訳者あとがき 本 書 は ジ ェ ス ・ ウ ォ ル タ ー の 長 編 小 説

訳者あとがき
訳者あとがき
の翻訳である。二〇一二年に発表され
本書はジェス・ウォルターの長編小説第六作 Beautiful Ruins
ると、書評家から高い評価を受けるとともに、多くのメディアでも取り上げられ、その年のベストセラ
ーとなった。日本でも知られたところでは『ニューヨーク・タイムズ』『ワシントン・ポスト』『エスク
で は、本 書 に 対 し て
ワイア』から、同年のベストブックとして推薦を受けている。また、 Amazon.com
二千件を超える数のレビューが投稿されており、平均評価も上々のようだ。誰もが楽しく読めて思わず
語りたくなる、あるいは、誰かに教えたくなる作品として、多くの読者に支持されていることがうかが
チ ン ク エ
える。
『イン・ザ・ベッドルーム』
『リトル・チルドレン』のトッド・フィールド監督・脚本で映画化の
企画も進行しているという。
物 語 は、一 九 六 〇 年 代 の イ タ リ ア 北 西 部、崖 沿 い の 村 々 が 美 し い 景 観 を な す リ ゾ ー ト 地〝五 つ の
テ ッ レ
土地〟の近くにある小さな村から始まる。船でしか辿り着けない辺鄙な漁村に、ある日、アメリカ人の
美女がやってくる。彼女の名前はディー。ローマで撮影中の大作映画『クレオパトラ』に出演中の新人
女優だった。村で唯一のホテルを経営する青年パスクアーレは、彼女の到着に偶然居合わせ、一目で恋
に落ちる。彼女にではなく、彼女がやってきたその瞬間に。そして、時間は約半世紀ほど進み、現代の
アメリカへ。ハリウッドの大手映画スタジオに一人の老紳士が姿を現す。老人の名前はパスクアーレ。
あの青年だ。彼はディーの行方を探して、旧知の映画プロデューサーの元を訪れたのだった。あの出会
いの後で二人に何が起きたのか。ディーは今どこで、何をしているのか。物語はここから大きく動き出
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していく。
冒頭の場面から続くイタリアの物語は、映画『クレオパトラ』に関わる有名なスキャンダルを巧みに
利用した映画の内幕劇であり、ディーが村を訪れた謎を巡る推理劇であり、そして、何よりも、住む世
界の異なる男女が運命的な出会いを果たし、時間を共有し、心を通わせていく切ないラブストーリーで
ある。夢を追い、現実の壁に阻まれ、それぞれに人生の大きな決断を下す二人。戦後まもないイタリア
の空気、ローマやリグーリア海沿岸の美しい風景をバックに、周囲の人々を巻きこんだ人間ドラマが丁
寧に描き出される。
一方、平行して語られる現代のハリウッドの物語は、映画に人生を縛られた人々が織りなす群像劇と
言えるだろう。ディーの捜索を展開の軸としているが、むしろ、現代の映画製作業界と消費社会を風刺
した細部を楽しむコメディに近い。ここでは、戯画的だがリアルな業界の日常描写に毒気の効いたユー
モアが溢れていて、大いに笑いを誘われる。また、捜索の同行者の造形も秀逸で、それぞれ痛みや悩み
や思惑を抱えた実在感のある人間として、生き生きと躍動している。ダメ人間ばかりなのに、いや、だ
からこそ、彼らの旅路が終わりに近づくにつれて、名残惜しい気持ちが湧いてくるから不思議だ。
二つの物語に加えて、ディーのアメリカでの消息を追った物語があり、彼女に関わる重要人物の放浪
譚も登場する。さらに、途中には、登場人物が執筆した作品も複数挿入されているので、作品全体の構
造はそれほど単純なものではない。章が変わるごとに、舞台も登場人物も、時には文体まで異なる物語
が唐突に始まるため、戸惑いを覚える読者もいるだろう。だが、心配はいらない。そのまま読み進めて、
人生の選択、芸術の意味、様々な形
目の前の物語を堪能していけば、やがてパズルのピースがはまるように、それぞれの物語の位置づけが
―
が自然に浮かび上がってきて、確かな感動と深い余韻を残してくれる。ポストモ
パッと明らかになり、同時に、すべての物語に底流するテーマ
―
ダン的な語りの技巧と可読性の両立は、これまでもウォルター作品の特徴のひとつであったが、本書は
の愛、時間と存在
394
訳者あとがき
これまで以上に技巧的でありながら、物語を読み進める楽しみは決して損なわれていない。絶妙なバラ
ンスの上に成立していると思う。
本書を彩る物語の魅力はリサーチの綿密さと、素材を物語世界に落とし込む技の巧みさに支えられて
いるものでもある。マイケル・ディーンの回顧録に綴られた『クレオパトラ』製作の裏側や、映画企画
の売り込みに登場するドナー隊の悲劇を調べてみると、かなりの部分において史実を踏襲していること
―
作品全体のテーマと共鳴する虚構として作り
回顧録の文体はブツ切れでカンマがひとつもなく、売
がわかる。だが、ウォルターは史実をそのまま語るのではなく、マイケル・ディーンとウィリアム・エ
―
ディを中心に配置し、文体にも工夫を凝らし
り込みは「現在時制のパフォーマンスアート」の実践
上げている。
「セレブ」を発明した逸話は現代ハリウッドの物語で描かれる社会の起源の神話であるし、
ドナー隊の売り込みは「瞬間」に捕われたもう一人の男の物語でもある。物語を楽しんだあとには、こ
うした細かな要素にも注目して再読して欲しい。何度読んでも新しい発見があり、作品の奥深さとウォ
ルターの巧さが伝わると思う。
ウォルターがインタビュー等で明かしているところでは、本書は完成までに十五年の歳月を要したと
いう。それはすべての登場人物と物語がスムーズに動き出すまでに、つまり、自分がこの物語を書き上
げられる作家、人間になるまでに必要な期間だったと。執筆のきっかけは一九九七年、イタリア系の妻
の親族を訪ねて、イタリア各地を巡り、土地や人々、文化にすっかり魅了されたこと。なお、その際に
滞在したホテルの名が、主人公パスクアーレの名前の由来となった。ユダヤ人の出エジプトを祝う「過
越祭」と「置いてけぼりにされた男」という二重の意味が面白いと感じたようだ。帰国後に母親が胃癌
を患い、看病を経験。その過程で、母親が若かりし頃にイタリアのあの地を訪れていたらという想像が
生まれ、ディーとパスクアーレの物語の原型となった。つまり、ディーの最初のモデルは母親というこ
とになる。だが、執筆は遅々として進まず、脇においては他の作品に取り組み、また戻ることの繰り返
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( 2003
)
と と も に、女 性 刑 事 が 事 件 を 追 う 犯 罪 小 説 で あ る。長 編 小 説 の 第 三 作
Land of the Blind
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しだったそうだ。
(とはいえ、この期間に五編の長編小説を上梓している。
)そう、書けない作家アルヴ
ィス・ベンダーはウォルター自身がモデルである。試行錯誤を続ける中で、転機となったのは、二〇〇
七年に友人の招待で実現したイタリア再訪。現地でのリサーチを通じて、今の物語につながる要素を数
多く思いついたという。ここでも、現地でしか書けないとイタリアに戻ったアルヴィスの姿が重なる。
もう一つの転機は、二〇〇九年に二つの言葉と出逢ったこと。まずは、タイトルとなった “ Beautiful
”
。エピグラフに掲げられているが、かつての名優リチャード・バートンを形容した言葉である。
Ruins
”は「廃墟」
「抜け殻」
「残骸」
「遺跡」といった意味で、“ beautiful
”にはそういったものへの哀惜
“ ruins
の情が込められていると考えるとわかりやすい。滅びてなお美しきもの、美しく滅びしもの。ウォルタ
”として描いてい
ーはこの言葉を見つけたときに、自分が作中において多くの人、もの、場所を “ ruins
ることに気づき、これこそ自分のタイトルだと思ったという。また、作品自体も様々な物語を寄せ集め
”であると語っている。そして、最終章に引かれたミラン・クンデラの「現在」という時間の
た “ ruins
概念に関する言葉。ウォルターの解釈はこうだ。我々の体験する「瞬間」の中には、クンデラの考える
あらゆる人々にとってあらゆる瞬間がかけ
ずっと心に留まり続けるものがある」
。永遠に続く一瞬。最終章ですべての出来事が現在時制で語られ
「現在」のように、
「時間の経過や後悔の念によって朽ち果て、風化したとしても、記憶の廃墟となって、
―
がえのない瞬間になりうる。圧倒的なスピードと密度で語られ、人生に肯定的なメッセージを謳い上げ
ている理由は、こう考えればいいのではないのだろうか
たラストをぜひじっくりと味わって欲しいと思う。
ウォルターはワシントン州スポーケン出身で、現在も同地に在住している。大学卒業後にジャーナリ
ストとして働きながら執筆活動を開始し、
の民間人銃撃事件をまとめたノンフィクションで作家
第二作
デビューを果たした。小説に関しては、二〇〇一年に発表した『血の奔流』が第一作にあたり、これは
F
B
I
訳者あとがき
『市民ヴィンス』
(二 〇 〇 五)
で、ミステリー小説界の権威あるエドガー賞を受賞。二〇〇六年には、全米
同時多発テロを描いた『ザ・ゼロ』を発表し、全米図書賞の最終選考まで残った。二〇〇九年には、サ
ブプライム問題の煽りで自己破産寸前な元新聞記者が、家族を守るべくドラッグビジネスに手を染めて
を発表している。本作上梓の翌年には、自身初の短編集
いくコメディ
The
Financial Lives of the Poets
を発表。ジャンルを問わない活躍ぶりを示しており、ますます目が離せない注目の作
We Live in Water
家である。
本書の翻訳作業を進める過程では、本当に様々な方々の協力を得た。この場を借りて謝意を捧げたい。
学習院大学の上岡伸雄教授は、本書をご紹介くださったうえに、翻訳上の相談にも快く応じていただい
た。また、入稿前の原稿に対しても貴重な助言をいただいたことで、訳文にも進歩が見られたように思
う。改めてお礼を申し上げたい。また、大学院時代の友人で、フリーの翻訳者の田部夏樹氏には、第一
氏に質問し、色々と
Keith McPhalen
稿の段階で訳文の確認をお願いし、忌憚ない意見をいただいた。特にジョークと映画に関するコメント
には大いに助けられた。英語表現の不明点は、大学の同僚である
氏とのやり取りを通して、英文のニュアンスは
教えていただいた。読書家で日本語も堪能な McPhalen
もちろん、作品に対する理解も深まったと思う。お二人にも感謝したい。刊行にあたっては、岩波書店
の渡部朝香さんにたいへんお世話になった。編集作業だけでなく、本書をよりよい形で世に送り出すべ
く、多方面で骨を折っていただいたことに心より感謝を申し上げたい。
二〇一五年四月三日
児 玉 晃 二
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