平成 21 年度新潟薬科大学薬学部卒業研究 年度新潟薬科大学薬学部

平成 21 年度新潟薬科大学薬学部卒業研究
論文題目
記憶障害における学習・記憶の行動解析系の方法と評
価
薬効安全性学研究室
薬効安全性学研究室 4 年
06P130 桐山弘希
(指導教員: 尾崎 昌宣)
昌宣)
要 旨
学習・記憶は人の高度な知的活動の中心と成るものであり、動物が生まれながらに獲得し
ている生命維持機能である。この機能の異常は、人を含め知的活動を行う全ての動物の生活
に障害をもたらすことが予想される。また、今日における急激な高齢化による加齢性認知症、
アルツハイマー病など老化に起因する記憶障害、社会の多様化による小児の発達障害、薬物
乱用による記憶障害、統合失調症・うつ病のような神経系障害を症状とする記憶障害は、老
若男女問わず直面する問題であり、今後さらに増加していくものと考えられる。従って、記
憶障害に関連した疾患の病態解明ならびに治療薬開発において、学習・記憶の行動解析の評
価法は不可欠である。
その方法には、下等動物と高等動物の学習・記憶機構の類似性を利用したモリスの水迷路
や水探索試験などの行動解析法がある。
モリスの水迷路は円形のプールに水を満たし避難場所として水面下に隠れた台(プラット
ホーム)を置き、空間の位置的情報を手がかりとし、このプラットホームへの退避行動を空
間学習・記憶の指標とするものである。大脳辺縁系の一部である海馬は空間学習・記憶に重
要な役割を担っており、海馬を破壊されたマウスは退避行動が消失する。また、老化やアル
ツハイマー病時におこるGABAを介した抑制(
「GABA抑制」
)の異常促進に伴う海馬シナプ
スの可塑性の低下が記憶障害を引き起こし、GABA受容体阻害剤により改善される。これら
のことから、海馬は学習・記憶に関与していると考えられている。
水探索試験は、過去の経験を手がかりとし、絶水後のマウスの水探し行動を指標として潜
在学習能力を評価する方法であり、統合失調症などによる記憶障害の解析に用いられている。
統合失調症には陽性症状と陰性症状とがあり、NMDA受容体拮抗薬フェンシクリジンの単回
投与、連続投与はそれぞれ類似の症状を示す。単回投与による陽性症状は、ドパミン作動性
神経機能の亢進によるドパミンD2 受容体が関与し、連続投与後による陰性症状ではドパミン
D1 受容体を介するNMDA 受容体機能の低下が原因とされ、陰陽両方の症状にNMDA受容体
が関与しており、統合失調症による潜在学習障害の発現にはNMDA受容体が関係していると
考えられる。
このような行動解析法を用いて、疾患に伴う記憶障害や複雑な記憶のメカニズムを解明し、
これからの社会の要求に応えていくためにもこれらの方法は非常に有用である。それ故、本
研究では行動解析法の2つである、モリスの水迷路と水探索試験について概説した。
キーワード
1.記憶
2.記憶障害
3.学習
4.行動解析法
5.加齢性認知症
6.アルツハイマー病
7.モリスの水迷路
8.空間学習・記憶
9. マウス
10.海馬
11. シナプス
12. GABA 抑制
13.β アミロイド
14.水探索試験
15.潜在学習能力
16.統合失調症
17.NMDA 受容体
18.フェンシクリジン(PCP)
19.陽性症状様行動障害
20.陰性症状様行動障害
目 次
1.用語の説明・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
1
2.はじめに・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
3
3.モリスの 水迷路・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
3
4.水探索試験 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
6
5.おわりに・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
10
引用文献・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
11
用語の説明
用語の説明
共通
・トレーニング試行:動物実験において、実験動物に実験内容の体得、習得等を目的とし
・トレーニング試行
て行われる。また、この試行において、顕著に成績が悪いものや、成績が良いものなど、
実験結果に影響を及ぼす恐れがあるものは除外するなどの実験動物の選択も兼ねてい
る。
・テスト試行:トレーニング試行の後に行われ、トレーニング試行と同様または類似の条
・テスト試行
件で行う。ここで得られたデータが実験を通しての結果となる。
モリスの水迷路
モリスの水迷路
・プラットホーム:モリスの水迷路施行によるマウスの退避用の水面下に隠された踏み台。
プラットホーム
・ターゲット:円形プールを
4 分割した際に、マウス退避用のプラットホームを設置した
ターゲット
区域。
・シナプスの可塑性:
シナプスの可塑性 神経系は外界の刺激などによって常に機能的、構造的な変化を起こ
しており、この性質を一般的に可塑性と呼び、シナプスにおける情報伝達効率は、その
使用頻度等により変化する。この現象をシナプスの可塑性と呼び、学習や記憶の基礎と
なると考えられている。可塑性の高さは、記憶・学習の成立のしやすさに良く反映される。
水探索試験
・潜在学習障害:潜在学習とは学習意識や意図が無いのにもかかわらず、自らの目で見た
潜在学習障害
り聞いたりすることよって、無意識のうちに学習・記憶される生物の能力の一つである。
そして、潜在学習障害とは、内因・外因的などの何らかの要因により、その能力が可逆
的または非可逆的に障害されることである。
・記憶障害:記憶障害は、過去に覚えていたことを思い出すこと(
記憶の保持・再生)が出来
記憶障害
ない、長期記憶障害と、新しいことを覚えること(記憶の入力)が出来ない、短期記憶障
害に分けられる。その要因は様々であり、加齢、小児の発達障害、頭部外傷、脳障害、
薬物乱用による脳委縮、中枢神経系の異常など多岐にわたる。
・オープンフィールド:
オープンフィールド 動物の行動計測等を行うための実験装置であり、心理学の分野において
古くから使用されている。
・開始潜時:水探索試験において、マウスをオープンフィールドに置き、動き始めるまで
開始潜時
の時間。
・進入潜時:水探索試験において、マウスがオープンフィールド内の小部屋に進入するま
進入潜時
でに要した時間。
・発見潜時:水探索試験において、マウスがオープンフィールド内の小部屋に進入してか
発見潜時
ら給水ノズルを見つけるまでの時間。
1
・摂水潜時:進入潜時と発見潜時の和(摂水潜時=進入潜時+発見潜時)。
摂水潜時
・NonNon-training
training mice (N マウス)
マウス) (図 2):図 2 の実験における対照マウス。PCP を投与せ
ず、トレーニング試行を行っていないマウス。
・Training -mice (T マウス)
マウス) (図 2):図 2 の実験における対照マウス。PCP を投与せず、
トレーニング試行を行ったマウス。
・NonNon-training
training mice (N マウス)
マウス) (図 3):図 3 の実験における対照マウス。PCP 連続投与
後に薬物投与をせずに、トレーニング試行を行っていないマウス。
・Training -mice (T マウス)
マウス) (図 3):図 3 の実験における対照マウス。PCP 連続投与後に
薬物投与をせずに、トレーニング試行を行ったマウス。
・統合失調症様症状
・統合失調症様症状:統合失調症様症状とは、統合失調症と同一の症状を呈するが、その
症状
症状持続期間は 1 カ月以上 6 カ月未満と限られている場合を指す。また 統合失調症と
類似の症状を呈するが、統合失調症と診断するに充分な症状が無い場合も統合失調症様
症状とされる。
・陽性症状:統合失調症における急性期症状を指し、幻覚・妄想・興奮・昏迷・行動過多
陽性症状
といった症状を示し、本来ないはずのものが、まるで存在しているかのように感じる症
状。
・陰性症状:統合失調症における慢性期症状を指し、自閉・無為・情動鈍麻・意欲の低下
陰性症状
と言った症状を示し、それまであった性質や能力が失われていくような症状。
・陽性症状様行動障害:統合失調症陽性症状における行動過多に伴う、自発運動量増加に
陽性症状様行動障害
よる行動障害。
・陰性症状様行動障害:統合失調症陰性症状における意欲の低下に伴う、自発運動量の低
陰性症状様行動障害
下(無動状態の増加)による行動障害。
2
論 文
1.はじめに
学習・記憶は、人々の生活の中心をなすものであり、生きていくための食物の獲得や生
き延びるための危険回避など、全ての生物が生存するために必要不可欠な生命維持機能で
ある。自ら得た、または外部からもたらされて得た情報を脳に記憶し、それらの記憶した
情報を基に個々が意志決定を行い、生きるための生活を営んでいる(1)。学習・記憶が円滑
に行われるためには、インプット[入力]、脳内での情報処理[保持]、アウトプット[再生]と
呼ばれる一連の流れが適切に実行される必要がある(2,3)。この機能の流れが正常に働かな
い場合、日常生活に支障をきたすと考えられている。
今日の急速な高齢化は、加齢性認知症、アルツハイマー病を中心とする学習・記憶障害
の症状の増加をもたらし、それに加え、社会の多様化や生活環境の変化は、小児の記憶発
達障害やその他頭部外傷などの記憶障害、脳障害による記憶障害、覚せい剤などの薬物乱
用による脳委縮に伴う記憶障害、中枢神経系の異常による記憶障害などを引き起こし、老
若男女を問わず学習・記憶障害の原因となる(4,5)。これらの問題に対処するための方法の
一つが学習・記憶の評価を対象とした行動解析法である。これらの行動解析法により得ら
れた情報を基に記憶障害を引き起こす原因・病態を明らかにすることにより、新薬の創造
を行うことは、加齢による認知症、アルツハイマー病などの記憶に関する障害を持つ人達
にとって必要であり、その治療の鍵となる(2)。また、記憶障害は高齢者に限らず幅広い世
代において解決しなければならない重要な課題である。そのため、学習・記憶の評価を対
象とした行動解析法は薬理学的観点からみても非常に重要であると考えられる。
そこで本研究では、下等動物から高等動物に至るまでの記憶・学習機構の類似性を利用
した、小動物の学習・記憶の行動解析法として頻用されているモリスの水迷路、水探索試
験について概説する。
1,2,6
2.モリスの
2.モリスの水迷路
モリスの水迷路 1,2,6
行動解析法としてよく用いられるモリスの水迷路は1981年にモリス等により考案され、
マウスあるいはラットの空間の位置的情報を手がかりとした退避行動を利用するもので
あり、空間学習・空間記憶を評価することができる。この方法は円形のプールに水を満た
し、避難場所として水面下に隠れた台(プラットホーム)を置くという方法であり、試行
回数を重ねると避難場所を覚えるという簡便な方法であるため、数多く用いられている。
3
方法
マウスから見えないように水面下に退避用の透明なプラットホーム※(直径:7~10 cm)
を設置した円形プール(直径:80~120cm)を用意し、水温を20℃~26℃以上に保ち、部屋
の4箇所又は円形プールの4箇所に目印となる物を配置する。円形プールを4分割(ターゲ
ット※、左、右、反対)し、ターゲット区域以外の1 区域にマウスを放ち、プラットホーム
に到達するまでの時間を計測し、到達したマウスはその場に20 秒間、60 秒以内にプラッ
トホームに到達出来なかったマウスはプラットホームに誘導し45 秒間滞在させる。これ
を1日1~2回、7~10 日間繰り返す。学習の指標として、プラットホームへの到達時間お
よび遊泳距離を計測し、その結果を空間学習として用い、これをトレーニング試行とする。
また、テスト試行としてプラットホームを撤去した円形プールにマウスを放ち、60 秒間
遊泳させ、マウスの遊泳時間のうちプラットホームを設置していた4 分割区域での滞在時
間の割合(%)を計測し、空間記憶の指標とする。
マウスに見えるように退避用プラットホームを設置したプール内において、プラットホ
ームへの到達時間を計測し、各マウスの遊泳能力に差異がないことを確認する。また、実
験期間中は目印となるものや室内の位置関係を移動させないようにする。
※用語の説明参照
結果・考察
モリスの水迷路は、海馬における学習・記憶の影響をみるのに適していると言われてい
る(2)。
海馬は大脳辺縁系の一部であり、外部から入力された新しい情報を記憶として残す役割
を果たしている。脳内に新しく情報が取り込まれると、海馬の神経細胞に電流が送られ、
この電流の繰り返しにより長期増強が起こる。この長期増強の発生により新しいシナプス
が形成され記憶になると考えられている。したがって、海馬を破壊されたマウスはプラッ
トホームの位置を記憶する事が出来ずプラットホームに到達出来ない(7,8)。すなわちモリ
スの水迷路法の施行により、海馬のネットワークが再構成され新しいシナプスが形成され
るが、海馬を破壊すると新しいシナプスの形成が行われず、空間認識による記憶が出来な
くなると考えられている(8)。これらの結果から、海馬は空間における物体と自分の位置関
係の空間学習・空間認識の記憶に関わっていると考えられる。しかし、海馬損傷以前の記
憶が損なわれていないため(2,7,8)、記憶そのものが海馬に蓄えられているわけではなく、
「経験」を「記憶」という形に変換し、一時的に海馬に記憶され、時間とともに大脳皮質
を中心とした脳の各箇所へ送られ、記憶されると考えられる(8)。
また、海馬における記憶はシナプスの可塑性※が重要な役割を果たしており、柔軟な可
塑性によりレセプターの増減、シナプスの伸縮および細胞分裂などによる新しい神経細胞
の形成を行っている。これらの可塑性の低下をGABA受容体阻害剤が抑えることにより、
アルツハイマー病モデルマウスの記憶障害が改善されることが、モリスの水迷路による実
験で明らかにされている(9,10)。老化やアルツハイマー病時には神経活動の抑制機構であ
4
るGABAを介した抑制(
「GABA抑制」
)の異常な促進により海馬シナプスの可塑性が低下
している。その結果、老化の進行とβアミロイド(Aβ)の凝集という2つの要因を引き起こし、
記憶障害をもたらしているとされている。この「GABA抑制」の異常な促進に対し、GABA
受容体阻害剤を用いることにより、海馬のシナプスの可塑性の低下が抑えられ、結果的に
記憶障害が改善されたと考えられている。
※用語の説明参照
図 1 GABA 受容体阻害剤を用いたモリスの水迷路による空間・記憶学習の結果(9,10)
GABA受容体阻害剤の記憶障害改善の効果を検証するために、若いAβ過剰発現モデルマ
ウスに10日間、てんかん発作が発現しない微量のGABA受容体阻害剤を投与し、その後9
日間のモリスの水迷路によるトレーニング試行を行った。対照として、モデルマウスに
GABA受容体阻害剤の代わりに生理食塩水を投与し比較した。
トレーニング試行後のテスト試行において、GABA受容体阻害剤を投与したマウスは生
理食塩水を投与したマウスに比べプラットホームが置かれていた区域(ターゲット)に滞在
していた割合が高く、他の区域(左、右、反対)に滞在していた割合が低い(図1)。これはプ
ラットホームを探索していると考えられ、GABA受容体阻害剤の投与により海馬のシナプ
スの可塑性の低下が抑制され、記憶が形成・改善されたと評価出来る。これらの結果から
GABA受容体阻害剤は、記憶障害改善作用があると言える。
5
12,13
3.水探索試験
3.水探索試験 12,13
記憶のうち、動物の潜在学習能力を調べる方法として水探索試験がある。
水探索試験は、給水ボトルの設置されている場所に絶水していないマウスを一度だけお
いた時、その中にある給水ボトルのノズルの位置を記憶しているか否かを指標にする学
習・記憶の試験である。この方法は無報酬条件下での過去の経験を手がかりとした記憶で
あり、自由な探索行動の中で記憶形成時に報酬(餌など)が得られる正の強化効果や、水
中からの退避や電気ショック回避による負の強化効果を与えることなしに獲得されるた
め、動物の潜在的な学習能力(潜在能力)を反映するとされている。つまり、生活におい
て初めて訪れた場所について空間的配置を動物が本来持っている潜在能力により、無意識
のうちに学習・記憶されることを利用・評価するものである。本方法は実験期間が短く比
較的簡単なため汎用されている。
方法
水探索試験は、トレーニング試行※の後にテスト試行※が行われる。トレーニング試行で
は、給水瓶がセットされた小部屋を有するオープンフィールド※に絶水処置を行っていな
いマウスを入れ、自由に3 分間探索させる。この間、マウスの行動量ならびに給水ノズル
への接触回数を計測する。この時、給水ノズルへの接触が無かったマウスは、以降の実験
には用いない。トレーニング試行終了後、速やかに元のケージに戻しテスト試行を開始す
る24時間後まで絶水する。トレーニング試行を行った24 時間後に行われるテスト試行で
は、マウスをトレーニング試行と同じ場所からオープンフィールド内に置き、開始潜時※、
進入潜時※、発見潜時※を計測し、摂水潜時※を算出する。これらの数値が小さいほど潜在
学習能力が高いと評価する。対照としては、トレーニング試行を行っていないマウスを用
いる。また、給水ノズルは床面から6.5cmの位置にセットする。
※用語の説明参照
結果・考察
水探索試験では統合失調症モデルなどの潜在学習障害の行動解析として用いられ、非競
合的NMDA受容体拮抗薬のフェンシクリジン(PCP)薬物依存者が統合失調症によく似た
症状を示すことが知られている(11‐13)。NMDA受容体はグルタミン酸受容体の一つ
であり、中枢神経系に広く分布し、中枢神経における興奮性シナプス伝達や、学習—記憶な
どのシナプスの可塑性に関与している。また、グルタミン酸はドパミン作動性神経に作用
し、その放出を調整しているが、グルタミン酸はドパミンによっても調節されるという相
互関係があることが知られている(14)。このNMDA受容体を非競合的に阻害するPCPは、
本来、外科手術麻酔剤として開発された薬物であるが、麻酔から覚醒する際に妄想や突発
的な暴力などの副作用が起こることから使用は禁止され、現在は麻薬に指定されている薬
物である。このPCPを単回あるいは連続投与すると統合失調症様症状※が発現し、水探索
試験において潜在学習障害※が認められている(11‐13,16)。
6
PCP単回投与マウスでは、PCPがNMDA 受容体を阻害し、その結果、前頭前皮質およ
び側坐核(大脳辺縁系)のドパミン作動性神経系を亢進することにより、一時的にドパミンの
遊離が増加され、自発運動量が増加することが知られている(11,12)。このPCP単回投与に
よる症状は、統合失調症における陽性症状様行動障害※と類似し、これに起因する潜在学
習障害などの症状は、ドパミンD1受容体遮断薬を用いても改善されないが、定型抗精神病
薬(定型)で改善される(11‐13)。定型は、ドパミンD2受容体遮断作用を示す薬物であり、
ドパミン作動性神経系亢進によるドパミンD2の過剰遊離に対して抑制的に作用するため
症状が改善されたと考えられる。
一方、PCP 連続投与マウスでは、休薬後に前頭前皮質ドパミン作動性神経系の機能低
下が起こり、ドパミンD1 受容体を介するNMDA 受容体機能低下が起こる(13)。これはド
パミンD1 受容体シグナルが前頭前皮質のNMDA 受容体機能を調節していることによる
と考えられている(13)。このことは、前頭前皮質にドパミンD1 受容体作動薬を直接投与す
ることによりNMDA 受容体機能と潜在学習障害が改善されることからも明らかである
(13)。そして、このPCP連続投与による症状は、統合失調症の陰性症状様行動障害※に類似
し、これに伴う学習障害や症状は陽性症状様行動障害と異なり、ドパミンD2受容体遮断作
用である定型では改善されず、非定型抗精神病薬(非定型)で改善される(図3) (10‐13)。
非定型は定型と異なり、ドパミンD2受容体遮断作用に加え、セロトニン5-HT2A受容体遮断
作用を併せ持っている。セロトニンはドパミンの遊離を抑制しているため、セロトニン
5-HT2A受容体遮断によりドパミンの遊離が促進され、ドパミンD2受容体遮断作用により、
ドパミンD1受容体を介する作用が有意となり薬理作用を示す事になる。また、実際の統合
失調症モデルマウスの前頭前皮質ドパミン作動性神経系は、PCP連続投与マウスと同様に
機能低下を起こしており(10)、これがドパミンD2受容体遮断薬により学習障害が改善され
ず、ドパミンD1 受容体の刺激薬、非定型の投与によりドパミンD1受容体が賦活され学習
障害が改善される理由だと考えられる。
このように、統合失調症における潜在学習障害に対し、ドパミンD1受容体とD2 受容体
は異なる作用を持ち、陽性症状※による学習障害にはドパミン作動性神経機能の亢進によ
るドパミンD2 受容体が関与し、陰性症状※にはドパミンD1受容体を介したNMDA受容体
機能低下が関与しているものとされる。これらのことから、統合失調症の陽性・陰性症状
の潜在学習・記憶にNMDA受容体が関与し、NMDA受容体の刺激薬やPCPの作用に拮抗
する薬物などのNMDA受容体を活性化させる薬物により、統合失調症による潜在学習障害
が改善されるのではないかと考えられる(12)。
※用語の説明参照
7
図2 PCP投与によるマウスの潜在学習障害の影響(16)
PCP投与マウスの潜在学習障害の影響を検証するために水探索試験による以下の実験
を記す。
トレーニング試行の30分前にPCP(0.3㎎/㎏)、PCP(1.0㎎/㎏)を投与し、トレーニング試
行後の20~24時間後にテスト試行を行った。対照としてNon-training mice(Nマウス)
Training - mice(Tマウス)
※
、
※
を用いて比較した。
進入潜時においてNマウス、Cマウス、PCP投与マウスとも時間に大きな差はみられな
いが、発見潜時おいてPCP(1.0㎎/㎏)を投与したマウスはCマウスに比べ、大幅な時間の延
長がみられた。また、PCP(1.0㎎/㎏)投与マウスはNマウスの時間よりも延長が確認された
(図2)。このことから、PCP(1.0㎎/㎏)投与により前日に行われたトレーニング試行の学習・
記憶が障害され、トレーニング試行を行っていないNマウスと同等、それ以下の結果にな
ったと考えられる。しかし、PCP(0.3㎎/㎏)を投与したマウスではCマウスの結果と差がな
いことから、PCP(0.3㎎/㎏)のような低用量では記憶・学習にあまり障害をきたさず、
PCP(1.0㎎/㎏)のような高用量において学習・記憶を障害すると評価できる。
※用語の説明参照
8
図3 PCP連続投与後の潜在学習障害に対する抗精神病薬の効果(12)
PCP連続投与の休薬後における潜在学習障害に対する抗精神病薬の効果を検証するた
め水探索試験による以下の実験を記す。
PCP(10mg/kg)を2 週間連続投与後、休薬して陰性様症状が発現したマウスに定型抗
精神病薬であるハロペリドール[Hal](0.1mg/kg)、 (0.3 mg/kg)、非定型抗精神病薬である
クロザピン[Clz](1 mg/kg)、 (3 mg/kg)をトレーニング試行の前に投与し、トレーニング試
行の24 時間後にテスト試行を行い、発見潜時を評価した。対照としてNon-training
mice(Nマウス)
※
、Training - mice(Tマウス)
※
と比較した。
トレーニング試行前にHalを投与したマウスは、Nマウス、Tマウスよりも時間(発見潜
時)の延長が観られた。これは薬物を投与したことにより、陰性様症状の学習・記憶障害が
悪化したため時間が延長したと考えられ、Hal(0.3 mg/kg)投与時の方が (0.1mg/kg)投与時
よりも時間が延長され悪化している事が判る。また、Clzを投与したマウスは、Nマウス、
Tマウスに比べて時間が短縮された。これは、薬物の投与により学習・記憶障害が改善さ
れた結果だと考えられ、Clz(1 mg/kg)投与時よりも(3 mg/kg)投与時の方が時間が短縮され
た(図3)。このように、同じ抗精神病薬にも関わらず、定型抗精神病薬のHalでは、濃度依
存的に学習・記憶障害を悪化させ、非定型抗精神病薬のClzは、濃度依存的に学習・記憶
障害を改善させた。よって、PCP連続投与後における潜在学習障害は、定型抗精神病薬に
より悪化し、非定型抗精神病薬により改善されると評価出来る。
※用語の説明参照
9
4.おわりに
学習・記憶とは日常意識しないと気づかないが、日常生活を円滑に進めるために、非常
に重要な役割を担っている。この生活の礎を担っている学習・記憶システムの破綻は日常
生活を含めた様々なことに影響を及ぼし、生きることに対する意欲・質の低下をもたらす。
そのため、学習・記憶システムの破綻の原因を明らかにし治療することは、生きる上で大
切な意味を持つ。学習・記憶障害は様々な原因が密接に関わり合うことで起こり、1 つの
原因を取り除いただけでは完全に治療することは難しい。しかし、記憶はインプット、処
理、アウトプットといった一連の流れであり、行動解析法により障害部分を見極めること
により、治療の糸口に繋がると予想される(13)。
モリスの水迷路は、空間と自らの位置関係を経験によって記憶させるものであり、海馬
における記憶のメカニズムは経験を記憶に変換せることによるため、海馬に異常をきたす
記憶障害では、インプットされた情報を処理する機能に障害があると考えられる。そして、
この処理機能を薬物によって改善・調節することにより、経験したことを速やかに記憶と
して残すことになり、記憶力の向上、記憶障害の改善、あるいは自分にとって不必要な情
報・経験を記憶として残さない、記憶の選択が可能となるかもしれない。この海馬の記憶
を司っているのがシナプスの可塑性であり、この可塑性を調節する薬物の探索・創薬が今
後さらに必要となってくるものと思われる(9,10)。
また、水探索試験は統合失調症による潜在学習障害の指標とされ、NMDA 受容体を遮
断したり、
PCP 投与による NMDA 受容体を拮抗させることで起こることが分かっている。
この NMDA 受容体はドパミン作動性神経系と密接に関係しており、どちらの機能に異常
が起きても学習障害が現れる。しかし、統合失調症の陽性症状にはドパミン D2 受容体が、
陰性症状にはドパミン D1 受容体が各々関与し、治療薬も異なるのに対して、NMDA 受容
体は双方に対し改善効果をもたらし学習障害を改善させると考えられる。そのため今後の
主流となる薬物は NMDA 受容体の刺激薬であり、陽性・陰性症状の双方を治療し、症状
に伴う潜在学習障害を改善させる。これらのことより、NMDA 受容体の刺激薬の必要性
は今後高まるものと考えられ、この薬物の統合失調症による潜在学習障害の改善薬として
の開発が今後の重要な課題である(15)。
このような小動物を用いた行動解析法において動物実験から人への適応は、臓器の相対
的大きさ、代謝速度、質的相違(食性など)などの問題点も見られるが(17)、学習・記憶
の機構が類似していることから、動物実験によって得られた結果が人を含めた高等生物の
記憶形成過程、記憶障害の病態解明に寄与し、治療薬開発の一歩となると考えられる(1)。
そして、学習・記憶障害に対する社会の関心や薬物治療の必要性が今後益々増加すると予
測される中で、今回本研究テーマとした学習・記憶の行動解析法を用いて得られた結果が、
複雑な学習・記憶の病態解明に少しでも繋がることが期待される。
10
引 用 文 献
1. 田熊一敞, 永井拓, 山田清文, 学習・記憶行動の評価法, 日薬理誌, 130,112-116.
130
(2007)
2. マウス/記憶学習について, 有限会社 フェノタイプアナライジング(ホームページ参考,
http://obox.jp/nou/index.html)
3. 関野祐子, 海馬神経回路と記憶形成, 群馬大学大学院医学系研究科高次細胞機能学.
(ホームページ参考, http://neuro.dept.med.gunma-u.ac.jp/review/kaiba.htm)
4. 猿原孝行, 認知症とは何か, 医療法人社団和恵会職員研修会. (ホームページ参考,
http://www.kotou-wakeikai.com/up_pdf/Wakeikai200815.pdf)
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