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平成27年7月1日発行
同 窓 会 報
愛媛大学教育学部
愛媛大学教育学部同窓会事務局
〠 790-8577 松 山 市 文 京 町 3 番
愛媛大学教育学部総務係室内
☎ (089)927 - 9383( 直通)FAX(089)927 - 8304
E-mail : [email protected]
第
第120
117号
号
ご 挨 拶
愛媛大学教育学部
同窓会会長
高橋 治郎
同窓生の皆様、お変わりござい
ませんでしょうか。寒かったかと
思 え ば 急 に 暖 か く な っ た り、
「も
う雨はいらん」のに雨の日が続き
日照時間が極端に短くなったり
と、 変 な 天 候 の 昨 今 で す。 し か
し、長い目で(地質学的に)見れ
ばちょっとした気候の揺らぎにす
ぎないのでしょう。
とは言っても、
老人手帳を持つ身になると、身体
が気温変化についてゆけず着るも
のの選択に苦労しています。つい
この前までは、だれよりも早く半
袖のシャツに衣替えし、木枯らし
が吹き出しても小学生に負けじと
半袖でとおした私ですが……。さ
て、 戦 後 七 十 年 目 に あ た る 今 年、
三月に卒業生・修了生が巣立って
ゆき、四月には学部・大学院に新
入生を迎え、入学式前からキャン
パスは賑やかとなりました。正門
を入った図書館前に人工の川が造
られるなど新学期が始まるのにふ
さわしい学内環境になり、さらに
桜が咲き乱れ木々に新芽が芽吹い
ています。そうした中、各サーク
ル は 部 員 の 確 保 に 躍 起 に な っ て、
新入生にビラを配ったり話しかけ
た り の 勧 誘 を お こ な っ て い ま す。
大学生協も学生マンションや下宿
(死語になりつつありますが)の
斡旋、生活用品や学用品、教科書
等の販売に大忙しです。
この四月から大学執行部が、柳
澤康信学長体制から大橋裕一新学
長体制に代わり、補佐体制も一新
されました。これまでにない変わ
りようです。平成十六年に大学が
法人化して以来、大学予算が毎年
削減されるとともに、文部科学省
から大学改革を求められ、愛媛大
学も人件費や研究・教育費の削減、
教育や研究のさらなる充実と地域
貢献、各学部のあり様、そして学
部改組や新学部設立など様々な努
力 を し 改 革 を 検 討 し て き ま し た。
来年度には新学部が発足し、我が
教 育 学 部 も 学 生 と 教 員 数 が 減 り、
これまでとは大きく様変わりする
予定です。同窓会として頭の痛い
ところが多々あるのですが、これ
らについては別の機会にご報告す
ることにします。愛媛大学も大学
として生き残るのが大変な時代に
なりました。
こうした大学改革が求められ
る 理 由 の 一 つ は、 我 が 国 の 少 子
化 に あ り ま す。 私 た ち 団 塊 の
世 代 は、 年 間「 オ ギ ャ ー」 と
二百四、五十万人が生まれてきた
のですが、最近は百万人ちょっと
しか生まれていません。ですから
教育学部はその影響をもろに受
け、教員の採用数が激減している
の で す。 愛 媛 県 に お い て は 南 予、
そして東予の島しょ部を中心に小
中学校の統廃合が進みそれに伴い
教員数減が続いています。高等学
校もほぼ全員が中学校から進学す
る時代ですから生徒の絶対数が少
なくなると、学級減や分校化、そ
して定員割れが続く学校は廃校へ
とゆかざるをえない状況になって
きています。
一方、愛媛県下の各高校は生徒
諸君を成績や偏差値によって進路
指導するため、愛媛県で教師にな
りたい生徒が我が教育学部に入学
してこず他大学の教育学部等に
いってしまうという実態もありま
す。教員採用数が少なくなるうえ
に他大学から愛媛県の教員として
入って(帰って)こられるのです
から愛媛大学教育学部としては立
つ瀬がありません。今や県下の高
等学校はもとより小中学校の中に
は、我が教育学部の卒業生が一人
もいない学校があるという現実が
あります。寂しい限りです。
こうした中「先生になりたい人
は愛媛大学教育学部へ」とか、「愛
媛大学教育学部の卒業生がこんな
分 野 で 活 躍 し て い る よ 」、 さ ら に
我が教育学部の学生・院生のレベ
ルアップにと、様々な企画や取り
組みを教育学部同窓会や同窓会支
部、同窓会有志がおこなっていま
す。こうした取り組みや催し物の
実施報告はそのつど同窓会報に掲
載されていますのでお読みいただ
き、同窓会支部として、あるいは
有志で「私のところでこういうこ
とができる」という企画がありま
したらお知らせください。
昨年、同窓会のあり方や懇親会
の持ち方等について各卒業年度の
同窓生からご意見・ご提案をいた
だく会を開催いたしました。様々
なご意見・ご提案をいただき、こ
れらを昨年夏の同窓会懇親会に反
映させ、大勢の参加者に喜んでい
ただきました。また、同窓生の皆
様から、支部活動へのご提案や支
部独自の地域貢献の催し物の開催
をはじめ学部学生や院生へのサ
ポートなど、常日頃、様々な形で
同窓会の活動や運営にご協力、ご
支援いただいています。本当にあ
りがとうございました。今後とも
変わらぬご支援よろしくお願いい
たします。常任理事や理事、各支
部の正副支部長が、同窓生のご要
望に沿うように同窓会の運営に当
たっていますが、基本は同窓生一
人ひとりのご意見を尊重し、最大
多数の同窓生にとって意義のある
同窓会活動をおこなうことが肝要
だと考えております。学舎を同じ
とする私たち、年齢を超えて楽し
く付き合ってゆきたいと考えてい
ます。来(二〇一六)年は、教育
学部の前身校である愛媛県師範学
校が創立されて百四十周年にあた
ります。このお祝いも含めて同窓
会懇親会を開催しようと思いま
す。
様々な企画をお寄せください。
そして懇親会で、校歌や学歌、寮
歌をみんなで歌い、旧交を温めま
しょう。
久米………………………………
東雲・八坂………………………
四国中央市・金生第一小教諭
高田 友美
愛南町・城辺中教諭 北條 志保
喜多郡・内子中教諭 川野 博章
「音楽と共に」
西条市・西条南中教諭 中川 典子
「年を取れる幸せ」
東温市・西谷小教諭 渡部 好紀
「感謝の心と笑顔を大切に」
松山市・立岩小教諭 吉川 紗希
「勝負の年」
「新たな土地で」
「表現すること 楽しむこと」
教育学部附属特別支援学校教諭 宮城 由紀
「心ある教師を目指して」
職場だより…………………… ⑼
表紙作品「襞」について……………
同成果報告会」を開催しました 教育学部の安積京子講師がドイツで
デュオコンサートを開催しました
「平成二十六年度日米国際学術交流合
学内最近のニュース………… ⑺
研究室訪問 音楽教育研究室
「田邉 隆先生 今日は」
「わくわくチャレンジサタデー活動」
学部の今………………………
中村真紀子
心 響…………………………
「襞」…………………� 奧定 一孝
題字 元愛大教育学部教授 菊川 國夫
「ご挨拶」……………………………
教育学部同窓会会長 高橋 治郎
表紙
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「幼児教育との出会い」
⑴
⑵
⑶
⑹ ⑸
⑼
(1)
同 窓 会 報
教育学部附属幼稚園副園長
中村真紀子
(昭五七卒)
道具の使い方を知り、思い通りの
作品を作り上げた喜びを味わいま
す。
周囲と関わり始めると、自分と
違う友達の考えに気づいたり、ト
ラブルを経験したり、様々な葛藤
を味わったりしながら、人との関
わり方を学びます。また、集団遊
びを通して、協力や分担のよさを
知り、ルールの大切さを学び、我
慢することを覚えます。
この「遊びを通して学ぶ」とい
うのは、好きなことを追究する中
で、自然に多くのことを学んでい
るということで、学びの理想の姿
だと思いました。
く時、幼稚園の先生は「○○君は
い や だ っ て 思 っ た ん だ よ ね。
」と
か「○○ちゃん、今日はすごく頑
張 っ た ね。 偉 か っ た よ。
」 と、 ま
ずはその子に寄り添った温かい言
葉を掛け、幼児に共感してから話
を進めます。すると、幼児のかた
くなな心は自然に解きほぐれ、表
情が和らぎ、やがて納得して素直
に行動するようになります。
幼児も「○○しなさい。
」とか
「ダ
メ で し ょ。」 な ど、 北 風 の よ う な
厳しい言葉では、心を切り替える
ことが難しいことでしょう。まず
はその子に寄り添うという基本を
見習いたいと思います。
幼児教育についてはまだまだ勉
強中ですが、幼児教育と出会えた
ことは私の財産になりそうです。
(〠
松
山市土居田町
三三八 一 六〇一)
「言葉のチカラ」
かすがいジャパン㈱代表取締役
菅 宏司
林傳次先生遺稿集「把翠」を繙く(十一)
柳「傘寿のつぶやき」東 澤
川
短
孝
村上
昭和三十三年卒業生同期会
愛媛大学と山形大学で
嘉一
放送大学後期入学生募集……………
寄贈図書紹介…………………………
敬 弔………………………… 原稿募集……………………… 寄付者・会報送料送金者名… 叙勲・受賞…………………… ⒅
同窓会支部長会報告………… ◦ 教育学部留学生歓迎会を開催しました
調印を行いました
◦今治市教育委員会と連携協力事業の
で抜き染め』を行いました
記念品制作『藍染めハンカチに手形
◦松山市立久枝小学校の1/2成人式
学部トピックス……………… 同期会………………………… 森川 紘一
「八十八ケ所遍路で四国文化を学ぶ」
小野植元幸
「教育の再生」再考 吉原 宏文
「蒲池先生のお名前に目がとまり…」
会員の声……………………… 絵手紙「鳥や草花と共に」田
中 勝子
俳 句「ふるさとの春 」 佐々木皓一
歌「老いと介護」 森貞 和雄
文 芸………………………… ⒆
先輩を偲ぶ…………………… ⒅
西予市・野村高教諭 坪倉 寿徳
「勇気を行動の友とする」
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を開催しました………………………
「 第 五 回 卒 業・ 修 了 合 同 美 術 展 覧 会 」
きます。失敗しても何度でもやり
直せること、工夫するともっと面
白くなること、友達と協力すると
ダイナミックな遊びができること
を経験します。自ら行動を起こせ
ば思いが叶うという経験は、将来
つまずいたとき、自ら立ち上がる
力や工夫してやり遂げる力、自分
はできるという自信や周囲と関わ
る力を育てていると感じます。
幼児教育に出会うまでは、小学
校へ入学する以前に、様々なこと
を皆一様に経験させておいて欲し
いと思っていました。入学後では
遅いと感じることがたくさん(逆
上がりや縄跳びなど)あったから
です。でも今は、たくましく生き
るために「主体的な学びの種」を
まいておくことの方がもっと大切
だと思うようになりました。
【太陽のような温かさで】
保育に当たる先生方を見ている
と、イソップ寓話の「北風と太陽」
の話を思い出します。北風が、太
陽に「旅人のコートをどちらが先
に 脱 が せ る か 競 争 し よ う。」 と 持
ち掛け、強い北風を吹き付けます。
旅人はコートを脱ぐどころか強く
抑えてしまいますが、太陽が温か
く照らすと、汗を拭いながら旅人
がコートを脱いだという話です。
幼稚園の先生は、いつも幼児に
寄り添い、幼児の心に共感する温
かい言葉を掛けていて、本当に感
心します。
特に幼児が友達とつながり、集
団で遊ぶようになると、けんかや
様々なトラブルが頻繁に起こるよ
うになりますが、幼児から話を聞
-
790–
0056
思いがけないご縁で、愛媛大学
教育学部附属幼稚園で勤務させて
いただいています。機会をいただ
きましたので、教員生活の終盤に
なって触れた附属幼稚園の保育や
幼児教育と出会って感じたことを
まとめてみました。
【遊びを通して学ぶ】
幼児教育の世界に接して一番心
に響いたのは、幼児は「遊びを通
して学ぶ と
」 いう言葉です。幼児
期の子どもたちは、好きな遊びを
十分に楽しむ中で、人生に必要な
様々なことを学ぶという意味で
す。
例 え ば、 製 作 遊 び を し な が ら、
道具の使い方や作り方を学びま
す。友達を見て、見よう見まねで
取り掛かり、失敗を繰り返しなが
ら、 何 回 も 何 回 も 挑 戦 す る 中 で、
【主体性が重要】
附属幼稚園では、幼児の主体性
を大切にしています。幼児はいつ
も、好きな遊びを好きな場所で好
きな友達と好きなだけ楽しみま
す。
「今日は何をして遊ぶか」は
自分で決めます。教師は、「手伝っ
てほしい。
」と言われれば手伝い、
「 ○ ○ が 欲 し い。
」と言われれば
準備をしますが、あくまでも幼児
自身が選んで遊び始めることを大
切にしています。
幼児は、自分で好きなことを見
つけて遊ぶことで、主体的に行動
することを体験し、身に付けてい
-
同 窓 会 報
(2)
(3)
同 窓 会 報
属小中学校教育を通じて、教育現
活躍されていました。従って、附
先生は、前述の通り、附属小学
校長をされていましたが、十四年
話をお伺いしました。
頂き、その間隙を縫って訪問しお
願いをして、貴重な時間を空けて
す。その中にあって大変無理なお
超多忙の毎日を過ごされていま
小 学 校 の 校 長 先 生 を さ れ て い て、
度末まで、愛媛大学教育学部附属
れていらっしゃるとともに、昨年
先生は県下の音楽教育は勿論の
こと教育学部の中核として活躍さ
それで済んだ世界がありました
だ 」 と、 突 き 放 す 様 に 言 っ て、
と思います。以前は「何やってん
一方、今は精神面への配慮や気
配りが、いっそう求められている
も感じます。
イプの学生が増えてきたのかなと
よく言えばお坊ちゃま、お嬢様タ
かけなくなりました。
その代わり、
た。又、昔の蛮カラ風な学生は見
気を遣うことが少なくなりまし
或る意味で、学生の生活指導上で
女? が 多 く な り ま し た。 だ か ら、
当 時 と 比 べ た ら 今 は、 紳 士? 淑
楽専攻生の中にもいました。その
下でもサッカーをする学生が、音
隣道路でのマナー等)にまで指導
育実習の学生の生活面(挨拶・近
思います。附属中の先生方が、教
習生と附属校園に任せていた様に
リキュラム委員会などはなく、実
例えば十四年前に附属中の校長
をしていた時は、学部には実習カ
す。
附属学校側から見ても強く感じま
まで指導しています。その成果は、
力的にガイダンス面など細かい点
ラム委員会が関わり、積極的、精
今は、各教科の指導教員が丁寧
に事前指導したり、実習カリキュ
ると思います。
育実習の質的向上がはかられてい
附属の連携・連絡が密になり、教
です。と、申しますのも、学部と
今の教育実習生について
全 国 的( 全 国 の 教 員 養 成 大 学 )
に、教育実習全体のカリキュラム
きたのでしょうね。
だと感じています。
徒達と、強い信頼関係を築いたの
からは大変魅力的に映り、児童生
から他の学校の研究熱心な先生方
育っていく姿がみられました。だ
磋琢磨する集団の中から生まれ
な仲間が在り、お互い厳しくて切
は知的な教員集団が在り、個性的
的、実践的に試していく。そこに
熱心に実践研究をし、それを研究
の研究目標を確りと持ち積極的で
た。これも、附属の先生方が自ら
と、大変に質的な高さを感じまし
附属学校、教員について
附属での学校行事や児童生徒の
主体的な活動の様子を見ている
評価・評定だったと思います。
るので、附属の評価は、自信ある
の先生方は、実習生をよく見てい
された時代でした。しかし、附属
り、評価面でも、厳しい評価がな
に悩み自信を失うという事例もあ
的な指導を厳しく要求され、非常
ては、指導教員からいっそう専門
教科を担当するので、教科によっ
がいました。又、小学校では、全
し た。」 と 深 刻 に 言 っ て く る 学 生
う教員としての自信がなくなりま
以前(附属中)の実習生が教科
等 で 子 ど も に 揺 さ ぶ ら れ て、「 も
います。
により、附属も助かっていると思
りました。今は、学部の事前指導
しなければいけないことが多々あ
時代が変わったなら、変わった
なりの知恵を
す。
ではなくなった印象を抱いていま
なってきたのも、附属学校が例外
が、 ト ラ ブ ル 処 理 の 時 間 が 多 く
研究、校務分掌は当然のことです
応が求められる時代となり、教材
じるのですが、ますます迅速な対
ところで、今の教育現場に於け
る先生方の学校生活の様子から感
様子が伝わってきます。
り、卒業してもそれが続いていく
教師との絆が強くて深いものがあ
附属中では、今も学担が二、三
年と持ち上がっていくシステムが
た。
力が身についていると思いまし
は自然に総合して表現する力、学
合だの言われなくとも、子どもに
た様に思えます。あらためて、総
だ事を、子ども自身が総合してい
きました。それぞれの分野で学ん
科の観察作品ですよと言われ、驚
ですが、理科の先生が、それは理
品だと思い美術の先生に伺ったの
ので、私はてっきり美術の提出作
て、実に精密な静物を模写したも
の机上に、緻密に描かれた観察記
ありました。それは、理科の先生
ました。以前こんな事が附属中で
するにつけ、質の高いものがあり
陽光に心なしか春の兆しを感じ
る四月の中旬、田邉先生の研究室
教育実習生などを通して見えて
きた、現代学生気質について
田邉 隆先生 今日は
を訪問しました。
今の学生は、実に真面目だと思
います。昔は、例えば、平気で廊
前にも附属中学校長として四年間
「以前はこう言うことが出来た
の に、 今 は 出 来 な い。
」と言う考
続いています。だから生徒同志や
録のデッサンが置かれていまし
場の事情を先生の豊富なご経験に
が、今は、教員の方で学生のメン
が充実し、かつてとは異なる様子
基づいて鋭利な知的感性でもって
タル面で深く配慮している傾向が
研 究 室 訪 問
多角的、多面的に俯瞰的な視点で
音楽教育研究室
お話を伺うことが出来ました。
附属学校に於ける児童生徒、各
分野の先生方の表現、作品等に接
見られます。皆大切に育てられて
同 窓 会 報
(4)
ことを、自然と引き出してくるよ
の能力が存分に発揮できるような
で空気が読める。そして、お互い
大事なことは、相手の立場をよ
く理解し、お互いの心がいい感じ
作りを」が、口癖でした。
研究に専念して頂けるような環境
両氏は、
「附属の先生方が、教育・
数 年 間 の 活 動 に あ る と 思 い ま す。
平塚」両氏を中心とした、この十
名前を出して恐縮ですが、
「熊本・
の姿にあると感じます。個人のお
年間の愛媛大学の附属学校PTA
ですね。その良い例が、この十数
を絞ったら出来るのかと言うこと
在の社会情勢では、どういう知恵
のを今実現していくためには、現
絶妙な人間関係とか、こういうも
間意識とか、先生と生徒とのあの
師集団と保護者とのあの独特な仲
います。例えば、以前にあった教
同じ事は出来ないことは分かって
それは、時の流れとともに状況
が変動しているのですから、当然
ています。
知恵を出せるかにあるのだと思っ
うのではなく、そのことに関して
いうことは、同じ手法でやれとい
が で き る の か。
」 そ の「 同 じ 」 と
う形に変えたら、昔と同じ様な事
が、今出来ないとすれば、どうい
は駄目ですから」
「自信がありま
備え続けている事でしか、自信
は生まれないのだと思います。「私
かと思います。
えていない場合が多いのではない
あります。その多くが、事前に備
控えめな?、遠慮を感じることが
ありません」などと、度が過ぎた
よく学生に言っているのです
が、
「私は駄目ですから」
「自信が
していくのかなと感じます。
係があると、世代間がうまく回転
いのだと感じます。そんな人間関
言 う よ。
」 と、 後 輩 の 役 に 立 ち た
くれるなら、惜しまずいくらでも
も ち ろ ん、
「あなたが必要として
切磋琢磨して高まっていこうぜ。」
て い る の で し ょ う が、
「お互いが
い つ の 世 も 先 輩 は、
「最近の若
い者は……」といった言い方をし
にすることがあります。
といった内容を後輩に言う姿を目
人の人格は決して否定はしない」
究そのものの中身であって、其の
ずに、ずばずばと言う。それは研
物が挟まった様なことは言わない
は、研究協議会などでは、奥歯に
附属には、長く勤務されている
先生もいらっしゃるのですが、「昔
影響が大きいです。
し、 知 恵 を 出 し 行 動 ま で 至 る と、
ま す ま す 変 化 す る 中 に あ っ て、
人間関係能力は不可欠に思えます
達から「先生からの要望をこんな
が受けて、実体験と捉えて、学生
実際、メーカーに頼むと経費が
かかりますから、それを現役学生
います。
を感じる関係ができればと思って
チームを組み、双方がメリッット
め る 研 究 が 出 来 る。 こ の 双 方 が
も含めて、より教材の有効性を高
いることで、ヴァージョンアップ
生が作成した試作品?を実践で用
じっくり取り組む時間がある。学
ズ が 何 か が 分 か ら な い。 し か し
いる。一方、学生は、現場のニー
現 場 の 先 生 方 は、 構 想 や ア イ
ディアがあるが、時間が不足して
ます。
て、提供する事が出来たらと思い
ミなどで、教材を作成(試作)し
学側が受けて、関係する先生のゼ
このような教育現場の希望を、大
あります。夢物語にも思えますが、
い。」 と い っ た 現 状 を 伺 う こ と が
だ け れ ど、 教 材 を 作 る 時 間 が 無
教材があればいいと思っているの
講習会などに招かれた折に、「こ
の様な授業を構想したが、こんな
現場と大学の関係……ささやか
な提案
次第です。
度に、自分にも言い聞かせている
し」と言いますが、学生と接する
けなかった。」と、「学問に王道無
譜が読めなかったし、ピアノも弾
トーヴェンも、生まれた時は、楽
的にも楽になると思います。「ベー
す が、 こ の 様 な 授 業 を す る の に、
から「○○学校の△△と言う者で
いう箱があって、そこに教育現場
ホームページ、すなわち「教育現
れませんか」とアクセスできる
立させ「この教材を誰か創ってく
専門の学生の演習の一つとして成
で す。 そ う 言 う も の を 創 る の は、
い教材というものがあると思うの
また、時間を掛けなければ出来な
成 と い う も の が あ る と 思 い ま す。
大学には最先端の機器類や機種
や備品、それだから出来る教材作
す。
と学生に要求されることになりま
ばならないか等の実践研究が大学
にあって、何を知っておかなけれ
きっと現役学生の立つ位置は何処
かどうかだと考えます。その時は
しかし、あり得るのは、本当に
現場の要望、ニーズに反映できる
ています。
うものが出来たらなあと強く思っ
巻き込んだ現場=大学の組織とい
ないか。だから学生をいい意味で
とする態度が芽生えてくるのでは
分かり、益々意欲的に取り組もう
ているのだな」と言うことがよく
こういう教材を現場では必要とし
生も「ああ、こういう授業の時は
こ の 様 な こ と が 上 手 く い く と、
現場の先生達は助かるし、現役学
を実際に授業に生かして行く。
それを受けた先生達は現場でそれ
風 に 創 り ま し た。
」 と 連 絡 す る。
過ぎてしまっていた。
のも忘れてしまい約束の時間を
引 き 込 ま れ て い っ て、 時 の 経 つ
く語られるお話に何時の間にか
出 し が 多 く、 そ の 情 熱 を 以 て 熱
先生の豊かな教育経験から話
さ れ る 内 容 は、 大 変 斬 新 で 引 き
た。
私は、このような夢が実現でき
たらと願っていますが、そろそろ
ていく。
らしさ等を感動を伴い、積み上げ
研究の大切さ、教えることの素晴
かされているのだなあ」と、教材
の創った教材がこの様に実際に生
て、現場からも情報が届くと、作
授業にどう生かされたかについ
かも知れません。その後の現場の
ナー(箱)が設置される日も近い
ことがありますので、専用のコー
て、私の所にメールが回ってきた
部にそのような問い合わせが来
という流れです。現在も大学の本
が、関係部所へ打診し、話が進む
入って来る。そうすると、担当者
きたいのですが。どうかよろしく
います。その為の教材を創って頂
この様にやっていきたいと思って
え 方 で は な く て、
「昔出来たこと
うな関係は、豊かな人間関係を編
せん」と考える時間があれば、備
(インタビュー
菅田)
退職の年齢になってしまいまし
成 し た 学 生 達 が 観 て、「 あ あ 私 達
お 願 い し ま す。
」の様なメールが
み出す。それで、現在はどうある
え続ける時間に向けた方が、精神
で、言いたいことを歯に衣を着せ
べきかへの知恵が出てくるのだと
場からのリクエストボックス」と
思います。
一年間を通してパズルを完成さ
た も の を パ ズ ル の ピ ー ス に 書 き、
に、わくチャレの活動でつながっ
過ごしています。学生はわくチャ
違う学年の友だちと関わりながら
の活動を通して、大学生の先生や
した。子どもたちは、わくチャレ
り、安定した環境づくりに努めま
年度から少人数の生活班をつく
助言と支援をいただきながら、昨
いる児玉健次先生からたくさんの
チャレ創設時からお世話になって
す。
活動を続けていきたいと思いま
を忘れず、学生も子どもも楽しく
るたくさんの方への感謝の気持ち
これからも、この活動を運営し
ていく上でご協力をいただいてい
す。
えながら、日々学びを深めていま
学校運営や学級運営についても考
通 し て、 子 ど も た ち と 向 き 合 い、
わくわくチャレンジサタデー活動
せ、様々な人やものとのつながり
レという一年間の継続的な活動を
ppppppp
ppp
「つながり」をテーマとした
久米わくチャレ活動報告
四回生
で五月には芋の苗植えを地域の方
校から徒歩約十分程度にある農園
た。
」
「自分たちでほったおいもは
がとれたりして、とても楽しかっ
いもがとれたり、ちいさいおいも
た。子どもたちからは「大きいお
べる体験もさせていただきまし
んなで芋を掘り、焼き芋にして食
います。
いて体験的に学べる活動となって
地域を生かした教育のあり方につ
した様々な活動を通して、学生は
せていただいてます。地域と連携
子どもにとっても貴重な経験をさ
に教えていただき、十一月にはみ
べつのよりいちだんととてもおい
今年度もたくさんの人との「つ
ながり」を大切にしながらも新た
に、学生と子どもの共通目標とし
し か っ た。
」 と い う 感 想 が あ り、
習指導、学生による子どもたちが
び合い」ができるような関係づく
て、「 伝 え 合 い 」「 助 け 合 い 」「 学
体育館や外で思いっきり体を動か
子どもどうしや子どもと学生の
人間関係づくりに関しては、わく
ていきたいと思っています。
くのことを学べるような活動にし
チャレで出会った人や活動から多
で出会った仲間を大切にし、わく
りを目指しています。わくチャレ
昨年度は「つながり」をテーマ
目という節目を迎えました。
約六十名で活動し、今年度で十年
生十三名と、児童四十五名の総勢
の午前中に行っており、現在、学
活動は月に一、二回程度、土曜日
す 遊 び の 時 間 の 四 つ が あ り ま す。
体 験 的 に 学 ぶ こ と の で き る 授 業、
ニゲーム、子どもの自主学習の学
しの人間関係づくりを目指したミ
な活動内容としては、子どもどう
を企画運営して行っています。主
ご協力の下、学生が主体的に活動
方々、地域の方、大学の先生方の
動で、小学校の先生方や保護者の
の五、六年生を対象にしている活
久米わくチャレとは、久米小学校
わくわくチャレンジサタデー(わ
私は二回生の時から愛媛大学フ
レンドシップ事業の「久米公民館
ppppppp
ppp
くチャレ)
」 に 参 加 し て い ま す。
特に、久米わくチャレは地域の
方とのつながりも強く、久米小学
∼子どもたちと学び合う学生の活動報告∼
を大切にしてきました。

(5)
同 窓 会 報
ppppppp
同 窓 会 報
ppppp
行っております。学校の壁を越え
校区の境界の青少年センターで
た ち の 移 動 の 安 全 等 を 配 慮 し て、
を深めています。場所は、子ども
一緒に遊んだりしながらふれあい
レ の 先 生 と し て、 授 業 を し た り、
望者を対象に、大学生がわくチャ
雲・八坂小学校の五、六年生の希
迎えます。毎月一回、土曜日に東
のご協力により、今年で十年目を
方、保護者の皆様、公民館の方々
頂いている活動です。学校の先生
が中心となり、企画、運営させて
レ)は、愛媛大学教育学部の学生
愛大・東雲・八坂わくわくチャ
レンジサタデー(以下、わくチャ
ppppppp
四回生
東雲・八坂わくチャレ
活動報告
「居場所づくり」を目指した
「人間関係づくり」と
ppppp
(6)
ときの人間関係における不安を取
つ、さらに将来中学校に入学した
おける居場所づくり」を目指しつ
また「子どもの学校・家庭以外に
人 間 関 係 づ く り の 機 会 」 と し て、
た 交 流 を 通 し て、
「一人ひとりの
す。グループエンカウンターや協
「 チ ャ レ ン ジ レ ン ジ 」 は、 人 間
関係づくりを目的とした活動で
ルに工夫を加えています。
「遊び」になるように、どれもルー
休み時間で普段するものとは違う
なゲームも考えています。学校の
レ色に染めろ」などの個性豊か
ろん、「インベーダーゲーム」や「オ
などよく知られている遊びはもち
や鬼ごっこ、フルーツバスケット
度までの活動では、ドッジボール
む遊びを毎回行っています。昨年
「遊び」では、大学生と小学生が、
一緒に体や頭を使いながら取り組
す。
学ぶことの多い活動となっていま
のため、大学生にとっても非常に
に後に研究協議をしています。そ
指導助言の先生に見て頂き、さら
とに挑戦しました。授業の際には
ルのみで未来の動物を創り出すこ
見ることができるのも大きな魅力
年間を通して子どもたちの成長を
活動です。よって、このように一
に は、 本 当 に 嬉 し く 思 い ま し た。
た。このような姿が見られたとき
たりする様子が見られ始めまし
の学校の児童にも応援の声をかけ
を重ねるにつれて発表したり、他
多く見られました。しかし、回数
の児童とは話さないという児童が
感じている様子の児童や他の学校
最初は、人前で話すことに抵抗を
ま し た。
などをし
しゲーム
ボール流
づ く り、
マ 漫 画
での四コ
ム、 ペ ア
介 ゲ ー
た自己紹
組んで参ります。
動になるよう向上心をもって取り
ます。今年度も、より充実した活
一、二回学生が話し合いをしてい
ています。
動会、卒業式などの行事を企画し
を用意しました。その他にも、運
スに関連した活動と、プレゼント
クリスマスの時期には、クリスマ
き 無 事 終 え る こ と が で き ま し た。
館、大学など多くの人に助言を頂
ともありましたが、小学校、公民
す。国語では俳句の鑑賞、社会で
まざまな教科の授業を考えていま
数、社会、図画工作、家庭科等さ
授業を展開しています。国語、算
「 授 業 」 で は、 学 生 が 授 業 者 と
なり、学びの楽しさを感じられる
ています。
活動は、毎月授業、遊び、チャ
レンジレンジという三つを企画し
指しています。
船を使っ
度 は、 風
す。 昨 年
育 み ま
気持ちを
切にする
自分を大
を 認 め、
つ、 仲 間
図 り つ
の育成を
ンスキル
確保をするのには頭を悩ませるこ
に配慮しながら日程決め、場所の
は他学部の学生もいます。安全面
というゲームをしました。大学に
リアしながら宇宙人から逃げ切る
られたさまざまなミッションをク
難中」と題し、大学中に散りばめ
大学で行いました。そこでは「避
遠足にいきました。昨年度は愛媛
三つの活動の他に、季節に合わ
せた行事も考えています。
秋には、
だと思います。
月 一 回 の 活 動 に 向 け て、 週 に
り払い、小学校と中学校のスムー
同作業を通し、コミュニケーショ
は地域のオリジナルマップづく
わくチャレは、一年間の継続した
ズな橋渡しに貢献できることを目
り、図画工作では、発泡スチロー
同 窓 会 報
(7)
「平成26年度日米国際学術交流合同成果報告会」
を開催しました【4月24日(金)】
平成27年4月24日(金)、総合情報メディアセンター1階メディアホールで、昨年度実施した
海外研修プログラムの「日米学術交流合同成果報告会」を開催しました。
今回の報告会は、昨年度に引き続き3回目となります。同日に開催された国際連携推進機構
主催の「Study Abroad Fair」の後、それぞれのプログラムに参加した学生たちがプレゼンテー
ションを行い、留学に関心のある本学附属高校の生徒たちや学生、教職員ら約30人が熱心に報
告に耳を傾けました。
教育学部では、国際的視野を備え、文化的多様性を理解することができる学生を育成するた
め、学術交流協定締結校であるワシントン大学バセル校(UWB)およびルイジアナ大学モン
ロー校(ULM)と短期学生交流を行っております。平成26年度は、それぞれ2月下旬から約
2週間訪問しました。
最初に、竹永雄二教授から、UWBの「Diversity体験プログラム」についての概要が説明
され、参加した学生8人による報告が行われました。学生たちは、ワシントン大学やマイクロソフト社における
Diversityへの先進的な取り組みの視察、現地の高校での1日体験、UWBの学生たちとの交流などを通して、自
分たちの文化や社会を見つめなおし、
「帰国した後に何をするかが大切である」
ことを学んだ等の発表がありました。
次に、富田英司准教授から、ULMの「教育文化視察プログラム」についての概要が説明され、参加した学生4
人による報告が行われました。学生たちは、研修中に起こった様々なアクシデントや、アメリカの子どもたちへの
プレゼンテーションでの体験等を紹介し、異文化の中で学ぶ貴重な機会になったと発表しました。
最後に総評として、教育学部国際交流委員会委員長の小助川元太教授が、
「留学の目的はそれぞれだが、とりあ
えず一歩踏み出すことが大切。実際に行ってみると、想像していた以上に色々なことが分かり、今回発表した学生
たちのように、実施前後では明らかに自分が変わったことが実感できるはず。それこそがこのような海外実習体験
の良さではないか」とまとめました。
教育学部では、今後もこのような海外の大学との相互交流型プログラムに力を入れていく予定です。なお、今回
の合同成果発表会については、愛媛新聞(4月25日朝刊)にも取り上げられました。
ワシントン大学バセル校について報告
ルイジアナ大学モンロー校について報告
(8)
同 窓 会 報
教育学部の安積京子講師が
ドイツでデュオコンサートを開催しました
平成27年3月8日(日)、教育学部音楽教育講座の安積京子講師が、ドイツ・バイエルン州にあるホーフ市で開催
されたコンサート『ヴァイオリンとピアノのための歌』で、ドイツ人のヴァイオリニストと共演し、フランケンポ
スト新聞(Frankenpost Zeitung)にて高く評価されました。
安積講師とヴァイオリニストのツォルニッツァ・バハロヴァさんは、2004年、2005年にドイツ国立ワイマール・
フランツ・リスト音楽大学で共に学んだ学友です。
バハロヴァさんは、
数多くの国際コンクールで入賞しており、カー
ネギー・ホールやロイヤル・アルバートホール等の世界的に有名なコンサートホールで演奏する一流のヴァイオリ
ニストです。現在は、ニュルンベルク・フィルハーモニー管弦楽団のコンサートミストレスを務めています。安積
講師とバハロヴァさんは、ドイツやチェコでコンサートツアーを行うなど数多くの共演を重ねており、昨年の4月
には、大阪市(帝国ホテル)と松山市(いよてつ髙島屋9Fローズホール)でもコンサートを開催しました。
二人は今年の3月にミュンヘン市のスタジオで演奏を録音し、6月には、ドイツのレーベルORPLID社からデュ
オCD『ヴァイオリンとピアノのための歌』をリリースする予定です。
平成27年3月10日(火)
フランケンポスト新聞(記事の一部抜粋……)
歌—無言の、だが多くを語る
「歌」と名づけられているが、歌詞はない。実際、ヴァイオリン奏者は、歌うように、激情をこめて、半分はまる
で陶酔しているかの如く、半分は咎めているかの如く、音をつくりあげていく。また、より選び抜かれた日本人の
共演者も、ひと目で見渡せるが、かなり印象付けられている聴衆に、ピアノを色々な雰囲気で歌わせることができ
るということを、この夕べの間に何度も証明していく。……
……ヨハネス・ブラームスの北ドイツ風の飾り気のない叙事詩と理性的な繊細さはこのヴァイオリン奏者の気性
に特に近いものがあるのかもしれない。二人の演奏家はブラームスのソナタ『雨の歌』作品78を、強調と男性的な
簡素さの間のバランスをうまくとって演奏した。
ピアノの蓋を半分ではなく全部開いたのは、ここではふさわしく
思われる。そうすることによって、繊細できちんとした、きめ細や
かなタッチで演奏するピアノ奏者が、ヴァイオリン奏者と同格の共
演者として並ぶ。もう一度、言葉のない歌。アダージオから円熟し
た真剣な音で始まり、フィナーレでは、まず切なく突き進み、その
後、雰囲気は晴らされ、緊張は解けていく。
繊細でしっかりしたタッチ
このようにしてプログラムの構想は明確に現実のものとなる。言
葉はない。もちろん無言ではない。ツォルニッツァ・バハロヴァと
安積京子は適した形を、ふさわしい表現を求めていく。楽器も独自
の雄弁術をもつ。音楽芸術家は楽器の「声」に歌詞は与えないけれ
ど、イメージは創りあげられる。
ミヒャエル・トゥムザー筆(翻訳:出射映子 ドイツ公認翻訳者)
安積京子先生のオフィシャルウェブサイト
http://www.kyoko-asaka.com フランケンポスト新聞
を持って自己表現ができ、また制
い。そして、児童が自分に適した
いて勤務し、
学校は変われど、
ずっ
支援学校や今治特別支援学校にお
任してきたが、以前はみなら特別
度の異動で附属特別支援学校に赴
かせていただけたらと思う。今年
れまでのことを振り返りながら書
手になるという自信をもって、こ
なさもあったが、本校の中では若
することで、主体的に造形活動に
童が活動しやすい学習場面を設定
方 や 環 境 を 整 え る こ と な ど、 児
もいた。そこで、教師の支援の仕
慣れで積極的に活動しづらい児童
いる一方、素材や道具の扱いに不
欲的に造形活動に取り組む児童が
場面においては、自由な発想で意
ていることが多く、遊びや制作の
だ物が素材であることで、安心感
行った。自分たちが遊んで楽しん
素材として活用し壁掛けの制作を
欲求を深められるような支援を
感を持ち、もっと作りたいという
を具体的に表現できたという満足
じた。その際、児童が自分の思い
てていくことの大切さを改めて感
ませ、創造的に表現する態度を育
しいと感じていた。しかし、子ど
は、活動の見通しを持ちにくく難
でゼロから作り上げるということ
790–
0855
(〠
て、自分の生活をより楽しく豊か
と知的障害児と関わって過ごして
取り組めるよう考えた。また、作
行っていきたいと感じている。ま
松山市持田町一丁目
五 二二)
表現方法などを選ぶことができる
き た。 常 に 思 い 悩 む こ と は あ り、
品掲示の工夫を行うことで、友達
た、やりたくてたまらないと思え
宮城 由紀
立ち止まってしまいそうなことも
や教師、家族の人に見てもらえる
るような動機付けや、材料や環境
(平九卒)
あったが、その度に子どもたちの
という期待感を膨らませ、作品を
などから楽しい発想を広げられる
-
作活動自体を楽しむこともできて
ル、ラップの芯、ペンなどを置い
にしてほしいと考えた。
ていたところ、休み時間に自分か
ように、一人一人の実態把握を適
りして楽しむ様子が見られ、身近
ら制作を始めた児童がいた。常に
いた。活動が楽しめるからこそ主
な物として捉えることができてい
身近な場所に造形遊びができるよ
切に行い、十分な環境を整えるよ
た。そこで、みんなで協力してコ
体的に取り組め、また次もやって
のことや子どもたちのことを少し
リントゲームを作り、教室に設置
う様々な素材や道具を置いておく
単 元「 秋 を 見 つ け よ う 」 で は、
自分たちが見付けてきた自然の素
深く考え、特に思い入れのあった
して自由に遊べるようにした。一
ことの大切さを感じた。
う努めていきたい。
単元のことについて振り返ってみ
人で思い付いて遊んだり、その様
具体的にこれまで私自身が行っ
て き た 活 動 を 振 り 返 っ て み る と、
みようと思えるのではないかと感
たい。
子をじっと眺めたり、一緒に遊び
材に十分触れることから始める
これまで関わってきた子どもた
ちは、人に対する興味を持ってい
に加わったり、いろいろな楽しみ
何を作るかは教師が決めて、飾り
じた。また、教室内にいつでも使
る児童が多く、友達の様子をそば
方や関わり方が見られた。またそ
方や色、ある程度の素材を児童が
えるようどんぐりやペットボト
で見たり遊びに加わっていった
の中で、どんぐりや松ぼっくりに
選 択 す る と い う も の が 多 か っ た。
と、色や大きさ、形、硬さを言葉
り、教師とのやり取り遊びを要求
素材のみを準備して、自由な発想
で表現したり、転がしたり並べた
今回手渡された寄稿者推薦依頼
に は、
「若い会員」とあったのだ
したりして、自分から人に関わっ
更に関心を持つようになっていっ
自信をつけてやってこられたよう
が、 私 は 数 年 前 に 十 年 研 も 終 え、
た の で、 遊 ぶ だ け で 終 わ ら せ ず、
に思う。そんな中で、普段の授業
決して若いとはいえない年齢であ
ていくことがよく見られた。しか
教育学部附属特別
る。そんな私が今回寄稿させてい
し、物に対する関わりは限定され
笑顔や成長する姿、保護者からの
作る意欲を高めたり、友達の作品
ような題材を幅広く考えていきた
作者
表紙作品について
「襞」
奥定 一孝
画 題 は「 襞 」( F 四 〇 )。
二〇一二年の個展に出した作
品です。これまで、瀬戸内独
特の緩やかに打ち寄せる波打
ち際をイメージした作品を描
い て き ま し た が、 こ の 歳 に
なってやっと、私の身体性を
も含めて、ここが私のトポス
となっていることに気づかさ
れています。
支援学校教諭
ただいていいものかという申し訳
温かい言葉、先生方からの励まし
の良さに気付かせたりするなどし
もの言葉を拾ってイメージを膨ら
によって勇気をもらい、少しずつ
(9)
同 窓 会 報
同 窓 会 報
(10)
しかし、大学生の頃の生活と教
師 と し て の 今 の 生 活 を 比 べ て は、
そして、早くも二年目の四月を
めて実感することができました。
仕事の素晴らしさとやりがいを改
感する毎日です。私が落ち込んだ
と人との繋がりの素晴らしさを実
たと思える出会いに恵まれ、人
幼いころからずっと憧れていた
もたちを落ち着かせて授業を進め
か分からず右往左往したり、子ど
たときには、どう対応すればよい
士が取っ組み合いのけんかを始め
さんありました。教室で男の子同
と思い通りにいかないこともたく
ず、実際に子どもたちを前にする
たりすることも、私の大きな励み
「友美先生」と声を掛けてくれ
顔を見せに来てくれたり、廊下で
お姉さんになって一年生の教室へ
子どもたちが、三年生のお兄さん、
頑張っています。昨年度担任した
の子どもたちと、新たな気持ちで
りました。素直でかわいい一年生
迎え、今年度は一年生の担任とな
み上げてきます。
つくづく感じ、感謝の気持ちが込
年間を過ごすことができたのだと
の支えがあってこそ、充実した一
れたこの一年でした。周囲の人々
て笑い合える同期や友人に支えら
癒してくれる家族、近況報告をし
週末に松山の実家に帰ると疲れを
励 ま し て く だ さ る 先 輩 の 先 生 方、
り、悩んだりしたときも、力強く
教師という仕事ですが、
採用され、
ることができず、悩んだりしたこ
いや……一学期は優しかったとい
になっています。
大変だなあと思うことは数知れ
いざ四国中央市への赴任が決まる
ともありました。慣れない大声を
うより何も分かっていなかっただ
四国中央市
と、不安でいっぱいでした。生ま
出し続けて、声が出なくなってし
(平二六卒)
高田 友美
金生第一小教諭
れて初めての一人暮らし、慣れな
けだなと思うとなんだかおかしく
い出です。語り始めたら止まらな
連 携 実 習 で 通 っ て い た 小 学 校 で、
ました。それは大学時代に、地域
だけ(よかった…)とほっとし
つぶやきました。私は一瞬ドキっ
優 し か っ た ……。
」と笑いながら
一人の男の子が「先生、一学期は
と 話 を し て い た と き の こ と で す。
「私はずっと友美先生のクラスが
が担任がいいって言いよった」
も、「 母 さ ん が、 来 年 も 友 美 先 生
ありました。こんな頼りない私で
たちに申し訳なくなることも多々
の始まりをこの金生第一小学校で
きった一年目でしたが、教員生活
し、心ある教師に成長していきた
糧に、もっともっとパワーアップ
と、忘れられない一年目の経験を
下分一六六五)
四
国中央市金生町
(〠
いと思います。
過ごすことができて本当によかっ
大学時代に学んだ多くのこと
まったことも、今では懐かしい思
いくらいいろいろなことを経験し
の ク ラ ス と 比 べ て は、( こ ん な 授
二年生の授業に入らせていただく
と し て、
「今も優しいやろっ♪」
い い。」 と 言 っ て く れ る 子 が い ま
不安でいっぱいの中スタートを
い土地での生活、いろいろなこと
を経験し、あっという間に一年が
たこの一年ですが、無事に三月の
業でごめんね、きちんと説明でき
なりました。
経ちました。
修了式を迎えました。
当初は戸惑うことばかりで、隣
ドキドキしながら臨んだ初めて
の職員会で、私の受け持つ学年は
ことが多かったからです。尊敬す
と返しました。後から職員室で他
す。私の思いは少しでも子どもた
て い な く て ご め ん ね。) と 子 ど も
る先生の学級経営や授業の様子を
の 先 生 か ら、
「この一年間で本当
ち に 届 い て い た の か な と 思 う と、
最後の学級活動で、子どもたち
思い出し、私もあんな学級をつく
に成長したね、先生らしくなった
うれしくてたまらず、教師という
りたいと意気揚々と、教師生活
よ ~。
」 と 言 っ て い た だ き、 い や
二年生ということが分かり、少し
のスタートをきりました。
799–
0111
われ……。
立ち止まる余裕はなく、
れ、レポートに追われ、校務に追
ばかりだった。日々の授業に追わ
毎日がただ慌ただしく過ぎていく
特に、大学を卒業して最初の一
年 間 は、 何 を す る の も 初 め て で、
前 に 立 つ の も、 四 年 目 を 迎 え た。
愛媛大学を卒業して三年が経
ち、学級担任として子どもたちの
松山 市
の 支 え の お か げ で、 苦 し い こ と、
守っていただいた。周りの先生方
て も ら い、 い つ も 一 番 近 く で 見
困ったときにはすぐにフォローし
い 言 動 を 伝 え あ っ て は 笑 い 合 い、
さ っ た。 ま た、 子 ど も の か わ い
優しく、楽しく仕事を教えてくだ
は、
いつでも一歩前を歩いてくれ、
に乗ってくれた。学年部の先生方
は、近くの席の先生が何でも相談
く 教 え て い た だ い た。 職 員 室 で
業 中 に 教 室 を の ぞ い て も、 優 し
だいた。ちょっとしたことで、授
そして、職場の先生方には、本
当にたくさんの場面で助けていた
た。
いことも乗り越えることができ
た。そのたびに刺激をもらい、辛
り、本当に多くのことを語り合っ
級づくりや宿題の方法を相談した
校に赴任した。
長につながると信じて、新しい学
た。しかし、この異動が自分の成
学び続けたい気持ちは大きかっ
あまりにも多く、まだまだ残って
だ。初めての学校で学んだことは
た学校を離れることになったの
機が訪れた。初任者として赴任し
そして、そんなバタバタの初任
の三年間を終え、四年目の春、転
り越えられたと思う。
いことも、周りの支えによって乗
すことができた。辛いこと・苦し
このように周りのたくさんの人
たちに支えられ、私は毎日を過ご
活力となっていた。
する。子どものパワーが、一番の
「教員になってよかった」と実感
成長や微笑ましい姿を見るたびに
も頑張ろう」と思える。子どもの
指導を今後も続けたい。
がたくさんあり、それを生かした
人数が少ないからこそできること
何 十 回 も 繰 り 返 し た り し て い る。
何度も外へ観察に出たり、実験を
て 行 う こ と が で き る。 理 科 で は、
ことができ、個別指導も力を入れ
数が少ない分、勉強も丁寧に見る
また、学級は、女子四人で毎日
楽しく学校生活を送っている。人
に相談に乗ってくれる。
れるし、職員室では、誰もがすぐ
どもたちは、笑顔で話しかけてく
校は温かく私を迎えてくれた。子
最初は今までの学校との違いに
戸惑うこともあったが、立岩小学
えてくる。
校が、一つの家族のようにさえ見
が全員の名前を分かっている。学
からも精進したい。
生に少しでも近づけるよう、これ
気持ちを忘れず、自分の理想の先
周りの先生・子どもたちに感謝の
助けてもらうだろう、家族・友人・
今まで支えてもらい、これからも
くさん挑戦したいと思う。そして、
を生かしながら、新しいことにた
このチャンスを逃すことなく、こ
今年度は異動もあり、今までの
自 分 を 変 え る チ ャ ン ス で も あ る。
とを忘れているように思う。
忙しさに理由をつけて、大事なこ
の頃仲間と語り合った多くの夢
の仲間と語り合った。しかし、あ
い よ ね。
」 と、 毎 日 の よ う に 大 学
ことなど、たくさんの話をした。
えられた。学校のこと、私生活の
事をして家に帰っても、温かく迎
家 族 に は た く さ ん 心 配 も か け、
支えてもらった。毎日遅くまで仕
からである。
人々に教え、導かれ、助けられた
た の は、 今 ま で 出 会 っ た 多 く の
最初の三年間を過ごすことができ
も多かった。そんな中でも、私が
がしんどくても、子どもたちに会
子どもたちに助けられる。朝、体
りすることはあっても、やっぱり
た。悩まされたり、本気で怒った
子どもたちが何でも教えてくれ
どもの方が詳しい。
困っていると、
なかった。特に、学校のことは子
なしでは毎日を過ごすことができ
のが教員であるが、子どもの助け
そして、忘れてはいけないのが
子どもたちだ。子どもを教育する
事をすることができた。
嫌なことがあっても毎日楽しく仕
は、仲がいい証拠でもある。教員
ると、すぐに全校が集まる。それ
習も全校で行う。誰かが声を掛け
校遊びがある。朝読書や朝の歌練
校で食べる。毎週昼休みには、全
人数が少ないと、たくさんのこ
とを全校で行う。毎日、給食は全
日が驚きの連続だ。
学級と比べると、人数も少なく毎
級担任をしている。以前の三十人
だ。そして、私は五年生三人の学
今、勤めている立岩小学校は全
校児童が二十五人の小さな学校
い。
」「楽しいことをいっぱいした
たい。」
「授業はこんな風に進めた
「クラスには、こんなものを置き
「 自 分 も こ ん な こ と が し た い。」
だ い た。 多 く の こ と を 学 ぶ 中 で、
ちの学校生活の様子を見せていた
いた。たくさんの授業や子どもた
学生時代は、学習支援として三
年間、公立学校で学ばせていただ
ろうと考えた。
夢見ていた自分と比べて、どうだ
ている。今の自分は、大学生活に
自分のことで手一杯の毎日を送っ
吉川 紗希
(平二四卒)
そして、大学時代からの友人の
存在は大きかった。共に教員を目
も子どもたちも、学校にいる全員
松山市山越六丁目
一四 一七)
(〠
れからは、今まで学んできたこと
は、まだ実現していない。日々の
目の前のことに必死だった。もち
指 し、 教 員 と な っ た 仲 間 た ち だ。
う と、 自 然 と 笑 顔 に な る。
「今日
-
立岩小教諭
ろん楽しいこともあったが、苦労
教員生活が始まって、三年余り
が 過 ぎ た。 日 々 の 生 活 に 追 わ れ、
初任者研修のことを話したり、学
791–
8013
(11)
同 窓 会 報
同 窓 会 報
(12)
そして学習発表会……。途中子ど
と、陸上練習に始まり、市音楽会、
が待っていました。二学期になる
終わったと思えば直後に公開授業
がらのスタートでした。運動会が
周りの先生方に教えていただきな
グも。そして、みんなが楽しみに
旅行だからこそよくあるハプニン
悪く曲が止まる、宿泊先では修学
んでした。CDラジカセの調子が
が、そんな余裕は私にはありませ
しめるかな」と思っていました
スペースワールド。行く前は「楽
して帰ってくることができまし
た児童もいたでしょう。少し成長
ときの規律を守る大切さを痛感し
ています。また、集団で行動する
い思い出ができて良かったと思っ
か っ た。
」 と 言 っ て い た の で、 良
た ち は み ん な 修 学 旅 行 が「 楽 し
比べて東西の輪が深まり、子ども
導していきたいです。
なって運動会を運営できるよう指
ある運動会。子どもたちが主体と
ばいけません。まずは、目の前に
子どもたちと活動していかなけれ
めにも、私自身が心を引き締めて
東温市
もたちもバテながら、自分自身も
し て い た ス ペ ー ス ワ ー ル ド で は、
た。
ように小規模校ならではの素晴ら
動も盛んに行われています。この
の少年隊活動」など、自然体験活
室」
、 全 校 で 緑 化 運 動 を 行 う「 緑
り な ど に 取 り 組 む「 自 然 体 験 教
く遊びます。また、田植えや稲刈
学年・男女関係なく、みんな仲良
す。 休 み 時 間 や 放 課 後 に な る と、
るかー?」と言いたくなるくらい
な い の か、
「 大 丈 夫 か ー、 生 き て
しい毎日。子どもたちも慣れてい
経ちました。この間、とにかく忙
じた四月上旬。あれから三週間が
だろうか?」と、とても不安に感
時 に、
「果たして自分に務まるの
任―。夢のような立場であると同
して昨年度から引き続きの体育主
した。二つ目は帰りのバスの中の
に比べて迅速な行動ができていま
屋を出る準備をしていて、前の日
みると、みんな布団を片づけ、部
ながら子どもたちの部屋へ入って
かんと言っとったやろが」と思い
が。「 三 十 分 ま で は 静 か に せ な い
頃廊下に出てみるとガヤガヤ声
床となっていたはずなのに、六時
二日目の朝のこと。六時三十分起
たことが二つあります。一つ目は
の自覚」といった言葉が並んでい
高学年として」や「六年生として
てもらった一年間の決意には、「最
期です。四月最初にみんなに書い
行事が押し寄せてくる忙しい一学
校の先頭に立たなければいけない
ては怒涛のように次から次へと学
記録会があります。六年生にとっ
水泳練習が始まり、その先に水泳
終わると、すぐ水泳学習・放課後
が待っています。そして運動会が
行が終わって一ヶ月後には運動会
(平二五卒)
しい体験ができる学校で、昨年度
反応がまだまだ今ひとつ。授業も
こと。西谷の児童も、東谷の児童
ました。彼らの決意と私の願いは
渡部 好紀
西谷小教諭
よく分かっていないまま一年がス
グループからはぐれてしまった児
しかし、修学旅行が終わったか
タートし、助けていただきながら
童もいて、大慌て。いろいろあり
ら一安心とはいきません。修学旅
は、 初 め て の 小 学 校 で 体 育 主 任、
ままならない中、新学期が始まっ
も ク イ ズ で 大 盛 り 上 が り。「 こ う
同じです。六年生としての自覚を
乙八三五)
東
温市則之内
私が勤務する東温市立西谷小学
無理やり一年が通り過ぎていった
ましたが、子どもたちに驚かされ
そして四年生学級担任。全体の流
て二週間後には早速隣の東谷小学
いうクイズでめちゃくちゃ盛り上
持ち、最高学年として恥ずかしく
校は全校児童が五十九名の小規模
昨年度でした。
れがつかめていないまま四月最初
校と合同の修学旅行がありまし
がるし、真剣に考えるんだなあ。」
ないような立派な姿で西谷小学校
(〠
校です。周りを山々に囲まれ、自
の職員会議でいきなり運動会の計
た。行き先は、私が小学生だった
と改めて子どもの素直さ・純粋さ
を引っ張ってほしいです。そのた
そして今年は六年学級担任、そ
画案の審議。そして五月末には運
頃とほぼ同じでした。一日目は広
を思い知らされました。一日目に
然豊かな環境の中で生活していま
動会。ピストルの打ち方も、旗の
島・山口、そして二日目は福岡・
挙 げ 方 も 全 く の 素 人 だ っ た の で、
791–
0312
い、
考えて決まった学級目標です。
みんなで理想のクラスを発表し合
ち ゃ ん ク ラ ス 」 に 決 ま り ま し た。
通のことですがこれらを徹底して
清掃を一生懸命行うなど、ごく普
の 役 割 に 責 任 を 持 ち や り 遂 げ る、
前、友達に対するからかいの言葉
が表れていることもあります。以
す。机の落書きには生徒の気持ち
信 じ、 毎 日 欠 か さ ず 続 け て い ま
与えていることを忘れず関わって
には私の関わり方が大きく影響を
鏡」ということです。生徒の言動
識していることは「生徒は教師の
い き た い で す。 今 の 私 の 目 標 は、
いこうということです。
が書かれていることがあり、次の
子どもたちを周囲の方への感謝の
学級開きの時に、私は子どもたち
日にクラスに対して話をすること
気持ちを持って、最高の笑顔で卒
中川 典子
そして、これらを達成するため
に私自身も目標を立てました。ま
もありました。何気なく書いた言
業 さ せ る こ と で す。 そ の た め に、
に次の三つのことを伝えました。
ず、日常生活を通して一人一人の
葉だったかもしれませんが、これ
「生徒は教師の鏡」という言葉を
私 に と っ て 教 員 と い う 職 業 は、
む こ と 」 で す。 学 習、 行 事、 委
生徒理解を図ることです。小さな
で傷つく人がいること、みんなに
心に留めて、日頃から生徒にも感
一つ目は「何事も全力で取り組
員、係りの仕事など、最高学年と
変化を見逃さず、成長したところ
とって居心地の良いクラスを作っ
謝の言葉を伝えること、笑顔で生
西条市
西条南中教諭
して後輩のお手本になろう。そし
や頑張っていることを積極的にほ
ていこうと話をしました。最近で
活することを心掛けていきたいと
て、自分が後悔しないために何事
めるようにしています。また、少
は、意識して机を整頓してくれる
たくさんの出会いを与えてくれる
もみんなで全力を出し合って取り
しずつルーズになっていく生活を
思います。
(平二二卒)
魅力的なものです。講師経験を含
組み、最高の思い出を作っていこ
生徒が見られ、落書きもなくなり
めると、現在勤務している学校で
その都度声を掛け、気づかせるよ
す。
(〠
西
条市石田
六六四
一)
たちと関わっていきたいと思いま
これからも全力で目の前の子ども
き 今 の 自 分 が あ る こ と に 感 謝 し、
たくさんの方々に支えていただ
うと約束しました。
通して、私が生徒と接する時に意
四校目となります。たくさんの先
つつあるなどの変化が表れていま
二つ目は
「友達を認め合うこと」
う意識しています。そしてもう一
生と子どもたちとの出会いがあり
す。
し、 置 き 勉 の チ ェ ッ ク を す る と
昨年度、一年間の初任者研修を
つ、新学期から毎日続けているこ
たり前にできる人間になろう」で
いった感じです。
です。人には得意なこともあれば
一日の終わりには、必ず教室の状
ました。そんな中、私は「いつも
仲間でお互いを認め合い、助け合
態 を 確 認 す る よ う に し て い ま す。
と が 教 室 環 境 を 整 え る こ と で す。
う」と声を掛けられることがあり
うことのできるクラスを作ろうと
乱れている机と椅子を整頓し、落
苦手なこともあります。クラスの
ます。
しんどい時もあるのですが、
いうことです。
楽 し そ う 」 と か「 い つ も 幸 せ そ
周囲からこのように言われると何
す。幼少期から今日までのたくさ
す。西条南中学校には当たり前の
書きがされているものは全て消
んの方との出会いが、今の私をつ
ことが当たり前にできる「普段着
に「環境は人を変える」という言
三つ目は「当たり前のことが当
くってくれているのだと心から感
日本一」というスローガンがあり
葉があります。教室環境を整える
謝しています。
ます。これをクラスでも目標に掲
ことで学習にも集中して取り組む
だか嬉しく、幸せな気分になりま
私は四月から、三年生の学級担
げました。気持ちの良い挨拶がで
ことができ、人間関係もよりよく
高校時代、恩師に言われた言葉
任をさせていただいています。ク
き る、 正 し い 服 装 で 生 活 で き る、
ラ ス の 学 級 目 標 は「 元 気 勇 気
築いていけるようになることを
さ満点のり
sexy
友達が嫌がることをしない、自分
やる気
-
799–
1364
(13)
同 窓 会 報
同 窓 会 報
(14)
喜多郡
内子中教諭
先輩方が発起人となって祝賀会が
ことも考えなければならない。
最後に、西予市立渓筋小学校教
頭井上哲男先生と、松山市立高浜
中学校教諭大内顕之介先生の御冥
私は、記念写真では中段に立つ
ほどの年になっているのだが、学
福をお祈りします。
の先輩が、他界された先生のため
生諸君や若い先生方と話してい
行われた。会に先立って、発起人
に、 黙 祷 を さ さ げ、
「 彼 は、 と も
れ だ け で 尊 い こ と だ。
」と語られ
で、定年まで勤め上げることはそ
は病を得られていたと聞く。元気
の忙しさの中無理矢理時間を作っ
わわなければならないのだ。講師
えてきた苦労や失敗をこれから味
らは、私がやっとの思いで乗り越
甲三四八)
喜
多郡内子町平岡
て、年を取りたくないとか、あの
た。私は、やはり今年急逝した同
て 行 っ た 教 員 採 用 試 験 の 勉 強 も、
一度繰り返すなんて
それはもう望むものでは無い。
」
(〠 に愛媛大学で技術教育を学んだ同
級生のことを思い出していた。教
若いというだけで慕ってくれた
頃に戻りたいとか、そんな気持ち
科は違えど、ともに大学時代を過
生徒たちに、満足な指導ができな
志であった。教授も、当時は若手
ごした仲間である。昨年、ある研
かった悔しさも、授業が思うよう
は不思議と湧いてこなかった。彼
おそらく私はそっと断るだろう
修会で久しぶりに言葉を交わした
にいかず悩み抜いた日々も、仕事
で、先進的な方であったが、最近
若き日のときめきや迷いをもう
矢先のことで、しかも、詳しいこ
と家庭のバランスを欠いてしまっ
くれた今の自分が気に入っている
稲井先生退官記念祝賀会 平成27年3月14日
(平一二卒)
川野 博章
さだまさしさんの『人生の贈り
と が 何 も 分 か ら な か っ た た め に、
た後悔も、自分の焦りが行き過ぎ
「 ♪も し も も う 一 度 だ け 若 さ を
物』の歌詩(さださんは、歌詞の
ひときわ驚きと衝撃を味わった。
くれると言われても
詩情を重視し、常に歌詩と表記し
ら繰り返すのは御免被りたい。
た指導を呼んだ苦い記憶も、今か
い。
〝千年に一度〟の自然災害が
人の命は季節の花のように儚
ているので、誤字では無い)の一
節である。
気 は 容 赦 な く 襲 っ て く る も の だ。
し、来年も新しいことにチャレン
私は、これまでの経験が育てて
それを乗り越えて、年を重ねるこ
ジして、よりよい自分になりたい
取ったらダメだという風潮の昨今
とはそれだけで尊いことだと思わ
と考えている。今後も、偉大な先
無くても、事件や事故、心身の病
であるが、私は年を取ることは若
ずにはいられない。一方で、儚い
人たちの言葉に耳を傾け、自分を
若 さ こ そ が 素 晴 ら し く、 年 を
いことと同じくらい素晴らしいこ
からこそ、
美しさも増す。私の倍、
磨きつつ、若い世代に技と心構え
とだと思うようになった。
生きておられる方は、それだけの
を伝達していきたい。
平 成 二 十 七 年 三 月、 お 世 話 に
なった愛媛大学教育学部の教授が
経験も積み重ねておられるという
定年退官されるということで、大
795–
0303
毎年三月三十日までと
し、二年毎に更新する。
会報の送料納付
について
記
方お願い申し上げます。
愛媛大学教育学部同窓会
4 4 4 4
領 収 書 は、 振 替 用 紙 を も っ
て、かえさせていただきます。
送 り 先 〠七九〇︱八
­ 五七七
松山市文京町三
送金方法 郵便為替・現金書留・
郵便振替で
振替口座番号
〇一六四〇︱七︱二七五四
納付期限
られる方もあります。
の で、 何 年 間 か を、 ま と め
② 二 年 ご と の 更 新 は、 煩 さ な
ます。
分 ず つ 収 め るよ う に な っ て い
4 4 4 4 4 4
① 一 年 間 五 〇 〇 円 で、 二 年 間
4 4 4
出 費 多 端 の 折 柄 恐 縮 で す が、
未 納 の 方 は、 左 記 要 領 で 納 付
なっております。
で負担していただくことに
の 個 人 宛 発 送 は、 送 料 を 各 自
4 4 4 4 4
平成二十六年七月号でもお
4 4 4 4 4 4 4
知 ら せ し ま し た よ う に、 会 報
4 4 4 4 4 4 4 4 4 4 4 4
私は、残りの教員生活の中で、出
か ら も う 三 十 年 近 く に な る。 今、
歌うこともピアノを弾くことも
苦手な私が音楽科の教員になって
れ て 行 っ て も ら っ た よ う に 思 う。
どもたちに真の音楽の世界へと連
える音楽となった。私は、この子
作り出す音楽は、魂の入った心震
子どもたち、そんな子どもたちが
豊かで高い技能を身に付けている
きでたまらない子どもたち、感性
打楽器で県大会に出場したような
ンブルをします。
」と言い、翌年、
て目にし、来年は「打楽器アンサ
ストで打楽器アンサンブルを初め
クソフォーン四重奏が県大会に出
うなそんな学年だった。結果、サ
とがどの子からも伝わってくるよ
ことが楽しくて仕方ないというこ
や弱音は聞いたことがない。とて
るが、あの子どもたちからは文句
四 朝マラソン
夏場でも倒れないような体力づ
くりのために行っているものであ
だ。
間を各自が決めて登校してくるの
休日には、草引きをするための時
三 環境美化
よく気づく子どもたちであっ
た。生徒玄関が汚れていたら掃き、
れていたように思う。
た。私の意欲もこの返事に支えら
二 返事
返事の中に不器用さを吹き飛ば
す意欲と素直な心が詰まってい
ちていた。
拶に包まれ、私は毎日幸福感に満
ちのよい挨拶が響いた。そんな挨
に し た い と 考 え て い た。 し か し、
けて、せめて一曲演奏できるよう
ことはできるのだろうか。一年か
た。このメンバーで一曲演奏する
もに演奏できない生徒が数名い
のである。短く簡単な曲でもまと
であった。とにかく指が回らない
次の学年は、演奏が成立しない
であろうと私が最も危惧した学年
動が待っていた。
年が引退した後、さらに大きな感
が感動の連続であったが、この学
しだけ思った。私にとって、毎日
には悪くないのかもしれないと少
目的にはならないが、目標とする
は言うまでもない。コンクールは
事へとさらに高まっていったこと
た。県代表にふさわしい挨拶や返
の笑顔と自信と誇りをもたらし
たこの結果は、子どもたちに満面
なってくる。そんな中、これまで
は、 部 活 動 成 立 が 難 し い 状 況 と
る。現任校においても、この夏に
合わせることも貴重なことであ
本 町 に は、 小 規 模 校 し か な く、
吹奏楽ができるという環境に巡り
その願いは叶わなかったが……。
したいと思った。その年の異動で、
管アンサンブルではあったが、こ
な音色だった。人数が少なく、木
の思いがあふれた魂の震えるよう
演奏した「ありがとう」は、感謝
このメンバーが、卒業生に向けて
よ う に な っ て い た の だ。 中 で も、
色を豊かに感じ取ることができる
習を重ねてきた子どもたちは、音
であるがゆえに、人よりつらい練
ほどの成長を見せてくれた。苦手
を気持ちよく裏切り、目を見張る
に 伝 え て い た。 校 長 先 生 は、
「も
度 末 で 退 職 し ま す。
」と校長先生
が 訪 れ た。 そ の 年、 私 は、
「今年
十年?」私にとっての大きな転機
う に 思 う。 し か し、
「石の上にも
印を自分自身に押し続けてきたよ
毎日毎日「指導力不足」という烙
は す ぐ に や め よ う と 思 っ て い た。
教 わ っ た。 音 楽 を 支 え る も の は、
三年前に出会った子どもたちから
現 し て い く た め に 必 要 な も の を、
になったのだ。そして、これを実
入った心震える音楽づくりに夢中
な ど は 関 係 な い。 と に か く 魂 の
その後、私は、心に沁み入る音
楽づくりに没頭した。コンクール
私は何をしているだろうか。
このような子どもたちは、私を
四国大会へと連れて行ってくれ
持ちをもっていた。
人一人が出会った仲間に感謝の気
い場所にしていったのである。一
を掛け合い、笑顔あふれる心地よ
生徒も多かったが、自分たちで声
入部して、初めの一年間は、休む
に感謝して……。
ら出会うであろう音楽とそれを奏
世界を楽しみたいと思う。これか
と共に学び、共に感動し、音楽の
然りである。目の前の子どもたち
部 活 動 に つ い て 述 べ て き た が、
授業や行事の合唱活動においても
北條 志保
う 少 し 考 え て み な さ い。
」とだけ
音楽以外のものであるということ
(昭六三卒)
言われた。そのような中、音楽発
た。四国大会があることすら知ら
ま っ て、「 一、 二 年 生 に が ん ば っ
南宇和郡愛南町城辺
甲九〇八 八)
(〠
でる生徒たちとの出会いの「奇跡」
る。
に感謝の気持ちでいっぱいであ
表会を終え、子どもたちにアンサ
を……。
メンバーだった。音楽が好きで好
場した。そのメンバーは、コンテ
会うであろう音楽とそれを奏でる
そして、この子どもたちともう一
も真摯に取り組んだのだ。
愛南町
生徒たちに限りある尊い時間と出
年音楽をしたいと心底思うように
城辺中教諭
会いの「奇跡」を感じている。
なっていた。この年にこの子ども
出会わせていただいた音楽と生徒
これほど技能の不十分な技能教
科 の 教 員 は、 他 に い な い で あ ろ
上の学年が引退した後、私の予想
ンブルコンテストのための楽譜を
て ね。」 と 声 を か け た 生 徒 も い た
のメンバーで、さらに音楽を追求
う。教員になってはみたものの私
た ち と の 出 会 い が な け れ ば、 今、
五 温かい人間関係
そして、全てのベースとなるも
の は、 温 か い 人 間 関 係 で あ っ た。
渡 し た。 コ ン テ ス ト ま で は 二 週
一 挨拶
あの子どもたちの挨拶は格別
だった。明るい表情、はりのある
くらいである。思ってもいなかっ
-
な か っ た 子 ど も た ち。 出 場 が 決
わずかな時間までもとにかく無我
声、校内のみならず地域でも気持
間。子どもたちは、朝も昼休みの
夢中で曲をさらった。音楽をする
798–
4131
(15)
同 窓 会 報
同 窓 会 報
(16)
出来なかったことが出来るように
います」や「調理実習は今まで
は家でおにぎりに挑戦したいと思
「はじめてお米を炊きました。次
を し て お り、 授 業 後 の 感 想 で は、
が出来ました。決してうまくいっ
前向きな気持ちで授業に臨むこと
で「 と に か く や る し か な い。」 と
ばかり考えていた私は、この言葉
る か な。」 そ ん な 後 ろ 向 き な こ と
したらどうしよう。」「うまく伝わ
け て く だ さ っ た 言 葉 で す。「 失 敗
マートフォン等の普及により、自
り ま し た。 現 在、 携 帯 電 話 や ス
のチカラ」を改めて感じる日とな
く れ る も の ば か り で し た。
「言葉
すべてが私の心をあたたかくして
ジを作ってくれた生徒など、その
てくれた卒業生、ビデオメッセー
生徒、わざわざ遠方から挨拶に来
なった野村高校は、とても穏やか
た。
そう本が語りかけているようでし
います。「もう一度心がけなさい。」
には、きっと意味があるのだと思
ングでこの言葉に再び出会ったの
きた私が、新生活の始まるタイミ
を終え、良くも悪くも慣れが出て
西予市
なるし、何より楽しいです」と
た 授 業 と は い え ま せ ん で し た が、
分の気持ちをメールやLINE等
な学校です。私は一年生畜産科の
た川之石高校からの転勤を命じら
平成二十七年三月、三年間務め
坪倉 寿徳
(平二四卒)
野村高教諭
いった、先ほどまでの疲労感を吹
生徒一人一人が向けてくれた真剣
でしか伝えられない生徒が増えて
担任をさせていただくことになり
き飛ばしてくれるようなことを書
なまなざしは、決して忘れること
います。私自身も高校生の時から
最後に、四月から務めることに
いてくれる生徒もいました。
はありません。
て楽しいことばかりではありませ
鳴き声に驚きながらも毎日充実し
ました。個性的な二十一名の生徒
した。便利で気軽にやりとりが出
た日々を送っています。この生徒
友人との主なコミュニケーション
術のなさからくる不安を抱えなが
ていた理科の先生が座右の銘にさ
来る一方で、思わぬトラブルに発
たちが言葉を大切にし、周りの人
そんな初任校での三年間は決し
れました。川之石高校は初任校と
んでした。自分の経験や知識、技
生徒、先生方、保護者の方、そし
らの教員生活でした。そんな後ろ
れていた言葉です。この先生のク
展しかねない一面もあります。今
が温かい気持ちになる風をおこし
いうこともあり、そこで出会った
て地域の方との縁は、私の一生の
向きな気持ちになった私に、あた
ラスはとにかく個性的。学校行事
一度、言葉の大切さを生徒に伝え
てくれるよう、これからもひたす
と、時折聞こえてくる動物たちの
宝物となりました。
たかく声をかけてくださった先生
を盛り上げてくれることもあれ
ていかなければ、と思います。
ツールは携帯電話によるメールで
県立学校では二人目の男性家庭
方がいました。先生方にかけてい
ば、私たちに心配をかけることも
これは同じ学年団で担任をされ
「人として正しくあれ。」
科教員としての毎日は、試行錯誤
ただいた言葉で、どれだけ励まさ
の連続でした。特に調理実習は大
多々ありました。そんな生徒たち
せん」
「コンロの点け方がわか
ちから「野菜の切り方がわかりま
「 何 事 も 一 生 懸 命 す れ ば、 必 ず
かを紹介させてもらいます。
いたことか……その言葉のいくつ
ていただくときは、私も自然と背
た。この先生と一緒に仕事をさせ
き か。」 を 常 に 伝 え て お ら れ ま し
に 先 生 は、「 人 と し て ど う 在 る べ
風接人、秋霜自粛」です。これは
ありました。
それが題名にある
「春
に取ると、目に入ってきた言葉が
を見つけました。懐かしく思い手
していると、大学時代に読んだ本
ます。
らに、ひたむきに取り組んでいき
れ、前向きな気持ちにしていただ
りません」
「痛いっ」などの
その熱意は生徒に伝わる。そうす
筋が伸びた気がします。
離任式を終え、引越しの準備を
変でした。実習が始まるとあちこ
声が聞こえ、こちらが予想もして
れば、もし困った時、生徒が助け
いないハプニングがたくさん起き
佐 藤 一 斎 の 言 葉 で、「 春 風 の よ う
な和やかさで人に接し、秋霜の厳
先日の転勤に際し、多くの方か
てくれる。
」
ら温かい言葉をかけていただきま
し さ を も っ て 自 己 を 抑 制 す る。」
ました。調理実習が終わると倒れ
した。特に離任式では、恥ずかし
という意味だそうです。新採三年
これは教員になってはじめての
授業を控え、不安で一杯だった時
そうな様子で手紙を渡してくれた
こみたいくらいの疲労感が襲って
きます。一方生徒はというと、い
に、同じ部活動の顧問の先生がか
きいきとした表情で試食や片付け
(17)
同 窓 会 報
自分をごまかし、就職活動から逃
「アメリカが俺を呼んでいる」
と、
に 怒 涛 の 年 月 だ っ た よ う に 思 う。
あっと言う間ではあったが、同時
愛媛大学を卒業して、はや二十
年 に 差 し 掛 か ろ う と し て い る。
る。
」
り、隣の青い芝を羨ましがってい
いつも見えない大陸を追い求めた
択 の 方 法 を 教 わ ら な か っ た の か、
肢を持っているにも関わらず、選
たちは可哀想だなぁ。無限の選択
端に少なかった。でも同時に、君
界も、過ごす社会も、選択肢も極
は子がみる。今考えると見える世
ば死ぬまで添い遂げる。親の面倒
ぬまで勤め上げる、一度結婚すれ
たちの時代は一度会社に入れば死
なぁ、無限の選択肢を持てて。私
鎮 座 し て い る。
「君たちは幸せだ
ある著名な高齢者の方から言わ
れ た 一 言 が、 ず っ と 頭 の 片 隅 に
ではなく、単に就職や就社と捉え
だ。働くことを労働力の切り売り
で一応の整理はついているつもり
熱しやすくて冷めやすいと言わ
れれば身も蓋もないが、自分の中
れの経歴である。
アやフリーランス、なんでもござ
営者、サラリーマン、ボランティ
ど、外資系にベンチャー企業、経
ン、AIGにライフネット生命な
……、過去を遡れば、アンダーセ
コラボハウス、かすがいジャパン
か す が い プ ロ ジ ェ ク ト、 鴻 鵠 塾、
させて頂いている。
四国若者会議、
りしながら、数多くの活動に従事
海外と東京、愛媛を行ったり来た
視 野 が 広 が り、 今 が あ る。 現 在、
り返しで、
多くのご縁をいただき、
えるかもしれない。この二つの繰
れる。言い換えれば「自立」と言
気」
、この二つのワードに集約さ
が、
「 選 択 」 と「 一 歩 踏 み 出 す 勇
振り返ってみると、私の人生は
これからもそうに違いないのだ
みようと思う。
返りも含めて、思うところ書いて
ましい限りではあるが、少し振り
行っていることもあって、おこが
い、講演で話し、人材育成なども
りなりにも経営者として社員を雇
タイミングでもあったこと、曲が
新たな挑戦をしようと動き始めた
て人生の後半戦に入った今、また
かと思う反面、不惑の四十を迎え
糖を入れるか入れないか、会社を
と共に生きている。コーヒーに砂
人は、日々大なり小なりの選択肢
では何故、好きで得意なことを
して生きていられるのか。思うに
ない。
りを言う生活を送っていたに違い
治が悪い、上司が悪いと愚痴ばか
環境に依存して、社会が悪い、政
は、きっと途中で潰れてしまうか、
しまうと、自分のように弱い人間
る。仮に、会社や組織に依存して
会に必要とされたいと考えてい
事業の立ち上げなどを通じて、社
しているように、たまたま好きな
音楽を通して社会に安らぎを提供
な価値を提供できると。音楽家が
な点で関わるのが社会に一番大き
くと思う。税金は増え続け、生活
好き嫌いはあるにせよ、これか
らの社会はより厳しさを増して行
まう。だからこそ、面倒で道の局
らゆる言い訳を自分に用意してし
から、恐れを回避するために、あ
験した事のない事も恐ろしい。だ
ただし問題がある。一歩目が出
ないのである。変化は怖いし、経
が原動力でもあった。
ルは自分で握りたい。私にはこれ
いかねない。自分の人生のハンド
環境に流される人生になってしま
い人生は、環境に依存して、常に
る。逆に言うと、方向性を持たな
法は自ずと定まってくる気がす
進んでいる実感と共に、選択の方
もあろうが、確実にその方向には
があれば、一時的には厳しい局面
と言った目標や目的のようなもの
送りたい、こんな自分でありたい
と不可能だ。一方、こんな生活を
生活をしたいのにサラリーマンだ
は難しいし、時間に左右されない
持ちになりたいのに大企業にいて
楽な方ばかりを選びかねない。金
ではないだろうか。もしかしたら
着くだろうか?神のみぞ知る、の
て行けば、十年後にはどこに行き
当たり的な気分で選択を繰り返し
かベンチャーにするか。もし、場
を受けるか断るか、大企業にする
の銘と共に。
気を行動の共にする」
。私の座右
る 一 歩 目 を 踏 み 出 し て い る。
「勇
ながら、せっせこっせこ、恐る恐
選択の連続で、脳みそに汗を書き
分野ではあるが故に、毎日が?と
チャレンジだと思う。全く未知の
生の後半戦をかけるに相応しい
不惑の四十を迎えた今、新しい
事業の立ち上げを行っている。人
か。
る勇気に尽きるのではないだろう
の方向性を伴った選択と、実行す
のハンドルを握るためには、一定
に左右されず、自分で自分の人生
現状では難しい。そんな中、環境
とは、否応なく情報にさらされる
ない。多くの選択肢を否定するこ
生を送ること以上に危険なことは
そんな状況下で環境に依存した人
改 悪 の 方 向 に 進 ま ざ る を 得 な い。
かすがいジャパン㈱
げていた頃を思うと、よくもまぁ
ず、 提 供 す る 価 値 を よ り 大 き く、
コストも上がり、公助の仕組みも
(平一〇卒)
菅
宏司
代表取締役
ここまで生きて来られたものだ
続けるか転職するか、先輩の誘い
と、しみじみ感じる。寄稿の依頼
どうせ働くなら自分の得意で特異
を呪文のように唱えて来た。
対して、
「一歩目を踏み出す勇気」
面であればあるほど、私は自分に
をいただき、自分なんかで良いの
同 窓 会 報
(18)
もない変調子だ。こんな事で何で
つくつくほうしが鳴くなんて途方
に入つた証拠だ。土用のうちから
のが聞えないのか。既に気候が秋
「 馬 鹿 な こ と を い ふ。 も う 一 週
間も前からつくつくほうしの鳴く
すると突如として横から口を挟
む人があった。
……」
「今年の稲作はどうです。
」
「 申 分 あ り ま せ ん な。 此 の 調
子だと水に不足もありませんし
或る会合が始まる前の控え室で
のこと、
【事実の直視】
文部省の中学校改善案が発表せ
られてから、之に対する賛否様々
(昭和三年八月号)
【もつと全体的考察を】
る事を切望してやまない。
かういふ研究態度のもつと盛にな
教 育 家 に の み 可 能 な る を 思 ふ 時、
かゝる研究は日常教壇に立つ実際
してゐる憾はないだらうか。而も
学的態度ともいふべきものが欠如
理を帰納するといふ態度、即ち科
れを系統づけて、そこからある原
これを丹念に蒐集記録し、更にこ
れに比すれば、
教育事実を直視し、
はもとより喜ぶべき事であるがこ
教育哲学等の研究熱の尚旺盛なる
あてる。我が教育界に教育原理や
の一言は、よく事象の中核をいひ
う。然し長い間事実を直視した人
るが、かく現在に執着してゐては、
らずと強硬に主張してゐる様であ
準として、それ以下に減少すべか
の意見が凡て現在の教授時数を標
ても致方があるまい。更にこれら
せざるは我田引水の論と評せられ
之等の反対論者が一言これに言及
適 否 が 判 定 し 得 ら れ る の で あ る。
割合を考察して、始めて時間数の
へ、更に他の教材との時間配当の
で知らしめざるべからざるかを考
学校の教育に於ては如何なる点ま
位置を占むるものなるか、又は中
人間知能否人間の教養に如何なる
い か も 知 れ な い。 要 は 該 学 科 の、
つても充分といふことは言ひ得な
みを切り離して考へれば幾時間あ
のである。従って単に其の学科の
こそ中学校の学科目に入れてある
凡そ如何なる学科と雖も、重要
ならざるものはなく、重要なれば
対す」と結んである。
は「斯の如き無謀に近き企図に反
決して減少すべからずとし、さて
之等の決議は何れも該学科を重
要なりと述べ、従つて之が時数は
考えてみる。
対の決議がなされた事実について
該科担任教師の会合に於いて、反
少に対し、夫々斯道の大家並びに
学科、東洋歴史科等の教授時数減
何が故に消極的になるか。情熱
が足りないからである。だが情熱
も、致方のない事ではないか。
嬰的な一面を露すものと言はれて
ある事は、則ち教育者の消極的退
従つて此の順序を逆に行く傾向の
察 す る の 順 序 を 取 る に 違 ひ な い。
にして之を実行し得るかを研究考
察し、善い事だと決すれば、如何
を重んずるならば善悪を第一に考
然しながら教育者にして真に実行
喜 ぶ べ き 事 で あ る か も し れ な い。
方向に転ぜる事を示すものとして
論を避けて実行を重んずる摯実な
る。之は教育者の考へ方が空理空
議する傾向の看取される事であ
に、出来得るか出来得ないかを論
こ事であるか否かを考察する前
が提案された場合に、それが善い
る。それは或る一つの新しい計画
教 育 会 の 会 合 に 出 席 す る 毎 に、
何時も遺憾に思ふことが一つあ
(昭和三年十月号)
【情熱欠乏の時代】
れてくるのだから。
る。かくて始めて公平な意見が生
くれば考へもいくらか分れて来
る。立場が違ひ、視角が異なつて
応考えてみてほしいといふのであ
といふ色眼鏡をすて、全体的に一
ふのではない。要は何学科の教員
の時数を減じても差支えないとい
やまぬ。
の態度を養成せんことを切望して
如何なる困苦をも笑って之を忍ぶ
想を把持し、これを達成するには
を養成する教育に於いて、常に理
のではないだろうか。次代の国民
現 代 不 安 の 要 因 は 此 の 無 理 想、
及びこれに伴ふ情熱の欠乏にある
の生活、吉田松陰の謂ふ「観望自
何が故に情熱欠如せるか。明確
なる理想を把持してゐないから
まい。
欠如の時代といふも過言ではある
現代の世相を概観して、之を情熱
商業家然り、学生然り、役人然り。
人或る。農業家然り。工業家然り、
いて其の業務に従つてゐる人が幾
林傳次先生遺稿集
稲作がよいものか。
」
の 意 見 が、 教 育 雑 誌 は 勿 論 の 事、
いつまでも改善される日が来ない
の足りないのは独り教育界ばかり
それから一週間、今日の新聞は
低 温 の 為 稲 熱 病 蔓 延 の 兆 候 あ り、
﹁巻頭言﹂集 ∼﹃ 愛媛教育 ﹄誌より∼
﹁把翠﹂を繙く
︵十一︶
減収は免れまいと報じてゐる。
日々の新聞紙上に夥しく公にされ
ではないか。
(昭和五年五月号)
重」の生活を産む。
祝・叙 勲
殿
(平成二十七年四月二十九日)
☆ 瑞宝双光賞
保手浜勝彦
教育功労
伊予郡砥部町宮内三三五
昭和四十四年 卒
だ。無理想は優柔不断其の日暮し
其の人が附け加へて言つた様に
「土用中につくつくほうしが鳴い
たが、今は改善案其の物について
ではない。真に火の様な情熱を懐
た ら 不 作 だ。
」とは大学の講義や
かういつたからとて之等の学科
の論議はやめて、最近英語科、数
稲作の研究書には書いてないだろ
川 柳
(昭二九卒)
拘ると人生観が褪せてくる
右足を庇えば拗ねる左足
入り口で足踏みしてる福の神
傘寿きてまだ揺れている死性観
一線を守り孤独に耐えている
この歳で時には欲しい隠れ蓑
春風に叱られている無精者
腕組んだ仲間も今じゃ格差つき
性善説監視カメラが嘲笑う
蕪崎九〇二)
四
国中央市土居町
拘りをすてると風が動き出す
(〠
絵手紙
鳥や草花と共に
田中
勝子
シャと騒々しいコイの産卵シーン
カ モ の 親 子 の 行 列 や、 バ シ ャ バ
的になってきた。のんびりとした
らというもの、散歩が、より意欲
圧倒的な存在感があった。それか
姿 な が ら も、 羽 色 の 鮮 や か さ で、
家の近くの川で遭遇した。小さい
と は な か っ た。 そ の カ ワ セ ミ に、
ている。そこで、四苦八苦しなが
にも思えて、勝手に親しみを感じ
間社会と共存したがっているよう
のモズのサービスだったかも。人
団の中で聞いたが、あれは、うち
グイスに似た奇妙な鳴き声を、布
らしい。そう言えば、春先に、ウ
と書き、他の鳥の鳴きまねが得意
のだろう。モズは、
漢字で「百舌」
退職して、毎日が日曜日になっ
た。運動不足解消のため、歩きを
椿に営巣していたのだ。図鑑で調
ある日のこと、我が家の庭先で
も、驚きの発見があった。野鳥が
けば絵にして楽しんでいる。
文句を言わない鳥や草花を見て
いると心が和む。そして、気が向
4 4 4
などが見られて、川辺は、特に興
ら、下手くそなモズの絵をかいて
心 掛 け て い る。 風 を 感 じ な が ら、
べると、モズであった。それにし
(昭五〇卒)
味深い。
きょろきょろと周りに目を向けて
ても、
何と粗末に見える巣だこと。
伊
予郡松前町北黒田
七三八)
みた。
いると、小さな発見が多くある。
がっており、思わず笑ってしまっ
(〠
かつて、山の学校に勤めていた
時のこと、カワセミがいるとの情
た。いったい、どこで拾ってきた
無数のビニールのひもが垂れ下
報に、何度か走ったが、出合うこ
791–
3102
東澤
孝
川柳つづけて六十年
ハハハ
バカじゃなかろうか
この句おかしい
溜息が出る
風刺かな
比喩
うまいなあ
皮肉
喝采が欲しくて川柳作った
才能がない
諦めた
退屈凌ぎに作っている
あそび
遊び
句が作れなくなれば
ハイさようなら
799–
0724
(19)
同 窓 会 報
同 窓 会 報
(20)
俳 句
佐々木皓一
(昭三〇卒)
寒満月蒼天一朶の雲もなし
春近し五百羅漢の思案顔(旅行)
す ぐろ の
(旅行)
しゅんじゅん
一寸の芽出し 春 筍 掘られけり
かねつき
斧入れぬ古城の森や囀れる
かや
萱ぶきの鐘 撞 堂やうらゝかに
(仏木寺)
見知らねど交はす会釈や彼岸墓地
のどか
長閑さや干網浜の眠り猫
(宇和海中)
やどかり
★「がうな」=寄居虫
さまざまの思ひ出桜閉校す
(〠
――*――*――
愛大生の頃から俳句に多少の関
心をもっていた。子規や山頭火も
好きだった。色々な句会に誘われ
ながら遊んでいた。郷里宇和島に
就職し退職前になって「渋柿」句
会に入会し四代目主宰米田双葉子
先生の教えを受けることとなっ
た。
双葉子先生の尊敬された松根東
短
歌
和雄
森貞
(昭二五青師卒)
「奥さんは如何ですか」と訪ね来
る人ありうれしこの町が好き
病む妻に替りて立てば厨房に
洋城の主張「芭蕉に帰れ」の意義
いつしか男の匂ひ漂ふ
術後十年これにて卒業
CTも血液検査も異常なし
を学びながら漱石・子規の俳句を
学習した。いまだわかってはいな
い。ただ「情」を込めての教えを
追求している。
オカリナに童謡吹きて病む妻の
心癒やさむ長き冬の夜
疲れたと口には出さず日に三度
命の綱の食の準備す
病む妻と共に唱ふは遠き日に
憶えし童謡・唱歌でありき
病む妻に替りて今朝も吾の炊く
味噌汁の味妻の好みに
静けさは苦にもならねど寂しさは
耐え難くしてCDかける
あの人は八十歳よ庭師言ふ
脚立の上に松を摘む人
気の抜けたラムネのやうな
吾が居てセピア色なる卒業写真
介護する人よりされる身の辛さを
知れり妻の介護に
二)
米寿まであと千日を生きるぞと
八八七
松
山市南梅本町
鏡の中の吾に声かく
(〠
-
宇和島市宇和津町
三
滑床雪輪の滝です
病む妻に替りて立てば大寒の
水は冷たし味噌汁を炊く
791–
0245
末 黒 野や阿蘇中岳のうす煙
のぼ
三)
-
立春や夜べに撒かれし辻の豆
あり そ
春の潮汐入り川を遡りけり
あら ご ち
荒 東風や荒磯をまろぶ石の音
とげ
4 4 4
しかとある棘の支へや山椒の芽
なぎ
引き潮の忘れ溜りやがうな群れ★
みさき
遠霞 岬 十里や凪わたる
798–
0043
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かもしれません。ともかくも、関
係者の猛反対を振り切って、人生
の絶対的命綱ともいうべき四年間
( 大 阪 二 年 間・ 広 島 二 年 間 ) 勤 め
た小学校教師の職を辞し、佛教大
学大学院(法然上人の浄土宗総本
山知恩院)に進学し、仏教学研究
の途についたことは、全く人生の
「 冒 険 」( adventure
)以外の何
ものでもありませんでした。当該
小学校の東実夫校長から「学校教
育よりも深い宗教の道に進まれた
のですから覚悟してがんばって下
さい」との葉書をいただきました。
佛大院では奨学金を受け、地の利
から近くの京都大学へも足を運び
聴講しながら五年間(修士課程二
年間・博士課程三年間)学びまし
た。修了後、薦められた浄土宗で
はなく、親鸞聖人の浄土真宗の僧
侶となって、その後の大試練に耐
えながら、七十二歳となった今も
独身という孤独な人生を歩んでき
ました。
そ れ に つ け ま し て も、「 教 育 」
が人間生活の営為にとっていかに
重 要 で 大 切 で あ る か、「 教 育 」 に
関 わ っ て き て よ か っ た と 熟( つ
く づ く ) 思 う 昨 今 で す。 私 の 今
生 で の 意 味( meaning
)と使命
( mission
) も 分 か っ て き ま し た。
昨年のノーベル平和賞のパキスタ
ンの少女、マララ・ユスフザイさ
んの「幼児教育(児童結婚)と女
子教育(名誉殺人)が大切」とい
う国連での演説に感動した一人で
すが、「教育」の仕方いかんによっ
ては若者が殺人や自爆テロへと容
易に洗脳されていく現在、過激思
想 指 導 者・ 悪 魔( Satan
)に操ら
れる教育力によっては、人間の心
がかくも冷血・残酷に変貌してい
くものかという恐怖の現実に直面
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している世界で「教育」の見直し
が叫ばれています。神の領域に接
近しているかのような今日の科学
技術の長足の進歩による利便性追
求の日常生活、経済至上主義、同
時に教育にあっても知識の詰め込
み最優先で、伸び伸びとした遊び
を通して真の心の平安を説く教育
が等閑視されてきたと感じていま
す。
さて、戦前の旧帝大系諸大学の
う ち、 戦 後 の 学 制 改 革 で 唯 一 校、
教員養成課程(旧師範学校)を純
粋学問研究学部としての教育学部
に併合した東北大学にあって、教
養部扱いの、その職性分野との矛
盾性から、暫くして、教員養成課
程を切り離すべきだとの声があ
がったとき、それは教育の自殺行
為だ、と猛反対された林竹二先生
は、結局大学を追われ、その功績
から新しく設立された宮城教育大
学 の 初 代 学 長 に 就 任 さ れ ま し た。
林先生は東北大学教育学部で、ソ
クラテス、プラトン、アリストテ
レス等のギリシャ哲学の有能な研
究学者でしたが、特に初等教育が
大切であり、小学校教師になって
いく学生達が、真の人間教育、真
の教育哲学を学習し、本物の人間
を 見 抜 く 眼 力 を 養 わ ね ば な ら ぬ、
も ち ろ ん 教 科 教 育 も 大 切 で す が、
教師の人間性が接する子どもの人
格に反映され決定づけられるわけ
ですから、まず第一に、真の人間
教師を育成する教員養成大学へと
脱皮すべきだ、と叫び続けられた
の で し た。
「資格」を与えるだけ
の体制から「資質」の形成を重視
する体制への変革を願われたので
す。
し か し な が ら、 小 学 校 教 育 は、
多様な教科に対応する技量を体得
せねばならないので、万能のスー
パーマンならいざしらず、そこに
無理が生じ、教職現場ではピアノ
のバイエル 番的低能力を覆い隠
してでも一人前の音楽家ぶりを身
につけ、創意工夫するより、平気
でごまかしてしまう大人びた気質
をもつ人間として、戦前から小学
校 教 師 を 蔑 称 す る「 師 範 タ イ プ 」
なる形容詞を貼りつけられたので
し た。
「 教 育 県 」 と 自 負 し、 広 島
高等師範学校を仰望する三原女子
師範学校卒業の母から、特に男子
師範生に、コンプレックスとして
その傾向性が強かったようだ、と
聞かされてきました。
今日、貧富の格差のますますの
拡大によって、強大国はIS等の
不平不満分子を力(ちから)づく
で一掃しようと力(りき)んでい
ますが、過激なテロ思想は消滅す
ることなく世界中に拡散し、日本
人もその「標的」( taget
)になり
安心してはいられなくなってきて
います。憎しみの連鎖は悪循環と
な り、 究 極 的 に は、「 阿 弥 陀 仏 」
の慈悲による救済によってのみ成
就される調和への対話が唯一の理
想的方策として残されていると信
じています。
旅人のマントを脱がすのは、太
陽の光と熱でしかありません。
平成二十七(二〇一五)年二月
二十七日〈父の祥月命日にて〉
参考文献
教育亡国(林竹二著・筑摩書房)
私の小学校留学記
(武田忠著・NHKブックス)
わたしはマララ(マララ・ユス
フザイ著・GAKKEN)
80
(〠 広
島市安佐南区長束
一丁目一八 五 五)
-
吉原 宏文
聖 地 で も あ り ま す。 現 在、
「ヒロ
シマ・ナガサキ」として、世界的
に有名になり、人類の犯した罪業
を懺悔し、平和を願う祈りが、毎
年平和公園で開催されています。
私は被爆時は三歳でしたが、広
島県の山地に住んでいましたので
直 接 の 被 爆 は 免 れ ま し た。 今 は、
その復興した広島市安佐南区の一
角に住んでおり、昨夏八月の集中
豪雨土砂災害で多数の死者を出し
た地区の中です。ただ、山側では
なく、太田川放水路の近くに家が
あるため被害はありませんでし
た。しかし、大変な衝撃を受けま
した。
私 は、 複 雑 な 家 族 構 成 な が ら、
教育者一家の長男として生を受
け ま し た の で、 何 と は な く 教 育
学部の門を叩くことになり入学
を 許 さ れ ま し た。 た だ し、 名 門
広 島 国 泰 寺 高 校 在 学 中 よ り、
「教
育」
( education
) よ り も、
「哲
学」
( philosophy
) と か「 宗 教 」
( religion
) に 関 心 が あ り、 愛 大
で も、
「哲学科」に進みたかった
のですが、肝心の英語ができなく
て、
初志を貫徹することができず、
不本意ながら、小学校教師の免許
だけ取って卒業せざるをえません
でした。中学校教師の副専を放棄
したことは、自分の弱みとして苦
悶しました。しかし、その後の哲
学 研 究 へ の「 余 地 」
( space
)を
残しておいたこととして、そのよ
う な 空 白 観 を 抱 い て い た こ と は、
かえって不幸中の幸いであったの
-
(昭四二卒)
思いがけなく同窓会常任幹事の
菅田顕先生より会報への原稿を依
頼されましたので、卒業生の一人
として久し振りに(平成元年二月
以来)
、 七 十 二 歳 に な っ た 今 日、
心に抱いている感想を文章にして
みました。
広島県生まれの私にとって他県
の愛媛大学に進学したことは、や
はり何かの御縁であったと思いま
す。愛媛県は俳聖正岡子規を生ん
だ文学の地であるとともにノーベ
ル文学賞の大江健三郎氏、また昨
年は青色発光ダイオードの開発で
ノーベル物理学賞の光栄に預られ
た中村修二氏を輩出した知的レベ
ル の 高 い 県 で あ る と 思 わ れ ま す。
わが広島県はまだ一人もノーベル
賞 受 賞 者 を 出 し て い ま せ ん か ら。
確かに「広島カープ」とか「マツ
ダ自動車生産」とかで得意性があ
り、また「安芸門徒」と形容され
るとおり、昔から仏教信仰の盛ん
な地で、キリスト教信仰の篤い長
崎県とともに、宗教的情緒の濃い
「被爆都市」という歴史的受難の
731–
0135
(21)
同 窓 会 報
同 窓 会 報
(22)
森川 紘一
(昭三七卒)
「同窓会報」一一九号に替地和
人 氏 が「 見 つ か っ た 卒 業 文 集 」
と い う 一 文 を 寄 せ て お ら れ た。
(二十三ページ)
その中に「蒲池先生」のお名前
と「作文の会」という文字を見つ
け、学生時代と現在がつながって
しまった。
私は、昭和三十五年度の後期か
ら蒲池先生に指導教官をお願いし
たことから「作文の会」に入会し
て生活綴方を知り、卒業まで在籍
して多くのことを学んだ。
今も
「会
友」として機関誌『坊っちゃん列
車』
(年一回発行)に時々寄稿し
たりしている。
替地氏のそれを読んでいるうち
に、
「作文の会」で学んだことの
一つで、現在(七十五歳)も〝こ
だわり〟続けていることをここに
紹介する気になった。
学生の私には学級通信の具体的
イメージはなかったが、発行への
実践だった。
任した時の、これもまた感動的な
ベテランの先生が、親子二代を担
動 的 な 実 践 だ っ た。 も う 一 つ は、
一つは、学級通信を発行したこ
とで、父母から喜ばれたという感
かった。
ず、学生時代の〝夢〟は実現しな
が、二代目に出会う機会に恵まれ
た。一二〇〇号まで発行したのだ
大事をとって五十三歳で退職し
も 続 け た が、 体 調 を 壊 し た の で、
かったので大歓迎された。その後
である。当時は、学級通信が珍し
発行し始めた。一九六三年のこと
つぼし」と名付けてガリ版印刷で
最初の担任は、大阪の四條畷小
学校の五年星組だったので「いつ
現在、五十三年目である。
ある。
教師になって三十九年目のことで
任した教え子の娘さんが、受講生
果たして、八年目に夢がかなっ
た小学校教師として三年目に担
感じるようになった。
発行し続けることにも手ごたえを
れ、読まれる講義通信を目指して
応だった。その後、学生に歓迎さ
続発行を決意させるには十分な反
かった。この言葉は、わたしに継
しいっす」という言葉はうれし
ように読んでいた学生の「なつか
の講義通信『いつつぼし』を用意
目がいるかもしれない」というも
熱 い 意 欲 が 湧 い た。 更 に、
〝長く
退職後、体調も回復し、今まで
に七大学で非常勤講師を務めてき
現在は、立命館大学で四五四〇
号まで発行し続けている。二人目
しみになったのものだ。今もその
先生をしていると親子二代と会う
た。
の二代目と出会うことを期待しつ
のだった。学級通信同様、手書き
こともあるのか〟と実に新鮮な感
最初の龍谷大学での初講義直
前、突然ひらめいた。それは、
「講
〝夢〟に〝こだわり〟続けている。
動も味わったものだ。
義通信として『いつつぼし』を発
この二つの感動が、私の中で一
体となり、ステキな〝夢〟ができ
た。
「 教 師 に な っ た ら、 学 級 通 信
の中にいてくれたのだ。大感激
して臨んだ。配布すると食い入る
を発行しよう教え子の子どもに
つ……。
当時読んだ二冊の実践記録書か
らもらった感動が〝夢〟を誕生さ
出会うことがあるかもしれないか
行してみよう。大学生の中に二代
せた。
ら、名前を変えずに、しかも通し
番号で発行し続けようそうして
いると、いつの日か二代目を担任
した時、二代目が持ち帰った学級
通信をはさんで親子が茶の間で盛
り 上 が る に 違 い な い。
」そんなこ
とを考えると、現場に出るのが楽
大学での講義中
趣味のスポーツ吹き矢練習中
原 稿
募
集
︱次号 第百二十一号︱
短 く て も 結 構 で す。 多 く の
方々のお気軽なご寄稿をお待ち
しております。
◇
◯ 『 会 員 の 声 」・「 今、 教 育 に
思 う こ と 」 に つ い て、 ふ る っ
てご投稿ください。
★ 同期会や支部同窓会などの
集会や活動について
★ 恩師・先輩・同僚の訪問や
思い出について
★ 職場の近況や所感や活動に
ついて
★ 文芸(随想・俳句・川柳・短歌・
詩・絵手紙等)について
★ 会員便り
1旅行記
4この頃思うこと
2季節便り 5
忘れ得ぬ人など
3教育雑感
※ 投稿が多数になった場合に
は、 編 集 委 員 会 で 選 ば せ て い
ただきますので、ご了承くだ
さい。
◇
★ 原稿〆切 十一月三十日
発行 二月一日 予定
★ 字数
依頼者以外は千二百字厳守
四〇〇字詰原稿用紙の一行
を 十 五 字に し て 書 い て 下 さ
い。
★ 写真
筆者の顔写真を添付して
ください。顔写真以外で内
容に関連した写真もあれば
送ってください。
㈠自分をみつめ直し、自分さが
しの旅 ㈡家族の供養 ㈢病気の
治癒のお礼 ㈣家族の安全祈願
㈤自分を鍛える。
とができた。
人のシンポジウム。
大山寺の資料一万七千点を、胡
光教授のもとに学生が、約一年間
設 立 以 後、
「四国遍路とこころ
の旅」ひめぎんサブホールでの四
愛大のホールでの開催。毎週日
曜日午前九時より三十分
「各札所」
かけて、調査に協力し多大の成果
愛大法文学部胡光教授、大日寺
住職真鍋俊照氏、円明院住職武田
する意義を知ることができた。
りで、四国文化の深さを知り順拝
頃参拝しても見られない秘宝ばか
要文化財十四件を含む約百件。日
加した。県下札所の国宝四件、重
生も参加し、資料整理や研究に参
して世界遺産指定に、四国の大学
携しそれぞれの札所の秘宝を展示
学した。同時期に他の三県も、連
記念して開催され、親子三代で見
日、四国霊場開創千二百年の年を
県 立 美 術 館 で「 四 国 へ ん ろ 展 」
が、昨年の九月六日から十月十三
了。高野山詣りの「結願」を達成。
り親子三代が車で、十一日間で完
を計画。中札所四十四番大宝寺よ
平成二十二年愛大ミュージアム
にて
「順拝展」
を機に
「区切り順拝」
と話され、その時、すでに五回目
氏の生家前の旧遍路道を歩いた。」
あり「ノーベル賞作家大江健三郎
作家の家田氏は、八年前松前文
化 会 館 に て「 八 十 八 ヶ 所 と 空 海 」
聴。
脳科学者茂木氏のフォーラムを視
氏(タレント)
。作家家田荘子氏。
胡光教授。香川県出身の松本明子
四十五分
「四国遍路のミステリー」
平成二十六年十二月十二日NH
K放送午後七時半から、午後九時
順拝に大変参考になっている。
路と空海の歴史を学び、二回目の
査成果に学ぶ」を聴講し、再度遍
部胡光教授、演題「最新の寺院調
内子町では「郷土学講座」平成
二十六年九月三十日、愛大法文学
の柿経(木札)は印象に残った。
記、御詠歌等。その中でも岩屋寺
所用品、木札、納札、絵ハガキ日
を願いながら。
ある。世界遺産に指定されること
ではと、順拝をして思うこの頃で
につながり生き方の指針になるの
現職の先生方、多忙中をさっす
るが順拝すれば、四国文化の継承
できたのにと思う。
現職時に順拝し、各札所の歴史
を知っていれば、児童生徒に還元
喜
多郡内子町五百木

○ 放送大学の科目を利用し
て、特別支援学校教諭免許状
です。
○ 放送大学の大学院を利用し
て、専修免許状の取得が可能
資格取得などができます。
は、次に掲げる教育関係の免許
すが、同窓会員特に現職の方々
放送大学では、心理学・福祉・
文学など、幅広い分野を学べま
制の大学です。
放送大学は、テレビなどの放
送を利用して自宅で学べる通信
〈募集期間〉 八月十六日~
八月三十日十八時必着
平成二十八年度大学院修士全
科生学生を募集中です。
〈募集期間〉六月十五日~
九月二十日
科生・科目生)を募集中です。
放送大学では、平成二十七年
十月入学生(教養学部、修士選
ターにご請求ください。
資料を無料でさし上げており
ます。お気軽に、愛媛学習セン
○ 放送大学の講習を受講し
て、教員免許更新が可能です。
能です。
○ 放送大学の科目を利用し
て、司書教諭資格の取得が可
の取得が可能です。
放送大学入学生募集のお知らせ



小野植元幸
をテレビ愛媛が放映。
武昭氏、奈良大学文学部教授塩出
の順拝されていたので、思い出し
(昭二九卒)
貴子氏。県立美術館学芸員。県歴
なつかしかった。
に感謝したい。
史博物館学芸員。四国八十八ヶ所
第二回愛大ミュージアムでの
「 千 二 百 年 展 」 が あ り、 遍 路 道、
霊場会会長吉川俊宏氏の協力によ
放映で、順拝の目的のアンケー
トより次のことが多かった。順不
(〠
り「四国へんろ展」の報告書を刊
一五四)
行。 展 示 物 の 写 真 や 説 明、 用 具、
同である。
で講演を聴講。その折話す機会が
各仏像、歴史など知識を広めるこ
衛門三郎が弘法大師に会った像
791–
3351
(23)
同 窓 会 報
同 窓 会 報
(24)
同期会
昭和三十三年
卒業生同期会
村上 嘉一
(昭三三卒)
平成二十六(二〇一四)年十一
月 三 十 日( 日 )
、十三時三十分~
十七時、松山市道後姫塚の「にぎ
たつ会館」において、昭和三十三
(一九五八)年三月に教育学部四
年課程を卒業した同期生の会が開
かれた。
卒業後、早くも半世紀をこえる
年月が過ぎ去り、同期生も八十歳
した。
今は亡き友へ黙祷し冥福をお祈り
したり、微笑んだりのひとときと
のカラフルな現況報告に一同感心
にあたった、会の事務局の仕事は
今回は南予の佐々木信之さんと
後藤和市さんが準備・開催・運営
も十四回を迎えた。
県外の岡山へ移して開かれ、早く
場・事務局を東予・中予・南予・
学歌」などのメロディの流れる中
省唱歌「ふるさと」や「愛媛大学
佐々木さんの準備したオーディ
オから流れる昔日の懐かしい文部
く唱和し杯を上げた。
頃さんの発声に合わせ一同元気よ
杯の音頭は遠路出席くださった神
一 同 の 健 康 と 多 幸・ 同 期 会 の
益々の発展を祈念して、元気で再
た。
あちこちのテーブルで談笑・交
流が続く中にお開きの時となっ
のように決まった。
松山で……」との提案があり、そ
次回の会はどこで開くか。岡山
から参加した河合さんから「ぜひ、
なった。
松山の永井保雄さんがお手伝いす
あちこちのテーブルで歓談の輪が
会しようと近い誓い合い、万歳を
佐々木さんの発声で開会。久し
振りに再会した友の皆さんとの乾
ることで開会に至った。
広がり宴たけなわとなった。
宴会開会にあたり、先ず全員で
「趣味のオリガミを楽しみ、愛大
囲碁六段、益々、意気盛んです」、
つ法律の勉強もしている」、「現在、
んでいる」、「野菜作りを楽しみつ
百回して強い脚力でテニスを楽し
調べている」、「毎日スクワットを
魚扁(へん)の付いた漢字を集め
同期生の皆さんの健康回復を祈
り元気で再会できることを期待し
良に関するものであった。
に加えて、二十通は何らか体調不
張っている」などの「元気」便り
道五段をもらい六段をめざして頑
準備係を担当しています」、「居合
『欠席者からのメッセージ』が
五 十 通 届 い た。
「えひめ国体の諸
三唱した。
の 健 康 講 座 に も 参 加 し て い る 」、
つつ散会した。
皆さんの「近況報告」が始まっ
た。「 魚( さ か な ) が 大 好 き で、
「英語教室に出席し勉強してい
る」、「お医者さんに縁がなく全国
大会に出て走っている」、「庭の手
入れが発展し女性の剪定士に教え
ていただいている」、「何回も手術
を受けたが元気でこのように生き
ている」……などなど、それぞれ
教育現場等から同窓会へ
支援要請依頼について
教育現場等で、同窓会へ支援の
ご要望がありましたら、左記のよ
うな内容で、同窓会へご連絡下さ
い。
1.支援要請のねらい
2.どのような事を
3.何時頃
4.何処で
5.誰が、どのような組織が
6.どのような方法で実施する
その為、同窓会からの支援を要
請したい。
要請連絡は、左記の所にメール
して頂くか、FAX又はお手紙を
お送り下さい。
ちしています。
ご 利 用 く だ さ い。 お 待
先変更などの諸連絡に
お 問 い 合 わ せ、 会 報
へ の 寄 稿、 住 所、 勤 務
dosokai@ed.ehime-u.ac.jp
が近くになった。正に「光陰矢の
如し」である。
資料によれば、同期生(四年課
程中等科・初等科卒業生)の総数
は 百 五 十 三 名 で あ っ た。 今 回 は、
そのうち二十八名が参集した。
この会は初回を同期生・長岡芳
朗さんが発起・世話をして、松山
で 開 か れ、 現 在 に 至 っ た。 そ の
後、ほぼ年に一回のペースで、会
愛媛大学教育学部 昭和33年卒業 第14回同期会 平成26年11月30日 於にぎたつ会館
同 窓 会 報
(25)
松山市立久枝小学校の 1/2 成人式記念品制作
『藍染めハンカチに手形で抜き染め』を行いました。
平成27年3月13日(金)、愛大GP「伝統の継承プログラムを通したグローカルマインドの育成」
事業として、松山市立久枝小学校の1/2成人式記念品制作『藍染めハンカチに手形で抜き染め』
を行いました。
平成25年度から愛大GP特別テーマとして立ち上げられた「伝統の継承プログラムを通したグ
ローカルマインドの育成」事業を、久枝小学校の1/2成人式の手形を抜き染めした藍染めハン
カチ製作として行いました。
「伊予絣」の伝統を持つ愛媛県ですが、
そうした伝統への興味関心は薄れていっています。そこで、
伝統の継承プログラムの検討を通して、地域性について考えを巡らし、ローカルとグローバルの
融合されたグローカリゼーションについて思いを巡らせることが本事業の目的です。
今回は、2代目学生リーダーの和田敬行さん(教育学研究科1年)を筆頭に、神森貴文さん(同
研究科1年)、橋本愛さん(同研究科1年)、風呂圭祐さん(同研究科1年)
、市本早香さん(教育
心理3年)、寺西順平さん(家政教育3年)、森元愛咲子さん(理科教育3年)
、吉金みのりさん(理科教育3年)の
8人で実施を行いました。
楽しみながら伝統産業に触れ、伝統を身近に感じるハンカチ製作を通し、子どもたちと学生、地域が一体となって、
伝統の新たな継承方法について考える機会となりました。簡単に、楽しく、活動ができ、子どもたちは一様に「楽し
かった!」と喜んでいました。子どもたちの笑顔に見送られて、学生たちは新たな気づきを得たようです。
伝統の新たな価値創造や地域を担う人材の育成が期待されます。
リーダーの和田さんが児童たちに実施内容を説明
手形を押しています。後ろは前のクラスが製作した手形
sssssssssssssssssssssssssssssssssssssss
への誘い
種 類
展示
日 時
2015-05-15
内 容
特別展「体感する4次元宇宙の世界」の開催
5月20日(水)から、特別展「体感する4次元宇宙の世界」を開催いたします。
国立天文台のご協力により、4D2Uプロジェクトチームが開発した4次元宇宙シアター用の
詳細情報
ムービーから、進化する宇宙の姿を立体的に体感していただきます。また、愛媛大学宇宙進化研
究センターが取り組んでいる、最先端の天文学研究を紹介します。
会期は7月27日(月)まで。是非、ご来館ください。
同 窓 会 報
(26)
今治市教育委員会と連携協力事業の調印を行いました
平成27年4月20日(月)、教育学部が今治市教育委員会の高橋実樹教育長を迎え、同委員会と平成27年度連
携協力事業の調印を行いました。
教育学部はこれまで、愛媛県教育委員会、松山市教育委員会、今治市教育委員会、伊予市教育委員会、松前
町教育委員会、東温市教育委員会、愛南町教育委員会とそれぞれ連携協力の覚書を交わし、その活動を通して、
教育研究、教員研修、教員養成について多くの成果を挙げてきました。
今治市教育委員会とは、平成15年の覚書の調印以来、継続的に共同研究を行っており、
『研究報告書』
(愛媛
大学教育学部・今治市教育研究所)の形でその成果をまとめ
ています。今年度は、昨年度に引き続き「確かな学びを保障
するカリキュラムの開発と授業の創造」のテーマで研究を推
進することになりました。その趣旨は、
「教育現場の諸問題
の解決のために、理論と実践の一体化による研究を推進する
とともに、教師の創意工夫を活かした授業を創造し、児童生
徒に多様で確かな学力を身につけさせる」というものです。
教育現場の具体に即した継続的な研究の成果が期待されま
す。
今治市教育委員会の高橋教育長(左)と三浦和尚教育学部長(右)
教育学部留学生歓迎会を開催しました【4月 23 日(木)】
平成27年4月23日
(木)
、校友会館2階「サロン」で、教育学部留学生歓迎会(前学期)を開催しました。 本学部では、今年度4月から新たに3人の留学生を迎え、在籍する留学生は現在6人となりました。
歓迎会は、留学生、教育学部長、指導教員、国際交流委員会委員、留学生チューター、事務職員などが一同
に集い、国際交流委員会の河野極特命准教授の司会のもと、三浦和尚教育学部長の歓迎挨拶、乾杯で始まりま
した。その後、留学生の紹介があり、留学生たちは、それぞれ流暢な日本語で自己紹介を行いました。続いて、
国際交流委員会メンバーの自己紹介があり、先輩留学生から、授業や日常生活などについてアドバイスとエー
ルがありました。
留学生の皆さんにとって、本学で過ごす留学生活が有意義なものになるよう願っています。
学部長による乾杯
留学生から挨拶
同 窓 会 報
(27)
平成27年度
支 部 長 会 報 告
1.日 時 平成27年6月6日(土)
10:30 ~ 14:00
2.場 所 愛媛大学校友会館(松山市文京町3)2F 大会議室
3.日 程 ⑴ 開 会 挨拶 会長・学部長
⑵ 各支部長 挨拶
⑶ 議長選出
⑷ 議 事
ア 会則改正について
イ 役員改選に関する件
★ 新旧役員挨拶 ウ 平成26年度行事報告
エ 平成26年度決算報告・監査報告
オ 平成27年度行事計画
カ 平成27年度予算案審議
キ 支部活動と助成金について
ク その他事務連絡
(内規に関する事項・会報発送・会館利・名簿 等)
⑸ 閉 会 挨拶 副会長
4.主な話し合い事項
⑴ 支部活動の活性化について
各支部長に前もって依頼していたアンケート等による提言を元に、支部活動をいかに活性化するかについ
て時間を掛けて話し合われた。昨年度も南宇和支部、伊予支部で「落語文化の普及を図る」のかけ声の下、
地域の方々と協力し、古今亭菊志ん師匠をお招きし、大変盛会だったので、その経過報告を松本支部長にし
ていただいた。
このように各支部とも予算が位置づけられているので、積極的な活動を公民館等と協力して計画してみて
はとの提言があった。
⑵ 教育学部と同窓会との連携活動について
一昨年度より予算にも位置づけ、教育学部では「サポーター制度」を設け、同窓生に働きかけ、講師になっ
てもらい「コミュニケーション能力の育成」をテーマに、学生達に講演している。その活動の様子報告は会
報を通じて行っている。非常に学生に好評であり、今後とも学部と同窓会との絆を強めるため同窓会は協力
をしようと意志決定した。
⑶ 「支部活動特別助成金」について
支部活動をより活性化するための具体的な方策として、上記にある「支部活動特別助成」を配慮している。
その為の資料として、
「支部活動特別助成金交付要綱」と「申請手続き」を紹介した。
⑷ 県外支部長の参加があった
岡山支部・冨田一廣副会長の参加があり、挨拶をして頂き、県外支部活動の現状と要望を話していただいた。
⑸ 今年度新しく、4人の新理事をお迎えした。理事選出も東・南予からも、もう少し多く選出してはとの意
見があった。
⑹ 今回に於いても来る愛媛国体に備え、同窓会としてもどうサポートするか考えてほしいとの提案があった。
以上
同 窓 会 報
(28)
平成26年度 行 事 報 告
平成27年度 行 事 計 画
4. 7(月) 平成26年度入学式
学部生 232名 院生 47名
4. 6(月) 平成27年度入学式
学部生 235名 院生 53名
4.14(月) 平成25年度会計監査
監査実施
4.13(月) 平成26年度会計監査
監査実施
5.12(月) 第1回常任理事会
役員改選・同窓会活動・支部活動について
5.12(火) 第1回常任理事会
役員改選・同窓会活動・支部活動に
ついて
5.24(土) 第1回理事会
平成25年度行事、決算報告
平成26年度行事計画及び予算審議
役員改選案について審議
5.23(土) 第1回理事会
平成26年度行事、決算報告
平成27年度行事計画及び予算審議
役員改選案について審議
6. 6(土) 支部長会
平成27年度本部役員改選
平成26年度行事、決算報告
平成27年度行事計画及び予算審議
5.31(土) 同窓会懇親会世話人会
各期代表世話人による懇親会運営話し合い
6. 7(土) 支部長会
平成26年度本部役員改選
平成25年度行事、決算報告
平成26年度行事計画及び予算審議
6.11(水) 第1回編集委員会
会報118号 校正
6. ( ) 学部サポーター制による講義
7. 1(火) 同窓会報118号発行
8,500部
6.10(水) 第1回編集委員会
会報120号 校正
7.28(月) 第2回常任理事会
同窓会懇親会運営推進対策について
7. 1(水) 同窓会報120号発行
8,300部
8. 4(月) 支部活動支援・援助
伊予支部 坊っちゃん劇場女優加藤
富子氏講演
7.28(火) 第2回常任理事会
同窓会運営推進対策について
8. 8(金) 第2回理事会
同窓会懇親会運営推進対策について
8.23(土) 第14回教育学部同窓会懇親会 松山全日空ホテル南館4Fエメラルド
9.12(金) 第3回常任理事会
懇親会反省報告、後期諸計画、次年
度活動について
10.18(土) 支部活動支援・援助
南宇和支部 菊志ん師匠の「落語文化口演会」
11. 8(土) 第5回愛媛大学ホームカミングデー 教育学部同窓会参加者 13名
11.26(木) 学部サポーター制による講義
12. 6(木) 第3回岡山支部総会
1. 6(火) 第3回理事会
1.26(金) 第2回編集委員会
8. ( ) 支部活動支援・援助
8. 7(金) 第2回理事会
10. ( ) 支部活動支援・援助
11. 7(土)
8,500部
3. 2(月) 第4回常任理事会
26年度行事活動反省、次年度重点活
動目標設定について
3.24(火) 平成26年度卒業式
卒業者学部生 227名 院生 39名
増 減
摘 要
1.会 費 5,100,000 5,080,000 △ 20,000 入会者数@20,000
2.寄 付
200,000
3.雑 収 入
4,000
219,350
19,350 寄付金等
3,462 △ 538 利息等
4.繰 越 金 2,427,762 2,427,762
計
0
会報121号 校正
会報121号発行
8,300部
第4回常任理事会
27年度行事活動反省、次年度重点活
動目標設定について
(収入の部) (単位:円)
費 目
増 減
増 減
摘 要
2.寄 付
210,000
3.雑 収 入
3,500
200,000
10,000 寄附金等
4,000 △ 500 利息等
7,268,509 7,731,762 △ 463,253
(支出の部)
1.会 議 費
600,000
650,000 △ 50,000 支部長会・理事会
2.旅 費
650,000
700,000 △ 50,000 支部長会・理事会
650,000
540,679
109,321
支 部 長 会・ 理 事
会・代表者会
2.旅 費
700,000
498,150
201,850
支 部 長 会・ 理 事
会・代表者会
468,380 会報年2回
63,389 会報発送、連絡費
4.通 信 費
450,000
386,611
5.慶 弔 費
150,000
30,000
120,000
6.給 与 費
800,000
800,000
0
7.備 品 費
350,000
29,378
320,622 PC・プリンター機器
8.消耗品費
200,000
169,707
30,293 封筒、ラベル・コピー代等
費 目
本年度予算 前年度予算
増 減
摘 要
3.印 刷 費 1,300,000 1,550,000 △ 250,000 会報年2回(カラー頁増やす)
4.通 信 費
450,000
450,000
0 会報発送、連絡費
5.慶 弔 費
150,000
150,000
0
6.給 与 費
800,000
800,000
0
7.備 品 費
150,000
350,000 △ 200,000 PC・プリンター機器
8.消耗品費
200,000
200,000
0 封筒、ラベル・コピー代等
9.支部助成費
500,000
500,000
0
10.卒業記念費
450,000
460,000 △ 10,000 電波時計付フォトスタンド
11.国際交流基金
250,000
250,000
0
12.支部活動支援費
550,000
550,000
0 芸能・文化支援
9.支部助成費
500,000
472,600
27,400
10.卒業記念費
460,000
422,820
37,180 電波時計付フォトスタンド
11.国際交流基金
250,000
250,000
12.支部活動支援費
550,000
159,710
390,290 芸能・文化支援等
13.学部活動支援費
500,000
347,843
152,157 学部サポーター活動支援等
13.学部活動支援費
500,000
500,000
14.積 立 費
400,000
400,000
0
14.積 立 費
500,000
400,000
100,000
15.雑 費
150,000
86,447
63,553
15.雑 費
150,000
150,000
0
71,762
0
71,762
16.予 備 費
7,731,762 5,675,565
2,056,197
16.予 備 費
計
入 学 予 定 者(235名
+15名)@20,000
摘 要
1.会 議 費
3.印 刷 費 1,550,000 1,081,620
本年度予算 前年度予算
1.会 費 5,000,000 5,100,000 △ 100,000
計
本年度予算 本年度支出
卒業者学部生 名 院生 名
4.繰 越 金 2,055,009 2,427,762 △ 372,753
7,731,762 7,730,574 △ 1,188
(支出の部)
費 目
年間行事の反省 新年度諸計画について
第2回編集委員会
平成27年度 予 算 書
平成26年度 決 算 書
本年度予算 本年度収入
第3回理事会
3.24(木) 平成27年度卒業式
(収入の部) (単位:円)
費 目
第6回愛媛大学ホームカ
教育学部同窓会参加
ミングデー
11. ( ) 学部サポーター制による講義
1. 9(土)
古今亭菊志ん「魅力的な話し方講座」
岡山支部総会を岡山市で開催、会長、 1.14(木)
常任幹事参加
2. 1(月)
年間行事の反省 新年度諸計画について
3. 1(火)
会報119号 校正
2. 2(金) 会報119号発行
同窓会運営推進対策について
0
計
68,509
0 学部サポーター活動支援等
71,762 △ 3,253
7,268,509 7,731,762 △ 463,253
同 窓 会 報
(29)
平成 27 年度 役 員 表
愛媛大学教育学部同窓会 本 部
顧 問
三 浦 和 尚 ・ 奥 定 一 孝
会 長
高 橋 治 郎 副 会 長
立 入 哉
峯 本 高 義
村 上 朋 子
菅 田 顕
山 本 千鶴子
山 本 周 三
長 野 照 道
山 下 雅 司
菊 川 國 夫
満 田 泰 三
村 上 嘉 一
鎌 田 サチ子
和 田 和 子
阿 部 晋
垂 水 葉 子
井 出 節 雄
後 藤 陽 三
中 村 真紀子
大 上 航 太
辻 井 芽美子
白 石 久美子
赤 松 彩 子
渡 邊 恵 理
菅 洋 二
濱 田 圭
山 本 真 理
森 山 由香里
理 事
支 部 名
支 部 長 監 事
矢 野 裕 司
相 原 孝 裕
副 支 部 長 常任幹事 替 地 和 人
副 支 部 長 県 内 支 部
川之江 ・ 新宮
後 藤 宏 治
川之江南中
石 川 直 子
南
小
日 浦 正 文
金生第一小
伊 予 三 島
鈴 木 惠 子
豊 岡 小
野 村 浩
松 柏 小
井 川 幸 子
松 柏 小
土
居
越 村 愼 治
関 川 小
細 川 真 弓
北
小
一 柳 直 宏
関 川 小
浜
佐々木 篤 志
新居浜東中
中 野 久
惣 開 小
髙 橋 美 鈴
泉 川 小
条
曽我部 研 二
橘
小
吉 岡 健 二
神 戸 小
美 濃 孝 枝
橘
東予 ・ 周桑
礒 明
小 松 幼
青 野 信 樹
西 条 小
今
治
髙 井 剛
鳥 生 小
髙 橋 隆 司
今治市教
八 木 良 二
国 分 小
今治 ・ 越智
橋 本 直 行
岩 城 小
菅 昭 彦
大三島小
長 島 章 子
生 名 小
松山 ・ 北条
三 好 尊 史
立 岩 小
川 崎 豊
浅 海 小
松
山
矢 野 裕 司
和 気 小
城 本 すみ江
新 玉 小
森 健
勝 山 中
東
温
今 西 俊 介
西 谷 小
高須賀 秀 喜
北吉井小
藤 原 雅 彦
拝 志 小
伊
予
篠 崎 邦 裕
砥 部 中
吉 田 京 子
郡 中 小
浅 山 貢
伊 予 中
穴
橋 本 佳 史
美 川 小
段 王 繁 嘉
久 万 小
大 髙 茂 範
美 川 小
大
洲
餘 家 幹 子
三 善 小
菊 地 啓 二
平 野 小
原 田 淳 子
新 谷 小
喜
多
谷 口 利 光
小 田 中
清 水 輝 昭
小 田 小
山 田 眞 市
大 瀬 小
新
居
西
上
浮
小
八
幡
浜
二 宮 あさみ
江戸岡小
甲 野 正 人
神 山 小
兵 頭 弘
真 穴 中
西
宇
和
大久保 孝
水ケ浦小
末 光 礼 子
三 机 小
竹 上 正 也
三 崎 小
予
三 浦 倉 充
明 浜 小
井 上 健
遊子川小
大 西 元 二
明 浜 中
西
宇
和
島
今 井 正 雄
遊 子 小
石 丸 光 計
高 光 小
片 岡 真由美
遊 子 小
北
宇
和
西 村 久仁夫
日 吉 中
小 川 俊 一
日 吉 中
藤 原 惠美子
松 野 中
南
宇
和
松 本 清 隆
篠 山 中
中 川 公 詞
家 串 小
清 水 美 和
船 越 小
属
山 本 真 理
附特別支援
附
県外支部
東 京
兼 頭 吉 市
山 下 正 洋
森 孝 枝
京 都
河 野 直 樹
大 阪
神 垣 鉄 雄
本 宮 久
杉 山 容 子
神 戸
木 原 孝 造
平 山 昇
加 登 康 智
岡 山
神 崎 順 治 編集委員
菅田 顕
峯本 高義
菊川 國夫
村上 朋子
山下 雅司
替地 和人
12
12
12
12
12
12
12
11
11
11
5
5
30
30
29
28
24
22
22
22
17
17
11
8
17
12
11
18
10
古 岡 智 稔
篠 崎 英 文
白 石 桂 子
池 田 高 許
佐々木 千恵子
田 坂 貞 光
竹 野 皆 江
来 八重子
宝
藤 原 嘉代子
光 圭 子
末
河 野 正 夫
徳 田 百合子
須之内 勝 彦
合 田 宏 明
大 野 正 義
岡 田 昌 子
・
・
・
・
・
・
・
・
・
・
・
・
・
・
・
・
・
・愛 大)
(
昭
(
昭
(
昭
(
昭
(
昭
(
昭
24
30
30
27
20
16
23
23
24
19
22
30
・本 科)
・本 科)
・青 師)
・本 科)
・
南 昌 治
渡 邊 安富美
大 西 髙 士
田 内 逸 信
田 中 芳 夫
・
・
・
・
・
・愛 大)
・愛 大)
・愛 大)
・本 科)
・本 科)
・青 師)
・愛 大)
・
・1・
・1・
・1・
・1・
・1・
・1・
・1・
徳 本 ユリ子
・本科二)
山 田 淳 子
・2・
吉 田 信 保
・愛 大)
・青 師)
・本 科)
・3・
・3・
・2・
・2・
・2・
・2・
・2・
・2・
・2・
・2・
・2・
・2・
長 田 俊 蔵
・
・
・
・本 科)
・9
松 本 ヤスヱ
・
白 石 信 一
・
・本科二)
(
昭9・本科二)
(
昭
31
6
12
・1・
(氏 名)
吉 田 長 生
(
昭
原 廣
(
昭
17
・本 科)
(
昭
國 田 弘 文
(
昭
坂 本 昭
(
昭
相 田 孝 昭
(
昭
佐 伯 輝 宣
(
昭
水 口 義 一
(
昭
19
清 水 實
・
(
昭
27
(
昭
27
(
昭
27
(
昭
27
26
27
7
(物故会員)
12
・
27
27
敬弔
12
26
27
18
会報送料・寄付者名
12
27
寄贈図書
12
関 谷 宗 一
野 首 恒 明
河 野 重 雄
大 西 光 造
和 田 ミツ子
土 野 卿 之
三 井 前
野 戸 司 郎
大 内 壽美子
真 鍋 寛
得 居 孝 子
五十崎 朗
27
27
27
27
27
27
27
27
27
27
27
27
13
5
4
28
26
23
21
19
11
10
5
28
26
25
25
25
23
19
19
11
10
・本科二)
・愛 大)
・本科二)
・本 科)
・本 科)
・愛 大)
・青師女子)
・本 科)
(
昭
(
昭
(
昭
(
昭
・本 科)
・愛 大)
・愛 大)
・青 師)
(
昭
・愛 大)
・青師女子)
(
昭
(
昭
・愛 大)
(
昭
・青 師)
・愛 大)
・本科二)
(
昭
(昭
(
昭
・愛 大)
(
昭6・本科二)
(
昭
(昭
24
(
昭
・愛 大)
・3・
印 南 秀 克
27
・5・
・5・
・5・
・4・
・4・
・4・
・4・
・4・
・4・
・4・
・4・
・3・
・3・
・3・
・3・
・3・
・3・
・3・
・3・
・3・
大 浦 健 二
・本 科)
上 甲 智 健
27
(
昭
新 山 賢
27
(
昭
清 家 護
27
(
昭
池 内 嘉 子
27
(
昭
富 永 経 子
27
(
昭
稲 積 徇 熹
27
(
昭
橘 宏 和
27
(
昭
今 井 嘉 幸
27
13
井 上 哲 男
(
昭
(
昭
(
昭
(
昭
(
昭
(
昭
(
昭
(
昭
(
昭
(
昭
・本 科)
(
昭
中 村 文 雄
(
昭
22
60
29
25
24
19
13
28
29
24
(昭
・愛師女子部)
片 野 栄
・愛 大)
友 澤 敏 男
・本 科)
齊 藤 光
・愛 大)
白 石 純 士
・本科一)
渡 辺 義 一
・愛 大)
河 合 浩 一
・愛 大)
松 浦 幸 己
・本 科)
菊 池 勝
・青 師)
片 岡 敏 功
・本 科)
菅 茂 晴
・本科二)
長 谷 和 英
・愛 大)
大 野 忠 直
・愛 大)
伊賀上 洋 子
(
昭
35
・愛 大)
(
昭
久 保 嘉 幸
・愛 大)
高 田 澄
(
昭
岡 本 晴 子
(昭
・愛師女子部)
・女子青師)
平 家 マサミ
(昭
・愛 大)
(
昭
越 智 優
(
昭
・愛 大)
滝 澤 滉
・本科一)
宮 内 ミウラ
(
昭
49
・1・
12
27
27
22
(死亡年月日)
26
10
平成 年2月~5月
26
・
17
29
11
藤 原 誠
26
・
29
19
26
21
18
29
・2・
26
27
25
28
・
26
27
18
23
30
・
26
27
20
30
13
浅 井 里 美
26
・
26
・
26
27
17
28
32
吉 原 宏 文
池 川 利 朗
26
西 田 裕 至
26
27

尾 上 明 子
山 下 守
26
27
25
22
24
「業の主體」
著 者
吉原 宏文
発行所
浄土真宗広島学庠
印刷所
呉正印刷株式会社
製本所
呉正印刷株式会社
一八×二五・五サイズ
判 型
寄贈者
吉原 宏文
井 上 博 文
林
順 子
原
綾 子
上窪田 美 鶴
戒 能 申 脩
齊 藤 俊 彦
26
27
20
26
30
25
54
12
26
27
14
28
26
27
20
26
26
27
24
26
26
27
24
27
3
7
7
7
10
11
15
15
17
23
25
2
7
27
26
12
16
同 窓 会 報
(30)
同 窓 会 報
(31)
愛媛大学と山形大学で「第5回卒業・修了合同美術展覧会」を
サテライトオフィス東京にて開催しました
【展覧会概要】
□会 場:サテライトオフィス東京(東京都港区芝浦3-3-6キャンパス・イノベーションセンター)
□参 加 者:29名(愛媛大学10名、山形大学19名)
□開催期間:2015年3月4日
(水)〜3月7日
(土)
3月4日:搬入・設置、ギャラリートーク 3月5日:交流会 3月8日:撤去・搬出
【展覧会の様子】
愛媛大学学生作品
愛媛大学学生作品
愛媛大学学生作品
ギャラリートークの様子
ギャラリートークの様子
ギャラリートークの様子
交流会の様子
受付の様子
山形大学との集合写真
【展覧会を終えて】
2015年3月に第5回となる卒業・修了合同美術展覧会を開催することができました。愛媛大学からは教育学部芸術
文化課程造形芸術コース8名と学校教育教員養成課程美術教育専修2名の合計10名の参加がありました。今年度は愛
媛大学がポスター作成などを担当し、山形大学の学生と展覧会の開催に向けて業務を分担しながら準備を進めてきま
した。合同展覧会を終えて、
愛媛大学の学生の感想には
「自分では思いがけないようなテーマ、
画材をもちいていたり、
同じような出発点からまったく違う終着点にたどり着いていることが大変興味深く、自身の刺激になりました。」や、
「山大の人の作品は今まで、私たちがつくってきたものと全くちがって、こういうものをつくっても良かったんだと
刺激になりました。3回生・2回生でも見に行けたら行けばよかったと思います。
」などがありました。こうした感
想からは、山形大学の学生との作品を通した交流を行うことで、自身のこれまでの取り組みや作品について客観的に
振り返る機会を獲得し、卒業研究における自己評価を深めることができてたといえるのではないでしょうか。最後に
なりましたが、本展覧会を開催するにあたりご尽力を頂いた菅田顕氏をはじめとした同窓会の皆様、ならびに関係者
の方々にこの場を借りてお礼申し上げます。