これまで編集作業を進めてまいりましたが、時々、情 これまで編集作業を進めてまいりましたが、時々、情 報収集を兼ねて、五高のホームページを見る機会があ 報収集を兼ねて、五高のホームページを見る機会があ りました。その時分かったことは、五高の細やかな情 りました。その時分かったことは、五高の細やかな情 報発信への取組みです。 報発信への取組みです。 御存知の方も多いと思いますが、五高が行っている 御存知の方も多いと思いますが、五高が行っている 広報誌等の情報発信は、大きく次の5つが挙げられま 広報誌等の情報発信は、大きく次の5つが挙げられま す。 す。 1 1力行天下第一(中学生向け)~これから高校 力行天下第一(中学生向け)~これから高校 受受 験験 をする中学生への情報提供・・・ をする中学生への情報提供・・・ (写真も多くて読 (写真も多くて読 みやすい。 みやすい。 )) 2 2理数科通信~大学の先生による出前講座の様子や 理数科通信~大学の先生による出前講座の様子や 課題研究の取組等の紹介・・・ 課題研究の取組等の紹介・・・ (理数科についてよ (理数科についてよ 広報委員長 會津 隆史 広報委員長 會津 隆史 平成 成 年 年度 度P PT TA A校 校外 外研 研修 修 平 健全育成委員会、主な活動は、挨拶運動・巡回・ご 健全育成委員会、主な活動は、挨拶運動・巡回・ご み拾いです。3年間何事もなく、また楽しく活動させ み拾いです。3年間何事もなく、また楽しく活動させ て頂きました。立佞武多も多くのPTAの皆さんの参 て頂きました。立佞武多も多くのPTAの皆さんの参 加により盛大に運行でき、生徒諸君も思いっきり踊っ 加により盛大に運行でき、生徒諸君も思いっきり踊っ ていた姿が目に焼きついています。勇敢!この信念が ていた姿が目に焼きついています。勇敢!この信念が 五高生と思っております。PTA・観客をじゃわめか 五高生と思っております。PTA・観客をじゃわめか せたと思います。3年前、祭運行時に前委員長清野さ せたと思います。3年前、祭運行時に前委員長清野さ ん・三上保先生の指導により、残り2年間、がんばり ん・三上保先生の指導により、残り2年間、がんばり ました。また、奇遇にもPTAとして私の先輩・同 ました。また、奇遇にもPTAとして私の先輩・同 期・後輩が参加、自身の子供・母校を大事にまた応援 期・後輩が参加、自身の子供・母校を大事にまた応援 しているんだと感じました。私もこの3年間で自分の しているんだと感じました。私もこの3年間で自分の 熱さに気が付かず、ガンバリ、楽しんできました。 熱さに気が付かず、ガンバリ、楽しんできました。 また、PTA県・東北・全国大会に参加させて頂 また、PTA県・東北・全国大会に参加させて頂 き、熱いPTAの方々のエネルギーに共感しました。 き、熱いPTAの方々のエネルギーに共感しました。 健全育成委員会 笹森 和樹 健全育成委員会 笹森 和樹 第第 79 79 号号 『秋 秋の の大 大学 学満 満喫 喫バ バス スツ ツア アー ー』 』 『 三年間のあゆみ 三年間のあゆみ 第第 79 79 号号
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