綴葉 - 京都大学生活協同組合

ていよう
綴葉
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No.340
あなたが創る生協の書評誌
▶
話題の本棚
下嶋哲朗著『平和は「退屈」
ですか』
田口かおり著『保存修復の技法と思想』
特集/戦後70年
新刊コーナー/新書コーナー/私の本棚(日韓条約50年/70年目の帝国陸海軍)
〒606-8317 京都市左京区吉田本町
Tel:771-6211 / E-mail:[email protected]
綴葉HP: http://www.s-coop.net/about_seikyo/public_relations/
京大生協綴葉編集委員会
話題の本棚
戦争体験の「語り・継ぎ」に挑む
をさらに後世に伝えていくためでもあった。しかし――。
戦争体験のない者が戦争体験のない者に戦争体験を語ることはで
きるのか? 「虹の会」の活動は示す、たしかに戦争経験はないの
でそれを「思い出す」ことはできないがしかし「思い起こす」こと
平和は「退屈」ですか
元ひめゆり学徒と若者た
ちの五〇〇日
と語った。何故持っていったのかとの問いに《「動員先でも好きな
いずれにせよ平和学習は隘路に、学習会の講演者――戦争体験者の
ことを持っていないという状況など、いくつかあるのかもしれない。
とを行動に移す機会のないその形態や、あるいは聞く側が学びたい
た「平和が大事、戦争反対」という題目を繰り返すのみで学んだこ
や戦争に至った経緯の分析などの論理的な深まりを得られない。ま
を聞いて感想を書く」といった情緒的な展開に終始して事実の調査
小中高と受けてきた「平和学習」の時間が苦痛だった人も多かろ
うけれども、その原因としてはたとえば「戦争のビデオを見て講演
の魂の深みにまで降りてゆき、見たこともないもの、新しい価値を
事」と形容する。「語る」者と「継ぐ」者が共同して《戦争体験者
し て 自 ら を 新 た に し て い た と 言 え る。 そ れ を 著 者 は「 い の ち の 仕
った》。このとき語り部は自らと出会い直し、若者も質疑応答を通
の意味を理解したとき、ひめゆりの人々はいままでになく真剣にな
る人たちだから、この質問には面食らったに違いなかった。が、そ
と言うとしたら、なんと言いたいですか?」「自分に?」他人に語
えている、いまの私と変わらない」……「そのときの自分にひとこ
は考える。《「ひめゆりの少女たちは戦争なんて遠いことのように考
習字の勉強ができると思ったから」》と答える。それを聞いて若者
はできる、と――。ある語り部は、学徒動員の日に硯箱を持参した
下嶋哲朗著 岩波現代文庫
《言葉がこころに届かない》状況に陥っている。二〇〇四年に沖縄
今後も各地の戦争体験者は語りを終了させていくだろう。しかし資
発見して、ふたたび上がってくる創造的な仕事》である、と。
料館など物的対象は残る。それらによって、あるいは新たな語り部
で元ひめゆり学徒隊と若者たちによる自主プロジェクト「虹の会」
ひめゆり学徒隊――ひめゆり学園(沖縄師範学校女子部および沖
縄県立第一高等女学校)の生徒二二二名と教員一八名からなる軍属
によって戦争に触れたとき、わたしたちは戦争を「こころ」で体験
が立ち上がったのは、この状況を打破するためである。
の看護要員であり、そのうち一三六名が戦死した。生き残った生徒
この活動は、戦争を体験していなくても語りうることを示してい
る。本年三月にひめゆり平和祈念資料館の語り部の活動は終了した。
たちは一九八九年ひめゆり平和祈念資料館を開いて戦争体験を継承
語り部の、心の奥底に下りていく
するために語り部の活動を続けてきたが、しかし今後、誰が継承し
し、それを継いでいくことができるのである。 (明)
(二四六頁 税込九二八円 月刊)
ていくのかという課題に直面する。「虹の会」の発足は、戦争体験
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2
話題の本棚
修復理論 の 現 在
保存修復の技法と思想
古代芸術・ルネサンス絵
画から現代アートまで
きかえ」や、絵画表面のヴェールである古色(パティナ)の過剰な
除去によって、介入以前に戻ることの不可能な程度にまで「修復」
することを抑制する。第二の「判別可能性」は、修復された部分と
修復されていない部分を判別できるように明確な差異化を図ること
で、修復介入が制作時の領域に触れることを回避し、オリジナル作
品の真正性を守ろうとする立場である。第三の「適合性」は、修復
っ た 修 復 介 入 を 避 け る た め に 唱 え ら れ た、 四 つ の 基 本 原 則「 可 逆
権力になり、暴力的な接触に転換しうるからである。本書では、誤
ない修復介入は、たとえ善意によるものであっても、作品に対する
主義的な想いだけでは成功しない。確かな技術と洗練された思想の
われた純粋性を取り戻し、作品に永遠の美と生を与えるという理想
状態を、未来へ残すことを夢見ることだ。ただし、修復介入は、失
の無傷な状態へ復元することを望むと同時に、そうした最も美しい
状態に戻そうとする試みである。それはすなわち、作品を完成直後
修復とは、単純に言えば、時間の経過によって劣化した作品や、
災禍あるいは悪意ある破壊活動によって損傷を受けた作品を、元の
復とは何か」と疑問を抱いた読者も少なくなかっただろう。
れてしまったために、論争を巻き起こした。この出来事を知り「修
描かれていたキリストが毛むくじゃらの猿のような生物に描き直さ
二〇一二年、スペイン北東部の教会で、劣化したフレスコ壁画を、
八〇代の女性が自己判断で修復した。しかし修復完了後、もともと
対峙する修復士の倫理的眼差しが強く伝わってくる本書は、今後、
な事例について、修復学の観点から仔細に検討がなされる。作品に
更に、古代ローマにおける彫像作品への政治的な破壊行為、修復
技術の悪用としての贋作制作、公共建造物への補修など、実に多彩
作品固有の時間が侵害された例は過去に数多くあるのだ。
要な介入によって、作品が全く別のものに改作されてしまったり、
る。支持体の取りかえや過剰な補彩など、修復士による劣悪で不必
ゆる「ヴァンダリズム」)へと、意図せず接近する可能性が常にあ
ても、作品への落書きや切り裂きなどの悪意ある暴力的介入(いわ
以上の四つの原則のような、オリジナル作品に固有の価値と作品
が残存してきた時間を尊重する思想がなければ、正義の介入であっ
望ましいと考えるものだ。
て劣化したり、損傷を受けている状態のほうが、過剰な加筆よりも
の介入」は、修復介入そのものの正当性を疑い、時間の経過によっ
衝を起こさず、調和・適合することを理想とする。第四の「最小限
のために新たに使用する素材と、制作時に使用されていた素材が折
性」「判別可能性」「適合性」「最小限の介入」を通じて、芸術作品
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田口かおり著 平凡社
の修復を巡る極めて繊細な考察が展開される。
修復の問題を真剣に考える際、貴重な参照点となる。 (ミント)
(三三三頁 税込五一八四円 月刊)
第一の「可逆性」は、修復前の状態に戻る可能性を意味し、「描
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戦後70年
特集
2015. 8. 10
綴 葉
戦後70年。しかし私たちは、あの戦争を、どれほど知って
いるだろうか。解釈改憲や集団的自衛権の問題がメディアを
賑わす昨今。あの戦争とその後の日本の歩みについて考える
ことは、もはや単に過去を振り返るだけではない。今を知り、
未来のあり方を想像することでもあるのだ。
(貝殻)
リティクスを克明に整理する。
の変化を広範に分析したのが、福間良明『
﹁聖
戦﹂の残像』である。戦争の記憶をめぐるポ
なぜ戦争を振り返らねばならないのか
あの戦争は一体何だったのか
戦争を知らない私たちが戦争を「実感」す
るには、映像や写真、小説などに頼らざるを
第一に、私たちには、一人の人間として、
戦争被害者からの問いかけに「応答」する責
たのが高橋哲哉の『戦後責任論』だ。
に覚えのない﹂世代の戦後責任
﹁身
く漫画だ。
任がある。戦争の当事者かどうかも、国境も
得ない。小説は後の特集に任せるとして、こ
わけのわからぬまま戦地に赴き、上官のビ
ンタに怯えつつも、仲間や慰安婦と歌を歌っ
関係ない。だから戦後生まれの世代にも戦後
しかし、そもそもなぜ戦争に直接関係のな
い私たちが戦争について知り、ある種の責任
て 気 を 紛 ら わ し、 そ れ な り に 平 穏 に 暮 ら す
責任は存在する。しかし第二に、私たちには
を果たさねばならないのか。この問題に答え
日々。しかし、不慮の事故や病気、戦闘で仲
い自決した日本兵たちを描いた、実話に基づ
間があっけなく死んでゆき、見えない敵の恐
「日本人としての責任」もある。ナチスの犯
こ で は、 水 木 し げ る の 名 作『 総員 玉 砕 せ
よ!』 を お 薦 め し た い。 あ る 南 国 の 島 で 戦
怖と戦場の狂気のなかで、総員玉砕が決され
のか。ポピュラーカ
争をどう語ってきた
ところで、他にも「はだしのゲン」など戦
争を題材とする作品は多い。日本人はあの戦
さをじわじわと伝えている。
そこに充満する不気味さ、滑稽さ、あっけな
においてこそ、重要なヒントを与えてくれる。
過去の「否認」が広まりつつある今日の状況
書かれた論考集だが、「慰安婦問題」を含め
告発が噴出した冷戦後の戦後五〇年の時期に
おらず、過去の過ちを全く清算できていない
れまで日本は自国民の戦争犯罪を全く裁いて
る。戦地の日常を淡々と描くことで、却って、 罪を大規模に裁いたドイツとは対照的に、こ
ルチャーや戦記、体
からだ。本書は、アジアの戦争被害者からの
験記、マスメディア
温存される無責任の体系
しかし、戦争を振り返らねばならない近年
における戦争の語り
4
原発事故や昨今の安保法案、新国立競技場を
の特別な 事情も存在する。まさに三・一一の
日本の幹部は口を揃えて、「状況が我々を戦
をもって戦争開始を「決断」した。しかし、
自身が自らを擁護するために持ち出し、それ
「表現の自由」や「公正な報道」を、権力者
負け続けている。権力からの独立を意味する
「否認」し続けることで、却って、永続的に
らを骨抜きにする。日本には立憲主義も民主
争に向かわせた」「成り行きに任せるしかな
主義も根付いていなかったのだろうか。過去
めぐる動きには、戦争に邁進した戦前の日本
任を不可視化し、拡散させるような言語・思
の戦争を基点としつつ現在の問題を読み解く
かった」と主張した。既成事実に流され、責
考上の習慣が日本人には存在する。それがあ
社会の病理が再出現しているからだ。この問
の巨大な被害をもたらしたのだ。
上 で、 白 井 聡 と 内 田 樹 の 対 談『 日本 戦 後 史
論』が興味深い。時間だけは経ったが、あの
題を考える上で、丸山眞男の名著『超国家主
白井聡『永続敗戦論』が指摘するように、
それは、福島原発事故を生んだ今日の日本社
戦争は何ら終わっていないようだ。
(れ
くた)
同名の論文で、丸山は、日本国民を戦争へ
と駆り立てた超国家主義(ウルトラ・ナショ
義の論理と心理』は必読書である。
ナリズム)の精神構造を分析した。その特徴
会の問題そのものだ。日本は、過去の敗戦を
家 が 倫 理 的 実 体 と し て 具 現 化 さ れ、「 国 体 」
された。それから一年。二〇一五年七月一六
二〇一四年七月一日。閣議決定により憲法
解釈が変更され、集団的自衛権の行使が容認
る」(平和的生存権)
存する権利を有す
……平和のうちに生
前 文「 わ れ ら は、
イツ・ナチスの幹部
に明らかにした。ド
の責任を自覚しない「無責任の体系」を克明
とがわかっていた戦争を開始し、敗戦後もそ
口創・大塚英志『今、改めて﹁自衛隊のイラ
ク派兵差止訴訟﹂判決文を読む』(星海社新
ろうか。この答えに対して否を唱えたのが川
と こ ろ で、 こ の 事 態 は 次 の 問 い を 生 む。
《誰が憲法を「解釈」するのか》。総理大臣だ
解釈の主体
当がつかない。
月上旬に、事態はいかなる状況にあるか。見
も反していることを明晰に示す――の、その
て、政府見解に沿ってもイラクでの航空自衛
かし鮮やかに、新聞報道や政府答弁に基づい
主張を目指した。本書はその主張をほぼ全般
私たちの平和的生存権を侵害している》との
を根拠に《自衛隊のイラク派兵は憲法違反で、
たこの訴訟は、憲法
が真善美のすべてを統制し、人々の内面に侵
日に衆議院にて安全保障関連法案が採決され
〈わたし〉たちの、〈わたし〉たちによる、〈わたし〉たちのための憲法
は、国家と倫理、権力と道徳の一体化に他な
らない。宗教戦争の果てに発明された国家の
形式は、人々の内面的自由を保障しつつ、世
俗世界での統合をはかる価値中立的・技術的
入した。国民の責任ある自立的な判断は不可
性格を有した。しかし、日本では、まさに国
能となり、無批判の中総力戦へと突き進んだ。 た。読者諸賢が本誌を手に取っておられる八
は、多くの虚妄に取
意義を説く。著者二人も述べているが、判決
「軍国支配者の精神形態」では、東京裁判
での政府・軍幹部の証言をもとに、負けるこ
り憑かれていたとは
書)である。三二〇〇人の市民が原告となっ
隊の輸送活動はイラク特措法に反し、憲法に
的に認めた控訴審判決――平易な言葉で、し
いえ、一定の見通し
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綴 葉
No.340
2015. 8. 10
綴 葉
――をどれほど行なうかによるのである。
が憲法の《内容を豊かにする作業》――解釈
憲法が保障しようとする権利は具体的にど
のような権利なのか。それは〈わたし〉たち
と認められていく。
され》、《極めて多様で幅の広い権利である》
な憲法上の概念が《解釈によってそれが充塡
兵」反対の陳述書を書いた。その結果抽象的
言 葉 で 言 い 表 し、 イ ラ ク 戦 争 や 自 衛 隊「 派
の原告全員が憲法の前文および九条を自分の
存権」が認定されていく過程だ。三二〇〇人
トされた条項の方が多い。
なく民法の範疇であるとの判断のもとにカッ
医療・歯科・眼科の無料治療、……憲法では
しかし、妊産婦の保護、非嫡出子差別の禁止、
これは最終的に現行憲法第二四条となった。
や結婚・離婚の選択の自由が明示されたのは。
その大前提だった》。その結果だ、男女平等
日本は平和にならないと思った。男女平等は
れ る。《 私 は、 女 性 が 幸 せ に な ら な け れ ば、
な憲法草案を書いた日々とその昂揚とが綴ら
を任命され、事細か
緯、憲法草案の執筆
となって来日した経
ために民政局の一員
非対称性の解消が「平等」であると評者は解
ることで気づかされるのだ。――このような
らわれるなかに、言葉が、そしてその背後に
いそのくらい」とのせせら笑いによってあし
なのだけど」という抗議が「別にいいじゃな
れる。それは「そういうふうに言われるの嫌
いや他者への抑圧は残っているように感じら
だろう。とはいえ目に見えぬ空気として女性、
こうして徐々に、制度も法も変化していくの
反するとの最高裁判所判決もなされている。
分を嫡出子の半分とする民法の規定は憲法に
ない私』)。また二〇一三年に非嫡出子の相続
が口癖で》(『かけがえのない、大したことの
って女はえらい目にあっていた」っていうの
った、負けていなかったら、未だに男が威張
いけど、……「日本は戦争に負けたからよか
親 を 次 の よ う に 語 る。《 …… 無 学 で 教 養 も な
理念を語る言葉の力
だからといって、ベアテの思いが断ち切ら
れたという訳でもない。たとえば本誌でも取
はさんで両親を探す
そのような現行憲法――日本国憲法の制定
り 上 げ た こ と の あ る 田 中 美 津( 二 〇 一 五 年
文で重要なのは具体的権利として「平和的生
庫)である。三項目のマッカーサー・ノート
釈するのである。 汚くもない」。「米軍が上陸し、天地にあらゆ
ったく焼鳥と同じことだ。怖くもなければ、
(明)
終戦まもなく、一九四六年に発表された坂
口安吾『白痴』の一節だ。この文章から、な
にを見出せるだろう。投げやりな無気力か、
ともなくなっていた」。
が、すべてを裁いてくれるだろう。考えるこ
戦後、
その出来事はいかに描かれたか
ある思いが踏みにじられている事実に直面す
から急速にかつ秘密裏にGHQ草案が完成し
一・二月号)は、一九一〇年生まれのその母
過程を丹念に追ったのが鈴木昭典『日本国憲
法を生んだ密室の九日間』(角川ソフィア文
――その背景にも紙幅が費やされる――、そ
れに基づいた日本政府案が衆議院での修正等
を経て公布に至るまでが克明に描かれる。
ドン。当時二二歳である。その自伝『1945
年のクリスマス』(柏書房)は廃墟の日本に
る破壊が起り、その戦争の破壊の巨大な愛情
「人間が焼鳥と同じようにあっちこっちに
死んでいる。ひとかたまりに死んでいる。ま
帰還した日に始まり、五歳から一五歳までの
その密室の九日間を過ごした草案執筆者
二五人のうちの一人がベアテ・シロタ・ゴー
日本での幼年時代や留学時代のエピソードを
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募る疲弊か。しかしどこかあっけらかんとし
汗を流し、恋愛を楽しむことができる。しか
ま っ た の だ ろ う か。 あ の 戦 争 は「 特 別 な こ
かのように見える。戦後はもはや終わってし
確かに「戦争」が刻み付けられていることに
と」として回顧され、学習されるしかないの
気付いてしまった。かつて中学生のころ、ア
し、なぜかその幸せに没入することができな
よって過去の傷を直視すること。青年への忠
メリカの片田舎に留学させられていたこと、
た清清しさをも感じさせる。主人公の傍らに
告は、架空の悩み相談の姿を借りた、時代へ
した自伝的要素を盛り込みつつ、舞台は八〇
だろうか。
の忠告だったのかもしれない。
年代のアメリカと現代日本を往還しながら、
い。ふとしたきっかけで古傷が開くように、
ポツダム宣言を受け入れた日本を待ってい
た の は、 平 和 で 民 主 主 義 的 な 社 会 だ っ た。
大江健三郎『芽むしり 仔撃ち』は、戦中
から戦後にかけての日本のトラウマを、個人
い ま ま で 目 を そ む け ら れ て き た 裁 判 の「 真
何もかもが虚しく感じられてしまう。青年の
人々は平和を享受し、幸せに生きていけるは
の 物 語 と し て 描 い た。「 人 間 の 羊 」 で は、 バ
佇む白痴の空虚な瞳。ただ人は怯え、ただ生
ずだ。しかし人々が巻き込まれたのは、不安
ス車内での米兵たちによる辱めを、ただ無力
きていた。意味もなく、生きのびることが目
への渦だった。むしろ、戦争が終わってから
に受ける青年が描かれる。同じ日本人であり、 実」が解き明かされていく。
終戦直後の事件を、現代にいたるまでの射
こそ、人々はその痛みに気付くこととなった
田 口 ラ ン デ ィ『 被爆 の マ リ ア 』 で は、 戦
争・原爆をめぐる、人々それぞれの捉えられ
悩みに、作家は「気取った苦悩」と捉える。
のではないか。まるで、大怪我を負った人が
方が示されている。結婚の決まった主人公に、
的であった生があった。しかし、終戦を迎え
患部を目の当たりにして初めて、痛みを感じ
誰が被害者になってもおかしくなかったはず
キャンドルサービスで「原爆の火」を使いた
「いかなる弁明も成立しない醜態を、君はま
るように。戦後直後の混乱期から好況期への
の乗客の、傍観的で苦々しいにやにや笑い。
いと言い出す父。華やかな結婚式への重い提
極限状態を脱出したとき、人々を待ち構えて
移り変わりに伴い、かえって、戦後なお残る
そしてバスを降りた途端、かつての傍観者が
始める。戦争を体験している人は少なくなっ
の経験がない。しかし、自身の生い立ちに、
傷跡が取り上げられた。
つく。その暴力性。
「まっとうな」正義感を突きつけ、まとわり
ても、いまだ記憶は現在と地続きだ。
程 か ら 書 い た の は、 赤 坂 真 理『 東京 プ リ ズ
ン』だ。一九五〇年代生まれの赤坂は、戦争
太 宰 治 の 短 編 集『 ヴィ ヨ ン の 妻 』 は、 戦
前・戦中から戦後にかけての激動を、個人の
しかしまもなく、日本は特需景気へと突入
する。「もはや戦後ではない」のフレーズは
だ避けているようですね。真の思想は、叡智
内面を通して語っている。その中でも「トカ
人々を高揚させ、荒廃は跡形もなく消え去っ
いたのは、安寧ばかりではなかった。
トントン」では、地
終戦七〇年。単なる区切りとみるか、連綿
と続く事実とみるか。それは各人の手に委ね
よりも勇気を必要とするものです」。勇気に
方の平凡な一人の青
たかのように思えた。
傷跡を見つめる
年の実存的悩みとし
られている。
(貝殻)
案に娘は困惑し、やがて父の思いに目を向け
母親が東京裁判の通訳をしていたこと。こう
て 現 れ る。 戦 後、
現代、その出来事はいかに描かれるか
戦後の痛みや虚無は、もはや忘れ去られた
人々は平和に労働に
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綴 葉
No.340
新刊コーナー
巨匠とマルガリータ(上)(下)
後二千年に渡る苦悩を背負い込むユダヤ総督
(イエス)に処刑の宣告を下したことでその
を 知 り つ つ、 し か し「 臆 病 」 か ら ヨ シ ュ ア
らは掠れども、決して交差し合うことはなく、
一部が、切り取られ並べられ、しかも、それ
方が良いのかもしれない。四者四様の人生の
この小説には一貫した登場人物がいない。
ともすると、四つの短篇集と考えてもらった
の小説物語だ。舞台は古代エルサレム。無実
ピラトゥス。裏切り者ユダを贖罪のため暗殺
四者に共通する第五の点があるわけでもない。
物語の終盤、現代
のモスクワに現れた
悪魔の助けを借りて巨匠を救おうとするマル
人マルガリータの慎ましやかな愛が際だつ。
カルな言動。醜聞の洪水のなかで、巨匠と恋
手く生きてきたはずが、過去にみた未来とは
ずだ。自分が大事だと信じるものを信じ、上
しかし、終頁を閉じたとき、ふと独りで考
えに耽りたくなるのは、評者だけではないは
そう一見何の意味も無いような四つの物語の
したのも、実は彼だった……。
羅列なのだ。
使徒マタイに、悪魔
とは思えない。誰もがその人なりの幸せを追
ブルガーコフ著
水野忠夫訳 岩波書店
人々を醜行へ誘いながらパロディの如く罰
を与えるヴォランド一味のグロテスクでコミ
ヴォランドは言う。
ガリータ。ピラトゥスも加えた三者がともに
い求めているはずなのに、どこで狂ってしま
人生において最も
大事なものはなんで
持たざる者
大混乱に陥れてゆく。彼らが黒魔術師に扮し
すか。
金原ひとみ著
集英社
ある霧を晴らす代わりに、新たにY字路の道
もしそうだとしたら、この小説は貴方の前に
人生における最も大事なものを見つける為
に人生を歩み続けるのだと聞くことがある。
標が変わる可能性がある。
の人生を、さらには自らの人生をも評する指
な視点との二つを持って垣間見るとき、他人
として一歩引いたところから観察する客観的
る思惑も含めた主観的な視点と、一方で読者
うのか。ある人生の過渡期を、本人の内にあ
違う現在に虚しさを覚える主人公たちを他人
《もしも悪が存在し
(犬)
月刊)
楽しみたいという空想のために、あらゆる生
き物を地上から一掃し、地球全体を丸裸にし
て し ま い た い の か ……》。 か く て 或 る 暑 い 春
の夕暮れ、年に一度の大舞踏会を開くため地
上に降り立った悪魔ヴォランドとその一味は、
て出演した劇場の関係者は相次いで行方不明
そう問われたと
き、あなたは即答で
る――。騒乱の最中、並行して語られるのは、
イエスについて書いたせいで攻撃を受け、精
神病院で失意の日々を送る無名作家「巨匠」
この小説をお薦めしたい。
きるだろうか。即答出来てしまった人にこそ、 を見せてくれるだろう。 (投稿・夕顔)
(二四八頁 税込一四〇四円 月刊)
になり、観客の醜聞は暴かれ、偽札が雨と降
次々と奇想天外な事件を巻き起こし、人々を
救済されるラストが印象深い。 (上四四四頁 税込一一〇二円 月刊)
な
にしろ、影は物や人間があってこそできるも
(下四〇四頁 税込一〇一五円 5
ないなら、おまえの善はどうなる……?
のではないか……さえぎるものとてない光を
6
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2015. 8. 10
綴 葉
8
たのはいつ頃までだ
幽霊や超自然の存
在を素朴に信じてい
出来事に触れて、過去へのノスタルジーを感
夏は怪談の季節だ。もう幽霊を信じなくな
ったあなたも、本書の中で語られる超自然の
などの伝説も巧みに変奏される。
れる。そして、ドン・フアンやタンホイザー
世ならぬ恋人が現れ、聖人たちの奇譚が語ら
登場する作品も多い。その世界の中ではこの
編集の中ではギリシア神話などの異教の神が
キリスト教を扱った表題作の他にも、この短
タールのモティーフも体現している。また、
とがきでも触れられている通りファム・ファ
介される。また、一種の冒険談、クーデター
嘩や乱痴気騒ぎなど俗っぽさ溢れる作家が紹
個々のエピソードも多彩だ。哲学的考察に
心惹かれた作家が紹介されたと思いきや、喧
った。
力と彼の特異なこだわりには驚きを隠せなか
定を練ることのできる著者ボラーニョの想像
にまで詳しく記載されている。これだけの設
文化的背景、さらには彼らの作品とその内容
があてられ、彼らの生没年、交友関係そして
実在しない人物すべてにもっともらしい名前
教皇ヒュアキントス
っただろう? 子ど
もらしい恐怖の対象
ヴァーノン・リー幻想小説集
ヴァーノン・リー著
中野善夫訳 国書刊行会
だった怪談も今や多くの人は迷信と笑って懐
かる。
うひとつの小宇宙が形づくられているのがわ
混交されている。その結果、架空の辞典とい
消えた作家の追跡など、様々なエピソードが
や軍事政権下での作家の記憶、作品を残して
かしむことができるだろう。文学の伝統とし
アメリカ大陸のナチ文学
本書で紹介される極右の作家は、俗物が大
半で、どこか滑稽な印象を受ける。しかも、
と登場人物たちをつなぐ媒体となっている。
絵画、音楽、タペストリー――そんな過去
にまつわる美しいものが彼女の作品では亡霊
学が実在していたの
チ 文 学 』。 そ ん な 文
『アメリカ大陸のナ
書店で気になった
本 書 の タ イ ト ル、
のほうが、より文学的で、まだ救いがあるよ
のからユーモアを感じられる本書の作家たち
いう言い方をしては語弊がある。生涯そのも
ロベルト・ボラーニョ著
野谷文昭訳 白水社
作品集の中で母国イギリスを舞台にした作品
かと思いページをめくった評者は、よい意味
じてみてはどうだろうか。 (投稿・眼鏡)
(五〇四頁 税込四九六八円 月刊)
て続いてきた怪談でも純粋な恐怖を煽る作品
もある一方で、ロマンティックな憧憬を感じ
させる奇譚もある。十九世紀から二〇世紀初
頭に活躍した女流幻想作家ヴァーノン・リー。
その「幻想小説集」と銘打たれた本書に載せ
は一作限りであり、彼女にとってエキゾティ
で期待を裏切られた。まず、本書の構成が非
彼らが真剣に訴えかけている政治的発言のレ
ックな場所こそ想像力を広げる舞台にふさわ
常に面白い。本書は、三○人におよぶアメリ
られているのは主に後者だ。
しかったのだろう。歴史学者が絵画や歴史的
うに思えてならない。 (砂ずり)
(二五○頁 税込二七○○円 月刊)
で、思わず吹き出してしまった。いや、こう
を賑わせてくれた「文学者」のそれと同程度
ベルが、最近、ある政党の勉強会でメディア
記述から三〇〇年前のイタリアの悪女に惹か
カ大陸の架空の極右文学者辞典だ。しかも、
9
2
れていく「永遠の愛」はその好例だ。訳者あ
6
綴 葉
No.340
「 自 己 啓 発 」 と 言
う言葉にうさんくさ
は面白く楽しめるはずだ。本書は「自己啓発
あるのか、自己啓発に少しでも関心がある人
にどのような「社会的に望ましい生き方」が
ない。しかしそのように語られる言説の背後
て生きる」という言葉に文句をつける者はい
「私らしく生きること」というのはある種
絶対的な正義を持っている。「個性を伸ばし
生活の細部から求められていく。
仕方まで「自分らしい生き方」というものが
喫緊の問題に答えなければならない。この宗
問題として山積している。宗教学はこうした
してISなど宗教にまつわる事柄は今現在の
オウム真理教による一連の事件、九・一一そ
について理解することが欠かせないからだ。
いうのも、「“いま”を考える」ためには宗教
とに対して、人文書院に謝意を表したい。と
と、さらに著者として大田俊寛氏を選んだこ
解くことに主眼が置かれている。この点で、
く、なぜいま重要かを実践的な視点から読み
いるのが大田俊寛氏である。
する義務に、今もっとも先鋭的に取り組んで
教学が一学問分野として有する社会貢献に対
このシリーズにおいて宗教学を採り上げたこ
さを感じる人も、嵌
本」というなじみやすいテーマを下に、学問
日常に侵入する自己啓発
まった事がある人も
の面白さを味わえる優れた良書である。
生き方・手帳術・片付け
牧野智和著 勁草書房
いるだろう。縮小傾
(きものさん)
(三〇三頁 税込三六七二円 月刊)
向の出版業界の中で、自己啓発本は売り上げ
を伸ばしている。では自己啓発本の中では一
ブックガイドシリーズ―基本の 冊
だが、しかし、本書は宗教学が今現在の問
題に対処するための理論も体系も欠いている
という現状を吐露することから始まる。この
現状は宗教学に属する研究者たちの誰もが認
そこで示されたのは「私らしく生きる」と
いう言葉が、時代やターゲットによってうま
通した社会分析でもある。
新 刊 で あ る。 こ の シ リ ー ズ の 方 針 は、「“ い
基本の三〇冊」の最
ックガイドシリーズ
本書は二〇一〇年
から出版されている
要な課題に取り組むために必須とした三〇冊
い。著者が宗教学の再構築というきわめて重
大田俊寛著
人文書院
く使われ てきたという歴史だ。「自分らしく
ま”を考えるための新たな知の指針」を打ち
めているところであるが、誰も宗教に関する
生きるべき」と言われる社会の中で、何をす
を用いた一論考なのだ。 (阿修馬)
(二三四頁 税込二〇五二円 月刊)
ていない。本書は単なるブックガイドではな
るものとして宗教学を再構築することはでき
一般理論を構築し、今現在の問題に対処でき
れば自分らしく生きられるのか悩む者は、自
出すこと。そのため、著者がその専門分野の
4
人文書院による「ブ
己 啓 発 本 を 手 に 取 る。「 二 〇 代・ 三 〇 代 」 と
基本的な書籍三〇冊を単に紹介するのではな
宗教学
体どのような言説が「私らしい」と語られて
いるのだろうか。どのような生き方が望まし
いと推奨されているのか。そして「望ましい
生 き 方 」 の 対 比 と し て「 望 ま し く な い 生 き
方」とはどのような生き方なのか。本書は個
人化する時代の中で、ますます重要になって
4
分かれる世代本から、手帳の使い方、掃除の
いくと思われる「自己啓発本」の内容分析を
30
2015. 8. 10
綴 葉
10
橘小夢
幻の画家 謎
の生涯を解く
加藤千鶴監修 中村圭子、
加藤宏明編 河出書房新社
どんな物語なのだ
ろう。溺れているの
か、水中にたゆたう
女性。意識を失って
いるのだろうか、そ
の腰にはカッパがしがみついている。どこと
なくエロチック、しかしでろっとした不気味
さをも感じさせる表紙に、思わず手を伸ばし
た。
橘小夢という名前にはピンとこなくても、
妖艶な花魁画には見覚えのある人も少なくな
いのではないだろうか。大正から昭和初期に
かけて日本が軍国主義の道を歩んでいた当時、
それゆえモノクロ掲載が多いのは少し残念
だ。
を務めたというのもうなずける。
の取り合わせも多く、江戸川乱歩の表紙画家
られている。時代柄、エログロナンセンスと
いそうな、ギリギリのところでバランスが取
だろう。一歩間違えたら下品にもなってしま
の中でも、特筆すべきなのは色遣いの独特さ
権の内戦への家康の介入としての関ヶ原と戦
大坂城を層位上どう見分けるか等が豊富な写
者にも驚きだったが、この他にも慶長伏見地
有名な真田丸が未だ発掘されていないのは評
筆部分は最新の大坂城の発掘成果が記される。
なる。章節単位で分担執筆しており、黒田執
長の役と関ケ原合戦』に次ぐ二冊目の共著に
り、本書は『秀吉の野望と誤算――文禄・慶
あふれる戦闘描写と戦後の論功行賞の実態も
る読者も多いだろう。大坂夏の陣での臨場感
の服従ではないとの記述にイメージを覆され
後の豊臣・徳川政権の並立――が実証的に叙
者の持論である「二重公儀体制」――豊臣政
真や図面で紹介される。笠谷執筆部分では著
震の痕跡や唐津焼の初出・秀吉と秀頼二代の
仔細をじっくりと堪能したいという人には、
同じく加藤千鶴監修の『橘小夢画集 日本の
妖美』がお薦めだ。今年の夏は、「小夢地獄」
述される。秀頼と家康の会見が秀頼の家康へ
(一五九頁 税込一九四四円 で涼をとってみてはいかがだろう。 (
貝殻)
月刊)
豊臣大坂城
秀吉の築城・秀頼の平和・家康の後略
必読である。
を見なかった作品群についても、そして謎に
年、来年は徳川家康
年は大坂夏の陣四百
戦後七〇年に隠れ
て目立たないが、今
本書を大坂城のみならず豊臣政権についても
近年、本書や福田千鶴『豊臣秀頼』のよう
に、秀頼政権を高く評価する見解が目立つ。
笠谷和比古、黒田慶一著
新潮選書
つつまれた小夢自身の人となりについても解
京阪の博物館でも関連する企画展が目白押し
一つだけ気になったのは――特に笠谷執筆
分に目立つが――一次史料や図版の豊富さに
説が豊富なのが嬉しいところだ。
だが、今回は大坂城という「場所」に着目し
考えるよすがとしたい。 (ヒス
トリア)
(二五一頁 税込一五三二円 月刊)
作だけに却って読みにくさが出てしまった。
遺漏もあることである。最新研究に満ちた著
引き換え参考文献が巻末のみで辿りにくく、
図版の豊富な「らんぷの本」シリーズらし
く、文筆や着物のデザインなど、本業以外の
た本書を評してみたい。
発禁処分となった小夢の作品は多い。日の目
制作活動についても多くのページが割かれて
没後四百年になる。
おり、多岐に渡りつつもその一貫した小夢の
笠谷は日本近世史家、黒田は考古学者であ
11
3
才能は余すことなく伝わってくる。しかしそ
4
綴 葉
No.340
ゴットやフルートを
べようとして、ファ
しく、そして笑えてしまう。以前ご紹介した
言うべき本であり、この傑作選は何とも恐ろ
殺害できるのか。本書は科学史の傑作選とも
ヒッチハイクでどんな人が車に拾ってもら
えるのか。人は権力の命令によって他者さえ
呼ばれている。
た。 今 や こ の 人 物 は、「 時 間 生 物 学 の 父 」 と
内時計のようなもののせいだと後世に判明し
は太陽を感じ取れるのだとしたが、実際は体
たりできる。発見した研究者は、オジギソウ
ンブンと振り回し、花火にする「ファイヤー
いて面白い。スチールウールに火をつけてブ
いう実験は簡単なわりに効果が大きく、見て
視線が自分を追いかけてくるように見えると
準備するものまで様々である。例えば、顔写
の簡単なものから、かなり大掛かりな装置を
る「ネタ」は、紙に印刷して組み立てるだけ
な科学実験の方法の解説書である。紹介され
本書は、そのメントスコーラの火付け役と
なった動画を投稿したグループによる、派手
られていても時間に正確に葉を閉じたり開い
ミミズに向かって鳴
ワイヤー」は、これからの季節におすすめか
狂気の科学
らしまくった。一八世紀にはある研究者が、
『ヘンな論文』はかなり反響をいただいたが、
ある研究者はミミ
ズに聴覚があるか調
石浦章一、宮下悦子訳 東京化学同人
レト・U・シュナイダー著
真面目な科学者たちの奇態な実験
一〇〇℃以上の灼熱地獄――すなわちサウナ
り方についても詳細に解説されるほか、その
もしれない。もちろん、メントスコーラのや
真を印刷してうまく組み立てると、その顔の
――にヒトが耐えうることを発見した。プリ
応用としてコーラの噴出する圧力を利用して
ロケットカーを作る方法も載っている。どれ
も見た目にわかりやすく、自分でもやってみ
たくなること請け合いである。実験の手法だ
けでなく、それぞれの科学的な背景について
心から生まれたものである。実験自体の面白
さておき、どれもこれも狂気的に純粋な好奇
今すぐ検索して動画
とがない方は、ぜひ
うか。一度も見たこ
皆さんはメントス
コーラをご存知だろ
ことができる。安全に配慮しながら、実験し
であっても、自己責任の範囲内で自由に行う
Amazing Science
オライリージャパン
さだけではない。ある意味感動的なのは、当
をご覧になっていただきたい。これが数年前、
時は超常現象的に解釈されたり重要性に気づ
インターネット上でちょっとしたブームにな
も解説されている。
くことができなかったりした発見が、後の偉
てみると楽しいに違いない。 (蕨餅)
(二〇〇頁 税込二八〇八円 月刊)
高橋信夫訳
、 Fritz Grobe
著
Stephen Voltz
驚きのエンターテインメントサイエンス工作
本書だってずっとおもしろい。 (エル)
(二七三頁 税込二二六八円 月刊)
ンストン大学の薄暗い裏道には発作にあえぐ
男性が座り込んでいる――ここを通るであろ
う信仰心厚い神学生を試すために、研究者た
ちが置いた俳優である。
教科書に載るような研究、悪名高い研究、
「なぜしようと思ったのか」という感想しか
大な学問の最初の一歩になっていたというこ
ったのも十分理解できるだろう。
5
う。しかし、皆さんは恐らく多少危険なこと
この本で紹介される実験を子供が勝手にや
ったなら、まず誰かに怒られるのがオチだろ
とだ。例えばオジギソウは暗室にずっと入れ
出ないような奇怪な研究。実用性や生産性は
5
25
2015. 8. 10
綴 葉
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群論入門
世界観エンタメはなぜブームを生むのか
〈面白さ〉
の研究
世紀の自由論
「優しいリアリズム」の時代へ
「 ス タ ー・ ウ ォ ー ズ 」「 宮 崎 ア ニ メ 」「 踊 る
大捜査線」……。大ヒットした作品はなぜ面
派の歴史分析から始まり、その中で日本の左
疑わしくなってきた。本書は日本の右派と左
経済成長をして国民が成熟するという資本
主義と民主主義の理念が、ずいぶんと前から
佐々木俊尚著 NHK出版新書
「群論」とは操作の組の性質を調べる数学
であり、本書はその初歩を解説した入門書で
白いのか。本書は、漫画家兼文化人類学者の
派としての「リベラル」も右派としての「保
都留泰作著 角川新書
ある。ブルーバックスという通俗的な解説書
著者が、人間のドラマよりもその背景を重視
守」も思想を持っていないという事を指摘す
対称性をはかる数学
芳沢光雄著 講談社
も多いシリーズの一冊ではあるが、内容はか
する作品を世界観エンタメとして取り上げ、
る。そこにあるのはどちらも「あるべき社会
と良いだろう。
っている箇所があった。適宜索引を利用する
として、用語の定義がその初出よりも後にな
条件が証明付きで紹介される。注意すべき点
に活用される。本書では一五パズルの解ける
えばパズルが解けるかどうかを決定すること
パズルの背後には群の構造が隠れており、例
く紹介されていることが挙げられる。様々な
この本の特色として、パズルへの応用が数多
める前の一冊としても使えるだろう。また、
とが必要となってくる。本格的に代数学を始
十分に理解するには計算を自分の手で追うこ
はの指摘だ。簡単なようで難しいエンタメの
しさがきわだつという、創作する著者ならで
込まれれば作りこまれるほど、天然の人間ら
どが提示される。面白いのは、世界観が作り
しての人間を描き出した「踊る」の新しさな
と、非人間的な警察組織のなかで社会組織と
た湯屋空間へ誘う時間感覚のおかげであるこ
もかかわらずヒットしたのは、昼夜が逆転し
とや、『千と千尋』が物語としての破たんに
ズに宇宙旅行を楽しめるようになっているこ
例えば、スター・ウォーズは多文化がテー
マパーク的に配置されることで観客はスムー
知見にもとづいて論じる。
手に伝えることができるのかを文化人類学の
「自由論」を提示できたのか。その判断は読
存や豊かさの維持」と述べる価値観が現代の
諦め「最終的に求めるのは理念ではなく、生
していく自由。著者自身、思想を語ることを
固定せず、他者を排除せず、集合しては霧散
イルだ。個々人が流動的に成り、立ち位置を
立ち位置も変わっていくという生き方のスタ
そこで最終的に示されるのは「漂白的な自
由」とされる理念や理想からも距離を取り、
これからの自由の形を提示する。
れるのか、著者は二十一世紀の自由論として
論」である。では何故そのような状況になっ
の 理 想 像 」 を 語 る こ と を し な い「 立 ち 位 置
キャラクター
なり本格的で、紙とペンを用意してから読ん
会の軸から、いかにしてリアルな感覚を受け
だ方が良い。抽象的な対象を扱っているので、 ヒットの原因を探る。特に、空間・時間・社
応用面にも目配りされ、「群」という対象
を考える動機付けも十分である。また、新書
者にお任せしたい。 (きもの)
(二八一頁 税込八四二円 月刊)
5
6
たのか、そして今後どのような思想が模索さ
なので気楽に手を出せる。総じて、初めて群
真髄が垣間見えて興味深い。 (
投稿・七氏)
(三〇四頁 税込八六四円 月刊)
13
21
論に触れるにはよい書物だろう。 (蕨餅)
(二〇〇頁 税込八六四円 月刊)
5
綴 葉
No.340
私の本棚
韓国が日韓関係の中で時おり見せる痛々しいほどのナショナリズ
ムは、かつて朝鮮半島が日本の領土だったことの裏返しでもある。
﹁ 日帝三五年﹂とその認識
果断さを失い憂鬱をまとうことでもある。
独裁者と民衆というかつての単純な区分を消し去った。成熟とは、
の韓国が抱える困難さが端的に示されている。政治的な民主化は、
日韓条約五〇年:隣の他人を考える
今年は、韓国と日本とが国交を結んで五〇年になる。この機に、
隣国を知る本をいくつか紹介してみよう。
﹁ 韓国﹂の誕生と歩み
韓国はそれほど古い国ではない。その歴史は、強力な権限を持つ
大統領たちの、栄光と汚辱の歴史でもある。李承晩から金大中まで
(岩波新書)・外村大著『朝鮮人強制連行』
水野直樹著『創氏改名』
(岩波新書)の二冊は、植民地支配の代名詞のような二つの政策の
八人の大統領を描くのは、池東旭著『韓国大統領列伝』(中公新書)
だ。今となってはやや古く感じられる箇所もあるが、巨大な権力を
持ち毀誉褒貶の激しい韓国大統領を、なるべく冷静に淡々と描いた
トルから想像するのとは異なり)強制連行があったか無かったかで
内実を、史料を駆使して明らかにしている。前者は、「日本風の氏
はなく、朝鮮半島における軍事動員体制の成立と展開について書い
名の押し付け」と誤解されがちな創氏改名が、日本的な「イエ」の
ク ト に 知 る こ と が 出 来 る の は 文 京 洙 著『 韓国 現 代 史 』( 岩 波 新 書 )
だ。著者は済州四・三事件と光州事件の二つを軸に「周縁からの眼
ている。誰も積極的には推進しなかったのに、問題があると気づか
筆致は、出版後十年以上を経ても古びない。
差し」を韓国に注ぐ。そこから見える、韓国の経験してきた激しい
れていたのに、なぜ誰もこの政策を止めることが出来なかったのか。
を、政治・社会・経済・文化といった側面から紹介している。短い
と見なす著者の主張は、却って歴史とは何なのかを考えさせる。
となっていったのかを分析している。歴史と歴史認識とを別のもの
木村幹著『日韓歴史認識問題とは何か』(ミネルヴァ書房)は、植
民地支配や戦時中の動員が、なぜ、どのような過程を経て外交問題
歴史的事件が全て、現在において外交問題化するわけではない。
創設を目指した制度だったことを明らかにしている。後者は(タイ
変化は、「圧縮近代」と呼ぶにふさわしい。
大統領にだけ注目すると見えなくなってしまう韓国史を、コンパ
成熟と憂鬱
章の中に大学入試からオリンピックまで多様な情報が詰め込まれ、
もう少し南北関係と軍事が分析されても良かった気はするが、現在
ろこれからなのかも知れない。
(投稿・葛切)
った以上に偏っていることに気づくだろう。
冷戦が終わって以降、日本と韓国とは不可欠な同盟関係ではなく
なりつつある。しかし、それは日韓がお互いを知らなくていいとい
大西裕著『先進国・韓国の憂鬱』(中公新書)は、ここ二〇年間
の韓国を、自由貿易協定の締結と福祉国家化の歩みを軸に描き出す。 うことを意味しない。互いを知りあわなければならないのは、むし
飛ばし読みしても十分に楽しい。韓国に対する私たちの知識が、思
石坂浩一・福島みのり編『現代韓国を知るための 章』(明石書
店)は、もはや一面においては日本以上に「進んだ」感のある隣国
60
14
私の本棚
だろうか。或いはその知識イメージに誤りはないだろうか。この機
しかし。我々はそもそも戦前の軍隊についてどれだけを知っている
大戦の歴史的記憶、その中でも、帝国陸海軍を巡る記憶であろう。
戦後x 年は幾度か経験したつもりだが、「戦後七〇年」は殊に安
全保障を巡る議論が喧しい。その議論の前提の一つとなるのは先の
もしれない。海軍贔屓の方にこそお勧めしたい常識破壊の一冊。
ら、対ソ参戦を引きとめたという意味で「対米敗戦」の戦犯なのか
ものであった。南進論を鼓吹し北進論を拒絶した海軍はもしかした
派」による親英米路線ではなく、海軍旧来の親ソ(露)路線による
一〇年代には陸軍主導のドイツ接近に反抗する。それは「海軍良識
第一次大戦後から技術交流を中心に対独傾斜していた海軍は昭和
七〇年目 の 帝 国 陸 海 軍
会に些かマニアックな昭和史の読書に読者を御案内しよう。
田の前に永田無く永田の後に永田無し」と謳われた昭和陸軍の巨魁
持ち、山本七平賞受賞作でもある川田稔著『昭和陸軍の軌跡』であ
る。元来思想史家であった川田が綿密な思想史的分析で、主に「永
ドイツ人捕虜との対比もあまりに切ない。
のイデオロギー宣布により離間されていく日本人捕虜と毅然とした
を生かしたロシア語文献の渉猟と読解である。強制収容所でソ連側
するが、それを補ってあまりあるのはロシア語翻訳者としての経歴
は訪れない。長勢了治著『シベリア抑留』(新潮選書)は、シベリ
ア抑留についての著者の研究を一般向けにしたものである。著者は
敗戦の責めを負った軍部は戦後解体されるが、「戦後」は平等に
終わらざる戦後
に邁進し、官僚機構として自己の方針を墨守する帝国海軍を描く。
帝国陸軍︱︱蹉跌への道
先の大戦において国策を担った軍部――特に帝国陸軍の将校連―
が何を考えていたのか、昭和史理解には必須の知識であるにもかか
わらず、それを教えてくれる本は意外に少ない。
永田鉄山を分析する。第一次大戦のドイツの戦訓に習い、国防資源
ら 昭 和 ま で を 広 く 視 野 に 入 れ た 名 著 だ が、 し か し、 最 後 ま で「 支
佐々木到一を中心に分析する。支那の語義から説き起こし、明治か
中国通、所謂「支那通」を、「南京大屠殺紀念館」の住人でもある
アカデミズムの住人ではなく、参考文献の選書などには疑問は散見
の自給のため中国大陸の泥沼を目指す様は読者を慄然とさせずには
最後に、いまや古典的名著かもしれないが、戸部良一著『日本陸
軍と中国』(講談社選書メチエ)を紹介したい。本書は日本陸軍の
そこでお勧めしたいのが、中公新書ながら専門書なみの情報量を
おかない。永田の遺鉢を継ぎ対米開戦までの陸軍を主導した武藤章
と田中新一については同著『昭和陸軍全史
太平洋戦争』(講談
社現代新書)がより詳細かつ鮮烈に描いている。イギリスを巡る日
米両国の対立の描写は対米開戦論でもある。
那」を理解できず絶望し、多くが戦犯裁判で刑場の露と消えた支那
通 を 描 く 本 書 は 評 者 に と っ て、 い ま だ に 日 中 の 間 に 続 く 終 わ ら ぬ
帝国海軍――さよなら善玉論
前段を読んで読者諸賢は思ったかもしれない。やはり、「陸軍悪
玉。海軍善玉」であると。でもこの本を読むまではちょっと待って
「戦後」を描いた本にしか見えないのである。 (ヒス
トリア)
ほしい。相澤淳著『海軍の選択』(中公叢書)は陸軍との派閥抗争
15
3
綴 葉
2015. 8. 10
当てよう!図書カード
編集後記
7月号から編集委員に加わりました阿修馬
私事ですが夏風邪をひき、咽喉がたいへん
と申します。「あしゅば」と読んで下さい。
なことになっています。そこで問題ですが、
サンスクリット語で「馬」という意味です。
私がいましがた口に入れた「はちみつきんか
文学研究科にて、このサンスクリット語文献
んのど飴」、こののど飴の成分に入っていな
をひたすら読み、当時の宗教や思想をできる
いのは次のうちどれでしょう。
限り理解して、それが現代に与えうる意味を
1.ハーブエキス 2.マルトース
なんとか見出そうとする研究をしております。
3.ソルビトール 4.デキストリン
そして、なぜ「馬」かと言うと、それは馬が
《応募方法》読者カードに答えを書いて生
好きだからという単純明快な理由。競馬の騎
協のひとことポストに入れてください(また
手が乗るようなしかたで、馬を走らせること
はe-mail:[email protected])。 正 解 者 の 中 か ら
もできますよ。たまに北部の馬術部厩舎で馬
抽選で5名の方に図書カードを進呈いたしま
(阿修馬)
を愛でたりしてます。
(犬)
す。締切りは10月15日です。
はじめまして、このたび編集委員となりま
を中心に理工系の本を紹介して行きたいと思
5月号の解答
います。読書と言っても、普通の本や小説を
5月号の 解 答 は、「4. タ リ ー ズ コ ー ヒ ー」
読むのとは一味違います。数式も出てきます
でした。本部キャンパス時計台の下にありま
し、何かと苦手意識のある方も多い分野でし
す。私はコーヒーがあまり好きではないので
ょう。とはいえ、その中身を知ると案外面白
すが、タリーズにはアボカドサンドを買いに
いものなのです。どうにか、あまり数理的な
よく行きます。応募者16名中13名の方が正解
学問に触れたことのない方にその「入り口」
でした。図書カードの当選者は、四桁視野箱
のありかを伝えられたらと考えています。も
さん、こめさん、Mr.貴族さん、沙映さん、
ちろん、専門知識のある方の参考になる本も
いわささん(順不同)です。おめでとうござ
した蕨餅です。『綴葉』では数学・物理関係
(蕨餅)
取り上げて行きます。
(エル)
います。
読者からひとこと
〇毎回、みんな色んな本を読んでるんだな~
と感心してしまいます。雑事をいいわけにせ
ず、私も見習って読書を楽しもうと思います。
(工学研究科・ちまき)
○最近、読書熱が復活してきました。綴葉で
紹介されて気になっていた本も読んでいます
~! (経済学部・そそ)
――嬉しい限りです。時には話題の本を、時
にはちょっとニッチな本をと、試行錯誤して
おります。紹介するために選ぶことは、自分
のためだけに選ぶこととは少し違った楽しみ
があります。
○季節感のある作品はその季節に読みたいも
のですが、真夏にめまいのしそうな暑苦しい
作品や真冬に凍えそうな作品を読むのも辛い
ので逆転することも。結果、寒暑厳しい作品
があまり読めないことに……。おすすめ本、
ご紹介ください。 (防災研職員・サツキ)
――アントニー・バージェス『アイスクリー
ムの国』など、視覚的に涼しい絵本や画集を
お薦めします。今月号誌面の新刊『橘小夢:
(貝殻)
幻の画家』も、表紙からしてひんやりしてお
ります。こちらは、目元の涼しい美人画が多
いです。
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