Rotary ■ Rl会 長メッセージ A Message from President Huang ロー タリース トー リー を分かち合 い ま しょう 黄其光 (Gary C.K.Huang) 2014-15年 度 RI会 長 台湾 。台北 RC 親愛なるロータリアンの皆さん、国際 ロータリー (RI) の会長として、どこでロータリアンに会つても、彼らを励 ま し、鼓舞することが私の仕事だと思つています。また、 彼らが話さずにはいられないことに耳を傾けるのも務めだ いて 聞 き ま した。 私 た ち の ス トー リ ー か ら生 まれ る 可 能 性 面白い話も、感動で涙があふれるような話もあ りま した。 と思つています。成功 しているプロジェク トであっても、 私たちの奉仕が他人の人生を いかに変えたか、そ して自分 困難な課題であつても、あるいは素晴らしい ロータリーデ たちがロー タ リアンと していかに変わ つたか、 とい う話を ーについてでも、新 しいアイデアについてでも、私はロー 私は聞いてきま した。 このような話を聞 くと、もつと多 く タ リアンが考えていること、実施 していること、計画 して の人をロータ リー に連れて くることで、 どれだけ多 くの人 いることを聞きたいと思つています。ですから、訪問先で の生活をよ り良いものに してあげられることだろう、とか、 はいつも、ホス トの方々に 自分たちのクラブについて話 し 私たち自身の ロー タ リー ス トー リーをただ分かち合 うだけ てくださるようお願い します。うまくいつていることは何 で、 どれほど多 くの人を ロータ リー に連れて くることがで か、どのようなところを改善する必要があると考えている きるだろうなどと考えずにはい られません。 のか、 R:の 本部はどのような支援ができるのか……。 ロー タ リー の 素 晴 ら しさを教 え て くれ る ス トー リー 今年度、私は皆さんに自身の ロー タ リース トー リーを分 かち合 うようお願い します。それ らをお友達や、ソーシ ャ ル メディア、 Rotary.o『 gを 通 して話 して ください。 ロー タ リース トー リーは、私たちにひ らめきを与え、ほかの人 その答えは常に興味深いもので、驚かされることもよく たちには ロー タ リーヘ の入会を促 します。私たちが ロー タ あります。私に建設的な提案やアイデアがあることもあリ リー に輝きを与える活動をすれば、私たちのス トー リーは ます し、プロジェク トを進めるよう仲介できることもあ リ 私たちの奉仕に輝 きを与えて くれます。 ます。私たちが決定を していく上で参考になるアイデアや 見識をエバ ンス トンに持ち帰る こともしば しばです。 しか L し、これらの会話の中で私が最も価値があると考えている のは、 ロータリーについて語られたス トー リーです。 ア トランタで私は、学校の先生たちを表彰する ロータ リ ーのイベ ン トに出席 し、 リテラシー (識 字)と い う贈 り物 について、そ してそれが人生をいかに変えるか という話を Gary C.K.Huang `斗 い くつも聞きま した。イスタンブールでは、車いすの レー 2014-15年 度 スに出席 し、体の不 自由な人たちの人生を向上させるため に トルコのロー タ リアンたちがどのように活動を している 国際 ロー タ リー会長 かを知 りま した。ベ ル ーの リマでは、 ロー タ リー クラブに 誘われるのを 20年 近 くも待 つていたとい う元 GSE(研 究グル ー プ交換 )の チ ームメンバ ー と話を し、 ロー タ リー に戻 つてきたことで彼女 の人生がどんなに変わ つたかにつ 平成27年 2月 号 ROTARY 悧 黒"p 『Rotary Japan』 のホームページに、英文の RI会 長メッセージを掲載 しています。 ロータ リーの友 3 口",ダ欄 h■ 貶 ⊂ONttENttS 2月 は世界理解月間です 2月 23日 はロータリー創立言 己念 日です Rl会 長メッセージ ロータリーストーリーを分かち合いましょっψ RI会 長 黄 其光 26 ロータリーデー 君津 RC/不 破 RC/一 宮 中央 RC/東 京世田谷南 RC/ 木更津 RC/北 見 RC・ 北見西 RC/ ロータ リーデー実行委員長 喜入 奄美 RC 厚/ 7 8 36 16 金沢西 RC 田辺 邦雄/南 陽臨雲 RC 東京青山 R⊂ 浜田かづみ/郡 山南 RC 高橋 和義/ よねやまだより ″ ″ よねやま から広がる新しい世界 ④ 信 頼 が 築 く交 流 と未 来 日本との違 い 異文化理解を育む 学友会 のつながりと たな活動を求めて ! 日本ロータリー学友会 会長 田中栄次良F/ RF丁 会長 森 田 澄夫・ RFT 代表幹事 本城 信 18 届け世界 に! 日本 の心 東大阪 RC/清 水中央 RC/豊 橋北 RC 佐久間武美/ 勉/ 福徳学院高等学校 IAC/木 更津東 RC 藤野 ―宮中央 RC国 際奉仕副委員長 松本 正暢/浜 松南 RC 秋葉 隆子 ・ボロル トヤ エンフボルド 22 Rotaryい ま¨¨¨ 日本を知る 東京王子 R⊂ ロータリーの特別月間が変わります 24 田村 純朗 /高 浜 RC 国連難民高等弁務官事務所から 見えてくる世界 6 7 4 国連 UNHCR協 会ファン ドレイジンググループ団体統括 1983-84年 度 ロータリー財団奨学生 中ホl 恵 写真 ∪NHCR/A.McConnell 7 4 ■ロータリーとは ■エバンストン便リ 8 4 ■管理委員長の思い(D 39 ■ ロータリー 掲示 板 2015-16年 度『友』誌表紙写真募集の 新クラブ・ RC事 務所住所変更 。 ご案内 。RC例 会変更 。RC名 称変更・新 lAC・ :AC終 結・ 2015-2016年 度版 2015年 6月 号『友』誌表紙写真再々募集のご案内 。 ロータリー手帳のご案内 。 地区別クラブ数 /会 員数/出 席率一覧表 。 50 50 51 海外で知る 稲沢 RC 幹事 永井 伸治/ 三島西 R⊂ 元会長 遠藤 正幸/ 東京江北 RC 国際奉仕副委員長 人見 真吾/ 柳井 RC 田村 泰三/雲 仙 RC 幹事 堀川 二雄 心は共に 東日本大震災 米沢 R⊂ 米山学友 38 奥 周盛/第 2510地 区 山口 淑子/第 2530地 区 遠藤 芳徳/第 2550地 区 佐々木昌敏/第 2570地 区 仁潔郎彦 大 一元 34 部崎嶋本 羽 野長坂 第2500地 区 第2520地 区 第2540地 区 第2560地 区 世界 に広がる私 たちの 四日市東 R⊂ 市 田 淳 一 /大 和 RC 吉岡 善 一 / 新潟南 RC 羽豆 史郎 /東 京中央新 RC 宇佐美公孝 / 川ロモーニング RC 阿部 昌隆 11 視点 ガバナーのページ 世界理解月間 ネットワーク アメ リカ 30 特集 『友』3月 号主要記事予定 ■日本 回―タリー分布図 ■奥付 ■『 ロータ リーの友』 6月 号表紙写真再 々募集 ロータリー入門 ^ GLOBAL OUttL00K 選砂 ロータリアンのための回―タリー財団の 資金モデル入門 THE ROTAR:AN 2月 号から : 一般社団法人 ロータリー の友事務所 〒105‐ 0011東 京都港区芝公園2‐ 6‐ 15黒 龍芝公園ビル4階 Te1 03-3436-6651 Fax.03-3436-5956 編集部メール hensyu@rotary no tomojp ● 縦判lみ の ‖次 は、反対側 の表紙 を開 いた ところにあ ります 4 THE ROTARY― NO― TOMO ・● 本セ 力 '1な どの無 HJl転 lt・ 複製を禁 じます 2015 VOL.63 NO.2 THE ROTARY‐ NO… TOMO P7∼ 25 グローバ ル化が進 む中で国境 を超 えた活動 が広 が つてい ます 問 区類 地懐 場 FJ「 真間 中山 義之 (横 浜南 2500 佐藤 真康 神崎 正陳 (茅 ヶ崎湘南)│ 2510 柳 孝 -0し 幌幌南)│ 上野 孝 (横 浜) 2520 太 田 マ リ子 安平 和彦 (姫 路 片岡 信彦 (土 浦南) 本田 博己 (前 橋) 志田 洪願 い 岡 ) ) │ 山内 正胤 今泉 博 (東 京江北) 2770 宮下 守夫 (東 京飛火野) 2790 寺川 典秀 2800 2820 御橋 広員 木曽 正明 長平 鯨 都東 大室 催 ぼ 塚武庫,D i■ ■■ 1 1=キ 清水 良夫 (横 洵 鈴木 喬 北 清治 (浦 和東) 水野 功 杉谷 卓紀 ⊂ 名 'ヽ 母二 平成 27年 ) 2月 号 ) 中畑 肇 島津 文弘 2580 2590 石橋 正男 陳蔚籠コ 2600 2610 (十 日町 2620 01睡 2630 (大 宮シティ )│ 2750 け 葉幕張)│ 2760 lB岡 西) │ 2780 (日 立) │ 2640 山口 ) ) (盛 岡滝ノ沢 ) ) 2570 橋本 2830 2840 2530 金 平 祖 隆 (福 島1り 2540 加賀 美奈 伏 曲 2550 伊藤 ― 男 (大 田原 2560 ) た「 Jt ) │ (帯 広 ) ) 1 2650 (弘 前西 JD 橋本 和典 (奈 良大宮) 1 2660 藤 田誠―郎 (大 阪帝塚山) D12670 石川 浩 (高 松南) 長戸 はるみ Ol崎高津南)2680 熊見 一郎 D 健雄 け 調 櫨山 義皓 幡 田 小間 茂雄 廣澤 元彦 (J愴東) 阿部 正義 田頭 和規 (高 崎 12690 (高 岡) 12700 10 ,2710 (浜 松 (神 戸須磨) ) (福 山南) 加藤真左子 C治 見西)12720 高 山龍五郎 (大 分) 西澤 (東 京渋谷 ) 2730 ∈ りD 2740 深尾 兼好 (鹿 児島西) 杉原 宏 ― 厳 早lD 宗英 岩瀬淳一郎 加藤 盛久 じ ヶ崎湘南)│ 京谷 知明 ェニックス (堺 フ )1編 集長 二 神 典子 ロー タ リーの友 (東 京築地) 2014-15 R lテ ーマ ロータリー の誕 生とその成長 20世 紀初頭 のシカゴの街 は、著 しい社会経済の発展の 陰で、商業道徳 の欠如が 目につ くようになって いま した。 ちょうどその ころ、 ここに事務所 を構 えていた青年弁護 友人 3人 と語 らっ 士ポール・ハ リスは この風潮 に堪 えかね、 て、お互いに信頼のできる公正な取引を し、仕事上の付 き 合 いがそのまま親友関係 にまで発展するような仲間を増や したい、 とい う趣旨で ロー タリー クラブ とい う会合を考 え ました。 ロー タリー とは集会を各 自の事務所持ち回 りで順 番 に開 くことか ら名付け られたものです。 こ うして 1905年 2月 23日 にシカゴロー タリー クラブ が誕生 しました。 それか らは、志を同 じくするクラブが、つ ぎつ ぎ各地に Light Up Rotary 生 まれて、国境 を超 え、今 では 200以 上の国 と地域 に広 が り、クラブ数 34,558、 会員総数 1,220,115人 (2014年 10月 1日 RI公 式発表)に 達 しています。 そ して、 これ ら世界 中 の クラブの連合体 を国際 ロー タ リー と称 します。 このように、歴史的 に見ても、 ロー タリー とは職業倫理 を重んず る実業人、専門職業人 の集 ま りなのです。その組 奉仕 の理念を奨励 し、 これを育む ことにある。具 織が地球 の隅 々にまで拡大するにつ れて、 ロー タリー は世 体的 には、次 の各項を奨励す ることにある 幅広 い奉仕活動 を求め られるようにな り、 界 に眼を開 いて、 現在 は多方面にわたって多大の貢献を しています。 ロー タリーの 目的は、意義あ る事業の基礎 として 第 1 わが国最初 の ロー タリー クラブは、 1920(大 正 9)年 10月 20日 に創 立 され た東 京 ロー タ リー クラブ で、 翌 1921年 4月 1日 に、世界 で 855番 目の クラブ と して、 国際 ロー タリーに加盟が承認 されました。 日本でのロー タリー クラブ設立については、ポール・ハ リスの片腕 としてロー タリーの組織をつ くり、海外拡大 に 情熱的 に取 り組んだ初代事務総長チ ェス リー・ ペ リー と、 創立 の準備 に奔走 した米山梅吉、福島喜 三次な どの先達の 功を忘れ ることができません。 その後、 日本 のロー タリーは、第 2次 世界大戦 の波 に洗 われて、 1940年 に国際 ロー タリー か ら脱退 します。戦後 1949年 3月 にな って、再 び復帰加盟 しますが、 この 時、 復帰 に尽力 して くれたのが国際 ロー タリーの第 3代 事務総 長 ジ ョージ 。ミー ンズで した。 知 り合 いを広める ことによって奉仕 の機会 とすること 第2 日本 のロータリー ; 職業上の高い倫理基準を保 ち、役立 つ仕事 はすべ て価値あるもの と認識 し、社会に奉 仕する機会 として ロー タリアン各 自の職業 を高潔なものにする こと ; 第3 ロー タリアンー 人一 人が、個人 として、ま た事業および社会生活にお いて、 日々、奉 仕 の理念を実践す ること 第4 ; 奉仕 の理念 で 結 ばれ た職業人 が、世界 的 ネ ッ トワー クを通 じて、国際理解、親善、 平和を推進す ること。 四 つ の テス ト 言行はこれに照 らしてから や 国際 ロー タリー における日本の地位 は不動の ものにな 1.真 実 か どうか 2.み んなに公平か 3.好 意 と友情を深めるか りました。現在、 日本全体でのクラブ数は 2,278、 会員数 4。 その後の 日本 におけるロー タリーの拡大発展 は目覚 まし い ものがあ ります。 ロー タリー財団への貢献 も抜群で、今 : みんなのためになるか どうか 89,058人 (2014年 H月 末現在)と なってい ます。 6 THE ROTARY― NO― TOMO 2015 VOL.63 NO.2 海外 で知 る 日本 との違 い ロー タリア ンが仕事 で海外へ行 つた際 に体験 した世界各地の文化、習慣を紹介 します。 世界 には日本では考 えられないようなルール、マナーがある ことにあ らためて気付かされます。 古都 コルカタの風情 市 田 淳 一 (四 日市 東 RC) 私 が経営す る会社 では、不定期 で JICA(国 際協 力機構)の 環境 モニ タリングの研修生を受け入れていま す。 5年 ほ ど前にイ ン ド西 ベ ンガル州 の公害防止委員会 の技術者 への研修が縁 となって、州都 コルカ タ (旧 カル カ ッタ)の 環境調査会社へ の技術支援 な どでの交流が続 現地の技術者とともに いています。 経済成長 が著 しいイ ン ドでは、デ リーや ムンバ イな ど中心部では昔 のイメージはもうな く、近代化された都 維持 にかか る経費 の 関係 で公害防止設備 は整 ってい ませ 市 の姿を見 ることができます。一方 コルカタはややその 地震 国 日本 ではあ り得 ない よ うな高 い煙突 がそびえ立 っ 発展 のスピー ドが遅 く、貧 しいなが らも共存志向の、そ たたず してイギ リス統治時代 の首都 としての、当時 の作 まいを てい ます。イ ンフラ整 備 な どまだ問題 も多いイ ン ドです ん。 その ため、 で き るだけ遠 くに拡散 させ るよ うに と、 が、 これか らも交流 を続 けて い きたい と思 ってい ます。 (第 今 も残 しています。 2630地 区 二重県 計量証明業) 全土を知 るわけではあ りませんが、私 が コルカタで 経験 したのは、相づちの違 いです。われわれ日本人 もデ リーのイン ド人 の知人 も、相 づちの時 には首 を縦に振 り ますが、 コルカタでは、皆首を横 にか しげます。初めは 「変 だな ?」 と反応 しているのか と思 っていま したが、 だんだんそれが コルカタの相づちであることがわか りま した。巻 き舌 も強 く、ベ ンガル語 で話 していると思 うと :踏 切 で 一旦停 止 してはい けません 吉岡 善一 RC) (大 和 それ はず っ と前、初 め て ア メ リカ に 出張 した時 の こ それが英語だった りして、相当な慣 れが必要です。 とです。 カ リフ ォル ニ アの南部 で、周 りに建物 もほ とん コルカタで有名なのは、カティロール (写 真下)と い う フアス トフー ドです。チャパ どない田舎 の 町 で した。通勤 は もちろん車 なので、大 き ティとい う薄 いパ ンの上で卵 を焼 き、それに具 を乗せ て く るくると巻 いたもので、人気 の具はタン ドリーチキンと生 なアメ車 の レンタカー を借 りま した。 ホテルか ら会社 までは 20分 程度 の距離 ですが、初 出 勤 ですので慎重 に慎重 を重ね、ゆ っ くりと走 る ことに し ま した。道路の右端 をゆ っ くりと……。運転 に もち ょっ と慣 れてきた ころ、ふ とバ ック ミラー を見 る とパ トカー タマ ネギ。日本人 の日に もよ が ピ ッタリ付 いて きてい ます。運転 は、 ます ます慎 重 に く合 い、1本 80円 ほ どでお な ります。前方 に、鉄道 の踏切 が見 えて きま した。周 り なかが いっぱいにな ります。 には何 もあ りませ ん。踏切 が見 えるだけです。 ここで交 りも服装や マ ナ ー には うるさいです。 ラフな ゴル フに慣 通違反を起 こしてはな りません 。 しっか りと踏切 の手前 で一 時停止 を しま した。す る と、なん と、 パ トカーか ら れて しまっていた私 は、 シヤツの裾 を出 していてキ ャデ お巡 りさんが降 りて くるではあ りませんか。 ィー に怒 られ ま した。 お巡 りさん「 どうして止 まったんだ ゴル フは まだ まだ高級 な娯楽 で、 それ だ けに 日本 よ コ ル カ タに は 日本 の ODA(政 府 開発 援助 )で 石 炭 による火力発電所が い くつか 造 られて い ますが、保守 と 8 THE ROTARY― NO― TOMO !」 私 「だ つて 、踏切 ∼」 「危 ないか ら止 まらな い よ うに」 2015 VOL.63 NO.2 Flllllllllllllllllll 2月 :よ 世界理解月間 CD 「えっ、でも列車が来たら……」 「列車が止 まって くれるか ら、車は止 まらないように」 「日本では、踏切はいったん停止 …… 」 「ここは、 日本ではあ りません」 そ う、カ リフォル ニ アでは車が優先 なのです。それ に しても、踏切で一旦停止 してはいけない とは。 数 日後、車の運転免 許を取 りに試験場 に行 きま した。 まずは、学科試験です。窓口で係官が試験問題を渡 しな が ら、 係官 「英語はわかるか ?」 私 「あんまり……」 オーナー、スタ ッフが勢ぞろい し、開店を祝いま した オーナー、 と答 えると、係官は問題用紙を裏返 しました。 さすがカ リフォル ニ ア、 日本語 で試験 を受 け られ る 水 に 関 して も同様 です。 日本 のよ うに品質の高い水 のか と、よ― く見 ると、なん とスペイ ン語。カ リフォル ニ アは、日本 よリメキシコのほ うがはるかに近かったの 道水に恵 まれた国はそれほ ど多 くあ りません。例 えば海 外で日本茶を入れる場合、同 じ茶葉であっても使用する で した。 水が硬水か軟水かで味わいが変わ ります。また水道水の (第 2780地 区 神奈川県 ウェプシステム) 質が低 い国では、洗浄 したグラスに水 の臭 いが残 ること もあ ります。おい しく日本酒を飲んでいただ くためには、 良い製品をつ くるだけではな く、現地の事情 にあった飲 ところ変われば …… み方や管理方法を提案する必要があ ります。 日本では特 に意識する こともな く行 っている生活習慣が、国が変わ 羽豆 史郎 RC) (新 潟南 れば当た り前ではな くなるのです。 日本 にいる とあま り実感す る ことは ない と思 い ます 新潟県佐渡市 に が、治 安 の 良さ、時間に正確 な交通機関、おい しい水、 あ る わ が 社 は、 17 美 しい空気な ど、 日本には諸外国 と比べ てもすば らしい か国 36店 舗 を有す 「あぁ、日本 の 国民で良かった 点がた くさんあ ります。 るレス トランチェー (第 !」 2560地 区 新潟県 日本酒製造) ンに 日本酒を輸出 し ています。 1年 に 15回 ほ ど 海外出張 に出る機会 店内の一角 にある枡 タワーの前で がある私 は、各地 で文化や生 活習慣の違 いに直面す る 外国人 にYESと 言わ せ る話 し方、接 し方 宇佐美公孝 RC) (東 京中央新 ことがよ くあ ります。先 日訪れたメキシ ヨ市 の標高は、 2,240m。 日本で考 えれば富士山の五合 日と同程度の高 私は日本、アメリカ、 ドイツにそれぞれの本社がある 地にメキシ コの首都があるのです。 このよ うな高地での グローバル企業 (3社 )で 国際 ビジネスを経験 してきま 生活には、高地な らではの工夫が必要 とな ります。 した。駐在国も、アメリカ、イギ リス、ドイツ、オランダ、 チ リ、パ ナマ と多 く、出張で訪問 した国は 80か 国を超 まず はお 米 の 炊 き方。 新 規 オ ー プ ン した取 引先 の 日本食 レス トランを訪れた際、オ ー ナ ー シ ェフが ご飯 えています。 ビジネスライフの半分以上を海外で過 ごし の 味が他 の店舗 とは異な ることに気が付 きま した。 聞 いてみ る とメキシコ市 のよ うな高地 では、気圧が低 い てきた私 の特技は何か ? と聞かれたら、即座に異文化 コ ミュニケー シ ョン能力 と答えるぐらいです。外国人 に ため沸点が低 く、低地 と同 じ方法 ではおい しく炊 くこ ビジネスで YESと 言わせ るためには、現地 の習慣 に積 とができない とい うのです。 同 じく標高 の 高 いア メ リ カ 。コロラ ド州 のアスペ ンの店舗 も同様で した。水分調 極的に溶け込む必要があ ります。た くさんのエ ピソー ド 整を した り、高地でも使用できる炊飯器を新たに導入す 1)お せ っかいな南 ドイツの人たち るな ど工夫を していました。 平成 27年 2月 号 の 中か ら、今回は 2つ の体験を紹介 しようと思 い ます。 南 ドイツの人たちの、他人の行動に首を突 っ込んで く ロータリーの友 9 2月 は 世界理解月間 G〕 るおせ っかいぶ りには驚かされ ました。具体的 にはこん な感 じです。 *引 っ越 しで忙 しいさなかにや ってきて自己紹介 とこち らの情報を 1時 間以上 もやたら詳 しく聞いて くるお隣 さん。 *聞 いて もいな い ごみの出 し方、近所 の買 い物店紹介、 犬 の散歩の仕方、雪 の処理方法 な どをいちいち詳 しく 教 えてい くお向かいさん (ほ とん どの ことは市 の情報 (左 )い たるところで売 られてい るココナツ。その場で飲みます (右 )こ のような食事をすべて手 で食べ ます サイ トに書 いてあ ります)。 *30秒 ほ どの停車にもかかわ らず、エ ンジンを停止す るよう注意を して くる歩行者 のお じさん (ど こで見 て 取 引をす る ことも少 な くあ りません。 その 一つの例 とし いるの ?)。 *電 車の 中で くしやみをする と、自分のティッシュペー パーを出 して くれて、 鼻をかめと命 じて くるおばさん。 *車 をバ ックで駐車 しようとすると、 どこか らか現れて て現在、取引を しているのが、 ス リランカです。 イ メー ジがあ ま りわかな い方 も多 い よ うですが、 旧国 名 がセイ ロ ンだ と説 明す る と 「紅茶」 が有名 だ とい う こ 誘導 を して くれる赤 の他人。 とに気づ きますね。 で もそれ だけではあ りません。 日本 行き こんなふ うに、 相手が どう思 うかな どを気にせず、 と非常 に 関係 が深 く、 1951年 のサ ンフラ ンシス コ講和 過ぎた親切 を振る舞って くれる南 ドイツでの体験です。 2)社 員が毎 日抱 き合 っている南アメ リカ 。チ リのオフ 会議 での故 ジャヤ ワル ダナ元大統領 (当 時 は蔵相 )の 演 ィス事情 む」 を思 い浮 かべ る方 もい らっ しゃるのではな いで しょ チ リのオフィスでは 同僚 の誕生 日、売 上目標達成月、 説 「憎 悪 は憎 悪 に よ ってや む こ とな く、愛 に よってや うか。 出張か らの帰国な 出張 では最大都市 コロンボだけでな く地方 に行 くこと も多いのですが、そ の 際 いつ も挑戦 しなが らい まだに う ど、あ らゆ るタイ ま く会得 できないのが、右手 だけで食事 をす る ことです 。 ミングで相手 をた イ ン ドな どへ 行 った ことが あ る方 は ご存 じで しようが、 たえるため に 、抱 ス リランカで も地方 にはその習慣 が強 く残 っています。 き合 って頼 にキス 料理 はカ レーが メー ンですが 、 ス リラ ンカの人 は皆、右 手 を フ ォー クの よ うに して きれ いに食 べ るん です よね。 出産記念 日、海外 をす る習慣 があ り ます。 日本人 の 目 「指先 で カ レー とご飯 を混ぜ て第 一 関節 で固めて食 べ る には、何 を大 げさ んだよ」 と教 えて もらった ものの、私 に とって これで食 べ 続 けるのは至難 の業。 日で言 うのは簡単 ですが、結局 な、と感 じますが、 チ リの人 たちに と チ リの経済団体連合会総会でスピーチを し ました (下 段左から 4番 目が執筆者) っては大事 な社交 です。私 も 1年 がたつ ころにはその習慣 に慣れ、今 では 照れ ることな く誰 とでも抱擁 して相手をたたえ、喜 んで あげる ことができるようにな りました。 (第 2750地 区 東京都 翻訳仲介業) いつ も一 人 だけペース が遅れて フォー クを借 りる始末 で す。何 とか会得 したい ものです。 現在、私 は コロンボ・ メ トロポ リタン ロー タリー クラ ブ (RC)の ロー タ リア ン と友情 を深めてい ます。 出張 の合 間 に時 間 ができたため、 ロー タ リーバ ッジ とクラブ の バ ナ ー だけを持 って例 会 に 訪 問 したのが き っか け で す。会長、幹事 をは じめ会 員 の 皆 さまが快 く迎 えて くれ 指先 で混 ぜて ・ 一 第 関節 で固 めて食 べ る 阿部 昌隆 て感動 した ことは 、今 で も忘れ られ ませ ん。 その後 も交 流を続 けて います。 また、 この交流を後押 しして くれた !! RC) OIIロ モーニング 食品輸 出入 をな りわ い とし、主 に北 アメ リカの企業 と 取 引を してい ますが、今 まで仕事を した ことがない 国 と 10 THE ROTARY― NO― TOMO クラブの諸先輩 に も大変感謝 してい ます。 ちなみに コロンボ 。メ トロポ リタン RCは 昼例会 で し たが、 フォー クとナイ フを使 っていま したので、私 も何 の心 配 もあ りませんで した。 (第 2770地 区 埼玉県 食品総合コンサルティング) 2015 VOL.63 NO.2 異文化理 解 を育 む 独 自に青少年国際交流事業を行 2月 は世界理解月間です。今回は、 青少年交換な ど、 日一 タ リー の青少年奉仕 プログラムとは別に、独 自に青少年の国際交流事業 を行 つているクラブを紹介 します9 日豪友好、 姉妹 クラブの懸 け橋 となる留 学生 との交流 稲沢 RC幹 事 永井 伸治 (RC)は 、 1975年 7月 に第 9700地 区 の カ ウラ RC(オ ー ス トラ リア・ カ ウラ市 ) の証 しとして「 日本庭園」 と姉妹 クラブ提携 を結び ま した。 が造 られ ま した。園内 に 稲沢 ロー タ リー クラブ 11月 に は、 平 和 と友 好 1970年 代 当時、稲沢市 を含 む愛知 県尾張地方 は羊毛 は、茶室、あず まや、藤 産業 が とて も盛んで、 原料 である羊毛 の取 引が縁で、姉 棚、盆栽観賞室、 日本民 妹 クラブ締結 に発展 しま した。 芸品展示室 な どが整備 さ カウラ市 は 、 シ ドニー の 西方約 320kmに 位置す る人 口約 1万 2,000人 の 畜産 業 が盛 ん な小 さな 町 です。 第 れ てい ます。 稲沢 RCは 当時、姉妹 二 次 世 界 大 戦 中 に 日本 人 捕 虜 収 容 所 が あ っ た 場 所 で、 クラブ提 携を記念 し、 こ 1944年 8月 5日 、脱 走者 数 540人 以 上、死 者数 235 の 日本庭 同建設事業 に寄 人 とい う、捕虜収容所 では 史上最多 とされ る大脱走事 件 付金第 が起 きた ことで有名 です。 し、 庭 園内 に雪見灯籠 この 事件以降、犠牲者 に心 を痛めた現地 の人 々が 、 日 │ド 1号 と して 献 金 カウラ RCの バナー 1 基を寄付 しま した。 また、稲 沢 RC創 立 20周 年記念事 本人墓地 を整備 し、 戦後 も大勢の 日本人遺族 が 訪れ、そ 業 として、 1983年 、 同園 に釣 り鐘 を寄 贈 しま した (カ こか ら交 流 が 育 まれ、親 日家 の 市 民 が 増 え、 1978年 ウラ RCの バ ナ ー には 、稲沢 RCが 贈 った雪見灯籠 と釣 ①②捕虜収容所跡 ③ 日本庭園と雪見灯籠 (筆 者 :左 )④ 1983年 に寄贈 した釣 り鐘 ⑤ 日本人墓地 ⑥ 2014年 シ ドニー国際大会時、カウラ RC例 会を訪問 平成 27年 2月 号 ロー タ リーの友 り鐘が刷 り込 まれています)。 ました。二人 の上手な日本語 に、会員 は感心 していまし た。成践高校では元留学生の子女を通称 「カウラ 。ジュ 相互の会員が訪問 し合い、友情を深めていますが、そ れ以外 にも、 日豪間の友好を図 るために 1970年 か ら始 ニ ア」と呼んで特別に留学生 として受け入れて いますが、 まった相互交換留学制度 で、 カウラ高校か ら東京の成践 高校 に留学 している生徒をその都度稲沢 に招待 し、カウ ゾー イさんのお母 さん も約 30年 前 の留学 生で した。当 時、稲沢 に招かれ会員宅 でホームステイ したことを思 い ラとの交流を継続 しています。今年度 もカウラ高校か ら 成践高校 に留学中のテイラー・ コ ックスさん と、キャン ベ ラか ら留学 中 の ゾー イ 。バーロー さんを、 12月 15 出深 く話 していたそ うです。 私 は、昨年度のシ ドニー 国際大会 (2014年 6月 )に 参加 した際、カウラに立ち寄 り、過去 の何人 もの日本 へ ∼ 17日 の 日程 で、稲沢市や名古屋市を案内す るととも に伊勢神宮参拝 とクリスマスイル ミネー シ ョンな どを見 の留学生 との再会を楽 しみました。 て楽 しんでもらいました。 17日 の稲沢 RCの 例会 では、 一年間勉強 した流ちような日本語 でス ピー チを して くれ 今年 7月 には、姉妹 クラブ提携 40周 年 を迎 えます。 今後 もカウラ RCと 稲沢 RCの 友好が一層深まる ことを 祈念 します。 (第 2760地 区 愛知県 ) ゾーイさん (左 )、 テイラーさん。 クリスマスイルミネーシ ョンをバックに 名古屋城を見学 台湾姉妹 クラブとの中学生交換研修 三島西 RC元 会長 遠藤 正幸 3500地 区・ 苗栗 ロー タ 1989年 と 92年 には、 この 中学生交換 (RC)と 、三 島西 RCに よる中学生の交換 研修事業 に対 して国際 ロー タリー会長か 29年 目 とな ります。 まさに、継続 は 力 「意義ある業績賞」 を授与されました。 ら 記憶 を思 い起 こす と、台湾第 リー クラブ 研修 は、今 回が ス ター ト当時 は中学生の交換研修 は珍 しく、 この交換 な りだ と思い ます。 1982年 の三 島西 RC創 立 10周 年記念式典 において、 苗栗 RCと 姉妹 クラブを締結。そ の後、以下 の よ うなか たちで発展 してきま した。 1985年 :日 台小 中学生書画展覧会 を開催 1986年 :苗 栗 RC創 立 15周 年記念式典 の席上、 中学 生交換研修事業が具体化 研修 で素晴 らしい成果 を上 げ る ことができま した。 中学 生の OB会 もできま した。 子 どもたちの成長ぶ りには驚 か され ます。先 日、駿東 『私 の主 張』発表 大会」 で、交換 郡清水 町 で行 われ た 「 中学 生が 「絆」 と題 し、交換研修 で初 めて台湾を訪れた ときの体験 を語 り、多 くの 町民 に感動 を与 えま した。交 1987年 :第 1回 交換研修 で中学生 3人 の 派遣を実施 換 事業 は 7日 間 と短期 間 です が、 中学 生 とい う多感 な 以来、交 互 に派遣 と受 け入れを繰 り返 し、 これ までに 時期 に異国 の風土 に触れ、同年代 の子 どもたち と交流す 99人 を受 け入れ、88人 を派遣す る ことが で きま した。 る ことで、そ の後 の人生 に大 いに役立 ってい るのではな 12 THE ROTARY― NO― TOMO 2015 VOL.63 NO.2 2月 は 世界理解月間 喘殿 ①台湾の寺を訪問 ②引率者 の皆さんも一緒に富士箱根の 観光と雪遊び。台湾の子ども たちは初めて触れる雪に大興 奮 ③ 三島警察署 を表敬訪 問。剣道の指導を受ける ④ 女子は着物、男子は袴を初体 験。最高の笑顔です ⑤三島 市 の中学校に一 日体験入学。 同世代の中学生と一緒に過ご します。共通語は英語。台湾 の生徒の英語力にはすごいも のがあ ります 続 けよ う」 と言 ってい ま した。 この言葉 が忘れ られ ませ い か と思 い ま す 。 私 は、 この事業 のおかげで両 クラブの会員同士 の友情 と信頼ができた と思います。同時 に、クラブ内での会員 ん。 この事業は、各年度 の会長・ 幹事 と、その前 の年度 の 同士、そ して家族の絆 もより強 くなったように思います。 私 は この事業 がス ター トした ころ入会 しました。 当時、 会長・ 幹事、国際奉仕委員長 ・ 副委員長 を中心 に実施 し 先輩 が 「この事業 は、三島西 RCの 親睦 を中心 としたク ラブ運営を大事 に しなが ら、『細 く長 く』をモ ッ トーに す。会員家族 の 皆 さまに も感謝 です。 てきま した。 ホー ムステイは、会 員宅 で担 当 してお りま (第 2620地 区 静岡県) 不思議な縁 か ら 48年 一一 ウオルナッ卜・ ク リー ク RCと の夏期交換学生プログラム 東京江Jヒ RC国 際奉仕副委員長 人見 真吾 (RC)と 第 5160地 区・ ウォルナ ッ ト・ ク リー ク RC(ア メ リカ・ カ リフォル ニ 東京江北 ロー タ リー クラブ ア州 )と の 間で始 まった夏期交換学生 プ ロ グラムは、 ち ょっ とした偶然か ら生 まれ た親善 と友情 の証 しとなる事 業 です。 1966年 、ア メ リカ・ コロ ラ ド州 で開かれ たデ ンバー 国際大会 に 出席 した当クラブの田中三 郎会員が、開会式 が始 まるのを待 っていま した。そ こヘー 人 のアメ リカ人 ロー タ リアンが近 づ き、い きな り「カナメ 。フタバ とい う人 を知 らな いか 」 と尋ね ま した。 平成 27年 2月 号 ウォルナット・ クリーク RC 不思議 な縁 です、 日本人 には 何百人 とい う 「フタバ さん」が 、 バ __ いるで しょうが、そのアメリカ人が探 していたフタバ さ んは、かつ て東京江北 RCの 会員 であつた二葉要氏 だっ たのです。お互 いに偶然 とい う事実に驚きま した。その アメリカ人は、次 の年度 にウォルナ ット・ クリー クRC の会長を務 めるエイ ドリア ン・ メンデス氏で した。メン デス氏は、戦後 日本 にいた折、二葉氏 に大変お世話 にな った とい うのです。 田中会員はメ ンデス氏の強 い誘 いを受け、帰路 を変更 ロータ リーの友 13 左から田中文子夫人、田中氏、メンデス氏。「エイ ドリアン・ メンデス功労賞」受賞時の写真 (1997年 ) ウォルナッ ト・ クリーク RCの 創立 50周 年記念時、メンデス氏宅の庭で (1987年 ) 左 。中央 :会 員が宮司を務める大鷲神社で日本 文化を体験 上 :会 員家族たちと京都を訪問。 来 日交換学生の トンヤさん (左 )と 、会員のお 嬢さん (2014年 7月 ) し、ウォルナ ット・ クリー クのメンデス氏の 自宅へ立 ち の認 め る ところ とな り、 1982年 に 開催 され た地 区大会 寄 って親睦を深めました。 この縁を何か後に残そ うと話 では「意義 あ る業績賞 」 を受賞 しま した。 が持 ち上が ったのが、夏期交換学生 プログラムで した。 このプロ グラムでは子 どもたちの交換 だけでな く、会 両 クラブの会員の子どもたちを夏休み の 間交換 し合 い、 員や家族の交流 も深 く行われてお り、姉妹 クラブ以上 の それぞれの家庭で預か り、旅費以外は全て受け入れ側 の 緊密 な関係 とな りま した。 今後 もこのプログラムを継続 会員が面倒を見る約束を交わ しました。48年 たった現在 してい くことは、国際理解 のほか 、青年子女 に対す る教 も一度 も途切れることな く、 脈 々と引き継がれてい ます。 育効果 も大 き く、 さ らに意 義 のあ るものに確立 してい く 両 クラブが果た した国際親善の業績は国際 ロー タリー シ ヤンペ ン R⊂ との青少年交換事業 柳丼 RC 田村 ことに なる と考 えています 。 (第 2580地 区 東京都) シ ヤンペ ン R⊂ 泰三 第 6490地 区 。シャンペ ンロータ リー クラブ (RC アメリカ 。イ リノイ州)と 柳井 RCと の青少年交換が始 学校や中学校 を訪 問 し、英語 の授業 な どに参加 して 、児 まって 25年 にな ります。大学生が対象で、高校生は原 童生徒 たちの英会 話 の相手 を します 。 則 として含めてい ません。夏の期間に 1か 月間、ホー ム ステイを しています。 を経 験 し、近 隣各地 を観光 します 。 また、柳井市 内の小 滞在が終わ る ころに、 ロー タ リー クラブで卓話を しま す。 その時に「 日本人の考 え方 の原点 は『道』 にある こ アメリカか らの学生は、初めて日本に来て、言葉や習 とを理 解 した。茶道、華道、書道や武道 にみ られ る『道 』は、 慣 の壁にぶつか り、人生で初めての挫折感を味わ うよう 結果 ではな く、過程 を大切 に してい る」 と話 した学生が な、優秀 な学生 たちです。 日本文化を学ぶ機会 として、 いま した。 私 たちの方が 日本人 の考 え方 について、認識 ホー ムステイのほかにも茶道、華道、書道、竹細工な ど を見直す ことに な った と思 い ま した。 14 THE ROTARY― NO― TOMO 2015 VOL.63 NO.2 2月 は 世界理解月 間 交換学生たちはアメリカに帰ってか ら、大学やシャン ペ ン RCで 、 日本で経験 したことを話 します。彼 らの経 験は、非常に興味深 く聞かれてい るようです。 日本か ら 派遣 した学生 も同様で、シャンペ ン RCの 会員が非常 に がんばって、数 多 くの経験をさせて くれてい ます。本人 が期待 した以上の結果を得ています。両 クラブにとって、 この青少年交換には困難 も少な くないのですが、その意 義は高 く評価 されています。 (第 2710地 区 山口県) 書道教室で 韓国姉妹 クラブとの青少年交換交流 雲仙 RC幹 事 堀川 二雄 釜山冬柏 R⊂ 当クラブは 5年 前 のクラブ創立 40周 年式典 を機 に、 第 3661地 区・釜山冬柏 ロー タリー クラブ (RC 韓国) と姉妹盟約を交わ し、以降毎年、交互 に会員同士 の訪問 を重ね、両国の草の根交流を行 ってきました。 今年度は当クラブ倉1立 45周 年を迎 えるにあた り、 「両 いス ピー チ に感動 し、また子 どもたちに と って は、初 めての海外交流 が有意義 な経験 にな った ことを実感 できま した。 なお、この事業 は両 クラブの会員か ら高 い評価を受 け、 参加者 の 皆 さんか らも継続 を望 む声 が多数 あ りま した。 国の子 どもたちを相互派遣 し、友好親善 と国際感覚を体 今後 の継続実施 に 向けて も、釜 山冬柏 RCと の 国際交流 験できるプロ グラムを実施 しよう」 との若い会員か らの と友好 親善 を、強力 に推進 していきます 。 発案で、昨年度から準備を重ねてきました。 (第 2740地 区 長崎県) 派遣対象年齢 は 10∼ 15歳 の男女 の児童生徒で した が、多数の申し込みがあ り、厳正な抽選で参加者を決定 しま した。夏休み期 間中 の 8月 19∼ 24日 の 日程 で、 前半 の 2泊 3日 は釜山冬柏 RCの 親子 3組 を雲仙市に受 け入れ、バーベ キュー、茶道、空手な ど交流を行 いまし た。後半の 2泊 3日 は雲仙市内の親子 5組 を釜山市に派 遣 し、互いの ロー タリアンも引率ならびに世話役 として、 現地 で親睦交流を行 い ました。雲仙派遣団の間では、釜 山でのテンプルステイ (お 寺体験)が 特 に貴重な体験 と 思 い 出になったようです。 帰国後 の例会出席 の折、参加 した児童生徒 によるレポ ー ト発表 におい て、自信 と成長の成果が表れた素晴 らし 平成 27年 2月 号 ロータ リーの友 15 2月 は 世界理解月間 (D 学友会 のつ なが りと新 たな活動 を求 めて ! 第 4回 日本 ロー タリー学友会全国大会開催 日本 ロー タリー学友会会長 田 中栄 次 郎 11月 15日 、最初 か ら連続 3回 開催 の如水会館か ら 第 4回「日 江東区越中島の東京海洋大学 に会場 を移 して、 本 ロータリー学友会」全国大会 が開催 されました。全国 22地 区の学友会 か ら 43人 の学友、 ロー タリー財団地 域 コー ディネー ター の江崎柳節氏 をは じめ 18人 のロー タリアンに、 来賓 (招 待講演者 )、 国際 ロー タリー (RI) 日本事務局財団室長 の清水優希氏を加 え、計 62人 の参 加を得て盛会で した。 第 2部「招待講演」、 全国大会は、 第 1部「学友会総会」、 第 4部 「懇親、 交流会」 第 3部 「各地区学友会活動報告」、 第 2部 の「招待講演」 では、 RI日 本事務局財団室長 で構成され、午後 1時 か ら 6時 までの第 1部 か ら第 3部 の清水優希氏が「日本の奨学金の現状」について報告 さ は、海洋大学の教室で開催され、一 同学生気分 に戻 って れ、 また、神奈川歯科大学教授 の久保 田英朗先生か ら、 「フィリピンの VTT医 療支援 (口 蓋裂治療 )報 告」 と の大会で した。 第 2600地 区 (長 野県)の 故・ 第 1部「学友会総会」は、 い う医療専門家な らではのお話があ り、一 同 に感銘を与 滝澤武地区学友会長 の追悼黙祷 には じまり、会長の田中 えました。さらに、 「学友活動報告」では、島田潤君 (2010 -11年 度、アメリカ 。モンタナ大学)が 、「フロンティ か ら 2013-14年 度 の 活動状況 の報告 を して、 また、 11月 25日 開催 の「ロー タリー財団地域 (第 1、 2、 3ゾ ー アの拡大一一宇宙へ」と題 し、留学時 の体験を通 じ広がっ が与 えられているので、 この機会 に、「2013-14年 度 た宇宙 への夢を語 り、 平井麻佑子 さん (20H-12年 度、 。 イギ リス ロン ドン大学)が 、留学中の「田中作次 RI か ら本格導入の『未来の夢』で日本か らの奨学生数が半 会長通訳体験記」を話 して くれました。元会長 ご夫妻は、 減 していることを憂い、より多 くの奨学生を送 り出 した い」「グ ローバル補助金 の対象 は人道 6項 目に限定 され 新米 の平井通訳 に とても優 しかったそ うです。 ているが、難民や被災者の心を癒やす『音楽』な どを加 岡県、佐賀県、長崎県)の 中牟田久敬会長 えてほしい」 と要望する旨、報告 しました。 高木直之代表幹事 か らは「2017年 ロー タリー 財団創 名誉会長 )か ら、2015年 11月 7日 に開催 される「第 2700地 区学友会創立 50周 年記念行事」 に参加 してほ 立 100周 年 に、学友会 として何ができるか皆 で考 え、 しい と、全国の学友会 に招待があ りました。続 いて、各 実行 しよう」 と提案があ りました。 また本城信会計幹事 地 区の学友会か らの近況報告な どの発表があ りました。 か ら 2013-14年 度会計報告、松下衛会計監査幹事 の 「大 最後 に、 財団地域 コー ディネー ター の江崎柳節氏か ら 監査報告があ り異議な く承認 されました。 会 の講評」を頂戴 し、盛会裏 に総会、全国大会を終了 し ン)セ ミナー」で、 日本 ロー タリー学友会 の報告 の時間 第 2700地 区 (福 第 3部「各地区学友会活動報告」では、 (日 本学友会 ました。 第 4部 「懇親、交流会」 は、近 くの レス トラン に会場を移 し、 ロー タリー フェロー ズ東京 の森田 澄夫会長 の司会で開会 しました。 中牟田日本学友 会名誉会長 のあいさつ、二神典子 ロー タリーの友 編集長 の祝辞、久保田英朗神奈川歯科大学教授 の 乾杯で、懇親、交流 の場が広が りました。 会 の後半、イタリア留学 の経験があるテ ノール 歌手 の森田澄夫氏 の呼びかけで、あ っという間に 音楽で留学 した 3人 の学友、小池芳子 (第 地区 長野県)、 黒田映李 (第 愛媛県、徳島県、高知県 )、 2600 2670地 区 香川県、 関根裕子 (第 2770 2015 VOL.63 NO.2 地区 埼玉南東)が 勢ぞろい し、 4人 の合唱で大 いに会 が盛 り上が りました。 翌 16日 に企 画 した 「東京湾・ 隅田川 の船旅 と浅草・ スカイツリー ツアー」は、 16人 の参加者を得て午前 10 時、中央区の浜離宮か らスター トしましたが、海洋大学 近 くのホテルに前泊 した 10人 は、 8時 過 ぎか ら築地の 場外市場で、お魚付 きの朝食か ら始 ま りました。浜離宮 を散策 して、船着 き場か ら水上バ スに乗 り東京湾か ら隅 田川を遡上 しました。 途中の景色や停泊中の海洋大学の練習船な どを、海洋 会食 の席上、被災地 の福島県か らかけつ けた鈴木美恵子 大教授 の高木代表幹事が素晴 らしい解説を して くれ、一 代表幹事にツアー参加者か らの心ばか りのカンパ と神奈 同船旅を楽 しみ、吾妻橋で上陸、雷門か ら仲見世、浅草 川県 の森勝美学友か らのお土産を渡 しました。一 行 は、 寺 とお江戸を代表する観光 スポ ットを歩きました。お昼 それか ら東京スカイツリー か らの眺望を楽 しみ、午後 4 は、名代 の老舗「駒形 どぜ う」で どじょう鍋を楽 しみ、 時、翌年 の再会を約束 して散会 しました。 ロー タリー フェロー ズ東京 (RFT) 第 10回 秋季交流会 学友)、 森田 (テ ノール)に よる、「乾杯 の歌」 の二重 唱 RFT会 長 で華やかに懇親会が始 まりました。 歓談 も佳境に入 り、平山真奈美会員の通訳でパ フォー 森 田 澄夫 代表幹事 本城 信 マンス タイムに。 ロー タリー平和 フェロー、モズ リー さ (RFT)は 、 ロー タリー んのノリノリの ビアノで幕が開きました。子 ども連れの 財団奨学金を受けて留学 した東京出身者お よび在京、在 会員 も参加 してのア ットホームな雰囲気のなかプ ログラ ム も進み、今度 は、森 田 の リー ド、大森美和 さん (第 ロータリーフェローズ東京 勤 の学友 による学友会組織で、春秋 の例会、 ロー タリー 財団月間における学友 による卓話者派遣、派遣学生 のオ リエ ンテー シ ョンヘ の参加な どの活動を行 っています。 2600地 区学友 )の 通訳で、「 ソー ラン節」の全員合唱 で盛 り上がった後は、 ロー タリー平和フ ェローの皆さん (ICU)の ロー タリー平 による楽 しい「クリスマスソング」、最後 は出席者全員 和 センター に留学 しているロー タリー平和フ ェロー を中 肩を組んで「きよしこの夜」を合唱 し、多 くの 国籍 の人 々 心 とした来 日中の奨学生 と、 ロー タリー財団の奨学金を の心が通 い合 ったまさに国際交流 にふさわ しいエ ンデ ィ 得て派遣される奨学生 の歓送迎会を兼ねた交流会で、I CUで ロー タリー平和プログラムが始 まった 2004年 か ングとな りました。田中栄次郎 日本 ロー タリー学友会会 長兼当会顧間の 閉会 のあいさつで交流会 は無事終了する ら、ほぼ毎年 開催 してお り、 12月 13日 に 開催 され た ことができました。 秋季例会は、国際基督教大学 秋季例会は、ちょうど 10回 日とな ります。 今回は日本か らの初の国際 ロー タリー (RI)会 長で、 ICU初 代理事長を務め られた東 ヶ崎潔氏にちなんで命 名された、 ICU東 ケ崎潔記念ダイアロ グハ ウスで行わ ロー タ リー にお世話 にな った私 たち元財 団奨学 生の ロー タリーヘ の恩返 しとして始めたこの交流会、 これか らも続けてい く所存です。 ロー タリー平和フ ェロー、米 山記念奨学生 の皆さんの実 りある留学生活 と、未来の素 れ、 ロー タリー平和 フェロー、米山記念奨学生、 ロー タ リアン、 ロー ター アクター、他地区学友会、会員な ど計 援 くださってい る第 2580地 区、同地区財団委員会およ 35人 が出席 しました。 び ロー タリー財団に感謝 の意を表明 して筆を置きます。 晴 らしい活動を祈るとともに、 日ごろ当会 の活動を ご支 本城信 の英語 による司会 で進み、森田澄夫の開会 の あいさつに始 まり、来賓あ いさつや奨学生たちの 自己 紹 介 が続 き、 黒 田映李 さ ん (第 2670地 区学友)の ピアノ伴奏、小池芳子さん (ソ プ ラノ、第 平成 27年 2月 号 2600地 区 ロータ リーの友 17 「に ! 日冽薄(Э J醸 ― 一海外で活動する日本のロータリアン 層Iけ 世拓 ベ トナムの子どもたちに届けた きれいな水と笑顔 東大阪 ロー タリー クラブ クラブ では もたちは好 きな ときに好 きなだけ、安全 な水 を飲む こと がで きるよ うにな ります。会員有志 が昨年 10月 に現地 を訪れ ましたが、お母 さんの愛情 の 下 で育 っているた く さんの笑顔が心 に残 りま した。今 回 の支援 が 子 どもたち 7年 前 か の 幸せ の一 助 となる ことを願 ってお ります。 ら、 WCS(世 界社会奉 (第 2660地 区 大阪府) 仕 )活 動 としてベ トナム の各種施設 に対 し支援事 タイ山間少数民族の 生徒寮の丼戸掘 り支援 業 を行 ってきま した。今 年度 は「 SOS子 どもの 村」 に浄水器 清水 中央 ロー タ リー クラブ 18台 を寄 私たちのクラブでは 15年 以上前か ら国際奉仕 と新世 贈 しま した。 国際 NGO法 人 「 SO 代奉仕 の一環 として、タイの山岳少数民族の村の子 ども S子 どもの村 イ ンター ナ シ ョナル」 は世界 中 に両親 を亡 たちの教育支援を行 うNGO。 さ くらプロジェク トに協 くした子 どもた ちを受 け入 れ る「子 どもの 村 」 を運営 力。 ジャ トプー村 の小学校校舎、山間少数民族 の村 の子 どもたちが修学するための寮 。さ くら寮のホールや、女 子寮 。しみず館 の建設、通学用バ スの提供、子 どもたち してい ますが、 ベ トナ ムには 14施 設 があ ります。 当ク 2013年 に 引 き続 き支 援 してい るの は ハ ノイ 郊 外 のマイ デ ィ ッチ子 ども村 で、 2∼ 18歳 の 子 どもたち 約 230人 が暮 らしてい ます。単 なる生活の場 ではな く、 ラブが の里親 になるといったさまざまな支援を してきました。 今 回は地 区補助金 を得 て、 さ くら寮 のあ るチ ェンラ 親 のいない 子 どもたちに豊かな愛情 を注 ぎ将来の生活力 イ市か ら約 20km北 のメーヤオ郡ルア ミッ ト村 にあ り、 を養 い社会 に送 り出す ことを理念 に しています。 22人 の寮生 と 2人 のスタッフが生活す る寮・ さ くらエ 低年齢 の 子 どもたちは約 10人 ず つ 「お母 さん」 と呼 コホー ムの井戸の掘削を実施 しました。 ばれ る世話 係 の 女性 と一 緒 に、家 族 と して 一 戸 建 て の さ くらエ コホ ー ムは 2003年 の 開寮以来、生活用水 「家」 での共 同生活 を行 ってい ます。生活環境 で問題 な の確保 に苦慮 していま した。設立 当初、寮 内 に深 さ約 のは衛生面、特 に飲み水 で、常 に子 どもたちの健康をお の 前庭 に作 った地 下水槽 にためておいて、 それ を炊 事、 10mの 井戸が掘 られ ましたが、約 1年 後 に枯渇。その後、 生活用水は施設か ら約 30m離 れた小川の岸辺の斜面に、 約 7mの 深 さの簡易井戸を掘 り、そ こか らポンプで くみ 洗濯 あ らゆる ものに使用 している状況 です。 上げ、約 5mの 高台 にある寮施設内の貯水 タンクに給水 「家」 びやか してい ます。一 応水道 はある ものの質 は悪 く、 今 回の 支援 では、「家 J16軒 それぞれ と食堂、集会所 の 計 18か 所 に浄水器 を寄贈 しま した。 これ によ り子 ど していました。 このシステムでは、一 時貯蔵 タンクやポンプ内部にJヽ 川 の砂 が侵入 し、たびたび故障の原因になるほか、毎年 6∼ 9月 の雨期 の集中豪雨で小川が急激 に増水 し、ポン プとその横 に設置 した一 時貯蔵用 の コンクリー ト管 まで が流 されて しまうこともあって、 しば しば生活用水の供 給 が断たれ る状態で した。子 どもたちは決 して衛生的 と はいえない小川 の水 で、水浴 びや洋服 の洗濯をするしか あ りませんで した。 給水 システムを見直 し、寮の敷地内に本格的な丼戸掘 り工事を実施 し、安定 した生活用水の供給を実現する こ とが急務 となっていました。そんなわけで、 この計画 に 全面的に資金協力する ことに しました。 早速、チ ェンライ市 内の井戸掘 り会社 18 THE ROTARY― NO― TOMO 3社 か ら見積 2015 VOL.63 NO.2 ■■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ︱ 日 ︱ ︱ ︱ ︱ 日 ︱ ︱ 日 ︱ ︱ ︱ ︱ ︱ ︱ ︱ ︱ ︱ ︱ ︱ ロ ー 日 1 1 1 1 l l l l l i l l l l l l l l l l l l l l l l 2月 は 世界理解月間 万 3,500円 、 クラブ負担 31万 7,351 円です。 このシステムの完成によ り、さくら エコホー ムで生 活する 24人 の寮生た ちが飲料水、洗濯、水浴び、 トイ レな ど寮生活 に不可欠な生活用水を十分に 使用する ことが可能 とな り、生活の利 便性および衛生、健康面の向上 に大 き な成果を上げることがで きました。今 年 春 (3月 6∼ 9日 )に は クラブの 代表 13人 がホー ムを訪問 し、あ らた めて贈呈 式を行 い、子 どもたちとの交 流を深めてい きたい と思 っています。 (第 2620地 区 静岡県) もりを取 り、その中か ら過去の実績や見積 もり価格 によ りA社 を選定 し、 7月 1日 か ら工事を開始 しました。 計画 は、 1時 間 当た り 3,0002の くみ上 げが可能 な 深 さまで、 15cmの 直径 で 50mあ るいはそれ以上 の深 さで掘 削 し、厚 さ 8.5mmの 管を埋め込み、掘削地点に フィ リピンの 輝 く子 どもたちのために 豊橋 RC 佐 久 間 武 美 1ヒ くみ上 げ用ポ ンプ 1台 、 さらにステ ンレス製 3,000η 「継続 は力な り」 とい うことわざがあ ります。言葉で のタンクヘの送水用のポンプを設置 し、十分な給水量が はたやす く言えますが、実 際はそ う簡単な話ではあ りま ない場合は、新たに掘削地点を変 えて成功するまで掘削 してい く、 とい うもので した。 せん。 当クラブでは 2007-08年 度 の国際奉仕事業 と して、フィリピン 。マニ ラ首都圏の最貧困地域にあるご 最初 は、事 務所施設前の台所の近 くを掘 りましたが、 み集積跡地 (ス モーキーマ ウンテン)に あるサンディワ 掘れ ども掘れ ども全 く水が出て こな くて断念。大変不安 アン幼稚園を、会員 18人 が初めて訪問 しま した。3∼ な思いを しました。次に寮の敷地内の畑の片隅を掘 って 6歳 の 園児 500人 の約 8割 が栄養失調 とい う状況があ 30m掘 った ところで見事 に大量 の水が噴 り、栄養失調の子 どもをな くそ うとい う目的で、栄養給 み ました。約 き出てきま した。給水量 も毎時 3,0002を 余裕 で クリ 食支援プロ グラムを実施 しました。 2008年 3月 に現地を訪れ、2度 目の栄養給食の事業 ア しました。 工事は 7月 15日 に完了。総工費は掘削請 負料、電気 視察を行 い ました。園児たちの何割かは栄養状態が改善 配線、水道管敷設工 事、貯水 タンクな どを含めて約 15 万 バー ツ (約 50万 円)で した。内訳 は地 区補助金 18 され ま したが、今後 もプログラムを継続 してほ しい と い う現地 の幼稚園の先生 たちか らの要望 もあ り、当時 体育館シ ューズをカンボジアヘ 福 徳 学 院 高 等 学 校 イ ン タ ー ア ク トク ラ ブ 例会で、大分南 ロー タリー クラプの方 々が話 される、識字率 と貧困 の 因果関係 とその現実。靴を買 うお金がな く裸足 で ごみの 山を歩 き 回っている子 どもたちが、けがを した り病気になった りするとい う話 には、 とても心が痛み ます。靴を履 き元気に走 り回れますように、た くさん勉強ができますように、 と今年 も卒業生に働きかけ、卒業式後 に傷み の少な い体育館 シューズを回収、洗浄、サイズ分け し、 10月 30日 、カンボジアの Bayon Junior High Schoolに 送 りました。今回 は街角募金 とバザーの売上金で、送料 もまかな うことができま した。 これか らも私たちイ ンターアク トクラブが時代か ら何を求め られてい るかを考 え、行動 していきたい と思います。 平成 27年 2月 号 (第 2720地 区 大分県) ロータ リーの友 19 牧場を造 り、それを核 として繁殖 させたヤギを 地域 の貧困家庭 に貸 し付け、3年 後 に原資 (メ スヤギ 2頭 )を 返還 させ、5年 目に利子 として メスヤギ 1頭 を納 め る とい うシステム「ヤギ 銀行 プロジェク ト」を提案。 ロー タリー財団の グ ロー バ ル 補助金 に 申請 した結果、昨年 5月 31日 付 で承認 されました。 クラブでは早速、 このプロジェク トの協力者 を 9月 か ら約 40日 間、現地に派遣 し、ポカラ ロー タリー クラブ (RC)と NPO法 人ダ ンプ ス・ フレン ドシ ップ協議会 (DFO)と の協議 や調査、指導な どを行 つてきま した。 さらに、 ヤギバージ ョンとしては初 の「マイクロクレジ の会長 が「一 人で も多 くの 園児 たちの栄養改善を した い」 と、同年 4月 にクラブの有志を募 り「 SCN(Save Children by Nutrition)ク ラブ =子 どもたちの栄養改善 ットフアン ド」を実施す るための計画 の説明、確認、指 導を行 つてきました。現地では、 このプロジェク トに対 する期待感が日増 しに高 まっているとの報告を受 けてい に手を さしのべ る会」を発足 させ ました。以来、45人 の会員 が 2010年 まで 3年 間継続 して、毎年現地 を訪 ます。特にポカラ RCや DFOの 関係者 たちは、 これを ネパー ルーの奉仕 プロジェク トに したい と意気込んでい れ支援活動を行 ってきました。 るようです。 2011-12年 度 のプログラム実施時、現地を訪問 し 工 事 も順調 に進み、 12月 12日 にはダンプス村でヤ た会員は、園児たちと一緒 に踊 った り、現地 の父母 の会 が作 った栄養バ ランスの良い給食を一人 ひ とりに配膳 し ギ牧場 の落成式 が挙行され、当クラブか らも会長以下約 10人 が参加 し、牧場の様子を視察す る とともに、関係 た りしました。園児 たちは給食を受け取 ると、大 きな口 者 との交流を深めてきま した。 (第 2790地 区 千葉県) を開けてお い しそ うにほお張 っていました。 2013年 10月 と 2014年 7月 には貧困撲滅対策 とし て、教育に必要な文房具 を園児たちに手渡 し、教育支援 を実施。会員 は園児一人ひ とりの手を握 り、激励 しまし た。園児たちは歌 と踊 りで歓迎 して くれ、 自分たちで書 いた絵や感謝状 がクラブに贈 られました。一人でも多 く の子 どもたちが栄養改善 され、学ぶ機会 が得 られるよう に、そ して多 くの子 どもたちが 自分 で描いた夢をかな え られるよう、未来 を担 う子 どもたちへ の支援活動 を、今 後 も続けてい こ うと思 います。 (第 2760地 区 愛知県) ヤギ銀行プロジ エク ト始動 木更津東 RC 藤野 勉 当クラブでは以前か ら、ネパール 。ダ ンプス村 で国際 奉仕活動 を行 ってお り、2011年 1月 か らは就学期 の児 童を抱える貧困家庭 にヤギを贈 り飼育、繁殖 させ ること で生活の改善を図る「山羊基金プロジェク ト」 として開 カンボジアの 児童・ 生徒 を支援 一宮中央 RC国 際奉仕副委員長 松 本 正暢 11月 16∼ 17日 、私 を含 む会 員 7人 で、クラブ国際 奉仕事業 の視察 のためカンボジア・ シェム リア ップを訪 問。 16日 に マ レー シア経 由 で入 国 し、 バ スでホテル に 向 かい、 そ こで 現 地 の NGO・ J S T 00int Support 始。『友』誌 で も 20H年 6月 号縦組 み P30、 12年 4 月号縦組 み P31∼ 32に 掲載 していただきました。 Teanl for Angkor Preservation and Conllnunity Development:ア ンコ ー ル遺 跡 の保 全 と周 辺 地域 の 持 その際にも触れま したが、 このプロジェク トが持続可 能であ り、さらに実効性 が期待できるような大規模 ヤギ 続的発展 のための人材養成支援機構 )代 表 のチア・ ノル 20 THE ROTARY‐ NO― TOMO 氏 と夕食 を共 に しま した。 2015 VOL.63 NO.2 2月 は 世界理解月間 GD を進 め、 グ ローバル 補助金 を活用 して 昨年 7月 に着 工 、 10月 28日 の寄贈式典に出席するため、 杉浦仁会長 ら 11人 が視察を兼ね、同国北西部の ムランカウ ィル村を訪れました。 事業は第 3220地 区の コロンボ西ロー タリー ク ラブ (RC)と 協力、村 内 に 60個 の トイ レ、2 個 の井戸 と高架 タンクを設置 してさらに教育支援 として文具や衣料を贈 るもので、当クラブ と地 区、 コロンボ西 RCと 第 3220地 区、グローバル補助 金を合わせ 6万 1,200ド ルの事業で した。 実施国側が補助金を受け取 り、プ ロジェク トの 経過を監視 し、確認後 に業者 に支払 う流れで、工 事 の見積 も りはそれぞれの事業 で 3社 か ら取 る ことに し、村 の住人 らの労働 も想定 しました。資 17日 は、朝 8時 か ら教員養 成学校でノー トとボー ル ペ ン、バ ドミン トンの道具を配布。その後、 コ ックルー 査する役を担いました。 トイ レは各家庭 の財産 になるこ ル小学校に向かい、そこでもノー トとボールペ ン、そ し とを防 ぐため、村の土地に設置。施設管理のため、現地 て女子児童には髪飾 りを配布 しました。子 どもたちはわ の教会 と覚書を交わ しました。 金は コロンボ西 RCが 管理 し、同国のジ ャフナ RCが 検 れ先にと争 うこともな く、きちん と並んで受け取 って く 式典 当日、 コロンボ市 内か らバ スで 8時 間 の所 に あ れましたが、チア氏が子 どもの頭 に触れつつシラミの卵 をつぶ しているところを見た時、生活環境の差が大きい る村では、多 くの住民の大歓迎を受けました。現地の案 内や説明をタミル語、英語、 日本語、3か 国語 の通訳で ことにが く然 とさせ られました。 進行 しました。場内の手伝 いに軍 の数人がバ スの誘導や 最後は、今回のメー ンであるバ イヨン中学校 に向かい 荷物 の運搬な どに積極 的に手を貸 して くれていたの も印 ました。そこで地 区補助金 と当クラブ会員か らのお金で 象的で した。 2か 所 の井戸、簡易浄化槽 のついた トイ レ、 修繕 した食堂を見学。そ こはもともと、調理場付きの小 スペー スだったのですが、非常に立派な食堂に修繕 され 発電機で揚水する給水 タンクを確認 して回 り、村の衛生 てお り、その輝 きや美 しさを感 じながらロー タリー のプ レー トを取 り付けました。 状況が大幅に改善 されたことを実感できました。 式典では質素なが ら精いっぱいのおやつを振 る舞って くれ、子 どもたちがダンスを披露 して くれました。 日本 その出来上がったばか りの調理場で、カ レー を大なベ で煮込み、フラ ンスパ ン 1本 と一 緒 に生 徒約 か らの文具、衣類 には保護者たちも目を輝かせていまし 300人 に た。式典は温か い雰囲気で進み、お礼の言葉を通訳 しな 配 りました。その際、 リー ダー と思われる生徒たちが 自 が ら涙を見せるララカ会員 の姿 に感動させ られました。 分 たちの分を後 回 しに して配 給 を手伝 って くれた こと 翌 29日 は コロンボ西 RCの 例会、30日 には歓迎 レ に、 この 国 の将来 に明るさを感 じることができ ま した。 セプシ ョンに出席 して現地会員 との友情を確認 し、ス リ この明るさを確固たるもの とするため、今後はイ ンフラ ランカを後 に しま した。 (第 2620地 区 静岡県) 整備だけでな く、グローバルな情報を入手する手段を提 供する必要 もあるのではないか、 と考 えさせ られた活動 で した。 (第 2760地 区 愛知県 ) ス リランカの村 に 丼戸や トイ レを寄贈 浜松南 ロー タリー クラブ 当 ク ラ ブの アー ネ ス ト・ ラ ラ カ 。シル バ ー 会 員 が母 国 ス リラ ンカ の 惨 状 を例 会 で 報 告 したの を き っか け に 、 現 地 に 丼 戸 な どを 設 け る事 業 が 始 動 。 約 平成 27年 2月 号 2年 前 か ら計 画 ロータ リーの友 21 日 本 を 知 る 一― 青少 年交換 で 日本 を体験 青少年交換学生ア レックス君 東京王子 RC 田村 純朗 彼 の本名はア レクサンダー・ シュミッド。青少年交換 プログラムによって、当クラブが受け入れた 15歳 の青 少年交換学生です。 2013年 8月 に、スイス国境に近 い、 クレスプ ロンとい うドイツ南部の町か ら来 ました。 私 はアレックス君 のカウンセラー を務めましたが、一 番頭 を悩 ませたのがホス トフアミリーの選定 と依頼で し た。当クラブもご多分 に漏れず高齢化 が進んでお り、ホ ス トファミリー を見つ ける ことが非常 に難 しい状況で し た。幸 い、今年度 の会長 と幹事が一緒 に会員宅を訪間、 されてお り、夫婦でそれぞれ仕事 を持つ 中、本 当によ く お世話を して くださいました。アレックス君にとって新 しいお兄さん、お姉さんのような存在 とな りました。 5番 目のホス トフアミリー は会員・福田洋平 さんの紹 介 によって、寺村勉・ 英子 さんフアミリー に引き受けて いただきました。寺村 さんは小学校 の教師、長男 はアレ ックス君の通 う学校 の卒業生 で、お宅が学校に歩 いて通 える距離 にあ り、学校生活 をエンジ ョイする上で大 いに 役 立ったようです。 最終 とな った 6番 目のホス トフアミリー は私 たち夫 婦 が務めました。子育てが終わ ってか ら十数年経過 した 依頼 して くれたおかげ で、比較的若 い会員を中心 に、計 老夫婦に とって、 15歳 の高校 生を預かるには大 きな決 断が必要 で した。 た とえ 2か 月であ つて も、生活 の リ 6組 を確保できました。 ズムを変える ことに抵抗があ りました。 しか し、終わつ 最初 のホス トフアミリー は、前年度幹事の小澤徳 さん フアミリーで した。小澤さんは前回の青少年交換学生を てみると充実 した思い出 となる 2か 月間 とな りました。 異国の子 どもと、わが子 と同様に接 し一緒 に生活する こ 受け入れた経験があ り、同年代 のご子息 もお り、ア レッ クス君が言葉 の壁を乗 り越 え、 日本 に馴染 むための最 も と。 これ 自体が得難 い貴重な経験 とな りました。 良い家庭 とな りました。小澤夫人 はアレックス君に とっ 今回のホス トフアミリー全ての家庭か ら、期間の延長 や もう一度引 き受けてもよい との申し出をいただきまし て東京 ママの代表 といえる存在にな りました。 2番 目は、若い会員である住職 。高橋寿光 さんフアミ た。 これはアレックス君 の人柄 の良さばか りでな く、心 を通わせ る国際交流の妙味があ つての ことと思 い ます。 リー です。高橋 さんは当時独身で したので、食事な どの ア レックス君 も 1年 間 に 5回 引 っ越 し、忙 しくて大変 世話 はお母 さまが担 当 して くだ だ ったよ うですが、 当クラ ブに さいま した。 ア レックス君 に と とっては大変意義 のあ る国際交 って、お寺 での生活 は忘れ られ 流 の機会 とな りま した。 な い もの とな ったに違 い あ りま ア レックス君 は学習院高等科 へ 通学 しま したが、 この学校生 せん。 3番 目のホス トフ アミリー は 活 は、沖縄 への修学旅行、北海 地 区青少年交換委員会 に紹介 し ていただいた坂 田敏治・ 恵理子 道 ニ セ コヘ の ス キ ー 旅 行 の ほ さん と、藤 田兵次・ 妙子 (坂 田 変 素 晴 ら しい もの とな りま し さん ご両親 )の フ アミリー 。前 た。彼 もこれ に応 え、 日本 の環 年度 か ら引 き続 いてホス トフ ア 境 へ の 適応力や 日本語能力 に熟 ミ リー を してい た こ ともあ り、 達 し、素晴 らしい書道の腕前 も 青少年交換学 生 同士 の 交流 に も 獲得 しま した。 日本人 よ り日本 心 を配 って ください ま した。 人 らしい ドイツ魂 を持 った地球 4番 目のホス トフ アミリー は か、先生や校友 に も恵 まれた大 人 が誕生 したよ うです。 最後 に 、 この よ うな機会 を与 事務局・ 山野邊徳子 さんの紹介 によ り、山崎拓郎 。真理 さん と えて くださ った地 区青少年交換 い う若 い 夫婦 で した。山崎 さん 委 員会 の 皆 さまに心か ら感謝 を はロー タリア ンではあ りません 申 し上 げます。 が、 ロー タリー 活動 を よ く理解 THE ROTARY― NO― TOMO (第 2580地 区 東京都) 2015 VOL.63 NO.2 ■■■■ ■■■■ ■︱︱ ︱︱︱目 ︱︱︱ ︱日︱目 ︱︱日 ︱︱︱日 ︱日︰ ロローー ーil llll lll llll lll 青少年交換事業は素晴 らしい 高浜 ロー タ リー クラブ (RC)は 創立以来、ほぼ毎年 青少年交換事 業 を行 ってい ます。 この 2月 で クラブ創 立 46周 年を迎 えま したが、今 までに派遣 44人 、受 け 高浜 ロー タリー クラブ 入れ 45人 とい う実績を誇 ります。 もちろん これは、第 2760地 区で も断 トツの実績 で、現在 33人 の少人数 ク ラブとしては、特筆すべ きことだと自負 しています。 第 2760地 区 (当 時は第 360地 区)で 最初の地 区問 2月 は 世 界 理 解 月 間 CD もなく「日本が大好きになって、戻ってきたJと いう話 を聞 くことほ ど、 うれ しい ことはあ りません。私 たちは こ うい う経験を してきたか らこそ、今でも継続 して青少 年交換をクラブの主要 プロジェク トとして、位置づ ける ことができているといえます。 青少年交換でよ く 「ホス トファミリーのな り手がない」 とい う話を聞きます。「私 の家では家内 と二 人 だけだか らホス トができません」とい う言葉が続 きます。私 (65 歳)は 家内と二人。子 どもたちはすでに家庭を持ち、そ れぞれが独立 して暮 らしています。でも、 私 の楽 しみは、 での交 換 は、 1967年 にアメ リカ第 533地 区 と第 534 地 区 (当 時 )か ら、豊 川 RCが 5人 の 短期交換学生を 子 どもたちが、だんだん とわが家 にな じんできて、テ レ 受け入れた ことに始 ま りました。それに続 く形で 1969 年 2月 に創立後、 ただちに青少年交換事業 を クラブの ビや音楽を楽 しみなが ら、いろいろな こと (学 生の国の こと、 日本の こと、趣味の こと、政治の ことな ど)を 話 特徴ある事業 として位置づ け、地 区青少年交換プログラ しています。わが家を離れな くても、世界 中か ら来 日し ムに応募、 1970年 に 2人 の高校生を送 り出 したことか てきた学生か ら、彼 らがそれまで生きて きた環境や家庭 ら始 まっています。 を理解する時間が持てるとい うことです。 こん なに楽で 以来現在 まで、 地区青少年交換事業の交換先国 (地 区) 拡大時には、初めての国 (地 区)と の交換に最初に名乗 素晴 らしい ことはない と思います。そ して、必ず言って りを上げ、 また、交換事業ではあるものの地区全体での 私 の国に来て ください」 と。 交換学生を受け入れることです。言葉 も、習慣 も違った 帰 る言葉 があ ります。「いつ か、お父 さん、お母 さん、 受け入れクラブ (ホ ス トクラブ)の な り手がな く、来 日 青少年交換事業は、辛 さと、その何十倍 もの感激で組 学生の受け皿がない時は受け入れだけの実施、また、派 み立てられてい ます。別れる時 の涙は、それまでの苦 労 遣 スポンサー クラブがないため、海外での交換を希望す ることを諦めざるを得ない学生 の夢をかなえるためのス を一 瞬で忘れさせて くれる力があ ります。食わず嫌 いと い う言葉があ ります (来 日学生にはいつ も和食を食べ さ ポンサー クラブ となるな ど、地区委員会か らの青少年交 せる時 に言 っています)が 、青少年交換事業 も「や らず 換 プログラム上の アンバ ランスの解消依頼 にも応えてま 嫌 い」 の方が多 い と思います。 日本人の優 しさを世界 に い りました。 広げ、今後、人類が背負 ってい く「′ い」を学生たちに実 青少年交換では、 最近 しば しば「来 日学生の質の悪化」 が指摘 されています。私たちの体験か ら見ても、決 して 際に体験することでお互いに伝 え、そ の 中で考 える力、 育てる力を持 とうではあ りませんか。ロー タリー青少年 「いい子」ばか りではあ りません。門限を守 らなか った 交換事業は、最 も素晴 らしい事業 だ と確信 しています。 り、お金を浪費 した り、部屋に閉 じこもってホス トファ ミリー にな じまない (引 きこもりの子)な ど、 問題を数 高浜 RCは これか らも「青少年交換事業」を第一優先プ え上げればき りがあ りません。 しか し、諦めてはいけな ます。 ロジェク トとして位置 づ けてい く、 と宣言 したい と思い (第 2760地 区 愛知県 ) いの です。青少年交換の大先 輩 が言 われ ています 。 「 も し 自分 の 子 どもがそ うい う問題行動 を起 こ し た ら、 あなたは どうしますか ? その 子 どもを 無 視 して、突 き放 して しまい ますか ? 自分 の 子 ど もであ る ことを諦 めて しまい ますか ?」 と。 ロー タ リー 青少年交換学生 はわれ われ の子 どもです 。 自分 の子 どもだ と考 えれば 、問題 を起 こしてい る 子 どもを見捨 てるわけにはい き ません。 ま してや われわれ ロー タ リアンの未来 は、全 ての子 どもた ちにかか ってい る意 を、「四つ のテス ト」草 案者 のハーバー ト・ テイ ラー は述 べ てい ます。 こ うい う子 どもと一 年 間付 き合 って、やがで帰国 し、 間 平成27年 2月 号 ロータ リーの友 23 多くが借家、掘 つ立て小屋、 レバノンでは、人口 480万 人の国にシリア難民 100万 人が避難 しています。難民キヤンプはなく、 レバノンは世界 で最も人口に占める難 倉庫、工場などで暮ら しています。 シリア内戦が始ま つてから 3年 以上がたつた今、 つています。シ リア難民の半分は 18歳 民の密度が高い国にな りました。家賃 は高騰 し、居場所は限られ、食糧の値段は上が いられたり、物乞いをせぎるを 未満の子どもです。その多くが学校に通えず、家族が生 き抜 くために働いています。早婚を強 えない子もいます。それでも子どもたちは勉強 したいという夢を抱き続けています。 テ ン ト暮 らしの居住地 で、妹 や幼 い Fど もたち と一 緒 に遊 (H歳 、右端 ぶハ ラ )。 ハラ は、 自宅 に落 ちた爆弾 で母親 を 失 い、 兄 4人 と妹 と共 に レバ ノンに逃れ て きた。 シ リ アを逃れて以来 、父親 の消息 はわか らない 。 最 も大 切 に してい る高校 の卒業証 明書 を手 に して い るヘ イ ニー 。 「未来 につ なが る これ だけは、持 って来 ま した」。大学 に進学 しエ ンジエ アにな る夢 を戦争 に よって断 たれ て しまったヘ イ ニー は、 時折 つ なが るイ ンター ネ ッ トで英語 を学 んでい る。 シ リアか らレバ ノ ンに逃れ、難民 として登録 し援助物資 を受 け 取 るため に並 んでい る母子。 UNHCRは 迅速 に難 民 の登録 を 行 い、各家族 に必要 な援助 を提供 してい る。 国連難民高等弁務官事務所 (UNHCR)か ら 見 えて くる世界 国連 UNHCR協 会 フ ァン ドレイ ジンググル ー プ団体統括 (1983-84年 度 ロー タ リー 財団奨学 生 ) IcConnell UNHCR/A.Ⅳ 中 ホ寸 写真 恵 0シ ー・ 。 。 緒方貞子 さんが 1990年 代に トップを務めた UNH⊂ R(ユ ー エ ヌ エ イチ ア ール)は 、今も世界約 125か 国で人道支援 に尽力 しています。紛争や迫害 によつて故郷を追われた難民 の避難生活を支え、問題解決 に至るまで支援 しま す。 UNH⊂ Rか ら見える世界 の一端を、写真でお伝 え します。 24 THE ROTARY― NO― TOMO UNHCRの 活動 は、皆 さまか らの ご寄付 に よ って支 え られ て い ます。 世界各地 で紛争 が絶 えない今、厳 し い資金不足 に見舞われて い ます。 ぜ ひ ご支援 をお願 い 申 し上 げます。 2015 VOL.63 NO.2 ■■ ■ ■ ■ ■ ︱ ︱ ︱ ︱ ︱ ︱ ︱ ︱ ︱ ︱ ︱ ︱ ︱ ︱ ︱ ︱ ロ ー ー ー ー ー ー ー ー ー ー ー ー ー ー ー ー ー ー ー ー ー ー ー ー レバノン ■■ ■ ■ ■ ■ ■ ︱ ︱ 日 ︱ 日 ︱ 日 ︱ 日 ︱ 日 ︱ ︱ ︱ ︱ 日 1 1 1 1 1 l l l l l l l l l l l l l l l l l l l l l 2月 は 世界理解月間 C捨 デ ン・ ア ウー ル (76歳 、 中央 )と 妻 ニ コ ッ ト (68歳 )と そ の 家 族。 デ ンは そ の 長 い 人 生 で 3 EnJも 故 郷 か ら逃 げ、戦火や 食糧不足 を経験 し た。 2013年 12月 に 戦 間 が始 ま っ た時、大 きな防水 シー トをつかんで 家族 とともに逃 げ、 その シー トで子 どもを 抱 えて 川 を渡 った。「 晏れ ま でに何度 も rど もが溺れ るのを見 て きたので、経験 か ら学 んだのです」 理:li建 》掛: した。『僕 たちを置 いてい か な いで 、お父 さん 』 と子 どもた ちは 言い続 けて いま した」。家 に帰 りたが ってい る息 子 たちに、 ジ ョゼ フは まだ安 全 ではないか らだめだ と言 う。戻 った ら兵隊 に とられ 、子 どもを兵 上に させ られて しま うか も しれ ない と恐れ ている。 ア ワ ン・ デ ン グ (87歳 )は 、 息 子 ジ ョセ た ち と ともに、 国 内避難 民 の居 住地 で暮 ら 2011年 に 国が独立 した時 には、 よ うや く良い . や つて きた と思 った。 しか し今 では、ぼ ろ小屋 で、 配 給 物資 に頼 って 暮 らす しかない 。「戦 争 を起 こ し勝 っ た者 だけがその戦利 品を得 ています 。庶民 はふ りまわ され、飢 え、 命 を落 と し、 私 財 を失 うだけです 」。 ア ワンは 30歳 の 時、初 めて戦火 に襲 われ た故郷 を逃れ 、 今 に至 る。 南スーダン スーダンでは 22年 間続 いた戦争が 2005年 に終結 し、2011年 7月 に南スーダン共和国が分離独立 しました。 しか し、2013 年 12月 に首都ジ ュバで大統領警護隊同士の衝突が起きて以降、 地方でも反政府側と政府軍との衝突が激化 しました。その結果、 人口 1′ 100万 人の うち 190万 人が家を追われ、 140万 人は南スーダン国内の故郷から遠 く離れた場所で、老人が子 どもや孫 たちとともに、棒と防水シー トでできた掘 つ立てJヽ 屋で身を寄せ合 つて暮らしています。 平成 27年 2月 号 ロー タ リーの友 25 ―‐ 一 熙― 枝豆で地域 と交流 君津 ロー タリー クラブ 当クラ ブは 10月 26日 、君津市 三 舟 山の麓 の幻 の大 豆「小糸在来」 の豆畑で 「ロー タリー デー」 と銘打 つて収穫祭を 開催。例年 は枝豆が実 る この時期 に、社 会奉仕委員会 が中心 とな り、親子体験学 習 として地域 の家族 を招 いて会員 との交 流を していましたが、今回は、東 日本大 震災 で君津市へ避難 している家族 の方 々 をお招 きし、より広 く地域 の方々と親睦 を図つていただこうと企画 しました。 また、今 回 は 10月 24日 の「世界 ポ リオデー」 を目前に、当クラブの ロー タ リア ンー人 ひ とりが、ポ リオ撲滅を意識 した募金活動 も行 いました。釧持純一会長 の開催あいさ つ 、 ロー タリー クラブ活動 の紹介後、青木信 之社会奉仕 委員長 の合図で会員・ 家族 45人 、地域 のご家族 48人 、 避難 ご家族 25人 、総勢 118人 で枝豆 を収穫。参加者 能 しました。子 どもたちの笑顔、地域 の人たちおよび東 日本大震災 での避難者の方 々との交流、親睦そ して枝豆 のお土産 もあ り、素晴 らしい一 日で した。 更地 にな りました。 収穫 した枝豆 の一 部 は近隣の福祉施設、 セ ン トケア ホー ム君津、天羽養護老人 ホーム、望 みの門、みずき会 に届けました。資機材 の準備、運搬、設営 な ど、会員の 収穫 した枝豆 は早速 ゆで上 げ、準備 したお に ぎ り、 川名正志会員特製 の枝豆がたっぷ り入 った豚汁を共に堪 一致団結 した協力により意義 のあるロー タリー デー とな (第 2790地 区 千葉県) りました。 のチームワー ク、真剣な作業 で枝豆畑は見る見 るうちに 中学生 の英語 による「我 が町 自慢」 ス ピーチ コンテス ト チ コンテス ト」 を、同時開催。垂井町 。関ケ原町の、四 。 校 の 中学生 23人 が参加 して、それぞれ の生活 体験 の 不破 ロー タ リー クラブ 「ロー タリーデー∼ FUWA」 として 「ロ 8月 23日 、 ー タリー」を広 く住民 の皆 さまに知 っていただ くため に、 パ ネル展示、 DVDに よるロー タリーの活動 の紹介、出 版物 の配布 な どを行 いました。 中で感 じる 「我 が町 自慢」 を発表 して くれ ました。英語 のス ピーチ コンテス トとして は 2013年 に続 き 2回 目 とな り、今回はさらにレベ ルアップ。会場か らは多 くの 拍手 があ りま した。 (第 2630地 区 岐阜県) ま た、 当 日 は「 青 少 年 奉 仕」 の一 環 とし て、青少年 の国 際感覚 を養 うた め、垂井 町・ 関 ヶ原町 の観光 ス ポ ッ トや 自慢 で きる ところな ど を英語で紹介す る「中学生 の英 語 による『我 が 町 自慢』 ス ピー 26 THE ROTARY― NO‐ TOMO 2015 VOL.63 NO.2 ロー タリー カ ップサ ッカー大会 ロー タリアンチー ム とロー ター アクター チー ムのエキ ジビシ ョンゲー ムも行われ、 ロー タリアン側は日ごろの 一 宮 中央 ロー タ リー クラブ 運動不足が露見。会場になごやかな雰囲気を漂わせ まし 7回 目にな る「ロー タリー カ ップサ ッカー大会」 は、 た。表彰式で少年たちか らこばれる笑顔は、 ロー タリア 今や地元のサ ッカー少年たちの一つ の 目標 ともなってい ンヘ の何よ りの贈 り物です。ほ どよい疲れが,い 地 よい一 るようです。今回は「ロー タリー デー」 として 9月 23 日、一宮市総合体育館 に集 まった 日とな りました。 (第 2760地 区 愛知県) 32チ ー ム、314人 の児童 たちの 熱戦が繰 り広げられ ました。 午後 の決勝 トー ナメン トに移る と、詰めかけた親たちの応援 もヒ ー トアップ。チャンスが訪れるた びに、 盛んな声援が飛び交 い ます。 PK戦 でゴールを外 した少年の悔 し涙が、 ロー タリアンの心を打 つ シー ンも勝負を争 うスポー ッなら ではの もの。 地域 の子 どもたちと「ふれあい」 東京世 田谷南 ロー タ リー クラブ 10月 26日 、今 回初めての試みで「せ たがや産業 フ ェスタ 2014」 │こ て、子 どもたち とのふれ あいの時をつ くりました。 この 日を ロー タリー デー とし、 ョー ョー釣 りをは じめ玉川警察署の協力による、白バ イ隊、そ して 東京世田谷南 ロー タリー クラブが「地 区補助金」を活 用 して寄贈 したゆるキャラ「たまお くん」 と「たまこち ゃ ん」 にも参加 してもらい、地域の子 どもたちか らお父 さ ん、お母さんたちまで楽 しく、大盛況 の一 日を過 ごしま した 。 (第 2750地 区 東京都 ) 市民 ランナー に冷 たい ブル ーベ リー を た。 当 日は 1万 6,809人 の 市 民 ラ ンナー が参 加 し、会 員 と家族 は秋晴れ の 下、心地 よい汗 を流 して、充 実 した 木 更 津 ロー タ リー クラブ 時間を過 ごす ことがで きま した。 (第 2790地 区 千葉県) 木 更 津 ロー タ リー クラブは、「 ロー タ リー デ ー」 の 活 動 として 10月 19日 に 開催 のちばア クアライ ンマ ラソンハー フ マ ラ ソン 2014ゴ ー ル 付近 に、 ブー スを 設営。冷凍 ブル ーベ リー (50kg)を 用意 し、市民 ラ ンナ ーに無料提供 しま した。 完 走 した ラ ンナー の ほ て った 体 を冷 ま して もらお うと、会 員、家族 20人 が フル 回転 でランナー に手渡す と、 中 には お 代 わ りす る人 もいて、あ っとい う間に ブル ー ベ リー が な くな って しまい ま し 平成 27年 2月 号 ロータ リーの友 27 … リー7 i… を腰 にさ して くれ るな そろいのハ ッピやエプロンで 北見 ロー タリー クラブ ど予定 してい た 1時 間 北見西 ロー タリー クラブ を待 たず に配布終了 と (RC)と 北見西 RCが 協 同 な りま した。お祭 り会 で、7月 18日 、第 61回 北見 ぼんちまつ り会場 におい て、 ロー タリー デー を開催 しま した。両 クラブか ら 40 場 は人 出 も多 くロー タ 人 の会員 と会員夫人、 ロー ター アクター、米山奨学 生、 事務局員の総勢 50人 が、そろいのハ ッピやエプロンで らうには絶好 の機会 と 北見 ロー タ リー クラブ 参加 しました。 ロー タリー クラブ と両 クラブを紹介す る リー フレッ トとロー タリーのロゴとクラブ名 の 入 つた 「北海道 の天然水 摩周湖」 のペ ットボ トル とうちわを各 1,000個 配 りま した。 準備段階 では雨模様 で心配 しま したが、配布開始時 には雨 も上が り蒸 し暑さも手伝 い、 ミネラルウオー ター とうちわは大人気、舞踊パ レー ドに参加する人 が うちわ リー クラブを知 って も な りま した。 ま た、 開 催 前 の 忙 しい時間 の合 間を縫 っ て、北見 RCの 鴨下泰 久会長 と北見西 RCの 栗 山太郎会長 が北見市 の コ ミュニ テイ FM放 送局 「 FMオ ホー ツク」 を訪れ、 生 トー ク番組に出演。 ロータリー クラブや ロー タリー デ ― について語 りました。 北見ロータリークラブ・北見西口 協 同 開催 は準 備期 間 が短かつた こともあ り開 催前 は不安で したが、 い ざ始 まれば全員が楽 しく 取 り組む ことができ、 ク ラブ同士 の絆 もいっそ う 「 クラブ 」と「会 深 ま り、 員 」が輝 く一 日とな りま した。 (第 北海道 ) めなが ら、星空観察 の指導員 の説明 を受 け、「宇宙 の不 思議」 について学び、また特殊な天体望遠鏡による絵 に 星の観察会 奄美 RCロ ータリーデー実行委員長 喜入 2500地 区 厚 8月 30日 、第 2730地 区奄美分区の奄 美瀬戸内 ロー タリー クラブ (RC)、 奄美中央 RC、 奄美 RC協 同で、 ロータリー デー 「ロー タリー を楽 しもう」研修イベ ン ト そかる 「星 の 観察会 。ポ リオ撲滅運動卓話」 を、瀬 戸 内町蘇刈 の美 しい マ リンブル ーの ビーチに面 したホテルの前庭 と 屋上 で開催 しま した。 描 いたよ うな輪 にまかれた土星を観察 できました。 星 の観察前 には、瀬戸 内 RCの 会員が設営 して、か き氷や バ イキ ングを子 どもたちに楽 しんで もらい ま し た。その後、奄美 RCが ポ リオ撲滅の歴史を屋外 に設け た巨大スクリー ンを通 して説明 し、特 にポリオ撲滅 まで 「あ と少 し」を強 く訴 え、 募金活動 も成果が上が りました。 (第 2730地 区 鹿児 島県) 当 日、昼 前 後 に 雷 雨 に 見 舞 われ、天 候 が 大変心配 され ま したが、夜 は満天の星空 とな り、星空観察 にふ さわ しい空模様 とな りま し た。 また夏休み最後 の土曜 日 とあつて、イ ベ ン トの対象 として新 聞、 ち らしな どで募集 し た小 中学 生 の参加 が危惧 され ま したが、島内 90人 が集 ま り、加 え て保護者、 ロー タ リア ンな ど総勢 240人 が 各地 か ら子 どもたち約 広大 な夜空 をキ ャ ンパ ス とした美 しい空 を眺 28 THE ROTARY― NO― TOMO 2015 VOL.63 NO.2 El脇 肌191]饗 1、 THE ROTAR:AN2り J号 から ア メ リ カ 1)11月 、国際 ロー タ リー (RI)事 務総長のジ ョン・ ヒューコ氏 と 6人 のスタ ッフが、ア リゾナ州 ツーソン で行われた自転 車 レース「Ride to End Polio」 に参加 し、 104マ イル (約 170 km)を 走 りま した。 2)ヒ ューコ氏と一緒 に 写真を撮る RIス タ ッフ。 3)こ の レースに参加 した ロー タ リアン、ボブ 。マ ッケンジー 氏 とたたえ合 うヒューコ氏。 4) 年に一度行われる EI Tour de Tucsonの 一 環で行われるこの募金 レースには、毎年 9′ 000人 以上のサイク リス トが集 まる国 内最大級のサイク リングイベ ン トの一つになっています。 平成 27年 2月 号 ロー タ リーの友 29 0 ガバ ナ ーのペ ー ジ 徳多 きロー タリア ン との 出会 い 温故知新 第 2510地 区 第 25001也 区 奥 (帯 広 RC) コ コ 音 メイニガバナ 「 周盛 ガバナー (札 幌幌南 「温故知新」 RC) 昔か ら言われている「ロー タリーは紳士の修養道場で ある」は名言 である。 ロー タリー は国際理解 と親善 と平 私たちにな じみのある この言葉 は、孔子の教 えである 『論語』 が出典です。原文 は「子 曰 く、故 きを温ねて新 しきを知 る、以 つて師 と為 るべ し」。意味す るところは、 和を推進す るために奉仕活動を行 ってきた。地域社会 に 奉仕す ることにより、世界 に奉仕する ことによ り、修養 先人 の考 え方や過去 の 出来事 を学んでよ く知 り、それを 生か して将来を見通せる ことが、良 き指導者の資質 とし を積む ことによ り、素晴 らしい人間が形成 されて くるの である。ぜひ、 これか らの世界を ロー タリー運動 で輝か て大事であるとい う格言です。今年度 もい くつかのクラ せてほ しい と念ずるばか りである。 若者 の育成 も大切なキー ワー ドである。公式訪間を通 ブが、活動計画 の方針 に掲げてお り、共感 を覚えました。 今年度 の 国際 ロー タリー (RI)会 長・ 黄其光氏 は、 RIテ ーマ「ロー タリー に輝 きを」を、孔子 の言葉「興 其抱怨、不如改愛」 か ら引用 しました。 また、 RI会 長 メッセージの 中で、「ロー タリア ンが大切 に してきた考 え方や価値観 の多 くは、 ロー タリー に限 られたものでは じて多 くのクラブで話 したのが、比叡山延暦寺を開いた いちぐう 伝教大師 。最澄が書 いた『山家学生式』にある 「一 隅を 此れ則ち国宝な りと (社 会 の一 隅 にいなが ら、 社会を照 らす生活をする。その人 こそが、な くてはな ら 照 らす あ りません。 (中 略)ロ ー タリーの奉仕 において、私 は ない国宝 の人である)」 。最澄 が中国 (唐 )に 渡 り天台教 学 。真言・ 禅 。法華経 を学び、若者 の育成 こそ仏教 の最 よ く孔子 の教 えを指針 とします」 と語 っています。孔子 の思想である「儒学」 には、「修身」「斉家」「治国」「平 大 の事業であ ると桓武天皇 に上奏 した (申 し上げた)の が これである。「悪事を己 に向か え 好事 を他に与 え 天下」 とい う教 えがあ り、まず己の身を修 める ことに始 まり、家庭、国家 と徐々に視野を広げて、最後は世界 の 己を忘れて他を利す るは 慈悲 の極みな り」。 この心は、 ロー タリーの超我 の奉仕 に通 じるものであると考 えてい 平和を 目的 としてい ます。 この価値観 は、「 ロー タリー の 目的」 と大いに共鳴するところがあ り、 ロータリーの る。「一燈照隅 万燈照国」。一人 ひとりの ロー タリアン が社会全体 に奉仕の理想を掲げて生活す る ことによ り、 理念 と相通 じるというわけです。 日本 の ことわざに、「情 けは人 の為な らず」 とい うの 世界中を平和に導 くことになる。 ロー タリー の第 2標 語 に 「最 もよ く奉仕す る者、最 があ ります。「人 に親切 にす ることは、巡 り巡 って 自分 に良い報 いがある」とい う意味です。 これは、ロー タリー も多 く報 い られる」がある。 これは精神的 な報 いではな いか と以前か ら考 えてきたが、確信を持 って心が報われ の第 2標 語 である 「最 もよ く奉仕する者、最 も多 く報 い られる」 と同義であると言われ ています。 るのである、 と考 えるに至 った。それは多 くの 出会 いの 人間に とって、生きがいや幸福、平和 を導 くものの考 え方や価値観は、言語や地域 が違 ってもおのずか ら共鳴 するものです。歴史 に洵汰された普遍的な価値観 は、古 今束西変 わ らな いものであると思い ます。だか ら こそ、 「温故知新」 とい う言葉が語 り継がれ てい くので しよう。 (建 築設計) 30 THE ROTARY‐ NO― TOMO 機会を通 じての感動であ つた。 準備 の期間 とこれまでの公式訪間を通 じて多 くの素晴 らしいロー タリアンとの 出会 いがある。 12人 のガバ ナ ー補佐 と 70人 の クラブ会長、それ に 70人 の クラブ幹 事 は、私の盟友である。「徳多 き」 ロー タリアンに出会 ったことが、ガバ ナー として最高 の報 いであ つたと思 う。 (仏 教 ‐浄土真宗 ) 2015 VOL.63 NO.2 ガバ ナ ー の ベ ー ジ 被災地 の子 どもたちに 輝 きを ぜひ、花 も実 もある福島 へ こ らん しょ !! 第 2520地 区 第 2530地 区 山口 淑子 ガバナー 野崎 (盛 岡滝ノ沢 RC) 0園 (福 島北 RC) 潔 ガバナー 第 2520地 区初めての女性ガバ ナー と言われ、 どうい 日本 のロー タリー誕生の基礎を築いた福島喜二次氏 と うお役 目を果 たせばよいのだろ うと悩んだガバ ナーエ レ 米 山梅吉氏によってロー タ リーの灯が ともされ 、一 時 ク ト時代、私は女性の視点 に立 ってロー タリー を見つめ 日本での会員数 も 13万 人を数えるまでに成長 しました ようと考 えました。母であ り小児科医でもある私は、子 が、 現在は 89,058人 (2014年 11月 末現在)と 減少 し、 どもに夢を、子育てに光を と思い「子 どもが夢を抱ける 当地区も各 クラブとも会員増強に懸命に努力 していると 地域づ くり」をスロー ガンに しました。特に、東 日本大 震災 の被災地区、岩手 。宮城の子 どもたちに夢を持 って ころで あ ります。そ こで私は電話帳の『タウンペー ジ』 を元に職業分類表を見直 し、書き直 された職業分類表に ほしい、夢に向かって進んでほ しいと考えました。 よ り未充填の職種 に会員候補者を見いだす ことができる 私は 60歳 か らは、人生後始末の時だと思 っています。 のではないか と各 クラブに呼び掛けました。結果は来年 これまで母 として妻 として小児科医 として、一生懸命に 度以降を待つ ことにな りますが、心 中大 いに期待 してい 生きてきました。 16年 前 に足を踏み入れたロー タリーの るところです。 世界 も広がってきていた 2度 目の会長 の時、ガバナー ノ ミニー の話がきました。私 の背中を押 したのはノー トル 東 日本大震災か ら約 4年 が経過 し、各地 で 除染作業 が行われてお りますが、放射能 による被害 とそれによる ダム清心学 園理事長・ 渡辺和子 さんの著 書 『置かれた場 風評被害が加わ り、観光地はもとよ り各企業 とも苦戦を 所で咲きなさい』であり、クラブの皆さまでした。 昨年 10月 、第 2580地 区 (東 京都・沖縄県)か ら鈴木 孝雄ガバナーはじめ 30人 余 りの方が当地 区を訪ねて くだ 強 い られ、 この状況か ら脱皮できるのには、まだ数十年 かかるだろうと言われてお ります。すでに当地 区の相双 分区の 2ク ラブが昨年解散の憂 き目に遭 ってお ります。 さいました。 1日 目は松塩 ゾー ン (宮 城県松島 。塩釜地 域 )を 視察 し、夜には この地域の ロー タリアンと交流 し ます。警戒区域内のクラブが合同で例会を開き、 ロー タ ました。翌 日は沿岸を北上 し、昼は気仙沼で、夜は岩手 リーの明か りを消 さぬよう「超我 の奉仕」 のもと、奉仕 県大船渡で ロー タリアンと交流 しました。3日 目は三 陸 鉄道で釜石へ。釜石駅では、地元の会員 と SL列 車がお と親睦を中心に して地区日標「ロー タリーの心を大切に 出迎え。駅前広場 にはロー タリーのロゴの付 いた歌碑が。 限 に食 い止め、東北人の粘 り強さと根性を発揮 し、底力 被災 した方々が避難所の体育館で毎朝聞いて元気を取 り を全国にアピールすべ く努力 しているところです。今年 戻 していったとい う釜石小学校の校歌で した。釜石市は 2019年 に 日本で開かれるラグビーワール ドカップの開催 度は、福島中央 ロー タリークラブの努力 によ り将来の ロ ー タリアンとなるであろう青年男女 16人 か ら成 る 「福 都市に立候補 してお り、多 くの住民が亡 くなった鵜住居 島中央 ロー ター アク トクラブ」が誕生 しました。 また全員が避難 し例会を開 くことが困難なクラブもあ り クラブを活性化 させよう !」 を掲げ、風評被害を最小 地区にラグビー場を建設する予定であること、子 どもた ちをイングランドで開かれる 2015ラ グビー ワール ドカッ 物だけを出荷 してお ります。県内は湯量豊富な源泉かけ プ観戦 に連れて行 きたいとい うことを知 りました。ぜひ 流 しの温泉が点在 してお ります。皆さまの心 も体 も癒や 応援 したい と思います。素晴 らしい交流ができ、感謝 し されることで しょう。花 も実 もある福島へ こらん しょ !! 現在、福島県産品は全て放射性物質 の検査 に合格 した ています。 (小 児科医) 平成 27年 2月 号 (不 動産管理業) ロータリーの友 31 0 第 ガ バ ナ ーの ペ ー ジ 2540地 区 と 継続 と変化 の大切 さ ガバ ナー と私 第 第 2550地 区 2540地 区 麟 (横 手 RC) 辮 ガバナー 誂 ―■ 「 ガバナー (大 田原 RC) ガバ ナー にな り、多 くの ことが思い出されます。例 え ば、新年度が始 まった昨年 の夏 は、過去に自分がホー ム 「皆 さん、ガバ ナーの任期 は通常 一年です。 一 年 で業 績を残 そ うとすれ ばおそらく失敗するで しよう。今 まで グラウ ン ドとして いた クラブを公式訪問 し、 20年 前 の 私 の写真 (当 時 の会員名簿)を 見せてもらう機会があ り の流れ、先輩方 が築いてきた ことを大切 に して、自分が 始 まった ときよりも終わ つた ときが少 しでも良 くなるよ ました。髪が真 っ黒で若々しい 自分 がいて、 自分 自身 な うにすればよいのです」。サ ンディエ ゴの 国際協議会 で 私 が尊敬する元国際 ロー タリー会長 のカルヤン・ 聞 いた、 のにピンとこない感 じが しました。 現在 のクラブに所属 して 11年 が過 ぎ、全体を通 した ロー タリー ライフが 28年 目に突入 しました。心情 とし バ ネルジー さんの この言葉を、私 は公式訪間ですべ ての ては「そろそろ打ち止 めかな …… 」 と思 った ところにガ る言葉であると思 います。 「棚か らぼたもち」 バ ナー ノミニー推薦 のお話をいただき 日本 のロー タリー クラブは伝統を とても大切 にしてい ます。第 2550地 区 において も伝統のあ る しっか りし とい うよ り「上か ら爆弾が来た」 といつた心情 の もと、 山あ り谷あ り、大変だな と思 うことも多 々あ りなが ら新 年度を迎 え、地区大会 を終えて………と、 ここまで続けて こられました。 サ ンディエゴでの国際協議会へ参加す る際、厳寒 の雪 深 く、お正 月が終わ つて 間 もな い 1月 に所属 クラブ の 皆 さんに駅で見送 ってもらった光景を、昨 日のことのよ うに感 じます。 …… と、感慨 にふけ りましたが、同様 にわが地区の会 員数 にも違 う意味 で感慨深いものを感 じています。 ここ 数年、第 2540地 区の「会員増強」 は、常にクラブに課 せ られた重点的課題 であ り、危機迫 る秋田県は今 なお、 皆、貫 く決意で一人 ひ とりの意識が試 されています。 ク ラブに積極的 に参加 して、リー ダー シ ップと知識を育み、 生涯にわたる友情 を見 つけるよう提言す ることは、会員 クラブに話 しました。私たち日本人 には非常 に共感 でき たクラブがた くさんあ ります。「良い ことを続けてい く」 ことが とても大切です。多 くのクラブが地域 のために優 れた奉仕活動 を続けてきてい ます。 しか し、同 じことを 同 じように続けてい くだけでは、クラブは衰退 して しま います。奉仕活動 を続けてい くうちに、変 えなければな らないことがあるの もわかって くるはずです。その時は 勇気を持 って変 えるべ きところを変えていかなければな りません。そ うしなけれ ば、クラブは良 くなっていかな い と思います。 私は、先輩 ガバ ナー方 が長年築 いて こられた ことを大 切に して、それを少 しでも良 くしていきたい と心がけて い ます。『ガバ ナー 月信』 に掲載 した最初のガバ ナー メ ッセー ジで、「若者を育 てましょう」 と呼びかけました。 先輩 ガバ ナー が しっか り育ててきた青少年奉仕 と米山記 も、ガバ ナー も一緒 ではないで しようか。 組織 の繁栄 は皆 さまの情熱 にあ り、その底力は、次世 念奨学制度 を、さらに充実 させていきたい と強 く思 つて 代へ とつ ながってい くと確信 しています。残 る任期にガ バ ナー として第 2540地 区でできる会員増強 の方策 を練 り、行動を律 したい と思 います。今後 のロータリー が親 若 輩 の 私 に どこまでで き るか わか りませ んが、第 2550地 区のすべ ての ロー タリー クラブが、2015年 の しみ深 く、健全 で友情あふれる組織 であ り、それが地区 運営へ と輪のようにつながってい くことを望みます。 (食 品製造) 32 THE ROTARY― NO― TOMO います。 7月 には今 より良 くなっていることを願 っています。 (内 科医) 2015 VOL.63 NO.2 ■■ ■ ■ ■ ■ ■ ︱ ︱ 日 ︱ 日 ︱ 日 ︱ 日 ︱ ︱ ︱ ︱ ︱ ︱ 日 ︱ ︰ ロ ロ ー ー ー ー ー ー ー i l l l l l l l l l ll ガバ ナ ーのペ ー ジ 自然災害 とロー タリー 入会 した時 を 思 い 出 してみ ま しょ う 第 25601也 区 第 2570'也 区 佐 々木昌敏 ガバナー 燃 (rJ、 0 三 千谷 RC) 諺 (富 士見 RC) 「災害 日本」の例外ではな く、 第 2560地 区 (新 潟県)は 、 ガバナ 新潟県中越地震 、新潟県中越 沖地震をは じめ、数々の 自 地区内の公式訪間を終えて実感 したことは、入会前に はほ とん どの会員が ロー タリー の ことをあま り知 らなか 然災害に遭 ってきました。災害を受けるたび、 こうい う つたとい う事実です。 この ことか ら考えると一般 の人々 時 にロータ リー は何をなすべ きか、何ができるのか、 自 には本当に知 られていない とい うことで しょ う。地区や 問 自答を繰 り返 してきま した。突発的な災害に対 して、 クラブがまず取 り組むべ きことは、「会員増強」である ただぼ うぜん として成 り行きを傍観するだけで、何 の行 と同時に、「ロー タリーの公共イメー ジと認知度の向上」 動 も取れな くてよいのか。地域が痛めつ け られ、人命が であると、今 さらなが ら気が付きました。 自分 自身 も家 危険にさらされても、ただウロ ウロ してぃるだけでいい 族や周囲にどれほ どロー タリー の情報を提供 してきたの のだろ うか。 この “ い ざ"の 時は ロー タリー に とって地 域貢献の時であ り、出番ではないか と。そ こで地区組織 として 「ロー タリー地域協働ネ ッ トワー クセンター」を 立 ち上げることにな りま した (2012-13年 度設立 )。 か と振 り返ると、 これ またロー タリアンとして大 いに反 省させ られました。 ロー タ リー は、そ の歩み とともに 自然 に多 くの人 々 が知 り得 る存在 になってい くで しょ うが、 日本 の 8万 “ いざ災害発生 "の 時 に、 ロー タリー も動いて、地域 に 9,000人 余 のロー タリアンが機会あるごとに、イヽ さくて 密着 した奉仕を しようと決意 したのです。地域社会 との も正 しいロー タリー 情報 を継続 的 に周囲に伝 えていけ 関わ りをもって初めて、 ロー タリーの理解を深めてもら ば、よ り早 くよ り広 く、今以上に公共イメー ジと認知度 えるだろ う、地域貢献ができるだろう、 とい うことであ を向上できるで しょう。簡単な方法の一つ は、常 にロー ります。 タリーバ ッジを着ける こと。 自覚 も出るで しょうし、話 理屈ではな く、行動 して初めて ロー タリー の信頼が得 のきっか けに もな ります。 エ レベー ター トー クや 3分 られるだろ う、地域 とともに汗を流 してこそ、時代の変 間ス ピー チも大切です。私 も困らないよ うに引き出 しを 化に対応 したロー タリー のあ り方ではないか と考 えてい 多 く持ちたい と自覚だけは しています。 るのであ ります。 昨年、地区大会終了時のお別れ食事会 の席で、劉 殷 田 国際 ロー タリー会長代理 (台 湾 。第 3500地 区)は「ガバ 組織の活動は、 1.災 害発生時 …物資の調達、輸送、医療救護、外国人 ナー とはパ ス トガバ ナーエ レク トの ことである」とお っ 支援、募金な ど 2.平 時 …警察 OBを 会員 とする新潟県警友会連合会、 自分は何かに脱 皮する前の状態なのだ」 「本当の楽 しみは 自衛隊退職者および予備 自衛官を会員 とする(公 社) 後に残 っているもの だ」と私な りに理解 しました。皆 さ 隊友会、新 潟 いの ちの電話、 (公 社 )に いがた被害者 まは どう思われますか ? 支援センター、 日本ボーイスカゥ ト新潟連盟、中越 で しよ うか ? 防災安全推進機構な ど各種団体 と連携 は? こ うした活 動を通 して、“ い ざ"に 備 えてお互 いに顔 の見える関係をつ くってお くことが、地域の信頼を得 る ことにつ ながるとい うこ とです。 (薬 品小売) 平成 27年 2月 号 しゃいました。「ロー タリー には卒業はないの だ」「今 の 幹事は ? パ ス トガバ ナー は何 エ レク ト 同期の皆さんがんばって くださぃ。会長 ロー タリーバ ッジは丸いですか ら、元 に戻 るのがよいのか もしれません。気持ちも同 じで、常 に創立当時や入会直後の新鮮な気持ちになって、 「今か ら スター トだ」と考えて行動するのがよい と思 っています。 (整 形外科) ロータ リーの友 33 刺鋼 本大震災復興願 い 「千年希望 の丘」植樹 に参加 田辺 邦雄 東 日本大震災 復興支援 プ ロ ジ ェク ト「千年希 望 の丘 」植樹 は、 10月 25日 午後 1時 か ら仙 台空 港近 くの宮城県岩沼市 で行われ、 金沢西 ロー タリー クラブ (RC) か ら古谷謙明会長 ら 14人 が参加 しました。当 クラブが今年度、創 立 50周 年 を迎 えたのを機 に友好 クラブ提携を した浦和束 RC(第 2770地 区)と の、協同事業 です。 この 植 樹 事 業 は、 現 地 の 第 2520地 区阿武隈 ゾー ンの 5つ の ロー タリー クラブ と岩沼市が協力 して行われ、サ ッカース ポー ツ少 年 団 の子 どもたち も加 わ り 100 人規模 の植樹 のあ と、植樹 エ リアは「七 クラブ『一つ心 に』の森」 と命名 されました。 植樹 は阿武隈ゾーン代表 の板橋敏之 ガバ ナー補佐、古 谷金沢西 RC会 長、町田哲雄浦和束 RC会 長 らがオオ シ マザクラを代表 で植樹 し、参加者全員がイチ ヨウやカエ デ、マツな どの苗木一本 一本 に希望の明 日を願 い、 スコ ップやシャベルを持 つ手 に力が こも りま した。 植樹 に先立ち、第 2520地 区の山口淑子 ガバナー とと もに、現地 ロー タリア ンの案内で被災地 の復興状況 を見 て回 りました。 いまだに、津波で破壊され たままの住宅 や小学校 が散見 され、慰霊碑 に同 じ名字が 5人 も 6人 も並び、一家全員が犠牲 となる悲惨さを 目の 当た りに し ました。被災 した人々の心はいまだに癒やされぬままで はないか、 こ うした中で私たちは何がで きるのか、 とい うもどか しい思 いの 中で、一 日も早 い復興を願 わずには │1県 ) (第 2610地 区 石夕 い られませんで した。 ぶ どう狩 り・ ワイ ン手 づ くり体験・郷 土料理教室 &観 菊会 南陽臨雲 RC 高橋 和義 南陽臨雲 ロー タ リー クラブ (RC)は 、震災直後 か ら毎年、被災地 を訪れ炊 き出 しを行 つた り、避難 してい る家族をクリスマスパー テイー に招待す るな どの支援活 動を行 っています。 今 回は、 10月 19日 、東 日本大震災 のために当地区 への避難 を余儀な くされている家族 15人 を招 き、地元 のワイナ リー で、郷土の特産品のぶ どう狩 りとワイ ンの 会員 とともに行 いました。参加者 は「楽 手づ くり体験を、 しいね」な どと仲良 く話 しなが ら、楽 しみました。 また、山形 の郷土料理教室 も同時開催 し、菊のおひた し、おかひ じきのおひた しを一緒 につ くりま した。参加 「ぜひ家でつ くつてみ よう」 者 は「意外 と簡単でお い しい」 RCと 当クラブ)合 同の観菊会へ参加 してもらい、ワイ とやる気満 々で した。 ンと料理 で、楽 しいひ とときを過 ごしてもらいました。 引 き続 き、毎年恒例 の 3ク ラブ (南 陽 RC、 南陽東 呻 34 THE ROTARY― NO‐ TOMO (第 2800地 区 山形県) 2015 VOL.63 NO.2 「石巻わかめ」 を販売 東京青山RC 浜 田かづ み 9月 6日 、当クラブの会員が宮司を務める北澤八幡神 社 のお祭 りの場を借 り、風評被害に遭 っている「石巻わ かめ」 の販売を しました。ブー ス となるテン トの周 りに のぼり は ロー タ リーの 職を立 て ま したが 、 これ は とて も効果 が あ りま した。「私 が 、家族 がロー タ リア ンです」と言 う人、 台湾 か ら遊 びに来 てい た ロー タ リー の奨学生 な ど、 ロー タ リー の広が りを実感す る ことが できま した。 また、ボ ランテ ィア初参加 の会員のお子 さんは、作文 を書 い て くれ ま した。 「ぼ くは、 この 前初 め て ロー タ リー のボ ラ ンテ ィアの 手伝 い を しま した。宮城県石巻市の 復興支援のわかめを 販売 しま した。復興支援 のはた とわかめを持 って 、お店 ら良か ったです。そ して、 これか らも、 また この よ うな の 呼 び込みを してい ま した。最初 はなかなか 売れなか っ ボランテ ィアをす る機会 があれば 、や っていきたい な と たけ ど、 だん だん少 しずつ 売れ たか ら、その ときは うれ 思 い ま した。そ してだれかの役 にたてるよ うな ことをで しか ったで す。 そ して、 わかめの 販売 が 終 わ った後 は、 きた らいいな と思 い ま した」 お い しいお弁 当を食 べ た り、祭 りでは くじ引 きや射 的を 作文 をいただいて 、温かな気持 ちにな りま した。 ロー した りしま した。そ してその 日は、最後 まで楽 しい気持 タ リー の 職 に助 け られ 、ボラ ンテ ィアに参加 して くれ た ちで終われ たか ら良か ったです。 ロー タ リー って もっ と 子 どもか らは 、 ロー タ リー 活動 の素晴 らしさをあ らため つ まんな くて、 ものす ご く大変 な仕事 か と思 ってい ま し て教 え られた一 日とな りま した。 た。 だけ ど、意 外 と楽 しくて、お も しろい 仕事 だったか (第 2750地 区 東京都) ネパールカ レー を仮設住宅で 郡 山 南 ロ ー タ リー ク ラ ブ 福島県双葉郡富岡町の方々は震災直後か ら、今 もなお 郡山市内の応急仮設住宅での避難生活を、余儀な くされ この収益金 は、復興 に少 しでも役立てられるよう、富 岡町社会福祉協議会 に寄付 しました。 ています。この ような 中 11月 9日 、 富岡町社会福祉協議 富岡町の方 々をは じめ応急仮設住宅で今なお避難生活 会主催 の、富岡町福祉 まつ りが郡山市内で行われ、郡山 を送 っている方 には、郡山南 RCと してできることを考 え、少 しでも早 い復興 に向け、今後 とも取 り組んでいき 南 ロー タリー クラブ (RC)は 、東京米山友愛 RC(第 2750地 区 東京都)と 協賛 しました。東京米山友愛 R たい と思 ってい ます。 (第 2530地 区 福島県) Cに は、かねてか ら被災地への支援 に声をかけていただ いてお り、関係者 の助力 もあって協賛が実現 しました。 会場 となった富岡仮設住宅敷地内では、東京米山友愛 RCお よび、郡山南 RCの 会員、佐原元パ ス トガバナー をは じめ福島県内の ロー タリー 関係者、ボランティアな ど 57人 が協 力 し、東京米山友愛 RCか らはネパール 出 身 のギ リ・ ラム会長ならびに会員 17人 が訪れました。 郡山南 RCで は、スパ イスの効 いた「 本場 の味のカレ ー 」を格安 で販売 し、 また、ネパー ルの ダンサ ー 2人 も参加 した本場の踊 りな どを披露 し、会場 には 300人 以上 も集 ま り、大盛況の福祉 まつ りとな りました。 東 日本 大 震 災 平成 27年 2月 号 ロー タ リーの友 35 ″ ″ よねやま から広がる新 しい世界 ④ 信頼 が築 く交流 と未来 米沢 RC (第 2800地 区 山形県) カ ウンセ ラー 秋葉 隆子 さん たちの側に、あ らためて考 えさせ られる ことや、新 しく 得 られる ことへ のきっかけがあるような気が します。そ の経験を次 に生か して、よ り良い交流 につなげてい くの が、 この事業を続 けてい く意義ではないか、 と私は思 い ます。 ボ ロル トヤさん との出会 いによって、私 を含めてクラ ブの会員は皆、モンゴル とい う国を身近 に感 じるように な りました。そ うい うきつかけは、 とても大切だと思 い 可能性 を信 じて応援 ます し、 いい意味 で広がっていければ と思います。 エ ンフボル ド 。ボ ロル トヤさんは、私がお世話 した 2 人 目の米山奨学生です。カウ ンセラー を務めるのは久 し ぶ りで、少 し心配で したが、彼女は とてもしっか りして いて明るい方 で、お会い して安心 したのを覚 えています。 とはいえ、何事 もなかったわけではな く、彼女 の場合 は非常に優秀な学生 で したので、米山奨学生 になって間 もな く、アメリカの大学への短期交換留学生に選ばれる カ ウ ン セ ラ ー の や りが い を 実 感 昨年 の 当地区の地区大会 の前 日、ボ ロル トヤさんは来 日中の忙 しいスケジュールを縫 って、米沢 RCの 芋煮会 に駆けつ けて くれました。久 しぶ りの再会を喜 び、二人 で話に花を咲かせたのですが、仕事や ロータリーの活動 彼女 の成長 に、 に一生懸命頑張 つている様子を うかがい、 ことにな りました。 ところが、4か 月 ほ どの留学期間中 あ らためてカウ ンセラー としてのや りが いを実感 しまし は奨学金が中断する ことがわか り、経済的 に「行 きたい た。 ロー タリー に入会 して 20年 以上にな りますが、そ の 中でボ ロル トヤさんのような人に巡 り合 えて、本当に け ど、行けない」 とい うジレンマを抱 えて、 しば らく悩 んでいました。相談 に乗 る中で、私 も彼女の可能性を信 じ、できることなら行かせてあげたい と思いましたので、 良か った と思 っています。 少 しの間、個人的 に支援 させていただき、「頑張 って行 って らっしゃい」 と、送 り出 しました。 間を終 え、帰国 もっと交流を深めたい と思 つていた時期に、 しばらく 離 れ る時、「結 来 られな くなって、正直、寂 しく残念に思 う気持ちもあ りましたが、 ボロル トヤさんは期待に応 えて、一 回 りも 婚式 には絶対に 二 回 りも大き くなって帰 ってきて くれましたので、その 約 束 しま した。 自分 の年齢 の こ 受 け 入 れ て 得 られ る 新 しい き つ か け のために山形を 行 くか らね」 と ともあ りますの で、果た して行 けるか どうかわ 実際、 ボロル トヤさんは留学や学業 で忙 しい中で、ク ラブ との交流な ど、よくや って くれた と思います。 か りませ ん が (RC)は ほぼ毎年、世話 クラ (笑 )、 実現す る ブを引き受けていますので、米山奨学生は珍 しい存在で ことを願 つてい はあ りませんが、毎回 どの奨学生か らも、受け入れる私 ます。 米沢 ロー タリー クラブ 36 THE ROTARY‐ NO― TOMO は い、 チーズ﹂ 米沢RCの芋煮会で仲良く ﹁ 成長 を心か らうれ しく思いました。 彼女 が奨学期 2015 VOL.63 NO.2 モンゴルの米山学友 エ ンフボル ド・ ボロル トヤさんは昨秋、米山学友の里 帰 り制度「米山学友ホ ー ムカ ミング」で 来 日。第 2800地 区 (山 形県)の 地区大会でス ピーチを行い、各所を回 つて ロー タ リアンと交 流 しま した。現 在、 在 モンゴル 日本国大使館で働 く傍 ら、 ロー ター アク トクラブや米山学友会の 中心メンバー と しても活躍するボロル トヤさんと、奨学生の時か ら彼女の将来を信 じ、応援 してきたカウンセ ラーの秋葉隆子さんにお 話を伺 い ま した。 米山学友 ことな ど、すべ てが心に残 っています。 エンフボル ド ・ボロル トヤ さん モ ン ゴル と 日本 の 懸 け 橋 に 現在は在モ ンゴル 日本国大使館に勤務 し、広報 。文 化 。学術活動を担 当してい ます。国費留学試験を実施 し、モ ンゴルの学生を日本の大学に送るな ど、両国の 出身 :モ ンゴル 奨学期間 :2010-12 学校名 :山 形大学 懸け橋 となる仕事に、 大きなや りがいを感 じています。 母国では、 ロー ター アクター としても活動 していま 山 形 の 人 々 に 支 え られ て す。所属するツェツェー グンロー ター アク トクラブで 私 は新 モ ンゴル 高校 の 5期 生 です。 この学校 は元 は、大学生へ の奨学事業を始め、寄付金を集めるため 米山奨学生のジャンチブ・ ガルバ ドラッハ先生が設立 のイベ ン トを開 くな ど、高 い志を持 つ若者同士、楽 し した 日本式高校で、多 くの卒業生が 日本に留学 してい ます。私は同校か ら山形 大学に留学 した初 の生徒です く社会 に貢献 してい ます。 また、 昨年 3月 には待望 のモンゴル米山学友会が誕生 し、私 も役員 として関わ が、山形大学出身のジャンチブ先生か ら「田舎である」 りなが ら、少 しずつ活動を広げています。 「雪がす ごい」、そ して 「人が良 い」 と山形について間 今 の私が形成され、充実 した人生が送れているのは かされていました。来てみると、 全 くその通 りで した。 日本 のおかげです。今後は両国間での人 と人 との相互 山形 の皆さんは、娘や孫 のよ うに接 し、私の面倒を 理解を深め、世界のモデル となる良い関係を築き、平 見て くれました。米山奨学生になってか らは、米沢 R 和 につなげてい くこと、それが これからの私の夢です。 Cの 皆さん、特にカウンセラーの秋葉 さんに大変お世 ロータ リー米山記念奨学会事務局 米山記念奨学事業に関するお問い合わせ 。ご意見、ま 話 にな りました。大学 の推薦で短期アメリカ留学の機 会を得た時 も、秋葉 さんの応援 のおかげで実現 し、素 晴 らしい経験ができました。時々、秋葉 さんのお店 に お邪魔 して、お茶を いただきながら話 したこと、今後 の人生や、女性 としての生 き方にア ドバ イスを くれた 感謝 の 気持 ち とともに 輩 II認 諸 了 詠 現 額 贈鶴 l急聾 饉 たは “ よねやまだより"に ついてのご意見を、公益財団法 人 ロータリー米山記念奨学会まで、ぜひお寄せください。 Tel.03-3434--8681 Fax.03-3578--8281 Eメ ール :maiprotary― yoneyama.orjp 一― 台湾米山学友会総会開催 ―― I冤 ぢ itCIは 町 2014年 春 に「旭 日中綬章」の叙勲 を受 けた米 山学友・ ビ 空 ア 氏 (『 友』2014年 7月 号横組み P4 けた半生を語 り、学友会を代表 また、昨年、 米 山記念奨学会理事 長を退任 した板橋敏雄名誉理事長にも感謝の品が贈呈 され まし た。 総会には毎年 、多 くの学友が 日本 へ の感謝の気持ち とともに集 まっています。 平成 27年 2月 号 トロフィーを受け取る蓼―久氏 (左 ) ロータリーの友 簗櫂 修 櫂 鶴 鶴 ロー タリーの特別月間が変 わ ります ガバナーエ レク トが国際協議会 (ガ バ ナーエ レク ト の研修会)を 終 え、その研修 の 内容 を、会長エ レク ト 。 研修 セ ミナー (PETS)、 地 区研修 協議会 で地区 内のクラブに伝 えるための準備 を している ころだと思 います。 各 クラブでは、会長 エ レク トを中心 に、国際協議会 で発表される新年度 の国際 ロータリー (RI)テ ーマ や RI会 長 の方針 に沿 つて新年度の準備 が進んでいる ことで しよう。その準備 の一つに、例会 の準備 もある で しょう。多忙な人 に卓話を依頼す るために、かな り 早 くから例会 の予定を決めているクラブも少な くない 戸惑 われる方 もいらっ ですか ら、 新 しい月間を見て、 しゃるか もしれませ ん。 ロー タリー地域雑誌 の編集者 としては、「雑誌月間」や 「ロー タリー理解推進月間」 がな くなるのは少 し寂 しい気が します し、心配 でもあ ります。さまざまなロータリーに関する情報 について、 ロー タリア ンがあ らためて意識す る機会がな くなるの では という懸念か らです。 一方 で、新 しい月間を見てみる と、毎月、 これ らに ついて考 えれば十分にロー タリー の情報 を知る ことが できる、 と言 えるのか もしれません。 これまで行 つて きた ことを少 し視点 を変えて見てみ よう、 とい うこと と思 います。 か もしれません。 例会 の卓話を、 また、奉仕活動 を、 ロータリーの特 別月間に合わせて計画を しているクラブもあ ると思い ロー タリア ンが知 る ことが難 しい、さまざまな問題 にスポッ トライ トを当てる ことで、世界 や地域 のニー ます。特別月間 が制定 され たのは、 1983-84年 度 か らで、それ以前 はすべ てが特別週間で した。月間の ズを知 り、ニー ズに合 つた奉仕活動を計画、実施す る 制定 に伴 い、 自動的 にそれ まで週間だ ったものが月間 ロー タリー は どん どん変化 し続 けていますが、その に変わ つたのです。 その特別月間が、昨年 10月 に催 された RI理 事会 で大き く変更 されました。新年度 (2015年 7月 )か ら変更 され ます。 新 しい月間は以下 の通 りです。 8月 会員増強・ 拡大月間 9月 基本的教育 と識字率 向上 月間 10月 経済 と地域社会 の発展月間 H月 ロー タリー 財団月間 12月 疾病予防 と治療月間 1月 職業奉仕月間 2月 平和 と紛争予防 /紛 争解決月間 3月 水 と衛 生月間 4月 母子 の健康月間 5月 青少年奉仕 月間 6月 ロー タ リー 親睦活動月間 ことができるようになるか らです。 本質 は変わ らない と思 います。時代 に合わせて、方法 が少 しずつ変わ っているのだと思 います。その一つが、 今回の特別月間の変更 で しようか。 それに しても、 ここの ところあまり変更 がなかった 特別月間ですか ら、 うっか りすると以前 の月間 と混乱 毎月 カレンダー で「今 して しまいそ うです。新年度 は、 月は何月間 ?」 と確認する ことにな りそ うです。 なお、特別週間 については、 RI理 事会 で変更の決 定 はされていませんか ら、新年度 もそのまま継続 され ます。 7月 か らは 「ロー タリー財団の資金モデル」 も 変更 にな ります (本 誌横組 み P39∼ 46を 参照 )。 き ちん と確認を して、新年度 に備 えましょう。 『友』編集長 二神 典子 なお、 10月 の「 米 山月 間」 は、 日本独 自で 定めた月間 ですか ら、従来通 りで変更 はあ りま せん。 これ まで も RI理 事会 の決定 によって、特別 月間 が変更 され た り、追加 された りした ことは 何度 かあ りますが、 これ だけ大幅 に変更 され る のは、前例 がなか ったよ うに思い ます。 THE ROTARY― NO― TOMO 2015 VOL.63 NO.2 ロー タ リー入 門 ■ ・i ・ 〓一 ● ヽ 4■■ヽ 一 一 ・ ■F :,ユ =. L■ ﹁ ■﹃ α ◎'◎ 平成 27年 2月 号 ロー タ リーの友 ロー タ リー財団 は従来、運営費のほぼすべ てを投資収入 で 賄 つてきま した。金融市場 に依存す る この方法 では、市場 が落ち込め ばその年度 は投資収入で運営費 を賄えな くなる 可能性 があ り、事実、過去 に国際財団活動資金 (WF)か ら運営費 を借用 し、市場回復後 に これを返済 した こともあ りま した。 財団が将来的 に十分かつ安定 した リソー スを確保できる よ う、管 理委員会 は、 2015年 7月 1日 か ら有効 となる資 金 モデルを承認 しま した。 この変更 によ り、大規模 で持続可 能な プ ロジ エク トを支援する財団の力が長期的 に高 まると 期待 されています。 本号では、 この資金 モデルについて ご紹介 します。 THE ROTARY― NO― TOMO 2015 VOL.63 NO.2 資金 モデルの根幹は これまでと変わ りません。年次基金 (シ 区財団活動資金 (DDF)、 残 り 50%が 国際財団活動資金 ェア)へ の寄付はすべ て 3年 間投資され、その 50%が 地 (WF)に 配分されます (国 際財団活動資金は、全地区が利 用できる補助金 とプ ログラムを支える資金です)。 今後も運営費 (寄 付推進費 と一般管理運営費)の 大半は、投資収入 によつて賄われます。恒久基金の投資収入の一部も、運営費に充て られます。今回の変更は、投資収入にかかわ らず運 営費を確保できるよう、収入源を多様なものとすることを意図 したものです。 何 が 変わ るのか 年 次基金 寄付 の 5% 運営費を賄い、運営準備金を十分なレベルまで補充す るための投資収入が不足 している場合、その不足分を補 うために年次基金寄付の 5%が 使用 され ます。 この 5% は、WFか ら差 し引かれるものであ り、 DDFに 対する 影響は―切あ りません。 例を とって ご説明 しましょう。年次基金 (シ ェア)へ の 100ド ルの寄付 は、50ド ルが DDF、 50ド ルがW グ ローバ ル 補 助 金 へ の 現 金 拠 出 の 5% グ ローバ ル補助金 へ の現金拠 出 は、年次基金 へ の 寄付 とは 異 な り、 よ り多 くの 事務手続 きが必要 とな ります。 グ ローバ ル補助金 では通常、複数 の提唱者が現金を拠 出 します 。 また、複数 国 の クラブが参加す るため、通貨 を 変換す る必要 があ ります。 一 括 で クラブか ら現金が送 ら れ る場合 もあ りますが、会員が別 々に寄付 を送金 して く るクラブ もあ ります。その結果、寄付記録や管理、寄付 Fと な ります。投資収入で運営費を賄 えない場合、また 者 の 認証手続 きは複雑 にな ります。その 一 方 で、 グ ロー は運営準備金を十分な レベル まで補充できない場合 に限 バ ル 補助金 へ の寄付 は財団の回座 を「通過」す るだけで り、寄付 の 5%、 すなわち 5ド ルが使用 されます。つ まり、 あるため、事務手続 きの経費 を賄 うための投資収入をほ 50ド ルが DDF、 45ド ルがWF、 5ド ルが運営費 とな り、 この 5ド ル はその後 の投資収入か ら、年月をかけ とん ど生み出 しません 。今 回取 り入れ られた資金モデル では、 手数料 として、提唱者 の グローバル 補助金 の 現金 て補填 されることにな ります。その年度に運営費 と運営 拠 出額 の 5%を 追加 で支払 う ことに な ります。 準備金のための十分な投資収入があれば、WFは 50ド ルのままとな ります。 平成 27年 2月 号 ロータ リーの友 よ くあ る質問 従来 の運 営費 の 調達方法 と大 き く異なる ので しよう か。 資金 の流れ としては、従来か らの大きな変更 とい うわ けではあ りません。特 に、 DDFに ついて一切変更 が ないことは重要な点です。 運営準備金 の 「十分な レベル」 とはどのような意味で すか。 財 団 は、運営費 の 3年 分 を準備金 として蓄 える必要 があ ります。堅調な投資収益 によって 2014-15年 年次基金 への寄付 の 5%は 、運営費 を賄 うための十分な純投資収入 が得 られなかった場合に限 り、運営費 ま たは運営準備金に充て られます。 こ れまで管理委員会は、運営費を賄 え る投資収入がなかった年度に、国際 財団活動資金 (WF)に 頼 っていま した。今後、 1年 間 に 5%を 超 えて WFか ら運営費 (ま たは運営準備金) が支出される ことはあ りません。 度 には十分な資金 があるため、現時点で準備金は十分 なレベルに達 しています。 グ ローバル補助金の資金調達にはどのような影響があ りますか。 グローバル補助金へ の現金拠出の手数料 として追加の 5%が 必要にな ります。 グローバル補助金オ ンライ ン 中請書 の調達資金 のペー ジにシステムの変更 が加えら れ、追加の 5%と プロジェク ト実施 のために求められ る資金の総額が 自動表示 されるようにな ります。 グローバル補助金 に現金拠出をす る 場合、手数料 として、提唱者は 5% 分 を追加 して支払 う必要 があ りま す。 す。 THE ROTARY― NO― TOMO ′/ ′″一 ィ ・ 度 を和 らげ る ことが で きるか らで ■一 /′ ′/ ■ザ ´ , その理由は、 これ によって多様な資 金源を確保 し、純投資収入への依存 2015 VOL.63 NO.2 グローバル補助金に現金を拠 出する場合、提 唱者は 5% を追加 して財団に支払 う必要があるのですか。 はい。この 5%と 提唱者拠出金がすべ て支払われるまで、 補助金の要件は完了 とみなされませ ん。ただ し、財団で はな くプ ロジェク トの銀行日座に直接現金を送金する場 なにが 2015年 7月 1日 以降の 運営費の資金源に な りますか ? 合、財団での手続 きが必 要な いため、追加の 5%は 支払 う必要はあ りません。 また、 DDFを 使用する場合 も追 運営費 = 加の必要はあ りません。提唱者は、オンライン申請書の 計算機能を活用 して、プロジェク ト資金の調達方法を検 寄付推進費 討する ことができます。 と 一般管理運営費の資金源 財団を通 じてグローバル補助金に現金を拠 出 した場合、 認証ポイン トはどのようにな りますか。追 加の 5%も ポ イン トの対象にな りますか。 ポール・ハ リス・ フェロー の認証ポイ ン トは、5%を 含 む現金寄付額に対 して授与されます。該当する場合、公 益財団法人ロー タリー 日本財団か ら、全額について確定 申告用 の領収書が発行 されます。 この変更は、主要な慈善団体 としてのロータ リーの定評 に影響を与えますか。 責任をもってご寄付を管理する ことに よ り、 ロー タリー 財団は、複数の独立慈善格付け機関か ら最 も高い評価を 得 て い ます。 10月 には、Charity Navigatorか ら再 び 最高 の 4つ 星評価を得 ま した。事実、非営利組 織 に 関 す る主要な情報機関である BBB Wise Giving Alliance、 Charity Navigator、 GuideStarは 、非 営 利 組 織 の 評 価 *運 営費を賄 うのに十分な純投資収入がない場合のみ 基準に変更を加 え、組織の「活動成果」を重視するよう にな りました。 コス ト全般を妥当に抑 えることは現在 も 重要 とされる一方で、研修、プランニ ング、内部 システ ム、運営へ の投資 も重要であると、 これ らの機関は述 べ ています。 これ らの機関が合同で発行 した書簡を ― overheadmythocomで ご参照 いただけます。ロー タリー は今後 も、透 明性、責任ある資金管理、プロ グラムの成 . 果 と持続可能性に力を注ぎ、定評があ り信頼できる慈善 組織であ り続けるよう努力 していきます。 平成 27年 2月 号 ロー タ リーの友 グローバル補助金 への 影響 ′ず´ 亀 ゝ │;慕 T” α , v,.- Ⅲ t t l' -1'1ヽ ` :`了 1 でヽ 例 えば、 ウガンダの辺境 の 地 で水プ ロジェク ト で、地 区が現金 30,000ド ルを拠 出 し、 WFか を実施す るために、地 区 が総費用 45,000ド ル らの L乗 せ 15,000ド ルを受領 す る場 合、現金 の グローバル 補助金 プロジェク トを 中請す る計 拠 ││1額 は 31,500ド ル とな ります。 画を 立てて い る とします c オ ンラインの 補助金 システムでは、現金拠 出額 DDFの みを使 う場 合、 これ まで と変 わ りはあ りませ んc を入力す る と、 自動的 に必 要な送 金額 が算 IIlさ れ、表示 され ます . 地 区 が財 団を通 じて現金拠 出す る場合 、追加 の 5%を 支払 う必 要 があ ります。 この ため、総額 45,000ド ル の グ ローバル 補助金 プ ロジ ェク ト 44 THE ROTARY― NO― TOMO 2015 VOL63 N0 2 イアン・ ライズリー 管理委員 に聞 く 鞍 織 資 審 中デ キ :こ 争 け て 自 … 帝 :響 ア ン か 機 って お 式 べ き 簾 鶴 菫 要 な こ ilよ i蒔 Fサ キ 「 この資金 モ デルは、財 団 の収人源 の 多様化 によって長期的な財務の安定性を l育 めるものです。 資 金 尋 ザ し ヽの 変 更 に つ い て 会 員 か ら と 申 よ うな 懸 念 か 挙 か つ て 電気奮 富 か : 今回 の変 更が現行 モデルか らの 大 きな変 更だ と危惧 している会員が い らっ しゃるよ うです。 しか し、実 際 には変 更 は ご くわずかな ものです。 また、 DDFへ の影響 について尋ねて くる方 もいますが、 DDF への変更は一 切な い ことに ご留意 い ただ くことが重要です。 資金 モデルヘの変 更 は 、 単に、既 に行われ ている 手続 きに 一定 の枠を設ける ものであ り、 グローバ ル 補助金 については、財団を 「通過 Jす る寄付 の 事務 手続 きの経 費を賄 うとい うニ ー ズに応 えるものです 。 会 員 が 毎の 竜 念 :こ と う対 応 して い ま す か ? 資金 モデル に 1対 す る公式の ご案 内や文 書を、全会 員に読 んでい ただきたい と思い ます。管 J里 委 員会 は、 オー プ ンで 明瞭な連絡を行 う ことによって、財 団プ ロ グラムヘの ロー タリアンの信頼 が高 ま り、結果的 にご 支援 と積極的な参加が促 され る と信 じています。 ウェブサイ ト (Rotary.org)に 掲 載されたお知 ら せには、 この 変更 につ いて 詳 しく説明 した『ロー タリー 財団 の資金 モ デルJと い う資料 への リンクも掲 載 され てい ます。地 区 とクラブの 役 員 と委 員会 のための研修 資料 も、現在、改訂作業 が行 われ ていま す。 ロー タ リア ンか らのお問い合わせ 専用 Eメ ー ル ア ドレス も作 られ ま したので 、 ご質 問 のあ る方 は fllndingmodeprotary.orgま でお 問 い合わせ くださいЭ グローバル補助金に DDFを 使用する場合はWFか ら同額が上乗せされ ますが、現金拠出 に対 しては上乗せは半額 とな ります。また、 DDFを 使用する場合、補助金の手続きにかかる時間が現金拠出よ りも短 くな り ます。 このため、左 ペー ジのウガンダのプロジェ ク トの事例でいえば、 DDFの みを使用 した場合、 もっと多 くの井戸を、 もっと早 く設置でき るようにな ります。 平成 27年 2月 号 ロータ リーの友 45 私 たちの資金 (DDF)と は何ですか ? 年次基金 (シ ェア)と は何ですか 7 地区財団活動資金 年次基金 (シ ェア)と は、地元や海外 におけ る ロー タリー財団の幅広 い活動を支 える主な資金源 地区財団活動資金 です。「Every Rotarian,Every Year(EREY)」 ジェク トに充て られます。地区は、 DDFの 半分 は、財団の年次基金 への支援を促進す るための取 り組みです。 EREYは 、すべ てのロー タリアン までを地区補助金 として利用できます。 DDFの が、毎年年次基金に寄付する ことを奨励するもの です。地区の全 ロー タリー クラブか らの年次基金 (DDF)は 、地区や地区内 ク ラブが選 んだ、財 団や クラブお よび地 区 のプロ 残 りは、グローバル補助金 として利用するか、ポ リオプラス、 ロー タリー平和 センター、他地区 に 寄贈する ことができます。 「国際財団 (シ ェア)へ の ご寄付 は、 2つ の資金、 活動資金 (WF)」 と「地区財団活動資金 (DDF)」 に分け られ ます。 このシェアシステムを通 じて、 恒 久 基 金 とは何 で す か ? ロー タリー財団への ご寄付 が補助金へ と生 まれ変 恒久基金 は、財団およびその補助金 とプログラム わ ります。 の未来 を確かなもの とするための基金です。恒久 基金 の使用可能な投資収益によ り、財団が既存 の 国 際財 団活 動 資 金 (WF)と は何 です か 7 WFは 、世界中で最 も優先される活動に充てられ ます。 シェアヘ の ご寄付 の 50%が WFと な りま 活動 を拡大するとともに、新 しい活動を支援す る ことが可能 とな ります。 ご寄付 は恒久的 に投資 さ れ、基金 の評価額 の合計 の一 定 の割合が、毎年、 財団の補助金 とプログラムに直接充てられます。 す。財団は、すべ ての地区が利用できる補助金 と プ ログラムのためにWFを 活用 します。 THE ROTARY‐ NO―TOMO 2015 VOL.63 NO.2 詳細 と登 録 方 法 ι まⅧ nwiconvention. Orgtta/peaceを 統計 ご参照ください。 全世界 ロー タリアン総数 サ ンパ ウロで 開 かれ る 2015年 ロ ー タ リー 国 際大会 へ の登 録 は riconvention.orgか ら。 ― . 1,220,115ノ ` クラブ数 34,558ク ラブ 536地 区 国 と地域 200以 上 地区数 国際大会カウン トダウン 今後の Rl国 際大会 ロー ター アク ト会員数 169,395人 1987`■ に 2015年 6月 6∼ 9日 クラブ数 7,365ク ラブ ノー ベ ル 平和 ブラジル・ サ ンパ ウロ 国 と地域 160以 上 賞 を受 賞 した (以 下、予定) イ ンター アク ト会員数 396,980人 オ ス カル・ ア 2016年 5月 29日 ∼ 6月 1日 クラブ数 17,260ク ラブ リアス・ サ ン 韓国 。ソウル 国 と地 域 150以 上 チ ェス元 コス 2017年 6月 10∼ 14日 タ リカ大統領 アメ リカ 。ア トランタ 平和に向けた行動 が 、 6月 4∼ 2014年 10月 1日 現在 2018年 6月 24∼ 27日 5日 にサ ンパ ロー タ リー の ニ ユー スは カナダ・ トロン ト ウロ (ブ ラジル)で 開かれるロー タリ ー平和 シンポジ ウムで基 調講演を行い ます。 このシンポジウムは、 ロー タリ ー平和 フェロー と学友 、そ してロータ リー の 6つ の重 点分野 の一 つ 「平和 と紛争予防/紛 争解決」に関心のある ロー タリアンが、一堂に会する機会 と な ります。 1986-1990年 と 2006-2010 年 に大統領を務 めたサ ンチ ェス 氏は、 危機 と動乱の時代に中米での和 平を実 現 させた功績 によ り、ノーベ ル平和賞 を受 賞 しました。 シンポジ ウムでは このほかに、 ロー *2014-15年 ROTARY =X/回 www.rotary.o『 管理委員長の思い ロータ リー平和シンポジウムに参加 しませんか 2014-15年 度 ロータリー財団管理委員長 ロー タリー 財 団 で は、 3 ジョン・ ケニー られてきました。 第 1回 本 会 議 で は、 コ ス タ リ 年に一度、国 カ で二 度 の大 統 領 任 期 際大会前行事 として「ロー 1990年 、2006-2010年 )を 務め、 1987年 にノーベル平和賞を受賞 し タリー平和 シ たオスカル・ ア リアス・ サ ンチ ェス (1986- ンポ ジ ウム 」 氏を講演者 としてお招 きする予定で を開催 していますが、次回は、6月 す。サ ンチェス氏は、最初の大統領 4∼ 5日 、プラジルのサ ンパ ウロで 任期 中に中米和平合意を成立へ と導 行われ ます。 き、中米での武装紛争の収束に大き ロー タリー平和 センターの修士課 く貢献 しま した。 程 または修了証取得プ ロ グラムで学 長 とキ ャロ ライ ン E.ジ ョー ンズ元管 んだロータリー平和 フェローによる ム委員会は、 これ まで とは異なる創 理委員 も講演を行 います。分科会では、 活躍 が 紹介 され るシ ンポ ジ ウムで 人身売買、 水問題が平和に与 える影響、 は、平和に関連 した教育プロ グラム 造的で魅力的なシンポジウムの計画 を進めてお り、80人 の元 ロー タリー 先住民の土地の権利、経済 と平和 とい と奨学金につい てロー タリアンと支 平和 フェロー が出席する予定 となっ った トピ ックが扱われ ます。 援者 に情報を提供するとともに、 ロ ています。 現在、サ ンパ ウロ平和 シンポジウ ロー タ リー 平和 シ ンポ ジ ウム (登 ー タリアンとロー タリー平和 フェロ 平和 シンポジウムヘの 出席経験が 録 料 150ド ル )は 、 ロ ー タ リ ー 国 際大 会 (6月 6∼ 9日 )の 会 場 で あ ー が平和構築にお いて協力する方法 ない方は、平和推進のためのロー タ リー の活動 について理解を深めるた るア ニエ ンビ展示場 にて 開催 され ま を模索する機会 とな ります。 これま でに、ノーベ ル平和賞受賞者のデズ めに、ぜひ ご出席 ください。出席 し す。 シ ンポ ジ ウム は、6月 3日 に 非 モン ド・ ツツ大司教をは じめ とする た経験 のある方 に とっても、画期的 公式 な集 ま り「ア ンコンフ ェ レンス 国際的な平和構築家が講演者 として なプログラムを通 じ、充 実 した経験 招かれてお り、分科会では、 ロー タ リー平和 フェロー による最前線での となることで しょう。 取 り組みや、平和の分野におけるロ できるのを楽 しみに してお ります。 で 幕 を 開 け ます。 そのほかに も任意 参加の行事 として、 6月 4日 の 夕食会 (100ド ル )、 6月 5日 の昼食会 (40ド ル)が あ ります。 平成 27年 2月 号 .ip O土 塁ヨ事 タリー財団のジ ョン・ ケニー管理委員 (unconference)」 度 シンポジ ウムで、皆 さまにお 会 い ー タリアンの活動にスポ ットが 当て ロー タ リーの友 47 2015-16年 度 『友』誌表紙写真 ロータ リア ンから募集 テ ーマ は 設 け ません 4月 30日 締め切リ 新ク ラブ 次年度 の表紙写真を募集 いた 東京あ けぼの (2750。 東京都) します。テ ーマは設 け ません。 スポンサー クラブ 東京築地 2014年 12月 19日 承認 NQ 2388 22人 会員数 例会 日 月 19:30 例会場 東海大学校友会館 事務所 〒 1080074港 区高 輪 46- 8-701 関根方 会長 近藤 修一 幹事 募集要領 は下記の通 りです。 ① 締め切り 2015年 4月 30日 1人 3点 まで ② 点数 ③ サイズ 紙焼 き四つ切 り (そ れに近 いサイズも可) ④ 名前、 クラブ、 連絡先住所 。電話 。フアク 杉浦藤 一郎 添付資料 ス、 タイ トル、撮影場所、 撮影年月、撮影 デー タ (カ 事務所住所変更 メラ名、 使用 レンズ 〔ミリ〕、 露出、 シヤッターの速度)、 洞爺湖 (2510。 北海道) 〒 0495721虻 田郡洞爺 湖 町洞 爺湖 温泉 54 秋田商事内 ⑤ 金木 (2830。 青森県) タリージ ャパ ン』 (6月 下 〒 037-0202五 所 川原 市金木 町 玉水 180-7 又一荒関商店内 春 日部イブニング (2770・ 埼玉県) 〒 3440052春 日部市梅田 2-9-5 細井方 簡単な写真説明。 発表 『友』誌 2015年 8 月号、 ホー ムページ『 ロー ⑥ 旬予定 )に 入選者 のみ。 審査員 ロー タリー の友編 ⑦ 集担 当理事 ほか。 その他 表紙 のサイズに合 わせ トリミングをする場合 があ ります。/写 真 の上に 第 敬弔 。豊 島 純 二 郎 氏 2520地 区 が 11月 18日 逝去 され ま した。93歳 。 謹 んで哀悼 の意 を表 します。 (宮 古 RC会 員 。1998-99年 度 G) 例会場・ 曜 日・ 時間変更 春 日部イブニ ング (27700埼 玉県) 春 日部市商 工振興セ ンター アクシス 高槻東 大阪府)西 武高槻店 6階 (2660。 防府北 (2710・ 山口県)全 例会 18:30 鹿児島・ 鹿児島中央・ 鹿児島西 鹿児島県) (2730・ 鹿児島ウォー ター フロン ト 鹿児島東 (2730・ 鹿児島県) サ ンデイズイ ン鹿児島 クラブ名称変更 大川東 →久留米南部 (2700・ 福岡県) 2015年 1月 5日 承認 新イ ンター アク トクラブ 兵庫県立神崎高等学校 兵庫県・ 神崎) (2680。 発会 2014年 9月 25日 兵庫県立神崎高等学校内 会長 横田 信弘 幹事 〒 333-0866川 国市芝 24-25 かる場合があ ります。/採 京都府立桃山高等学校 相模原橋本 (2780。 神奈川県) 用決定作品 は、掲載時にネ (2650・ 〒 252-0143相 模原市緑区 31917 ガフィルム、ポジフィルム、 高槻東 (2660。 大阪府) /掲 載 に際 して、賞金な ら 〒 569-1116高 槻市 白梅 4-1 西武高槻店 2階 岡山後楽園 (2690。 岡山県) 〒 700-0923岡 山市北区大元駅前 357 鹿児島・ 鹿児島中央・ 鹿児島西 (2730・ 鹿児島県) びに掲載料等 の支払 いはい た しません。/入 選作品の 著作権 は撮影者に帰属 しま す。『 ロー タリーの友』 は、 印刷物 (『 ロー タリーの友』、 『友』英語版、 その他 )な らびにウ ェブサイ トヘ の掲 小林 寛弥 イ ン タ ー ア ク トク ラ ブ 終 結 タイ トルその他の文字がか デジタルカメラの場合 は デー タが必要にな ります。 23人 〒 679-2415神 崎郡神河 mI福 本 488-1 浦和南 (27700埼 玉県) プ リム ローズ 507 会員数 京都府・ 京都洛南) 2014年 11月 30日 承認 2015年 6月 号『友』誌 表紙写真、再 々募集 締 め切 り 3月 末 ! ロー タリア ンか らお寄せ いただ く 表紙写真、 2014-15年 度 6月 号再 々募集 です。詳細は本誌横組 み P51、 または 『ロ ー タ リー ジ 鹿児島東 (2730・ 鹿児島県 載、展示 な どの使用権を保 有 します。/応 募作品 の返 .rotary・ orjpを ご覧 ャパン』 ― ください。今年度最終号の表紙を 飾 るラス トチヤンス、お待ち して 〒 8920844鹿 児島市山之 口町 9-8 却はいた しません。 お ります。 〒 892-0814鹿 児島市本港新町 5-4 鹿児島ウォー ターフロン ト内 ) サ ンデイズイ ン鹿児島内 48 THE ROTARY― NO―TOMO 2015 VOL.63 NO.2 ◆ ご案内 本 ペー ジ毎号掲載の右記一 地区別クラブ数・ 会員数 0出 席率一覧表 (2014年 H月 末現在) 色分け と対 照 しご覧 ください。 会員数 な十 ムム ニ 則 50奥 付の、 日本 ロー タ リー 分布図 の RC数 地区 末 月 数 同 員 覧表 は 3つ の ゾー ン順 で、 横組 み P 出席率(%) 区 67 2.290 2,238 80.00 2510地 区 第'25001也 70 2,598 2,594 82.38 舞 日本の回―タ リー 会員数 89,058人 クラブ数 2,278 (左 の表 中 34地 区合計か ら、 第 2750地 区の PBグ ループ を引いた数です) 2520地 区 80 2.312 2,311 78.69 第 2530ナ也区 66 2,367 2,342 81.03 42 1.111 1,066 78.47 51 1,723 1,677 84.58 56 2,091 2,035 82.78 52 1,700 1,722 81.46 75 2,641 2,631 84.62 けて「ロー タリー手帳」は毎年、改訂 2540地 区 第 2550地 区 第 2560地 区 第 2570地 区 第 2770地 区 第 2790地 区 84 2,803 2,779 82.95 を加 えご準備 してお ります。 舞雪2800量 也区 50 1,629 1,646 85.56 舞 也区 58 2,004 2,019 8364 修正 '2820ナ 舞 鮒X 会 員 数 修 正 :第 2620地 区 3,009人 、34地 区合計 会 員 数 を 88,676人 へ、 表 外 と P6「 日本の ロー タリー」最 終 行 の 会 員 数 を 88,361人 へ修正。本誌 12月 号横組み P46(9月 末 )表 中、地 区 会 員 数 修 正 :第 2620地 区 3,011メ、多 育27801也 区 2,331 人、34地 区 合 計 会 員 数 を 88,894人 へ、表タトと P6「 日 本の ロータ リーョ最終行の会 員数を 88,579人 へ修正。 本誌 1月 号横組み P37(10 月末)表 中、第 2770地 区平 均出席率を 8275%へ 修正。 地区会員数修正 :第 2830地 区 1,135人 、 第 2620地 区 3,023人 、第 2750地 区 4,743 第 2015-2016年 度版 ロー タ リー手帳 ご予約受付中 ロー タリアンの皆さまのご意見を受 2014-15年 度 か ら、表 紙 デザイ ンも一新 しました。会員の皆さまか ら のお声によ り、使いやすいよう開き具 合な どに微調整を施 し、ペ ンサ ックを 太 くするな ど工 夫を凝 らしています。 ロー タリー年度 に合わせてのスタイ ルや 、全国 34地 区 のガバナー事務所 第 41 1,139 1,141 81.57 2840地 区 第'2830測 46 2,013 1,927 81.68 2580地 区 2590地 第 区 第 2600地 区 第 2610地 区 第 2620地 区 70 3.037 3,045 83.93 60 2,192 2.200 89.21 55 2004 2030 87.06 65 2,646 2,684 81.47 78 3,025 3.070 第 や地区大会の予定な ど、 ロー タリー 関 連事項の掲載は変わ りません。 付録の年間スケジュール 帳、ア ドレ 区 80 3,145 3,143 8950 8554 2750ナ也区 第'26301也 98 4,743 4,648 79.93 ス 帳、 ロー タ リー 関連資料 の 3点 も 第 2760地 区 2780地 区 第 2640地 区 第 2650地 区 第 2660地 区 84 4,867 4,888 93.24 最新版 へ、リニ ューアル してお ります。 第 64 2,345 2,250 79.93 手帳 の色はロー タリー カラーであるロ イヤルブルー 、サイズは男性上着の内 ポケ ットに入 る大 きさで、女性 のハ ン ドバ ッグの中で も邪魔にな りません。 詳細 は 2月 1日 付 で、 ロー タ リー クラブにお送 りしたご案内状を、 ご覧 ください。 (定 価 600円 十消費税/送 料別 ) ご注文 は、 クラブ事務局 を通 じて、 お早 めにロー タリーの友事務所 まで、 お願いいた します。 ◆ お知 らせ 橋本紀 ノ川 (2640・ 和 歌 山県 )が 2014年 12月 31日 付 で 舞 舞雪26701也 区 71 1,997 2.053 85.04 97 4,665 4,617 8868 82 3,697 3,721 86.40 74 3,004 2,999 84.74 2680地 区 73 2690地 67 第 区 61 第 2700地 区 2710地 74 第 区 74 第 2720地 区 2730地 65 第 区 57 第 2740地 区 34地 区合計 2,287 第 2,898 2,899 91.22 3,116 3,125 84.75 3,216 3,234 89.77 3,332 3,304 89.86 2,439 2,419 85.40 2.356 2,354 81.74 2,236 2,214 8530 89,381 89,025 ● ― タ リ ー OA 3月 国際 ロー タリーか ら脱会 しました。 横組み 特集 識字率向上月間 ロー ター アク ト週間 ご投稿・ お問い合わせは一― 心は共に 東日本大震災から4年 〒 1050011 東京都港区芝公園 2-6-15 黒龍芝公園 ビル 4階 一般社団法人 ロータリーの友事務所 ロータリージャパ ン .rotary・ Orjp ー Tel.03-3436-6651 Fax.03-3436-5956 縦組み 編集部メール hensyu@rotary no― tomojp 平成 27年 2月 号 ガバナー月信よ り 第 2750 地区の クラブ数・ 会員数 は、 PBグ ルー プ 9 R C 323人 (北 マ リアナ諸 島・ グアム・ ミクロネシア・ パ ラオ)を 含 み ます。P6「 日本 の ロー タ リー」数は、34地 区合計か ら PBグ ループを引いた数にな ります。前年 同月末 PBグ レープ 8RC会 員数 286人 。 フ 本 誌 H月 号横 組 み P44(8月 末 )表 中、地 区 人、 舞52780'也 ,12,337ノ`、 第 2700地 区 3,202人 、34 地区合計会員数を 89,236人 へ、表外 とP6「 日本の ロー タ リーJ最 終 行 の 会 員数 を 88,913人 へ、 PBク ルー プ 323人 へ修正。 *『 ロー タリージ ャパン』 の 「ロータリー 関連資料」には、 データ修正後の表を掲載。 *第 2520地 区の数値はすべ て概数です。 号 主 要記事予定 和 魂 和 才 すこやかに生きる漢方の知恵 千葉中央メディカルセンター和漢診療科・ 部長 _タ リ 口 ー宝 言 療 ま 11。 ¨ し て そ 塚 市 Rotary ロータリーの友 49 日本 回―タ リー分布図 Rotary ROTARY DISTRICTS ooooo― 〇〇〇OO― 〇〇〇 一 ―― 地区 テリトリー ガバナー名 i第 1ゾ ーン □ 第2ゾ ーン 第3ゾ ーン ︲ ︲ ︲ ︲ 頗 ﹄ 劫 ¨ 0 ¨ 0 2 は 3 7 州 7 2 2 ぃ7 一 一 ¨ 0 0 4 7 2 2 2690 ︲ ‘ ・鳥取・島根 (岡 山 松本 祐 二 ・京 都・ 奈 良 ) ) 2710 ・山口 (広 島 金子 ) 克也 (埼 玉南東 演 野 英美 ) 『Rotary」 apan』 www rotary orJpに 各地区のホームページをリンクしています。 な職 は 理事会 代表理事 月刊 理 ロータリーの友 事 第63巻 2月 号 2015年 1月 31日 印刷 2015年 2月 1日 発 行 一般社 団法人 ロータリーの友事務所 鰈社 員 北 清治 (浦 和東 ) 杉谷 卓紀 (玉 名 ) 鈴木 孝雄 (東 京池劉 坂本 俊雄 (東 京八王子南) 博朗 (大 阪帝塚山 清水 良夫 監 事 ) 相談役 (京 都 東 ) 渡辺 誠 二 (東 京みな と) 編集長 二神 (東 京 築 地) 編 集 稲川 やよい 所 (横 浜 ) THE ROTARY― NO― TOMO 長 典子 (横 浜 南 ) 神崎 正陳 (茅 上野 (横 浜 ) 黒野 穣二 野崎 恭子 孝 ヶ崎湘 南 ) 安平 和彦 (姫 路) 片岡 信彦 (土 浦 南) 山名 本田 博己 (前 橋) 飯田亜由香 志田 洪顧 (静 岡 ) 大室 催 (宝 塚武 庫 川 ) 鈴木 喬 (東 京江 北 ) 水野 功 (東 京 飛 火野 ) 森本 経 理 冨澤 愛 美子 半田 弥生 福元菜穂子 行俊 (東 京 町 田サル ビア ) 横山 武志 (東 京北 ) 中里 公造 (川 ロモ ーニング ) 郵便 振 替 口座 番 号 大澤 成美 (東 京 臨海 ) 印 大 日本 印刷 (株 ) 野中 茂 01崎 振込 銀行 三井 住 友銀 行 浜 松 町 支店 口座 番 号 (普 通 )7450015 刷 表紙 印刷 ) (東 京みな と) (東 京築地 ) 001808694591 半七写 真 印刷工 業 (株 ) 一 般 社 団法 人 ロー タリーの 友事 務 所 〒105-0011 高良 明 011崎 西 ) 東京都港区芝公園 2615黒 龍芝公園ビル 4階 船越 豊 (千 葉 中央 ) 電言舌 03-3436-6651 板橋 敏雄 (足 利 東 ) 中村 (東 昌平 京北 ) FAX 03-3436-5956 ホームページ WWw rotary.or,p 定価 50 員 中山 義之 渡辺 誠 二 二神 典子 渡辺 治夫 (横 須荀 泉 橋本 長平 200円 +消 費 税 (送 料 別 ) 2015 VOL.63 NO.2 送 り先 一般社団法人 ロー タリーの友事務所 〒 1050011東 京都港区芝公園 2615黒 龍芝公園 ビル 4階 2014-15年 度 も、表紙写真 につ きま して、多数 ご応 募 い ただき、感謝 申し上げます。審査の結果、残念なが ら、 ⑥ 審査員 (予 定) 岡井耀毅氏 (元 『アサ ヒカメラ』編 集長 。現『友』表紙解説者)な ど。 2015年 6月 号 の表紙につ きましては、該 当作品があ りま ◆ 入賞作品について せんで したので、作品を再 々募集する ことにな りました。 ① 採用決定作品は、掲載時にネガフィルム、ポジフィル ム、デジタルカメラの場合は解像度の高いデータが必 テーマ は設けません。ふるって ご応募 ください。 募集要領な どは下記の通 りです。 要 にな りますので、オリジナルはお手元 に保存 してお いて ください。 ◆ 応募要領 ② 掲載時、表紙のサイズに合わせ、 トリミングをする場 ① 締め切 り 2015年 3月 31日 。 ② 点数 合があります。また、写真の上にタイ トルその他の文 1人 3点 まで。 ③ サイズ 紙焼き四つ切 り 字がかかる場合があります。 (そ れに近いサイズも可)。 ④ 添付資料 名前、クラブ、連絡先住所 。電話 。ファク ス、写真タイ トル、撮影場所、撮影年月、撮影のデー タ (カ メラ名、使用 レンズ 〔 ミリ〕、露出、シャッター 速度)、 簡単な写真説明。 に入選者 のみ。 保有 します。 江戸時代の書門店 承ります。 お 仏壇 の 在庫豊富に取り 揃えております。 大屋 書房 伝統工芸 京仏壇・京仏具 ロロ フ¬ 和本 。 浮世 絵錦 絵版 画 古 地 図・ 巻 物・ 古 文 書 etc. 口L 京都 本 社 /〒 6008218京 都 市 下 京 区 七 条 通 新 町 東 入 東 京 店 /〒 146‐ 0081 東京都 大 田区仲 池■ 2丁 目 8-13 築 地 店 /〒 lo4 0045 東京都中央区築地0151傑 地本願寺内 札 幌 店 /〒 0640919札 幌 市 中 央 区 南 19条 西 9丁 目 仙 台 店 /〒 900o821仙 台 市 言 葉 区 春 日 町 8-5 近711津 店/〒 5250027 草 津 市 野 十 寸 1丁 目 3-10 福岡営業所/雪 (092)761-3737 ) 雪 (075)371‐ 3131(代 )。 年中無休 雪 (03)3755-0488(代 )水 曜定休 蓉 (03)3546 82281ft)。 日曜定休 ● (011)512‐ 3455(代 )・ 日曜定休 ● (022)213‐ 0666(代 )日 .祝 定休 雪 (077)564-1011(代 水曜定休 http:〃 www.wakabayashi.co.jp′ 27年 2月 号 ④ 著作権は撮影者に帰属 します。『ロー タリーの友』は、 印刷物 (『 ロー タリーの友』、『友』英語版、その他) ⑤ 応募作品の返却はいたしません。 伝統的工芸品の京仏壇から新感覚の仏壇0仏 具まで 平成 りません。 ならびにウェブサイ トヘの掲載、展示などの使用権を ⑤ 発表『友』誌、ホームペー ジ『ロー タリー ジャパン』 籠 ③ 掲載に際 し、賞金、ならびに掲載料などの支払 いはあ )・ 若林仏壇匿索k OHYA‐ SHOBOLTD. OLD」 APANESE:LLUSTRATED B00KS 月hθ Pふrs(UKIYO―E),θ″ 』 乙ps И〃κ力どs〆 Japa17θ Sθ Grttc′ ′ ` 創立1882年 〒101‐ 0051東 京都千代 田区神田神保町1丁 目1番 地 TEL 03‐ 3291‐ 0062 FAX 03‐ 3295‐ 2334□ もいたします。 ロータ リーの友 開催地:ブ ラジル0サ ンバウロ 大会期間:2015年 6月 6日 (土 )∼ 6 ャネイロ ブーテルマス&リ ゾート 国際ロータリー とイグア 年次大会参カロ スの滝、リオデジヤネイ □9日 間 大阪。 東京発着 国際ロータリー とマチユ ロ 年次大会参カ ピチュ、 イグアスの滝、リ オデジャネイロ13日 間 大阪 。 東 京発着 人様/2名 1室 /エ コノミークラス利用 (お 一 国際ロータリー とイグア 年次大会参カロ スとサンパウロ8日 間 国際ロータリー 弊認饒 霧 お一人様/2名 1室 /エ コノミークラス利用) 6989000円 145,000円 ※ 燃 油 サ ー チ ヤー ジ (目 安 6月 2日 (火 ) 6月 10日 (水 ) : 日本→機内①→イグア ス②→サンパウロ②→ リオデジヤネイロ①→ 機内②一日本 58000円 /10月 22日 現 在 ) 9989000円 ) 178]000円 ※燃 油 サ ー チャー ジ (目 安 (金 ) 6月 10日 (水 ) : 68,000円 /10月 22日 現 在 ) 大阪 。 東京発着 人様/2名 1室 /エ コノミークラスTl用 (お 一 548"000円 ) 78,000円 ※燃 油 サ ー チ ャー ジ (目 安 5月 29日 6月 2日 (火 ) 6月 9日 (火 ) : 日本→機内①→リマ① →ウルバンバ①―クス コ①→ リマ①→イグア ス②→サンパウロ② → リオデジヤネイロ①→ 機内② 一 日本 日本一機内①→イグア ス②→サンパウロ② → 機内② → 日本 0食 事 :朝 食4回 昼食 2回 夕食2回 (機 内食は含みません 0利 用予定航空会社 :エ ールフランス航空、アリタリア航 ) 空 ルフト八ンザドイツ航空 (エ コノミークラス) 58.000円 /10月 22日 現 在 ) 大 阪。 東京 発着 ノミークラス利用 (お 一人権 2名 ]室 /エ コ 328"000円 ) 48,000円 ※ 騰 由サ ー チ ヤー ジ (目 安 : 6月 4日 (冽 ヽ) 6月 9日 (火 ) 日本→機内①→サンパ ウロ②→機内②→日本 予定航空会社 :エ ミレー ツ航空 カター ル航空 (エ 予定ホテル :サ ンパウロ/ゴールデンチューリップ 58.000円 /10月 22日 現 在 ) ●最少催行 人員 :Aコ ース 15名 様 、BoCoDコ ース 10名 様 。 ※上記 は大会登録費用 は含 まれておりません。 ※○数字は各都市の宿泊数です。※クラブ単位等で親睦旅行を兼ねた特別コースの企画見積りも承つております。何なりとお申しつけください。 ■詳しい旅行条件を説明したバンフレットをお渡しいたしますので事前にこ確認の上 、お申込ください。 ■■ ■■ ■ ■■ ■ ■■ ︱ ︱︱ ︱ ︱︱ ロ ーー ーー ー ーー ー ーー ー ーロ ー ーー ー ーー ー︰ ︰ ︰︰ 1 ll l 日l l ll l ll ll l ll l ll l ll l ll l ll l 2015年 度 サンバ ウロ 加旅行 のご案内 ※大会地ではサンパウロ市内のホテル宿泊を確約 ※6/6に 『日本人親善朝食会』が開催される場合は、バス代を含め―切追カロ 代金なしでこ案内させていただきます。 ! 。 意 充実の全 8コ ース 嘩 ◆大会行 全コース :最 少催行人数 10名 様 【 添乗員同行】 大会 開会式 出席の旅 南米3都 市とイグアスの滝10日 間 東京 (成 田)→ 機中泊→ブエノスアイレス②→イグアス①→ サンパウロ②→リオデジャネイロ①→饉中泊②→東京 (成 田) 東京 (成 田)→ 機中泊 →サンバウロ② →出中泊②→東京 (成 田 ) こ帰国日は夕刻のご出発までお部屋をこ利用いただけます。 ・イグアスの滝と 世界遺産 マチュピチュ遺跡を巡る旅11日 間 大会全プログラム出席の旅 東京 (成 田)→機中泊→サンパウロ②→イグアス①→ 東京 (成 田)→ 機中泊→サンパウロ⑤→機中泊②→東京 (成 田) ウルバンバ①→クスコ①→リマ→籠中泊②→東京 (成 田) サ ン′ヽウロ到 着 日 は朝 か らお部 屋 を こ利 用 い た だ けます 。 ガラバゴス諸島探訪 10日 間 東京 (成 田 )→ 機中泊 → サンパウロ② → グア ヤキル Э→ 船内③ →■中泊② →東京 (成 田 ) サンバウロ到着日は朝からお部屋をこ利用いただけます。 誕棚 :輩 薦 東京 (咸 田 )→ 織中泊 →サンパウロ② → リマ① →船内○ → 饉中泊② →東京 (成 田 ) サンバウロ到着日は朝からお部屋をこ利用いただけます。 旅行代金は、お二人部屋にお二人でこ宿泊基準のお一人様旅行代金です。○内の数字は宿泊数を表します。 詳しい募集案内をこ請求ください。ご請求は右下のフリーダイヤル電話でお気軽に ! T詈 機 熙倉 盆 蠣 爾π胸 舎君 ¨ ¨ 一 一 ∞ 恋誡凛謄理 担 当 :曽 我 。 大山 。 丼 上 Eメ ール :[email protected] 0120‐ 444‐ 654 最終日程表及び国土交通大臣認可の 行の旅行条件については別途お渡しする旅行条件書、 よります。 総 合旅行業務取 扱 管理 者とは、お客様 の旅 行を取 り扱う営業所 での取 引きに関する責任 者です。 この旅 行契約 に関 し、担 当者 からの説 明 にご不明 な点がありましたら、ご遠 慮 なく左 記の総 合旅 行 業務 取扱管理 者 にご質 問下 さい。 Cover Storv 表 紙 のメッセージ 雲 一つな い晴 れ上 が った大空 に舞 い上が った スノーボ ード ・ハー フパイプ の華一 麗なジ ャンプ 。 こ こは長 野県茅 野市白樺 湖 ロイ ヤル ヒル スキ ー 場 で、長 野県 でも数少 な い競 技 施 設を備 え て い 。 ︿ υ ワ 前 かが み に巧 み に空中 を遊 泳 す るような 一瞬 一瞬 。 この競技 は ソチ オ リ ンピ ツク で注 目され た競 技 の 一つ。 ﹁ 地 元 で競 技 を つづ け て いく 選手 た ち をぜ ひ 撮 影 した い念 願 で、車 で約 一時 間半走 り つづ け、 茅 野市自樺 湖 の斜 而、車 山 の冬 景色 と合 わせ て 撮 影す る ことも できま し た。 競技生活 を送 る選手 たち は シーズ ンが到来 す ると、全 国各 地 か らや ってき ます。彼ら はゲ レ ンデ や宿泊施 設 スタ ッフ の仕 事 を こなしなが ら 自 ら の鍛錬 や後進 の指 導 に努力 し て います。 こ 設 のレ スト ハウ スに展示 しま した﹂ と、 千 野哲 男氏 は言 う。 パ イプ な ど 特 殊 な 施 設 は 閉 鎖 が つづ き ま し た て いく 列車 を追 いかけ るよう に飛翔 す る三羽 の 北海 道 釧網本線 の茅 沼駅 を自煙 あげ て疾走 し * が、自樺湖 ロイ ヤル ヒル ・ゲ レ ンデ は晴 天率 が タ ンチ ョウ。通 過列車 は 一日数本 ほど の過疎地 のと ころきび し い経済 環 境 の下 で県内 の ハー フ 高 い上 に絶好 の雪質 を誇 って いて、競技活動 を は、︿タ ンチ ョウ を愛 す る方 々 の長 年 の餌 付 け 帯 で、 駅合 はカ ラ フルな色 で塗 ら れ、立 看板 に 写真 は、地 元 の写真愛 好 グ ループ と 一緒 に選 に よ り 今 も 多 く のタ ンチ ョウ が 周 辺 を 訪 れ ま 支 える貴 重 な存 在 にな って います 。 手 た ち に協 力 し て開 催 し た 撮 影 会 の 一コ マで す﹀ と。 ﹁ 駅 に入 ると、 ホー ム には数 人 の旅 行 者 だ け で閑散 と し て いて、澄 み切 った青 空 の下 で雪 に 埋 も れ てS字形 に曲が って のび る線 路 が う つく し い。地 元 のガイド の説 明 で、 駅 を中 心 に九十 度 の角度 で約 二百 メート ル離 れ た場 所 から鶴 を 狙 って撮 れば 、 そ の中 にうま く S Lが 入 ってく ると教 え られ て、 カメラを構 え、 汽笛 の音 が近 づ いて茅 沼 駅 から発車 し てく る列車 に誘 われ る よ う に並 ん で飛ぶ 三羽 の鶴 を 狙 って撮 った が、 そ の姿 は実 に優雅 で夢中 でシ ャ ッターを押 し つ づ けま した﹂ と、渡 辺道雄 氏 は言 う。 雪原 にタ ンチ ョウ飛翔 の音 の冴 ゆ 岡井 輝生 ジ ャーナリ スト︶ ︵ ﹃ロータリー の友﹄誌六 月号 表紙 写真を 再々募集 します ! 二〇 一五年 二∼ 六 月 号 の ﹃ロー タ リ ー の友 ﹄ 誌表 紙写真 再募 集 にご 応募 いただ きあ りが とう ござ いま した。審 査 の結 果、 三∼ 五月号 の表紙 写真 が左 記 の通 り決定 いた しま した。 残念 なが ら六 月号 の表紙写真 は入選作が あ り ません でした ので、 ロータリ ア ンの皆 さま か ら 再 々募集 いた しま す。 テー マは設 けま せん。締 め切 りは 三月 三 一日。 応 募 は 一人 三点 ま でです 。 紙焼 き 四 つ切 リサ イズ ︵ それ に近 いサイズ も可︶ の写真 に、撮 影 月、 タ イトルなど の事 項を書 き 添 え てお送 りくだ さ い。詳細 は本誌横組 み五 一 ページ また はホー ムページ ﹃ロータ リージ ヤパ ン﹄選′ c a く 8[ ”ぐ R﹂もをご 覧 くだ さ い。皆 さま ・ のご 応募 を お待 ち し ております。 ︵ 一一 上 ハ六〇 大阪船場︶ ︵ 一一 五六〇 十日町︶ 一一 ︵ 五七〇 東松山むさし︶ 公一 七 一〇 山 口︶ 一一 ︵ 五六〇 十日町︶ 二六二〇 静岡中央︶ ︵ 表紙 写真 再募 集審査結 果 敬称略︶ 掲載月および撮影者 ︵ 二〇 一五年 二^ 月号 小島 常 男 山内 正胤 四月号 内 山 明夫 河野 康志 五月号 山内 正胤 吉 川 正宏 2015 VOL.63 NO.2 TOMO NO― THE ROTARY― 54〈 311 「歓迎」 (北 海道) 撮影 渡辺 道雄 (2570 鶴 ヶ島) す。 写真 は、自樺 湖 ロイ ヤ ル ヒル ・ゲ レ ンデ 併 「空高 く跳ぶ豪快なジャンプ」 (長 野県) 撮影 千野 哲男 (2600 上田東) 毅 耀 岡 丼 口…タリー アントワ…ク 詠 ん だ 句 が ﹁平 戸 か ら 秋 風 に 乗 って 松 浦 市 に転 勤 にな った ば か り 。 彼 の ね て いま し た 。 彼 は 平 戸市 か ら 隣 の にも人気が あ ります 。 え、小中学生が 演 じ る 子ど も浄瑠璃 真 桑人形浄瑠璃 は大 人 の出 し物 に加 あ ります 。人 形浄 瑠璃が大 切 に受け 村舞台 を 模 した小 屋や展示室などが 跡 に建 てられ て いて、敷地内 には農 が 参加 。今 回 の旅 行 は ロータ リー財 ど も会 の役員六 人、 ク ラブ 会 員九 人 四∼六年生 の 一四人、 同保 存会 と 子 八月 二七∼ 二八日 の 二日間、小学 た ち は皆 、 人 形 の動きを食 い入るよ の鳴 門﹂が 演 じられました 。子ど も 受 けた後 、 いよ いよ本場 ﹁ 傾城 阿波 る人形 の特 徴 や操 り方など の説 明を 継が れ てき た様 子や、木偶 と呼ば れ 松 浦 へ﹂ で、 私 に と って は こ の 日 一 平 戸 地 方 は 秋 に な る と 北 風が 吹 団 の地 区補助金 制度 の利 用 で実 現し う に見 つめ て いま した。 ま す 。 これ を こ の地 方 で は あ ご ︵ 飛 番 の秀 句 で し た 。 き 、 同 時 に ト ビ ウ オ が 風 に 乗 って来 ました 。 に な った 平 戸 の皆 さ ん に感 謝 し 、 後 け て詠 ん だ そ う です 。 ま た 、 お 世 話 から 三番 ま で のお寺 を 元気 に歩きま 下 の中、 四国 八十 八箇 所 巡 り の 一番 初 日はお 遍路 の作法 を 習 い、炎 天 した 。 伝統文 化 を 継 承す る大切さを学び ま と の交流 の場 が 設けられ、参加者 は 見学後 、 阿波 人 形浄瑠璃振興会 員 魚 ︶ 風 と 言 いま す が 、 彼 は そ れ に 掛 ろ 髪 を 引 か れ る気 持 ち を 込 め た そ う した 。徳島市 内 で 一泊 し、 翌 日は徳 島 県立 阿波十 郎兵衛 屋敷 を訪 ねま し た。 ここは ﹁ ととさ ん の名 は∼﹂ のせ りふ で有名 な ﹁ 傾城 阿波 の鳴 門﹂ の モデ ルとな った板東 十 郎 兵 衛 の屋敷 ロータ リー囲碁 同好会 ︵ GP FR︶主催 ﹁ 第 一六 回 ロータ リー 選、午 後 に決 勝、 お よび プ ロ棋 地区補助金 ︵ 口い 三舞 03二じ ロータリー財団の使命 に当 ては まる活動を支援するため、地区に 一括 で支払われる補助金 です。地 区は年 に 一回、地区補助金を受領 し、奨学金や職業研修チーム ︵ V TT︶ の派遣、奉仕活動 の支援、 災害救援、地元や海外 での奉仕事 業 に使う ことが できます。 AED ︵ 自動体外式除細動器︶ け いれんし、血液を流すポ ンプ 機能を失 った状態 ︵ 心室細動︶ の 心臓に電気 ショックを与え、正常 なリズムに戻すための機器 です。 円 ︵ 懇親会、 昼食 、賞 品など を 〇 三︱ 一 一 一 四 五 二︱ 〓 ハ五 一しま し て いる大会 ですが、東京 開催 希望者 は、地 区 ・ク ラブ ・氏 は 一二年 ぶ り です 。 三ク ラ ス、 名 ・段級位 ・連絡先 の フ ァク ス 計 時 制 、こみ六 日半 で、午前 に予 番 号を 明記し、同会 日本 支部 ︵ 剛 韓 国 と台湾 と の持ち 回り で開催 階 大 ホ ー ル で開 催 し ま す 。 第 含 む ︶。宿 泊 は 開催 前 後 二泊 を 二五八〇地 区 第 二七 五〇地 区 前提 に、会場 近く のホ テル ・ア と 共催 、 ホ スト ・ 東京 R⊂。毎年 、 ルカデ ィア市 ヶ谷を会 員割 引 で ご用意 でき ます 。 国際 囲碁 大会﹂ を、 五月 一六 日 に 東 京 ・市 ヶ谷 の 日 本 棋 院 二 ご家 族 の参加も歓迎 します 。 締 め切りは 三月 一六 日。定 員 一〇 〇人 。登録料 一万七〇 〇〇 G P F R 国 際 本 部 会 長 石 呈 升 自 ヽ日日 第 一六 回 ロータ リー国際 囲碁 大会 に ご参加 を です 。 ︵ 中野浩 。記︶ 阿波人形浄瑠璃見学 の旅 本 巣 ロータリ12 フブ 第 二六 三〇地区 岐阜県 当 ク ラブ では文化財 保護 委 員会 を 設け 、 長年 にわた り地 元 の伝統文 化 など を支援 し て います 。 今 年 度 は、 本 巣 市 真 桑 地 区 で 三〇 〇年 の歴史を持 つ、 国指 定重 要 無 形 民俗 文 化財 ﹁ 真 桑 人 形浄 瑠 璃 ﹂ を伝 承す る真 桑文 楽保存会 の子ど も た ち を、徳 島 県 のお遍路体験 と 同 じ Annotation 士 によ る多 面碁を行 います 。参 でお申 し込 みくださ い。お 問 い 加 は メ ー ク ア ップ にな り ま す 。 合 わせも フ アク スで。 〈3055 ロータリーの友 2月 号 平成 27年 文 化 財 に指定 さ れ て いる ﹁ 阿波 人 形 浄 瑠 璃 ﹂ 見 学 の旅 に招 待 し ま し た 。 人形の使 い方を見学する子 どもたち ロータリー アントワーク ク ラブ では これ を支 援 し、倶知安 町 たす﹂が 展開 ・運営 し て います 。当 NPO法 人 いき さ れ、 北海道 では ﹁ N PO法 人 カタ リバ ﹂ によ って開発 し よヽ つ。 家庭﹂ と い っても い いで て施 設 は ﹁ た ちが 生 活 し て います 。彼 ら にと っ った 二∼ 一八歳 ぐら いま で の子ど も 理由 に、家 族 と 一緒 に暮 ら せな く な や りた い﹂ と 願う 同協会 の鍵 山雅夫 後 の不安 を解 いて生 活 を豊 か にして が 、 予算が 足 りま せ ん 。彼 ら の卒業 自 分を見 つめ直す場が ほし いのです ﹁ 同じ境 遇 の若 者 た ちが 触 れ合 い、 となり、会 場 のホ テルから見 る月は 台 風 一八号が 接 近 し嵐 の前 の晴 れ 間 食が 重な った 日 でした。句会当 日は 句会 前 日 の八日は十 五夜 と皆 既月 て いる先生 にお 願 いしました 。 の﹁ カ タ リ場 ﹂を主 催 し てきま した 。 バ イ スを受け て いま した 。 加 し、数 人 のグ ループ で車座 にな っ て、大 学生 たち の経験 を聞き、 アド 安農業 高校 の 一∼ 二年生 五二人が 参 いう と夢が 膨 ら みますが 、 現実 はそ 強 いら れ るわけ です 。若者 の自 立 と 待 でき ま せ ん。 いやが応 でも自 活 を 養 育が 困難 な親 から の支 援 は 一切期 は、 高 校 を卒 業 す ると 就 職 し ま す 。 ち は熱心 に耳を傾 け て いま した 。 さまざ まな アドバ イ スに、高校生た 験 を踏 まえた、社会 生 活 に向 け ての さ つの後、グ ループ 討 議 。会 員 の経 交流会 では、 岩鶴 密雄 会 長 のあ い 分 の句 を 詠 み 上 げ る と いう 次 第 で れ る司会 で和 や か に進 み、各 人 三句 ず つ、 ﹁ 整 いま し た﹂ と 言 って、 自 村節 雄親睦 委 員長 の ユー モアあふ こう こうと 照 り 、海峡 を挟 んだ 海 に ま た、倶知 安 高校 では、札幌 や旭 んな生 易し いも のではあ りま せ ん 。 鍵 山会 長 は後 日、 当 ク ラブ 例会 で す 。お酒 も 入 り、皆さ ん力 のこも っ 会 長 の要請 を受 け、 当 ク ラブ は前回 川 の大 学 に進 学 し た卒業生 一二人を 今 年度 も 三重 県児童養護 施 設協会 子ど も た ち は同じ境 の卓 話とし て ﹁ た良 い作 品ば かり で、中 には笑 いを 施 設 で 暮 ら す 子ど も た ち の多 く 招 き、大 学生 活 など に ついて話 し て 高校生交流会﹂が 八月 二七 によ る ﹁ 遇 の友 人 を 作 る こと が でき ま した。 誘う句 もあ り、 また思わず ウ∼ ンと 当 日は道内 の大 学生 二五人と倶 知 卒業 生 と 語 り合 う△ご を開 もら う ﹁ ∼ 二八日、津市 の錫杖湖 畔 にあ る錫 施 設職 員 以外 の大 人 と の交 流が 、参 うな るよう な秀 句 もあ り、誠 に和気 ゆ ら ゆ ら と 揺 れ る 月を 見 なが ら の 一年生 一五〇 人が 一〇グ ループ 催。 杖湖 水 荘 で開かれ、来春 卒業 を控 え 加 の高校生 はも とよ り、 施 設 スタ ッ あ いあ いのう ち に終わ りました。 の開催 から支援 し て います 。 に分 かれ て、大 学 生 の話を真剣 に聞 た 県 内 一二施 設 の高 校 生 ら 一六 人、 フにも新鮮 で、本当 に笑 顔 の絶 えな この日は森 憲 二会 員 の送別会 も兼 ました 。 ⋮⋮、 そんな 環境 の中 で執 り行われ いて いま した 。 施 設 スタ ッフ 一九 人、 そ し て当 ク ラ 高校 の支援 事 業 は今 年度 で最後 と い有 意 義 で充 実 し た 交 流 会 でした﹂ と報告 し て いま した 。 観月俳旬会 を教 え ると とも に、 俳 句 を趣味 にし きま した 。句会 の選者 は地 元 で書道 グ ラム の 一つであ る観 月俳 句会 を開 ク ラブ では 一〇 月九 日、年 間プ ロ 第 二七 四〇地区 長崎県 π 〓月ロータリークラブ ︵ 増田冬樹 ・記︶ ブ 会 員 三 二人が 参加 しま した 。 な りますが 、 今 後 は これま でに培 っ 倶知安 版 カ た も のを 素 地 と し て、 ﹁ タリ場﹂ を地 元 の関係 団体など と協 力 しなが ら模 索 し て いき た いと考 え て います 。 地 元福祉施設 の 高校生交流会を支援 嘔 澤ロータリークラブ 二重 県 第 二六 三〇地 区 一 児 童 養 護 施 設 に は、 災 害 や 事 故 、 親 の離 婚 や 病 気 、 そ し て虐 待 な ど を グループ討議を行う参加者たち 2015 VOL.63 NO.2 TOMO NO― THE ROTARY― 50〈 291 ARYAT WORK 「 句会 力作がそろ つた、観月僣卜 ロータリー フリトワーク ROTARYAT WORK 流 三〇 周年 を 記念 し、 サ ンパ ウ ロF Cからト ロフ ィーが 贈 られま した 。 そ のト ロフ ィーを懸け て昨年九 月 二〇∼ 二 一日、 ク ラブ 主催 の ﹁ サン パ ウ ロF C 友 好 カ ツプ サ ッカ ー 大 会﹂ を 開催 。今 回は残念 なが ら、旅 費 や滞在 費 の関係 でサ ンパ ウ ロFC のジ ュニアチー ム の来 日はあ りま せ ん でしたが 、 山 形 県や岩 手県、宮城 県 から 一二チ ー ムが 参加 しま した 。 当 日は晴 天 に恵 まれ 、芝生 のグ ラ ウ ンド で 三県 の子ど もたちが 伸び 伸 び と試合 を行 いま した 。地 区補 助金 を利 用し て購 入した テ ントを、試 合 中 のチー ム の待 機 場 所 に設置したと ころ、 日陰 が でき て体力 の消 耗が 少 し て の活動 も行 いま した 。会 員 は そ ろ いのオ レ ンジ 色 のウ イ ンドブ レー カ ー に身を包 み、参加 チー ムや そ の 保 護 者、 会 場 に 足 を 運 ん でく れ た 人 た ち に ポ リ オ 撲 滅 を 訴 え、 募 金 一万 八七七 二円を集 め る ことが でき ま した 。 ま た、 ク ラブ 会 長 の永 井 俊 一医師 が A ED ︵ 自動 体外式除 細 動 器︶ や 応 急 処 置 のセ ツトを持参 し て救 護 班 と し て待機 しま したが 、 子ど も 二人 な 事故 はなく、無事 に大会 運営が で 二六 人が楽 しく 優 しく指導 し てくれ 分 け、 伯 和 ビ ク ト リ ーズ は 全 選 手 か ら打撲 の相談 を受 け ただ け で大 き き ま した 。 スタ ツフや保護 者 から は ま した 。 子ど もた ちが球場 を 元気 に ﹁ カ タ リ場 ﹂開催 ブ 倶知安ロータリ12フ 第 二五 一〇地区 北海道 ク ラブ では 二〇 一一一 ︱ 〓 二年度 か ら 三年 の予定 で、地域 で学業 に励 む 青 少年 の自 主 o自立 を支 援す る こと を主 眼と し、倶知安 町内 にあ る 二 つ の高 校、 倶知安高校 と倶 知安農業高 校 を支 援 し てきました 。 今年 度 、 倶知安農業高 校 では 一〇 第 二回カタ リ場﹂ を 開 月 一四日 に ﹁ 催 しま した 。 ﹁ カ タ リ場 ﹂ と は、 高 かな か相 談 できな い進路 の悩 みに つ 校生が 親 や先 生 、また は友 達 にはな 素晴 ら しく、生 き生 きと輝く姿 を見 リ ーデ ー﹂ とし て小学生 を対 象 と し ク ラブ では九 月 一五日、 ﹁ロー タ リーズ の フ ァンにな った こと でし ょ 子ど もたち も保護 者 も、伯和ビ クト き で格 好良 く 見 えま した 。参加 した に相 談 し よ う と いう も の で、 ﹁ 認定 いて、年 齢的 にも近 い現役 の大学生 せんが 、地 元 の社会 人たち によ る伯 そし て、プ ロ野球 選手 ではあ りま 私 たち会 員 も 元気 にな ります 。 ると、 走 り回り、泥 ん こにな る姿 はや はり 万が 一の時 も安 心、 と好 評 でし た 。 ロータリー野球教室 西条 ロータリ12 フブ た ﹁ロータ リー野球 教室﹂ を 開催 し う。 子ど もた ちだ け でな く、私たち 和ビ クト リーズ の選 手が と てもす て ま した 。開催 テー マ ﹁ 野球 を通 し て 会 員も 、選手 も、 みんなが輝 いた 野 ﹁ 野球 を 通 し て 子供 た ち に輝 き 子供 たち に輝 き を﹂ の下、 地 元 の社 ビ ク ト リ ーズ の選 手 の協 力 を 得 て、 を﹂ を体 現し、素 晴 らし い社会奉 仕 球教室 でした 。 野球 の楽 しさと魅力 を 伝え ま した 。 が でき た のでは、 と 思 って います 。 会 人 野球 チームと し て活 躍す る伯 和 第 二七 一〇地区 広島県 真剣な表情で指導を受ける少年たち ︵ 廣幡勝祐 ・記︶ 当 日 は 地 元 の小 学 生 六 〇 人 が 参 加 。学年 と レベ ルに応 じ てチー ムを 打ち解けた雰囲気の中で、進路相談 〈2857 ロータリーの友 2月 号 平成 27年 な い、と大 好 評 でした 。 大会本 部 の 一角 に ロータ リー のブ ー スを 設 け、 ﹁ロー タ リ ーデ ー﹂ と 寄贈 したテン トが大活躍 したサッカー大会 ロータリ… アントワ…ク 六 ク ラブ の思 いを 一つに実 行 六 〇 人が 応援 に駆け つけ、ポ リオ撲 アと し て参 加 。毎 年、選 手 の支 援 、コ 当 ク ラブ は第 一回からボ ラ ンテ ィ ャ ツチ フレーズ は ﹁ 走 る人 にあ りが アや地 元 の人 から の声援 。大会 のキ し てくれ る のが 、多 く のボ ラ ンテ イ に勇気 と 元気 を与 え てく れ る。そ こ 滅 も訴 え る こと で ロータ リー の公共 ー ス管 理 のほか、完走 でき な か った と うL支え る人 にもあ りが とう﹂だ 。 一〇〇キロ屑 の部、六 〇計 厨 の部 に分 イメージ 向 上 を 図 った 。 ラ ンナ ーにねぎ ら いの気持 ち と 再挑 支 え る人﹂ から ﹁ 走 当 ク ラブ には ﹁ 員数 が 八 人 と 少 な いた め、ワ サ ﹂数 年 今 回 の ツーデ ー マー チは秋晴 れ の リタ イア 戦 への期待 を込め て渡す ﹁ る 人﹂ に転 身 し た 人 も 何 人 か いる。 から川 に沿 って下 って いき、 風景 に 好 天にも恵 ま れ、全 国各地 から 二日 タ オ ル﹂ の寄贈 を続 け てき た 。 二〇 支 え る人 ﹂ 今 回 は 一八人 の会 員が ﹁ か れ、 四万十 川沿 いを 駆け抜 け る大 第 湖 周辺を 二日間 かけ て歩 く大会 ﹁ 間 で約 一二〇 〇 人 が 参 加 し、 五 ∼ 回 目 の節 日とな る今 回、実 行 委 員会 は第 九グ ル ープ が 支 援 し てき た 。︿7 二七 回北海道 ツーデ ー マー チ﹂が 開 四〇キロ厨 の各 コー スを歩 き、心地 よ と感動的な時 間を共有 できた 。 溶 け込 んだ 沈 下橋 を渡 リゴ ールを 目 催された 。当地 区第九グ ループ に所 い汗を流 し て いた 。会 員がゴ ー ル付 ボ ラ ンテ ィア表 彰 ﹂ を 受 け、 から ﹁ 会 員 一同、今 後 も大会 を支 え る 一助 当 ク ラブ は 二〇 一三年 の創立 五〇 会 は、今 回 で 二〇 回目。今 や幡 多路 R 属す る、 伊達 ロータ リ ー ク ラブ ︵ 分 厚 い金 属 近 で、ダ ツチオ ーブ ン ︵ とな って いくた め の励 みと な った。 森づ く り﹂事業 への支 周年 を機 に ﹁ 指す 。そ の間、 ラ ンナ ー の背中を押 C︶ と室蘭 RC、室 蘭 東 RC、室蘭 製 のふた付 き 鍋 ︶ で焼 いたジ ャガ イ 清 大 会 の魅 力 は 何 と い っても 、 ﹁ 援 も始 めた 。 これらを大 きな柱と し て、地域 に根差 した奉 仕活動 を幅広 のシ ンボ ルとな って いる。 北 RC、登 別 R C、 洞爺 湖 RC の六 モと ニンジ ンに北海道産 のバ タ ーを 流 四万十 川﹂ と の出合 い。 スタ ⋮ト 回は ﹁ロータ リ ーデ ー﹂ とし て実施 し、第 九グ ル ープ 各 ク ラブ から延ベ ク ラブ では、会 員が 協 同 で地 元産 の 添 え、 オ ニオ ン スープ とと も に差 し し てから約 二〇計 肝続 く、 閉ざ され く 展開し て いきた いと考 え て いる。 地区第九グループ ジ ャガ イ モと ニンジ ン、 オ ニオ ンス 出す と、完 歩 した参加者 から笑 顔が た 山 間地 を越 え ると、 日前 に 四万十 し てもら った 。 九 月 一三∼ 一四日、 北海 道 の洞爺 第 二五 一〇地区 北海道 ープ を提 供 し、 参加 者 の疲 れを癒 や 返 ってき た 。会 場 ではポ リオ撲 滅 の 川 の大パ ノ ラ マが 広が り、 ラ ンナー を訪 れ て います 。 二〇 一三年 には交 カカ選手も、ジ ュニア時代 に最上 町 ンのレ アル ・マド リ ード に在籍 した す 。イタ リ ア のA ⊂ミ ラ ンや スペイ 一九 八 三年 か ら 交 流 を 続 け て いま ツカ ー チ ー ム ・サ ンパ ウ ロF C と 山形 県 の最上 町は、ブ ラジ ル のサ 第 二八〇〇地区 山形県 最 上 ロータリ12 フブ サ ンパウ ロF⊂友好 カ ップ サ ッカー大会 と し て、全 国から集 ま った老若 男女 この活動 は毎 年、 洞 爺湖 RCが社 ポ リ オ のな い世 募 金 も 呼 び か け、 ﹁ 界ま で﹃ あ と少 しヒ ヘの理解 と協力、 支援 を求 めた 。 ︵ 室蘭東RC 富田孝夫 ・記︶ 走 る人 、 支 え る人 にも あ りが と う ブ 中村ロータリ12フ 局知県 第 二六七〇地区 一 ﹁四万十 川 ウ ルト ラ マラ ソ ン﹂ が 一〇 月 一九 日、 絶 好 の秋 晴 れ の 下、 約 二 二〇 〇 人 が 参 加 し て行 わ れ た 。 気持ちのよい川沿いのコースを走る参加者 2015 VOL.63 NO.2 THE ROTARY― NO■ OMO 58〈 271 会奉 仕事業 と し て行 って いるが 、会 ジャガイモなどを焼いて提供 ロータリー アントワーク ロータリークラブならび に 地 区 の活 動 を 紹介、6 0 0 字 以内 。関 連 写真 が あ れば 添付 し てくだ さ い。 ジ ョギ ング クラブ 能古島 で練習会 地 区 ロータ リ ー ジ ョギ ング ク ラブ 第 二七〇〇地区 福岡県 二〇 一一年 三月 一二日 に全線 開通 した九州新幹 線、 これ を記念 し て福 岡、熊本、鹿 児島 の ロータ リ ア ンが 集 まり、福 岡からタ スキ リ レー で鹿 児島 ま で三 二〇計 厨を走 る こと にな も盛大 なパ レード とタ スキ リレーが タ スキを渡 しま した 。 翌週、熊本 で キロ肝を担当 し、無 事 に熊本 チー ムに 福 岡 の博多 駅から大 牟 田市 ま で九〇 が 集 まり、 同年 二月 二六 ∼ 二七 日で 複数 のク ラブ の会 員が 集ま る こと ベ キ ューなど を楽 しみま した 。 岡 西RC のメ ンバ ー のお世話 でバ ー 博 多湾 に浮 かぶ 能 古島を 一周し、福 バ ー の担 当 で 一〇 月 五日 に集 ま り、 昨年 は博多 イブ ニング RC のメ ン りました 。福 岡 では地 区 のラ ンナー 行 われま したが 、 最終 の鹿 児島 では 月中 で ﹁E N D P O L ツを 着 て、北 が 流 ち ょうな 日本 語 で話 しかけ てく で いろ いろな情 報交換 も でき、練 習 当 ク ラブ 自 転 車 部 は 一〇 月 二六 日、 ﹁ 瀬 戸内 し ま な み 海 道 ・国際 サ 第 二七六〇地区 愛知県 の境 ロー タ リ ー ク ラブ が お 世 話 し ポ ロシ ャツを見 て、一人 の外 国人 た。 と き ご を P R し な が ら の走 行 で し 今 こそポ リオ撲滅 の 10 N O W ︵ 茨城 県︶ れま した 。 第 二八 二〇地 区 ︵ 会 や懇親 会 は各 ク ラブ で持ち 回り に イクリ ング 大会 ﹂ に参加 しました 。 て いる ロシ ア出身 の米 山奨学生 でし ます 。 こうした交流が ロータ リー の 実施前 日 の三月 一一日に東 日本大 震 今 回は瀬 戸内 海 国立 公 園指定 八〇 た 。 思 いが けな いと ころ で国際交 流 しかし、 そ の後 この事業 で集 ま っ し てお り、毎 回違 った楽 し みが あ り 周年 、瀬 戸内 しま な み海道 開通 一五 も でき 、 ロータ リ ア ンとし てう れ し 良 さ のよう に思えます。 △バ費 もなく、 災が 起き、 イベ ント は中 止 にな って 周年を 記念 した大 会 で、 私たちが 参 た当地 区 のラ ンナ ー仲 間 でジ ョギ ン 瀬 戸内 の素晴 らし い景色 と、沿 道 い出 会 いの時 間とな りま した 。 ら広島 県 の尾道市 ま で、 通行止 め に から の応 援 、安全 を見守 りなが ら声 グ ク ラブ を作 り、年 に 四回程度 の練 した高速道 路 ︵ 四 三計厨︶ を含 む約 援 を 送 って く れ た ボ ラ ン テ ィ ア の 全 国 の走 る ロー タ リ ア ン の皆 さ 走 った り歩 いた りし て懇親会 で楽 し む、 こんな誰 でも参加 でき る ロータ 六 五キロ肝 を 走 行 す る コー ス でした 。 方 々 に感 謝す るととも に、自 転車 部 博 多 イブ ニング R C、 太 宰 府 R C、 き です 。 ︵ 福岡中央RC 江口裕 。記︶ ご連絡 は 甲ヨ艶 ¨こ︵◎﹃ 一 QNNog Oへ。 参加 し て います 。 属す る福 岡中央 RCから ラ ンナーが R C︶、 福 岡東 R C、 福 岡 西 R C、 ︵ 現在 は福 岡城東 ロータ リーク ラブ 習会、懇親会 を続 け て います 。 大会 参加約 七 三〇 〇 人 のうち外 国か と し て大 変 思 い出 に残 る大会 とな リ ん、当地 区 へも走 り に来 ませんか ? リージ ョギ ング ク ラブが 、私 は大好 らも六 〇〇 人 ほど 参 加 し、盛大 に行 甘木 RC、宗 像 RC、 そ し て私 の所 ︵ 成瀬文和 ・記︶ と にも感 謝 し て います 。 ま し た 。全 員が 無事 に完走 でき た こ 私たち は全 員、 抹茶 色 ︵ 西尾市 は ジ ョギング前の準備を行うメンバーたち しま いま した 。 おそろいのポロシャツで大会参加 われま した 。 加 した のは 四国 ・愛 媛 県 の今 治市 か 西 尾 ロータリ12 フブ ポ リオ撲滅 PR i nしまなみ海道 Att WORK 日本 有数 の抹茶 生 産地 ︶ のポ ロシ ャ 〈2659 ロータ リーの友 2月 号 平成 27年 文章編 ROTARV AT WORK ペ タ ン ク 大 会 で ﹁E N D P O L l O N O W﹂ ︿ 甲府北 RC﹀ N D P O L i O N O W ﹂ の のぼ 山梨ペタ ンク連盟と の共催 で ﹁ 甲府 北 ロータリー旗争奪ペタ ンク大会﹂ を開催 。同連盟会 員やク ラブ会員、 家族など約 100人が 1チーム3人 に分かれ熱戦を繰 り広げ た。 アメリ カ 。オ ハイオ州から の青少年交換学 生キ ラ ・ア ン ・シ ュミ ツトさんも参 加 し て交流を深めた 。会場 では ﹁ E の 成 長 ︿一 示都 洛 西 R C ﹀ りを 掲 げ 、﹁ロー タ リ ー ク ラブ を知 っ て いま す か﹂ と いう パ ン フレ ツトも 配布 した 。 0 9 ︵ 1 月 1 日 第 2 6 2 0地 区 山 梨 県︶ も み ん な で守 ろ う 子 ど ロータリーデ ー の活動とし て、クラ ブ主催 で会 員と家族 、京都洛 西RA ⊂と花園高等学校 IACメ ンバ ー、 幼稚園 の関係者が参加 し ﹁ みんな で 守 ろう 子供 の成長 !﹂ の横断幕を掲 げ てパ レードを行 った。晴 天に恵ま れ て大勢 の観光客が行き交う中、イ ンター アクターたち のブ ラ スバ ンド を先 頭に山紫水明 の嵐山を行進、 子 ども の健全育成 への支援を訴えた。 ロータリー の広報ビ ラや 風船、花 の 種も配 った。 8日 第 26 5 0地 区 一 ︵ 9月 2 示都 府︶ 地域 への奉仕活動と貢献 ︿ 川崎幸 RC﹀ 0 8 9 1月 1∼ ︲日に開催された川崎市幸 区 の﹁ 幸 区 民祭 ﹂ で、社会奉 仕委 員会 の 計 画 の 一環 で献血活動を実施 。他 の場 3回日とな る。年 々 所 での実施 も含め 3 協力者が 減少 し、今 回は赤十字社 から 血液が大変 不足していると いう事情 も 聞 い て いた の で、 会 員 総 力 を 挙 げ て 行 った。 会 員 の孫 た ち の手 伝 いも あ 3人 の協力を得た。協力 り、受付数 で4 者を募 る こと の大変さ、献血 の大切さ を痛感した 一日とな った。 0月 8日 第 2590地 区 神 奈 川 ︵ 1 1 県︶ 化女沼清掃活動と 古 川東 R C﹀ バ ー ベ キ ュー ︿ 地 区 内 の ロー タ ー ア ク タ ー 二十 数 人、 古 川東 R Cが 世 話 ク ラブ を務 め る中 国出 身 の米 山奨 学 生 ・麗岩 ︵ カ 、 ム 5 で ク ・ガ ン︶ さ ん、 会 員 1 人 ラ サ ー ル条 約 登 録 の湿 地 ・化 女 沼 ︵ け じ よぬま ︶ の清 掃 活 動 を 実 施 。秋 空 mの沼 の周 り の、 空 き の下、 1周 4 k 缶 や 紙パ ック など の ごみを 拾 い集 め てき れ いに し、渡 り鳥が 気 持 ち よく 寄 れ る よ う に し た 。 そ の後 全 員 で バ ーベ キ ュー 。ホ タ テ、イ カ、牛 肉、 豚肉 、 野菜 など を焼 き なが らビ ー ル で乾 杯 。 ロータ リ ア ンと若 い人た ち が 楽 しく談 笑 した 。 0 月 5 日 第 2 5 2 0地 区 宮 城 ︵ 1 県︶ ロータリーク ラブ奉仕活動 を カラー写 真 で紹介﹁ 写真 と 150字程度 の説明 文﹁必ず活動日を入れてくださ い。記念 写真 ︵ 集合写真︶は掲載 できません 。 2015 VOL.63 NO.2 TOMO NO― THE ROTARY― 感③〈251 献肇 ロータリー フリトワーク ARY AT WORK 親 子で久住山登山 ︿ 臼杵中央 RC﹀ 機 強腱 沼 今 年度 の地 区補助金対象事業とし て、 自 杵 市 内 の小 学 生 と そ の保 護 者 を 募 くじ ゅうさ ん︶ り、大 分県 の久住山 ︵ 登山を行 った。大分県玖珠 郡九重 町 の 牧 ノ戸峠 から登り始め、登山協会会 員 で も あ る ク ラブ 会 員 の先 導 で、 標 高 1786 ・5 mの頂上を 目指 した。途 中、 足元が 悪 い部分もあ ったが 、無事 登 頂 できた。 ︵ 9月 7日 第 2720地 区 大 分県︶ 中学生 にビジ ネ ス マナーを ︿ 佐久 RC﹀ 地 区補助金を活 用したプ ロジ エクト の 、 一環 で、 0 1月7日 佐久市立浅間中学 校 2年生 220人を対象 にビジネ ス マ 4日には会員0 ナー の解説本を寄贈 。 1 1 人が 同校 に出向き、社会 人とし ての基 礎 知 識 など を 2年 生 に レク チ ャー し 6∼ 7日に市内外 の事業所 た。生徒 は 1 ︲ で就業体験を実施 予定 で、そ の前段階 として社会人とし て の マナーや知識を 学 ん でも ら お う と 行 った も の。 レ ク チ ャーは市内 5か所 の中学校を対象 に 0 ﹁ 青少年啓発プ ロジ ェクト﹂とし て1 年前 から行 ってお り、今後も継続 予定 であ る。 ︵ 第 2600地 区 長野県︶ 児童姜護施設 の国庭整備と屋外 テーブ ル寄贈 ︿ 東京豊島東 RC﹀ 秋晴れ の日曜日、児童養護施設 。錦華学院 の地域交流イベ ン ト に向 け、 地 区補助 金 を活 用した支援プ ロジ ェクトを行 っ た。広 い園庭 の整備作業 は地 元のシルバ ー人材 セ ンターに依 頼し、高齢者 の雇用機会 の創出 にも寄与。園庭中央 に寄贈 ・ 設置した真新 し い屋外 テーブ ルは、 子ど もたち の明る い笑顔 と笑 い声 に包まれた。 0 2 ︵ 1月 1日 第 2580地 区 東京都︶ かぬま外国人日本語 スピ ーチ大会 ︿ 鹿沼東 RC﹀ か ぬ ま ワー ルド 鹿 沼市 国際交 流 協 会 主 催 ﹁ かぬま外国 フ ェステ ィバ ル﹂ の協賛事業 で ﹁ 人日本語 スピ ーチ大会﹂を開催 。ブ ラジ ル、 イラ ン、 スリラ ンカ、 アメリカ、ベトナ ム出 身 の5人が流ち ょうな 日本 語 でお国自慢を ス ピ ーチ。経済発展 の進む国、まだ発展途上 で 自ら支援事業をし ている国など お国事情 はさ まざまだ ったが、日本 に暮 らし て いるから こ そわかる日本 のよさ、 母国愛 、母国 のよさを みな 再認識 し て いるよ う だ った。 ク ラブ の ブ ︰スでは ロータリー の奉仕活動 の記録を展 示し来場者 に紹介した。 0月 6日 第 2550地 区 栃木 県︶ ︵ 1 2 (2461 ロータリーの友 2月 号 平成 27年 ロータリー フツトワーク AT WORK ︿ 神埼 RC﹀ 広島土砂災害被災地 への 復興支援バザ ー開催 2014年 8月に発生 した広島 県 で の集 中 豪 雨 に よ る大 規 模 土 砂 災 害 を 受 け、 ク ラブ で は 被 災 地 の復 興 支 援 を 目 的 に バ ザ ーを開催した 。売 り上げ の総 2 万 4 3 2 円 と な り、 第 額は1 2740地 区ガバ ナー事務所 を 通じ て、義援金を寄付した 。 0月 5日 第 2 7 40地 区 ︵ 1 佐賀県︶ 九州初 のEクラブ 誕生 ︿2 7 3 0ジ ャバ ン カ レ ント ロー タ リI Eク ラブ﹀ 5番 目、 ロータリI Eク ラブ で 地 区で6 は九州初 の ﹁ 2730ジ ャパ ンカレ ン ト ロータ リI Eクラブ﹂ の認証状伝達 式 を 1 0 0人超 の来 賓 出 席 を 得 て開 催。式典 では東岳也会 長が ﹁ 会 員 一人 ひと りが ロー タ リ ー の こと を 深 く学 び、知識を蓄 え、そ のことを会員 の親 睦 によ って実践す る力 を、全 員 一丸と な って養 っていきた い﹂ と決意表明を 述べた。懇親会 では ロータ ー アクター が 神 話 の神 々 に扮 ︵ ふ ん︶し て の舞 台 劇、都城北 R⊂会長 のト ラ ンペ ツト演 5人 の創立会 奏など で盛 り上が った 。 2 員にと って思 い出深 い式典 とな った。 0 ︵ 1月5日 第 2730地 区 宮崎 県︶ 座禅 例会 で修行 ︰ ︿ 別府 R⊂﹀ 会員が 住職を務める禅寺 ・曹洞宗 太 平山海雲寺 で、職場例会 ︵ 座禅 例会︶を開催。参加会員 みんな で 0分間 の座 精進料 理を食 した後、 2 禅を行 った 。手を合わせ ては警策 で肩を打たれ、半珈 ︵ はんか︶ で 足を組 んだ にもかかわらず 、最後 には足が しび れ、汗が噴き出 し、 ま った く修行が でき ていな いこと を露呈した会員も多か った。 0 0 ︵ 1月 1日 第 2 720地 区 大 分県︶ 絵 画展 ︿ 東一 示新宿 RC﹀ 小学 1年生 の花 の栽培と 新宿 区内 の小学 1年生 に花 の種を贈 り、花 の栽培を児童 の情操教育 の 一 助とす るプ ロジ ェクトを 3 1年継続 し ている。今年度、自ら開花させた花 0点 の応 の絵を募集したと ころ、約 9 募 が あ った。 例会 場 の ハイ ア ツト リージ エンシー東京 の協力 で絵 画展 を開催し、教育委員会をはじめ多く の家族などが 小学 1年生 の初 々し い 日でとらえた絵を鑑賞した。 ロータ リー の青少年奉仕活動 の地域 理解促 進 にも つなが った。 0月 1∼ 0日 第 2 5 8 0地 区 ︵ 1 1 3 東京都︶ 2015 VOL.63 NO.2 THE ROTARY― NO― TOMO 轟我〈231 ロータリー アントワ ク AT WOttK ボ ラ ンテ ィア見本市 で 盲導犬体験事業 第 2770地 区 埼 玉県 川 ロ モ ー ニ ング ロー タ リ ー ク ラブ 0月 9日、 ﹁ 第3 雲 一つな い晴 天に恵 まれた 1 1回ボ ラ 1 ンテ ィア見本市﹂が埼 玉県 川 口市 内 の公園 で開催さ れ ま した 。川 国市が 日本 一のボ ラ ンテ ィアの街 を 目指 し て2 002年 から 開催 し て いるイベ ント で、 川 ロモー 公財︶ アイメ イ RC︶ は ︵ ニング ロータリーク ラブ ︵ 盲 導 犬 ︶体 験 事業 を ト 協 会 と と も に、 ア イ メ イ ト ︵ アイメイト協会 で 2 0 03年 から実施 し てお ります ︵ アイ メイト﹂と呼称 は同協会 所属 の盲導犬 のことを ﹁ し て います︶ 。 今 回も 子ど もたちを中 心 に 100人を超 え る参加者 が 、 アイ マスクを着 け、 アイ メイト に手を引 いてもら い、実際 に仮設 コー スを歩 きます 。 健 常者 にと って通常 の歩行速度 でも、 目が 見えな い 状態 ではと ても速 く感 じ、多 く の参 加者が 普段と の違 、 いに驚きます 。たく さ ん の人 々が 行 き交 う街中 で 人 の流 れ に沿 って安全 か つスムーズ に歩 行 でき るよう 訓 練 さ れた アイメイト は、本当 にす ご いと、あらため て 感 心 します 。 7月には アイメイト協会所 属 の盲導 犬が 電車 の駅付 、 近 で刺さ れたと みら れ るけが を した と いう あ っては な ら な い事件が報道 されましたが 、 川 ロモー ニング R 、 盲導 犬 への理解 ・認知 のため の活 動 を続 け て いき こ のような ことが 三度 と起 こらな い、 障が い者 や動物 に 鈴木孝佳 ・記︶ 活動 に励 ん で いきた いと 思 います 。 ︵ と っても優 し い社会 を 目標 に、 さら な るボ ラ ンテ ィア Cと し ても この盲導犬 体験事業 を通 し て、よ り 一層 の (2263 2月 号 ロータ リーの友 平成 27年 華 や か に 風 を 遊 ば せ 萩 の寺 愛知・ 名古屋北 吉 田 正克 風 去 る や 秋 蝶 天 へ伴 ひ て 福井南 松 山 古来 コ ス モ ス のど こ か が 揺 れ て 皆 揺 れ て 奈良西 中村 たも つ こ の峡 の 深 さ し じ み 十 三 夜 み 大阪心斎橋 西村 拓夫 小春 日 院 の 退 廊 下 賑 は へ る 大阪ヽ つつぼ 齊藤 隆 二 紫陽花 の 万 の 花 浮 く 間 の景 大阪・ 堺フー ラクス 米 田員理子 虫 すだ き皆既 月蝕 続 き け り 兵庫 ・ 埜F西 村 野 利昭 浅 問 山 ほん の ひと と き 霧 露 れ て 兵庫県。 埜月西 後藤 睦 子 いま に鳴 る 添 水 を 待 ち し し じ ま か な 兵庫県・ 芦屋川 廣瀬 ゆきを 振 り 向 き て小 さ な 秋 に 出 会 ふ 径 兵庫県。 埜戸西 飯山 嘉昭 菊 の香 や 書 展 に 仮 名 の息 づ か ひ 徳島県。脇町 片山 良樹 残 照 の湖 畔 巡 り て 秋 惜 し む 島根・ 松江しんじ湖 三島 通敬 俳 譜 は 日 本 の文 化 文 化 の 日 大分中央 岩男 好員 ご 無 沙 汰 を 詫 び る 墓 前 に 秋 の風 長崎・壬戸 辻 賢治 峠 茶 屋 人 み な 去 り て秋 の 風 埼玉 。日高 犬 竹 功 子 投稿規定 ◇雑詠 ◇クラブ会員、家族 ◇ 一か月に葉書 一人 一枚に三句まで ◇締切日 二0日必着 ◇葉書ウラにもクラ ブ名 ・氏名、電話明記 ◇楷書で明確に ◇ ﹃ 友﹄俳壇係宛 パ ソ コ ンを 開 け れ ば ﹁誕 生 日 お め で と ヽ 2 フ ェイ スブ ツク のお 知 ら せ 届 く 京都西南 池 田 敏 子 も ろ も ろ の家 具 の廃 棄 の山 を見 て 引 越 と いふ脱皮 を 思 ふ 茎泉荒川 井上 久 子 独 立 に わ れ 関 せず と 草 を 食 む ス コ ット ラ ン ド の 羊 に 幸 あ れ 墓泉 新 欣樹 お で ま し の稚 児 行 列 に お て ん ば も や ん ち や坊 主 も よ そ ゆ き の 顔 愛知。碧南 杉浦 保子 塩 屋 崎 灯 台 守 のす ぎ ゆ き を 想 ひ つ つ聞 く け ふ の 波 音 岡山・ 倉敷東 吉 岡 洋子 白 線 は 車 のた め か 人 ひ と り や っと の 歩 道 を 身 を 細 め 行 く 香川。 高松 平峯 千春 石川 ・金沢百万石 石 丸 恭 子 街 角 に 金 箔 の 雪 つり 飾 ら れ て イ ル ミ ネ ー シ ョ ンと と も に煙 め く 齢狙動碑無メ姉饗績林檎園に つ 富山・ 魚津西 加 納 綾 子 く き や か に地 上 を 照 ら す 後 の 月 台 風 一過 の 空 気 も 澄 み て 島根。 出雪 〓 南 小 村 尚 子 妹 の胸 に さ し た る カ ー ネ ー シ ョ ン タ ラ ス で 一人 白 き 花 な り き 福岡イ2 ラグ 守 田 則 一 秋 雲 に の って た ま に は 他 の 人 に 背 を む け な が ら生 き る のも よ し 奈良 寺 田 康宏 投稿規定 ◇雑詠 ◇クラブ会員、家族 ◇ 一か月に葉書 一人 一枚に三首まで ◇締切日 二0日 必着 ◇葉書ウラにもク フ ブ名 ・氏名、電話明記 ◇楷書で明確に ◇ ﹃ 友﹄歌壇係宛 神 様 よ こ の世 の こと も 受 け 付 け て 福岡イ2 ラグ 守 田 則 一 居 残 り か グ リ ー ン の上 の 赤 と ん ぼ 奈良 寺 田 康宏 十 三 年 頑 張 リ リ ニ ア 乗 る つも り 新潟。 吉田 佐藤 良 一 青 色 で世 界 を 照 ら す 和 の匠 北海道・ 斜里 辻 舒宏 告 別 へ人 そ れ ぞ れ の 時 刻 表 高知西 山岡 陸宏 鼻 かぜ も 迂 間 に ひけ ぬ渡 航 歴 埼玉・入間南 大河内 隆散 泉 質 は 手 の 甲 韻 め て確 か め る 京都・ 宇治鳳凰 辻 幸男 タ ッチ よ り こ す る と 言 え ば 呑 み 込 め る 愛知。 豊橋 荒島 一実 くだ ゆ った り と 降 り 楽 し む 老 い の 坂 千葉・ 市川 照井 親資 サプ リ など 不要自 然 食 で過ご す 茨城。旦ユ 港 小松 弘 二 朝 寝 坊 妻 の小声 にサプ リ飲 む 埼玉。入間南 遠藤 好 一 社 員 ゼ ロそ れ でも 私 社 長 です 埼玉・ 行日さくら 小澤 誠邦 肝 機 能 数 値 下 が って祝 い酒 青森・△戸 石橋 敏文 眼 鏡 無 し 還 暦 過ぎ て異 常 か な 大分・ 中津 福澤 廣明 和歌山 o海南 川 上 武 体重計咄嵯に 息 を 止 めてみる 兵庫・ 埜月中 吉井 邦 弘 消 灯 の静 か な る部 屋 月 明 り 授稿規定 ◇雑詠 ◇クラブ会員、家族 ◇ 一か月に葉書 一人 一枚に三旬ま で ◇締切日 二0日必着 ◇葉書ウラにもクラ ブ名 o氏名、電話明記 ◇楷書で明確に ◇ ﹃ 友﹄柳壇係宛 2015 VOL.63 NO.2 THE ROTARY‐ NO― TOMO 稲畑汀子 □ 山茶 花 や散 り てより な ほ華 やげ り 茎示羽田 船 山 博 之 山茶花 はど こにでも咲き誰 にでも親 しまれる 木 の花 で、毎年冬 に花を次 々と咲 かせる。赤 い 花白 い花 は咲 き始 め る のと同時 に散 り始め る。 、 散 ってからも花び ら の色が木 の根方 に広がり 作者 の言うとおり華やぎが広が って美 し い。長 い冬を咲き継ぎ、玄関や門を出入 りす る時 に見 て楽 しめる。身近な花 とし て、誰 にでも見られ る花 として、厳し い冬 の心 の拠 り所 としても親 しまれ ていく。山茶花らし い表現 の秀句。 泥 つけ て角 な き 鹿 の威 を 保 つ 奈良 名 和 佑 介 き︶り。そ 十月 の奈良 で行われる鹿 の角伐 ︵ おじか︶は、何 こで立派な角を伐 られた牡鹿 ︵ となく威厳が失われたよう に哀 れを誘う。その 後、 しばらくた って奈良 へ行 かれた作者 の目に 映 った牡鹿が、体 に泥を つけ て いる のを見 た。 、 角 を伐られた鹿が泥 で汚れ て いる ことが まる で威 厳 を保 って いるか のよ う に見 えた のであ る。強 い牡鹿 の印象 でもあり、鹿 の角伐り の後 の推移が想像される。 こ の辺 も奈 良 町 であ り 柿 た わ わ 奈良 吉 田 淳 海 暮 る る空 に浮 かび て月 の舟 埼玉。川口中央 細 井 善 次 郎 対 岸 へ渡 し の 急 ぐ 初 時 雨 千葉 ・野田 佐 野 浩 平 神六示 川 ・横浜旭 吉 原 則 光 古 書 新 書 神 田 の虜 秋 の暮 佐佐木幸綱 □ の届く日よ 今日はよく﹃終本 る 孫 文 の こと 舞 鶴 港 の こと 茎示ワセダ 福 地 桂 之 助 郵送本 は、 ここでは著者 の寄贈本 のことだ ろ う。知 り合 いの著者が、作者宛 に本を送 ってく れた のだと思う。な つかしく、うれし い気分が 読 める。 孫文 ︵一八六六∼ 一九 二五︶は数 々 の日本人 舞鶴港 は、 と深 い交友関係があ った人物だ った。 戦後 は シベリア抑留などから の引 き揚げ者たち の船が多数帰港 した地だ った。孫文 にゆかり の あ る人、 そし て、戦後 に引 き揚げ てき た人が、 書 いた本な のかもしれな い。 若 き 日 に釣 果 き そ ひし亡 き 友 は 神奈 川 。川崎 西 吉 田 恵 一 棺 の中 で釣 竿 抱 け り 若 い時代から の長 いつきあ いの友人 への追悼 歌。よ っぽ ど の釣り好きだ った のだ ろう。遺族 がお別 れ のとき に、お棺 の中 に愛用 の釣り竿を 入れ、抱かせた のである。 昔 から の友人 の死は、なんとも悲 し いも のだ。 作者 は、しかし、悲 しみの気持ちをそ のまま投 げ出す ことなく、たんたんと客観的 な表現 に徹 す る こと によ って、深 い思 いを 一首 に盛り込む ことが できた。 熊本杢 剛寺 公園 北 里美知子 一刻 を 織 り ゆ く こ と の 楽 し け れ ば 糸 明 か る め に染 め あ が り け り てじま晩秋 □ 赤 エ ンピ ツ近 ご ろ味 方 し てく れ ぬ 大阪西 鴨 谷 瑠 美 子 この句 の作者が男性 であれば競馬、競艇など のギ ャンブ ルを想像してしま いますが、あくま でも、 赤字 の家計簿と闘 っている主婦 でし ょう。 鴨谷 さん、ど うか頑張 ってくだ さ い。き っと、 だ んな︶さんも感謝しておられるでし ょ 旦那 ︵ 七・ 五の定型 に入らぬ う。なお、どうしても五 ・ 赤 エンピ ツ﹂ 字余 り の時 は、 この章 のご とく ﹁ と上旬 に配置すれば、す っきりと読めます。 直 す気 など なく頑固な津 軽弁 青森北東 遠 間 善 弘 青森県は大平洋側を南部、日本海側を津軽と 呼び、 三分 され ています。私としても仕事、川 柳 の旅 で幾度も訪れ ていますが、主 に八戸市 ・ 三沢市など の南部地方が主体 でした。幸 い昨年 ﹁ 全 日本 川柳 。青森大会﹂ に選者 とし て参加 で きまして、生 の津軽弁 に触れました。遠間さん 根 は純粋 な、 の言われる通 り頑固な感じですが、 笑顔 のす てきな方が多か った です。 持 ち 主 の過 去 も 売 って る 古 本 屋 群馬。伊勢崎 秋 山 春 海 古本屋 には、古本と共 に持ち主だ った人 の長 喜怒哀楽 の人生﹂ 短 さまざ ま な、たくさん の ﹁ 笑 い、 が凝縮され ております。ふと考 えますと、 なみだ︶、ペーソス、ストーリーが店内 い っ 涸 ︵ ぱ いに広が っております。私も時折購入して い ますが、 この ロマンの香りがなんとも言 えず好 のぞ︶ いて きな のです。秋山さん、今日も覗 ︵ いますか。 青森 ・五所川原中央 小 野 順 蔵 空 青 く 描 く と鳩 が 飛 ん で来 る 〈20165 ロータリーの友 平成 27年 30TARン 手術が標準術式 になりま した。腹腔鏡下 手術 の利点 は、明 らか にキズ が小さ いた め、 美 容 上 も 優 れ、 術 後 の痛 み も 少 な く、早 い時期 から歩 け るよう にな る こと 少 年 法 と少年友 の会 場 とされ て います。少年 は、自分 の気持 ちや言 いた いことを整理 し て説 明す る能 力が不足 し ており、援助す べき存在が必 要 です。また、少年だけ では、家庭 や学 回線 で送 る こと で術者 が専 門医 の指導 を る ことが わかりました。 さ ら に、映像を 見 る ことが でき、細 か い操作 が できるた め、より精緻 な手術 が でき る可能性があ て低侵襲 であ るだ け ではなく、拡大 し て す ると、腹腔鏡 下手術 は開腹手術 に比 べ うよう にな ってきま した 。実際 に手術 を 悪性 の病気 に対 し ても腹腔鏡 で手術 を行 の進歩 によ って大腸が んや胃が んなど の と ころが ここ 一〇年 の間 に、医療機器 切 る方法 で手術が行 われ てきました。 の医療施 設 では従来 通 り おなかを大きく 腸 の手術 は手術手技 が複 雑 なため、多く であ るため普 及が進 みま したが、胃や大 します。胆 のう手術 は手技 が比較的容易 二次元 での鉗 子操作 には高度な技術を要 れます。 しかし欠点 と し て、 視野が狭く、 復帰ま での期 間が短 いことなどが挙げ ら 神 医学 、 ソー シャル ワーカーなど の科学 て います。教育学、臨床 心理学 、児童精 現在 、少年審判 は家庭裁判所 で行 われ 少年 とは二〇歳 に満たな い者 のこと です。 としなければならな い﹂とされ て います。 対 し自 己 の非行 に ついて内省 を促 す も の やか に行 うととも に、非行 のあ る少年 に のた め に ﹁ 審判 は、懇 切を旨 と し て、和 的 とす る﹂。 これが少年法 の理念 です。そ 件 に ついて特別 の措置を講ず る ことを目 保護処分 を行うととも に、少年 の刑事事 し て性 格 の矯 正及び環境 の調整 に関す る 健全 な育成を期 し、非行 のあ る少 年 に対 が定 められ ています。 ﹁この法律 は少年 の ことを 目指 し て います。第 一条 では目的 とを通 し て、非行 と いう問題 を解決 す る なく、 子ども の健全な成 長発 達 を 図 る こ 題 と し て捉 え、糾弾や刑罰 によ る のでは 少年法 は、非行を少年 の成 長過程 の問 者 の話を聞くなど の少年審判 の前 の保護 違 反をした少年 への交通講習、犯罪被害 開拓、また は、ボ ラ ンティア活動 や交通 様 子を見 る試 験観察 の際 の補導委託先 の だ け でなく、最終的 な審判 の前 に在宅 で 活動す る団体 です。活動 は、付添人活動 家庭裁判所 で扱 われ る更生福祉 のため に を構成員 とし、家庭 裁判所が作りました。 大人とし て、調停 委員やそ のOB ・OG す。健全な良識 、豊富 な社会経験を持 つ プに ﹁ 少年友 の会﹂ と いう組織がありま ような付添人 を担 うボ ラ ンティアグ ルー 人を付添人 とす る ことがあります。 そ の 年 に、家庭裁判所が特別 に許可し て 一般 心理的な温 か い援助が必要だ と いう少 ことが必要 です 。 持 った大人が ﹁ 付 添人﹂ とし て活動す る ち直 るき っかけを得 るには健全な良識を 振 り返 り、真 実 を見 つめ、反省す る。立 ません。少年 が 心を開き、自 ら の行為 を 鈴木敏弘法律事務所 弁護士 公叩大午 缶墜鳳“ 受 けながら手術 した り、遠隔地 の医師が 的 、合 理的 な知見 に基づ き、 子ど もを理 的措置 に対 す る協力 など です 校、職場 と の関係 を調整す る ことも でき ロボ ット の遠隔操作 で手術 す る ことも可 解 し、非行 の原因を考 え、少年 の非行性 ︵ 第一 一 六二〇地区・ 静岡県・ 浜松RCにて。 同RC会員︶ です。そし て、 回復 も早く、退院 や社会 能 になり つつあ ります。 を解消 す るため に必要 な処 遇を決定 す る ︵ 第二六四〇地区 ・和歌山県 。有田RCにて︶ 2015 VOL.63 NO.2 THE ROTARY‐ NO― TOMO 66〈 191 TABLE SPEECH ● 卓 話 の 泉 お菓 子物 語 があります。 お菓 子 に必要 な甘味 料 では、平安時代 ア マズ ラ﹂ ︵ツタ の樹 の ﹃ 枕草 子﹄ に、 ﹁ 液 を煮詰 めた甘味料︶を、かき氷 に シ ロッ プ のよう にかけ て使 って いた ことが記さ 最 近 の消化 器外科 手術 有田市立病院外科医長 選笙障ハ 禾生Ⅲ﹁ 腹部 のが ん の手術 は、取 り残 しが な いよ 医学 の進歩 により病気 に対 す る治療法 素材 や味 わ いだ けを言 えば、ど こにで う におな かを大きく切 ってでき るだ け広 れ て います。 王 ハ世紀ご ろから、砂糖が もありそうなお菓 子 でも、由緒があ るこ く切除 し て いました。 そ の後 、治療成績 は変 遷 し てき ま した。 二〇年 以上 前 は、 と で特別な品 となります。例 えば 、岡山 づ いて切除 範囲を決定 し て必要 なだ け切 登場 し、 お菓 子は 一段 と発 展 します。 県 の﹁ きび 団子﹂、広島 県 の ﹁ も みじ饉頭﹂ など、単 なるお菓 子を超 え て、現在 でも 除 し、残 せ る臓器は可能 な限り温存す る のデ ータが蓄積され、科学的な根拠 に基 町を象徴す るも のにな って います。 一五∼ 一六世 紀ご ろ生 まれました。 が、後 に店 を構 え、 こうし て茶 屋文 化 は を持 ち運 ん で客 にお茶 を売 って いました の茶店があ った そう です。当初、茶道 具 と、京 都 。東 寺 の門前 には ﹁一服 一銭 ﹂ り には茶店 ︵ 茶 屋︶ があり、記録 による でした。 一四〇〇年代 、大 きな寺社 の周 と っての 一番 の気 晴 ら し、寺社 への参詣 お菓 子が庶 民 に登場 した のは、庶 民 に が ります。文 学的 な楽 しみ、視 覚的 な楽 前 の背後 にあ る和歌 や文 学 へも想像が広 ると思 います。名前 を付 け る こと で、名 いう発想が強 くな った ことが影響 し てい を統合す る こと で、美 を膨 らませようと 江戸時代、視覚的 な表 現 と文学的 な表現 は、 何 に でも名 前 を 付 け た が り ますが、 い関係を つく る ことだ から です。 日本人 ると いう ことは、物 と自分 と の間 に親し 名前が意味 を持 ってきます。名前を付け で行 われ るにすぎ ません でしたが、 そ の た。当時 は保険制度 の問題もあ って 一部 も 一九 九 〇 年 に第 一例 が実 施 さ れ ま し のう摘 出手術 が行 われたとされ、 日本 で 一九 八七年 フラ ンスで初 め て腹腔鏡下胆 レビ モ ニタ ーを見 なが ら行う手 術 です。 ス、 鉗 子 な ど の手 術 道 具 を 入 れ て、 テ 開 け、 そ こか ら カ メ ラ や専 用 の電 気 メ 下 手 術 です。 腹 部 に小 さ な穴 を 数 か 所 く変 わ ってきました。 そ の 一つが腹腔鏡 消 化器外科領域 でも手術 の方法が大 き と いう手術 にな ってきま した。 寺 社 に参 拝 し、茶 店 でお菓 子 を食 べ、 しみを総合する ことで、も っと深く ても っ お菓 子 では、 一つひと つに付 けられた お いし いと思 った り、由来、由緒 をあり 後 は全 国的 に急速 に普 及し、胆 のう結石 症 の治療 は開腹手術 ではなく、腹腔鏡下 と大きな楽しみにしようとす るのです。 一 重県・ 津北RCにて・ 同RC会員︶ ︵ 第一 六三〇地区豊一 が たが り、悪 い事 を はら ってもら えるよ 紐蜂蜂“ 十及 払佃 ︵ 有︶平治煎餅本店 会長 一 ■「卓話の泉」は、各クラブの 会報、週報に掲載の卓話の中か ら、客観的内容 の話題、ミニ知 識 となるもの を主 に選 んで要 約、掲載 しています。 う願 ったりと、 お菓 子と寺社 は深 い関係 〈181も ア ロータ リーの友 27年 2月 号 平成 腱 TABLE SPEE⊂ 群乳i纂 譴晰鍛郷IP ∬桑 酔 =几 け通 じた かわかりま せん。 二回あ りま した。 備 し て待 って いた のです。 このような ことが りま せん。 と ころが次 の駅 で駅員が担架 を準 連 絡 し て﹂ と叫ぶ しかあ りません。返事 はあ にと万年筆 をかませ、下車 す る人 に ﹁ 駅員 に した。舌 を かまな いよう、呼吸が でき るよう し て いた時 、青年が突然倒 れた ことが ありま の仲 間 で ﹁ 天丼 桟敷 の会﹂ を つく って、 オ ペ ました。彼 を誘 い、私 のクラブ のオペ ラ好 き こ の こと を き っか け にお 付 き 合 いが 始 ま ると、彼が オ ペ ラに精通し て いる ことを知 り 一歳年上 で隣 の小学校 の児童だ った のです 。 た奉天 です から 、 話が弾 みま した。な んと彼 は はあ りま せんか。私が小学生 の時 に住 ん で い 争中 はど こに いま したか﹂ と聞 きま した。す ると、旧満 州 国 の奉 天 ︵ 現 。藩 陽︶ と いう で 時 間、 ホータ ンま で二時 間と飛行機を乗 り継 成 田から北京ま で四時 間、ウルムチま で四 間と漢族 の友人 に案内 を頼 ん で訪 れま した。 ト ゥー パ ︵ 仏塔 ︶を 見 た く て、同じク ラブ の仲 壁画﹂があ る こと で知ら れ て いますが、そ のス 家 オー レル ・ スタイ ンに発 見 された ﹁ 双翼 天使 知 らな い遺跡 です。 こ こは、イギ リ スの探検 によ って発見された楼蘭 から南 へ四〇〇キロ 層 のと ころにあ る米蘭 は、現地 の人さえあまり 場所 です。 ロータ リ ア ンにな ってから は、電車 に乗 る ラ鑑賞 と飲 み会 を何度 か開きま した。しか し ぎ、西域 南 道 を東 へ二日間車 で走 りま した。 ろ の男性 でしたが、話題がありま せんか ら ﹁ 戦 のは昼ご ろ です。車内 で手すり に つかま って ロータ リー で地 区 の委員、さら に いろ いろな ア シと土 で積 み上げ た砦 ととも に二〇〇〇年 然 には勝 てな い人 間 のは か な さ を感 じ ま し ︵ た。 第二五八〇地区 東京都 建築設計︶ 心 を震 わせ るような美 しさ でした。同時 に自 ト ゥー パ の姿 は、そ の環 境 の厳 し さ ゆ え に、 スウ ェーデ ンの探検家 スヴ ェン ・会 アィン いた中年 の男性が倒 れました。受 け答 えが で 役 を仰 せ つか って忙 しくな り、 ﹁ 天丼 桟 敷 の 以上 た った今 も乾 燥 の厳 し い場 所 に立 つス さ て、 日本 でも満員電車 で大学病院 へ通勤 き た ので私 の席 に座 らせ、経過を見 て いまし 会﹂ を解散 した のが残念 です。 米蘭 故 城 の美 しき スト ゥ ー パ ︵ 第二七五〇地区 東京都 外科医︱消化器︶ た。数 駅を過ぎ た ころ、反対側 の乗客 に席が 空 いた と知 ら され座 りま した。私 と同 じ年ご 熊ホ Ъ福祉 ロータリークラブ 東京武蔵村山 目馨世一 菫肛昭﹁ シルク ロード と いう言葉 には、 ロマンの薫 りが します 。中 国と地中海世界を結ぶ絹 の交 易路 です。 ウイグ ル語 の ﹁ 死﹂ と ﹁ 無限﹂ の 合成語 から ﹁一度 入 ったら出 られな い﹂ を意 味 す ると いう タ ク ラ マカ ン砂漠。 そ の周 囲 の 交易路上 は繁栄 したオ アシス都市 の名残 、覇 権 の移 り変 わり によ る民族 の多様性 、仏教 か らイ スラム教 への移 ろ いなど、異文 化が砂 に 埋もれ て い った ような不思議 な雰 囲気 のあ る 2015 VOL.63 NO.2 TOMO NO― THE ROTARY― 68(171 第 二七 二〇 地 区 ︵ 熊 本 県︶ 当 ク ラブ は、福祉を冠に頂き、 二〇〇 五年 に創 立されま した。バナーは手話 で ﹁ 約束﹂ を表現 し て います 。助け合 って、ともに喜ぶ もや いの 丘、飾 り のな いやさしさ の約束 です 。 米蘭の入 り回の前で (右 :筆 者) 卜は日本人六 人を含 め総勢 八〇 人。そ の名簿 た夜 を過ご す ことが できま した。 しなく ても済 み、楽 しく て、 ち ょ っと緊張 し が この電話を直接 取 ったよう で、私 のたど た 電話をしま した。ち ょうど例会 の最中 に会長 ど し い英 語 で のや り と り が 例 会 場 の爆 笑 を には、新郎新婦 の心遣 いとウ イ ット に富 んだ もう 一つはオ ック スフォード近郊 のウ ォ ン 誘 ったそう です 。 楽 し いコメ ントが記入され て いま した。 テージ RC です。 このク ラブ は昼例会 で、カ 予習 し て いきま した。 いか にも便利 そう です 当 日は三〇度 以上あ る暑 い日 でしたが、冷 ど ちら のク ラブ の会長も、一 月から欅 のよう フ ェテリア のよう に並 ん で食事 を よ そ っても が あ っと いう間 に過ぎ ま した。 二 つの家族が な帯 を下げ 、そ の帯 には歴代 の会長 の名前を が、実際 に歩 いてみると全く違 った風景 でし た。近 い将来、 3Dの映像 で現場体験が でき 一 房設備が設置 され て いな いた め、食事 の合 間 一つに つなが る ことを全 員 で祝福す ると い っ 記 したプ レートが付 けられ て いま した。歴史 る時代 にな る でし ょうが、人と人と の付 き合 ま た、 現 地 の地 理 は ま った く わ か ら な い ので、イ ンターネ ット で例会場近 辺 の風景を た印象 を受 け、 お国柄 や気 質 の違 いに気付 か があ るク ラブ では、 そ のプ レートがぎ っしり いは、 テク ノ ロジ ー では簡単 に解決 は できな ら う のが印象的 でした。 され るセレ モ ニー でした。 と並び 、いか にも重 々し い様 子 でした。 また、 いでし ょう。 に外 で涼を とりなが ら会 話 を楽 しみ、七時 間 遠路 はるば る、親元を離 れ て未知 の国、日 グ ラ スを掲げ て ﹁ 女王陛下 に幸 あ れ﹂ と呼応 オ ルを従業 員 に持 ってこさせ、首 の後 ろを冷 かん の発作だ な﹂ と直感 し て、水 に浸 したタ 常 です。毎 分 の呼 吸数 も正常 でし た。 ﹁てん 師 の私が青年 の脈 を診 ると、脈拍 も脈 圧も正 て いました。 ホ テル の従業員が右往左往、医 が意識不明 で倒 れ ており、母親が大声 で泣 い 大会 での朝 の こと です。ホテル の玄 関 で青年 二〇〇九 年、 イギ リ スのバー ミ ンガ ム国際 ね降蘇一 東京八王子南 偏摯バ・ 発作 で倒 れた人を 介抱 し て ︵ 第二七二〇地区 大分県 脳神経外科医︶ 本 に何 かを求 め てや って来 た 一人 の高 校生 。 イギ リ ス ヘ行く前 に、 あ らか じめ イ ンター し ての乾杯 も印象的 でした。 な に大 きな輪を作 った のだ と いう思 いを抱 き ネ ット で検索 し て、ク ラブ のホー ムページ か そ の勇気 と エネルギ ーが、人 と人を結ぶ こん ま した。可能 であ れば、次 回 はも っとゆ っく ら調 べたメールアド レ スに、訪 れ る旨を送 り ウ オ ンテージ RCには、例会時 間 に合 わせ て ま し た。 メ ー ル ア ド レ スが わ か ら な か った り、夫 とイギ リ スを旅 し てみた いも のです。 ︵ 第二六八〇地区 兵庫県 福原良介会員夫人︶ 女 王 陛 下 に幸 あ れ 臼杵 丸 岡伸 比古 二年前、イギ リ ス 。オ ック ス フォードを観 光 で訪れた際 に、地元 の二 つの ロータリーク ラブ を訪 れま した。イギ リ スでは、通常 の例 会 を夜間 に行 うク ラブが多 いよう で、夜 に予 やし、首を後 ろに反らせ て呼吸が しやす いよ う に気道 を確 保、母親 に ﹁てんかん の発作だ から心配 しな いで﹂ と言 いましたが、ど れだ 〈16169 ロータ リーの友 2月 号 平成 27年 定 が 空 いて いた 日 が 例 会 日だ った オ ック ス RC︶ アイサ ス ロータ リーク ラブ ︵ フォード ・ 一人 で食事を へ行 ってきました。おかげ で、 お しゃべ りを しなが ら食事に並ぶイギ リスの 日―タ リアン 夢斃:密 鋼DS諄 ]P 搾細乱‖九 ﹁ 現地 に行 って連 絡 しな いと、 先方 は いろ いろ な変 更が あ り ま す よ﹂と いう アド バイ スが 役 く ことを連絡 しま した。 例 会 に は 一五人 が 出 席、 半 数 が 女 性 でし 立 ちました。 ︵ 第一一 五八〇地区 東京都 婦人科医︶ ロータリー の青少年交換学生 とし て 一三年 姫路西 福 原 洋 子 メ ッテ の結婚 た。 東 洋 人 はおらず 、ア フリカ系 の女性 やイ ン ド系 男性 二人。ブ リ テ ンと いう名 前 の美 し い 貴族 のおば あさまがおり、 印象 に残 りま した。 点 鐘 が あ り、 国 歌 を 歌 い、 主 に祈 り、 新 会員 に入会 のバ ッジ授与。食事 はカ フ ェテリ ア形式 で、 二種類 の料 理 に マ ッシ ュポ テトと チーズ とク ラ ッカーが つき、会長が サ ラダ を 皆 にサービ スし てくれました。飲 み物 は 一階 のパブ で買 う形式 で、ビジ ター フィー は 一〇 在 し、高校生活 を体験 したメ ッテ ・ョセ フソ 前 にスウ ェーデ ンから来 日、姫路 に 一年 間滞 卓 話 は ワイ ン屋 さん の話 で、 ワイ ン五本が ンの結婚式 に出席 す るため、 ロンド ン ヘ行 っ ポ ンド ︵ 約 一八〇〇 円︶ でした。 賞 品と し て出 され、く じ で当 た った人 にお祝 ことはす てき でした。 結婚 式 は七 月 一九 日、 ケ ンブ リ ツジ 大 学 ガ ンの演奏 で始まり、牧 師 さま のお話 の間 に てきま した。 メ ッテ は、 姫 路 近 郊 の散 策 や 郷 土 のお 祭 り、和菓 子 や弁 当 、書道、茶道、 ア ニメが大 メ ッテ のお姉 さまが聖書 を、ご友人が シ ェー 内 の礼拝堂 で執 り行 われま した。パイプ オル 二時 間 の例会 は、楽 しく てあ っと いう間 に終 好 き になり、 回転寿 司や焼肉店 も大 いに楽 し ク スピ ア の詩 を 朗 読 。 八 人 の聖 歌 隊 に よ る いを言 う と、 そ のワイ ンを私 にくだ さ いま し た。申 し訳 な いことを した と反省 し ま した。 わ ってしま いました。 コーラ スが随所 に入り、最後 はメ ッテ の故郷 ク ラブ の先 輩、浅 川皓 司 パ ストガ バ ナ ー の み、 日本文 化 をた くさん吸収 し て帰 国しま し た。 それ 以降 も、 四回以上来姫 し て います。 スウ ェーデ ンの婚礼 の歌 を アカペ ラで披露 し 写真撮影をした庭 園 は、チ ャールズ 氏 の研 て華やか に終 了しま した。 チ ャー ルズ 氏 は、 同大学内 で、 バイオ テク ノ 究場所 でもあり、美 し い花 々とゆ ったりと流 大 学 病 院 で産 婦 人 科 医 と し て勤 務、 新 郎 の ロジ ー の研究 し て います。そ の関係 で、 同大 れ る小 川がま る で絵画 のよう でした。 上 かかりま したが 、途中 に立 ち寄 ったキ ング マンスでも楽 しませ てく れま した。宴席 は ﹁ ら始まり、両家 の両親 、兄弟姉妹、友人 と続 き、ゲ ームやケーキ の入 刀、 そし てパ フォー 披 露 宴 は メ ッテ のお 父 さ ま の スピ ー チ か 学内 での挙式 と いう案内を いただ き、娘 と出 席す る こと にしま した。 ス・ ク ロス駅 は、映 画 ﹁ハリー ・ ポ ッター﹂ で、 ハリー 。ポ ッター﹂ の魔法学校内 での食事 の 現 地 に到 着 す る ま で日本 か ら 二〇 時 間 以 主人公 たちが魔 法 学校 に出発 す る シー ンの ロ スタイルと同様 に超縦 長 のテーブ ル で、ゲ ス 笑顔の絶えない、すてきな結婚式で した ケ地 とな ったと ころ で、 そ のホーム に立 てた 2015 VOL.63 NO.2 TOMO NO― THE ROTARY― アCl(151 現 在 、 メ ッテ は イ ギ リ ス のケ ンブ リ ッジ クラブ会長 とバナ ー交換を してきま した シー が いた の であ る 。彼 ら は わ が 家 にも 遊び 三 ハ年 ぶ り の再 会 だ った 。 に来 て いた の で、 彼 ら が 私 た ち を 覚 え て いてく れ た こと に感 激 し た。 ジ エ シ ー は 流 暢 な H 本 語 で ﹁私 は 盛 岡 西 ロー タ リ ー ク ラブ ︵R C︶ でお 世 話 にな り ま し た 。 日本 への留 学 は と ても 面 白 く 、 役 に立 ち ま し た 。 今 は カ ナダ にあ る 日系 企 業 に勤 め 巻 R C の お 世 話 にな り ま し た。 今 は デ ザ イ ナ ー の仕 事 を し て いま す 。 父 は 日 系 三 世 で 、 す 。 交 換 学 生 にな れ た お かげ で 日本 を 見 る こと が でき ま し た﹂ と話 し てく れ た 。 ラ ナ と の関 係 を 聞 く と、 二〇 〇 二年 、 ラ ナ が 花 巻 で 一年 間 英 語 の教 師 を し て いた時 、 交 換 学 生 で 花 巻 南 高 校 に通 って いて、 知 り合 った と の こ とだ った 。 ラ ナ の晴 れ姿 が 見 ら れ た こと、 懐 か し い再 会 が でき た こと、 彼 らが 皆 、 ロー タ リ ー に感 謝 し て いた こと、立 派 に成 入 し て いた こと を 。 知 った 。 思 いが け な い楽 し い旅 と な った ロー タ リ ー の青 少 年 交 換 事 業 に か か わ っ た こと で、 花 巻 ホ ー ム ステ イ協 会 か ら会 員 二 人 が 当 ク ラブ に人 会 くだ さ った こと も 加 え て 五一^ ●地区 岩手県 脳外科︶ 第一一 お知 ら せ す る。 ︵ メ ー ク ア ップ oイ ン ・ ロ ンド ン 書 第 二八三〇地区 窒目森県︶ 弘 前 ア ップ ル ロー タ リ ー ク ラブ オ 親睦と奉仕﹂を表し、その実 二つのリンゴは ﹁ を大きく育 てた いと いう私たちの思いを込めま した。デザ イ ンは全員で知恵を絞り、水墨画、 書など会員 の得意分野を発揮し完成しました。 リンゴの上のロータリーの徽章が太陽のように 照らしています。 ぎ なく、 一時 間 半 繰 り広げ ら れ ま し た 。 演 者 も大 変 でし たが 観 衆 も大 変 でし た 。 満 員 の観 。 覧 席 で途 中 退 席 す る人 は子ど も連 れ の家 族 だ け で、 一〇 人 も いま せ ん でした 。 翌 朝 、 エデ ィ ンバ ラ か ら ロ ンド ン ヘ移 動 ル ー ムが 一七 も あ る お宅 でし た。 、 近 く でメ ー ク ア ップ を し よ う と 思 い 日本 壼量 子 松 下 真 理 友 人 のご 子息 のお 宅 に五 日間 、 お世 話 にな り 、 ま し た 。 テ ムズ 川 沿 いの高 級 住 宅 地 で 外 観 昨 年 の八 月 、 旧 知 のカ ナダ 人 夫 婦 と イギ リ 、 リタ ス の エデ ィ ンバ ラ で待 ち 合 わ せ て マ ヽ で調 べ て い った チ ェル シー ロー タ リ ー ク ラブ は占 い英 国 長 屋 です が 、内 部 は広 く 、 ベ ッド 語 で、 ﹁ 私 は大 船 渡 西 R C でお 世 話 にな り ま リ ー ・タ ト ゥー﹂ と いう お 祭 り を 見 に い って て いま す ﹂ と言 い、 パ ー テ ィー でわ れ わ れ の し た 。 今 、 救 急 救 命 士 と し て元 気 に働 いて い きま し た 。 お世 話 を し てく れ た 。 シ ョー ンは片 言 の日本 ま す 。 日本 は と ても良 か った 。 交 換 学 生 にな 私 は ブ ラジ ル か ら テ ー ブ ル に いた 女 性 が 、 ﹁ さ ら にび っく り す る こと が あ った。 彼 ら の ち の行 進 と世 界 各 国 のパ フ ォー マ ン スが 揺 る 豪雨 。 し か し、 伝 統 衣 装 の軍 人 た あ いにく の一 の夜 九 時 か ら始 ま り ま し たが 、 気 温 は 八度 で イ ベ ン ト は エデ ィ ン バ ラ 城 内 で 到 着 翌 日 C の幹 事 宅 に電 話 し て会場 を聞 き、 例 会 に行 と。 も う 一つの候 補 だ った バタ シー パ ー ク R 一年 前 か ら閉 鎖 し て いる と の こ が 工事 中 で、 ︵R C︶ の例 会 へ行 って み る と会 場 の ホ テ ル れ て本 当 に良 か った﹂ と話 し てく れ た。 。 私 は花 夫 と来 ま し た 。 名 前 は ル シア ナ です 壌 (14ア ロータ リーの友 2月 号 平成 27年 ラナの晴れ姿を見る ことができて感激 FRI[NDSHIP 獅無A∬ 晟 と ころ変 われば て いる ステ ッカーを見 て ﹁ あ れは何 ?﹂ と尋 ねられた。見 ると日本 ではおなじみ の、初 心 女 を乗 せ て車 で走 って いる時、前 の車 が付 け CSEチー ムが や ってきた。 わが家 には リー ダ ー のメアリーさんが滞在 した。あ る日、彼 そ の半 年 前 、 第 六 五 一〇 地 区 か ら 五 人 の も楽 しく有 意義 な研修 とな った。 な のでアメ リカ の家庭生 活も体験 でき、 と て 区︶ を 一か月余 り旅 した。原則 ホーム ステイ にアメリカ ・イリノイ州南部 ︵ 第六 五 一〇地 換 ︶ のチー ムリーダ ーとし て若者 四人 ととも 二〇〇九年 、私 は CSE ︵ 研究グ ループ 交 鹿児島西 士早木・ 土 土谷刻 エ ッセー、海外のロー タリークラブ訪間 記、時局雑感など。1,000字 以内。関連 写真があれば添付してください。 者 マーク や高齢 運転者 マークだ った。 アメリ 土産 に買 って い った。 た の ち 破 隣 猜 呻 靱齢 砂 姓 私 た ち も イ リ ノ イ 州 で は家 庭 に 招 か れ、 ホ ー ム パ ー テ ィー が 頻 繁 に開 か れ、 近 所 の 人たち は腹を抱 え て笑 い転げ ていた。日本 で オ体操 を披 露 した のだが、見 て いた アメリカ が、大受 けした のが NHK のラジ オ体操 だ っ た。日本 から持参 した テープ に合 わせ てラジ たちも 日本 の歌を披露 したり、踊 ったり した ダ の若者だ った。私 のク ラブが受け入れたラ 青少年交換学生が いて、 このうち二人が カナ 一九九七︱九 八年度 、 わが地 区 には六人 の 花巻南 湯 川 英機 ロータ リア ンが家族 でや ってきた。 そ こで私 は小学校 からな じん で いて、笑 う人など いな ナ は、 四軒 の家 にホーム ステイ、わが家 以外 は ロータリア ン宅 ではなか ったが、 そ こから ラナは大学卒業後、韓 国 にカナダ の物産 を いが、 アメリカ では エンターテイ ンメ ント に る音 楽 に合 わ せ て踊 る よう に体 操 す る姿 が 輸出す る企業 に就職 し、韓 国 に来 ると必ず 日 一年間、岩手県立花巻南高校 に通 った。 滑稽 に思われた のだ ろう。それ 以来 、私 は交 本 に寄 り、花巻 に足を延ば し てくれた。そ の なる ことを発見 した。き っとテープ から流 れ 換 学生 とし て海外 に行 く人たち にはラジ オ体 都度、 四軒 のホ スト フ アミリーが集まり、食 事 会 を した。 そ こでは、 ﹁ラナ、 そ ろそ ろ結 操を披露す る ことを勧 め て いる。 ︵ 第二七三〇地区 鹿児島県 観光事業︶ 婚 しな さ い。 そ の時 は必ず 招 待 す るんだぞ ﹂ と いう冗談 まじり の決 ま り文句があ った。 あ る晩、 電 話が 鳴 った。 ﹁ラナ です。結 婚 します。来 ますか ?﹂ ﹁ 行く、行く。おめ でと う ︱・ 良 か った﹂と妻 に相 談 も せず 返事 を し た。まも なく正式 な招 待 状 が 届 き、 二〇 一四 年 八月、三一 家族六人が カナダ に飛 んだ。 結婚式 は晴天 で、屋外 で行 われ、 ラナ はた くさん の列席者 に祝福 され て いた。披露宴 で 初 めて会 った ラナ のお母 さんは、おおらか で す てきな人 で、 ラナ の日本 での ことを何 でも 詳 しく知 って いる こと に驚 いた。 隣 のテーブ ルを見 て驚 いた ことに、 ラナと 同時期 にカナダ から来 て いた シ ョー ンとジ エ 2015 VOL.63 NO.2 TOMO NO‐ THE ROTARY― 72〈 131 ∴ ri_亀 カ には こんな ステ ッカーや ルールはな いそう で、彼女 は帰 国 の際 、 100円 シ ョツプ でお スーパーマンの故郷イ リノイ州メ トロポリスで GSEメ ンバー と FRIENDSHIP があ る。新 し いまちづ くり、地元 と の交 流 など シ ョンの住 人 が 初 め て神 興 を担 いだ 。 ﹁ 若 い担 去年 は地元小杉神社 の秋祭 り で、 タ ワー マン 安藤均 理事長も驚 く盛況ぶり であ る。 を 目的 に設 立 さ れ た。 ﹁ ホ テル精 養 軒 ﹂ の萩 原 ぎ手が 足りな いと いう ので マンシ ョンの方 々 に ジ メ ント ︵ 通 称 エリ マネご と いう N PO法 人 さん ︵ 前出︶ は設立 メ ンバー で、理事 も務 め て 声 を かけ た ん です。 大勢 ではな か った です が、 中原 区内 の全 四ク ラブは武蔵小杉 に事務局が で生 まれ育 った安藤 さんはうれしそうだ。 参加 した人 たち は楽 しか った よう です﹂。地 元 いた。 ﹁ 新 しく住 ま わ れた方 々は能 力 の高 い方 が そ ろ って いる。意 識 の違 いはあ った とし ても、古 く から の地域 や人 と融合 したら、 ここはすご く ラブ にも いな いようだ。川崎中原 RCの小林 正 あ る。再開発地 区 から の入会者 はまだど このク 数年前 、 四九階建 て七〇〇戸近 いタ ワー マン 樹会長 は ﹁ 私 た ち のPR不足、先方 の関心不足 面白 い街 にな ると思 います﹂ シ ョンで、 あ るイ ベ ントが開かれた。地 元 の商 でし ょうか﹂ と残 念 が る。 そ し て、 ﹁ 他 人 のた め にな にか した い若 者 は 店が マンシ ョンのテラ スや庭 に出店 し、居住 者 と交流 した のだ 。 マンシ ョンと商店街 の橋渡 し 増 え て いると思 います。それが ロータリーク ラ ブ に つな が ら な いん です ね﹂。 それ は いま、 全 を した のは萩 原 さ ん である。 そ の半年後 、東 日本大震災。 国 のク ラブ が抱 える共通 の悩 みだ ろう。 の害 も指摘 され て いる。 でも駅周辺 にはさら に 関は混雑 し、幼稚 園 や学校 も足りな い。ビ ル風 武蔵小杉 の再 開発 は短期間 に進 んだ。交通機 大 きな被害 はな か ったも のの、高層階 に暮 ら す不安 と同時 に、住民同士 の つなが り の大 切 さ などが実感 され たと萩 原さんは思う。 ﹁ 地 域 は 人 の つな が り で支 え ら れ て いま す。 次 のプ ロジ ェク ト が 控 え て いる。 動 き出 し た い つか、移 り住 んだ人たちが ロータリーク ラ お互 いの顔が わかる、 ほど良 い関係が な いと命 は救 えな いん です﹂ エリ マネ は そ の後 一層、防災 ・防犯 を中 心 に ブ に入会 す る、 あ る いは再開発地 区 に新 たなク ﹁ 街﹂ は止 まらな いのであ る。 子育 てや交流会 、勉強会 と活動 の幅 を広げ てき ラブが できたりす る ころ、歴史と いまがぶ つか 元朝日新聞出版写真部編集委員。現在 フリー 宮本 貢 ︵ み や も と ・み つぐ ︶ 元朝日新聞記者。退社後、フリーで活動。 水村孝 ︵ みず む ら ・た か し︶ てくれ るだ ろう か。 り融 け合う この街 はど んな暮 らし の風景を見 せ た。 コスギ フ ェスタ と いう お祭 り が あ る。 ハ ロ ウ ィー ンの時 期 に行 われ、仮装 コンテ スト や演 奏会、ダ ンス、 それぞ れ の マンシ ョンや商業 施 設 もカ フ ェなど を開 いて参加す る。 四 回 目 の去 年 は、 た った 一日だ け の催 し に ど うな る こと か と思 いま 五万人が 集 ま った。 ﹁ し た よ。 想 像 を 超 え て いま し た﹂。 エリ マネ ・ 〈1273 ロータ リーの友 2月 号 平成 27年 川崎中 RCの 移動例会 (西 明寺) テル精養軒) (ホ 川崎中原 RCの 例会 川崎中原 RCの 例会で小林正樹会長 (左 ) と横山芳春 。川崎北 RC幹 事 武蔵小杉駅周辺を大野省吾さんと歩 く。 右は「友」代表委員の長戸はるみさん 川崎中 RCの 内藤幸彦元会長 と萩原ひ とみ さん 「小杉駅周辺エ リアマネジ メン ト」の安藤均理事長 中原街道沿いの川崎 街 道 筋 、 住 宅 地 、 商 店 街 な ど の空 気 と馴染 む間 い駅 前 の土 地 が 一気 に空 いた 。 そ し て昔 か ら の ち ょ っと脱線 しますが 、 川崎市内を対象 にし も な いスピ ー ド でタ ワー マ ン シ ョン街 が でき あ 体が参加 し て いる。 た ﹁ かわさき FM﹂ と いう コミ ュニテ ィー放送 が った の であ る。 ニ ョキ ニ ョキ 。 と は あ る。 タ ワー マ ン シ ョン の場 合 はそ の規 模 が 桁 はず れだ 。 一棟 で ^五 〇 〇 人 か ら 二〇 〇 〇 ど こ の街 でも新 し い住 民 が 移 り住 ん でく る こ があ る。内藤 さんも ﹁ユ ッキー先生 の∼﹂ と い う コーナー に出演 し て いる。 つあ ると ころ か ら、 ﹁7区が 1 つ﹂ と読 む のだ 人 の住 民 が 増 え る。 周波数 は 79 olM H Z。 川崎市 には区 が 七 そう で、この読 み方 はな んとなくカ ワイイ。ホー も 異 な った新 し い住 民 が 、 た と えば 武蔵 小 杉 の 杉 駅 周 辺 エリ ア マネ 再 開発地 区 に ﹁ 小 か。 つな が り を つく れ る 住 民 同士 はど ん な 共 生 でき る のか。 ど ん な形 で地 域 と だ。 でも な く エラ い こと れ ば 、 いや考 え るま 再 開発 地 域 では 二 万 人 は超 え て いる。考 え てみ た ぶ ん意 識 や嗜 好 、 金 銭 感 覚 や生 活 スタ イ ル ムページ にさりげ なく載 せ てあ るあたりもカ ワ イイ、 と いう余計 な脱線 でした。 地域 は 人 の つなが り で支 え ら れ て いる 武蔵小杉 の駅周辺をウ ロウ ロす ると不思議 な 気分 にな る。旧来 の駅前商 店街 と再開発地 区 の 什ま いが劇的 に違 って いるからだ。 ﹁ここはど この街 ? って感 じ です よね﹂ 駅前 で父 の代 から半 陛紀 以上不動産業を営 む 横 山芳春 。川崎北 RC幹 事 も笑 ってしまう のだ から、 ヨソモノが驚 く のはあ たりま えか。 開発 のスピードが速 か った。異様 に速 か った。 駅 東 側 が か つて 工場 地 帯 だ った ことが 大 き い。 一帯 は工場 や社 員用 のグ ラウ ンドなど に 占 められ、東横線 の駅名 は戦後 しば らくま で ﹁工 業 都 市 ﹂ だ った ︵ 駅の 位 置 も違 って いた︶。 工場 が 撤 退 しグ ラ ウ ンド も売 ら れ 、 広 2015 VOL.63 NO.2 TOMO NO― THE ROTARY― 髯婆〈111 (右 ) 幹線の府中街道は渋滞 しがちだ 「小杉御殿」跡 武蔵小杉の古刹 。西明寺 報 = 中 歴史 ガイ ド版 駅周辺では高層マンシ ョン建築が続 く 昨年 12月 14日 、 武 蔵 小杉 の 駅前 で商 店街が主催する恒例 の 「餅 つき」があ つ た。近 くに法政 三 高がある ご縁 で、法政 大 学相撲部 の猛 者 た ちが息 も切 らさず (ウ ソ)220キ 回の 餅 をつ きあげた。 つ きたての餅や五右衛門汁 に長い行列がで きていた (上 の 3枚 ) ll敷 から見た対岸の高層 ビル群 多摩川河り 蔵 小杉﹂ もオープ ンした。 馴染 み のな い土地 での取材 は そうだ。 大野さん の案内 で街 を歩く。駅 の西側 は昔 か RC︶ の創立会 員 リーク ラブ ︵ は るみさん。川崎高津南 ロータ る のが イチバ ンだ。今 回は長戸 ウ チ の倉庫 が さ んが 駅前 の空 間 を指 さ した。 ﹁ とガ ラ リと変 わ った。 ﹁ あ そ こにね﹂ と、大 野 商業ビ ルとタ ワー マンシ ョン。風景 は再開発前 一方、東横線 の駅 周辺とそ の先 には、新 し い ら の商店街 。住 み慣 れた日常 の暮ら し。 で元会長。 川崎市 の女性会 員第 あ った。思 い出 します よ﹂ ﹃ 友 ﹄ の地 区代 表 委 員 さ ん に頼 一号 でガ バナー補佐 も務 め た。 え演奏会を開く ほど の琴 の素養 ﹁いま も揺 れ動 いて いる。 不安 は いよ いよ大 地区 の再開発 に関 わ って三〇年近 い。地 元商 店街 と再開発 の間 で複雑 な気持 ちだ った。 4 ・ ヨ艶晏ヨミぶ 落 ち着 いた物腰 は、学校 で教 から来 て いる のかも しれな い。 き いよ。 でもまあ、発展す るため には これぐ ら い大きく変 わらな いと。商店 や商店街、さら に 紹介 された のが スーパー ﹁ 大 野屋﹂ の大野省吾会長だ 。武蔵 街 同上 の競争。街 と はそう いうもん ですよ﹂ 武蔵小杉 は川崎市 の中原区 に属す る。区内 に 小杉 駅前 通り商店街振興 組合 の 理事 長 で、武蔵小杉 駅南 口地 区 は川崎 北、 川崎中、 川崎中原、 川崎 とど ろき の 原 R Cが 中 心 にな って自 転 車 用防 犯 ネ ット計 西 街 区 市 街 地 再 開 発 組 合 ︵長 ﹁ 武 蔵 小 杉、 何 も な か った で 一四〇〇個 を用意 、 区 民祭 など で配 って いる。 四 つの ロータリーク ラブがあ る。毎年、 川崎中 す よ ね﹂ と 口走 った ら、 ﹁そ う 今 回 の取材 では主 に、 川崎中 RC の内藤幸彦 い!︶ の理事長 でもあ る。 言 われ る のは、 こ こに長く いる者 とし ては面白 元会長 と萩原 ひとみ会 員 に知恵を借 り、 お世話 名前 のとおり 二〇年 後 の中 原地区を考 える官 ある。 二人 は副委 員長 を務 め る活動 の中 心だ。 ﹁ な か は ら 20年 構 想委 員会﹂ と いう組織 が 二人とも、 と にかく活動的 で人脈が広 い。 武蔵小杉 で六六年続 く ﹁ ホテル精養軒﹂の社長 。 にな った。内藤 さん は学習塾経営、萩原さんは くな いな﹂ と叱 ら れた。 そう です よね。通過客 はどうもデ リ カ シー に欠け る。 じ つは古 い土 地柄 であ る。江戸時代 の初 め に はまだ海沿 いの東 海 道が整備 され ておらず 、﹁ 小 杉﹂ を通 る中原街 道 が メー ンだ った。街道 を行 き来 す る家康 のた め に ﹁ 小杉御殿﹂が建 てられ、 町名 とし て残 って いる。 民協働 のまちづ くり 団体 で、散策 マ ップ や、地 域 の今 と音 を対 比 し た マ ップ を作 ったり した。 時代 は下 って昭和 一一 ︵一九 三六︶年 、大 野 さ ん の祖 父が食 品市 場、父が酒類 。雑貨店 を開 区全体を区 の花 ・パ ンジー の回廊 で つなぐ活動 には、花づ くり農家 や商店街 など 三〇 以上 の団 いた のが現在 のスーパー ﹁ 大野屋﹂ に つなが っ て いる。﹁ 周り は 田んぼ で、一面 レ ンゲ畑だ った﹂ `呂 「 ・ ヽ 〈lolァ s ロータ リーの友 2月 号 平成 27年 去年のコスギフェスタ (小 杉駅周辺エ リアマネジメン ト提供) 中原 RC提 供) ll崎 (り 中原区民祭で防犯ネ ッ トを配る 高層 ビルに日まれたグランツ リーの屋上庭園 タ ワー マンシ ョンが ニ ョキ ニ ョキ建 ち並ぶ ﹁ なんだ、 これは !﹂ 電車 の窓 から外 を眺 め て いて、文字通り仰 天 した のは何年 ほど前 のことだ ったろう。 うが な い勢 いで、 この短期 間 に、高 さ 一〇〇研 超 え の七棟 をふく め十数棟 の マンシ ョン群が威 容 を誇 るよう にな った のだ 。 交 通 の便が よくな った ことが大 き い。昔 から 「 t i` 、 91 ′ であ る。 それはもう ニョキ ニョキとしか言 いよ 文 o宮本 〓 貝 写真 o水村 孝 11 か つては 田合 っぽ か っ の東横 線 とJ R南武線 ︵ 下 鉄 も 乗 り 入 れ、 1、 / ′ 1,′ ヽ f たなあ︶ に加 えて、横須賀線 の駅が できた。地 束横線。自由が丘を過ぎ 田園調布を過ぎ 、多摩 東京 、神奈 川 の各 東京 の渋 谷 と横浜を結 ぶ オ シ ャレ路線、東急 川を越 えて神奈 川県 の川崎市 に入 る ころ、左手 方面 に通 じる路線 ン ﹃ノ■ の乱れ打ち。いま ″ や﹁ 住んでみたい ま 前方 に突如高層ビ ル群が 現 れた のだ。 新宿副都 心 ? 半世紀 ほど前、この電車 で学校 に通 って いた。 しかし ﹁ 武蔵小杉﹂ と いう駅 と周辺 の町 に つい ては ほとんど印象 にな い。 な ん の変哲もな い郊 外 の 一私鉄駅だ った。 そんな武蔵小杉 駅 の主 に東側 に、六∼七年前 から高層ビ ルが建 ち始 めた。タ ワー マンシ ョン ↑冒 ― `:/` ′ 、 十 ′= 」R南 武線武蔵小杉駅の人 ごみ 新旧が入り交じり ﹁ 住 んでみた い街﹂の上 東横線武蔵小杉駅東日前の モニュメン ト「家族の絆」 ち ょ っ と知 りた い 木のはな し 度 にな るかと言 います と、立 命館大学 の安斎育 ば らまかれた炭素 ︹ 人︺ が、ど れくら いの密 れ る﹂ と。実 はおば あち やん の言 って いた こと は、 あ る意味 で正しか った わけ ですよ。 行 ってもご先祖 さまが ち ゃんと見守 って いてく お前 がど こ へ の祖 母が よく言 って いま した、 ﹁ 素 ︹ 先祖 さま︺も当 然存在 し て います。昔、私 母︺ が存在 す るわけ です。炭 素 ︹ 父︺ や炭素 ︹ ら っし ゃれば 、そ の方 の周 り にも、 そ の方 の炭 皆 さ ん方 の中 に、ご 両親 を亡 く された方が い う ことを よく言 われますが、なぜ 国産材 の方が 国産 材 を利 用 しま し ょう﹂ など と い 最 近、 ﹁ す。 の炭素が 、秋 田杉 の材鑑 の中 に入 って いる ので ん いたかが、 わかります。そ のご先祖 さまたち じ いち ゃん と ひ いおば あ ち ゃん が いる わ け で す。 いか に、あなた自身 のご先祖 さまがたくさ やんとおば あち やんが いて、必ず 八人 のひ いお 必ず 二人 の父と母が いて、必ず 四人 のお じ いち あ な た が そ こに実 在 し て いると いう こと は、 郎名誉教授が計算 した と ころ によれば 、地球 の 房で 所 で、空 気 の層が 一〇キロ 半径が六 三七〇キロ 一房 の空気中 に あ ると仮定 します と、 な んと、 私 の前 の職 場 の森 林 総 合 研 究 所 に 置 い て 先祖 さま︺ が入 って いる 方が われ われ の炭素 ︹ る可能性 も高 い。 一人 の人が 死 ん でそ の人 の炭素が世 つまり、 一五 六 〇 年 に織 田 あ る ヒ ノ キ の材 鑑 に は、 信 長 ︵一五 三 四∼ 八 二︶ が 桶 狭 間 で戦 った、 量が多 いから ですね。 が、火葬 されると、 二酸化炭 素 とな って空中 に 界中 に均等 にば らまかれた とす ると、 ハワイだ 一六 五 一年 は三代将軍 の徳 川家 光 ︵一六〇 四∼ ば らま かれます。 ろうが、 エベレ スト の頂上 だ ろうが、 ロンド ン 五 一︶ が亡くな った と いう ことが、 そ の年輪 の 人︺ は、死ん で空気中 に飛散 し、 それ 炭素 ︹ だ と思 います。 一五八 二年 の年輪 のと ころ に含 まれ て いるはず は焼 け死 ん で います か ら、 き っと彼 の炭素が、 本 能 寺 の変 は 一五 八 二年 です が、 織 田信 長 定 された のち、元 の炭素循環 の輸 の中 に還 って さら に炭素 ︹ 木材︺ のよう に、地 上 に長期 間固 肉食動物︺に変 わ る こともあ る。 食動物︺が炭素 ︹ 炭素 ︹ 草 動物︺に生まれ変 わるも のもあ る。 炭素 ︹ 穀物 のよう に、動物 に食 べられる こと によ って 植物︺に生ま れ変 わる。 が光合成 によ って炭素 ︹ 何 を申 し上げ た いのかと言 います と、皆さ ん いく も のもあ ると いう こと です。まさ に、炭素 にな る のです。 人︺が、約 八 万八〇〇〇個存在す る こと 炭素 ︹ だ ろうが ニ ュー ヨークだ ろうが、ど こ へ行 って 人︺ が も、 一川 の空 気 中 に、 そ の人 の炭 素 ︹ と ころ に書 いてあります。 よ いのかと いうと、答 えは簡単 です。国産材 の 八 万 八 〇 〇 〇 個 存 在 す る と いう こと にな り ま 母︺ 炭素 ︹ 私 の母も大 阪 で火葬 されま した ので、 は、世界中 のあ らゆ ると ころ に分散 され て い っ 先祖 さま︺ も、 この中 に含 まれ て い 方 の炭素 ︹ は輪 廻転生 し て いるわけ です。 す。 これはも のすご い話 です よね。 た はず です。 と いう こと は、今 まさ に この会場 母︺が存 の、 この空気中 にも、私 の母 の炭素 ︹ 秋 田 ではあち こちに、 るはずだ と いう こと です。 も ち ろ ん、 亡 く な って か ら 植 物 に吸 収 さ れ 先祖 さま︺ が たくさん入 っ は皆 さん方 の炭素 ︹ 天然秋 田杉 の材鑑が お いてありますが、そ こに し生 け るも のはす べて つなが って います。最後 人類ど ころか、炭素 の循環 によ って、生 きと 実 は私、八年 ち ょ っと前 に母 を亡く しました。 在 し て いるはず です。 た り し て数 は少 なく な って いますが、計算 上、 に木 はえら い、すご い、深 い、と いう ことをま 私 の父 も 二五年 以上 前 に他 界 し て いま し て、 分 か ら始 め て古 い時代 にさか のぼ って いく逆 三 ると いう ことは、実感 できま せ ん。 しかし、自 だ ければ幸 いです。 北羽新報﹄に連載中 の ﹁ ◆本内容は、﹃ ちょ っと知りた い木の はなし﹂より、抜粋 。再構成して講話したものです。 ︵ ホ スト 能 代 RC︶ 木材 に対 す る理解をち ょ っと でも深 め て いた とめとさせ て いただ きた いと思 います。 て いるわけ です。 古 い時代から順番 に書 かれ て いる普通 の家系 八万八〇〇〇個もあ る のです から、 この会場 の 母︺ が 何百 。何千個 も存在 空気中 に私 の炭素 ︹ 父︺ 数 は少 な いかも しれ ま せ んが、私 の炭 素 ︹ 角 形 の家系 図を見 ると、 そ の関係が よくわかり 図を見 ても、自分 にたくさん のご 先祖 さまが い 父︺ は も周り に存在 し て いるはず です。炭素 ︹ ます 。 し て いると私 は信 じ て います。 穀物︺を経 て、私 の体 の 一部 にな って い 炭素 ︹ 〈8177 ロータ リーの友 2月 号 平成 27年 ち よ っ と知 りた い 木のはな し 木 はも っとすご い。ブ ドウ糖 から、繊細 で複 それ に辺材 の中 にあ る ﹁ 柔細胞﹂ と呼ば れ る部 と ころは形成 層 ︵ 毎年毎年細胞分裂す ると ころ︶ と、上 か ら の栄 養 を流 し てく る内樹 皮 の部 分 、 分、 これも ほと んど 死ん で います。生 き て いる 素循環 の中 にあ ります。 わけ ですが、実 はわれわれ人間自身も、 この炭 気中 に戻 ります。 こうし て炭素が循環 し て いる ろな過程を経 て、最終的 にはC02とな って空 できな いことを、そ の辺 のぺんぺ ん草 が いとも 雑 な細 胞構造 を つくります。金 型が あ るわけ で でし ょう か。炭 素 は原 子番 号が 一二 です か ら、 簡 単 にや って いるわけ です。 はな いし、電気 を使 う わけ でもあ りま せん。ガ 分だ け です。 あ と の細胞 は全部生命活動 を停止 し て いる、 つまり死 ん で いる のです。 一二% で 一アボガ ド ロ数個あります。 アボガ ド 人 の体 の中 に炭 素 原 子 が何 個 あ る かご 存 じ ス のような熱源もありません。 それな のに、電 樹木 では、生 き て いる部分 と死 んだ部分 が共 ロ数 と は、 約 六 。 〇 二 × 一〇 の 二三乗 個 です。 も のすご い数があ る のです。 炭が 一二マあ ると、 て複雑 な材料 を つく る のですが、 さら にすご い ら先 は、半分 宗教 のような話 になります。 ロー ここま では科 学 の話だ った のですが 、 こ こか 人 間 の体 重 の 一八ギ が 炭 素 です か ら、 体 重 五 〇 キロイ の人 の場 合、 五 〇 ×○ 上 八 =九 キロ 等 の炭 素 が 入 って いま す。 九 キロ イ は 一二イ の 七五〇倍 に相当 しますから、 この人 の体 の中 に そ の中 に これだ け の数 の炭素原子があ るわけ で す。 のは、 そ の材料が何百年も の驚 異 の耐久性 を持 タ リア ンの方 は、 ユー モアを理解 でき る方 が多 は七 五〇 ×六 。 〇 二 × 一〇 の二三乗 個 の炭 素 原 人 は死 んだ ら 炭 素 にな り ま す 存 し て いる のです。 子 顕 微 鏡 でし か見 え な い微 細 で精 緻 な 構 造 物 を、間違 える ことなく つくり出 し て います。 こ う いう も のを見 るたび に、 ﹁ 木 は偉 いな﹂ と思 います 。 木 はブ ドウ糖、つまり C ︵ 炭素︶ と H ︵ 水素︶ って いると いう こと です。 これ はすご い、 とし いと 思 う の で、 ﹁ 信 じ るか信 じな いか﹂ の話 で と0 ︵ 酸 素︶ の化合物 から、 このよう にきわめ か言 いようがありません。 子が存在す ると いう こと になります。も のすご 私 たち は空 気 中 のC02を、固定 した樹木 を 一九 五二年 大阪府堺市生まれ。 人体を構成 し て いたも のすご い数 の炭素 ︹ 人︺ ているわけ です。 い数 の炭素原 子が、 一人 の人間 の体内 に存在 し すが、お話 し した いと思 います。 を冬 日 と呼 ん で います 。 ﹁ 夏 目﹂ と いう から夏 製材 や木質材 料 にし て建築物 を建 てたり、解体 木材 の業 界 では、白 い部分 を夏 日、濃 い部分 に でき るよう に思 われますが、夏 日 は春 から夏 し て再利 用 した りし て います。 これら は いろ い ■秋田県立大学木材高度加工研究所 所長兼教授 廿竹 軸州行・ ﹃ プロでも意外に知らない ︿ 木の知臓ご 学芸出版社、 二0 一二年 など。能代 口iタリークラブ会員。 木材高度加工研究所教授。 一四年四月 所長。現在に至る。著書 木構造振興 ︵株 ︶客員研究員を経て、 〓三年八月 秋田県立大学 生命科学研究科農学国際専攻連携併任講座助教授などを務める。 領域長、研究 コーデ ィネーターを経て、二〇 一三年二月退職。こ の間、バージ エア州立工科大学害員研究員、東京大学大学院農学 、同年農林水産省林業試験場 ︵ 学博士︶ 現森林総合研究所︶入所。 以降、集成加工研究室主任研究官、接合研究室長、構造利用研究 に かけ て でき、 ﹁ 冬 目﹂ は夏 から 秋 にか け て で きます 。冬 にな ると、細胞分裂 し て いるような 余裕 はあ りません。落葉樹 な ら葉 っぱ を落 とし てしま いますし、常緑樹 でも細胞分 裂 し て いる ような余裕 はなく て、言 ってみれば冬 眠 し て い るような状態 になります。 樹木 が生 き ている ことは事実 です 。葉 っぱ は 生 き て います。 根 っこの先 など は生 き て います。 ただ 、 それ 以外 の、樹幹 の部分 は、実 は ほとん ど 死 ん で いる のです。 この ことを わか って いな い人が結構多 く て、驚 く ことが よくあ ります。 心材 部 は、全部 死ん で います。白 い辺材 の部 2015 VOL.63 NO.2 TOMO THE ROTARttNO― 78〈 7 1 ち ょ っ と知 りた い 木のはな し 若 い人たちは、木 を伐 って使 う ことが環境破 壊だ と教 えら れ て育 ってしま いました。秋 田県 先 生 の話 を聞 く ま で 立 大学 で授 業 を す ると、 ﹁ の二酸化炭素を地上 に固定 し てやれば よ いので です 。伐 ってやれば いいのです。 一部分 を伐 っ ではどうす れば よ いのか。答 えは非常 に簡単 ってしま います。 す 。も ちろん、 固定 す る時 に エネ ルギ ーを使 っ てや れば、余裕が できた森林 は、 二酸化炭素を 二酸化炭素 の濃度 を下げ るた め には、空気中 てしま っては意味がありま せん。 植物 の光合成 を利 用す る こと です 。植物 の光合 てやれば、 それはそれ で二酸化炭素 を吸収 しな とえ全部丸裸 にしたとし ても、本 を新 た に植 え 再び 吸収 でき るよう になります。 よしんば、 た 成 と いう のは、小学校 で習 ったよ う に空気中 の がら育 って いく、と いう こと です 。 最 も効 果的 に固定 す る方 法 は何 かと いうと、 0 二酸 化炭素 ︵ C0 2︶を取 り入れ て、酸素 ︵ 素 と地中 から の水 です。多 く の人 は、土壌中 の 樹木 も コメもイ モも、原料 は空気 中 の二酸化炭 て いま す。 ここが非常 に大 き なポ イ ント です。 Cは光合成を行 った植物 そ のも のに形を変 え 素︶ はど こに行 った のか、と いう話 になります。 採す る ことなど は論外 ですが、 日本 のよう に緑 一部 の途上 国 のよう に、原生林 を むやみ に伐 二酸 化炭素 は炭素 とし て固定 されたまま です。 本材が木材 であ る限り、 変 えます。 そうすれば 、 ったも のを木造住宅、あ る いは家 具 など に形を たりし てしま えば、 それは意味が な いので、伐 ただ 、伐 ったも のを簡単 に腐 ら したり燃 やし 栄 養分が形を変 え て、 こう いうも のにな って い が豊 かな国 では ﹁ 上手 に木 を伐 って上手 に使 わ 2︶を放出 し て いるわけ です か ら、残 り のC ︵ 炭 ると勘違 いし て いますが、 そう ではなく て、 二 な いと いけな い﹂ のです。 植物 は、光合成 によ って空気中 の二酸化炭素 樹木 では生き て いる部分 と 死 んだ部分が共存 酸 化炭素 と水が原料 です。 植物 には草本 と木本があ ります。草本 は、枯 れ て、 す ぐ に 二酸 化 炭素 に戻 ってしま います。 コメとかイ モのような炭水 化物 は、 われわれが エネ ルギ ー源 とし て食 べ て、 われ われ の体から 二酸 化炭素 とし て、空気中 に出 て行 ってしま い は私も環境破壊だ と思 って いま した﹂ と いう学 生 の感想が返 ってきます 。 つく って います。普段 われわれはあ まり考 えも と水 から、光 の エネルギ ーを使 ってブ ドウ糖を 一方 、木本 は炭素 を固定 したま ま です。本が しま せんが、 これは実 にも のすご いこと です。 ます。 増 えれば増 えるほど、 二酸化炭素 は吸収 。固定 何 がすご いかと言 いますと、ど こに でもあ る る程度 の歳 にな ってく ると貯 留能 力が頭打ち に は若 いうちは頑張 って炭素 を貯 留 しますが、あ ただ し、 一つ問題があ ります 。森林 と いう の 対 できな い芸当 です。全人類 の英知 を集 め ても です 。 これは動物 であ るわれわれ人間 には、絶 根源 であ るブ ドウ糖を つく って いると いう こと でもあ る光 の エネルギ ーを使 って、生物世界 の 二酸化炭素 と水 を原料 にし て、 それを、ど こに な ってしま い、 それ以上 、炭素 を 固定 しなくな し ょうと いう ことにな る のです 。 さ れます。だ から木 を植 えま し ょう、植林しま 実 は、地球 環境 のため、 人類 の生存 のため に は、 むしろ木を伐 って、使 わなければな らな い のです。 産業革命 以前 の地球 の状態 は、 二酸化炭素 が 今 ほど濃くな い状態 でした。と ころが それ 以降、 人類 は石炭 とか石油 など の化 石燃料 を掘 り出 し て燃 やし てしま いました。 そ の結果、 二酸化炭 素 の濃度が増 え て います 。 このため、 いろ いろ 問題が生 じ て いると いう のが現状 です。 〈6179 ロータ リーの友 27年 2月 号 平成 写真提供 :林 知行 木材研究の最先端、秋田県立大学木材高度加工研究所 いう有識故実研究家 が、 思 いつき で言 い出 した らし い、ガ セネタ です。理屈が非常 にま ことし やか であ ったため に、 この話が 一〇〇年 以上 も 語り継が れ てきたわけ です。 事実 とし て、校倉 の壁 は開閉など し て いま せ ん。また大昔 の建物 ですから、もともと機密性 は高くなく て、壁が開閉 しなく ても他 のと ころ から空気 は出入 りし て います。 それ に、 三 つの 倉 のうち、真 ん中 の中倉 は板 を普通 に重 ね合 わ せた板倉 です。 もし、先 の説が正しければ 、中 倉 の宝物 はボ ロボ ロにな って いな いとおかし い わけ ですが、そ んな ことはありません。 では、宝物 が なぜ 長持 ち した のか と いう と、 校倉 の壁があ ったから ではなく て、木材 で囲ま れた状態 に宝物 が置 かれ ていたから です。 よく知 られ て いるよう に、本材 には湿度 調節 機能 と いうすば らし い特性があります。さら に 宝物が スギ の唐櫃 の中 に入 って いた ので、 二重 の湿度調整機能 が働 いて、湿度 の変動が非常 に ことも、長持ち した理由 でし ょう。 木は伐 って 使わなければならな い このよう に、樹 と木 に関す る間違 った知識が 世 の中 に氾濫 し て いますが、今ま で述 べたよう なも のは、大 した間違 いではありません。われ われが見過ご せな い最大 のガ セネタが ﹁ 木 を伐 って使 う ことは環境 破壊だ﹂ と いう こと です。 2015 VOL.63 NO.2 80(=コ THE ROTARttNO― TOMO 少なか ったわけ です。校倉自体が高床式 ですか ら、地面 から の水蒸気が遮 断され て いたと いう 山々には秋田ならではの豊かな美林が広がる 写真提供 :林 知行 2014年 9月 19日 国際ロータリー第 2540地 区 能代・ 能代南 。能代自神 RC合 同例会卓話要旨 ちょっ と知 りたい 木 の はな し 樹 と木 に関す る間違 つた知 識 が世の中に氾濫 してい ます。 中でもわれわれが見過 ご せない最大の ガセネタが「木 を伐 つて使 うことは環境破壊 だ」 です。木材 が木材 で あ る限 り、二酸化炭素 は炭素 と して固定されたままです。 だか ら「上手 に木 を伐 つ て、上手 に使 わない といけない」 のです。 年輪 の広 さと 方角 は無関係 いるわけ ですが、 それ に気 が付 かな いのです。 光合成 によ って葉 で つくら れた栄養 は、木 の 上 から下 へ降 り てきます。ただ、水道管 のよう な と ころを 一直線 に降 り てく るわ け ではなく、 拡散 しなが ら降り てきます。また、本 の幹もね じれたり曲 が ったりし て います。 です から、た と え南 側 で栄 養 が た く さ ん つく ら れ た と し て も、 それが南側 に偏 ってしまうと いう ことはあ りま せん。結 局 のと ころ、年輪 の広 さと方角 は 無関係 です。 です 。 つまり、 この説 はデ タ ラメ であ る ことが り株 を見 てみると、年輪 の広 い方 角 はまちまち 側 だ と。 これが ホ ントかど うかな のですが、切 ら、本 の切り株 を見な さ い、年輪 の広 い方が南 ろ に教 え てもら いました。山 の中 で道 に迷 った はずが ありません。聴診器を当 てると、何らか です。 こんな スピ ード ですから、音 が聞 こえる し い時 でも 一時間 に二〇彙ン 研程度 、時速 二〇彙ン すが、 そ の速 さは、 スギ だ と夏 の 一番蒸散 の激 樹皮 に近 い辺材 の部分 を通 って上が って いきま こえる のかど うか。 根 から吸 い込ま れた樹液 は、 次 に、幹 に耳を つけると樹液 の流 れ る音が聞 わ かります。皆 さん のお子さ んやお孫 さんに こ の音 が聞 こえ てく る可能性 はあります。ただ そ ﹁ 木 の年 輪幅 は南 側 が広 い﹂ と、 子ど も の こ んな ことを教 えると、山 の中 で命 を落 としてし れ は、樹液 の流れ る音 ではなく、何 か別 の音だ 校倉造 の壁 の通風説 に ついて、皆 さんも小学 と いう こと です。 ま う可能性があります。 何 で このようなウ ソを みんなが信 じ込んでし ま った のでし ょうか。恐 らく、次 のような理由 木 の成 長 は遅 い﹂。 これ は事 実 でし ょう。 と こ は早 い。逆 に陽当 たり の悪 い北側 に植 えられた ﹁ 陽 当 た り の良 い南 側 に植 え ら れた木 の成 長 ラに乾 いた天気 の場合 には、縮 む ので隙 間が で った本が膨ら ん で隙間がなくなり、逆 にカラカ が湿 って梅 雨 のような状態 の時 には、水分 を吸 正倉院 の校倉 の壁 は特殊 な断面を し て いて、外 校 か中 学校 で教 えら れた と思 います。 ﹁ 奈良 の ろが、 われわれは、 ここか ら いきなり論理を飛 長持 ち し て いる。 こんな素晴 らし い構造 を考 え か らだ と思 います。 南側 の本 がよく育 つ﹂ 躍さ せ てしまう のです。 ﹁ と いう ことから、﹁一本 の本 の南 側 も よく育 つ﹂、 出 した昔 の人 は偉 い﹂ です。江戸時代 に藤貞幹 ︵一七 三 二∼九 七︶ と と ころが実 は これもよく できたウ ソだ った の きる。 この結果、 風通 しが良 くな って、宝物が つま り南側 の年輪が広 くな ると思 い込ん でしま う のです。 論 理 の飛躍と いうか、甚だ し い勘違 いをし て 〈4181 ロータ リーの友 2月 号 平成 27年 知行 林 秋田県立大学木材高度加工研究所所長兼教授 Tomoyuki Hayashi THE ROTARY‐ NO― TOⅣ 10 2月 は世界理解月間です 2月 23日 は ロータリー創立記念 日です ち ょ っと知 りた い木 のはな し ■ 秋田県立大学木材高度加 工研究所所長兼教授 量中 輛舞何 ︲ 口8 2 徊7 6 シ イズわがまち・ ・ ・ ︰そしてロータリー⋮ 菌7 住んでみた い街﹂の上位に 新 旧が 入り交じり ﹁ 神奈川県 川崎市 文。 宮本 〓 貝 写真 ・ 水村 孝 友愛 の広場 ロー タ リ ー ・アット oワー ク ボ ランティア見本市 で 盲導犬体験事業 川 ロモー ニング ロータリークラブ Eクラブ/別府/東京新宿/臼杵中央/ ︿ 写真﹀ 神埼/2730ジャパンカレントロータリー 川崎幸/古川東 東京豊島東/佐久/鹿沼東/ 甲府北/京都洛西/ 3 回6 ポ リオ撲滅 PR i n しまなみ海道 西尾 ジ ョギ ング クラブ 能古島 で練習会 第 二七〇〇地区 ロータリージ ョギ ング クラブ つに実行 第 二五 一 〇地区第九グループ 六クラブの思いを 一 古木 圭介 青 少 年交 換 学 生 たち の成 長 を この日 で 花巻南 湯川 英機 走る人、支える人にもありがとう 中村 と ころ変 われば 宗王子 松 下 真 理 メーク アップ ・ イ ン・ロンド ン 東一 取上 サ ンパウ ロFC友好カ ツプサ ツカー大会 日 ●内外よろず案内 表 紙 のメッセージ 岡丼 耀毅 ︱ ︱ の表 紙 を 開 いた 1 ヽ 5 ヘー ジ に あ り ま す ● 横 組 み の= 次 は 、 反 対 ︱ ●本 文 ・ 写市︵ な ど の無 断 転 載 ・ 複 製 を 禁 じま す 表紙 レイアウト 箕 牧 彰 表紙題字 加藤 光峰 歓迎﹂ 渡 辺 道雄 公 一 縦組 み ﹁ 五七〇 鶴ヶ島︶ 表紙 横組み ﹁ 空高く跳ぶ豪快なジャンプ﹂ 千野 哲男 今 エハ〇〇 L 田東︶ 4 口5 阿波人形浄瑠璃見学の旅 本巣 観月俳句会 平戸 地元福祉施設の高校生交流会を支援 津 ﹁ カタリ場﹂開催 倶知安 ロータリー野球教室 西条 福原 洋 子 メ 2 アの結 婚 女 王陛 下に幸 あれ 臼杵 丸岡伸比古 見延 一 毒昭 発 作 で倒 れた 人 を介 抱 し て 東一 泉八王子南 坂本 俊雄 宗武蔵村山 米 蘭 故 城 の 美 し き ス ト ゥー パ 東一 ●バナー自慢 卓 話 の泉 津北 伊藤 回 お菓 子物 語 椿原 ロ 最近 の消化器外科手術 浜松 鈴木 ロ 少年法と少年友 の会 ◆稲畑 汀 子 ◆佐佐木幸綱 ◆てじま晩秋 選 65 ロータリー俳壇 ロータリー歌壇 ロータリー柳壇 選 65 2015 VOL.63 NO.2 THE ROTARY― NO― TOMO 82〈 3 1 繁 講 奢中 65 選 言1蝙ミ■ 繁 口"タ ツ 聰 ⊂ONttENttS ‐ 般社団法人 ロー タリーの友事務所 〒1050011東 京都港区芝公園2615黒 龍芝公園ビル4階 Te1 03-3436-6651 Fax 03-3436-5956 編集部メール hensyu@rotary‐ ■o tomojp ポリオのない世界まで あと少 し 子どもたちが、ポリオによつて三度と体 の 自由を奪われないよう 今こそポリオを世界から撲滅 しましょう。 歴史に1ペ ージを刻むために 募金、認識向上、支援 の働きかけにご協力くださし札 endpolionow.or glia Rotary あと少し Angelique Kidjo ロータリーの友 2月 号 第 63巻 第 2号 平 成 27年 2月 1日 発行 (毎 月 1回 1日 発 行 通 巻 746号 昭和 28年 1月 創 刊 昭和 43年 4月 23日 第 3種 邸使 物認 可 発 行 所 一般社 団法人 ロータリーの友 事務 所 ) SPEECH― よつ 供Πり 林 慾ゝ [ま し 知行 │1鑢 市 紳豪 Jll囃 ∫ Rotary
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