中国経済 東京大学経済学部2015年S1セメスター 第4回 丸川知雄 三線建設が実施された地域 0 1000km 三線建設最大のプロジェクト:攀枝花製鉄所 中国がソ連と対立してまで築こうとした独 特の社会主義とは? • 地方分権的 1958年に中央政府所属の 国有企業のほとんどを地方に移管。地方 の工業化への熱情の高まりは農業との 大きな不均衡をもたらし、2000万人の餓 死者を出す惨事に至る。(「大躍進」) 1961年に再集権化、しかし70年には再び 分権化。 • 地方政府や大衆の能動性発揮という社 会主義像を毛沢東が好んだ。また国の半 分が破壊されても残りが生き残って闘い を続けるという「根拠地の思想」が政策を 大きく方向付けた。 分権化の背後にある人間観 • 地方分権化は改革・開放期にも行われた。しかし計 画経済期と改革・開放期では背後にある人間観が 異なる。 • 計画経済期には分権化すれば人々が「工業化」「共 産主義社会の実現」に私心のない努力をすると期 待していた。だが実際には誇大報告と虚報の嵐。地 方政府は政治的自己利益を最大化。性善説 • 改革開放期には、地方政府、企業、個人が自己利 益を追求することを計算に入れた制度設計が行わ れている。アダム・スミス的人間観 地方分権化の結果、ソ連とは大きく異なる 産業構造 • ソ連では自動車メーカーは10数社。中国では 1977年に54社。「競争的な」産業組織 • 各省がいろいろな産業を抱えたフルセット型 表2-2 様々な「商品」の省内自給率(1975年) 産業構造 歩行型トラクター トラクター 農業用動力機械 石鹸 酒 化学農薬 化学肥料 綿糸 洗濯粉 亜鉛メッキ 鉄線 化繊布 ホーローコップ 衛生シ ャツズボン 綿毛シ ャツ・ズボン 96% 96% 95% 93% 91% 91% 84% 79% 78% 75% 72% 72% 68% 68% 綿布 67% ホーロー 洗面器 65% ゴム 靴 61% シャツ 55% ポリエ ステル布 51% 毛糸 48% 絹布 48% ミシン 42% 混紡布 37% 自転車 30% 腕時計 20% トランジスタラジオ 19% 軽油 -6% ガソリン -21% 中央の国家計画委員会がコントロールし ていた経済活動は一部だった • 1975年時点で国家計画委員会が掌握していた「物 資」は石炭、コークス、鋼材、ゴム、セメントなど33品 目、「商品」は食糧、植物油、豚、ゴム靴、電気メー ター、テレビ、ボールペンなど124品目だった。 • ではこれ以外の財はどのように流通していたのだろ うか。例えば自動車の部品は? • 部品などは企業の間でかなり売買されていたが、売 買関係は不安定だった。地方政府も企業間取引を コーディネートしていた。 • つまり、計画経済のコントロールが行き届かない部 分は「計画外」の経済活動によって補完されていた。 6 集団農業の解体 図2-3 農業就業者1人あたり農業生産・食糧生産の推移 4 3 .5 3 ㌧/ 人 2 .5 2 1 .5 1人あたり農 業生産 1人あたり食糧生 産 1 0 .5 0 (注 )農 業就業者 1人あたり農業 生産は、1953年の数値 が1人あたり食糧生産量 の数値と同 じになるような実質 指数をとっている。 年 (出 所)国家統計 局総合司編 (1990)pp.10,12、 国家統計局 (各 年版) 農業就業者1人あたりの食糧生産量が1953年の963kgだったのが、77年には 960kgと、全く伸びていない。 • 農業の生産性が上昇しないと、食糧を輸入し ない限り、工業化を進められない。「リカード の罠」 • 無理に工業化を進めようとすると、「大躍進」 のような悲劇を招く。 • 「大躍進」後の危機を脱出するために1960年 頃に自留地、自由市場、副業、そして請負制 が実施された。但し1962年に請負制は中止。 • この請負制を1980年代に復活させ、1984年 には全面的に「農家経営請負制」を実施した。 • そうしたら農業の生産性上昇にはっきりした 効果が現れた。 農業の生産性が上がって食生活が改善。2000年に はカロリー摂取量、動物性食品からのカロリー摂取 が日本並みになった。 表2-3 中国と日本の食料供給状況 中国・総カロリー(kcal/日) 日本・総カロリー(kcal/日) 年 植物性 動物性 植物性 動物性 食糧 食糧 1961 1439 96% 87% 4% 2525 90% 72% 10% 1970 1859 94% 86% 6% 2738 85% 56% 15% 1980 2161 92% 81% 8% 2799 81% 50% 19% 1990 2515 88% 73% 12% 2949 79% 46% 21% 2000 2812 81% 63% 19% 2900 79% 45% 21% 2010 3041 77% 53% 23% 2692 80% 45% 20% (注)「食糧」の定義は注3を参照。日本も中国の定義に基づいて計算している。 (出所)FAO, FAOSTAT(http://faostat3.fao.org/home/E)より作成。2015年4月14日アクセス 農業の生産性上昇 • 1980年代前半からの農業の生産性上昇は、請負制導 入の効果ばかりではなく、それまでに蓄積されてきた農 業に対する投資が生きた面もある。 • 灌漑面積は1953年から78年の間に2.1倍になっている。 • 1960年代には高収量のコメやトウモロコシが導入された。 • 1980年代になって化学肥料の増産と輸入により施肥量 が増大。 • 灌漑、高収量品種、化学肥料という「緑の革命」の3要 素が1980年代に揃ったことで農業の生産性が大きく上 昇したとも解釈できる。 7 市場経済への転換 • 中国の市場経済移行の特徴はきわめて長い時間 がかかっていること。 • 計画経済への移行は1953→1957年の4年間でほぼ 達成。 • 市場経済移行は1978年末に始まり、今日まだ終 わっていない。 • 集団農業は1984年までに解体されたが、集団化以 前に戻ったわけではない。農地は「集団所有」のま まで、農家は土地を請け負っているにすぎない。土 地の「請負権」しか持っていないので、道路の建設 などに際して土地を簡単に収用されることもある。 国有企業のシェアはだんだん下がってい るが・・ 図2-1 鉱工業生産に占める各種企業のシェア① 100% 80% 60% その他の企 業 自営業 40% 集団所有制 企業 20% 国有企業 0% 1952 1957 1962 1965 1970 1971 1972 1975 1978 (出所)国 家統計局編『中国統計年鑑1999』中国統計 出版社 p.423 1980 1985 1990 1991 1992 1993 1994 1995 1996 1997 1998 下がっているが・・・。2013年現在まだ国有・国 家支配企業が25%を占めている。 図2-4 鉱工業企業の収入に占める各種企業のシェア② 100% 90% 23% 23% 23% 25% 28% 29% 31% 34% 80% 36% 38% 41% 44% 45% 47% 50% 51% 70% 24% 26% 27% 60% 28% 28% 30% 33% 50% 32% 32% 31% その他企業 29% 40% 28% 27% 26% 24% 外資系企業 23% 国有企業 30% 52% 20% 51% 50% 47% 44% 41% 36% 34% 32% 10% 31% 30% 28% 28% 27% 26% 25% 0% 1998 1999 2000 2001 2002 2003 2004 2005 2006 2007 2008 2009 2010 2011 2012 2013 (注)2006年まではすべての国有企業と収入500万元以上の他の企業、2007-2010年は収入500万元以上の企業、2011年からは収入2000万 元以上の企業のみが調査対象となっている。 経済計画や価格 • 5カ年計画を作成する作業は改革開放期に入ってか らむしろ熱心かつ詳細に行われるようになった。現 在も第12次5カ年計画(2011~2015年)が進行中。 • 1970年代末時点では様々な製品の価格を政府が 決め、購入には配給キップが必要だった。 • 食糧配給キップ(糧票)が廃止されたのは1993年。 価格と流通の自由化が成し遂げられるまで改革開 放が始まってから14年もかかっている。
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