Untitled

写 真 1票 爆 の 子の 像
2013
□― タ リー 世界 平和 フ ォー ラム 広 島
¬
広 │`i)で は「 `
it hゝ ou)を テーマ に、
14利 │は あなたか ら始 まるJ(I)cacc bcgil)s、 、
11点 を 1て
特 に力i世 代 にチ
多様 な剰ilヒ 代 の 参加I1/¬ を迎 えて、ロー タリアンとともに、`
(し
14和 へ の 日常 的 な意識 と行動 に種 火を点 グ
次の │キ 代 に行 Illを り│き 継 いでい く出発点 とすることを目指 します。
日本人として3人 ‖のRI会 ltで ある││1中 作次 会長が強 い思 い を込 めて1胴 催 される日本でのフォーラ′、
です
1可
内の 全てのロー タリアンのご 協 ノ
Jを お願 い します
[■
1多 様 な新 世 代 の 参 加 者 1
開催 日:2013年
ロ ー タ リー 全 地 区 か らの ロ ー タ ーア クター 、イ ン ターア クター 青 少 年 交 換 学 生 ラ イラ リア ン 国 際 親 善 奨 学 牛
ロ ー タ リー 半 和 フ │ロ ー 学 友 RCC
米 山 奨 学 生 や 国 連 ユ ニ タール 青 少 年 大 使 な ど
5月 17日 0018日
開催場所 :広 島国際会議場 及び
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ロクラム概要 ]
`,
0
ANAク ラウンプラザホテル広島
5117[ I PM2:00 PIN/9:0(,
フ レフォーラム・ワー クショッフ
1平 和を妨 けるもの 、
平和で守 るものを語 り考 えようJ
開会式
交流会 交流懇親 ハーティー
5「 118卜
Aに 110:00 P L14:00
全体 フォーラム I:ハ ネルディスカ ノシヨン
「若い世代は、
平和のために何 をなすべ きかJ
全イ
本フ ―ラムⅡ:ハ ネルデンスカ ッション
「平矛日│よ“
あなたから始 まるJIPeace beg ns wlth you
閉会式
www.info_hiroshima.co.ip/peace
[会
ti:広 島 国 際 会 議 場
〒 7300811広 島 市 ■ 区 ■ P町 1番 5号
ロー,ツ ーOA
時宜 にかな った
『友』誌 を 目指 して
ロー タリーの友委員会委員長
一般社団法人 ロータリーの友事務所代表理事
片岡 信彦
仕浦南RC)
このたび安平和彦前委員長 の後を継 ぎ、「ロー タリー
の友委員会」 (1日 ロー タリー の友編集委員会 )の 委員長
組織 にも協力の申し入れを行 いたい と思います。まずは、
関係者 によ リロー タリー 日本 100年 史刊行準備委員会
に就任 しました。第 2820地 区 (茨 城県)か ら初めての
友委員長 ですが、誠心誠意、努め たい と思 ってお ります。
の立ち上げを考えています。
新 たな改革を実施
さて、今年度は 日本か ら 30年 ぶ りに RI会 長 に、第
2770地 区の田中作次パ ス トガバナーが、就任 されま し
2010年 3月 25日 、『ロー タ リー の友』 をは じめそ
の英語版、『ロー タリー手帳』、加 えて、 ロー タリーの公
共イメージ向上 のための『 ROTARY世 界 と日本』 と
会員勧誘 のための『 ROTARYあ なたも新 しい風に』
の 2種 類 の 広報誌 な どを発行す る「一 般社 団法人 ロー
タリーの友事務所」 が設立 されました ことは、す でにご
承知 か と存 じます。
しか し、重要な ことは『ロー タリー章典』 や『手続要
覧』 の 中で、国際 ロー タリー
(RI)理 事会か ら地域雑
誌 の発行を指導監督する機関 として設置を義務付けられ
ている「編集委員会 (ロ ー タリーの友委員会 )」 が、 ど
のように して 「ロー タリーの友事務所」を直接 監督する
かです。昨年度、「ロー タリーの友委員会」 の 中に常任
委員会を設 け、その常任委員会を 「ロー タリーの友事務
けんせい
所」 の理 事会 と同時に開催 し、理事会 を牽制す る形 に し
ました。
常任委員会 は、「ロー タリー の友事務所」の監事、編
ロータ リー の地域雑誌 と して
1968-69年 度 の東 ケ崎潔 RI会 長、
そ して 1982-83年 度 に向笠廣次 RI会 長を輩出 しま
したが、実に 30年 ぶ りの 日本 か らの RI会 長誕生 とな
た。 日本 か らは
りました。私たち日本 のロー タリアンに とって大変名誉
な ことであ り、 こぞって応援 しなければならな い と思 つ
ています。
『ロー タリー の友』誌 もロー タリーの地域雑誌 として、
田中 RI会 長を応援す るため、 RIの テーマ「奉仕 を通
じて平和を」に沿 って、特集記事を掲載すべ きと思 って
います。
また、2013年 7月 か ら、 ロー タリー財団のプログラ
ムは 「未来 の夢計画」 によリー新 される ことにな りまし
た。 日本 の 6地 区がパ イ ロッ ト地区 として新 しいプログ
ラムによ り活動 していますが、次年度か ら取 り組む他地
区のため、 3年 間の経験を成功談、失敗談 を含めて 6地
区の方 にまとめていただき、『友』誌 に掲載 したい と思
います。
集担 当理事、管理担 当理事、所長を除 く、正副委員長、
特別顧間、顧間、 RI理 事な らびに RI理 事 エ レク ト、
編集長 で構成されています。そ して、長年 ロー タリーの
『友』誌では今年度、 ロー タリア ンがさまざまなロー タ
友委員会 に貢献 していただきました特別顧間・ 理事の高
野本男氏、板橋敏雄氏 には、友委員会 の新 しい規約に基
リー活動 を通 して感動 した経験を、周 りの方に短 く紹介
す る 「Rotary Moment(心 に残 る ロー タリーの物語 )」
づき相談役 に就任 していただ くことにな りました。
また、日本の ロー タリー は 2020年 に東京 ロータ リー
とい うコー ナー を新設 します。
クラブの誕生以来、 100年 目を迎 えることにな ります。
まだ 8年 はあ りますが、『 ロー タリー 日本 100年 史』 の
制作 を目指 しロー タリー文庫運営委員会 とロー タリーの
友委員会 は、両者協力 して発刊実現に向けて努力する覚
書を交わ しました。ガバ ナー会、米山記念奨学会 な どの
中
RIで は公共イメー ジの向上 に力を入れ ていますが、
私 たち「友委員会」「法人友事務所」関係者は時宜 に
かなった『友』誌作 りを目指 し、 ロー タリアンの皆様 の
協力のもと、励 んでいきます。
今後 ともご支援 くださいますよう、お願 い 申 し上げあ
いさつ とします。
第 2820地 区
)2002-03年 度ガバナー
(茨 城県
Rotary World Magazine Press
平成 24年
7月 号
ロータリーの友
1
口",ツ曹鶉
⊂ONttENttS
20
時宜 にかなつた『友』誌を目指して
ロータリーの友委員会委員長
一般社団法人ロータリーの友事務所代表理事
片岡 信彦
8 0
1 4
0
22
Rl理 事メッセージ
国際 ロー タリーの 理 事 として
2012-14年 度 R!理 事 松宮
剛
41
42
43
よねやまだより
受 け継 がれる灯 を、ともし続 けるために
公益財団法人ロータリー米山記念奨学会理事長
板橋 敏雄
26
文庫通信
ロータリアンのニーズに合わせた
資料の提供を目指して
ロータリー文庫運営委員会委員長 関口 博正
27
バンコク国際大会 5月 6∼ 9日
バンコクで友情を深め奉仕を考翡
48
心は共に 東日本大震災
被 災 者 に贈 る希 望 の 鐘 の 音
「保存ロータリー大時計」
「鎮魂と希望の鐘」と
第2670地 区 世界社会奉仕委員会委員長
2012-13年 度
ガバナーの横顔
21
2012-13年 度 R:理 事会メンバー紹介
菫藝
森本奈津子
花 壇 で鎮魂 の 山を華や か に
山田ロータリークラブを訪ねて(第 2520地 区。
岩手県
)
4
4
5
■ロータリーとは
■エバンストン便リ
6
5
■管理委員長の思い(砂
8
5
8
5
■ロータリー掲示板
RC事 務所住所変更。RC例 会変更・RC名 称変更・新 lAC・
:AC終 結 。
新 RAC・『友』
誌1月 号∼6月 号表紙写真再募集・
地区別クラブ数・
『友』
誌代等のお振込み/減 部についてのお願い。
。 8月 号主要記事予定
会員数。
出席率一覧表『友』
■日本 ロータリー分布 図
■奥付
第2500地 区
櫻田 正弘
(北 見東)
第2510地 区
細川
好弘
(静 内)
第2520地 区
小野寺則雄
(二 戸)
第2530地 区
伊藤
浩
(郡 山西北)
第2540地 区
玉木
修
(秋 田西)
第2550地 区
鈴木
宏
(宇 都富北)
第2560地 区
鈴木
重壱
(長 岡)
第2570地 区
鈴木
秀憲
(吹 上)
第2770地 区
田中 徳尚
(り
第2790地 区
得居
仁
(松 戸東)
第 2800地 区
和田
廣
(南 陽東)
第 2820地 区
野堀 喜作
ば学国)
(つ く
第 2830地 区
松本 康子
(青 森中央)
第 2840地 区
疋田 博之
(桐 生)
第 2580地 区
石川
第 2590地 区
露木 雄二
(横 浜瀬谷)
第 2600地 区
島田甲子雄
(上 日)
第 2610地 区
第 2620地 区
哲雄 (富 山西)
高野孫左ヱ門 (甲 府
第 2630地 区
村橋
第 2750地 区
佐久間崇源
(東 京目黒)
第 2760地 区
千田
(名 古屋東)
第 2780地 区
菅原 光志
(鎌 倉)
第 2640地 区
北中 登―
(大 阪狭山)
第 2650地 区
河本
(大 津)
第 2660地 区
高島 凱夫
(大 阪中之島)
第 2670地 区
木村大三郎
(高 松西)
第 2680地 区
石丸鐵太郎
(神 戸南)
第 2690地 区
森田昭―郎
(倉 敷)
第 2700地 区
丼手
(久 留米)
第 2710地 区
大之木精二
(呉 )
第 2720地 区
岡村
泰岳
(大 分中央)
第 2730地 区
山下
皓三
福元 裕二
(鹿 児島西)
第 2740地 区
38
!!口 )
正一
(那 覇西)
中尾
)
元
毅
英典
和英
(本 巣)
(佐 賀北)
2012-13年 度 ガバナー事務所
一般社団法人 ロー タリーの 友事務所
〒1050011東 京都港区芝公園2615黒 龍芝公園ビル4階
Te1 03-3436-6651 Fax 03-3436-5956
編集部メール hensyu@rotary‐ no‐ tomojp
● 縦剰lみ の ‖次 は、反
2
1ヽ
11川
の 表紙 を‖
‖いた ところにあ ります . 本 文・写 真などの無断転 根・機製を禁 じます
THE ROTARY― NO‐ TOMO
2012 VOL.60 NO.7
凸春
THE ROTARY‐ NOⅢ TOMO
P6∼ 15 清掃活動を始めた田中作次 Rl会 長
5 Rl会
ROTARYIMAGES/ALYCE HENSON
(中 央)と 仲間のロータリアンたち。
16 2012-13年
長 メッセージ
奉仕を通じて平和を ○
Rlテ ーマ
奉仕を通 じて平和を
R!会 長 LH中
RI会 長 田中 作次
6 RI会
度
作次
17田 中作次 R!会 長 in Japan
長紹介
田中 作次 ③
THE ROTARIAN7月 号
顧
委 員 長
片岡
副 委 員長
橋本
RI理
松宮
事
RI理 軍エレ
クト Jヒ
平成 24年
信彦
長平
(土 浦南)
(京 都東)
剛 傷ヶ崎湘南
)
清治
7月 号
(浦 和東
)
問
区類
地儀
特 別顧 問
中村
昌平
(東 京Jり
中山
義之
(横 浜南)
神崎
正 陳 けケ崎湘南
)
上野
孝
(横 浜)
安平
和彦
(姫 路)
根本
一彊 椰 山西
松前
憲典
本田
光 噴 憮 本城東
吉田
健 二 (東 京田無
)
(― 宮中央)
)
舟木 いさ子
)
(東 京白金)
芝野桂太 郎
(大 諄)
福田
忠博
(大 阪中之島)
石川
浩
(高 松南)
吉田
福司
(神 戸南)
井上
隆夫
(倉 脚
C山 西
2650
2660
2670
2680
2690
2700
桧枝
泰秀
(久 留米)
2710
田中
利幸
(呉 )
2720
2730
2740
石井
昭男
(熊 本西
深尾
兼好
(鹿 児島西)
江口
太資
(佐 買1り
2500
2510
2520
服部
仁
uヒ 見東)
2830
原
三郎
(青 森中央
富岡
豊
(静 内)
2840
伊能
富雄
(伊 勢崎)
回分巌士郎
(二 戸
2580
川畑
保夫
(浦 浦
2530
2540
平田
文男
(郡 山西Jり
2590
桑原
薫
村越
正道
(能 代)
2600
木村
文厚
弘 停 都宮JD
2610
源
2550
2560
2570
2770
中村
)
浩
)
(横 浜港lD
l■ 田)
)
関
啓助
(長 岡)
2620 佐 藤
正幸
(甲 府)
磯田
力彦
(新 所沢)
2630
仲明
(本 巣)
大杉
能弘
011口
2790
石井
定明
2800
下山
2820
石丼
健三
加藤
2750 御手洗美智子
(東 京広尾
(松 戸東)
2760
河村
嘉男
(小 牧
恒春 備 陽東
2780
田中
賢三
(茅 ヶ崎
2640
京谷
知 明 晰フエニツクス
lD
)
ば学園)
(つ く
)
) │
)│
)
編集長 二神
)
典子 陳 京築地
ロータ リーの友
)
ロータリー の誕 生とその成長
Peace
Through Service
20世 紀初頭 のシカゴの街 は、著 しい社会経済の発展の
陰で、商業道徳 の欠如が 目につ くようになっていました。
ちょうどその ころ、 ここに事務所を構 えていた青年弁護
士ポール・ハ リスはこの風潮に堪えかね、
友人 3人 と語 らっ
て、お互いに信頼のできる公正な取引を し、仕事上の付 き
合 いがそのまま親友関係 にまで発展するような仲間を増や
したい、 とい う趣 旨で ロー タリー クラブ とい う会合を考え
ました。 ロー タリー とは集会を各 自の事務所持 ち回 りで順
番 に開 くことか ら名付け られたものです。
こ うして 1905年 2月 23日 にシカゴロー タリー クラブ
奉仕 を通 じて
が誕生 しま した。
それか らは、志を同 じくするクラブが、つ ぎつ ぎ各地に
生 まれて、国境 を超 え、今 では 200以 上の国 と地 域 に広
が り、クラブ数 34,335、 会員総数 1,228,690人 (2012年
4月 30日
RI公 式発表)に 達 しています。
そ して、 これ ら世界 中 の クラブの連合体 を国際 ロー タ
リー と称 します。
このよ うに、歴史的に見ても、 ロー タリー とは職業倫理
ロー タリーの綱領は、有益な事業 の基 礎 として奉
を重んずる実業人、専門職業人の集 まりなのです。その組
仕 の理想を鼓吹 し、 これを育成 し、特に次の各項
織が地球 の隅 々にまで拡大するにつれて、 ロー タリーは世
を鼓吹、育成することにある
界 に眼を開 いて、幅広 い奉仕活動を求め られるようにな り、
現在は多方面にわたって多大 の貢献を しています。
第
1
第2
ロー タリアン各 自が業務を通 じて社会 に奉
10月 20日 に 創 立 され た東 京 ロー タ リー クラ ブで、翌
1921年 4月 1日 に、世界 で 855番 目の クラブ と して、
情熱的 に取 り組んだ初代事務総長チ ェス リー・ペ リー と、
創立 の準備 に奔走 した米山梅吉、福島喜三次な どの先達の
功を忘れ ることができません。
その後、 日本 のロー タリー は、第 2次 世界大戦 の波 に洗
仕するため に、その業務を品位あ らしめる
こと
第3
長ジ ョージ・ ミー ンズで した。
;
ロー タリアンすべ てが 、その個人生活、事
業生活および社会生活 に常 に奉仕 の理想を
適用する こと
;
第4
奉仕の理想に結ばれた、事業 と専門職務 に
携わる人 の世界的親交 によって、国際間の
理解 と親善 と平和を推進する こと。
われて、 1940年 に国際ロー タリー か ら脱退 します。 戦後
1949年 3月 にな って、再 び復帰加盟 しますが、 この 時、
復帰 に尽力 して くれたのが国際 ロー タリーの第 3代 事務総
四 つ の テス ト
言行はこれに照 らしてから
1。
真実 か
いものが あ ります。 ロー タリー財団への貢献 も抜群で、今
2。
みんなに公平か
や国際 ロー タ リー におけ る日本の地位 は不動 の ものにな
3。
好意 と友情を深めるか
りました。現在、 日本全体での クラブ数は 2,292、 会員数
4。
みんなのためになるか どうか
その後の 日本におけるロー タリー の拡大発展は日覚 まし
89,006人 (2012年
4
;
きであるとい う認識を深める こと ;そ して
わが国最初 の ロー タ リー クラブは、 1920(大 正 9)年
日本でのロー タリー クラブ設立については、ポール・ハ
リスの片腕 として ロー タリーの組織をつ くり、海外拡大に
奉仕 の機会 として知 り合 いを広めること
事業および専門職務 の道徳的水準を高める
こと ;あ らゆる有用な業務は尊重されるべ
日本 のロー タリー
国際 ロー タリーに加盟が承認されました。
:
どうか
4月 末現在)と なってい ます。
THE ROTARY― NO― TOMO
2012 VOL.60 NO.7
A ⅣIessage fronl President Tanaka
■ R:会 長メッセージ
平和 を
奉 仕 を 通 じて 平 和 を
Saktti Tanaka
田中 作次
2012-13年 度 Rl会 長
八潮 RC(第 2770地 区 埼玉県)
朋友 ロータ リアンの皆さん、私の世代は、戦後 に日本で
ため、積極的に活動 していただ くようお願 いいた します。
育 つた最初 の世代です。平和を重視するのは 当然 の ことだ
と思 います。 自らの国の軍国主義の結末を経験 した私たち
の世代は、 日本が平和を選ぶ大 きな決断を した結果、 日覚
ま しい経済発展を遂げてい くのも日に しま した。
他 者 へ の 尊 重 の 気 持 ち は 平 和 な 暮 ら しを も た らす
ロータ リーの中核にあるのは、奉仕 の力に対する信念で
この決断があ つてこそ、 日本は成長 と繁栄を遂げる こと
す。奉仕を優先す ることで、 自分よ りも他者の ニーズが優
ができたと思 います。そのおかげで、子 どもたちの世代が
先され、人 々が抱える困難 に対 し、深い同情の心が生まれ
安全な環境 で成長 し、教育を受け、暮 らしを向上させる こ
ます。 自分 の時間や リソースを惜 しみな く与え、新 しい考
とができたのです。 また、 この決断によつて他の国や文化
え方に対 してもさらに心を開 くことができます。他人 を変
に対する日本人の見方は根本的 に変わ りま した。 日本人は
えようとするのではな く、すべ ての人やものか ら学ぶ こと
心を開き、よ り寛容にな り、もつと深 く世界を理解するよ
があると認識する ことです。
うにな りま した。
奉仕を通 じて、私たちは、互 いの違いに対 して寛容にな
り、周囲の人に対 して感謝の気持ちを抱 くようになるで し
ょう。そ して、もつと相手を理解 し、あらゆる人 の中に善
個 人 の ニ ー ズ よ り、 社 会 の ニ ー ズ
さらに、平和を選択 したことによ つて、私たちは前向 き
な目標に力を注 ぐことができるようにな りま した。
を見いだす ことができるで しよう。 こうした理解か ら生 ま
れる他者 へ の尊重の気持ちが、平和な暮 らしをもたらすの
だと思います。
個人 の 二―ズよ り社会の ニー ズを重視するのは、 日本の
今年度、「奉仕 を通 じて平和を」の精神をも つて、 ロー
文化 と切 り離せな い、伝統的な価値観 です。 2011年 3月
タ リーの日標である平和な世界に向けて邁進 していただ く
に起 こつた大地震 と災害後、数週間、数 か月間、私たちが
よう、よろ しくお願い申 し上げます。
生き延び、復興 に努力できたのも、 この価値感があつたか
らです。
これは、 日本以外の国 々にとつても、良い教訓であると
思 つてお ります。他者の ニー ズが、 自分 自身 の ニーズよ リ
口 嗜ι
年々
も大切だと思 い、社会全体 のための共通の 目標に向か つて
力を合わせる ことができるようになれば、すべ てが変わる
のです。世界 との関わ り方が変わ ります。何を優先するの
田中 作次
かが変わ ります。そ して、平和の概念をどのように理解す
2012-13年 度 国際 ロー タリー会長
るのかが変わ ります。
2012-13年 度 には、「平和」 が私 たちの焦点 であ り、
日標です。皆 さんには、「奉仕 を通 じて平和を」もた らす
平成 24年 7月 号
記
jp
lili]ヨ 叫
文の
11ま
場
し
テ
ツ
糖
穐
鵠
獲
ll彗
=Ъ
'リ
ロータリーの友
5
Z C ′′ ﹂ 〓 ] し ´ロ イ
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新 RI会 長紹介
THE ROTAR:AN7り
国際 ロー タリー
れに
l}ナ
から
(RI)本 部 にいる私 たちが、エ レベー ター 、 カフ ェテ リア、 ロビー 、そ
18階 の一 角を、非 の打 ち どころのない 白髪 の 紳士 とともにす る喜びを味わ う ことにな
Hello"
って一 年 ほ どにな ります。彼 はよ く笑 い 、私 たちに会 うと本 当 に 幸せ そ うな様 子です。“
と言い、お じぎを し、そ して くす くす笑 う時、彼 は満面 に笑みを浮か べ ます。 た とえ頭の中
が どんな ことでい っぱいで もそんな ことはお くび に も出 さず、トレー ドマー クの笑顔 の まま、
ロータ リーの友
本人 にその ことを 1用 い てみ る と、
ロー タリーの ことを
考 えていない時間 は、
寝 ている時 と
食べ ている時だけ との こと。
THE ROTARY― NO― TOMO
2012 VOL.60 NO.7
(前 ヘージ)自
宅のオ フィスにて
,
田 中氏 は、 慣 れ た方 法 で仕 事 を
さ ば き ます。 通 信 の返 事 は 電話
で。受信箱 トレイは 「極力空に し
てお く」 と会長.上 :自 宅のオフ
ィスで仕事をする際、ガラス戸付
きの本棚が重宝 していると言 う田
中氏
下 :ロ ータ リー平和 フェロ
ーシ ップ基金を設立 している田中
氏。 日―タ リー平和 フェローとと
もに国際基督教大学
(lCU)の
キ ャンバスを散歩
私 たちの間を優美 に通 り過 ぎていきます。 とはい え、彼
の 頭 の 中 にあ るのは、 ロー タリーの ことに違 い あ りませ
ん 。本人 にその ことを 聞 いてみ る と、 ロー タリーの こと
を考 えていない時間は、寝 ている時 と食べ ている時だけ
との こと。 しか し、それ は、 ロー タリア ンと食 事を して
い な い時 に 限 られ ます。
「起 きて いる 間 は 、 ほ とん どいつ も ロー タ リー でい っ
ぱいですJと 、新 RI会 長は冗談 半分 に 言い ます。
「Π中氏 の 経歴を見れ ば、 一 目瞭然。八潮 ロー タ リー クラ
ブ
(RC)に 入会 して以来 37年 間、彼 はあ らゆ る レベ
ルでロー タ リー に尽 くしてきま した。 これ までに果 た し
た役割 は 、 ガバ ナー、 RI研 修 リー ダー 、 ロー タ リー 財
IJ地域 コー デ ィネー ター 、ポ リオ撲滅提叫│グ ルー プの メ
ンバー 、未来 の 夢委 員会委員、 200941iバ ー ミンガム国
際大会委 員長、 日本恒 久基金委 員長、 RI理 事 、 ロー タ
リー 財 団管理委 員な ど。 その間、 49年 に 及ぶ結 婚生活
を通 して、京 F夫 人は田中氏 の ロー タ リーの 旅 にず っ と
付 き添 って きま した。夫婦 そ ろって、ポール・ ハ リス・
フェロー 、 ベ ネ フ ァクター、大 口寄付 者です。京子夫人
は英語を 話 さな いのに 、身ぶ り手ぶ りで人 々 と通 じ合 う
特技 を持 っていて 、「陽気で前 向 きな性 格」 と、 田中氏
は話 します 。
人人 は 、卸売業界 における田中氏の 事業で も しっか り
と寄 り添 い 、支 えてきま した。 スケジュールの 都合 で Hl
理 を務 め てい ま した。 田中氏が家 を留守 にす る時 には 、
旅先か ら毎 日夫人 への電話 を欠かす ことはあ りません。
田 中夫 妻 には 、 1男
2女 の 3人 の 成 人 した子 どもが
お り、 マ レー シアにいるお嬢 さん以外は 日本 に住んでい
ます。 お孫 さん は現 在
6人 い ます が、 も うす ぐ 7人 日
が生 まれ る予定 です。毎年正月 には 、家族全 員が八潮に
平成 24年
ロー タ リーの友
2 0 ∽Z ]〓 ωOン]く ヽ∽]Oくて′一´ ∝く↑〇 “
中氏が商用 の 会合 に 出 られな い 時 には 、 いつ も夫人が代
「‖1手 に対す るり
よいや りと
忍耐が糸 婚 生活 の秘訣 です。
私 は、11抱 強 い 奏に恵 まれて
:与
1=せ です」
︺■﹁
THE ROTARY―
NO―
TOMO
2012 VOL.60 NO.7
上左右 :ロ ータ リークラブの例
会で、
拍手 し、歌 う田中氏`左 下
:
日本の レス トランで談笑する会
長夫妻
旅行中、一番恋 しくな
るのが京子夫人の手料理 c田 中
氏にとって妻に勝るシ ェフはい
ない と断言 します
ある実家 に集 ま ります。
「相手 に対す る思 いや りと忍耐 が結婚生活の秘訣 です。
私は、辛抱強 い要 に恵 まれて幸せです」 と田中氏 は述 べ 、
日本 の 社会 につ いてつ け加 えます。「女性 よ りも男性 の
ほ うが、怒 りやイライラをぶ つ ける ことが 許 されてい る
よ うです。私 は、要 だけでな く、誰 に対 して も常 に 辛抱
強 くあ ろ うと心がけて い ます」
円中氏は、 この 辛抱強 さ とこれ まで培 って きた効率の
バ ランスを保 ってい ます。全国家庭紙 同業会連合会 の元
会長 の 田中氏は、机 の Lを 常 にきれいに してお くことが 、
物理的 に も精神的 に も大切 だ とい う ことを 学んだ、 と言
い ます。頻 繁 に 利 用 して い る Eメ ー ル も同 じで、必 要
な ものだけを保管 し、受信 トレイは いつ もす っき りとし
た状態 に保 って い ます。「せ っか ちなので、物 事 をその
ままに しておけない性格 なんです。 ためず にその 場で処
理 して次 に進む 、 これが私流 ですJ
それ に もかかわ らず 自宅 の 書斎 には 、 日誌や仕事 の書
類 が納 め られ た
3mほ
どの書棚 が あ ります。 あ ま り書
類 をため込 む ことはな く、用がな くな った書類 は定期的
に ま とめ て処 分 す る よ うに して い る と田 中氏 は話 しま
す。 ロー タ リー 関連 の 資料 は、所属す る八潮 RCに 渡す
こと もあるそ うです。
旅行 中、 一番恋 しくな るのが京子夫人の 手料理 で、 自
分 に とって妻 に勝 るシェフは い な い と田中氏は断言 しま
す。何 よ りも和食が好 きですが、 日本 で食 べ る和食の味
は 、海外 で出され る 日本食 とは比 べ ものにな らな い と言
います。 日本を離れ る とラー メンの味 も異 な り、満足の
い くす き焼 きを見 つ けるの も難 しいため、旅行 中は しば
しば、ほかの料理 で気 を紛 らわ します。韓 国風焼 肉 の独
特 の 味は口 に合 い 、通訳 の 寺尾 さんによる と、 トマ トソ
平成 24年
ロータ リーの友
平和は忍耐を家庭で実行
することか ら始 まると言
う田中氏。 ここでは「折
り紙 にはなんの関心もな
い し、手先があま り器用
じゃないもので」 と言い
なが ら、お孫さん と一緒
に折 り紙を折 り、 自らの
忍耐強さを喜んで試 して
います
―スのスパ ゲティは彼を楽 しませることができるとの こ
とです。「チー ズが どっさ りと入 った」 ものよ り、あっ
さ りとした味付けを好みます。田中氏は、アメリカで寿
司 レス トランの ビジネスがブームになっていることも含
め、 日本食へ の関心が高 まっていることに気づき、そ し
て、 この傾向は、本場 の 日本料理が求め られているとい
うよりは、健康に対するアメリカ人の関心を物語るもの
だ と考 えました。
田中氏は、仕事 一辺倒 とい うわけではあ りませんが、
仕事を離れて も一生懸命な ことだけは確 かです。ある晩
´
饉口 ^
の こと、 カラオケで休憩 も取 らずに一 気 に 54曲 歌 い続
け、 自己最高記録を更新 しま した。 その夜の 3時 間 に
わたるカラオケマ ラソンをちょっとした達成感 とともに
振 り返 り、「今 またやれ と言われて も、 もうそのスタミ
ナはあ りません」 と話 します。 しか し、彼 のことをよ く
ご存 じの方な ら、 この発言 にす ぐには同意する ことはで
きないで しょう。
その人たちは、田中氏が仲間の ロー タリアンとともに、
近隣の清掃を始めたのがそれほど昔でなかったのを覚え
ているかもしれ ません。田中氏は、雑草を抜 き、 ごみを
拾 い、その ごみを運びます。 ときには犬や猫 の死骸を処
分す ることさえあ りました。「以前は、汚 い所 もあ りま
したが、私たちが 自分たちの家 の前を掃除 しているのを
見た近隣の人たちが加わ り、 自分たちできれいな環境を
保 つ ようにな りました」 と田中氏は話 します。最初 は町
内を二人で掃除 していたのが、あ っとい う間に地域の ロ
ー タリー クラブによる協同プロジェク トヘ と発展 し、毎
月 1回 の清掃活動 を実施す るようにな りま した。やが
て この活動 は八潮市全体 に広 ま り、59団 体 が参加する
年 2回 の清掃イ ベ ン トとな り、市長 も参加 して、ボラ
ンテ ィアたちに激励 スピーチを行 うようにな りました。
八潮 RCに 入会 してか ら、「た とえどんなに些 細な こ
THE ROTARY― NO― TOMO
2012 VOL.60 NO.7
↑″
1■ ヽ
丸
Z O ∽Z 〓 〓 〓 し´ 一く ヽ∽〓 し く ︸
2 ︻´ ∝ く rC “
ロータ リーの友
7月 号
平成 24年
ξ
力
\
一
ヽア
/r
右および下 :田 中氏の呼
びかけで始 まった町内で
の 清 掃 活 動。 59団 体 が
加わ り、八潮市全体 に及
ぶ正式なキ ャンペーンヘ
と発展 しま した
とで も、人 を助 け ることが平和 につなが る。 どの よ うに
定義す るにせ よ、平和 こそが ロー タ リーの究極 の 、そ し
て実現 可能 な 目標 だ」 と気 づ いた と、田中氏は話 します。
田中作次 ロー タ リー 平和 フ ェロー シ ップ基金 を設 立 し、
1月 に 「奉仕 を通 じて平和 を」 を今 年度 の RIテ ーマ と
して選 ん だ ことを 発表 しま した。「平和 とは、政府 間 の
協定や英雄的な闘争を通 してだけ達成 され るものではな
く、私 たちの 日々の ささやかな行 いの積み重ね によって
成 し遂げ られ るものです」
後 に田 中氏 は 、詳 し く述 べ てい ます。「平和 と紛争解
決 は、 まずは家庭 で実践す べ き ことです。社会の最小単
位 は家族 ですか ら、そ こか らス ター トす べ きです。 自分
の 伴 侶 を は じめ 家 族全 員 との平和 を常 に 心 が けてい れ
ば、家族 の一 員 としての 自分 を振 り返 る機会 とな り、周
りに平和 の模 範 をおのず と示 す ことが で きるで しょ う。
家族 が平和 であれば、 もっ と多 くの人 の 平和 へ と発展 し
てい くはずです」
個人 の ニー ズよ りも社会 の ニー ズを優先 させ る とい う
日本 の 伝 統 は、 ロー タ リア ンの「 超 我 の 奉 仕 Jの 概 念
と相 通 ず る もの が あ る、 と田 中氏 は 言 い ます。 日本 が
2011年 3月 の 東 日本大震災 を乗 り越 え、復興 に励 む こ
とができるの も、 この価値観 があ ったか らだ と、田中氏
は述 べ てい ます。
復興 に 向けた人 々の 協力 の姿勢 は、 日本以外 の 国に と
って も、 良 い模範 とな ったのではないか と述 べ た後 で、
田中氏 は次 の よ うに締 め くくりま した。「 この模 範 を示
す上で、 ロー タ リー が大 き く貢献 している と信 じていま
す。特 にロー タ リー 平和 セ ンターを通 じての 若 い世代 の
研修や教 育がそ の よい例 です。 フェロー たちは社会 に対
す る責任感 を持 って、世界を もっと良い場所 にす るため
に 尽 力 して くれ る こ とで し ょ う」
14
THE ROTARY― NO‐ TOMO
―JOHN REZEK
「私たちが 自分 たちの家 の 前を
掃除 してい るのを見た近隣 の人たちが加わ り、
「 1分 たちできれ い な環境を
保 つ ようにな りま した」
Z O ∽Z]〓 ]O” コく ヽ∽]Oくで‘︼´“ くい〇 ∝
平成 24年
7月 号
ロータ リーの友
深め る ことで 、他者 へ の 尊重 の念 が高 ま り、互 いに対す
る尊重 の念があれ ば、人 々は平和 に暮 らす ことができる
奉仕 を通 じて
平和 を
と思 い ます。
ロー タ リーの奉仕 は 、 さまざまなかたちで平和を助長 し
ます。私 たちは、 クラブ と地 区で、世界 中 の地域社会 に
健康、安全 、人間 の尊厳 を もた らすために活動 し、競 争
よ りも協力、 自分 の儲 けよ りも公益 に価値 を置 こ うとい
う気持 ちが、私 たち一 人ひ とりの 中 に生 まれ ます。 自分
平和 とい う概念 は、人 によって 、文化 によって異 な りま
を見 つ め る ことを通 じて、私 たちは、完壁 な人間な どい
す。心の平安や家族 の幸せ、満足感 を指す場合 もあるで
ない とい う こと、そ して 誰 もが人 か ら何 かを学 べ る とい
しょうし、人間 の基 本的 ニー ズが満 たされ た安全 な状態
う ことを理解 します。
を指す こともあ るで しょう。平和 を どの よ うに定義す る
にせ よ、それ は奉仕 を通 じて達成できる目標です。
ロー タ リー 独 自の 標語、「超我 の 奉仕」 は、奉仕 の 最 高
のかたちを表 してい ます。 この よ うな奉仕 こそ、私 たち
ロー タ リー において、奉仕 とは、片手 間 にす ることで も、
が歩むべ き道 である と、私 は信 じています 。 この道 は ロ
たまに取 り組んでみ る ことで もあ りません。奉仕 とは生
ー タ リアンが築 いた道 であ り、世界のす べ ての人 々が 歩
き方です。それ は、
思 いや りの心を重ん じる ことで あ り、
む ことのできる道 です。 さ らに深 い思 いや り、満足、寛
調和 へ といたる道 です。生活のあ らゆる場面で奉仕 を実
容、理解 へ とい た る道 です。「奉仕 を通 じて平和 を」 を
践す ることによって、私 たちは分かち合 いの精神 を育み、
標榜す るな ら、私 たちは、 自分 たち、そ して 世界 のため
友好 を見 出 し、平和 の道 を選ぶ ことがで きます。
に 、 さらな る平和 へ 向けて邁進 してい くことができるで
しょう。
2012-13ロ
ー タ リー 年度 には、平和 が私 たちの焦点 、
そ して 日標 とな り、 ロー タ リア ンの 皆 さまには、「奉仕
ての人、家族、 クラブ、地 区、地域、そ して 国 か ら始 ま
口 嗜ι
f旋
る と思い ます。
2012-13年 度 国際 ロー タ リー会長
を通 じて 平和 を」 もた らす ため、積極的に活動 していた
だ くよ うお願 いいた します。平和に向けた努力は、す べ
田中 作次
ロー タリーの 中核 にあ るのは、奉仕の力 に対す る信念 で
す。奉仕 を優先すれば、 自分 よ りも他者の ニー ズが優先
され、考 え方 がが ら りと変わ り、人 々が抱 える困難 に対
し、深 い 同情 の 心が生 まれ ます。人 々を助 けよ う、人 々
が もっ と幸 せ にな るよ う自分 にできる ことを しよ う、 と
い う気持 ちが さ らに湧 き _上 が ります。 自分 の 時間や リソ
ース を惜 しみな く与 え、新 しい考 え方 に対 して もさ らに
心 を開 くことがで きます。それは、他人を変 えよ うとす
るのではな く、す べ ての人や ものが 自分 に何 かを教 えて
くれ る こと、毎 日、新 たな成長 の機会 が与 え られ る こと
を認識す る ことにな ります。
奉仕 を通 じて、私 たちは、違 いに対 して寛容 にな り、周
囲 の 人に対 して感謝 の気持 ちを抱 くよ うにな ります。感
謝 の 気持 ちを持 てば、 もっと相手を理解 で き、あ らゆ る
人 の 中 に善を見 出せ るよ うにな ります。 こ うした理解 を
上 田清 司埼 玉 県知 事 と
会談
5月 29日 、埼 玉県 庁
の知事室 に上田知事を訪
ねました。埼玉県 と田中
RI会 長 の出身地区であ
る第 2770地 区が協同で
特 に「青
行 つている活動、
少 年 に も っ と海 外 体 験
を」 とい う話で意見交換
を しました。
田中作次 RI会 長
m]岬
]・
■●11,●
野 田佳彦首相 を
表敬 訪 間
5月 30日 、東 京 にあ
る首相官邸に野田首相を
訪ねま した。田中 RI会
長は、 ロー タリーのポ リ
オ 撲 滅 活 動 につ い て説
明。 日本政府 の これ まで
の貢献 に感謝するととも
に、 さらなる支援を依頼
しま した。野田首相か ら
は 「 自らも政府 としても
後押 しを してい きたい」
との返事があ り、さらに
「国際社会 で指導 力を発
揮 されて、 日本 の存在感
を大 いにお示 しいただけ
れ ば、大変 あ りが たい」
との激励を受けました。
メ
THE ROTAR:AN 7月 号 か ら
Meet the Board of Directors for 2OI2
-
13
2012-13年 度 RI理 事会 メ ンバー紹介
理事会メンバーは、議長を務める国際 ロータ リー
(R:)会 長、 RI会 長 エ レク ト、
そ してゾー ンの指名委員会によ つて選出され、国際大会で選挙された 17人 の理事、計
19人 で構成されています。理事会は Rl定 款および細則に従 つて、 RIの 業務な らび
に資金の監督 と管理を行 います。各理事の任期は 2年 間で、今年度は 8人 の 2年 目の
理事 と 9人 の 1年 目の理事 とで構成されています。事務総長は、投票権はあ りませんが、
R:理 事会の指示監督下に実務を執行 し、 R!の 最高管理役員 として理事会に出席、幹
事役を務めます。
?-!2.
RI会 長 田中 作次
tftb.97
ガム国際大会委員長、 日本 の恒久基
金委員長、未来の夢委員会委員。超
我 の奉仕賞、財団特別功労賞受賞。
メジャー ドナー。
ホセ 0ア ン トニオ F.ア ンティオ リオ (2011-13)
ブ ラ ジ ル・ オ ザ ス コ RC会 員。
Padre Anchieta Schoolの 経営者 お
よび校長、サ ンパ ウ ロ州政府教育局
長、サ ンパ ウロ YMCA会 長。中南
RI理 事、財団副管理委員会、国際
協議会 モデレー ター 、恒久基金アメ
リカ・ ア ドバ イザ ー な ど歴任。超我
の奉仕賞、財団特別功労賞、 ポ リオ
のない世界を目指す奉仕賞受賞。
米恒久基金委員会委員、会長代理。
超我の奉仕賞受賞。メジャー ドナー 。
アラン 0.ジ ャガー (2011-13)
アメ リカ・ アラバマ州 ジケー ター
R C 会ゃFio Blackburn,Maloney,
and Schuppert法 律 事 務 所 の 弁 護
士。コ ミュニ ケーシ ョン委員会委員、
イ ギ リ ス・ ウ エ ス ト・ ヨー ク
シャー 、エ ラン ドRC会 員。機械 工
学業界で事業を展開。 RIBI元 会
長、 RIBI財 団管理委員長。財団
特別功労賞受賞。 メジャー ドナー 。
遺贈友の会会員。
規定審議会代表議員、会長代理。 メ
ジャー ドナー 。遺贈友 の会会員。
RI財 務長 エ リザベス S.デ マ レイ
アメ リカ・ ミシガン州スーセン ト
マ リー RC会 員。
不動産プ ローカー 。
慈善団体 United Wayの 地元組織の
元会長。会員組織地域 コー ディネー
ター 、研修 リー ダー 、 カー ル P.ミ
ラー助成金ボラ ンテ ィア。ベ ネファ
クター。遺贈友 の会会員。
18
THE ROTARY― NO― TOMO
13)
賞、ポ リオのない世界を 目指す地域
奉仕賞受賞。メジャー ドナー。
アメ リカ 。オクラホマ州 ノー マ ン
RC会 員。アメリカ法律家協会会員。
RI副 会長 ケネス M.シ ュパー ト・ ジュニア
-
イン ド・ ハ リヤナ州 アンバ ラ RC
会員。 自動車販売会社取締役、イ ン
ドの海運会社の元副社長。イ ン ド・
ポ リオ・ プラス委員会委員、財団地
域 コー ディネー ター。財団特別功労
八潮 RC創 立会 員。 (株 )ダ イ カ
の元会長。八潮市商工会の現副会長。
RI理 事、財団管理委員、バー ミン
RI会 長エレクト ロン D.バ ー トン
<zorl
tK-tb.
=7
zorl -13)
オ ランダ・ ウィー スプ RC会 員。
製薬業界 で調停人 と相談役。 1970
年財 団国際親善奨学 生 と してケ ニ
アのナイ ロ ビ大学 に 留学。地 域雑
誌 『De Rotarian』 の 地 域 エ デ ィ
ター、 RI会 員組 織地 域 コー デ ィ
ネー ター 、会長代理。
2012 VOL.60 NO.7
シェカール・ メータ (2011-13)
ジャン・ マルク 0シ ヤタニエール (2012-14)
イ ン ド・ カルカ ッタ 。マハナガー
RC会 員。会計士、不動産開発会社
Skyline Group会 長。 2004年 の イ
ン ド洋津波以来、被災地 の復興 に積
極的 にかかわる。実行 グルー プ 。メ
ンバー 、 RI研 修 リー ダー。超我 の
フランス・ シ ョレ RC会 員。冶金
学者。 2007∼ 11年 フラ ンス 語 圏
ガバ ナー会会長。会長代理。 GSE
活動 に尽力。財団ベ ネファクター。
奉仕賞、財団特別功労賞受賞。
アン
朴柱寅 (2011-13)
アメ リカ・ サ ウスカ ロライナ州 コ
ロンビア・ イース トRC会 員。サウ
スカロライナ州教育局長、ア メリカ
がん協会理事。財団管理委員、未来
の夢委員会委員、RRFC、 メジャー
ドナー。遺贈友 の会、ポール・ ハ リ
会員。
ス・ ソサエ ティ会員。
アメリカ・ カリフォルニ ア州 カー
マ ン RC会 員。Boyd Company Re―
altors社 の不動産専門家。財団地域
コー デ ィネー ター 、規定審議会代表
議員、会長代理。超我 の奉仕賞、財
団特別功労賞受賞。メジャー ドナー。
円」(2012-
14)
茅 ヶ崎湘南 RC会 員。松宮歯科医
院院長。 RI会 員組織 ゾー ン・ コー
デ ィネ ー ター、 RI会 員組織地 域
コー ディネー ター、識字率向上支援
グループゾー ン・コー ディネー ター 、
RI研 修 リー ダー、会長 代理。 メ
ジャー ドナー。遺贈友 の会会員。
アン・ ブリッ ト・ アセボル (2012-14)
スウェーデン・ フアー ル ン・ コパ
プル エ ン RC会 員。 国会議 員。 16
∼ 19歳 の生徒 を対象 とした高等学
校 を設 立。 RI会 員組織 地域 コー
ディネー ター 、 RRFC、 RI研 修
リー ダー 、規定審議会代表議員、会
長代理。 ベ ネファクター。
ジ ョン・ ボーグ (201 2-14)
オ ー ス トラ リア・ タ ム ワ ー ス・
ノ ー ス RC会 員。 法 律 事 務 所
EveringhamSolomons SoHcitors理
事。定款細則委員長。RI研 修 リー ダ
ー 、2007年 お よび 10年 規定審議会
副議長。財団地区奉仕賞、財団功労
表彰状受賞。ベ ネフアクター。
平成
24年 7月 号
マシユーズ (2012-14)
韓国 。順天 RC会 員。弁護士、韓
国政府検事、製鉄会社 POSCO Ltd.
法務顧間。規定審議会代表議 員、会
長代理、 RI研 修 リー ダー 、識字支
援 グループの ゾー ン・ コー デイネー
ター。 メジャー ドナー。遺贈友 の会
ケネス R。 ボイ ド (2011-13)
松宮
L。
ギデオン・ パイパー (2012-14)
イスラエル・ ラマ ト・ jハ シヤロ
ン RC会 員。公共 ビルのデザインを
専門 とす る建築家。オラ ンダ系移民
の心理支援セ ンター所長。RRFC、
RI研 修 リーダー。ポール・ハ リス・
フェロー 、ベ ネフアクター。財団特
別功労賞受賞。
アンデイ・ スモールウッド (2012-14)
テキサス州 ガル フウェ
アメ リカ 。
イ ホ ビー・エ アポ ー トRC会 員。企
土地、国際法専門 の独立開
業、銀行、
業弁護 士。恒久基金 アメ リカア ドバ
超我 の
イザー。規定審議会代表議員。
奉 仕賞、財 団特 別功 労賞 受賞。 メ
ジャー ドナー。遺贈友 の会創立会員。
ブリン・ スタイルズ (2012-14)
カナダ 。
オ ンタリオ州 バ リー・ヒュ
ロニア RC会 員。薬局経営。 RRF
規定審議会代表議員 、会長代理。
財団功労表彰状受賞。
超我 の奉仕賞、
`
CSEチ ー ム リー ダ一 としてオース
トラ リアを訪 間。 メジャー ドナー。
C、
遺贈友 の会会員。
RI事 務総長 ジ ョン・ ヒューコ
ウ ク ラ イ ナ 。キ エ フ RC会
員。 弁 護 士。 ア メ リ カ 政 府 機 関
LIlillenniunl Challenge Corporation
(MCC)で は、 旧 ソ ビエ ト連 邦
な ど 26か 国 との関係構築 を担 当。
2011年 7月 か ら現職。
ロータ リーの友
19
訂
顆鰤蛛瘍 鱚際
顆‖
靡
卜
顆
貯
蝙1蜆 仄鶉/ 藝
ガバ ナー の横顔
第 25∞ 地区
櫻田 正弘
北海道東部 (北 見東)
第 2510地 区
細川
好弘
北海道西部 (静 内)
第 2520地 区
小野寺則雄
岩手・宮城 (二 戸)
第 2530地 区
伊藤
浩
福島 (郡 山西北)
第 2540地 区
玉木
修
秋田 (秋 田西)
第 2550地 区
鈴木
宏
栃木 (宇 都宮北)
第 2560地 区
鈴木
重壱
新潟 (長 岡)
第 2570地 区
鈴木
秀憲
埼玉西北 (吹 上)
第 2770地 区
田中 徳尚
埼玉南東
第 2790地 区
得居
仁
千葉 (松 戸東)
第 28∞ 地区
和田
廣
山形 (南 陽東)
第 2820地 区
野堀
喜作
第 2830地 区
松本
康子
第 2840地 区
疋田 博之
第 2580地 区
石川
第 2590地 区
露木 雄二
ll(横 浜瀬谷)
神奈り
第 26∞ 地区
島田甲子雄
長野 (上 田)
第 2610地 区
中尾
││(富 山西)
富山・ 石り
第 2620地 区
高野孫左 ヱ門
山梨・静岡 (甲 府)
第 2630地 区
村橋
第 2750地 区
佐久間崇源
岐阜 。三重 (本 巣)
・ミクロネシア
・パラオ (東 京 目黒)
東京。
北マリアナ諸島″ワム
第 2760地 区
千田
毅
愛知 (名 古屋東)
第 2780地 区
菅原
光志
第 2640地 区
北中 登―
大阪南部・和歌山 (大 阪狭山)
第 2650地 区
河本
福丼・滋賀・京都・奈良 (大 津)
第 2660地 区
高島 凱夫
大阪北部 (大 阪中之島)
第 2670地 区
木村大三郎
香川・愛媛・徳島・ 高知 (高 松西)
第 2680地 区
石丸鐵太郎
第 2690地 区
森田昭―郎
第 27∞ 地区
井手
兵庫 (神 戸南)
岡山 。鳥取・ 島根 (倉 敷)
福岡・ 佐賀 。長崎 (久 留米)
第 2710地 区
大之木精二
第 2720地 区
岡村
泰岳
第 2730地 区
山下
皓三
広島・ 山口 (呉 )
大分 。熊本 (大 分中央)
宮崎 。鹿児島 (鹿 児島西)
第 2740地 区
福元
裕二
佐賀 。長崎 (佐 賀北)
正一
哲雄
元
英典
和英
(り ll口 )
茨城 (つ くば学園)
青森 (青 森中央)
群馬 (桐 生)
東京 。沖縄 (那 覇西)
:│(鎌 倉)
神奈り
ガバ ナ ー紹 介
真心・ 笑顔・ そ して行動
GOVERNORS
現代 の名 工は生涯現役
!
第
2510地 区
コ
プ
北海道西部
ほ そ か わ よ しひ ろ
細川好弘 ガバナー
(静 内
「生きる 目的 は、金でもなければ財でもない。
名誉 でもなければ地位で もない。
生命 の歓喜を得 て、
未来永遠 の幸福 に生きることである」
お!鸞 聖人の教 えである。櫻田正弘ガバ ナーは浄上真宗本
願寺派本覚寺 で生を うけ、教 えとともに成長 した。 さらに
ロー タリアンとして磨きがかか り、 これ まで常に北見 の良
識 の拠 り所 として活躍 してきた。 1971∼ 2006年 の 市議
会議員、特 に 1999∼ 2003年 の市議会議長時代、地域は
大きな曲が り角にあった。見事 に難局 のか じを取 った実績
は北見市史 に燦然 と輝 くものである。また、兄の正 明氏 (92
年没 )は 元道議会議員、r息 の真人氏 は現北見市議会議員、
奥 さまは長 く調停委員を務 め勲章を受けるな ど、北見に と
って中心的な一家である。
櫻 lllガ バ ナーの叱声な ど聞いた ことがない。いつ も朗 ら
かな笑顔が似合 う人で、経営す る北見 さ くら幼稚園 の園児
に 円 まれた時が「至福の時」ではな いだろ うか。 また、ガ
バ ナー紹介 の任を ロー タリー歴が浅 いにもかかわらず、家
RC)
I
イ
/,1)
.,′
藉Ⅲ
Ⅲ
厚生労働大臣表彰 の平成 19年 度「卓越 した技能者」 (現
代 の名 工)に 、道内か らただ一人広告美術 工の部 で選ばれ
たのが細川 さん。平成 17年 には全国技能士会連合会 の 最
高栄誉 である「 全技連 マイスター 」にも認定 されている。
8人 兄弟 の長男 として生まれた細川 さんは静内高校時代
か ら映画好 きで絵 も得意。地元 の映画館文化劇場 に入社 し
て映画看板の製作を手がけ、札幌や静内の広告会社 で腕を
磨 き、後に細川好弘広告 を創業 し以来 58年 。 この文化劇
場 の経営者が後 に 静内 RCの 創 屹会長になったのだか ら、
細川氏 がガバ ナーになる運命は この時 に決ま っていたのか
もしれない。
細川 さんは温和な性格で、駄 じゃれが好きで、酒を こよ
な く愛 し(一 番愛 しているのは奥さま)、 カラオケも上手で、
`
もちろん苦労人であ るか ら他人の面倒 もよ く見る。 %然 な
。
が ら信頼が厚 く、後輩 か らも慕われ、公職 も多い。民 生
児童委員 として北海道社会貢献賞を受賞。現在、観 光協会
会長、社会福祉法人静内ペ テカ リの理事長や業界 の要職 も
族的な付 き合いをいただいているだけの私に、前例を顧み
ず命 じられたの も櫻 │ガ バ ナー らしさの 一つ である。
「
北見東 RCは 昨年 50周 年 の節 目を迎 えた。30年 ぶ りの
務め ている。
ガバ ナー誕生 に全員でガバ ナーを支えるべ く燃 えている。
「′
いと心 笑顔 と笑顔 今、奉仕 のための行動を起 こそ
いつ も新 しい活気に満ちて いる。 この地 区の町村か らガバ
う」櫻田 ガバ ナーが提案す る地区方針 の もと、素晴 らしい
第
2500地 区 になるであろう。
高木
豊
職業分類 ―幼稚国 1936年 2月 26日 生。(学 )北 見竜谷学園理
事長。77年 北見東 RC大 会。地区国際奉仕委員長。 ロータリー
情報委11長 。米山委員会委員長。 PHF。 米山功労者。
7月 号
ナー を選出するのは初めてであ り、わが クラブ としても創
立 41年 に して初めての こと。総力 を挙げてバ ックア ップ
している。
北見東 RC
平成 24年
多 くの要職にあ りなが ら、 どれ も決 して手を抜 くことを
せず、金力で務める。ゆ えに細川 さんが手をかけた仕事 は
静内RC
山田 一 孝
職業分類 ―広告 1936年 3月 9日 生。 (株 )細 川好弘広告代表
取締役。72年 静内 RC大 会。地区新世代委員長。危機管理委員長。
MPHF。 米山功労者。
ロータ リーの友
21
I
GOVERNORSガ
バ ナ ー紹 介
″
″
おやじ がんばれ
気配 りと博学の人
第 2520地 区
第 2530地 区
お
の で らの り お
い とう
小野寺則雄 ガバナー
伊藤
ひろし
浩ガバナー
(郡 山西 北 RC)
(二 戸 RC)
昨年、 当地 は大震災に見舞われ、5月 の クラブ 50周 年
「詳 しい」人は
伊藤浩 さんほ どロー タリーが「好き」で、
式典 も内輪だけでの開催 とな り、実に寂 しい限 りではあっ
たが、小野寺君がガバ ナー ノミニー に推薦 されたのは大震
珍 しい。 今まで四十数回、地区内でゲス ト卓話を こな して
災 の少 し前。いまだ復興が進 まぬ中でのガバ ナー職 は、 ロ
韓国語が話せる野性味あふれる早稲田の OB。
いる。バ ランス感覚があ り、
「メモ魔」であ り、
英語、中国語、
いつ も笑顔で爽やかな会津出身の恒子夫人 と、海外旅行
ー タリアンとしての試練だ と思い、頑張 ってほ しい。
彼 とは小学校か ら高校 まで同 じ学 校 で学んだ仲。 別けて
も小学校 6年 間は同 じ学級。足が速 く、運動会では常に リ
レーの花形選手。当時 まだあった優等賞を 6年 間もらい続
けた数少ない一人。彼は ゴルフ も好む。 ドライバー はいつ
も満振 り。左に大 きくフ ックした球は時々 OBへ 。それゆ
え、右 の林 の方向 に打 つ 。隣 の コー スか らフ ックして見事
フェアウェー ヘ。そのパ ター ンを絶対崩 さない。何事に も
野寺
力を抜かない。そんな性格か ら付いたあだ名が 切 ヽ
に十数回出掛けた とい う愛妻家である。 ゴルフは一切や ら
ず、酒は弱い方。 しか し、宴会では必ず皆 さんに酒をつい
で回つて、あいさつ をする気配 りの人である。
心理学用語 のラポー ト (rapport・ 親和 関係 )は “
心の
ベ ル ト"と も言われる。伊藤 さんの心のベ ル トは魅力的で、
範囲が広 く、大変大 きい。それで友人、
知人がす こぶる多い。
伊藤 さんの口癖 “
私 の朋友 "を た くさん紹介 してもらった。
繊維問屋、(株 )竹 屋の社長である伊藤 さんは、ある とき
"。
高校卒業後、父 の 経営 す る会社 に 入社。当時、燃料 と言
えば薪、木炭。ガスはまだ一般家庭に普及 していなか った。
全社員に「今 日か ら私は禁煙する。私の喫煙を 日撃 したら、
そのガスに いち早 く目を付け、ガス・石油販売 に着手。実
と宣言 した と、私 の「禁煙事例 メモノー ト」 に書 いてある。
直な人柄 と相 まって業績を伸ば し、岩手県管 工業協会会長
約
就任後は、自社ばか りでな く、県内管 工 業 の教育に も尽力、
1人 1万 円、3人 な ら 3万 円、5人 な ら 5万 円を支払 う」
30年 前 の ことである。
さて、他 クラブ会員の伊藤評の 1つ は “
お とな"で 、垢己
その功績が認め られ昨年、
旭 日双光章 の叙勲 の栄 に輝 いた。
憶力抜群 の人"で ある。博学の堤防を越 えた、雑学 の領域
彼は車を運転 しない。例会 日には喜江夫人 の運転する車
の話 もまた、魅力 と思 う。私の 70年 の人生で最高 にお世
で、盛岡か ら二 戸 まで 2時 間 ほ どかけて通 って来 る。滅
多に欠席 しない優 良会員で もある。大震災か ら 1年 余 り、
復 旧は いまだなれ ど復興 に向けて着実 に 前進 している今、
“
おや じ"に 期待するところ、大 である。
二戸R⊂
THE ROTARY― NO― TOMO
日本 の 国家 財政 は昨年、約
41兆 円 の 赤 字増大。毎 日
1万 円札が約 1,123mず つ 積み 上が っての赤字増大。今、
福島県 も大変な時期、伊藤さんの指導力に期待する。
大林 征弘
職業分類 ―ガス燃料油販売 1941年 5月 18日 生。二戸ガス(株 )
監査役。82年 二戸 RC大 会。ガバナー補佐。PHF。 米山功労者。
22
話 になった 7人 の 中の 1人 が伊藤 さんである。
郡 山西 Jヒ
職業分類 ―衣料 品販売
RC
平 田文 男
1941年 3月 27口 生。 (株 )竹 岸代表取
締役社長。 77年 郡山西北 RC創 立会 員。分区代理。地 区拡大委
員長。 R財 団委員長。研修委員。 メジャー ドナー。米山功労者。
2012 VOL.60 NO.7
ガバ ナ ー紹 介
GOVERNORS
│{f〕
TARY CLUB
目指 せ ロー タ リーの栄光
泰然 たるガバ ナーヘ
第 25401也 区
たま き
玉木
(秋 田西
おさむ
ガバナー
修 ガバナー
RC)
16年 前 に当クラブは誕生 した。その誕生時、創立会 員
の間 では、「17年 後、 ガバ ナー を選出す る順番が うちのク
鈴木宏君 の「ロー タリー」 に対す る思い入れ の深 さ、愛
着は一筋縄 でな く、 これ まで重ねた学 び と、それに基づ く
ラブにplっ て くるらしいよ。誰 がなるんだろうね」 と、 ヒ
ソヒソと話 している声が聞 こえていたものである。
理論構成 の重厚 さは、恐 らく並み居 るロー タリアンの 中で
も、その右に並び得 る者は決 して多 くはないであろう。
そ して今回、当クラブか ら玉木修 さんが推薦された。 当
地区と しては珍 しく時間を掛けず、 自然 に誕生 した。そ し
昨年、突発 した未曽有の大震災 は、その被災地はもち ろ
ん、わが国の政財界、全 ての国家機構 に甚大な損傷 をもた
て当クラブか らも、地区財務委員長、地区会計長、地区正
副幹事 が自然に決 ま り、静か にガバ ナーエ レク ト年度が ス
の 的 になっている。 この危急存亡 の秋、選 ばれた職業人 の
らした。その状況か らの速やかな復興 は、今や国際的注視
ク ト事務所付 きのス タッフ となった。
集団 として既にその存在 が認め られ、さらに国家社会、 そ
して国際社会へ の奉仕を、綱領、 主張 として掲げる「ロー
玉木 さんは 2005年 に秋田市歯科医師会 会長 に就任 し、
玉木歯科医院院長 として、また剣道 (5段 )、 マラソン大会
タリー」 とい う組織 に寄せ られ る期待は極めて大 きいもの
がある と言 えよ う。 この時期 に「ロー タリー」を熟知 し、
出場 と、スポー ツ好 きな歯科医師 として、幅広 い分野 で活
愛 し、そのあるべ き理想像を 十三 分 に認識 し、意欲満 々た
る鈴木宏君を この地 区の「統括者、先達Jと して迎える こ
とは、誠に時宜を得たるもの と思 う。願わ くば、衆望の期
ター トした。 当クラブは 13人 の会員であ り、全員が エ レ
躍 している。
玉木 さんの好きな作家 は nJ馬 遼太郎 との こと。また、座
「強 いて 言うと、『コツコツ生きる』」だ
右 の銘 は特にな し、
そ うだ。
待 に沿 うべ く、「ロー タリー」 の存在意義 を証す るに足 る
着実な実践行動 の展 開を期待 するものである。
先 日の地 区協議会 でのス ピーチの最後 に 「地区のために
歩 き出 してみますJと 締め くくっていた。 自分 のためでも
この度、創 立後、四半世紀を越 してほ どない若いわが ク
ラブか ら再び、名誉あ る第 2550地 区のガバ ナー を輩出す
な く、当クラブのためで もな く、地区のためにもう歩 き出
している姿がそ こにはあ った。 がんばってほ しい。
る機会が与 えられた ことを感謝す るとともに、小 さいクラ
ブなが ら、尽 くし得 る「英知Jと 「行動力」 の全てを傾倒
時 の求める ところに従 い、 自分 の力量 を もって事に当た
る、が玉木 さんの心情なのだろう、泰然たるガバナーが こ
し、鈴木宏君のガバ ナー としてのあ りようを援護 し、地区
の発展のために尽力させて いただ くべ く、 クラブ会員一 同
こに誕生す ることとなった。
している。
え、
秋 田西
RC
高 橋 省 一
職業分類 ―歯科医師 1946年 7月 2日 生。 (医 )玉 木歯科医院
院長。96年 秋田西 RC創 立会員。地区米山記念奨学会委員長。
PHF。 米山功労者。
平成 24年
7月 号
宇都宮北RC 五味渕昭夫
職業分類 ―泌尿器科医 1952年 6月 15日 生。鈴木皮フ泌尿科
クリニ ック院長。91年 宇都宮北 RC入 会。ガバナー補佐。地区
クラブ奉仕委員長。メジャー ドナー。米山功労者。
ロータ リーの友
23
GOVERNORSガ
バ ナ ー紹 介
いよいよ登場
か くれた人材、
信 思 と行動 の人
﹄
士
冒
第 2560地 区
第 25701也 区
埼玉西Jヒ
すず き ひでの リ
鈴木秀憲ガバナー
ガバ ナー
(吹 上
│〉
`
RC)
いつかはガバ ナー 、 と周 りが認め、歴代 パ ス トガバ ナー
小説『 のぼ うの城』 で有名な行田市生 まれ。鈴木ガバ ナ
か らも推薦される人。その人が鈴木重壱 ガバ ナー です。彼
ー は吹上 RC創 立会 員であ り、 クラブ生 え抜 きの ロー タ
はいつ も元気がよ く、誰にでも明る く接 し、初めて会 う人
リア ンである。吹上 RCは 、行 田 RCの 子クラブ として
にはこまやかな配慮で人を和 ませて くれます。
1979年 に創立。特別代表である鈴木金治郎氏 こそ、鈴木
私 の会長年度 の半ばが過 ぎた ころ、長岡 RCに ガバ ナー
選出の要請が来 ました。そ こで、歴代会長経験者、理事 に
ガバ ナーの父である。 当時、金治郎氏は大変熱心な ロー タ
リアンであった。
集 まっていただき、数回話 し合 いを持ちました。 この集 ま
さぞか し鈴木 ガバ ナー も筋金入 りの ロー タリアンか と思
りの中で、ある長老か ら鈴木重壱氏が候補者 として挙げ ら
いきや 、ロー タリーの場面では、日立 たないよ うに振 る舞
れ ました。
っていたように見 えた。そのス タンスは変わ らず、第 一 線
そ こで、理事や何人か の会員が鈴木氏へ の要請 に 当た り
か ら少 し引いているように感 じられたが、それ とて決 して
ましたが、固辞 し続けで した。 しか し、その長老の指名が
不勉強で も非協力的で もな く、自分で立ち上げた事業の発
遺言 となって しまいました。何度 もの要請で「会員の意思
展や、業界 の全 国団体あるいは地域 の各種団体での活躍な
であれば」 とい う こと、 また、その長老の言葉は重い、 と
どで多 用だ ったか らだ。特 に、行田商 工会議所会頭 の時は、
い うことを しみ じみ と言い、引き受ける ことにな りました。
地域活性化のオ ピニ オンリー ダー として大活躍。その実行
彼 は持 ち前の責任感 と信念、 自身 の しっか りとした考 え
の もとに意欲的に取 り組み ます。良い意見があれば、 こだ
力 と責任感の強 さは、誰もが認めるところである。
わることな くす ぐに取 り入れて事を進めます。このために、
この度、 これ までの経験 と能力、加 えてその人格 に 自羽
の矢が立ち、ガバ ナ ー とい う大役を担 うことになったが 、
周 りのスタッフは大変か もしれません。
業界や地域での実績か ら察するに、 自然 の流れ と言えるの
鈴木氏 のお嬢 さまは結婚前、 ロー ター ア クター で した。
その式典があ った時、「尊敬す る両親が、いつ もラブラブ
ではないだろうか。 どちらか とい うと理科系で、歯車 と歯
です」 と発言 したことが思い出され ます。その時、その場
車が狂 いな くピタッと合わな い と気が済 まない性格だが、
ガバ ナー としては少 し文科系に、少 しファジー に、 リラッ
が和やかにな り、
家族 の雰囲気が伝わ って くるようで した。
クス してや っていただけるとよろしいのではないか と思 っ
鈴木氏 ご 自身 も出席 してお り、ニコニコ顔。夫婦仲がよ く、
家族愛 に満ちた、やる気十分 のガバ ナー です。
ている。 1年 間の 活躍を期待 し、 クラプを挙げて応援 して
長岡RC 外山範茂
職業分類 ―造国業 1950年 11月 8日 生。 (株 )鈴 木造園代表
取締役。91年 長岡 RC人 会。地区 IA委 員長。社会奉仕委員長 (災
害復興対策委員長)。 MPHF。 米山功労者。
24
THE ROTARY‐
NO―
TOMO
い くつ もりである。
吹上RC 馬橋亜男
職業分類 ―旅客運輸業 1942年 4月 17日 生。 (株 )協 同バ ス
代表取締役会長。79年 吹上 RC創 立会員。地区委員長。ガバナ
ー補佐。MPHF。 ベ ネファクター。米山功労者。
2012 VOL.60 NO.7
ガバ ナ ー 紹 介
GOVERNORS
情熱 を燃やせる人
第 2790'也 区
とく い
得居
ひとし
仁 ガバナー
(松戸東 RC)
田中徳尚さんは、3代 続 くロー タリア ンである。祖父・
徳兵衛氏 は川 口 RCの 創立会員。父 。徳兵衛氏 は 16代 会
1995-96年 度 に私 がガバ ナーを務 めさせていただい
てか ら 17年 目に、わが松戸東 RCか ら 2人 目のガバ ナー
長、本人 は 50代 会長である。 それだけではない。父上 は
1985-86年 度ガバナー で本人が この度 ガバ ナー になる。
が選出され ました。得居仁 さんがその人です。
彼 の存在 が 当地 区 の パ ス トガ バ ナ ーの 方 々の 目に留 ま
2770地 区では親子 ガバ ナーの誕生 は初めてである。
り、ノミネー トする ことを説得す るように、 と要望されま
した。本人は現役弁護 士 として第一 線 で活躍 していて、果
第
田中家 の血 筋 にはロー タリーの精神 が伝わつている。父・
徳兵衛氏 は、アジア初の ロー タリー財団冠名奨学金基金の
設立 を果た している。本人 も、 ロー タリー財団ベ ネフアク
ター、大口寄付者で米山功労者
(メ
ジャー ドナー)。 いつ
も寄付 と社会奉仕の両輪で考 え実践す る人なのだ。
学生時代 は青少年プ ロ グラム に参加 し、アメリカにホー
ムステイ。若き日か らロー タリーの世界観 も身に付けてい
運動 と運営のセ ンスもいい。
る。 もちろん勉強家でもあ り、
バ ナーになる。活動方
してのガ
そんな田中さんが満 を持
針 は「Discover the Rotaryロ ー タリーですば らしい 出会
いを」。田中さん はロー タ リー で教わ り、出会 い、成長 し、
今 日がある人。彼 らしい素直な気持 ちだ。ぜひ頑張 ってほ
応援 よろしく。
しい。奥さまの州子 さん、ご子息 の徳明さん、
わが第
2770地 区 にはもう一 人田中さんがいる。みんな
が尊敬する田中作次 RI会 長だ。つ ま り私たちは田中作次
さんの薫陶を受けなが ら育 った ロー タリア ンなのである。
た して受 けて くれ るか どうか確信 は持てませんで したが、
4回 ほ ど面談 しま した。その結果、彼は決断 を し、 ノミネ
ー トに応 じる旨の了解を して くれ ました。
国際協議会 か ら帰国 した際、迎えに行 き、帰路 の車中で
感想を聞 いた ところ、「頭 の 中で整理 がついていない」 と
の ことで した。 日 ごろ、熱心 にロー タリー を学んできた得
居 さんに して、国際協議会で得た指導 と情報に関 して、頭
の 中で簡単 に整理ができない との言葉の裏側には、得居 さ
んが研鑽 し、抱いているロー タリー観 との間に違和感を持
ってきたのでは、 と気掛か りに感 じられた ところで した。
得居さんは法律家 として原理、原則 についてはもとよ り、
厳格な姿勢 を持 って臨む人で、 ロー タリーにあってもその
見解は変わる ところではあ りません。
ガバ ナーに就任 し、 ロー タリーの ために自らが信 じられ
る常道を歩み、地区、 クラブ、会員のために良き指導者 と
して献身する ことを期待 されるところは大で、地区の北極
この素晴 らしき地 区 の 素晴 らしき人 々が、2012-13
年度、 どうロー タリー と取 り組むか。田中徳 尚ガバ ナーの
星 として輝 いていただきたい と願 うところであ り、 エール
もと、素晴 らしき年度 になるように頑張 っていきたい。
を送 るものであ ります。
l旧 RC 小林玖仁男
り
松戸東RC 石井亮太郎
職業分類 ―自動車販売 1952年 4月 20日 生 セントラル自動車
技研 (株 )代 表取締役社長。92年 川口 RC入 会。ガバナー補佐。奨学
メジャー ドナー。
米山功労者。
金のためのグローバル補助金冠名基金。
職業分類 ―弁護± 1944年 9月 14日 生。得居法律事務所弁護
士。88年 松戸東 RC入 会。地区世界平和 フェローシップカウン
セラー。ガバナー補佐。MPHF。 ベ ネファクター。米山功労者。
平成 24年
7月 号
ロータ リーの友
25
GOVERNORSガ
バ ナ ー紹 介
奉仕 の心 を広げるため に
第
わ
2800地 区
だ
「気 さ く」なガバ ナー
第
ひろし
2820地 区
の ぼり き さく
野堀喜作ガバナー
和田 廣ガバナー
(南 陽東 RC)
(つ
和田廣 ガバ ナー は、 1989年 に創立 した南陽東 RCの 創
くば学園 RC)
立会員です。入会後は幹事 としての役割に励み、 クラブを
「収穫祭」に 「天高 く馬肥ゆる秋を楽 しむ会」、「冬 の会」
があれば「夏の会」 もある。「小 さな忘年会」や 「秘蔵酒
大 き く育て上げま した。地域の行事やスポーツ少年団 の結
を楽 しむ会」もある。「Aさ んを 囲む会」や「小 さい会」な ど、
成な ど、青少年の育成にも大いに力を注 ぎました。
本人 もスポー ツマンで、長年 バ スケ ッ トボールを続けて
とにか く「○○会」 と名前をつけて人の集 まる会を しょっ
ちゅう主催 している。大病院の院長や研究所の研究員、大
お り、企業経営の傍 ら、地元中学のスポー ツ少年団の コー
学 の学長 に警察署 の署長 さん、学校の先生やお坊 さん、 も
チ として何年 も携わ り、後進 の指導 に当たってきました。
ちろん普通のサラリーマン もいる。時には十数人、時には
そ うい う意味で も大変忙 しい方なのですが、人に頼 まれ
数百人 と、人々が集 まって くる。人が好きで、お酒が好 き
ると嫌 とは言えない気弱
(?)な 性格を持ち合わせていま
す。だいぶ前ですが、わが市の首長を 目指 して挑戦 した時
は周 りがあっと驚 きました。そんなご主人を員理子夫人が
陰で支え続けています。本 当に、全てにお いて全 力でぶつ
で、その人たち との語 らいが最 も好 きらしい。
毎回の 開催案内に記 される奥 さまへ の言 い訳が、いつ も
楽 しくほほ笑 ま しい。控 えめで しっか り者の敏子夫人を、
とても愛 している様子が うかがえる。先 日行われた会では、
「こん なに頻繁 に会を行 っているのに、ロー タリーの ガバ
かる和田ガバ ナー です。
クラブで、地区で要職を こな し、機会あるごとに格調高
ナー とや らを してい る時間が作れ るのか」「私 たちの大切
いスピーチで周 りの人を魅了 しています。そ して最近では、
な飲み会の機会を減 らさな いで くれ」 との意見がた くさん
その真価が徐 々に認め られつつ あ ります。
国際協議会では多 くのガバ ナーエ レク トと縁を結び、一
出た。だが、 いまだにその 回数が減 った様子はない。
奉仕を
回 り大 き くな って 帰国 しました。「 RIの テ ーマ “
"に
はいろいろな意味が込め られて いる。 こ
通 じて平和を
職業分類 は造園業だが、人材派遣や建築、 リフォーム、
ビル メンテナンス、土木施工管理 と幅広 い。素晴 らしいの
は一度会 った人物を忘れな い記憶力だろ う。会に参加する
れを十分に理解 し、活発に意見の交換を して活気あるクラ
ブに していかなければならない」 とガバ ナーは言っていま
数百人 とその奥さまやお子 さんまで、名前 と顔 と特徴を記
す。南陽東 RCと
人 日となる和田廣 ガバ ナー に、精 いっぱいの支援を してい
間 に魅 力を感 じ、長年 の友人のように親 しみを感 じさせる
人物、野堀喜作 ガバ ナー は、名前 と同 じでそんな「気さ く」
きたいと思います。
なガバ ナー である。
しては、佐藤忠宏 パ ス トガバ ナー以来 2
南陽東RC 菊地泰雄
職業分類 ―厨房器具製造 1951年 7月 23日 生。 (株 )三 陽製作
所代表取締役。89年 南陽束 RC創 立会員。ガバナー補佐。地区
職業奉仕大委員長。MPHF。 ベネフアクター。米山功労者。
26
THE ROTARY‐
NO―
TOMO
憶 して しまう能力 には並ぶ者がいない。そ して出会 った瞬
つ くば 学 園
RC
齊 藤 修 一
職業分類 ―造園 1949年 1月 1日 生。 (株 )ツ クバ計画代表取締
役。 90年 つ くば学園 RC入 会。 GSEチ ーム リー ダー。 ガバ ナ
ー補佐。 MPHF。 ベ ネフアクター 。米山功労者。
2012 VOL.60 NO.7
GOVERNORS
ガバ ナ ー 紹 介
米山のお母 さん
不思議 な縁
第 2830地 区
第 2840'也 区
ひ き た ひ ろゆき
ま つ も とや す こ
疋田博之 ガバナー
松本康子 ガバナー
(青 森中央 RC)
第
(桐 生
2830地 区初 の女性 ガバナー が誕生 しました。松本康
・ V
υ
RC)
疋田ガバナーは、両親、奥さま、そ して 2人 の息子 さ
子 ガバ ナー は、「ロー タリーは楽 しくなければ」 とい う精
神で今 まで ロー タリー活動を実践。特 に米山記念奨学委員
んを含む、代々の医師フアミリーであ ります。
会で は長年にわた り活躍、奨学生を、優 しく、時には厳 し
く指導 し、米山学友会 の創設 にも尽力 しました。
に地域診療をは じめ、県では学校保健、小児保健 の分野で
の発展 に寄与 しました。 この間 に学んだ知識、経験を生 か
趣味 は多彩で、 日本舞踊、生け花、お茶 とそれぞれ師範
代 の力量です。奨学 生が例会に出席する折 に触れて日本の
し母親教室を主催 してお り、今 の若 い母親 に とっては、 と
て も頼 りになる先 生 であ ります。先 生の 100歳 になる母
心を少 しで も理解 してもらお うと、その特技 の一つ 、生け
花を指導。 また、 ロータリーのさまざまな活動で奨学生が
上は、私が子 どもの ころ、生死 をさまよった時 に救 ってい
楽 しく参加できるよう心遣 いす ることか ら、米山記念奨学
生か ら親 しみ と感謝の気持ちを込めて、「米山のお母 さん」
と呼ばれるようにな りました。
行動力 は、並外れ とで も言 い ま しょうか。疲れを知 ら
ないかのように、地区内 どこへ でも電車、 バ ス、タクシー
な どを乗 り継 いで出かけていきます。多少高齢 なので心配
で もあ ります。
所属 の青森 中央 RCは 、会 員数が かな り少 な い クラブ
ではあ りますが、分区内の会長、幹事 をは じめ会員全員の
25年 間大学病院 で勤務 した後、地元に戻 り両親 ととも
ただいた、命 の恩人です。
私 のい とこで、 2004-05年 度 にガバ ナ ーを務 めた山
崎學 と彼は医学部が一緒 で、現在 も友人 として、またガバ
ナー経験者 として親交があ り、私が会長時、 ガバ ナー選出
委員長 として全会員一致で推薦 させていただきました。
趣味 の 写真 は、 フ ィルム写真 の 時代 か ら父上 と一 緒 に
国内旅行 を して撮影、現像、引き伸 ば しを楽 しんで います。
思 い 出の写真、アルバ ムは山のように保存 されているそ う
です。 8年 前 にお孫 さんが生 まれてか らは、4人 のお孫 さ
絶大な る支援の もと、東京生 まれではあ りますが、津軽弁
んたちをデジタルカメラで撮 りま くっていましたが、最近
はそのお孫 さんたちにカメラを向 ける と逃 げ られ て しま
を駆使 しなが ら熱弁を振 るってお ります。
地 区 日標 として 「On the Wind of Peace(平 和 の 風 に
う、 とばや いてお ります。最近会 う機会が減 つて寂 しい思
いを している様子ですが、その分、患者 さん として来院す
乗 って)」 を提唱 し、「クラプのサポー トと強化」をする こ
とで、平和の風を呼ぶ、活気あ る楽 しい ロー タリー活動 の
る子 どもに話 しかけた り、話を聞 くことが楽 しい らしく、
根 っか らの子 ども好 き。その時 の先生 の 目は、少年 のごと
展開 に期待 してお ります。
く輝 いてお り、穏やかな表情 が印象的であ ります。
青森中央 RC
野 呂
潤
職業分類 ―メディカルサー ビス 1933年 3月 5日 生。 (有 )丸 香
松本取締役。98年 青森中央 RC入 会。地区会員増強委員長。米
山記念奨学委員長。MPHF。 メジャー ドナー。米山功労者。
平成 24年
7月 号
桐
生
RC
山
崎
一
順
職業分類 ―小児科医 1942年 1月 2日 生。ひきた小児科 クリニ
ック院長。84年 桐生 RC入 会。地区 こども奉仕委員長。社会奉
仕委員長。MPHF。 米山功労者。
ロータリーの友
27
GOVERNORSガ
バ ナ ー紹 介
ごつい顔 立ちの優 しい人
第 2580地 区
東京
EX⊂ ITEな 地区 に期待
第 25901也 区
つゆ き ゆう じ
い しかわ まさ か ず
露木雄 ニ ガバナー
石川 正 ― ガバナー
(横 浜瀬谷 RC)
『ヨ:25R C)
(刀
那覇西 RCは 、創立 50周 年を迎 えま した。 この記念す
べ き年度に、3人 日のガバ ナー として、石川 さんを送 り出
わがクラブの創立会員であ り初代会長、露木五郎氏の二
男 として 1989年 1月 に入会以来、皆出席を続け 24年 目
情熱をささげ ています。現在では、商業実務分野をは じめ、
259地 区 として
一つの地区で したが、現在の第 2590地 区 と第 2780地 区
の 2つ の 地区 に分かれ る前の年度 であ り、その年の韓 国
歯科衛生士、調理師、製菓衛生士、美容師、理容師な ど幅
での国際大会にも一緒に参加 しました。
す ことができました。業界人 として、彼は若いころか ら人
材育成 の道を歩み、学校法人 の理事長 として、職業教育に
広 い分野 の職業実践教育 に専念 しています。
にな ります。人会年時は、神奈川県が第
2001-02年 度 に クラブ会長、 GSE団 長、 ガバ ナー
ロー タリーで も、クラブや地区で重要なポジシ ョンを歴
補佐をは じめ地 区の 多 くの委員長を経験 し、それ以降 も地
任 し、本 クラブがスポンサ ー クラブで 2010年 に創立 した
区内外 の行事 に参加。多 くの経験 と知識を集め、着実にガ
バ ナー 年度 に向けて多 くの ロー タリアン仲間 とコ ミュニ ケ
那覇北 RCの 特別代表 としての重責 も果た しています。
さらに、業界団体の役員 としても多大な経歴があ り、全
ー シ ョンを持 ち実践に移そ うとしてお り、謙虚で前向きな
国商 工会議所青年部連合会会長や全国経理教育協会副理事
人柄です。 3人 のお嬢 さんに恵 まれ、上のお 二人は結婚 さ
長を歴任するな ど、数 々の実績を残 しています。現在 も那
れお孫 さんも女の子 と女系の家系で したが、待望の男の子
覇商 工会議所副会頭、沖縄県経営者協会副会長な ど経 済団
が誕生 しました。現在は、末 っ子 のお嬢 さん と真実子夫人
体でも活躍 しています。
の 3人 で温かな明るい家庭を築いています。
このよ うな活躍 と自信が、今回のガバ ナー を引き受ける
シ ョッピングモールのオー ナー でもあ り、 もう少 しでシ
要因 になったのだ と思います。米子夫人 も会員の配偶者が
集 うファミリー会 に参加するな ど、 ロー タリー活動 の 良き
ングルハ ンデ ィとなる趣味の ゴルフ も「しば らく休養」か
理解者であ ります。
バ ナー年度を楽 しんで もらいたい と思います。
もしれ ませんが、朝のジ ョギ ングはこれか らも続けて、ガ
を受 け ますが、根 は優 しく情 の 厚 い 人。青少年交換学生 の
今年度 は、 日本人 3人 日とな る RI会 長誕生、オ リン
ピックイヤー 、世界主要国の トップが入れ替わる年度。東
ホームステイや、米山記念奨学生のカウンセラー な ど青少
日本大震 災か らまだ 1年 余 りを経過 す る年度 で もあ り、
年 の面倒見 もよ く、その育成にも熱心。持 ち前の行動力で、
記憶 に残 る年度になると思われ ます。共通の 目標 と認識を
重責を十分に果た して くれるもの と期待 しています。
持 って 、楽 しみなが ら手助けを していこうと思います。
彼は、身長 も高 くごつい顔立ちで一 見、近寄 り難い印象
那覇西RC 豊村良春
職業分類 ―専門学校 1944年 10月 14日 生。 (学 )石 川学園理
事長。83年 那覇西 RC入 会。地区幹事。ガバナー補佐。 PHF。
ベネファクター。米山功労者。
28
THE ROTARY― NO― TOMO
横浜瀬谷 RC
市村茂夫
職業分類 ―不動産賃貸 1948年 2月 10H生 。 (株 )ハ ミングス
代表取締役。89年 横浜瀬谷 RC入 会。ガバナー補佐。地区 R財
団委員長。国際奉仕委員長。GSE団 長。MPHF。 米山功労者。
2012 VOL.60 NO.7
ガバ ナ ー 紹 介
GOVERNORS
武闘派 ガバ ナ ー誕生
スーパーマンのような人
第 2600'也 区
第 2610地 区
しま だ
か
し
なか お てつ お
お
中尾哲雄 ガバナー
島田甲子雄 ガバナー
RC)
(上 田 RC)
(富 山西
「激励を受ける度 に気が重 くな りますJ「 旅立つ といって
も、冥土へ ではあ りません ……」。今年 1月 7日 に行われ
筆墨鮮や かな巻 き紙が、私 の 手元 にある。達筆である。
彼 は文章を書 くこと、話す こと、歌 うことが うま く三拍子
たガバ ナーエ レク ト壮行会での 島田 さんのあいさつの一 こ
まです。気負わず、またユーモ アも交 えた、島田さん らし
そろって いる。家族 を愛する心が強 く、立山連峰を仰 ぎ、
い言葉 で した。場内には明るい笑 いの渦 ができていました。
一 見お とな しい方の ように思われ ますで しょ ? しか し、
だまされてはいけません 、本 当は武闘派なのです。
わが上 田 RCは 当地 区で 4番 目に創 立、 2009年 に 50
周年を迎 えた 古参 クラブなのですが、今 までガバ ナーを 出
す ことができませんで した。先輩方 はガバ ナー候補推薦 の
ため、地区指名委員 の指導を得 て、幾度 とな く尽力 してま
日本海 を望む故郷 を こよな く愛 している。彼の歌 う唱歌
「故郷」は、心が こもっていて何 ともいえぬ味がある。
中尾 ガバ ナーは、 日本 の情報産業 の大手 である (株 )イ ン
テ ックグル ー プの代表であ り、富山県経済同友会代表幹事
ほか富山県公安委員長な どを歴任する、富山県を代表す る
経済人 の一人である。知識が豊富で、それを生かす知恵に
満ちているので、 日常 の会話か ら教 えられることが多 くあ
い りましたが、推薦 に至 りませんで した。ですか ら今回の
る。彼 と私は 40年 来 の友人で もあ り、師 とも思 える人で
ある。若か りし頃、湖上でス ピー ドのあるモー ターボー ト
島田 ガバ ナー は、上田 RCと しても地区 としても本 当に待
ちに待 った、待望のガバナー なのです。
に乗 ったことがあった。その時「降ろ して くれ」と叫ばれ、
びっくりして笑 った ことがあ り、彼の別 の一 面を見 て、よ
大学時代 は日本拳法部で活躍、数々の武勇伝 もあるので
すが、残念なが ら誌面の都合で割愛 いた します。趣味の能
り親 しみを覚えた。
では、 2010年 に宝生 能楽堂 の大舞台 で能 「橋弁慶」 を演
じたほ どの腕前、文武両道に精通 しています。
島田家 は上田の材木商の総元締めで、そ の屋敷は最高
の木材をふ んだんに使 った日本家屋。数々の映画 のロケに
も使われて います。
母校 の青山学院大学 は、 日本 のロー タリーの父 「米山梅
吉翁」ゆか りの学舎です。米山翁 の流れ を くむ ロー タリー
精神 で、地区を導 いて くれる ことで しょう。
上田RC 木村文厚
職業分類 ―不動産賃貸 1948年 7月 11日 生。 (資 )島 田屋代表
社員。88年 上田 RC入 会。地区資金委員。ガバナー補佐。MPHF。
米山功労者。
平成 24年
7月 号
世 の 中は変化 の激 しい状況になっているが、そ の時その
場で、た くましく、よりよ く生きて いるのが彼である。仕事
を通 して地域に役立つ ことを実践 し、ロー タリーの職業奉
「変化 とは どのようなものなの
仕に徹 しているように思 う。
か」を常 に語 りかけ、私 たちも学ぶ ことが 多 い。超多忙な
日が続 いているが、少 しは体 を休めてほ しい。今 まで経済
今以 上に ロー
界 に数 えきれぬ尽力を している。これか らは、
タ リーに情熱 を向けて くれ る と信 じ、今年度創 立 40周 年
応援する態勢 が整 っている。
を迎 える富山西 RC会 員一 同、
富山西RC 山口輝男
職業分類 ―情報 システム 1936年 4月 2日 生。 (株 )イ ンテック
代表取締役会長。73年 富山西 RC入 会。MPHF。 米山功労者。
ロータ リーの友
29
GOVERNORSガ
バ ナ ー紹介
最古 に して最新たれ
情熱とスピール ーな行動カ
第 2620'也 区
第 2630地 区
たか の まご ざ
山梨
え もん
む らは し
高野孫左 ヱ 門ガバナー ri
村橋
(甲 府 RC)
(本 巣 RC)
高野ガバ ナー は 「 18代 孫左 ヱ 門」。 とはいって も、歌舞
伎役者、落語家 ではあ りません。山梨 で 444年 続 く商家
は じめ
元ガバナー
2008-09年 度、彼は当地区岐阜西濃分 区のガバ ナー
補佐であ った。その年度 の RIテ ーマ は「夢をかたちに」。
1568(永
ガバ ナ ー 補佐 に選 ばれ就任す る前、彼 は分 区内 の クラ
11)年 、初代塩屋孫左衛門 が越後の上杉謙信か ら武田
プの過去の成功例を調 べ た。会員が 20人 に満たない岐阜
領内 に義塩を運んだ功績で、信玄公か ら甲州金に刻 まれた
「吉」 の字を屋号 として贈 られた ことです。
淡墨 RCが 、「ネパールに女子小学校を新築 していること
社是 「最古に して最新たれ」に従い、塩、 日本初 の石油
か ら 240人 へ と急増 して困 つている ことを知 って、す ぐ
販売特約店 としての油、今では自動車、太陽光発電 システ
ムな ど、時代が求める商品を扱 っています。高野 ガバ ナー
に増築支援を思い立ち、まず分区内の 10ク ラブに連名で
いわ く「 18代 日とい う区間を走 る駅伝ランナー」 として、
いた
商売を通 し社会に貢献 し続けようと、奮闘 しています。
か らの資金の捻出、WCSの 補助金、岐阜淡墨 RCの 周年
祖父 の 16代 、尊父で 17代 の本男氏 ともに甲府 RC会 員
で、 17代 は 1982-83年 度 ガバ ナー も務め、 ロー タリー
記念積立金か らの支援 も得て資金を確保。 NPO法 人 ミラ
ンクラブジャパ ンに増築資金を提供 し、彼がガバ ナー補佐
精神 も継承 してい ます。私 の祖父が クラブ会長時 に 17代
が幹事、18代 が会長時には私が幹事を任 され、ついに今年
の年度内 に、増築 した校舎を完成させた。竣工式には分区
度は地区幹事を仰 せつかる事態になって しまいました。
李東建 RI会 長 (当 時)の 強調 していた識字率向上に貢献
した喜びを共に した。その年度のガバ ナー だった私は、そ
「吉字屋」 の 当主を襲名 したのです。始 ま りは
禄
ワインや料理、音楽、茶道、絵画な どに精通 し、博識多
才は誰 もが認めます。最大の魅力は、温厚 さ、面倒見の良
に、感動 した
!」
。 同時 に、そ の 小学校 の 児童数 が 70人
プ ロジェク トを立ち上げるよう働 きかけた。慣行になって
IMの 懇親会での コンパニオ ン接待をやめ、各 クラブ
内クラブの会員、家族 と現地に駆けつけ、国際親善、 また
のスピーディーな行動 とリー ダーシ ップに驚いた。
さといった人間性です。 2男 1女 の良き父親、まゆ美夫人
彼 は クラプの亡 き先 輩 か ら贈 られ た、『This Rotarian
とは琴意相和すで理想的な家庭です。時には友人を招 いて
Age(ロ ー タリーの理想 と友愛 )』 (ポ ー ル・ハ リス著 。米
山梅吉訳 )の 愛読者。国際大会 には 13回 参加 してい る。
ホームパーテ ィー を開き、 自ら料理を振 る舞 うことも。
甲府 RCか ら 21年 ぶ り 6人 目のガバ ナー輩出です。同
期 ガバ ナーでは最年少、持 ち前の柔軟な発想、フットワー
彼が千恵子夫人 の 内助 の功を得て、ガバ ナーの任務を全 う
する ことを確信 している。
クが発揮できるよう、 クラブを挙げて応援 していきます。
甲
府
RC
野
口
一
英
職業分類 ―石油販売 1956年 7月 22日 生。 (株 )吉 字屋本店代
表取締役社長。88年 甲府 RC入 会。地区 R財 団委員長。MPHF。
ベネフアクター。米山功労者。
THE ROTARY―
NO―
TOMO
岐阜RC 由良 久
職業分類 ―測量 コンサルタン ト 1943年 6月 28日 生。 (株 )
ユニオン代表取締役。78年 本巣 RC入 会。ガバナー補佐。地区
拡大増強委員。MPHF。 ベネフアクター。米山功労者。
2012 VOL.60 NO.7
ガバ ナ ー 紹 介
GOVERNORS
ロータ リアンの熱 い情熱
豊かな発想 と情熱の人
第 2750地 区
第 27601也 区
さ
く
ま たかもと
東京
北マ リアナ諸島
ネ
佐久間崇源ガバナー 員
ζ
早i争
(東 京 目黒
RC)
ィ
せん だ
i
千田
(名 古屋東
つよし
毅 ガバナー
籍
RC)
=`
けは忘れたことがないようです。多 くの ロー タリアン先 輩
54年 を迎 える名 占屋東 RCで は、41年 ぶ りに 2
バ ナー誕生です。名古屋東 RCで は、4人 の創 立
のガ
人目
会員をは じめ としてクラブ会員全員 で、千田さんをガバ ナ
諸氏 に恵 まれた今 日までの人
ー として自信を もって推薦いた しま した。
佐久間さんは、 1977年 1月 6日 、当クラブヘ入会 しま
した。最愛 の奥 さまの誕生 日と偶然 重な り、毎年入会 日だ
験 と、本人の人間形成に
`L経
との触れ合 いで語 り
多大な影響を受けた ことを、彼は仲間
創立
名 古屋 市郊外 にある扶桑町で、医者 の 5人 兄弟 の三 男
ます。
として生 まれた彼は、
本人を除 いて兄弟は全員お医者さん。
当クラブか らは、故・ 清家清 パ ス トガバ ナー以来 29年
ぶ りのガバ ナー誕生。本人に とっても大変名誉な ことで あ
今では 自身 のお子 さま 2人 を含めて、21人 がお医者さん
とい う、医者 一族であ ります。本人は、家族全員が医者ば
り、 クラブに とっても光栄な ことであ ります。
か りでは、 とい う反骨精神 と、叔父 Lが 実業界で活躍され
佐久間ガバ ナ ー は大学在学 中、父上が他界 され た こと
ていた こともあ り、医学の道には進 まず、実業の道に入 っ
で若 くして企業オー ナー とな り、激動の時代を経て今 日に
た と聞いてお ります。そんな家庭環境か らか、特に国内外
至 っています。 また、長 きにわた リロー タ リーに研鑽を積
を問わず 子どもたちの教育、健康には強 い関心を持 ってい
ます。ガバ ナー就任後 も、その方面での活躍を期待 してお
み、経営者 とロー タリアンを両立 してきた努力家です。
彼 は大変穏やかですが、 どうして どうして。強 い意志
と頑固 さを持 ち合わせてお り、彼の成 し遂 げている「35
ります。
数年 前までは、 自身 で操縦押 を握 るオ ー ナ ーパ イ ロ ッ
年余」 の輝か しき皆出席 は、 ロー タリアンの手本であ り、
トとして、 日本国内だけでな く海外 までも飛んでいたそ う
ロー タリアンとしての情熱は人 一倍強 い と言えます。また、
です。そんな ところか らか、非常に慎重な ところがある半
極めて優 しく、情 に厚 い ところがあ り、涙 もろさではクラ
ブ ーかな と思います。
面、時 として機敏な決断を し、一度決断 した ら曲げない と
超多忙の合間で も、天真爛漫で明るい奥さまの支 えを受
能弁家でもあ りませんが、その発想の豊かさ、多彩 さには
い う不屈の精神の持 ち主でもあ ります。決 して饒舌家でも
け、大好きなゴルフと、2男 1女 の子宝 に恵 まれた温かい
家族愛 に包 まれた佐久 間家 の隆盛を祈るとともに、ガバ ナ
感心 させ られることばか りです。
ー として、 ロー タリーの発展 のため、ベ ス トを尽 くしての
この一年間、 当地区を安全に
ご活躍を祈 ります。 クラブ全 員で支 えます。
を果たす ことで しょう。
必 ずや、彼の情熱 と、慎 重 か つ 大胆 な発想 を もって、
11昇 気流 に乗せて、そ の重 責
名古屋東 RC
職業分類 一歯車製造 1940年 3月 30日 生。 (株 )ト ヨフ ク代
表取締役。77年 東京 ‖黒 RC大 会。ガバナー補佐。地区 IA委 員
長。新世代部門委員長。MPHF。 ベ ネファクター。米山功労者。
平成 24年
7月 号
柳澤幸輝
職業分類 ―建築 1936年 8月 8日 生。名古屋建商(株 )代 表取締
役社長。73年 名古屋束 RC入 会。ガバナー補佐。MPHF。 ベ
ネファクター。米山功労者。
回―タリーの友
31
GOVERNORSガ
バ ナ ー紹 介
ロータ リーを楽 しもう
情熱 の人
第 2780地 区
第 2640'也 区
す が は らみ つ ゆ き
きたなか と いち
菅原光志 ガバナー
北 中登 ― ガバナー
(鎌 倉 RC)
(大 阪狭山
大 阪南 部 。
和歌山
RC)
昨年創立 50周 年を迎 えた鎌倉 RCに とって、故・ 蔵並
定男元 RI理 事以来、約 35年 ぶ りのガバ ナー選出です。
員 になった時で した。委員長だった彼に初対面のあいさつ
「ロー タリー を楽 しもう」。菅原 ガバナー が、鎌倉 RCの
「名
をす るため、
名刺を渡そ うとした時、す ぐに手帳を f‐ に、
彼 に初めて会 ったのは、私が地区青少年交換委員会 の委
住所 は ?
会長時代か ら必ず会員に向けて呼びかける 言葉です。「楽
前は ?
しいか ら例会に来る。例会で良い ことは楽 しい と知 る。楽
たので、「なん とまあ、せわ しない人だな」 と、びっ くり
しいか ら率先 して奉仕する」。 一 貫 してロー タリーの「楽
しま した。
電話番号は ?」 と、矢継 ぎ早に聞かれ
全 く性格の違 う彼 と私で したが、馬が合 うとい うのか、
しさ」を強調 してきました。
彼 の会長時代、当時 は会員が減少 し、最盛期の半分近 く
一緒にその仕事を続けました。彼 は青少年交換 プログラム
にな り、会長 自ら新会員獲得 に奔走 していました。その様
を こよな く愛 し、毎年、ホ ス トファミリー として多 くの若
彼は「ロ
子を見て「ロー タ リー は大変 で しょう」の問いに、
者 の世話を して くれ ました。交換学生には厳 しさと優 しさ
ー タリー が好 きだか ら平気 だよ」 と。勧誘を受けた方 も、
をもって接 し、慕われて今でも何人か、元交換学生 との交
無邪気な笑顔 の 向 こ うに ロー タリーの楽 しさを見ることが
生も
できたか ら こそ、入会 したのではないで しょうか。月ヽ
流を続けています。委員長の時代 には年 々、交換学生 の数
その年度に入会 した一 人で、以来 まさに毎 日ロー タリー を
さないで」 との通知を受 けた こともあ りました。 まさに、
楽 しんでいます。
昨年 12月 にはガバ ナーエ レク トとして多忙を極める中、
情熱 の人です。
その彼を、 これ まで支えてきて くれたのが江都子夫人で
イ ンター アクターの海外研修 に 同行す るな ど、「できるこ
とは何でもやる」 と明言す る行動力を、 とても頼 もしく感
す。 いつ も後 ろで、静 かに控 えていますが、彼女な しでは、
今 の彼 の存在はあ り得なかったか もしれません。 ガバ ナー
じます。一方 で、どのよ うな状況で も、相手が誰であろうと、
えらそ うに"し ています。 二人 き り
は、人前では彼女に “
変わる ことのない態度や発言 に、優 しさだけではな く、厳
しさも兼ね備 えた力強い リー ダーシップとロー タリーに対
の時 には「71都 子、 いつ もあ りが とう。愛 しているよ」 と
する確固たる信念を感 じます。明る くにぎやかな人柄、信
ぶん言 っていないで しょうね。
念を貫き、 自ら行動する氏 が、今年度 ます ます ロー タリー
を楽 しくして くれると、皆が期待 しています。
鎌倉RC
久保 田英 男
職業分類 ―水道配管 1944年 4月 18日 生。菅原水熱 (株 )代
表取締役。84年 鎌倉 RC大 会。地区話1幹 事。ガバナー補佐。地
区国際奉仕委員長。 メジャー ドナー。米山功労者。
32
THE ROTARY― NO― TOMO
を増や し、地区か ら「 予算オーバー だか ら、 これ以上増や
言って くれていた らいいのに、 と私は思 っていますが、た
こんな ことを書 いて しまい、彼か ら怒 られるか もしれま
せん。 ごめんなさいね 。今後 の大活躍を期待 しています。
岩出RC和 田 康
職業分類 ―耳鼻咽喉科 1941年 10月 1日 生。北中耳鼻咽喉科
医院院長。83年 松原 RC入 会。96年 羽衣 RC移 籍、2010年 退会。
11年 大阪狭山 RC人 会。ガバナー補佐。MPHF。 米山功労者。
2012 VOL.60 NO.7
ガバ ナ ー紹 介
GOVERNORS
改革 を実践す る熱血 漢
われ らの仲間の 出番 です
第 2650地 区
第 2660J也 区
高島凱夫 ガバナー
河本英典 ガバナー
(大 津
大阪北 部
た か しま よ し お
か わ も とえ い す け
RC)
(大 阪中之島
せつほう
きぬ
堂 々たる体格 に、眼光鋭 く、歯に衣着 せぬ舌鋒で自説を
Oll立
RC)
20周 年を迎 える大阪中之島 RCに 所属す る、高島
曲げな い迫力 に定 評があるナイスガイである。
亡父・ 嘉久蔵氏 (元 参議院議員、国11庁 長官 )の ila′ よを
り1夫 君 は大学院修了の 医学博 上で、母校の関西医科大学 の
講師や ドイツの公立病院の助手、国内の大病院の耳鼻咽喉
引き継 いで 、参議院議員 を 2期 12年 務め上げた後、14社
70=I業 所か ら成 るアヤ ハ グル ー プを率 いる、滋賀経済界
科 部長 の 要職 を務め上 げ、現在 は開業医 として l H 150
人以 11の 患者を診 るとい う生活を続けています。
の重鎮である。幾多の場数を踏んだ経歴か らして、性格は
豪放儒落そ の もの。声を大に して、時には周 りがハ ラハ ラ
クラブ創立会員で、会 長を 2度 経験す る とともに、各
奉仕部門 の 委 員長 として手腕 を振 るいま した。特 に創 立
する毒舌で、場を盛 り上げる才 には天賦の ものがある。
その一 方で、内実 は意外に こまやかな神経 と気配 りの行
10周 年記念事業 では、 ベ トナム の ダナ ン 市 立病院所属の
き届いた人情家で もある ことが、人を魅 きつける。ド1定 観
念や前例路襲を嫌 い、 これまで歴任 した滋賀経済同友会 の
代表幹 事や大津 RC会 長の時 も独倉1的 な改革を提唱 し、実
風通 しの良い、
践 してみせた。ガバナーエ レク トの時か ら、
楽 しいクラブ運営に率先 して取 り組みたい、 との強い情熱
を秘めていただけに、 これか らが大 いに楽 しみだ。
アヤハ グループは、亡父がgll業 され一代を築 かれた綾羽
紡績を 1サ 体 としてお り、今 日では製造業 (タ イヤ コー ドな
・サー ビス業 (ゴ ルフ場、 自動車教習所 な ど)、
ど)、 ソフ ト
。
住宅 生活関連事業 (ホ ームセンターの展開な ど)と 、多
医師 3人 を、母校 に短期留学 させ る際 の 立役 者 と して、
クラブ内外に知 られて います。 これが縁で、現在 もクラブ
の 国際奉仕事業 の一つ として、ダナ ンrド の病院へ の 医療器
具の支援を継続 しています。
見た Hは お とな しそ うで回数 も少ないほ うですが、大学
時代 はラグ ビー 部員 として活躍 していた、と問いて います。
そのせ いか、 クラブでの決議事項 は、指導力 と実行力を十
^
分 に発揮 し、徹底的にや りぬ くタイプです か ら、 尊敬を
身 に集めています。例えば数年前、会長エ レク トが新年度
を迎 える直前に急逝 した時は、そ の混舌Lを 収め、会 llに 推
されて直ちに会長を引き受 けるな ど、クラブ として実行 し
岐 にわたる事業を展開 している。
「企業′
11活 を通 じて、社会 とともに歩むJと の企 業理念
なければな らない困難な行事で は、常に車要な役割を果た
に磨 きをかけ、先代が私財を投 じてFll設 した「 (財 )河 本文
教福れ[振 興会」を通 じ、無私 の社会貢献 をも実践する熱面L
「趣味は医術 による奉仕」 とい うのですか ら、まさに職
業奉仕 の模範 です。奉仕 を通 じての平和の実現に、ガバナー
漢。存分 の活躍を期待 したい。
として十分貢献できる、 と会員全員が確信 しています。
大
職 業分類 ―資材繊維
1948年
津
RC
高
田
一
紘
7月 3日 生。綾羽 (株 )代 表取締
役社長。 89年 人津 RC入 会。地 区東 日本 災害復興 支援特別 委 il
会副委員長。研修委 ito MPHF。 ベ ネフアクター。米山功労者。
平成 24年
7月 号
してきました。
大阪中之島 RC
福 田忠 博
京橋耳 lil咽 喉
職業分類 ―耳鼻咽喉科医 1944年 9月 20H′
委11長 。
RC創
立会員。
11会
‖り
地区広報委
科院長。92年 大阪中之島
バ
ー
ー
ガ ナ 補佐。 メジャ ドナー。米山功労者。
li。
ロータ リーの 友
33
GOVERNORSガ
バ ナ ー紹 介
謙虚で誠実そ して積極的
川島
香徳
第 2670地 区
波高ケ レ ドモ天気晴朗
第 26801也 区
き む らだ い ざぶ ろ う
い しま る て つ た ろ う
木村大 三郎ガバナー
石丸鐵太郎ガバナー
(高 松西
(神 戸南
RC)
「人生無駄な し」。木村 さんの座右の銘です。
小腸腫瘍大量出血、 C型 肝炎 で久美子夫人 か ら生体肝移
RC)
石丸鐵太郎さんが、 ガバ ナーになるとい う報が伝わった
時、例会開始前 のロビーにて「それはよかった」 と皆が喜
「ピ
植、生死をさまよう大病を ことごと くはね返 しました。
びました。
ンチはチャンス、数 々の不遇 が私を精神的に強 くして くれ
ま した」。 この話 に私は感服 しました。 だか ら こそ、今の
が、「 ち ょっ と待 って 、石 丸 さんの奥 さん承知 す るか
…… ?(か な りの沈黙 ……)」 。 ガバ ナーの職務 は夫人の協
今 は気力体力共に充実、
人柄があるのだ と納得 もしました。
力な しでは全 うできません。夫人 の説得は本人 に任せる し
何事 にもやる気満 々です。趣味 の 多彩 さも驚 きです。油絵、
囲碁、ゴルフ、どれ も並みの者ではかな い ません。ゴル フ コ
抵 の ことではなか ったと察 します。
ンペが 4日 連 チ ャ ンにな ってね え、なんて話 も。健康の
秘訣 は、
毎朝欠 かさない 1時 間 の里山ウオー キ ングだ とか。
かあ りませんで した。それか らの石丸 さんの努力は、並大
石丸 さんのガバ ナ ー就任を知 ることな く亡 くな られた、
当クラブ の小蔦信勝 さんが、その同僚であった石丸 さんの
「私 はロー タ リアンとしては未熟ですか ら磨 きをかけて
まい ります」。木村 さんのあい さつの 枕詞 です。 しか し、
お父 さんの清見氏について、いつ もおっしゃっていました。
これを自然に言 えること自体、本物の人物であ り、 ロー タ
「それ ゃ、鐵太郎君 と同 じで、あかん と言 った らテ コで
リアンである証 しであると思います。常に謙虚で他人を思
も動かん。駄 日と言えば絶対駄 目」。そ うい う一 徹な人 だ
いや り、向 上心を失わない。生 き方そのものが ロー タリー
ったようです。
この 2つ の話題か ら、彼 の人 とな りがわかる と思います。
の指導者 にふ さわ しい人です。銀行 マンか ら結婚を機に自
動車業界 へ 転身、今や地元経済界 の 中心 的存在 です。香
その甲斐あって、ガバ ナーになることを了解 されてか らの
川経済同友会 の代表幹事、商 工 会議所副会頭な どを歴任、
秀美夫人 の献身ぶ りには、驚 くばか りです。
2004年 には藍 綬褒章受章。「忙 しす ぎませんか」 と聞 く
と「断れな くてねえ。生かされた命ですか ら、何でもやろ
うと思 っています。社会 に役立ち他人に喜んで もらえれば、
こん なに幸せな ことはあ りません」 と言い切 ります。
「皆 さん と協力 し、日本人 RI会 長を盛 り上げましょう」。
木村 さんの言葉は必ず皆の心に響 くことで しょう。
高松西RC
野 ロー 臣
職業分類 ―自動車配布 1941年 1月 16日 生。ネ ッツ トヨタ高
松 (株 )取 締役社長。74年 高松西 RC入 会。MPHF。 米山功労者。
34
THE ROTARY― NO‐ TOMO
脇役、
石丸鐵太郎一座 の芝居を成功 させるための演出家、
道具係に至 るまでの配役はできています。あ とは本人 が こ
の大役 に全 身全霊を傾 け、
舞台 の上で「大見得」を切 って、
満員 の客席か ら拍手喝来を浴びる ことを、われわれ一 同、
祈念 してやみ ません。
神戸南RC 藤尾純也
職業分類 ―民事弁護± 1943年 11月 1日 生。神戸中央法律事
務所所長。84年 神戸南 RC創 立会員。ガバナー補佐。MPHF。
米山功労者。
2012 VOL.60 NO.7
ガバ ナ ー 紹 介
新 しい時代 のガバ ナー像
GOVERNORS
配慮 と行動力
第 2700地 区
い
で か ずひ で
丼手和英 ガバナー
(久 留米
RC)
森田昭一 郎さんは 30年 のロー タリー歴を持 つ 当クラブ
の重鎮ですが、正直言って 「まさか、 ガバ ナー まで !」 と
今 年 9月 に創 立 60周 年 を迎 える 当 クラブ に とって、
26年 ぶ り 3人 目 (出 身者を含 めると 5人 目)の ガバ ナー
クラブの誰 もが感 じていました。それは彼 の独特 の処世観
によるもので、従来の決ま りごとを大切にするロー タリー
です。地元の久留米大学附設高校 か ら東京大学に進学、卒
業後 は当時の 日本勧業銀行 に入行 し、銀行 マ ンとして着実
とは、感性が少 しく異なるか らです。
酒造業 とい う、 ごまか しのきかな い伝統 の職を受け継 ぎ
に実績を積 み上げ、
常務取締役 であつた 1997年 に、久留米
現在 は
に本店 を置 く筑邦銀行 に転籍。副頭取、頭取を経 て、
なが ら、酒の新 しい価値を追求する気概。事業所 が倉敷美
観地区 にあるとい う特殊条件。それ は町並みに調和 した事
会長、福岡県県南 の経済界 の リー ダー として活躍中です。
99年 に久留米 RCに 入会、2009-10年 度 に会長を務
業を当た り前 に求められ ることですが、そ うい う職業奉仕
の理念を、実に巧みに実践 しています。約 20年 前 か ら始
めました。本人は 「 自分はロー タリー歴が短 く、 まだ勉強
が足 りない」 と謙遜 していますが、趣味が読書 とい うよう
め た、食 の領域 に 関わ るメ ッセ ー ジシ ョップ「平翠軒」。
に勉強家で、今や 当クラブで も一 番 のロー タリー 通です。
また、
大学在学中か らボラ ンティア活動 グルー プに参加 し、
店 づ くりへ の こだわ りは常人 の 及ぶ ところではあ りませ
ん。今では全国 にその名を轟 かせています。
このように 自分 がやるべ き こと、 いや 、や らねばな らな
い ことは徹底 してや る人なのです。「まさか 、 ガバ ナー ま
で
!」
と当初感 じていましたが、今は 「森田 さんな らばや
る
!」
との思いに変わ りました。
さな親切運動な どに積極的に関わ り、長
社会人 として も月ヽ
年 にわたる奉仕活動 の実践、実績 があ ります。
ここまでの紹介 で、生真面 目でガチガチの銀行 マ ンのイ
メージを持たれ ると思います。真面 目な ことは間違 いな く、
加 えて温和な人柄 で、何か と配慮が行き届 き、さらに行動
掲げた地 区 ス ロー ガンは「tsu ku su」 。家族 に尽 くし、
自分 の職域 に尽 くし、地域社会 に尽 くす。 まずは、正統で
力 もあ り、お役に立 つのであれば と多 くの役職を引 き受け、
多忙す ぎるのでは と周 りが心配す るほ どです。
誠実 な ロー タリアンであってほ しい。そ うい う会員が集 ま
って初めて、 ロー タリーは この社会 の 中で力を発揮 できる
お子 さん二人はそれぞれ結婚 をされ、現在は夫人 と二人
の生活 ですが、大変に仲睦 まじく、お二 人で手をつ ないで
し、公共イメージが向上 し、そ こか ら真の会員増強が実現
できる。 この、森田さんの思いを共有 し、応援 したい と決
歩 いている姿を見 かけることもあ ります。
もし井手ガバ ナーを見かけ られた ら、ぜひ声を掛け、そ
意 しています。
の人柄に接 していただければ と思います。
倉敷RC 大久保憲作
職業分類 一 日本酒製造 1942年 2月 23日 生。森田酒造 (株 )
代表取締役。82年 倉敷 RC入 会。メジャー ドナー。米山功労者。
平成 24年
7月 号
久留米RC倉 田正平
職業分類 ―地方銀行 1942年 1月 3日 生。 (株 )筑 邦銀行取締役
会長。99年 久留米 RC入 会。MPHF。 米山功労者。
ロータリーの友
35
GOVERNORSガ
バ ナ ー紹 介
待望 の エース登板
第 27201也 区
゛ヽ
ナ
(呉
ノ
ガ
じ二
い
精
き
木
の
之
大
赫
第 2710地 区
ロー タ リー は楽 しくあれ
お か む らや す た か
岡村泰岳ガバナー
RC)
(大 分中央
私 共 の 呉 RCは 、 これ までに 3人 のガ バ ナ ー を送 り出
しています。 1人 ‖は創立会員の笠潤 一郎氏で、人之木精
1人 人、悦子 さんのお父さまです。 2人 日は、やは り創立
RC)
岡村泰岳ガバ ナーのすべ てに「愛Jを 感 じます。前年度
の地区大会 のステー ジ Lで は 「私は、家族大好き ! ロー
タリー 人好きです
!」
と発表 し、周囲を驚かせ ま した。
んの叔父 上にあたる大之木隆男氏で
人材育成に対 しても、非常に優れた人です。 クラブ会長
す。大之木 一族は、現在 も多 くの方が ロー タリーで活躍 し
に就任後の、新会員数の伸び率および 平均年齢 か らもわか
ています。お 二人 に続 く、3人 Hの ガバ ナー は、 1992-
ることで しょう。周 りにはいつ も若者が相談に集 い、氏は
93年 度 の真鍋欣良氏で、今 もお元気です。
大之木精 三 さんは、現在 77歳 。慶應義塾大学卒業後、
実家 の人之木建設 (株 )に 入社。現在はグループ企業 の代
年齢や業種 の 区別な く、同 じH線 に立ってア ドバ イスを し
会員で、大之木精
1さ
表取締役会長です。 これまでに何度 もガバ ナー就任の要請
があ りましたが、家業専念を理由に 辞 してきました。 こ
│:‖
のたび、や っと就任 の運び とな り、われわれが待ち望んだ
ガバ ナー誕 11が 実現 したのです。
人柄 は非
真 lni日 で明朗、緻密で勉強家です。夫人、
'1に │‖ たちの応援を得て、素晴 らしい活躍が
クラブ、地区の仲
即!待 されます。呉 」C理
'!「
長、日本 」C常 任理事、呉 X育
f/・
ます。 rlら が率先 して人の輪をつ くり、若手経営者が最 も
クラブに希望する人脈 づ くりに大 き く貞献 しています。
こ うして、魅力を感 じた新会員が進んで次の会員を誘 う
とい う、良 い循環 が生まれているのです。 これが会員増強
`
マ ジ ックです。 ロー タ リー 歴 2年 足 らずの若手会員が ト
数を占める当クラブですか ら、失敗や失礼 も多々あると思
いますが、岡村 ガバ ナーを支えてい く勢 い、思 いは他地 │え
に11け な いと思 います。地区 として会員増Jiを 推進 してい
き、地 区会員数
委 員、広島県教育委員長を歴任 、現在 も呉文化振興財団理
ミ美術 lFJ会 会長、その他多数 の 団体役員を務めて い
]「 長、リ
しています。
ます。趣 :味 は 音楽鑑賞、油絵、読書、 ゴル フです。特 に
おI!絵 は、呉 RC創 立間もな くスター トした地域の同好会・
水
l:し
│^fi人 会の 世:i舌 を し、作品展にも出出
ています。
緻密で行動力を備 えた勉強家、スタッフも精鋭をそろえ、
ウオー ミングア ップも完
r。
まさにリミRCの エース登板で
220人 純増 の、「2720」 人突破 を 同標 と
まず クラプを楽 しく、地 区を楽 しく、世界中を楽 しく。
l山
iに 落ちた しず くが波紋 となって広がるように、 ロー タ
リーはクラブが楽 しくな くては始 まりません。 ロー タリー
に 人会 したすべ ての新会員の日か ら発せ られるのは「 ロー
タリー に 入 って本 当に良か った。例会で皆 に会えるのが毎
週楽 しみ」 とい う言葉です。岡村ガバ ナーの手腕、会員増
強 と楽 しみを 与えるマジ ックに、大いに期待 します。
す。 ご川l待 ください。
呉RC松 田修典
大分中央RC
藤 田千克 由
職業分類 ―木造建物販売 1934119月 3H生 。 (株)人 之木 ダイ
モ 代 表取締役 会長っ 79年 リミRC大 会.分 区代Fllo M P H F。 ベ
職業分類 ―上下水道施設製造 1952イ l:7月 19H/1。 オカムラ
グルー プ会長。90年 人分中央 RC大 会ぅ地区新 llt代 委 11長 。副
ネファクター ,米 山功労者
幹 事。広報部 ll
36
THE ROTARY―
NO―
(.
TOMO
l長
。 MPHF.,ベ ネフ ァクター。米山功労 者。
2012 VOL.60 NO.7
ガバ ナ ー紹 介
ボスは堅 物浪漫 チス ト
農学博 士の意外
一 一・
・
´ ヽ・
島
旧ん
鹿
崎
宮
第 2730地 区
や ま した こ うぞ う
山下皓三 ガバナー
GOVERNORS
第 2740地 区
ふ くも と ゆ う じ
t,1.∵
福元裕 ニ ガバナー
(佐 賀北
RC)
佐賀 。長崎
`
t
=,「 │'
11‐
われ らがボスは、ひ と言でいえば真面 Hで ある。酒 もた
クラブは創 立 40年 を超 え、人間な ら不惑の年を過ぎ人
ば こも、夜遊び もしない とい う堅物で、私 とは正反対。人
・ 1た る年に、初のガバ ナーili出 です。 クラブ
生の充実期に
会 は 33歳 の 1979年 とい うか らロー タ リー 歴 は何 と 33
年。夫人 の父上が ロー タリアンで、訳のわか らぬまま会員
会員に とって歴史に残 る名誉であ り、誇 りでもあ ります。
ガバ ナーの人柄 といえばズバ リ、温厚その もの。初めて
にな って しまった、 とか。 ところが、人会後わずか 6年
rll事 長、 と
の 出会 いでもらった名刺 には、農学博士で学長、
で クラブ幹事。 当時は誇 り高 き ロー タ リア ンがわん さ と
あ り、一 介 のサラ リーマ ンにすぎない私は、思わず1要 が引
いて、39歳 の幹事 の苦労 たるや想像を絶す るほ ど。今 で
けたもので した。九州大学で博士号を取得後、L京 し企業
はロー タリー 博 Jfと 尊称 され、400回 を数 える「学習会J
を提 口
Hし た故・ 福川正
『 1会 長年度 の幹事 として薫陶を受け
た、正論 と浪漫が同居する′
li粋 のロー タリアンに成長。
で新商品の開発研究 に没頭。その後、その才 と人柄を見込
人人に言わせ ると、運を全部持 ってい く人 らしく、泥棒
が入っても、不幸があっても常 に不在。家族 の悲劇を尻 日
にホールインワンで舞 い 上が っていた り、なぜか山i倒 が避
けて通 り、解決 した頃「 大変だったね」 とご帰還 に及ぶ。
んだ大学の招 きに応 じ、教授に就任 しま した。 ロー タリー
の 人会 もそれ と同時期、今か ら 20年 前 の ことにな ります。
学者であ り、学園の理事長、つ まり経営者でもある新ガ
バ ナー 、 どう考 えてみても近 寄 りがたいイメー ジだと思 い
ませんか。私 もそ うで したが、しば らくして、それが
『 u違 っ
ていたことに気づいたのです。
結婚 して 37年 、夫婦喧嘩 とは無縁。 “
孤 高を愛する淋 しが
「スエ さん、飲みに行 こ う」 と誘われた時の こと。声を
り屋"で 、ロー タリー の県外遠征では常 に大人が寄 り添 う。
かけてもらっただけでもびっ くりなのに、酒場に入るや否
そんな堅物浪 漫チ ス トが昨年 11月 、 2012-13年 度
ガバ ナーに選ばれた。所属 クラブの心 配をよそ に、 ロー タ
や、酒は強いわ、ソフ トな歌声を披露するわ、で 2度 びっ
リーヘ の思いを次 々に具現化、慣例 に とらわれない新 しい
友 よ」。知性、教養あふれ る人であ りなが ら、飾 り気のな
くり !
ちなみに十八番は、かまやつひろしの 「我が良き
地区組織をつ くり Lげ た。地域の 歯科医師会副会長 として
い優 しさ、気配 りと思 いや り、包容力の持 ち 11な のです。
歴 史に残 る 100周 年事業を成功 させ、 ロー タリア ンとし
てはガバ ナー として リー ダー シップを発揮する。打 ち合わ
決 してお堅いだけの人ではあ りません。遠慮な く声をかけ
て ください。頼れる、優 しいガバ ナーの誕生です。
せ と聞けば、呑めぬ体 に鞭打 って ウー ロン茶 5杯 で真夜
最後 に、京 r夫 人が一 生懸命サポー トされて いることを
お伝 え し、福元新ガバ ナー の紹介 とさせていただきます。
ボス"と 呼ばれる所以である。
中まで付 き合 う。 “
鹿児島西R⊂
職業分類 ―歯科医
1947113月
深尾兼好
5日 ′
L。 山 ド歯科 院長。 79年
鹿児島西 RC人 会。 ガバナー補佐。地区職業本仕副 委員長。 MP
HF.ベ ネフ ァクター。米山功労 者。
平成 24年
7月 号
佐賀北RC末 次 義視
職業分類 ―大学 1949年 7月 16日 生。 (学 )永 原学関理 事長。
92年 佐賀北 RC大 会。MPHF。 米山功労者。
ロータ リーの友
37
第2500地 区
〒090-0021
TEL.0157-57-3613
北海道北見市北 1条 東 5-l K'sビ ル 2階
FAX.0157-57-3623
E‐ Inail [email protected]
4 大通藤井 ビル 7階
0042
L#Ⅷ
北海道札幌市中央区大通西
第2510地 区 孔妥用
糀2H♂
ギ1明 ;穂3理 1札『五
淵‰轟 1
〒 060‐
11‐
[。
第2520地 区丑
r瀦 軍
猛55♂ 婁
躙鰈
第2530地 区1翼麗:9_354♂ 卍調鼈コ
〒010-0001
ホテルメ トロポリタン盛岡本館 5階
通七
靴Ⅱ
[email protected]
t:11
秋田県秋田市中通 6-1-65
FAX.018‐ 893-6909
PP
南 東 北 総 合 卸 セ ン タ ー (協 )組 合 会 館 内
[email protected]
ビル
4階 406号 室
第2540地 区
TEL.018-893-6908
第2550地 区
〒320-0826
栃木県宇都宮市西原町
TEL.028-651-2550
FAX.028-651-2551
第 2560地 区
〒940‐ 0066
新潟県長岡市東坂之上町 1-2‐ 1 長岡グラン ドホテル 5階
TEL.0258-89-7041
FAX.0258-89-7043
E― Inail s,suzuki(prid2560n五 gataJp
第 2570地 区
lF:肥
第
._25
70
E―
mail
142
E―
宇都宮 グラ ン ドホテル内
mail [email protected]
玉県東松山市箭弓町 2-5-14
FAX.0493-21-2571
ri2540g12-13@dreamjp
E-lnail
紫雲閣 3階
d [email protected]
玉 さいたま市浦和区高砂 1-2-1-116 エイペックスタワーオフィス東館 1階
埼 県
2770却LIX li■:163
127-0022
FAX.048‐ 827-001l
E-1■ ail [email protected]
千葉県松戸市松戸 1281ユ ニティビル 4階
第 2790地 区 ■ 驚 ∬ 雅 -9957 FAX.047-703-9958 E― Inail 12-13gov@rid2790jp
第 2800地 区
〒992-0472
TEL.0238-49-7742
山形県南陽市宮内 194-3
FAX.0238‐ 49-7762 E― Inail [email protected]
ホテルグラン ド東雲本館 407号 室
12-13@ri2820jp
第 2820地 区 丑P麒 ≧_35
82
城県つくば市J弩 崎 488-1
第 2830地 区 ■■ i臓 t_8
707
森県青森市堤町 1-1-23ホ テル青森 2階
FAX.029-886-3583
FAX.017‐ 752‐ 8708
E―
Inail
E― rnai1 201 2offlce@rotary― aomori.org
〒376-0035
群馬県桐生市仲町 2-9‐ 36 桐生倶楽部内
第 2840地 区 TEL.0277-30-2840 FAX.0277-30-2841
mail hikita@rid2840jp
E―
第 2580地 区
11:麒t8021l
京都中央区京橋 2-11‐ 8 全医協連会館 1階
FAX.03-3538-0212
E‐
Inail [email protected]
│1県 横浜市中区長者町4-9-l YS関 内ビル 3階
神奈り
第 2590地 区 丑〔
-2590
FAX.045-650-2591
E― mail [email protected]
1胤
第 2600地 区
〒386-0024
長野県上田市大手 1-10‐ 22 上田商工会議所 3階
TEL.0268-71-2770
FAX.0268-71-2771
E-lnail shilnada― [email protected]
THE ROTARY‐ NO‐TOMO
2012 VOL.60 NO.7
第 2610地 区
56
1:懲 ぎ-411-9065
富山県富山市牛島新町 5-5タ ワー Hlビ ル 1階
FAX.076-411-9067
第 2620地 区 11跳畿現 2山
620
〒 5010106
E Inail [email protected]
恕 剛耐湘 生み劉 7物 輔江 鈷籾納
FAX.055-225-2621
岐阜県岐阜市西河渡
E Inail [email protected]」
2-57
ユニ オ ン 5階
第2630地 区
TEL.058-216-2630
第2750地 区
〒 105-00H
東京都港 区芝公 園 2615 黒龍芝公 園 ビル 3階
TEL.03-3436-2750
FAX.03-5472-2750
E Inail [email protected]」 p
FAX.058-216-2631
p
E Inail 1 2 1 [email protected]
レ3階
°3
愛 Il県 名古屋市中区錦 2-15-15 豊島 ビフ
第 2760劇 也巨三 孔11::°
2-201-2760
FAX.052-201-1670
E Inail [email protected]
A‐
〒2510055
神奈川県藤沢市南藤沢 22-7-501 第一相澤 ビル 5階
FAX.0466-25-8866
E― IInail g― offlce@d2780 rotary bz
第 2780地 区
TEL.0466-25-8855
第 2640地 区
〒 5900021
大 阪府堺市堺 区北 三 国 ケ丘町 1-1-16 C棟 14号 室
TEL.072-224-2640
FAX.072-224-2650
E― Inail [email protected]
第 2650地 区
TEL.075-343-2650
第
〒6008216
2660地 区 1:1凝 41660
京都府京都市下京区塩小路通烏丸西入東塩小路町614 新京都センタービル5階 520号 室
FAX.075-343-2651
E― rnail [email protected]
阪府大阪市中央区安土町 1-5-11 トヤマビル東館 6階
FAX.06-6264-2661
E― Inail [email protected]
│1県 高松市香西南町 4041ネ ッツトヨタ高松内
香り
第 2670地 区 晃I誌∬ :,1
-2225
FAX.087-873-221l
E Inail [email protected]
第
6
6-10-1 神戸 ポー トピアホテル本館 722号 室
2680側L[Xl::=擢t、,04-2680 兵庫県神戸市中央区港島中町
FAX.078-304-2681
E Inail
[email protected]
第2690tt区 晃
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餞喘M4):硼 切鷺桃瑾可
第27001t区 1%:踏 よ
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跳:5階
6階
第2710地 区孔
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第2720地 区酬 驚■45♂ =卜才
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第27301t区 晃
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平成 24年 7月 号
ロータ リーの友
Rl理 事メ ッセ ージ
国際 ロー タリー の理事 として
2012-14年 度国際 ロー タリー理事
松 窪ヨ
岡J(茅 ケ崎湘南 RC)
タ リー に対す る意識 の 隔た りに驚愕 した体験 を、 RI
(RI)直 前理事 には大変
お世話にな りました。氏の RI理 事会 における存在感
理事会の席上で語 りま した。ロー タ リー 財 団 と RIは 、
と新世代にかける一貫 した情熱 に、圧倒 された一年間
RI定 款第 12条 第 1節 に「 RIの 財団」の記載があ り、
で した。田中作次 RI会 長を戴 く新たに して特別な年
法人設立定款 の名称 に「 国際 ロー タリー の ロー タリー
度、 RI職 業奉仕委員会 においての更なるご活躍を、
財 団」 と明記 されて いるよ うに RI傘 下 の 法人組織 と
心から念 じたい と思います。
してロー タ リー 財 団があ る とい う ことですか ら、す べ
近藤雅臣国際 ロー タリー
さて率 直 に 申 し Lげ て、 RI理 事 会 とい う場 で
ての財団の活動 は、 RIの 活動 の一 部 である ことが 明
2,300余 の 日本 のロー タリー クラブの思 いを どのよう
確 でなければな らない、その ことを 多面的に確認す る
に伝 えていけばよいのか、大いなる不安のただ中にお
作業 が必 要 だ とい う ことで す。
ります。 もちろん、私の英語力の非力さは克服 しなけ
二つ 目は、「BRANDING」
です。 あ る調査会社 に 依
ればな らない課題ではあ りますが、何 よ りも「変貌す
頼 して、RI理 事会 と財団管理委 員会 との協議 の もと、
るロー タリー」を前 に、 日本 のロー タリー がその変貌
ロー タ リー のあるべ き姿を検討 し、統 一 的 で信頼 に値
と肯定的な折 り合 いをつけてい くため には、 どんな思
す る組織 イ メー ジを 確立 しよ うとす るものです。第
考 と手順が要請されているか、それに応える見通 しが
立たない不安です。裏を返せば、 この変化 の 巨大なエ
ステ ップの調査結果 として、 ロー タリー における最大
の 課題 は、「ロー タ リー 内部 にお け るアイデ ンテ ィテ
ネルギーに抗する ことはもはや不可能である、 との前
ィーの 混乱」 である ことに逢着 した との報告 を聞きま
提 に立たざるを得ないが故の不安です。
変貌 の核心 は、ロータリー クラブ存在意義の変質で
した。 しか し、揺 らいではな らない ロー タ リーの基本
前提 の上 に築 かれ る ものでなければ、われわれ に とっ
しょうか。今 ロー タリー クラブは、「人道的奉仕活動
て全 く方 向 の違 うロー タ リー 像 へ 偏 向す る恐れがあ り
の世界的ネ ットワー クを構成する一単位」である、 と
ます。警戒す るだけではな く、適切 に是正す る強 い 発
い うのが RIの 認識です。そ して、構成単位 としての
言が必要 であ る と考 えています。 これ もなかなか困難
基本的な力を全てのクラブは持つべ きであ り、それゆ
えに強化 されなければな らない とい う主張です。「異
な ことに違 いあ りませ ん。
業種 の会員相 互の交流による自己改善の場」であ り、
の強力な推進」 です。私 は、 これ らは まさに私 たちが
1
三つ 目は、「 RIの 戦略計 画 な らびに未来 の 夢計画
「背景 としての地域社会に貢献す る」 とい う従来の認
望 んでい る「 クラブの充実 と活性化、 ロー タ リー らし
識 とは、その主体性の軸足を失っている点で、明 らか
い奉仕活動 の実践 に供す るプラン」 との認識を もって
に異質の ものだ と思います。肯定的な折 り合 いで言 う
積極的 に対処 してい くべ きだ と考 えてい ます。
なら、 どちらも重要な属性であるとい うことになるで
しょう。
私 たち も この 年度、 ロー タ リー を縦横 に議論 し合 い
なが ら、地域社会 で、世界 で躍動す る ロー タ リー を実
RIが 抱えている課題 について触れておきたい と思
現す べ く努力 してまい りま しょう。その活気 ある舞台
います。一つは、「ONE ROTARY」 です。新事務総長
ジ ョン・ ヒューコ氏 は就任直後、 ロー タリー財団関係
として『 ロー タ リーの友』 は場 を提供 して くれ るに違
の事務職員 とそ うでない業務 に携わる事務職員のロー
い あ りません。
第 2780地 区(神 奈川県)2004-05年 度ガバナー
RI DIRE⊂ 丁OR
40
THE ROTARY‐ NO―TOMO
2012 VOL.60 NO.7
よ11贅1111よ
`│
受 け継 がれる灯 を、 ともし続 けるために
公益財団法人 ロー タリー米山記念奨学会 理事長
東京
板橋
UttR C)
敏雄 促 千
子息、ノラチャー トさんの登場で した。ソムチャー ドさん
RCの 「 米 山基 金 」 か ら 60年
の消息は途絶えたままで したが、 タイの学友が苦労の末
1952年 、東京 ロー タリー クラブ (RC)が 「米山基金」
の構想を発表 してか ら今年 で 60年 です。米山梅吉翁が
に探 し出 し、
連絡を取 って くれました。ノラチャー トさん
生前意図 していたロータリー事業 の一つ として、アジア
東京大学を卒業 したことを誇 りに してお りました。 タイ
地域 の優秀な学生を日本 に招き、存分 に研究 してもらお
では養蚕センターを設立 し、多 くの人に技術を教 えまし
うとい うもので した。そ して「米山基金」は今、 ロー タ
た」 と、日本語でスピーチをされました。 ソムチャー ド
リー米山記念奨学事業 とい う、日本 の全地区が推進する、
さんに刻 まれた日本への思 いが、 ご子息 に受け継 がれて
世界 に誇るべ き一大継続事業へ と成長 しました。 これは
い るのを目の当た りに し、心 か らの感動を覚 えました。
ひ とえに皆さまの献身的な ご寄付 と、奨学生を育てよう
は「父は生前、
東京 RCの 皆さんの親切 に出合 えたこと、
また、国際大会では 「友愛 の家」 にブー スを 出展 し、
とい う深 い愛情 によるもの と、心か ら深 く感謝 申 し上げ
当事業 の広報活動 を行い ま した。 180あ るブー スの 中
ます。今年 1月 4日 か らは公益財団法人 として新 たな
で もひ ときわ に ぎわ って お り、「Rotarians of JAPAN
スター トを切 り、さらなる前進を続けてまい ります。
are doing great work!」 「Keep it going!」 な ど、称賛 と
第
激励 のメッセージをた くさん いただきました。
1号 奨 学 生 か らタイ学 友 会 設 立 ヘ
5月 5∼ 9日 、バ ンコク国際大会が開かれ ましたが、
さ らな る ご理 解 、 ご支援 を
タイ と米山は歴史的な ご縁があ ります。
「米山基金」 の第
ここ数年、 ご寄付 は減少傾 向 にあ り、本年 3月 の理
1号 奨学生は、 タイか ら招 へ い したソムチャー ド・ ラタ
事会 で、2013学 年度 の奨学生採用数 を従来 の 800人
ナチ ャタさんで した。その タイで今般、学友 たちが結
か ら 700人 へ 縮減す ることを決議 しま した。苦渋の決
集 し、 海外 4番 目となる米山学友会が誕生 したのです。
5月 6日 にバ ンコク市内で開催 された米山ナイ トには、
断 で した。平和を愛する日本 の心を理解 してもらい、ロ
ー タリー運動のよき理解者を育てるとい う事業の成果は
日本か ら多 くのロー タリアンがかけつけました。学友 会
創立 にあたっては、 ビチャイ 。ラタクル元国際 ロー タリ
確実 に表れてお ります。受け継がれてきた灯を ともし続
けるため、何 とぞ一層 の ご支援をお願 い 申 し上げます。
2001-03年 度国際ロータリー理事
第2550地 区 (栃 木県)1987-88年 度ガバナー
ー会長にも大変な ご尽力をいただきました。
米山ナイ トのハ イライ トは、故ソムチャー ドさんの ご
タイに米山学友会が誕生
:
海外 4番 目となる米山学友会がタイで誕生
! 5月 6
日の米 山ナイ トでは、 タイの学友 27人 と日本の約 80
人の ロー タリアンや家族が祝福 しました。初代会長 には
ウイチ ッ ト・ クラワ ッタナ クル さん (1987-88/東
京浅草 RC)、 副会長 のナ レス 。ペ チ ニ ンさん (1994
-96/越
谷 RC)と ニパ ラ ッ ト 0ス リタレ ッ トさん
(2000-02/茅 ケ崎なぎさ RC)ほ か 4人 の役員が選任 され ました。 ウイチ ッ ト会長は 「皆 さんへの恩返 しの
気持 ちで設立 しました。今後 はよ り多 くの学友を集め、日本 との結びつ きを強めていきたい」 と決意を語 りました。
平成 24年
7月 号
ロータ リーの友
41
史埠通信
ロー タリア ンのニー ズに合 わせた
資料 の提供 を 目指 して
ロータリー文庫運営委員会 委員長
近 のロー タ リー情報 か らの
ロー タ リー の 古 きを尋 ね新 しき を知 る
今か ら 42年 前、『ロー タリー 日本 50年 史
関口
博 正 (杉 戸 RC)
8件 が紹介 され てお ります。
ロー タ リア ンの ニ ー ズ を把 握
(ROTARY
を刊行
1999年 2月 、「ロー タ リー 文庫」ホー ムペー ジを 開
するにあたって、収集された貴重な資料 の散逸を防 ぐた
設 いた しました。収蔵 されている資料をデー タベー ス化
Fifty years of seⅣ ice in Japan 1920-1970)』
めに「ロー タリー資料室」が設置されたのが前身であ り、
し、ホームページか ら、いつで も新 しい情報がダウンロ
これ らの資料の有効活用をすべ く、 1973年 に「ロー タ
ー ドできるよう努めてい ます。ただ、著作権や個人情報
リー文庫」 と改称 されました。
その『 ロー タリー 日本 50年 史』 に、東 ケ崎潔元国際
に関わるような文献や写真な どはホー ムペー ジでは公開
ロー タリー会長が 「序」 の 中で「わた くしどもは、 この
50周 年 にあた り、今 日の発展をさらに明 日へ の充実 に
新藤信之前委員長 が文庫の 「長期計画」 として、ロー
タリアンのニー ズを把握 し、資料 の取捨選択、優先順位
結びつ けるため、 ロー タリーの古 きを尋ね新 しきを知 る
を決定 しなが ら資料の 50%(6,000点
必要があ ります。 ロー タリー の奉仕 の理想達 成 のため、
その うち
ぜひ、本書を ひもどかれん ことを切望 いた します」 とい
う一 文を寄 せてお ります。「ロー タリー 文庫」 の 目指す
文や研究資料をテキ ス ト形式でデ ジタル化 しようと計画
してお りましたが、今年度 もその方向で進みたいと考 え
ところはまさに、 この「温故知新」 にあるのです。
てお ります。
してお りません。
)を PDF化 し、
10%(600点 )の 資料、例 えば歴史文書、論
日本 ロー タリー創 立 100年 (2020年 )に 向けて『ロ
ー タリー 日本 100年 史』 の刊行 が予定 されてお ります。
これ までに 「ロー タリー 文庫」 には約 2万 3,000点
余 りの ロー タリー に関す る資料が、 ロー タリーの組織 に
基づいて分類整理 されてお ります。総括、国際 ロー タリ
これは 当然、 ロー タリー の友事務所 が行 うことであ りま
ー、 日本、地区、 クラブ、外国、古文献、その他に大分
すが、 ロー タリー文庫 の人的、資料的資源 の活用 が不可
類 され、さらに中・ 小分類 に分 かれてお ります。
欠であ ります。今年度か ら準備会が開催されます。
また、 1985年 か ら『文庫通信』 が開始 され ま した。
ロー タリーに関わる、テーマに沿 つた資料をタイ ム リー
「ロー タリー は人間銀行であ り、友はその通帳である」
に紹介 し、 ロー タリアンの ロー タリー研究 の一助 となっ
そ して「文庫はその定期預金である」
第 2770地 区 (埼 玉県)2002-03年 度ガバナー
てお ります。『文庫通信』は 6月 号で 298号 とな り、最
――東京南 ロータ リー クラブの故・ 安積得也会員
ホ ー ム ペ ー ジ を ご 活 用 くだ さ い
聖
ヽ
饉上
ロー タリー文庫は東京の芝公園にあ ります。都心 とは思えないような緑豊かな所
で、窓の外の緑を楽 しみながら、ゆったりとロー タリーの文献をお読みいただ くこ
とができます。ここには、 ロータリーに関する、戦前からの貴重な文献がた くさん
保存されてい ます。 とはいえ、日本全国のロータリアンの皆さまにロー タリー文庫
にお越 しいただくのは、なかなか難 しいこととも思います。ロータリー文庫ではホー
ムペー ジを開設 していますが、皆さまにご活用いただけるよう利用方法 についての
〒 105‐ 0011 東京都港区芝公園 2-6-15
黒龍芝公園ビル 3階
目呈
話 03‐ 3433-6456
ファクス 03‐ 3459-7506
42
THE ROTARY― NO― TOMO
CDを 制作 しました。さらに、ロータリー文庫に保存 している文献も、順次、ホー
ムページからダウンロー ドできるよう作業を進めています。 ご活用 ください。
http://― .rotary― bunko.grjp
2012 VOL.60 NO.7
タイは、 日本 とは縁の深 い国 です。昨年秋 の洪水 で、
日本企業の進出状況、そ して、私たちが どれだけタイで
。
歓迎 のあいさつで、 カルヤン バ ネルジー 国際 ロー タ
リー (RI)会 長は、「20H-12年 度を、世界 で変化
生産されたものに頼 って暮 らしているのかを知 り、驚 か
れた方 も多い と思います。 ロー タリアンの企業 も例外で
を もた らすよ うな年 に したい と考 えてきました。私 は、
今 日、 ロータリー がさらに強 くな っていつていると感 じ
はな く、タイ に工場があつた り、タイの企業 と取引を し
ていた り、タイは職業上 のかかわ りの強 い 国です。また、
ています。 1年 前 よリロー タリー が良 くな り、世界 も良
くなっていると思 います。 とても素晴 らしい年度だ つた
ロー タリー クラブ
(RC)と 姉妹提携 を していた り、プ
ロジェクトを実施 した り、 タイは日本 のロー タリー に と
っても、剛‖
染 みのある国です。
そのような事情 か らで しようか、バ ンコク国際大会 の
参加者約 3万 5,000人 の うちの約 3,500人 が 日本 か ら
の参加者 で した。
と思 います。私 が見受けたいろいろな変革、素晴 らしい
年度、 これは私 がいたからではあ りません。皆 さまの尽
力のおかげです。皆さまの努力 によって、皆さまの夢 に
よって、 ロー タリー を通 し、皆さまが達成 されたもので
す」 とロータリアンの活動を賞賛 し、全世界 のロー タリ
アンの活動 を紹介 し、さらに RIが 取 り組ん でいる事柄
について述べ ました。
ロータ リアンの尽力で素晴 ら しい年度 に
開会本会議 は 2回 に分 けて開催 され、午前中 に開催
された 1回 目の会議 には、 タイ のチ ュラボー ン王 女が
臨席、世界中か ら集 まった参加者た ちか、タイの伝統 に
のっとつた作法で、王女 をお迎 えしました。
開会式の楽 しみの一つ は、華麗なエ ンター テインメ ン
トですが、今年 は開催地 タイの伝統舞踊 で優雅なひ とと
きを過 ごす ことができました。また、 ロー タリー所在国
の国旗 の入場 も、 ロー タリーの 国際性 を直接感 じること
ができるものの一つです。
平成 24年
7月 号
「私たちは、なぜ、 ここバ ンコ クに集 まって いるので
しょうか。私たちは、自分た ちだけの温か さを求めた り、
また、 自分 たちだけが健康 であればいい と考える ことは
できません。国際大会 において、世界 には、まだ、貧困
と向き合 っている人、恵 まれない人 がいる ことを知 るこ
とができ、心を動 かされて助けなければならない と思 う
よ うにな ります。私 たちは何 らか の 方法 で、それ らの
人 々に手を差 し伸 べ なければな らない義務 があ ります。
ロー タリアンー 人ひ とりが大切 である ことを 自覚 しなけ
ればな りません。知識、動機 、力 をもってほかの人たち
ロー タ リーの友
43
アンジエリーク・ キジ ョー氏
のために、友人 のた
ロー タリー が推進 しているポ リオ撲滅の『This Close(あ
めに、
家族 のために、
と少 し)』 のキ ャンペー ンが素晴 らしい と思 うのは、 日
がんばっていかなけ
標が シンプルで達成可能だか らです。 しか し、ポ リオの
ればな らない と思 っ
ています。 自分たち
予防接種は、複雑な要素を含 んでいますか ら、個人的な
働 きかけを していかなければいけません。草の根の レベ
が持 っている力を共
ルで地域社会 に働 きかけてい くこと、両親を説得 し、時
有するとい う心を持
ち、 こころの 中を見
には宗教的な信念を克服 しなければい けません。ポ リオ
の撲滅は可能です。撲滅ができれ ば医療費の節約につ な
つ めて博愛を広げる
がる と言われてい ます。ポ リオを撲滅できれば、『人類
ために、がんばって
は一つ である。不平等 と貧因だけが、私たちを分け隔て
いただきたい と思い
ている』とい う私の信念を証明する ことになるで しょう」
と話 しました。
ます」 と結びました。
Jヽ さな ことか ら始めよう
小日融資 (マ イ クロ クレジッ ト)に よって貧 しい人た
ちの 自立を支援 しているグラミン銀行の創設者で、 ロー
第 2回 本会議 は、世界の さまざまな地域 で、恵 まれ
ない人たちに手を差 し伸 べ ている人たちが、その活動に
者、 ムハマ ド・ ユ ヌス氏 は、「私がや ってい る ことは、
ついて紹介 しました。
非常 に強力なものです。
本当に小さい ことです。 しか し、
タリー 国際理解 と平和賞ならびにノーベル平和賞 の受賞
アーティス トで、アフリカの少女たちを支援するバ ト
小規模なものに参加する ことによって、大 きな満足感を
ンガ財団創設者 のアンジェリー ク・ キジ ョー氏は 「アフ
得 られます。多 くの人たちが、それぞれ小 さな ことを始
リカ大陸は、私に大 きなものを与えて くれました。私 の
めれば、全体 として大 きなことができます」 と、小さな
責任は恩返 しをすることです。アフリカの人々に成功の
行為 の積み重ね によって、大 きなことが成 し遂げられる
チャンスを与える ことです。私がもらった大きなものは、
と話 しました。
また、「私は、 自分が知 らない ことを始め ます。その
両親が与 えて くれた教育です。音楽や スポーツをするた
めに私を支えて くれました。父は、アー ティス トにな り
ことによって、私は新 しい探検を したような気 にな りま
たければ、世界の人々にメッセー ジを伝 えたければ、世
す。皆 さまも新 しい ことを始めるのに躊躇 しないで くだ
界 の現実 を理解 しなければいけない と言 って くれ ま し
さい。実際には、何 も知 らない ことが強み になることが
た。 このよ うな両親を持 ったことは、私 に とって重要な
あ ります。私は通常 と違 うや り方をする ことがよくあ り
ことで した。健康問題 も同様です。両親は、予防接種を
ます。草の根 レベルから活動を始めるのです。草の根 レ
しっか りと受けさせて くれました。教育 と保健 へ のアク
ベルで活動をする ことによって、すなわち、下か ら見上
セスが私 の未来を形づ くった と思います」 と、両親に感
謝 の言葉を述べ ました。
げることによって、世界観が変わ ります。 マイクロクレ
ユニセ フ国際親善大使になった彼女は、アフリカの各
ジッ トもその考 えに基づいたものです。 グラミン銀行 も
同様です。通常、
銀行は、
地を訪れ ま した。「アフリカの女性 はアフ リカの背骨で
お金持 ちの人にお金を貸
あると言われてい ます。私 も母親ですか ら、母親の気持
しますが、グラ ミン銀行
ちがよくわか ります。母親は子 どもを助けるためにはど
は貧 しい人をお客 さんに
んな ことでもする、 とい うことを考 えれば、母親たちの
しています。 グラミン銀
決定 が どのようなものか理解する ことができると思 いま
行 のお 客 さんの 97%は
す。子 どもの健康が、母親 に とっては最優先事項です。
女性です。非常 に貧 しい
世界 の健康問題 は切迫 したものがあ ります。なぜな らば、
女性です。 グラミン銀行
解決策がない ものが多いか らです。 しか し、解決策があ
の職員が、それ らの方々
る問題でも多 くが成 し遂げられていない、 とい う状況に
の所 に 出向 いて行 って、
あ ります。私がアフリカのベ ナンで育 った時、ポ リオに
その方の家で ビジネスを
感染 した友人がた くさんいました。予防接種を受けられ
します。 これまで、
毎年、
なかったのです。西洋か ら来たワクチンだか ら、それに
15億 ドルを融資 してい
よって別の病気に感染するとい う噂があ りました。私が
ます。担保は取 りません。
44
THE ROTARY―
NO―
TOMO
2012 VOL.60 NO.7
契約書 は交わ しません。 しか し、非常 に うま くい ってい
って、満足感を得 られ、自分 も幸せになることができま
ます。 ニ ュー ヨー クで も同 じことを始 め ま した。 4つ の
す。皆さまが行っている営利事業のほかに、 ソーシャル
支店 が あ って 9,000人 のお 客 さんが い ます が、す べ て
ビジネスをや って ごらんにな ってはいかがで しょうか。
が貧 しい女性 ですJと 、逆転 の発想 によ り、そ して、 先
そ うすれば、世界を変える ことができると思 います。世
人観を持 たない ことによ り、新 しい ことができることを
界は急速 に変化 しています。 これか らは、 もっと変化が
示唆 してい ます。
激 しくなるで しょう。今まで想像 もできな い速 さで社会
「貧困は、それ は体 制 がつ くりあげ た もの だ と確信 し
が変わってい くと思 います。今、できない ことで も、将
てい ます。貧困を解決す るには、体制を変 えな くては い
来、可能 になることもあ ります。ですか ら、不可能だと
け ません。例 えば、銀行 は、お金のない人 にお金 を貸す
思われていることを、今 か ら可能だと考 えてみてはいか
のではな く、既 にお金があ る人 にお金を貸 します 。 この
がで しょうか。例えば、ポ リオの撲滅は不可能だ と考 え
結果、 世界 の
3分 の 1の 人 は銀行を利用 してい ません。
られていましたが、可能にな りつつ あ ります。 いずれ貧
グラ ミン銀行 は、それを変 えよ うとして います。困 って
困も過去 のものになるか もしれません。決意があればで
いる人 たちにお金 を上げ るのではな く、 ビジネスを通 じ
きます」 と述べ 、不可能な ことへの挑戦 も促 しました。
て人 々を 自 立させ る必要がある と思 い ます。 ビジネスを
通 じて 問題 を解決す る と、資金が返 ってきます。そ して 、
その資金を何度で も利用 できるのです。 これを ソー シャ
ル ビジネス と言 い ます。 ほかの人を幸せ にす る ことによ
間もな くポ リオのない世界がや つてきます
第 3回 本会議 は、 ロー タ リー財団をテー マに、さま
ざまな角度か らの講演があ りました。
2011-12年 度学 友人道 奉 仕 世界賞 を
受賞 したジ ョン・ スカー リッ ト氏 (オ ー ス
トラ リア・ ハ ンプ トン RC)は 、そ の受賞
あ い さつ で 自身 の 研 究 や 活 動 につ い て 話
し、「世界 に貧 しい人 々がい る中で、研究
な どぜいた くに感 じられ るか もしれ ません
が、非常 に重 要な ことです 」 と話 し、研究
者 が国の復興のために尽力 した例を紹介 し
ま した。 そ して、「飢 餓 に 対 す る闘 い は 、
人類を開放す る闘 いだ と、ケネデ ィ大統領
が言 っています 。 ロー タ リー は 、これ まで、
・ユヌス氏、ジョン・スカーリッ
左から、ムハマ ド
ト氏(左 )に 学友人道奉仕世界賞を授与、ブルース・
アイルワード氏
平成 24年
7月 号
E-tt)-aE
45
ほかの NGO(非 政府組織)が や
っていない ことにも支援 していた
だいてい ます。あ りが とうござい
ます」 とロー タリアンヘ の感謝で
締め くくりました。
ポ リオ撲滅について、世界保健
機関のポ リオ緊急・ 国家間協力事
務局長であるブルー ス 0ア イルワ
ー ド氏 は、「2年 前、イ ン ドにつ
いて、 この国 でポ リオの撲滅なん
てできるはずはない、 とい う皮肉
な 言 い 方 を して い る人 が い ま し
R:会 長賞を倉吉 RCの 代理で同地区の
た。 しか し、今、イン ドはポ リオ 渡辺好政パストガバナーが受賞
R!会 長賞を受賞 した第 2660地 区の
岡部泰鑑ガバナー
のない国 にな りました。ですか ら、 ロー タリー の『ポ リ
オのない世界を』 とい う目標 は、一 歩前進 したのです。
が、その傍 らで、ポ リオ後の世界 に も目を向けてい ま
ワクチンの開発、政府の協力は大切です。 しか し、一番
す。私たちは、もっと大 きな夢を見て、 もっとた くさん
大切なのは、 ロー タリアンがいたとい うことです。 ロー
の達成感を味わい、永遠 の違 いをもたらす ことがで きま
タリアンは自分たちの資金を出 して、イ ン ドのすべ ての
す。 2013-14年 度、ロー タリー財団の『未来 の夢計画』
子 どもたちがワクチンを得て、監視活動がきちん と行わ
に全 面的 に移行する ことにな ります。そ して、私たちが
れるように定めました。 ロー タリアンはまた、 自らの時
持 っているすべ ての リソースを活用 してい くことにな り
間を割 いて、すべ ての子 どもたちにワクチンが投与され
ます。 ロー タリー は これか らもより良い年度になってい
るようにがんばって ください ました。イン ドか らポ リオ
きます。 RI戦 略計画 によって、時代 に即 して、ロー タ
がな くなったのは、 ロー タリーの成果です」 とロー タリ
リー をさらに力強い組織に してい くことがで きます。 し
ー を称賛 しました。
か し、戦略計画は新 しい ものではな く、 これまで ロー タ
ことができます。私たちはそのために力を注 いでいます
さらに「ポ リオワクチンを受けていない子 どもがあれ
リーが何を してきたかを思い起 こす ものです。ロー タリ
ば、それは世界の緊急事態 と言 えるで しょう。ロー タリ
ーの一番大切なものは、 1905年 にポール・ ハ リスが ロ
アンー人ひ とりが立ち上がって、ポ リオを止めようと言
ー タリー を創立 して以来、変わ ってはいません。変えて
っていただかなければいけません。皆さまの行為 は、ポ
はいけない ものです。ロー タリアンになるとい うことは、
リオを阻止する上で大切なものです。各国の政府に財政
自らの欲望ではな く、ほかの人たちのニー ズを考えるこ
的な支援を していただけるよう、要請する必要があ りま
と。
私たちの 中核 となる価値観を心に とどめてお くこと。
す。皆さまのエネルギー 、皆さまの養護、皆さまの寛大
毎 日の生 活 の 中で、超我 の奉仕 とい う第 1標 語を実験
さを、緊急事態に対する動力に していただきたい と思い
する ことです。毎 日の生活 の 中で、四つの テス トを実践
ます。間もな く、ポ リオのない世界がやつてきます。あ
する ことです。私たちが これか ら迎える年度は、 ロー タ
と少 しです」 と締め くくりました。
リーの未来 にとって、 とても大切な時期にな ります。私
たち一人ひ とりが ロー タリー の未来 に対 して、責任を取
こころの 中 に潜んで いるエネルギ ー を出す
らなければな りません。 2013-14年 度、す べ ての ロ
最終 日に 開催 された第 4回 本会議 には、 ロー タ リー
ー タリアンが超我の奉仕を、 さらに 107年 間続ける こ
に とって重 要な行事 があ ります。 2013-14年 度 の R
とができるような力強い組織を これか らも築き、明るい
I会 長、 RI理 事、 ガバ ナーの選挙です。 ここで RI会
将来を強めてい くよう、お願 い したい と思います」 と述
べ ました。
長 エ レク トに選出された ロン D.バ ー トン氏は、受諾演
す。今は、 ロータ リアンにとって、非常にわ くわ くする
2011-12年 度 のバ ネル ジー RI会 長 は、チ ェンジ
ー
メ カー賞 とRI会 長賞を設け、地区や クラブに参加す
よ うな時期 だ と思 います。 これ までの ロー タリー 107
るよう、呼びかけました。チェンジメーカー賞は、該当
年 の歴史 の 中でも一番素晴 らしい時期ではないか と考 え
年度 に、5つ の奉仕部門 における活動を通 じて大きな影
ます。私たちは、間もな くポ リオのない世界を実現する
響を生み出 したか どうか、基準を満た したクラブを表彰
説で 「ロー タリアンになることは、非常に光栄なことで
46
THE ROTARY―
NO―
TOMO
2012 VOL.60 NO。 7
す る ものです。基準を満 た した 5,000を 超 えるクラブ
の 中か ら、 クラプの規模 ごとに世界 で 3つ の最優秀 ク
ラブが選ばれ ました。 RI会 長賞 も同様 に、クラプの規
模別 に、最優秀 クラブ、優秀 クラブが発表 され ました。
会員数 51∼ 100人 の クラブ とい うカテ ゴ リーで、倉
鳥取県)が 優秀 クラブに選ばれ、
吉 RC(第 2690地 区 。
同地区パ ス トガバナーの渡辺好政氏 が代理で受賞 しまし
た。地区では 15地 区が RI会 長賞 に選ばれ ま したか、
その中に、 日本 では唯一 、第 2660地 区 (大 阪府)が 入
り、同地区 ガバ ナー の岡部泰鑑氏 が表彰を受けました。
閉会本会議 で、 バ ネル ジー RI会 長 は、 この大会 の
ために尽力 した、国際大会委員会ならびにホス ト組織委
員会 のメンバー、会場監督 に感謝の辞を述べ ました。
田中作次 RI会 長 エ レク トは、平和 について考 える
ように呼びかけま した。そ して、「ロー タリーの奉仕 を
通 じて、私たちは、大きな問題 のように見える ことでも、
力を合 わせれば、す ぐに解決 できる ことを学びます。人
リアンに『 こころの中を見つめよう 博愛 を広げるため
に』 と呼びかけた時、私は この ことを考 えて申し上げた
わけです。まず、 自分か ら始めなけれ ばいけません。 自
分 に一番近 い家族 か ら始めなけれ ばいけません。世界 を
変 える とい うアイデアを実践 しよ うとす るのな ら、 ま
ず、私たちは自分を変 えていかなければいけません。 自
分 が努力を して、言行が一致するように考 えていかなけ
ればいけません。田中 RI会 長エ レク トは『奉仕を通 じ
て平和を』 と呼びかけ られました。 これはロー タリア ン
に欠かす ことのできない基本的な考 えではないか と思い
ます。私たちは具体的で現実的な平和 を毎 日の生活の 中
で、一人ひ とりが築きあげています」 と、まずは自分か
ら始める ことの大切 さを、 ロー タリア ンに話 しました。
そ して 「ハ ング リー 精神 で 自分 の心の中に潜んで い
るエ ネルギー を引き出さなけれ ばな りませ ん。それによ
って博愛を広げていかなければな りません。それが本 当
の幸せではないか と考 えています。 ロー タリー は人生の
幸せを与えて くれます。皆
さまが ,い の 中 を見 つ めて、
を思 いや る ことを学び ま
す。 自分 と違 った境遇の
人 はみな同 じである と理
博愛 を広げるため に活動 し
て くださ った ことに感謝 し
解 できます。 ロー タリー
ます。 これか らもさ らに、
の奉仕 を通 じて、私 たち
は、何かを達成 しよ うと
皆 さまの家族、地域社会、
人類を抱擁 し、奉仕 を通 じ
す るな ら、対立 よ り協力
て平和を推進 していただき
を選ぶのが得策 である こ
たい と思います」 と結びま
とを知 ります。 ほかの人
した。
の 長所 と短所、両方 を尊
冒頭 に紹 介 しま した よ
うに、
今回の国際大会 には、
人 々 と知 り合 う こ とで、
重 す る こ とを 理 解 し ま
す。 そ して、 どんな人か
カルヤン 。バネルジー Rl会 長
田中作次 R!会 長 エ レク ト
日本 か ら 3,500人 以 上 が
らも必ず得 る ものがあ り、教 え られ るものがある ことを
学 び ます。私 は、「超我 の奉仕」 は単 な る標語 ではな い
参加 してい ますが、大会が開 かれて い る コンベ ンシ ョン
セ ンターで、それほ ど多 くの 日本人 に会 う ことはあ りま
と考 えてお ります。それ は、誰の人生を も、 さ らに豊か
で、有意義な ものにす る、生 き方を示 している と思 い ま
せんで した。 しか し、観光や ゴル フに興 じてい るばか り
す。 ロー タリア ンは 、 自分 よ りも、 ほかの人 の ニー ズを
重視 します。 自分 のためだけではな く、社会全体 のため
ではなか ったよ うです。 自分 たちの クラブが実施 したタ
イでのプ ロジェク トの視察 に行 つた り、新 しいプ ロジエ
ク トを始 めるために地元 の ロー タ リア ンと打 ち合わせ を
を考 えます。『超我 の 奉仕』 とい う言葉 は、人生 で本 当
に大切 な こと、エ ネルギ ー を注 ぐべ き ことは何 なのかを、
した り、 また、姉妹 クラブ の ロー タ リア ンたち との交流
を深 めた り、忙 しい時を過 ごしていた ロー タリア ンたち
私 たちに教 えて くれ る言葉 です。そ うす る ことで、 よ り
平和 な世界 の基盤 を築 く ことがで きる と考 えます」 と、
の話 も数多 く耳 に しま した。
自らの年度 の RIテ ーマ を『奉仕を通 じて平和を』 とし
この 大会 を期 に、 タイの ロー タ リア ンた ち と友好 を
さ らに深 め、 また、 タイをは じめ とす る多 くの 国 々へ の
た ことを述 べ ま した。
新 しい奉仕が ス ター トす る ことで しよう。
バ ネル ジー RI会 長 は、 閉会 の 辞 で 「ロー タ リー で
大切 なのは、言葉 ではな くて行動 です。 そ して、私 たち
が どの よ うな組織 であるのか、 とい う ことです。 ロー タ
平成 24年
7月 号
*役 職は当時のものです。
取材 『友』編集長
二神
ロータリーの友
典子
47
F圭
山田町
被災者 に贈 る希望 の鐘 の音
山
ムロ
一
准
「鎮魂 と希望 の鐘」 と「保存 ロー タリー大時計」
第
2670地 区
東 [1本 大 震 災 か ら 1年
後 の 2012年 3月
H日 、
世界社会奉仕委 員会委 員長
森本奈津 子
親 しい人を 亡 くされた方 々に とっては一 月忌 にあたる
この 日、海 に 向か って祈 りを ささげる人、 コン ク リー ト
北 は北 海道 中標津 、南 は長崎県諌早か らの ロー タ リアン
の L台 だけが 残 った家があ ったで あ ろ う場所 に花 を手 向
約 30人 は、 観光 バ スで 、盛 岡か ら遠野 、釜石、大槌 町
ける人の 姿 に 、震災後 どの よ うな一 年 であ ったかを お も
を通 り過 ぎ、岩手 県下閉伊郡 山田町 へ 向か っていた。 こ
んぱか り、胸 の詰 まるよ うな道 中であ った。
の 日、ガイ ドを務めて くださった大久保 舞 さんは、 山田
町 に親戚が い る と話 し始 め、震災 以降 の 町 の様 子を涙で
声を詰 ま らせ なが ら語 って くれ た。
美 しい リアス 式海岸沿岸部 には大小
焼 け 焦 げ た ロ ー タ リー 徽 章 の 大 時 計
昨年 6月 5日 、 第
150の 浜があ り、
2520地 区 パ ス トガ バ ナ ー の 田 国
良 一 氏 と菊 池弘 尚氏 、盛 岡北 ロー タ リー クラブ
(RC)
浜 ごとに漁 を生 計 とす る集落が 成 り立 っていた。 トンネ
の 会 員 とロー ター ア クター の 計
ルを抜 ける と目の 前 に浜が広が り、 また トンネルを抜 け
か よ し公 園」で山田 RCの 震 災後初例会 をサポ ー トした。
る と浜が 日に入 る。 しか し、 浜 の風景 は、決壊 した まま
真新 しい ロー タ リー 旗 と国 旗 の 贈 呈、盛 岡北 RCか
の堤 防、津波 の 爪痕の残 る変形 した道路 な ど、 6か 月 前
ら鐘 を寄 贈 し、山田 RCの 阿部 幸栄会 長 による復興を祈
に訪 問 した時 とほ とん ど変わ る ことな く無情 な姿 を さ ら
念す る点鐘 は感動 の 瞬間であ ったそ うだ。 協同 の奉仕活
していた。 どこまで も続 くかの よ うな穏 や かな砂浜 は 、
動 として「なか よ し商店街」 で炊 き出 しや 支援物資の提
津波 に砂 が さ らわれ急 深 の海岸 に変わ った。振 り返 る と、
供を し、今後 も支援 を続 ける とい う約束を して山田 町を
急 勾配 の 山が迫 り、代替居住地 を探すのが 容易でな い こ
後 に した。
8
コ 4
.
とはわれわれ に も理解 できた。
20人 は、 山田町 の「な
その帰 りに立 ち寄 った 一 面焼 け野原 の 中 の 」 R陸 中
は型 F
THE ROTARY― NO‐ TOMO
2012 VOL.60 NO.7
山田駅。一 同の 目に真っ先に飛び込んできたのは、駅舎
の上で焼け焦げ、3時 27分 に針が停止 した無残な姿 の
製作 し、 カラヤ ンが世界 で一 番美 しい音色 の鐘 と言った
ロー タリーの徽章 の大時計 (直 径 1.5m)で あ った。後
長崎 の鐘 がモデルにな ってい る」 とい う ことであ つた。
震 災以 降、現 地 で 活動 す る第 2520地 区 の ロー タ リ
に、 この時計 は、山田 RCが 創立記念に町に寄贈 し、以
ア ンに とっては、毎 日毎 日が働 哭 の 日々であ り、お亡 く
来 41年 間町民 の皆 さまに時を刻み続 け愛 されてきたも
のだ とわかつた。故郷 の大惨事 に駆 り立て られるように
毎 日のように被災地に足を運ぶ盛岡北 RC会 員でパ ス ト
な りにな られ た方の魂 を鎮め、被災 され た方が悲 しみか
ガバ ナ ーの 田日良一 氏 と直前会長 の田口絢子氏の夫妻
は、 この時計 の ことが とても気がか りにな り、山田町 を
訪問するたびに行方を追 った。時計は山田の駅舎 の解体
に合わせ 、町役場 のごみ収集場 に放置 された。たまらな
くな った田口絢子氏は、山田 RCの 阿部会長 と連携 し、
防災 の意識高揚 と記憶の継承 の意味を込 めて永久保存 の
ら癒や され る “
何 か "が 必要 であ る と感 じ模索 していた
鎮魂 "“ 癒や し"に なる
時期 であ つた。被 災 され た方の “
か どうかわか らなか ったが、鐘 の 音色 で少 しで も気持 ち
が晴れ るのではな いか とい う気が し、す ぐさま田口絢子
氏 に連絡 を差 し上 げた。
11月 21日 、 田 口 良 一 。絢 子夫妻 は、 中標 津 の “開
陽台幸 せ の鐘 "を 視察 の 後、 山田 RCへ 情 報 を伝 えた。
方法 を模索する、 とい う方向で関係各所 に働きかける こ
開陽台 幸せ の鐘 "の き
山 田 RCの 阿部会 長 も賛 同 し、“
ょうだ い鐘を 山田町 に建立 し、併せて、 ロー タ リーの 人
とになった。
時計 を設置す る方 向 で、関係 各所 に働 きかけ る ことにな
った。
「鎮 魂 と希 望 の鐘 」 建 立 ヘ
事 業 の 最 大 の 難 問 は用地 で あ る と思 われ た。 い まだ
第 2500地 区 (北 海道東部)、 第 2520地 区
昨年 9月 、
。
。
(岩 f‐ 宮城 )、 第 2670地 区 (香 川・愛媛 徳島・ 高知)、
被災 された方 の 多 くは避難所 で生活 している とい うだけ
ではな く、町 の 復興計画 も描 けな い状況 であ る。 にもか
イ・ カンボジア)の 4地 区合同で大槌
町の小中学校 6校 にロー タリー財団のマ ッチ ング・ グラ
かわ らず、山田 RCの 阿部会長 は、行政か ら全面的な支
第 3350地 区
(タ
ン ト事業 として ピアノ寄贈 プロジェク トを実施 させてい
ただいた
(『
友』 20H年 12月 号横組 み P16∼
17)。
援 を得 、江戸時代 に 年貢米 の 一 時貯蔵場所 として、 また
旧山田町庁舎、旧 図書館 が設立 されて いた恐 ら く山田町
で歴史 上一 番 由緒 あ る 「御蔵 山」 とい う最 高 の場所 を ご
活動 を通 じて常に情報を共有 していた第 2500地 区ロ
ー タリー財団副委員長の笹谷方夫氏が、地元 の標津郡中
提供 いただいた。 これ によ り 3月 11日 に焦点 を合わせ
標津町 の開陽台 に、所属する中標津 RCが 30周 年 の記
幸 せの鐘 "の 写真 を Facebook
念事業 として寄贈 した “
2670地 区へ は、年度が始 まる前か ら、 1978年 の
夏か らの青少年交換 のマ ッチ ド地区である第 7470地 区
ヘ ア ップ した。360度 見渡 せ る視界 と透 き通 るよ うな
(ア メ リカ)か ら、 ロー タ リー 財 団 の 日本復興 基金 へ の
青 い空 に魅 せ られて Youtubeの 動画を探 してみた。鐘
の音色 は、地球の裏側まで届きそ うな澄んだ音色 であっ
1万 ドルの送金 のほかに、約 5万 ドル と H標 を設定 した
た。笹谷氏 にお聞き した ところ 「鐘は小樽 の木下合金 で
事業 は一 気 に進展 した。
第
チ ャ リテ ィーイ ベ ン トを開催す るので、 ロー タリー 財団
のマ ッチ ング・ グラ ン ト事業 の企 画 ができな いか とい う
一月六日、田中作次RI会長 エレクト
も出席して、地鎮祭が行われました。
束 日本 大 震 災
平成 24年
7月 号
ロータ リーの友
49
申 し出をいただいていた。
笹 谷 氏 が ロー タ リー 財 団 との事 前折 衝 を繰
り返 して くださ ったが 、最終的 に補助金対象 と
して認め る ことはで きな い とい う最終 回答が も
た らされ たの は 11月 末 日であ つた。第
7470
地 区 には「Bell of Requiem and Hope」 プロジ
ェク トを世界社会奉仕 とい う位置 づ けで拠金 を
お願 い した。
鐘 は中標津 の鐘 同様 に 小樽 の 木下合金、コ ン
ク リー トア ー チ は 中標津 コ ンク リー ト、総合 設
ll惇 氏 の
計 は 第 2520地 区 パ ス トガ バ ナ ー・小り
設計事務所 、周辺 工 事 は盛 岡 の 高光建設 と決定
し資金総額 も明 らか にな った。資金提供 を 申 し
くの報道陣や町民 の方 々 とともに私 たちは山田町御
出ていた第 2670地 区に続き、
第 2500地 区も増田ガバ ナ
ーの GOサ インをいただき、国際 ロー タリー (RI)会 長
蔵 山 に立 っていた。御蔵 山 のす ぐ前 には、 一 年前 の
エ レク トの田中作次氏が在籍する第 2770地 区か らも支
が っていた。空 には亡 くな られた方 々の 涙か とも思
援が寄せ られ、
事業総額950万 円が見事 に集められた。
われる冷たい涙雪が舞 っていた。
今 日、地域 に牙を剥 き襲 いかか ってきた山田湾が広
2012年 1月 6日 、「鎮魂 と希望 の鐘 」 の地鎮祭 と、
山田 RCの 新年初例会が予定 された。1月 なが ら晴れ渡
除幕式は沼崎町長 のあいさつの あと粛々と進行 し、サ
イ トウ 。キネ ン 。オー ケス トラ &い わてフィルのメンバ
り春を待 つ雰囲気 であったこの 日、直後 に国際協議会を
ー が讃美歌「主 よ御許に近づかん」を厳かに奏でた。
・田中作次氏 と、
控 え多忙を極めていた RI会 長エ レク ト
元 RI理 事・黒田正弘氏が駆けつ けて くださったそ うだ。
純 白の幕 に覆われた「鎮魂 と希望 の鐘」「保存 ロー タ
リー 大 時計」 の 除幕 は、元 RI理 事・ 黒 田正弘氏、第
2500地 区・ 増 田 一 雄 ガバ ナ ー、第 2520地 区 。菅 原
地鎮祭は、山田町 の沼崎町長を迎 えて厳かに執 り行われ
田中氏 に碑銘 の揮豪 をお願 い した ところ快 く引 き受
一 博 ガバ ナ ー、第 2670地 区 PG。 飯忠悟氏 (美 馬精
一 ガバ ナー代理 )、 第 2770地 区・ 井橋吉 一 直前 ガバ ナ
けて くださったとお聞きした。そ して、国際協議会開催
ー 、そ して全世界に会員を有するロー タリー らしく、第
中の最 も忙 しい時期に揮豪 して くださ り、関係者 一 同、
7470地 区か らマ ジソン RCの エ ルス ワー ス氏 らが務
氏の心の大きさ懐 の深 さに感 じ入った。
め、
続 いて一人ひ とりの祈 りをのせて「鎮魂 と希望 の鐘」
た。
支援の灯を贈 り続けたい
2012年 3月 11日 、 ロー タリー の各地区の代表、多
が打ち鳴 らされていった。
帰 りの便の関係 で一足早 く帰路に着 いたわれわれは、
被災時刻 の午後 2時
46分 を、宮古市 の海岸か ら山川へ
曲 が るカー ブの地 点 で迎 えた。 田口良一 氏 の
発声 の も と黙祷 を行 い、犠牲 にな られた方 の
ご冥福 をお祈 りした。
陸前高 田、大槌町 に次 いで人 口に対す る被
災者 の割合が高 い 山田町で、今 回 の プ ロジ ェ
ク トが被災 され た方 々の心 へ 響 き、未来 へ と
希望 をつ なぎ、山田駅舎の時計 同様 に地 域 に
長 く根付 く事業 であ る ことを願 いつつ 、復興
には程遠 い長 い 年月を要す る破壊 された街 へ
の 、時間が経過す るごとに薄れ てい く支援の
灯 を、 ささやかなが ら贈 り続 けたい とい う思
いを共有 した除幕式の参加 であ った。
*文 中の役職は、当時のものです。
Ш J"│
50 THE RoTARY-No-ToMo
2012 VOL.60 NO.7
花 壇 で鎮魂 の 山を華 やか に
山 田 ロ ー タ リ ー ク ラ ブ を 訪 ね て (第
民間では一番広 い「ホール」
モノクロの世界がカラーの世界になつたよう
5月 26日 。今 日は、山田 ロー タリー クラブ
第 2520地 区、会員 15人 )と 名川 RC(第
2520地 区・ 岩手県)
との こと。別 の場所 にあっ
(RC/
2830地 区、
た店舗は、津波 と火災で焼
失。創業
58年 、父親 か ら
会員 14人 )と の合同例会。岩手県 山田町中心部 にある
御蔵山に合同で花壇を作 ります。御蔵山 には、町営の共
店を継 いだ代表 の大杉繁雄
会員が、被災直後 の心境を
「鎮魂 と希望の鐘」 (横 組み P48∼ 50参 照)、
同浴場 と、
そ して 1971年 、山田 RC5周 年時 に寄贈 され、40年
語 りま した。「 も う本 当 に
にわた りJR陸 中山田駅 の駅舎で町民 を見守 り続けた大
ち上がれないんですよ。そ
時計 が保存 され、山田湾を見下 ろしています。山田町 は
津波後、火災 にも見舞われ ました。時計は焼け焦 げ、針
れで『がんばる』 といつて
は津波 の襲 った 3時
27分 を指 して止 まっています。
が っ くりして しまって、立
もね、
全然その『がんばる』
の意味がわか らない」
午前 11時 、名川 RC会 員 と名久井農業高校イ ンター
アク トクラブ会員総勢約 40人 を乗せたバ スが御蔵山 に
昼食中、大杉 さんは 15年 前か ら岩手アカモ ク生産協
同組合 と協同で研究を続けてきた天然海藻 「アカモ ク」
到着。花壇作 りは高校生たちのおかげで手際よく進め ら
れました。3年 生の指示でサル ビア、マ リー ゴール ドな
の佃煮 を紹介。栄養価 が高 く、医薬品へ の研究 も進ん
ど、約 1,000個 のポ ッ ト苗を植 えます。 一 緒 に植 えな
が ら、山田 RC会 員が高校生たちに昨年 3月 11日 の こ
とを話す場面 も見 られました。作業後 は、並んで鎮魂 の
鐘を鳴 らしました。大き く澄んだ音 が海に響きます。
「花を植 えて いただき、あ の丘がモ ノクロの世界 か ら
カラーの世界 になったような感 じで、本当に良か ったで
す」。植樹後 の例会 で、阿部幸栄会長 はあいさつ しました。
例会場 は、4月 30日 に共同仮設店舗 で店を再開 した「三
陸味処 三五 十」。今 日は ここを会場 に した初例会で も
現在 の 山田町では、
あ ります。50人 も入れば満員ですが、
でお り、ア カモ クヘの注 目度 も高 まっています。昨年 3
月 17日 にお披露 目の予定 が震災で全てを失 いましたが、
組合 の冷蔵庫 に残 っていて、9月 に 「岩手県 ふるさと食
品 コン クール」に出品 した ところ、最優秀賞 を受賞。そ
れか ら大阪をは じめ各地を飛び回 り、今 はイベ ン ト出店
な どで奔走の 日々だそ うです。
事務局、例会場全壊 ……ロー タ リー どころ じやない
山田町 は東 日本大震災 で死者 。行方不 明者 771人 、
被災家屋 3,367棟 (46.7%)と い う甚大 な被害を受 け
ま した。山田 RCは 、会員 15人 中 14人 が被災 し、家
東 日本 人 震 災
平成 24年
7月 号
ロータリーの友
51
族や職場 の従 業員を失 った会員 もいま した。例会場 は全
す よ。 (ロ ー タ リア ンを助 けるのはロー タ リー 的でな い、
壊、事務局 も津波 後 の火事で全焼。 資料 は 「個人 がたま
とい う考 えもあ りますが )そ れ は確 かに一つの原則論 だ
たま持 ってい た ものが 無事」 とい う状態 で、 公的な もの
とは思 うけ ど、うちの会 員 の半分 は 自宅 も職 場 も失 って 、
はす べ て失 い ま した。阿部会長の 自宅 は幸 い 残 りま した
まさにロー タ リア ンが被 災者なんです。 物資を持 って き
が 、職場 を失 い ま した。震災か ら約 1週 間後 によ うや く
て『 さあ山田 RCの 皆 さん、 これを配 って ください』 と
つ いた 町役場 の 仮 設電話 か らガバ ナ ー 事務所 に電 話 し、
言われて も、『 こっちは被災者 だ』 と言 いたい けれ ども、
休会 を申 し出 ま したが 、当時 の楢山直樹 ガバ ナー か ら「支
なかなか言 えない」
援す るか ら、 クラブを続 けて ください」 と要望 され ま し
被災後、最初の 例会 は、盛 岡北 RCと 合 同で炊 き出 し
た。 しか し、 事務所 も例 会場 もあ りませ ん。「 ビ ック リ
を行 った 6月 5日 。 その後 もい ろい ろな クラブの 来 訪
したの は、通 帳 の コ ピー を見 た ら、残 高 が 6,000い く
らだった。『何 これ !?』 って」
を受 け 、月 1∼ 2回 、不定期 に 、主 に野外 で例会を開催。
「 と りあ えず 振 り込 むか ら」 と、 姉妹 クラブの 東京浅
草
RC(第 2580地 区 )が 約 130万 円 を送 って くれ、
ガバ ナ ー 事務所か らも義援金が きて、そ こで「 これ でで
きるな」 と思 ったそ うです。「あれが なか った ら、 まさ
外部 の クラブが 、山田 RCと 連携 して地域 に物資を届 け
るかたちの 支援 が続 きま した。
『や まだの作文』第
40集 は復興 メモ リアル に
終 わ りだな』 と思 いま した もの。 ロー タリー どころ じゃ
で した。お父さんの手首 とせ 中
ない ってい うのが本 音で したか ら」
には、けがを して血を流 したあ
山田RC元来 のバナー ︵
左︶は震災 で失 っ
たが、事務
局
の
女
性
が
た
ま
た
ま
枚持 っ
1
ていたため再印刷 できた。右 は ﹁
鎮魂と
希望 の鐘﹂がデザインされた限定版
『や まだの作文』 は 山田 RCの
・●
山 田町 内の小 中学 生の 文集
gt た」 (豊 間根小学校 3年 生)
きて、『はい 、 どうぞ』 と。 それを 配 るの も大 変 なん で
に
お父 さんを 見 てな いてい ま し
が 来 て『○ 日に行 きます 』。 で 、 トラ ックで 乗 り付 けて
,
,
,ヽ・
パtぼ く
つ ・
”‘“
とがあ りま した。お母 さんは、
なが らも、応 対 に戸 惑 う場面 もあ ったそ うです。「電 話
,10颯
キ o‘
被災直後 は全 国か ら多 くの物資が届 け られ、 助 け られ
やまだの作 え
″ 一鵠
〆
に クラブの 存続 自体 が ダメだ った。『あ あ、 これ で も う
「お父さんが帰ってきたのは、
しんさいか ら二 日後のお昼 ごろ
長年の継続 事業 で、偶然、今 年 2月 発刊 の 号 が第
40集
とな る 記念 号 で した。 クラブで 協議 の 結果、「 この よ う
な ときだか らこそ 、大震災後の メモ リアル として『 ゃ ま
だの 作文』 だけは必 ず発刊 しよ う」 と決め ま した。
「ただ 、『 この 時期、子 どもたちに作文を書かせていい
ものか どうか ?』 と。 で、先 生方 に 相談 した ら『いや 、
大丈夫 で しょう』 と。そのかわ り、テーマ や例 は『家族』
『学校生活』『将来 の 夢』 な どに して 、震災の ことは一 切
入れ ないよ うに しま した。被災 していない学校 もあ りま
す か らね。 しか し、結果 的 に
3分 の 1強 の 子 どもた ち
「可墜LI□
52
THE ROTARY― NO― TOMO
2012 VOL.60 NO.7
が津波 の ことを書 いてきたんです。予想
通 り、結果 としてメモ リアルになったん
です」
この特別号を全国のロー タリアンに読
んでほ しい と、1万 部を刷 り、全 クラブ
に送 る ことに しま した。予算 は例年 の
10倍 。印刷費、運送費、贈 呈式な ど約
300万 円の資金 は、地区、東京浅草 RC、
大阪金剛 RC(第 2640地 区 )、 藤 岡南
RC(第 2840地 区)な どの協力で集 ま
りま した。発刊後 は全国紙 に載 り、 マ ス コ ミに も取 り上
げ られ、予想 を超 えた反響があ つた との こと。
「今 回、被 災直後 か ら多 くの 支援 を受 けて、あ らため
て『 ロー タリーの存在 は偉大 だなあ』と実感 しま したよ。
ス ピー ド感 と、 パ ワー があ つた し。 パ ワー とい うのはお
した食堂 で食 事す る とか。 や つぱ り人や お金が動 いて 、
循環 して初 めて、全体 の復興 にな る。 ロー タ リーで動 い
て、その間に誰かが はまって い つて、そ こに経済効果 が
出る。 まさに、職業奉仕 なんです よ」
全国の ロー タ リア ンに今、 こ うして ほ しい とい うもの
金 とい う意味でね。 ロー タ リー って どこかで いい加 減 だ
はあ りますか ?「『 これです 』 とはなかなか言 えないで
とい うの は無 きに しもあ らず だ ったけれ ども (笑 )、 今 回
すが、戻 るよ うですがや は りお金。お金 があれば必要 な
ほ どその存在 を実感 した ことはないですね」
ときに、必要 な ことがで きます」。
4月 、仙台 での地 区大会 には、 15人 中 10人 が参加。
「や っぱ り全 国 の 皆 さんか らの支援 があ つて クラブが存
在 しているわけだか ら。参加 自体 が恩返 しの 一つの 具体
会 員身分維持 のための継続的、か つ 具体的 な支援 も必
要 との こと。「例 えば人頭分担金 が今後 も全額免 除 され
れば、それだけ クラブか らの支出がな くなるので 、実質
的な かたちだか ら、出よ う、 と」。『や まだの作文』事業
で クラブは 「ガバ ナ ー 特別賞」 の 表彰 を受 け ま した。
的な支援 にな る。 それ に『 もら う』 もので活動 す る と、
どこかで後 ろめたさがな いわけではないが、公的 に『免
人やお金が循環 して初めて、全体の復興 になる
除』 して もらえば、 どこかで後 ろめたさも薄 くな り、そ
れ も実質的な支援 にな ります。 正 直、そ うい う思 いがあ
現在 まで、会費 を徴収せず に クラブ運営を しています
が、今後 の ことになる と、阿部会長 の顔 は曇 ります。「会
費を取 る と辞 め る と言う人 も出るか も しれ ません、私 を
含め て (笑 )。 震災 前 の状態 を 100と す る と、戻 ったの
はい い ところ 60レ ベ ルです。 30の 人 もい るで しよう。
ります」
本格的な衝 づ くり開始 は数年後
今 回 の御蔵山 での花壇作 りは、名川 RCの 提案 で実現
した もので、名川 RCは 5か 年計画 で植樹 を継続予定 で
とは相談 しない といけな い。 正直、全国か らの義援金 で
す。閉会 あ いさつで 、阿部会長 は述 べ ま した。「たぶん、
1年 後 も町並みはあ ま り変わ っていないのでは、 と思 い
クラブを維持 している状況です。 で も、 いつ まで も義援
ます。復興 は
金 に頼 るわけには いかないだろ うか ら、 どうすれば いい
い ます。毎年来 ていただいて、変化 を感 じ取 つていただ
のか 」。会員が集 まる こと 自体 が大変 なので、今後 も例
ければ、あ りがた いです 」
そ うい う中でや つぱ り会費は取れな い 。で も次年度 の こ
会は不定期開催 が続 くよ うです。
これか らの復興で最 も必要 な ものは ?「 実感 として、
5年 、 10年 とい う スパ ンにな ろ うか と思
「三五 十」 の 外 も、御蔵 山周辺 もまだ、建物 の f_台 だ
けが残 され たで こぼ この 大地 に、営業を再開 した仮設店
いのですが、物資 だ と、その地域で買 い 物 を しないので、
舗 な どが点在す る光景が広が つています。山田町 の 防潮
堤 (9.7m)の 完成が 5年 後。来年、沿岸 地域 のか さ L
地域 でお金が回 らな い。地域 でお金が回つてほ しいわけ
げ工事が始 ま り、本 設 の街 づ くりが始 まるのはそれ以降
です。物資支援 な ら、現地 で調達 して もらえれば、結果
です。全 国 ロー タリア ンか らの、息 の長 い支援 が求め ら
れて い ます。
*文 中の役職は、当時のものです。
やは り現金です。物資支援 はそれはそれで大変あ りがた
として二 重、 二重に潤 います 」
山田町 には 、新 しいホテル もで きつつ あ るそ うです。
「山田町 に来 ていただき、 この『 三五 十』 の よ うな再開
取材協力 :大 島 達治 (友 地区代表委員、仙台RC)
愛
取材 :編 集部 山名
束 日本 大 震 災
平成 24年
7月 号
ロータ リーの友
53
i■
:
:: .
II II
村i島 原 子力発電所近 くの町では、避
難 のため人々が退去 し、ウシやイヌが
街をさまよい歩 いています。建物 の L
にあ るバ スや 車 は、2011年 3月 11
日の東北沿岸部 を襲 った津波 に打ち寄
被災 した漁師の人へは、仕事に戻れるよう漁網を寄贈
せ られたものです。がれ きで景観は損
なわれて います。 ロー タリー財団管理
か ら、精神的支援へ と変わっていきま
は、全 て
委 11お よび、東 日本震災復興基金 日本
した。親を亡 くした子どもたちが気持
費、
旅費な ど l己 負担 で行 つています。
委 11会 委員長 の小沢一 彦氏は被災地 で
ちの安 らぎを見つけるようカウンセラ
プ ロジェク トでは、学校に放射線淑1
ロー タリー主導の奉仕活動について話
ー を派遣 した り、図書館を開設 しまし
定器な どをllrlつ た り、津波で倉庫が倒
すllキ 、彼が感 じている重片しさで笑顔
た。「私 たちは被 災地 の人 たちが落 ち
壊 し、保存 していた水産物が腐敗 して
は曇 ります。新たに現実問題に取 り組
込んで いることを知 りました。中には
しまった lド 場 にハエ 1防 止の網戸を設置
むためには、 自分 自身が楽観的 にな ら
自殺を考 えた人 もいました。彼 らは希
した りしています。 ロー タリアンは病
な くてはな りません、と彼は話 します。
望を失 っていたのです」
院 に 医療器 具、支援物資 を運んだ り、
Lf・
1内
のロー タリアンで、会議
│′
被災者 の多 くが精神的な困難を抱 え
東 日本震 災復興基金 へ は、 7月 ll印
がれきを撤去 した り、移動 手段 のため
ていますが、それ らの人々を支援する
刷時点 で 700万 ドルを超 える寄付 が
の車輌を購人 しました。新 しい トラク
ため、 ロー タリアンのプ ロジェク トが
集 まっていますが、基金が寄付を受け
ター 、温室、乳 牛を寄贈す ることで、
、
1ち
付けて い る 6月 末 までには 800万 ド
被災 した人たちが仕 事に戻れるよう支
食料、テ ン ト、衣料な ど緊急を要する
ルを超 えるだろうと小 沢氏 は推測 して
援 しました。経営者の人たちへ は事業
必需出
いの支援 の 中し出 に資金 の拠
:l中 ′
い ます。地震 と津波後 の 数 か月 の う
の復興計山iを 立て られるように仮設の
出を しま した、 と小沢氏は話 します。
ちに 100万 ドル強の マ ッチ ング・ グ
商工会議所をつ くりました。流 されて
時間がたつにつれ活動は、物質的支援
ラ ン トが承 認 され ま した。 同基金 は
しまった漁網 の寄贈を受けた漁師 の人
11げ
られ ま した。 il初 の うちは、
2011イ F7月 1日 か らは
たちは、大変 喜んで くださ り、最初に
沢氏 が委員長を務める東 日
捕れ た魚をボランティアを していたロ
本復興基金 日本委員会で管
ー タリアンにふるまって くれた、 と小
理 され て お り、 160を 超
沢氏 は話 します。「この よ うな例 は枚
えるプロジェク トを支援 し
挙にい とまがあ りません」 と彼は触れ
てきました。
ます。
/Jヽ
Z O ∽Z]工 Ш︺ンコく ヽいШ︺ く ゞ〓 ン∝く卜〇 ∝
震災復興基金 は、プロジ
日本 のロー タリーでは伝統的 に哲学
ェク ト費用の 25%を まか
的なものを 重ん じてきた と、小沢氏は
なってお り、残 りの費用は
言い ます。「ロー タリーの 理想 といえ
クラ ブや 地 区 に責 任 が あ
ば、ロー タリーの綱領か、職業倫 r甲 の
ります。 同基 金 が 支 援 し
ような ものです。今卜lの 震災は、不 幸
た活動 による経済効果 は、
ではあ りま したが、 自分たちができる
3,200万 ドルにもなるだろ
ことに気付 かせて くれました」
うと小沢氏は予想 していま
ある市では、震災後、4つ の クラブ
す (海 外 の姉妹 クラブ、lll
が解散を考 えていたのを小沢氏は知 っ
妹地 │ス は独 自にプ ロジェク
ていますが、「 世界中か らの寄付や 支
トに資金拠出 しています )。
援を見て、気持ちを変えま した」
復 興 委 11会 の 6人 の 委 11
54
THE ROTARY―
NO―
TOMO
― DIANA
SCHOBERG
2012 VOL.60 NO.7
2013年 RI国 際 大
会への登録は、― .rotary.orgtta/
リス ボ ン で の
conventionか ら。
クラブ数 34,335ク ラブ
532地 区
国 と地域 200以 上
地区数
ロー ター アク ト会員数 210,979人
国際大会カ ウン トダウン
世界遺産の探訪
ポル トガルの首都 リスボ ンか ら 20
マ イル (約
今後の R:国 際大会
クラブ数 9,173ク ラブ
2013年 6月 23∼ 26日
国 と地域 160以 上
ポル トガル・ リスボン
イ ンターアク ト会員数 329,015人
2014年 オース トラリア・ シ ドニー
2015年 ブラジル・ サ ンパ ウロ
2016年 韓国 。ソウル
クラブ数 14,305ク ラブ
国 と地域 120以 上
2012年 4月 30日
*2012年 3月 30日
**2012-13年 度
32km)ほ ど離れた丘にあ
るのはシ ン トラの街。 ユ ネス コの世界
統計
遺産 であ り、イギ リスの詩人 バ イ ロン
全世界 ロー タリアン総数
が「エ デンの園」と称 した ところです。
1,228,690ノ `
リスボ ンで 開催 され る RI国 際大会
(2013年 6月 23∼ 26日 )に 参加す
るロー タリアンは、 リスボ ンか ら電車
で 40分 の この街 にある数 々の文化財
や景観を 目にすることで しよう。
ペー ナ宮殿は、かつてのポル トガル
王族の夏の宮殿で、そ こか ら見渡す海
岸線 は絶景です。色彩豊かな城を眺 め
た り、緑 に囲まれたJヽ 道を歩 いて午後
を過 ごしてはいかがで しようか。
9世 紀 にムー ア人によって築かれた
ROttARY
漱 λ、
。
.p
ロータ リーの
ニ ュースは
lξ f)‖
管理委員長の思い
眸
今年度の 日標
2012-13年 度 ロータリー財団管理委員長 ウィルフリッ ド (Wi10ウ イルキ ンソン
J。
ロータリー
財団管理委員
長の任務を引
き受ける こと
は一つのリヒ
戦
で す。 特 に、
ビル・ ボイ ド
の研修 を行います。
3.財 団のプロジェク トとプ ログラ
ムを通 して、田中作次 RI会 長 の
今年度 のテー マ「奉仕を通 じて平
和を」 の実践 に努めます。
4.各 クラブ、各 ロー タリア ンに年
次寄付 をす るよ う呼びかけ ます。
大切なのは寄付をするとい う気持
ムー アの城跡 は、 1755年 の大地震 で
元 RI会 長 のような多大な貢献を し
た方の後任 ともなればなおさらの こ
廃墟 と化 し、現在は詩情をたた えた景
と。 とはいえ、任務 について知 らな
一 人 当た り少 な くとも 100ド ル
観を今 に残 しています。文化遺産群 の
い とい うわけではあ りません。私た
とい う目標 があれば、寄付 も奉仕
中心 であるシン トラ国立宮殿は、保存
ちの財団が これまでに達成 してきた
こと、現在行 っている こと、そ して、
も今 まで以上に増 えることで しよ
状態 のよいムーア様式の建築物です。
20世 紀初頭、あ るポル トガル の大
富豪 が抱いた奇抜な創造性 が形になっ
ちで、額ではあ りませ ん。 しか し
う。
今後実践 してい く活動を熟知 し、敬
5.「 未来 の 夢」 の も と実施 され る
愛 す る ことな しに、50年 もロー タ
リアンを続ける ことはできません。
人道的 プロジェク トを完遂できる
その奇妙で不思議な敷地 には、楽 しい
私 の 任 務 は、寄付 を募 り、賢 く
よう、各地区、 クラブに資金管理
の方針導入 を確実に します。 これ
隠れ家 へ続 く曲が りくね った小道が走
投資 し、効果的に資金 を利用する 3
によリロー タリー は、会員に とっ
り、植物 が生 い茂 る庭、岩窟、噴水、
点 に絞 られます。今年度 を真に実 り
多 い ものにするため に、財団管理委
てよ り透明性 と魅力を もつ ものに
員会 では計画をもたなけれ ばな りま
これ らの 目標 の 難 易度 は、地 区
せん。そ して各地区、各 クラブ、そ
それが レガ レイラ宮殿です。
た建造物、
石塔 が点在 しています。探索好きな方
は、懐 中電灯 を片手に、漆黒 の トンネ
ルを歩いてみるのもよいで しよう。
歴史遺産群 の探訪 で歩 き疲れ た ら、
シン トラ近代美術館 で休憩を。資産家
ベ ラル ド所蔵 の ピカソ、
であるジ ョー 。
モ ン ドリア ン、ウオーホル 、デ・ クー
ニ ング、カル ダー による作品のほか、
多 くのポル トガル芸術を楽 しむ ことが
できます。
平成 24年 7月 号
- Susie Ma
な ります。
して一人ひ とりの ロー タリアンにそ
や クラブによって異なるかもしれま
せん。 しか し、 レイ・ クリンギ ンス
の計画 に加わってもらう必要 がある
のです。私 たちは、5つ の 目標 があ
ミス元 RI会 長が唱 えた「よ り大き
く、豊かで、大胆 な」 ロー タリーを
ります。
実現するには、熱意 と確信を持 って
これ らの 目標 に取 り組む ことが不可
1.ポ リオを撲滅 します。
2.2013年 7月 1日 の「未来の夢」
欠 とな ります。
全地区導入 に向け、地区 とクラブ
ロータ リーの友
55
神戸 ハーバー (2680・ 兵庫県)
〒 654-0121神 戸 市須 磨 区妙 法寺 字
荒打 315-7中 野石材内
大分キャ ピタル (2720。 大分県
)
敬弔 第 2500地 区 。日1島 正道氏が 4
月 27日 逝 去 され ま した。80歳 。謹
んで哀悼の意を表 します。
(Jヒ 見西 RC会 員・ 2001-02年 度 G)
〒 870-0816人 分市田室町 9-20レ ン
レ大分内
プラン トホテタ
(建 物名称変更)
事務所住所変更
例会場・ 曜 日・ 時間変更
上川 (2500。 北海道)
ll(2500・ 北海道)北 の森 ガー デン
上り
〒 078-1742上 川郡上川町西町 7-10
新潟 (2560・ 新潟県)全 例会
徳光勝俊方
小見川
12:30
(27900千 葉県)全 例会 18:30
加賀白山 (2610。 石川県)
赤平 (2510。 北海道)
〒 079-H35赤 平市錦町 2-6
ホテルア ロー レ
福島 21(2530。 福島県)
小矢部中 (2610・ 富山県)松 ざかや
石和 (2620・ 山梨県)金 → 木
〒 960-8001福 島市天神町 1-3-5
大阪イブニ ング (2660。 大阪府)
海道光生舎内
Jヒ
アンビックス 5
Jヽ
山東
(2550。
201号 室
ホテル トラスティ大阪安倍野
直方 (2700。 福岡県)
栃木県)
〒 359-H27所 沢市星 の宮 1-4-17
所沢西 (2570・ 埼玉県)
大分キ ャピタル (2720。 大分県)
角田 ビル 3階
〒 285-0037佐 倉市本町 41-6
宇佐ホテ ル リバーサイ ド(建 物名称変更)
古河 (2820。 茨城県)
宮崎南
〒 306-0052古 河市大山 1740-76
佐土原 (2730・ 宮崎県)
(2730・
宮崎県)宮 崎観光ホテル
サ ンホテルフエ ニ ックス
小林静子方
東京小平 (2580。 東京屠)
│1内 (2730・ 鹿児島県)り ll内 ホテル
リ
〒 187-0045小 平市学園西町 2-13-33
東長崎 (2740。 長崎県)
3-14-10
和泉南
(2640。
東長崎→ 長崎みなと (2740。 長崎県)
2012年 6月 1日 承認
第 2泉 洋 ビル 201号
〒 589-0005大 阪狭山市狭山 2-949-1
〒 6270012京 丹後市峰山町杉谷 943
(第
茨木東 (2660。 大阪府)
〒 5670881茨 木市上中条
56
THE ROTARY‐ NO― TOMO
3階
2012年 5月 9日 終結
駒沢大学付属岩見沢高等学校
岩見沢)
(第 2510地 区・ 北海道 。
今年度『 友』誌
1月 号 ∼ 6月 号
表紙写真再募集
今年度 『友』誌表紙写真 につ き
ま しては、 ロー タリアンか らの ご
果 は今月号縦組み P29、 ホ ー ム
なお
2013年 1∼ 6月 号 の 写
真を再募集 いた します。テーマは
フ リー です。再 募 集 は 9月 末 日
締め切 りです。詳細は、今月号縦
2680地 区・ 兵庫県 。篠山)
クラブ事務所 。例会場 。例
2012年 4月 1日 会員数 12人
〒 669-2314篠 山市東沢田 224
会曜 日や開始時間な ど、各種変更につ
篠山市立篠山中学校 内
いては、決 まり次第、 ロー タリーの友
挙
事務所 までお知 らせ ください。
発会
1920
茨木商 工会議所
2590地 区・ 神奈川県・ 川崎大師)
ャパ ン』を ご覧 ください。
篠山市立篠山中学校
303号 室
神奈川県立大師高等学校
組み P29ま たは 『ロー タリー ジ
新イ ンター アク トクラブ
京丹後 (2650。 京都府)
プラザホテル吉翠苑 3階
インター アク トクラブ終結
掲載 しました。
箕面中央→箕面千里中央 (2660。 大阪府)
2012年 5月 29日 承認
大阪金剛 (2640。 大阪府)
30H逝 去 され ま した。 82歳 。 謹
ん で哀悼 の意 を表 します。 (東 京 日本
橋 RC会 員・ 20H-12年 度 G)
ペー ジ『ロー タ リージ ャパ ン』 に
クラブ名称変更
大阪府)
〒 5940071和 泉市府中町 1-103
。片倉章雄氏 が 5
応募にお礼申 し上げます。審査結
ホテル JALシ ティ長崎
コスモー 橋学園 ビル 4階
第 2足 立 ビル 4階
2750地 区
レ大分 (建 物名称変更)
レンプラン トホテフ
玉名 (2720。 熊本県)月 →木
宇佐八幡・ 宇佐 2001(2720。 大分県)
〒 252-0303相 模 原 市 南 区相模 大 野
第
2012年 3月 31日 終結
佐倉 (2790・ 千葉県)
相模原南 (2780・ 神奈川県)
月
(第
大分中央 (2720。 大分県)
水→火、大分オ アシスタワー ホテル
〒 3591143所 沢市宮本町 2-2225
敬弔
西 日本カ ン トリー クラブ
〒323-0806小 山市中久喜 5-2-1関 医院内
所沢東 (2570・ 埼玉県)
敬弔 第 2750地 区・ 鈴木 正二氏が 5
月 18日 逝 去 され ま した。90歳 。謹
んで哀悼の意を表 します。
(東 京立り
‖RC会 員 。2003-04年 度 G)
会長
川上
幹事
松下
奈央
願い
2012 VOL.60 NO.7
地区別クラブ数 0会 員数・ 出席率一 覧表 (4月 末現在)
新 ローターアク トクラブ
地区
高石
(第
2640地 区 。大阪府 。高石)
発会 2012年 4月 25日
会員数
H人
〒 590-0940堺 市堺区車之町西 2-1-30
南海 グリルポ ピア南海 3階
会長
宮口奈菜美
幹事
木岡祐佳子
『友』誌代等 のお 振込 み
減部 についてのお願 い
0
本年度『友』誌上半期分 (2012年
7月 号 ∼ 12月 号 )の 友誌代請求書 を、
7月 1日 付 で全 クラブヘ お送 りいた し
ました。
なお、預 り金や未収金 のあるクラブ
には、「預 り金・ 未収金明細書」 を同
封 してお ります。
お振込み の前 に、必ず請求書な どの
金額を、 ご確認 くださるよう、お願 い
いた します。
また、6月 6日 以降の会員変動 によ
る減部 は、 7月 10日 までに ご連絡 い
ただければ、「8月 号 ∼ 12月 号」の減
部 として対応 させていただきます。
7月 11日 以降 に ご連絡 いただいた
減部 はす べ て、下半期 1月 号 か らに
な ります ので ご了承 ください。
2500地 区
第 2510地 区
第 2520地 区
第 2530地 区
第 2540地 区
第 2550地 区
第 2560地 区
第 2570地 区
第 2770地 区
第 2790地 区
第 2800地 区
第 2820地 区
第 2830地 区
第 2840地 区
第 2580地 区
第 2590地 区
第 2600地 区
第 2610地 区
第 2620地 区
第 2630地 区
第 2750地 区
第 2760地 区
.第 2780地 区
第 2640地 区
第 2650地 区
第
RC数
会員数
66
72
2,263
2,633
83.10
81
2,221
83.70
67
42
50
57
53
78
84
52
59
40
47
2.298
1,020
1,718
2,062
82.11
71
3.134
2,269
87.47
2,091
8821
2,659
3,101
84.56
3,220
87.34
80.77
舞事26701也 区
62
56
66
79
80
92
82
66
73
97
83
74
2680地 区
74
舞:2690'也 区
67
60
74
75
64
57
第 2660ナ也区
第
2700地 区
第 2710地 区
第
第 27201也 区
第
2730地 区
舞ヨ2740ナ也区
34地 区合計
追加購読 は、残部がある限 りお受け
いた します。随時 ご連絡 ください。
2.300
85.37
*第 2520地 区の数値は概数 です。
80.26
84.48
日本の ロータ リー
会員数 89,006人
クラブ数 2,292
(左 の表 中 34地 区合 計か ら、第 2750
地区の PBグ ループを引いた数です)
85.36
81.34
1.771
2.537
2,773
8148
1,652
87.76
2,076
86.15
84.05
83.20
1,088
1,952
ガバナー月信より 第 2750地 区のクラ
ブ数・ 会 員数 は、 PBグ ルー プ 8RC
311人 (北 マ リアナ諸島・ グアム・ ミ
クロネシア・パ ラオ)を 含みます。P4「 日
本のロー タリー」数は、34地 区合計か ら
PBグ ループを引いた数 にな ります。
84.08
85.18
修正 本誌 6月 号横組み P52(3月 末)
表中、第 2700地 区会員数 を 3,167人 、
34地 区合計会員数 を 89,043人 へ修正。
表外、 P4「 日本 のロー タリー」最終行
の会員数を 88,732人 に修正。
90.10
4,591
4,907
2.272
2.129
9459
*『 ロー タリージ ャバン』の「ロータリー
83.49
86.98
関連資料」 には、デー タ修正後の表を掲
載 してお ります。
4,616
90.45
3,721
87.10
2,983
2,945
3,129
3,184
3,301
87.52
92.43
86.42
8925
2,440
89.31
85.83
2,350
81.56
2,211
85.24
89,317
ー OA
以上、よろしくお願 い 申 し上げます。
出席率 (%)
8月
号 主 要記事予 定
'9ツ
横組み
正
本誌 6月 号縦組み P34・ 表
紙 のメ ッセージ中、上段最終行 を 「わ
が家は農家で したか ら」→ 「わが家は
農村 にあ りま したか ら」へ 、おわ び と
特集記事 会 員増強 へ の 取 り組 み方
座談会 会 員増強 につ い て
ロー タ リー の基 礎知識
ともに訂正 いた します。
RIお よび ロー タ リー の 財 団 国 内委 員
ご投稿・ お問い合わせは――
縦組み
〒 105-0011 東京都港区芝公園 2-6-15
黒龍芝公園 ビル 4階
一般社団法人 ロータ リーの友事務所
.rotary.orjp
ホームペー ジ
ー
tel.03-3436-6651 fax.03-3436-5956
編集部メール hensyu@rotary no― tomojp
平成 24年 7月 号
お金 の 世界 か らいの ちの世 界 へ
飯舘村村長 菅野
典雄
この人、この仕事 木 曽
長
RC)
(小 倉
ロータリーの友
日本 回― タ リー分布図
ROTARY DISttRICTS
000COO―
―
〇〇〇〇〇〇――
〇〇〇 ‐――――
地区
テリトリー
ガバナー名
□ 第1ゾ ーン
□ 第2ゾ ーン
ロ 第3ゾ ーン
2680
(兵 庫
石丸 鐵太 郎
)
2770
{埼 玉南東 )
田中
徳尚
2570
(埼 玉西北
鈴木 秀 憲
)
・
認 5〒 響
2580
2590
(神 奈川
露木 雄二
)
■ 理事会
月刊
編職
代表理事
片岡 信彦
(土
浦 南)
理 事
高野 本男
(甲
府)
板橋 敏雄
(足 利 東 )
中村
(東
ロータリ…の友
第60巻 7月 号
2012年 6月 30日 印 O1 2012年 7月 1日 発 行
昌平
員
長
渡辺
誠二
(東 京みなと
編集長
二神
典子
(東 京築地
編
稲 川 やよい
所
集
黒野
穣二
中山 義之
(横 浜 南
)
野崎
恭子
神崎 正陳
(茅
ヶ崎 湘南 )
山名
愛
上野
(横 浜
安平 和彦
(姫
瀬下 龍夫
(壬 生 )
口… タリーの友 事 務所
桑月
心
(高
山
高原
武彦
(有
田)
石川 正一
(那
覇 西)
佐久間崇源
(東
京 目黒 )
小林lll― 郎
(甲 府 北 )
E口
奥津
勉
(横 浜 )
表紙 印刷
森本
行俊
(東
高木
洋一
011崎 中
大澤
成美
(東 京 臨海 )
渡辺
員
松宮
剛 (茅 ヶ崎湘南
)
北
清治
石川
正一 (那 覇西
備 和東
)
)
菅原 光志 (鎌 倉
)
高島 凱夫 (大 阪中之島
)
THE ROTARY―
経
NO―
TOMO
鈴 木弥寿 子
理
)
郵便 振 替
(東
京み なと
(東
京 築地 )
事
高良
明
011崎 西 )
豊
一
(千 葉 中央 )
相談役
船越
秋山
美子
弥生
昴」
大 日本 印刷 (株 )
半七写 真 印刷工 業 (株 )
一 般 社 団法 人 ロータリーの 友事 務 所
〒105-0011
)
誠二
冨澤
半田
三井住友銀行浜松町支店
口座番号 (普 通)フ 450015
口座 番号 001808‐ 694591
振込銀行
京 町田サル ビア )
二神 典子
監
58
路)
)
佐久間崇源 (東 京目黒
)
)
飯 田亜 由香
)
一般 社 団法人
爾社
□□□
)
京 JD
孝
□
マリアナ精島・グアム
・
・パラオ
ミクロネシア
佐久間崇源
1ヒ
東京都港区芝公園 26-15黒 龍芝公園ビル 4階
)
電話 03-3436-6651
FAX 03-3436-5956
ホームヘージ www rotary Orり p
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(本 体
200円 ・ 消 費 税 10円 /送 料 別 )
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2012 VOL.60 NO.7
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代 表 田中すみ子 国際団体事務局を経てメディアで活動
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東 京 店 /〒 1460081 東京都大 田区仲 池上 2丁 目 8-13 ● (03)3755‐ 8488(代 )水 曜定休
載
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器 者歴 渫
品 l」 輩 『 魂
層′訛 器 :17謂 楯
認
(022)213‐ 0666(代 )・ 日 祝定休
仙 台 店 /〒 9000821仙 台 市 青 葉 区 春 日 町 8-5● =お
1011(代 )水 曜定休
寸 1 丁 目 3-1 0 奮 (077)564‐
近江草津店/〒 5250027 草 津 市 野 オ
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福 岡 営 業所 /新 潟 営 業 所
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・兵庫本部
〒675-0066
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古川市加古川町
寺家町35-4
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東京都中央区京橋 2-10‐ 10
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TEL 079‐ 422-6105
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●お申し込み お問い合わせ 見学受付番号
面函0120(88)5575
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│
i over Story
『 ロー タリーの友』表 紙写 真
り のレベ ル の作品群 で二〇〇六年 から会 員
﹃ロー タ リ ー の友 ﹄ 誌 の表 紙 写 真 は かな
求 め てもよ いのではなかろうか、と いうよ
ふれ合 いに い っそう の融合 o交 叉 の瞬間を
二〇 一三年 一月∼六 月号 の
表 紙 写真 を 再募 集 し ま す
再募集 には、 さ らな る力作が数多 く寄 せ
二〇 一三年 一月号∼六 月号 の表紙写
真を再募集 いたします。 テー マはあり
ません。募集要領 は次 の通 り です。
うな感慨が よぎ った。
した作品 群 に期待を こめ て第 五回 の公募 を
られるよう期待 し て、選考を終 えた感想 の
さ ら に充 実
応 募 で つづ いてき て いるが、
つのり、 そ の審査が 五月 二十 八 日、芝 公園
① 締 め切り 一一
〇 一二年九 月三〇 日
② 点数 一人 〓一
点ま で
③ サイズ 紙焼 き 四 つ切り ︵
それ に
近 いサイズ も可︶
④ 添付資料 名前、ク ラブ、連絡先
住所 ・電話 。フ ァク ス、撮 影場所、撮
掲載 月および 掲 載 者
ジャーナリスト︶
一端 を記 し ておきた い。 ︵
の ロータ リー の友事務所 で行 われた。
今 回 の応 募 総数 は八十 九 点 ︵三十 二人 ︶
で、前 回 の七十七点 ︵
三十人︶を やや上 回
ったが、 作品 の表現 にお いては、前 回より
二〇 〓 一
年
影年月、撮影 のデ ータ ︵
カメラ名、使
審査 は、委員長 の片岡信彦氏、副委 員長
一一月号 浦上 澤之 ︵
一一
六九〇 岡山東︶
一一
吉 田 鉄也 ︵
エ
ハ八〇 明石西︶
ん。/入選作品 の著作権 は撮影者 に帰
属 します。 ﹁ロー タ リ ー の友 ﹂ は、 印
友﹄英語版、
刷物 ∩ ロータリー の友﹄、﹃
そ の他︶ならび にウ ェプ サイト ヘの掲
載 、展 示 など の使 用権 を保 有 します。
/応募作品 の返却 は いた しません。
になります。/掲載 に際 し て、賞金 な
らび に掲載料等 の支払 いは いた しませ
る場合があります。
/採 用決定作品 は、
ポジ フィルム、
掲載時 にネガ フィルム、
デジタ ルカメラ の場合 はデ ータが必要
真 の上 にタイトルそ の他 の文字 がかか
リ ミ ングをす る場合があ ります。/写
⑦ そ の他 表紙 のサイズ に合 わせト
他。
サ ヒカメラ﹄編集長 。現 ﹃
友﹄表紙解
説者 ︶、 ロータ リー の友 編 集 担 当 理事
タ リージ ヤパ ン﹄ 入選者名 のみ。
⑥ 審査員 ︵
予定︶ 岡井耀毅氏 ︵
元 ﹃ア
⑤ 発表 ﹃
友﹄
誌 、ホームページ ﹃ロー
ミリ︺、 露 出、 シ ャ ッタ ー
用 レ ンズ ︹
速度︶、簡単な写真説明。
八月号 川 口 登 ︵
二七〇〇 柳川︶
二七七〇 春日部︶
染 谷 英壽 ︵
かなり の落差 があり、全般的 にや や低 調 の
感 が否め な か った。それ でも最終 的 に選び
出さ れた力作 はかなり のレベル で、 八月か
九 月号 古 瀬 倶之 公〓ハ九〇 出奎
バ
中8
染 谷 英壽 舎一
七七〇 春日部︶
ら十 二月ま での年内 い っぱ いは決定 を みた
が、
後 記 のよう にあ と の各 月 は いま 一息 で、
の橋 本 長 平 氏、 編 集 担 当 理 事 の森 本 行 俊
井出 隆 之 ︵
二七 一〇 松永︶
一〇 月号 井上 秀夫 ︵
一一
エ
ハ五〇 亀岡︶
氏、横 山武志氏 に二神典 子編集長 らが立 ち
七九〇 船橋︶
一二月号 青木 忠茂 ︵
一一
さら に再募集す る こととな った。
会 い、各 月ご と に応募作品をま とめ て当落
七六〇 岡崎南︶
大 須賀 予偲 子 公一
一月号∼六 月号 未定
表紙写真審査の様子
をきめた。
今 回は コアー マ﹂を限定 しなか った ので、
かなり のひろが り のあ る多様 な展開が みら
れ ると期 待 し て いたが、 やはり従来 から の
﹁
自然美 ﹂ を モチー フにした風景 や花 、 ﹁
祭
り﹂ など の行事が多く、ご く素直 でスト レ
ートな視線 はうなず け ても、類型的 な発想
が多 く、 いま 一つ個性 の光 る視点 で力 強 い
表現 ま でにはほど遠 い感 があ った。 カ ラー
の色彩効 果だけ ではなかなか自然 のあ ふれ
る魅力 は とらえきれな いのだ。写真 は 一つ
の ﹁
ささ やかな発見﹂だ から、被 写体 と の
二〇 三 二年
丼
2012 VOL.60 NO.7
THE ROTARY― NO― TOMO
①
毅
耀
岡
総 評
5回 公 募 審 査
第
口…タリー フツトワーク
化 し て観光客が 戻 ってく れ る環境 と
な ってほし い﹂ と いう も のでした 。
駅構内 の解散 式 で、長島良亮会 長、
わ れわれは ロ
桶本親睦 委 員長か ら ﹁
ータリ ア ンと し て、ど のよ うな形 で
あれ、各地 への復 具支 援 を継続 しよ
う﹂とあ いさ つが あ りま した 。 これ
を受 け、 参加者 一同、有 意義 な親睦
旅 行 であ ったと 再認識 しま した。
私たち は
あ の日を 忘 れ な い
山本 理
あす と いう 日が ﹂ ︵
も の の、 ﹁
いう 日が ﹂ の合 唱は、満 員 の観客 を
感 動させま した 。
最後 に ﹁
被災 した 子ど もた ち の希
望あ る未来 への成 長を応 援す るため
に使 って ほし い﹂ と 使途 を 指 定 し、
収 益金 の 一部 を仙台市 に寄付 さ せ て
いただきま した 。
︵
東京東RC 大森幹彦 。記︶
被 災 者 支 援 のた め の
チ ャリ テ ィー コンサ ー ト
ブ
大東中央ロータリ12フ
支援 など を含 め、総 額 三〇〇 万円 ほ
ク ラブ では同じ地域 にあ る大 阪産
れば 、地 域 と共 にそれな り のことが
たク ラブ と し て目的 を持 って行 動す
今 回 の事 業 を 通じ、地域 に根差 し
ど になりま した 。
で被 災者 を慰 間、 テレビ など でも 取
業大 学と共 催 で、大 震災 から 一年 目
でき ると確 信 でき ま した 。
第 二六六〇地区 大阪府
東京都
り上げ ら れ るよう にな りま した 。 こ
東 日本
とな った今 年 二月 一一日に ﹁
第二五八〇地区東分区
当地 区東 分 区 一五ク ラブ の主催 に
絆﹂
大 震災 チ ャリテ ィー コンサ ート o
晴 ら しさが この歌ば かり ではな いと
今 回は、 八軒中吹奏楽合 唱部 の素
桐 蔭 高 等 学 校 吹 奏 楽 部 によ る演 奏、
学交響楽 団 TGS 24と地 元 の大 阪
プ ログ ラムと し ては、東京 藝 術大
を持 って います 。
も特 別 に深 い つなが りが あ り、交 流
した大 阪桐蔭 高等 学校 とは地域 的 に
八 四回選抜高等 学校 野球大会 で優勝
東 日本 大 震災復 興支援 チ ャリ
よる ﹁
の曲 は 昨 年 末 の N H K紅 白 歌 合 戦
で、 歌 手 の夏川り みさん、秋 川雅史
いう こと を知 ってもらおうと、 こ こ
一部余興を 入れた催 し物 で実 施 しま
ちな み にわが ク ラブ は、今春 の第
あ
テ イ・コンサート﹂を 二月 二二日、﹁
さ んも歌 いブ レイクしま した 。
出演 者 は世 界的 な ソプ ラノ歌手 の
を最後 に卒 業 す る 三年生 を招 待 。サ
した 。
一五〇〇席
な い﹂ を テー マに開催 。
サ イ ・イ エング ア ンさ ん を は じ め、
イさ んと の音 あわせもた った 二回 で
台市立 八軒中学 校 吹奏 楽 合 唱部 の三
区立 常盤中 学校合 唱団、 さら には仙
ング ・グ レイ ス﹂など を歌 い、大 ホ
アメ イジ
で ﹁アヴ ェ ・マリ ア﹂ や ﹁
サ イさ んはパ イプ オ ルガ ンの伴奏
売 上金 と 当 日 の復 興支 援 の募 金 箱 、
人たち に買 ってもら いま した 。そ の
五〇〇 円 の入場券 を各団体 や地 元 の
の会場 を ほぼ 満席 にしま した 。
新 日本 フ ィル ハー モ ニー交 響楽 団有
当 日、 約 一五〇 〇 人 入 る 会 場 に
年生 二八人が 参加 し てく れました 。
ール い っぱ いに響く歌声 で魅 了。 八
当 ク ラブ の社会 奉仕 の資金 に地 区 の
が行われて います。
地域や学校、児童生徒 の実態 に応
じ、創意 工夫を生かした教育活動
n 総合的な学習の時間
o
t
a 日本 の児童生徒が自発的 に横断
t
。
n 的 ・総合的な学習や探求的な学習
n
A を行う時間 のことです。
各学校 で、
本 番 に臨 ん でもら いま した 。
を 開催 しま した 。
れ から 一年 私た ち はあ の日を忘 れ
子作 詞/ 八木 澤教 司作曲︶と いう曲
被災者のため 「絆」 と題 してコンサー ト
志 によ る ア ンサ ンブ ル、地 元 の葛飾
八軒中 吹奏楽合 唱部 は東 日本大 震
あすと
軒中 学校 吹奏 楽合 唱部 と の ﹁
一枚
一二〇 〇 人 余 り の 人が 訪 れ、
災 で全 国大会 へ出 場 でき なくな った
①
ロータ リーの 友
7月 号
平成 24年
ソプラノ歌手のサイさんと中学生が合唱
ロータリー アントワーク
永 劫 に続 く こと を 願 って、 シ ンポ ジ
ウ ム を結び ま し た 。
︵
谷藤正人 ・記︶
会員 の絆を深める集会
宮 古 東 ロータリ12 フブ
の開催 でした 。
親睦 を深 め る必 要が あ ると判断 し て
たが、 このよう なと き に こそ交流 と
とだ け は制 約 をなく し、坂本宏ガバ
音 曲 は慎 もう﹂とす る 一方 、飲 む こ
第 二部 の懇親会 では ﹁
過度 な歌舞
は参加が かな いま せ ん でした 。
残 る、
会 員 二人 死亡 ︶
を 被 った 大 槌 R ⊂ ︵
した 。そ の後 、空が まだ 明 るく、名
酌 の日本 酒党 には最高 のごち そう で
ほど に語 るほど に骨酒が し み て、手
ナ ー補 佐が 自 ら釣 った イ ワナ、 ヤ マ
遠 野 R C、 釜 石 R C、 釜 石東 R C、
残 惜 し い思 いを抱き つ つ、 次 の再会
分 区には七 つの ロータ リーク ラブ
山 田R⊂、宮古 RC、宮 古東 RC の
参 加 した 会 員 た ち
を 約 し て解 散 。 ﹁
メ の骨酒 を各 テーブ ル に配膳 。飲 む
総勢六 〇 人、地 区か ら は鈴木祐太郎
は絶 対 に退会 はしな い﹂と密 か に確
︵
R ⊂︶ が あ り ま す が 、 壊 滅 的 被 害
代表幹 事 らが 参加 し、 予定 より 一五
信 を持 った集会 でした 。
や ト ラ ックば かりが 走 る 石巻市内 を
で下車 。学校跡地 は市 内 を流 れ る北
抜 け、 目的地 の市立 大 川小学校跡地
地復興を願う
と先生 の多 くが 今 も行方 不明だ そう
大津波 に襲 われ、
一〇 八人 いた 児童
谷地 区に位 置し、 川を逆流 し てきた
上 川河 国から数計肝さ か のぼ った釜
浦 和 ロータリ12 フブ
旅行
︵
吉田昇 ・記︶
分遅れ で開会 しま し た 。
第 一部 の基 調講演 では、 震災発生
当時 のガ バ ナ ー で、大 変苦 労された
楢 山直樹 氏が 当 時 から 現在ま での ロ
ータ リー によ る支援 状 態 に ついて話
し、次 いで各 ク ラブ の被 災状 況、支
援状 況を発表 し ても らうなど 、大変
第 二七七〇地区 埼玉県
報道 で事実 を 理解 し て いる つもリ
でも、悲惨 な様 子は十 分 には伝 わり
です 。
し でも復 興支援 に つなげ るべ く、桶
ま せん。今 回手配したバ スガ イド は
有意義 な勉強会 とな りま した 。
東 日本 大 震災 から 一年、 ク ラブ で
前 年度 の地 区第 四分 区 のイ ンタ ー
本毅 親 睦 委 員長 ︵
肩書 は当時 、 以下
被 災者 であり、 震災当 日 の様 子や 現
は、被災 各地 の復興を 願 い つつ、少
IM︶ は 三
シ テ ィーミーテ ィング ︵
同︶ の発 案 で親睦旅行先 を被 災地 で
状 を詳細 に説 明し てもら い、学 校跡
会 員 の絆 を深め る集 会 ﹂
月 二三日、 ﹁
あ る宮 城 県 仙 台 市 と 石巻 市 に決 め、
を テー マに、当 ク ラブ のホ スト で開
そ の後 は 石巻 を抜 け て松島 海岸 な
地 では、 それぞれ の思 いを胸 に、慰
初 日は仙台市 へ、源泉掛 け流 しが
ど を散策 し、夕方ま でに浦 和 に戻リ
﹁一日も 早く 音 に戻 り、 経 済 が 活 性
うた い文 句 の作並温泉 でお いし い料
翌 日は、 瓦礫 を整 理す る建 設機械
ま した 。被災地 の声 は、 異 口同音 に
三 月 一六 日 の定 時 例 会 の後、 総 勢
催 しま した。
二〇 一〇︱ 一一年度 は 三月 一二日
開催 予定 のと ころ、前 日 の東 日本大
震災 によ り中止 。今 回は、被 災 によ
る退会 、脱 退状 態 のク ラブ もあ ると
聞き 、 開催す るかど う か違 巡 しま し
理と 酒 に親 し み、
一泊 しま した 。
霊塔 の前 で持 参 の花 を供 えま した。
第 二五二〇地区 山
石手県
親被
睦災
二二人 で出 発 しま した 。
「手に手 つ ないで」を歌 う会員たち
2012 VOL.60 NO.7
THE ROTARY― NO― TOMO
○
害時の医療について、専門家の意見を聴講
雨の中、慰霊塔の前で手を合わせる会員
ロータリー アントワ…ク
第 一九 一〇地 区と第 一九 二〇地 区か
ら の招 へいを受け、 外 務省 やオ ー ス
ト リ ア政府 など の後援 で実 施 したも
のですが 、 この事 業が 外 務省 から高
く 評価さ れた ことが 、今 回 の招待 の
未 来 担 う 人 材 へ奨 学 金
ブ
伊勢原中央ロータリ12フ
広 間 入り 回の壁 面 には、各 国 の子ど
会場 とな った外務 省 飯倉 別館 の大
交 付式が 三月 二四日、気仙沼市 のホ
RC︶ の育英奨学金 助成
ー ク ラブ ︵
第 二五 二〇地 区 の気仙沼 ロータ リ
第 二七八〇地区 神奈川県
もたち から送 られ た励 ま し の絵 画が
テル で開か れ、各高 校から推薦 さ れ、
理由 です 。
あ り、眺 め るうち に涙が 出 て仕方が
大 学 に進学 す る生徒六人 に表 彰状 と
奨 学金 が授 与 さ れた。当 ク ラブ と第
あ りませ ん でした 。
外務大 臣 によ る各 国 の援 助 への謝
され る ことを 願 って いる。
の震災時 にど のような 医療 と後方支
援が 展開された かを市 民に広 く知 っ
てもら い、友好 の絆が 深ま る ことを
願 って開 いた も のです 。
大 雪 にもか かわ らず 、高校生 や千
厩 への避難者 など も含 め約 二〇〇人
の市 民が 参加 。当 ク ラブ 会 員 には当
日、駐車場 の雪かき でも汗を流 し て
もら いま した 。
メ ー ンは気 仙 沼 市 立 病 院 脳外 科
長、宮城 県災害 医療 コーデ ィネ ータ
気仙沼南 ロー
ー であ る成 田徳 雄氏 ︵
気仙沼
タリーク ラブ ︶ によ る講演 ﹁
にお け る震 災 時 医療 ﹂、 岩 手 県立 千
二七〇 〇地 区 の福 岡中央 RC の両ク
現岩 手 県立大 船渡病院
厩病院院 長 ︵
辞 から始 ま りましたが 、 大 臣 の心 を
な お、 私 た ち のク ラブ で は 二 月
千
院 長︶ の伊藤達朗 氏 によ る講演 ﹁
ラブ で この奨 学金 を助成 した 。
一七 日にも、地 区を通じ て被 災地 に
込めた スピ ーチは素晴 ら しく、よ い
東 日本 大 震災 で大変 な被害 の、気
支援金 と支援物資 を送らせ て いただ
勉強をさ せ てもら いま した 。
仙沼 RCは過去 三 一年 間、休 む こと
うな活動 を した のか、 わかりやす く
医療 の専 門集 団が 震災時 にど のよ
二人 によ る討 論 でした 。
厩病 院 にお け る後 方 支 援 医療 ﹂ と、
続 いて、福島 県立安 積 黎 明高校合
災害 医療
シ ンポジ ウ ム開催
いた 。
唱団によ る歌が披 露さ れ、全 国大会
な く気 仙 沼 にあ る高校 の優秀 な生 徒
へ、
一人 一〇 万円 の奨学金 を授与 し
金 賞 受 賞 校 の見事 な ハー モ ニー に、
二〇 一〇 年六 月、気仙 沼 RCが 創
てき た 。
一同聞き ほれ て いま した 。食事会 で
は、招待 のお礼 を述 べ た私 に、外務
話 し て いただ き ま した。行政 の垣根
職種 間 の垣根 を越 え たオ ープ ンで フ
立 五〇 周 年 で記 念 式典 を 開 いた 際、
石手県
第 二五二〇地区 山
ラ ットな情報管 理体制が大 きな力 に
を越 えた支援 や協力 体制、さら に多
﹁
生 き 残 る 人 にな れ、 人生 、 生 き る
層幅 を
ク ラブ では 二月 二五日、 ﹁
ブ
千厩ロータリ12フ
た め の戦 略﹂ を講演 。 この講演 を聴
越 え る絆 ︱東 日本大 震災 ・気 仙沼
最後 は、普段 から の災害 に備え準
第 一回奨 学 生 の藤 田進太郎弁護 士が
ロータ リー の実施 す る事 業が 国政
いた のをき っかけ に、伊勢 原中 央 R
と千 厩 におけ る震災時 医療 と後方支
備 を怠 らな いこと 、 関係機 関と垣根
来 年 も 続 け てく だ さ い﹂
大 臣から ﹁
レベ ル で評価 され る ことが 少 な い日
Cと し て事 業 に賛 同、地 区にも協 賛
援 医療﹂と 題し て災害 医療 シ ンポ ジ
と要請が あ りま した 。
本 にお いて、今 回 の出来 事 はイメー
し ても ら った 。
な った そう です 。
ジ の向 上 に役 立 った と 考 え て いま
と り、 そ の生 徒 によ る言葉、夢 と決
厩 町は県境 に隔 てられ て いると は い
宮城 県気仙沼市 と岩手 県 一関市 千
千 厩︶ の友好 関係が未 来
と 一関市 ︵
るよう若者 たち を激 励 し、気仙沼市
く ことを強 調 し、良 き リーダ ーとな
を越 えた顔 の見え る関係 を築 いてお
意 を 聞 い て感 動 し た。 こ の事 業 を、
え深 い結び つきが あ り、当 地 で今 回
ウ ムを開催 しま した 。
他 の ロータ リー クラブが も っと応 援
交付 式 当 日は、先生、生徒 一人 ひ
す 。な お、当 日 の様 子 は外務省 のホ
ームペ ージ を ご覧 くだ さ い。
︵
豊 田RC 斎藤直美 ・記︶
コ露Pミ〓〓〓・
P09﹄
ヨ0﹁
0、ヨoごヽ
ゴ彗ゴ一
σりヽ
バ●一
aoコヽ
J
﹃
0︵0﹁︲一NO︺・
0︲Qoコ
①
ロータリーの友
7月 号
平成 24年
伊勢原中央 RCほ かの支援を受け、奨学金の交付式
ロータリー フツトワーク
一報 く だ さ い。
︵
河丼宏文 ・記︶
間掘 り続 け て出 来 上が った荒 々し い
道路 の地 面から十 数 肝 も掘 り 下げ ら
れ て います 。陶 石を、 四〇〇年も の
白 い岩 肌が 露 出 し、 草 木 が な く、
像 を、市内 の各 団体や個 人グ ループ 、
師﹂ が 売 ら れます 。 これ に似 せた雪
四〇〇 年 以上前 から続 き、 伝統 工芸
起 き上が り小法
品、 縁 起 物 と し て ﹁
て いま す 。
一月 に 開 か れ る 初 市 は
念撮 影 に臨 みま した 。
員が 和気あ いあ いと作業 にあた って
有 田町泉 山 の磁 石場 に、 イ ロ ハモミ
し て、 日本磁 器発祥 の地 と いわ れ る
ク ラブ 創立 五〇 周年 の記念事 業 と
の列席 を得 て、 ク ラブ 会 員 三七人 に
はじめ商 工観光 課 長、造 園関係者ら
ま れ、有 田町長、 有 田 石場 組合 長を
一月 二七 日 の植 樹 当 日は好 天に恵
な って います 。
な場 所 であ ると 同時 に、観光名 所と
場 は、有 田焼 の歴史 を 語 る上 で重 要
から この方 、合 言葉 のよう に使われ
員が 製 作 実 行委 員長とな り、大 震災
を営 む若 手 のホ ープ 、佐藤 周 一郎会
ク ラブ では、 入会 二年 目 で石材店
回は復 興祈 願も 込めた イベ ントとな
一五チー ムが 参加 しま した。
り、
の意 匠や出 来 栄えを競 う のです 。今
会社 などが チー ム ごと に制 作 し、そ
睦 イベ ントとな りま した 。
を強 める ことが できた、有意 義 な親
み の暗 い話が多 い中 で、会 員 の団結
話 題 で大 いに盛 り上が り、 震災が ら
が 、数 日後 の夜 の移動例会 では この
準グ ラ ンプ リ﹂ でした
く も 二位 の ﹁
加味 し て行われま した 。結 果 は惜 し
後、 二月 一一日に 一般市 民 の投 票も
コンテ スト の審査 はそ の約 一週間
親睦 を深め、出来栄 え に満 足 し て記
雄大 な形が 残 って いま す 。 この磁 石
ジ を植樹 しま した 。
より植樹式 を執 り行 いま した 。秋 に
て いる ﹁
絆 ﹂ を テー マに ﹁
サザ エさ
日本磁器発祥 の地 に
イ ロハモミジを植樹
泉 山磁 石場 は 一六 一六 年、地 元 で
は真 っ赤 に色づ いた モ ミジ 並 木 を、
ん の 一家 ﹂ を、大 雪が降 った 翌 日の
一
有田 ロータリークラブ
陶 祖 と あが められ る韓 国人陶 工 ・李
皆 さ んに楽 し ん で いただ け る ことと
二月 五日、 ほぼ 一日が かり で つくり
二〇 一六年 には有 田焼 四〇〇年祭
ろ いのジ ャ ンパ ー に身 を 固めた若手
上げ ま した 。創立 二〇 周年 記念 のそ
三月 一二日、 NPO法 人 国際 ロー
RIJYEC
陶 石 の採掘場 です 。有 田 の町民 は親
を迎 えます 。泉 山 の磁 石場が、有 田
第 二七四〇地区 佐賀県
磁 石鉱 ︶
参 平 によ って初 め て、磁 石 ︵
思 います 。
外務大臣主催 の
レセプ シ ョンに列席
が 発 見 された、有 田焼 の原料 とな る
し みを 込め て ﹁
石場﹂ と呼 ん で いま
RI
タ リー日本青少年交換 委 員会 ︵
JYEC︶ 理事 長と し て、玄葉 光 一
から ベ テ ラ ンま で、
一〇人 ほど の会
葉 の美 し い景観が 有 田観光 の拠点 と
郎外務大 臣主催 のレセプ シ ョンに招
焼 の発祥 の地 と し て語 り継が れ、紅
なり、有 田 の更な る発 展 の 一助 とな
待 さ れ、列席 し てきま した 。東 日本
具体的 には昨年 八月、福島 の被災
アピ ールす るた め の催 し でした 。
す る謝意 を表 明 し、わが 国 の復 興を
大 震 災 発 生 後 一年 が 経 過 す る 節 目
に、犠牲者 を追悼 し、 国際社会 に対
れば、 と 願 ってお りま す 。
雪小 法 師 コンテ スト 参 加
ブ
喜多方中央ロータリ12フ
喜多方市 では冬 のにぎ わ い創出 を
二〇 一 一年 一 一月 号 横 組 み 二 八∼
と し てオ ー スト リ ア に 派 遣 ﹁友 ﹄
地 域 の高 校 生 二 一人 を 短 期 留 学 生
目的と した事業 と し て、 二〇〇九年
三〇 で 参 照︶。 これ は オ ー スト リ ア
第 二五三〇地区 福島県
から雪小法 師 コンテ ストが 開催され
2012 VOL.60 NO.7
TOMO
NO‐
THE ROTARY―
①
す。
力を合わせて、イロハモミジの苗を植樹
口…タリー フントワ ク
続事業 と し て、 近隣 のク ラブ ととも
実施 しま した 。
事 を知 ろう ︱ マイ ・リサー チ﹂ を
仕
それぞ れ の職 業 を紹介す る事業 ﹁
し、当 ク ラブ の会 員 のうち 一四人が 、
発表 、説 明を しま した。
わ か りやす いよう に 工夫 を凝 ら し て
が ると の考え方 から、会 員 同士 にも
す る ことが、地域 の職業奉 仕 に つな
今 後 も このような交流 の場 を広げ
る こと で、より地域 の活性 化 に寄 与
も とも と、 この中学校 では 二年生
を対象 に ﹁マイ ・チ ャレ ンジ﹂ と称
し た いと考 えます 。
ウ ツタ ラ R Cを訪 間
亀山弘晃 ・記︶
︵
必修 ︶を
す る職場 で の実 体験学 習 ︵
行 ってお り、 この取り組 みをも っと
掘 り 下げ る ことが できな いか、 と の
発想 から スタ ートしたも のです 。自
リサ ーチす る︶場
分 の興味 を探 す ︵
と し て、出 前講 義 的な形式 で開催 し、
ブ
藤枝口!タリ12フ
月 一九 ∼ 二五日、ク ラブが お世 話 家7
創立 四〇 周年事業 の 一環 と し て 二
国 の ロータ リ ア ンによ る国際色 の豊
らメーク ア ップ の会 員が あり、 三か
ま した 。偶然 にも オ ー スト ラリ アか
動など を報告 し合 って、 二時 間半 に
司 法 書 士 、 税 理 士、 銀 行 員、 大
工、 園芸 業 、 木 工業、落 語家 など 多
年 三 月 ま で︶ し て いた 米 山 記 念 奨
かな例会 でした 。
今年度 で 二回 目になりま した 。
岐 にわた る職 業 を、実演 を交 えなが
学 生プ ロタープ 。ダ ス君 の故 郷 であ
そ の現況報告 ですが 、ウ ツタ ラ R
き、さら に幼稚 園児 と小学 生 、障害
協賛 など 、創立 以来 、地 元 の青少 年
の健全育 成 に力 を 入れ て います 。
少 人数 のク ラブ ですが 、 これ から
も地域 に根差 した奉 仕 活 動 を 、力 強
く推進 し て いき ます 。
仕事 を 知 ろ う !
マイ ・リ サ ー チ
ブ
鹿沼東ロータリ12フ
第 二五五〇地 区 栃木県
二月 一日、鹿 沼市 立 西中 学校 の協
力 を得 て、中学 一年 生 一 一五人 に対
二〇 人 に寄贈 。中学 校 でも 同額 の奨
ト ニ○ 個、奨学金 各 一〇 〇〇 円を計
学 校 に発 電機 一台 と 手動式携 帯 ライ
奉仕プ ロジ ェクト を行 いた い﹂ と の
いる そ う です 。 ﹁日本 のク ラブ と も
たち への奉仕プ ロジ ェクトを行 って
と協 同 で、バ ング ラデ シ ュの子ど も
クラブ とし て今後 、 何ら か の支援 を
紹介 し てほし いと頼 ま れました 。当
こと で、 希 望 す る ク ラブ が あ れば 、
ブ ︵
RC︶ の会 員が 、訪 問 した 私た
し て いき た いと 考 え てお りま すが 、
電話
あ るク ラブ はぜ ひ、当 ク ラブ ︵
ち 三人 のた め に特 別 例会 を 開 催 し、
〇 五四︱六 四七︱ 二三〇〇︶ま で ご
ウ ッタ ラRCと の協 同事業 に興味 の
例会 はバ ナー交換 に始 ま り、 互 い
三 二人 の会 員 のうち 二〇 人が 集 ま っ
のク ラブ での例会 の進め方 や奉 仕活
てく れました 。
そ の折、ウ ツタ ラ ロータ リー ク ラ
学金 を計 二〇人 に贈 りま した 。
わた る内容 の濃 い親交 の機会 とな リ
生徒 たち に
ら紹介 し、学 校 側 から ﹁
るバ ング ラデ シ ュのウ ッタ ラ市 を訪
第 二六 二〇地区 静岡県
者、高齢 者が 一万個 の手 作 りち ょう
大変 好 評だ った﹂ と のお言葉 を いた
Cは アメリカと マレー シ アのク ラブ
ー ツ大会﹂ や中 学校 合 唱演 奏 会を 開
て いね 夏あ か り﹂ への
ち んを飾 る ﹁
間 。彼 と の縁 の証しとし て現地 の小
に ﹁
札幌市 西区 。手稲 区中 学校 スポ
ウッタラ RCの 会員らと和気あいあいと交流
だ きま し た 。 ク ラブ でも職業 を紹介
会員たちの話を、中学生たちは熱心にメモ
〇
ロータ リーの友
7月 号
平成 24年
中学生を前 に自らの職業を語る会員
ロータリー アントワーク
のよ う に支 え、命 の尊厳 を失 わず に
最後 ま で生き るにはど うす れば いい
か、 を考 え る こと にしま した 。
まず 、 長尾ク リ ニック院 長、 関 西
からは 回腔 機能維持 の大 切さ と、 認
当 ク ラブ 会 員 で歯 科 医 の相 原克偉氏
人 の精 神 的 安 定 が 必 要 であ る こと、
は、高齢者 の住 め る環境 と介護 す る
海道代表 の札 幌 山 の手高校 女 子バ レ
手権 日本 代表 の斎藤富美 子さ んと北
た 。記念 イベ ントとし て、 元世 界選
つけ、試合 を大 変熱心 に観 戦 しまし
大会 には熊 澤隆樹ガバ ナ ーが 駆け
ーボ ー ル部 を招 き、デ モ ンスト レー
知症 の早期 に名前 入り の義歯 を作 る
など、 具体的 な提案 もあ りま した。
護者 、 ク ラブ の各 会 員間 には多 く の
友情 と親睦 の輪が 広が りま した 。
札幌市立手稲東中学校 で
請演交流会
札 幌 あ け ば の ロータリ12 フブ
入賞 チー ム にはト ロフィーと賞状
二月 二 一日、当 ク ラブ 初 の試 みと
第 二五 一〇地区 北海道
者 の盛 んな交流が 見 ら れ ま した 。ク
の他、 選手 一人 ひとり に ロータリー
し て、札幌市立手稲東 中学校 の生徒
シ ョンを披 露 し てもら いま した 。
ラブ では今 回 のIMを機 に、引き続
のメダ ルを授 与 。選手 にと って、 こ
終 了後 の交流 会 では、 講師 と出席
き この問題 に ついて考 え て いきた い
との ﹁
講演交流会﹂を開催 しま した 。
と思 います 。
これ は社会奉仕委 員会、職 業奉 仕
時 間﹂ に組 み入れ る形 で実 施 した も
のメダ ルは格 別 の喜び 、誇 り でもあ
り、 メダ ルを掛 けた瞬 間 の選手 の笑
中 学生 たち に ﹁一人 ではなく多く
のです 。
一年生 一七〇 人を対象 に会
委 員会 の事業 とし て地 元 の中 学校 に
の仲 間や 関係 者 に支 えられ て いる こ
ク ラブ では このほか、毎年度 の継
が 残念 でした 。
二∼ 三の質 問 で終 わ ってしま った の
時 間 が 少 な く、 緊 張 も 手 伝 ってか、
ち で聴講 し て いま した 。質疑 応答 は
初 め て の体 験 と いう こと も あ っ
て、 子ど もたちも終始 、神妙 な 面持
しま した。
え、 子ど もたち へ、働 く こと の意義
を考 え てもらえ るよう 願 って、企 画
職業 奉仕 の理念 の 一端 を少 し でも伝
義 を感 じ て仕 事 に携 わ って いるか、
私たち職業 人がど う いう社会 的意
員 二人が 講 演 し、 質 疑 応 答 を 含 め、
ま た今 年 も 選 手を はじめ、先生 、保
と を胸 に刻 み全力 で試合 をし てもら
顔 や涙が 、 われ われ に大きな感動を
第 三〇 回 を 迎 え、 参 加 者 も 区 内 全
約 一時 間 の交流会 と しま した 。
出向 き、 いわゆ る ﹁
総合的 な学 習 の
一月 二八∼ 二九 日、 札 幌 西北 ロー
パ ネ ルデ ィスカ ツシ ョンでは、 医
一九校約 二〇 〇〇 人 とな り、地域 に
が 伝 統 あ る大会 の意義 です 。
う こと﹂
もた ら し てく れます 。
中 学 校 スポ ー ツ大 会
ブ
札幌手稲ロータリ12フ
﹁
認 知 症 の予防 。治 療 ・療 養 の最 前
R C︶、 札 幌 あ けぼ
タ リー ク ラブ ︵
第 二五 一〇地区 北海道
線 ﹂ と 題 し て基調講演 。認知症 には
のRCと の共 催 で ﹁ロー タ リー杯争
国 際 大 学 客 員教 授 の長 尾 和 宏 氏 が
初 期 、中 等度 期、高度 期が あ り、高
奪札幌市 西区 ・手稲 区中 学校 スポ ー
札幌市 西区と手稲 区 の中学 一∼ 二
度 認知 症 にな ると着 衣 の選択が でき
症が 増 え て いる ことなど を解説 さ れ
年生が 参加 し、バ レーボ ール、バ ス
ツ大会﹂ を 開催 しま し た 。
ま した 。 そし て、 認知症 には医師 と
ケ ツトボ ー ル、バ ド ミ ント ン、卓球
な く な る こと、最近 は糖 尿病性 認知
ケ ア マネ ージ ャーが 連 携 せねば な ら
療ジ ャーナ リ スト で社会福 祉士 の熊
欠 かす こと のでき な い大 会 に育 ちま
で男女別 に競 う大 会 です 。今 年度 で
田梨恵 氏 から介護 の生 々し い体験が
した 。また、各 校美 術部 はポ スタ ー
な い、 と結ば れま した 。
紹介 さ れ、 NPO法 人 oつど い場 さ
を制作 し開催 を盛 り上げ て います 。
2012 VOL.60 NO.7
TOMO
NO―
THE ROTARY―
○
く らち ゃん代表 の丸 尾多重 子氏 から
日ごろの練習の成果を発揮 した中学生たち
「老い」をテーマに した lMを 開催
ロータリー フツトワーク
ロータ リークラブならび に
地 区 の活 動 を 紹介、6 00
字 以内。関 連 写真が あ れば
添付し てくださ い。
と は 記憶 にも新 し い。
日
四月 にな り、姉妹 ク ラブ から ﹁
障 害 者 によ る障 害 者 の
た め の コ ンサ ー ト
三木みどリ ロータリ12フブ
第 二六八〇地区 兵庫県
二月 一 一日、 兵庫 県 三木市 内 の特
別支 援学 級 の児童生徒や障 害者 施 設
に通う利 用者 を招待 し、全 盲 のバ イ
バ
オ リ ニスト 。自井崇 陽氏 によ る ﹁
レ ンタイ ン コンサート﹂ を 開催 しま
た る事 業 と し て地 区補助 金 を 活 用。
思 いま す 。 こ の コ ンサ ー トが ク ラブ
る障 害 者 に夢 と 勇 気 を 与 え ら れ た と
した 。本年度 の社会 奉仕委 員会 の主
補 助金申請時 から コンセプ トが 確立
か ら 観 客 の皆 さ ん へのバ レ ンタ イ ン
ラブ にゆ か り の留学 生 らを通 じ て告
事前 に各行政 機 関や ロータ リーク
行 き交 う ことが 日常茶飯事 の社会 の
全 く 見 えな くな って いた 。外 国人が
渦中 に いる私たち は、 周り の ことが
震災 で多 く の人、心、物 を失 った
せられま した。
ど の盛況 で、バ イオ リ ンの音 色 に魅
な ホール でしたが、 立ち 見 も出 る ほ
当 日 の会場 は定 員 二八〇 人 の小さ
会 を提供 した いと 思 った こと です 。
が 身 近 に良質 の音楽 を鑑 賞 でき る機
当 ク ラブ が ホ ス ト と な り、 二月
第 二六六〇地区 大阪府
に夢を追 い求 め る姿 勢は、観客 であ
走 り幅とび の選手 でもあ ります 。常
ア スリートとし て陸 上 の 三段跳び や
あ り なが ら、 音 楽 家 だ け では な く、
出演者 の自井 氏 は幼少 から全 盲 で
家 族﹂ に沿 って、患者 をど
であ る ﹁
際 ロータ リー会 長 の強 調事 項 の 一つ
知症 と 長寿 社 会 ︱ ﹂。 開催 当時 の国
老 い︱ 認
催 し ま し た 。 テ ー マは ﹁
lM︶を 開
シテ ィーミー テ ィング ︵
一八日、当地 区 lM 五組 のイ ンタ ー
大 阪 梅 田 ロータリ12 フブ
知 したと ころ、 約 四〇 人 の申 し込み
中 で、 ロー タリ ー の隣 人 によ って知
上げ ら れた 。
︵
野口佐智代 ・記︶
ま た、 こ の様 子は地 元紙 にも 取り
実感 した 一日 であ った 。
き 、 そ の満 足感 を会 員 一人 ひと りが
が あ った 。当 日 は 雨 の中 、中 国や韓
国、 フィリピ ンなど 一〇 か国 四九 人
住 の外 国 人が 健 康 面 に 不安 を抱 き、
った 。東 日本大 震災 によ り、 日本在
た のは台湾 の姉妹 ク ラブ と の交流だ
このプ ログ ラ ム のき っかけとな っ
らさ れた と ても大切な事業 を実 施 で
認知症と長寿社会を
テー マにIM開催
︵
二杉智幸 。記︶
さ れ て いた ので、企 画から実施 ま で
し て ほし い﹂ と の要請 を受 け、 阿部
開催 のき っかけは、障 害者 や保護
本 に戻 った 人たち の健康診 断 を実 施
第 二七七〇地区 埼玉県
朋博 会 長が 決意 し、費 用はク ラブ 負
一般 の コンサ ート には行きづ
者 は、
プ レゼ ント に な れ ば う れ し い、 と 思
ク ラブ では 一月 二 一日、越 谷市 と
担 で行 った 。そ の後 、ポ スターも制
首 尾 一貫 し た 事 業 を 実 施 で き ま し
春 日部市 、吉 川市 、八潮 市、草加市、
作 し、当 日 は会場付近 に掲 示す るな
いま し た 。
北葛飾 郡松伏 町 に住 む外 国人を対象
た。
多くの人が訪れた自丼崇陽氏のコンサー ト
が 受診 した 。
ら い現状が あ る こと を知 り、障 害者
ど し て受診 を呼び かけた。
外国人の受診者で混み合 う会場
に無料健康診断 を実 施 した 。
ブ
越谷東ロータリ12フ
外 国 人 に優 し い
町 への 一歩
Att ORK
多く の外 国人が 帰 国 し てしま った こ
〇
回―タ リーの友
7月 号
平成 24年
ROTARY文 輔
ロータリー アントワーク
盛況 8人制 サ ッカー大会 ︿
宮崎南RC﹀
キ ッズ 柔遭大会 ︿
浦安RC
宮 崎 南 R ⊂ 。宮 崎 市 少 年 サ ツカー連 盟 と の共 催 で、 8人
制 サ ッカ ーボ ー ル 大 会 を 宮 崎 木花 運動 公 園 で開催 、 少 年
4チ ー ムが 参 加 し た 。 ク ラブ では 6年 間、 ド ツジ
少女各 2
3
ボ ー ル、 ソ フト ボ ー ル 、 バ レ ーボ ー ル、 野球 、 フ ット サ
ル、 そ し て今 年 3 回 目 の 8人 制 サ ツカ ー大 会 を 開催 し て
き た 。 子ど も た ち が 友 情 を 深 め、世 界 に役 立 つ子 に育 っ
てく れ た ら と 願 って いる 。総 勢 4 0 0人 を集 め た 大 き な
大 会 は、 子ど も た ち の歓 声 が 響 く中 、 無 事 終 了し た 。
0日 第 2 7 3 0地 区 宮 崎 県︶
︵
3月 2
﹁
花さかじ いさ ん﹂
園 児 と 花 を ︰ ︿石和 RC﹀
世代間交流事業 とし て社会福祉
協議会とク ラブ社会奉仕委員会
が ﹁
花さかじ いさん﹂を実施 。
昨年度から で2回目。世代と地
域を超え協力 しなが ら花 を植え
る活動を行 い、地域 と 3世代 の
交 流 を 深 め る も の で、 保 育 園
児、行政 区役員、 児童委 員、老
人クラブ役員、ク ラブ会 員、家
。
族約 0
7人が参加 園児 の心 の中
に、小さな花 から大きな心 の花
が咲く ことを願 って いる。
4月 5日 第 2 6 2 0地 区
︵
山梨県︶
第 2回 キ ツズ 柔 道 大 会 を浦 安 市 運 動 公
園総合体育 館 で開催。市 の小中学生 を中
心 に約 100人が 参加。ゲ スト でオリ ン
ピ ック候補 の小 野卓志選手、佐藤愛 子選
手 の技 の指導 に続 き、紅自戦を実施 。小
学生 の親睦 と交流を兼 ね ているので、4
組 の団体戦 で行 っている。金、銀、銅メ
ダ ルを参加 した全 選手 に贈呈。普段 は金
メダ ルを取れな い小学生も団体戦だ と可
能性が あり、最高 に盛り上が った。
︵
3月 4日 第 2790地区 千葉県︶
丸亀今昔 写真展
︿
丸亀 R⊂﹀
0 周年 記 念 事 業 と
ク ラブ 創 立 5
して、丸亀市生涯学 習セ ンター
0年前 の丸亀市内 の写真
で、約 5
と、同じアング ルから撮 影した
現在 の写真を並べ て展示し比較
した ﹁
丸亀今昔 写真展﹂を開催 。
0年 代 の
丸 亀城 から 見た 昭和 3
市街地 のパ ノラ マ写真 や、地方
7代横綱 の
巡業 で丸亀 に来た第 4
0組 117
柏 戸関の写真 など、5
点を展示。年 配 の人 には懐 かし
く、若 い人には新鮮な写真が そ
ろ い、806人 の来場者が あ リ
好評だ った。
︵
4月 3∼ 8 日 第 2 6 7 0地
区 香川県︶
ロータリークラブ奉 仕活動 をカ ラー写真 で
写真と 150字程度 の説明文。必ず
紹介。
活動 日を入れ てくだ さ い。記念 写真 ︵
集合
写真︶は掲載 できません 。
2012 VOL.60 NO.7
TOMO
NO―
THE ROTARY―
口…タリー フツトワータ
植
樹
︿一
口
同松 R C ﹀
日児と シンボ ル ツリー
クラブ社会奉仕委 員会 で、高松丸
亀町商店街 G地 区市街地 開発事業
の 一環 で、中心広場 にシ ンボ ルツ
リー のケヤキを寄贈 。 子ど もたち
0
と街 の成 長 を 見 守 る こ の木 が 1
0年と生 長し てくれればと の
年、 2
願 いを込め、会員と光華 幼稚園園
児が 一緒 に植樹 した 。同商店街も
﹁
けやき広場﹂と命名 し てくれ、
感謝 。今後 の商店街 の発 展を願 っ
ている。
3日 第 2 6 7 0地 区 香
︵
3月 2
川県︶
渋 沢 栄 一か ら く り 時 計 ︿
深谷 RC﹀
0周年記念事業 で、郷土 の偉人 ・渋沢栄
クラブ創立 5
一を コンセプ ト に、 深 谷市 と協 同 で準 備 し てき た
﹁
渋沢栄 一からくり時計﹂が 深谷駅北 口に完成、埼
玉県知事、深谷市長臨席 の下、除幕式を実施 。渋沢
は明治 。大正期 の日本 の経済を支 え、 日米関係 悪化
時 には互 いの国 の人形を交換す るなど、国際交流 に
も 尽力 し た。時 計 は当 時 交 換 さ れ た ﹁
青 い目 の人
形﹂ ﹁
市松人形﹂を抱えた栄 一が優しく人形を眺め
る形 で、定刻 に童謡 ﹁
青 い日 の人形﹂が流 れる。
︵
2月2
1日 第 2570地 区 埼 玉県︶
末永 い友好関係を
︿
北上和賀 RC、広島安佐 RC﹀
北上和賀 RCと、広島安佐 RCが友好
覚書﹂
関係樹立 。継続 。発展に関する ﹁
を交 わし、今後 の友好 関係構築 で合意
した。北上和賀 RC 。小 野順会長はじ
め5人が広島安佐 RC の例会を訪問。
東日本大震災復興支援 への取り組 みに
ついて北上和賀 R⊂の助 言を聞くなど
した。夜桜花 見例会 とし て、桜 の つぼ
みの下で、岩 手から北上和賀 RC持参
の銘酒を酌 み交 わし、第 1回の顔合 わ
せ、交流を行 った。
︵4 月 5 日 第 2 5 2 0 地 区 山
石手
県、第 2710地 区 広島県︶
ロータリーの友
7月 号
平成 24年
耐巨
..、
︿
川崎 西RC﹀
1「 mi二
里山炭焼 き体験教室
==ヨRノ
中井 町 の里山 で、里山炭焼き体験教
6人が
室 を 実 施 。 小 学 4∼ 6年 生 1
参 加。 炭 が で き る ま で の説 明 を 聞
き、 チ ェー ンソーによ るまき切りを
見 学。 ま き 割 り 機 でま き 割 り を 体
験し、サ ンマを食 べ るため の竹 皿作
りと、 マイ箸作 りを行 った。昼食 で
炭火焼き のサ ン マを、持参したお に
ぎ りととも にお いしく食べた。午後
は炭 の窯出 しと、窯 への炭材 ︵コナ
ラ︶ の詰 め込 みを実施。子どもたち
が 髪 や 服 の汚 れ も 気 にせず 窯 に 入
り、積極的 に作業 し ているのが 印象
的だ った。
5日 第 2 59 0地 区 神 奈
2月 2
︵
‐ `
ロータリー 戸ントワーク
ν
A丁 轡
OnK
老 いも若 きも
茶摘 み交流
第 2650地 区 一
呆都府
宇治鳳凰 ロータリークラブ
宇 治 鳳 凰 R ⊂ は、 ロー タ リ ー財 団 地 区補 助 金 を 受
け、高 級茶 の産 地 ・宇治市白 川地 区に ﹁
鳳凰茶 園﹂を
開 園。それか ら 6年、 ようやく茶摘 みが でき る若 木 に
育 ちま した 。水 や り、施 肥、除草 など の手 入れ は年 に
3∼ 4回、 1回 1時 間ほど ですが 、会 員が 集 ま れば 、
井 戸端会 議な ら ぬ園端会議ば かり で草 刈 り は上達 しま
0 mの苗木 は枯 れ る こともな く、
せん。し かし、当時 4
C
mに育 ち、事業 の趣旨 であ る ﹁
今 や 14 0 c
老 いも若き
も﹂ の茶摘 み交流が でき るよう にな りま した 。
昨年 の初摘 み の味 は少 し渋 く てかた ︱ い味 でした。
6 日、 近 隣 の高 齢 者 施 設 のお 年 寄 り と 職
今 年 は 5月2
。
員、地域 の小学生 、米山奨学生 など 0
6人余 りが 参加
女性 たち の茶 の木 人形を 思 い出さ せ る姿 は頼 も しく、
快 適な いでたち でデビ ュー。﹁
宇 治 のな ぁ︱ 茶 お んど
︱﹂ と、宇 治音 頭を 聞きなが ら若葉 を摘 みます 。が や
が やと 国 の動 き も手 に負 けず 劣 らず、役者 ぞ ろ い。つい
2g
私たち も ニコ ニコ顔 にな った次第 。茶葉 の収穫 量 3
k
は、加 工す る のにぎ りぎ り の量 です 。 この事業が ご縁
で、世 の中 に役立 つような収穫が あ れば 、 と 願 って い
ます 。 できた新茶 は幼稚 園児が 老 人ホー ム のお じ いち
ゃん、おば あち やん へ届け る こと にな って います 。
一方 、会 員経営 の北村茶 園 では約 0
1年 前 から幼稚 園
5日には新 設 の京 都府立
児 の茶 摘 み体験 を実施 。 5月 2
2人が参加 。私た ち の勉
宇治支 援学校 の方 々を誘 い、 6
強 項 目が 一つ増 えたと いうと ころ でし ょう か。
耳6 ¨
一
ユ・記︶
ミ〓〓〓く ・
神 田 由
o3 ・
用 む 〒 〓 rot ︵
2012 VOL.60 NO.7
TOMO
NO―
THE ROTARY―
①
「 舞i争 華善聾:.1111
若年層が大勢 いる。
足 し ており、基礎 教育 も満足 に受 けられな い
へき地 では学校 の建物 も不
で国土が荒廃 し、
コ協会 の会員 であ る。 カ ンボジ アは長 い内 戦
カ ンボジ ア の へき地 の学校 には電気がな い
ので、不発弾 の火薬 を抜 き取 った円筒形 の鉄
人 と知り合 って、頭 の下が る思 いが した。
国 で命懸け の危険 な作業 に献身 し て いる日本
とも に立ち上 る土煙 を 目 の当 たり にした。異
片を吊り下げ て、授業 の開始 や終了 の合図 の
鐘 とし て利用し て いる。それ ではあまり にも
ユネ ス コ協 会 で は世 界 寺 子 屋 運動 と 称 し
て、会員 から募 った基金 で へき地 に公民館 の
惨 めだ と いう こと で、 日本 の ロータリーク ラ
ブが ﹁
平和 の鐘 ﹂ と称 し て寄 贈 した そ う で、
ような役割 を果 たす建物を つくり、児童 の識
今 回訪 れた 四か所 の農村学習 セ ンター で児
金色 に輝く立派な鐘を地雷処 理班 の事務所 で
字教育 や成 人 の職業指導を推進 し て いる。
童 の授業 を参観 し、 また、現金収 入を増 やす
見 た。
ことが できなか ったが 、突 然 日本 の ロータリ
残念なが ら、ど のク ラブ から の寄贈 か知 る
ため に村 人が布 を織 ったり、籐 の籠 やざ るを
編 んだ りし て いる作業 現場を見学 した。 カ ン
ボジ ア で不足 しが ちな ノートや画用紙 や筆 記
用具を 日本 から持 参 し児童 に贈 呈 した。
今 回 の研修旅行を機 に、私 たち夫婦も ロー
伴 われ、楽 し いロータ リー ライ フにも協力 し
カ ンボジ ア では長 い内戦 の間 に数 百万発 の
タリア ンとし て ユネ ス コ協会 と協力 しなが ら
味 で、ま さ に傘寿を超 えて、今 もな お元気 に
で自然 の成 り行 き に任せ て行動 す ると いう意
雷を踏 ん で負傷 す る人が後を絶 たな い。今 回
のまま放置 され ており、今 でも農作業中 に地
いできたら、 と願 って いる。
カ ンボジ ア の復興 のため に微力ながらお手伝
ークラプ の話題が出 て驚 いた。
行雲流 水 ﹂。 空 行 く雲
吉 田会 員 の信条 は ﹁
地雷が埋 められ、 また無数 の不発弾が未処 理
、
例会 に出 席 され て いる吉 田先輩 の姿 に 多 く
訪 れた学 習 セ ンタ ー のある村 も、無数 の地 雷
︵
第二八四〇地区 群馬県 産婦人科︶
の会 員 が 見 習 いた いと 思 って いる と 思 いま
す る作業 を見学 す る機会を得 た。自衛 隊 に長
く勤務 し て不発 弾処理 に携 わ ってきた 日本 人
の専 門家 が、 カ ンボジ ア人 に技術指導 を し て
いる。私たち は、 まず 事務局 で地雷や不発弾
の実物 に触 れ、ビデ オ映像を見 て作業 のおお
よそ の概念 を理解 し てから、防護 服を着 て作
で大 地 に突 き 刺 さ った 不発 弾 を 何 発 も 回収
し、広大 な草 原 の 一角 に穴 を掘 って埋め、長
業 員 と 一緒 に現場 に向 か った。草深 い林 の中
ユネ ス コ協会が企画 した研修旅 行 に参加 し
い導 火線 の先 の起 爆剤 で爆発させ、ご う音 と
高崎東 豊泉 清
今 回 の研修旅 行中 に、不発弾 を探 し て処理
が埋 ま って いる物 騒な地域 であ る。
︵
第 二六 八〇地 区 兵庫 県 機 械 刃物 製造 ︶
〇ギ 例会出席 を続 け てくだ さ い。
す。 この先 、六〇年、七〇年 と頑張 って 一〇
てくだ さ って います。
や流 れ る水 のよう に、深く物事 に執 着 しな い
表彰状を手にする吉田会員
てカ ンボジ アを訪 れた。私ど も夫婦 は ユネ ス
ロータリークラブが寄贈 した「平和の鐘」 とともに
①
ロータ リーの友
7月 号
平成 24年
に
旅
行
修
ア
研
口
″
臓
一
効
PLAZA
FRIENDSHIP
ましたが、心あ る皆 さ ん の努力 の結果、参加
好 記録を連発、大学 は陸 上競技 の名門、順 天
大 変 励 ま さ れ 、 そ の後 の競 技 生 活 の目標 の 一
タ リー。
一〇年 目 にし て花 開 いた ﹁
青 少年育
つにな った と いう こと です 。 そ れ で こそ ロー
昨年 八月 には、世 界 陸 上 韓 国 テグ 大 会 へ。
成 奉 仕 ひと す じ のシテ ィ の思 い﹂ を あ ら た め
堂大学 に進学 しま した。
り つ つあ り ます 。 ﹁これぞ ま さ に伝統 あ る小
﹁
競歩 わからな い人間﹂の私 たちは、ウサイ ン・
団体 が同じ方向 を向 き、 同じ志を持 つ形 にな
倉祗園太鼓﹂ と呼ば れ るよう に市民からも愛
八 月 四 日夕刻 、 ロンド ンのど 真 ん中 で鈴 木
て確 信 し ま した 。
メ堪能気分 で鈴木夫妻 に誘 われ るまま、応援
雄 介 君 は世 界 を相 手 に戦 いま す 。 皆 さ ん応 援
ボ ルト選手 の 一〇〇房決勝 見 たさと韓 国グ ル
伝承 でき るお祭 り にす るため、 これからも取
に出 かけま した。
一夜漬 け のにわか競歩 フ ァ
され、楽 しん でもら え、感動 を与 えられ、代 々
り組 ん でま いります 。
し てく だ さ い。
小倉中央 ロータ リーク ラブ は、今年 三月 に
創立 二〇周年 の節 目を迎 えま した。当 日 の祝
ま た、家族 同伴 の事業 にも夫人 やお孫 さ んを
ド バイ スなど、貴重 な意 見 を くだ さ いま す。
ります。新会員 にも会員 とし ての心構 えやア
て若 い会員 の模範となり、良 き相談役 でもあ
庭 的 で、 か つ風格 のあ る﹂ク ラブ の重鎮 とし
貢献 し て います。当 ク ラブ の特徴 であ る ﹁
家
司法 書 士 事 務所 を 運営 し、地域 社 会 に奉仕、
吉 田会 員 は ロータ リ ー の精 神 を礎 と し て、
喜 ん で います。
た。ク ラブ の誇 り でもあり、会 員全員 で大変
区大会 で、久野薫ガバナーから表彰 されまし
記念 し て、 二月 四日に開催 された当地 区 の地
〇〇で例会 出席 を達成 しました。 そ の偉業を
一九六 一年九月二〇 日入会 以来 五〇年 間、
一
私 た ち の ク ラ ブ の 吉 田 直 彦 会 員 が、
三木 五本上照正
一
五〇年 間 一〇 〇 %出席
︵
第二六 一〇地区 石川県 金型製作︶
ンの日前 で、
彼 は世界 レベ ル の選手 たち の中、
一三キロ
厨付 近ま でト ップ を独 ″
歩L 大 いに沸
かせ てくれま した。結 果 は 八位、見事 オリ ン
最近、思 いが けなくう れ し い話を聞きま し
賀会 では遠来 の方 々 に対 し、新会員 の私も当
ク ラブ の会 員 と と も に祗 園 太 鼓 でお迎 えを
し、手づ く り のお も てな しを いた しま し た。
た。クラブ創立 五周年事業 と し てノルデ ィ ッ
ピ ック出場内定 第 一号選手 となりました。
自分 の ﹁
祭 り﹂ を持 つこと の幸 せを心 から感
ク複合、荻原健 司氏 の講演 会 を開催 した ので
﹁
夢 に向 か って 。私 の スキ ー 人生 ﹂ を聞 いて
すが、当時高 一の雄介 君 は、金 メダ リ スト の
じ て いる今 日 このご ろ です。
︵
第二七〇〇地区 福岡県 仏壇販売︶
小松シティ 大杉 忠夫
私たち のク ラブ の鈴 木裕文会長 エレクト の
ご 子息、雄介 君が ロンド ンオリ ンピ ック男子
二〇キロ
厨競歩 に出場 します。男三人兄弟 の末
っ子 の雄 介君 は、小 さ いころから スポ ー ツ万
能 で、負 けず嫌 いで育 ったそう です。石 川県
は伝統的 に競歩 が盛 ん で、地 元中学校 の陸上
部 で才能 が 開花 。 中 学 新 記録 で全 国優 勝 し、
一躍脚光 を浴び る存在 となりました。文 武両
道 に秀 でる彼 は、地 元進学校 に進 ん でからも
8月 4日 、皆さんからの応援、よろしくお願い します
2012 VOL.60 NO.7
THE ROTARY― NO― TOMO
①
出
場
ク
ど
ツ
一
つ
材
制
PLAZA
エ ッセー、海外の ロータ リー クラブ訪間
記、時局雑感な ど。1,000字 以内。関連
写真があれば添付 して ください。
鹿 児島 か ら の
郷 家 夫 妻 は 、 そ の義 援 金 に ﹁
気 持 ち です ﹂ と付 箋 を つけ て、 石 巻 工業 高 校
に甲 子 園 出 場 に対 す る支 援 金 と し て送 ら れ た
そ う です 。 そ の素 晴 ら し いご 配 慮 に感 激 し ま
し た 。 そ の時 点 では組 み合 わ せ も 決 ま ってお
らず 、 ま さ か鹿 児島 の神 村 学 園 と対 戦 す る と
、
は、 学 校 も ご 夫 妻 も 夢 に も 思 わ な か った と
組 み合 わ せ抽 選 の日 に電 話 を いただ いた 次 第
です 。 そ ん な 中 、 石巻 工業 高 校 が 選 手 宣 誓 の
抽 選 ま で引 き当 て、被 災 地 の今 後 の復 興 を 予
言 す る よ う な 出 来事 に感 じ ま し た 。
、
選 手 宣 誓 と い い、 野 球 の対 戦 内 容 と い い
感 動 を 与 え てく れま し た。 宮 城 と鹿 児 島 が 結
ば れ た ひ と こま でし た 。
´
二〇地区 鹿児島県 葬儀業︶
七.
︵
第´
無法 松 の 一生 ﹂ で、映 画 や歌 にも 取
すが、 ﹁
り上げ られ、全 国的 にも知 られ て います。子
し た 。 ご 大妻 と は、 ロー タ リ ー を 通 し て知 り
元 和 三︶年 、 細 川忠 興 候 が 小 倉 の
一六 一七 ︵
多 く あ り ま す 。 私 が幼 い ころか ら 参 加 し て い
小 倉 祗 園 太 鼓 ﹂は、
る、県 指 定 無 形 民俗 文 化 財 ﹁
私 が 住 む小 倉 地域 には 、 伝 統 あ る祭 り が 数
ぐ反省会 から始 まり、次年度 の組 み立 てと毎
一年中が祗園太鼓 です。祭 りが終 わ ると、す
な って 一〇年 がたちましたが、私 にと っては
存振 興会 の中 で皆 さん のお世話をす る 一員 と
縁 あ って全会員 をまとめる小倉祗園太鼓保
一祭 り と私
ど も た ち に引 か れ た 山 車 に 二台 の大 鼓 を 乗
せ、 そ の大鼓 をお囃 子 に合 わせ て六 人 の打ち
手が 一体 とな ってたたきます。全 国 でも珍 し
合 い、 長 年 お付 き合 いを さ せ て いただ いて い
地 に赴 任 さ れ 、 京 都 の祗 園 祭 の要 素 を 取 り 入
い太鼓 の両面打 ち です。
と ころが そ の後 、 ご 夫 妻 か ら被 災 の後 片 付
月休 ま る暇もなく、役員さん方 と顔 を合 わせ
ます 。
け な ど で忙 し く 、 私 た ち が 送 った義 援 金 の こ
て 一年があ っと いう間 に過ぎ てしま います。
時代 の風潮 とし て、威 圧的な風紀 の乱 れや
れ 、 街 の活 性 化 を 図 るた め に始 め ら れ た 祭 り
現 在 一四 二団 体 が 加 盟 し て七 月 第 三土 曜 日
伝統軽視 の団体 が数多 く見られた時期 もあ り
一年 ぶ り に気 づ か れ た 旨 のお わ
と を 失 念 し、
春 の甲 子 園 に、 二 一世 紀 枠 で宮 城 県 石巻 工業
を は さ ん で金 、 土 、 日 の三 日間 行 わ れ て いま
です 。
小倉中央 野上 嗣之
私にとつては一年中が小倉祗園太鼓
び の連 絡 が あ り ま し た 。 ち ょう ど 高 校 野球 の
輝 夫 ご 夫 妻 に送 り 、 被 災 者 への思 いを 託 しま
そ のお金 は、 塩 釜 ロー タ リ ー ク ラブ の郷家
マネ ー を集 め ま し た 。
に義 援 金 を送 ろ う と決 め 、 わず か なポ ケ ット
いを 託 し た い﹂ と、 数 人 の飲 み友 達 で被 災 地
何 か に思
東 日本 人 震 災 発 生 後 ま も な く 、 ﹁
鹿屋西 古 江 矢
宮 城 と鹿 児島 が
結ば れた ひと こま
PLAZA
高 校 の出 場 が 発 表 さ れ た時 で し た 。
①
ロータ リーの友
7月 号
平成 24年
FRIENDSHIP
club manner
①
」
ζ
∴
ぎ̀当 或跳管,lat来
よ
∴
こ
ぜ2ぜ 墓
議賛
昌
名
、
福 丼 1ヒ ロ ー タ リー ク ラ ブ
第 2650地 区 (福 丼県)
新 城 ロ ー タ リー ク ラ ブ
第 2760地 区 (愛 知県)
小 松 東 ロ ー タ リー ク ラ ブ
ク ラブ所 在地域 の 中心 にある福丼城
址。初代 福 丼藩 主 0結 城秀 康 (家 康
の二男 )が 6年 をかけ築城 し、 16代
260年 以上にわたる越前松平家の居城
で した。築城以前か ら当地には 「福の
丼」 とい う名泉があ り、これ と松平家
「葵」を配 しデザイン しま した。
の ご紋
新 城 の能 楽 は、 1575(天 正 3)年 の
長篠合戦の功によ つて奥平氏が当地に
城を築き、峻工の祝能 と して行 つたの
が始ま りです。祭礼能は市の無形文化
財に指定されてお り、能を行 う新城能
楽社が所蔵する「小面」を、図柄に し
ま した。
クラブのある小松市は、東には雄大な
自山連峰、西には歌舞伎 「勧進帳」や
能「安宅 (あ たか)」 で知 られる安宅の
関。そ して荒波の 日本海。クラブソン
グの歌詞 にも、バナーは自山高き峰、
バナーは荒波 日本海 と歌 つています。
山 形 口 … タ リー ク ラ ブ
第 2800地 区 (山 形県)
庄 和 口 … タ リ… ク ラ ブ
第 2770地 区 (埼 玉県)
高 崎 シ ン フ ォ ニ ー ロ … タ リー ク ラ ブ
第 2840地 区 (群 馬県)
べニバナの赤、樹氷の自です。べニバ
ナは江戸時代、山形の特産品として回
紅、染料 とな り、地域に富と商業の基
礎をもた らしま した。 また、蔵王の樹
氷はスノーモンスター と して世界的に
知 られ、大切な観光資源 となつていま
す。
旧庄和町 (2005年 に春 日部市 と合併)
で、公募か ら生まれた町の木 0モ クセ
イ、町の花・ ハ ナシ ョウブ、それに国
選択・ 市指定の・ 無形民俗文化財の宝
珠花大凧揚げ (ほ うしゆばなおおだこ
あげ)を 図案化。五月晴れ の大空を飛
翔する大凧に夢を託 し制作 しま した。
高崎市には終戦直後に結成された本格
的なオーケス トラ・ 群罵交響楽団があ
り、クラブ創立の際、同楽団創立時か
ら活躍 す る会員 が「高崎 シ ンフ ォニ
ー」 の名を提案 しま した。音楽の町に
ふさわ しく、楽‖を描いた横長のバ ナ
ーです。
THE ROTARY― NO― TOMO
第 2610地 区 (石 川県)
2012 VOL.60 NO.7
Club itanner
に日コスモポリタンロータリークラフ
宇 土 口 … タ リー ク ラ ブ
第 2720地 区 (熊 本県)
成 田 コ ス モ ポ リタ ン ロ ー タ リー ク ラ ブ
第 2790地 区 (千 葉県)
八 潮 ロ ー タ リー ク ラ ブ
第 2770地 区 (埼 玉県)
九州のほぼ真ん中にある宇土市を地図
の中心に配 し、環境省の名水百選に選
ばれた轟 (と どろき)水 源をスケ ッチ
しま した。 これか らの幸福に必要な 3
つの要素、ひか り、み どり、ゆとりを、
太陽の責金色 と文字色の緑で表現 して
います。
「 n」 は成田の頭文字で、形は成田国際
空港の 2本 の滑走路を、右下か ら左上
への動きは飛び立 つた飛行機を表 し、
「 n」
クラブの若さと勢 いを示 します。
を囲む円は地球を、下の世界地図 と合
わせて世界市民、すなわちコスモポ リ
タンを目指す理想を象徴 しています。
1975年 のクラブ創立 当初、八潮 は長
板染めが盛んで、浴衣の図柄 としてイ
チ ョウが使 われ てい ま した。83年 、
自然を愛する心を高め、水 と緑の豊か
な町づ くりを目指 し、イチ ヨウが市の
木に定 め られた ことで、クラブでもこ
れを図柄 とする ことに しま した。
ARITA
JAPAN
岡山城 ロータリークラブ
岡 山 城 ロ ー タ リー ク ラ ブ
第 2690地 区 (岡 山県)
7A・
創立 20周 年を記念 し制作。 平 の精
神に基 づき、何色にも染まらない純自
をベースに、 ロータ リーカラーの金 と
ブル ー、岡山城 (鳥 城)を イメージす
る黒 で配色 しま した。 RCの 金文 字
は、きらりと輝 くクラブであ りたいと
願 うものです。
平成 24年 7月 号
有 田 ロ ー タ リー ク ラ ブ
第 2740地 区 (佐 賀県)
堺 フ ェニ ック ス ロ ー タ リー ク ラ ブ
第 2640地 区 (大 阪府)
有田町 は 1616年 の 自磁石発見以来、
陶磁器 の里として有名です。江戸時代
から古伊万里、柿右衛門様式の輸出、
国内では幕府への献上品と して色鍋島
が盛んに焼成されま した。図柄は欧州
の王候貴族が競 つて集めた柿右衛門様
式の代表的な意匠です。
伝統 と創造の街・ 堺 のフェニ ックス通
りに茂 るフ ェニ ツクス (カ ナ リー ヤ
シ)の 木の よ うに しつか り根 を下 ろ
し、 ロータ リー の理想 を実践 するた
め、 フェニ ックス鳥が持つとされる卓
越 した英知の日でチ ヤレンジ してい く
願 いを込めています。
E-tt)-afr.
@
波止 のど か釣糸垂 れ て人居 らず
愛知・
豊橋北 黒 石 豊 子
狼 のここに滅びし山 に入 る
奈良 名和 佑介
春 月 を 仰 げ ば 胸 に龍 太 の句
奈良 寺 田員佐 F
1筆 の K r と じ
留 守 番 の人 に1
愛知・
コ戸 沢 川 充 r
鶯 を聞 いて瀬音も問 いてをり
石川・
加賀 折橋 紀与 美
立 金 花 明 か り 灯 し て道 標 ベ
呂・
菅
魚津西 加納 綾 子
梅 の咲 く 勢 ひ の匂 ひ な り し か な
京都・
福知山 松山 ひと し
し ょ ん ば り と う ぐ いす か ぐ ら 雨 の 中
宮津 嶋谷 卓 之
京都。
山 キ の晴 れ 間 や 花 の 八 分 咲 き
滋賀。
彦根 角 栄次 郎
花 冷 え の近 江 水 郷 濁 り 水
〓董 。名張 城 山 勝紀
化 種 の ひ と 粒 ご と に話 し か け
和歌山・
御坊 十年四 期躍天
青 き 踏 み つ つ苦 悩 の 余 命 あ り
大叩 堺 堤 淳
鶯 の こ ゑ の下 ゆ く猫 の声
鳥取。
米子南 中村 夢 窓
愛 お し や 孫 へ手 紙 の 宛 名 な ど
漢 字 に 書 き て ﹁様 ﹂ と か く と き
神奈川・
横浜旭 つじおさ む
百余年命保 ち し占き家
悲 鳴 を 上 げ て無 慈 悲 に壊 き る
愛知。
新城 鳥居 栄 一
8 の字 を 翅 に つけ た る イ グ ア ス の
蝶 に見 と れ て疲 れ 忘 る る
岐阜加納 鵜飼 武彦
鮮 や かな も の のふ椿 見 頃 な り
奈良 伝 香寺苔 むす 庭 に
奈良 古 田 佳代
、好みし君逝けり
春の調一グレう
′
石川 ・金沢百万石 石 丸 恭 子
チ ェ ロ蓼 蓼 と 御 堂 を 統 ぶ る
亡 き 母 は 奈 良 女 高 師 の 一期 生
温 和 な り し と 聞 き て嬉 れ し も
奈良 吉 田 淳 一
家 う ち を ピ カピ カ にし て安 らぎ し
母 を 思 へり そ を 遺 伝 せ り
岡山 ・真庭 山 ド 輝 r
語 曲 の 選 口知 鳥 ﹂ で 知 り し ﹁末 の 松 山 ﹂
昔 も今 も津 波 越 さざ り
香川 ・
高松 平 峯 千 春
今 生 の桜 と な ら ん 百 歳 の
長崎 ・佐世保北 豊 島 幸 子
母 と 今 年 の春 を み に ゆ く
木 蓮 の花 のあ と に は 青 き 羽
ひるが えすご と若 葉芽 吹 け り
新潟 小林 悟
窓 か ら の景 色 わ が 家 の美 術 館
諫早 下釜 貞志
長崎。
桜 散 る 九 月 の花 は 何 の花
島根・
出雲 福 田 幸太
お 向 か いと 表 札 競 う 問 柄
絆 で も 縛 り き れ な い孤 独 な 死
高崎東 当首本 浩”
群馬・
国 連 は 、一
人 の駄 々 っ子 持 て余 し
墓思武蔵府中 伊藤 信吾
間責 にかかあ天 ド も鳴 り ひそめ
静岡南 伊熊 牧治
泥 舟 に呉越 同 舟 乗 り 喘 う
岐阜長良川 奥村 和夫
白 寿 ま で ゆ っく り 歩 く 八 十 坂
埼玉・
行日さくヽ
b 小澤 誠邦
藁 四 い見 て よ 見 て よ と 咲 く 牡 丹
豊中大阪国際空港 上 野 和孝
が れき 処 理 引 き 受 け絆 手 繰 り寄 せ
岡山・
倉敷東 遠藤 尭之
雪 道 は 黒 い場 所 ほ ど よ く 滑 る
鳥取中央 井 口 法文
言葉尻取れ大臣大往生
愛知。
安城 占居 こうしん
月 に浮 く モ ー ツ ァ ル ト の 音 色 な り
長崎 ・
佐世保北 宮崎 有恒
誤 字 並 ぶ 手 書 き の 手 紙 ホ ット す る
大分・
宇佐八幡 金 子 政則
母 の日 に 別 荘 行 く も お さ ん ど ん
菫泉自由が丘 本 野 直彦
花 一輪 旅 行 の 季 節 呼 ん で い る
大阪・
堺 尼崎 一才
北里美知 子
朝 調 に辻 馬 車 ゴ ト リ動 き 出 す
お 客 二 人 の南 同 訛 り
大分 ・宇佐八幡 金 子 政 則
投稿規定 ◇雑臓 ◇ ク ラブ会 員、ま族 ◇ 一か月 に集書 一人
一枚 に三句ま で ◇締 切 日 二0 日必着 ◇葉書 ウ ラにもクラ
ブ名 ・氏名、電話明記 ◇楷書 で明確 に ◇ ﹃
友﹄柳壇係宛
熊本水ユ
副寺公園
山 焼 き の炎 空 ま で猛 り け り
同 長澤 み つこ
埼玉。日古
投稿規定 ◇雑詠 ◇クラブ会員、宗族 ◇ 一か月に葉書 一人
一枚に三首まで ◇締切日 二0日 必着 ◇葉書ウラにも2 フ
ブ名 。氏名、電話明記 ◇楷書で明確に ◇ ﹃
友﹄歌壇係鬼
春ρ
さかLがりやデ
ぼ
牒﹄飽
峻
ン
執
。
投稿規定 ◇雑泳 ◇ クラブ会員、家族 ◇ 一か月 に葉 書 一人
一枚 に 三旬 ま で ◇締 切日 二0 日必着 ◇葉書 ウ ラ にも クラ
ブ名 ・氏名 、電話 明記 ◇楷書 で明確 に ◇ ﹃
友﹄ 俳壇 係宛
2012 VOL.60 NO.7
THE ROTARY― NO― TOMO
①
長谷川 櫂 □
ラ ン ド セ ル と 一緒 に 寝 て る 入 学 子
群馬 。前橋西 花 井 美 智 代
ラ ンドセルが嬉 しく てたまらな いのだ。それ
にしても枕もとに置 いて寝 ると いう句はしば し
ば見かけるが、
一緒 に寝 ろと いうと ころがおも
しろ い。子どもはほんとう に率直。
赤 ち や ん の宛 名 で届 く雛 あ られ
和歌山 ・御坊 橋 本 順 子
女 の子 の初節句。雛あ られ の贈り主は、さ て
宛先 を誰 にした ら いいか迷 ったかもしれな い。
生まれたてとは いえ人は人。 じ つに筋 の通 った
宛名な のだが、笑 いを誘う。
麗 か や 留 守 勝 の人 や は り 留 守
奈良 吉 田 佳 代
今日もやはりお出 かけかと いう思 い。留守が
ち の人も、 そうと知 りなが ら訪 ね てみる人も、
やはり留守かと帰 る姿 も、ど ことなく長閑 ︵の
どか︶。お っとりとしたと ころが いい。
花 や花 あ れ も これ も と 咲 き 満 ち る
岐阜長良川 長 柄 良 雄
次 々と咲く春 のさまざ まな花 をど う詠 むか。
この作者 は絵描きが絵 の具を重ねるように言葉
を使 った。冬 の寒さから解 き放 たれた生命 の力
が 一句 に満ち ている。
春 疾 風 鳴 る も のす べ て鳴 ら し 行 く
同 犬竹 水鶏
埼玉 。旦一
春 の嵐。秋 の暴風 のよう に吹き飛ばしてしま
う のではな い。草 や木や窓ガ ラス、洗濯物など
鳴 らしてゆくと いうと ころ に疾風とは いえ、春
らし い感じがあるだ ろう。
馬場あき子 □
毒 ガ ス を 造 り し 島 に のび のび と
ウ サ ギ 戯 れ 子 の声 は ず む
広島東南 杉 井 ゆ う子
俗 に、毒ガ ス島 と呼ばれ ていた広島 の海 に浮
かぶ島がある。原爆 の被爆者 などもかなり運ば
れ、初期 の医療を受 けた島 だ。 いま そ の島 は、
自然や小動物 に接す る こと のできる、行楽 の島
にな って いるのだろう。
さんたん︶ としたイメージ
戦中 の暗く惨浩 ︵
に対す る、子供 とウサギ のふれあ いの情景が、
いかにも今 日の平安なよろ こびを感 じさせてく
れ る。
冬 深 み 鴨 の頭 中 の緑 映 え
茨城 。日立港 販 田 宏
つが い寄 り 添 う 川 の 日 溜 り
鴨 の つが いが仲 よ く寄 り添 う て浮 か ん で いる
光 景 は平 和 なや さ し い姿 であ る。 う た われた鴨
は真 鴨 で、頭 頸部 は緑色 であ るが 、冬 の深 ま る
。
ま ま にそ の羽毛 の緑 の つやが 増 し て美 し い
﹁
頭 巾 ﹂ と いう表 現 も 親 し み 深 く 、 人 間 の風
俗 を借 り て面白 さを出 し て いる。 色 彩 のみえ る
上 旬 によ って、 よく みる風 景 も新 鮮 であ る。
復 興 も ま だ 緒 に つかず 庭 池 を
洗 ひ て洗 ふ底 見 ゆ るま で
福島・須賀川 柿 沼 良訓
福島 脇 屋 隆治
東 風吹けば放射能怖 し寒 けれど
吾妻麓げ 西風がよし
遠 藤 しげる □
謝 罪 す る ト ップ の 顔 が 多 す ぎ る
茨城 ・日立港 小 松 弘 二
社 長、
ハバ長 以下ト ップ の方 々が 、深 々と頭 ︵こ
わ︶び て いる シー ンが 、 や
う べ︶ を 垂 れ て詫 ︵
た ら メデ ィアに登場 す る。事 情 はそ れぞ れあ ろ
。
うが 、謝 っても済 ま な い ⋮⋮ が 多 すぎ る
現 代 の子ど もた ち の将 来 の望 み は、 ト ップ よ
謝 る姿 が テ
り 部 長 ・課 長 ク ラ スが 大 半 と か。 ﹁
レビ や新 間 に出 る のが いや﹂ が 、 そ の理由 らし
い。 ウ ー ン、時 の流 れを痛感 す る。
携 帯 の猫 に小 判 の高 機 能
大阪北 吉 田 邦 男
携 帯 電 話 を所持 し て久 し いが、今 流 行 の高 機
能 満 載 の ス マート フォ ン等 は、 と ても使 いこな
次 は初 心者 用 。
せ な いと達 観 し て いる。息 子 に ﹁
高 齢 者 用 の機種 にした ら﹂ と勧 め られ、内 心憤
慨 し て いたが、立 ち寄 った携帯 シ ョ ップ でイ ン
タ ー ネ ット や メー ル の機 能 の説 明 を 聞 き、 そ の
び っく り︶ した。次 の機 種 は、迷
進 化 に吃 驚 ︵
ち ゅうち ょ︶ せず 、高 齢 者 にや さ し
わず 躊 躇 ︵
い機 種 のお世話 にな ろう と決 め た。
大平 昇
や が て陽 は沈 む のんび り し てお れ ぬ
熊本西南 古関 修
香川 喜 口松
父 は 犬 綱 吉 の 世 で あ った な ら
①
ロータリーの友
7月 号
平成 24年
常 な電気信号 が発生 したりす ると、心房
は 一分間 に五〇〇 回も収縮を繰り返す こ
とが できるため、 心一
房全体が震 え て いる
よ う に な る。 と こ ろ が 心 室 は 一〇 〇 ∼
一五〇 回以上 は収縮 できな いから、心臓
日本企業 の
東南アジア進出事情
高知大学人文学部 准教授 西り簡円 普見
度分散 させ て工場を持 って いる必要があ
る のではな いかと いうような意識 が出 て
きました。
一九九〇年時点 の日本 の主要な貿 易相
手 国は、アメリカ、EU。それが 二〇年 た
国が ト ップ で次 いでアメリカ。か つてア
ってど う な った かと いうと、輸出 では中
この約 一〇年 で、 日本企業 の進出数が
ジ ア に 工場 を造 る目的 は、安 い コスト で
は調和 のとれた活動 が できなくな る。 こ
急 速 に増 え て いるアジ ア の国 は、中 国と
製 品 を製 造 し て、欧米市場 に売 ると いう
れが 心房細動 であ る。
心房細動が起 こると、血流がゆるやか
ベトナ ムです。中 国 への進出 は圧倒的 に
東 南 アジ ア でも、所得水準 の高 い層 が増
になり、心房 の端 にあ る心耳と いう袋 状
日本 の海外投資 の推移 を見 ると、東南
え て、大 き な マーケ ットにな って います。
こと でした。しかし、今 は中 国市 場 を 目
とき に流 れ出 し、脳梗塞 を起 こす。 この
アジ ア に つ いては か な り 振 れ が あ り ま
そ の意味 でも、対東南 アジ ア投資が継続
多 く、
勢 いがとど ま る ことはあ りません。
梗塞を、 心原性 脳塞 栓症 と言う。 これ は
す 。 これ には日本 と東南 アジ アそれぞ れ
す るのは必然 の流れです。
の部分 に血流が よど ん で血栓が できやす
心臓 から直接流 れ てく るため、大 きな血
の景気動向 に関係 した いろ いろな原因が
製造拠点 が海外 に出 て いく 一方 、 日本
的 に中 国 へ進 出 す る企業 もあ り ます し、
栓 であ る ことが多 く 、 そ のため障害 も大
あ ります。例 えば アジ ア通貨危機 で、 日
で工場 を維持 す る のは徐 々に難 しくな っ
タイ はなだらか に増 え、イ ンド シナ半島
き いが、心筋梗塞 はめ った に起 こさな い。
本 から東南 アジ ア ヘの投資 は急 激 に減 り
て いますが、 日本 で こそ でき るも の、 日
くな る。心房細動 の発作が 二∼ 三日続 く
心房細 動 の根 本 的 な治療 には、カ テー
ま したが、 二〇〇〇年 以降 は 回復 し、 そ
本 でな いと売 れな いも のは何 かを考 え る
東南 アジ ア に拠点を置き、 そ こから中 国
テルアブ レー シ ョンと いう心臓内 の異常
の後 は再び伸び て います。九 〇年代後半
べき ではな いでし ょうか。輸出 し て外貨
の二か国 ︵
タイ、 ベトナ ム︶ が東 南 アジ
な電気信号を高 周波電 流 により消滅 さ せ
あ たりから、企業 の判 断 は コスト の高 い
を稼 ぐ と いう スタイ ルは変化が求 められ
と、必ず と い ってよ いほど血栓が でき る。
る方法があ る。治癒率 は、術後 は九〇で
東南 アジ アから中 国 に徐 々 に向 かうよう
て います。 日本 に残 って いる企業 は、 日
へ輸 出 す るケ ー スも増 え て います。ま た
以上 であ るが、 そ の後 二〇でくら いは再
になり、新規 の工場 は中 国 に建 てるケー
本市場 の ニーズ が何かをも っと追究 す る
ア の中 では力を つけ てき て います。
び異常発電が起 こり、 最終的 には治癒率
スが増 えたと言 われ て いま した。しかし、
必要があ る でし ょう。
この血栓が、心臓 の拍動が正常 に戻 った
は七〇で くら いであ る。
二〇〇 三年 SARS︵
新型肺炎 ︶の問題が
そくせ ん
︵
第 二六 六 〇 地 区 。大 阪 府 。大 阪 ︲淀 川 R C で 。
起 き て、中 国と東南 アジ アと で、あ る程
︵
第 二六 七〇地 区 ・
高知 県 。
高知東 RC で︶
同 RC会員 ︶
2012 VOL.60 NO.7
THE ROTARY‐ NO‐ TOMO
①
SPEECH
● 丁ABLE
卓 話 の 泉
TABLE
ガ ラ ス に つい て
れ て います。
ヨー ロッパ で本格 的な板ガ ラ スの製造
一八
が始ま った のは 一七世紀末 から で、
世 紀 の産 業 革 命 に よ り 大 き な 革 新 が あ
一層 の発 展を続 け て います。
り、
心房細動 に ついて
医師 楠 研 二
綱宗が江戸 の屋敷 の障 子 に使 ったとされ
から輸 入 さ れ たガ ラ スを、仙台 藩 主伊達
れ た のは 一六 〇 〇年 代後 半。ヨー ロッパ
普段と ても元気 にし て いる人が ひど い脳
が、
脳梗塞 を発症 す る頻度 が非常 に高 い。
これ そ のも のは命 に関 わ る こと はな い
が 乱 れ て拍動 が速 く な る不整 脈 の 一種。
小房 に伝 わ る電気信 号
心房 細動 とは、ヽ
て いま す。国内 で、 ガ ラ スが庶 民 の目 に
梗塞を起 こす ことが あ る ので十分注意す
わ が 国 で初 め て建 物 にガ ラ スが 使 わ
映 るよう にな った のは明治以降 です。
ラ スの生産 が 進 みました。特 に第 一次世
資金面など で の困難 を乗 り越 え て、板ガ
二〇∼ 三〇年後 には 一〇〇 万∼ 二〇〇 万
品齢 に な る ほ ど 多 い。
一〇 〇 万 人 で、一
患 者 数 は、日 本 国 内 で 約 七 〇 万 ∼
る必要があ る。
界大戦 を契機 に、 ヨー ロッパから のガ ラ
人くら いにな る のではなかろうか。
日本 では明 治 以降 、さまざ まな技術面、
ガ ラ ス と 人 間 と の関 わ り 合 い は 古
スの輸 入が 困難 とな ってからは 一気 に国
筋 肉 は す べ て電 気 刺 激 に よ って活 動
︵
株︶
大橋 代表取締役 +公燿叩 鍾岬 一
く、 紀元前数千年 のメ ソポ タ ミアか エジ
をす る洞結節 で作 り出 された電気信号が
内生産 が伸び 、逆 にアジ アなど へ輸出す
日本 で は ガ ラ スを 意 味 す る言 葉 と し
そ の後 、刺激 伝導 系 の 一部 であ る房室 結
プ ト が ガ ラ ス の起 源 で、 普 及 し た のは
溶 解 したガ ラ スを雄雌 二 つの型 に入れ て
小室 の筋肉 を収
節 を経 て心室 に伝 わり、ヽ
︵
収縮︶するが、心臓 の場合 は、まず右心房
成 型 したも ので、形 や量、大 きさ にも限
て、 イ ンド か ら 中 国 を 経 て の ﹁瑠 璃 ﹂
ビ ー ド ロ﹂、
﹁
破 璃 ﹂、 ポ ル ト ガ ル 語 の ﹁
る ほど に。 現在 では、 日本 の板ガ ラ スは
度 が あ りま した。紀元前 一世紀ご ろから
ギ ヤ マン﹂ などが使 われ
オ ラ ンダ 語 の ﹁
縮 させ、一分間 に五〇∼九〇回くら い規則
の上 のほうにあり、ペースメーカーの役割
ロー マ帝 国が分裂す る 四〇〇年ご ろま で
て いま したが 、時 代 ととも に同じオ ラ ン
正しくリズ ミカルに拍動 し ている。
二五〇〇年前ご ろとされ て います。 しか
の間 に、高温溶融 されたガ ラ スを吹 きか
ダ語 の ﹁
ガ ラ ス﹂が 一般的 になりました。
世界的 な地位 とな って います。
さ に巻 き取 って、息を吹 き込 ん で成形 す
︵
第二五三〇地区 。福島県 。いわき小名浜RCで ・
し そ れ ら は今 のよ うなガ ラ ス では な く、
吹 きガ ラ スエ法 ﹂が 生 ま れ、 基 本 的
る﹁
同RC会員︶
回り続 けたり、洞結節 以外 のと ころで異
洞結節 で作 られた電気信号が心房内 で
心房を巡 って、心房 の筋肉 を収縮 させる。
な 工法 とし て今 日も世界的 に使 い続 けら
⑩
ロータリーの友
7月 号
平成 24年
■「卓話の泉」は、各クラブの
会報、通報に掲載の卓話の中か
ら、害観的内容の蹟題、ミニ知
識 となるものを主に選 んで要
約、掲載 しています。
﹁
ま ず 、腹 に力 を 込 め て、逆 に腕 の力 は抜 いて、
1の中 央 を 円ま せ てく だ さ い
粘1
﹂
と い った指 示が あ るc菅 形 さ ん は、 長 年 、 地
元 の小 中 学 校 で陶 芸 の体 験 教 字 を 開 いた り のボ
ラ ンテ ィ ア活 動 を し てき て いる の で、 さ す が に
教 え方 が う ま い。粘 土 細 Eな ん て小 学 校 のェ作
の授 業 以来 か も しれ な いが、 菅 形 さ ん の指 示 に
従 って指 を 動 か し て いるう ち 、 ど う や ら 肉 じ ゃ
が な ど を 盛 る の に ふ さ わ し い小 鉢 の形 に な っ
l
l
た 。 ほか の人 の作 品 と l
︱違 わ な いよ う に自 分 独
自 の銘 を 入 れ る. い っば し陶 芸 家 にな った気 分
︶
であ る︵
せ っか く だ か ら、 登 り 窯 で焼 く こ と に し ま
し ょう と いう こと にな り 、 出 来 L が る のは秋 に
な る と いう c思 いが け な い窯 変 が あ った り し て、
ひ ょ っと す ると こち ら も 陶 芸 の道 には ま る こと
にな る か も し れ な いc 実 は、 わ が 周 囲 にも 、定
年 退 職 後 に陶 芸 を始 め て、 ぐ い呑 み や ら 茶 碗 や
︱
ら自 分 の作 品 を や た らく れ た が る人 ︱
︱が た く さ
︱
ん いる の であ る。
翠 日 は、 兵 庫 県赤 穂 市 の公 民 館 で ^五年 以上
も つづ い て いる陶 芸 教 常 の様 r も のぞ か せ ても
︶
ら った ´
みな さ ん、骨 形 さ ん の電 動 ろ く ろを 使 っ
た 職 人 技 に賛 嘆 の声 を Lげ つ つ、 自 分 の作 品 も
l
l
ま んざ ら 捨 てた も の ではな いぞ と いう表 情 でl
i
︱
作 し て いる姿 が 楽 し か った c
池 辺史生 ︵
いけべ ・ふ みお︶
元週刊朝日記者、現在はフリーランスの記者。
佐藤 敬 ︵
さとう 。た かし︶
写真家。人物の撮影を軸に活動。
2012 VOL.60 N07
TOMO
NO―
THE ROTARY―
⑨
…
ONO・ SHIG¨
え た いま で こそ年 に 二回 し か焚 か な いが 、 若 い
地に ﹁
天 地 窯 ﹂ を築 いて以来 二五年 、 還 暦 を 迎
一九 八 七 ︵
昭 和 六 二︶ 年 に独 立 し て、 いま の
な表 情 の焼 き物 が 生 ま れ る のだ と いう 。
め るう ち に、 いわ ゆ る窯 変 が 起 こり 、 さ ま ざ ま
れな いことも しば しば あ る。
メージ し て いると いうが、思うよう にな ってく
な る。だ から、 つく るときから焼 き上が りをイ
窯変が起 こるか、あ る程度 の察 しが つく よう に
ど んなも のを置 けばど んな ふう に焼 け、ど んな
険だぞ﹂ と感 じたわけも理解 できまし ょう。
きる でし ょう ? 画家 の安 野さんが ﹁これは危
物が出来上が ると いう菅 形 さん の言葉が納得 で
陶芸 指導
ボ ラ ンテ ィア で
う ち は 大 き な 窯 を 使 って年 に六 回 も 焚 い て い
こちら、窯 の中 を のぞ かせ てもら ったりし て
﹁
若 い ころ、 先 輩 に誘
経営者 。峯平隆弘 さんは美作 ロータリーク ラブ
グ ラ ンドホテル に案内 し てもら った。 ホテル の
から、菅形さん の車 で、隣 の美作市 の湯郷温泉
われ て焼 き物 に手を染 め
︵RC︶ のメ ンバー で、赤 磐 RC の菅 形 さ んと
野光雅 さんから聞 いた話を思 い出 した。
窯変 と いう言葉 を耳 にし て、 以前、 画家 の安
﹁
そ こが おも しろ いん ですね﹂
と、菅 形さ んは相変 わらず穏 やか であ る。
た 。 だ か ら、 これ ま でに 三〇 万点 も の作 品 を こ
し ら え て いる と いう。
そ のく ら い の経 験 を積 む と 、窯 のど の位 置 に
た ことがあ る の。そ こで、
湯郷温泉 は古 く から の湯治場 であ る。近年 は、
は旧知 の間柄 であ るから、新館 のホ ット スプ リ
な ってね。 でも、 これは
女子サ ッカー のな でし こジ ャパ ンにMFの宮 間
窯変 の限 りを尽く した陶
危険だぞ と感 じ て、恋 人
あや、 GKの福 元美穂選手を送り こん で いる岡
ング ス ・リゾ ート &スパを つく るとき、玄 関 口
と別れるよう にし て焼 き
山湯郷 ベル の本拠地 とし て知 られ て いる。峯平
板を目 にし て、危 うく陶
物 にサ ヨナ ラを した の﹂
さんは女将 の滋 子さんともども岡山湯郷 ベル の
を飾 るオブジ ェの制作 を依頼 し て いるのだ。
菅形さん の場合 は、岡
有力な支援者 であ るが、 この人もまた菅形さ ん
芸 の深 みにはまり そう に
山 の大学を出 て六年余 り
う土地 は、 こう いう温厚な人ば かりを輩出す る
きた い。同じ窯 で焼 いて
をと っくり眺 め て いただ
して いる ので、 そ の写真
あ った作品を丁寧 に撮 影
マンが菅形 さん の自宅 に
だ。今 回は、佐藤 カメラ
ル大 の陶土 に手を出 しかね て いる。
れた手 回しろく ろ の上 に のせられた ソフトボ ー
るから、大 いに緊張 し、菅 形さんが用意 し てく
んほか集 ま った人たちも みな陶芸 は初体験 であ
材 に来た身 のこちら はもち ろん、女将 の滋 子さ
室 で、 にわか陶芸教室が 開 かれた。東京 から取
翌 日、 この二人 の配慮 によ って、 ホテル の 一
に劣らず 温厚温和 な人だ。気候温暖な岡山 と い
サ ラリー マン生活 をし て
から、親類 の営 む 工房 に
のかとさ え思 いたく な る。
もさまざ まな表情 の焼 き
③
ロータ リーの友
7月 号
平成 24年
入 って陶芸 にのめり込 ん
右上 :ホ ッ トスプリングス 。リゾー ト&ス パで開催されたにわか陶芸教室 右下 :峯 平さん (右 )と
左の 2枚 と次ページ上 。左 :赤 穂市の公民館で 次ページ下 :菅 形さんの作品
・
仕無
彙
備前焼 の魅力を
温和 に伝える
文 。池辺史生 写真 ・佐藤 敬
1
菅形 基道
■ 備前焼 作家
赤磐 ロータリークラブ
サ ラ リ ー マ ン生 活 の後
陶 芸 家 にと
陶 芸 作 家 とな る と、 な にや ら気 難 し い人 か も
し れ な いぞ 、 な ど と 思 い つ つ新 幹 線 で 岡 山 に
向 か った 。 岡 山 駅 か ら レ ンタ カ ー で小 一時 間 、
赤 磐 市 の菅 形 基 道 さ ん の窯 が あ る 自 宅 を 訪 ね
た。
備 前 焼 の伝統 工芸 士 。菅 形 さ ん は 、 写真 か ら
も わ か る よ う に、 極 め て温 厚 な 人 であ った。 こ
ち ら に備 前焼 に ついて の知識 が ほ と んど な いと
わ か ると、
﹁
古 墳 時 代 の須 恵 器 の流 れ を く む 備 前 焼 は、
釉 薬 を 使 わ な い焼 き 物 です か ら、 焼 き上 が るま
でど ん な ふ う にな る か わ か ら な い。 そ こが お も
し ろ い の です ﹂
と 、 まず 基 本 的 な こと か ら 話 し てく れ る。
陶 土 を こね て つく った食 器 、 花 器 な ど を 乾 燥
さ せ て か ら 登 り 窯 に納 め 、 松 な ど の割 り 木 を
一〇 日前 後 も焚 き つづ け て焼 く のだ そ う であ る
が 、窯 によ って焼 き上 が り が 違 う し、 同 じ窯 で
も季 節 によ って、 あ る いは使 う薪 に よ って、 焼
き上 が りが 違 う 。
五〇 度 も の高 温 で焼 き締
〓 一
2012 VOL.60 NO.7
THE ROTARY― NO‐ TOMO
⑦
KONO‐ SH:GOTO
KONO・ HITO
●
SPEECH
本質 を見抜 く
エ ネルギー問題
これ か らの 環 境
人が増 え るほど、人は元気が出 ます。 人生 の意
味 が出 てきます。
は大 和 魂 み た いな も の ではな く 、慣 習 だ と思 い
りま した。
を与 え てあげ る必 要 が あ ると 私 は思 う よ う にな
ま す から 、 そ れ でも 大 丈 夫 です よ と いう安 心感
遠 回し に考 え て いけば 、 まず エネ ルギ ー レ ベ
、
ま す 。 世 間 と いう のは動 か ん よ と 非 常 にか た
多 く の若 い人 は、 エネ ルギ ー レ ベ ル を 落 と す
ルを 下げ て いけば 、 人 の価 値 が 上 が って いく で
く 信 じ て いた と 思 いま す 。
こと を 不 幸 以外 の何 物 でも な い、 と頭 か ら 思 っ
し ょう 。 こ こま で人 の価 値 を下 げ て い いのです
﹃
夜 と霧 ﹄ の著者ヴ ィク トー ル ・フラ ンク ル
人生 の意 味 は自 分 の中
︵一九 〇 五∼九七︶ は、 ﹁
て いま す が 、 私 は 思 って いま せ ん。 そ う 言 え る
か、 と いう のが 実 は私 の本 音 です 。 人 に頼 る よ
、
り、 保 険 や年 金 や お金 で暮 ら し た方 が い い と
にはな い﹂ と言 っています。 日本 では、戦後 の
本 当 に皆 さ ん は 思 ってお ら れ る の です か 。 そ う
個性 とか自分 とかを大 切 にしろ﹂
教育 の中 で、 ﹁
を生 き てき た 人 です 。若 い人 に は無 理 です
のは、 エネ ルギ ー レ ベ ルが非 常 に低 か った時 代
、想
自分 の中 にはな い﹂ と いう言葉 は聞 いた ことが
像 が つか な い の です か ら。
人生 の意 味 は
とさ んざ ん聞 いてきま したが 、 ﹁
ありま せん。自分 の中だ け に人生 の意味 を とら
いう社 会 が 理想 的 な社 会 だ と 。 お金 が あ れば 誰
にも 干渉 さ れ な いで、 自 分 が 好 き な よ う に生 き
え てしま いますと、自殺者 三万人 と いう のは当
が な い。 中 国 や ロシアや イ ンド など は
し か し、 エネ ルギ ーを 使 う な と言 う のも意 味
、 エネ ル
たり前だ と思 いませんか。自分だ け で生 き て い
な いのは よく お わ か りだ と思 いま す 。
生 き て いれば 、 いろ いろな 人 が いて、 そ れ こ
ら れ る と思 って いる の でし ょう か 。 そ う は いか
ギ ー効 率 が 悪 いと統 計 に表 れ て いま す 。 そ のよ
、 エネ
そ世 間 の目 が あ り何 が あ って、 ど う せ人 と つき
う な 所 で製 造 を や って いると いう こと は
る のだ ったら、生 き て いる意味 は ほと んど な い
ルギ ー の無 駄 遣 いです 。 地 球 環 境 を 心 配 す る の
と いう気が します。
フラ ンク ルは ユダ ヤ人 で、強制収容 所 に入れ
合 わぎ るを 得 ま せ ん。 世 間 で生 き て いると いう
高 い石油 を 買 って 一生 懸 命 働 いて、 ま た そ の
戦後 のア メ リ カ 風 の シ ステ ム では 、 そ れを で
な ら、 日本 で エネ ルギ ー を使 って物 を つく った
石 油 を 買 う 。 何 のた め に働 いて いる か。 も し か
き るだ け 切 って いく 形 を つく って い った よ う な
られ ま し たが、生 き残 る こと の でき た 人 です。
人が ﹁
人生 の意味 は自分 の中 にはな い﹂ と言 っ
し て産 油 国 のた め に働 いて いる の では な いか と
気 が しま す が 、 も う少 し 人 の つな が りを 戻 す こ
方 が 世 界 のた め です 。 日本 ほど 、 効 率 的 に上 手
た ことが 私 は い つも頭 に浮 かん でく る のです。
、
いう気 が し な い でも な いです ね 。 今 年 貿 易 赤
少な く とも収容所 の中 で、多く の人が全 く理不
日本 では、世間 に属 し て いる のが人 です。だ
字 と言 って いま す が 、赤 字 の大 き な 理由 の 一つ
、
と が でき る な と、 私 は 思 って いま す 。 だ か ら
に エネ ルギ ー を 使 って いる国 は あ り ま せ ん。
から、 日本 人 は人 と言 うだ け ではなく て人間と
は原 油 でし ょう 。 わ れ わ れ は 原 油 を 買 わ な け れ
絆 ﹂ と いう言
震 災 後 には や った 言 葉 の 一つが ﹁
尽な死 に方 を し て いる、そう いう状 況 で生 きた
言 います 。人間 と いう言葉 は、中 国語 で言 えば
ば いけ な い状 態 を つく ってし ま った わ け です か
葉 だ った の ではな いか 。 や っぱ り皆 さ ん何 と な
こと は、 応 分 に世 間 と つき合 わぎ るを 得 な いと
いう こと であ って、 そ れが 人 と人 の つき合 いで
世 間 の こと です。複数 の人、人 の つく って いる
ら 、 石油 を 減 ら す こと は、 余 計 に働 か な いで済
く ど こか で気 が つ い て お ら れ る の で は な いか
換 え て い った方 が い い の では な いか と いう意 味
な 。 お金 に換 え るよ り は 、 人 と人 の つな が り に
む と いう こと です 。
す。
社会 を指 し て います。
人 の価値 を維持 す るには、ば らば ら の社 会 で
はな く て、共 同体 が必 要 です。 そ の共 同体 を、
われ われ は日本共同体 と いう形 でず っとや って
上 手 に生 き る こと は別 です 。 わ れ わ れ は
を 含 ん で いる のでは な いか と 思 いま す 。
経 済 指 標 が 下 が る こと と、 余 計 に働 か な いで
、金 を
か け ても か け な く ても、 結 構 同 じ よ う に楽 し め
き て、 そ の 一つのルールが、世間 でした。
明治 の人 は和魂洋才 と言 って います 。あ れだ
文責 一般 社 団法 人 ロータリ ー の友事務 所
︵
ホ スト 名古 屋 千種 RC︶
ま す 。 そ う いう 生 き方 を 、 わ れ わ れ は これ か ら
若 い人 にも 教 え てや る と言 う と偉 そ う に聞 こえ
け西洋 の文物 を取り入 れ て何 ともな いと彼 らが
思 って いた のは、和魂があ るから で、 そ の和魂
⑥
ロータ リーの友
24年 7月 号
平成
SPEECH
本 質を見抜 く
エネルギー 問題
これ か らの 環 境
ルが、人類社 会 とし て適 正 であ ると いう証拠 は
今 のわれわれが享 受 し て いる エネルギ ー レベ
に戻す しかな いのです。人 に戻す と いう ことは、
ルギ ー レベルが下が ってく ると、 これをまた人
の代わり年金 にす る、社会 保障費 にす る。 エネ
は全部 人 の代 わり にお金 で置 き換 え ていく制度
です。消費税 を上げ る、税金 を余分 に取 る。そ
社会福祉 とか社会保障 と か言 いますが、 これら
う いう 病 気 に な る と い う 栄 養 学 に 変 わ り ま し
一五年 し た ら、 こう いうも のが 多 過ぎ る と、 こ
ことを 延 々と教 わ り ま し た 。 そ れ か ら 一〇 年 か
養 素 が 不 足 す る と、 こう いう病 気 にな ると いう
私 が 学生 だ った ころ の栄 養 学 は、 こう いう栄
運動 不 足 と食 べ過ぎ が 原 因 です ね 。
備 軍 を 含 め て 二〇 〇 〇 万 人 と 言 わ れ て いま す 。
に低 い エネ ルギ ー レベル で、文 明を つく ってき
ました。 それ は明ら か に参考 になります。
何もありませ ん。ど こが適正 かと いうと、多分
人 の生きが いが増 え てく ると いう こと です。
いうと、食糧 が な いわけ ではなく て、爆撃 とか
使 って いま した。当時 はなぜ食糧難だ ったかと
ゼ ロで過ご し てき て います。わず か に薪 や炭 を
私 は 一九 二七 ︵
昭 和 一二︶ 年 生 ま れ です か
ら、子ども のころを、 エネルギ ー レベルが ほぼ
いう ことが十分起 こり得 る のです。猫 の手 も借
四〇倍あ る社会 では ﹁
あ んたは いらな いよ﹂ と
る気 が し な い。 し か し、 エネ ルギ ー レ ベ ルが
に立 って いると いう意味 が なければ 、生 き て い
す。生 き て いても意味 が な い。自分が何か の役
われは つく るべき ではな いか、と いう こと です。
ことは、人 の価値が上が って いく社会を、 われ
エネ ルギ ー量を下げ ると いう ことは、大事 な
た。
これ よ り少 し 低 いと ころが 適 正 な の で は な い
か。 それは人間 と外部 エネ ルギ ー のバ ラ ンスの
現在 日本 は、歴史的 に見 て最高 ではな いかと
戦災 とかそ の他 の影 響 で物流が完全 に止 ま って
りた いと いう社会 にはな らな い。 われわれ は エ
日本 では人 口が減 って いきます。人が大事 に
問題 です。
しま ったから です。食糧難 で食 べるも のも十分
ネルギ ーがあ るから、人 をお金 で置き換 え てく
思 いますが、年 間 三万人 の自殺者 を出 し て いま
でな い、暖房も な い状態 で、死んだ 子が ほとん
る のです。
は っきり言 えば、現代 の日本人が享受 し て い
しかし、 このことを人 の生 きが いとお考 えくだ
な ってきます。今、若 い人が減 って年寄 りが増
人生 の意味 は
自分 の中 にはな い
ど いません。大 人 にな っても元気 です。 そう い
う ことを考 えます と、 われわれが主観的 に考 え
る エネ ルギ ー レ ベ ル は 多 分 無 駄 に大 き 過 ぎ ま
えるから年金 の負担が大変だ、と言 っています。
る人間が楽だ と いう レベルは、 われわれ自身 に
さ い。自分が何 とかし て いかなければ いけな い
日出版文化賞受賞。著書多数 。
でサ ントリー学芸賞受賞、〇 三年 ﹃
バカ の壁﹄ ︵
新潮社︶ で毎
ガ ミ ュージ アム館長就任。八九年 ﹃
からだ の見方L筑摩書 房︶
尿都 国際 マン
名誉教授。 二〇〇 三年 北里大学退職 。〇六年 一
北里大学教授 就任 ︵
大学院 医療 人間科 学︶。九 八年 東京大学
総合資料館長、出版会理事長兼任。九 五年 同大退官 。九六年
攻 。六七年 医学博士。八 一年 東京大学 医学部教授 。同大学
一年 のイ ンター ンを経 て、解剖学教室 に入る。以後解剖学を専
¨九 二七年 神奈 川県生 まれ。六 二年 東京大学 医学部卒業。
す。医療 から言 います と、例 えば糖尿病 は、予
■ 東京大学名誉教授 差量孝一 子当呵
と って いいレベル に設定 され て いな いのではな
いか、 と いう気 が します。
ここから先 、 ひ ょ っとす ると エネルギ ー レベ
ルが停滞 す る時期 に入 るかもしれま せん。 そ の
とき に適 正な エネ ルギ ー量 はひとり でに決 ま っ
てく る でし ょう。若 い人 は、 エネルギ ー量を下
げ る のは悲劇 以外 の何物 でもな い、 つま り、丸
損 ではな いかと思 って いると思 います。
私 は、そう いう ことはあり得な いと思 います。
丸損もなければ丸儲 けもな い。別 の見方 をす れ
ば、 エネルギ ーが 下 が ると いう ことは、逆 に人
の価値が上が ると いう こと です。例 えば 、今 は
2012 VOL.60 NO.7
THE ROTARY‐ NO― TOMO
○
SPEECH
本質 を見抜 く
エ ネルギー問題
これ か らの 環 境
は財 貨 、 実 際 のも のを 生 み出 し て いる のは、 人
間 の労 働 プ ラ ス エネ ルギ ー です か ら 、 実 体 経 済
が エネ ルギ ー に依 存 す る こと は、 わ か り 切 った
こと です 。
日本 では今 、 皆 さ ん方 が 一日 に つく り出 す 平
た のか と いう ことを 最近 よく 考 え る よ う にな り
ま した。
子 に来 な いか 、 と いう 口が あ り ま し た 。 そ う い
う のを 調 べ て いき ま す と 、 江 戸 時 代 は猛 烈 な勢
が 浮 か ん でき ま す 。 ロ コミだ け でや って いる わ
いで人 を 探 し て いた 時 代 ではな いか と いう こと
人 の エネ ルギ ー は無 視 でき ま す 。 つま り
け です 。
、
第 一に、 外 部 エネ ルギ ー が 四〇 倍 あ った ら
、人 間
の価 値 が 下 が った と いう こと です 。 外 部 エネ ル
いう 影 響 を 及ぼ し た か 。 エネ ルギ ー が た く さ ん
こ の ことが 、 人 間 あ る いは社 会 に対 し てど う
時 代 の人 は 恐 ら く 二倍 程 度 だ った と 思 いま す 。
て 四〇 倍 の エネ ルギ ー を消 費 し て いま す 。 江 戸
新 井 自 石 は、 今 で言 えば 幕 府 で首 相 に近 いと
。
新 井 白 石 ︵王 ハ五七 ∼ 一七 二五︶と いう 人 です
、
し た と き に、
一番 お も し ろ いな と 思 った のは
き た い の です が 、 私 が そ の こと に つ いて考 えだ
ま し た 。 そ う いう時 代 の こと を想 像 し て いただ
森 の木 だ け です 。木 を切 って炭 と薪 でや って い
代 は 、 エネ ルギ ー が な い分 だ け 人 を 見 る目 が あ
では な いか と いう気 が 私 は し て いま す 。 江 戸 時
気 が しま す 。 今 よ く 日本 が能 力 主 義 と言 って い
、 江戸時 代
な 人 を探 し た のが 江 戸時 代 では な いか
助 か る か ら です 。 そ こで、 鵜 の目鷹 の日 で優 秀
、 と いう
、
手 が 一人 いる と 、 周 り の人 た ち が 全 部 非 常 に
何 でそ ん な に人 を 探 す のだ ろ う 。優 秀 な 働 き
あ れ ば あ る ほど い いと いう のは 、 確 か にそ の通
ころま で上 り詰 め て いき ま す が 、 出 自 を 見 ま す
った の では な いか 。 人 を 見 る日 は結 構 難 し いの
ギ ー が ほ と ん ど な か った 時 代 が 江 戸 時 代 です 。
り です 。 あ れば 楽 です か ら 。 し か し 、 こ のよ う
です 。
均 の エネ ルギ ー に対 し て、 外 部 エネ ルギ ー と し
に し て いると、 ど のよ うな 影 響 が 出 るだ ろう か
と別 に偉 い人 でも何 でも な い。 江 戸 時 代 は身 分
ま す が 、 本 当 に能 力 主 義 だ った のは
と いう こと です 。
、
制 度 だ か ら 、 相 当 に い い家 柄 な のか と いう と
一九 五 五年 の段 階 で 四割 いた 第 一次 産 業 従 事
間 の エネ ルギ ー そ のも の でし た 。 し か し、 いろ
一次 産 業 は元 来 人
す のも 、 森 の本 を 切 る のも 、
一〇 分 の 一に減 り ま し た 。 田 んぼ を耕
いま す 。
か ら養 子 に来 な いか と いう誘 いを 断 った と いう
、
が 一〇 代 の半 ば か終 わり に近 い ころ に 河村 家
時 に読 んだ こと が あ りま す 。 そ の中 に は、 自 石
、
﹃
折 た く 柴 の記 ﹄ と いう 白 石 の自 伝 を 若 い
は、 これ か ら 非 常 に問題 にな ってく る
別 に そ う で は な いです ね。
いろ な 産 業 や人 間 の生 活 は ど んど ん機 械 化 さ れ
、
話 が 書 いてあ り ま し た。 河村 家 と いう のは 豪
こと です 。 き ち ん と考 え てお か な け れば いけ な
者 は 、 現 在 四イ を 切 って いる の で は な いか と思
て い って、 逆 に林 業 は機 械 化 が 遅 れ た た め ほと
、
商 。河 村 瑞 賢 ︵一六 一八 ?∼ 九 九 ︶ の家 で 瑞
いのは、 わ れ わ れが 適 正 に使 え る エネ ルギ ー は
われわれが適正 に使 える
エネルギ ーはど れくら いか
ん ど つぶ れ てし ま いま し た が 、 農 業 も 今 は石油
賢 は も う亡 く な って いて子 ど も の代 にな って い
にな り ま し た 。 そ れ が い いか悪 いか も 一種 の実
由 に使 う と いう 形 でや ってみた ら 、 あ あ いう 国
す が 、 徹 底 的 に エネ ルギ ーを使 う と いう形
二〇 世 紀 に入 ってから のアメ リ カが い い例 で
、自
エネ ル ギ ー 問 題 で私 が 一つ申 し 上 げ た い の
、 と いう
が な いと成 り立 た な い状 態 にな ってき ま し た。
ど れ ぐ ら いだ ろ う か と いう こと です 。
ら養 子 に来 な いか と いう誘 いが あ り ま し た。
新 井 白 石 に、 家 屋敷 と金 三〇 〇 〇 両 を つけ る か
一〇 代 の
ま し た が 、 当 主 の妹 が未 亡 人 にな り 、
外部 エネルギ ーが増 えると
人 の価値が下が る
ち ょ っと お 考 え いただ き た い のは 、 イ ンタ ー
、 河村家
が ど う し て 新 井 白 石 と いう 人 に 目 を つけ た の
が 、 あ れ は多 分 も た な いだ ろ う と いう のが
ネ ット も 入 学 試 験 も何 にも な い時 代 に
置 き換 え て、 これ を合 理化 と言 ってお ります。
か、 と いう こと です 。 調 べ て みま す と 、 豪 商 の
の今 のと ころ の観 測 です 。 日本 は も っと は る か
マンパ ワー でや って いたと ころを全部機械 で
それ はそれ で良 か ったわけ です。 ただ当然、ど
角 倉 了 以 ︵一五 五 四∼ 一六 一四︶ の家 か らも 養
験 みた いな も の です か ら何 と も言 えな いの です
、私
んな こと にも裏があ るわけ で、 そ の裏 は何だ っ
④
ロータ リーの友
7月 号
平成 24年
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アフロ
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エ ネルギー 問題
これか らの環境
孟司
鶉誉
搬 養老
棘大
エネ ルギ ー問題が
経済 問題を支配
Dはダ ッチ でオ ラ ンダ です 。 この 四か 国 が 日本
への石油 を 禁 輸 し た の です 。
今 は、 ホ ル ムズ 海 峡 封 鎖 で 日本 に入 る原 油 の
、当 時 、
八 割 が 入 ら な く な る と いう こと です が
こ の四か 国 が 石 油 を 日本 に入 れ な いと決 め ま す
と 、 石油 が な く な ってしま いま す 。 石 油 が な く
な って困 った のは誰 か。耕 運機 を使 って いる わ
け ではあ り ま せ ん か ら、 農 民 が 困 る こと はあ り
、 車 も こん
ま せ ん。 工業 化 も し てお り ま せ ん し
な に普 及 し て いま せ ん。 列車 だ って石 炭 で動 い
、
て いま し た か ら、並口通 の人 は 困 り ま せ ん。 では
。
、
エネ ルギ ー 問 題 で本 気 で困 った のは 軍 部 だ
困 った のは誰 か と いう と、 明 ら か に軍 部 です
屋 に来 る のは と ても 便 利 です 。 新 幹 線 は 五分 か
、名 古
一〇 分 お き にあ り ま す 。 こう いう 状 況 が 当 た り
っ
と私 は思 いま す 。 恐 ら く ほか
い
か
で
は
な
た
の
、
の人 が のん き でし た か ら、 そ のギ ャ ップ で 軍
今 日 、 東 京 か ら新 幹 線 で参 り ま し た が
前 か と いう と、 実 は裏 に非 常 に大 き な 問 題が あ
部 の暴 走 に見 え た の ではな いか と私 は 思 ってお
ぎ るを 得 ま せ ん でした 。
日本 軍 は、 石油 を手 に入 れ るた め に
、オ ラ ン
り ま す 。 石 油 が 禁 輸 さ れ た ら 日本 は戦 争 に人 ら
。何
る と いう のは、 皆 さ んご 存 じだ と 思 いま す
か と い った ら 、 エネ ルギ ー の問 題 です 。
エネ ルギ ー は結 局 何 か と いう と 、 実 質 的 には
ダ 領 で あ った イ ンド ネ シ ア の油 田 を 占 領 し ま
経 済 成 長 だ った と いう こ と が わ か って き ま し
た 。 乱 暴 に言 えば 、 三ギ 経 済 が 成 長 す る と いう
には何 を し な け れば いけ な いか と いう と
す 。 し か し 、 そ の石油 を 日本 にま で運 ん で こな
湾 の アメ リ カ太 平 洋 艦 隊 と シ ンガ ポ ー ル の英 国
こと は 、 三イ エネ ルギ ー消 費 が 増 え る と いう こ
束 洋 艦 隊 の 二 つを 、 つぶ さ な け れば いけ な いと
け れば な り ま せ ん。 そ のた め に、 ど う し ても 必
を 余 分 に使 う ことを意 味 す る、 そ う 思 って い い
いう こと です 。 そ こま ではき ち ん と論 理 通 り に
と です 。 です か ら、今 の社 会 で経 済 を 成 長 さ せ
と 思 いま す 。
戦 争 が進行 しま した。
る と お っし ゃる のであ れば 、 そ れ は エネ ルギ ー
日本 の こと を考 えま す と、 先 の戦 争 に至 った
、
第 一の原 因 は、 エネ ルギ ー で は な か った か と
や る こと が な いと いう こと に気 が ついた のだ と
要 な も のは制 海 権 です 。 そ の制 海 権 を 確 保 す る
、真 珠
昭 和 一六 ︶ 年 に A
一九 四 一 ︵
いう気 が し ま す 。
思 いま す 。 そ れ が ミ ッド ウ ェー海 戦 にな り ま し
、次 に
B C D ラ イ ンが でき ま し た。 ラ イ ンと いう のは
、
包 囲 陣 と 訳 し て いま し たが 、 A は ア メ リ カ B
問 題 は そ の後 です 。 石油 を確 保 した ら
中 国︶、
はブ リ テ ン でイギ リ ス、 C は チ ャイ ナ ︵
②
ロータ リーの友
7月 号
平成 24年
国際 ロータリー第 2760地 区
:M記 念講演要旨
2012年 2月 14日
東名古屋分区
本質 を見抜 く
人に頼るよ り、保険や年金やお金で暮 らした方がいい、 と本当に皆さんは思 つておられるのです
か。もう少 し人のつなが りを戻す ことができるなと、私は思 つています。だか ら、震災後にはや
つた言葉の一 つが 「絆」 とい う言葉だつたのではないか。お金に換えるよ りは、人 と人のつなが
りに換えてい つた方がいいのではないかという意味を含 んでいるのではないかと思います。
Takeshi Yoro
本質を見抜く
養 老 孟 司
大橋 錦 一
鹿屋西 古 江 矢
大阪 ︲淀川
いわき小名浜
これから の環境 エネ ルギ ー問題
■ 塞 泉大学名昔教授
ズ この人、ワ
イ︲
﹂の仕事
備前焼 の魅力を温和に伝える
菅 形 基道 さん︱ 堕副
焼作家
佐藤 敬
文。
池 辺 史生 写真 ・
卓 話 の泉
ガ ラ スについて
心 房細動について
◆遠 藤 し げ る
◆馬場 あき 子
◆長 谷 川 櫂
日本企業 の東南 アジア進出事情
ロータリー俳壇
ロータリー歌壇
ロータリー柳壇
バナー自慢
友愛 の広場
宮城と鹿 児島が結ばれたひと こま
小倉中央 野上 嗣之
小松シティ 大 杉 忠 夫
ロー タ リ ー ・ア ット ・ワー ク
老 いも若きも茶摘 み交流
宇 治 鳳 凰 ロータリークラブ
︿
高松/深谷/川崎西/北上和賀 。広島安佐/
写真﹀
宮崎南/石和/浦安/丸亀
外国人に優し い町 への 一歩 越谷東
障害者による障害者 のため の コンサート 一
二木 みどリ
認知症と長寿社会をテー マに!M開催 大阪梅 田
中学校 スポーツ大会 札幌手稲
札幌市立手稲東中学校 で講演交流会 札幌あけば の
仕事を知ろう︱ マイ ・リサーチ 鹿沼東
ウ ッタラRCを訪問 藤枝
日本磁器発祥 の地にイ ロハモミジを植樹 有 田
雪小法師 コンテスト参加 一
詈多方中央
外務大臣主催 のレセプ シ ョンに列席 RIJY匡C
来来担う人材へ奨学金 伊勢原中央
災害医療シンポジウム開催 千厩
会員の絆を深める集会 宮古東
被災地復興を願う親睦旅行 浦和
私たちはあの日を忘れな い 第 二五八〇地区東分区
被災者支援のためのチャリティーコンサート 大東中央
﹃
ロータリーの友﹄表紙写真 公募
審査 総 評 岡丼 耀毅
二〇 一二︱ 一三年度 表紙 の写真再募集
表紙 田中 作次 RI会長
表紙題字 加藤 光峰
表紙 レイアウト 箕 牧 彰
複 製 を禁 します
●本文 ・
写 真 な と の無 断 転 載 ・
●横組みの=次は、反対側の表紙を開いた2ヽ3ヘージにあります
Fax 03-3436-5956
Te1 03‐ 3436‐ 6651
祭 りと私
オリンピツク出場おめでとう
三木
高崎東
照
正
2012 VOL.60 NO.7
THE ROTARY― NO―TOMO
①
五〇年 間 一
〇〇 %出席
カ ンボジア研修旅行に参加し て
清
①
④
①
②
⑦
⑩
研
二
覚
⑫
O⑫
⑭
五
①
選
選
選
楠
石
筒
泉歪
豊
口",ツ 曹1蝙t■ 勤
靴
⊂ONttENttS
THE ROTARY‐ NO‥ TOⅣ 10
一般社IJ法 人 ロー タリーの 友事務所
〒1050011東 京都港区芝公園2615黒 龍芝公園ビル4階
編集部メール hensyu@rotary no‐ tomojp
ヽ
世界 には、現在 も、ポ リオ 」
児麻痺 )で
身体 障害 に苦 しむ子 供 たちが い ます。
皆 さまか らのご支 援 で、この病 を地 球 上 か ら
永 遠 に拭 い去 ることが できます。
(ノ
rotary.org/endpOliOを 通じてご協力を。
今 こそ ポ リオ撲 滅 の とき
い
亀
ポリオは
あと少 しで
撲滅 できます
緒方貞子
口
d
“
醐趙
THE ROTARY‐ NOnTOMO
:
2012
JULY 2012 VOL.60 NO.7
2012‐ 13年 度
テーマ
国際ロータリー。
田中 作次 2012‐ 13年 度・国際ロータリー会長夫妻
本 質 を見 抜 く
養老 孟司
■ この 人 、この 仕 事
備 前 焼
菅形 基道
の
魅
力 を 温
和
に 伝
え る