未遂を表す後項動詞の意味分析 ―「~そこなう」、「~そびれる」を中心に―

未遂を表す後項動詞の意味分析
―「~そこなう」、「~そびれる」を中心に―
木村あずさ(名古屋大学大学院)
1.はじめに
本発表は、影山(1993)において「未遂」の複合動詞後項として分類されている「~そこなう」と「~そびれる」の意味
について明らかにする。また、
「~そこなう」を「単義語に近い多義語」の性質を持つと考え分析する。
「~そびれる」に
ついても意味分析を行い、
「~そこなう」との類義語分析を行う。
「~そこなう」
「~そびれる」はベースとプロファイルの
観点から分析を行う。
2.先行研究と問題点
❶「~そこなう」
「~そびれる」…影山(1993)統語的複合動詞を V2 の特徴ごとに、始動、継続、完了、過剰行為、再試行、
習慣、相互行為、可能、未遂に分類した。その中でも未遂にあたる語である。
❷辞書の記述…他の語で言い換えがなされており、各語の意味がどのように異なるか明記していない。
3.「~そこなう」の分析
3.1. 多義的別義
多義的別義 1:<主体が><何らかの理由によって><V1 の行為に><着手できず><結果として実行することができな
い>
(1)父は「責任」と言ったが、要するに日雇いアルバイトの責任である。池貝が一日配達をサボッた
ところで契約者が一朝牛乳を飲み損うだけである。一本の牛乳を飲み損ったところで、彼らの人
生にとってどうということはあるまい。(『魚葬』
、森村誠一)
例文(1)…日雇いアルバイトが仕事をサボる、ということが理由となって、主体である契約者が、牛乳を飲むという行為
に着手できない。アルバイトが仕事をサボると、契約者の家には牛乳が配達されないため、結果として主体は、牛乳を飲
むという行為に着手することができない。
多義的別義 2:<主体が><何らかの理由によって><V1 の行為を><想定したとおりに行えず><結果として実行する
ことができない>
(2)実は、現代の日本人の多くは、第 2 次大戦当時アメリカ人から日本人がどう見られていたかに
ついて、ほとんど自覚がないし理解もしてない。だから『硫黄島からの手紙』にこめられたメッ
セージを読み損なうのである。
(http://yohnishi.at.webry.info/201108/article_8.html)
例文(2)…現代の日本人の多く(主体)が、ブログの筆者が想定したように、映画のメッセージを読むことができない。
3.2. (それぞれ確立した)複数の意味の認定/単義語よりの多義語
籾山(2014、2015)は諸研究を踏まえ、単義語・多義語・同音異義語は連続体を成し、単義語と同音異義語を両極とし、
その中間に多様な多義語が連続的に存在する、と述べている。
「~そこなう」→「単義語よりの多義語」にあたると考えられる。多義語のスキーマ的意味の自立性が高い場合、多義
語の複数の意味の差異が(典型的な)多義語より小さい。
「~そこなう」スキーマ的意味:<主体が><何らかの理由によって><V1 の行為を><結果として実行することがで
きない>
(3)1塁→1塁の送球でダブルプレーをするとき、1塁手が打球を処理して遊撃手に送球した瞬間に、1塁ベースをち
らっと見て位置を確認し、帰塁しながら遊撃手からの返球を受ける。 確認しておかないと、1塁ベースをふみそこ
なうことがあるからだ。(『New 野球テクニック』
、土屋弘光)
例文(3)…2 つの別義の違いはあまり際立たず、2 つの別義のスキーマである<主体が><何らかの理由によって><V1
の行為を><結果として実行することができない>という意味の方が際立っていると考えられる。
4.「~そびれる」の分析
<主体が><主体を取り巻く状況に影響されて><V1 の行為を><実行することができない>
(4)西武に乗り換えたものの、ホームの表示の意味がイマイチよく解らずに、特急に乗りそびれました。悔しい(>д<)。
(BCCWJ)
例文(4)…主体は電車に乗ろうとしていたが、
「西武線のホームの表示が複雑」であるという状況によって、乗り場がわ
からず、その結果、
「特急に乗る」ということができなかった。
5.
「~そこなう」と「~そびれる」の類義語分析
本発表では、
「~そこなう」の多義的別義 1 と「~そびれる」は類義関係にあると考える。
「~そこなう」多義的別義 1:<主体が><何らかの理由によって><V1 の行為に><着手できず><結果として実行す
ることができない>
「~そびれる」
:<主体が><主体を取り巻く状況に影響されて><V1 の行為を><実行することができない>
(5)名鉄の野間駅を降り、東へ歩くと法山寺という寺があるらしい。そこには源義朝が殺害された
湯殿跡があるという。今回曖昧な書き方をしているのは、そこに行きそびれた/行きそこなっ
たからである。
(http://rekiaru.onishi-lab.jp/017.html)
本発表では「~そこなう」の別義 1 と「~そびれる」は、
「ベースは同じだが、プロファイルは異なる類義表現」(籾山
(2005))だと考える。
類似点(ベース)
<主体が><V1 の行為を><実行することができない>
相違点(プロファイルの違い)
「~そこなう」別義 1…V1 の行為のプロセスの着手段階に注目
「~そびれる」…V1 の行為全体をひとまとまりとして注目
<主要参考文献>
影山太郎(1993)『文法と語形成』
、ひつじ書房
籾山洋介(2005)「類義表現の体系的分類」、
『日本認知言語学会論文集』第 5 巻、pp.579-583、日本認知言語学会
籾山洋介(2014)「多義語分析の課題と方法」、
『NINJAL Typology Festa 3(ハンドアウト)』
、国立国語研究所
籾山洋介(2015)「多義語の多様性と位置づけ」
、
『第 150 回現代日本語学研究会(ハンドアウト)』
、名古屋大学
NINJAL-LWP for BCCWJ (NLB) 国立国語研究所(http://nlb.ninjal.ac.jp/)