ロータリー

ロータリー
平 成 25年
通
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2013
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ξ
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ル
「
ロー,ツ ーOA
『 ロー タリー の友』
電子版 を発行 します
ロー タリー の友委員会委員長
一般社団法人 ロー タリーの友事務所代表理事
片岡
信彦
(土 浦南
RC)
『 ロー タリー の友』誌 は、会員 と会 員、 クラブ とクラ
ロー タリー雑誌を受け取るか、イ ンターネ ットを通 じて
ブ、地区と地区、国 内や世界中のそれ らとつ なが り、国
受信す るかの選択肢を クラブに与 える件 とい う制定案
際 ロー タリー とつ ながっているとい う、会員の意識の醸
が、圧倒的多数で採択 されました。友事務所では電子版
成 に役立 っていると思 い ます。 2013-14年 度にお い
について時間をかけて検討 してきましたが、2014年
ても、
地域雑誌 としての役割を果たすために、ロー タリー
月号か ら、 これまでの印刷版 と電子版を選択 して ご購読
情報を提供 し、会員 と共有する と同時 に、会員間の絆を
深める ことので きる『友』誌の編集 。発行を心がけてい
いただけるよ う準備を進めてお ります。それに先駆 け、
本年 10月 号か ら『ロー タリー ジャパ ン』 (―
きたい と思います。
orjp)を 通 して電子版を読んでいただけるよ う、配信
ところで、『友』誌を編集 。発行 している「一 般社団
法人 ロー タリーの友事務所」は「ロー タリー の友委員会」
を試験的にスター トする予定です。
ホー ムページ『ロー タリー ジャパ ン』 ですが、会員へ
による監督を受けなが ら、より親 しまれる『友』誌を会
の情報提供 とともに、奉仕活動な ども掲載 して、ロー タ
リー の 広報 として も機能す るよ うな構成 になってい ま
員の皆さまにお届けする ことを使命 としています。
地区代表委員の役割
友委員会 の構成員である地区代表委員 34人 の皆さま
には、『友』誌 に関するガバ ナーの代理者 として任 務 に
あたっていただいてお り、毎月の リポー トにより編集内
容な どについて『友』誌 の評価を していただいてお りま
す。 しか しこれ ら委員会の任務 とともに、地区内の情報
を編集部へ 提供 していただ くことも任務 とされてお り、
1
.rotary.
す。ネ ッ トでの情報取得はますます一般化 していますの
で、ホー ムペー ジの充実強化を図 り、会員に便利にアク
セス していただ くと同時に、組織外の方々へ のより良い
イメージ醸成を目指 していきたい と思います。
日本 回―タ リー 100周 年に向けて
また、 ロー タリー 日本創立 100周 年 の節 目を迎 える
「法人事務所」 に協力する ことによ り、評価する立場で
2020年 に発刊が予定 されている『ロー タリー 日本 100
年史』 の編纂業務については、4年 前 にロー タリーの友
あ りなが ら編集にも協力す るとい う、機能を優先 しての
委員会 としての取 り組みを当時 の委員長 が表明 し、『友』
現実的設計 のまま 3年 を経過 しました。各地区の状況を
誌 にも掲載 してお りますので、周知の こととは思 います
が、
「法人友事務所」が主体的 に取 り組んで い くべ く、ロー
把握する方法 として、現時点ではこれが最高 のもの と考
えてお りますが、地区代表委員の皆さまの役割 につきま
しては、各々の任務や組織的整合性を勘案 しつつ、今後
タリー文庫運営委員会 と米山記念奨学会、な らびにロー
タリーの友委員会は、協力 して発刊を実現す るとい う覚
とも検討を進めていきたい と思 っています。
書を交わ しました。そ して、関係者によ り編纂準備委員
デジタル環境 への対応
さて、社会全体 のデジタル環境 の進展 とともに、地域
雑誌『友』誌を取 り巻 く環境 も変化 してきています。読
む という行為 は変わ りませんが、何を媒体 として読むの
かの意識変化 によ り、デジタル環境 へ の対応 も重要 に
会を立ち上げました。
編纂 にかかる時間的要素 も勘案 し、
「ロー タリー 日本 100年 史編纂委員会」 の発足、および
「ロー タリー 日本 100年 史編纂室」 の開設 に向けて動い
ています。
課題山積みの折、 ロータ リアンの皆さまの一層 の ご理
解をお願 いいたします。
な ってきてお ります。 印刷物 としての『友』 誌 の発行
は、当然継続 していきますが、今年 4月 の規定審議会で
第
2820地 区
(茨 城
)2002-03年
度ガバ ナー
Rotary World Magazine Press
平成 25年
7月 号
ロータリーの友
1
口"タ ツ■8孜 ■ 鸞驚
⊂ONttENttS
『 ロータリーの友』電子版を発行します
18
ロータリーの友委員会委員長
一般社団法人ロータリーの友事務所代表理事
片 岡 信彦
ガバナーの横顔
6 8
1 3
19
2013-14年 度 R:理 事会メンバー紹介
Rl理 事メッセージ
規定審議会
目
設、
諸 竃雪悟 参力
蹄た
国際 ロータリーの理事として
2013-15年 度Ri理 事 Jヒ
清治
40
よねやまだより
42
23
文庫通信
ロー タリー 文庫 はロータリー 情報 の「宝 の 蔵」
ロータリー文庫運営委員会 委員長 戸田 一誠
平和はあなたか ら始まる
ロータリー世界平和フォーラム広 島
28
0
5
2
5
田中作次 Rl会 長 in Japan
心 は共 に
東日本大震災
被災地石巻市立湊中学生を
善通寺に招待して交流
善通寺RC林
忍
ロータリアンとして今何をなすべきか
!
第2520地 区震災復興支援プロジェクトチームリーダー 伊藤 大亜
活気 に満ちた漁協 ヘ
水沢いさわロータリークラブ
4
5
6
5 5
躍理
:〔::i:::::::│し
%
■ロータリー掲示板
RC事 務所住所変更。RC例 会変更。2013-2014年 度ロータリー手帳
のご案内。
新 !AC。『友』誌代等のお振込み/減 部についての
58
59
59
60
/
彗
冒
毅
ノ
躙咆砕
舗蛸鞣撃
第 2500地 区
36
霞本
正美 01路ベイ)
第 2510地 区
安孫子建雄
第 2520地 区
松良 千廣
(仙 台南)
第 2530地 区
渡遷
(い わき勿来)
第 2540地 区
佐藤 博明 にお )
飯村 惧― (宇 都宮90)
第 2550地 区
22
平 和 の 懸 け橋 となる人 材 育 成 を 目指 して
公益財団法人ロータリー米山記念奨学会 理事長
板橋 敏雄
41
2013-14年 度
公平
(江 別)
第 2560地 区
山崎 堅輔
(中 条)
第 2570地 区
中丼員一郎
(所 沢)
第 2770地 区
渡邊
(浦 和lD
和良
第 2790地 区
関口 徳雄
第 2800地 区
新関禰―郎
(天 童東)
第 2820地 区
長谷川國雄
(水 戸南)
第 2830地 区
北山 輝夫
(八 戸JD
第 2840地 区
第 2580地 区
本田 博己 (前 橋)
吉田 建二 (東 京田無)
(浦 安)
第2590地 区
市川緋佐麿
(′
第2600地 区
宮坂 宥洪
(岡 谷)
第2610地 区
湯浅外志男 (J咄 )
l:0
第2620地 区
志田 洪顧
(静 岡)
第 2630地 区
加賀
(桑 名西)
第 2750地 区
修
舟木いさ子
(東 京白金)
第 2760地 区
田中 正規
(西 尾)
第 2780地 区
相澤 光春
(ふ じさわ湘南)
第 2640地 区
久保
治雄
ーEク ラカ
(泉 州KUMATOⅢ ロータリ
克也
(京 都八幡)
宏
(八 尾中央)
第 2650地 区
坂本
第 2660地 区
福家
第 2670地 区
関
第 2680地 区
大室
第 2690地 区
森本 信一
(津 山)
第 2700地 区
穴井 元昭
(博 多)
第 2710地 区
沖田 哲義
(下 関)
第 2720地 区
赤山 武興
第 2730地 区
大迫
第 2740地 区
塩澤 恒雄
裕司
僑
三郎
(高 知)
(宝 塚武庫J!D
(人 吉中央)
(宮 崎南)
(平 戸)
2013-14年 度 ガバナー事務所
■「 ロータリー活動」フオトコンテス ト開催
■日本 回―タリー分 布 図
■奥 付
■ ご投稿 をお待 ち しています (投 稿規程 )
:
一般社団法人 ロー タリー の友事務所
〒1050011東 京都港区芝公園2‐ 615黒 龍芝公園ビル4階
Te1 03‐ 3436‐ 6651
Fax 03-3436-5956
編集部メール hensyu@rotary no― tomojp
黒 鍵口 里 Or.,p
―
『Otary・
● 縦‖lみ の ‖次 は、反対側 の 表紙 を聞 いた ところにあ ります . 本 文・写 真などの無断転 ・
載 lt製 を禁 じます
2
THE ROTARY― NO― TOMo
2013 VOL.61 NO.7
THE ROTARY‐ NOⅡ TOⅣ10
◎ ROTARY!MAGES//ALYCE
P6∼ 14 ロン D.バ ー トン R:会 長は、一家でオクラホマ大学のフッ トボール を観戦 します。
昌平
中山
義 之 は 浜南
神崎
正陳
上野
顧
胴林館北
委 員 長
)
剰
2830
澤口
忠彦
細川
2550
2560
2570
田村
嘉應 停 都宮90)│
川村
厚之
堀越
孝
2750
河村
勝久
2790
2800
木下
一夫
(浦 安
2760
宮崎
薫
鞍掛
彰秀
(天 童東)
2820
井澤
卓司
(水 戸南)
2780 高橋
2640 乾
好弘
(静 内)
(上 田)
和英
(久 留米)
孝雄
(東 京池袋)
定美
(東 京成城新)
) │
OH越 ) │
(村 上
2600
浜
2610
斉藤
俊弘
浩
2620 小林 武治
2630 伊 藤 久雄
荒駆公
酬れ 引
) │
2650
」り│1
)
置 i‖ フ
島田 甲子雄
(八 戸Jり
2660 鈴木
2840 町田 庄吉 (前 橋西
2580 石橋 正男 陳卿南コ 012670 石川
2590 桑原
薫 俄 浜港JD 1 2680 中
I:1婁
小粥
7月 号
│
(姫 鋤
鈴木
)
(江 男
ゆ
和彦
(京 都東)
ヶ崎湘南
泰―
安平
(土 浦南)
(浦 和東)
武田
)
長平
(茅
高橋与志一 御階 ベイ)│
(茅 ケ崎湘南)
信彦
剛
2500
2510
孝 輌浜
井手
清治
平成 25年
問
(東 京Jり
中村
区類
地儀
特 別顧 間
) 12690
2700
=咄
(静 岡) 12710
槃 名西):2720
ぶ 0 2730
(棘 」‖
(名 古屋東南)2740
(海 老名) │
HENSON
忠 鯨 都八0
1
│
幅 松南) │
洋 嶼 尾東)
浩
和義
(宝 塚武IEサ lD
(岡 谷
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原
卓也 は 山
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唯史
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多
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(下 間中央
喜志永佳和 “
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石井
昭男 熊 本西)
深尾
兼好 値 児島西
中野
晃
一嗣 (]冊 甥Ψ Ⅲ 編集長 二 神
)
浩
(平 戸)
典子 僚 京築地)
ロータ リーの友
│
1
2013-14 R lテ ーマ
ロータリー の誕 生とその成長
20世 紀初頭のシカ ゴの街 は、著 しい社会経済の発展の
陰で、商業道徳の欠如が 目につ くようになっていま した。
ちようどその ころ、 ここに事務所を構 えていた青年弁護
士ポール・ハ リスは この風潮に堪 えかね 、
友人 3人 と語 らっ
て、お互いに信頼のできる公正な取引を し、仕事上の付 き
合 いが そのまま親友 関係 にまで発展するような仲間を増や
したい、 とい う趣 旨で ロー タリー クラブ とい う会合を考え
ま した。 ロー タリー とは集会を各 自の事務所持ち回 りで順
番 に開 くことか ら名付け られたものです。
こ うして 1905年 2月 23日 にシカゴロー タリー クラブ
が誕生 しま した。
それか らは、志を同 じくするクラブが、つ ぎつ ぎ各地に
Engage Rotary, Change Lives
生 まれて、国境を超 え、今 では 200以 上の 国 と地 域 に広
\
が り、 クラブ数 34,380、 会員総数 1,215,679人 (2013年
3月 31日 RI公 式発表)に 達 しています。
そ して、 これ ら世界 中 の クラプの 連合体 を国際 ロー タ
ー
リ と称 します。
この ように、歴史 的 に見ても、 ロー タリー とは職業倫理
を重んずる実業人、専門職業人の集 まりなのです。その組
織が地球の隅々にまで拡大するにつれて、 ロー タリー は世
界に眼を開いて、幅広 い奉仕活動を求め られるようにな り、
現在は多方面にわたって多大の貢献を しています。
日本 のロータリー
ロー タリー の 目的は、意義ある事業の基 礎 として
奉仕の理念を奨励 し、 これを育む ことにある。具
体的には、次の各項を奨励する ことにある
第
1
わが 国最初 の ロー タ リー クラブは、 1920(大 正 9)年
10月 20日 に 創 立 され た東 京 ロー タ リー クラブで、翌
1921年 4月 1日 に、世界 で 855番 目の クラブ と して、
国際 ロー タリー に加盟が承認 されました。
情熱的に取 り組んだ初代事 務総長チ ェス リー・ ペ リー と、
創立の準備に奔走 した米山梅吉、福島喜 二次な どの先達の
功を忘れる ことができ ません。
;
職業上 の高 い倫理基準を保 ち、役立つ仕事
はすべ て価値あるもの と認 識 し、社 会 に奉
仕する機会 として ロー タリアン各 自の職業
を高潔な ものにすること
第3
;
ロー タリアンー人一人が、個人 として、ま
た事業および社会生活において、 日々、奉
日本での ロー タリー クラブ設立 については、ポー ル・ハ
リスの片腕 としてロー タリーの組織をつ くり、海外拡 大 に
知 り合いを広めることによって奉仕 の機会
とすること
第2
:
仕 の理念を実践すること
第4
;
奉仕 の理 念 で結 ばれ た職 業人 が、世 界 的
ネ ッ トワー クを通 じて、国際理解、親善、
平和を推進すること。
その後、 日本の ロー タリー は、第 2次 世界大戦の波に洗
われて、 1940年 に国際 ロー タリー か ら脱退 します。戦後
1949年 3月 にな って、再 び復帰加盟 しますが、 この 時、
復帰 に尽力 して くれたのが国際ロー タリーの第 3代 事務総
長 ジ ョージ・ ミー ンズで した。
その後の 日本 におけるロー タリーの拡大発展は目覚 まし
い ものがあ ります。ロー タリー財団へ の貢献 も抜群で、今
や国際 ロー タ リー におけ る日本 の地位 は不動の ものにな
りました。現在、 日本全体での クラブ数は 2,287、 会員数
88,515人 (2013年 4月 末現在)と なっています。
4
THE ROTARY‐ NO―TOMO
四 つ の テス ト
言行はこれに照らしてから
1.真 実か どうか
2.み んなに公平か
3.好 意 と友情を深めるか
4。
みんなのためになるか どうか
2013 VOL.61 NO.7
■ R:会 長メッセージ
A Message fronl President Burton
ロー タ リー を 実 践 し
み ん な に豊 か な人 生 を
ロン
D。
バー トン
2013-14年 度 R:会 長
アメ リカ・ ノーマン RC
親愛なる ロー タ リアンの皆さん、今は ロータ リアンであ
だけ多 くの人生を豊かに しているかに気づかせることが課
ることに大きな喜びを感 じる時です。今年度は、私たちが
題なのです。 一 人ひ と りの会員が活発に活動 し、貢献 し、
ロータ リーで今 まで経験 してきた中で最も素晴 らしい年度
世の中を良 くして いることを私たちは確認する必要 があ リ
の一つ とな り得ることができます。 しか しそれは、私たち
ます。皆さんが ロータ リー で意味のある活動をすれば、皆
一人ひ とりにかかつています。
さんにとつて ロータ リーは意味のあるものにな ります。
私たちが ロー タ リー で達成できる ことを認識 した時、す
ポ リオ 撲 滅 活 動 を通 して 学 ん だ こ と
なわち、私たちが ロータ リーを真に実践 した時、人々の人
私たちは今、ポ リオとの聞いにおいて最終章にさ しかか
生は豊かにな ります。私たちを必要 とする人 々の人生を私
っています。長 く、険 しい道の りで したが、私たちは多 く
たちは変えます。それは当然の ことです。同 じように、私
のかけがえのない教訓を得 ま した。私たちはグル ー プとし
たちの人生も変わ ります。 これも必ずそうな ります。 これ
て、山をも動かす ことができる、人々の暮 らしをよ り良 く
が、2013-14年 度 の 私 たちの テ ーマ「ロー タ リー を実
する ことができる、そ して、間違いな く私たちは、世界を
践 しみんなに豊かな人生を」の一番大切なと ころです。
よ り良い場所に変えることができる、 ということを学びま
ロー タ リーを通 して、私たち一人ひ とりの潜在能力に目
した。おそらく一番の教ヨ1は 、私たちが 自分たちに多 くを
を向ける時です。 日― タ リーは私たちをよ り高め、よ り多
課せば課すほど、私たちはよ り多 くの ことを達成できると
くの ことをさせ、 自分たち自身以上に大きな存在の一部に
い うことです。
させて くれます。私たちがどれだけ 口… タ リー に与えたか
私たちはまた、 ロー タ リー財団の歴史において、新たな
章 に入 りま した。私たちは 「未来の夢」 という全 く新 しい
補助金制度を開始する、めつたにない恩恵を授か りま した。
にかかわ らず、それ以上の恩恵を私たちは得ます。そ して
これも必至なのです。
2013-14年 度 では、私 たちみんなの潜在能 力を引き
「未来 の夢」では、 自分たちのあ りとあ らゆる リソー スを
出 しま しょう。 これは 自分次第です。 ロー タ リーの奉仕を
使 つて、私たちがな し得る最も偉大なことに挑戦する機会
実践する ことで、参加することで、やる気を持ち続けるこ
を与えられま した。よ り強い財団とロー タ リーの奉仕 に懸
とで、そ してロー タ リーの中に見いだせる贈 り物を日々思
命 に携わるロー タ リアンがよ りた くさんいる強いクラブが
い 出す ことで、 可能 となるのです。私たちは共に 「ロー タ
あれば、できることがどれだけ増えるかを考えてみて くだ
リーを実践 し みんなに豊かな人生を」実践 します。
さい。
全 会 員 が 真 の 回 ― タ リア ン に な れ ば … …
私たちが直面 している現実の課題は、新会員を ロー タ リ
ー に連れて くればいいというものではないことに気 づ くこ
Ron D.Burton
とです。今 こそ全会員が、真 のロー タ リアンに変わる節 目
2013-14年 度 国際ロータリー会長
です。会員が ロータ リー に参加するのを手助けする、 つ ま
り彼 らが持 つている潜在能力や、 口… タ リーの奉仕がどれ
平成 25年
7月 号
『 Rotary Japan』 のホ ー ムペ ー ジに、英文 の
長 メ ッセ ー ジを掲載 しています。
.Rl会
p
r.』
ロータ リーの友
5
THE ROTAR:AN7′ ]け か ら
一徹 な人
国際 ロー タリー新会長
Ron D. Burton
いつ もに こやか で、 自然体 の ロン・ バー トン氏 には 、相手 を リラ ックス させ る能 力が生 まれ
つ き備わ ってい ます。 しか し、国際 ロー タリー
(RI)の 新会長 の穏やかな物腰 に気を許 し、実
務 の 時で も彼が シ リアスになる ことはない と考 えて しまってはいけ ません。
「私 の意見を聞 きたいな ら、率直にお話 しします よ」 と言 うバー トン氏の顔 には 、隣人 の よ う
な親 しみはな く、真剣 な まなざ しに変わ ります。「 自分が堅 く信 じてい る ことな ら、 自分 の主 張
を貫 くために、私 は徹底的に議論を尽 くします。 ある種 のエ ゴか も しれ ませんが、個人的興味や
自分 の経済 的利益 だけを追求 してい る人 には 、“
四 つ のテス ト"を 当てはめてみな さい、 とだけ
忠 告 します 」
この 妥協 を許 さな い 倫理観 は 、オ クラホ マ 大学財 団元理事長 が見せ る唯 一 の 個性 か も しれ ま
せん 。「ほ とん どの人がそ うだ と思 い ますが、 自分 が間違 ってい る と言われ るのは面白 くあ りま
せん 」 と会長。「 しか し、ほかの 考 え方 もある と納 得すれば、自分 の 考 えを変 える こともあ ります。
ただ し、倫理的な問題 に関 しては、私 に 間違 っている と言わせ る ことはで きないで しょう。そん
な ことは あ り得 ません。私 は長年、資金 を流用 しよ うとす る人 を大 勢見 てきま した。 そんな時、
私 は彼 らの 目を見 て、 こ う言 った ものです。 “
あなたの ためであ ろ うとほかの誰 かのためであ ろ
うと、私 は刑務所 に行 くつ も りはあ りません "と 」
バー トン氏 は 、 自分 のキ ャ リアの成功 の 多 くは 「適切 な場所 に 、適切 な タイ ミングで 」 いた
おかげだ と話 します 。戦後 にアメ リカ 。オ クラホ マ州 ダンカン とい う小 さな町で育 ったバー トン
氏 は、 13歳 の 時 に 自分 の ビジ ネスを経営す る機会を持 ちま した。「その時の ビジ ネスは、新聞配
達。新聞を買 い 、ゴムバ ン ドを買 い、袋を買わな くてはな りませんで した。新聞が来 るのを待 ち、
それを束ね て配達 します 。集金 して、仕入れ た新 聞代 を支払い、残 ったお金が 自分 の取 り分 とな
ります」 と『 Duncan Banner』 でのキ ャ リアをふ り返 って語 ります。
数年後 の
1960年 代後 半、 オ クラホ マ 大学 の 学生 だ った バー トン氏 は、会 計事務所 でアル バ
イ トを しま した。卒業 して ロー ス クー ル (法 科大学院 )に 入学す るまでの間、 この 事務所 で働い
ていた親友が徴兵 され、代わ りにバー トン氏が雇われ る こととな りま した (バ ー トン氏 は 、上級
予備役将校訓練課程 と州兵 を通 じて兵役を果 た しま した)。
「大学卒 業 か ら 1週 間で、オ クラホマ 大学 の 会計士 のナ ンバー ツー にな ったわけです 」 とバー
THE ROTARY― NO― TOMO
嘔
購
"‐
―
‐ ・
―
…
…
Ⅲヽ
(前 ページ)母 校オクラホマ大学で思い出を振 り返る
ロン・ バー トン会長。30年 近 く、 この大学の財団の
理事長を務めました (右 )フ ッ トボール とオクラホマ
大学と言えば、自然と駄 じゃれが浮かんできます。最
大のライバル、オクラホマ州立大学チーム との試合が
ある週末には、「家族全員、そ して何もかも (whole
nine yards=距 離をヤー ドで測るアメリカン・ フッ ト
ボールから来た言い回 し)が 、自宅に集まります」
トン氏 は言い ます。 ロー ス クー ルでの最初 の 1年
間 この仕事を続けていた ところ、オクラホマ大学財
団の会計士が辞めたため、後任 としてバー トン氏が
推薦 されま した。「(ロ ース クー ルを)修 了す る時、
ロー タリーのパス トガバナー だった上司か ら、オク
ラホマ大学財団 に残 るように頼 まれました。 自分が
退職 した ら私を後任 に選 ぼ うと考 えていたよ うで
す。 1978年 、私 は彼の後を継 いで理 事長 とな り、
2007年 に退職 しました。 これが私のオクラホマで
の職歴です。お とぎ話のようですが、実際にあった
話 です」
未来 の妻 となるジェタさん との出会いについて
は、バー トン氏は最初か ら「適切な場所」にはいた
ものの、タイ ミングが少 しずれていました。ベ ビー
ブーム世代 の先駆けだ った二人は、同 じ年に、同 じ
病院 (出 産ブー ムでごった返すその病院では、たん
すの引き出 しを新生児 のベ ッ ド代わ りに使 うほ どで
した)で 生まれましたが、バー トン氏 がジェタさん
よ りも 3か 月早 く生 まれ ま した。幼少期か ら共通
の友だちがいました。そ して二 人はついに高校 の同
じバ ン ドのメ ンバー として出会 ったのです。3年 生
だったバー トン氏は トロンボー ンを、2年 生だった
ジェタさんはフ アゴ ッ トを吹 いてい ま した。 1962
年 9月 18日 に初めてデー トを し、そ して、大学在
学中に結婚 しました。
結 婚 して 45年 、娘 1人 と息 子 1人 、 そ して 3
人 の孫 に恵 まれました。ジェタ夫人 との結婚生活は、
まさにパー トナーシ ップのようなものであ り、特に
ロー タリー ではその「パー トナーシ ップ」が大切だ
ったと、バー トン会長は強調 します。
「ジェタは私の一番 の批評家で した。私 のスピー
チが 自然 で説得力があるか どうか とか、そのほかい
ろいろな ことで、 いつ も率直な意見を くれ ま した。
8
THE ROTARY‐ NO‐TOMO
Z O ∽Z]〓 国Oン コく ヽ∽国〇 く Σ ︻´∝ くい〇 ∝
THE ROTARY‐ NO― TOMo
ノーマンロー タ リークラフの恒例募金朝食会でホ ッ ト
ケーキを振舞 うバー トン氏。左は、ノーマ ン・ クラブ
で彼が新会員 と して推薦 した初めてのアフ リカ系アメ
リカ人、ポール・ ウィル ソンさんじ ウィル ソンさんは
例会の完全出席率を維持 しています=右 は、 クラブ会
計のラ リー・ベ イスさん
会長エ レク トllI修 セ ミナーか ら地 区協議会や地 区大
会 に至 るまで、ず っと支えて くれ ま した.慶 の 支え
がなけれ ば、 今 日私 は ここにいなか ったで しょ うJ
と、 ノーマ ンロー タリー クラブ会 itの バ ー トン氏 は
言います 。
ロー タリー にお いて 家族 が果たす 重要な役割 は、
バ ー トン氏の信念 の 核 とな る部分 にあ ります。「私
たちが ロー タ リー家族 につ いて 話す とき、それが広
報 の一 部 である ことはわか っています ()し か し私 に
とっては 、 まさに ロー タリー家族なのです =│¬ 分 の
家族 にロー タ リー に 関わ って もらい、 しか も心か ら
`
それを願 えは 、ロー タリー家族 は 1町 界 に広が ります
()
それ こそが ロー タリー 家族 であ り、それ こそが社会
奉仕 です J
ロー タ リー で過 ご した llキ 1剖 を通 して、特 に 、 各
l山
を旅 し、 さまざまな 1可 の ロー タリアンに 出会 つた
この一 年 間 は、 ロー タ リー とい う剖1織 の 多様性 と、
常 に成 長 し続 け る可能ヤLを 認識す る助 け とな りま し
た。「 は界 中 の ロー タ リア ン と話 した ことで 、 異な
る考 え方に対 して、 よ り寛容 になれ ま したJと 彼 は
述 べ てい ます。「 もの ご とを行 うにはほか のや り方
があ り、文化や11人 によって連いがあ る ことを学び
ま したの しか しヽ基本的な信条 は、 どこの IIIで あろ
.1潔
うと、私 たちす べ てに共通 してい ます c組 織 の 出
さに、地域 による差 異はあ りませ ん。 ただ し、そ の
ことを実詢Eし 、強調す るために、 ロー タ リーは もっ
と良い仕 1「 をす る必 要があ る と思 い ます J
RIと ロー タ リア ンの 関係 につ い て、 バ ー トン
氏 は確 世1と した考 えを持 ってい ます。「 RIは 、 ロ
ー タリー クラブの連合体以外の何 もので もな く、事
[
〕
1は クラブを 手伝 うために存在 します。 RIの イ
務り
事は、 クラブを支援す る こと。 そ して、実際に活動
す るのは ロー タリア ンです 。 それを忘れてはな りま
平成 25年
ロータ リーの友
11
オクラホマ大学対オクラホマ州立大学のフ ッ トボール
の試合 に向か うバー トンー 家.試 合は延長戦 とな り、
オクラホマ州立大学が最初 にフィール ドゴールを決め
ま したが、オクラホマ大学がす ぐに逆転 し、勝利を収
めま した、勝ち誇 つた笑顔を隠そ うとするバー トン会
長 も、「オ レンジ色が嫌 い」 とす ぐに認 め ま した (オ
レンジ色はオクラホマ州立大学の色
)
せん 。]I務 局 は神聖な場所 であ り、会 長室 と1司 じよ
うに、尊重 しなければな りません。私 たちの仕可fは 、
ロー タリア ンを 合 い tた せ、 シエ ア リー ダー シ ップ
を結集 して要 とな る拠点 として 活動す る こと、そ し
て、 クラブ と地 区を支援す る ことです。 ただ し、 R
I自 体が ロー タリーの │]的 ではあ りませんJ
バ ー トン氏 は、 自 らが始 め た 「 フ アー ス トクラ
スJキ ャ ンペー ンを成功 させ る ことに熱意 を鴻iい で
います ぃ この キ ャンペー ンは 、 2013-14年 度 を、
全地 │え ガバ ナー と全 クラブ会長が ロー タ リー 財卜
1に
寄付 をす る初 の 年度 にす る ことが H標 です。「既 に
360万
ドル が集 ま って い ます が、現 在 まで に 寄 付
を して くださった クラブ会 長は、8,128人 に とどま
ってい ます」 と会 長。「 一方 、 ロー タ リー 史
11初
め
て、全ガバ ナ ー が既 に財 IJに 寄付 して くださって い
ます」
寄 付増 進 の 成功 は、 バ ー トン氏 の オ クラホ マ 大
学則 │]で の 30句 1に わた るキ ャ リアを特徴づ け るも
ので もあ ります c JIW事 長在任 中、大学財団 の 資産 は 、
1,750万 ドル か ら 8億 9,000万 ドル に まで増 え ま
した。 しか し、 この 功績 は、彼が誇 りとす る達成 事
項 の短1い リス トには載 っていません。
「私 が大 きな誇 りと して い る こ とが 、 2つ あ りま
す Jと バー トン会 長c「 ^つ は、資金 を常 に しっか
りと管 lFIFし 、
使途不明 のお金が 1ペ ニー もない こと。
そ して も う 一つ は 、退職 か ら 5年 た った今 も、 (そ
の後定年退職 した人を除 いて)当 時 lplぃ ていた人た
ちが全員残 ってい る こと。 これは、私 のや り方が
「リ
違 っていなか った ことの 〕
:正 しだ と考えています 」
この よ うな成功 を導 い た彼 の マ ネ ジ メ ン トス タ
イルは、 ロー タ リー で も大 き く変わ りそ うもあ りま
せんが、愛読書 はアメ リカ大統領の伝 li己 とい うバー
トン氏 は、 RI元 会長 たち と接 したおかげで 、彼 の
12
THE ROTARY―
NO―
TOMO
平成
25年 7月 号
ロータ リーの友
ヾ ヽヽ ぃ 、
45年 前、 オ クラホマ大学在 学 中
に結婚 したバー トン会長 とジ ェタ
夫人。 1980年 か らノ ーマ ンにあ
る この 自宅に住んでいます
効果 的なアプ ロー チに磨 きがかか った と信 じていま
す。
「全 員素晴 ら しい方 たちですが、特 に強 く印象 に
残 ってい る元 会 長が数人 い ます Jと 会 長。「 ビル・
ボイ ドさんか らは大 きな影響 を受 けま した。 彼 は素
晴 らしい コ ミュニ ケー ター です。 カル ロ・ ラ ビッツ
ァさんか らは、我 lfa強 さを学 び ま した。 ジム・ レイ
シー さんは会議の進行 の達 人 で、 ビジネス的なアプ
ロー チの持 ち 主で した。穏や かで落 ち若 いた人柄 の
ジ ョン・マ ジ ィアベ さんは、模範 とす る存7tで した。
そ して、 フラ ンク・ デブ リンさん。彼 につ いては 、
シ ンプル に こ う言 い ま しょ う。 “
フラ ンク・ デ ブ リ
ンを 好 きではない人がいた ら、私 はその人 が好 きで
はない"と 」
シ ンプル か つ ス トレー トに考 え、表 現 す る。 こ
れが、バ ー トン氏の 一 番 の 強み の よ うです。「 アメ
リカ人 に一つお願 い したい ことが ある とした ら、そ
れは、 ロー タ リア ンが 支援 しているよ うな貧 しい 口1
に行 って、アメ リカでの生活がいかに恵 まれてい る
かを実感す る ことJだ と彼 は話 します。
Lは 、確 か に恵 まれ てい ま した。「私 は幸
彼 の人 ′
せ者です。素 晴 ら しい家族 に恵 まれ、子 どもや孫 た
ちが成長す る姿を Hに してきま した。彼 らの人生 も、
順調 に進 んでいる と思 い ます。 もちろん、心 llaiFも
あ りますが、家族の幸せ を願 っています 。 ロー タ リ
ーの おかげで、世界を少 しで も良 くし、「 1分 の孫 だ
く︼ ∽Z ︻NO ] く︼ ︼2 0 マ´ ヽ∽]〇< マ′︼´∝ くい〇 ∝
けでな く、他 の 人 のその孫 たちを も含めて、人 々の
′
L活 をよ り良 くす る機会 にめ ぐり合 う ことがで きま
した」
今 か ら 一年後、 バ ー トン氏 は、純 粋 にオ クラホ
マ 的な基準、 つ ま り「最後 には 、材木 の 山が前よ り
も少 し高 くな っていれば よい」 とい う基準 で、 自身
の 成功を振 り返 る ことで しょう。
― JOHN REZEK
THE ROTARY―
NO―
TOMO
2013 VOL.61 NO.7
ロー タリーを実践 し
みんな に豊 かな人 生 を
2013-14年 度 国際 ロー タ リー (Rl)の テ ーマ
国際ロータリー(Rl)世 界本部公式訳文
I
= ︲ Ч ノ r
今 日のロー タリー・ クラブ
割を見 ることです。地域社会の問題を自分 自身 の責任 とし
の 例会風景 は、一見 して、
て受け止め、それに基づいて行動 し、イニ シアチブを発揮
50年 前 の例会 とは大分様
し、最善の努力をすること、簡単な道ではな く、正 しい道
子 が違 ってい ます。 また、
を歩む ことを意味 します。
34,000あ る クラブす べ て
を訪れれば、さまざまな経
私たちは皆、世界をよ り良 くする活動 に 自ら参加するため
歴を持 つ人々が、世界 の あ
に、 ロー タリーに入会 しました。人生におけるあ らゆる物
りとあ らゆ る言語 を話 し、
事 と同 じように、ロー タリー の奉仕では、努力すればする
地元 レベ ルか ら国際 レベ ル
ほ ど、多 くを得 ることができます。形だけの努力だけなら、
まで、実に多様な奉仕プ ロジェク トを行 っている姿を目に
大 した成果 は上が りません し、本 当の満足感 は得 られな い
するで しょう。週末に近所の公園にある遊具を修理 してい
で しょう。 しか し、 ロー タリー を真に実践 し、 ロー タリー
るクラブや、ほかのクラブ と協力 して何千キ ロ も離れた学
の奉仕 と価値観を 日々活 かす決意をすれば、 自分がいかに
校 の衛生設備を整 えているクラブな ど、大小 さまざまな方
素晴 らしい影響を もたらす ことができるかが見えて くるで
法 で、 この世界を よ り良 くす るためにロー タリアンは活動
しょう。そ うして初めて、人 々の人生を真 に豊かにしよう
しています。
とい うイ ンスピレーシ ョン、やる気、パ ワー が沸 くのです。
そ して何 よ りも、あなた自身の人生が一 番豊 かになるはず
今 日、 ロー タリー で日にすることの多 くは、昔 とは違いま
です。
す。 しか し、 ロー タリーの土台は変わっていません。私た
ちの土台は、 これまで と同 じように、 ロー タリーの中核的
2013-14年 度 のロー タリーのテーマ、そ して私か ら皆
価値観、すなわち、奉仕、親 睦、多様性、高潔性、 リー ダ
さんへ のチ ャレンジは、「ロー タリー を実践 し みんなに
ーシ ップです。 これ らの価値観 こそが、 ロー タリアンとし
豊かな人生を」です。
て私 たちを定義づけるものです。私たちは、 これ らの価値
観 に従 って生 き、地域社会に これ らの価値観を広めようと
皆さんは、 ロー タリーの襟 ピンを身 につけることを選択 し
努力 しています。
ました。 これか らどうするかは、皆さん次第です。
私たちは、推薦 され、その推薦を受諾す ることを選択 して
ロー タリーに入会 しました。そ して、
入会 した後にも、日々、
選択を行 っています。それ は、 ロー タリー・ クラブの単な
る一会員でいるか、真 のロー タリアンとなるか、の選択で
す。
ロー タリア ンであ る とい う ことは、週 に 1度 例会 に 出席
するよ りも、ず っと大 きな責任です。それは、独特な方法
ロン D.バ ー トン
で、世界を見 ること、そ して、その世界における自分の役
2013-14年 度国際ロータリー会長
平成 25年 7月 号
ロータ リーの友
15
THE ROTARIAN 7り l:;か ら
Meet the Board of Directors for 2Ol3
-
14
2013-14イ 度 RIり Hi会 メ ンバー紹1介
│ミ
エ
理事会 メンバーは、議長を務める国際 ロータ リー (Rl)会 長、 R!会 長 レク
の理
17人
ト、そ して ゾーンの指名委員会 によつて選出され、国際大会で選挙 された
R!の 業
事、計 19人 で構成されています。理事会は R!定 款および細則に従 つて、
8人
務な らびに資金 の監督 と管理を行 います。各理事の任期 は 2年 間で、今年度 は
の 2年 目の理事 と 9人 の 1年 目の理事 とで構成され ています。事務総 長は、投票権
はあ りませんが、 RI理 事会の指示監督下 に実務を執行 し、 Rlの 最高管理役員 とし
て理事会に出席、幹事役を務 めます。
RI会 長 ロン D。 バー トン
松宮
岡J(2012- 14)
アメリカ 。オクラホマ州 ノーマ ン
RC会 員。アメリカ法律家協会会員。
RI理 事、財団副管理委員会、国際
協議会 モデ レー ター 、恒久基金アメ
リカ 。ア ドバイザー な ど歴任。超我
茅 ヶ崎湘南 RC会 員。松宮歯科医
院院長。 RI会 員組織 ゾー ン・ コー
デ ィネ ー ター 、 RI会 員組織 地 域
コー デ ィネー ター 、識字率向上支援
グルー プゾー ン・コー デイネー ター 、
の奉仕賞、財 IJ特 別功労賞、 ポ リオ
のない世界を目指す奉仕賞受賞。
ジャー ドナー。遺贈友 の会会員。
RI会 長エレクト 黄其光
RI研 修 リー ダー、会 長代理。 メ
アン・ ブリット・アセボル (2012-14)
スウェー デン・フアー ル ン・コパプ
ル エ ン RC会 員。国会議 員。16∼ 19
歳の生徒を対象 とした高等学校 を設
立。RI会 員組織 地域 コー デ ィネー
台 湾 。 台 北 RC会 員。Wah
Leelndustrial社 、板 信 商業銀 行相
談役。 RI副 会長、理事、財団管理
委員、 RI研 修 リー ダー 、地域 セ ッ
シ ョンリー ダー な ど歴任。超我 の奉
ター 、財団地域 コー デ ィネー ター 、規
定審議会代表議 員、会長代 理な ど歴
任。ベ ネフ アクター 。
仕賞、財団功労表彰状受賞 。
RI百 1会 長 アン L。 マシユーズ
アメリカ・ サウスカロライナ州 コ
ロンビア・ イース トRC会 員。 サ ウ
スカロライナ州教育局長。財団管理
委員、未来 の夢委員会委員、財団地
域 コー デ イネ ー ター な ど歴任。 メ
ジャー ドナー。遺贈友 の会、ポール・
ハ リス・ ソサエ テイ会員。
RI財 務長 アンデイ・ スモール ウツ ド
アメ リカ 。テキサス州 ガル フウェ
イホ ビー・エ アポー トRC会 員。独立
開業弁護 士。恒久基 金 アメ リカア ド
バ イザ ー 、規定審議会代 表議員な ど
歴任。超我 の奉仕賞、 財団特別功労
賞受賞。 メジャー ドナ ー。遺贈友 の
会創立会員。
16
THE ROTARY― NO― TOMO
9
=2' tfi-2
eorz
- 14)
オ ー ス トラ リア・ タム ワ ー ス・ノ
ー ス RC会 員。法律 事務所 Evering
hanl Solomons Solicitors理 事。定
款細 則委 員長。RI研 修 リー ダー 、
2007年 。10年 規定審議会日1議 長 ほ
か歴任。財団地区奉仕賞、財団功労
表彰状受賞。ベ ネフアクター。
ジャック・ デイ・ コスタンゾ (2012-14)
フ ラ ン ス・ マ ル セ イ ユ・ ポ セ ア
RC会 員。 マ ルセ イ ユ 病 院 の 胃腸 科
専 門医。 RI研 修 リー ダー 、会長代
理 、 ロー タ リー リー ダー シ ップ研 究
会 の フラ ンス委 員長 ほか歴 任。 ポ ー
ル・ ハ リス・ フ ェロー 。
2013 VOL.61 NO.7
ギデオン 0パ イパー (2012-14)
ラリー A.ラ ンスフォー ド (2013-15)
・ハ シ ャ ロ ン R
イ ス ラエ ル・ ラマ ト
C会 員。公 共 ビル の デ ザ イ ンを 専 門
アメ リカ・ ミズー リ州 カンザスシ
テ ィ・ プラザ RC会 員。Bernstein―
Rein Advertizing社 副社長・ CFO。
公共イメージコー ディネー ター、財
団学友 コー ディネー ター ほか。超我
とす る建築家 。 オ ラ ン ダ系移 民 の 心
理 支 援 セ ン ター 所 長。財 団地 域 コー
デ ィネ ー ター 、RI研 修 リー ダー ほ
か。ポール・ハ リス・ フェロー、ベ
ネファクター。
財団特別功労賞受賞。
ブリン・ スタイルズ (2012-14)
の奉仕賞、財団功労表彰状受賞。
P.T.Jrt\h-rL
(2013
カナダ 。
オンタリオ州 バ リー・ヒュ
ロニア RC会 員。薬局経営。財団地
域 コー ディネー ター 、規定審議会代
清治 (2013-
- rs)
イ ン ド・ マ ドラ ス・ セ ン トラ ル
RC会 員。 P.T.Power Gear社 社長 。
ロー タ リア ンの 支援 を得 てチ ェンナ
表議員、会長代理ほか。超我の奉仕
賞、財団功労表彰状受賞。GSEチ ー
ム リー ダー。メジャー ドナー。遺贈
イ で血 液銀行 を創設 、 プ ロジ ェク ト
委 員長 。 RI研 修 リー ダー 、財 団地
友 の会会員。
歴任 。
域 コー デ ィネ ー ター 、会長 代理 ほか
スティーブン A.ス ナイダー (2013-15)
15)
浦和東 RC会 員。シン建 工 業 (株 )
代表 取 締役会長。埼玉 経済 同友 会
幹事。さいたま市体 育協会会長。財
団地域 コー デ ィネ ー ター 、恒久基金
日本委員会副委 員長、会長代理。財
団功労表彰。遺贈友 の会会員。アーチ
C.ク ランフ・ソサエティ会員。
セ リア・ エ レナ・ クルツ・ ド・ ジアイ (2013-15)
ア メ リカ 。カ リ フ ォル ニ ア 州
オ ー バ ー ン RC会 員。 Gold Rush
Chevrolet Subaru社 社長。カリフォ
ル ニ ア新車デ ィー ラー 協会元会長。
会長 代理、財 団地域 コー デ ィネ ー
ター補佐、 RI研 修 リー ダーほか歴
任。
マイケル
F。
ウェブ (2013-15)
アルゼンチン・ アレシー フェス R
C会 員。フリー ランスジャー ナ リス
イギ リス 。
メンディップ RC会 員。
ト。アルゼ ンチンの地 域雑誌 『Vida
編集長。財団地域 コー ディ
ネー ター 、 RI研 修 リー ダー ほか歴
任。超我 の奉仕賞、財団功労表彰状
受賞。 メジャー ドナー。
個人会計事務所。さまざまな慈善団
体 の財務管理を務める。 RIBI会
長、規定審議会代表議員、会長代理、
RI研 修 リー ダーほか歴任。
Rotaria』
マ リー・ ベス・ グローニー・ セレーネ (2013-15)
ア メ リカ・ ウ ィス コ ンシ ン州 マ
デ ィソンウエ ス トタウン・ミ ドル ト
ンRC会 員。
Ryan Signs社 創業者 。社
長。恒久基金 国内 ア ドバ イザ ー 、年
次寄付戦略ア ドバ イザー ほ か 歴 任。
超我 の奉仕賞、
財団功労表彰状受賞。
メジャー ドナー。遺贈友 の会会員。
ホルガー・ ナーク (2013-15)
ドイ ツ 。ラウエ ンブル ク・ メル ン
公国 RC会 員。不動産会社 Knaack
KGの 共 同経営者。会長代理。規定
審議会代表議員、RI研 修 リー ダー 、
ドイツ国内全地区の多地区青少年交
換 プログラム委員長ほか歴任。
平成 25年
7月 号
FH:R
(2013
-
15)
韓国 。新漢陽 RC会 員。建設資材
を扱 う Dongsuh社 社 長。未来 の夢
計画 トレー ナー 、RI研 修 リー ダー 、
ゾ ー ン 9、 10Aの Keep Mongolia
Greenプ ロ ジ ェク トの共 同委 員長
ほか歴任。
RI事 務総長 ジョン・ ヒューコ
ウ ク ラ イ ナ 。キ エ フ RC会
員。 弁 護 士。 ア メ リ カ 政 府 機 関
Millenniunl Challenge Corporation
(MCC)で
は、 旧 ソ ビエ ト連 邦
な ど 26か 国 との関係構築 を担 当。
2011年 7月 か ら現職。
ロータ リーの友
17
PROFILES OF
DISTRICT GOVERNORS
ガバ ナー の横顔
第 2500地 区
■ ロータリー用語・略語 ―覧
GSE: 研究グループ交換
lAC: インターアクトクラブ
:M: インターシティーミーティング
MPHF:マ ルチプル・ポール・
ハリス・フェロー
P Ett S: 会長エレクト研修セミナー
PHS
ポール・ハリス・ソサエティ
RAC
ローターアクトクラブ
R⊂
ロータリークラブ
:
R::
R見 村ヨ
SAA
WCS
国際ロータリー
ロータリー財団
会場監督
世界社会奉仕
倒‖
路ベ イ)
霞本 正美
北海道東部
舅 2510駆
「
安孫子建雄
北海道西部 (江 別)
第 2520地 区
松良 千廣
岩手・宮城 (仙 台南)
第 2530地 区
渡邊
公平
福島 (い わき勿来)
第 2540地 区
佐藤
博明
秋田 (花 輪)
第 2550地 区
飯村
慎―
栃木 (宇 都宮 90)
第 2560地 区
山崎 堅輔
新潟 (中 条)
第 2570地 区
中丼員―郎
埼玉西北 (所 沢)
埼玉南東 (浦 和JLl
第 2770地 区
渡邊
第 2790地 区
関口 徳雄
第 28∞ 地区
新関蒲一郎
山形 (天 童東)
第 2820地 区
長谷川國雄
茨城 (水 戸南)
第 2830地 区
北山 輝夫
青森 (八 戸北)
第 2840地 区
本田 博己
群馬 (前 橋)
第 2580地 区
吉田 建二
東京・ 沖縄 (東 京田無)
和良
千葉 (浦 安)
第 2590地 区
市川緋佐麿
神奈J!│(川 崎)
第 2600地 区
宮坂 宥洪
長野 (岡 谷)
第 2610地区
湯浅外志男
富山・ 石川 (」 呻公)
第 2620地 区
志田 洪顧
山梨・静岡 (静 岡)
岐阜 。二重 (桑 名西)
・ミクロネシア
・′ウ オ (東 京 白金)
東京。
北マリアナ諸島″ワム
第 2630地 区
加賀
第 2750地 区
舟木 いさ子
修
第 2760地 区
田中 正規
愛知 (西 尾)
第 2780地 区
相澤 光春
ll(ふ じさわ湘南)
神奈り
第 2640地 区
久保 治雄
第 2650地区
坂本
克也
大阪南部・和歌山 (泉 州 KUMATOR:ロ ータリー Eク ラカ
福井・ 滋賀 。京都・ 奈良 (京 都八幡)
第 2660地 区
福家
宏
大阪北部 (八 尾中央)
香川・ 愛媛 。徳島・ 高知 (高 知)
第 2670地 区
関
第 2680地 区
大室
第 2690地 区
森本 信一
:D
兵庫 (宝 塚武庫′
。
。
岡山 鳥取 島根 (津 山)
第 2700地 区
穴丼
元昭
福岡・佐賀・ 長崎 (博 多)
第 2710地 区
沖田 哲義
第 2720地 区
赤山 武興
広島 0山 口 (下 関)
大分 。熊本 (人 吉中央)
舅曽2730駆
大迫
舅F2740順
塩澤 恒雄
裕司
僑
三郎
宮崎・ 鹿児島 (宮 崎南)
佐貿・ 長崎 (平 戸)
.
ガバ ナ ー 紹 介
「寛容 の精神」を大切 に
第 2500地 区
わが街江別、 ガバ ナー誕生
第 2510地 区
よ しも と ま さ み
あ
霞本 正美ガバナー
(釧 路ベ イ
GOVERNORS
び
こ たて お
ヽ
ナー
安孫子建雄ガ′
RC)
(江 月
りRC)
霞本正美ガバ ナー は、北海道上川郡新得町 に生 まれ、父
親 の勤務 の都合で、各地を転地 しました。優 しくて自由奔
昨年、創立 50周 年を迎 えた当クラブか ら、初めてのガ
バ ナー誕生である。会員数 36人 の小 クラブが、半世紀の
時、釧路湖陵高校に進み、 日本大学歯学部を卒業後、「よ
歴史を経てや っとた どり着いた目標でもある。待ち望んだ
その人の名 は、安孫子建雄 ガバ ナ ー。昭和 18年 生 まれ、
しもと歯科診察室」を釧路市 内 に 開院 しま した。近 年 で
私 と同 じ高校の 6期 先輩である。
放な性格は、その時に育 まれた と思います。釧路市在住の
は、社会 福祉法人釧路 のぞみ協会 の理事長 として奉仕する
な ど、各方面で活躍 してお ります。
センス とオー
安孫子先輩 の人物像は、ひ と言で表せば “
ラがあ る心温 かな人物 "。 江別市経済界 の 顔 とも言 える、
趣味は、 ロー タリー と奥 さまであ り、食 べ ること、飲む
江別商工 会議所会頭をは じめ とし、数々の要職に就 き、私
ことが大好 きで、唯一の失敗 は、奥 さまを太 らせて しまっ
生活においても、家庭人 として、趣味人 として、全ての面
た ことです。 この一年間 は、 ロー タリー と奥 さまだけに奉
でそのセンスの良さと温かさが光 っている。
私 と安孫子先輩 との関わ りは、 ロータ リーに入会 してか
仕活動を務めると言 ってお ります。
ロー タ リー 歴 は、釧路北 RCに 30歳 で入会、 199697年 度坂本 一 ガバ ナーによって創立 したり1路 ベ イ RCの
創立会員、初代幹事 として移籍、3代 目の会長 として地区
大会ホス ト役を務めま した。釧路 ベ イ RCは 当地区 69番
らがほ とん どである。 当時 の私は食事を して帰 るだけの、
いわば 出席だけが取 りえの一会員。親 しく話をする機会 も
目の認証 クラブであ り、地区内で一番若 いクラブです。霞
本 ガバ ナー を選出できた ことを誇 りに思 ってお ります。
会長を務める時、
私を幹事 に指名 して くれた時か らである。
この時点か ら、私のロー タリーに対する姿勢が変わ ってい
霞本 ガバ ナー は、2013-14年 度 の 目標を「讃 えよう
地域 を ! クラブを ! 会員 (自 分 も)を ! ロー タリー
った。人 に信頼 されることの大切 さ、 うれ しさ、楽 しさと
との出会いに感謝
ほ とん どなかった。そんな私 と安孫子先輩が公私 にわたっ
て親 しくさせてもらえるようになったのは、彼がクラブの
は、 自身 の手でつ くり出す必要がある、 といった基本的な
し、「 自分が入 りた いクラブ」をみんなで 目指 し、会員増
考 えを、先 輩 は私 に与 えて くれた。
今年度 ガバ ナー として一年間、地区全員の リー ダー 、指
強 したい と考 え、会員 に「奉仕をする喜 び、楽 しさ、感動」
揮者 として期待を裏切 ることな く、安孫子先輩はきっとま
を奨励 し、地域 のためになる奉仕活動で ロー タリー クラブ
た大 きな何かを皆に与えて くれる ことだろ う。
!」
とし、各 クラブの長所を大いに伸ば
を大 いに啓蒙 したいと願 っています。
釧路ベイRC
沢 田雅仁
職業分類 ―歯科医 1953年 4月 15日 生。よしもと歯科診察室
創立会員。
院長。83年 釧路北 RC入 会。97年 釧路ベイ RC移 籍、
ガバナー補佐。地区WCS委 員長、新世代委員長。MPHF。
平成 25年
7月 号
江別RC
山田
誠
職業分類 ―製粉 1943年 9月 28日 生。江別製粉 (株 )代 表取締
役社長。86年 江別 RC入 会。ガバ ナー補佐。 メジャー ドナー。
米山功労者。
ロータリーの友
19
GOVERNORSガ
バ ナー紹 介
こうへいなガバナー
新風 に期待
まつ ら
第 2530J也 区
岩 手・
第 25201也 区
わ た な べ こ うへ い
ち ひろ
松良千廣 ガバナー
渡邊公平ガバナー
(仙 台南
(い わき勿来
RC)
RC)
私 たちの例会場の演台には、 20年 も前か ら毎週欠かさ
松良千廣 ガバ ナー は、当クラブに とって 4人 目 (5度 目)
のガバ ナー 選 出 となる。氏 はシテ ィバ ンク勤務後、 (学 )
ずお しゃれな花瓶に数本のきれいな花が、心優 しい渡邊裕
常盤木学園 の理 事長、高校長 として校風を刷新 した信念 の
人である。今や常盤木学園高等学校 は、女子サ ッカーの強
子夫人 の厚意で生け られています。そのご主人 こそが、渡
邊公平ガバナー です。
豪校 として全国的に有名であ り、少 子化 の時代にもかかわ
落語調で公平 さんを紹介す るな らば、「“
名 は体を表す "
と昔の人はよく言 ったもんで ぇ∼。ガバナーの名付け親を
らず、入学希望者は年々増 えているとい う。
が嫌いで必ず独 自の判断をするが、興味 のない ことについ
褒めてや りて ぇ∼ なぁ∼ ! なんで ? そ りゃ― 決 まって
らぁ∼ ! 名前が “こ うへい"“ 公平 "だ よ。 ロー タリアン
ては、かな りいい加減 」とい うことである。由貴子夫人は
な らピンと くら―」 って感 じで しょうか。われ らの リーダ
一 言 「頑固 だか ら」。周 囲か らは 「剛毅果断、有言実行、
ー渡邊公平さんは、まさ しく名の通 りの人格で、いつ も明
計画的で無駄がな い、責任感が強 い、好奇心旺盛、独特 の
ユー モアの持 ち主Jと い う評がある。
る く優 しいダンデ ィー とい う言葉が、 ビッタリの人です。
氏は職業柄、当 クラブが提唱する常盤木学園 IAC、 仙
間違 うて しもうたん じゃ、 この 国は」 とい うセ リフがあ り
さて、本人によると性格は「 流行や慣習 に盲従する こと
山田洋次監督 の映画 「東京家族」 のシー ンに「どっかで
台 RACの 活動、青少年交換 な ど、青少年奉仕に関連する
ます。私は、間違 って しまったのは家族のあ り方や人 とし
プログラムに とってはな くてはな らない会員である。地区
ての優 しさの欠落で、公平さんのように、妻を愛 し、家族
委員 としても、長年にわた り国際奉仕委員会、青少年交換
委員会 の委員長と して活躍 してお り、なるべ くしてなった
を愛 し、地域を愛することが最 も大切だと感 じています。
ガバナー である と思 っている。
よって苦 しみ、元の暮 らしを取 り戻そ うと必死で復興に取
今、福島県民 は、 とても受け入れがたい想定外の事故に
東 日本人震 災か ら 2年 余 りが経過 したが、岩手 。宮城
り組んでい ます。私 たち ロー タリアンは、「未来 の F‐ ども
県 の沿岸部 には存続が危ぶ まれているクラブが い まだ存在
たちの笑顔のために」、復興 へ 向け最前線で活動 しなけれ
する。地区運営にお いても事業 の見直 しはもちろん、常 識
と思われてきた ものすべ てを点検 し、改革、簡素化に取 り
ばな らない重責 を担 ってい る と思 ってい ます。 その道標
組む ことを氏 に期待するところ大である。
と確信 してい ます。名の通 り「みん なに公 1■ か」 を実践
となるのが渡邊ガバ ナー であ り、われわれを導 いて くれる
射行 しなが ら。
仙台南R⊂
菊地正弘
職業分類 ―教育 ‐女子高校 1950年 8月 15日 生。 (学 )常 盤木
学園理事長・ 高校長。92年 仙台南 RC大 会。2000年 退会。02
年再入会。地区国際奉仕委員長。MPHF。
20
THE ROTARY― NO― TOMO
いわき勿来RC高 萩勝利
職業分類 ―美容院 1937年 2月 26日 生。渡邊了公・ ヒロ 子美
容室代表。79年 いわき勿来 RC入 会。ガバナー補佐。メジャー
ドナー。米山功労者。
2013 VOL.61 NO.7
ガバ ナ ー紹 介
GOVERNORS
気負 うことな く悠然 と
世界的視野 を持 つ国際派
第 2540地 区
第 2550'也 区
さ と うひ ろ あ き
い い む ら しん い ち
佐藤博明ガバナー
飯村慎 ― ガバナー
(花 輪
(宇 都 宮
RC)
90 R C)
佐藤氏 とは、知人関係か ら「恩義」 とい う言葉で半強制
宇都宮 90 R Cの 誕生 は、 1990年 4月 。飯村恨 一 氏 は
的 にロー タリー に入会 してもらった経緯 があ りますが、次
創立会員 の一 人であ り、クラブ創立に向けて奔走、初代会
第 にロー タリー精神 に深 い感銘を受け、天性の真面 目さか
長を支 え、 クラブ運営の要 といえる初代幹事を務めた。 当
ら、高い出席率や存在感で、模範的なロー タリアンになる
時 の会長方針は、お互 いに一致協力 しなが ら楽 しいロー タ
までには、それほ ど時間を要 しませんで した。
リーづ くりに励 もうというもの。氏は、まさにその先頭に
この よ うに優秀 で信 頼 に足 る人材 で したか ら、入会 3
年 目には会長を、翌年度 はガ バ ナー 補佐 とい う大役 を 2
期連続、立派 に務めました。加 えて感心するのは、出張時
立ち、会員増強、 クラブ育成に努め、今 日の クラブの礎を
築 いた といっても過言ではない。
福島県会津若松近郊 に生 まれ、
都立高校を経てアメリカ 。
には県内外を問わず、必ず近 くの例会に出席を して情報交
テキサス大学に留学 し卒業、国際人の視野を養 った。特に
換 と交流の機会を得て くる ことと、 これ までに RI国 際大
WCSを
会 に 5回 連続参加 していることです。
経営者 として多忙であるに もかかわ らず、ロー タリー 精
ィリピンのロー タリー クラブ と提携 し、さまざまなプ ロジ
ェク トを推進 してきたほか、パ ラオ、タイな どの国々で奉
神をよ りど ころとして 自身を成長 させ、人生 も会社 も豊か
仕活動を行 った。 この海外 での奉仕活動 の流れ は、今 でも
に したい とい う願 望の表れでは と推察 していますが、浅 い
脈 々と続 いている。東 日本大震災の際も、 い ち早 く現地に
ロー タリー歴の中でもロー タリー精神を くまな く研鑽する
赴 き義援金を手渡すな ど、その行動 力 には定評がある。
クラブの特色 として打 ち出 し、 1997年 か らはフ
熱意 と行動力、
経験 と実績の持ち主だか らこそ、
佐藤氏 にガ
バ ナー としての自羽の矢が立ったのは当然の理か も……。
稲田大学大学院 に入学 し、 MBAを 取得。温厚 に して誠実
佐藤氏は力士 のような堂 々たる体格 ですが、温和な性格
な人柄で人望 も厚 く、 (公 社 )経 済同友会幹事や宇都宮大
にソフ トな口調、向学心旺盛な人柄か ら、誰か らも慕われ
学学長選考会議議長な どを務める。父の跡を継いだ光陽電
信頼 されているので、地 域 の保護司を は じめ、各種団体 の
気工 事 (株 )は 創業 50周 年を迎 え、氏の先見性 と革新性を
要職を多 く担 っています。 また家庭円満で、いつ も笑顔で
備 えた経営手腕 によ り、さらなる発展を 目指 している。当
クラブは 39人 とい う小 クラブだが、一 九 となってガバ ナ
気 さ くな紀子夫人 と仲良 く国際大会に参加 しています。
クラブ、地区全体で支援 しますので、健康 に留意 しなが
また、現役の事業家 として多忙を極める中、近年には早
ー を支えてい く所存である。
ら、ベス トを尽 くしての活躍を祈念 します。
花輪
RC
仲 澤 誠 一
職業分類 ―石けん製造業 1947年 7月 20日 生。 (株 )ユ ゼ代表
取締役社長。2005年 花輪 RC入 会。ガバ ナー補佐。 MPHF。
米山功労者。
平成 25年
7月 号
宇都宮90 R C 卯木伸男
職業分類 ―電気工事 1947年 7月 5日 生。光陽電気工事 (株 )代
表取締役社長。90年 宇都宮 90 R C創 立会員。ガバ ナー補佐。地
区国際奉仕委員長。MPHFo PHS。 米山功労者。
ロータ リーの友
21
GOVERNORSガ
バ ナ ー紹 介
感謝されるガバナーヘ
小 さな 巨人
J`
第 2560地 区
■
山崎堅輔ガバナー
(中 条
第 2570地 区
な か い しん い ち ろ う
や ま ざ き けん す け
中丼員― 郎ガバナー
(所 沢 RC)
RC)
名前の とお り、堅物 です。fL事 は鉄工所の経営ですが、
l有 地
今年度 の地 区大会は、中丼ガバ ナーが llj長 の時 に ・
l■
各種化学 プラン ト向けの機械装置の輸出を中心に、国内は
もちろん、中1可 へ の 11場 進出も順調です。
の払 い ドげを受けて建設 した、所沢市民文化 センター・ ミ
ューズで開催 し、 日本最大級 のパ イプオルガン演奏をお楽
山崎堅輔 ガバ ナ ー は、山崎家の 3番 目の 子 で次男 とし
しみいただ く予定です (当 クラブの梅沢定彦ガバ ナー 年度
て富山 lド で11ま れま した。鉄工所を経営 されていた父
11を
tく に亡くされたので、お母 さまが会社を経営 しなが ら チ
ヽ
どもたちを育て
に同ホールで開催 した地区大会は、模範的な大会だった と
の ことで、同年度 の RI国 際大会で表彰されました)。
私たちはただでさえ忙 しい中丼さんがガバ ナー ノミニー
11げ たそ うです。
当初、教 11を 目指 していた山崎ガバ ナーは金沢大学教育
をり│き 受けた、とい うだけで驚 きで したが、その後 も驚 きの
学部に進学 しま したが、お母 さまの希望で家業を手伝 うよ
連続です。ガバ ナー事務所運営費や会議費の内訳開示を歴
11学 部 の研究助手 として工学の勉強を始
代 の パ ス トガバ ナー に求め、地区慣習の見 lriし ゃ地区会費
のシ額、地区の行事簡素化、また会員増強・ 維持 へ の提案
うにな り、同大学
めま した。 1年 後、 (株 )山 崎製作所 に入社 。翌年、新潟県
中条町 (現 。胎内市)の 倉敷 レイ ヨン(株)中 条 11場 の化学プ
ラン ト機械装ド:の メンテナ ンス業務 に関わるよ うにな り、
富山県か ら新潟り
itに 移転 し、山崎鉄工 (株 )と して新たに発
l支
な どを したためか、地区役員 の一部 の方 々や地区内クラブ
の 中でも反対があ り、 一時地区が騒然 とな りました。
中井ガバ ナーは意 に介 さず、 自分 の 考 えを形 に した PE
足、現在 にやっています。
TSや 地区協議会を開催 し、質疑応答に時刷1を かけて支持
65歳 か ら始めたスキー では、全 日本スキ
趣味 も多彩で、
ー 連 盟 マス ター ズスキ ー 大会で昨年 7位 人賞。 また、 パ
を取 り付けました。今や、未来の夢の完全実施な ど変 革の
年 にふさわ しいガバ ナー として、地区全体か ら感謝される
ラグライダー でエ ンジンを担 いで大空を飛ぶパ ラモー ター
では、数少ないインス トラクター として 日本 パ ラモー ター
道を力強 く歩んでいます。長老、若手の区別な く人 の意見
協会副会長 も務めて います。 3回 ほ ど墜落を経験 し、死の
li選 しているので怖 いものはないで しょう。 もち
ふちか ら′
ろん、ガバ ナー期 │IJは 、趣味を封印させていただきます。
義理啄
、人情 の厚 い山崎 ガバ ナーの活躍を期待 してい
伽iさ れています。
私たち所沢 RC会 員は、中井年度を楽 しみなが ら中井ガ
バ ナー を支え、 RIの テーマ「ロー タリー を実践 し みん
なにりかな人生をJの 実現 に努力 します。
ます。
村上RC
川崎
久
職業分類 ―機械工業 1938イ F9月 2日 生。山崎鉄 ]1(株 )代 表取
締役会 長。 66年 中条 RC入 会。 77年 退会。 88年 再 入会。 ガバ
ナー補伍
i。
22
をよ く聞き、良 い と思 った ことを敢然 と実行す る ^方 で、
臨機応変、多面的な判断、寛容な態度 (71:′ 「しぐさ)が 評
地区 クラブ本仕大委 員長。 MPHF。 米山功労者。
THE ROTARY―
NO―
TOMO
職業分類 ―弁護±
弁護
lf。
3RCで
1946年
1月 12「
1生 。 中リ
ト法律 J「 務所代表
86年 所沢 RC入 会。87∼ 9111公 職のため、所沢 市内
名誉会員。 93年 正会員復帰。 MPHF。 米山功労 者。
2013 VOL.61 NO.7
ガバ ナ ー 紹 介
2770地 区
埼 玉 南東
わ た なべ か ず よ し
(浦 安
11で ある。
前年度に引き続 き、lll r 2代 のガバナ ー の誕 ′
父 。道 人氏 は 1974-75イ li度 の 当1山 区 の ガバ ナ ー で、 当
llキ
私 はれD和 北 RCの 幹
'I「 llWiに
あったが、 ロー タリーのり本
Flll念 、特 にllUi業 本仕、社会/1t仕
:【
について 、微 に入 り剰‖
をう
がって懇 明な指導を受けた。地区大会 とい うガバ ナーに と
っての人イベ ン トを、埼
たにもかかわ らず、
:│∫
│ミ
会館 とい う立派なホール があっ
、
1体 育館 に折 りたたみ椅 rを
ll17べ
て
の 、まさに 手づ くりの大会に した。
・ lHは あ いに く季節外
1`
`
/
「
●
′/
関口徳雄 ガバナー
RC)
,ノ
千葉
第 27901也 区
せ き ぐち と く お
渡邊和 良ガバナー
(浦 和北
ユー モ アのある熱血漢
、
ヽ イ
第
三 ヽフ
.
血統書付きの 回― タ リア ン
GOVERNORS
り
fI>‐
RC)
ガ
浦安 RCが
して 33年 Hに して初 め て関 H徳 雄 さん
`
'lrぇ
が ガバ ナ ー に選
出 され ま した。 さか のは って 8年 前、第 1
分 │ズ ガバ ナ ー 補 仏iに 推 挙 され 、特 に分 区 の ヽT報 研 究 会 で は
ユ ニー クな勉 強 会 を実 施 した こ とを〕
記憶 して い ます。
関 Hさ ん は 多 くの パ ス トガバ ナーや クラブ内か ら要望 さ
れ続 け、 今卜:│ガ バ ナー を受 け る決断 を し、 クラブ も ^丸 と
な って 協力態 勢 を敷 いてい ます。
彼 は弁護
lfを
業 と してお ります が 、 〕
にに 厳格 さだけでな
く、 しゃれ のわか る庶民 的 な ガバ ナ ー です。 クラブ内では
れ の寒 さとな り、参加:者 たちはlFI房 設‖Iの ない会場で寒 さ
に じっと llllえ る ‐
Hと なって しまった。 当然雰レ‖気 もなん
プ ロ グラム委 li会 や
とな く盛 り 11が りに欠けて しまったが 、道人 ガバ ナーの質
た趣 味 の │:L界 では、 川柳 同好 会 会 長 と して ll[│11を
素倹約を旨とした基本姿勢は最後 まで宅 も譲 らず、心の強
い ‐
iniを 見た tい が した。
の 本「fを 川柳 に し、わ が クラブ内を !る い雰 り‖気 に
り、 リリ
さて、当人の和良さんはこのような父
'占
11の
あ り方を身近
SAAで
:11越
したアイデ アを 出 し、 ま
lltttlし
た
│り
して くれ ま した。 また落 :詳 iを 愛 し、 ヤ
ノ
iと カ ラ オ ケ を好 み 、
llrr2球
、 ゴル フに とマル チ に活躍 してお ります。
で見てロー タリアンになったわけであるが、私 の l呼 1の ガ
令 人人 の 俊 rさ んの 存在 も大 き く、社 交的 な性 格 は クラ
バ ナー 要請 にも頑 として 首を縦 に振 らず、 llilri、 難産でぁ
ブの 家 族 会 を捕 り llげ 、チ ャ リテ ィー ウオ ー クな どで は会
った。 しか し承 iし てか らは、以前にも増 して積極的 にロ
ー タリー活動に述進 し、1可 際 1//J議 会 でのハー ドな勉強、
和々
li人 人 を 多数 参加 させ る能 力 を持 ち合わせ てお ります。
な体験を通 して、今や ヽ
1派 なガバ ナー である。本人はアメ
を 交 えて !i舌 してお りま した。 嚇}1可 報 f:Fで は、洗 脳 され たか
リカの大学にも冊学 し、また、 (株 )│1立 製竹]折 勤務を通 し
ど うか は不り1で す が 、RI情 報 につ いて IJF鑽 を積 ん だ よ う
てメキシコ とも関係を持ち、英:liは もちろんスペ イン語 も
で、地 区指 導 者 と しての 決意 が読み取れ ま した。
:計
堪能であ り、まさに文字通 り山L統 付 きのガバ ナー である。
父 。道 人さんにも劣 らぬガバ ナー としての活躍を知l待 す
::卜
る とともに、心か らエー ルを送 りたい と思 う。
浦和北RC
半田昭雄
1可
際 協議会 の 前 には「大 いに 洗 1尚 され て くるJと ユー モ ア
ガバ ナ ー と して研 鑽 した こ とを大 いに 発 Fし 、関 H色 を
出 して 、地 区 、 クラブお よび会 11の ため に努力
“ し、 1月 ロ ガ
バ ナー の 素 lhiら しい年度 とな るよ うl■ lっ てお ります。
浦安RC Jヽ 卜
1 稔
1/11地 区 :T少 年交換委11長 、
締役。91年 浦1‖ ヒRC人 会。ガバナーれ‖
「
1周 H徳 雄 法f円 務所
職業分類 一弁護± 1944イ !'3,12911′
バ
1/1i.地 区野球 リー グ
所 長.81イ !i浦 安 R C fll立 会 ,1.ガ ナーれ‖
国際本イL淵 1‖ !委 11長 ,メ ジャー ドナー。米山功労者。
会長。 MPHF。 ベ ネフ ァクター。米山功労者。
職業分類 一石油製品
平成 25年
7月 号
1945年 1,121 Hll.(株 )渡 辺 lll会 代表取
li。
ロータ リーの友
23
GOVERNORSガ
バ ナ ー紹 介
改革 の 中 に細や かな心
温厚で誠実・ 人徳 のある人
い
第 2800地 区
第 2820地 区
にいぜ き や いちろ う
は
せ がわ くに お
新関禰 ― 郎ガバナー
長谷 III國 雄 ガバナー
(天 童東
(水 戸南
RC)
RC)
さつの時、「原稿を忘れた」 と言いなが ら壇上か ら降 りて
クラブ創立 40周 年を迎 えた記念すべ き年に、水戸南 R
Cか ら 7年 ぶ りのガバ ナー選出です。
きて、 自分 の席か ら原稿用紙ではな く iPadを 持 って戻 っ
長谷川さんは金融機関に長 く勤務 し、現在は医療法人の
て行 った。 前列 にいた若 い次期幹事が、その様子を驚 きの
顧間を しています。趣味は園芸で、広い屋敷を利用 し多 く
眼差 しで見ていた。「あっ、iPadを 持 ってい くんだ」
の 山野草を育て、 自然を こよな く愛 していることが人柄 に
iPadを 持 つ 姿 が よ く似合 う。ある研修セ ミナーであい
iPadは 、国内発売 前か ら持 っていた。70歳 を前に したそ
もに じみ出ています。体を動かす ことも大好きで、 ゴル フ
の 年 で、iPadを 駆使 して演説 を行 う。 4月 の 地 区協議会
もた しなんでいるとの こと。健康 には気を使 っています。
で も 3台 の iPadと iPhoneを 組 み合わせ て、 パ ワー ポイ
ン トでスクリー ンに RIテ ーマ 、 RI戦 略計画の説明 と地
ロー タリー歴は 2002-03年 度 に地 区第 4分 区 (当 時)
のガバ ナ ー 補佐、2005-08年 度 に地区幹 事 (水 戸南 R
区日標を映 し出 してみせた。大喝来であった。
Cの 佐藤衛 パ ス トガバ ナーのエ レク トおよびガバ ナー 年度
無駄な ことは極力省 く。地区の組織 も「小さな組織」を
目指 した。 8つ の大委員会は 4つ のグループに統合。小委
員会 も 7減 1増 。昨年 11月 か ら始まった地区研修セ ミナ
ー も重複を避け、 一つ ひ とつが無駄な く積み重なるよう 工
夫 して、月 1回 のペー スで会議会合を実施 してきた。
むやみやたらと改 革を したわけではない。 当地区は、会
員数
25人 以 下 の クラブが 52ク ラブ中 23ク ラブあ る。
を含む)を 歴任 してお り、地区内の人脈は多い人です。
ロー タリー クラブに大会 して 32年 にな りますが、人会
時か ら 100%出 席を誇 っている素晴 らしい会員です。
どんな会合 にも嫌な顔 一つ 見せず出席 して くれ、お酒を
飲む ときもいつでもニ コニコ顔で、そ の場を和やかな雰囲
llさ んを知る人で、長谷川 さんの
気 に して くれます。長谷り
悪口を 言う人は誰 もいません。長谷川さんが人の悪口を言
しやす くなるのか。そんな細やかな心遣 いか ら「小さな地
うのは聞いた ことが ない、 とい う人物評です。
今回のガバ ナー推薦 に対 し固辞 していましたが、わがク
区組織」を目指 し、委員会をグルー プ制に したのだった。
ラブ全員が総力を挙げて支える体制を整えました。本人は、
実 は、 自宅 に戻れば 4人 のお孫 さんに囲 まれ る優 しい
お じいちゃん。 占い iPadは お孫 さんに預け、遊び道具に。
自分は高齢だか らどこまでできるか と謙遜 していますが、
無理だけは しないで、健 康 に留意 しなが ら、長谷川ガバナ
また、2年 ほ ど前か らはそば打 ちを勉強 し始め、家族や知
ー な らではの味のある 一年になれば、 と思 っています。
これ ら少人数 クラブが、 どのように した ら地区行 事に参加
l
人にごちそ うす るのが、 もう一つの 自慢でもある。
天童東RC
職 業分類 ―薬剤 師
1943年 10,:5日 付
i。
志 田泰 久
:↓
(株 )た ちばなや薬り
代表取締役会長。 85年 天 童東 RC創 立会員。 ガバ ナー補
PHF。
24
米山功労者。
THE ROTARY―
1。
“
NO―
TOMO
M
水戸 南
RC
市 毛 純 一
職業分類 ―不動産管理 1933年 6月 6日 生。新協商事 (有 )取
締役。81年 水戸l村 RC人 会。ガバナー補佐。地区幹事。MPHF。
ベ ネファクター。米山功労者。
2013 VOL.61 NO.7
ガバ ナ ー紹 介
Fを 愛する ガバ ナ ー
シヤイでマジメで…… ?
ヽ
→lr ′
f`
、
″
¨
コ
﹁
¨
.
脅
歳
/メ
ガバナー
場げ
区ュ大 >
v
青森 艦`
第 28401也 区
群馬
ほん だ ひ ろ き
本田博己ガバナー
(前 橋
栃表件
:
RC)
自
「束 日本 人 震 災 は、私 の 価 fla得 lゃ 生 き方 、人 生 を も変 え る
この 4つ の Fを 掲げる八戸北 RCが 待 望 の
で した。 福澤 諭 IIFが 『 文 !論 之概 略』 緒 l)に “
恰モ
本
ー 身 ニ シテ 1′ Lヲ 経 ル ガ如 ク 人 ニ シテ llLj身 ア ル ガ如│シ "
友情 (Friendly)、 率直 (Frankly)、 家族 (Family)、
ll:(Freely)。
GOVERNORS
ガバ ナー を送 り出す ことに な りま した。伝統あるクラブ、
進取 の気性 に富む才│い クラブ、多 々ある中で 、わが クラブ
は 1970イ liの 創立で、壮年期 とい った ところで しょうか。
このたび、記念すべ きガバ ナー を出 し、わが クラブも伝統
あるクラブの仲間入 りができたのではないか、 と誇 りに思
っています。
出来
il「
│り
と述 べ て い ます。自分 の 体 は 一 つ だが、 l治 維 新 の 前 後 で
は ま るで違 う 1つ の 人 ′
Lを 生 きて い るよ うだ、と fiう の で
│り
す。私 もあの 日以来 、似 た心 境 で過 ご して い ます。 ガバ ナ ー
就任 を打 診 され たの は 、 ち ょ うどその ころで した ………J
そ うい う本 IIIガ バ ナー は、人 分 でJiま れ 育 って 、名古屋
北山ガバ ナー は 64歳 。慶應ボー イの面影をかすかに残
大 学 の 哲 学科 っつ う とこで訳 わ かんね え勉 強 して 、ベ ネ ッ
す、東北税理 士会の リー ダー 的存在です。Jttt想 的 には、正
セ っつ う会社 で辞典 や 辞 書を作 ってたん だ って さ ぁ。 それ
銘 の 中道派。 ところが、酒が入ると過激な発言が飛び
が 、縁 あ って群馬 ヤ クル ト販 売 の 社長 さん、 今 じゃあ 会 長
出 し、大即lな 革新r内 意見を披歴 します。 ロー タリーの組織
的強化 とマンネ リか らの脱去llが 求め られている現状に、新
さん っつ う こ とに。 しか も、 ヤ クル トの販売 じゃあ、 日本
真
lド
風を吹き込んで くれることを期待 してのエース投入です。
一 だ っつ うか らす っげ ん さ ぁ。 趣 味 は連 句 って ん だけ ど、
な助 っ人が、喜美枝夫人。パー トナー
教養 と風雅 に 満 ちあふれ過 ぎて 、市井 に生 きる者 に とって
は よ くわか んね ぇ世界 なのか も… …。 それ と、 しらば っ く
としての助 言はずば り核Jい をつ き、頼 まれると嫌 とは 言え
れ て るけ ど、 奥 さん とは、 うん と│ll良 しだ って li舌 だぜ。 1
ない人情派の人を、陰 に陽 に 支えるスーパー ウーマンです。
人 で メシ とか よ く行 って る ら しい って。 どこで〕
1『 に 見 られ
人の英会 :活 力不足を補 い、得意 の三 味線で人の心身を癒や
します。 ガバ ナーの抜群の歌口
H力 は、 F息 が 男性ボーカル
。
ー
ゴスペ
ー
グル プ
ラ ズの北山陽一 イIで あることか ら市証
て るか わか んね ぇって ことで 、気付 けん べ ぇや。
:fに 痺
済みで、俳優 。中村雅俊 の歌を うたわせたら、そのり
そ して 、その 希 望 を クラブの中│:│11と 分 か ち合 い 行 動 を起 こ
れる女性が続出 したとい う都 lド 伝 3iも 残 っています。フア
せ ば、 み ん な の 人 Jlを よ り良 い もの に変 えて い く LII能 性 、
ミリー と 2頭 の愛犬を こよな く愛するガバ ナー です。
す なわ ち希 望 を確信 す るで しょ うJ
このエースの
IJli力
「 希 望を 語 ろ う ! ロー タ リー に積 極 的 に 参 加 し、「 1分
の′
│:き 方 を変 えれ ば、 1分 の 中 に希望 を発 見す るで しょ う。
│′
どこまで もマ ジメ人 1出 なん だいね ぇ。
前橋RC
八戸北R⊂ 浅石紘爾
1949年 5,126卜
1950年
板垣
li.三 八 Jjli税 理士法人代
表社員。 80年 八戸北 RC入 会。地区財 IJ委 員長。 MPHF。 ベ
職業分類 ―乳製品販売
ネファクター。米 山功労者。
長、管理運営委員長、DF修 委員。 MPHF。 米山功労 者。
職業分類 ―税理±
平成 25年
7月 号
│′
3月 12H′
li。
忍
群馬ヤ クル ト;販
売 (株 )代 表取締役会長。96年 前橋 RC入 会 .地 区会 11増 強委 員
ロータ リーの友
25
GOVERNORSガ
バ ナ ー紹 介
心根 の優 しい大人
今 にふさわ しい ガバ ナー
第 2580'也 区
第 25901也 区
よ し だ けん じ
士
ロ
いちかわ ひ
さ まろ
市川緋佐麿 ガバナー
田建 ニ ガバナー
(東 京田無 RC)
(l‖
崎 RC)
川崎 RCか らは第
彼 と初めて顔を合わせた大方の人の第 一 印象は、強面 の
ブル ドー ザ ー とい った ところだろ うか。身長 175cm、 体
359地 区発足後初 のガバ ナ ー・ 笹部
誠氏を は じめ、石川吉氏、第 2590地 区 になってか らは内
重 80kgの 堂 々たる体躯、 さらには早回、やや低めの声音
か らは、そ う感 じさせるものがある。 しか し、それ とは全
海榮 一 郎氏、本間泰治氏 がガバ ナ ー として活躍 しました。
今回、市川〃卜
佐麿氏 がガバ ナー に選ばれ、クラブ会員一 同、
く異なった織細な神経 の持ち主である、 と思 う。
心か ら感謝 しています。
必ず しも順風満帆ではなかっ
彼 の 76年 にわたる人生は、
た と聞き及 ぶ。台湾で生を受け、
戦時下 に引き揚げて九州 。
緋佐麿氏は 1942年 生まれ。川崎市の総鎮守 。稲毛神社
の社家 に生 まれ、慶應義塾大学卒業後に國學院大學神道学
天草で青年期を送 った。大学進学 のため上 京。大都会 。東
京で、田舎出の無垢な青年 へ の数 々の試練は想像以上のも
専攻科で学 び、宮司 の資格を取得。稲毛神社 に奉職 しまし
のであったろう。だが、 こうした経験 が逆に他者 へ の優 し
銀行専務取締役だ った叔父 の市川浩之助氏 が宮司を務めて
さを育んだ。実業界 に歩を踏みだ した折、
強 く彼を支 えて く
「すか い ら― く」創業者 の故・茅野 亮 氏 (東 京 RC)、
れた、
お りましたが、浩之助氏他界後 の 1991年 か ら、その跡を
地区幹事時代に仕 えた故・ 指田勢郎パ ス トガバ ナー (東 京
田無 けや き RC)、 それぞれの祥月命 日に墓 前へ の供花を
欠かさない とい う行為 も、感謝 と報恩の表れであろう。
ロー タリーでは青少年育成 へ のまなざ しが強 い。地区で
た。父上が早 く他界 されたので、川崎 RC会 員で三菱信託
継承 しま した。今年 2月 3日 には、神社本庁か ら宮司 の
最高位、神職身分 の特級を拝命 した、神社界の重鎮です。
内助 の 功 の 誉れ高 い 怜子夫人 との間には 4男 1女 、 7
人 の孫 に恵 まれ、評判の家庭を築 いています。
川崎 RCへ は 1982年 に入会。 2003-04年 度 にクラ
の数 々の活動実績は枚挙にい とまがないが、それ らを背中
か ら支 えて くれた恋女房・英子夫人 の功績 も忘れ られない。
ブ会長を務め、新時代 のロー タリー を 目指 して活躍 しまし
た。 また、
叔父で元三 菱銀行専務取締役 の市川伊 三夫氏 (東
彼 の試練 に立ち向か う姿は、優 しさか らは うかが い知れ
な い別 のもので、強烈 に吹きつける北風へ の対処には学び
京銀座 RC)は 、第
たいものがある。柔 らか く受け流す術を併せ持 つ度量があ
緋佐麿氏はまさしくロー タリーー家 の 出身 です。
稲毛神社 の御神徳 「和」 と「勝」をモ ットー とした、
現況に新風を吹き込み、刺激を与 えて くれる ことを期待 で
きる大人である。
llRC
東京東江戸り
石橋正男
職業分類 ―自動車販売 1937年 2月 10日 生。 (株 )オ ー トアベ
ニ ュー代表取締役会長。74年 東京田無 RC人 会。ガバナー補佐。
地区幹事。MPHF。 ベネフアクター。米山功労者。
26
THE ROTARY― NO―TOMO
-12年 度 RI会 員増強 。維持委員会委員を務 めてお り、
佐麿氏 の豊かな人格、識見 と進取の リー ダーシ ップは、
代のガバ ナー として大いに期待 されるところです。
緋 現
ることも付記 したい。やや下降気味の 日本の ロー タリーの
2750地 区 の パ ス トガバ ナ ー 、 20H
ll崎 RC
サ
斎藤文夫
職業分類 ―神道 1942年 4月 2日 生。稲毛神社宮司。82年 川
崎 RC入 会。ガバナー補佐。MPHF。 ベネファクター。米山功
労者。
2013 VOL.61 NO.7
ガバ ナ ー紹 介
GOVERNORS
哲学博 士の住職 がガバ ナー
夢・ 情熱・ 自然 を愛する人
第 2600'也 区
第
みやさかゆ うこう
2610地 区
ゆ あさ と
し
お
宮坂宥洪
湯浅外志男ガバナー
(岡 谷
(Jヽ 1強
RC)
創立 54周 年を迎 える岡谷 RCが 満を持 しての、初 のガ
バ ナー選出 とい う快挙に沸き立ちま した。白羽の矢を立て
RC)
小松 RCに とっては 16年 ぶ り、伊東清雄氏、仲谷純 三
氏 に続 く 3人 目の ガバ ナーが誕 rLし ま した。湯浅 ガバ ナ
ーは、戦後 の復興期に自動車産業の先駆けの時代を、若 き
られたのは地元で知 られ、 日本有数 の檀家数を誇る真言宗
寺院・ 照光寺 の住職、宮坂宥洪師です。
情熱をもって車社会 の伸展 に取 り組みました。地元の専門
智山伝法院 とい う、真言宗最高の研究教育機関の院長 も
学校を卒業 し、老舗 自動車修理 T_場 で技術力を磨 き、いち
務め ています。
早く独立を遂げ、現在に至 ってお ります。
若 いころ、イン ドの州立プネー大学で、 日本人 としては
趣味は登山。地元の霊峰・白山を見なが ら山岳会に入 り、
最年少で、サ ンスクリット語学 の研究で哲学博士 の学位を
若 い ころには限界 に挑戦する試みを数多 くしてきたと聞き
取得 しています。
及 んでお ります。 また、富士山か ら白山を結ぶ全ての山々
著書や翻訳書 も多 く、
『真釈
代表作である
般若心経』(角
を制覇するとい う素晴 らしく夢のある企画を立て、地元の
川 ソフィア文庫、 2004年 )は 、 この種 の本 としては空 前
のベ ス トセラー だ と聞き及んでいます。
山岳会 の仲間たち と取 り組んだ こともあ ります。南アルプ
また、特にチベ ット仏教のダライ・ ラマ法王 の著書 の翻
るとい う取 り組みが、彼な らではの粘 り強い精神力を育て
訳 にかけては、その正 確さと出版部数 において本邦随一 と
スや 北アルプスの 山 々を 10年 以上かけて一つ ず つ克服す
た源泉か もしれません。
一 方で、 クラブ内での素顔 として、酒を飲みなが ら皆 と
定評があ ります。
このよ うに、住職 として、学者 として忙 しい人 に、ガバ
楽 しく語 り合 うことが あ ります。そんな時、必ず青少年の
ナー とい う大役をお願 い した以上は、地元の クラブ として
育成 に関する ことや 、国の防衛、外交問題な ど、 日頃か ら
は全面的に応援する決意を固めたわけです。 クラブの全員
がガバ ナー事務所 のスタッフメンバー になるとい う万全の
関心 の ある ことをロー タリー活動 の実践 とも併せて熱 っぽ
応援態勢を敷 いて、 ガバ ナー年度に臨んでいます。
宮坂師は こ う述 べ ています。「ロー タリーの奉仕 の理念
この よ うな人柄 で、小松 RC3人 目のガバ ナ ー となる
湯浅 ガバナー は、常に素 晴 らしい笑顔 の持 ち主で、 リー ダ
2500年 の慈悲の精神 にたが うものではな
ー としても、庶民派 ロー タリアンとしても、今 までのガバ
は、イン ド仏教
く語 って くれます。
ナ ー とは少 し異彩 を放 つ 存在 として、 この 1年 間輝 いて
い」 と。
もらえるのでは、 と期待 しているところです。
岡谷RC
浜
職業分類 ―宗教 真言宗 1950年 11月 11日 生。 (宗 )照 光寺代
表役員 (住 職)。 85年 岡谷 RC大 会。地区青少年育成基金委員。
メジャー ドナー。米山功労者。
平成 25年
7月 号
」唯 RC
俊弘
職業分類 ― 自動車販売
1935年
西木 戸秀 幸
2月 17日 生。 ユ アサ 自動車工
業 (株 )代 表取締役。84年 小松 RC入 会。ガバ ナー補佐。MPHF。
米山功労者。
ロータ リーの友
27
GOVERNORSガ
バ ナ ー紹 介
どこにいてもわかる大声
脚下照顧
第 2620'也 区
第
し
山梨
だ ひ ろあきら
か
志田洪顧ガバナー
2630地 区
が
加賀
(静 岡 RC)
(桑 名西
岐阜・
おさむ
修ガバナー
RC)
和服で参加。特 に数 少な い和装男性、志田洪顧ガバ ナー は
加賀修ガバ ナー は、二 重県指定無形文化財保持者、加賀
瑞山である。伊勢国・ 桑名で生まれた萬古焼、「萬 占不易」
「深夜 まで、 ダンスのお相手 として金髪の女性 に引 っ張 り
か ら成 る、古萬 占の遺風を正 しく伝 える窯 の流れ に、独 自
アメリカ・ サ ンディエゴの国際協議会 には、夫婦揃 って
だ こだった」 と、にやけていた。
の感性 と創意を織 り込んでいる陶芸作家である。
家業は本来、 ミカンや特産 ビワの肥料な どを扱 う老舗だ
茶 の湯 の理に適 う品格ある造形に気品あふれる意匠、生
が 、山比 の特産がサクラエ ビであった故か、水産物を扱 う
き生きとしたのびやかな絵付けの線は無限の広が りを持 っ
会社 の経営 に携わ っている。京都大学史上、最 も下 手な ゴ
て、私たちの 目に飛び込んで くる。 いずれ も初代瑞山か ら
ルフ部主将 と言われ る。受け継 いだ資産 は離さぬ とい う主
義 で、東京や京都 のほか、静岡市内に不動産を抱 え、マ ン
大切 に護 り続けてきた美 の世界である。
シ ョンや大手企業の静岡支店、結婚式場 として賃貸 しして
い手 と一 体 になる作品 は、神 の手 によって生み出される。
いる。 3月 に、その式場 で 4人 姉妹 の三女 の結婚式 が行わ
れたが、新婦の父親 (ガ バナー 当人)が 披露宴 の 冒頭 でウ
一 品一 品 「本気」 で取 り組む創作活動は、われわれ ロー タ
エ ル カムス ピーチを行 う とい うくらいの話 し好 きである。
PETSで
は情熱のあま り話が止 まらず、次に予算につい
て説明する 予定だ った財 務委員長 の私が、壇上か ら引きず
り降ろす羽 日になった。
加賀瑞山は、無か ら有を創造 し、いのちを吹き込み、使
リアンにも「本気」を伝えて くれる。
今年度地区大会 の基 調講演 は、加賀 ガバ ナーが最 も重視
している職業奉仕を柱 とし、記念講演は日本人 として護 る
べ き 「文明 。文化Jを テーマに掲げた。
若 い時 に父君を亡 くされた ことで、私 の父・ 山本 重治郎
水産物を扱 う故、静岡 RC会 員のホームパー ティー には
や年輩の方々との付 き合いが多 く、茶道、華道、和歌、民
大 いに 貢献 し、料理上手。毎 日寿司 で もよい とい う人な の
で、
料理 に閉回 したサ ンディエゴでは唯一の機会を とらえ、
俗学な ど、幅広 く日本文化へ の造詣を深め、今年で作陶生
女性 ツアーガイ ドと市内の寿司屋に脱出 したとの こと。
伝統を重ん じなが らも常に新 しい世界に果敢にリヒ
戦する
三代加賀瑞山が、ガバ ナー としてロー タリーを「脚 下照顧J
富 士山は第
2620地 区の共有財産。 また、甲州の自ワイ
ンは 日本料理 に最適、静岡酵母の 日本酒 と合わせ、酒飲み
ロー タリアンに とっての天国である。そんな地区か らのガ
バナー 、大 きな声を出 しなが らの大活躍を期待 している。
静岡RC 伴野隆一郎
職業分類 ―冷凍業 1944年 6月 23H生 。静岡冷蔵 (株)取 締役
社長。93年 静岡 RC入 会。メジャー ドナー。米山功労者。
28
THE ROTARY― NO― TOMO
活 50年 を迎えた。
の 世界に ご案内す る。
桑名西 RCで は会員一 同、一 九 となって加賀ガバ ナーを
応援 してい く。
桑名西RC 山本重雄
職業分類 ―陶芸家 1944イ 1111月 28日 生。加11瑞 山。80年 桑
名西 RC大 会。ガバナー補佐。地区職業奉仕委員長、会員基盤増
強維持nll委 員長。MPHF。 ベネファクター。米山功労者。
2013 VOL.61 NO.7
ガバ ナ … 紹 介
″
″
ワクワク ドキ ドキ
ー
翼
バ
l手 ガ
ナ
勇
舌
議
RC)
]]:〔
(東 京白金
バラオ
GOVERNORS
誠実な ロー タ リアン
第 2760'也 区
た な か まさ の リ
田中正規ガバナー
(西 尾
RC)
新 しい風、舟木 いさ子 さんが、当地区初の女性ガバ ナー
2007-08年 度、西尾 RC第 50代 会長 とな り、 Rll立
となる。免震 工事を柱 とす る会社の リー ダー として 国内外
50周 年記念式典を見事にまとめ上げ、会員か らの人望 も
で ビジネスを展開 し、業界 の リー ダー として長年にわた り
寄与 している。その リー ダーシ ップは剛性 でな く、女性 ら
絶頂 に達 しています。西尾 RCは 青 。壮・ 老のバ ランスが
取れていますが、田中氏のガバ ナー選出は全会員一致で し
しい柔 らかさが特徴だ。その信条 は「優 しい経営」。優 し
た。 クラブ創立以来初 のガバ ナー 誕生 に気持 ちは一つ にま
い とは社 内外 の人 に対 しての ことであ り、 どんな経営 も組
とまり、新年度 に向けて盛 り [1が ってきました。
織 も人を生かすのでなければ意味がない、 と明言する。
舟木 さん と話 していて感 ′
bさ せ られるのは、徹底 して相
田中氏は、愛知県 中部 に位置す る西尾市で 3代 続 く医
の
者 家系 に生を受け、 1991年 、親子会 員 としてクラブに
の話 に耳を傾ける ことだ。笑顔で、時にメモ帳を使 いな
入会 しました。職業奉仕 の実践 に熱 い気持 ちがあ り、職業
が ら話をする。問題意 識や 日標設定を共有 し、一緒に ゴー
柄、細部 まで目が届き、医療法人や社会福祉法人 (介 護 事
ルを手探 りする経過の中で、いつのまにか現場 の リー ダー
業)な ど、経営手腕 にも秀でたものがあ ります。
の考 えが重なるようになる。そ こまで歩み続ける誠実 さが
2011年 、若手 の会員 20人 ほ どと富士山に登 り、最年
長なが ら参加者 5人 で頂上 でのお鉢巡 りも しま した。 下
f‐
本物だか らこそ、若 い新入社員か らも「飲みに行 きましょ
う」 とよ く誘われている。それは日々の学びの場 にも表れ
山後 に感 想を聞かれ ると、「富 士登山は人生その もの。諦
ていて、隙 間を縫 うように大学に通い交流 している。生涯
めて しまえば、 それ までの人生」 と答 え、参加者 に とっ
学習を信条に、常に ロー タリーの心を追求 している人だ。
万葉 の女流歌人・ 額田 Eに こん な歌がある。
ては人生訓 となったようです。昨年は沖縄・ 那覇 での NA
HAマ ラソンに挑戦。完走はできなかったものの、ハー フ
熟田津に船乗 りせむ と月待てば
潮 もかなひぬ今は漕 ぎ出でな
額田王が、士気高まる一 岡 に向かって 出航 の時が到来 し
たことを告げた有名な和歌だ。舟木丸は、あえて困難な航
地点 まで制限時間内で走 るとい う当初の 日標を達成 しま し
た。ジ ョー クもうま く、一 緒 に行動する際 リー ドのできる
人物で、心技体、最 も充実 した時期 にあると思います。
今、
地区では肥大化 した構造の改革に取 り組んでい ます。
海に挑戦 している。その行動は ロー タリーの創造的再生に
田中氏 も会員増強 と地区の改革を 日指 しています。その人
向けて希望の旅立ちの時が来た ことを、私たちに知 らせて
柄 と実行力で、ベ ス トを尽 くして活躍 して くれると確信 し
くれる。ワクワク ドキ ドキする一 年であ りたい。
ています。われわれ西尾 RC全 員で応援 していきます。
西尾RC 榊原勝俊
東京城南R⊂ 松下昌夫
職業分類 ―防振 。防音エンジエア リング 1935年 6月 1日 生。
ヤクモ(株)代 表取締役。95年 東京白金 RC入 会。 ガバナー補佐。
地区国際友愛委員長。メジャー ドナー。米山功労者。
平成 25年
7月 号
職業分類 一病 院
1948年
7月 25日 生c(医 )田 中会 西尾病 院理
事長。 91年 西尾 RC人 会。地 区財団奨学副委 員長、西 三 河分区
IM実 行委員長。 MPHF。 ベ ネフ ァクター。米山功労者。
ロータ リーの友
29
GOVERNORSガ
バ ナ …紹 介
親実
第 26401也 区
第 2780'也 区
あ い ざわ み つ は る
く :ぎ
:よ
る お
相澤光春 ガバナー
久保治雄ガバナー
(ふ
(泉 州 KUMATORlロ ー タ リー Eク ラブ)
じさわ湘南 RC)
お よそ 820年 前、八的 ケ原 (現 在 の神奈川県藤沢市辻
堂 )と いわれる地に、十七族 の武者が住み着 きました。 こ
の十七族 は現在 まで続 き、辻堂の住人の原型を形作 った と
言われてお ります。その うちの一 族を相澤 といいます。相
第
2640地 区 のガ バ ナ ー 補佐 を務 めた後、 100年 近 い
歴史を持 つカナ ダのバ ンクーバー RCに 岸和田 RCか ら移
籍 しました。驚 き と衝撃で した。一 度だけ卓話 で戻 って来
て、 コンゴ民主共和国の水問題 に取 り組んで いる様子を熱
く語 りま した。 ソーラー設備 に切 り替 えて、井戸か ら水を
澤 さんは この一族出身です。
今年度 クラブ会長を務める私は、祖母が相澤家 (遠 縁 と
思われ ますが)の 出身で、少なか らず縁を感 じてお ります。
相澤 さんを大いにもり立てる一 年 としたいです。
持続可能 に くみ出すシステムを成功 させた と、誇 らしげに
語 ったのが印象的 で した。
昨年、突然 に第
2640地 区へ 、 ガバ ナー ノ ミニー として
長 エ レク トが不幸にも病気 にな り入院、新年度にな り間も
戻 って来 ました。所属は、新 しくできた泉州 KUMATO
RIロ ー タリー Eク ラブ。「 どうして古巣 クラブヘ戻 らな
私 は 3年 前にクラブ幹事を務 めました。その前年度、会
な く亡 くな りました。私は新年度 の準備を含め、誰 に相談
かったのですか」 と尋ねたら笑いなが ら「別に理由はない
すればよいか と不安を覚 えてお りました。そんな時、さま
よ、第
ざまな相談に乗 つて くれたのが相澤さんで した。
私 の相談 に対 し、いつ も即座に的確なア ドバ イスを して
と答 えました。「問題 の 多 い地区であえて火 中の栗を拾わ
2640地 区 に忘れ物を したか らだよ。恩返 しだよ」
な くても」、 と言 うと、「誰かが拾わなけれ ばいつまでたっ
して くれ ま した。さ らに、休 み返上 で私 に付 き添 い、入院
て も収 まらな い」。地区健全化 の道筋をつけるのは、久保
ガバ ナ ー でなければできない と確信 を持 った瞬間で した。
中の会長エ レク トの病院にまで足を運んで くれ ました。
ロ ン・ バー トン RI会 長 と意 気投合 した様子 で、考 え方
くれたばか りでな く、事前 に予想 される問題を丁寧に指導
いつ も穏やかで、淡 々と事を処す相澤 さんですが、人へ
の思 いや りが深 く、人間味あふれる人だなあ と強 く印象に
い うダー ウィンの格言 とか。
残 りました。
相澤 さんが大切 に している言葉 に「親実」 があ ります。
意味は「親 しく接 してその感化を受 けること」とあ ります。
私 は相澤さんに親実 して、さまざまな ことを学んでいきた
昨年 の 9月 か ら大好物 のワイ ンや ウイスキ ー を一 滴 も
飲 まず、ガバ ナー職が終わ った ら浴びるほ ど飲みたい と語
っています。一年間、体 に留意 し、地区内クラブヘの見事
なタク トを振ることを願 っています。
い と思 ってお ります。
ふ じさ わ 湘 南
RC
林 雄 一 郎
職業分類 ―不動産売買 1948年 1月 24日 生。相澤土地 (株 )代
表取締役。2000年 ふ じさわ湘南 RC創 立会員。ガバナー補佐。地
区新世代育成委員長。メジャー ドナー。米山功労者。
30
が同 じなんだよ、 と誇 らしげに語 りました。好 きな言葉は
「……生 き残 るのは、最 も変化 に適応す るものである」 と
THE ROTARY― NO‐ TOMO
岸和田RC西 村政和
職業分類 ―調剤薬局マーケティング 1943年 8月 22日 生。COハ ン
ワ薬局代表取締役。84年 岸和田 RC入 会。OttFバ ンクーバー、12年
泉州 KUMATORIロ ータリーEク ラブ移籍。MPHF。 ベネフアクター。
2013 VOL.61 NO.7
ガバ ナ ー 紹 介
GOVERNORS
ロータ リーの善意 と良識
入 りて学び、出でて奉仕せよ
第 2650地 区
第
さか も とかつ や
2660地 区
ふ
け
坂本克也 ガバナー
福家
(京 都八幡
(八 尾中央
RC)
坂本克 也ガバナーが創 立時に幹事を務めた京都八幡 RC
は、石清水八幡宮を例会場 とする名門 クラブです。京都束
RCの 私がガバ ナー紹介の栄に浴するのにはワケがあ りま
ひろ し
宏 ガバナー
RC)
福家 さんがガバナー ノミニー の指名を受 けたのは地区ロ
ー タリー 財団委員長 として重責を担 っている ときの こと。
開業医 として多忙にもかかわ らず、財団活動には大変熱心
す。 まず年齢がち ょうど 10歳 違 い。従 って大学 も 10年
に取 り組んで いました。 ロー タリー財団の ことな ら何を聞
の先輩後輩。 40年 来 の友です。
いても的確 に答 えて くれる頼 もしい存在で、財岡を熟知 し
たガバ ナーの誕生 とあって大変期待され ての就任 です。八
33年 前、関西文化学術研究都市の推進に働 いた時、山城
青年会議所理事長 としての彼 の見事な リー ダー シップ と地
域 づ くりへ の奉仕 の情熱 に感服。ユ ネス コの外郭団体であ
尾 中央 RCの 会員数は 17人 、少人数の クラフか らガバ ナ
る国際建築家連合 に加盟する日本建築家協会の副会長 も前
にかな りの負担がかかってきますが、全員一致で協力する
後 して務 め ました。違 うのは、坂本 ガバ ナ ーは浄土宗 の寺
意思をltlめ 、福家 ガバナーが誕生 しました。
ー を出す とい うことは役員構成を見ても、会員一 人ひ とり
の生 まれで僧 籍を持 っていることと、書が うま く、達筆で
これまで多 くの奉仕プロジェク トに取 り組んできた福家
ある こと。スポー ツマ ンでスキ ュー バ ダイ ビングをす るの
さんの口癖 は「奉仕 はさせていただ くもの、奉仕 の機会を
は、京都大学水 泳部だ った と言 えば納得。乗馬 もしていま
与 え られた ことに感謝」。そ のよ うな彼の影響 を受 けたの
す。私 も馬術をか じったので、ウマが合 う。
か、医師 の ご子息 は、東 日本大震災が起 きた翌 日にはボラ
順子夫人は絵をよ くし、華道教授でもあ ります。お しど
ンテ ィアとして現地で救助活動に当たっていたそ うです。
り夫婦 とは坂 本夫妻 の ことと信 じています。同志 社女子大
趣味は能や音楽で、八尾中央 RCの クラブソングは彼の
学栄光館な どの設計で知 られる武世l五 一 先生は、京都大学
工学部建築学科創設者で、京都 RC初 代会長でもあ ります
作曲 によるもの。アルコールが入 っても出て くる話はロー
タリーの ことばか り。人道的支援 に情熱を持ち続けて いる
93年 の歴 史で、RI役 員は坂本 ガバ ナーが 最初
彼は、 ロー タリアンに奉仕の感動を 与えることのできる人
です。建築家 は「常 に品位を保持 し (中 略)公 lFか つ 誠実
物 です。 日頃は物静かで控 えめな紳士ですが、行動力があ
にその業務を行わなければな らない」とされ、職業倫理 に
り、 ロー タリーについての見識 も高 く、勉強量 も豊富。ガ
厳 しいことはロー タリー と同 じです。
坂本ガバ ナーのスローガン「あなたの善か ら みんなの
バ ナー の重責を全 うできる実力は十分、 しか し、ガバ ナー
善へ」。今、ロー タリー の 善意 と良識が期待 されるときです。
健康 に気をつ けて活躍 していただきたい。
が、学科
は言 うまでもな く、
精神的 にも肉体的 にも大変な立場です。
京都東RC 三輪泰司
職業分類 ―建築家(建 築設計)1941年 10月 16日 生。 (株 )坂 本克
也建築事務所代枷
亀 78年 京都八幡 RC創 立会員。ガバナー補
佐。 CSEチ ーム リーダー。MPHF。 ベネファクター。米山功労者。
平成 25年
7月 号
八尾RC 井川 孝三
職業分類 ―小児科医
1943年
1月
lH生 。(医 )福 家医院理事長。
85年 八尾束 RC入 会。91年 退会。 95年 八尾 中央 RC入 会。地
区 R財 団委員長。 メジャー ドナー 。米山功労者。
ロータ リーの友
31
:GOVERNORSガ
バ ナ ー紹 介
本格派 いごつそう 登場
第 2670J也 区
せき
ひろ し
関 裕司ガバナー
(高 知
!
香川
徳島
RC)
僣 さん と一緒 にチ ャレンジ
第 2680J也 区
おおむろ
すぐる
大室 僣 ガバナー
(宝 塚武庫川
RC)
坂本龍馬を出 した高知県 (土 佐 の国)に は、男は「い ご
っそ うJ女 は「はちきん」 とい う「方言」があ ります。信
宝塚武庫川 RCは 、創立 35周 年を迎えます。この
今年度、
年 に大室偶 ガバ ナー がわが クラブか ら誕生。2つ の大 きな
念を持ち、簡単 に他人 に迎合 しない人物の代名詞です。関
裕司ガバ ナーは、典型的な 「いごっそ う」ですが、内面は
喜 びにクラブ全体が盛 り上がっています。
緻密で、周 りの雰囲気を判断、分析するのが得意 です。
と要職を こな し、ゆっ くリクラブライフを楽 しんでいた と
ころへ 、本人 いわ く「青天 の露震 のガバ ナー指名、熟慮 の
創立会員である大室 さんは、 クラブ会長、ガバ ナー補佐
趣味 のゴル フ熱 は年 とともに盛んに ! 70歳 にな って
も白テ ィー (上 級者 コース)。 同伴者 3人 のス コアをホー
末 ロー タリーヘ の恩返 しと決心」 と受諾。「引き受 けた限
ル ごとに全て記憶するとい う特技を持 っています。
りは、第
英検 1級 を保持 し、高知県で も有数の英語の達人。電
子部品アル ミ電 解 コンデンサ ー の部材 。セパ レー タ (絶 縁
人 の会員のために」 とい う強 い気持ちを表明 しています。
紙 )を 、世界 シェア 60%に 育 てた経営手腕 は、 ロー タリ
の病院勤務、38歳 でお父さまの病院の経営へ、和代夫人 も
小児科医 と医者 一家。現在は病院、老健施設、 リハ ビ リ病
ー における リー ダー シ ップに も発揮 され る ことと思 い ま
す。
高知県経済界 の公的な役職 も多 く持 っていましたが、昨
年、 ガバナーエ レク トに就任 した時 に全て辞退 し、今では
ロー タリー 活動 に専念 しています。
2680地 区 のため、74ク ラブのため、約 3,000
仕事は外科医、大阪大学医学部附属病院を皮切 りに 3か 所
院を経営、宝塚商工会議所副会頭な どの公職を通 じて地域
に大 きな貢献を しています。 この成功 にはロー タリーの心
と「四つのテス ト」に従 ったことが役立 ったと話 しています。
名前 の「IH」 とい う字は とても難 しい字です。人偏 に山冠、
ガバ ナー としての基本方針は、奉仕 と親睦を重点項 目と
その下に鳥を表す佳を書 き、その下 に 弓を 90度 回転 させ
して、ロー タリーを楽 しみ、無理をせず、 自分な りのロー
たもので、弓で射ても届かない高い山の上を飛ぶ鳥のよう
タ リー 観で楽 しい ロー タリー を求 める ことを 説 いていま
に優れた人 とい う意味です。そ して何 よりも私が驚かされ
たのは、ノミニー年度か ら地区のほ とん ど全ての会合に出
す。地区のス ローガンは「地域で、世界で、ちょっといい
ことを しよう」 です。ガバ ナーエ レク ト就任あいさつは型
破 りな内容 でパ ス トガ バ ナ ーの 度肝を抜 いた と思 い ます
が、基本は真面日で緻密な リー ダー として第 2670地 区の
発展 に貢献する ことは間違 いない、 と確信 します。
席 し、各種 プログラムの本質、問題点を的確に捉 えガバ ナ
ー 諮問事項、地区運営方針を作 り上げた ことです。
本年度は 「未来 の夢」 の実施な ど変革の年 です。
僑 さん
と一緒 にチ ャレンジ し、楽 しもうと思 っています。
高知RC 森本征彦
職業分類 ―特殊紙製造 1943年 2月 24日 生。 日本高度紙工業
(株 )相 談役。 79年 高知 RC人 会。MPHF。 米山功労者。
llRC 大 橋 泰 弘
宝塚武庫り
職業分類 ―病院 1939年 3月 15日 生。 (医 )尚 和会会長。78年
宝塚武庫川 RC創 立会員。ガバナー補佐。メジャー ドナー。米山
功労者。
32
THE ROTARY― NO‐ TOMO
2013 VOL.61 NO.7
ガ′ヽナ ー 紹 介
優 しさとす ぐれた行動カ
も りも と しん い ち
山根
岡島
第 2690'也 区
森本信 一 ガバナー
GOVERNORS
歌 をふ りまき颯爽 と
第 2700'也 区
あ な い も とあ き
穴丼元昭ガバナー
(津 山 RC)
(博 多 RC)
病気 がちな高齢 の両親を支 えることと、総合博物館 。つ
夜 の博多 に席を陣取 り、マ イクを握 ってやお ら歌い出す
やま自然のふ しぎ館運営 のため、自動車会社 の重役を辞 し、
のが「筑後川」。久留米市 出身ゆ えの郷 土の名 曲を、メガ
故郷 の津山に帰ってきました。優 しさと理 性的な判断を持
ネの奥の 目を細めなが ら、
哀感込めて歌 い上げる穴井さん。
って、
長 い問両親の世話を しました。とても立派なことです。
だが これで安心するのはまだ早 く、それか ら出るわ出るわ
三十数曲。幅広 い レパー トリーの持ち歌を全 て歌い切 って、
尊父か ら、本人が津山に帰ってきた ら津山 RCに 誘 うよ
もでき、おかげで浦島太郎にな らな くて うれ しかった との
店を出るのが夜半過 ぎ。 これが毎回のパ ター ンです。最初
に 同席 した とき、次か ら次 へ の名調子 に 聞きほれなが ら、
う頼 まれていました。 クラブも歓迎 し、本人 もす ぐに友人
ことで した。有能かつ きちょうめんな性格で、津山に帰っ
九州大学医学部出の堅苦 しいお 医者 さん とい うイメージが
てか ら博物館の学芸員の資格 も早い時期 に取 ってい ます。
吹き飛び、「なん とまあかわいげのある人 だろ う (人 生の
博物館 の展示 も大幅に改善 し、多 くの方に喜ばれ、広 い地
先輩に対 してゴメンナサイ)」 と思 ったもので した。
域 の文化遺産 として貴重なもの となっています。つや ま自
クラブで も、入会間 もな くの ころか らロー タリーソング
然 のふ しぎ館 は世界でもまれな動物 の剥製、植物、鉱物な
どがあ り、一見 の価値があ ります。
詳細 にわた り、作詞・ 作曲家 の人柄や時代背景 まで知 らさ
の解説を し、それが今でも続 いています。その 内容が実 に
ガバ ナー職は多忙ですか ら、
選考 に苦労があ りましたが、
バ
エ
素早 く決断。ガ ナー レク ト事務所設定 。運営 も、会社
れ、歌が育む文化の存在を感 じさせ られています。
員 として組織を運営 してきただけに、プログラムを作 り速
やかに実行実現。津山 RCか ら 4代 目のガバ ナー です。
りま しょう」 です。公式訪間で全ての クラブに顔を出 し、
会員の皆さん と直接意見交換できるのを楽 しみに していま
ガバ ナー はい くらか違 った世界 で学び、動 くことにな り
す。 どこかのクラブで歌が飛び出すか もしれません。今な
ますが、 ロー タリアンを指導 しなが ら、古 き良きことを大
お産業医学の現役ですか ら、各 クラブを どう診断するのか
切 に しなが ら、時代に合 った改善が期待され ています。奥
も楽 しみです。
さまは山梨生 まれの大学の同級生。知的で明るい性格 の方
博多 RC創 立 33年 目に して初めてガバ ナーを出 しまし
たが、「 ハー メル ンの 笛吹 き男」の よ うにつ られなが ら、
で、家庭 と仕事の両面で支えています。
最後 に同級生 として、健康に留意 して、無事任務を果た
穴井 さんの近頃の口癖は「引き受けたか らには楽 しくや
楽 しくサポー トしていきたい と考 えています。
していただ くことを祈 って、紹介 とさせていただきます。
津山RC 中島壮太
職業分類 ―博物館 1940年 4月 29日 生。 (公 財)津 山社会教
育文化財団代表理事。99年 津山 RC入 会。MPHF。 ベネファ
クター。米山功労者。
平成 25年
7月 号
博多RC江 口浩三郎
職業分類 ―臨床検査 1932年 4月 1日 生。 (株)シ ー・ アール・
シー 中央研究所名誉所長。96年 博多 RC入 会。MPHF。 米山
功労者。
ロータ リーの友
33
GOVERNORSガ
バ ナ ー紹 介
小 さい なが ら大きな エー ス
ロー タ リー大好 き国際派
第 2710地 区
第 2720'也 区
おき た てつよ し
あ か や また けお き
大分
沖田哲義ガバナー
赤山武興ガバナー
(下 関
(人 吉中央
RC)
沖田ガバ ナー と付 き合い始めて 30年 。最初 は青年会議
所。続 いて (財 )ド 関 21世 紀協会。 ロー タ リー。 そ して
仕事 の付き合 い と、思 えば人生の半分 の付き合 いです。
RC)
赤山武興ガバ ナーは、 自他 ともに認めるほ どロー タリー
が大好 きで、国際感覚豊かな人です。
赤山 ガバ ナーの父上 。久武氏が、同志 とともに 1989年
を核 とした街づ くり構想に、毎晩 のように酒を飲み、夢を
に創立 した、わが人吉中央 RCは 、今年度で創立 25周 年
を迎え、 この節 日の年 に、 ガバ ナーが誕生 しました。赤山
見なが ら話を し、市民や行政を巻き込んで いったこと。
ガ バ ナ ー は、創立会員 として入会以来、出席率
青年会議所では、オイ ル シ ョック後の下関に 「人 工島」
100%を
くてはならな い。それ も「行動するシンクタンク」が必 要 と、
(財 )下 関 21世 紀 協会 を、沖 田 ガ バ ナ ー を 中心 と して、
継続中で、「ロー タリー クラブで活動す る以 上は、 レベ ル
高き ロー タリーの実践を目指せ」 とい う父 上の薫陶を受け
てきました。創立翌年の 1990年 、アメリカ 。ポー トラ ン
40歳 そ こそ この仲 間 20人 ぐらいで、基金 8,000万 円を
ドでの国際大会 に初参加 し、感動で身が震 えたそ うです。
集め設立を した こと。
これ以来 ロー タリーの魅力に取 りつかれ、 6度 の 国際大会
そ して街づ くりには、それに特化 した組織を立ち上げな
このよ うに、街 づ くりの中心には常に彼が いました。彼
の理 論、行動力、そ して人脈、その どれにも彼 は秀 でてい
に参加 しています。
また、国際派 として象徴的な ことは、 GSEの 団長 とし
7810地 区 (ア メリカ・カナダ)
を訪れ、25ク ラブの例会に出席、40か 所 の職業研修訪間
ます。ただ、それだけでは中心にはなれません。人を信頼
て、 1995年 5∼ 6月 に第
して任せる大きな心。半面、緻密な計画力。何 よ りも (思 わ
れているほどではない ?)謙 虚さ。これらが身長 158 cmの 沖
を した ことです。赤山ガバ ナー は この時 も、持ち前の話学
さいなが ら大きなエース という理由です。
田ガバナーが、イヽ
ガバ ナーエ レク トの時の 7月 か らは 自分 の 考 えを理 解
力を発揮 し、その 目的を果たす とともに、国際親善にも大
して もらうため、約 100ペ ージに及ぶ 「ロー タリー とはJ
を作成。役員な どに配布 し、その後 3回 の改訂を重ねたよ
一 方、地域 にあっては、人吉市 バ レー ボー ル協会の会長
うに、彼には先を見据 えた管理力、緻密 さがあ ります。 し
か し何 よりも、彼は気楽に酒を酌み交わす人間です。
一 年間楽 しく、ロー タリー を引っ張 っていって くれるも
の と期待 しています。
1948年
12月 5日 生。弁護 士沖 田哲義法律
事務所所長。 89年 下 関 RC入 会。 MPHF。
米 山功労者。
34
THE ROTARY―
NO―
を長年務め、 1999年 、熊本で開催 された国体で、バ レー
ボール競技を成功 させ、 Vリ ー グの誘致 。大会運営に尽力
しました。 また現在は、
人吉市国際交流協会 の会長 として、
中学生、高校生をポル トガルに派遣 し、外国を体験 させる
な ど、多方面で活躍中です。写真は、娘の聖子 さん と。
下関RC 小倉 國雄
職業分類 ―弁護±
いに貢献 しま した。
TOMO
ベ ネ フ ァクター。
人吉中央 RC
岡本 光 雄
職業分類 一学校法人 1940年 3月 30日 生。(学 )赤 山学園九州技
術教育専門学校理事長。89年 人吉中央 RC創 立会員。ガバナー補
佐。地区国際奉仕委員長。MPHF。 ベネファクター。米山功労者。
2013 VOL.61 NO.7
ガバ ナ ー 紹 介
GOVERNORS
磨 かれたいぶ し銀
天才少年 7か らガバ ナ ーヘ
第 2730地 区
第 27401也 区
宮崎
お お さ こさぶ ろ う
しお ざ わ つ ね お
大迫 三郎ガバナー
塩澤恒雄ガバナー
(宮 崎南
(平 戸
RC)
RC)
私共、宮崎南 RCは 、宮崎西 RCか ら親離れ して 39年 。
宮崎南 RCか ら初めてのガバ ナー誕生 とい う、輝か しい年
戸市医師会会長 も経験 した地域の医療を担 う内科、消化器
にな りま した。来年度はクラブ創立 40周 年 の記念すべ き
科 の専門医。その気 さ くな人柄 と確かな腕、面倒見の良さ
年。 ガバ ナー就任が決 まった時は会員一 同か ら大 きな拍手
でいつ も待合室は患者 さんであふれています。
が起 こ り、会員の顔が高揚 した一 瞬で した。
大迫ガバ ナーの物腰 の柔 らかさ、時折見せ る仕事 へ の情
熱 と厳 しさ、闘志、また 38年 間の例会無欠席 と、爪の先
までロー タリアンです。 阪神 甲子園球場 で開催 された第 1
52年 の歴史を持 つ 平戸 RC初 のガバ ナー 誕生です。平
生 まれ は上海。生後 1か 月で父上が亡 くな り、母上の
故郷、長野県飯 田市 に引き揚げ、そ こで育 った信州 っ子。
母 一人子 一人で大変な苦労があった と想像 されますが、そ
れを感 じさせない天性の明るさを持 っています。医学部入
回全国 ロー タリー クラブ野球大会 では、2番 レフ トで出場、
学 とともに長崎 に縁ができ、卒業後 は県内の病院に勤務。
チ ームは第 3位 に入 賞。 ゴル フは年齢 を感 じさせ な い ド
ライバー シ ョッ ト、カラオケは張 りのある声で歌 い、趣味
その後、医師でロー タリアンでもあった洵子夫人の父上の
の多さは格別 の ものがあ ります。
新会員 にもわか りやす く話をされ、入会当時、私な ども
大変楽 しく、勉強 させていただきました。多 くの要職にあ
り、宮崎では誰 もが知 る仕事人。必ずや今年度 RIテ ーマ
出身地、平戸市で開業 しました。夫人 も内助の功を発揮 し、
ガバ ナーの健康管理か ら病院経営 まで多忙な毎 日。 2人 の
ご子息 も医師 として医療に携わっています。 こよな くビー
ルを愛 し、付 き合いもいい ことか ら人脈 も豊富です。
飯 田市の同期生か ら聞いた話 による と、中学
3年 生の
「 ロー タリー を実践 し みんなに豊かな人生を」を この一
時 に作文 の課題があ り、その出来栄 えが天才的な文章で、
年間、情熱 と闘志を発揮 し、や りとげる ことで しょう。わ
れ らが自信を持 って送 り出す大迫ガバ ナー。家庭では、最
生徒はもちろん、
校長以下先生全員が驚嘆 の声を上げた「天
。
才 塩澤」の逸話が残 っているとの ことです。末は文学青
愛なる夫人、子 ども、孫たちに囲まれ、昼間 とは違 う側面
を見せ るや さしい夫。家族のサポー トな しでは果たせぬガ
年か と期待されたようですが、ペ ンを聴診器 に替 え、信頼
バ ナー、会員一 同大 いに期待 し、エール を送 ります。前進
「明るさ」
「健康」の 3つ のキー
信条 に基づいた「思 いや り」
あるのみ。
ワー ドを掲げ、地区運営にまい進することと思 います。な
座右 の銘は、“
事 の誤 るは得意の時、事 の成るは失意 の時"
される医師 としての日々を送 っています。 このたび 自身 の
お、常 に息子 の 成長 を見守 って こられた母上 は 100歳 の
長寿を全 うされました。
宮崎南RC 千葉百合子
職業分類 ―印刷 1934年 11月 17日 生。 (株 )宮 崎南印刷代表
取締役社長。75年 宮崎南 RC入 会。ガバナー補佐。 CSE委 員。
MPHF。 ベネファクター。米山功労者。
平成 25年
7月 号
平戸RC竹 田健介
職業分類 ―内科医 1939年 5月 19日 生。(医 )純 健会 しおざわ
内科消化器科院長 。理事長。90年 佐世保中央 RC創 立会員。91
年平戸 RC移 籍。MPHF。 ベネフアクター。米山功労者。
ロータリーの友
8-1_鳳
ヒ
第2500地 区丑
畏硝箱L21♂ ξ
澱噌亙
F?fぶ 児
1麗騨
富L魚 階
消
第2510地 区1翼〓‰2m♂ ヒ
盟盟琳例腎鷺札fr謂傲継珀
第 2520地 区 1:■ :ち1_。 151
〒974-8261
第2530地 区
TEL.0246-63-3110
第2540地 区
TEL.018-893-6908
〒010‐ 0001
第 2550地 区 晃r:蠍 ■2550
〒959-2627
第 2560地 区
TEL.0254-28-8822
第 2570地 区
TEL.0493-21-2570
第
2770剖 L[=
〒355-0028
城県仙台市青葉区イ涸 原 4-3-20学 校法人常盤木学園内
FAX.022-224-0152
E-1■ ail [email protected]
福島県 いわき市植田町本町 1-7-9
FAX.0246-63-3130
E― mail d2530@iwakinakoso―
rc」
p
秋田県秋田市中通 6-1-65 PPビ ル 406号 室
FAX.018‐ 893-6909 E― mail rid2540g13-14@dreamjp
木県宇都宮市西原町 142宇 都宮グランドホテル内
FAX.028-651-2551
E-1■ ail [email protected]
新潟県胎内市野中 490-3 新和 ヒルズ 2階
FAX.0254-28-8826
E-lnail k.yamazaki@rid2560n五 gataJp
埼玉県東松山市箭弓町 2-5-14 紫雲閣 3階
FAX.0493-21-2571
E-lnail d― [email protected]
63
晃淵
埼玉県さいたま市浦和区高砂 1-2-1-116 エイペックスタワーオフィス東館 1階
127-0022
FAX.048-827-001l
E― Inail [email protected]
第 2790地 区
〒279-0001
千葉県浦安市当代島 1-4-1 第一西脇 ビル 303号 室
TEL.047-711‐ 1545
FAX.047-711-1546
E― Inail 13-14gov@rid2790jp
第 2800地 区
〒994-0026
山形県天童市東本町 1-9-20
TEL.023‐ 687-0208
FAX.023-687-0209
E― Inail [email protected]
40-1_名 ヤ
3号 室
第2820地 区It:盤::3608♂ ⑮ 屋
薄盤駕
九
二引Xl∬
第2830地 区1諸 i躍1っ 67「 u■駆蹟147B鮒 %舗∝岬 mmЮ 弓
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第 2840地 区
〒371-0855
群馬県前橋市問屋町 2-2 前橋間屋 センター会館 1階
TEL.027-212-2840
FAX.027‐ 212-2841 E― Inail honda@rid2840jp
第 2580地 区
TEL.03-3538-021l
第 2590地 区
TEL.045-650-2590
第 2600地 区
TEL.0266-78-8092
〒 104-0031
〒231-0033
〒394-0027
THE ROTARY‐ NO‐TOMO
東京都中央区京橋 2‐ 11‐ 8 全医協連会館 1階
FAX.03-3538-0212
E-lnail [email protected]
神奈川県横浜市中区長者町 4-9‐ l YS関 内 ビル 3階
FAX.045-650-2591
E Inail [email protected]
長野県岡谷市中央町 1-4-12
FAX.0266-78-8093
E-1■
ail nllyasaka― [email protected]
2013 VOL.61 NO.7
第2610地 区
〒9230957
石川県小松市本折町 33 Jヽ 松 グラン ドホテル 2階 3号 室
TEL.0761-46-6497
FAX.0761-46-6498
E Inail yuasa13-14@rotary2610jp
第2620地 区晃
翼観筑L62ρ l鴫認鵬 町色
1.考 噺地
.1脱 @.2620到
第2630tt区 孔 親
■263「 顆 4魏
今 麟瞳錐内
〒 10500H
2-6-15 黒龍芝公園 ビル 3階
東京都港区芝公園 =75鸞
第2750地 区
`1思
p
[.■
TEL.03-3436-2750
第 2760地 区
第
2780地
区
第
2640地
区
11視 :854
63-53-2761
FAX.03-5472-2750
E Inail [email protected]
愛知県西尾市永楽町3-45ν雪
尾信用金庫中央支店 205号 室
FAX.0563-77-3658
E Inall governor13-14@rotary2760 org
〒 251-0055
1 神奈川県藤沢 市南藤沢 227501 第 一 相澤 ビル 5階
TEL.0466-25-8855
FAX.0466-25-8866
E― mail g― [email protected]
〒
5960825
TEL.072-437-2640
大阪府岸和 1市 上生 町 2-27-1 西栄 ビル 3階
「
FAX.072-437-2650
E― Fnail [email protected]
西入束塩小路町 614 新京都センタービル5階 520号 軍
第2650地 区晃翼鷺篭L656 京都府京都市下京区塩小路通
FAX.075-343-2651
E∼ rnail [email protected]
it丸
第 2660地 区
第 2670地 区
〒5410052
TEL.06-6264-2660
大阪府大阪市 中央区安Jl町 1-5-H トヤ マ ビル 東館
FAX.06-6264-2661
E lnail [email protected]
6階
〒 780-0842
高知県高知市追 手筋 1-6-3 チカ ミビル 3階 束
TEL.088-855-7775
FAX.088-855-7774
E Inail [email protected]」 p
第2680地 区1躙ミ
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第26901t区 lI跳駕‰23謂 1爛肌埋L漁 1留#竃π 馳
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第27001ttt lll識:1265♂ 町
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膚刈 l颯 肝127肥脚易:5階
6階
第2710tt区 晃
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第2720地 区晃
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86長
平成 25年
7月 号
ittjp
ロー タ リーの友
Rl理 事 メ ッセージ
国際 ロー タリー理事 として参加 した
規定審議会
2012-14年 度 国際 ロー タ リー 理事
2013年 の規定審議会 について、審議結果 と、私な り
の感想をお話 ししたい と思います。
松 宮
岡Jじ ケ崎湘南 RC)
者 の姿勢 として 「正 しい ことを話 している」「ロー タリ
ー は斯 くあるべ きなのだ」 とい うニ ュアンスが何 とな く
規定審議会開会時点 での全立法案数 は 174件 、制定
諸外国の代表議員 に伝わ って しまって、その ことが要 ら
案 144件 、決議案 30件 で した。制定案 144件 (3分
ぬ反発を買 う結果になっている。そんな ことを感 じまし
の 2以 上の賛成票を必要 とす る RI定 款 に 関す る案件
た。
39件 (RI定 款関連 2件
修正されて採択 14件 (RI定 款関連 1件 否決 64件 (R
I定 款関連 15件
撤 回 20件 (RI定 款 関連 2件
理事会付託 7件 (RI定 款関連 3件 )で した。
制定案中 RI理 事会が提案 した制定案 は 13件 、原案
修正採択 1件 、
通 りの採択 10件 (RI定 款関連 1件
決議案は 30件
否決 1件 、撤 回 1件 (RI定 款関連
中採択 6件 (1件 は理 事会付託、修 正 はできませんの
ですべ て原案通 り 否決 17件 、撤回 6件 で した。
は 23件 )で 原案通 りの採択
)、
)、
)、
)、
)、
)。
)、
例会 の回数を少な くしようとする提案が ことごと く否
決された ことも、今回の場 の支配的な雰囲気ゆ えであっ
たように思います。ただ し、次回の議場が同 じ雰囲気 で
推移するか どうかは予断を許 さない とい う印象です。
綱領
(目
的)に 第 5項 を追加す る案件や文章を改め
ようとする案件は、理事会に付託するとい う結果 とな り
ました。理事会で議論するときには、心 して綱領は基本
的 に変更するべ きものではない、 とい う姿勢を強 く打ち
出 していきたいと決意 しています。
私 に とって初めての規定審議会参加 は代表議 員でな
今回の規定審議会で採択 された規則は、2013年 7月
1日 か ら既に効力を発 しました。各 ロー タリー クラブで
く、 RI理 事 とい う立場での参加ですか ら、あ くまでも
の十分な周知 が必 要 です。各地区はそのための支援を借
理事会の意思に従 うことが大前提 で した。だか らこそ感
しまないでいただきたいと思います。
じたことが幾つか あ りました。
ロータリークラブは地域社会とともにある
キーワー ドは「会員増強」と「弱い者い じめはいけない」
提案理由に 「会員増強 につながる」 とい う言葉が入る
理事会 の基本的な姿勢は、 RIの 戦略計画を強 く前面
ことによって、大方 の代表議員か ら肯定的な評価を明 ら
に出 して推進 してい こうとするものです。会員増強・ ク
かに受 けている とい う議場 の空 気は特徴的な もので し
ラブ拡大はさらに拍車がかかるで しょう。例会出席よ り
た。典型的なものは、専業主婦 も正会員の資格者である
も奉仕活動重視の ロー タリーの あ りようもさらに強調 さ
とい う内容を含んだ案件 の採択 で しょうか。 しか しなが
れてい くもの と思います。公共イメー ジの統一 を目指 し
ら、出席規定 の緩和や会員資格 の拡大は、安定的な会員
てブランディングに関す る議論 も活発 になるで しょう。
増強 につながってい くので しょうか ?
そ して好む と好まざるとにかかわ らず、各 クラブは国際
「弱い者い じめはいけない」 とい う反論がきわめて有
ロー タリー を構成する草の根 としての単位であるとい う
効だ ったの も特徴的に見えました。 クラブが最低 15人
認識は、一般化 してい くで しょう。
そんな中、私たちは、 ロー タリー クラブは地域社会 と
分 の人頭分担金 を支払 うとい う案件は、見事に否決され
ま した。 日本か らの提案 である 1地 区 の最低 ロー タ リ
ともにある とい う感覚 と行動を再認識す る ことによっ
ア ン数を 1,200人 か ら 1,100人 にす る案件 も この雰囲
て、 RIの 方向性 との協調を図る ことが特 に重要である
気 に押されて採択 されたように私には思 えました。
日本か らの提案について立場ゆえに感 じたことは、言
ように思います。その上で、職業人 としての成熟 とそれ
に伴 う誇 りを獲得する ことの大切 さは、 ロー タリー にあ
葉を柔 らか く選んでいけばあるいは採択 されたのではな
いか、 と思 える案件が否決 された ことです。 日本 の提案
っては揺 るぐことのない核心であ り続けるで しょう。
第 2780地 区(神 奈川)2004-05年 度ガバナー
38
THE ROTARY―
NO―
TOMO
2013 VOL.61 NO.7
RI DIRE⊂ 丁OR
国際 ロー タリー の理 事 として
2013-15年 度国際 ロー タリー理事
第 1ゾ ー ンか ら国際 ロー タリー
(RI)理 事 ノ ミニ
北
清 治 (浦 和束 RC)
ー として選出されてか ら、その責任の重大さを痛切に感
しました。改めて、 ロー タリー の 目的を確認 し、実践
と次世代へ伝承する絶好 の機会 と捉 えるべ きであ りま
じてお ります。幸いにも、理事経験者か らの温かいご指
す。
導 ご助言 に励 まされてお ります。
2020年 東京 ロー タ リー クラブは 100周 年 を迎 え
ます。 日本 のロー タリー 100周 年 とい う記念すべ き
今年 1月 には、 RI理 事 エ レク ト研修、国際協議会、
RI理 事会へのオブザーバー 出席。4月 には、3年 に一
節 日とな ります。今 日まで ロー タリー活動 とともにロ
度開催 される規定審議会 に参加するな ど、世界における
ー タリアンとしてのステー タス、そ して理念や精神論
ロー タリーの一端を垣間見る ことができたことは、大変
を大切に育み伝承されてきました。
な収穫であ りました。
今、世界 の潮流は、人道的奉仕 の実践であ ります。
RI理 事 としての職責を全 うす る とともに、 日本か
地域社会に根差 した奉仕、国際奉仕の実践はロー タリ
ら選出されているとい う側面を忘れてはな らない と思 っ
ー のブラン ドカを高めます。そ して奉仕 の心を学ぶ近
てお ります。 RIの 方向性を的確 に把握 し、地区ガバ ナ
道 とな ります。
ーや各 コー ディネー ター と連携 しての、地 区やクラブヘ
「ロー タ リー は利他 の文化 の 先駆者―利他の心は、
の支援サー ビス は人事な任務 と心得 てお ります。
自らが幸せに至る道」
情報発信機能の充実
Engage Rotary′ Change Lives
RI日 本事務局が東京都港 区の三 田国際 ビルに移転
しました。そ して奉仕室が「クラブ・ 地区支援室」 とな
ロー タ リー を実践 しみんなに豊かな人生を
ロン・バー トン
RI会 長は、「ロー タリーを真に実
りま した。ガバ ナー会事務局、 ロー タリー の友事務所、
践 し、ロー タリーの奉仕 と価値観を日々生かす決意を
ロー タリー文庫、米山記念奨学会があ ります港区芝公園
すれば、 自分がいかに素晴 らしい影響をもたらす こと
の黒龍芝公園 ビルの近 くとな り、 ロー タリー に関係する
ができるかが見えて くるで しょう。そ して、
何 よ りも、
情報発信やサー ビス機能 が集結されま した。相互 の持つ
あなた自身の人生が一番豊か になるはずです」 とRI
リソース と機能を効果的 に発揮 し、情報発信機能 の充実
テーマの実践を説かれてお ります。
と成果を期待 してお ります。
第 2770地 区(埼 玉南東)2004-05年 度ガバナー
RIの 情報はウェブサイ トに掲載されてお ります。そ
の活用 と成果 は掌握できてお りません。 また、日本にお
ける会員構成の背景からして、相当の温度差があると思
われます。正 しく整理された情報 によって会員意識 の再
確認 と調和が図られ、次代を担 う若者を惹 きつける魅力
的な クラブの創造 が期待 されます。
奉仕 の実践か ら学ぶ
「The Ottect Of Rotary」
の 日本語訳「 ロー タ リー の
綱領」が 「ロー タリー の 目的」 に改訂 されるとともに内
容 も現代的な文章に変わ り、2013年 7月 1日 か ら移行
平成 25年
7月 号
ロータ リーの友
よ11贅111:よ
`│
平和 の懸 け橋 となる人材育成 を 目指 して
公益財団法人 ロータリー米山記念奨学会 理事長
板橋
JttR C)
敏雄 促 不
新年度を迎 え、 まずは、全 国 の 会員 の 皆 さまか らロー
チブ・ ガルバ ドラッハ さんが、
米山学友代表 として、日本
タリー 米山記念奨学事業 に厚 い ご支援 を いただいてお り
の教育 システムをモデルに学校を設立 して世界の平和に
ます ことに、あ らためてお礼 申 し上げ ます。
ご寄付を一 円た りとも無駄 に しないよ う、 平和 の懸 け
寄与する人材を育ててきた活動を報告。 こちらも、大変
な感動を呼びました。 また、「友 愛 の広場 Jの 米山ブー
橋 とな る人材 を育てるため、引き続 き努力 して まい りま
スでは、学友 が1世 界各国のロー タリアンや新世代の若者
す。今 年度 も何 とぞ よろ しくお 願 い します。
らと交流 し、事業 の PRに 尽力 しました。 この感動を皆
さまに じかにご覧いただきたい と、映像を当会ホームペ
ロ ー タ リー 世 界 平 和 フ ォ ー ラ ム で 米 山 学 友 が 活 躍
ージ
最近 の うれ しい ニ ュー スか らご報 告 します 。 5月 17
「ロー タ リー 世界 平和 フ ォー ラム広島」
∼ 18日 の 2日 間、
が盛大 に 開催 され ま した。各 プ ロ グラム とも、広島 とい
(― w.rOtav yoneyama.orjp)で
公開 しています。
ビデオ や ホ ー ム カ ミングの活 用 を
また、地 区協議会 な どを通 じて各 クラブに配布 してい
!
う特別 な地か らうた い上げ る平和 への思 いは 、人 の心 を
る新 しい 事業紹介 ビデオ「ひ ろがれ
力強 く打 つ ものがあ りま した。
もぜ ひ例会 で上映 し、 ご覧 いただきたい と思 い ます。
特 に 、 18日 昼 に 開催 され たポ ー ル・ ハ リス・ ラ ンチ
人 づ くりの輪」
好評 をいただいてお ります 「米 山学友ホ ームカ ミング
ョン ミー テ ィ ングは、 テ ー マ 別 に 4会 場 に 分 かれ て大
制度 Jは 、今年度か ら招 へ い枠 を各地区
変 に盛 り Lが りま した。米 山記念奨学会 もその うち の
人 )に 拡大す る ことに しま した。われわれが愛情 を込 め
1
2人
(従 来 は
1
会場 を担 当 し、満席の来場者 をお迎 え しま した。米 山学
て育てた学友 たちを呼び寄せ、現在 の 活躍 の様子 を聞 き、
2つ の クラブ、東 京米 山友愛 ロ
ー タ リー クラブ と東京米 山 ロー タリー Eク ラブ 2750の
さ らに声援を送 っていただきたい と思 うのです。
全 :面 的な協 力を得 て、 両 クラブの若 き会 員たちが プログ
ラムの 一 切を企 画 。準備 し、実施 して くれ ま した。
開始 した 「 よねや ま親善大使」 (本 誌
友 を 中心 に創 立 され た
このホームカ ミング制度を利用 して、 今年 か ら活動を
組み
2013年 6月 号横
P26∼ 27参 照 )の 二 人 を、地 lX
や
クラブの卓 話
圧巻 は 、世界 各国 の米 山学友 と会場 をスカイプで結 び、
にぜ ひお招 き くださ い。優れ た親善大使 の 話 は、必ずや
国や地域を超 えた 交流を実現 していた ことで す。国籍 も、
米 山奨学金制度 の 奥深 さや、世界平和 へ の 貢献 を理解 さ
住 む IJ。 地域 も異なる会 員が集 い 、楽 しく語 り合 う様子
せ て くれ るもの と確信 してお ります。
に、 ロー タ リー の新 しい 形を見 る思 いが しま した。
全体 フォー ラムでは、モ ンゴルか ら駆 けつ けたジャン
2001-03年 度 l際 ロー タ リー理 事
第 2550地 区 (栃 木 )1987-88年 度 ガバ ナー
E■
スカイプ を使 って各地 の学友と交流 ︵
写真
右︶。モンゴルのジ ャンチブ氏 の報告 ︵
同左︶
40
THE ROTARY―
NO―
TOMO
2013 VOL.61 NO.7
史埠通信
ロー タリー文庫 は
ロー タリー情報 の「宝の蔵」
ロータリー文庫運営委員会 委員長 戸 田
一誠
ここ数年 の『ロー タリーの友』 7月 号「文庫通信」 の
ペー ジを繰 ってみると、掲載すべ き内容はほぼ定番 化 し
RC)
(東 京練馬西
よる「文庫訪間 ツアー」 の実施を提案 します。
「宝の蔵」をお見せ します
ロー タリー文庫が収蔵 している文献資料は 2万 点を超
てお り、足す ものも引 くものもあ りません。 よって、そ
れ らを引き写 して、皆さん にロー タリー文庫 の使命をお
伝えします。
え、ホー ムペー ジのアクセス・ 資料請求 に関 しては、毎
月 1万 件余を数 えています。 ロー タリー文庫 とロー タリ
内外 の資料の収集 と整理保存
アンとの接点 は、『ガバ ナー 月信』 に掲載 され る「文庫
ロー タリー文庫 の前身は、『ロー タリー 日本五十年史』
通信」です。 クラブ研修委員長の皆さんは特に注意を払
編纂 の折 に収集 された資料保存のため、 1970年 、「ロ
ってチェックして ください。また、 ロー タリー文庫では
ー タ リー 資料室」 として設置 された ものです。 73年 、
コピーサー ビスを提供 しています。 さらに、 ビデオによ
所蔵資料 の有効活用を図るため、「 ロー タリー文庫」 と
る映像資料やホー ムペー ジの充実 にも注力 しています。
改称されましたが、 いまだ道半ばにあ り、有効活用には
皆 さんの ご利用を心か らお待ち してお ります。
いささか届 きかねているばか りか、「埋蔵金」な どと汚
名を着せ られた りもしてい ます。 しか し、 このよ うな扱
次代に 「宝の蔵」を相続する
ロー タリー 文庫 は、内外 の資料 を収集整理 し次の時
い方は天に唾するようなもので、利用者 であるロー タリ
代 へ 伝 えてい く、 とい う大 きな使命 を担 ってい ます。
アン自身が 日前 の宝の蔵 に気 づかない、 という不明の証
2020年 、 ロー タ リー 日本創立 100年 とい う記念すべ
き時を迎 えます。既 に、 100年 史編纂準備委 員会 が組
織 され、『 ロー タリー 日本 100年 史』刊行に向けて、準
左ではあ りますまいか。
紙 の資料は日を追 って劣化が進み、 この ままでは宝の
務です。現在、電子化作業を進めていますが、人員・ 予
備活動 がスター トしました。 この活動 の基 礎資料には、
ロータ リー文庫が収蔵 している膨大な資料を抜 きにする
算 との兼ね合いもあ り、一気に作業を進める ことは困難
わけにはいきません。「宝の蔵 」継承者 として、相続人
な状況にあ ります。皆 さんの ご関係 で、特に電子化に関
として、
ぜひロー タリー文庫をお訪ね ください。そ して、
ロー タリー文庫 の運営 に理解を深めて ください。 ロー タ
蔵が遺跡 にな りかねません。資料のデー タベース化が急
してご協力 いただける事業所があれば、ぜひお知 らせ く
だ くさい。99年 、国際 ロー タリー
Rotary Clubs Library」
(RI)は 、「Japan
の名称を公式認証 しました。 ク
リー文庫が 「宝の蔵」 として輝 くか否かは、ひ とえに皆
さんのセンスにかかっています。
第 2580地 区 (東 京 。沖縄)2003-04年 度ガバナー
ラブ会長・ 幹事・ 研修委員長 の皆さん、ぜひご活用 くだ
さい。当委員会は、活用の具体化策 として、各クラブに
ホームペー ジを ご活用 ください
圏響 ∫嘔 1‐
ロー タリー文庫は東京 の芝公園にあ ります。都心 とは思 えないような緑豊 かな所
で、窓の外の緑を楽 しみなが ら、ゆった りとロー タリー の文献をお読 みいただ くこ
とができます。 ここには、 ロー タリー に関する、戦前か らの貴重な文献がた くさん
保存 されています。 とはいえ、 日本全国のロー タリアンの皆 さまにロー タリー文庫
にお越 しいただ くのは、なかなか難 しい こととも思 います。ロー タリー文庫ではホー
〒 105-0011 東京都港区芝公園 2-6-15
黒龍芝公園ビル 3階
電三
話 03-3433-6456
フアクス 03‐ 3459‐ 7506
平成 25年
7月 号
ムページを開設 していますが、皆 さまにご活用 い ただけるよう利用方法につい ての
CDを 制作 しました。さらに、ロー タリー文庫に保存 している文献 も、順次、ホー
ムページか らダウンロー ドできるよう作業を進めてい ます。 ご活用 ください。
http://― .rotary― bunko.grjp
ロータ リーの友
41
昨年 の国際協議会で、当時、国際 ロー
タリー (RI)会 長 エ レク トだった田
学校に通 い、医療を受け、食べ物 に困
中作次氏は、 自らの年度 の RIテ ーマ
ることな く、安全で安定 した生活を送
を「奉仕を通 じて平和を」 と発表 しま
る ことができ ます。 もちろん、 いつ、
した。田中氏は、同 じス ピー チの中で
どこででも何 らかの問題は存在するで
「『平和』が何を意味 しているのかは、
しょう。 しか し、歴史 の 中で、 日本が
人によって違 うのです。 どの定義が正
新たな道 へ の第一歩を踏み出 した瞬問
しいとか、間違 っているとい うことで
を挙げるとすれば、それは 1945年 8
はな く、自分にとって『平和』が意味
月 15日 、第
する こと、それがまさに平和なのです」
日本 の新 しい未来が始 まった時だと思
と述べ 、RI会 長 に就任後、折 にふれ、
います」
ます。今の 日本では、全ての子 どもが
ロー タリアンに 「平和」について考 え
るよう奨励 してきました。
このスピーチでは、広島、ベ ル リン、
ホ ノル ルの
2次 世界大戦が終 わ り、
これは、広 島 で開 催 され た ロー タ
田中作次氏
3か 所 で ロー タ リー 世界 平和 フ ォー ラムを
開催す ることも、発表 しま した。
平 和 は私 た ちの 目標
リー世界平和フォー ラムでのスピー チ
の 冒頭で、田中氏が述 べ た言葉です。
1939年 生まれの田中氏に とって、 日本 の平和 へ の歩み
が、まさしく自身の歩みでもあ ったので しょう。
田中氏は このスピーチを「今年度は私に とっての夢 の
「平和 とは、 私 た ちの 目標 であ り、私 た ちが語 り、大
実現で した。 3回 にわたる世界平和フォー ラムは、私の
ビジ ョンの重要な一部でもあ りました。ベ ル リン、ホノ
切 に し、後世 に伝 えてい くべ きものです。 これ は、 日本
ルル 、そ して ここ広島で、 ロー タリアンであるな しを間
の伝統文化 とい うよ り、比較的最近 の歴史か らきた もの
わず、大勢の人が集 まって、平和について語 り、考 え、
です。 日本 は国 と して多 くの戦 や戦争 を経験 しま した。
よ り平和な未来について、ビジ ョンを分かち合いました。
そ して、前世紀 に至 り、 さまざまな理 由か ら、 日本 はそ
日本を含め、戦争によって深 い傷を負いなが らも、現在
れ まで とは違 う新 たな道を選 び ま した。それ は平和 へ の
は平和の象 徴 とな ってい る これ らの都市 に、大勢が集
道 です。 この 決断 があ ったか らこそ、今 日の 日本 があ り
まって くださったのは、本 当に うれ しいことです。最終
42
THE ROTARY‐ NO― TOMO
2013 VOL.61 NO.7
回 となるロー タリー世界平和フォー ラムに、皆さまをお
い人たちにも広が っていったようです。 ロー タリー平和
迎 えできた ことを、心か ら幸いに思います。 このイベ ン
フェロー 、
米山学友をは じめ、さまざまな人たちか ら「参
トの成功を祈るとともに、共に学び、特別な経験を分か
加 して発表が したいJと い う申し入れがあ りました。 と
ち合えることを願 ってお ります」 と結 びました。
はいえ、時間に制約がある会議の こと、思案 の結果、開
フォー ラム広島は、5月 17∼ 18日 、広島国際会議場
会式前 の「プ レフォー ラム・ ワー クシ ョップ」、2日 目
昼食時の「ポー ル・ ハ リス・ ランチ ョンミー ティング」
で開催 され ま した。参加者 は 2,485人 。 うち海外か ら
とい う形で、若 い人たちが中心 になって議論する場が提
は 52か 国、350人 が参加 しました。本会議場でも、プ
レフォー ラム 。ワー クシ ョップやポール・ ハ リス・ ラン
供される ことにな りました。
チ ョンミー ティングの会場でも、
席が足 りずに立 った り、
本当に欲 張 りな、 さまざまな企画が ビ ッシリ詰 まった会
通路に座 り込んで、ス ピーチや討論を熱心 に聴 く姿が散
合で した。それで も退屈する ことな く、
疲れる ことな く、
見できました。
多 くの人たちが感動する ことができたのは、若 い人たち
田中氏の平和への思 いを受けて、 ロータリー世界平和
このフ ォー ラムが、 日本で開催 されるロー タリーのほ
かの会合 と違 ったのは、それだけではあ りません。若 い
人 の姿が多か ったこと。 日本だけでな く、海外からの若
本会議や友愛 の家 のパ ネル・ セ ッシ ョンな ども含め、
の積極的な参加があ ったか らか もしれません。
ロータ リー は国連 に信頼 されたパ ー トナ ー
考 えた り、討論をする場が多かった こと。多 くの ロータ
開会式には、前述 の 田中氏をは じめ、3つ のロー タリー
世界平和フォー ラムの委員長を務めるルイス・ビセンテ・
リアンが、若い人たちの話を温か く見守 り、頼 もしそ う
ジアイ 氏、 ロー タ リー財 団管理委員長 の ウィル フ リッ
に聴 いていた こと。
「この フォー ラムは、 これだけで終わ るのではな く、
・ウィルキンソン氏、そ して、 RI事 務総長 のジ ョン・
ド
ヒューコ氏が スピー チを しましたが、一番 の 目玉は「手
このフ ォー ラムを始ま りにしたい。若 い人たちが平和 に
をつ な ぐ国連 とロー タリー」 とい うテーマの アレクサ ン
ついて考 えるきっかけを提供 し、 ロー タ リアンの平和
ダー・ メ ヒア氏の基調講演だった と思います。 メヒア氏
への思 いを 引き継 いでい ってもらう契機 に したい」。 こ
は、前国連訓練調査研究所 (ユ ニ タール)広 島事務所所
のフ ォー ラムのホス ト委員会委員長を務めた川妻二郎氏
(第 2710地 区 。広島南 RC)は 、田中氏か らの依頼を
長 で、現在 は 国連 CIFALグ
受けた時か ら、ずっと思い続けていました。
田中氏 の 「平和 へ の思い」、川妻氏 の「次世代へ の継
らもインターア クター として活動を した経験を持ってい
者 の姿 も日立 ったこと。それ らの若い人が発表を した り、
ローバル ネ ッ トワー ク
ディレクター です。彼は、 ロー タリアンの父を持ち、 自
ます
(メ
ヒア氏のイ ンタビューを『友』誌 2012年 12
承」、二つの熱 い思 いを形 にするべ く、ホ ス ト委員会 の
メンバー をは じめ、広島のロー タリアンたちがさまざま
月号横組み P18∼ 19に 掲載)。
な方向か らフォー ラムの準備を重ねてきました。
ロー タリー と国連の関係 に移 しました。
「国際 ロータリー
そ して、その思いは、ロー タリーに関わ った多 くの若
メ ヒア氏は、 自分 とロー タリーの関係 も紹介 し、話を
と国連 との ミッシ ョンが非常に重要です。 ロー タリアン
ロータ リーの友
43
は 国連 の創設 に非常 に大 きな役割 を果
いかに取 り組むか ― 個人 のキャリア
た しま した。 49人 の ロー タ リア ンが
として一」 E「 情報通信技術
サ ンフランシス コ会議 に参加 し、そ し
は、平和の敵なのか見方なのか ?」 で
て国連憲章の草案 に 関わ りま した。 こ
す。
(ICT)
れ ら全 ての 方 々が 、平和 の構築 を重要
5つ のセ ッシ ョンは違 ったテーマ で
だ と考 える全 ての国々に力を与 えた と
開催 され ましたが、そ こで 出た結論、
思 い ます。 そ して、戦争を繰 り返 さな
いために、国連 とい うものを つ くった
成果 には共通するものがあったようで
す。平和へ のキー ワー ドは「そ こに人
ことにおいて、非常に大 きな役割を果
がいる」 とい うこと。
Eセ ッシ ョンは、情報技術 とい う平
た しま した」
和をテーマに した議論ではあまり取 り
上げられないテーマ で したが、同セ ッ
両 者 の協 力 関係 の歴 史 につ い て
「ロ ー タ リー と国連 は、非常 に長 い協
力 の 歴 史 が あ ります。 1942年 、 21
か国のロー タ リー クラブが ロ ン ドンで
アレクサンダー・ メヒア氏
シ ョンの コー ディネー ター を務めた清
「平
泉女子大学准教授 の 山本達也氏 は、
教育、科学、文化を促進するための行事を実施 しました。
和 に関 して扱 ってきた伝統的な トビックスはい くつかあ
この行事が、現在 のユネスコの前身 とな りました。 ロー
りますが、情報通信の技術をあえて一つのテーマ として
タリー と国連は、それ以来、
非常 に近 しいパー トナー シッ
ワー クショップを開 こうとい うロー タリーの試み にびっ
プを組 んで、ポ リオ・ プラス、さまざまな国連の機関 と
くりするとともに、私 自身は 21世 紀 の新 しい平和を考
協力を続けてきました。 ロー タリー は、ユ ネス コ、国連
えるには、 この テーマは避けて通れないだろうと考えて
において、
諮問的な立場を有 しています。 ロー タリー は、
60年 以上、国連 の非常 に信頼 されたパー トナー として
い ます」と述べ ました。 しか し、この新 しいテー マのディ
スカ ッシ ョンで も、「そ
の役割を務めてお ります。 ロー タリーの理想は、国連に
の 向 こ うに人がいるとい
とってもモデル となるものです。国際 ロー タリー の理想
う こ とが 平 和 につ な が
とコンセ プ トは、 これか らも国連を導いてい くことと思
る」すなわち「人 と人 と
います」 との期待を述べ ました。
のつなが り」がキー ワー
そ してアーサー・ フレデ リック・ シェル ドン氏の「最
ドとして出ていました。
もよ く奉仕する者、最 も多 く報 いられる」を紹介 し、
「こ
また、 ロー タリアンが
のシェル ドン氏の言葉を胸に刻み、皆さまにも世界平和
若 い 人 た ちの議 論 を 聞
を推進する旅をぜひ続けていただきますよう、お願 いい
た します」 と話を結びま した。
そ こに人 がいる
第 2日 の全 体 フォー ラム Iの テーマ は「新世代 は平
和 のために何をなすべ きか」。前 日、開会式前に開催 さ
れた「プレフォー ラム・ ワー クシ ョップ」の報告で幕を
開けま した。ワー クシ ョップでは、若い人たちがテーマ
ご とに A∼
Eの 5会 場 に 分 か
れて、
意見交換 を しま した。テー
マ は、 A「 世界 と私 たちは どう
つ ながっているか ?」 B「 宗教・
文化・ 生活習慣 は平和 を阻むの
か ?」 C「 戦争 と平和 のために、
国家 の果 たす べ き責任 とその特
性 は何か」 D「 地球規模課題 に
フロアからも積極的に発言
平成 25年 7月 号
(写 真右)
ロータ リーの友
45
き、時 には発 計す る とい う機会 は、双方 に とって新 しい
発見があ つたよ うで 「世代 を超 えて同 じ認識 を もって い
えた ことを紹介 しま した。そ して 「 障界 で起 こつてい る
問題 の把握 、問題 に対す る解決策、 平和 とは何 か、 どう
る こ とがわか ったJ「 ロー タ リア ン と才Tい 世 代が 一 緒 に
活動 で きた らJと い う意見 もあ り、 この ことは、 これか
した ら平和 を達成できるかを考 え、社会 を平和 に近づけ
るための行 動 をす る とい うプ ロセ スを経 て、 平和 と関
らの ロー タリー の活動 につなが ってい くもの と思われ ま
わ ってきま した。私個人 で及ぼす ことのできる範囲には
す。
限界 があ りますが、今後 も自分 のできる範 囲で、平和構
築 に貢献 していきた い と思 ってお ります Jと 結び ま した。
ロー タリー 平和 フェ ロー は、 ロー タ リーの
l1/和 へ
の取
り組 みを形 に してい る一つの例 だ と思 いますが、イギ リ
スのブラ ッ ドフ オー ド大学 のロー タリーセ ンター に留学
全体 フ ォー ラム Iの 最後 には、フ ロ アか らの発言 の時
‖│が 設 け られ ま したが、 この 場 面 で もいつ もと違 ってい
中 のフ ェロー 、新屋 山美 7・ さんが 自らの経験 を紹介 しま
′
した。広島県尾道市 で生 まれ育 つた新屋 さんは、小学 │:
ま した。通常、 日本 のロー タ リーの 会議 では、 マ イ クに
並 ん で発 言す る人 はあ ま りい ませ ん。 しか し、今 日│の
の ころか ら原爆や平和 に 関す る授
業を受 け、考 える機会 を持 つてい
ま した。
大学 で政治学を専攻 した新屋 さ
ん で す が、 いF和 とは何 な の か J
とい う課題 を解決す るために、 11
の根 レベ ルで活動 してい る NG0
2人 の 発 計が終 わ つた ころか ら、
会 場 にあ る 2本 のマイ クの 後 ろに人 々が 並び 出 し、 30
フ ォー ラ ムは 、初 めの
分 の 時‖!で は発言 できな い人 もいるほ どで した。若 い人
たちの熱心 な議論 の 成果 や取 り組 みを聞き、 ロー タリア
ンも大 いに刺激 を受 けたのか もしれ ません。
「今、私 たちは、 ツイ ッター や フ ェイ スブ ック とい つ
た情報通信技術 の ツールを手 に しま した。 その ツー ル を
活動 を した後、 カンボジアで教 育
使 って、い ろいろな人 に私 の平和 へ の決心 を呼びかけて
広 げて い く、そ の ことを 皆 さん も決心 していただけれ ば
支援 を している NGOに 就職。 そ
と思 います 」
の集会 に参加 した リボラ ンテ ィア
の後、青年海外 協力隊 としてカメ
「 どん なに科学 が発展 して も、人 と人 との つ なが りが
ル ー ンで 活動 した経験 を通 して考
いちばん人事 になるのではな いか と感 じま した。意見 の
違 いや対立 もあると思いますが、そ こ
この言葉 は 、戦争 に至 る原 因 の一つ
に相手を尊重す る とい う ことが あれ
を よ く表 してい るよ うに思 い ま した。
ば、
解決する ことができると思います。
あの湾岸戦争の時、私 たちがテ レビの
私 自身、そのために友達を増や したい。
画面を通 して見 た爆 撃 の 光景 は、 まさ
国の名前を聞 いた時 に、誰か具体的な
にバー チ ャル な世界の よ うで した。そ
友人 の顔が出て くるようにな りたい」
の 下 に 、爆撃 にさ らされて逃 げま どっ
「私 の学校 にはいろいろな 国か らの
ている人 々、命 を亡 くした人 々がいる
留学生が来てい ます。その人が この 国
とい う ことを想像す るのは容易ではあ
の人だか らとい う考えが差別につ なが
りませんで した。 この フォー ラムの さ
ると思 っています。一人ひ とりの人格
ま ざ まな場 面 でキ ー ワ ー ドとな った
を尊重 して、お互いに認め合 ってい く
「そ こに 人 が い る」 とい う こ とを 、私
ことが何 よりも平和につながると思い
たちはいつ も意識 していなければいけ
ます」
「危機感をシェアす る こと。毎 日の
ない、そ う思 い ま した。
渡部朋子氏
渡部氏 は「原爆が投 下され、そ の 年
14万 人 の 人 が亡 くな りま した。今
生活 の 中で、家族や友 人、公 の 場 で
に
ちょっとした 自分 の危機感を シェアす
の広島か らは想像 できない、色のない
るだけで、
平和 について無意識な部分、
灰色 の街 です。広島は、戦争 が終 わ っ
知識がない部分 について、よ り意識的
て市 民 の 意 思 で 平 和 都 市 に な りま し
になれるのではないか。それが平和へ
の第一歩 になると思 い ます」
た。被爆者 の方 々は廃墟か ら立 ち上が
り、世界 中 の 多 くの方 々が 助 けて くだ
さい ま した。家族 と街 を再生 させ、 自
誰 にも同 じ思いをさせてはいけない
らの人 間性 も回復 していかれ ま した。
午後 の全 体 フ ォー ラム Ⅱのテーマ
は 「平和 はあなたか ら始 まる (Peace
被爆者 の 方 々の経験 は 、 二 度 と誰 に も
Begins with You)」
いや りの言葉 に集約 されてい る と思 い
同 じ思 いをさせ てはいけない とい う思
まず、 特 別 非 営 利 活 動 法 人 ANT―
Hiroshima理 事 長 の 渡部朋 子 氏 の 話
ます。広 島 には 、戦争 と平和、死 と生、
ナス リー ン・ アジミ氏
破壊 と再生、悲劇 と希望、両方の経験
か ら始 ま りました。「原爆が炸裂する前、広島は どのよ
が あ ります。 この二つ の 広 島 の 経験 は 、世界 の 人 々に、
うに見えてい たのか。 この素朴な疑問か ら爆心地か ら広
島を撮 ってみたい と思いました。ヘ リコプターをチャー
私 たちは変わ る ことが で きる、未来を変 える ことがで き
ター して、航空写真家 に撮 っていただいた写真を見て、
と述 べ ま した。
る、とい うメ ッセー ジを 具体的 に伝 えてい る と思 い ます」
私は驚きました。 まるで模型の街 のよ うに見えます。人
そ して 「私 たちは これか らも、平和 を伝 え、平和 をつ
の気配が感 じられ ません。戦争の視点 とはこうい うもの
くり、平和の担い手を育て る とい う活動 を、誠実 に こつ
か、 と思いました。現実 には、 この街 には人々の営みが
こつ と続 けてい きたい と思 っています 。 そ して 、平和 の
あ り、その人々には家族があ り、夢があ り、未来があ り
ためのネ ッ トワー クが、世界 中 に張 り巡 らされ る ことを、
ます。車 も電車 も走っています。でもそれは感 じられ ま
心か ら願 って活動 してい ます」 と結 び ま した。
せん。現実 に迫 るには創造力が必要だな と思 った次第で
元 ユニ タール 広島事務所所長 のナス リー ン・ アジ ミ氏
は、 グ リー ン・ レガシー・ ヒロシマ 。イ ニ シアテ ィブの
もあ ります」
共 同創設者・ コー デ ィネ ー ター と して、
「広
広 島で活動 を続 けてい ます。彼女 は、
島 は人 類 に とって とで も大 切 な都 市 で
す。私 たちは人 間を中心 に考 えていかな
ければいけ ませ ん。全 ての ことは二 次的
なんだ とい う ことを啓示 して くれて いる
都市 だ と考 えています。広 島は、 当時 の
ロー タ リーの友
47
「広島で過去 68年 間 に何が行われてきたのか、
そ して、
.17●
1,(1:
ご紹介 したい と思 い ます。 まず、“
忘れないが許す"と
平和は
い うことです。広島の市民 は、憎 しみを持 ったまま人生
を送るとい うのは無駄だと考 えて、忘れない けれ ど、す
べ ての過去を許 していこうという決心を しました。 もう
一つ広島が人類 に残 したことは、“
私 たちみんなが失敗
を した"と い うことです。終戦の時の大統領はアイゼン
ハ ワーですが、彼は “これか らは自分たちの リソー スを
どこに活用 してい くか とい うことを考 えていかなければ
いけない"と 話 しました。 ロー タリアンの皆さまが 120
万人 の会員を全員動員 して、武器を放棄する重要性を訴
えて くだされば、非常に有効なことだと思います。悲 し
いことですが、 世界ではた くさんの紛争や戦争が起 こっ
ています。 ロー タリー が理想 としている世界をつ くって
いか なければな りません。戦争をな くしていか なければ
と
J…
…
人類は生 き残 ってい くことができない と考 えます」 と述
レ
朽
夏ィ
墓
観
llヮ
J)
ひろしま平和宣言
人 日の
3分 の 1が 亡 くな った とい う現実 か ら考 える と、
今 日、 この都市 が残 ってい る とい うことも非常 に奇跡 的
べ ました。
グ リー ン・ レガシー・ ヒロシマについ ては、「2年 前
に活動を始めました。市内の約 55か 所 に、 100以 上の
本が被爆後 も生き残 っていたことがわか りました。生き
残 った木を、世界中のいろいろな場所 に植樹する活動を
行 っています。ポール・ハ リスは非常に木が好きで、訪
な ことではないか と考 えます 」 と、広 島 とい う街が持 つ
れるところに植樹を していた と聞 いています。ですか ら、
ロー タリー でも、原爆で生き残 った広島の本を いろいろ
重要 な役割 について触れ ま した。
な所に植 えていただきたいと思 います」 と、ロー タリア
ンに協力を呼びかけました。
17日 、プレフォーラム・ ワークシ ョップはどの会場も盛況 (写 真
左 2枚 )。 18日 、食事の時間も惜 しんでポール・ ハ リス・ ランチ ョ
ン・ ミーティング (写 真中 2枚 )。 18日 、会議終了後、「エコ風船
平和の鳩」を飛ば しま した。中央は田中 Rl会 長 (写 真右)
この全体 フォー ラム Ⅱでは、 このほかに、元 RI理 事
の渡辺好政氏、米山記念奨学会理事長の板橋敏雄氏、 R
I会 長エ レク トのロン D.バ ー トン氏、RI会 長ノミニー
の黄其光氏、 ロー タリー財団管
理委 員長 エ レク トの李束建 氏
ら、 ロー タリーの リー ダー たち
も、 ロー タリアンの視点か らス
ピー チを しました。
若 い人たち との共演の始 ま リ
盛 りだ くさんのプ ログラムも
閉会式を迎える時間にな りまし
RI会 長 の 日I中 作次氏は、「私 に とって、
また、 ロー タ リー 全体 に とって、 この一年
き ピ 聾
ノ
,
宣 言Jを 発表 しま した。
ザご舶
タ リー 世 界 平和 フ ォー ラム 委 員長 のル イ
ス・ ビセ ンテ 。ジアイ 氏が 「ひろ しま 平和
F
た。閉会式では、2012-13年 度 RIロ ー
は大変充実 した年 で した。 は界 中で “
奉仕
を通 じて平和 を "の テーマ が実現 され、ロー
タ リー の奉仕の力をロー タ リア ンが 再発見
す る様子を数多 く│]に して きま した。今年
度 は 多 くの ロー タ リア ンの イ ベ ン トに出席
し、 ロー タ リー につい て、大 勢 の 方 々が 語
るのを 聞 く機会 に恵 まれ ま した。 中で も一
番好 きだった例 えは、水面 に投げ られ た小
石 にロー タ リー をなぞ らえた もので した。
投 げ られた小7Tは 役 日を終 えて水 の 底 に沈み、そ こに と
た。今 日の 日本 は 、完璧 ではあ りませんが 、国 として 平
どま ります。 しか し、その 石が生み出 したさざ波 は 、 ど
和 を守 っています。 この選択 は 、多 くの良い ことを もた
こ まで も及 ん でい きます 。 小 さい子iは 小 さな 波 を生み 、
らしま した。 これ は、世界 のほかの │]々 が学ぶ ことがで
大 きい石 は大 きい波を /tみ ますが 、
石 がFLみ 出す影響 は、
きる ことではないか と思い ます 。そ して 、今 日、最後 と
その石 El体 よ りもず っ と大 きい もので す。 ロー タ リー の
な るロー タ リー 世界平和 フォー ラムを後 にす る皆 さまに
奉仕 も同 じです 。 ロー タ リー の 活動 は 、実 にさまざ まで
は、平和 を どう定 義す るにせ よ、それはロー タ リー に とっ
す。 どの活動 に して も、 私 たちは 日標を決 めて取 り組み
ての究極の、そ して実現可能 な │]標 である ことを ご理解
ます。 しか し、実際に これ らの 活動が及ぼす影 響 の全体
いた だきたい と思 い ます。 平和 は政府 間 の 協定や闘争 だ
を知 る ことはできませ ん。私 たちは、 ただ十分な成果 を
けで実 現す るものでは な く、 日常の簡 単な方法の積み 重
もた らす 良い活動 が で きたか どぅか を知 るにす ぎ ませ
ん。 しか し、 しっか りとした奉仕活動をすれば 、そ こか
ね によって成 し遂 げ るものです Jと 締め くくりま した。
フォー ラムはオー プニ ングも飾 って くれ た Childrenis
ら生 まれた影響 は、遠 くまで波及 してい きます 。家族が
Creative Play for Peace―
よ り健康 にな り、地 域 に希望が もた らされ 、人 々が互い
に仲 良 く暮 らせ る社 会が生 まれ るで しょう。 一つ ひ とつ
よって 、全 ての プログラムを終 えま した。 しか し、 これ
“
I Pray"の 子ど もた ち と、
田中作次氏 、 ルイス・ ビセ ンテ 。ジア イ氏 との ダンスに
の ロー タ リー プロジェク ト、 一っ ひ とつの奉仕が、愛 と
が終わ りではな く、若 い人 たち とロー タ リア ンの共演 の
思 い や りを 育み ます。 適切な方法で J:し い理 Jlの ために
始 ま りであ る こ とを、 多 くの ロー タリアンが 心 に深 く刻
奉伺fす れば、 平和 と調和の中で人 々がい ったい となれ る
んだことと思 い ます。
はずです」 と述 べ ま した。
そ して 「 日本人 は、 新 しく近代的で平和 な巨1に な ろ う
と懸命 に働 きま した。 少 しずつ 障界 に対す る見 方 が 変わ
り、世 界 の「]本 に対す る見方が変わ りま した。それ は 国
民全体 の意 J思 による ものであ り、繁栄す るには変わ らな
けれ ば な らな い と人 々が ri党 した こ とに よる もの で し
)
ざ
.
*役 職は、すべて開催
J`時
取材『友』編集長
二神
典子
のものです。
*「 ひろしま平和lt:IJ(英 文・│]本 文)、 当日の写真は、Rotav
JapanJ(www rotaり prjp)に 掲〕
1載 しています。
1・
ベル リン・ ピース・ クロック・ イニシアチブ代表のイアンス・ ロー
レンス氏か ら田中会長に贈 られたベル リンの平和時計 (写 真左)。
世界各国から送られた折鶴の送 り主を確認する田中作次会長と京子
夫人 (写 真中央)。 笑顔で記念撮影の依頼に応 じる田中会長 (写 真右)
田中作次 RI会 長
m ]apan
l;Lr tl L
広 島県知事 を訪 問
5月 16日 、 1日 中作 次 RI会 長は、 ロー タ
リー Lu界 平和 フ ォー ラム委 員長 のルイ ス・ ビ
セ ンテ 。ジア イ元 RI会 長 らとともに、湯崎
英彦広 ケ
県知 J「 を訪日l 型 11か ら広 島で開催
lニ
す るロー タ リー 1崎 界平和 フ ォー ラムについて
話 しま した Ill中 氏か らは 自身 の 平和 への思
い、 ロー タ リー の 取 り率
Hみ につ いて 紹 介 し、
湯崎知 '卜 か らは クロー バル な関係 にお いて 平
和が とて も大 L/Jな 1川 題 であ る ことな どの lflが
あ り、
和やかな雰 囲気 で意 見交換 を しま した。
広 島市長 を訪 問
5月 16「
l、
lll中
一
十
作次 RI会 長 一行は、松 り
トl市 長は、広島の
11広 島市長を訪‖│し ました.1/A・ リ
all妹 都市 ドイツ・ハ ノバー を訪問 した折に、同 :li
にあるロー タリー クラブか らl11中 氏へ と託された
クラブバナーを渡 しま した=松 井氏は、「`和に供
して広島の持 つ価値・ 意味について[ギ iり 、‖1中 氏
`
は「 ‐
度来て見ていただきたい。広1,1は 和をつ
│
!え
くる徘iで す」 と話 しました。
よ
ロ ー タ リー を 広 報
5,!16日 、 ││1中 作 次 RI会 長、
ルイス・ ビセ ンテ ・ ジア イ′
こRI会
長 らが記 者会 見を開 き、 ロー タ リー
lit界
平和 フ ォー ラムやポ リオ撲滅 な
ど、 ロー タリーの 活Illlに つ いて 〔
明
Iり
を しま した。
50
THE ROTARY―
NO―
TOMO
2013 VOL 61 NO.7
原 爆 の犠 牲 者 を慰 霊
5り
!17日 の
1り l、
・ウィ
円中作次 RI会 長、 ウィル フ レッ ド
ルキ ンソンロー タ リー │け IJ11・ f理 委 員長が、原爆 の犠ヤL者 に花
輪を ささげ 、同席 した各 1可 か らの ロー タ リア ンたちが黙祷 し
ま した その後 、 一行 は広 lil` 14和 記念資料館 を訪 ll‖ し、広 島
に投 ドされ た原爆 の恐 ろ しさを あ らためて実感 した様 rで 、
見学後 、川中氏 は 、平和 への メッ
熱心 に見学 を していま した
セー ジを したため ま した
広 島 安 佐 ロ ー タ リー ク ラ ブ 例 会 に 出 席
会 員数約
20人 の 広 島安佐 RCの ″1会 に、 IIl中 R
I会 長 人 妻を は じめ 人勢 の シエ ア リー ダー が 出席
Peace
thrtLrgh \crrirc
彗仕を通し
て平和を
卜
1ク ラブでは、いつ もの様 rを 見て もらいたい と ,キ
段通 りの例 会を開1拮 して、 ^行 を迎 えま した ゲス
ト紹 介で タンバ リンや鈴 を鳴 ら しなが らの歓迎 を受
け、 くつ ろいだ雰 Llll気 で例 会が進行 しま した
*役 職 は、すべ て 」111キ の ものです。
平成 25年
7月 号
ロータ リーの友
51
被災地石巻市 立湊 中学生を善通寺 に招待 して交流
J
「
』
(RC)は 、Aill立 45周 年記
屋島な ど、県内の鶴!光 地 で交流を深め、 rj中 学校 との交
念 J「 業 の一 環 と して 、γfblliり it石 巻 市 立湊 中学 校 の生 徒
流では、被災 の様 rを ス ライ ドで説明 した り、みんなで
12人 、教 113人 を 3月 23∼ 25‖ の 3日
香川 県
復興 支援 ソン グ 「化 は咲 くJを 合 l唱 した り、湊中学校の
こlイ1待 し、地ソこJi通 キ市立 lll・ 束両中学校 との
ケlド ι
善通 、
ま した。 ま
校 歌を こち らのブラスバ ン ドが演奏 した りし′
交流 を図 りま した。
た、 両中学 /Fの 代表 と「さぬ き うどん作 り体験 Jや 瀬戸
li通 寺 ロー タ リー クラブ
:卜
イi巻 南 RCの 会 長、幹 J「 を力llえ た総 〕
1当 !、
17人 と J`ク ラ
ブ 会 11は 、歓迎夜 間例会 、総本 山 善通 寺や金 ノ
J比 羅宮、
1心
は 共
lこ
人橋 の最
11部 か らの │り
を楽 しみ ま した。翌 日載 った新
`望 徒 たちは大変喜んでい ま した.
聞記事 (2紙 )に 湊 中 の生
│
THE ROTARY―
NO―
TOMO
2013 VOL.61 N07
善通寺RC 林
忍
自分たちの記事を見て喜ぶ生徒
たち (前 ページ)。 善通寺 RC
の夜間例会に出席 (上 左 )。 瀬
戸大橋 スカイツア ー (上 右 )。
石巻南 RC幹 事・ 門脇政喜氏が
善通寺 RC創 立 45周 年記念講
演 (中 左)。 さぬきうどん作 リ
に挑戦 (中 右)。 うちわへ の文
字入れを体験 (下 )
また、
石巻南 RCの 協力 により幹事 の門脇政喜氏 には、
善通寺 RC創 立 45周 年記念 として「東 日本大震災を経
験 して」 とい う演題 で市民約 300人 に向けて、講演を
していただきました。
か ら始 ま り、昨年 9月 、石巻 の湊 中学校仮校舎 を訪れ
たことで、具体化 したものです。
笑顔 での別れにな りま した。湊中学校 の生 徒 たちに
とって、香川でのいろいろな体験が学校生活 の励みや人
この事業は、震災直後に、善通寺にある陸上 自衛隊第
生へ の希望 になれば と思います。そ して、今年度 も形を
14旅 団 の援助活動場所であった宮城県石巻市を当クラ
変 えて微力なが ら応援 してい く予定です。 ※文中の肩書
ブの有志が訪問 し、石巻 の 4RCと の交流を持 ったこと
はす べ て当時のものです。
(第
2670地 区 香川県)
束 日本 大 震災
平成 25年
7月 号
ロータ リーの友
ロー タリア ン として今何 をなすべ きか
第 2520地 区震災復興支援プロジェクトチームリーダー
20H年 3月
伊藤
メぎ臣
(水 沢東
!
RC)
11日 14時 46分 、未曾有 の 震災 が 東
し難い問題を解決するために立ち上がれるのは、わが「国
日本 一帯を襲 った。さらに、数十分後 には沿岸一帯 に 巨
際 ロー タリー (RI)」 以外 にない もの と確信す る。 も
大な津波が押 し寄せ、ほ とん どの町はまさに壊滅状態 と
な った。死者・ 行方不明者 は 2万 人 に及び、そ の 後始
はや被災地 には戻れない、安住 の地を探すすべ もない被
災者 に代 り「被災地区のロー タリアン」 として英知を結
末には考えが及ばない状態 にある。大 自然 の怒 りとも思
集 し、 RIの あ らゆるプロ グラムを活用 し、一 日も早 い
える、想像を絶するものであった。
復興 に向か って行動を起 こさなければな らない。
その時、世界中か ら寄せ られた同情 と援助の波はそれ
震災後 3か 月を過ぎた一 昨年 6月 、地区の同志で「復
を上回るものがあった。特にロー タリアン各位か ら寄せ
興支援プ ロジェク トチー ム」を立ち上げ災害支援、復旧
られた想像以上の義援金 とそれを上 回 る支援物資 には 目
支援を続け、地方 自治体 との話 し合 いを交えながら今 日
を見 張 るものがあ り、む しろその配分 と配送のために、
を迎 えているが、本 当の復興はまさにこれか らである。
終 日追われ続ける日々が数か月続 いた。
日前で仲間たちが、仲間の家族が、友人が、知 り合 い
この時代 に居あわせ たわれわれ ロー タリアンは、「今何
をなすべ きか」真剣に考 える時である。
が波にのまれ、行方知れず とな り、残された人 々が途方
震災に対する人 々の認識、関心、そ して同情は震災当
に暮れている現実を見過 ごすわけにはいかない。われわ
時 と比べ ると、まさにケタ外れに風化 してお り、 このま
れ 自身 が立 ち上が らなければ誰が復興をな し得 るのか。
までは活用できる資金はもはや無 に等 しい。それには、
1000年 に一 度 とい う最悪の惨事を経験 した人 々に、 こ
今 までの支援のお礼 と感謝の気持ち と共 に更な るお願い
れ以上不安な、
不幸な人生を送 らせるわけにはいかない。
を しなければな らない。同志のたゆまない支援を心 か ら
2年 4か 月を過 ぎた現在、 日本政府 としては福島県の
望んでやまな い。 ロー タリーの奉仕活動 の柱 は、人道的
奉仕、教育的奉仕、 そ して環境保全にあるべ きであると
原子力発電所 の対応・ 処置を は じめ災害救助に追われ、
また被災者の仮設住宅での生活 も期限を過ぎ、いまだに
考 える。今 こそロー タリーのロー タリーたる存在を示す
瓦礫 の処理す らや っと 60%程 度 と言われてお り、その
時ではないだろ うか。
先 は全 くめ どの立たない状況にある。
被災地 の住民 が最 も望んでお り、必要なものは将来安
最小限度、復興支援活動を風化 してはな らない。われ
われだけで不可能な活動は世界中のロー タリアン、同志
心 して暮 らせる生活の場 と生活 に欠かせない産業の復活
に協力をお願 い し、共に考え実行 していきたいものであ
である。同時に、 自分 の力ではいかん ともし難い被災遺
る。それには現状を説明 して歩 くな ど、いかなる労 も惜
児ならびに被災孤児に関 してのケアは、今後数十年に及
ぶ問題 となろう。今 こそすべ ての人々に生活の基盤・ 安
いただき、 ロー タリアンの皆さまか らの切なる協力をお
住 の地を確保す る手段が求められている。
政府 の手 の及 ばない、地方 自治体 自体 ではいかん とも
しまない。今後 は順を追 ってプロジェク トを発表 させて
願 いす るばか りであ る。
(岩 手県 。
宮城県)
活気 に満 ち た漁協 ヘ
水沢 いさわ ロータ リー クラブ
3月 13日 、被災地復興支援 として、大船渡吉浜
漁協 へ 、軽 トラ ック 1台 と トル コか らの 「お守 り」
の 付 いた千羽鶴 を贈呈 しま した。大船渡西 ロー タ
リー クラブ (RC)、 トル コ (第 2420地 区)。 ガイ レッ
テペ RC、 また多数の人々の尽力による、気持ちの
込め られた軽 トラックです。 一 日も早 く以前にも増
して活気 のある漁協 に復興 され ます ことを、会員 と
ともに願 った次第です。
(第 2520地 区 岩手県)
心 は 共
54
:こ
THE ROTARY― NO―TOMO
2013 VOL.61 NO.7
国際大会 カ ウン トダ ウ ン
シ ドニ ー 。オ ベ ラハ ウス
は、アー ノル ド・ シュワル ツネガー)
統計
や、 1987年 には当時のロー マ 法 [ヨ
ハ ネ 。パ ウ ロ 2世 の 演説 の 会場 とな
全世界 ロー タ リア ン総数
りました。 このオペ ラハ ウスで、来年
クラブ数 34,380ク ラブ
6月 2[│に は、シ ドニー 交響楽団 によ
地 区数
る ロー タリー のための特別演奏会が開
国 と地 bJi 200以 上
催 されることにな ります。 [1本 語 のガ
ロー ター ア ク ト会 員数 227,677人
イ ドによる、見学 ツアー もあ りますの
クラブ数 9,899ク ラブ
で、 :ユ めの 予約をお勧め します。
国 と土
也域
2014年 国際大会 へ の登録 は w―
riconvention.orgttaか ら。
.
1,215,679ノ k
537地 区
160以
イ ンター ア ク ト会 員数 358,110人
クラブ数 15,570ク ラブ
国 と地域
120以 L
2013年 3月 31日 現在
今後 の Rl国 際大会
2014年 6月 1∼
4 Liに 国 際 大 会
が開催 されるオー ス トラ リア・ シ ドニ
2014年 6月 1∼ 4日
の
里
I二 員
漂
オ ー ス トラ リア・ シ ドニ ー
ー に着 くとまっ先に Hに 付 くのが、船
の帆 のような形を した屋 根が印象的な
シ ドニー 。オペ ラハ ウスです。
11
*2013年 4月 5日 現在
**2013-14年 度
ROTARY
管理委員長の思い
出
N鳶質
[翠。
Ljp
0上
日標を立てて素晴ら しい―年に
定工 壼
2013-14年 度ロータ リー財団管理委員長 李 東建
このオペ ラハ ウスは、デンマー クの
建築家、 ヨー ン・ ウッツォンの設計に
い よい よ新
はポ リオ・ プラス基金に寄付 し続け
よるもので、 1956年 に地元 ニ ューサ
年度 とな りま
るので しょうか。それは、その寄付
ウスウェールズ州 政府が公募 したデザ
した。 ロー タ
によって、人 々に真 の恩恵を末永 く
イ ンの 中か ら選ばれました。一説によ
リー の 核心 と
もたらす ことができ ると知 っている
ると、ほかの審査員 によって封I下 され
な る部分 は変
か らです。
た このデザイ ンを、アメ リカの薪名な
わ りませ ん
3つ 目の 目標は、ポ リオ撲滅が実
建築家、エー ロ・ サー リネンが見つけ
が、 クラブ と
現された後 も、新たな未来 に向か う
出 したと言われて い ます。
地区では新 しい リー ダー が、新たな
手がか りとな ります。 この 目標 は、
目標を掲げて新年度を迎えます。
新 しい補助金 モデルの全世界導入を
特徴的な屋根は、2,000以 上の コン
2013-14年 度、 ロー タ リー 財
成功 させ、未来の夢を実践する こと
は重量が 15tに 及ぶ ものもあ ります。
団は、「ポ リオの撲滅」「財団 に対す
です。簡素化された補助金制度 によ
内 部 に は、 1,000を 超 え る部 屋 と 7
る自覚 と誇 りを育む こと」「新 しい
って、クラブは補助金 の 申請が しや
つの演奏会場があ り、メー ンのコンサ
す くな りま した。また、プロジェ ク
ー トホールには、 1万 本 のパ イプを備
補助金モデルの導入」「革新的なプ
ロジェ ク トヘ の参加」 とい う、4つ
えた 世界最大 の機械式オルガンが設置
の 目標を掲げました。
大きな影響を生み出 しています。
クリー ト部品か らできてお り、それに
トを持続可能にする試みは、すでに
されています。
シ ドニー 。オペ ラハ ウスの正式な こ
最初 の 目標 は、皆 さまに とってな
そ して 4つ 目の 目標 は、 よ り公
じみのある「ポ リオのない世界」を現
け ら落 としは、 1973年 、オ ース トラ
実 にす ることです。ポ リオ撲滅活動
平で平和な世界を築 くために、革新
的なプ ロジェク トと創造的なパー ト
リアオペ ラによるセルゲイ・ プロコフ
は、
長 く、険 しい活動ですが、活動が
ナーシ ップに参加することです。
ィエ フの「戦争 と平和 Jの 公演で した
完遂 した時、私 たちは素晴 らしい活
財団がなければ、希望を持てない
が、 1960年 のある []、 声楽家 のポー
ル・ ロブソンがお昼休み の建設労働者
動を達成する ことにな ります。その
子 どもが世 界中に大 勢 いたことで し
業績は継続する ことで しょう。
ょう。皆さまの リー ダーシップが年
この こ とが 2つ 目の 目標 につ な
が ります。ポ リオ・プラスの成功は、
度を超 えて、 これ らの子 どもに希望
ポ リオ・ プラス基金 に寄付 した世界
践 しみんなに豊かな人生を」 もた ら
中のロー タリアンの支援のおかげに
す 1年 とな るよ う、 ご活躍 を心 か
ほかな りません。なぜロー タリアン
らお祈 りします。
たちのために歌 ったのが、本 当の こけ
ら落 としだった と言えるで しょう。
fll年 、数百 の行 事が行われ、 これま
で ミスター オ リン ピア・ ボディー ビル
デ ィング コンテス ト (1980年 の勝者
平成
25年 7月 号
を与 え られ ます。「ロー タ リー を実
ロータ リーの友
55
敬弔 第 2690地 区・ 村江正名氏が 5
月 14日 逝去 され ま した。88歳 。謹
んで哀悼の意を表 します。
(鳥 取 RC会 員・ 198889年 度 G)
新 年度 には
2013-2014年 度
『 ロー タ リ… 手 帳』
ただい ま販売 中
!
「ロー タ リー 手帳」 は、 ロー タ
事務所住所変更
新イ ンターアク トクラブ
リー活動 に役立てていただけるよ
福島 FSG
赤平 (2510。 北海道)
う毎 年、 ロー タ リー 年 度 に 合 わ
(2530・
〒 079-H35赤 平市錦町 1-1
せ て製作 し、新年度用の ものは、
発会
布施洋 一方
鹿沼 (2550。 栃木県)
予定が記入できます。各地区のガ
〒 322-0033鹿 沼市府所町 92-22
バ ナー 名、ガバ ナー事務所 の住所、
エ ス・ コー ポ レーシ ョン内
岡部
(2570・
2013年 6月 ∼ 2014年 12月 の
埼玉県)
小林公認会計 士事務所内
印西 (2790。 千葉県)
の強調月間名な ど、ロー タリー 関
連事項 も掲載 してお ります。
2011-12年 度 か ら、大 き さ
3820
〒 270-1327印 西市大森
斎藤方
も男性の上着の内ポケ ットに入 る
縦長 に一新 しましたが、さらに使
勝山 (2650・ 福井県)
〒 9110811勝 山市片瀬町 1-402
2013年 5月 8日 会員数 18人
〒 963-8811郡 山市方八町 2-4-1
国際アー ト&デ ザイン専門学校 高等課程
会長
折笠
桂子
幹事
宗像
紬
電話 。ファクス番号、Eメ ー ルア
ドレス、地区大会の予定や、各月
〒 369-0201深 谷市岡 2596
福島県 。福島しんたつ)
いや す い よ う、2013-14年 度
『友』誌代等のお振込み・
減部についてのお願い
本年度『友』誌 上半期分 (2013年
7月 号 ∼ 12月 号 )の 友誌代請求書 を、
7月 1日 付で全 クラブヘ お送 りいた し
ました。
なお、預 り金や未収金のあるクラブ
手帳は開き具合な どにさらに微調
には、「預 り金・ 未収金 明細書」 を同
大阪御堂筋本町 (2660。 大阪府)
整を施 し、付録 の年間 スケジュー
封 してお ります。
〒 542-0086大 阪市 中央 区西 心斎 橋
ル帳、ア ドレス帳な どがすべ らな
お振込みの前に、必ず請求書な どの
いよ うに改造、同 じく付録 のロー
金額を、 ご確認 くださるよう、お願 い
タリー資料集 も最新版に改訂。印
いた します。
勝山市民活動 センター 内
エースビル 5階
1-10-4
C号
例会場・ 曜 日・ 時間変更
函館北 (2510。 北海道)
ロワジールホテル函館
石巻 (2520・ 宮城県)中 央 ビル 23号
村田 (2520・ 宮城県)
第 3の み
レス
そば処 金谷〕
児玉 (2570・ 埼玉県)
美味倶楽部なかまち
月
19:00
皆野長瀞 (2570・ 埼玉県)
舞52・
4 18:30
桶川イブニング (2770。 埼玉県)
全例会
また、6月 6日 以降 の会員変動 によ
配慮 したものを使用 しました。色
る減部 は、 7月 10日 までに ご連 絡 い
は ロイヤルブルー 、詳細は 2月
ただければ、「8月 号 ∼ 12月 号」の減
1
日付でクラブにお送 りしたご案内
状を ご覧 ください。現在、追加注
18:30〔 7∼ 12月
トラン城山/1∼ 6月
刷用イ ンクも、 また用紙 も環境に
19:30
文を承 ってお りますが、お早 目の
ご連絡を、お願 い 申し上げます。
11部 630F可
(本 体 600円・消費税 30円 /送 料別)
部 として対応 させていただきます。
7月 11日 以降 に ご連絡 いただいた
減部 はす べ て、下半期 1月 号 か らに
な りますのでご了承 ください。
追加購読は、残部 がある限 りお受け
いた します。随時 ご連絡 ください。
以上、よろ しくお願い申 し上げます。
お申し込みは、 クラブ事務局を
通 して、ロー タリーの友事務所 ま
でお願い します。すでにご注文い
米沢中央 (2800。 山形県)水 →金
駒 ケ根 (2600。 長野県)月 → 火
ただ きま した『ロー タ リー 手帳』
各種変更 はお早 めに
は、 5月 中旬 に『友』誌送付先 と
クラブ事務所 。例会場 。例会曜
袋井 (2620。 静岡県)磐 田グランドホテル
同 じ住所に発送 しました。請求書
日や開始時間な ど、各種変更につ
神崎 (2680・ 兵庫県)
は 5月 25日 付で、 クラブ事務所
いては決 まり次第、友事務所 まで
あてに別便でお送 りしました。
お知 らせ ください。
全例会
福崎町商 工会館
鮮ヨ3(D''18:30
THE ROTARY‐
NO‐
TOMO
2013 VOL.61 NO.7
地区別クラブ数・ 会員数 。出席率一覧表 (2013年 4月 末現在)
『 ロータ リーの友』
英語版 NQ 71ご 活用 を
RC数
地区
送料込 )。 ご注文 はロー タ リーの
友事務所 まで。
◆ ご案内
本 ペー ジ毎号掲載の右記一
覧表 は 3つ の ゾー ン順 で、横組 み P
59奥 付 の、 日本 ロー タ リー 分布図 の
色分け と対照 しご覧 ください。
◆ 訂正 本誌 5月 号縦組み P29の 右
下写真キャプションの中、岐皇県→愛
皿県へおわびとともに訂正 します。
◆ 2013-14年 度ロータリー手帳訂正
①第 2620地 区ガバナー事務所の住所、
電話番号が変わりました。
〒 420-0853静 岡県静岡市葵区追手町
2-12
安 藤 ビル
5階
丁e:.054-253-2620
② 第 2640地 区 ガ バ ナ ー 事 務 所 の 住
所、な らびに電話 。フアクス番号が変
〒 596-0825大 阪 府 岸 和 田 市 土 生 町
66
2,228
2,263
83.81
72
2,621
2,633
84.92
舞52520ナ 也区
81
2,281
2,221
81.82
2530地 区
第 2540地 区
第 2550地 区
第 2560地 区
68
2,326
2,298
82.43
42
1,057
1,020
81.68
50
1,684
1,718
83.44
57
2,052
2.062
84.77
舞事2570'也 区
52
1,753
1,771
83.85
第 27701也 区
75
2,561
2,537
84.00
言第 2790地 区
84
2,756
2,773
83.09
第 28001也 区
52
1,657
1,652
84.87
2820地 区
第 2830地 区
第 2840地 区
第 2580地 区
第 2590地 区
i第 2600地 区
第 2610地 区
第 2620地 区
1第 2630地 区
1第 2750地 区
希第 2760地 区
第 2780地 区
59
2,024
2,076
84.48
41
1.116
1.088
82.92
47
1,922
1,952
83.36
第
71
3,044
3.135
85.70
61
2,198
2,269
86.68
88.71
55
2,043
2,091
66
2,688
2,659
83.67
78
3,049
3,101
90.10
80
3,148
3,220
86.75
93
4,624
4,591
82
4,852
4,907
63
2,253
2.272
7892
9319
8294
\ffi2640tuv^
73
2,082
2.129
85.32
2650地 区
1第 2660地 区
i第 2670地 区
97
4,622
4,615
90.59
83
3,697
3,721
87.00
74
3,004
2,983
8771
第
、舞;26801也 区
74
2,921
2,945
92.44
区
67
3,115
3,129
86.19
2700地 区
曇第'26901也
61
3,183
3,184
90.33
75
3,280
3,301
89.88
穿
1第
2710地 区
穿
区
75
2,444
2,440
85.87
'27201也
1第 2730地 区
64
2,309
2,350
81.06
2740地 区
57
34地 区合計 2,295
2,209
2,209
85.30
88,803
89,315
2-27-1 西栄 ビル 3階
丁el.072-437-2640 Fax.072-437-2650
お手持ちのロー タリー 手帳、その他 の
ご変更をお願いいたします。
ご投稿・ お問い合わせは――
東京都港 区芝公園 2-6-15
黒龍芝公園 ビル 4階
一般社団法人ロータ リーの友事務所
ホームページ
.rOtary.orjp
ー
Tel.03-3436-6651 Fax.03-3436-5956
編集部メール hensyu@rotary no tomojp
平成 25年 7月 号
出席率(%)
2500地 区
言第 2510地 区
第
わ りました。
前年同月末
会員数
第
第
あ らゆるシー ンで ご活用 できる
本 誌 は毎 年 1回 発 行。 1部 525
円 (本 体 500円 。消費税 25円 /
会員数
●
-9ツ ‐ OA 8月
日本の 回―タ リー
会員数 88,515人
クラブ数 2,287
(た の表中 34地 区合計か ら、
第 2750地 区の PBグ ループ
を引いた数です)
ガバナー月信 よ り 第 2750
地区の クラブ数 。会員数 は、
PBグ ルー プ 8 R C 288人
(北 マ リアナ諸島・ グアム・
ミクロネシア・ パ ラオ)を 含
み ます。P4「 日本 の ロー タ
リー」数は、34地 区合計か ら
PBグ ループを引いた数にな
ります。 前 年「nl月 末 PBグ
ループ 8RC会 員数 3H人 。
修 正 本 誌 3月 号 横 組 み
P52(12月 末 )表 中、 第
2650地 区 会 員 数 を 4,595
人、34地 区 合 計 会 員 数 を
88,487人 。 表 外、 P4「 I]
本 の ロー タ リー」最 終行 の
会員数 88,185人 。同 4月 号
横組み P41(1月 末)表 中、
第 2650地 区会員数を 4,613
人、 出席 率 を 8889%、 34
地 区 合 計 会 員 数 を 88,792
人。 表 外、 P4「 日 本 の
ロー タ リー」 最終行 の 会 員
数 を 88,494人 。 1司 5月 号
横 組 み P48(2月 末 )表
中、 第 2580地 区 会 員 数 を
3,039人 、 第 2650地 区 会
員数 を 4,624人 、 出席 率 を
8901%、 34地 区合 計会 員
数を 88,929人 。表外、P4「 日
本 のロー タリー」最終行の会
員数を 88,638人 。同 6月 号
横組み P38(3月 末)表 中、
第 2580地 区会員数を 3,041
人、 出 席 率 を 8545%、 第
2650地 「こ 員 Z故 を 4,605
を 8847%、 34
人、 出 席 率`キ
地 区 合 計 会 員 数 を 88,497
人。表外、 P4「 日本の ロー
タ リーJ最 終行 の会 員数 を
88,208ノ 、
。
*『 ロータリージャパ ンJの
「ロー タリー関連資料Jに は、
データ修正後の表を掲載。
*第 2520地 区の数値はすべ
て概数です。
号主要記事予定
己
事 1 サ クセス・ ジャパ ン大作戦
横 組 み 特集言
特集記事 2 国際奉仕
リスボン国際大会 リポー ト
ロー タリー平和 フォー ラム広島・ 参加者 の声
RIお よびロー タリーの財団国内委員
よねやまだよ り
縦組み
日本・ トル コ友好 の礎
串本町町長 田嶋 勝 正
ロータ リーの友
57
「 ロー タ リー活動」 フォ トコンテ ス ト開催
国際 ロー タリー
!
(RI)で は、ロー タリーの公共イメー
ジの 向上 に力を注 いでいます。ホームペー ジやパ ネル展
送付方法
な ど、広報活動を実施 している地区や クラブも多い と思
応募は、Eメ ール 、郵送 の どちらでもお受けいたしま
す。デジタルカメラの場合、デー タの容量は 2メ ガバイ
います。
ロー タリア ン以外 の人 たちに、 ロー タ リー に興 味を
持 ってもらうためには、地域社会に根差 した、または海
外 のニー ズに応 えた活動を行 うことか ら始めなければな
ト
「写真を使お うと思 つても、いい写真がなか っ
しか し、
た」とい う経験をお持 ちではあ りませんか ?
RIで
は、
(TIFFデ ー タの場合はそれに相 当す る
容量 の もの)。 フィルムカメラの場合、はがきサイズ以
上の紙焼 きをお送 りください。
応募は、2014年 6月 末 まで受け付けますが、送付は、
りませんが、それ らの活動を情報 として発信するために
は、活動の様子がよ くわかる写真が必要 にな ります。
CPEC)以 上
年度末 にまとめてではな く、活動 の都度お送 りください。
なお、お送 りいただ く場合は、メー ルの件名、封筒 に、
「フォ トコンテス ト」 と明記 ください。
広報活動のためにた くさんの写真を用意 し、 RIの ホー
ムページにア ップ していますが、外国の ロー タリアンの
入賞作品について
写真がほとん どで、 日本で ロー タリー を身近に感 じても
①
らえる写真があ りません。
「『ロー タリー活動』 フォ トコンテス ト」を実施 し、国内
にあるロー タリー クラブや地区の、あらゆる方面 の活動
写真を集 め、ロー タリーを知 ってもらうためのツールに
したい と考えました。
つきましては、下記 の要領 で 2013-14年 度 も、ロー
タリー活動 の写真をお送 りください。応募 の 中から優秀
② ③
そ こで、2012-13年 度、『 ロー タ リー の友』 では、
す (そ れ らを取 り置いて ください)。
掲載時 トリミングをする場合があ ります。
掲載 に際 し、賞金ならびに掲載料等の支払 いはいた
しません。
④
ロー タリー に関する出版物、 ポスター な どに事前 の
断 りな しで掲載することがあ ります。
⑤
作品を選 び、『ロー タリーの友』誌 に掲載 します。また、
活動 の様子がよくわかる写真は『Rotary Japan』 にア ッ
プ して、広報ツール として共有 します。
掲載時 にネガフィルム、ポジフィルム、デジタルカ
メラの場合は、解像度の高 いデー タが必要にな りま
原則、応募作品の返却は しませんが、要返却写真 は、
その旨を送付時にお書き添 え ください。
ご注意 ください
「 ロー タ リー・ ア ッ ト・ ワ ー ク」写真編 /文 章編 へ の
応募要領
。写真は何度でも応募できます (た だし、1つ の活動に
つ き 3枚 まで)。
。活動 の 情報 を 150字 以 内 で作成 して、添付 くださ い。
クラブ名、活動 日、活動場所を入れ て ください (制 限
字数 には含 み ません)。
。写真使用時 に、撮影者名 を明記 して掲載す る必要があ
る場合 は、その 旨、明記 して くだ さい。
58
THE ROTARY― NO―TOMO
ご投稿 と同 じ活動 の 写真 の応 募 もで きますが、必ず別 々
にお送 りください 。
◆送 り先 一般社団法人 ロー タリーの友事務所
〒 105-00H
東京都港区芝公園 2-6-15
黒龍芝公園 ビル 4階
TEL 03-3436-6651 FAX 03-3436-5956
E
)-tU
hensyu@rotary-no-tomojp
2013 VOL.61 NO.7
日本 回―タ リー分布図
ROTARY DISTRl⊂ TS
OOOOOO―
―一 地区
○○○○○○ ――― テリトリー
―
――――一
ガバナー名
○○○
□ □ □
第 1ゾ ー ン
第 2ゾ ー ン
第 3ソ ー ン
(埼 玉南東 )
渡邊
和良
2570
(埼 玉西北 )
中丼 員 ― 郎
2660
1
(大 阪府北部
福凛
)
L2640
(大
宏
阪府南部・和歌山)
久保 治雄
『Rotary」 apan』 www,rOtary orJpに 各地区のホームページをリンクしています。
■ 理事会
代表理事
理 事
■職
片岡 信彦
(土 浦 南 )
橋本
長平
(京 都 東 )
中村
昌平
(東
長
渡辺
誠二
(東 京みな と)
編集長
二神
典子
(東 京 築地
編 集
稲川 やよい
中山 義之
(横 浜南 )
(茅 ヶ崎 湘南 )
孝
(横 浜 )
安平 和彦
(姫 路 )
黒野 穣二
野崎 恭子
山名
愛
飯田亜由香
根本
一爾
(郡
松前
憲典
(― 宮 中央 )
一般社 団法人
本田 光疇
(熊 本 城 東 )
冨澤
ロータリ…の友事務所
吉田 建二
(東 京田無 )
半田 弥生
舟木いさ子
(東 京 白金 )
奥津
勉
(横 浜 )
森本
行俊
■社
員
松宮
北
剛
清治
吉田 建 二
(茅 ヶ崎 湘南 )
(浦 和 東 )
(東 京 田無 )
舟木いさ子
詞
│1緋 佐麿
福家
宏
監
事
相談役
経
理
鈴木弥寿子
美子
三井住 友銀 行 浜松 町 支 店
振込銀行
口座 番号
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二神 典子
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明
011崎西 )
松越
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(千 葉 中央 )
FAX 03-3436-5956
高野
本男
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ホームページ WWw.rotary.or.Jp
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落丁本・ユ丁本は一般社団法人ロータリーの友●薔所までお知らせください。
本文 =稟 などの鮨晰転e 槽製を彙します。
秋山
25年 7月 号
山西 )
横山 武志
板橋 敏雄
平成
)
京北 )
神崎 正陳
上野
所
員
一
ll崎 中 )
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表紙 印刷
半七写 真 印刷工業 (株 )
一 般 社 団法 人 ロータ リー の友事 務 所
〒105-0011
東京都港区芝公園 26-15黒 龍芝公園ビル 4階
電話 03-3436-6651
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。消 費 税
10円 /送 料別 )
ロータ リーの友
59
送 り先 一般社団法人 ロータリーの友事務所
Eメ ール hensyu@rotary― no― tomojp
〒 105-0011東 京都港区芝公園 2615黒 龍芝公園 ビル 4階
ロータ リー俳壇・ 歌壇・ 柳壇
。1か 月 に 1人 はがき 1枚 に 3句 (首 )。 なるべ く肉筆 (楷
書)で 。作品の横には、 クラブ名 。お名前 。電話番号を
必ず記入 して ください。
友愛 の広場
。エ ッセーや、海外 ロー タリー クラブ訪問記、時局雑感な
どの掲載欄 です。原稿 は 1,000字 以 内。関連写真があ
れば、添付を して ください。
バナー 自慢 (「 友愛の広場」欄の中です)
。各 クラブのバ ナーの紹介欄。 クラブのバ ナー の現物を、
活動 日を入れて ください。
ロー タ リー 。ア ッ ト・ ワー ク文章編
。ロー タ リー クラブや地区の活動 を紹介す る欄 です。原
稿 は 600字 以 内。 関連写真 があれば、添付を して くだ
さい。
内外よろず案内
。国内外 の会員間 の趣味 の交換、催 し物 の案 内、情報提
供 のお願 いな どについての欄 です。原稿は 200字 以内。
掲示板
。新 クラブ、新 イ ンターアク トクラブ、新 ロー ター アク
折 り目がつ かないようにお送 りください。原稿 としてバ
トクラブ開設、事務所、例会関係変更な ど、 また『友』
ナ ー の 由来 、 図柄 についてな どを 50∼ 100字 以内で
か らのお知 らせを掲載する欄です。各種変更は決 まり次
書き添えて ください。
第、早め にお送 りください。
ロータ リー・ ア ッ ト・ ワー ク写真編
。ロー タリー クラブ、イ ンター ア ク ト、 ロー ター ア ク ト
な どの奉仕活動を、カラー写真で紹介 します。
・ 写真 に 150字 程度 の説明文を添 えて ください。記念写
真 (集 合写真 )は 、掲載できません。説明文には必ず、
TH[ROTARY― NO― TOMO
◆注意事項
メー ル投稿の場合、送信件名にはクラブ名を記 し、メー
ル本文に原稿 についての連絡先を記載 した上で、原稿/写
真デー タ (原 則 JPEG・ 容量 一枚 200キ ロバ イ ト以上 )
を必ず個別に添付 し、お送 りください。
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ロータリ… アントワーク
一五〇人 を招待 し、好 評 のうち に終
三月 二日、 県中 分 区、県南 分 区から
な交流 を続け てお り、今 回 は当グ ル
⊂と 足利東 RC、 足利 西 RCと 足利
私 たち地 区第 八グ ループ の足利 R
り、歌 手 ・俳 優と し て活 躍す るジ ュ
デ ィ 。オ ング さん に依頼 。市 長、 教
席 。例会 は 石巻市 のホ テル で 石巻 西
周年 を 記念 し て、 西東京市 の市立小
二〇〇九年 三月、 ク ラブ 創立 四〇
第 二五八〇地区 東京都
古登泉田 盤小ロータリークラブ
品 四 五点 を 展 示。 二月 八 ∼ 一〇 日
台 市 立 荒 浜 小 学 校 の全 校 児 童 の作
本 大 震 災 で大 変 な 被 害 を 受 け た 仙
宮 城 県︶ の紹介 で、東 日
ーク ラブ ︵
今 回 は第 五 回 の記念 版 画 展 と し
て、 第 二五 二〇地 区 の仙台 ロータ リ
育 長も参加 し て表彰式 を行 った。
R C の佐 藤 正次 会 長 の点 鐘 で開 始 。
学校 一九校 に参 加 を 求 め、 図 工の授
東京 と仙台 の小学生 の
版 画作品交流 展 の開催
各 ク ラブが紹介 され、 石巻南 R ⊂ の
業 で制作 した版 画作 品 の展 示会を開
に 西 東 京 市 内 の児 童 の作 品 と 合 わ
せ、 〓 一
〇〇点 以上を並べ 、期間中 、
わ たら せ RC では震災後、 さ まざ ま
了。 ロータ リ ー活動 の 一端を知 って
もらう、良 い機 会 ともなりま した。
瀬 崎 和雄ガバ ナ ー補 佐が 日本 と世 界
催 した 。 これ は保護 者 や市 民に児童
一〇〇 〇 人 以上が鑑賞 した 。
もう 一度 例会 に
出 席 し て も ら いた い
第 二五二〇地区内 四RC
五人 の会 員 に哀悼 の意 を表 す と と も
に、 これを機 に絆が さら に深ま った
すべ てを みんな で鑑賞 し、 よく でき
一生 懸命 作 った版 画
手 の関係なく、
彰す る趣旨 で始 めた 。作 品は上手 下
引率 の先生 、 児童、保護者 三五人を
もら うた め、九 ∼ 一〇 日、荒浜小 の
一〇 日 の合 同 の表彰式 に出席 し て
ク ラブ の会 員 一八人が 合 同例会 に出
ープ の栃木秀麿ガバ ナ ー補 佐 ほか 四
宮城 県
の ロータ リー の支援 と友情 に感 謝 の
の成 長を見 てもら い、 優秀 作品を表
︵
須賀川RC 大内英樹 ・記︶
第 二五五〇地 区内 四RC
気持 ちを表 明。栃木ガバ ナ ー補 佐 は
三月七 日、第 二五 二〇地 区第 五分
区 ︵
宮城 県︶内 の石巻 ロータ リーク
こと への感謝を述べ ま した 。
石巻 四ク ラブ の各会 長 は、 想 像 を
学 客 員 教 授 の河内 成 幸 氏 にお 願 い
し、表 彰 式 では市 長、教育 長 にも表
招待 した 。審 査委 員長は多摩美術大
ラブ ︵
RC︶と 石巻東 RC、石巻 西 R
C、石巻南 RCが 、
東 日本大 震災 で犠
絶 す る災害 の大きさ と多 く の支 援 に
第 一回から多 く の小 学校 に参加 い
彰盾 を 児童 に手渡 し てもら った 。な
た作品 に対 し大 人が 褒 め る ことが重
牲 とな った 五人 の会 員 に ﹁
も う 一度
対 し て感謝 の気持ち を表 明 。そ の中
ただ き、審査委 員 長 には版 画家 であ
お、 このプ ロジ ェクト には ロータ リ
要 であ ると考 え て いる。
例会 に出席 し ても ら いた い﹂ と、 三
で ﹁
石巻東 RCは 四人が 、 石巻 南 R
C は 一人 の会 員が 犠 牲 と な った が 、
ー財 団地 区補 助金 の支援 を受 けた 。
A Cが 誕生 し て います。
東 RC提 唱 の仙台育英 学園高校 I
日本 では翌年六 月 二三日 に、仙台
界 最初 のク ラブ とし て、会 員 二三
人 でスタ ート しま した。ちな み に、
提 唱 のメ ルボ ル ン高校 IACが世
リ カ 。フ ロリダ 州 メルボ ル ンRC
一九 六 二年 一〇 月 二八 日、 アメ
世 界 最初 のイ ンター アクトク ラブ
︵
中村洋司 。記︶ 一
今 ごろ は 五人 で、 天国 で夜 の合 同例
会 を楽 しく し て いるだ ろう﹂ と の言
葉 が 心 に残 りま した 。
そ の後 は合 同慰 霊祭 に移行 。祭 壇
に は 五人 の遺 影が 飾 られ、 石巻 四ク
ラブ に所 属す る住 職 ら によ る読 経、
参加 者全 員が 献花 を行 い、 しめ や か
に慰 霊 の儀 を執 り行 い、合 掌 、点 鐘
によ って例会 は終 わ りま した 。 ロー
タ リ ー の輪 に感 謝 します 。
足利わたらせR⊂ 関根猛史 ・記︶
︵
Annotation
2013 VOL 61 NO。 フ
THE ROTARY― NO― TOMO
〇
栃木県
1,200点 以上 の作品を展示
回忌を前 に合 同例会 を 開きま した 。
亡 くなつた 5人 の会員を しのびなが ら
ロータリー アントワーク
絶 す る も のと 問 いてお り ま し た の
で、 そ の復 興支援 をな んら か の形 で
表 そう と考 えま した 。
次 に昨年 五月と 一二月、実際 に被
災地 を訪 れ、自然 の驚 異と怖 さを知
り、 復 興 にはまだ まだ大 きな労力 と
時 間を 要す ると痛 感 しま した 。
そ こで、被害 のほと んど な か った 、
和歌 山市 内 の人たち に被害 の実態 を
広 く知 ってもらう ことと、 より多 く
の支援 金 を募 るた め、今 回、当 ク ラ
ブ の同好 会 ・アゼ リ アバ ンド によ る
チ ャリ テ ィー コンサートを、 ク ラブ
を挙げ て開催 しま した 。
お かげ さ ま で当 日は約 三〇〇 人が
一四日、そ の除幕 式 を 開催 しま した 。
同校 は沿岸部 に位 置 し、 津 波 で 五
人 の児童が 亡 くな ったば か りか、 原
学び の庭 に、教 えを受け て、す くす
が 五本 植 え てあ り ま す。 ﹁
桜花 さ く
保育士 ら総勢 一五〇人が参加 。バ ス
区から幼稚 園児と保護者 、幼 稚 園 の
一回目 の 二月 一六 日は県北第 二分
業 を行 いました。
く育 つ﹂が 大 甕 小学 校 の校歌 ですが 、
の車 内 では ロータ リ ーを 紹 介 す る、
は犠牲 にな った 児童 を弔うため の桜
桜 と 二宮金 次郎 像 、校歌碑 はき っと
ひらが な のチ ラシを配布 しま した 。
度 も実施 し てほし い﹂と の要請 を受
昼食 後、 園長や保護者 から ﹁
次年
た と 思 い、気持ち を強く しま した 。
を 見 て、 この企 画を実施 し て良 か っ
のカ レー ライ スを親 子で楽 しむ様 子
親 子にも笑顔が 見ら れま した 。昼食
導 のもと、そり遊びが 始ま り、ど の
開会 式後 はイ ンスト ラクタ ー の指
静 か に子ど も た ちを 見守 ってくれ る
こと でし ょう 。
︵
遠藤充洋 ・記︶
子ど も た ち を 元気 に
第 二五三〇地区
福島県
けま した 。
そ の後、﹁
も っと遊び た い﹂
と中央 分 区から 三〇〇人、 三回 目は
二回 目は同 二三日に県北第 一分 区
と いう 子ども の希望 で、 三〇分 ほど
発 事 故 で緊 急 時 避 難 準 備 区域 と な
り、学 区 の 一部 も警戒 区域 とな った
は放射能 への不安 と食品 への風評被
東 日本 大 震災 から 二年 以上が 過ぎ
ても、復 興 は いまだ 一〇で にも満 た
ブ 予算 を加 え、 那智勝浦 町 に復興支
こと から、 児童 の多 くが 避難 しま し
害 を受け て います 。国 の安全基準 で、
雪合戦 をし て帰途 に就き ました 。
援 金 と し て 一五〇 万円を送 る ことが
た 。そ の後、学校 を 再開 しま したが 、
な いと実感 し て います。特 に当地 区
でき ま した 。 那智 勝浦 町が 一日も 早
住 民 の健康 や食 品 の安全が担保さ れ
る 一方、 人心 の不安 は簡単 には解決
でき ませ ん。 子を 思う親 の不安 は特
に強く、 屋外 で遊ば せたくな いと 思
ト レ スを抱 え、 医療機関 の統計 でも
う親が 大 半 です 。結 果、親 子共 に ス
の願 いを こめ て子ど もたち に新 し い
量 の低 い猪 苗 代 の磐 梯 スキ ー 場 で
康 にした い﹂ と の思 いから、放射線
こと か ら 、 ﹁子ど も たち を笑 顔 に健
冬 は特 に 屋内 に こもりが ち にな る
肥満 児が 増 加 傾 向 にあるそう です 。
と会 員から声が 上が りま した 。
二宮 金 次 郎 像 と 校 歌 碑 を 贈 り た い﹂
を 願 って作 ら れ た 像 でし た 。 ﹁
復興
中 に徴収さ れたた め、戦 後 に、 平和
て いま した 。銅製 で作 った像 は戦争
震災 で壊 れた 二宮 像 は陶 器 ででき
児童数 は震災前 の六割 程度 です 。
訪 れ、 そ の収 益と当 日 の浄財 、 ク ラ
新 しい二宮金次郎像のお披露 目
く復 興 し、 住 民が 平穏な生活 を 取 り
戻せ るよ う心 から祈念 します 。
︵
宮本和彦 ・記︶
二宮金次郎像、校歌碑 に
復興 の願 いを こめて
原 町 ロータリ12 フブ
除幕式 には伊藤浩ガ バ ナ ー夫 妻を
高会 長 の合 図 のもと、 二宮金 次郎像
﹁ロー タ リ ー こど も 雪遊 び 広 場 ﹂ 事
④
ロータ リーの友
7月 号
平成 25年
第 二五三〇地区 福島県
ク ラブ は 南 相 馬 市 立 大 甕 小 学 校
の、東 日本大 震災 で被害 を受けた 二
に復興を祈 って除幕 しま した 。隣 に
はじめ地域 の皆 さま を招 き、幕 田正
宮 金 次 郎像 と校歌碑 を 再建 し、 三月
そ り遊びを楽 しむ子どもたち
WO‐ RK
AT‐
∫
Alitt
fや 0・
ロータリー アントワーク
の後 の歴史 に ついて、米 山氏 の遺 品
と とも に説 明し ても ら いま した 。ま
た、第 二六 二〇 地 区米 山梅吉 記念館
委 員長 ︵
当 時 ︶ の 三枝 徳 造会 員 ︵長
には これ から も よ ろしくお 願 い申 し
う ですが 、 第 二六 二〇地 区 の皆 さま
入りま した 。施 設 の維持 も大 変な よ
が 日本 ロータ リー のメ ッカだ と感 じ
会 員 の来館が あ った と の こと 。さす
年 間 で、 二〇 ク ラブ 約 一〇〇〇 人 の
記念館 には昨年 七 月∼ 一二月 の半
でした 。
担 った ことを知 り、感 慨 も ひと しお
想 を導 入し、 日本 の国際 化 の 一翼 を
機 運 の中 で、米 山翁が ロータ リー思
明治 から大 正 にかけ て の文 明開化 の
泉 R C︶ に卓 話 を 依 頼 。 そ の中 で、
米山梅吉記念館を見学する参加者たち
上げ ます 。 ﹁
米 山文 庫 こど も図書館 ﹂
では、 五∼ 六 人 の子ど もと 母親が 楽
日 は横 浜市 鶴 見 の曹 洞宗 大本 山線持
近 く の米 山翁 のお墓 にお参 りし、 翌
域 への奉 仕を垣 間見ました 。記念 館
し そう に読書 をし てお り、生 き た地
開催 。 これ ま で の歩 み を 振 り 返り、
皆 さ んと 一緒 に盛 大 な お祝 いの会を
R C︶ の
シテ ィ ロータ リーク ラブ ︵
埼 玉県︶ の大宮
る第 二七七〇地 区 ︵
補佐、近隣 ク ラブ、 友 好 ク ラブ であ
の木 を植 樹 しま した 。
を 願 って宮城 県南 三陸 町 の高台 に桜
とし て、東 日本大 震災被 災地 の復 興
また、大宮 シテ ィRCと の協 同事業
チ ャ リ テ ィー コ ンサ ー ト
紀南水害 復 興支援
寺 の米 山家 のお墓 にも詣 でました 。
将 来 の発 展を誓 いま した 。
記念事業 とし て ﹁
芭蕉 カブ ツキー﹂
す そ 野ま で雪を 頂 いた富士 山 に 一
同感 動 し、米 山づ く し の貴 重な旅 を
和歌山アゼリアロータリ12フブ
前年度 はク ラブ 創立 一五周年 の節
記念碑を建 設 し、 同 日に寄 贈 しまし
す 。最近 では いろ いろな スタ イルの
日 で も あ り、 記 念 事 業 と し て 二月
楽 し み な が ら、 ﹁
奉 仕 の心 ﹂ を 知 る
カブ ツキ ーが でき て いま すが 、昨年 、
紀南水
一一日に和 歌 山市 民会館 で ﹁
和歌山県
奥の
NPO法 人 の主催 で開 か れた ﹁
害 復 興 支 援 チ ャ リ テ ィー コ ンサ ー
た 。カブ ツキ ーと は、 小松市 のイメ
細道 サミ ツト﹂ の際 に、松 尾芭蕉バ
ト﹂ を 開催 しま した 。
こと の でき た、素晴 らし い移動 例会
ージ ョンが 誕生 。か つて、 小松 の町
ゆ るキ ャラ︶ で
ージ キ ャラクター ︵
衆文化 の盛 んな頃、芭 蕉が ここに滞
在 し、各 所 で俳句を 詠 んだ 縁が あ っ
て のこと です 。
市 北部 の街 並 み整 備 に伴 って、昨
年末、新 しく小松大橋 北 見附 公園が
できま した 。そ こで、 小松 の北 の玄
関 にふさ わし い新 し い公 園 に、 この
芭蕉バ ージ ョンのカブ ッキ ーを贈 る
こと にした のです 。お越 し の際 には、
ぜ ひかわ いが ってや ってくだ さ い。
そ のほか記念事業 と し ては、 クラ
ブ 創立宣 言 に基づ く青 少 年育 成事業
であり、 国語教育 の充 実 を 図 るため
二〇 〇 八︱ 〇 九 年 度 か ら 続 け て い
る、 ﹁
小 松 市 小 。中 学 生 か け は じ文
芸 コンク ー ル作 品集 ﹂ の出 版 支 援。
で、和歌 山 県南部 は大 きな被害 を受
け、特 に那智 勝浦 町 の被害 は想像を
この コンサ ート に至 った経緯 に つ
いて、 二〇 一一年九 月 の台 風 一二号
でした 。
︵
岩崎皓 一・記︶
創立 一五周年記念
芭蕉 カブ ッキー登場 !
小 松 シ テ ィ ロータリ12 フブ
第 二六 一〇地区 石川県
ク ラブ は今 年、創立 一五周年 を迎
えま した 。 三月 二三日にはガバ ナ ー
芭蕉カブッキー記念碑の除幕
2013 VOL.61 NO.7
TOMO
NO―
THE ROTARY―
○
WORK
‐ROTAttAT
多 くの善意が寄せ られたチ ャリティーコンサー ト
口…タリ… フリトワーク
110「 AH` /AT七 ヴ
ORK
高 鍋 町 の運 動 広 場 を 主 会 場 に開 き、
鹿 児島 県 。宮 崎 県︶内 から
当地 区 ︵
四三チームが 参加 しま した 。
当 日は各 チー ムと も 早朝 から熱 心
に練 習 し、日頃 の成 果 を 発 揮 し た い
と いう 思 いが 伝 わ って き ま した 。ク
ラブ から は会 員 一四人が 参加、 図師
義孝会 長と小澤浩 一高 鍋 町長 のあ い
さ つに続 き、音同鍋 ラグ ビ ー スク ー ル
主将 。若林 裕也 君 の力 強 い選手宣誓
で開始 。幼稚 園児∼ 小学 六年生 の選
手 四 三 二人 に加 え 、指 導 者 や保護者
ら計約 八〇〇 人が 集 ま りま した 。
試 合 は 一∼ 二年 生 、 三∼ 四年 生 、
五∼六 年生 の各部 で熱 戦が 繰 り広げ
られま した 。試合 中 は指導者、 保護
者 の気持 ちが 伝わ ってき ます 。特 に
幼稚 園児 三〇人 によ る エキ シビ シ ョ
ンマ ッチ では、保護 者 の応援合戦が
最高 潮 に達 し て いたよう です 。
五∼ 六年 生 の部 の決勝戦 は、鹿 児
島 と宮 崎 両県 の代表が 戦 う こと にな
り、宮 崎 ラグ ビ ー スクー ルが 栄 冠を
勝 ち 取 りま した 。
閉 会 式 で は 全 チ ー ム ヘの参 加 賞
と、 優勝、 準 優勝、 三位 のチーム に
賞 状、優勝 杯 、盾 を図師会 長が 授与 。
来 年 二月九 日 の再会を約束 し、楽 し
い 一日が 終 わ りま した 。参加 者 同士
の交流 、各 チー ム関係者 と会 員 の友
情が さ ら に広が った大会 とな り、地
です 。今 大会 には市内 の高校 生 チー
会 開催支援 を決 めた こと によ るも の
なお 、次 回参加 チー ム の募集 は当
ム六組が 参加 し、 二日間 にわ た り熱
元新 間 にも掲載 されました 。
ク ラブ ホ ー ム ペ ー ジ で行 う 予定 で
戦が 繰 り広げ ら れました 。
を率 いる本 橋 麻 里 選 手 ︵
同市 出 身、
愛称 ・マリリ ン︶ の活躍など で、着
実 にカーリ ング の町 ・北 見 の存在感
を 示し てお り、カ ー リ ング 人 口もさ
ら に増え つつあ ります 。
しかし、 野球 やサ ッカ ー、 テ ニス
など の競技 人 口と比 べ れば 、まだ桁
違 い に少 な い の は 明 ら か で あ る 以
上、今後 の普 及活動が 必 要 不可欠 で
す 。大会を 通 じ、 カ ーリ ング競技 の
普 及を 願うと とも に、プ
ゝ﹂から将来、
オ リ ンピ ツク で活 躍す る選手が 続 い
てくれ る ことを期待 し て います 。
︵
廣木保博 ・記︶
米 山梅吉 記念 館訪 間と
線持寺 への墓参
岩 国 西 ロータリ12 フブ
○ 地 区 山 口県
昨年 一二月、岩 国錦帯橋空港 と 羽
河 西建 設 カ ーリ ング ホー ル で ﹁
第二
三月九 ∼ 一〇 日、 北海道 北見市 の
ンク ーバ ー で女 子 五人中 二人 の出場
四人、ト リノ で女 子 五人中 三人、バ
ソルト レーク シテ ィー で女 子 五人中
月 一〇 日、会 員と家 族計 三六 人が 参
館 を訪 問しようと の提案が あり、 二
田空港を結ぶ 便が就 航 し、岩 国と 関
回北 見東 ロータ リーク ラブ 杯ジ ュニ
選手が、北見市常 呂町出身者 でした 。
の成 果と し て、九 八年 の長 野オ リ ン
ーリ ング 人 口のす そ 野が 広が り、そ
ー ルが建 設さ れた こと で、 さ ら にカ
に日本初 のカ ーリ ング専 用 の屋内 ホ
な 町 です 。
一九 八八 ︵
昭和 六 三︶年
北 見市常 呂町はカーリ ング が 盛 ん
大会 の模 様 も ご覧 いただ けます 。
す。
.
r諄やヽ
ヽ
一
o″●5●σ?﹃
三〓〓・
〇一
”ゼ﹂
o
求 む ! 第 二の マリ リ ン
ブ
北見東ロータリ12フ
アカ ー リ ング 大会 ﹂を開催 しま した 。
近年、 国内 大会 でも男 子 のチ ー ム
本 の ロータ リー の聖地 であ る同記念
東 は距離 的 にも時 間的 にも大幅 に短
同大 会 は ク ラブ 創立 五〇 周年 の記
北見が 日本 選手権 三連 覇を達 成 。さ
館 で の例会 を開催 しま した 。
ピ ック では男女 一〇 人中 五人、以後、
念事業 であ り、 カ ーリ ング 競技 の普
ら には、か つてチー ム青 森 に所 属し、
記念館 では ロータ リー の創 設とそ
加 し て、 ク ラブ 創立 以来初 め て、 日
東 郡長泉 町 の ︵
公財 ︶米山梅吉 記念
縮 さ れま した 。 これ を機 に静 岡県駿
及と選手育 成 を 目的 に、向 こう 一〇
現 在 、 ロ コ ・ソラ ー レ ︵
L S北 見 ︶
第 二五〇〇地区 北海道
カー リング競技の盛 り上が りを期待 して
年 間 のカ ー リ ングジ ュニア選手権大
〇
ロータ リーの友
7月 号
平成 25年
ボール を追い、全力で走る子 どもたち
ロータリ… アントワーク
ラブ であ り た いと 思 いま す 。
し た 活 動 を 続 け 、 い つま でも 輝 く ク
案 を提案 し、各福 祉 の関係機 関と の
交渉 など は全 員が 協 力 。縦 一厨、横
田浩 二新 世代活 動委 員 長が 標 語や図
︵
前田員実 ・記︶
四厨 の看板 は、遠 近良 明幹事 の事業
六 四チームが熱戦を展開
れ、われわれ観戦者 に大 きな感 動や、
すが すが しさ を与 え てく れま した 。
男女 の優勝 チームは、 元オ リ ンピ
ック代表 選手を擁す る女 子ク ラブ チ
山脇寿 且社会 奉 仕委 員 長が ﹁
何とか
児童虐 待 の報 道 に心 を痛 め て いた
旗 争 奪 ミ ニバ スケ ットボ ー ル大 会 ﹂
第 八 回諫 早 西 ロータ リーク ラブ
の ﹁
二月 二 三∼ 二四日、、 ク ラブ 主 催
第 二七四〇地区 長崎県
当 時 ︶か ら 賞
ー ム に池 松 和 彦 会 長 ︵
表彰式 では優勝、準優勝、三位 のチ
れな い日にな った ことと 思 います 。
ョンゲ ー ムを楽 しみました 。忘 れら
スト レ ッチ﹂ と の エキ シビ シ
ーム ﹁
これを防ぎ た い。 これを ク ラブ で提
ム
状 や優勝旗、ト ロフィーを手渡 し、︿
諫 早西 ロータリ12フブ
第 一一
六七〇地区 一
局知県
を 開催 しま した 。
所駐車場 に、彼 の厚意 で取り付け る
一月末、市街地 の県道沿 いに ﹁
児
案 し、全 国 に波 及 でき な いか﹂ と考
え、 ク ラブ 創立 四〇 周年式典 でガバ
メダ ルをかけ、 スト レ ツチから はサ
五会 場 で熱 戦 の火ぶ たが 切られまし
会 関係者と 反省会 を開き 、大会 の総
イ ン入り の色紙が 贈られ ました 。
重く大 き な テー マであ り、 ク ラブ
た 。諫 早バ スケ ツトボ ー ル協会、諫
括 、次 回開催 への要望 を 取りまと め、
ことが でき ま した 。
童 虐 待 防止 子ど も の いのち と心 を
ナ ーや来客 に訴え 、 イ ンター シテ イ
の児童 で構 成 された 男女各 三 二チー
ム、 計六 四チー ムが 出場 します 。諫
大会 の様 子は地 元紙や、タウ ン誌、
児 童 虐 待 防 止 の看 板 設 置
守 りま し ょう﹂ と書 いた啓発 看板 を
ーミー テ ィング でも彼が これを テー
早中 学校ブ ラ スバ ンド の友 情演奏 で
は ﹁
児 童 虐 待 防 止 ﹂ の意 識 喚 起 と 、
早ミ ニバ スケ ットボ ー ル連 盟 の運営
四万十白︱タリークラブ
設 置 しま した。 子育 てで悩 む親 に は
マに発 言し、 他 ク ラブ から もさまざ
の 入場 行 進 に続 いて開会 式 を 行 い、
員 から選手 一人 ひと りに金 、銀 、銅 の
﹁
心 配 や 相 談 は福 祉 事 務 所、 児童 相
まな意 見 を いただ き ま した 。
虐 待 の様 子に気づ いたら連絡 を、 と
と し て でき る ことを模 索 。会 員卓 話
で、地 域 の現状 や 関係機 関 の意 見を
全 日程を終 了しま した 。
大会 は長崎 県 下の小学 五年生 以下
談 所 へ﹂ と相談を 呼び かけ、市 民 に
地 元 ケ ーブ ル テ レビ で 取 り 上 げ ら
れ、報道されま した 。また後 日、大
連 絡 先 の電話番 号など を 明記 。 ロー
に よ り 二 日 間 で 一五 二試 合 が 行 わ
の今 回は 二月 一〇 日、宮 崎 県 児湯 郡
会﹂ を開催し て います 。第 六 回大会
ロー タ リ ー カ ップ ミ ニラグ ビ ー 大
高鍋
の交流 を深め る ことを 目的 に ﹁
年 の健全 育成 とちび っ子ラガ ー マン
ク ラブ では六年前 から毎 年、青少
第 二七三〇地区 宮崎県
ブ
高鍋ロータリ12フ
激熱 !
ミ ニラグ ビ ー大 会
聞 いた り、 児童 相 談 所 所長 からも卓
話で ﹁
児童虐待 の現状 と対 策﹂ の話
を 聞くなど しま し た 。 N PO法 人児
童虐待 防止全 国ネ ット ワーク によ る
﹁
オ レ ンジ リボ ン運 動 ﹂ な ど 児童 虐
待防止 に関す る資 料 を基 に、悲惨 な
現況 も確 認。よ り 一層防 止 への思 い
を強 く持 ち ま した 。
ク ラブ では今 後 、地 区や全 国 に児
童虐待 防止 の取 り組 みが 広 が る こと
を 願 って います 。結 果、 この看板が
不要 にな る ことを祈 って います 。
︵
西岡昭 一・記︶
ボールを追いかけ、走 り回る選手たち
2013 VOL.61 NO.7
TOMO
NO―
THE ROTARY―
①
タ リ ー財 団地 区補 助金 を活 用し、 松
児童虐待防止の啓発看板を設置
ロータリー アントワーク
AT WORK
二五〇 〇 回 目 の例会 を迎 え、 記念例
会 と し て開催 しま した 。
ま た 、 記 念 例 会 の開 催 に当 た り、
一〇〇〇 回など
創立 以来 五〇 〇 回、
節 目 の Rバ報﹄に目を 通した こと で、
先輩 会 員 の ロータ リー活動 を知 る こ
とが でき ま した 。
当 日 は、 藪中 重和第 二分 区ガ バ ナ
ー補 佐 ︵
当 時 ︶を迎え、会 員と会 員
夫 人 と と も に懇親 を深め、意義 あ る
例会 にな りま した 。私 たち のク ラブ
の自 慢 は、例会 の開会 セ レ モ ニー の
例会 を、今 年 一月 二二日 に迎 え る こ
当 日は、会場 だ け は群 馬 ロイヤ ル
互 の親 睦 を 図 って いきます 。楽 し い
これ か ら も例会 を大 切 に、会 員相
始 の直後 であり、次年度 創 立 六〇 周
祝賀行事 を はじめ会 合 の多 い年末 年
ホ テルに移動 しま したが 、 年 明け の
ロータ リ ー、笑顔 のあ る ロータ リー、
それが 士 別 ロータ リーク ラブ です 。
︵
尾崎学 ・記︶
地 区番 号 と 同じ
第 二八 四〇 回 の例 会
ブ
前橋ロータリ12フ
第 二八四〇地区 群馬県
疋田博之ガ バ ナ ー ︵
当時 、以 下同︶
にも出席 し て いただ き 、会 員 であ る
約 一 一〇 人 の 会 員 数 と な って いま
す 。 山 田邦 子会 長 は内科 医 であ り、
ク ラブ 始 ま って以来 の女性会 長 です
が 、普段 から俳 句 を たしな み、会 長
の時 間 の中 では ﹁
双葉より 例会重
ね て 大木 へ ︵二八 四り○会重ね て
大木 へご と詠 ん でくれました 。
そ の意 とわ か るま でに若 干 のタ イ
ム ラグが あ りま したが、 そ の諧譴 の
精神 と飽 く な き成 長志向 に出席者 一
同感 服し、破 顔 のう ちに記念撮 影と
な りました 。
︵
岡部幹雄 。記︶
未 来 のお 仕 事 探 し
に結婚 式 に携 わ って いる職業 に つい
て、私 たちが 作成 した職業紹介ビデ
オを放映 し、仕事 の内容など を、 よ
り 具体的 に説 明しま した 。
次 に各教室 に分かれ、 ワーク シ ョ
大分県
が あ る の か を み ん な で考 え ても ら
い、職 業 の多様性 と重 要性 を 理解 し
らま せ、 世 の中 にはど のような職 業
ップ 形式 で好きな こと から想像 を膨
子
ク ラブ は創 立 時 から 一貫し て ﹁
てもら いました。
ブ
大分キャピタルロータリ12フ
ど も の育成 に携 わ る奉仕を行う﹂ こ
第一
とを 目的 に掲 げ 、 これま でさまざ ま
前年度 は職 業 奉 仕委員会が 中心と
と述 べた のを 聞 いた時 、何か事 を起
た め に勉 強 を す る のかが わ か った ﹂
最後 の感想 の中 で、生徒が ﹁
何の
な り、 二月 一日、大 分市内 の中学 一
こす には理念 や目的が大事 で、 そ の
な活動 を行 ってきま した 。
ガバ ナー エレクトも出席 し 、卓 話講
年生 ︵一六 〇 人︶ を対象 に ﹁
未来 の
曽我隆 一パ ストガバ ナ ーや本 田博 己
師 に 長 唄 の師 匠を 招 い て話 を 伺 い、
ことを常 に意識 しなが ら 日々活 動を
した 。 ロータ リー活動 の良 さ は、奉
ご厚意 で三味線 の伴奏 に のせ て ﹁
そ
最初 に、結 婚 式 と いうイベ ント に
仕を しなが ら いろ いろと気づ かせ て
進 め て いかなければ 、 と再認識 しま
携 わ る職業 にはど のようなも のが あ
もら え る こと です 。 これからも こう
お仕事探 し﹂ と 銘打 って、
一五人 の
和や かな例会 とな りま した 。
るか、を映 像 で紹介 。そ の後、実 際
会 員が 職業 講 話 を実施しました 。
会員の話 に耳を傾ける生徒たち
れ で こそ ロー タ リ ー﹂ を 歌 う な ど 、
店 ︵
現 。例会場 ︶ で開かれた仮発会
創 立 時 の会 員 数 は 三 五 人 で し た
が 、先 人 の努力 のお かげ で現在 では
一九 五 三年九 月 八日に群 馬銀行本
した 。
年 の記念 式典 を控 え て いる こと もあ
り、 い つも の次第 で行 わ れた 例会 で
め る ことが できます 。
に感 謝 し 、 手と手を通し て友情 を深
後、必ず 全 会 員 で握 手をす る こと で
地区番号 と同 じ、第 2840回 の例会を祝 つて
とが できま した 。
MAEBASHI
す 。お 互 いが 元気 で再会 でき る喜び
視 前橋ロータ
式 から数 え て 五九年 と 一三七 日を ヘ
て、地 区番 号と 同じ第 二八 四〇 回 の
②
ロー タ リーの友
7月 号
平成 25年
0「 Afく γ
f《
ブ
宇都宮ロータリ12フ
長 ほか多 数 の学校 関係者 、 IACと
願 のイ ンター アクト ク ラブ ︵
I AC︶
例会が 行 われま した 。 この佳節 にあ
って、何 よ りもう れ しか った のは念
立 からち ょうど 五〇年 目と いう こと
す 。認証状 には世 界 最初 のIA⊂創
ラブ の伝統が 融合 し、 この伝達式 を
内 初 の ロータ リーク ラブ であ る当 ク
ま で、な かな か チ ャンスに恵 ま れず 、
トを踏 みだ したと ころ でした 。 これ
創立 五〇 周年 を迎え、新 た な スター
言葉 を いただき ま した。また、樋 口
に励 ん で いただ きた い﹂ と の力強 い
とも に世 界 平和 に向 か って奉仕活動
露木ガバ ナ ーから は ﹁
われわれと
れ、晴 れ て仲 間 入りを 果たした ので
ロータ リ ー の関係者 を招 き、 認証状
の創 設が 実 現 でき た こと です 。
今 年 の 一月 二六 日には、宇都宮 市
〓 二八年 の歴
伝達 式 を 行 いま した。
で、 五〇 周年 の特 別 ロゴが 入 ってお
り、喜び も ひと しお でした。
よ り厳 か なも のとしま した。
懸案 とな って いた のが I AC の提唱
新
明地 区新 世代奉 仕委 員長から は ﹁
当 ク ラブ は 二〇 一 一︱ 一二年度、
伝達 式 を通 じ、奉仕、交流、 理解
であり、 この日は、 長年 の願 いが か
世 代 奉 仕 の意 義 ﹂、 益 田聡 一郎 地 区
史 を持 つ宇都宮女 子高校 と、栃木 県
記念 し、 公立 の女 子高 校 と し てわが
を基 軸 と した IAC相 互 の国際協力
な った 記念例会 でした 。
第 二五五〇地区 栃木県
国 で最も古 い歴史 のあ る、栃木 県立
によ って、 日本 の青少年 の健全 育 成
の神奈 川県立 鶴 見総合高 等 学校 の関
以 下同︶ を はじめ地 区役 員、創 設校
への指標 と しま した 。
貴重な 言葉 を いただ き、今後 の活動
タ ー アクト の目的 と 目標﹂ に ついて
創立六 〇 周年 を迎 え ま した 。 これを
当 ク ラブ は 二〇 一 一年 一二月 に、
宇都宮 女 子高等 学校 にイ ンタ ー アク
式後 に行 われた祝賀会 では、 県内
係者、 イ ンタ ー アクタ ーなど 多 数 の
イン
イ ンタ ー アクト委 員 長からは ﹁
他校 のイ ンタ ー アクタ ーとも交流 を
皆 さ んと喜び を分かち合 いま した。
当時、
当 日は、露木雄 ニガ バ ナ ー ︵
が 一層 図ら れ るよう に、 と いう考 え
深 め、歓 喜 あ ふれ る盛 大な船出 の 一
この例 会 の 四日前 の 一月 二七 日、
永 く存 続 さ せ る こと を、 会 員 同士、
固 く 誓 い合 って、 次 の 目標 で あ る
昨 年 九 月 二七 日 に 趣 旨 説 明 会 、
を共 にす る ことが できま した 。
トク ラブ ︵
IAC︶が 創 設され るよ
う、 二〇 一一年 一〇 月から活動を進
一〇 月 三〇 日に発会 、 翌 日結成式を
日と な り ま した 。
当 ク ラブ と し ては、
横浜市教育会館 でIA C の年 次大会
三〇〇〇 回目 の例会 に向 け ての思 い
め てきま した 。
開き 、 これをも って国際 ロータリー
それぞ れ のイ ンター アクタ ーが 誇 リ
が あり、 そ こで認証状 伝達 式が 行わ
念願だつたインターアク トクラブを創設
︵
石川正人 ・記︶
を新た にした のでした 。
今後 、 この若者 た ちと の交流 を末
から認証を受 けた 、宇 都宮 女 子高校
を持 ち 、指導 力 を身 に つけ て個 人 の
て いけ るよ う、今後 の繁 栄 を見守 っ
て いき た いと考 え て います 。
斗串別ロータリークラブ
五〇〇地 区&
五00回記念例会
第 二五〇〇地区 北海道
二月 四日 の例会 で、地 区番 号と 同じ
人 の会 員 で活動 し て います 。そし て
創立 。 五三年 の歴史 を有 し、約 五〇
ク ラブ は 一九 六〇年 三月 二四日に
TOMO
高山裕喜 ・記︶
︵
二五〇 〇 回記念例会 に
IA⊂創 設
ブ
横浜港北ロータリ12フ
第 二五九〇地 区 神奈 川県
一月 三 一日 、 当 ク ラブ 創 立 時 か ら
数 え て 二 五〇 〇 回 と いう 記 念 す べ き
第 第
価値 を高 め、 国際 理解 と友情 を 深 め
白 百合 IACが 誕生 しま した 。
多 くの人が出席 して、認証状伝達式
2013 VOL.61 NO.7
NO―
THE ROTARY―
〇
白 百合 I A C誕 生
R '「 AttYAT‐
WORK
口…タリー アントワ…ク
ロータリー アントワ…ク
ロータリーク ラブ ならび に
地 区 の活 動 を 紹介、6 0 0
字 以内 .関 連 写真 が あ れ ば
添付し てくださ い。
費 用が か かり、少 し でも 親 の負担を
軽 く しようと、奨学金 を 希望 し て い
利 用し て、 夢 を か な えら れた ら い い
な と 思 いま す ﹂
こ のよ う な 手 紙 を 他 の奨 学 生 か ら
も も ら い、 大 変 感 動 しま し た 。 これ
か ら も 地 域 に 貢 献 でき る ロー タ リ ー
活 動 を 目 指 し た いと 思 いま す 。
︵
西村滋生 。記︶
福丼農林高校 で
社会人としての勉強会
福=〓果 ロータリークラブ
第 二六五〇地区 福丼県
模
ク ラブ では昨年九 月に行 った ﹁
し い発 見が 見 つか る﹂ と アドバ イ ス
し て いました。
第 二七 一〇地区 山口県
も相談 しま したが 、 よ い返事が もら
と いうや りた い仕事 を 見 つけ、親 に
生徒 は ﹁
自分 の強 みを発 見す る方
内
ク ラブ には独自 の奨 学金制度 ﹁
えません でした 。 三年 生 にな り、担
擬 面接﹂に続 き 、一月 一七 日、福井 県
良 記 念 宇 部 ロー タ リ ー ク ラブ 奨 学
任 の先生 から内良 記念 奨 学金 の案内
ま した 。 二年 生 の終 わ り に菓 子職人
金 ﹂が あ ります 。故 。内良 義勝 会 員
を いただき、親 から も よ い返事 をも
法 は ?﹂ ﹁コミ ュニケ ー シ ョン能 力
が 故 郷 への恩返し に、と 一九六 九年
ら えた こと で、夢 の実 現 に大 きく前
立福丼農 林 高 校 で就職や進学 を控 え
に寄 せ た 一〇 〇 万 円を 基 に創 設 し、
進 したよう に感 じま した 。運 よく採
を 鍛 え る た め に はど う す れ ば い い
会 員 の寄 付 で運営 し て います 。市内
た 三年生 約 一〇 〇 人を対象 に、仕事
八高 校 の推薦 で生徒 を 選び 、支 援 し
用 の返 事 が 来 た のが 信 じ ら れ な く
て、何度 も書 類 を確 認 しま した 。将
か﹂ と積極的 に質 問し、熱 心 にメ モ
て いま す 。毎年 三月 の例会 で奨 学生
来 、私 のお菓 子を買 ってく れた人 に
先 や進学 先 の心構 えなど、社会 人と
の卒 業 を祝 う会 を行 ってお り、今 年
喜 ん でもらえ るような お菓 子屋さん
の会 員全 員が 参加 でき ると いう意 味
で、 ク ラブ の団結 も強 まります 。 こ
を 取りなが ら 耳を傾 け て いま した 。
も 三月七 日に開催 しま した 。卒 業生
を 目指 した いと 思 って います 。製菓
ルを立 てる﹂、 ﹁
笑顔 で コミ ュニケ ー
う した活動が、 ロータ リーク ラブ の
し ての心 得 や資 質などを学ぶ勉 強会
のうち 、宇部 フ ロンテ イア大学 付 属
の専 門学校 に進学 でき た のも、奨学
シ ョンを 取 る﹂ など、社会 人 の基本
統 一した奉 仕活動 に発 展す る ことを
職組 の六部 門 に分かれ、各進路 に合
学組 と製造 業 や 医療、介護 など の就
講師 には会 員 一二人が あた り、進
いく 事 業 の 一つであ る と 感 じ ま し
業 であ った と感 じ、今後 も継続 し て
ぞれ にと って、有意義 で効 果的 な事
影響 も大 き いと思われます 。ク ラブ
れ る活動 であり、地域社会 に与 え る
た 。 ロータ リー の職業奉仕が生 かさ
標を定 め 、逆 算 し て行動 スケジ ュー
負 けな い自 分 の強 みを つく る﹂
会 員 は自 ら の経験を基 に
った講 話 を しま した。
学 校 と生徒、わ れわれ会 員 のそれ
香 川高等 学校食物 調 理科卒 業 の津 田
生 に採 用さ れた からだ と 思 って いま
を伝授 。さ ら に ﹁
新生活を節 目に生
を 開き ま した 。
佳 奈 さ んから後 日、お礼 の手紙が 届
す 。大 変 あ りが と う ござ いま し た 。
き ま した ので、要約 し て紹介 します 。
今 後 も私 のよう な人が この奨学金 を
期待 します 。
クラブ会長から奨学生たちに奨学金を手渡 し
活 スタ イ ルを変 え る ことも大 切。新
ブ
宇部ロータリ12フ
奨 学 生 か ら の手 紙
ROttARY文 輔
Att WORK
﹁
食 物 調 理科 は実 習費 な ど 多 く の
ヽ誰
①
ロー タ リーの友
7月 号
平成 25年
¬ :こ
日 も
ROfARγ AT WORK
地元の高校で、生徒の進路に合わせて講話
ロータリー フリトワーク
地 元 歌 人 ・前 田 夕 暮 の 歌 碑 を 建 立 ︿
秦野中 R⊂﹀
加賀RC﹀
よみがえれ、松林 ︿
短歌 のふる里づ
歌 人 。前 田夕暮生誕 の地 であ る秦 野市 は ﹁
くり﹂ を表明し、 1988年から毎年 ﹁
夕暮記念 こども短
歌大会﹂ を開催、応募作品も 2500首を超え ている。ク
︲回から協賛 し、今年 は夕暮生 誕 130年とクラ
ラブ も第 2
5周年 に当たり、記念事業 で桜土 手古墳公園内 に公
ブ創立 3
共 イ メージ の向上と観光 資源 の 一助 にと、歌碑を建立。当
地 の﹁
前 田夕暮 めぐリ ロード マツプ ﹂ にも掲載 され る予定
であ る。
0日 第 2780地 区 神奈川県︶
︵
3月3
ボ ール追 い、ビ ツチに
掛肇戸 ︿
袋井 RC﹀
﹁
第 9回袋丼 ロータリーク ラブ
会 長杯少年サ ッカー大会﹂ を エ
コパ 人 工芝グ ラウ ンド、 エコパ
スタジ アムなど で開催 。県サ ッ
カ ー 協 会 に 登 録 す る袋 丼 ・磐
、
田 。掛 川市 から 2
1チ︲ム 小学
2∼ 3年生約 160人が保護者
の熱 い声援 を背 に、懸命 にビ ツ
チを駆け 回 った。年 々レベルも
上が っており、女 子選手も活躍
した。
︲日 第 2 6 20地 区
︵
3月 3
静 岡県︶
社会奉仕 の新事業とし て、越前加賀海岸
国定公園 の尼御前岬 で会 員 5
4人が樹木医
m
の西山義治氏 の指導 のもと、高 さ約 0
5C
の抵抗性ク ロマツの苗木 100本を海岸
沿 いに植えた。同海岸 の松林 で松く い虫
による被害が広が って いる ことを受け、
海岸保全と景観向上 のため に 20121
13年度から取り組 みを始 めた。
4日 第 2610地 区 石川県︶
︵
3月2
チ ャリ テ ィ ー コー ヒ ー を
墓 思飛火野RC﹀
提供 ︿
スプ リ ング
日野 の春を楽しむ会 ﹁
フ ェスタ ひ の﹂ 会 場 で ﹁チ ャリ
テ ィー コー ヒ ー﹂ を 提 供 し た。
メー ンステージ脇 で早朝から準備
し た ド リ ップ コー ヒ ー を 入 れ、
周囲に香ば し い香りを漂わせた。
曇り空 で肌寒く、温か い飲 み物が
好 評となり市 民が 列を作 った。テ
ント前 に掲 示した東 日本大震災被
災地支援 のポ スターと写真を見 て
﹁
風化が 心配 ですL 原発はどうな
るんでし ょう﹂など の声ととも に
募金が寄せられ、 6万1600円
を集めた。
︲日 第 2 7 50地 区 東
︵
3月 3
京都︶
ロータ リーク ラブ奉 仕活動をカラー写真 で
紹介。 写真 と 150字程度 の説明文。必ず
集合
活動 日を入れ てくだ さ い。記念 写真 ︵
写真︶は掲載 できません 。
2013 VOL.61 NO.7
THEROTARY‐ NO‐ TOMO
①
口…タリー アントワーク
ちび っ
リーガ
こ
ー
の
J
熱戦 ︰ ︿
日
都効
RC
県 内 各 地 か ら 8 チ ー ムが 参 加 し
﹁
都 留 ロー タ リ ー カ ツプ ジ ュニア
サ ツカ ー 大 会 ﹂ を 開 催 。 地 元 の
ヴ ァ ン フ ォー レ 甲府が Jリ ーグ の
一部 ︵
J l︶に 昇 格 す る な ど 、 ち
び っこた ち のサ ツカ ー熱 も 盛 り 上
6回を 迎 え た 本 大
が ってお り、 第 1
会 も 地 元 のサ ッカ ー フ ァンにと っ
て楽 し み な 大 会 にな って いる。 ち
び っこ J リ ーガ ー は 日頃 の練 習 の
成 果 を 発 揮 、 保 護 者 の応 援 に応 え
て いた 。
︵
3 月 9 日 第 2 6 2 0地 区 山
梨 県︶
^
一 一
一
一
一
″
一
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一
一
ヽ
^
.
.一
雷 消 え の国 道 を 協 同 で
象潟RC﹀
ク リ ー ンア ツプ ︿
雪が 解 け ると 国道 脇 に出 現 し て く
る、心無 いド ライバ ーが投げ捨 てた
空き缶など の廃棄物 。春 の行楽 シー
ズ ンに備 え 国道 を き れ いに し よ う
と、ガ !ル スカウト秋 田県連盟 ・秋
田県第 4団 のメ ンバ ! ︵
リーダ 1 5
4人︶と、象潟 R⊂会 員 8
人、会 員 1
人が協 同で 一定 区画を清掃 した。行
楽 シーズ ンに象潟市 を訪れ る遠来客
にすがすが しくド ライブ し てもらえ
0年 以上 の
るよう 一緒 に汗を流す、 2
継続事業とな っている。
7日 第 2 5 40地 区 秋 田
︵
3月 2
県︶
ラ ンブ リ ング 同好会
︿
諫 早 R C﹀
楽しく道草 を食 いなが ら長崎街道をぶらぶら歩く ラ
3回長崎街道歩き の会﹂を
ンブ リ ング 同好会が ﹁
第1
、
0 8
2
実施。 5
∼
8歳 の1人が午前 9時 福 岡県筑紫 野市
の筑紫神社を出発 。山家 ︵
やまえ︶宿を過ぎ、街道 最
大 の難 所 ・冷水峠 の急坂 に差し掛 かると、さしも の
ハイパ ー シルバ ーも ﹁こり や冷水峠 じ ゃなかた い。
2時半 に峠 に到着し、大根地
冷や汗峠ば い﹂ の声 。1
神社参道 の400年前 の石畳を歩き、午後 2時 過ぎ
mo
にのど かな内 野宿 に到着 。本 日の行程、6
︲k
1・
7日 第 2740地 区 長崎県︶
︵
3月 1
山形 へよう こそ 花 でお迎え
︿
山形南 R⊂﹀
みち のく の山形を訪れる遠来客をきれ
いな花 で迎えようと、高速 ・山形自動
車道 の山形蔵 王!C出 口に、山形県 の
県花 。べ ニバナ の苗を植えた。た つの
こ保育 園 の園児と 一緒 にべ ニバ ナ栽培
地 。高揃 ︵
たかだま︶JAの指導 でて い
ね いに土をかけた。初夏には見事なベ
ニバナが旅 人を出迎える ことを、ク ラ
ブ では期待 し ている。
4日 第 2800地 区 山形県︶
︵
4月 1
①
ロータ リーの友
7月 号
平成 25年
口…タリ… フツトワ…ク
R
雑誌 月間にちなんで
︿
志 木 R ⊂﹀
毎年 9月に佐々川河川公園周辺の清掃活動、
3月に道 路、公園、駅 周 辺 の雑 草 取りや ご
み拾 いの美化清掃 を行 って いる。今年は佐
世保市世知 原町の依頼 で、板山公園で不法
投棄された空き缶、プ ラ スチ ック破片など
を集めた。中 には綱引き 用 ロープやイノ シ
シの頭蓋 骨も。雑木林 の奥 で手が 届かず断
念せざ るを得な いも のもあ ったが、終了時
間ま で熱心に行 った。
0日 第 2740地区 長崎県︶
︵
3月 1
北松浦 RC﹀
山 中 で の ご み 拾 い活 動 ︿
4月 の雑誌月間にちなみ、﹃ロータリー の友﹄を読む こ
とを 目的 とした例会を実施。毎 月、内容紹介を会員が
交代 で行 っているが、まだまだ知恵袋とし て活 用され
て いな い、と の思 いから、会員が 意識 し て読むように
0分 かけ て読 んだ 後、﹃
友﹄を
企 画した も の。全会 員 で3
持 って写真を撮 った。
︵
4月 0
1日 第 2570地 区 埼 玉県︶
地 元に愛される大会 に
発展 ︿
松山南RC﹀
愛媛 県軟式 野球連盟 の協力 の下
﹁ 4
第
回
松
山
南
ロ
ー
タリークラ
1
ブ
旗
学
軟
式
野
球大 会﹂を 開
童
催 。昨年 はクラブ 0
4周年 記念事
業とし て選手たちと坊 っち ゃん
スタジ アム の周辺にアオダ モの
木を植樹 。野球 王国愛媛 の名 に
恥 じ な い活 発 な 大 会 に発 展 し
た。 ク ラブ の活 性 化 に も つな
が っており、今 回は愛媛ケーブ
ルテレビが中継し、野球経験者
の会 員が実況 ・解説を務め るな
ど、地 元市 民にも愛される事業
とし て根づ くようにな った。
7
︵
3月 6
1∼ ︲日 第 2 6 70地
区 愛媛 県︶
育 て ︱ シ ダ レザ ク ラ 、
若 い 力一 ︿
桜丼RC﹀
桜 丼 JCと 共 催 で、倉 橋 溜池
第
︵
ためいけ︶ふれあい公園で ﹁
6回桜丼さくら祭り﹂を開催。
午前中は嵐 のような天候で心配
したが、午後には収ま った。し
かし、子ど もたちが楽しみにし
ていた アト ラク シ ョンは強風 の
ため中止。代わりに準備 した食
パ ン、ま ん じ ゅう、 コロッケな
ど の即売会 は短時間 で完売、好
評を得た。記念植樹 のシダ レザ
クラ の順調な生育を願 い、また
子ど もたち にと って安全な公園
とな ることを祈念した。
︵
4月 7日 第 2 65 0地 区
奈良 県︶
2013 VOL.61 NO.7
TOMO
NO―
THE ROTARY―
○
ロータリー アントワーク
吉 田山 でサクラ植樹と
子ど も公開文化塾
第 2650地 区 一
示都府
京 都 東 ロー タ リ ー ク ラブ
﹁紅萌 ゆ る丘 の花 ﹂と 旧制 三高 の寮 歌 で歌 われ、 サ
ク ラと マツの名所 であ った吉 田山 は、 ま きを使わなく
0年 ほど の間 に山が 荒 れ、過去 の
な ってしま った この6
姿 を 思うすべ もな い状態 になりま した 。
5年 前 か ら ク ラブ 主 催 で、 吉 田神 社 の講 社、地域 住
民、﹁吉 田山を美 しくす る会 L 吉 田山 の里山 を 再生 す
る会L 京 都 o薪 スト ーブ 友 の会 ﹂な ど のボ ラ ンテ イ
ア、ボ ーイ スカウト の皆 さん の参加 によ るサク ラ の植
樹 を吉 田山 で行 い、︿フでは京 都 市 内 を木 々 の間 から望
め るま でに再生さ れ てきま した 。 この事 業 は、地域 の
皆 さ ん への自然 と の共生意識 や、 環境 財 産 の保全意 識
の醸 成 、 な らび に地 域 の環 境 教 育 に資 さ れ てき ま し
た 。当 ク ラブ と し ても、行政や他 団体 と協力 し て実施
す る こと で、良 い刺激 と勉強 にな ってお ります 。
3月 3日実施 の今 回は初 の試 みと し て、植樹 作業後
に ﹁子ど も公開文 化塾 ﹂と銘打ち、 駒井 潤会 員 によ る
講演会 ﹁桜 と能 と神様 と ﹂を 開催 。ボ ー イ スカウト、
地域 の錦林 小学校 区 のボ ラ ンテ イアの児童 など 、総勢
約 10 0人が 受講 しま した 。
里山 の再生 は、単年度 では成 果が 出 な い事業 ですが 、
6年 目を迎 え、 問題点 もそ の都度 修 正し つつ、や っと
目に見えた成 果も出 てきま した 。 子ど も 公開文 化塾 は
今 年度 も実施 予定 で、地 元に愛着 を持 った 子ど もたち
が 育 ってく れ るも のと考 えます 。昔 の美 し い吉 田山が
復 活 し、地 元 の人 々により愛され る場 所 にな る のもそ
う遠 い話 ではな い気が します 。 ︵
岡本 政 明 o記︶
①
ロータリーの友
7月 号
平成 25年
山 里 のぬ か る む道 や春 祭
岐阜 。高山西 小 森 丈 一
奈良 士日Ⅲ 淳
花 疲 れ かす か な肝 な ま め か し
坂 田 恭F
水 辺 にも 光 届 き て螂 叫 動 く
大阪うつば 齊 藤 降 ^一
愛媛 ・新 居浜南
見 上 げ れば 青 牢 の透 く 桜 か な
た そ が れ て来 し 神 の池 亀 の鳴 く
福岡城南 吉 武 卓 径
度瀬 嘉夫
初 桜 ま だ と 知 り つ つ旅 ご こ ろ
埼玉 ・旦一
同 犬 竹 功 子
壼 示日本橋東
西 行 の話 と な り ぬ花 吹 雪
古 の参 詣 道 に散 る辛 夷
六
貧 大宮 飯 H 昭
桃 の 花 ぎ っし り 枝 の 見 え ぬ ほ ど
大阪 ・堺フ壬 ラ クス 米 田員 理 F
す か んぼ を 共 に齢 り し 友 逝 き ぬ
香川。高松東 関 谷 哲 児
嫁 ぐ 娘 と 博 食 ら ひ し へた の 山
宮崎 藤 本 健 輔
雨 L る よ り蝦 梅 の香 り 濃 し
小 川 公巴
奈良 名 和 佑 介
早 昼 を 召 さ れ 浄 土 へ彼 岸 佛
新潟 ・十 日町北
外 っ図 の 乙 女 も 混 じ へ雛 飾 る
和歌山。御坊 野村 浚 一
陽 炎 や 近 く て遠 き 父 母 の 堪
同 犬竹 水鶏
埼玉・旦一
投 稿 規定 ◇雑詠 ◇ク ラブ会 員、家族 ◇ 一か 月に葉書 一人
一枚 に 三旬ま で ◇締切 日 二0 日必着 ◇ 葉書 ウ ラにもクラ
ブ名 。氏名、電話明記 ◇楷書 で明確 に ◇ ﹃
友﹄ 俳壇係宛
埼 玉 。大宮 西
佐藤 清 一
^大
川鍋 明 H 知 れ ぬ 身 の楽 し み の花 に 酒
大 病 超 え て穏 や か に生 く
神六爾 。相模原
九 十 才 人 工 関 節 の ひざ 抱 へ
気 合 を 入 れ て 朝 の ス ト レ ッチ
﹁急 が ず 、 し か し 休 ま ず ﹂ と
老 い て 馴 染 み ぬ ゲ ー テ の言 葉
塁示ワセダ 福 地桂 之助
潜 り 戸 は今 朝 も 開 いてる年 老 いし
隣 の人 が 確 か なあ か し
愛知。
豊橋 長 屋 孝美
手 を か け し 鉢 の牡 丹 の 五 輪 咲 く
年 輪 嘔 ね て風 格 生 ま る
奈良 占 田 件代
杖 を つく 母 に 寄 り 添 う 青 年 は
小 さ き 歩 幅 で ゆ っく り と 歩 む
京都西南 池 = 敏子
ガ ラ ス戸 に己 が姿 を 映 し ゐ て
朝 子 を 直 す母九十 五歳
奈良 寺 田員佐 子
満州も沖縄も
と釧が戦地なり
七 十 年 経 て戦 友 は み な 逝 き
奈良 占 田 淳 一
島 根 。出 昴一
〓
南
小 村 尚 r
海 猫 が 教 へし と ふ 故 事 に な ら ひ
神 官 は 長 栖 で若 芽 刈 り ゆ く
こ の子 ら に幸 せあ れ と祈 り つ つ
奨 学 生 の選 考 進 む
熊本グリーン 仙 波 洋 八
鹿児島 ・奄美
貝
大 野 二
希 き ら は 汗 吹 き散 ら し きぎ は し を
駆 け降 り行 き ぬ吾 も然 りき
投稿規定 ◇雑詠 ◇ クラブ会 員、家族 ◇ 一か月 に葉書 一人
一枚 に 三首 ま で ◇締 切日 二0 日 必着 ◇葉書ウ ラにもクラ
ブ名 ・氏名、 電話明記 ◇楢書 で明確 に ◇ ﹃
友﹄ 歌壇係宛
三 つ指 を つ い て 大 を ビ ビ ら せ る
新潟 小 林 悟
典 っ自 な 切 符 を 買 っ て 旅 に 出 る
熊本西南 占 関 修
いざ 実 践 心 で 決 め て 身 が 利 か ず
〓董 ・
志摩 宝 円 孝 雄
振 り 回 す ク ラ ブ も い つか 杖 に な る
北海道 ・深川 成 田 雅 敏
青森 沼 田 度
ド ラ え も ん タ イ ム マ シ ンを 貸 し て く れ
問 診 に 耳 を ダ ンボ の次 席 番
長野 ・辰野 河 手 欣 哉
コヨミには通院 と書 く 日が増 え る
ら 小澤 誠邦
埼玉・行田さくヽ
参加賞 だ け は貰 える TPP
静岡・浜松南 伊 熊 牧 治
送 別 会 知 ら な い社 員 名 を 連 ね
愛知 ・豊橋 ご骨時 ^一
人
支 援 の輸 絆 拡 げ て東 北 へ
諫早 ド 釜 貞 志
長崎 ・
病 気 し て 小 さ い 悩 み 吹 っ飛 ん だ
鳥取 塩 宏
親 は マジ 子 は 楽 し げ に宝 く じ
奈良 。生駒 鳥 山 有 里 子
負 け な いぞ 汚 染 地 域 にL 筆 出 る
和歌山 ・田辺 長 野 羊
兵庫 。生戸中 青 井 邦 弘
若 殿を諫 め る家老 見当 たらず
水 温 み磯 辺 に遊 ぶ 子等 弾 け
島根・出雲 袖 Ⅲ 幸人
桜散り次 は私と葉が茂 る
埼玉。川越 占崎 秀夫
投稿規定 ◇ 雑詠 ◇ ク ラブ会員、家族 ◇ 一か月に葉書 一人
一枚 に三句ま で ◇ 締切 日 二0 日必着 ◇葉書ウ ラにもクラ
ブ名 。氏名、 電話明記 ◆楷書 で明確 に ◇ ﹃
友﹄柳壇係宛
2013 VOL.61 NO.7
TOMO
NO―
THE ROTARY―
①
長谷川 櫂 □
桃 源 郷 へ行 く 舟 を 待 つ春 の 川
千葉 ・野田 高 梨 昇 一郎
桃源郷 とは桃 の花咲 く理想 の村。そ こ へゆく
舟を待 って いるような気 分 であ ると いう のだ。
心 の世界 と現実 の世 界が舟 で つなが って いる。
上五は ﹁
桃源 へ﹂ でもよ い。
接 写 す る レ ンズ の中 に梅 笑 ふ
香川 喜口
松南 越 智 幸 子
梅 の花 は 猫 の顔 に 似 て いる 。 接 写 レ ンズ で の
ぞ い て いる と 、 そ の花 が 笑 った 。 花 が 咲 く こと
笑 う﹂ ﹁
笑 む ﹂ と い う が 、 こ の表 現 が いち
を ﹁
ば ん ふ さ わ し い の は 梅 の花 。
掌 に と れ ば か そ け き 音 色 上 鈴 雛
長崎北 三 原 茂
土 で作 った土 雛 は よく みかけ るが 、 これ は土
鈴 のお雛 さま 。句 のと お り、揺 らせば 長 関な音
が す る。 当 た り前 の現 象 を詠 ん で いるが 、ど こ
となく ゆ か し い。
= 向 ば こし て ゐ る や う に見 ゆ る 島
整月西 飯 山 嘉 昭
暖 かな 日差 しを 浴 び て海 原 に浮 かぶ島 々。 い
や島 とあ るから には 一つの島だ ろう か。 なだ ら
かな そ の姿 も 思 い浮 かぶ 。 子ど も の俳 句 のよ う
に素直 な句 であ る。
花 吹 雪 歩 み ゆ る め て浴 び に け り
負 西 中村 たも つ
六
道 を歩 いて いると 、 おり から の花 吹 雪。 思 わ
ず歩 を ゆ るめ た と いう のだ 。 この ﹁
歩 を ゆ るめ
る﹂ と いう と ころ に、今 年 の化 を情 し み、春 を
惜 しむ思 いが 感 じ ら れ る。
馬場あき子 □
鮮 か な 黒 に し て朱 の雫 あ り
てんとう虫 は夏衣 な り
熊本丞 削寺公園 北 里 美 和 子
てんと う虫 を季 節 が き ては じめ て目 にした時
の感 銘 が 、 強 く 弾 んだ リズ ム にも生 き て いる。
黒地 に朱 点 を も つ鮮 か な てん と う虫 に、初 夏 の
到来 をまず は眼 から捉 え た のが い い。
﹁
朱 の雫 ﹂ と いう 表 現 が みず みず しく 、 黒 と
朱 と いう強 い色 彩 を引 き立 て、 いか にも力 あ る
初 夏 だ。小 さ い虫 なが ら美 し い。
耳違 き人 は長寿 と言 ふな れど
心 躍 ら ぬ 老 い の存 愁
青森 。二月 加 藤 定 男
た しか に耳 の速 い人 は長寿 を保 つと いわれ
る。 いやな ことが聞 こえ て こな いので、精神が
安らかに保 てるからだなど と いわれる。作者 は
。しかし、耳が
何歳 ら いになられ
だ
く
る
の
ろ
う
遠くなるとまた、人も遠くなる。 ﹁
老 いの春 愁 ﹂
に 若 き 日 の ロ マ ン チ シ ズ ム は な い。 結 句
に 据 え た こ の 一句 が 複 雑 な 心 情 を こ も ら
せ て、 し み じ み と 読 ま せ る 。
散 る た め に咲 き た る ご と し 山 茶 花 の
風 な く て散 る 呼 び か は す ご と
福島 ・須賀川 柿 沼 良 訓
除 染 す と 庭 の本 の根 が 見 え る 程
L 削 れど も捨 て場 所 も な く
福島 脇 屋 隆 治
てじま晩秋 □
群馬 ・伊勢崎 秋 山 春 海
ロー タ リ ー 苛 め な いか と 子 に聞 か れ
今 、 各 メ デ ィ ア を 賑 ︵に ぎ ︶ わ せ て い
る ﹁一票 の 格 差 ﹂ 違 憲 判 決 が 各 裁 判 所 に
て続 出 を し てお り ま す 。
一方 、 国 会 で は
﹁憲 法 改 正 ﹂ の 動 き 。 そ れ を 主 張 し て い
る当 該 議 員 は、直 接 的 には 関連 しま せ ん
が 、 そ れ を 前 面 に し た のが 面 白 い! で
す。
香川 ・高松 大 平 昇
改 憲 を 連 憲 議 員 が 発 議 す る
直 球 で来 た のは子供 さ ん でし ょう か ? それ
とも 日^
だ んな︶ さん でし ょう か。 川柳的 に
那 ︵
は、 旦那 さ ん であ った方 が スト ー リー性 の広 が
り があ ります 。 正直 に告自 され てしま う と意 外
と それ から先 に、 進展 しな いも のです よね。
大阪西 鴨 谷 瑠 美 子
直 球 でく る と 許 し て し ま いそ う
壇
﹃ロ ー タ リ ー ク ラ ブ ﹄ に ﹁苛 ︵い じ ︶
め な ど と いう 現 象 ﹂ は 存 在 し な い で し ょ
う が 、句 作 の モ チ ー フ に し た 処 ︵と こ ろ ︶
に、 常 に広 い= で 周 り を 観 察 さ れ て いる
﹁作 者 の 確 か な 感 覚 ﹂ が 存 在 し て い ま す 。
思 わ ず ﹁上 手 い な ァ﹂ と 唸 ︵う な ︶ っ て
し ま いま し た 。
⑭
ロータ リーの友
7月 号
平成 25年
壇
中 でもウ イ ル ス性肝炎が重要 です。慢
性化す る のは、主 にB型と C型ウイ ル ス
が原因 の肝炎 です。肝臓が ん の原 因疾患
の約七〇ギ 以上が C型肝炎、約 二〇イ が
羽毛 布 団
生 え てく る秋 の綿毛が最高とされ て いま
す。羽毛 を傷 めな いよう にそ っと手 で摘
み、水質 のよ い水 でゆ っくりと洗 います
が、洗 うとき の水質 や温度、時間 によ っ
し も大 丈 夫 と いう こと でも あ りま せ ん。
一方 、酒 を飲 まな いからと い って必ず
ら に 一〇 年 以上飲 み続 けると肝 硬変 にな
上 を五年 以上 続 け て飲 むと脂肪肝 に、 さ
す。
一般 に日本酒 に換算 し て毎 日三合 以
結 果 肝 硬 変 に つな が る可 能 性 も あ り ま
ル コール性 脂肪肝 から肝炎 になり、 そ の
ど によ る非 アル コール性があります。 ア
が、原因 には アル コー ル性 と、糖尿病 な
脂 肪 肝 は 通 常 は 予 後 良 好 の疾 患 です
も、経年的 に慢性 肝炎 から肝硬変、肝臓
います。ど ち らも現在発症 し て いなく て
感染者 は、約 二〇〇 万人 いると言 われ て
め約 一五〇 万人 以上、 C型肝炎 ウイ ル ス
イル ス感染者 は、未発症 のキ ャリアを含
毛づ く ろ いを します か ら、清潔 に保 たれ
ても逃げ る ことはなく、自 ら進 ん で湖 で
と臆病 できれ い好 きな ため、放 し飼 いし
湖 と清潔 な小屋が必要 です。鳥 はもとも
草地 ・
が自由 に行き来 でき る十分 な土地、
良 いグ ー スの羽毛 を得 るため には、鳥
質 つまリパ ワーがあ るとされ て います。
綿毛 ︵
羽毛︶の密度が濃 いことから、高品
スの方が、ダ ックより大柄 である ことと、
一般的 にグ ー
と全 てに関 わ ってきます。
から の環境 。採毛 し てか ら の洗 いの工程
毛を得 るため には、鳥 の血統 。孵化し て
とされ て います。良 い崇高性 を持 った羽
ポ イ ントは、パ ワーを表 す崇高性 にあ る
羽毛 の素材 の良 し悪 しを決 める最重要
ケ ワタガ モ︶です。
ウ︶、アイダ ーダ ック ︵
ガチ ョ
ア ヒル︶、グ ー ス ︵
ます。ダ ック ︵
れ て いるも のは、大 きく分 け て三 つあり
現在、羽毛布 団とし て 一般的 に販売 さ
が進 められ て います。
ーダ ック に近 い羽毛を作 ろうと いう研究
め、価格 も天丼知 らず 。 ゆえに、 アイダ
毛を集 めます。希少 な上 に人気が高 いた
され て いるため、巣 に敷 き詰 められた羽
も つ点 です。飼育 ・捕獲す る ことが禁止
大 の特徴 は、あ る程度 の温度 調節機能を
毛を強 く結び つけ、絡 み合わせます 。最
は無数 の鍵状 の産毛が存在し、 これが羽
く、綿毛 の密度が濃く、 そ の細 い足先 に
アイダ ーダ ツク の羽毛 は、 パ ワーが強
高性 はあ っても膨 らみません。
値があります。さら に高品質 にな ると崇
るため、少 な い量 でよく膨 らむ羽毛 に価
り出す空気 の層が温ま る こと で発揮 され
羽毛布 団 の保温性 は、綿毛 の毛先 で作
得 られるか で品質が分 かれます。
さ の筒 に入れた場合 に、ど れだ け高 さが
分 けし て いきます。同量 の羽毛を同 じ太
け てできた羽毛を、崇高性 によ って品質
え十 林 志織
ル
製権靱ボ
非 アル コー ル性脂肪性肝炎 と いう病態 が
ます。また、土地 の湿度 が低 く、冬寒 く、
︵
第二六六〇地区 。大阪府 ・大阪︲淀川RCで。
て大 きく差が出ます。 こうし て手 間暇 か
るため注意 が必 要 です。
昼夜 の気温差が激 し い場所 が大変適 し て
同RC会員︶
B型肝炎 と言 われ て います。 B型肝炎 ウ
︵
第二六八〇地区 。兵庫県 。西宮甲子園RCで 。
いると言 われ て います 。冬支度 に向け て
る可能性 が あ ると言 われ て います。
あ り、肝 硬変 など への進展 の可能性 もあ
TOMO
が ん へと進 展 す る可能性があります。
同 RC会 員︶
NO―
2013 VOL.61 NO.7
THE ROTARY―
○
TABLE SPEECH
●
卓 話 の 泉
TABLE SPEECH
本 の自動 車 メーカーが世界 の最先端 を走
って います。
政府 は 二〇 二〇年 ま でに ハイブ リ ッド
車 二〇 ∼ 五〇で、電気自動車 一五∼ 二〇
肝臓に ついて
一五で 、電気 自動 車 五∼ 一〇で 、 ク リー
動 車 工業 会 では、 ハイブ リ ッド車 一〇∼
及 目標 を 立 て て いま す。し か し、日本自
糖質、 タ ンパク質、脂質 の分解 。合成 な
τ ぐら いの重 さ の臓 器 です。そ の働 きは、
位 置 し、成 人 男性 で 一二〇〇 ∼ 一六 〇〇
肝 臓 は右横 隔 膜 直 下、下部 肋 骨 の裏 に
勝部医院 院長 騰燿蔀叶 土
力=
憫
ンデ ィーゼ ル車 はわず かと の見解 を示し
ど の代謝 や解毒作 用、胆汁 の生成 ・分泌
で 、ク リー ンデ ィーゼ ル車 五イ と いう普
て います。
いるため、制御 コンバーターが故障 す る
から電気 モーター ヘと常 に切 り替 わ って
面 の凹凸が目立 ち、角も丸 みを帯び てき
角も シ ャープ ですが、肝硬変 に至 ると表
外観上、正常 な肝臓 は表面が滑ら か で
など重要な役割 を果たし て います。
危険性 が大 き い点、 アイドリ ング スト ツ
ます。比較的軽症 の肝機能障害 では、特
ハイブ リ ッド車 は、ガ ソリ ン エンジ ン
プ 搭載 車 は、 バ ッテリーが劣化す ると ア
次世代自動車 の動向
イド リ ング スト ツプ しなくなり、価格 も
別 な症状 はありませんが、肝硬変 に至 る
と、腹水、くも状 血管腫、黄疸、食道静
蹴
卦
胸雌8 松下 牧渡
エコロジ ーカー の略称 です。 二酸化炭素
従来 のバ ッテリーよりも高額 と い った弱
脈瘤など の症状が出 ます。
次世 代 自 動 車、 つま リ エ コカー と は、
や窒素酸化物 など の排 出量 が少 なく、燃
点 もあ ります。
ンジ ンを止 め、燃料 を節 約す る システム
グ スト ップ と言 って、信 号待 ちなど で エ
けられます。また、最近 では アイドリ ン
る低公害型デ ィーゼ ル車 の三タイプ に分
とす る電気自動車、軽油 などを燃料 とす
ッド車、 エンジ ンを使 わな い電気 を動力
モーター の両方を組 み合 わせた ハイプリ
エコカー は、ガ ソリ ン エンジ ンと電気
︵
第二六七〇地区・
愛媛県・
八幡浜RCで。
否8
同RC︿
います 。
具 と し て、各 メーカーはし のぎ を削 って
格 、加 え て利便性 を兼 ね備 えた移動 の道
三 の エコカー︶ とし て、超低燃費 、低価
エコ ロジ ー カーから エコノ ミー カー ︵
第
車 か ら 軽 自 動 車 へ代 わり つ つあ り ます。
には、軽自動車 が六台入 っており、普通
最近 の車 名別新車 販売台数 ベ スト 一〇
因 に基づく分類があ ります。
性 、アル コー ル性、薬剤性 など、 そ の原
の時間的経過 に基づ く分類と、ウイ ル ス
も急性肝炎、慢性肝炎 と いうような発病
どが原因 の場合があ ります。また肝炎 に
原因 の場合 と、 アル コール以外 の過食 な
と思 います。脂肪 肝 には、 アル コールが
変、肝臓が んなどを耳 にした ことがあ る
肝臓病 と いえば 、脂肪肝、肝炎、肝硬
費 の良 い自動車 のこと です 。
も出 てきま した。 エコカー開発 では、 日
①
ロータ リーの友
7月 号
平成 25年
■「卓話の泉」は、各クラブの
会報、週報に掲載の卓話の中か
ら、客観的内容の話題、ミニ知
識 となる ものを主 に選 んで要
約、掲載 しています。
FRIENDSHIP
PLAZA
崩 壊 を 経 て、 いま や 半 減 し てしま った 。
一方 、 いわ き 市 内 に 一つし か な か った ク ラ
ブ は、
一〇 ク ラブ にま で増 えた 。 し か し東 日
本 大 震 災 と 原 発 事 故 が 、 双葉 、 相 馬 地 区 のク
いく か の課 題 に直 面 す る時 の流 れ を 逆 に考
え、死を基 とした生 き方 が でき る。
生病老 死﹂ を見 る。どう生 き て
の位置から ﹁
採択 されたも のがあります。ど ちらも事業主
職業 関係者 にサービ
が、顧客 や社員など の ﹁
のと 一九 二七年 の国際 ロータリー年次大会 で
ー ・フレデ リ ック ・シ ェルド ンが提唱 したも
職 業 奉 仕 に は、
一九 〇 八 年 入 会 のア ー サ
スす る こと﹂ で、 それがリピーター の増加 や
ロー タ リ ー も発 想 の転 換 を し て原 点 に返
り、質 の低下 を伴 うが むし ゃらな会員増強ば
かりを強調 しな いで、 ク ラブ の親睦、充実 の
モチベー シ ョンの向上 を促 し、事業が発展し
ラブ に壊 滅 的 な 打 撃 を与 え、 いわ き市 内 のク
強化を最重点 とす れば 、世間も ロータ リー の
自分 の
です。 これを表 す のが 一九 一〇年 の ﹁
ラブ も痛 手 を 受 け た 。
今 、 わ が ク ラブ に は 二世 が 八人 、 三世 が 二
良 さを認識 し て自然 に入会者 も増加 し てく る
と思う。
仲 間 に最もよく奉仕す るも の最 も多く報 いら
が ま す ま す 発 展 す る こと を祈 念 し た い。
︵
第二五三〇地区 福島県 家具販売︶
し て死後 の再会 を楽 し みにした い。 そう思 う
らな いも のは、あ ると思 って いれば よ い。 そ
あ の世が あ るかな いかはわからな いが、 わか
す るも のです。 これ は、奉仕者 も受益者 とな
己と利他 の中庸 で、事業 の基礎 とし ても成立
奉仕 の理念﹂ は利
そし て こ8 が 理念 です 。 ﹁
す。ちなみに 巳①2 が 理想像 で こ8 おは理想、
奉仕 の理念と は後者 で
Eo巴 o﹁ r a¨
8 ︵
ータリー情報を学び、親睦も図ります。
n ン ー シ テ ィ ー ミ ー テ ィ ング 奮ユ0三 a
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﹃02日︶とも言われました。日本 では地区 のグ
ループ ︵
分区︶単位 で開かれることが多く、 ロ
神奈川県 工業塗装︶
タ リー の目的 とな る のです。
﹁
全人 類 の高 人格 化 によ る平和実 現﹂ が ロー
形 で、相利共生が実現 され る のです。 つまり
自他を互 いに高 めあ う﹂ と いう
の場合 では ﹁
的利益 は得 られません。したが って他 の奉仕
を職業 関係者 以外 に対 し て実践 し ても、物質
奉 仕 の理 念 ﹂
一九 二七 年 の四大 奉 仕 です。 ﹁
奉 仕 の理念﹂
この奉 仕 の対 象 をも たな い ﹁
に、 あ ら た め て奉 仕 の対 象 を 与 え た も のが
語が ﹁
奉仕 の理念﹂ を表すも のです。
て事業主 も報 われ ると いう のが職業奉仕 理念
人 いる。 これ か ら は若 手 を 中 心 に福 島 のク ラ
クラブ会員 は 四〇∼ 五〇人が最良 と言 われ
自 分 の仲 間 に﹂
れ る﹂ と いう標 語 で、 翌年 ﹁
ブ を 活 性 化 さ せ 、 ひ いては 日本 の ロー タ リ ー
て いる。 これ以上 にな ったら子ク ラブ、孫 ク
と いう条件をなくしたも の、すな わち第 二標
スと利 他 主 義 に基 づ か な いサ ービ スが あ り
8﹃
くい
8 に は、 利 他 主 義 に 基 づ く サ ー ビ
横浜港北 桑奪県一
量
黒
職業 奉 仕 と奉 仕 の理念
︵
第二七八〇地区 神奈川県 内科医︶
ロータリーは決 し て死 なな い。
ラブを考 えれば よ いことだ と思う。
ロータ リ ー に 死はな い
平塚北 山梨熙 一郎
近時 、高齢化時 代 を迎 え、死 に対 す る関 心、
議 論 が活 発 であ る。 人 間、 生 あ れば 死 あ り。
避 け る ことは不可能 であ る。﹃
旧約聖書﹄の﹁ヨ
ブ 記﹂ には、 ﹁
私 は裸 で母 の胎 内 を出 た。裸
でそ こに帰 ろう﹂ と いう言葉があ る。
ことは本当 に楽 し い期待 であ る。
りう る ﹁
理想的なサ ービ ス﹂ のこと で、職業
奉 仕 ﹂ は前 者 で、 月F
ま す。 日本 語 の ﹁
昔 から ﹁
生 病 老 死 ﹂ と いう言葉 が あ るが、
これを逆 にし て ﹁
死老病生﹂ としたらどうだ
奉仕 から生 まれた概念 です。
生 涯 は ほん の短 い旅 にすぎ な い。死 の後 に
ろう か。生 死 に対 す る発想 の転換 とし て、 死
2013 VOL.61 NO.7
THE ROTARY‐ NO―TOMO
①
不破 の関 ロー タ リ ー ク ラブ
不破関は、壬申 の乱 ︵
六 七 二年 ︶ の翌年 に儲
け られた 日本 三関 ︵
さ んか ん︶ の 一つです。
は るか 一三〇 〇 年 余 り前 の歴 史 に 思 いを は
せ、都と東国とを隔てる当時 間所 の周りにあ
った であろう集落 と関所、関所跡 から発掘さ
れた古代 瓦をデザ イ ンし て います 。
ク ラブ 創 立 六 〇 年 雑 感
田辺 村上 有司
一
[
勒記
翼
雌
には創立 六 〇 周年 記念 行 事 も 行 わ れま した。
一
¨一¨一一]﹁舞一一饗¨中 一﹁中 ¨[時時
近 い会 員を擁 し、 これま でに 二人 のガ バナー
を送 り出 し ています。
には、白 浜温泉 や日本 三美人 の湯 の 一つ、龍
ます。温暖 で風光明媚 な紀 州路 の中 でも周辺
市 に次 ぐ都市 とし て県南部 の中 心 とな って い
田辺市 は和歌山県中央部 に位置 し、和 歌山
思う。
現 役 で最 も 創 立 会 員 に近 いも の の 一人 と し
て、創立当時 の様 子を次 の世代 に残 した いと
た。創 立会 員 は全 員他 界 し てしま って いる。
ば 、黒潮 に揉 まれ身が引 き締 ま ったカ ツオ の
を通 し てお いし いも のが 口に入ります 。例 え
また 、海 、山 の産物 に恵 まれ てお り、年間
小企業 と、東京 に本社 を置く大手企業 の工場
できたクラブ で、 いわき市全域 から老舗 の中
ロータ リーク ラブ は、福島県浜通 り に最初 に
〇円、会費 は 一五〇〇円 であ った。 いわき平
創立当時 、会員 は 二五人。入会金 は五〇〇
刺身 は天下 一品 です。海 風が吹 き付 け る傾斜
のト ップ 、全 国規模 の大手金融機関 や地方銀
神温泉 など の泉源が多 くあります 。
地 にた わ わ に実 る紀州 ミカ ン。春 にな ると 一
行 のト ップ が会員だ った。
そ の中 で、 早世 した父 の代わり に入会 した
日 一〇〇 万本 と言 われる木が 一斉 に開花 し て
千里 の先 に香 りを届 けるウメも有名 です。
二七歳 の小生 にと って、
例会場 の敷 居 は高 く、
作業着 から背広 に着替 え、家内 に背中 を押 さ
私 は 田辺 R C の会 員 にな って四〇年 余 り、
﹁四 つのテ スト﹂ を 心 に刻 み、 職業 奉 仕 に励
当時、福島 県内 には郡山、会津若松 、 いわ
れ て自転車 で出席 した思 い出があ る。
ガ バナー に就 任す る こととなり、会 員 の助力
き平 の三ク ラブ しかなく、東北六県と北海道
ん でき ま した。縁あ って二〇〇九︱ 一〇年度
を得 て任期 を務められた ことが最大 の思 い出
会 に参加す る のは大変だ ったが、楽 し い思 い
が 一つの地 区だ った。交通 の便が悪 く地 区大
創立 六 〇年 を迎 えるにあたり、 ク ラブ では
出 でもあ った。
また、常磐炭鉱 が華 やかなりし ころ の年忘
です。
豊 かな風土 と厚 い人情 を歌 った歌を作 りまし
た。
一層 の発 展を願 いながら、 これか ら歌 っ
れ家族会 で、会員だ った日本舞踊花柳 流師匠
た理由 以外 に、炭鉱 と漁業 の衰退、 バブ ル の
一〇〇人近く いた会員も、子ク ラブ に移籍 し
在ま でに六 回例会 場を変更した。最盛期 には
な ったり、会場側 の経済的な理由 など で、現
ンだ った。 しかし六 〇年 の間 にそ こが火事 に
例会場 は地 元 の新 聞社が経営す るレ スト ラ
は、家族 にも大好 評 で今 でも語り草 にな って
いる。
の振 り 付 け、 演 出 によ る ロー タ リ ー 歌 舞 伎
て いこうと考 え て います。
︵
第二六四〇地区 和歌山県 一般弁護士︶
創 立 六 〇年 を 迎 え て
いわき平 佐 々木芳 弘
わが ク ラブ は今年六月 に創立六 〇年 を迎 え
ロータリーの友
7月 号
平成 25年
ー
FRIENDSHIP
PLAZA
た ハンセ ン病患者を訪 れ、 日を覆うような生
個 人 の健 康 や幸 福 に向 け て推 進 さ れ る べき で
が起 きた かわ か らな いま ま友 に駆 け寄 ると、
叫び太ももを押 さえ てうな った。私たちは何
出血はな い。骨折 でも した のかと思 いズボ ン
彼 はズボ ンの上 から大 腿部 を押 さ え て いる。
す。
私 が ロー タ リ ー の 一会 員 と し て目指 す ﹁コ
活を営 む人 々を さまざ まな国や地域 で日 にし
てきま した。
弱 者 が 自 立 し て生 活 でき る よ う 支 え る持
傷 口に沿 って見 えた。大 きな傷 口な のに出血
リと切れ ており、ピ ンク色 の肉 と白 い脂肪が
房 ほどパ ツク
を脱がせると、大腿部 が 一〇衆ン
入観 によ る狭 い価 値 観 から の解 放 、 問題 か ら
はほとんど し て いな いし、ズ ボ ンも破 れ て い
続的援助 が 、本当 の支援 になると いう ことが
の解 放 、 個 人 の可 能 性 の追 求 や幸 福 感 に つい
て、 将 来 に向 け た 持 続 可 能 な方 法 によ るビ ジ
な いのが不思議だ った。
ミ ュ ニテ ィ ー 、 そ し て 世 界 を 真 に助 け る こ
と﹂。 そ れ は、 健 康 的 な 生 活 様 式 、 偏 見 や 先
ます。 そ し て将来的 にも搾 取、虐待 、抑 圧 さ
ョンです 。 ︵
日本語訳はダ ニエル氏夫人 ・山手理恵︶
認 識 さ れ つ つあ り ま す。 長 期 的 な 視 野 を 持
ち、状況改善 に向 か って共 に働 く必要が あ り
れな い、自 立 した生活 のため の安全 の確 保 や
私たちはパ ニック になり、山を駆け下り て
︵
第二七五〇地区 東京都 広告制作︶
農作業をし て いた大人 に助 けを求 めた。 そし
て友 はすぐ に病院 に担ぎ 込ま れた。病院 ま で
付 き添 った私 たちは、手術が終 わるま で待合
室 で待 って いた。そ の間、助 け てくれた農夫
鎌馳 に襲 われたんだ よ。
が ﹁
運が悪 か ったね、
かわ いそう に。鎌融 の姿 は見 えな いが、寒 い
昭 和 二〇 年 代 ︶、
私 が 小 学 生 だ った ころ ︵
れた。家 に帰 って父から ﹁
真実 は自然現象 で
人を襲うんだぞ。気を付 け ろよ﹂ と話 し てく
季節 に野山 に現れ て、急 に飛び跳 ねたりす る
鎌馳 のうわさは 日常 会話 の中 に普通 に語ら れ
あり、鎌馳 は想像 の動物だ﹂ と聞 いて納得 し
最近、鎌馳現象 を ほとんど聞 かな いが、気
ていた。 しかし現在 は、鎌馳 と言 ってもわか
鎌馳が襲 ってく る のは、寒く空気 の乾燥 し
候 の変化 ではなく、子ど もたちが活発な遊び
た ことを、今ご ろ急 に思 い出 した。
た秋冬 で、 つむじ風を受 けたり木 から飛び降
をしなくな ったせ いだ ろう か。パ ソ コンゲ ー
ムが子ども の遊び の主流 になり、野外 で遊ぶ
ある晴 れた 日 の こと であ った。 い つも のよう
私が体験 した鎌 融 の襲来 は、小学六年生 の
どもたちが鎌馳 と出合 って驚 く 日は来 る のだ
満児が増 え て いると の新 聞報道 もされた。子
戸外 での遊びが制限され て いる。そ のため肥
姿が見 えな い。まし て福島県 は放射能汚染 で、
に近 く の山 に入 り大木 に登り、ターザ ンご つ
︵
第二五三〇地区 福島県 酒類卸売︶
ろうか ?
痛 い﹂ と
から飛び降 りた。着地 した途端 に ﹁
こを し て いた時 に、 同級生 の仲間 の 一人が木
させ る ことがあ ると いう のだ。
りたりす ると、大気 中 で真空 にな る場所が生
じ、 それ に触 れ ると人間 の皮膚 に裂傷を生 じ
らな い人が多 いのではな いだ ろうか。
本宮 高 田 宗彦
なぜ 出 な いのか ?
鎌馳は
環境作 り、 そし て教育 への配慮が必要 です。
同 様 に経 済 活 動 を 含 むあ ら ゆ る社 会 活 動
も持続 可能 を指針 とす べき です。 この認識 の
も と に、自 然 環境 の保全、無知 や貧 困 の撲 滅
と人づ くり の教育、
伝統 の継承 と文化 の発 展 、
名 古 屋 名 駅 ロー タ リ ー ク ラブ
第 二七六〇地区 ︵
愛知県︶
名古 屋駅は名古 屋市 の表玄関 であり、 日本 各
地を結び 、か つ電波 のア ンテナ ︵
Ho〓2︶は、
国内 はもとよ り、世界中 に名古屋 の文化 ・経
済 の情報発信を 可能 にしてくれます 。 ﹁
名 駅﹂
のネ︰ミ ング とバナーのデザ イ ンは、 このよ
うな発想 に依拠 したも のです 。
2013 VOL.61 NO.7
TOMO
NO―
THE ROTARY―
は、 二〇 代 ば か り で、 若 さ が ま ぶ し い限 り で
あ った 。
楽 団名 を 大 田ウ イ ンド オ ー ケ スト ラ と 命 名
し、 た ま た ま 私 が 最 年 長 と いう こと で団 長 を
し っか り若 作 り し
さ せ ら れ る 羽 = にな った ︵
て いた つも り だ った の に、 す っか り 見 破 ら れ
て し ま って いた ︶。 パ ー ト リ ー ダ ー な ど ス タ
ッフを 決 め 、 いよ いよ私 の 三度 日 の青 春 の ス
タ ー ト であ る 。
当 初 、 四卜 数 人 の団 員 で毎 週 月 曜 日 午 後 L
∼ 九 時 半 ま で高 校 の音 楽 室 で練 習 。 夜 間 な の
で近 所 迷 惑 にな るか と 、 夏 でも エア コ ンな し
で窓 を 開 め 切 って練 習 し、 楽 器 は 個 人 の物 と
学 校 で壊 れ て不要 にな った物 を 修 理 し て借 り
コミ ュ ニテ ィ ー そ し て
世 界 を真 に助 け る こと
室塁 田谷南 ダ ニ エ ル ・モ ン テ ベ ル デ
助ける︱︱ それは子どものころからの私
の大 き な テー マです 。
私 が生 ま れ た街 では 、路 上 や教 会 の入 り 日
で物 乞 いを す る人 々が いま し た 。施 しを与 え
る人 も、 物 乞 いに気 も 留 めず 歩 き過 ぎ る人 も
いま し た 。 両親 に質 問 し た と ころ、 母 は ﹁
救
いを求 め る人 はた く さ ん いるか ら﹂ と 、 父 は
﹁
施 し は物 乞 いを 怠 惰 に さ せ 、 そ の=暮 ら し
ジ カ ル でオ ー ケ スト ラピ ット で演 奏 し た り と
寓 話 が あ り ま す 。若 いア ラブ の王 子が 路 上 の
の生 き方 を 助 長 さ せ てし ま う﹂と 言 いま し た 。
⋮ ⋮が 、 そ のう ち少 しず つ欲 が 出 て、 み ん な
本 格 的 な 活 動 が でき る よ う にな った 。
ると いう あ り さ ま で、情 熱 だ け でや って いた 。
で使 う 打 楽 器 が ほし い、 近 所 か ら 練 習 場 に苫
物 乞 いを 正宮 の料 理 場 に招 いた 話 や 、 カジ ノ
毎 年 Uタ ー ン就 職 で戻 ってき た 若 い人 が 入 団
成 金 を 受 け る ことが でき 、太 鼓 な ど のパ ー カ
田市 の地 域 の文 化 の向 上 と、 東 日本 大 震 災 の
大 田ウ イ ンド オ ー ケ スト ラは 、 島 根 県 、 大
活 を す る人 々 に出会 い、 社 会 から 見捨 てら れ
と考 えま した 。 そ の後 、
一日 一ド ル 以下 の生
えを自 分 の日 で見 て、 歩 き 、 探 す必 要 が あ る
所 にす るた め に私 に でき る最 良 の こと﹂ の答
た。 ﹁
弱 者 の救 済 、 そ し て世 界 を よ り 良 い場
や不 公 正 さ に ついて私 は何 も 知 りま せ ん でし
一五歳 の ころ、障 界 や 人 々 の生 活 、 公 平 さ
と です 。
不幸 にし 、 ま た破 滅 に導 い てし ま う と いう こ
対 に不 公 平 な世 の中 に対 す る怒 りを 増 幅 さ せ
善意 の行 為 が 弱 者 を 救 う こと に はな らず 、 反
だ 話 も あ り ま す 。 こ の教 訓 は、 助 け ると いう
で大 儲 け し た 男 が 路 L の こじ き に大 金 を恵 ん
施 す と いう テ ー マ に つ い て は いく つか の
情 が来 る。 ﹁
団 長 、 ど う にか し てよ !﹂
以来 二〇 年 、 団 員 は 、 三分 の 二が 女 性 であ
る。 女 性 は 結 婚 す る と 退 会 す る 人 が 多 いが 、
集 め 、 練 習 場 探 し、 国 や 県 から の助 成 金 を 受
し てく る の で、 若 者 の定 住 に少 な か らず 貢 献
そ れ 以来 、 私 は妻 の協 力 を 得 な が ら 、 資 金
け るた め の手 続 き な ど に忙 しく 動 き 同 った 。
ツシ ョ ンが そ ろ った 。 ま た、市 の理解 を 得 て、
チ ャリ テ ィー コンサ ー ト など ボ ラ ンテ ィア活
でき て いる と 思 って いる。
練 習 場 も エア コンの効 いた青 少 年 ホ ー ム を 借
動 にも 積 極 的 に参 加 し、 私 自 身 も 若 者 と触 れ
そ のか いあ って、 総 額 三〇 〇 万 円 ほど の助
り る こと と な り、 少 しず つ環 境 も 充 実 し てき
置 づ け 、 今 後 も 変 わ る こと な く さ ら な る発 展
合 う中 で若 さ を 維 持 し、 これ を 生 涯 学 習 と位
演 奏 活 動 は 、定 期 演 奏 会 、 ク リ ス マス コン
を 日指 し て活 動 し て いく つも りだ 。楽 器 を 持
た。
サ ー ト の ほ か、 青 少 年 ホー ム の計 ら いで、 韓
って いる と き は青 春 ま っさ か り であ る。
︵
第二六九〇地区 島根県 広告看板業︶
国 ソウ ル で の青 少 年 と の文 化 交 流 演 奏 会 を 開
く こと が でき た り、 島 根 県 民 音 楽 祭 の ミ ュー
③
ロータリーの友
7月 号
平成 25年
楽器を持 つて 2度 目の青春をエンジ ョイ中
FRIENDSHIP
PLAZA
IMと絆
1己
エ ッセー、海外のロータ リー クラブ防間
、時局雑感など。 1′ 000字 以内。関連
写真があれば添付 してください。
ここでいう絆 は、基本的 には青少年 と の絆
を大切 にしながら、 そ の育 成 を考 えようと い
う こと ですが、 同時 に、会 員間 の絆 、ク ラブ
間 の絆 を深 め つつ、目指 す奉 仕活動 に乗りだ
そうと いう願 いも込め て います。
IM当 日は、東京都内 の公立中学校初 の民
間人校長となり、地域社会 と の連携 を深め つ
つ、見事、学校改革 に成功 、現在 は東京学芸
大 学客 員教授 の、藤 原 和 博 氏 に講演 を依 頼。
今 回 のテー マに即した、 わ かりやすく面白 い
話を し て いただ き、参加 者 に深 い感銘を与 え
る ことが できま した。
第 二部 は休憩時間を利 用 し、初 め ての試 み
し て います。第七組 は ﹁ミナ ミ﹂ と呼ば れ て
わがク ラブ は、第 二六六〇地 区第七組 に属
と室内楽演奏者が合 同 で、東 日本大震災 の復
ク ラブ の仲間 と合 同 で演奏 し、 最後 は合唱 団
ピ アノと室内楽、混声合 唱 など、 それぞ れ他
ンを数 回。
本番 ではギ ターと フォーク ソ ング 、
各 ク ラブ の音楽愛好家 が集 い、事前 にレ ッス
層 深 く な った ことが 、 大 き な喜 び です 。
行 動 し た こと により 、 ク ラブ 内 の絆 も よ り 一
年 の準 備 期 間 を 通 じ て、 会 員 同 士 が 結 束 し て
とし てミ ニコンサートを行 いま した。これは、
いる商都 。大阪 のど真 ん中、大阪市中央 区を
花 は咲 く﹂ を演奏。参加会
興応援歌 であ る ﹁
・三度 目 の青 春
ま っさ か リ
田
谷本 隆臣
︵
第二六六〇地区 大阪府 美容業︶
中心 に活動す る 一一ク ラブ で構成 され て いま
を通 じ合 う ことが でき、感動 と感謝 の声 で万
雷 の拍手を いただ きま した。
第 二部 は ﹁
若者﹂ に関す る三 つのテー マで
聴 く、歌 う、親睦を図 る、
今 回 のIMでは、﹁
四二歳 。若 かりし ころ のジ ーバ ンを はき、サ
再び 私 の青春が始 ま った のは、 二〇年前 の
テーブ ルデ ィスカ ッシ ョンを行 い、各 テーブ
きり に流 れ ており ま したが、昨年度、私 のク
研修 と友好促進﹂
議論す る﹂ と いう、いわば ﹁
を立ち上げ ようと各 ク ラブ の幹部が現地を訪
れ、冷蔵庫 や軽自動 車 など を協 同 で寄贈 しま
ラブがイ ンター シテ ィー ミー ティ ング ︵
IM︶
の二本柱 を追求 し、 さら には ロータリーク ラ
ク ソホ ンを抱 え、念願 の大 田市 吹奏楽 団結成
の初顔合 わせ に出席 した。パ ツパ ツのジ ーパ
﹁
お︱ い、音 のジ ーパ ン探 し てH﹂
のホ ストを務 め る に当 たり、 テー マを何 にす
ブ のあ るべき姿 が検討 され、成 功裏 に終 え る
ンを は いて私 な り に若 作 り し て い った会 場
ルから、 と ても貴重な意 見 が出 されました。
るか考 えた時 、 この ﹁
絆﹂をキー ワード にす
ことが できたと感 じ て います 。加 えて、約 1
した。 メデ ィアからも ﹁
絆﹂ と いう言葉が し
束 日本大 震災 を機 に、第七組 では協 同事業
にあります。
員全員が心から合 唱 し、共 に誓 い、新 た に心
3つ のテーマでテーブルディスカツション
すが、 ク ラブ 間 の交流 はなかなか困難 な状況
大阪船場 渡 辺 忠之
PLAZA
る ことを躊躇 なく選択 しま した。
2013 VOL.61 NO.7
THE ROTARY― NO―TOMO
⑦
FRIENDSHIP
日本 列島 は、世 界 の陸地 面積 のわず か に二 ・
ブ ドウが たく さん つなが りあ って日本 を形成 し
め てデ リケートな のです。従 って、自然 を読 み
て います 。さら に、 さまざ ま な自 然 の条 件が極
ュード六 以上 の地震 の二割が、 日本 列島 で起 き
一粒 一粒 のブ ドウを支 える茎 に例 え て考 えてみ
ワーク、そ し て エコロジ カルなネ ット ワークを、
あ りま せ ん。交 通、 エネ ルギ ー、情報 のネ ット
ただ単 に ﹁
音 に戻 れ﹂ と言 って いるわけ では
あ﹂ と言 って ﹁
風﹂ を付 けると、納得 とな って
い合 いますが、退 け時 に ﹁
だ けど社 風だ からな
あ﹂ など と焼 き鳥 屋 でサ ラリー マンが飲 ん で言
し てきま した。例 えば、景色 の景 に風が付 けば
﹁
風景﹂、土 に風 が付 けば ﹁
風土﹂、 そし て味 に
風が付けば ﹁
風味﹂。 ﹁
あ いつはダ メなんだ よな
われわれは ﹁
風﹂ と いう言葉を と ても大 切 に
解 く、自然を友だ ち にす る以外 に、自分 たちが
るとわ かりやす いと思 います。環境容 量、そし
終 わ ってしま います。
て いく 、 と いう構 図 です。
安 心、安全 で暮らす こと は できま せ ん。
てバ ックキ ャステ ィング と い つた考 え方 に基づ
五で し かありませんが、世界 で起 き る マグ ニチ
あ の二〇 一一年 二月 一一日、東 京 の二 つのタ
いた持続 性 が担保された未来 の国土像 を、描 い
日本人 は対立を しな いで、共通点 を見 いだ し
ワー塔 で、如実 にあ る ことが立 証 されま した。
リ エンス、元 に戻 る力が起 こ った のです。
したが、び くとも しません でした。 まさ にレジ
の中 に織 り込 ん であります。上 が 一六厨揺 れま
すが 、木造軸組構法 、継手 回の方 法 を この鉄骨
り入 れた東京 スカイ ツリーは、鉄 骨 ではあ りま
しかし、 日本 の五重塔 の技術 、 心柱 の技術を取
の結 果、上 のア ンテナが曲が ってしま いま した。
りま せ ん。だ から地震 にふんば った のです。そ
なく ても、
神様 には多く の食 べ物を お出 しして、
祭 り の時 にはお旅所を つく り、自分 が食 べられ
機会 に訪 ね て来 てくだ さ います。 です から、お
す。 日本 の神様 は必ず年 に 一回か 二回、祭り の
済的 に困窮 し て いても、人が来 た らも てなしま
大切 にし てきました。また、ど んな に自 分が経
あ るが、 し っかりと振 る舞 うと いう美 し い姿 を
ば なら な いと考 え てきました。そし て、謙虚 で
日本 人 は、自然 の前 では、人 は謙虚 でなけれ
れば こそ、 もう 一度、地域 に戻 るべきな のでは
こう いう関係をず っと築 いてきた日本 人 であ
そ こに生 き るわれわれ の遺伝子 の中 に入 り込 ん
で、風土 にな って いきます。
いてく ると風景 になります。この風景がやが て、
ってくると景観 になります。景観 に暮 らしが付
そ の自然 と固 い ヘソで つなが る、環境が 目 に入
分 の地域 が 一番 な んだ﹂ と思う こと によ って、
ます。 このこと によ って、何が できたか。 それ
自分 の見える範 囲、自分 の自 然 の個性あ る範
神様 をも てなそうとした のです。 日本 人 の中 に
な いでし ょうか。地域 の コミ ュ〓 アィーを大事
にし、 そ の美 し さ、素 晴 ら しさ に自 信 を持 つ。
て いく時期 が来 た のです。
囲 の中 で、ど のよう に独特 の生 き方 をし て いく
﹁
も てな す﹂ と いう気 持 は このよう に自 然 に身
実 は これ こそ国際化 に つなが るも のです。自分
剛 構 造 の東京 タ ワー は、 ﹁いな し﹂ よ うがあ
のかと いう こと に、 日本 人 は目を や らなければ
に ついて行 きま した。
ょう。ブ ドウ は、
一つひと つが個性 あ ふれた独
しかし、 これからはブ ドウ のよう になりまし
ー ワード であり続 けま した。
集権 、公益、巨大 と いう ことが 国土づ くり のキ
り が真 ん中 の指 示通 り に対 応 し て いく、集中 、
う考 え方 、すなわち、真 ん中 に芯 があ って、周
立ち返 る ことが、豊 かさを成熟 させると いう大
れわれ の人間性 を つく ってきた のです 。 ここに
化を つく ってきま した。 そし てまた 同時 に、 わ
しきた り とか、さまざ まな形 で、地域 固有 の文
祭 り と か あ る いは物 語 とか、 あ る いは掟 とか、
に逆 ら わ な い技 術 を提 供 します。 こ の三 つが、
そし て匠な心。自然を よく読 みと って、自然
ミ ュニティーデ ザ イ ンがし っかり できるかと い
ついても、防災 に ついても、どれだ けそ この コ
であります。街づ くり に ついても、街 お こし に
は ﹁
在所 一番﹂。 ﹁
オ ラが在所が 一番なんだ 。自
いけません。 これま では ﹁
東京 が中 心だ﹂ と い
特 の粒 を持 って います。 それはあ る意味 で環境
う ことが テー マになります。地域 と 一緒 にな っ
て、共 同し て、素晴 らし い日本を つく って いた
だ きた いと思 います。
これから の課題 は、 コミ ュニテ ィーデ ザ イ ン
できな いのです。
のアイデ ンテ ィテ ィーを抜 き にし て、 国際 人 は
に ついての適正容量 の範 囲 でもあ り、 マネジ メ
きな答 え であ ります。 ﹁
花鳥 風 月﹂ も そ の 一つ
であります。 そ の中 でも ﹁
風﹂ です。
ント でき る大 きさ でしかありま せ ん。 こう いう
⑥
ロータ リーの友
7月 号
平成 25年
!
考 え よ う 。育 も う
自然 と命
SPEECH
SPEECH
しかし、 そ の城壁 の中 で産業革命が起 き たも
のですから、ど んど ん成人 の余命が落 ち、例 え
三 つの矛盾 を持 って います。R二 8●ヨo二 ︵
環
境 ︶、8o●oヨく、 そ し て の認 “Чです。 こ の 三
つを解決す るため にはど う したら いいのか。結
論 は 一つしかありませ ん。 もう 一度、自然を読
︱︱︱︱■■■■■■■■■■■■■■■■■■■
た結果、 コミ ュニテ ィーが崩壊 したと アメリカ
です から あ ら た め て コミ ュニテ ィーを 大 事
にし、そし てそ の つなぎ役 とな る緑を人事 にし、
の専 門家 たちは考 え て います。
が 五〇歳 に届 か な いと いう状 況 にな り ま し た。
都 心 に多く のモノを集約す る ﹁コンパクト ・シ
ば、 ロンド ンの 一八〇〇年代 の成 人男 子 の余命
そ こで、慌 て て城 壁 を壊 し て環状 の緑 を 作 り、
変 わらず産業革命 の延長線上 のデザ イ ンなリ パ
ま れた のであ ります。 しかし今 でも都市 は、相
ー ヨーク にセ ント ラルパーク のようなも のが生
われわれが見 るような ヨー ロッパがあり、 ニ ュ
れ ると いう考 え方 を持 ち込 み、 ようやく現在 の
し て、人間 のシステム、地球 のシステム、社会
リカ、 ヨー ロッパ の各 国が指向 し始 め て いる の
です。 このよう にわれわれは、都市 を はじめ と
ま さ に、 か つて の日本 の都 市 の原 型 を ア メ
市計画を担 う専 門家 は提案 し つつあ る のです。
ティー﹂ と いう考 え方 を持 ち込ん で、環境 に対
す る負荷 を少 なく し て いこう、と アメリカ の都
ょうか。それは ﹁
成長 の基盤﹂ です。 これを社
産業革命 は 一体何を、主 眼 にし てきた のでし
われ の復元力、 これを強化 し て いかなければ な
ではなく て、ありとあらゆ る こと に対す るわれ
ジ リ エンス﹂。災害 に対 す る レジ リ エンスだ け
入れる こと です。 そ こで、
レ
冒頭 に申 し上げた ﹁
み解く力を身 に つけ、 コミ ュニテ ィーを大事 に
し、環境革命後 の新 たなビジ ネ スモデ ルを手 に
ター ンを持 って います。
のシステム、 これを ど のよう に、自然 と のバラ
会資本財 で いかに つく ってく るかが、大きな課
公園や緑地 と いう制度を構築 し、緑を都市 に入
これ に比 べ て、常 に緑が周辺 にあ る、 これが
ンスを取りながら持 続的未来を得 られ る のかと
題 でした。 しかし、環境革命後 の発想 は ﹁
成熟
ょうか。
れわれはど のよう に考 え て い ったら いいのでし
こう いう新 たな発想 を基 に、具体的な方向 をわ
の基盤﹂、 これ に目を向けなければ なりません。
﹁
成長 の基盤﹂と ﹁
成熟 の基盤﹂は全く違 います。
らな いのです。
日本 の都市 であ りました。当時、世界 で 一番 人
いう喫緊 の課題 に迫 られ て います。
■ 東京都市大学教授 ・造 国家 一
涌W算︻ 辞狙 ↓乙
員会委員長、などを歴任。著者にはNHK出版 ﹃
景観から見た
日本の心﹄、三省堂 ﹃
奇跡と希望の松﹄等多数。
あり方 に関す る調査研究委
を手がける。﹁
愛・
地球博﹂■ ¨
O〇五年 ︶では、会場演出総合
プ ロデ ユーサー、国連生物多様性の 一0年委員会委員長代理、
︰ドを経て、大学に勤務後、農村 ・
水源地域 の活性化計画など
た多摩田口都市、 ハウステンボスなど実践的プ ロジ ェクトのリ
文化 アカデ ミー学長。東急関連会社 の社長 であ っ
一九四五年 神奈川県鎌倉市生まれ。遺国家 ・ランドスケ︰プ
アーキテクト。東京都市大学環境情報学部教授。岐阜県立森林
今 や都市 は いず れ も頭 にEの付 く、
ジ レ ン マ、
成長 から成熟 へ
口を集め て いた江戸 です ら、 周り は緑 に囲まれ
城壁 はお城 の中 にしかありません でした。す な
わち、 われ われ 日本人 は宿命的 に自然 と共生 す
ると いう文 化 を築 いてきた のです。 それが 日本
と いう難 し い国土 と付 き合う上 で、
一番優 れ た
考 え方だ った から であります。
と ころが、 アメリカ では ヘンリー ・フオード
が自動車 と いう形 で、新 たな都市文 明を つく っ
た のです。彼 は、自動車を売 るため に郊 外住宅
と いう スタイ ルを つく りました。そし て、郊外
住宅 を売 りだす こと によ って、自動車 も売 れ る
ようなビジ ネ スモデ ルを つくりま した。
アメリカ の都 市 問題がど こにあ る のかと言 え
ば 、それは過度 に自動車 に依存 し、自然 に配慮
す る ことを忘 れた こと です。地域 や都市 を誇 る
ことが できたり、あ る いは自分 たちが故 郷だ と
思 えるような土地 に対す る思 いを人 々から奪 っ
2013 VOL.61 NO。 7
TOMO
NO―
THE ROTARY―
○
!
考 え よ う 。育 も う
自然 と命
命 の共生 ﹂ と いう
いう のが テー マでし たが 、 ﹁
命 の共 生 を、 未 来 へ﹂ と
F 言お﹂ す な わ ち ﹁
三 つ目 には、
一番大事 な こと、未来 の子どもた
上 国 とわ れわれ と のバラ ンスが 調整 でき ます。
程が変 わり、例 えば直 販方式なども、 そうした
択す る方 向が主流 となり つつあります。流通過
フスタイ ルを品物 と同時 に提供 でき る企業が勝
価値観 から生まれ ている、と見 る ことが できま
﹁モノが豊 かな方 よりも心が豊 かな方が いい﹂
ち に、 われわれは彼 らが生 き て いくため のも の
と いう 日本人 の数が、ど んど んど んど ん増 え続
者 にな って いる、 と いう状況が生 じ て います。
のは ヨー ロッパ の人 たち には、なかなか理解が
け て います。
一九 八〇年 ころを境 目 に、豊 かさ
一方 、 日本 の将来を考 えます と、非常 に厳 し
を残 す ことが できます。
を追 い求め る時代 は終 わ った のであ ります。そ
い状 況 に突 き当 たります。なぜ な らば 、高齢化
できな か ったよう です 。 し かし結果とし て、そ
私は、 二〇 一二年 にイ ンド で開催 された CO
し て、豊 かさを深め る時代 に、 われわれがど の
社会 、少 子化社会 のため に、労働生産 人 口が急
し ょう。地球 の資源が有限 であ る ことを考 える
と、 そう した限界 に即した、新 たな提案 のライ
P Hで感動 しました。 なぜ な ら、イ ンド政府 が
よ う に未来 へ命 を育 む のか、 これが非常 に重要
速 に減少 し て いるから です。 この時代 に、
一体
こで定 められた愛知 目標 は ﹁
自然 と共生 す る世
自 然 を守 れば われわれ
世界 に示 したテー マが ﹁
だ と思 います。 そ こで私 は、 も はやわれわれは
同時 に、小金 を持 った高齢者がど んど ん増 えて
いう言 葉 が受 け 入 れ ら れ た 、 と私 は考 え て いた
ば こ そ 、 ﹁自 然 と 共 生 す る ﹂ と
C O P O
l で あ れ
界﹂ と いう こと で統 一が できま した。
が守 られ る﹂だ ったから です 。 日本 で開かれた
従 来 の産 業 革 命 に よ る モデ ル を か な ぐ り捨 て
て、新 たな、環境革命 と いう レジ ームを構築す
いくと いう人 口構造 になります。 しかも、地域
れ われ の合理、便利 のため にど のよう に使 って
源 は無限 であ る。 よ って この無限 の資源を、 わ
きな のでありまし ょう。従来 と同じ手法、すな
こう した今 に、 われわれは何 を考 え て いくべ
づ く り と いう 言葉 す ら陳 腐 化 す る ほど の状 況
に、今 や われわれは追 い込まれ て います。
わ れ わ れ はど んな知恵 を働 か せれば い いのか。
の であ り ま す が 、 愛 知 目 標 が 定 め ら れ て 以降 、
べきだ と考 え て いるわけ であります。
いく のか﹂が大 きな使命 でありま した。そして、
わち財政を投 入し て国債を発行 し て、 て こ入れ
産業革命 の時代 は ﹁
地球 のあ りとあ らゆる資
世 界 は 日本 的 な も の の考 え方 、 す な わ ち 自 然 が
主 流 であ る と いう 考 え 方 が 引 き 継 が れ て いく 、
と考 え て お りま す 。
自動 車産業 に象徴 され るよう に、少 品種大量生
今 の消費者 は、隣 の人が持 って いるから自分
ょうか。
地球 の資源 は有限
われわれは発想 の転換 を しなければなりませ
ん。今 日より明 日、 明 日より明後 日と いう考 え
も持 ちた い、と いう欲望 は ほと んど持 ちません。
生す る﹂ と いう考 え方 はありま せん でした。城
し て景気 を良 く し ていく。確 か にそれも 一つの
方 は捨 て去 る時期 にき て います。 なぜ ならば 、
むし ろ ﹁
自分 が自分 の感性 で価値 を見 いだした
も のが ほし い﹂、あ る いは、 ﹁
環境 に対 し てどれ
壁 で囲まれた内側 は神 の代理人とし ての人 間が
産 、 コストダ ウ ン、プ ライ スダ ウ ンが世界 のビ
地球 の環境容 量︶ が決 ま って いるか
リ ミ ット ︵
ほど そ の企業が配慮 し て いるかも日配りしなが
文 明力 を誇示す る場所 であり、自然 は城壁 の外
方法 かも しれません。しかし、われわれはも っ
ら です。 われわれは豊 かさを求 め るのではなく
て、深 め る考 え方 、す なわち、 リ ミ ットから逆
ら商品を選択す る﹂ と いう、環境革命 の時代 に
自然 は人間 のしも べだ﹂。 こ
側 にあ りま した。 ﹁
ジ ネ スモデ ルになりました。
算 を し て今 をど う考 え る か、 ﹁
バ ックキ ャステ
な りま した。
を 得 ま せん。先 進 国 では価 格 は低 く なく とも、
従 って、生産 は多品種、少量生 産 にならぎ る
す。
に ヨー ロ ッパ の緑 を 少 な く し て し ま った の で
の考 え方 が 一〇〇〇年をかけ て、あ れ ほど ま で
ヨー ロ ッパ の都市 には、もとも と ﹁
自然 と共
と発想 の転換 を必要とし て いる のではな いでし
ィ ング﹂ と いう のですが、 そうした考 え方 を主
そ の結 果、まず 、自然 から奪う こと のバラ ン
多 く の消費者 は新 たな価値観 で商 品 や製品を選
流 にしな ければ いけま せん。
スが調整 できます。 そし て二 つ目 には、発 展途
①
ロータ リーの友
7月 号
平成 25年
鮎輸
蒟酬
機
SPEECH
P
High tevel Segment
議 ″の 1 つの会 議
がありますと の
^つ、 ﹁生 物 多 様
って いな いア メ リ カ や中 国 にも こ の問 題 を 共 有
し ても ら う た め 、 そ の年 の 一1月 の国連 総 会 に
、
こ のC O PO
l で議 決 さ れ た愛 知 H標 と 国 連 生
物 多 様 性 の ^0 年 を 、 国連 で議 定 し ても ら お う
会 議 の成 功 には、 日本 が 発 展 途 上 国 の人 た ち
性 条 約 第 一● 回締
開催 さ れ ま し た。
に感 動 を与 えた と いう事 実 が あ り ま し た 。 そ の
と いう こと にな り 、 見 事 に総 会 決 議 を採 った の
難 し いと 言 わ れ
感 動 と は 日本 の水 田 です c ﹁ラ ム サ ー ル条 約 湿
約 国 会 議 ﹂ ︵C O
て いた会 議 で し た
地﹂ で指 定 さ れ て いる湿 地 に数 えら れ る生 物 の
であ り ま す 。
が 、 これ ま で世 界
多様 性 以上 に、 日本 の水 田 には豊 か な生 物 多 様
PO
l︶ が 名 古 屋 で
で開 か れ た 環 境 の
そ し て、 も う 一つは ﹁
元本 に手 を つけ な いで
性 が あ る と いう こ の事 実 であ り ま し た。
大 きな成 果 を 残 し
利息 で暮 ら す 英 知 を 日本 人 が持 って いた﹂ と い
会 議 の中 で、 最 も
た と言 わ れ る ほど
う こと です 。 そ れ が 、 あ の里 山 です 。常 に里 山
に手 を 人 れ て、 10 年 た てば ま た 元 の里 山 に一
戻
る、 こう いう 循 環 的 な仕 組 みを 日本 人 は身 に つ
の果実 を 得 ま し
長期 =標 と した
け てき た の です 。 こ の ことを わ れ わ れ は徹 底 し
た c l ■五 ●年 を
二● の愛 知 H 標
今 、環 境 問 題 に関 し て、 発 展 途 上 国 と先 進 国
て世 界 に訴 え てき ま し た 。
略 計 画 ︶を 決 定 し 、
の対 立 が あ り ま す 。 発 展 途 上 国が 開 発 な のか保
︵
生物多様性 新戦
な お か つ、 こ の目
護 な のか、 こ の 二 つの間 でさ んざ ん悩 ん で いる
時 に、 日本 が 第 三 の道 を 示 し た の です 。 す な わ
i手 に手 を加 え て いけば 、 自 分
ち、 自 然 は人 が l
標 を 具体 化 す るた
か ら 二● 年 ま で の
たち にも 果実 が 残 り 、 未 来 にも 果実 を 残 す こと
め には 一一
3 一 一年
一3 年 間 が 非 常 に
が でき る のだ と いう こと です 。 こ の水 田や 里 山
連生物多様性 の
^■ 年 と 位 置づ
﹂
う る こ でし た 。 そ し て、 発展 途 上 国 が 日本 の案
C O P Ю で は、 Fい
け ヨ エ電 ヨ8 メ ヨざ 手 ①
た の でし た 。
に賛 成 し て、 これ が C O P Ю の成 功 に結 び 付 い
多 様 性 条 約 ﹂ に人
そ し て、 ﹁生 物
け ま し たc
重 要 と し て、 ﹁国
のあ り よ うが 、 発 展 途 L 国 にし てみれば H か ら
TOMO
2013 VOL.61 NO.7
NO―
CENTURY
一
2010年 名古屋で開催された 「生物多様性条約第 10回 締約国会議」 (COP10)写 真提供 :ロ イター/ア フロ
THE ROTARY―
○
Chair
HALT
Itr[ntnilIt[[[fi[l
2012年 11月 18日
国際ロータリー第 2560地 区
地区大会記念講演要旨
地球 の四六億年 の歴史を 一年 の暦 にし て考 え
ると、産業革命が起 こ った のは、
〓 一
月三 一日
午後 一一時 五九分 五八秒 のこと です。 われわれ
はた った 二秒 間 で、営 々とし て築 かれ てきた命
の連鎖 の仕組 みを、まさ にガーデ ンと呼ぶ にふ
さわし い地球 に、大きな傷を つけようとし てい
ます 。
地球 は、人間を頂点 とした見事 なピ ラ ミ ッド
を つく ってくれました。しかし、 そ の頂点 にわ
生物 は報 われません。地球人 口はあ っと いう問
開発 か自然保護 か
日本が示した第 三 の道
今 日は ﹁
考 え よ う 。育 も う ! 自 然 と命 ﹂ を
に伸び て いきま した。 三〇年後 には、 おそらく
れ わ れ が 住 ん で いる のだ、 と いう自 覚 な く し
て、 この底 辺 に横 たわる、多 く の人間を支 える
テ ー マ に、 副 題 に レ ジ リ エ ン ス ︵
﹃
o豊 ︼
8 の3
しかし、 この人間 の生活を支 え て いく ため の
九 〇 億 人 にな るだ ろうと言 われ て いま したが、
私 は新 潟 県中 越 沖 地 震 の復 興 の手 伝 い、 ま た
生物 の多様性 が今、失 われ つつあります。
一万
と い う 請 葉 を 付 け て お 話 を さ せ て いた だ き ま
今 回 、 東 北 の被 災 地 に つい て の復 旧 ・復 興委 員
年 前 には、
一〇〇年 にた った 一種 の生物が絶滅
今 の状況 で いけば、
一〇〇億人 にな る可能性が
会 の 一つを委 ね ら れ て対 応 し てき ま し たが、 そ
す る程度 でしたが、現在 では最低 一〇〇種、場
す 。 レジ リ エンスと いう のは、再 生 力 、復 元力 、
れ ら を 通 じ 、 し み じ み感 じ た ことが あ り ます 。
合 に よ る と 三〇 〇 ∼ 五〇 〇 の生 物 が 絶 滅 し ま
あ ります。
そ れ は、 ﹁日本 に と って ﹃
防 災 ﹄ と いう 言 葉
す。 このことは、ピ ラミ ッド にひび が入り始 め
回復 力 と いう よ う な意 味 です 。
ほど 不 似 合 いな も のは な い。 わ れ わ れ が 肝 に銘
た と いう ことを意味 し ています。
一九 九 二年、 プ ラジ ル のリ オデ ジ ャネ イ ロ
ず べ き こと は ﹃
減 災 ﹄。 そ し て、 こ のよ う な 災
害 と と も に生 き てき た 日 本 民 族 であ り ま す が 、
そ の中 で、 そ の体 験 と知 恵 を 生 か し て、 災害 を
の条 約 に署 名 し ま し た。 二〇 一〇 年 に、 こ の
で開催 さ れた ﹁
国連 環境 開発会 議 ﹂ ︵
リオデ ジ
ャネ イ ロ地 球 サ ミ ット︶ で、参 加 国 は、 ﹁
気候
今 、 地 球 は溶 け 始 め て いま す 。 地 球 環 境 の危
﹁
条 約 におけ る締約 国会議 ︵
oo●おお58 R 多①
克 服 す る力 、 つま り ﹃
克 災 ﹄、 これ に着 目 す べ
機 は 、 生 命 の危 機 です 。 な ぜ な ら 、 わ れ われ は
﹁”二 8 Hc o P。 c O P には ″生 物 多 様 性 条
変 動 枠 組条 約﹂ と ﹁
生 物多 様 性 条 約 ﹂ の二 つ
生 き 物 であ り、 生 命 体 だ か ら です 。 人 間 と いえ
約締 約 国会議 ″と ″気候変動枠 組 条約締 約 国会
き な の ではな いか﹂ と いう こと です 。
ど も 、 そ の範 疇 の存 在 でし か あ り ま せ ん。
②
ロータ リーの友
7月 号
平成 25年
之
雅
井
涌
棘 都市婢 教授 。造購
!
考 えよ う・ 育 も う
自然 と命
今、環境 問題 に関 して、発展途 上 国 と先進 国 の対 立 が あ ります。 発 展途 上 国 が開発 なのか保護
なの か、 この 2つ の 間でさんざん悩 んでいる時 に、 日本 が第 3の 道 を示 したの です。 すなわ ち、
るのだ とい うことです。
自然 は人 が上手 に手 を加 えていけば、 自分 たちにも果実が残 り、未来 にも果実を残 す ことができ
Masayuki Wakui
涌 丼 雅之
考 えよう o育 も う ︰
自然 と命
友愛 の広場
︰Mと絆 大阪船場 渡辺 忠之
三度 目の青春まっさかり 大田 谷本 隆 臣
三 二ティーそし て世界を真 に助けること
コヽ
ヽ
東一
泉世田谷南 ダ ニエル・
モンテベルデ
鎌艶はなぜ出ないのか? 本宮 一
局田 [
示彦
創立六 〇年を迎え て
平塚北 山 梨 熙 一郎
いわき平 佐 々木 芳 弘
クラブ創立六〇年雑感 田辺 村上 有 司
ロータリーに死はな い
横浜港北 桑 原
八幡浜 松 下 牧渡
西宮 甲子園
大阪 ︲淀 川
ロー タ リ l oアット oワー ク
京都東ロータリークラブ
吉 田 山 でサ ク ラ植 樹 と
子ど も 公 開 文 化 塾
︿
写真 ﹀
志木/松 山南 / 北松 浦/桜丼 /都留/諫 早/
象潟/山形南 /秦 野中 /袋 丼/加賀/東京飛火野
福井東
宇部
福井農林高校 で社会人としての勉強会
宇都宮
奨学生から の手紙
自百合 ︰AC誕生
士別
横浜港北
第 二五〇〇地区&第 二五〇〇回記念例会
前橋
二五〇〇回記念例会 に︰AC創設
地区番号と同じ第 二八四〇回の例会
六 四チームが熱戦を展開
児童虐待防止 の看板設置
高鍋
諌早西
四万十
大分キ ャピタル
激熱 ! ヽ
二一
ラグビ ー大会
北見東
未来 のお仕事探し
求む! 第 二のマリリ ン
岩国西
原町
和歌山アゼリア
小松シティ
米山梅吉記念館訪間と線持寺 への墓参
創立 一五周年記念 芭蕉カブツキ︰登場!
紀南水害復興支援 チャリティーコンサート
ニ宮金次郎像、校歌碑に復興の願いをこめて
子どもたちを 元気 に 第 二五三〇地 区
もう 一
度 例会 に出席 し てもら いた い
第 二五 二〇地 区内 四RC 。
第 二五五〇地 区内 四RC
東京と仙台 の小学生 の版 画作 品交流 展の開催 東 京 田無
表 紙 ロン・
D。
バー ト ン R I会 長
表 紙 題字 加 藤 光 峰
表 紙 レイ アウ ト 質 牧 彰
︱ いた2ヽ3 ヘージにあります
●価細みの=次は 反対側 の人紙を︱
︱
●本文 写真などの無断転叔 ・
複製を禁します
・
“
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国
は
・
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=鷲
rOtary・ 0■ ,p
一般社 J法 人 ロー タリーの 友 事務所
〒1050011東 京都港区芝公園2615黒 龍芝公園ビル4階
Te1 03-3436-6651 Fax 03-3436-5956
編集部メール hensyu@rotary‐ no‐ tomojP
職業 奉 仕と奉 仕 の理念
●バナー自 慢
卓話 の泉
次 世 代 自 動 車 の動 向
肝 臓 について
◆長 谷 川 櫂 選
芳
樹
①
羽毛 布 団
ロータリー俳壇
◆馬 場 あ き 子
◆て じ ま 晩 秋
ロータリー歌壇
ロータリー柳壇
⑦
志
織
○
勝
部
⑭
林
⑭
2013 VOL.61 NO.7
THE ROTARY― NO‐ TOMO
①
選
選
口",ツ ■軋ミ■ 藷
舞
⊂ONttENttS
THE ROTARY‐ NO… TOル 10
⑭
欠 けているパズルの
ビ…スを埋めるのは
脩聯たです
丁HE ROTARY‐ NOETOMO
JULY 2013 VOL.61 NO.7
ロー タ リ ︰ を 実 践 し み ん な に豊 か な 人 生 を
ロータリーを実践 し みんなに豊か な人生を
2013‐
考 えよ う・育 もう
自然 と命
涌丼 雅之
!
14年 度 国際□―タリー・テーマ