(1) 平成27年 2 月 27 日 は る に れ 第 79 号 -今、旅立ちの時- 題字 鈴 木 香 風 発 行 者/五所川原高等学校PTA 編 集/五所川原高等学校広報委員会 印 刷 所/有限会社 アート印刷 平成27年 2 月 27 日 (2) は る に れ 第 79 号 「卒 業」 の卒業生であることに誇りをもって 旅立ちます。6 年間本当にありがと うございました。 終わりに、三学年は3 月2日で卒 業式を迎えられますが、父兄及び役 員の皆様方、本当にお疲れ様でした。 子供とともに光輝ある五所川原高校 較にならないほど厳しい環境の中で 子供たちは勉強、部活動、学校行事 を通じて日々研鑽を重ね、自分の目 標に向かって歩んでいます。 夢の実現のために、学校が中心と なって父兄の皆様も子供とともに一 体となって歩んできたわけでありま すが、それも一段落し、幕が下りよ うとしています。これまで培ってき たものは財産となり、これからの社 会に向かって歩み出す原動力になる と思います。これもひとえに校長先 生はじめ担任の先生方、諸先生方の 一致協力によるご努力の賜物であり ます。心から深く感謝申し上げる次 第であります。 P T A 会 長 菊 池 忠 決するためや情報交換や諸活動の調 整 の た め に、全 国 的 なPTAの 連 合 組 織 に 所 属 し て い る。」と 日 本 大 百 科全書はPTAについて解説してい ます。その趣旨に沿って父兄と先生 方が連携して、子供たちのためにと い う 命 題 の も と に、五 高PTA連 合 は活動を続けてまいりました。 先代の對馬、工藤、木村会長から の「交流の場を持って親睦を深める すべては役員及び委員会の皆様方の として生きるための様々な資質を身 ご尽力によって、活発に活動がなさ につける場であり、将来を考え進路 れてきました。心から感謝申し上げ を 決 定 す る 場 と し て 大 切 な 役 目 を 担っています。五所川原高校は私の る次第であります。 「児 童、生 徒 の よ り よ い 教 育 環 境 母校で、これまでを振り返ってみて の醸成を目指す保護者と教師(教職 も思い出深く、一番心に残っていま 員)に よ っ て 構 成 さ れ る 教 育 団 体。 す。しかし今は時代が変わり、旧三 また、学校を超えた広域的問題を解 市に並ぶ進学校となり、当時とは比 一 昨 年 の 4 月 のPTA総 会 で 木 村 ことが肝要で、酒を飲む機会を多く 前会長の強い後押しがあって会長に 持つことが大切である」という語り 選任されて二年が経過し、3 月でP 継がれてきた金言を頑なに守り活動 TA活動にピリオドを打つわけであ を 続 け て き た と こ ろ で あ り、私 に りますが、今年一年を振り返ってみ と っ てPTA活 動 は、多 く の 人 と の ると、4 月の総会から始まり、各種 出会いと貴重な経験を積む機会をい 委員会(朝の挨拶運動・立佞武多運 ただいたという点でも、有意義な6 行・校内外の研修・広報の発行等)、 年間でありました。 地 区 大 会、県・東 北・全 国 大 会 等、 高 等 学 校 は 生 徒 が 自 立 し た 社 会 人 平成 年4月7 日、子供とともに 五所川原高校の門をくぐり、入学式 に参加したのが事の始まりで、半強 制的な長尾先生のお導きがあり、子 供が人質に取られていることもあっ て、断 り 切 れ ず に 未 知 な るPTAの 世界へ足を踏み入れることになって しまったのであります。 20 「 幼い日に」 福士広司 教 頭 祖 父 が、本 県 出 身 の 大 横 綱 で 土 俵の鬼と呼ばれた初代若乃花が引 退して間もない頃、肥満児ぎみだっ た私に関取か西北地区の教員に なって欲しいと言っていたことを 思い出す。 鰺 ヶ 沢 町 赤 石 深 谷 は、滝 吉 姓 の 人々が寄り添って生活している集 落 で あ る。青 森 市 に 住 ん で き た 私 は、祖 父 に 連 れ ら れ 青 森 駅 か ら 冷 凍ミカンとゆで卵を抱えて蒸気機 関 車 で 川 部 ま で。川 部 で 長 い 待 ち 時 間 を 過 ご し、デ ィ ー ゼ ル 機 関 車 で 鰺 ヶ 沢 駅 ま で。私 に と っ て 鯨 餅 は、朱 色 で 胡 桃 の 入 っ て い な い の が 正 統 で あ る。鰺 ヶ 沢 か ら 赤 石 川 沿 い を バ ス に 乗 り、更 に 降 り て か ら山際の道を1時間程歩かなけれ ば な ら な か っ た。同 じ 年 頃 の 子 ど もは毎日この道を学校へ歩いて 通っていた。 母 は 高 校 へ 進 学 す る た め 親 元 を 離 れ な け れ ば な ら な か っ た。祖 父 14 「旅立つ勇気、そして覚悟」 せて頂きました。また、今年度6 月 日第1 回PTA3 学年部会保護者 参加数17 4名、そして9 月6 日第 2 回学年部会保護者参加数15 8 名、 PTA会 員 の 皆 様 方 に は 多 大 な るご尽力を賜り職務を全うする事が 出来たこと大変感謝致しておりま す。過日センター試験が終わり、今 度は国立大・私立大の入試、そして 3 月2日の卒業式と、高校入学から 正にあっという間の3 年間、親子そ してPTAの方々と過ごしてきた時 間もそろそろ卒業を迎えます。〝宿題 が多いかも〞〝また試験・・・〞〝部活は ションで仕上げですね、菊池会長! 皆様3 年間お世話になり、誠にあり がとうございました。 は、そ ん な 思 い を 孫 に 託 し た の だ と 思 う。炭 焼 き を し て い た 祖 父 と 過ごす夏休みは夢のようで生物の 教員になることを決定づけた日々 で あ っ た。炭 に 使 え る 木 の 見 極 め 方。畑 を 荒 ら す ア ナ グ マ や ウ サ ギ の 捉 え 方。鮎 の 友 釣 り、清 流 の せ せ ら ぎ、千 畳 敷 で の 素 潜 り、木 の 幹にびっしりへばり付いているカ ブ ト ム シ や ク ワ ガ タ ム シ。夏 休 の 宿題の昆虫標本は同級生が羨むも のだった。 土 俵 の 鬼 に は な れ な か っ た が、 年目にして西北地区で勤務する 機 会 を 得 た。祖 父 は 亡 く な っ て 久 し い が、き っ と 喜 ん で く れ て い る に違いない。 32 三 学 年 部 会 長 木 村 康 仁 葉から)旅に出て、素晴らしい風情 に浸り、人と出逢い、そして如何に そ の 国 の 料 理 を 堪 能 し 感 動 し て も、 時として自分の故郷、この津軽が〝や はり吾妻しい〞と感じることはない でしょうか。菊地麻由さんの台詞は 旅の話ではありませんが、福島に育 まれた郷土愛から滲み出た非常に重 い言霊のように伝わってきます。わ た し た ち も、こ の 津 軽 に 愛 を 抱 き、 どのような条件下に置かれても歯を 食いしばりながら必死になって、今 も、そしてこれからも生き続けなけ ればなりません。例え、この津軽を の 就 任 と 中 身 の 濃 い3 年 間 を 過 ご さ 3 月2 日は、山内校長も3 学年P ベリオ学園高校の菊地麻由さんの言 3 年前の春、研修委員会副委員長 五高祭、食って・笑って・踊って〞〝終始 踊 りっぱなしの五 高 立 佞 武 多〞等 々、 こんな出来事とも卒業です。 21 TA保護者も同時に卒業です。 やはり最後もノミュ(飲み)ニケー 福島で働く。福島で結婚して、福島 で子どもを産んで、福島で子どもを キツイけどオモシレー〞〝朝は目 覚 まし 鳴 り 続 け〞〝アイコンタクトは無 理っ〞〝 今 す ぐ、迎 えに来て〞〝修 学 旅 行では 語 り 明かし〞〝高 校 総 体 完 全 燃 焼!〞〝 46 とだけ言って公衆電話は切れた。全 離れたとしても、目の前のことをや く状況がつかめないまま、その日の りこなすだけではなく、知恵と勇気 夜アメリカへ旅立って行った。それ を活かし、5 年後そして 年後の長 から1年の後、娘は五所川原高校へ い ス パ ン で 自 分 の 未 来 を 創 造 し つ 無事入学となった。 つ、ビ ジ ョ ン・方 向 性 を 熟 慮 し、具 「福島に生まれて、福島で育って、 体的な行動が出来る人物に育って欲 しいと切に願います。 20 11年3 月 日 時 分東日 本大震災発生、今回の卒業生が入学 する1年前の出来事であった。当日、 鶴田町の姉妹都市である米国のフッ ド リ バ ー に1 週 間 ほ ど ホ ー ム ス テ イ に旅立つため、成田空港にて出発の 時を待ち望んでいる時刻、その地震 は起こった。その後の情報が錯綜す る中、安否を気遣い長い時間が経過 したとき、娘から自宅へ電話が入っ た〝お父さん、空港の天井が落ちて きて大変、でも私は大丈夫だから〞 11 育てる。福島で孫を見て、福島でひ として役員を拝命し、昨年度からは、 孫を見て、福島で最期を過ごす。そ 菊池忠会長からの推薦により学年部 れが私の夢なのです」(震災後当時、 会長の大役を仰せつかり、同時にP 全 国 高 校 総 合 文 化 祭 で の 会 津 若 松 ザ T A副 会 長 並 び に 後 援 会 役 員 理 事 へ 10 第 79 号 は る に れ (3) 平成27年 2 月 27 日 は る に れ 第 79 号 息子へ 「ありがとう」~娘よ~ 平成27年 2 月 27 日 (4) 32HR 村山 明子(佑斗) 元気に卒業を迎えることができて心からおめでとうと言いたいです。 3年生の4月に入院し悪性のものかもと言われた時は、母として何をし てきたんだろうとただただ後悔しました。けれどこうして元気になり無 事卒業を迎えることに感謝せずにはいられません。毎日の勉強、土日の 講義や模試と本当によく頑張りましたね。この18年間の思いはたくさん ありすぎて言葉に出てきません。私にとり、あっという間ではありません でした。母として本当に手も思いもかけられず、仕事中心になってしま い、申し訳なく思っています。これからたくさんの喜怒哀楽に出合うこ とでしょう。あなたの未来に死ぬまでエールを送り続けます。がんばれ。 私が今まで生きてきて思うことは、心も体も元気であればどんなことで も乗り越えられる、そこに自分を理解しサポートしてくれる友、家族が いれば大丈夫ということです。あなたも自分を強くする何かを見つけて 下さい。今まで元気でいてくれて本当にありがとうございます。母親に してくれて感謝しています。 最後に、 3年間面倒を見てご指導下さった先生方、ありがとうございま した。お世話になりました。 34HR 田浦恵美子(木乃美) 3年間、月日が経つのは本当に早いものです。我が家の3姉妹の末っ 子が卒業です。 今思うと何事も初めて経験することばかりで、感動と優しさにあふれ た3年間でした。 入学する前から憧れていた吹奏楽部に入部。毎日の帰宅は21時過ぎ の汽車になり勉強する時間もなく、家族との会話もなく、夕食を食べて いる時、箸を持ちながら眠ってしまったのには驚きました。それもその はずです。まだ暗い朝5時前に起床、 2時間以上かけての深浦からの汽 車通学なのですから。入学したばかりのあなたにとっては大変なことで したね。親の私もやっと起床していました。 それと同時に祖父の入院です。部活が終わると深浦(自宅)に帰宅す るのではなく、反対方向の弘前へと毎日祖父の見舞いに来ては手足を 拭いてくれたり介護をしてくたね。勉強、部活、介護と頑張ったけど、精 神的、肉体的にも限界だったのでしょう。やさしいあなたは悩んだ結果 憧れて入部した吹奏楽部を退部して祖父・家族を選びましたね。 (木乃 美ごめんね) でも、祖父は亡くなり、泣き叫んで落ち込んでいたあなただけれど祖 父との約束がありました。 「人の為に命を助けたい」と看護師になるこ とです。退部した分、積極的に勉強に取り組み黙々と勉強して祖父との 約束を守る為に今まで頑張りました。その約束を今叶えようとしている ……きっと祖父は天国で喜んで応援していると思います。 そして姉の出産です。生まれたばかりの赤ちゃんを抱いて手を握り、 命の誕生の素晴らしさ嬉しさを実感して益々看護の道を考えるように なりましたね。いつでも必ず一番に家族を考えてくれたあなたは「家族 のおかげで自分の夢、進む道がわかった。ありがとう。」と言うけれど、 私たち家族が「今までどうもありがとう。」と感謝します。これからはあ なたの目標に向かって前進して下さい。家族みんなで応援しています。 あなたの成長は家族全員の喜びです。あなたの成長はたくさんの人か ら支えられ愛された証です。これからが人生本番です。今まで経験して きたこと全部あなたの力になって助けてくれるはずです。 「可愛い娘 よ卒業おめでとう。」校長先生はじめ先生方色々ご指導いただきお世話 になりどうもありがとうございました。 1年間担任をしてくれた山本先生、 心より親子共々感謝しております。感動と優しさをどうもありがとうご ざいました。 もう一つ。俳句が得意で深浦俳句に入り、小学校の時から県文化賞を いただいたり、新聞、広報に載せられたりなど、素晴らしい俳句を残しま した。深浦地域では有名な娘でした。 娘よ。~いよいよ旅立ちの時です。 春告げる 汽笛鳴らすや 五能線 (木乃美句) 頑張った娘へ 35HR 岡田寿賀子(鮎佳) もうすぐで高校卒業ですね。早いもので、あっという間の高校3年間。 自分で決めた五所川原高校入学。中学時代の吹部仲間と一緒に入部。 新しい仲間と共に東北大会出場を夢見て頑張った3年間。定演のパート のアクセサリー作りを自分では作れないのをわかっているのに、よく引 き受けてきたよね。 「お願い。」と私に頼んできては、私なりにアイディ アを考え、楽しんで作ったりしたのを思い出します。ゴールド金賞にかけ、 皆で作った金色だらけの千羽鶴。これにも協力させてもらい、初めて千 羽鶴の組み立て方がわかり、勉強になりました。 「皆と一緒に演奏して いる時が一番楽しくて、ストレス発散できるんだ。」と言っていましたね。 部活が楽しくて仕方なくて、大好きで……。」 3年生の秋、部活を引退してからは、これからの受験勉強に向けての 時間配分が上手くつかめず、また、気分転換できる時間もなかなかとれ ず苦労しましたね。大好きだった部活の時間が全くなくなることで、今 思えば、この頃から精神的にもとてもつらかった時期だったのかもしれ ないなと思いました。度々体調を崩しては保健室へ出向く回数も増え、 また、病院受診の為の早退や欠席も増えました。ある日、 「何で自分だけ、 こんなんだろう。」と、原因不明の体調不良に悩み、落ち込んだこともあ りましたね。 いろいろなことがあった3年間だったけど、鮎佳覚えているかなあ。忘 れちゃっていることもたくさんあるかもしれないね。 いつでも先生方は親身になって相談にのってくれ、その度に幾度とな く対応して下さり感謝しています。また、いつでも体調不良の時気付い てくれるクラスメイトがいたこと、安心できる環境を提供してくれた先 生方、数え切れないくらいの感謝の気持ちでいっぱいです。ありがとう ございました。 今までがんばれたのも、友達やクラスメイト、そして、先生方や関わっ た多くの人達のおかげであることを忘れないで下さい。五所川原高校 での3年間の思い出、大切にして下さい。 今は、五高に入学してよかったと思えているはずです。私は、そう思 います。 今年のセンター試験は、新課程となった1年目の年ということもあり、 とても大変だったと思います。これから先、何があるのか誰にもわかり ません。自分の願い通りになることは決して多くはないかもしれません。 だからこそ、自分の信じる道、自分の夢をあきらめずに前へ進んで欲し いのです。後悔しないためにも……。きっと鮎佳なら大丈夫。鮎佳の夢 いつでも応援しているよ。卒業おめでとう。 (5) 平成27年 2 月 27 日 は る に れ 第 79 号 親から子へ 卒業生への メッセージ 旅立つ娘へ 31HR 今川 里美(菜津美) 3年生の皆様、ご卒業おめでとうございます。入学してからこの3年間 どのように過ごされましたか?あっという間だった人、部活を頑張った人、 “えー休日がない”と感じ通学した人、いやいやあの尋常でない程の課 題と戦った人、様々な想いがあると思われます。でもその分、数多くの 想い出があることでしょう 。五高で培った多くのことを心に留め、これ から先、困難なことに直面してもひるまずに突き進んで下さい。 2年程前“ホントにこの娘達はここを離れてしまう。いなくなっちゃう んだ。たった18年しか一緒に過ごせない。寂しい。”と枕を濡らし、お風 呂では泣き、消沈しておりましたが、自分も親元を18歳で旅立ったわけ で、両親にもそんな想いをさせてしまっていたと悟り、現実に戻ること ができました。 今年は、先に巣立った長女の大学の入学式に皆で行き、大学の雰囲気、 キャンパスに圧倒されました。また、地下鉄初デビューも経験しましたね。 夏には受験する大学のオープンキャンパスに一人で行き、モチベーショ ンを上げて帰ってきた姿は頼もしかったです。高校最後ということで、 大会や演奏会などにも出かけたり、大学下見のため小旅行も兼ね楽し い時間を過ごしましたね。家では韓流ドラマやイケメンの話で盛り上が り(?)、ちょくちょくスイーツを作っては私達を肥えさせたり、最近 iphoneデビューした私達は、勉強中のあなたの手を止め何回もやり方 を聞いたりして反省しております。今までもあなたは、頼みごとに嫌な 顔せずに接してくれて感謝してます。これから、大学合格・引っ越しなど めまぐるしい日々が待っていますが、 18回目の誕生日は必ず皆で過ごし ましょう。 お世話になった金子先生はじめ、諸先生方に感謝、共に過ごした友達 に感謝の気持ちを忘れずに。これからは、感謝される人となり社会に貢 献して下さい。 またこれからの人生、いい師と巡り合って学び、自分の人生を謳歌し て下さい。私達は見守っています。 旦那様へ “オヤジ行くよ。”と4年間五高までの送迎お疲れ様でした。 『全国』という景色が見せてくれたもの 36HR 野呂 理恵(泰平) 「楽しみだな、総体。」 最後の試合となる高校総体を目前に、突然会話の中で聞こえてきた その言葉。各校の強豪者を相手に、どこまで自分の力を見せることがで きるのか、その本番の勝負を心待ちにしているようでした。この18年間、 ずっとそばにいた私もあまり見たことのない自信に満ちたその表情。練 習の積み重ねに加え、これまでの貴重な試合経験が気持ちを強くさせ たのだと感じました。大きかったのは、高2の夏のインターハイ出場。 “3投に結果を出してくる、強い者がたくさんいる” 『全国』という景色を見ることができたことは泰平にとってどれほど貴 重な経験となったことでしょう。 さて、部活が中心と思われた高校生活。でも、決して勉強はおろそか にしませんでしたね。連日の試合、度重なる大会、その分の課題消化は 大変だったのだと思います。試合から帰ってきた後も机に向かっていた こともありました。それでも家族の前では愚痴ひとつこぼさず、黙々と こなしていたのを思い出します。 そんな時、常に支えとなったのは、先生方の激励と周りの友達の頑張 る姿だったのではないでしょうか。そして、泰平なりに強い志を持ち続 けてきたことだと私は思っています。 この3年間、とてもよい環境の中で、精一杯過ごせたことに感謝し、そ してこの卒業を胸に、新たな夢に向かって大きく一歩を踏み出してくれ ることを願っています。 卒業、おめでとう。 感 謝 33HR 平山真理子(丈夫) 18年。 一緒に試行錯誤しながら歩んできた年月。ようやく、ここまでたどり 着いた、という思いです。 決して、順風満帆とは言えないこの18年間。つまずき、転びそうにな りながらも、その度に一緒に悩み、話し合い、 「頑張ろう‼」と前進し ……これって正に七転び八起きですね。回り道をしているのかもしれな いけれど、あなたにとってプラスに転じていると感じています。例えば、 他人の立場になって物事を考えることのできる、他人の気持ちの解る人 だということ。それは逆に考えすぎて行動できなくなるという欠点でも ありますが……これからは自分を信じて前進して下さい。 AOでいち早 く合格できたのも、堪えて頑張ってきた“ごほうび”かもしれないですね。 これから埼玉での一人暮らしが始まります。そしてここから人生第2 章の始まりです。決して一人で生きているのではなく、いろんな人から 支えられ、助けられていることを実感して欲しいと思っています。そし てこれまでの経験を充分に生かして下さい。行き詰まることがあったな ら、抱え込まず、今までのように電話ででも話しましょう。遠慮せずに、 まだまだ頼って下さい。 立派な歯科医師となって戻ってくるまでどれくらいかかるかな…… 10年……いや、もっとかな。納得のいくところまで充分に学んできて下 さい。そして人として更に成長している姿を楽しみに待っています。そ れまで母も元気でいなくては! この18年間、歩んできた道のりは長かったけれど、母も“親”として一 緒に成長させてもらったことを感謝したいと思います。今まで本当にあ りがとね。 そして、体に気を付けて。 母より は る に れ 第 79 号 平成27年 2 月 27 日 (6) は言えない家族へのメッセージ 3年間で一度もはるに れに載ったことがない ね~なんて話をしたこ ともあったのに最後に こういう機会が設けら れるとは!廉だけでは 物足りないと、真実の 真をつけて廉真。親にはいい名を授け てくれて感謝しています。 3年間、いろいろとあ りが とうご ざ い まし た。冬の朝晩の送り迎 えや毎日の弁当など、 とても大変だったと思 います。これまでの感 謝を忘れずに、大学で は高校生活よりも充実した生活を送れ るよう努力していきます。 3年間、毎日学校まで 迎えに来てくれてあり がとう。仕事で疲れて い るはず なのに毎日 時 間 に な ると 迎 え に 来てくれたことに本当 に感謝しています。大 学生になってアルバイトを始めたら両 親に何かプレゼントをしたいです。 3 年 間 ず っと 迷 惑 を かけたり、心配をさせ てしまい、とても手の かかる息子だったと思 います。それでもずっ と支えてくれた父と母 には感 謝しています。 これからも2人には迷惑をかけると思 いますが、宜しくおねがいします。 父 が海 外へ仕事に行 くように なり、1年 が 過ぎました。母は家事 に加え、力仕事も一人 で こ な し 、辛 い 日 も あったと思います。そ れでも毎朝、元気に送 り出してくれる笑顔にいつも救われて いました。ありがと!おっかぁ! 困 った と き に 相 談 に の ってくれ た お 父 さ ん、毎日のように喧嘩 しな がらも 毎日の 生 活を支えてくれたお母 さん、3年間ありがと う。これからも迷惑を かけることがあると思いますが、親孝 行できるよう頑張りたいと思う。 毎 日 の 弁 当 作りや 送 迎ありがとうございま した。自分のやりたい 事 だ け して い まし た が 、叱 ら ず 、た だ 見 守ってくれましたね 。 恩 返し をした い け れ ど、何が恩返しか分からないので、自分 で発見してから恩返しします‼ 高 校 に 入 学 して か ら は、意見の不一致や些 細なことでの口ゲンカ が 絶 え ま せ んで し た が、それでも三年間支 えてくれたことへの感 謝は忘れられません。 まだまだ迷惑をかけるかもしれません が、よろしくお願いします。 女手一つでここまで育 て てくれ たマッマ。仕 事があるのに毎 朝 早 く起きて弁当を作って くれたり、行きたい大 学 に 入 れ てくれ た り ……本当に感謝です。 かけてもらったお金は将来倍にして返 すので、老後はご自由にどうぞ。 3年間、お弁当を作っ てくれたり送り迎えを してくれてありがとう ございました。進路の ことでもたくさんお世 話になりました。これ からの大学生活では、 自分の夢を叶えられるように努力して いきたいと思います。 お母さん、お 父さん、 のんちゃん、3年間あ りがとう。大 会のたび に 応 援 に 来 てくれ た り、声楽 のレッスンに つれていってもらった り、歌と真剣に向き合 えたのは家族の支えのおかげです。あ りがとうございました。 お 父さん、お 母さん、 今まで18年間育てて くれてありがとう。進 路についても、習いご とも一回も反対しない で好きなことをやらせ てくれてありがとう。 これからもお世話になりますが、よろ しくお願いします。 毎日朝早くに起きて弁 当を 作ってくれ たり、 学校までの送り迎えを してくれ たこと、本当 に感 謝しています。春 から の 大 学 生 活 で は 自分の夢に向かって一 生懸命勉強し、立派な社会人になれる ように頑張ります! 面と向かって感謝を伝 えたことはありません が、本当はとても感謝 しています。毎日欠か さずお弁当をつくって くれて、どんなに朝 早 くて も 学 校 へ の 送 迎 をしてくれました。ありがとうございま す。今後もお願いします。 怠 惰 な 私 を 見 放 すこ となく、厳しく温 かく 育 て てくれ た お 母 さ ん。いつも私の考えを 最 優 先して見守ってく れたパパ。本当に感謝 が尽きません。いっぱ い、ありがとう。今度は私が恩返しする 番です。楽しみにしていてね。 33HR 白川 廉真 33HR 平山 丈夫 33HR 三橋 孝平 33HR 長内 亜有子 33HR 斉藤 澪 32HR 諏訪 智大 32HR 新岡 健弥 32HR 金子 咲葵 32HR 相馬 茜 32HR 三上 彩菜 31HR 一戸 謙太 31HR 高橋 弘樹 31HR 佐藤 佑衣 31HR 成田 里美 31HR 三橋 美保 (7) 平成27年 2 月 27 日 は る に れ 第 79 号 あ♥り♥が♥と♥う 普段は言 いつも何かと自分のた めに頑 張ってくれるけ ど、家では口を開けば ケンカばかりで、素直 になれなくてごめんな さい 。18年 間 支 えて くれてありがとう。こ れ からも 迷 惑 か けるか もしれ な い け ど、よろしくお願いします。 お母さん!今まで育てて くれてありがとう‼特 にお父さんが病気で亡 くなったのと反抗期が 重なった時期に育てて くれて感謝しています。 自分もお母さんみたい に強い人になって、お母さんを温泉旅行 に連れて行きます。約束な! 普段は言葉にはしませ んが、今まで 育 ててく れて、進学もさせてく れてありがとう。これ からはもっと人間とし て成長していく予定で すがお 世 話になるの でよろしくお願いします。両 親はもち ろん妹弟もいつもありがとう。 お父さんとお母さんに は 毎日の 弁 当や 送り 迎えなどでたくさんお 世話になりました。弟 達も勉強中にたくさん 騒いでくれました。家 族 のおかげ で 今 の自 分があります。これからも迷 惑をかけ るのでよろしくお願いします。 3年間弁当を作ってく れたり、雨の時や冬の 送り迎 えなど 本当に 感 謝しています。今日 まで育ててくれてあり がとうございました。 あと数年 学費など で 迷惑をかけますが、親孝行できるよう にがんばりたいです。 高校3年間はとても辛 くて、学 校に行 きたく ないと思うこともあり ましたが、両親の励ま しの言葉のおかげ で 通い続けることができ ました。これからはな る べく迷 惑 をか け な い ようにする の で、見守っていてください。 3年 間 お 弁 当 と か そ の他全般のことやって くれ たマ マ、ありがと う。何回もケンカした けど一番理 解してくれ てるのはママです。パ パ、ママ、大学生になっ てからもよろしくね。 まず、高校に入学させ てくれてありがとうご ざいます。予定は大き くずれて卒業後にいき なり就職となってしま いましたが、自衛隊は 自 分 の 夢 な ので 誰 に 反対されても大丈夫です。心配なさら ず。18年間お世話になりました。 毎日仕事で忙しくても お弁当をつくってくれ たり、送 迎をしてくれ たりと、ずっと支 えて きてくれた2人には、 感謝の気持ちしかあり ません。これからもた くさん迷 惑をかけると思いますが、よ ろしくお願いします。 本当に3年間学校に出 てばっかりで、自分 中 心で 家 族 の 生 活 が ま わ って い た と 思 い ま す。恵まれた環境で勉 強や 部活に打ち込め たのは家 族 の支 えが あってこそでした。本当にありがとう。 これからもよろしくお願いします。 いつも健康面を気にし てくれた母。長い時間 待たせてしまっても文 句を言わずに毎日送り 迎 えをしてくれた 父。 本 当 にこ ん な 自 分 勝 手な私を支えてくれて ありがとう。絶対に親孝行するので楽 しみにして待っていて下さい。 今まで自分を支えてく れてありがとう。自分 の 進 路が なかなか 決 まらないときに、アド バイスをくれたことに とて も 感 謝 して い ま す。大 学では、お 世 話 になったことを忘れずに自立できるよ うに頑張ります‼ いつも私のことを1番 に考え、18年 間 大 切 に育ててくれたお父さ ん、お母さん、本当に ありがとう。温かくて 楽しくて大好きな箱田 家に生まれた私は誰 よりも幸せ者です。これからも夢に向 かって頑張るので応援よろしくね! 毎日のお弁当作り、送 り迎 えありが とう。1 8年 間 いっぱ い 迷 惑 かけてきたのに、いつ も1番に応 援してくれ て た 事 、感 謝 して ま す。口では言わないけ ど、お母さんの子どもに産まれてこれ て、幸せです。 進路の話をした時、県 内じゃなくてもいいん だよって言ってくれた のすごく嬉しかった。 ありがとう。自分が思 うことを自由にやらせ てくれて本当に感謝し てる。これから寂しくなるけど、時々会 いに帰るからね。 36HR 石村 秀翔 36HR 野呂 泰平 36HR 北島 ありさ 36HR 窪田 春香 36HR 箱田 有香 35HR 對馬 和希 35HR 棟方 涼生 35HR 江良 佳奈子 35HR 加藤 百花 35HR 三上 葵葉 34HR 一戸 遼太 34HR 近藤 敦史 34HR 赤平 朋代 34HR 釜萢 真希 34HR 木村 奏 へ は る に れ 第 79 号 平成27年 2 月 27 日 (8) 31HR 担任 金子 勇太 33HR担任 杉沼 裕三 これまでお世話になった保護者 の方々に次の3つの言葉をぜひ伝 えたいと思います。 「おめでとうございます。 」 感慨深いことは多々ありますが、 なによりも無事に卒業できること をうれしく思い月並みではありますがこの言葉を贈りま す。卒業おめでとうございます。 「ありがとうございました。 」 無事に卒業できたのも保護者の方々が様々な面で生 徒をサポートしてくださったおかげです。意識してサポー トした部分はもちろん、普段の生活の中であたりまえの 何気ないことが生徒にとっては大きな支えになったと思 います。改めて感謝致します。ありがとうございました。 「お疲れ様でした。 」 3年間の保護者の方々の負担は想像するに難いこと であり、一言で表せることではありませんが、ぜひ伝え たいと思います。本当にお疲れ様でした。 生徒・保護者の方々も3年間の頑張りに一息入れて、 新たな気持ちで次に踏み出してくれることを期待してい ます。 昨年の6月に岩手県に出張 に行きました。進路に関する 会議で岩手や秋田、北海道の 先生方と様々な情報交換をす ることができました。そこで 話題は学年PTAの内容や参 加 者の人 数になりました。 ちょうど翌日が第 1 回 3学年PTA部会だったので、参加人数が179名の 予定だと言ったところ、他校の先生方から本校 の保護者の方の意識の高さを羨ましがられまし た。そして、翌日の学年部会で様々な進路情報 を提供させていただいたのですが、それを熱心 に聞いている保護者の方の姿を拝見し、気持ち が引き締まったのを鮮明に覚えています。 この3年間、保護者の方には多くの御協力を いただきました。五高で9年間、担任をさせて いただいていますが、本校の保護者の方の熱意 には頭が下がります。私も2児の父親です。自 分も保護者として見習わなければと思っていま す。3年間、ありがとうございました。 32HR 担任 岡本 礁子 34HR 担任 山本 元子 ご 卒 業おめでとうございます。 1年という短い間でしたが、4組 の保護者の皆様には大変お世話に なりました。心より感謝申し上げ ます。学級懇談でエンカウンター をやっていただいたことも思い出 の一つです。保護者の皆様同士がぐんと距離を縮め、 子育ての悩みや長所自慢など、話に花が咲きました。 親御さんの、ご子息ご息女に対する深い愛情を感じ、H R担任として責任を改めて感じた時間でもありました。 怒って無理矢理やらせるなら誰でもできる。プロであ れば怒らずとも生徒自身に気付かせ実行させる、という 信念のもと教師をしてきました。しかし、よくよく思い 返すと数回クラスで怒ってしまいました…。こんな未熟 な担任でも、いろいろ察して考え行動してくれた優秀な 生徒達。だいぶ助けてもらいました。 優しさと賢明さは親御さんの愛の証。それに五高で 培った根性を武器にして、明るい未来を歩まれることを 心より願っております。 ご卒業おめでとうございま す。生徒達はこの3年間で大 きく成長してくれました。入 学当初は忙しい生活に戸惑 い、 「入る学校を間違ったの ではないか」という声があが りました。それでも学校祭や競技大会など行事 を重ねる毎にたくましく成長していきました。 休み時間など隙間時間を活用して勉強したりと 時間の使い方を工夫するようになりました。教 室の狭さ・夏の暑さにも自分だけではないと不 満を言うこともありませんでした。特に3年生 になってからの1年間は将来の希望に向かって 悩み苦しみながらも真摯に向き合っていました。 弱音を吐くこともなく、逆に保護者や友人、先 生方を気遣う発言が多く聴かれました。この五 高で過ごした3年間は、とても中身の濃い充実 した時間で、生徒達にとっては大きな自信にな るのではないかと思っています。これからもきっ と自分の夢に向かって努力し続けると信じて、 陰ながら見守っていきたいと思います。 は る に れ (9) 平成27年 2 月 27 日 3学年団 より 第 79 号 保護者の皆様へ 36HR 赤城 幸一郎 卒 業 式 ま で 残 り あ と わ ず か と な り ま し た。ま ず は入学時から男子 20 名、 女子 20 名計 40 名全員が 誰一人欠けることなく無 事に卒業式を迎えられる こと、それだけで幸せな気持ちでいっぱいで す。これ以上の喜びはありません。 また、現理数科3年生から始まったSRP (東京研修)やELC(勉強合宿)など新しい 取り組みも多い中、保護者の皆様の温かい支 援とご理解のおかげですべて達成することが できました。高校生という多感な時期にこの ような経験ができたことは生徒にとって大き な財産であり、ものの見方や考え方を広げる きっかけとなりました。これも保護者の皆様 ご協力があってのことと思います。ありがと うございました。また、ご多忙の中、常日頃 よりご協力いただいている役員の皆様や学年 部会に足を運んでいただいた多数の保護者の 皆様、この場をお借りしてお礼申し上げます。 卒業式のお子様の立派な晴れ姿、ぜひ楽し みにしていてください。 35HR 担任 西村 勇士 リアルに、この前入学したと思っ たらもう卒業を実感しています。保 護 者 の 皆 さ ん は、様 々 な 思 い で い らっしゃることでしょう。 昨年の春、3年生になり、すべて の学校行事に「最後の…」が付き、 生徒達の気合いが違ってきました。最後の学校祭。3年 生は模擬店を出しましたが、我がクラスは「売り上げよ りも売りたいものを売る」という経営方針の下、 忙しかっ た割に最終的には若干の赤字となりました。また、最後 の競技大会では、昨年の総合最下位の汚名を晴らすべく 臨んだ初日にクラス対抗リレーで優勝しました。2日目 も男子バレー、男子サッカーが優勝、女子バスケが2位 と好結果を残し、総合上位に期待がかかりましたが、結 果は第4位!なんとも微妙な位置が5組らしいとみんな で納得していました。ただ、五高音頭がなぜ最下位だっ たのか不満です。勉強に関しても各自がそれぞれ頑張っ ていましたが、みんな3年 間相当頑張ってきた結果な ので、悔いは残らないでしょう。 あっという間に過ぎていったこの3年間、最後の学校 行事となる卒業式で、生徒と保護者の皆さんが、誇らし い気持ちで五高の門を出て行ってくれることを願いま す。 学年主任 山口 公美 第3学年保護者の皆様、お子様のご卒業おめでとうございます。つい先日入学式を迎え たかのような錯覚に陥るほど時間の流れは速いものですが、気が付けば235名の旅立ち を見送る季節がやってきました。 本校は近隣地区はもちろんのこと、遠方からも多数の生徒が通学しています。朝早く起 きてお弁当を作り、朝食の準備、さらに登下校の送り迎えなどを考えますと、ご苦労の絶 えない3年間であったろうと頭の下がる思いです。また、各 PTA 活動へも陰ひなたとなり 多数ご協力いただきました。スタート時より本学年の PTA 活動は非常にパワーがあるという評判をいただいて おりましたが、その元気に励まされ、支えられ、そして甘えながら3年間楽しく学年を運営することができま した。役員を快く引き受け、会議のたびに学校へ足を運んで下さった方々をはじめ、これまで学校祭、立佞武 多をはじめとする学校行事に参加ご協力いただいた保護者の皆様に心より感謝申し上げます。 間もなく子供たちの多くは親元を離れ、それぞれが選んだ道へ巣立ちます。時には慣れない環境で疲れてし まうこともあるでしょう。私たちは生徒たちを見送る一方で、これからは困った時に帰ってくる場所でもあり 続けたいと考えています。3年間本当にありがとうございました。 第 79 号 は る に れ 平成27年 2 月 27 日 (10) 先に訪れた弘前大学では、広いホールに案内され、職員から詳しく大学説明を受け を入れ授業料免除で留学できる制度があり、さらに多くの留学生を受け入れ、一緒に暮 らせる学生寮も建築中だそうです。木々も紅葉し、自然に恵まれ、落ち着いた環境で学 べる学生が羨ましく感じられました。 次に向かったのは保健大学。日本を代表する建築家の黒川紀章がデザインした建物は 青空に良く映え思わずシッターを切ってしまいました。中を案内してもらうと看護やリ ハビリの専門的な設備が整っており、将来〝チーム医療〟の現場で立派に活躍する生徒 が目に浮かぶようでした。 この2つの大学は、いつでも行けそうで、なかなか行けない場所あり、今回とてもハー ドなスケジュールと思われましたが、晴天に恵まれたせいか疲れもなく、私自身とても 充実した一日となりました。 さて、この3年間沢山の研修会に参加させて頂きました。毎回そこで感じる事は、その 時自分が抱えていた悩みに対し、何かしら前に進むヒントを貰える事に気付きます。答 えでは無いかも知れませんが、また頑張れる気になるのです。それは講師の話からで あったり、一緒に参加した保護者からであったり。自分をリセットできる有意義な時間な のかも知れません。確かに、美味しい物を戴く以上に効果はあります。また、沢山の人 に出会う事ができました。一緒に悩み、一緒に笑い、支えて貰いました。本当にありが とうございました。皆さんに巡り会えた事が私にとっての財産です。この先も大切にし ます。そして、この出会いをプレゼントしてくれた我が子に感謝です。ありがとうさん。 26 年度PTA校外研修 ました。その後学食のランチを満喫して、キャンパス探検。現在国際的な人材育成に力 平成 県立保健大学の2箇所を巡るとても欲張りなツアーとなりました。 『秋の大学満喫バスツアー』 『秋の大学満喫バスツアー』と称して、11月5日に行われた校外研修は、弘前大学と 研修委員長 箱田 智美 (11) 平成27年 2 月 27 日 は る に れ 三年間のあゆみ 健全育成委員会、主な活動は、挨拶運動・巡回・ご み拾いです。3年間何事もなく、また楽しく活動させ て頂きました。立佞武多も多くのPTAの皆さんの参 加により盛大に運行でき、生徒諸君も思いっきり踊っ ていた姿が目に焼きついています。勇敢!この信念が 五高生と思っております。PTA・観客をじゃわめか せたと思います。3年前、祭運行時に前委員長清野さ ん・三上保先生の指導により、残り2年間、がんばり ました。また、奇遇にもPTAとして私の先輩・同 期・後輩が参加、自身の子供・母校を大事にまた応援 しているんだと感じました。私もこの3年間で自分の 熱さに気が付かず、ガンバリ、楽しんできました。 また、PTA県・東北・全国大会に参加させて頂 き、熱いPTAの方々のエネルギーに共感しました。 五高を支える5本の矢! 広報「はるにれ」の 編集に関わらせていただいて、 早いもので3年が経とうとしております。 「何か新しい 企画はないか」 、 「保護者の皆さんが求めている内容は 何か」と委員の皆さんと悩み、話し合いを重ねながら、 これまで編集作業を進めてまいりましたが、時々、情 報収集を兼ねて、五高のホームページを見る機会があ りました。その時分かったことは、五高の細やかな情 報発信への取組みです。 御存知の方も多いと思いますが、五高が行っている 広報誌等の情報発信は、大きく次の5つが挙げられま す。 1 力行天下第一(中学生向け)~これから高校 受 験 をする中学生への情報提供・・・ (写真も多くて読 みやすい。 ) 2 理数科通信~大学の先生による出前講座の様子や 課題研究の取組等の紹介・・・ (理数科についてよ 第 79 号 健全育成委員会 笹森 和樹 今年で私もPTA卒業となります。充実した、また楽 しいステージを提供して頂きありがとうございまし た。生徒諸君も日々、目標に向けて頑張っている最 中。日々の積み重ねが、とても大事である事は、常に 感じると思います。ここでの経験は、これから更に生 かされ、磨かれ自己の確立、自信へのレールを引続け ていく事となります。夢と現実、反対語を同義語へす るため、ガンバル。諦めることなく突き進む。大人に なってもその精神は、生き続けると思います。そし て、日々ライバルは、自分自身。生徒諸君も自分と 戦っていると思います。楽しい・楽なことを前にする か、後ろにするかは、自身の心一つ。本気で努力し実 力・達成、熱い志を忘れずに日々精進してください。 PTA・OBとして我が母校の生徒諸君、邁進あれ! 広報委員長 會津 隆史 くわかりました。 ) 3 生徒会通信五高立佞武多~五高立佞武多への取組 状況の紹介・・・(五高立佞武多は永遠に続けてほ しい!) 4 五高新聞~各部活動の部長からの抱負、新任の先 生方へのインタビュー、各クラスのキャッチフレー ズ等の紹介・・・ (各クラスのカラーがわかってい いね!) 5 PTA広報紙「はるにれ」~ALTへのインタビュー、 PTA活動の紹介、保護者向け受験講座等・・・ (そうそう、これが我々広報委員会の取組み!) これら5本の矢が 1 つになって、生徒、教員、保護者、 そして地域の方々の心と心をつないでくれているので すね。その意味でも、次年度、広報委員会へ御協力い ただける皆さん、宜しくお願いいたします。 は る に れ 第 79 号 平成27年 2 月 27 日 (12) 五高トピックス 広報誌はるにれ「優良賞」受賞! 平成26年度後期 PTA・PTA後援会会務報告 月 日 内 容 場 所 1日㈯ PTA広報紙 「はるにれ」第78号発行 11 月 12日㈬ PTA・PTA後援会 中間監査 青森県 アップルパレス PTA第2回三役会 五所高 12 五高第3回広報委員会 五所高 月 18日㈭ 1 月 平成26年度青森県高等学校高P連広報紙コンクールにおいて、本 校の広報紙「はるにれ」78号が今年も「優良賞」を受賞することがで きました。なんと8年連続の入賞です。 今年度のコンクールには県内の56校からの応募があり、去る1月1 6日~17日に開催された県校P連調査広報委員会において審査され たものです。 ◎最優秀校(1校) 八戸学院光星『東雲』 ◎優秀校(2校) 青森工業高校PTAだより』 三沢高校『きざき野』 ◎優良校(6校) 五所川原高校『はるにれ』 五所川原農林高校『涓流』 十和田工業高校『もみじ』 黒石高校『西ヶ丘』 八戸東高校『桜ヶ丘だより』 三本木高校『すずかけ』 ◎奨励賞(5校) ◎努力賞(8校) 8年連続の受賞はPTA会員の 皆さんのご協力のおかげです。 本当にありがとうございました。 編 集 後 記 23日㈮ 高P連西北地区協議会 立佞武多の館 「情報交換会」 『春楡』 五高PTA研修委員会・ 28日㈬ 健全育成委員会・ 立佞武多の館 広報委員会合同反省会 『春楡』 高P連西北地区 17日㈫ 健全育成委員会 第3回理事会 高P連西北地区 2 月 18日㈬ PTA研修委員会 鶴田高 19日㈭ 第2回単位 PTA会長会議 青森国際ホテル 第3回委員長会議・理事会 27日㈮ 5日㈭ 3 月 五工高 PTA広報紙 「はるにれ」第79号発行 PTA・PTA後援会 第3回三役会 PTA・PTA後援会 第2回役員会 五所高 16日㈪ 高P連西北地区協議会 プラザマリュウ 第3回三役会・役員会 五所川原 第79号発行をもって、今年度も無事に広報委員会の活動 を終えることができました。毎年のことですが、今回もまた 卒業の特集号です。3年生の言葉はその短いメッセージの中 にも親への感謝の思いがあふれていて、どれを読んでも我が 子と見紛うかのような錯覚に陥り、編集作業中に涙ぐんでし まうことしばし……でした。 第79号の編集で、広報委員長と副委員長も卒業いたし ます。そして、来年度の「はるにれ」が更に充実したものにな るよう、1、2年生の担当者へバトンタッチいたします。これ からも「はるにれ」をよろしくお願い申し上げます。 広 報 委 員 長 會津 隆史 広報副委員長 平田真由美
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