英国式人生最終段階のケアの枠組み:Gold Standards Framework の

ディスカッション・ペーパー:
平成 27 年(2015 年)3 月号から 5 回にわたり、国立長寿医療研究センターの先生方による「医療・介護連携」にま
つわる臨床現場で直面している問題に関する論考を掲載してきましたが、今回が最終回となります。
現場の取組み・問題意識・課題を共有させていただき、地域住民としての我々一人一人が、住み慣れた地域で安心し
て暮らし続けるために、何ができるか、何をすべきか等について考えるきっかけとなれば幸いです。
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医療・介護連携における現場の問題(5/全 5 回)
「英国式人生最終段階のケアの枠組み:Gold Standards Framework の日本版策
定への提言~超高齢社会の処方箋としての地域包括ケアシステム構築において、
高齢者の自立と尊厳を支え、安心・安全を提供するために~」
キーワード:End-of-Life Care(人生最終段階のケア)、Gold Standards Framework、地域包括ケアシステム
千田一嘉
国立研究開発法人 国立長寿医療研究センター
在宅連携医療部・臨床研究企画室長
1.はじめに
超高齢社会の我が国で高齢者の尊厳と自立を支え、可能な限り住み慣れた地域で暮らし続けることを可
能にするため、地域包括ケアシステム(文献 1)が構築されつつある。地域包括ケアシステムは、住まい
と生活支援・福祉が前提で、医療・看護・介護・リハビリテーション・保健・予防が切れ目なく包括的に
提供される。その際、地域住民の在宅生活を選択する意義の理解と心構えが重要視される。しかし我が国
では、住民の視点に立脚した医療・介護連携体制が、特に高齢者の安心・安全に大きく影響する人生最終
段階(End-of Life; EOL)におけるケアの場で、未だ充分には確立されていない。
英国では 2001 年に Keri Thomas 教授らが Gold Standards Framework(GSF)
(文献 2)という、患者視点
立脚型の EOL Care(人生最終段階のケア;EOLC)の研修と、それに基づく資格認定と監査のための組織を
創設し、モデル地域において EOLC の実質的な過程と質を向上させた(文献 3)
。我が国の地域包括ケアシ
ステム構築では、良質な EOLC の提供が必須であり、この英国 GSF 式 EOLC 向上戦略の導入は、我が国の地
域包括ケアシステムの拡充に資すると考えられる。
2.英国 Gold Standards Framework(GSF)戦略
英国 GSF は総合診療専門医(general practitioner; GP)出身の Thomas 教授らが始めた EOLC 提供体制
であり、多大な EOL 期の患者の医療・介護ニーズに応えるための GP 対象研修会に起源をもつ。①「驚きの
質問(surprise question): 1 年以内の死を予測可能?」を核とする prognostic indicator guideline
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(PIG)で患者の視点から EOL の医療・介護ニーズを早期から同定し、②患者の意思決定能力の低下に対応
すべく、患者自身の価値観や意向を医療・介護者が双方向で確認しあう過程(ディスカッション)である
advance care planning(ACP)の実施、③早期からの(先制的:proactive)質の高い EOLC 提供の三段階
からなる。
「驚きの質問」とは、
「眼前の患者が 1 年以内に最期を迎えるとすれば、その患者は驚くか?」という医
療・介護者の問いで、驚かない患者には ACP の手順が始められ、それに基づく先制的な EOLC が提供される。
ACP は単に事前指示書などの書面を得ることだけ留まらず、普段の診療・介護の過程で実践される患者視
点・意向の確認と EOLC 全体の目標を共有する。
GSF 戦略は、PIG で同定した EOL の 12 か月にある患者を GOLD 患者と名付け、病態評価に加え、ACP に基
づく患者視点に立脚した支持療法→緩和ケア→終末期ケアと移行し、早期から切れ目なく、症状緩和のみ
ならず心理的・スピリチュアルな支援を、かかりつけ医(GP)
、介護施設、急性期病院、さらに職種や施設
間の垣根を越えて提供する。
「死ぬのはたった一度だけだから、最期の時まではより良く生き抜こう、日の入りは日の出と同じよう
に美しく!」が、GSF のモットーである。GSF はすべての EOL に近づく患者に最高の EOLC を提供するため、
医療・介護の場の垣根を越えた拡がりをみせ、EOLC の質の物差しを定め、それを深めるような研修体制を
構築し、EOLC の質を資格認定・監査体制で保証している。GSF は医療・介護の場の垣根を越えるための共
通言語を、Head(知識)
、Hand(手当・手技)
、Heart(患者中心の思いやり)という、
「H」の三本柱として
多職種協働の研修会で伝授し、多職種間のコミュニケーションを促進することにより包括的な EOLC を可能
にしている。これらの、①拡がり、②深み、③職種や施設の垣根を越えることが、GSF 戦略の三大要素と
いえる。
3.英国 GSF 戦略の実績
GSF 戦略は、多職種協働を促進し、train the trainer 法で多職種の賛同者を増やし、急性期病院や介護
施設を巻き込み、ACP 取得を増やす。そして、緊急入院を減らし、病院死を減少させ、望ましい場での死
を増加し、満足度や QOL を向上し、医療費を削減する。これらのことから、GPS 戦略は英国で広く受け入
られている。GSF 戦略は、価値ある医療・介護従事者を養成し、職能に対する自信と満足感、さらに自己
効力感(self-efficacy)を向上させる。その結果の一部として、英国でも問題となっている介護従事者の高
い離職率を低下させた。GSF は、①EOL にある患者を正しく同定、②患者のニーズや意向に沿った正しいケ
ア、③正しい場:住み慣れた自宅や介護施設(不要な入院を減少)
、④正しい時:先制的かつ計画的、⑤一
貫性という、五つの EOLC の質の基準(quality indicator; QI)を定めている。
GSF は EOL で「避け得る予定外入院(avoidable unplanned admission; AUA)
」が患者・家族の大きな負
担となり、多大な医療資源も消費することに着目し、GSF 三段階の徹底による AUA の減少を実証した。
4.英国 GSF 戦略の考察
GSF 戦略における患者とその家族の視点に強固に立脚した患者中心の EOLC 提供体制が、同じ英国の EOL
最終 48 時間のクリニカルパス:Liverpool Care Pathway(LCP)や、我が国の EOLC 推進拠点における OPTIM
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研究(Outreach Palliative care Trial of Integrated regional Model、厚生労働科学研究費補助金第 3
次対がん総合戦略研究事業「緩和ケア普及のための地域プロジェクト」
)や厚生労働省 EOLC 整備モデル事
業との差異である。
GSF 戦略は研修会や印刷物・インターネットによる良質な EOLC の啓発・普及活動から始まり、包括的な
草の根運動で地域医療・介護の連携を中心とした地域改革を達成し、国家制度に組み入れられてトップダ
ウンの資格認定・監査制度を構築し、EOLC の質を維持・向上している。他方、LCP は監査体制が不十分な
ため、その格調高い内容に反し、運用面で不具合が目立ち、医療・介護の質の担保がなされず、2013 年に
運用が停止された。患者・家族と医療・介護者の間が密室状態になる場合も想定されうる在宅医療・介護
の場において、EOLC の質の保証のための資格認定・監査体制の構築は研修体制と表裏一体となるべきと考
える。
GSF の成功は地域に根差した英国 GP の地道な医療体制に裏打ちされたものと考えられる。国家公務員で
ある GP が国営医療をゲート・キーパーとして担い、
「医療は公共財産」というスタンスで、在宅の患者と
その家族の意向を支え、EOLC の結果を向上させた。
5.GSF 戦略の我が国への導入の可能性
超高齢社会の我が国は、すなわち多死社会でもあり、すべての EOL に近づく患者に最高の EOLC を普及さ
せる体制構築が必要である。社会習慣の異なる我が国おいて英国 GSF をそのまま導入することには無理が
あるが、王政や帝国主義、国民皆保険の歴史などの共有する文化的背景もある。我が国においても、EOL
患者の早期同定に始まる、真摯な ACP の議論に基づく、先制的な EOLC の三段階は有効な枠組みと考えられ
る。
ただ、
「驚きの質問」は直接的過ぎて我が国の医療・介護現場において馴染みにくいかもしれない。しか
し、例えば「自分自身の口から食べられなくなった時、どうしますか?」という問いは、
「驚きの質問」の
代案になり得るかもしれない。また、患者視点に立脚した ACP について医療・介護者が正しい議論を可能
にするためには、充分な研修体制の構築が前提となる。先制的な EOLC の供給には、医療・介護者さらに患
者・家族も知識と手技と心構えの三本柱を学ぶ必要がある。
ゲート・キーパー制が徹底された英国に比して、医療・介護にフリーアクセスが保証された我が国にお
いて、地方レベルでの死亡の場や医療費に及ぼす EOLC 提供体制の効果を同様に検証することには困難が予
想される。日本版 GSF 策定の第一段階は、我が国独自の EOLC における QI を確立し、その QI を満たすこと
のできる医療・介護者の研修体制を確立することであろう。核となるモデル的な地域で研修を始め、我が
国独自の QI で、その効果を検証したその上で、EOLC の資格認定と質の監査体制を構築することにより、
モデル地域からさらに日本全国規模への展開することが期待される。同時に患者視点立脚型の EOLC の存在
と可能性を地域住民に啓発することで、地域包括ケアシステムの根幹をなすべき市民レベルでの意識改革、
すなわち病院中心の医療から地域循環型の医療・介護連携に基づく包括的なケアに変革する草の根運動が
展開される契機となることが期待される。
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6.おわりに
英国 GSF も、モデル地域を越えて英国全体に拡大する過程で、EOLC の質の担保の問題に問題を残し、監
査制度の精度のさらなる向上が議論されている。意識の高い数名の GP が中心となって発展した、英国の限
局したモデル地域での GSF 戦略の成功事例を導入する際には、我が国独自の工夫が必要であろう。それは
今後、①EOL 患者早期同定、②ACP、③先制的医療・介護のそれぞれについて、我が国の実情に応じた三段
階を実践する現場において見出されてくるものと考える。
【参考資料】
(文献 1)地域包括ケア研究会報告書(平成 25 年 3 月、三菱 UFJ リサーチ&コンサルティング)
http://www.murc.jp/thinktank/rc/public_report/public_report_detail/koukai_130423
厚労省ウェブサイト:地域包括ケアシステム
http://www.mhlw.go.jp/stf/seisakunitsuite/bunya/hukushi_kaigo/kaigo_koureisha/chiiki-houkatsu/
(文献 2)GSF ホームページ
http://www.goldstandardsframework.org.uk/
(文献 3)Dale J. et al. A national facilitation project to improve primary palliative care: impact of the Gold
Standards Framework on process and self-ratings of quality. Qual Saf Health Care. 2009; 18:174-180.
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