バイオテクノロジーと知的財産権

バイオテクノロジーと知的財産権
-植物遺伝資源の利用と独占の現段階-
千葉大学
吉田
義明
はじめに
20 世紀後半からの年率 2%ちかい人口増を支え,また,近年のアジアの経済発展にとも
なう食肉需要の増大を支えているのは,育種改良された作物である.また,利用可能な未
開墾地と水資源の減少を補っているのも,育種によって改良された作物の収量増大である
(資料 1 図)
.この作物収量の増大は,農薬や施肥技術の発展等とともに,メンデルの法則
を意識的に応用した近代育種技術を応用した品種改良によるところが大きく,さらに今世
紀に入って,穀物収量が停滞しはじめると遺伝子組換え作物(以下 GM 作物)の導入が進み,
その作付面積は急激に増大してきている.また,アジアを中心として,中間層の増大と食
の洋風化が著しく進展し,穀物需要の増大の要因である食肉,食用油だけではなく,高品
質野菜の需要も増大して,巨大市場が形成されている.この分野でも穀物育種と同様に近
代的育種技術が大きな役割を果たすようになり,近年では分子生物学や遺伝子工学の応用
により効率的な育種が試みられるようになってきている(資料年表1).
以上のように,飼料穀物を含む穀物市場と野菜を中心とした園芸作物市場が巨大化する
過程で,品種改良の果たす役割は大きくなり,それに付随する種子の販売独占と育種のた
めの遺伝資源が大きな価値を持つようになってきている.現在では,市場で販売されてい
る種苗の多くは,その育種者・開発者の権利が法的に保護されている.営利を目的として
多額の費用を投じて,いち早く技術開発を行い,それを実用化した企業や個人が,その知
的財産権の保有を主張することは現代資本主義のシステムでは当然のことである.また,
優れた種苗を開発すること自体は人類的価値をもつ行為でもある.このような技術は,た
とえ,それが一企業の利潤のために開発され,用いられたとしても,その技術自体は社会
進歩につながるものでもある.しかし,一部の企業が市場,技術,遺伝子を独占すること
の弊害を指摘する声は年々大きくなりつつある 1)
.
本報告では,育種技術の発展過程とその担い手について概説し,品種改良の主要な2つ
の局面について検討を行った.まず第 1 に,農民が種を反復購入せざるをえないと批判さ
れることの多い,ハイブリッド種(以下,F1 種とする)の技術的特徴と育成者権保護のあ
り方について述べ,近代的育種技術と商業的育種との関連について検討する.次に第 2 に,
分子生物学や遺伝子工学を用いた,いわゆるニューバイオテクノロジーが育種に応用され
ることが,植物知的財産権の保護に特許の積極的導入をもたらし,それと並行して巨大企
業が育種の担い手となったことを述べる.以上,現段階における食糧・農業問題の底流に
ある育種技術と知的財産保護との関連を述べた上で,現在のアジアの経済成長を支える巨
大な食料市場と,育種のあり方との対応関係について,中国市場を中心にできるかぎり明
らかにしたい.
1.育種技術の発展と担い手の変化
植物栽培の発祥とともに,植物品種改良の歴史は 1 万年に及ぶ.有用な野生種から栽培
植物が生まれ,さらに農民たちが栽培の継続と選抜によって様々な取捨選択を行いながら,
また時には形質の優良な変異を固定化して,その地に適合した遺伝的形質を累積していっ
た.そして,その成果は農民たちに共有されたのである.近代以後はこのような農民的育
種の成果である在来種を育種材料として,試験場などの公的機関が優良品種を開発し,農
民全体に提供するようになった.これが公的育種であり,原則として商業目的ではなく,
農民及び社会全体の利益に資する目的で育種をおこなってきた.穀物などの重要な分野で
の農民や公的機関による育種行為は基本的に無償であり,したがって育成者権や特許権が
与えられるものではなく,例えば明治の優良品種「亀の尾」の阿部亀治のように,品種に
名を残す名誉が与えられる程度であった 2).公的育種にいたっては開発者の名前が残るこ
とが,むしろ例外である.植物知的財産権の出現は,まさにこのような無償の育種行為の
危機でもあるが,現代では,このような育種の商業化が急速で多様な育種の発展をもたら
しているのである.
(1)公的育種と商業的育種
合目的的な交配などの近代的育種技術が実用化するのは 20 世紀以後である.この頃から,
試験場等による公的育種が大きな役割を担った 3)
.商業的育種においてもメンデルの法則
を応用した交雑育種技術の導入が行われるようになってきた.むろん,わが国においても,
商業的育種は園芸領域では古くから存在していたし,近代的育種技術につながる知識集積
もあったが,初期に穀物や工芸作物などの重要な品種を提供したのは主に公的セクタで,
久野によれば,これは米国においても,種苗会社との分業が確立する 1970 年代まで,公的
育種の優位は動かなかったとされている.一般に,公的育種は交雑により優れた形質を集
積させた上で,戻し交配などにより,普及が容易な固定種を最終的に作出する傾向にある 4).
作物の種子には大きく分けて固定種と F1 種がある.固定種は自家採種によって,親株と
同じ形質をもつ種子が得られ,それを翌年の栽培に利用することができる.しかし,固定
種は商業的利益を目的とした育種を行った場合には,継続して利益をえることが難しい.
固定種は種子を簡単に増殖させることができるので,翌年以降は売れない可能性が大きい
からである.商業的育種によって利益を得ようとする場合,毎年,種子を購入してもらえ
る方が好都合であり,そのため次の代には形質が変化してしまう F1 種は非常に適した商品
であった.しかも多くの場合,F1 種は増収性,耐病性,環境抵抗性などについて優位な雑
種強勢をもつ.したがって,地域的に差異はあるが,農民的育種や公的育種では一般に優
れた固定種を提供することに重きが置かれ,逆に商品性の高い優れた F1 種を作出すること
が,商業的育種が発展していく条件となった.
ところで,現代の青果物流通の主役を担うスーパーマーケットで販売されている青果物
は,毎日消費者に販売品目や価格を予告する必要があり,日々適切な量の品物が入荷する
ことが必要とされる.またスチロール製トレイによるパッケージングや POS 等による商品
管理に対応するため,鮮度,大きさ,食味が均一であることなどが求められる.すなわち,
「定時・定量・定品質」が生産者に要求されることになる.この点に拡大する園芸作物市
場に対する,種苗業界にとっての商品開発の課題が集約されている.まず播種段階におい
ては,安定した高い発芽率がなければならず,また形質の異なるものができるだけ混入し
ていないことが必要である.成長段階では,病虫害に強く,成長が早くて,そろいが良い
ことが重要である.これらの形質は栽培管理を容易にし,生産コスト削減につながる.収
穫段階においては,多収性があることはもちろんとして,育成期間が一定で,一斉に収穫
できなければならず,さらに大きさ,外観・食味が均一で,日持ちがよいことが重視され
る.このような作物や種子を作り出すために盛んに用いられているのが,前述した雑種強
勢育種である.すなわち青果物流通の変化により,これまで農民が用いてきた在来固定種
ではなく,F1 種子が求められるようになり,現在スーパーマーケットでパッケージ販売さ
れている野菜の大半が,
商業的育種による F1 種子によって生産されるという状況が生まれ,
またファストフードやレストランチェーンにおいても,標準レシピに対応する,形質の似
た少数の F1 品種が大量に必要とされる,という事態が生じたのである.
種苗会社の主力商品である F1 種の生産を行う上で重要なのが,目的とする花粉親から確
.
実に受粉させることである.そのためには一般に自家受粉を回避するために種子親の雄ず
.
いをすべて除去する「除雄作業」が必要となる.通常の品種を親株として利用するかぎり,
交配作業の大部分の労力はこの除雄作業に費やされることになる.この作業負担を軽減す
るため盛んに利用されるようになったのが自家不和合性や雄性不稔性の利用である.自家
.
不和合性とは,自家受精しにくい性質のことであり,雄性不稔性とは突然変異により雄ず
.
いが異常となることで花粉を出さなくなる性質のことである.自家不和合性は 1940 年に日
本でキャベツ交雑品種の作出において世界に先駆けて実用化されている.自家不和合性を
もつ個体を種子親として用いることで自家受粉をある程度は回避することができるため,
除雄作業を省略することができコスト削減が可能になる.雄性不稔性の場合は,さらにそ
の効果は確実で大きいのだが,そのような性質をもつ突然変異体を発見すること自体が難
しい上に,一般には3つの系統を開発しなければならない(中国では両系或いは双系とい
う温度条件で雄性が変化するものも実用化されている)
.すなわち種子生産に直接利用でき
る不稔系統以外に,不稔性をうけわたしながら増殖するために、維持系統,そして稔性回
復系統を作出することが必要で,さらに優良形質を付加するための育種材料への先行投資
と,長期にわたる開発期間の利子負担が必要となる.このように,巨大市場において競争
力のある品種を低コストで生産するためには,技術・資本集積,及び遺伝資源集積が必要
であり,Local な中小種苗会社が主要分野で競争力を保つことは困難になりつつある.
(2)ニューバイオテクノロジーとバイオメジャーの出現
近年の東アジアにおける巨大市場の出現は,種苗産業を一変させた.後述するように,
主食用穀物,油糧種子,飼料穀物,蔬菜類の底なしともいえる需要が,種苗産業の市場規
模を飛躍的に拡大させ,莫大な利益を生んでいる.商業的育種にとって,大きな壁である
育種期間の長さと交雑可能な範囲の狭さを克服する役割を担ったのがニューバイオテクノ
ロジー(以下,ニューバイオ)である.育種に用いられる技術としては,細胞融合技術及
び遺伝子組換技術に代表される 5)
.細胞融合技術は細胞どうしを直接融合させることで雑
種個体を得る方法であり,通常の交雑の過程を経ないために育成期間の短縮が可能になる
ばかりか,雑種強勢を得ることも可能である.とりわけ,細胞融合技術は細胞質遺伝であ
る雄性不稔性の組込みに有効であり,遺伝子組換えと並ぶ,ニューバイオにおける重要な
技術であるといえる.遠縁種の交配や種間雑種作出が意図するのは多様な育種材料の利用
である.従来の育種法では,交雑できる個体はほぼ同科内に限られている.品種改良の進
歩とともに耐病性や良食味といった性質をもつ改良種が増えると,性質が均質化した個体
どうしを育種材料に選ばざるを得ず,従来品種との差別化が困難になるばかりではなく雑
種強勢のメリットが十分に発揮されないおそれも生じていた.細胞融合技術を用いること
により育種材料の幅が大きく広がり,従来品種にはない形質をもつ,有用な個体が作出で
きる可能性を飛躍的に高めることができたのである 6).
他方,遺伝子の組込精度をより高くしたものが遺伝子組換え技術である.この技術には
育種目標とする形質の原因遺伝子を選択的に導入できること,目的の遺伝子以外をできる
だけ改変させないこと,導入できる遺伝子が多岐に渡る(理論上は植物・動物を問わない
が,動物については厳しい制限がある)ことなど,従来の育種における課題の克服に寄与
する多くのメリットが存在しており,ニューバイオにおいて最も効率的かつ汎用性の高い
技術である.また,組換えの成否を判断するマーカーとして間接的に遺伝子組換え技術を
利用する,また成長を早める遺伝子を組み込んで,育種期間を短縮するといった効果も期
待できる.除草剤耐性遺伝子などを組み込むことだけが遺伝子組換え技術ではない.開発
期間を大幅に短縮し,より多様な遺伝材料を用いることで,育種目標の達成が容易になる
のである.
こうして作出された新品種は,拡大する市場下で巨大な富を生み出す存在となる.これ
らのニューバイオが,この分野での資本に対する自然的制約を一定程度克服し,さらに種
子の開発・生産競争を勝ち抜くための,現在のコア技術である.そのために,新たに作出
された品種のみならず,開発技術それ自体も知財保護の対象として大きな価値をもつよう
になったし,さらに 1985 年の米国におけるヒバード審決により,新たな技術で作出された
植物体そのものを特許で保護することに道が拓かれて,これ以降,大手種苗会社による特
許取得件数が急速に増加していくことになったのである 7).このような動きは,70 年代か
ら参入してきた農薬・化学系の種苗会社数社に特徴的であった.これらの企業はバイオメ
ジャーと呼ばれるようになり,この後,遺伝子組換え種子によって穀物,工芸作物の種子
市場を席巻するようになる.植物の知的財産権のうち,ニューバイオが大きく関わってい
る技術の特質は,開発期間の大幅な短縮と,創造的可能性の飛躍的増大である.これによ
って,研究開発の不確実性を低め,生命法則による制約を乗り越え,運動領域を大きく広
げた独占資本が新たな育種の担い手として登場することになった.これらの独占資本は,
農業に適合した緩やかな育成者権による品種独占に対して,工業界で使い慣れた強力な特
許権を知的財産保護の柱としたのである.いまや特許権を植物体に対する独占,植物体の
遺伝子配列や遺伝形質に対する独占に加えて,周辺の開発技術にまで行使して,農業部門
の包摂を進める槓杆としているように思われる 8).
(3)Local Variety の喪失とモノカルチュア化
近代的育種の発展とニューバイオの登場により,我々は多くの効用を享受してきたのだが,
そのかわりに失ったものもあった.地元に密着した育種を行ってきた中小の種苗会社が競
争力を失い,あるものは買収され,あるものは保有する品種や遺伝子とともに消えていっ
た.また農民がこれまでごくあたりまえに行ってきた,同じ形質をもって翌年の生産に供
しうる種子(固定種)の自家採種と,その過程でもたらされる作物の地域への馴化という
副産物が失われた.市場がグローバル化し,多くの作物の知的財産権が保護され,しかも
自家採種が難しい種子が大量流入するようになったことで,農家による自家採種や苗の繁
殖が種苗会社側の権利を侵害する行為とみなされる可能性も増大し,また購入した種子の
優れた形質を継続的に再生産し利用することや,それを材料に地域に適した品種を開発す
るという農民的行為が難しくなってきており,それは農業における「多様性」の喪失につ
ながるものである.現在では,様々な固定種を混在して栽培していた場合とは異なり,自
然的突然変異や自然交雑により生まれた形質を農民が活用する余地がほとんどなくなって
おり,しかも,遺伝子的に平板な同一品種で耕作している農場面積は以前とは比較になら
ないほど大きく,規模拡大による面的集積も進んでいる.また,それと同時に農民的育種
によって作出,改良を続けてきた Local Variety の多くが失われて,地域全体が同一品種を
栽培するという事態も生じているのである.いかに優れた種子が供給されようと,これは
農業本来の視点に立てば進歩ということはできないだろう.
(4)小括 -育種技術の発展と知的財産権の変化
近代的育種技術の登場後,公的な農業試験研究機関が設立され,既存品種のコレクシ
ョンをベースに,公的育種が行われてきたが,これらは優良品種の普及を目的としてい
たのである.近年では産地ブランド化の目的で育成者権等により,品種独占を行う例が
見られるものの,基本的に知的財産権で品種を保護するという発想はなかったと考えら
れる.IRRI が作出した 60 年代の育種による多収穫米(IR8,1966,Miracle Rice)は一般
にハイブリッドと呼ばれることが多いが,それは育種の過程で交配種を利用したという
意味で,それ自体は固定種である.これを交配親とする 70 年代育種による病虫害抵抗品
種(IR36,1976)についても同様である.このように,公的育種の場合,優良品種をより
早く普及させるために固定種の作出を目標とするのが普通であり,中国の公的育種にお
いて,F1 種が優位を占めていることは,むしろ例外と思われる.
これに対して,商業的育種業者は公的育種とは異なり,現在では F1 種子を販売する場
育成者権
合が一般的である.global に展開している大規模な種苗会社の場合,近代的育種技術に
加えて,自家不和合性~雄性不稔を用いた効率的なハイブリッド種生産を行っている場
合が多く,細胞融合技術という組換えに準ずる技術を用いた商品開発も行っている.
バイオメジャーは遺伝子組換え作物(GMO)を主力商品とする大企業で,化学薬品工
業などから参入したものが代表的である.GM 技術(周辺技術と GMO を含めて)を,特
許により二重三重に囲い込んでいる.
育成者権保護の国際条約 UPOV 加盟国は 72 カ国,
しかし PCT(特許協力条約)加盟国は 2012 年段階で 147 カ国にのぼり,知的財産権の
特許
保護のためには,育成者権よりも特許(Utility Patent)が一般的でより実効性がある.
しかし,知的財産権はインセンティブとして重要であるが,行き過ぎた権利主張は,技
術を眠りこませ,格差を固定し,社会進歩を阻害する.とくに,育成者権では認められて
いた,保護品種を用いた品種開発が,特許では禁止されていることが,最大の問題である.
GM 作物をめぐる状況を見ておくと,図1のように GM 作物生産が大きく伸びているこ
と,また特許権で保護された作物種子がひとにぎりの企業群の下で寡占状態におかれてい
る状況にある.米国では,育成者権(Plant Breeder's right)は米国農務省植物品種保護局
(USDA, Plant Variety Protection Office)で管轄されるのに対して,植物特許(Plant Patent)
及び一般特許(Utlility Patent)は,米国特許商標庁(USPTO,United States Patent and
Trademark Office)が管轄している.注意が必要なのは,米国の場合には植物に対する特
許権は二重に存在し,挿し芽や茎頂培養等の無性繁殖に用いられる,変異した植物体など
を直接保護する場合には植物特許が用いられることである.さらに一般特許が,厳密には
「品種」とはいえない開発中の植物体や細胞の一部などに広く適用されるだけではなく,
広い意味での開発技術全般にその効力が及ぶ仕組みとなっている.
18000
16000
14000
12000
10000
除草剤耐性
8000
害虫抵抗性
スタック
6000
4000
2000
単位:万 ha
2013
2012
2011
2010
2009
2008
2007
2006
2005
2004
2003
2002
2001
2000
1999
1998
1997
1996
0
図1 性質別 GM 作物の作付面積
資料:国際バイオ事業団(ISAAA)
「世界の遺伝子組換え作物の商業栽培に関する状況」2011
注)スタックとは除草剤耐性及び害虫抵抗性の両方の性格をもつもの
本格的に商業栽培されている主要な GM 作物は大豆,わた,トウモロコシ,なたねの 4
品目であるが,国際バイオ事業団(ISAAA)によれば,これらの作物で GM 作物が占める割
..
合は,2011 年現在,各々75%,80%,32%,26%とされている.大豆,わたについては,
貿易用として世界で栽培されている作物のほぼ全部が GM 作物という状態になってきてい
る.これらの作物は 20 世紀末の GM 作物が本格導入された時期に既存品種の収量が低下傾
向にあったため,大幅な省力化が可能であるという経営的メリットを求めて,除草剤(グ
リフォサート)
耐性品種の大豆と害虫抵抗性品種の Bt わたの導入が進んでいったのである.
ISAAA によれば,2011 年現在,この 4 品目が GM 作物の 99%以上を占めており,種子と
て,売上げ最大であった GM 大豆種子の販売額は 67.1 億ドルに達している.これらの 4 品
目すべてが除草剤耐性,害虫抵抗性,またはその両方の性質をもつものであり,いずれも
GM 作物の第 1 世代といわれ,如何にも農薬会社を出自とするバイオメジャーらしい商品
である.これ以後,いわゆる第 2 世代では,β-カロテンを蓄積するイネ,魚油を生産する
植物,高ビタミン E 含有大豆,スギ花粉緩和用のイネ,コエンザイム Q10 を生産するイネ,
青いバラの開発など栄養性や機能性を対象とした GM 作物の研究・開発がすすめられた.
そして第 3 世代では,工業原材料や医薬品材料などを生産するものなど,夥しい GM 作物
の研究・開発が始まっているおり,遺伝子編集技術も急速に普及してきている.しかし,
市場に投入されてから 15 年余を経過しても GM 作物の構成自体は現在に至るまで,ほとん
ど変化していない点に注目すべきである.つまり,長期間にわたり様々な技術進歩があっ
たにもかかわらず,独占的な利益をあげているものは変わっていないのである.
2.中国における食料市場と育種技術の対応関係
(1)中国都市住民の食肉・油脂需要の急増と穀物供給
ここ 20 年余で急速に巨大化した食料市場である中国を例にとり,そこに供給される農作
物種子について,その育種の担い手についてみていくことにする.それは同時に,植物知
的財産権の主要局面についての問題整理でもある.都市住民の食料消費量は,1 人当たりで
みれば,主食用穀物が減り,食肉・油脂が増えている.中国では国策により,いまだ主食
仕向けの穀物生産の自給率は高いものの,図2のように,飼料仕向けと食用油仕向けの急
激な穀物需要増大には輸入品があてられている.すなわち主食用穀物の多くは,いまだ国
内の公的機関により育種された品種による国内生産が主流であるが,急増する飼料,食用
油仕向けは輸入穀物をあてているのが現状である.中国通関統計によれば,中国の大豆な
どの穀物輸入先は米国を中心として,ブラジル,アルゼンチンが大半をしめている.つま
りこれらの作物の大半は GM 作物である 9).なおトウモロコシ輸入は 500 万トン程度と大
豆と比較してわずかである.
25000
20000
15000
米
小麦
トウモロコシ
10000
大豆(生産量)
大豆(輸入量)
5000
0
2008
2009
資料:2013 年中国統計年鑑
2010
2011
2012
2013
また中国は世界の野菜生産の半分以上を占め,野菜生産量は急速に増加しており,また
野菜の平均販売価格を試算すると 2000 年から 2010 年の 10 年間で,1.66 元/kg から 3.17
元/kg へと大きく値を上げている 10).
F1 を中心とする外国種苗導入のきっかけとなった
「国
際蔬菜科学技術博覧会」が 2000 年から山東省で開催されており,北京,天津,上海などへ
の中核的な野菜供給基地である山東省ではわずか 3 年ほどで在来種主体から外来種主体へ
の種苗の転換が行われた.高品質野菜生産の増大と並行して,この価格高騰(54.5%増,デ
フレート済)の背後で,商業的育種による外来F1種の導入が進行していたのである.野
菜の統計数値には一貫性がないため,さらに検討が必要であるが,全国農産品成本収益資
料(2012 年)に基づいて試算すると,図 3 の 5 億 4 千万トンの蔬菜生産に対応する 240 億元
規模の蔬菜種子市場が存在する可能性がある.なお,全国農作物品種推広情況統計(2010 年)
によると,全種子市場規模は 410 億元となっている.
その他
(30%)
中国
5億3,960万トン
(52%)
エジプト
1,940万トン
インド
(2%)
1億3万トン
トルコ
(10%)
2,580万トン
アメリカ
(3%)
3,560万トン
(4%)
図3 世界の野菜生産量(2011)
資料:FAOSTAT
主食として利用される穀類についてみると,ほとんどが公的育種により供給されている
とみられる.1973 年「大躍進」期に飢餓にみまわれた中国では,袁隆平らにより多収性で
雄性不稔形質をもつインディカ系のハイブリッド稲を開発し,その後も栽培が奨励されて
きた.政府が積極的にこの利用を推奨しており,その開発が技術的に難しいことからも,
中国では,米についてはいまだ公的機関による育種に優位性があると思われる.ただし,
中国種苗法では,民間育種による品種であっても,国家の優先的使用権が規定されており,
国家が種子生産を行って,配布,販売することが可能である.また,奨励されてきた品種
が F1 種で自家採種が難しく,その意味で,一般的な穀物生産に比べて,国家への依存度が
高いと言うことができるよう.中国の公的育種はある意味で国家による品種独占,遺伝子
独占という性格をもつように思われる.
(2)中国における食料供給と種子市場
あらためて,中国の穀物生産の詳細についてみると,米生産量が 11,768 万トン(籾,2013
年現在)へと急増し,全世界の約 24%を占めている.供給種子は基本的に公的育種による
もので,全国農作物品種推広情況統計(2010 年)によれば,F1 の上位 10 品種の作付面積
は 3455 万 ha に及ぶことから,主力品種は国家が強く推奨しているハイブリッド種子によ
るものとみられる.なお同書では,水稲種子の販売額は 110 億元となっている.李振声に
よれば,小麦 12.192 万トン(全世界の約 17%)の品種は,公的育種によるものが主であり,
1998-2008 年の 10 年間で,作付面積が 20%余り減少したが,単位収量が 30%近く増大し
た結果,生産量を維持している 11).雄性不稔系についての研究開発も行われており,今後
さらに収量増大の可能性がある.トウモロコシの国内生産量は 21,843 万トン(2013 年)
に及び全世界の約 23%を占めている.国際価格の高騰により,輸入を抑制するために,国
内作付け面積が増大しており,生産量は大きく増大してきている.トウモロコシ育種は,
F1 種に優位性があり,国際的にも GMO の割合が高いとはいえない.しかも種子生産が比
較的容易なため,中国においても,公的育種以外に企業による育種や種子生産が行われて
いる.
F1 種が比較的早く普及していた結果,近年は単位収量の増大は顕著には見られない.
輸入大豆は 6338 万トンと 1997 年以後に急増してきており,すでに国内生産量の 4 倍に
及ぶ.仮に大豆の国際価格を 500US$/t とすれば,輸入額は 300 億 US$を越える.中国の
輸入だけで,世界の大豆貿易量の約 64%,生産量の約 24%を占めていることになる.これ
らは基本的に油糧種子,加工用大豆として輸入されており,搾油した後の大豆粕が配合飼
料材料として高い割合で利用されている.日本の配合飼料に占める穀類の割合は 60%程度
であり,植物性の油かす類は 10%程度である.しかし中国では,大豆粕だけで,配合飼料
に占める割合は飼料工業年鑑(2013 年)によれば,約 36.6%にのぼり,高価なトウモロコ
シ等の穀類配合割合を抑えて,安価で高タンパク質の飼料供給を可能としている.
1996 年にグリフォサート耐性遺伝子組換え大豆が販売されるやいなや,中国は翌年には
早くも輸入を開始し,以後一貫して,バイオメジャーの開発した GMO 大豆を用いて,急
激に増大していく油脂類と食肉の需要を満たしてきたのである.当時,このような政策決
定が行われ,今日に至るまで長期間継続していることが,中国の食糧政策の最大の特徴で
あるように思われる 12).
図4
中国の大豆輸入量,大豆粕生産量と消費量(単位:百万トン)
出所:大豆の輸入量:2013 年中国統計年鑑より作成
大豆粕生産量と消費量:United States Department of Agriculture より作成
中国における高品質野菜の市場規模は6兆円余と推定しているが,前述したように,2000
年から急速に海外から F1 種が流入しており,中核的産地である山東省寿光市における,
2004~2014 年までの数次の種苗調査では,果菜類では外国 F1 品種に日本台木という成型
苗が多用されており,葉菜類や伝統野菜に国産のものが見られる程度である.とはいえ,
大学が投資して設立した種苗会社や外国系種苗会社と提携した民間種苗会社などで,公的
機関からスピンアウトした技術者や留学経験者などが活発に品種開発を行っている.また,
この領域の公的育種については,ミニ白菜などのヒット商品を提供したり,災害時に耐寒,
耐病品種を無償配布するなど一定程度機能しているものの,穀物に比して,園芸作物では
競争力に乏しく,数千年にわたり蓄積してきた Local Variety も育種に利用されないまま急
速に消滅しつつある.数年前から各省に系統保存のための委員会が作られているが,あま
り活動的とはいえない.
以上のように最大の食料市場である中国を例にとれば,世界の 1/4 近くを占める主食用穀
物生産へ向けられる品種は中国の公的育種によって供給されるが,ハイブリッド種の割合
が高く,独占的性格が強いように思われる.また,急激に需要が増大した飼料・食用油仕
向けに対しては,バイオメジャーが供給する GM 作物種子にもっぱら依存しており,莫大
なロイヤリティの存在をうかがわせる.そして,食の洋風化の進展と輸出拡大によって,
成長しつつある高品質野菜市場に対しては,遺伝資源の宝庫であった在来固定種にかわっ
て,主に外国種苗会社による F1 種の大量導入が行われている.
以上が,最も急速に経済発展を遂げ,そして最も巨大な中国の食を支える種子供給の概
略であるが,ここに示した,主食類,油糧種子・飼料穀物の2つの局面には,国家,バイ
オメジャーによる種子独占がみられた.また高品質野菜の種子市場についても,大企業の
市場支配力は強まりつつあると思われる.
以上
・残された課題
1.植物に関連する知財申請状況の整理とロイヤリティの存在形態についての調査.
2.バイオメジャーのビジネスモデルを他の先端産業と比較すること→範疇化は可能か
3.Bt わた等の工芸作物の種子市場についての問題整理
注1.代表的な批判として,多国籍企業による種子独占を批判するシードフリーダム運動を
主導するヴァンダナ・シヴァの『食糧テロリズム』浦本昌紀監訳,明石書店,2006.シバ
はバイオパイラシーについても発言を繰り返しており,COP10,NAGOYA 以後の ABS 普及
の要因ともなった.
注 2. 菅洋『庄内における水稲民間育種の研究』農文協,1990 を参照.なおこの文献で民
間育種としているのは農民による育種のことである.これに対して,久野秀二『アグリビ
ジネスと遺伝子組み換え作物-政治経済学的アプローチ』日本経済評論社,2002,は民間育
種を商業的育種の意味で使用しており,用語法が不統一になるので,本稿では農民的育種
と商業的育種を分けた
注 3.鵜飼保雄『植物改良への挑戦-メンデルの法則から遺伝子組換えまで』培風館,2005,
pp.2,pp.7-11 によれば,わが国における米麦の品種改良事業は,メンデルの再発見直後の
1903 年にいち早く開始されているが,1921 年陸羽 132 号が交雑育種による国立機関によ
る第 1 号である.そして 1931 年に早生,多収,良質の農林 1 号ができる頃までは,明治の
...
老農たちに育種された「神力」,
「雄町」
,いもち耐病性のある「愛国」が主流であった.現
代の公的育種においては,人工的突然変異育種,倍数体育種,雑種強勢育種,栄養性繁殖,
葯培養等の近代的育種技術全般が利用されている.また,それに加えて,細胞融合,遺伝
子組換え,遺伝子編集などのニューバイオテクノロジーの応用が試みられているが,その
多くは試験研究,試作段階で留まっており,普及するには至っていない.
注 4. 「大躍進」期に飢餓にみまわれた中国では,袁隆平らにより多収性で雄性不稔形質を
もつハイブリッド稲を開発し,その後も F1 種の開発と栽培が奨励されてきた.これは中国
の公的育種の特徴であるが,種苗についての国家依存を助長しているようにも思われる.
注 5.もうひとつの大きな領域である組織培養については種苗生産に大きな進歩をもたらし
たし,とくにウィルスフリー種苗の開発と生産には大きな成果があったが,育種面ではあ
まり成果はあがっていない.また近年,急速な技術発展をみている遺伝子編集技術等は大
きな可能性をもっているが,どのような市場に大きな影響を及ぼす商品開発に結びつくの
か,現時点での判断は難しい.常識的に考えれば,中国規模の市場が他に生まれる可能性
を考慮に入れたとしても,公的セクタが存在するため他産業に比較して,必ずしも大きい
とはいえない種子市場において,新しい技術が大きな利益を生み出す余地は小さい.むし
ろ医薬品市場などとの関連を含めて考察すべきではなかろうか.
注 6.現在のバイオセーフティーに関するカルタヘナ議定書(2003)に基づく,わが国の規
則では,科内交雑の場合は通常の交雑と同等の扱いであるが,科を超える場合は遺伝子組
換えと同等とされている.
「遺伝子組換え生物等の使用等の規制による生物の多様性の確保
に関する法律」2-2-2,なおこの技術に関連する特許の多くはわが国の S 社が有していた
注 7. 2010 年 12 月の欧州特許庁の審決は,遺伝子マーカーなどの技術的装置や手段につい
ての特許性は認めるものの,それらを用いたとはいえ「本質的に生物学的な方法」で生み
出されたものに特許性は認められないとした.これは米国の植物体に関する特許(Plant
Patent)の相当部分に対する否定を意味しており,GM 作物をめぐる米欧の対立の焦点の
ひとつとなっている
注 8. 久野は M 社の事業戦略について,
「GM 作物品種の開発と販売,それに付随する特許・
ライセンスビジネスを中心に回っており,その攻撃的なまでの GM ビジネスの到達点は目
を見張るものがある」としている.久野秀二「誰が種を制するか?種子ビジネスの現状と
対抗運動の可能性」
『農業と経済』2012.12,p.12.
注 9.国際バイオ事業団 ISAAA「世界の遺伝子組み換え作物の商業栽培に関する状況」2011
注 10. 周振亜他著「わが国野菜価格問題研究及び成因」
『月刊農業経済問題』第 7 期,2012,
李崇光・包玉沢著「わが国野菜価格波動特徴及び原因分析」
『中国野菜』第 9 期,2012 よ
り算出.
注 11. 李振声「わが国の小麦育種の回顧と展望」中国農業科技輯報 2010,12(2)
注 12 なお M 社のグリフォサート耐性大豆特許(MON40-3-2)は,2014 年に米国におけ
る期限を迎えた.同社が再延長申請を行わない場合,原則として他者が増殖して販売する
ことは可能であるが,
それで M 社の独占的利益が失われるとは限らない.
確言できないが,
3 つだけ理由を挙げておくと,第 1 に,この種子を使う場合,同社農薬部門のグリフォサー
トは売れ続けるということ.第 2 に,同社の後発品種の方が収量がよいこと.第 3 に,同
様の技術を用いてさらに改良を行う場合には,関連技術の特許に抵触する可能性があるこ
と,である.とはいえ,これによって,ある種の「汚染」が今以上に広がる可能性は否定
できない.なお,今後の GM 作物の普及にとって,特許期限の問題は非常に大きい出来事
である.M 社のこの間の特許出願と保有状況について,あらためて検証を行う必要がある.