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もくじ
受賞者一覧
p1
講評
p2
受賞作品
【読書と思索大賞部門】
1等
真に自由であるというために
p6
心 理 カ ウ ン セ リ ン グ 学 科 3年 佐 藤 ひ か る
2等
老いのすゝめ
p10
心 理 カ ウ ン セ リ ン グ 学 科 3年 菅 野 明 那
2等
武蔵野オレンジ
p13
中 国 語 学 科 3年 西 川 香 純
佳作
私にとっての「自己肯定感」
p16
日 本 語 ・ 日 本 語 教 育 学 科 4年 徐 若 昧
佳作
極寒を生きた少年
p19
中 国 語 学 科 3年 金 田 爽 佳
佳作
傍にいることの哀しみと愛情
~『アルジャーノンに花束を』より
心 理 カ ウ ン セ リ ン グ 学 科 4年 大 野 玲 奈
p22
受賞者一覧
【評論部門】
受賞者
該当者なし
参加賞
4 名(応募受付順)
日本語・日本語教育学科 4 年 テイ・イーボ
韓国語学科 3 年 横山美月
韓国語学科 3 年 松本咲良
韓国語学科 3 年石黒央子
【 読 書 と 思 索 大賞 部 門 】
受賞者
6名
1等
心理カウンセリング学科 3 年
佐藤ひかる
2等
心理カウンセリング学科 3 年
菅野明那
2等
中国語学科 3 年
佳作
日本語・日本語教育学科 4 年
佳作
中国語学科 3 年
佳作
心理カウンセリング学科 4 年
参加賞
西川香純
徐 若昧
金田爽佳
大野 玲奈
19 名 ( 応 募 受 付 順 )
メディア表現学科 4 年 木下 梨沙
日 本 語・日 本 語 教 育 学 科 4 年 周 珍 珍
心 理 カウンセリング学 科 3 年 横 森 木 乃 実
心 理 カウンセリング学 科 3 年 片 山 美 咲
心 理 カウンセリング学 科 3 年 田 口 美 晴
心 理 カウンセリング学 科 3 年 古 山 涼
中国語学科 3 年 池田 百花
心 理 カウンセリング学 科 3 年 清 住 優 希
韓国語学科 3 年 峯岸 大樹
心 理 カウンセリング学 科 3 年 井 尻 歩 実
心 理 カウンセリング学 科 3 年 野 﨑 裕 之
人間福祉学科 1 年 数井 みちる
生活科学科 1 年 若木 明子
韓国語学科 3 年 藤野 佐知子
韓国語学科 3 年 寺内 美咲
韓国語学科 3 年 宇津木 彩
韓国語学科 3 年 髙橋 麻生
中国語学科 4 年 武間 祐子
心 理 カウンセリング学 科 3 年 中 島 栞
【特別賞】
該当者なし
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平 成 26 年 度 読 書 推 進 プ ロ グ ラ ム 表 彰 式 ・ 講 評
平 成 27 年 2 月 13 日
目白大学新宿図書館
館長
山西
正子
今回、入賞なさった皆さん、おめでとうございます。また、ご多用のところご
臨席くださいました皆様に、お礼申し上げます。
初めに審査経過をお話しします。締切直後、全29編の中から、入賞候補作を
決める1次選考を実施しました。2次選考では図書委員の教員全16名が改めて
全候補作品を読み直し今日にいたりました。皆さんの作品は2度にわたって、審
査を受けているのです。
毎回申し上げますが、先生方の評価の観点は委員会内で公開されます。各作品
につき、数値による評価のほか、具体的なコメントもお願しています。概ね50
字程度ずつの簡潔・的確なコメントが多いのですが、100字以上書いてくださ
る先生も複数いらっしゃいます。ありがたいことと感謝しています。全体的に温
かな包容力あふれるコメントあり、また教育的見地からの叱咤激励タイプのコメ
ントありで、先生方の判断基準や教育観が明確になります。応募者と同じく、先
生方にとっても「真剣勝負」です。
このような過程があって、皆さんの作品が選ばれました。学内の各学科を代表
する先生方による、様々な角度からの評価に応えた力作です。
次に個々の作品について申し上げます。
佳 作 の 徐 若 昧 さ ん の「 私 に と っ て の 自 己 肯 定 感 」に つ い て は 、
「読書を通しての
自己との対話」がなされており、その着実な「生きる姿勢」が 読み取れる点が評
価 さ れ ま し た 。同 時 に 、日 本 語 表 現 の 習 得 に 、さ ら な る 努 力 が 求 め ら れ 、
「強者を
たたえる視点」にいささかの危惧が示されていました。どうか思索を深めていっ
てください。
同じく佳作金田爽佳さんの「極寒を生きた少年」はいわゆる永山事件を通して
の、社会問題への意識が評価されました。過去の事件ではありながら現代でも解
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決 さ れ て い な い「 虐 待 」に つ い て 、真 摯 に 向 き 合 っ た 勇 気 を 忘 れ な い で く だ さ い 。
ただ、一方で、同情・共感が前面に出てしまい、また事件の解説に字数をかけす
ぎているという、構成上の難点も指摘されています。再検討をお願いします。
もう一つの佳作大野玲奈さんの「傍にいることの哀しみと愛情~『アルジャー
ノ ン に 花 束 を 』よ り ~ 」は「 丁 寧 な 読 み 方 」
「 素 直 な 感 想 」な ど が 好 評 で し た 。
「知
的にも感情的にも得な体験をしましたね」という優しいコメントや「キニアン先
生との関係に特化したところ」への評価も頂いています。一方で、若干の「物足
りなさ」や、記述に人称や時間軸での混乱があるなどの、技術面での指摘もあり
ました。推敲をお勧めします。
以 上 の 3 点 に つ い て は 、ま さ に「 三 者 三 様 」の 良 さ と い さ さ か の 問 題 点 が あ り 、
全 体 的 に は 同 じ 完 成 度 と の 判 断 で 、「 佳 作 」 と し ま し た 。
そして、入賞の3点に移ります。
二等の西川香澄さんの「武蔵野オレンジ」については、コメントの中に「感性
/ み ず み ず し さ 」や「 等 身 大 / 大 学 生 ら し さ 」
「 作 者 と の 一 体 化 」な ど の 語 が あ り
ました。タイトルも的確です。若い世代のエッセイとして高く評価される中で、
「 随 想 に と ど ま っ て い る 」こ と を 惜 し む 指 摘 も あ り ま し た 。
「 読 書 と 思 索 」部 門 の
「思索」の面にあと一歩、いえ、あと半歩迫ってみてください。
同 じ く 二 等 菅 野 明 那 さ ん の「 老 い の す ゝ め 」に つ い て は 、
「知的能力改善手術後
の喪失段階をヒトの老化の過程と重ねて見る」という視点が注目されました。そ
れ を 「 明 確 な 主 張 」「“ 老 い も 悪 く は な い ” と 受 け 止 め る ユ ニ ー ク さ が 良 い 」 と す
るコメントと、やはり、その1点でのみ説明するには無理があるとするコメント
が 、そ れ ぞ れ 、何 点 も あ り ま し た 。
「 思 索 」の ユ ニ ー ク さ で は 問 題 が な い と し て も 、
説得力がいささか不足しているのでしょう。
「 老 い る 」ま で 、長 い 年 月 が 残 さ れ て
いる皆さんには、将来への大きな宿題になりました。
そして一等「真に自由であるというために」の佐藤ひかるさん、おめでとうご
ざいます。古典的な大作に挑戦した意欲、深い観察力、大きな破綻のない文章力
な ど 、高 く 評 価 す る コ メ ン ト が 並 び ま し た 。だ か ら こ そ 、
「書物の内容紹介がいさ
さ か 不 十 分 」「 後 半 に な る と 本 文 の 引 用 と 自 身 の 主 張 と の 区 別 が い さ さ か 不 分 明 」
といった点にも留意してください。さらには、考察を現代の社会構造を軸に分析
する試みを勧める励ましのコメントもありました。
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こうして、入賞者3名の中で、どの委員からも一定レベル以上の評価を得た佐
藤さんが一等に決まった次第です。
みなさんの今後の精進を心から願っております。
さて、手書きによるコンテストも3回目となりました。この形式の導入につい
て は 、「 応 募 者 が 減 少 す る 」 と の 危 惧 が あ り ま し た 。 し か し 、「 丁 寧 に 自 分 で 書 い
てみる機会」として積極的な側面を強調して踏み切りました。1年目はショック
が大きすぎたのか、応募者が激減しましたが、2年目、そして3回目の今年と、
応募は着々と増加し、受け入れられたように思います。
しかし、今回、入賞作品も含めて、誤字のほか、文章の主語・述語の不一致な
ど、
「 書 く こ と 」の 能 力 に 疑 問 の あ る ケ ー ス が 残 念 な が ら 散 見 さ れ 、い さ さ か 、心
配しております。
ど う か 、「 書 く 」 機 会 を 大 切 に し て く だ さ い 。
最後に個人的な経験ですが、
「 読 書 は 生 涯 の 楽 し み 」た り 得 る こ と を お 話 し さ せ
てください。
地図の上でしか知らないのですが、カリブ海の小アンティル諸島というところ
があります。この地名は、男女の使用言語が異なるという点で、以前から、日本
語学の概説書で知っておりました。最近、50年も前に購入し、存在すら忘れて
いた、定価60円の文庫本が出てきました。コナンドイルの傑作集Ⅵ『海賊編』
です。そこに「アンティル諸島」が出ているのでした。
しばしば、
「 同 じ 一 冊 で も 読 む 年 齢 に よ っ て 味 わ い が 異 な る 、読 書 の 楽 し み は 一
生続く」と言われます。それはそれとして、何十年も経ってから、まったく別の
ジャンルの本で、同じ地名に、あるいは人名のこともあるでしょうが、出会える
のです。大きな楽しみです。見知らぬ人と知り合うのは楽しい、でも50年ぶり
に、思いがけない場所で、旧友と偶然に出会えるのも楽しいのです。
読書習慣は生涯の宝になってくれます。二等入選の「老いのすゝめ」にちなん
で、お話しいたしました。
この試みが今後とも皆様に支持していただけるように、努めたいと思います。
私たちの試みを励ましてくれるのは、皆さんの応募です。過去には、在学の4年
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間応募しつづけてくれた学生がいます。また、今回も3年連続の受賞者がいまし
た。皆さん、どうか、来年もご応募ください。
次回への様々な期待を申し上げて、講評とさせていただきます。
本日はありがとうございました。
5
【読書と思索大賞部門】
1等
真に自由であるというために
心理カウンセリング学科 3 年
佐藤 ひかる
私は最近、
「 自 由 」と い う 言 葉 に 対 し て 、漠 然 と し た 疑 問 を 抱 く よ う に な っ て い
た。人類の歴史において、人々は自由を得るために独裁的支配者と戦い続けてい
たし、それによって得られた自由は、今日においても絶対的に尊重されるべき人
権であるとされている。しかしこの自由が尊重されている現代社会は、本当に自
由であり、私たちの人生を豊かなものにしているといえるだろうか。自由が保障
されている今、私たちは自分が何をするのか、どんな人生を送るのかについて、
自分で決定し進むことが可能だ。しかし、ならば伸び伸びと、活力に満ちた、そ
して個性豊かな人生を送ることが出来ていて良いはずなのに、実際はどこか窮屈
な、息苦しさを感じながら過ごしていることが少なくないように思う。確かに自
由は保障されているが、一方で、私たちは今自由に生きているのだと、胸を張っ
て言う事が出来ないという矛盾した状態にあるのではないだろうか。そのような
ことを考えるようになったとき、私は自由という言葉があまりに抽象的であり、
どのような状態であれば真に自由であるといえるのかという問いに答えることが、
非常に困難であることに気づいた。そして自分なりに考えてみても、知識や経験
の不足から、納得のいく結論に至ることは出来ないままだった。
そんな中でこの本に出会えたことは、本当に幸運なことであったと思う。自由
であるという状態が私たちに何をもたらしているのかを知り、その上で、私たち
が真に自由となる為にはどうすれば良いのかということについて、改めて熟考す
る機会を得られたからである。
私はこの本を読む前に、自由であるはずなのに窮屈さや息苦しさを感じるとい
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う矛盾について、人は完全な自由など求めてはいないのではないか、と考えてい
た。私たちは様々な場面において、全てを自分自身で決定して行動するよりも、
他人や何かしらの制度によって自分の取るべき行動が既定されていて、自分はそ
れに従って行動する方が楽であり、それに心地よさを感じてしまうことが多いよ
うに思うからだ。しかし一方で、その楽さや心地よさに甘え、周囲に従うだけの
生き方をすることは、主体性が無いなどと言われ、好ましくないと思われている
ということも、私たちは同時に知っているものである。このような状況下では、
私たちは周囲に合わせて楽に過ごしたいという欲求と、主体的に生きる事に対す
る義務感の間で悩むことになるだろう。この悩みが、窮屈さや息苦しさを生じさ
せているのではないかと考えていた。
そ し て こ の 本 を 読 ん で 、私 は 自 分 の 考 え て い た こ と が 、非 常 に 視 野 の 狭 い 、浅 は
かなものであったことを知った。著者は近現代の人間の性格構造がどのようにし
て形成されていったのかについて考察する上で、まずは現代の社会構造がいかに
して作られていったのかを詳しく分析することから始めていた。今生きている
人々が何を感じているのかに捕らわれていた私は、現代の社会構造や、その形成
過程について考えることはしなかったし、思い付きもしていなかった。しかし実
際には、社会構造が以前どのようなものであり、どう変化した結果今に至ってい
るのかについて考えることは、その社会に属する人々の精神面が、それに伴って
影響を受けているはずであることを考えれば、決して無視して良いものではなか
った。著者は主に、中世ヨーロッパにおいて労働者階級であった人々の精神構造
が、産業革命による労働体系の変化や、その後の急激な資本主義化、そしてやが
てファシズムが台頭し、大戦を経て現代に至るまで、それぞれの場面でどのよう
に社会から影響を受けており、それがどう変化していったのかを分析している。
私は特に、中世の資本主義化が与えた影響がどのようなものであったかに注目し
た。この時代の変化こそ、今日私たちが使っている自由という言葉と、大きく関
係するものであると感じたからだ。
著者は中世の社会構造の中に生きる人々について、
「人間はそ の社会的役割と一
致していた。かれは百姓であり、職人であり、騎士であって、偶然そのような職
業をもつことになった個人とは考えられなかった。社会的秩序は自然的秩序と考
えられ、社会的秩序の中ではっきりとした役割を果たせば、安定感と帰属感とが
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あ た え ら れ た 。」と 述 べ て い る 。あ る 組 織 や 集 団 の 中 で 最 初 か ら 決 め ら れ て い る 自
分の役割を果たせば、自分はそこに帰属しているのだと実感し、それによって安
定感を得る事も可能だったということだ。私が以前考えていた、現代人が周囲に
合わせて生きることで感じる楽さや心地よさというものは、自身で決定して行動
する必要なく、既定の役割を果たすだけで得られるという点で、ここに述べられ
ている安定感と帰属感に類似するものであるといえる。
こ れ に 対 し て 著 者 は 、資 本 主 義 化 に よ る 個 人 主 義 的 社 会 は 、
「積極的な自由を大
い に 増 加 さ せ 、 能 動 的 批 判 的 な 、 責 任 を も っ た 自 我 を 成 長 さ せ る の に 貢 献 し た 。」
とした上で、
「 そ れ は 同 時 に 個 人 を ま す ま す 孤 独 な 孤 立 し た も の に し 、か れ に 無 意
味 と 無 力 の 感 情 を あ た え た の で あ る 。」と 述 べ た 。自 発 的 に 生 き る こ と に 対 し て 感
じる義務感は、これに関係しているように思う。個人の自由な競争が当然となれ
ば、それについていかなければ所謂負け組になってしまうことが分かっているか
らだ。しかし競争を勝ち上がり、莫大な資産を持つようになった人々との間に、
多くの人は拭い難い格差を感じることになる。そしてその格差が当然のものとな
り、そんな社会に生きていることが、人々の社会に対する帰属感や安定感を薄れ
させてしまったということだろう。著者によれば、人々がこれらを別の何かに求
めることで解消しようとした結果が、ナチスのような強大な思想への盲従という
形で表れてしまったということであった。
私はこの資本主義化による影響について、最も重要なキ ーワードは孤独と孤立
であると考えた。現実として、私たちは孤独と孤立を生じさせ得る社会に生きて
いるということであり、その社会を否定することは不可能だ。ならば、私たちは
この孤独と孤立に、正面から向き合わなければならないのだ。これらをどのよう
に解消し、安心感を手にするかが、真に自由に生きていると実感する為の課題で
あるといえるのではないだろうか。
私 は 一 つ の 結 論 と し て 、個 人 が「 自 分 ら し く 生 き て い る 」と 実 感 し て い る と き 、
それは孤独や孤立から解放されているといえるのではないかと考えた。この自分
らしさは、具体的行動の積み重ねで確信することが出来るものである。私たちは
自分がどう考え、何をして、その結果どうなったかということを、無数に積み重
ねることで人生を作っていく。そしてふと振り返り、それらを誇りに思えた時、
私たちは自分らしさを自覚し、そして自由に感謝するはずである。なぜならその
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積み重ねの一つ一つは、自由に決めて生きなければならないからこそ、決して他
人 や 周 囲 か ら 与 え ら れ た も の で は な い 、自 分 だ け の も の と な っ て い る か ら で あ る 。
私たちはこうして自分らしさというものに至るまでに、より多くを知り、そこか
ら考え、新しい何かに挑戦するということを繰り返し続けなければならないだろ
う。決して楽なことではないが、その飽くなき挑戦の繰り返しは、私たちが真に
自由であると実感するための確かな手段であると、私は信じている。
『自由からの逃走』
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エーリヒ・フロム
東京創元社
2等
老いのすゝめ
心理カウンセリング学科 3 年
菅野 明那
老 い と い う も の は 誰 に で も や っ て く る 。 現 在 22 歳 と い う 若 さ の 溢 れ る 年 齢 に
あ る 私 で も 、時 折 身 体 能 力 の 低 下 を 感 じ て は 、
「年をとっても失うことばかりで良
いことなんてないだろう」などと不安に思ってしまうことがある。そのような私
を 変 え た の が 、『 ア ル ジ ャ ー ノ ン に 花 束 を 』 と い う 本 で あ る 。
この本は、知的障がいのある主人公チャーリー・ゴードンが手術によって天才
となるも、その手術の副作用によって知能を失い、元の状態に戻っていく過程を
描いた小説である。一見老いとは関係なさそうなこの物語だが、読み終わる頃に
は 私 は 年 を と る こ と へ の ネ ガ テ ィ ブ な イ メ ー ジ を 消 し 去 っ て い た 。そ れ ど こ ろ か 、
「年をとることは案外悪くない」とまで感じていた。なぜなら、チャーリーの物
語を人の発達の過程に当てはめて読むことで、年をとることは失うことばかりで
はないと分かったからである。
まず、物語の序盤のチャーリーは、人の発達段階でいう児童期までにあたると
した。この頃の彼の書く経過報告は、文体が非常に幼く漢字もほとんど使われて
お ら ず 、ま る で 小 さ な 子 ど も の 書 い た 作 文 の よ う に も 感 じ ら れ る 。日 常 生 活 で は 、
他者の気持ちや複雑な物事を理解することができず、同僚からの心無いからかい
も親愛の証であると受け取っている。また、自分は賢くなれると信じて必死に読
み書きの勉強をしている。さらに、手術による知能の上昇の仕方も、まるで子ど
もの成長の速さのようである。これらのことから、物語の序盤のチャーリーを、
勤勉性を獲得したり、物凄いスピードで成長したりする児童期あたりの発達段階
に当てはめて考えた。
次に、物語の中盤のチャーリーは青年期の若者にあたるとした。なぜなら、ア
イデンティティの確立という発達課題と同様の問題に直面しているからである。
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この頃のチャーリーは、キニアン先生やストラウス博士、ニーマン教授を遥かに
凌ぐ知能を獲得し、今まで知らなかったことを次々に知っていく。パン屋の同僚
の新愛の証はただのからかいであったことや、自分の中から湧き出るキニアン先
生に対する性的欲求、自分より知能の低い人間への優越感などである。チャーリ
ーは、急激に高まりすぎた知能によって生じたこれらの困難にぶつかっていくう
ちに、
「 そ も そ も 自 分 は 何 者 な の か 」と い う 問 題 に つ い て 模 索 す る よ う に な る 。さ
らに、今までチャーリーの保護者的役割を担っていたともいえるキニアン先生や
ストラウス博士、ニーマン教授らから、アルジャーノンを相棒に家出も同然の形
で自立する。チャーリーはアルジャーノンと生活しながら、自分に多くの影響を
与えた家族との過去に向き合っていくのだ。これらは、親の庇護下から自立し、
アイデンティティを確立しようとする青年期の特徴にぴたりと当てはまる。
さらに、物語の終盤のチャーリーは、成人後期から高齢期以降の発達段階に当
てはまると考えた。今の自分の状態が損なわれていくことを悟ってからのチャー
リ ー の 心 情 や 行 動 が 、こ の 2 つ の 発 達 段 階 の 課 題 を 達 成 し よ う と し て い る か の よ
うに見えたからである。まず、先に手術を受けたアルジャーノンを観察し、手術
の副作用によって急激に知能が低下していくことが分かったチャーリーは、抵抗
したり無気力になったりしながらも、自分に出来ることをひたすらにこなして次
の世代のために知識を残した。これが成人後期の「世代性」という発達課題の達
成にあたる。次に、チャーリーは、手術前の知能に近づきながら、自分の過去に
決着をつけたり、自分の行く末をきちんと決めたりして、最期の時までを過ごす
場所へと旅立った。これは高齢期の発達課題の「自我の統合」の達成に向かって
いる状態にあたる。これらのことから、終盤のチャーリーは成人後期から高齢期
の発達段階に相当すると考えた。
ここまでが、チャーリーの知能の獲得と喪失の過程を人の生涯発達に当てはめ
たものである。では、なぜこれらのことから年をとることは喪失だけでないと分
かったのか。それは、チャーリーが物語の終盤、高齢期にあたる場面で、高い知
能は失ったものの、以前はなかった「他者への思いやり」と「自分の成し遂げた
ことへの誇り」を手に入れているからである。それは、知能の低下してしまった
チャーリーが、自分なりに考えて同僚や教授を庇ったり、死んだアルジャーノン
を気遣ったりと、以前とは異なる形で他者を思いやっている点や、自分のしたこ
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とは人々にとって何かしらの助けになるだろうと語っている点などから読み取る
ことができる。これらの思いやりと誇りは知能の獲得と喪失による様々な困難を
乗り越えなければ手にすることはなかったはずだ。人の心の動きを知って戸惑い
つつも受け入れたこと、逃亡先で他者と親密な関係を築いたこと、 自分を苦しめ
ていた過去との決着をつけたこと、他者のためとなることを成し遂げたこと、そ
し て 自 分 を 待 つ 辛 い 運 命 を 必 死 に 受 容 し た こ と な ど で 彼 は 変 わ っ た の だ 。つ ま り 、
チャーリーは知能の変化に伴ってこのような様々な経験をして、それを全て自分
の糧にしたからこそ、喪失による絶望に満ちた最期に向かうことなく、新たなも
のを獲得することができたのだろう。したがって、これを年をとることに置き換
えて考えると、年をとるということはそれだけ経験を積んでいくということであ
り、その経験をきちんと自分の糧にしていけば人は老いてもより良い方向へ変化
することが出来ると言える。
以上が、私がチャーリーの物語から感じた年をとることの良さである。もしこ
の物語がチャーリーがただ知能を失って絶望するだけのものであれば、私は老い
への不安をより一層強めただろう。しかし、チャーリーは知能を失うばかりでは
なく、その過程でしっかりと大切なものも掴んでおり、そのため物語の結末は悲
劇 的 で は な い 。こ れ を 人 の 老 い に 重 ね て 考 え る こ と で 、
「年をとることは案外悪く
ない」と感じられたのだ。
今はまだ若い私も、これからどんどん年をとっていく。しかし、もう不安に思
うことはない。年をとって経験することを自分の糧にしていけば、私もチャーリ
ーのように何か大切なものを手に入れることが出来るかもしれないと分かったか
らである。
『アルジャーノンに花束を』ダニエル・キイス
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早川書房
2等
武蔵野オレンジ
中国語学科 3年
西川 香純
たくさんの住宅や賑やかな駅ビル。アスファルトの上を走る車。公園を散歩し
たり、カフェに入って時間をつぶしたり。これが東京郊外のとある街と、そこに
住む私の風景だ。すれ違うのは、遠方からこの街に遊びに来た人だろうか。
十代後半から二十代前半の現在まで、実は私は「武蔵野」からほとんど出るこ
と な く 生 活 し て い た と い う こ と を 、こ の『 武 蔵 野 』を 読 ん で 初 め て 知 っ た 。
「武蔵
野」とは、武蔵野市とその周辺の市区を指すと思っていたが、本書には旧武蔵 国
の全域であると書かれている。
国木田独歩が思う武蔵野は、それよりもう少し範囲が狭いらしい。雑司ヶ谷、
板橋までは私が想像していた通りだったが、そこから川越、入間郡を通って立川
に 行 き 、多 摩 川 を 限 界 に 丸 子 ま で だ と い う 。と は い え 身 近 な 地 域 で あ る は ず の「 武
蔵 野 」に ま さ か 埼 玉 県 と 神 奈 川 県 ま で 含 ま れ て い る と は 考 え た こ と も な か っ た し 、
おそらく多くの人々は知らないのではないだろうか。特に新宿や渋谷などは東京
を代表する大都会であり、この『武蔵野』に出てくるような雑木林や野原の風景
は、現在ほとんど見られない。
しかし「武蔵野」はその大半が台地で、地形的に坂がとても多いため、歩いて
い る と そ の 場 所 が 、か つ て は 谷 に な っ て い た の だ ろ う と 今 で も 容 易 に 想 像 が つ く 。
目白大学もそんな坂に囲まれた高台にあり、裏手の雑木林は、武蔵野の面影をわ
ずかに残している。
本書では、実際に独歩が見て感じた武蔵野が色彩豊かに描かれており、読者も
彼と一緒に散歩をしているような感覚を覚える。独歩はツルゲーネフの『あいび
き』を引用し、この土地の美しさを語ろうとする。ロシアや北海道の原野を武蔵
野と比較する場面があるのだが、彼は武蔵野も北の大地と遜色ないといわんばか
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りに絶賛している。
確かに武蔵野は魅力的だ。平野に川が流れ、坂や高台もあるため、複雑な地形
を吹く風で季節を感じることができる。春にはどこからともなく花びらが舞い、
夏はセミが鳴き緑の香りに包まれる。秋には木々が色づきはじめ、しばらくする
とそれが散って、枯葉が舞う。その時その場所でしか聞くことのできない音と風
景がこまやかに描写されているからこそ、本書を読むほどに、武蔵野に出かけて
みたいという気持ちがつのるのだろう。
冒頭から読者を武蔵野に導いていく独歩は、とうとう5章と6章で私たちを実
際に案内してくれることになる。足の向くまま気の向くまま、時に道に迷い、野
に咲く花や小川に触れながら歩いていく。雑木林のあいだを抜けるときは、高い
ところから見下ろすような眺望は期待できないのであきらめよ。道がわからなく
なったら人に聞け、と彼は言う。
印象的なのは、6章で友人と夏の小金井を散歩する場面だ。冒頭の茶屋の婆さ
ん と の 会 話 が 、小 金 井 散 歩 へ と 読 者 を 引 き 込 む 。
「桜は春に咲くことを知らねぇだ
ね」と笑う婆さんの言葉通り、桜で名高い場所なのに、なぜわざわざ夏に訪れる
のだろう。小金井をよく知る私も最初はそう思ったが、1年のうちで一番空が遠
く、太陽の光が強いこの季節は、植物が生き生きと輝き、小金井公園の陽の光が
とても美しく感じることを思い出した。
もちろん私は桜の季節の小金井公園も好きだ。朝早い時間の、花見客があまり
いない時間が望ましい。澄んだ空気の中、ほのかなピンクの桜が朝のやさしい陽
射しを受けている。
紅葉の季節はお昼。園内にある江戸東京たてもの園をぐるりと一周して、まだ
夕 方 に な る か な ら な い か の 頃 の 、紅 葉 と 同 じ 色 の 太 陽 に 包 ま れ た 空 気 が 心 地 よ い 。
一方私は、吉祥寺にある井の頭公園の動物園にもよく足を運ぶ。動物が大好き
な私は、明治時代の武蔵野にはきっとタヌキやキツネがそこらじゅうを闊歩して
いたのだろうと想像し、その地を巡った独歩が羨ましくなる。だが今でも武蔵野
には、驚くほど多くの野生動物が生息しているらしい。タヌキやハクビシンなど
が、新宿区にある目白大学周辺でも目撃されていると聞き、自分が見たわけでも
ないのに、わくわくしている。
9 月 の 初 め の あ る 日 の 夕 刻 、私 は 国 分 寺 か ら 新 宿 に 向 か う 中 央 線 に 乗 っ て い た 。
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車窓に流れる風景を見ながら、本書の2章のページをめくる。ちょうど今のよう
な、夏から秋に移り変わる季節から独歩の日記が始まり、だんだんと冬に向かっ
ていくあたりを読み進める。気温はまだ高いが日は短く、線路が高所にあるため
夕陽に照らされた街全体を見渡すことができた。日が暮れていく風景がまさに本
の内容そのままで、夏から秋、そして冬への移ろいに、まるで自分がそのまま連
れていかれるようであった。オレンジ色の光に包まれた風景の遠くには公園か学
校だろうか、小さな林が点々と見て取ることができた。おそらく独歩の見た武蔵
野は、現代のように住宅の中に自然があるのではなく、自然の中に人の生活があ
ったのだろうと考えた。
独歩は本書で「武蔵野の俤は今わづかに入間郡に残れり」という古書の一文を
引用している。ここでいう「わずかに残っている武蔵野」とは 、中世にこの地が
戦場になる前の姿ということであろう。それは独歩が見た武蔵野でもなく、私が
住んでいる都会的な武蔵野でもない。同じ場所、同じ季節でも、同じ瞬間はない
ということを、本書を読んで改めて実感した。
時代によって街の姿が変わるのなら、今の武蔵野もこれから必ず変貌する。オ
レンジ色の武蔵野が、にじんだ都会の銀色一色になってしまう日も遠くはないの
だろうか。
『武蔵野』
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国木田独歩
新潮社
佳作
私にとっての「自己肯定感」
日本語・日本語教育学科 4年
徐
若昧
この本を選んだきっかけは「自分を愛する力」というタイトルに興味を持った
からだ。作者の名前は乙武洋匡さんだ。本を開いてみると、乙武さんは手も足も
ない障害者だと初めて分かった。普通の人にとって考えられない境遇なので、手
も足もないのに、自分を愛する力とは一体何だろうという疑問を抱いて読み始め
た。
そして、辿り着いた答えは「自分肯定感」だ。
第一章に乙武さんは息子として、
「 五 体 不 満 足 」で 生 ま れ て き た け ど 、非 常 に 健
全 な 愛 に 満 ち 溢 れ た 家 庭 に 育 っ た 。「 父 は 「 愛 を 伝 え る 」 こ と に 長 け 、 母 は 「 あ
りのままの僕を受け入れる」ことに長けていた」と文章の中に書かれていた。そ
のような「自分は大切な存在」と自分自身のことを認める気持ちとして、乙武さ
んの人生の支えとなってきたようだ。人は誰でも自己肯定感の高い状態で生まれ
てくる。ただし、成長するにつれて低くなってしまうことがある。だから、両親
の育て方は子供の人生に大きな影響を与えると感じた。
私は中国にいた時にかなり自信がない人間だった。両親は「ほめる育児」では
ないかもしれないが、姉も私の短所をばかり見てた。何だか自分のことを認めて
くれなく、自分はダメな人間だと思った。日本に来てからアルバイト先や周りの
友達など、私のことをよく認めてくれた。知らないうちに、自分の良さが分かり
始め、自分のことを好きになってきた。人間は花のように、それぞれの美しさが
あ る 。そ れ ぞ れ の 花 が 特 性 を 持 っ て こ そ 、大 自 然 が と て も き れ い に な る 。だ か ら 、
私はもし百合であれば、一生懸命に情熱のバラにならなくてもいい。百合は一生
懸命に百合の良さを咲かせればいいんだと少しずつ分かってきた。
第二章に乙武さんは教師として、教壇に立つことになった。乙武さんは子供に
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「君には、君にしかできないことがある。君の代わりは、だれにも務めることが
できない。一人一人が、かけがえのない存在なんだ。この人が死んでしまったか
ら、代わりにこの人を連れてきましたというわけにはいかないんだ。人間は、機
械 の 部 品 と は ち が う か ら ね 。」 と い う こ と を 教 え た 。 私 も こ の 言 葉 が 心 に 響 い た 。
私は現在日本で就職活動している。就職活動しているうちに自分の自信がだん
だん少なくなってきた。私より年齢が若くて専門がいい学生、よりいい学校の卒
業、より日本語が上手な留学生がたくさんいる。自分のかけがえのない存在はい
ったい何だろうと長く考え続けた。それで辿り着いたのは、目標に向けて、諦め
ないように地道な努力をすることだ。人生はすぐには結果が出ないけど、目標を
達成するまで、諦めないように努力している。日本語能力試験の一級も何回受け
ても、落ちたが、諦めないで、五回目にようやく合格した。成功するより失敗し
た時に多くのことを学ぶものだと気付いた。卓球大会も五回目に出たが、すべて
負けた。絶対優勝するという目標を立て、週に2回卓球の仲間と練習の仕方を工
夫しながら、6回目にようやく豊島区の卓球大会女子団体三部で優勝した。
乙武さんは「できないものは仕方ない、その代わりに、できることで全力を尽
くそう」と言った。乙武さんの人生もその言葉の通りだ。手と足を使えないこと
は弱みだけど、自身の多様な経験、困難を乗り越えて力強く生きる力は強みだ。
乙武さんは教師として自らの経験を子供たちに最も伝えることができ、自分ので
きることを最大限発揮し、自分の弱みもカバーできた。私も乙武さんのように自
分の強みを最大限に発揮できる仕事を見つけるように努力している。
第三章では、乙武さんは父親として、二人の息子がいると書かれている。父親
になってから、乙武さんは初めて、この身体を辛いと思った。その原因は、自分
の愛する息子をみずからの手で守ってやることができないという無力感を感じた。
その後、乙武さんは「足りないことを知っているからこそ、お互いに助け合い、
分け合って生きる。そんなことができるのかもしれない」と気づいた。
人間はお互いに助け合ううちに、自分の存在感、責任感、優しさを生み出すこ
とができ、より成長していけると思う。自分の弱みを認めて、恥を捨て他人に助
けてもらうのもいいことだ。お互いに助け合ううちに距離も縮めることもできる
と思う。私と一緒に就職活動してきた同郷の友人はすでに日本の大手企業に内定
した。彼女は内定が出た頃、自分は正直に喜びが半分、悲しみが半分だった。彼
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女は内定が出たのが嬉しいが、自分はまだ内定が出なく、残された気分もあり、
悲しかった。現在は自分が足りないこと、わからないことをよく彼女に聞き、た
くさんの実践の経験からのアドバイスをもらった。やっぱり彼女は内定が出たの
は 偶 然 で は な く 、彼 女 か ら 学 ば な け れ ば な ら な い こ と が た く さ ん あ る と 気 付 い た 。
今後も自分の足りないことを他人から助けてもらい、自分ができることを他人に
助けたいと考えた。
この本を読んでから、自分のことをさらに信じることができ、就職活動も迷わ
ずに頑張ることができた。たとえ競争が激しい社会であっても、必ず自分に相応
しい仕事があるはずだ。大勢の就職生から私を採用する理由は私の強み、私の性
格はこの仕事に一番相応しいからだ。そのように会社と出会いたい。これからも
乙武さんのように、どんな困難があっても自分を信じて、乗り越えられる人間に
なりたいと思う。
『自分を愛する力』
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乙武洋匡
講談社
佳作
極寒を生きた少年
中国語学科 3 年
金田 爽佳
私 は 痛 ま し い 犯 罪 事 件 が 起 こ る た び に 、悲 し み と 怒 り 、そ し て 疑 問 を 抱 く 。
「な
ぜこの犯人はこんな事件を?」そう思ってマスメディアの報道を見 ても、事件の
根底に何があるのかはみえてこない。人が罪を犯す要因はいったい何なのだろう
か。かつて日本社会を震撼させた「永山事件」の背景と、犯人・永山則夫の心理
を読み解こうとする本書を読めば、犯罪心理への理解に繋がるものがあるのでは
ないかと考えた。
「永山事件」
( 1968 年 )と は 、1 か 月 に も 満 た な い 短 期 間 に 、北 は 北 海 道 、南 は
京都に及ぶ 4 か所で罪なき一般市民 4 人が射殺された事件である。半年後に逮捕
されたのは、世間のイメージする「凶悪犯」の風貌からは程遠い、華奢で大人し
い永山則夫という少年であった。
当 時 19 歳 の 少 年 が 起 こ し た 連 続 射 殺 事 件 に 世 間 は 大 き く 注 目 し 、マ ス コ ミ は 根
拠のないことまで書き連ねて世論を煽った。そのようなマスコミの目を気にした
警 察 と 検 察 は 、少 年 法 の 適 用 期 間 を 意 識 し 、た っ た 1 か 月 で 全 て の 捜 査 を 終 え た 。
少年法を蔑ろにしないことばかり考える大人たちに永山が蔑ろにされた、と考え
ることもできよう。
そんな彼に最初に救いの手を差し伸べたのは、後の直木賞作家・井出孫六だっ
た。彼の尽力により永山の手記『無知の涙』が世に出ると、これまでとは正反対
に、永山への称賛の声が相次ぐようになった。
そうしたなかで、世情に流されず永山と真摯に向き合い、彼と最も心を通わせ
たのが、精神科医の石川義博である。彼は事件の背景にある永山の隠された過去
や心理状態を注意深く探り、その赤裸々な心情を詳細に記録した。これまでこの
記録は、石川本人の手でひた隠しにされていたが、本書を通して初めて世間の目
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に触れることとなった。
永山を殺人犯にしてしまった一番の要因は、彼を取り巻く環境である。太平洋
戦 争 に 敗 れ 、日 本 人 の 多 く が 貧 し い 暮 ら し を 強 い ら れ た 時 代 に 、永 山 は 生 ま れ た 。
「望まれない子」だった永山は、母ではなく長姉・セツに育てられた。父の借金
から逃れて流れ着いた網走で、今度は母代わりのセツとも引き離される。一緒に
捨 て ら れ た 兄 や 姉 と と も に 、極 寒 の 北 海 道 で 生 き る か 死 ぬ か の 暮 ら し を 強 い ら れ 、
末っ子の永山は周囲から暴力を受けることもあった。
その後再び母と暮らすようになってからは、彼への暴力や暴言に母も荷担する
ようになる。独りのけ者にされた永山は、すでに家族とは言い難い一種の「グル
ープ」の中で、最も弱い立場を生き抜かざるを得なくなる。温もりに触れること
が極めて少なかった永山の幼少期の記憶には、
「 愛 」を 感 じ る も の は 一 切 存 在 し な
いようにみえる。
永山則夫は学校にもほとんど行かなかった。家庭内で人と気持ちを交わす力を
身につける機会がなかったため、友人も作れず、大人に相談もできない。何とか
中学校を終えると、集団就職の群の一員として東京へと上京した。就職先では努
力に努力を重ね、真面目な少年となったのだが、にぎわう街のなかでも、幼少時
から彼を苦しめる孤独から逃れることは不可能だった。職を転々としながら、先
に上京していた兄たちに温もりを求めても満たされるはずもなく、家族への「当
て つ け 」と し て 、次 第 に 犯 罪 の 道 へ と 向 か っ て い く 。
「 当 て つ け 」は 永 山 の 癖 と な
り 、つ い に は 永 山 事 件 の 凶 器 と な っ た 拳 銃 と 彼 と を 、出 会 わ せ て し ま う の で あ る 。
永山事件の最初の 2 件の殺人は、永山のもうひとつの癖である「逃げ」が生み
出したものだ。ホテルや神社に侵入したところを見つかると、とにかく逃げるこ
とで頭がいっぱいになり、無我夢中で引き金を引いてしまった。
永山のこのふたつの癖は、悲惨な家庭環境を生き抜くなかで本能的に身につい
たものである。非力な永山には、周囲の暴力や暴言からただ逃げることしか生き
る術がなかったのだ。
私は永山の人生を知り、近年よく耳にする「虐待死」の問題を想起した。幼い
子どもが親などの身近な大人から、家庭という閉鎖された空間で暴力を受けて命
を落とすケースが増えたように感じる。虐待をする側の人間は、幼少期に自分も
虐待を受けるなどの劣悪な環境で育った人間が少なくないという。成長し自分が
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親となって子どもを育てるとき、虐待に対する罪の意識が希薄なため、同じ過ち
を繰り返す危険性があるのだ。
永山の母も同じく虐待を受けて捨てられるなど、悲惨な幼少期を過ごした。永
山則夫への母の冷淡な仕打ちが、母自身の生活環境と無関係だとは思えない。石
川はこれを「虐待の連鎖」と呼び、永山事件当時はまだ社会に認知度の低かった
虐待の実態へと目を向けたのだ。
このような「虐待の連鎖」を防ぐには、その現場となる閉鎖的空間に、周囲の
人間が何とかして介入することが必要であろう。虐待を早めに察知できるのは、
地域社会の住民や、子どもが通う学校の先生などである。しかし、たとえ気づい
て通報したとしても、児童相談所などの消極的な行動により救われるはずの命が
救われないケースもよく耳にする。生きることに必死で、周囲に心を配ることが
で き な か っ た 戦 後 の 時 代 に 比 べ る と 、現 代 は 物 質 的 に 豊 か で 情 報 も あ ふ れ て い る 。
しかしその結果、地域の「おせっかい」や「ご近所づきあい」が消失してしまっ
たら、こうした事件はやはり防ぐことができない。時代は変わっても、社会の病
理は根深く生き続けるということだろうか。
家族や社会から蔑ろにされ、温もりを知らずに生きてきた永山は、逮捕後に井
出や石川との交流を通じて次第に心を開き、それまで明かすことのなかった心の
闇を打ち明けていく。その過程を、本書の記録は丹念に追っている。それは永山
の精神が救われていく道のりでもあり、一種の感動さえ覚えるほどだ。紆余曲折
ののちに死刑の日を迎えた彼だが、支えてくれる人の存在が永山の最後の日々に
あったことは確かである。このすくいの手が幼少期の永山に向けられていたら、
彼の絶望の人生は別のひかりをたどれたかもしれない。
『 永 山 則 夫 :封 印 さ れ た 鑑 定 記 録 』
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堀川惠子
岩波書店
佳作
傍にいることの哀しみと愛情
~『アルジャーノンに花束を』より~
心理カウンセリング学科 4 年
大野 玲奈
この作品は、主人公の「経過報告」として物語が進む。主人公であるチャーリ
イ・ゴードンは知的障害があり、32歳だが幼児ほどの知能しかないため途中ま
では殆どの文章が平仮名となっている。そのために、慣れるまでは正直な感想と
しては少々読みづらい部分もあった。彼は知的障害を抱えるが故に物覚えが苦手
な面はあるが、どこか純粋で助けたくなり、優しい魅力を持つ人物でもある。
『アルジャーノンに花束を』は私の所属する心理カウンセリング学科の講義内
においても取り上げられることの多い作品だ。原作は勿論、映画も教授から観る
ようにと薦められていた。映画は原作よりも先に観たのだが、徐々にバランスを
崩して混乱していくチャーリイの姿が痛々しく、最後にアルジャーノンに起こっ
た現象が自身の逃れられない運命だと分かっても尚「経過報告」を書き続け、つ
いに知能が元のように、若しくは元よりも更に低下してしまった彼の姿がとても
哀しいものと感じた記憶が残っていた。
そこで今回、感想を書くにあたって原作を読みなおしたわけであるが、何故映
画を観た際に彼の姿を痛々しく、哀しく感じたのかを考えることとなった。思い
浮かべてみるとこの作品の感想を以前探した際、チャーリイの成長に関して記述
しているものが思い出す中で多かった。しかし、私自身が最初に持った印象を考
えると、私はこの作品においてアリス・キニアン先生に近い視点から彼の姿を捉
えているのだろうという結論を導き出した。
まず、アリス・キニアン先生は、この物語の中において、彼が手術を行う以前
から知っている人物の一人である。そして、彼の変化の過程を直接的、間接的な
立場から見ており、最後まで彼の心に残っている人物でもある。彼女の存在は彼
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にとって、先生であり、母であり、女性の象徴なのでもないかと考えることが出
来た。
最初に彼の「経過報告」に登場する彼女は、自身が通う精薄者センターの先生
であり、彼の応援者とも言える。彼の願う「頭がよくなること」を応援し、支援
をする様子は先生としての姿もさることながら、子に愛情を注ぐ母の存在も想 起
させる。彼を思い、彼と向き合い、励まし、必要とするものを 出来るだけ与えよ
うとする。これらは実際の彼の母親とは違い、彼を怯えさせることも少ない、心
地の良い居場所となっていたはずである。
そして次に、彼の知性が上がっていったことにより、彼女は「先生・母」とい
う存在から、ひとりの「女性」としての存在と彼に認識されるようになる。最初
は 母 へ の 愛 と 女 性 へ の 愛 が 混 在 し て い る よ う に も 見 え 、母 へ の 愛 に 等 し い が 故 に 、
彼にとって彼女は幼い頃の母親からの言葉を思い出させる発端の一つにもなった。
女性への本能的な現象を彼の母親は禁じていた。その影響により、知性の上がっ
た彼は様々な物事を吸収し、女性として彼女を認識していても、記憶がその想い
を伝えることや、愛情を表現しようとする行動を拒否させた。彼にとって身近な
存在であればある程、彼の内に居る手術以前の彼が強く出るようであり、フェイ
のように以前の彼を知らない相手には、幾分かキニアン先生に対してのような混
乱は少ないようであった。
そ こ で 、彼 女 に と っ て 彼 、チ ャ ー リ イ・ド ー ゴ ン は ど の よ う な 存 在 だ っ た の か 。
最初は飽く迄も知的障害を持つ生徒の一人であったかもしれない。ただ、他の生
徒よりも知識欲が強く、頑張り屋で、純粋な、素直で優しい心を持つ、支えたい
と周囲に思わせる人物であった可能性もある。その為、彼に手術を勧め、それ以
降の経過にも関わることとなった。それは母性とも言え、責任感からの行動とも
言える。この時点では母のような思いが強いため、彼の知性の向上を喜び、彼の
支えとなる際の苦労も厭わない。
次 に 、彼 が 女 性 と し て 彼 女 を 捉 え た 時 に 彼 女 は ど う だ っ た の か 。知 性 が 向 上 し 、
教養が増えた彼に対し、彼女も男性としての魅力を感じていた。しかし、彼が彼
女に母を見出していたように、彼女も彼を生徒や子どもとして見ていたのではと
思えることもあり、一度は彼を止めた。それでも彼の想いに応えようとしていた
のは、やはり彼の根底的な魅力を彼女が知っていたからであると言える。だが、
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彼はどんどんと変化していった。自分の知る彼と変化していく彼、どちらも同じ
人物のはずなのに何かが違っていく。母として先生としてならば彼の巣立ちとし
て受け入れることも出来たかもしれない。しかし、彼女はそのどちらでもなく、
ひ と り の 女 性 と し て 彼 と 接 す る よ う に な っ て い た 。故 に 、彼 と の 衝 突 も 起 こ っ た 。
男女関係として彼と接する場合、それは何時か家族となることを考えた上で接す
ることが多くなる。ただ受け入れるだけでなく、相手のことを知り、もっと近づ
きたいと願ってもおかしくはないのだ。彼が変わること、自分が会話についてい
けないことに対して苛立ちや落胆が見えることは酷なことである。それまでの優
し か っ た 、純 粋 だ っ た 彼 は ど こ へ い っ た の か 。何 故 そ ん な に も 苛 立 っ て い る の か 。
問いかけても返ってこない答えを求めることは苦しいものだ。自分自身も苦しい
が、彼が苦しんでいる姿を痛感せざるを得ない状況も更に哀しさを増加させるの
で あ る 。彼 が 自 分 の 知 性 も ア ル ジ ャ ー ノ ン と 同 じ よ う に 低 下 し て い く と 悟 っ た 時 、
きっと低下を食い止める方法もあるはずだと願わずにはいられなかっただろう。
元の知性は低いが純粋なチャーリイも彼であり、その時の知性が高いために苦し
むチャーリイも彼なのだ。両者とも一人の人間なのに、同時には存在していくこ
とが出来ない。その姿を傍で見ていたからこそ、彼女は元のような知的障害を負
った彼の姿に哀しみながらも、離れていくことになりながらも、彼を見捨てるわ
けでも、拒否するわけでもなく受け入れようと出来たのではないかと感じた。教
室に間違って来た彼の発言に思わず泣いてしまった彼女の思いも愛情なのではな
いか。手術を薦めたのは彼女である。彼が苦しんだのも彼女が発端となったと言
え な く は な い 。だ が 、彼 は 苦 し み は す れ ど も 怨 ん で は い な い の だ 。そ れ ど こ ろ か 、
どこまでも周囲を愛し、謝意を表している。元の彼に戻った安堵感、そして、苦
しめてしまった罪悪感。変わらない彼の純粋さや優しさへの感動。様々な感情が
あってこその涙ではないかと思えたのである。
現実には知能を向上させる手術は実用化されていないため、私自身は作品と同
じ経験をしたわけではない。しかし、知っている人物の予想外の変化は日常の中
で触れることが多い。根底的な面が変わってしまったのか、はたまた表面のみが
変わってしまったのか。久しく会う人には変わっていてほしくないと願ってしま
う。だが、変わることもその人の成長なのだ。チャーリイの成長の変化を無意識
にキニアン先生の視点から見ることで、当人の苦しみを共有出来ない哀しみや憤
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り、受け入れたいという彼女の願いを私は読みながら感じていたのだろう。それ
は、日々の生活の中で私が感じている願いや苦しみに通ずるものでもある。
『アルジャーノンに花束を』
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ダニエル・キイス
早川書房
審査:図書委員会構成員
心理カウンセリング学科
原 裕視
(心理学研究科)
人間福祉学科
西澤 利朗
(生涯福祉研究科)
子ども学科
児童教育学科
社会情報学科
メディア表現学科
地域社会学科
久米
田尻
木村
小林
石井
依子
信壹
由起雄
賴子
貫太郎
(国際交流研究科)
経営学科
高橋 武則
(経営学研究科)
英米語学科
時本 真吾
(言語文化研究科)
中国語学科
韓国語学科
日本語・日本語教育学科
生活科学科
製菓学科
ビジネス社会学科
リハビリテーション学研究科
館 長
胎中 千鶴
金 香淑
山西 正子
林 雅美
平田 暁子
鈴木 健之
會田 玉美
山西 正子
発行日 2015 年 3 月
編集・発行 目白大学新宿図書館