ダウンロード - 八王子まつり

小門町
小門町は産千代稲荷神社の氏子町
で 、平 成 一 六 年 よ り 八 王 子 ま つ り
に参加。山車は昭和五四年に建造・
西志村喜吉氏所有の山車を譲り受
けたものです。
構 造 は 二 層 鉾 台 形 式 、内 輪 四 つ 車
です。
千人町
一丁目
地元青木晃氏により平成一七年に
建 造 、千 人 町 一 丁 目 有 志 の 協 力 に
より飾付等作成されています。
四 つ 車・二 層 鉾 台 形 式 の 手 づ く り
山車です。
日吉町
元本郷町
元本郷町は多賀神社の鎮座する
﹃宮町﹄です。山車は、昭和五三年に
それまで使われていた曵き太鼓の
台 を 使 用 し て 、堂 宮 形 式 の 山 車 に
作り直したものです。
車輪は八木町清水考勇氏製作の鉄
製源氏車です。
平岡町
神輿
●主催 : 八王子まつり実行委員会 TEL.042-648-1531 当日本部 TEL.042-624-0370 http://www.hachiojimatsuri.jp/
●平成19年4月1日より八王子駅北口周辺は「路上喫煙禁止区域」です。喫煙スポットをご利用ください。ご協力をお願いいたします。
鬼枡
桑都勇曾
鍾 平岡町
元本郷町
八幡上町
例祭日は5月4日。
医学部 保健学部 総合政策学部 外国語学部
江戸時代から続く市街地の氏子を中心とする
山車祭りは、八幡八雲神社の祭礼を下の祭り、
多賀神社の祭礼を上の祭りとして親しまれ、江
戸後期から明治中期にかけて人形山車の祭り
として、明治後期以降は、彫刻を全面に施した
彫刻山車の祭りとして、関東一円に名声を博し
ていました。しかし昭和20年戦禍に遭い8台
の山車が焼失、失われた山車も、上八日町、横
山町三丁目、八日町一・二丁目三町で山車の再
建を果され、現在19台の山車が八王子まつり
に参加するようになり毎年甲州街道を舞台に
華麗な山車祭り絵巻を繰り広げています。
市指定有形文化財
(山車)
平岡町は平成二十年西志村訓一
氏他有志数人の方々により二層
鉾 台 形 式 の 山 車 を 建 造 。一 部 の 彫
刻 や 塗 物 、飾 付 等 は 平 岡 町 々 会 有
志の協力により同年六月に完成
しました。
1尺1寸5分の戴冠立像。
日、2月初午祭、4月下旬の長安祭。
日吉町二丁目は日吉八王子神社の
氏子町会で、大正六年、八王子の山
車としては最初の四つ棟造り堂宮
形式として建造、工廠小澤美之吉、
彫工佐藤満重による正面唐破風の
鬼板の彫刻﹁雌雄の孔雀﹂が印象的
です。
御祭神は国狭槌尊。
山 車 は 明 治 期 に 建 造 さ れ 、大 正 四
年には佐藤光重らにより大改修さ
れました。
江戸期から明治期にかけて鞍馬天
狗と牛若丸の人形をのせていたと
い わ れ 、昔 か ら﹁ 鞍 馬 の 山 車 ﹂と よ
ばれています。
創建は、天慶3年(940年)
。
安の陣屋内に守護神として創立。
本郷町
大横町
元本郷町一丁目
追分町
慶長8年(1603年)大久保石見守長
八木町
御祭神は倉稲魂命。例大祭は8月15
うがのみたまのみこと
くにのさづちのみこと
山車は大正三年に建造したといわ
れ る 二 層 鉾 台 形 式 、彫 工 は 小 松 光
重 、新 見 常 次 郎 ら が あ た っ た と 伝
えられています。
日吉八王子神社
産千代稲荷神社
市指定有形文化財
(山車)
市指定有形文化財
(山車)
多賀神社の宮神輿は明
治15 年 東 京 浅 草 で 建
造されました。昭和53
年より千貫 神 輿として
八王子まつりの名物の
ひとつになっています。
約1600人の担ぎ手に
よる渡御が勇壮に行わ
れます。
八幡町
一
・ニ丁目
宮神輿
市指定有形文化財
彫工佐藤光重作の大鷲の彫刻がシ
ン ボ ル 二 層 鉾 台 形 式 、建 造 は 大 正
三年工匠萩原佐文治といわれてい
ます。
後部楽屋の花頭窓に軒唐破風が付
設されているのがこの山車を特徴
づけています。
貴重な額が奉納されています。
旧一丁目の山車で大正七年建造、
工匠萩原佐文治、
彫工佐藤光重。
山 車 人 形 は 三 代 目 原 舟 月 作﹁ 神 武
天皇﹂
。
旧 二 丁 目 山 車 人 形 諌 鼓 鳥 は 、文 政
二年八幡町在住の彫刻師牧田巳之
助作といわれています。
伊弉諾尊、伊弉冉尊。戦災を逃れた境内は昔の佇
神武天皇
多賀神社
上 地区
まいが残ります。拝殿には宮神輿渡御図をはじめ
市指定有形文化財
(山車)
いざなぎのみこと
いざなみのみこと
諫鼓鳥
市指定有形文化財
(山車・人形)
多賀神社は八 王子の西の鎮守とされ、御祭神は
八王子まつりを応援します!
八王子の山車祭り