1993年冬号

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高床造りの住居がココヤシの木陰に見え穏れする集落の中で、ひときわ限
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を引くのはハウス・タンパラン(精霊の家)である。ハウス・タンパランは
村の精霊が宿る神聖な場所で、男性の通過議礼がここで行なわれる。女性や
子供はふだんでも立ち入ることはできない。規模の大きなものは二時間になり、
暗上にはシンシン(祭)岡市の仮面や衣装が収蔵されている。ハウメ・タンパ
ランの下部は入の背丈くらいの高さまで壁がなく、細い草の葉を縄住に挟み
込んだ縄暖譲状のものが周囲に下げてある。これは聖域の結界を示すと同時
に、内部に対する視線を遮りつつ心地よい涼風を階下に導く巧妙な仕鋳けで
ある。時差しの強い日中、村の間違は三々五々ここに集い、同校⋮寝をしたり、
臨方山話に花を咲かせる。長子方向の桁に沿って幅の広い縁台状のベンチが
ある。ベンチに寝転がるとちょうど頭の位置に丸太があり、格好の枕になる
留は問。gmc のハウス・タンパランで、両妻のけらばに顔が付き、棟上に
は鳥が舞うという派手なものである。内部も柱や梁に甑彩色の絵が濃密に捕
かれ、移しい数の恨面がぶら下がっている。セピック河には隙封された鋸鮫
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央部が間み皿状にデフォルメされた顔を持つ人形や鰐の頭を彫り込んだドラ
ムが幾っち転がり、セピック・アiトの逸品に溢れている。
高床の住思形式はセピック河流域の集落に共通していて変化に乏しいが、
ハウス・タンパランのデザインや装飾は、各集落に間有で多様性と創窓に富
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う傾向すら見られ、村人のハウス・タンパランに付する信仰の篤さを見る思
いがする。表面的にはキリスト教に改宗している人ぴとであるが、その内奥
には原始の病室が今も息づいている。
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の思い出
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く、各々に良さがあった。下町の高密な環境には、露地を介した親密な関係
こうした思い出と共にある東京の町と家と庭。単なる懐かしきだけではな
友達との行き来がはじまった。
る空間。そのさっぱりさが快適だと思い始めた頃には、地域を離れて学校の
感じた。それもあとになれば、長年暮らしても間囲や隣家と係わりなく過ごせ
遊ぶことになった。町を自由に悶歩していた身としては、かなりの窮屈さを
静かな庭があるものの、植栽が邪魔で、結局子供部屋という限定した空間で
しか遊べなくなった。招かれて訪れれば、心地好く迎えてくれる友達の家。
塀や生垣、門があって自由に出入りできず、公置と道路など畑山られた場所で
それが小学校の高学年に、いわゆる山の手に引越して一変した。家々には
事場やガラス屋の庖先も、自分の領域であった。
成は、格好の遊び場であった。近所の学校も、自転車修理工場も、大工の仕
家 と 家 と の 僅 か な 隙 間 や 他 家 の 庭 先 も フ リl パ ス 。 下 町 の 入 り 組 ん だ 町 の 構
彼処を遊び回っていた。まだ率も少なかったせいもあって、道路も露地も、
を合めて子供達には幸福な時代。大人の苦労などどこ吹く風、毎日町の其処
もなく数年住んだ神田。焼け跡に軒を連ねた下町の暮らしが脳裏に蘇る。私
こつのタイプの庭ーーー下町と山の手に住んだことがある。はじめは、戦後間
自分の体験から始めたい。思い出してみると、たまたま今までに異なった
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庭
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個人の庭を時に生かす発想を
車置場、冷暖房外置機などを配置すると、一 Oodの敷地で庭は二O Mにも
増加し、しかも重装備化してきでいるからたまらない。率のガレージ、自転
れたものになることが実感される。敷地が狭くなっても、住宅の延床面積は
そのうえ狭少敷地の住宅を設計してみると、本来の庭にさける商積が限ら
個人の庭の消失と庭離れは、確実に進行している。
統計調査)。一方、共同住宅戸数も、会一戸数の五O %に近づいている。これまでの
は、住宅の敷地面積は、すでに一 OOU未 満 の も の が 五O %弱を占める(住宅
その状況は、数字にも端的に現われている。東京・大阪などの大都市闘で
た
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って織り込まれた環境が、一様なメリハリのない町の連続に変わってしまっ
が軒ならぬ壁を接して連なっている。かつて二つの異なった空間性の町によ
きた肝心の住民が追い出されて見当たらないし、山の手の庭は細分化され家
がしてならない。山の子、下町並(に変貌が著しい。下町には、人情を育んで
ところが最近の住まいと庭を見ると、かなり危機的な状況にあるような気
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の環況
庭
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うに忠われる。
それ以上に庭の有無、庭や露地のもつ媒介と緩衝作用によって左右されたよ
個人の自由さが感じられた。そうした生活聞の差は、住居の構成にもよるが、
が、山の手の庭を介した低い密度の環境には、逆にさつばりした人間関係と
ら
しい設備と道具に留まれている。
満たないだろう。家屋は今、ちょうど病院の集中治療室の患者のように、物々
れでも道端が楽しく、潤いをもつのは、道路の再開に植えられた太く傘のよ
包含し、外側には門をもつだけである。道路側には無表情な墳が連なる。そ
うに開いた並木の効果である。
確かに日本の大都市の住まいは、庭を削り縮小しつつ対応してきでいる。
けれども、たとえどんなに余地がなくても、一本の木の列によって豊かな道
の役割と意味
ところで日本の都市の暮らしぶりを振り返ってみると、もともと身近なと
空間が確保できることを、中国の町と道と家が教えてくれている。したがっ
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ころに自然を配し、楽しんできた歴史と言える。春は梅・挑・桜の花見を、秋
て私が恐れるのは、狭さや数字ではない。それ以上に、これまで述べてきた
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庭
は紅葉を楽しみ、床の間に生花をあしらい、季節に密着した生活を送ってき
である。かまちにわ々という一言葉は私の創作。底というと個人の私有の意味が
ような庭や縁のもつ多様な生活や意味を稿単に切り捨て、忘れてしまうこと
そして庭には、様々な種類と機能があった。ひとつは玄関の前、あるいは
強いが、それでも町との対応から考えられてはじめて魅力的な空間が生み出
た
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道から玄関までのアプローチ。各々の家が、外に向かって行なう個性の表出
されることを明確にしたかったからである。同時に庭が狭くなればなるほど、
幸いというか不幸というべきか、最近の経済活動の暗転は、かまちにわ。を
逆に町に生かす発想が必要という意味もこめている。
役割。そして三つ目は生活行事を行なうための空間。これには子供の遊ぴ、
考えるよい機会を与えている。つい一年前まで声高に叫ばれていた、住要求
の空間。もうひとつは、主要な部屋の明るさや日当たり、通風、眺め、プラ
麗芸など、一戸外のリビングスペースとしての働きと、物干しなどサービスヤ
の多様なニ l ズ と そ れ に 応 え る 居 住 形 式 の 提 案 ( マ ル テ ィ ・ ハ ウ ジ ン グ な ど )
イバシドを確保するという働きをもっ。内部空間のために必要な外部空間の
ードとしての働きをもっ。家庭は文字通りか家 と か 庭 ヘ 内 と 外 と の 有 機 的
も、ここのところ怠に色槌せて見える。結局住まい方の単なるバリエーション
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な連関の中で支えられてきている。(岩崎隆、抽出﹁空間構成と生活行為から見た新潟市の
に惑わされただけで、肝心の居住空間の貧しさが何ら解決されていないこと
がはっきりしてきたように思われる。
独立伎宅の住戸廻りの空間に関する研究﹂建築学会論文報告集による)
その中で最も重要と思われることは、やはり庭が大地とつながっているこ
千 ギ リ ス の W ・フォルホi ド卿は、アメニティの説明にか然るべきものが、
然るべきところにある合吉ユぬZFEmE50ユ
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)。 (mm﹁造密の定義と
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慈薮﹂)を用いたらしい。ここはその一言葉に従って、落ち着いて原点に帰り、町
と。そこには家の中とは別の正吋問。が流れているからだ。住まいの隣りに、
にどれだけの潤いと影響を与、えてきただろうか。昔からの言い缶、えにもか子
と庭とのか然るべき。関係を考え直してみようではないか。かつての山の手
自然という生きた小さな宇宙があり、自律的な変化を繰り返す。それが生活
供は縁側のある家で育てなさい々というのがあるそうだ。縁側は日当たりも
と下町に代わる、今の時代のかまちにわ。を求めてである。
ある。
(和)
と海外事例という本号の構成は、そのための手掛かりとして編集したもので
三人の既存市街地での試み、そして畑、田中氏によるかまちにわ。のルl ツ
坂本、宮脇氏の戸建て集合住宅地における二つの考え方、奮闘する建築家
良く、健康に良いのは当たり前だが、それ以上に自然の変化や時間と共にあ
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ることの大切さを教えていたのかも知れない。
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こういう躍のことを考えてきてやはり思い出すのは、隣国中国の町と民居
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である。新どいう高い塀で周回を囲む民居は、内側に天井という小さな庭を
震
片
⋮さかもと・いっせい
一建築家・索京工業大学建築学科教授
人電乏一かたやま・かずとし
ふ霊一建築家・東京芸術大学建築科助教授
写奥日東京工繁大学坂本研究室
﹁まちにわ﹂というのは私の思いつきの言葉です。ふだん住宅の設計
てくる。外部空間はどうなるのかなということからの発想です。
感じですね。ますます都市が過密になって、住宅から庭がとられて裸になっ
をやっていますと、最近だんだん敷地が狭くなってきて住宅が縮小してくる
片山
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両
国
念コモンシティ墨田
に大阪府住宅供給公社の手で間開発が
大阪郊外、生駒山地に連なる丘陵地
進められている。ここにとり上げる
ので、大阪府主催の公開コンペの入
プロジェクトは、その中核となるも
選案を実現したもの。設計は東京工
るひな壇造成は行なわず、大地の起
業大学の坂本一成教授で、擁壁によ
くように﹂配置されている。各一戸の
伏を生かした敷地に住戸が﹁ばらま
敷地は小さくおさえ、緑地や水路の
ある緑道、通路に大きなスペースを
れらパブリックな空間(コモンスペ
あてている。そして住戸はすべてそ
ースではない)に直接頭して町並み
ロジェクトの特徴である。
をつくり出していることが、このプ
一戸建て住宅地でありながら、いわゆ
る介譲住宅地の様相とは全く違った、
都市的な住まいの姿を見せている。
第五回村野藤吾賞を受賞。
少し具体的に話を進めたいと思います。最初に、﹁傾斜地に自然にばらまく
ように住宅をつくる﹂と考えられたとのことですが。
配置のイメージ│!大地にばらまく
くふられました。それだけに、発表された先生の作品を拝見しまして、とて
可能かどうかがこの計画のはじまりだったろうと思います。
ーマ:::これは矛盾しているんですよね。結局、この矛盾したことが本当に
コンべから始まったわけですが、﹁戸建ての共同化はいかに可能か﹂というテ
こ の ﹁ コ モ ン シ テ ィ 星 田 ﹂ の 計 画 は ﹁ 星 回 アi パ ン リ ビ ン グ ﹂ と い う
も新鮮で、こういうふうに解けるのかとたいへん感激しました。それと﹁ま
坂本
ちにわ﹂が結びついて、ぜひ先生からお話を伺いたいと思いました。
そして、実は私も﹁星回のコンペ﹂ぞやったのです。応募したのですが軽
(写 MJ最 :;l;/ 新役築'ゲ J~~/))
"l':から見る「コモンシティ益田」の全景。
戸
本
いわゆるテラスハウスみたいな建物で壁を共有するという形。それは主催
れたかもしれません。設計はそこから始まるわけですね。そこまでは一種の
そのためには、それにアクセスするための動線も必要になってくる。動線
イメージ、空間の大ざっぱな構造みたいなもので、そんなことで建物ができ
化もあったと思うのです。しかしもう少し違った形で:::一戸建てはひとつひ
計画については、東側の幹線道路に車の動線をつけてはいけないとか、その
者の考えのなかにもあったと思うのです。そういうありかたの建物をつくる
とつが分かれているはずだから、物理的な部分の共舟化ではなく、その間を
他いくつか条件があったのですが、原則としては特定な動線はできればほし
るわけではない(笑)。
とりもつ場の共開化、少し抽象的にいえば、空障の共同化をやってみようと
くない。そのことによってこの場所を島化してしまいますから。もっと密度
ことによって有効になる部分はいくらでもあるわけですから、そういう共同
思ったのが、今回の案が生まれるきっかけでした。
るのではなく、もっと大地の延長のなかにより 自由にあってほしい。大阪郊
由に共同的に使える場所であってほしいと。単に一ニO一戸のための村をつく
の広さを生かすことができないだろうか。その広がりを一二O一戸の住宅が自
うのは幾分文句がなくはないけれど、これは条件ですから。せっかくあるそ
片山つまり、最初に道路計画があるのではなくて、まず、住戸を大地のなか
戸が成立できるために動線が必要となるわけです。
ということは、それを成立させるための構造が必要です。ばらまいた一戸一
坂本しかしこのなかにこれだけの密度をどうしても入れなければいけない
片 山 パ l クウェイ的になるんですね。
が低ければ、ばらまいた状態でフリl アクセスでいいわけですね。
外の交野市というところにあるわけですから、その周りに連続する広がりの
にばらまいた、それが成り立つように動線を考えるということですね。車が
二・六加の広がりのなかに、二層以下というコンペの条件。一一層以下とい
なかで、空間的な意味で特殊な場所になってほしくない。一二O戸のコモン
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なスペースをつくろうということではなくて、パブリックな広がりのなかに
坂本私は通過交通さえなければ、この一一一O一戸程度のなかで車と人を分け
入ってくることを認めていらっしゃいますよね。
る必要はないという考えで、こごでは道路を﹁通路﹂といっておりますけれ
たまたま二・六加の単位があって、そのなかに住宅が散るようなかたちで配
寵できないだろうか、と考えたわけです。(編築部注・実施設計では一一一一一戸)
時に事業コンペで選ばれた七OO一戸が加わって、だいたい全体で一 000戸
のですが、このほかにあとニO O戸 ば か り 公 社 自 身 が や る 部 分 が あ っ て 、 同
で、北西の方角に駅があって、南東のほうに広がってこの街の奥があるもの
てもいいですね、このなかに関じないような状態にさせたい。そういう意味
緑道も、あくまでも周りの広がりへの連続、ある意味では﹁開放﹂といっ
ども、この通路自身をある程度緑道と同じような扱いにしています。
ぐらいになります。少なくともその全体には広がってほしいし、図々しくい
ですから、人は最短距離をとれたほ、つがいいだろうからということで、大ざ
この﹁コモンシティ墨田﹂という欝は大阪府の住宅供給公社が開発したも
えば、その一 000一戸よりもさらに広がりたいという希望がありました。
っぱに対角線上をそういう場所として設定しました。
その前に地形の等高線の問題があります。あらかじめ組造成がされていて、
わさったかたちになるのだろうと思うのです。
をえない。この密度等の条件のなかで対応していくと、多くの線状が組み合
けですから、こういう酎置では、ある意味ではリニアに方向性をもたせざる
それから、必ず二戸二戸の住戸が道に接する状態にしなければいけないわ
片山私もコンペに応募したときに﹁共同化﹂という一言葉にものすごくひっ
かかり、むずかしかった覚えがあります。けれどいまのお話を伺うと、そう
ではなく、むしろ、﹁大地の延長﹂という非常に魅力的な:::。
たまたま傾斜地ということがそういうことをイメージしやすくしてく
配置を支えるもの││形式としての勤線
坂本
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「コモンシティ墨田」の配霞図
数字は敷地番号を示す
大地にばらまくように住宅を配置。
私たちに与えられたいちばん自然なかたちが粗造成の状態です。設計条件は
その粗造成を前提にしろということでした。ただ、実際には組造成のままで
ありえない。なかに道路をつくっているわけですから。仮にそのままであっ
一つの敷地を与えられたときに、雛壇造成をするのは建築家にとって不自然
たとしても、実際には砂防法とかさまざまな法的な開題で大変なんですね。
ですね。全体の広がりのなかで建物を配置しながら外部をつくっていくのは
あたりまえの方法で、そういう意味では特別なことをやったつもりはないの
ですが、現実は、私のほうがあたりまえでない(笑)。
片山これを拝見しておもしろいなと思ったのは、緑道的な道と通路が浸透
していくというふうにお考えで、これは血管に動脈と静脈があるというのと
同じ感じで、地形のなだらかなあり方と動線の自然な移り変わりとが網の自
のように通ったのではないか。計画者がよくやる﹁車の道﹂﹁人の道﹂とい
理を意図的にされなかったのかなと思ったのですが。
うi i私 た ち は そ う い う ふ う に し が ち で す け れ ど も │ │ そ う い う き れ い な 整
坂本自由な広がりをつくりたいといっても、必ずしも自由につくったから
といって人びとが自由に使えるわけではないですね。建物をつくるときに、
裏と表はないほうが自由な気がするのですが、裏と表をどこかに設定しない
と、われわれはまともに対応できないところがありますよね。
片山あります。何か条件を決めていかないとだめですね。
坂本ですから、通路と緑道はその程度の意味づけはあるだろうと思います。
かということに、幾分不安がありますから、そういうことに対応する構成を
それがなくて全く等質だと、われわれは本当に自由に使えるか、対応できる
﹁形式﹂という一言葉で言ったりしているのです。この﹁形式﹂というのは、
必ずしも確題たる何かということではなくて、そういう設定をすることで全
体をつくろうとしているのだと自分では納得しているのです。
非常に自然な感じを受けます。どこかでみたような懐かしい感じがし
街並みの印象││分節化のもたらしたもの
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中央緑道まわりの立箇図
塀がなく、建物が霞接道に箇して町並みを形成する。
「聞?びらき」の自のに gわい。
て:::。﹁部分部分に神が宿ったのだ﹂という感じがします。
坂 本 私 と し て は 、 そ う い う 懐 か し い 、 デ ジ ャ ヴ ュ l (既 視 感 ) と い う の を
つくろうとしたわけではないし、部分部分に神が宿るような世界をつくろう
としたわけでもなくて、ある意味では逆に、そういうものではないものにし
たいという意識のほうが強いのです。もっとさっぱりした、大地の広がりの
なかでポッポッとただ住宅を置いただけ、それだけで成り立った場所にした
かったというのが素誼な期待です。
部分部分をつくることに関しては、実際には分館はかなり縮かいですから、
その結果がいまおっしゃったようなことにつながってくるわけですが、その
分部をしなくて済めばしないほ、つがいいと思っているんですね。だけど、こ
の密度のなかでこれだけの量を入れて、それで滑らかにしようとすると、縮
大きな擁壁をつくることにならざるをえないのです。滑らかにすればするほ
かくせざるをえない。たとえば対応しないとそこでは極端な段差、つまり、
ど、手法としてはおおらかにできるのではなく││よくいう話ですが、水鳥
はみていると優雅に泳いでいるようだけれど、水面下ではパタパタしている
(
笑)111そういう意味で、図面の量もびっくりするほど多かったですし。
一て六加で高低差がこOm、 そ れ を 百 数 十mで 吸 収 す る わ け で す か ら 、 こ れ
はかなりしんどい勾配です。雛壇にしてしまうと、パーツと雛壇だらけにな
るのだろうと思います。それを吸収するために細かくやっていった。もちろ
ん、できれば細かな分節はないほうがいいといいましたけれども、この計画
に関しては、そうなるのだったらそのまま細かくなっていいだろうという考
え方もあったわけです。
今わざわざこれを強調してお話しているのは、人が住むところ、建築のあ
り方は、細かく分節することによってヒューマンなスケールになるのであっ
て、そういうものでなくてはいかんという意見があるわけです。私自身は、
それは一つの方法であるかもしれないけれども、そのことゆえに価値をおく
でも、いろいろと分節を考えていくことがなだらかな丘の表情を残す、
ということはしたくないという気持ちがあるからです。
片山
う先入観があるのでしょうが、建築でやっていけば、そういうところは問題
ではないということですね。
片山結局、道路が決まるのが最後ですね。建物の状態が決まらないと道路
も決まらないし、それによって道路がずれてきてしまう。
大地の延長と一体のものとしてイメージすることにつながっている。普通だ
坂本極端な一一一一口い方をすると、そうしたことは単に鹿標設定で何も向題はな
片山まずは道路があって、敷地があって、そこに建物をのせるという感じ。
坂本そう。ところが、役所関係のチェックはみんな逆ですからね。
と土木の人がやって、あるところから建築ということで、それが雛壇状をつ
いと思ったのです。もちろん、道路も座標設定でやっていけるわけたす。
の状態で置いておくことになるわけで、このことは、砂防法等のなかでなか
坂本設計自身もどうしても細かくならざるをえませんし、また現場を造成
ね。もちろん、役所のトップの方の考え方と実務の担当者とは違うでしょう
長 が 入 っ て い ま し た か ら 、 コ ン ペ で オl ソライズされているということです
ペの審査員に建設省の局長、大阪府の建築行政の最高責任者の部長、交野市
そういう意味でもコンペだったということが有効だったと思います。コン
なかやっかいなわけです。そのへんのところは役所同士の関係でうまく対誌
ているわけではないですが、かなり役所も前向きに対応してくれた結果だろ
し 、 担 当 者 の 責 任 も あ る し 誇 り も あ る 。 す べ て ト ッ プ ・ ツi ・ダウンでいっ
ではないかと思います。
うと思うのです。いまの法律の範囲でも、役所を含めて前向きにやっていこ
坂本実際に、施工中現場に行ってみますと、大雨が降るとどんどん土が流
い一言い方ではありませんけれど、社会的な枠組みを知っていれば、かえって
私はもちろん土木は未経験です。知らないことが有利だというのはあまりい
うとすれば、かなりのことができるのではないかという印象をもちました。
れますから、そういう法律もわからなくはないですね。結局、これは最終的
そ れ に 拘 束 さ れ て し ま う 。 社 会 を つ く っ て い る あ る 種 の 枠 組 みi
ii多 く の 枠
1I
には建物で止めているようなものですから、ある瞬間に建物がなくなったら
一つにしても、そういうふうにしなければ社会が成立しないわけですし、白
組みは法律も含めてそうせざるをえないのだろうと思います。砂防法の問題
土木と建築の間
みんな流れちゃう(笑)。土木的スケールで全体で止めるような擁壁はまった
影のチェックの問題もそうです。そうした枠を否定しなくとも、前向きに対
応していただければ、いろいろなことができていく。
してもらうということはあったわけですね。
わけですか。それがとってもおもしろいと思いました。そうはいいながらも、
片山
公 私 の 境 界 区 分 [ilパ ブ リ ッ ク を 求 め る
坂本たぶん近代的な住宅地のつくり方にはないのだろうと思います。考え
通路は通路であって:::。
ところで、この通路の境界線は建物のかたちに沿ってジグザグになる
てみれば不思議なことなのですが、土地にかかる問題は土木的な問題だとい
防 法 と か そ う い う も の を ク リ アiし な け れ ば い け な い と い う か 、 違 う 解 釈 を
片山ある意味では土木の造成についても新しい試みだったわけですね。砂
あまり教条的にしていません。
して、そういうスケールでの場所ができればそれはそれでいいというふうに、
くありません。ただ、部分的に一メートルちょっとぐらいのところはありま
造成の考え方
していただけたと思いますが、大阪の住宅供給公社はずいぶん苦労されたの
に大変な仕事だったのではないかと思うのですが、魅力的ですね。
くってきたわけですが、それもひっくるめて全部建築でやるというのは非常
坂本一成先生
nHU
l
坂 本 ロ j U頁の図の通路の部分に点線がついていますが、・これは道路とし
いうことができるはずですが、それがちょっとできなくなったのは残念でし
た。そういうことができれば、動線的に連続できますから、もっともっと広
す か ら 、 そ こ を 貫 い て コ モ ン の 部 分iil外 部 が そ の ま ま な か に 入 っ て く る と
離れていますから、建物の配置なりに通路はみんなジグザグになっています。
がりが連続した状態が可能だったと思います。
て の 幅 が 確 保 さ れ て い る こ と を 示 し て い ま す 。 そ し て 建 物 が 通 路 か ら 五Om
片山いままでにそういうふうに実現したことがあるのですか。
が分かれていますから、かなり大変らしいです。
片山空間的には暖昧にしたい、という誼観的なイメージがありますね。
だ広がりのなかに建物がポッポッと置いである:::。
公私の問問題はできるだけはっきりしないようにしたい、暖昧にしたい。た
片山分譲住宅でこういうことができるかできないかもよくわからなかった
坂本そうです。この街の部分をみてどこまでがこの住戸で、というのはな
坂本どうでしょう。道路は道路課、緑地は公鴎課とか、役所もみんな管理
のですが、少なくともこういうことはできるのですね。そういう公私区分に
からそれはきちっとしなければならない(笑)。当然ですが実擦はものすごく
いう状態にしたいということがありました。しかしこれは所有権の問題です
パブリックにしてほしいと。パブリックはみんな市のものになるわけですが、
明快になっています。そのへん細かく一戸一戸全部対応しているわけです。
かなかわからないと思います。意識的に、広がりのなかにただ置いであると
道路とか緑道とか緑地はそれぞれ分かれて管理される。そうした分割に加え
片山そのへんのご苦労を思うだけで、言葉が出なくなりますよ(笑)。
ついていろいろ悩まれたこと、やられたことがありますか。
て、それらがひとかたまりとして成立していない。たとえば緑地は一か所に
坂本ただ、伝統的な役界だったら、共有水道は民家のなかを通り抜けるわ
坂本私は、二・六加の広がりのなかで、できるだけコモンにしたくない、
まとまっているのでなく、多くの部分に分断していますので、このことはか
けです。コンペの応募案の段階では幾分そういう部分がありましたけれども、
片山計画していっぺんにつくるわけですから、所有者が決まっていないと
なり役所に嫌がられました。これからこれらがどういうふうに使われていく
ちょっと話がそれますけれど、実はコンペ応募案の段踏では連棟式のもの
そういう話はできないですね。所有者が決まっていれば、当初の設計がルー
実際にはそこまでできません。
も部分的にあったのですが、それをやめた理由は、ここまできたのであれば
か、ある種の実験という部分もあると思います。
すべて一戸建てのは、つがいいのではないかという要請が事業、玉体のほうからあ
住んでいる人たちの立場からしますと、ここまでがうちの敷地で、ここから
そこはリアルでおもしろいところだけれども、逆に大変なところですね。
ズになっていく可能性も開けていますね。
てやるのはかなりオーバーな話になってきます。住一戸を離せば、あとの不安
は違うという境界線はどんなふうにみえるのでしょうか。
りました。またそれをやると、水回りの汚水雨水関係を低層でピットを切っ
がない状態で処理できることになります。
坂本はっきり確認できます。現代人にとって、建物は住む対象であると同
時に所有対象だということがたいへん強いわけですから、どこまでが自分の
ものかはものすごくはっきりしています。ただ、生活しているときにそのこ
とが強いかたちで入ってきてほしくないと、私は思っているわけです。
た と え ば 、 隣 地 境 界 の 塀 を は さ ん で 、 そ れ ぞ れ の 建 物 は そ こ か ら 五Omず
つ離れたところにある。その隣地との間の塀の高さは四五叩くらいなんです
1
l
1
•
公私の問題からすれば、もし低層連棟式のものでしたら区分所有になりま
片山和俊先生
キン 7 π
?
で吋
時 也
[2J
仁コタイ Jレの歩道
ね。ですから空間的には一体化しているのですが、平面的には境界ははっき
りしているというわけです。
このへんのやり方もいろいろな開題があるのではないでしょうか。最初に
入居が決まった方から公社のほうに﹁この塀では不安だから、高くしてもら
えないだろうか﹂という要請があったそうです。その明白は、﹁そこから近所
の子どもが入ってきて、うちの庭のなかでケガをされたら、私が責任を負わ
なければならない、そういうことを考えると、とても不安でしょうがない﹂
と。これは何をかいわんやと思いましてね:::。そういう方もいらっしゃる
でしょうから、それはそれでやってもかまわないだろうと思っていますけれ
ども、そういう社会に私たちがいるという現実と空間の問題はかなり結びつ
いていることは事実だと思います。
ここまで想定していませんでしたが、﹁これは低いから高くしたいよ﹂とお
っしゃる方は当然いるだろうと思っていました。同じようなことは、関口の
とり方とかいろいろあると思います。そういう意味で実験の部分はかなりあ
ろうかと思います。それは時間がたつてみて:::ということでしょうか。居
住者は最初はいろいろなところでかなり違和感をもたれると思います。
外 回 り の 空 間 i!l緑とメンテナンス
片山いま公私の区分がわりと明快にできている、空間の入り組みと引込み
は別にしてできているということはわかったのですが、緑の手入れとか、将
いうのは全部﹁公﹂が面簡をみるという話になるのでしょうか。
来的なメンテナンスなどにかかわってくることがずいぶんありますね。そう
坂本そのへんは供給公社がいろいろ考えているようです。ある段階まで公
社がなんらかのかたちで面倒をみて、そのあとの手入れに関しては自治会の
ほうでということになっているようですが、うまくいかなければ、かなり悲
惨な状態になる可能性もある。一度そういう悲惨な状態になってはじめて知
恵が出てくるということかもしれません。
ただ、ごらんになっておわかりのように、植栽はそんなに多くはないので
す。建物自体がドライなかたちで出てきてかまわない構成になっている。
いといえば、虫の問題から、かなりの方が嫌うのでやめたりとか、まさにメ
ンテナンスフリーであり、あとのトラブルなしでということを心掛けていら
っしゃるし、部分部分の処理の問題もずいぶん心配されていました。ちょっ
いメンテナンスが行なわれていい状態を保ってほしいと思いますが、あまり
それに期待しないでもいけるようなものにしておきたいとは思っています。
3
弘
t
1/600
撒密に計画されたそのなかで﹁空虚さを残したい﹂ということを一言っ
イメi ジ し た の だ と い い ま し た け れ ど も 、 極 端 に い う と 、 そ れ だ け で い い と 。
坂本ニ・六加の広がりのなかに住宅をポッポッと置いていくということを
ジがおありなのではないかと思うのですが。
ておられますね。一言葉の感じはよくわかるのですが、もう少し先生にイメー
片山
集 住 感 │ l i空 虚 さ に つ い て
設定するということではないかと思っています。
いるということではないです。ですから、その条件のなかで最もいい状態を
坂本私自身はそういうことに対して特に強いイデオロギーをもってやって
片山それが逆に問題になる。
設計する側のイメージであって:
虫の問題とかで嫌われるところがありますね。だから、緑の多さというのは
ればそれにこしたことはないという気はします。木は木陰になりすぎるとか、
ということは事実ですから、結果的にそうならざるをえない。多く植えられ
坂本それはあまりありません。実擦には植えられる場所が限定されている
過できるからというイメージがおありだったのかなと思ったのですが。
片山私は地形観を残すために、植栽して覆わないほうが全体像がわりと透
それに対して私もこうあるべきだと主張するつもりもありません。
なりすぎているような気がしますけれども、それはそういう現実ですから、
そんなことはあまり問題にならなかったわけですからね。あまりにも敏感に
しょうし、時代の空気みたいなものがある。かつて伝統的な社会のときには
そういうのは、すぐ管理責任が問題になる社会のあり方と関係しているので
面を水が流れるような状態にするとか、いろいろ注意をしていますけれども。
と水路を回すと、そこにフェンスをという話がすぐに出てくる。こちらも表
し
、
片山模型でみると、もう少し木がいっぱいあったような気がしたのですが。
坂本もう少し大きな木にしたいという気持ちはありました。ただ、予算の
問題もありますし、最初から大きな木だと、建物への落葉の問題とかいろい
ろありますね。ある程度時聞がたつてからそういう状態になるのは問題はな
いでしょうが、最初にそういうトラブルを起こしたくないというのが事業者
側、あるいは役所側にはあったのかもしれません。
役所を含めて、皆さん植栽についてはかなり敏感ですね。サクラを植えた
ベ~'\\!!;-:寸
中央広場まわりの住戸高E
讃
ソ
ぬ
¥
4-
〆ぐ~..-~-一べ\
わ れ わ れ の 世 界 は 充 満 さ れ て い る わ け で す 。 デ ジ ャ ヴ ュ iもそうでしょうし、
ことがあったわけですが、逆に、そのことによって生まれてくる別な意味で
それを実現するために、道路や緑道配置の問題、あるいは小さな分節という
建築こそ現在の建築なのだというふうな考え方もありますね。それに対して
の問題とか、そこに住む方が直接的な関わりのなかで対応をしていくような
坂本かなり基本的な問題に関わってくると思いますが、たとえば住民参加
す。なるべくパブリックな場所の連続の場のほうが快適だと感じることも多
私はそれなりに評価をしているつもりですし、そういう考え方は当然あるだ
表と裏を設定せざるをえないのだといいましたけれど、さまざまなレベル
いですね。もし私が住むということを考えますと、そういう密度の高いとこ
コスモロジiを感じるとかということを含めてみんなそうだと思うのです。
できまりみたいなもの、空間のヒエラルキーをつくって、それぞれの段階を
ろ、関係の強いところには住みにくいと思、つんですよ。それはそれなりに楽
ろうと忠います。ただ、すべてがそういう意味の濃い世界というのはちょっ
全部問題にしてというようなことではなくて、本当はもっとボソッとしたか
なものかもしれないけれども、どこか自分の古いところに一民されてしまうよ
と耐えられない。たとえば見知らぬ町に住むことの快適さもあると思うので
たちでやりたい。そのことでいままでの私たちを枠づけている空間から自由
うな気がするんですね。
れているものであってほしくない。もっとさっぱりしたものにしたいと。
になれるのではないだろうか。そういう場所は、いままでの意味の問題から
坂本人間が住むところはどこかでそういうことと関わらざるをえないだろ
うということですね。
片山そこにいくと、すべてわかった人たちがいる。どこか原点に返っちゃ
そうするとここに住む人について、その住まい方、生活観、人間関係
もその﹁空虚さ﹂につながるような集司を思われているのでしょうか。
片山
いけば、たぶん空虚ということになるゆだと思います。
結果的にはそうならざるをえないと思うのですが、すべて意味で埋め尽くさ
中央緑道まわりの平面図
ヴオールト屋根の集会施設「卜レリス」
d斗 z
l
の﹁星田﹂はどちらかというと、リジッドな人間関係を取り結ぶのにはすご
とそこから絶対に抜け出られないという感じがありますから(笑)。でも、こ
くわかります。ある種の安心感というか、密な人間関係があって、家に帰る
片山私自身、リジッドなところに住んでいますので、おっしゃる意味はよ
ていると思うのです。
住宅とか、あるいはその後設計しつつある建物ではよりそっちのほうにいっ
苛 立 ち を 逆 に 感 じ て い ま す 。 そ う い う 意 味 で は 、 熊 本 の アl ト ポ リ ス の 集 合
と思っているのです。ですから、やっていながら、細かく対応することへの
坂本実は私はそちらのほうを標移しているというか、そうじゃないのかな
片山だんだんと感じています。
いるある意味での冷たさみたいなものをもし感じていただけたとすれば・
くくられることへの苛立たしさといいますか:・・:。ですから、ここのもって
うとは思っていますが、そういうコミュニティのようなかたちで自分たちが
たいなものを提案しろと。とりあえず一応そういうのは設定していますが、
の条件のなかにそういうニュアンスがあったのです。つまりグルーピングみ
グループのユニットということをあまり意識していない。実は、あのコンペ
坂 本 そ う い う こ と で す 。 で す か ら 、 ひ と つ ひ と つ の ク ラ ス タiあるいは一
隣りのBさん、 Cさんではなくて。
片 山 そ れ は 大 地 と い う 全 体 に 広 が る と い う 意 味 で も あ り ま す ねo Aさんと
ないと、住むこととの関係がとれないのではないか。
をここで感じるような気がするのです。こういうサパサパした関係のなかで
です。都市のなかの空間との連続性。この街のなかに住んでいるということ
に開放するということではなく、住一戸は街並みに聞いているのだという意識
いうパブリックに対してはかなり聞いています。数軒のコミュニティのなか
坂本住一戸と住戸が大きく向かい合うのは避けていますが、通路とか緑道と
いう生活や関係が生まれてくるか、おもしろいところですね。
では、先生のお考えと、これが一 O年、一一O年 た っ た と き に こ の な か で ど う
{主戸の中より外部を見る。
くよさそうな角々とか段差、コーナーがいっぱいありますね。そういう意味
水の流れる線道沿いの住戸。
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主pは霞t
妾
ノ Tブ 1
)ックな空間に i
i
i
iしている。
路
係
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レr﹂
一
筋
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i
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﹂
道
線
一戸
庭
の
住
実 は そ う で は な い 考 え 方 、 方 法 が あ る と い う こ と が 、 いまお話を伺っていて
その下にどういうグルーピングがあるだろうかと考えてしまいがちですが、
片 山 今 ま で の 設 計 論 で す と 、 共 同 と か 戸 建 て 集 合 を 一 二O一戸与えられると、
ほとんど意味をもたないと思ってやりました。
れはヨーロッパの都市を身近に感じたこと、あるいはヨーロッパの都市とは
うのは楽しいところだ、都市こそ:::という空気ができてきたんですね。こ
題とか車の問題で都市というものが悪玉になっていたことに対し、都市とい
あったのですが、それだけではなく、七0年 代 の 半 ば 以 時 、 そ れ 以 前 公 害 問
ったと思うのです。そういうことで楽しい都市への連続ということと関係し
違う都市がこっちにあって、その混乱性がおもしろいのだということでもあ
l住宅と都市の関係
よくわかりました。
﹁まちにわ﹂を探る │
閉じた特殊な世界を構築するのではなくて、街に住むこと。たとえば散歩
ていると思います。
回﹂では、その外側のパブリックなところがそれにあたると思われます。こ
はひとつひとつの建物につく部分だと思うのですが、この﹁コモンシティ星
入ってきてもいいだろうし:::場合によっては公園的なもの、﹁外庭﹂といえ
それは都市として住む人たちがここを散歩してもいいだろうし、周りの人が
﹁星田﹂の場合も、躍は外部のパブリックな部分であるといったけれど、
は自分の庭ではなくて街の散歩なのだということではないでしょうか。
のコンペの条件のなかで幾分極端な方向をとったのは、住一戸の敷地面積を減
るものかもしれません::・・それに対して塀をめぐらせてしまうのではなくて、
坂本﹁まちにわ﹂という一言葉自身いろいろな解釈があるでしょうが、﹁庭﹂
片山もう少し一般論として﹁まちにわ﹂についてお考えがありましたら。
らしていることです。そしてそれをパブリックな場所にもっていく。いまま
まさに直接住戸の壁が立ち上がることによって、その環境をより近づける、
住戸の躍を部分的にはとっているわけですが、これはもちろん開口への担
で住戸のなかに内包している部分を逆に外に出すことによって、より住戸自
保の向題もありますし、一戸建ての住宅というとどこかで土という問題がかか
あるいは都市的な関係にするということではないかと思います。
そういう意味では、ちょっと話がずれるかもしれませんけれど、私が設計
身が広がるのではないかと考えたわけです。
開じた籍かということをいいま
のだということをいっていたわけです。実質的には、私はまったく窓がない
社会に対して閉じることでしか自分たちのアイデンティティを設定できない
した。その当時私たちが住む場ということに関し、都市に対して、あるいは
なところで理解していただければ、こうしたことが私が考えているある意味
も、一本の木を生やすことはできるかもしれないという:・:。そういう暖昧
ったらいいというふうに:::(笑)。それは何に使われるかわからないけれど
わってくるだろう。私は躍なんか要らないけれども、でも一坪の庭くらいあ
HH
ような建物はつくっていないのです(笑)。かなり聞いているのですが、ただ
での﹁まちにわ﹂ということですね。
を始めたのは一九六0年代の終わり頃で、
あり方としては内部空間に世界があるというようなことだったと思うのです。
片山さっきから配置凶を拝見していると、戸建て集合の二戸二戸の敷地は
という言い方は悪いですが、それからできた町と考えられますね。それがパ
これは私だけではなくて、たとえば安藤忠雄さんの﹁住吉の長屋﹂、伊東豊雄
ブリックに面すると、私有の広い庭はなくても、楽しい:::空虚といったほ
すごく狭くて、すぐパブリックなんですね。そういう意味では、﹁狭小宅地﹂
しかし私の﹁代田の町屋﹂という住宅あたりからは、私は閉じたものをい
うがいいかもしれませんけれども:::そういう生活感が全体に宿るのだとい
さんの﹁中野本町の家﹂はまったく外部に窓がないんですね。
いますが、居間の内が外の道からみえるぐらい開放しているのです。それは
う感じがして、 とても明るい未来を感じてきました。
かに開いていくかということをやっていたような気がします。全体は閉じて
﹁閉じる﹂ということは、どこかで自閉症になるのではないかという反省が
ヘ
f
手法
写奥日宮脇
洪給する以外できない。
に集まってくるその人たちは、都市郊外部に農家的臭いをあふれさせたまま
市周辺部に移動し都市労働者となった日本。農耕民族の意識そのままで都市
公の何の援助もなく、自己資金だけで土地取得と、住居建設をしなければな
住宅地と住居がそれぞれの時期の経済条件を反映しながら供給されてきた。
下で、土地は壊小化し、住宅はバラック化しながら、都市郊外の農地を埋め
向をそのまま商品化する能力しかないのだから、一般の人の古い住宅や不動
だいに大企業の参加が始まるにしろ、住宅産業は表面に顕在される市場の動
まず大工や工務応レベルでの民間住宅産業にゆだねられることになった。し
がなされ、平地が少なくなれば丘陵地の無残なひな壇造成によって平坦宅地
れていった。人が平らな宅地を要求するから、土地はまず大規模な造成工事
る商品として、徹底的に分析され、その結果としての一つの定型にまとめら
要が戦後強く続いたことから、これらの住宅地や住宅は効率よく利益を上げ
土地の造成、上物の建設、販売がすべて民間の子にゆだねられ、しかも需
つくしていく以外の方法を持ち得なかった。
産への意識と、現実の土地や建設価格の接点に従うだけで土地や家を作り、
要求から身をかわして逃げ、結果として人びとがほしがる戸建住宅の供給は、
同住宅であるから公営住宅として建設できないと、人ぴとの一戸建住宅建設の
第二次産業の育成に全てをかけていた政府は、公営住宅は耐火・耐震の共
ら な く な っ た 日 本 人 は 、 七O%以 上 の 人 口 が 大 都 市 圏 に 集 中 す る と い う 状 況
状 、 南 面 、 都 市 に 通 勤 可 能 で 、 日 本 人 の 所 得 で の 購 入 可 能 価 格 帯iー と い う
結果として、庭付き一戸建を前提とする人びとに対して、平担で矩形の形
桃花台ニュータウン・グリーンテラス城山の航空写真
B戸ほどにグルーピングされた住宅がコモン広場を囲む
の、庭付き一一戸建住宅を要求し、建設し続ける。
第二次大戦後、農業国から工業国への転換に伴って、農村人口が多量に都
機
特箆鳳匂まちにわ。の視点から
における
コモン﹀計
ま戸
描ち
出に住
わ
効率至上主義の在来戸建住宅地
宮
脇
l
とされ、 時の経済状態によって購入可能な大きさに切られるのだが、 もちろ
はあっても、連帯の必要がまったくない近隣とは無縁な生活をすることにな
それに対して、新しい郊外住宅地の住人は、通勤先の会社にこそ従属意識
手法はなおいっそう効率至上主義で標準化される。まず工事しやすいように
ディベロッパーや上物屋に切り売りするという形が一般的になると、造成の
工費削減のため造成専門業者によって宅地は大規模造成され、それをミテ
を手配し、敷地を捜し、家の設計を考え、施工者を捜さねばならない。独り
済不能なまでの金を貸してくれる)誰の支護も受けられず、白分一人で資金
にも農村的意識が抜けていなくて、日本では家を作る時にあらゆる組織が返
とは住宅建設に際して資金を会社や銀行、国等から受ける以外は(この部分
って、地縁コミュニティが崩壊し職能コミュニティだけが強化される。人び
る 。 子 供 の 通 う 学 校 のPTA活 動 以 外 は 何 の 人 間 関 係 を 持 た な く て も 良 く な
ん人口の都市集中の結果として、面積はしだいに一 O O坪から七五坪、 六O
坪、五O坪と小規模化し、都市部への距離は一二0キ ロ か ら 、 五0キロ、
既存樹木が皆伐され、大型工事車両が無造作に土地を真っ赤に剥き、南面道
ぽっちの孤独な作業である上に、生まれた時から公式に一度も住居のことを
キロと遠隔化するのはやむを得ない。
路宅地が売れやすいのだからと東商道路が主体で、安い開地ブロック積みの
公園等の公共用地を配置し、かつての縁とは比較にならない植木が細々と一
その希望がどんなにおかしなものでも、そのままかなえてあげることによっ
に逃げてしまった犬に家のこと頼んだよと押し付けられた主婦なのだが)と、
自分一人で考えた自分一人の夢を、という施主(それは碁本的には、会社
部に植えられて:::という一般型の住宅地が上に建つ家を待っているという
人びとが求め続けてきた戸建住宅は、その基盤であった農業との関係を失
い方や住居の形と連続しない昭和型モダンリビングともいうべき家が、それ
がわからなくなってしまったライフスタイル等が一緒になって、過去の住ま
そしてますます棲小化する住宅地、遠陣地化することによって極限的に減
コミュニティを崩壊させる様相を作り出す。
夜中じゅう騒音を立てようと何とも忠わない自己中心的な住宅が、住宅地の
と犬小屋を露出させ、隣家の壁ギリギリの部分にクーラ!の屋外機を置いて
ちようと、裏の家のリビングの真正面に物霞とゴミと、深夜電力用ボイラー
ったく考えないで建てる家が、狭い密集住宅地に連続する。裏の家に影が落
住居に対する基本的な教養のない個人が、自分の恋意むき出しで局聞をま
った時から、佃である部分だけがひとり歩きを始めてしまった。周辺に農地
総的な結びつきを壊さない配慮を心がけていた。
ィ意識が人びとを結びつけていたし、町内専属的な大工などの建設側が、地
都市の町家の場合には、居職的な職住一致が生み出す下町的なコミュニテ
による全体の行事であった。
ら茅を刈り、木組を組み壁を塗り屋根を葺くまでの家作りも﹁結﹂や﹁講﹂
植え稲刈りなどという耕作から、哀の入会地から木を切り出し、村の茅場か
る共同化の意識に支えられていた。用水の共同管理という基本から始まる田
を配することからの必然であった農家の戸建住宅は、一方で農業が必要とす
の崩壊、そして新しい消費社会の発生と、その混乱の結果何が正解であるか
地縁的社会の崩壊と、アメリカ型文化の導入による住居を含む古い価値観
住居オlナi特有の性向を生み出した。
分の家は自分の好きなように作る:::という、自分のことしか考えない戸建
て営業が成立する工務賠レベルの施工者との組み合わせが、いつの間にか自
した設計業者たち。
形。宅造専門業者にただ協力して、ただひたすら効率至上の設計子法を模索
の画一化された宅地をただ連続させ、余った崩辺部に指導要綱上必要な児童
習ったことのない人が家を考え、建てねばならぬのである。
O
擁壁が露出し、宅造法や開発要項の要求を最小限そのまま守ってハモニカ型
七
ぞれに作られ始める。
戸建住宅の孤立主義
2
悪化していくように見える。
ての、敷地ギリギリに立つ装飾過多のバラック住宅:::と、状況はますます
少するインフラ、建設費の高騰にもかかわらず欲望だけが増大する結果とし
時速一 0キロ以下で走行、駐車用地
置を持ち込み、ボンエルフ地区内は
当初は既存の街路にさまざまな装
以外の駐車厳禁等の法の援助を借り
て車のスピードを落とさせ、それに
え て く れ た 。 風 俗 営 業 や ワ ン ルl ム マ ン シ ョ ン の 侵 入 に 対 す る 反 対 運 動 、 地
時である。現代社会では、被害者意識だけが連帯意識を生むという教訓を教
致 す る の は 、 そ の 静 か な 住 宅 地 に ワ ン ルi ム マ ン シ ョ ン が 建 つ と わ か っ た
今まで何のつき合いもなかった住宅地の人びとが、ただ一つだけ連帯して
地計画時にまで拡大され、造成のレ
になることを知った後、新しい住宅
空間(まちにわと呼んでよいだろう)
が子供たちを中心とする生きた生活
とするものだった。結果、再び道路
共有の意識を生み出す危機感
域公民館がないことからの移動国書館運動などがそうだが、世界的範囲で起
ベルから道路、ミニ広場、駐車場、
よって歩率一致の空間を作り出そう
特にその
こった住宅地の環境擁護の動きは、自動車の普及による住宅地 [11
植栽、住居配援から住居デザインに
至るまでの一つの手法として、さま
道路の占領に対する抗議と対策であった。
初めは諸外国でも日本でも、商業地域における屋外買い物用の歩行者専用
ボンエルフのもう一つの意味は、街路が単に車両の通過空間ではなく、地
ざまな手法が展開されるようになる。
に影響を及ほすようになる。結果として、オランダ等の市街地化された住宅
域社会の人ぴとの共有する空間であることの確認であった。若者たちによる
道 路 、 買 い 物 モi ル の 確 保 で あ っ た の だ が 、 自 動 車 交 通 量 が し だ い に 住 宅 地
地における、生活空間としての道路が失われてしまうことに対する反対とし
パンダリズムが地域駐車場を含む公共施設を破壊の危機に追い込んでいた時
扉っきで家側に囲い込みたいという、強い偶人意識に抵抗を受けながら。
ってミニ広場化することが一般化し始める。財産としての自動車を屋根付き
に参加させようと、オープンカlポiトや、そのニ戸一扱いにすることによ
いが当然起きる。住宅地設計手法としては、その広がりを潤いのない道路側
空間を、一方では住居側から、他方では道路側から有効活用したいという願
%用意されるようになる。ただでさえ狭小な敷地を一五が近く占有するこの
速な自動車所有率の伸ぴの結果、すぐ一般化され、民間ではほとんど一 0 0
日本の初期の住宅地にはほとんど見られなかった宅地内カ!ポiト は 、 急
いう結果にもなった。
期でもあった。ヨ i ロ ッ パ 等 で は も と も と あ っ た 共 有 空 間 の 意 味 の 再 確 認 と
てボンエルフが生まれた。
仙台汐見台の街路(西洋環境開発)
3
デルフト(オランダ)のボンエルフ
試験的に採用さ丸たのだが、本絡的に住宅地の子法として登場したのは、西
の手法が注目されるようになる。最初、東急不動産等のマンションの中庭に
て共同駐車場が建設されねばならなくなったあたりで、日本でもボンエルフ
三O%程 度 確 保 さ れ て い れ ば 上 々 の 公 営 団 地 等 で も 、 駐 車 場 が 絶 対 と さ れ
しか知らなかった日本人には目新しいものであった。だからそれをどう扱っ
理をする空間を知ったのだから、一戸建住宅地におけるエゴイズムに近い占有
まったく新しい概念の、自分が確かに所有しながら、全員が使用し、維持管
変わることはあったが)の部分を持つ点で画期的であった。区分所有という
い搾取例が初期に続発する。そんな事例がしだいに露わになるにつれて、人
てよいかわからず、事業者や管理側につけ込まれて本来の権利が主張されな
道全体を雪の解けやすい南北軸にし、ループや緊急時のみ車両通行可の歩
武都市開発(現西洋環境開発)による仙台汐見台であった。
で、日本で初めてのハンブやフォルト、さまざまな舗装材の混用、官民境界
作りがでさることがわかってきたのである。まとめて大きな駐車場を取れる
共有地という個人の限界を越えた部分を操作すれば、不可能であった環境
びとは共有の概念を理解し始めるのだが、そこにひとつの収穫があった。
の生け垣化、引き込みポi ル に よ る 空 中 架 線 の 減 少 、 オ ー ブ ン カ │ ボi ト等、
こ と あ た り か ら 始 ま っ て 、 道 路 と の 境 界 に ま と め て バ ッ フ ァl グ リ ー ン が 取
行者専用道など、基本的なストラクチュアそのものに積極的な試みをした中
それまでに試みられてきた手法を踏襲したこの計画は、ボンエルフというも
できる等々。個人の占有地ではできなかったこんなことが、共有地だからで
れる、共有の緑の芝生で環境を担保できる、陸の一角に子供たちの遊ぴ場が
ボンエルフの定義通り、道を共有の空間化しようというこの試みである。
きる。共有という概念を持ち込めば、道路だって卒から取り返せるというボ
のを日本に知らしめる良いきっかけとなった。
もちろん、その道路が本当に住民の共有空間になったか、またはなるかはこ
ンエルフの教訓がそれを裳付けして
マンションやタウンハウスで可能
くれた。
れからの課題であるが。
共同所有概念の芽生え
だったこうした共有空間の概念を、
戸建住宅地に持ち込めないかのはし
これに対して、数軒の住宅に閉ま
タウンハウスやマンションという新しい共同住宅の形成が定着し始めるに
れた駐車場部分を専有地だが共有地
りが、前述した汐見台のボンエルフ
戸建住宅地では、民が占有する宅地と、官が管理する道路とは官民境界と
扱いして、それを発展させたのが住・
つれて、戸建住宅地では見られなかった新しい空間があることを人びとは発
いう強い境界で仕切られ、両者は絶対に相手の侵略を許さない。電柱は道路
都整備公団の常総一一ュ iタウン守毘・
道路であった。
上の背割り線上に建てられ、他家への空中架娘が白分の庭の上空を飛ぶこと
久保ヶ丘における手法であった。五
見する。
さえ許さない民側の強い個人意識と、道路(舗装から明設される各種配管ま
軒の住宅の駐車場部分を中央に広場
各戸のアクセスや子供の遊ぴ場にす
として集約し、そこを共有地として
で)、公開等の公共用地はその管理責任者として絶対民にさわらせないとする
マンションやタウンハウスという住居形式は、庭や廊下、
公との壮絶な断絶であった。
それに対して、
エレベ iタl 、 駐 車 場 な ど と い っ た 、 共 同 所 有 ( 物 件 に よ っ て 所 有 の 形 式 は
ランコーン(イギリス)駐車場宅兼ねた広場
4
円/}
ハHU
ランコ i ンのホi ルトン、ブ一フウ地直での試みは、一二 m程 度 の 車 の す れ 違
ら宅地を取って、中央に残った部分をボンエルフ広場にして処混しようとい
不 可 能 に 近 い 要 求 に 対 し て 苦 し 紛 れ 的 に 考 え 出 さ れ た の が 、 六O 坪で照辺か
ま っ て い る の を 、 何 と か 六O坪程度の宅地に切り直してくれないかという、
えないほどの狭い道をあえて作って路上駐車を排除し、その代わり数軒の家
る と い う こ の 例 の モ デ ル は イ ギ リ ス ・ ラ ン コ l ンにある。
に囲まれた駐車場を兼ねたミニ広場を設けたもので、住民が管理し切れない
も安心して買い物品の品定めや、車の修理などができるまさに町の庭を作り
こう一二軒両隣の率しか駐車しないわけだから、子供たちの遊ぴ場から、大人
戸一台ずつの駐車場を作り、この駐車スペースは各一戸に近接させて設け、そ
基本的に中央部に共有地としてのボンエルフ広場を作る。この広場には各
フトに行って、その有効性を確認した後でこの計画は推進されることになった。
ボンエルフなどというものを見たこともないディベロッパ!と一緒にデル
う私たちの提案であった。
出すもので、その隣接地区のあふれる路上粧車の率の聞を人が擦り抜けてい
こから平板の敷石でそれぞれ設けられた木戸を通って勝手口に至る動線を確
遠隔の大きな駐車場でなく、自分の家の直ぐ脇に車を止めることができ、向
く状況と比較してみれば、まさに成功したと思わずにいられない例である。
保する。門は席辺道路側に設け、客関係はこの広場に入らない。広場は駐車
そ れ ぞ れ の 広 場 を 幅 二 mの フ ッ ト パ ス で 繋 い だ の は 、 各 コ モ ン 広 場 を 閤 む
オリジナルのそれと比較すると、常総ニュ i タウン守屋・久保ヶ丘のそれ
路というもともと共有であった空間ではなくて、従米ならば当然専有地とし
住居数が均等でないので、広場ごとに区分所有すると負担にムラができるの
場以外に芝などを貼った緑地と高木が植えられ、コミュニケーションの空間
て眠い込まれてしまう空間を、共有地として開放させてしまう予法は画期的
で、それを均質化するためであった。要するにそれぞれのコモン広場が繋が
は周辺に環境作りのための繰や建築の細やかな配慮が欠落していて、単なる
で新鮮であった(余談ながら、公団はこの地域の販売時パンフレヅトに、宅
れて一体化されているのだから、全コモンが全員の共有地であるとカウント
であってほしいと願った。
地には共有地としての駐車場がタダでついてきますと読めそうな説明をして
できるという言い訳を作ることが主であった。もちろん、そんな理由だけで
駐車場広場になってしまっている限界があったように忠われる。けれど、道
いたのを思い出す)。
はなくて、繋がれていることによって地域全体でコモンを共有してくれるこ
とを願ったからである。このフットパスは、それぞれの家が建つまで線形を
多分、コモンという名称でやがて呼ばれることになる、共有地を中心にし
決めた。コンパスで引いたような死んだ線にならなかったのはそのせいである。
に近付けば家から離し、控なら近付けるという方法で直接地面に線を引いて
決めず、家が建った後で小学校などの運動会に使、っ白線引き器を使って、窓
た 住 宅 地 造 成 の 手 法 を 意 識 的 に 作 っ た の は 、 ラ ン コ i ンや常総ニュ l タウン
駐車スペースは汚れがちだから磁器タイルを貼りつめ、広場内を通過する
不可能な大きさになっていたという典型的な日本的現象で、どうしようもな
が、企画段階での一一戸当たり一 O O坪 近 い 宅 地 が 、 出 米 あ が っ た 時 に は 購 入
この住宅地は区画整理というごく普通の手法によって作られた造成なのだ
た記憶がある。
解してもらい(または理解されないまま)承認されるまで三か月以上かかっ
側躍を埋めたのだが、これらすべては役所から基本的に否定され、全部を理
歩行者に水がはねないように中央部が下がった道路断面を作った。その下に
率のための道路部分はまずスピードが出せないようにクランク状に山げられ、
くなっていた土地であった。一 O O坪 宅 地 二 枚 で 道 路 造 成 が 出 米 上 が っ て し
われる。
を参考にして私たちが設計した北九州・高須ニュータウンが最初であると忠
コモン型宅地の発生
5
高須ニュータウン(福岡県北九州市)
住宅メーカー一三社で構成する住宅生産振興財団のディベロッピングであ
ったため、住宅については屋根の色を無彩色にさせるという最小棋の規制が
できたが、経験不足でそれ以上何をすべきかわからないままに終わってしま
った。
けれどもこの初めての本格的ボンエルフ広場を持つ住区は、それ以後の展
開に重要な手がかりをいくつか示唆する重要な存在になった。後に第一回福
崎県建築・住宅文化賞を受賞したのはその部分が評価されたからだと思う。
﹃コモンライフ安行﹄(一九八二)も狭い宅地であるが、ここでは閤軒単位
であったことが、そんな結果を生んだのかもしれない。
ことがわかった。コモン以外に庭らしいものが取れなかったという狭小宅地
査で、この一一軒の人達は異常といえるほど親しい近所つき合いをしている
法にいう広場としての適用がされたことで可能だった。竣工後何年目かの調
何穣類もの舗装とハンブで徹底して非道路風に表現した。コモン部分を基準
ランクの交点を中木、濯木、生け垣の緑で埋ずめ、道路は煉瓦や洗い出し、
せ て 曲 げ た 細 街 路 に カlポi ト が 付 属 し た コ モ ン だ が 、 道 路 部 分 の 両 側 、 ク
く、コモン以外に繰化が望み得ないという状況を逆手にとって、クランクさ
地に、一一一戸の住宅が街路型のコモンを囲む方法。宅地は四0 1四 五 坪 と 狭
﹃コモンシティ船橋﹄(一九八二)は、区画整理によってできた不整形の敷
しやすかった。
振興財団の両者が、このコモンという形式を理解し賛成してくれたので展開
特に高須の成功を評価して、私たちが関係している積水ハウスと住宅生産
うになった。
いろいろの手法を展開させることになるし、私たち以外の試みも見られるよ
Lf
六あれやこれやそのバリエーションが追求してみたくなり、私たちなりの
この高須の、 い っ て み れ ば 大 胆 不 敵 な 試 み が ま が り な り に も 実 現 し て み る
さまざまなコモン (まちにわ)
6
庫も共同車庫化することによって連帯の意識が生まれることを期待した。
で私道を束ねて前面にコモンを作る手法を取った。件の担当者とのやり取り
さまざまな材料で舗装され、道路と共有地の区分を消し、それぞれを繰化し、
以外にコモンの中に二台自分の駐車場を設ける。クランク状のル lプ道路は
瓦による向材の門扉、共通門灯、集中メーター等施設類の統一化をかなり強
行している。
縁地を設ける等が試みられたのだが、私を起用した理事長の任期が終わり、
財団の住宅祭を行なったもの。大きくニつのレベルに別れていた全体をなら
ウンの一部分のスーパーブロックを造成からすべて設計して、住宅生産振興
﹃挑花台ニュ i タウン・グリーンテラス城山﹄(一九九O
)は県のニュ l タ
次の理事長の見直しで建売りになって、細部まで行けなかったという典型的
し、一一%程度のゆるい勾配地として地域内道路をすべて曲線道路としたので、
ピング。富山県の克雪型住宅団地の試みでもあった。地域ぐるみの雪下ろし
へのアクセスはすべてこのコモンから行なう。コモンと二 m幅の各コモンを
の道路に三一戸から六戸平均の住宅に閉まれたコモン広場がぶら下がる。住宅
の縁地とし、専有地境界の生け垣と一緒になって道路の緑化を強化する。そ
mは共有地として
が消えてしまっている雪国に、共有地を設けることによってもう一度それを
結ぶ緑道は徹底して吸水性の諦装。電気の引き込みは、周辺道路に立てられ
道を歩いていく景観は極めて豊かになった。道路の両側一
のだから、コモン広場から道路に至る部分に融雪装置を設けると問時に、車
珪らせることはできないか。町村道は機械除雪によってまず道は確保される
﹃前沢パ i クタウン﹄は富山の地元企業yvbkが初めて行なうディベロツ
な日本的構造を見せて終わってしまった。
結ぶ形式。各コモンごとに樹種を変えたコモンツリーや、各宅地外局部にも
分の戸数三九一戸。三 i七軒で共有するコモン広場をクラスタl状に細街路が
﹃大分明野団地﹄は大分県住宅公社の明野団地の最終段階の分譲地の一部
の結果であるが、私道であることを消すために、全部同じ舗装にし共有地の
のコード規定とコモンの設計をする。各宅地内に一台ずつ取ったカlポiト
モノとしての住宅まで十分質が確保されると読んで、かなり思いきった建築
かに参加してもらって、それぞれ住宅を設計してもらうことにしたので、上
になったもの。積水の設計マンは仲間内だし、それ以外に九州の建築家何人
画から参加していた埋立て地の、一戸建て住宅地だけを宅造から設計すること
﹃
シi サイド百道﹄(一九八九)は積水ハウスの単独プロジェクト。全体計
:::﹄という地元の声で、しばらく売れなかったことを報告。
うに思われたのだが、﹃私たちは、カリフォルニアのような白い家に住みたい
風、里山い南京下見の外壁の家は、それなりのシットリと環境に合っているよ
ていたので、ここでは金沢工大の水野さんに住宅設計全部を依頼した。富山
こいのぽり用の架台などが用意されている。メーカーの住宅の限界を痛感し
まざまな季節の祭りが可能なように、クリスマスツリー用の柊、花見用の桜、
モンには、子供たちの遊び場にと木製の舞台が作られ、これを中心としてさ
コ
供給処理施設はすべて埋設。各一戸には共通のカ!ポiト 屋 根 を つ け 、 瓦 、 煉
(千葉県船橋市)
イメージを持たせてある。
コモンシティ総橋
さな、そして縁の豊かな雰囲気と、ほぽ同価格帯の住宅による向レベルの住
の色彩まで私たちがチェックして可能なものはコントロールした。比較的小
住宅はかなりきついコ!ドによって規制され、各戸のプランニング、外壁
す こ と が で き るii!と い う 私 た ち の か な り 前 か ら の 主 張 が や っ と 実 現 で き た 。
集中メi タiを 設 け れ ば 、 現 在 の 電 力 会 社 の 配 線 規 定 で も 、 十 分 架 線 を 減 ら
まで引かれる。完全埋設ではないが、かなり空中架線の量は減った。コモンに
た既存の電柱からコモンの美化柱(?)に架線され、そこから地中埋設で各戸
わとしてどう使われ、どう評価されるかは今後の課題である。
ンは施工が終わったばかりとか、最後の仕上げを行なっている段階。まちに
﹁六甲アイランド﹄(⋮九九一二や、﹃第二高須・青葉台﹄(一九九二)のコモ
モンに圧迫感を与えている。(編集部注・前項坂本一成氏によるコモンシティ墨田に隣接する)
とは否めない。販売計画上、敷地広さの割には建て物が大き過ぎたこともコ
少し大きくて、住宅と共有地としてのまちにわとの関連が薄くなっているこ
ン内の駐車場等いろいろな駐車場が設けられた。宅盤とコモンのレベル差が
民ということもあって、このコモンは絶えず主婦たちの会話の場所や子供た
ちの遊び場として機能するまちにわとしての生かされ方がされているようだ。
﹃星田アーバンリビング﹄(一九九一)は事業コンペで勝ち取ったもの。オ
。+忍ちにわ。としてのコモンの課題
機会があればこの手法を実現しようとしている。何十回というトライをして、
このところ、私たちはまるでコモン型住宅地普及協会であるかのように、
か ら 水 抜 き 孔 、 ハ ン プ か ら カlポl ト 屋 根 に 至 る ま で 、 細 部 に わ た る 造 成 上
十数回実現した。
であるわけはもちろんない。以下私たちが気がついた問題点を列挙してみる。
けれど、これが住宅地のコミュニティ問題を一挙に解決できる万能の妙薬
った中で、比較的大きめの宅地の部分にコモンを作ったもの。斜面地のため、
O対 住 民 、 購 入 者
は有効。
に討議させ、そこでまとめてしまう方法。役所の縦割り主義を突破するに
警察、公園等、関係する全担当部課を総動員して説明会をし、そこで各課
突破する一番地道な方法は、道路から始まって都市、住宅、水道、消防、
いてなにもできなくなるか、めったやたら注文がつく。
近いし、通路風に道路を導入すれば、移管するために縁地や舗装などにつ
いという反対にあった。基準法上の広場扱いをしてくれることは不可能に
維持の問題が起きる。桃花ム口では共有地の縁地のために公庫融資ができな
広場を完全共有地だとすれば、基準法上の接道義務や、埋設管の将来の
本的に理解できないし、反対されるものと思ってよい。
このコモンという手法が新しく前例がないのだから、前例、五義の役所は基
O対 役 所 、 開 発 や 申 請 レ ベ ル
分の変化を持つ大きな地域計画だから、地区ごとのそれぞれ違う造成を行な
の新しい試みが展開できたのはそのため。全体が北下がりで、さまざまな部
ール電化住宅というパ i タ ー で は あ り な が ら の 電 線 埋 設 か ら 始 め て 、 擁 壁 材
7
宅地内のカルパ iト に よ る 掘 り 込 み カiポi ト や 、 切 り 込 み 型 、 そ れ の コ モ
桃花台ニュータウン・グリーンテラス城山(愛知県小牧市)
J
前述したように、自分の領土に自分の城を建てるのが家づくりだと信じ
ている日本人に、あなたの土地だけれど、あなたが占有できない土地だと
いうことを理解させるのが至難の技。どこが俺の土地だ、そこに何かを建
てたいと必ず言われる。
ニ人協定でディベロッパ!と協定を結んで、建て売りにすれば形どおり
の も の が で き る が 、 畏 っ た 時 ち ゃ ん と 説 明 し て も 、 必 ず す ぐ 共 有 の カiポ
ートの自分の分をフェンスで回ったり、門扉をつけたりする人が現れる。
転売されようものなら、次の購入者には決して協定の申し継ぎがされない
から、その購入者が堂々と共有を破壊し始める。
共有地のメンテナンスもなかなかされない。自分の家の生け垣すら共働
きでメンテナンスできない人が多いのだから、共有地の繰は黙っていれば
放っておかれる。掃除やゴミの問題を含めて管理組合ができればよいが、
住民数が少ないと組合も結成できず、最終的には住み手の人間性に期待す
る以外ない。コモンがあれば新しい人間関係が発生することを期待して。
桃 花 台 で は 、 管 理 会 社 で あ る 第 三 セ ク タiを 作 っ て 、 共 有 地 の 駐 率 場 を 賃
賓とし、その収入プラス管理料で全体の共有部分を管理している。それが
可能ならば、もっと普及されてよいシステムである。
O対 卒 業 主
これはもう、この方式が良い環境を作る良い方法で、良い環境でなけれ
ば売れないのだということを信じてもらうことと、採算が取れる収支計算
をしてあげることが絶対。実例を見せれば、良い環境になることはすぐわ
かってもらえるが、収支に関してはやはり土地がある程度安いか、そうで
なければ高級住宅地のイメージを作り得る物件か、逆にコモン部分だけで
環境が担保する零細宅地の場合で始めて可能であるのは事実。
ハモニカのような効率いっぺんの宅地作りしか考えられないような事業
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均与えそ︾一 ζー、花月 U L3
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f M t卦オプ官タフ '
4
、
3
ヨ
ヰ
日本大学教授
主には、持ちかけても無駄。ということは、現在の日本では相当むつかし
いことだということでもある。
(みやわき・まゆみ/建築家
2
5
特築⑧。まちにわ。の視点から
ーヂン
住宅設討を通してかまち uとかにわ uについて考える
F
グ
の町屋が大通りに軒を連ね、裏通りには下見板貼
はいたが、住人にとって生活の一部をなす空間と
下町で育った幼い頃の記憶を辿ってゆくと、ま
。にわ。のない街
示唆を含んでいるように思える。
という観点から見ると、下町のかみち。は多くの
である。しかし豊かな都市生活に役立つ外部空間
どちらもグにわ。という概念からは程遠い空間
はなり得ていないものだった。
しているように、日照・通風の確保には役立って
しかし﹁芝生内立入禁止﹂と警かれた看板が象徴
部空間が住棟の局留にたっぷりととられてはいた。
る赤羽台の公団住宅である。ここには緑豊かな外
結婚をして移り住んだのが東京の北端に位置す
路だけが唯一の外部空間であった。
わ。と呼べるような空間はどこにも存在せず、道
のしもた屋がひしめき合っていた。そこでは汐に
近い神田松永町である。一階が庖屋でニ階が住居
たのは東京の下町、務語にも登場する黒門町に程
私は庭のある家に住んだことがない。生まれ育っ
写蒸日北嶋俊治
かまちにわ の
試み
u
下関における
Bgqも 頃
ミ
ぷ
ン
根岸の皇室のスケッチ(作画/ローレンス・マトット)
一
四
ー法
改
宰
ちの中で遊んださまざまな思い出が珪ってくる。
家の前の表通りには路面電車が走っており、その
軌道の両側にはつつじやさつきが植、ぇ込まれ、春
になると花が咲き乱れていた。当時は自動車の数
も少なく、その広い通りで近所の子供達とゴロベ
ースに興ずることができた。夏の暑かった一日が
やっと暮れ、太陽に焼かれたアスファルトに水が
に縁台を出し涼をとる。食事をすませた子供達は
打たれると、底じまいをした人達が裏通りの道端
根岸の裁のファサードと前庭
q/'M
ハhu
浴衣に着替えてその稔の中に加わる。香取線香の
面格子。玄関上にさしかけられた小庇は、内でも
い事務所へと変わっていった。建物の表層から汐し
た荷売もやがて廃業して、ビル全体が人の住まな
でいた人はその最上階に引越し、細々と続けてい
かけ。が失われ、薄いガラス一枚を通してグいえ。と
外でもない中間領域をつくり出す。ちょっとセッ
かまち。が対峠するようになってしまった。
トパックしたニ階の窓辺には、欄エーや物子し台が
たすとともに、コミュニケーションのスペースと
設けられ、サi ピスバルコニーとしての役割を果
におい、パチパチという線香花火の音。まぎれも
構図川で花火大会がある時は、屋根の上に乗っ
なくグみち。こそが下町のかにわ。であった。
た物干し台が格好の観客席となる。隣の家の屋根
にも鈴なりの人。遠くの親戚も集まり、この日ば
乗せた鉢植の樋物群は、乾ききった街並に色どり
しても使われていた。家の前に台を設け何段にも
の高い空間のみをよしとし始めたのである。
化させていった。まち全体が車を優先し経済効率
の惑化は
騰する土地の価格、その利用効率を求めて高層化
で固められた地面が生み出す夏の熱気、そして高
溢れ返る自動車、汚濁する空気、アスファルト
それでも。まち。に住む
η
いえ。を防御的な姿、閉じた形へと変
かりは屋根の上が人びとの社交場となる。索、い冬
を添えると同時にプライバシーを守るかしかけ。
車はグみち。の性格を大きく変、えた。生活環境
の日、受験勉強に疲れて頭を冷しにこの物子し台
ともなっていた。これらの。しかけ 4が何層にも重
ち。の間にインターフェイス機能を持つ空間を造
に上ると、頭の上は満点の星が輝いていた。ここ
り上げていた。グにわ。のないまちで道路空間が快
なり合い、立体的に積み上げられて、グいえ。と。ま
グにわ。と呼べるような外部空間はまったくない
も下町では貴重な外部空間であった。
のだが、このまちの住人たちは街路をあたかも自
適な外部空間として機能し得ていたのである。
では。みち。こそが子供たちの遊び場であり、商売
ースをした大通りの交通量は増え続け、グリi ン
都市空間はドラスチックな変貌を遂げた。ゴロベ
東京オリンピックの開催と相前後して、下町の
得ないような場合でさえ、隣人とのつきあいを中
の悪条件に閉まれ、ビルの最上階に暮らさざるを
に住み続けようとする人たちがいる。しかし周囲
隣の人たちとのつきあいを大切にしながら、そこ
下町の変質
分のもののように使いこなしてゆく。家の前の路
上にこれでもかと並べられた鉢植えの縫物、底屋
のスペースであり、人びとのコミュニケi ション
ベルトだった部分の植物は引き抜かれて高速道路
れでいた。個人のプライバシーを守りたいという
し豊かな生活を生み出すためのグしかけ。にあふ
下町の都市生活は、限られた空間を精一杯活用
土木機械による舗装工事の騒音は、下町のかみち。
に間に合わせるために夜を徹して行なわれた大型
有していたグみち。が消え始めた。オリンピック
なく入り込み、人びとが暮しの中でいきいきと共
下町の生活を支えていた裏通りにも自動車は容赦
創っていけるのか?その答えはいまだはっきり
関し、今の時代に相応しい都市住居をどうしたら
のしかけが失われていく中で、こうしたものを保
かつての下町の生活空間を支えていたグいえ々
最低限のものとして、誰でもが望むものだ。
それでも、自分の生まれたかまち。を愛し、近
の空間であった。物干しのようなグしかけ々も含め、
の橋脚が立並んでしまった。路面電車もやがて廃
心としたコミュニティの存在や小さな自然との接
してゆく建物・・・・・・。
都市生活を豊かにするためのいきいきとした外部
触、プライバシーの確保などは、都市生活に必要
では商品が溢れ出し道路を占領してしまう。ここ
空間がそこには存在したとき向うべきであろう。
ら自動車交通のための空間へと変質してしまった。
止され、高速道路に空を塞がれた大通りはもっぱ
欲求と、偶人の生活を都市全体へと連続させたい
砂しかけ。に満ちた建物の表層
という思いは相反するものだが、下町のグいえ。
とした形ではみえてこない。ここでは東京下谷の
私が試みてきたかまち。とグいえ。の関係を、その接
根岸に建つ複合住宅の設計事例を通して、今まで
点となる外部空間のつくり方から見てゆきたい。
が持っていた様々な役割が失われてゆくことに対
通りに面した二階家も次々と七、八階建てのピ
する挽歌のように聞こ、えたものである。
ルに建て替えられていった。底の奥や二階に伎ん
はそのような相矛粛する関係を調停するグしかけ。
を yまち。との接点の部分に持っていた。通嵐、
の視線をコントロールすることができるすだれや
採光といった自然条件を確保しながら、外部から
2
7
でもない。住居は人工台地をすべて使い内部と外部が
畑山山岸の家は老夫婦と子供が四人いる者夫婦のための
町の住居がもっていた表岡山のかしかけ。に抗日わるもの
的な構成が生み出す空間的な特長を生かして、北目の下
高層化せざるを得ない敷地条件を逆手にとり、立体
なけやきを用意し、平面的に植え込まれた緑のかたわ
大きく屈曲する街角でアイストップとなるような大き
はできるだけ同開放的に扱うべきだと芯われた。道路が
た。建て込んだ府辺の状況を考えれば、このスペース
大きな外部空間をかい、ぇ w の前に用意することになっ
前面道路が狭いこの敷地では、斜線制限から比較的
とがもっとも重要であろう。
二枇帯住宅である。以前はこの地で町工場を営みなが
かしかけ。を用意することで立体的で多面的な接点を
を生み出せないか、一言いかえれば、笠宮な外部空間の
欝根岸の家
ら住んでいたが、騒北日の問題で工場は郊外に移し、そ
らには低︺い墜に沿って、ちょっとした 札
a ち一筋にでも使
一体となった構成を目指した。
れに代えて門家賃収入を得ることのできる賃貸スペース
かまち。との伺に持つ。いえ。を構想することができな
えるような木製のベンチがしつらえられた。
計画の概要・コンセプト
を設けその上に住居を乗せるという、下町では典型的
いか、ということが設計作業の出発点となった。
様々なスケi ルの彩を用意して、大きなマッスとなっ
フアサードは塔、庇、小壁、柱、ガラスの箱など、
なパタi ンで改築を行なうことになった。
まちに直面する前庭は、かいえ々の一部であるととも
まちとの接点前庭と構え
っているスケール感と調和させるよう試みた。そして
てしまう人工会地本体を後ろに隠し、苅辺の街並が持
計画の基本コンセプトはいたって明解である。住居
にまちの一部である。この空間は建物のフアサードと
とはまったく別用途の貸事務所部分をもっとも効率の
あいまってかいえ。の様、えを創り出す。まちのコンテ
なによりも大切なことは、中のアクティビティがファ
I400
/¥i際平面図
よい援形の平面形とし、それを人工ムロ地と見立てて、
H告の住宅玄関
その上に自由な平面の住居を乗せるというものである。
住宅関{閣の中庭
クストの中にしっくりとおさまった表情を用意するこ
住宅アプローチ
それぞれが単独のアプロi チを持っているのはいうま
住宅の北陸
この家も口 μ影図を描いてゆくと人工台地上の北側部
この家でも、建物の項郊に特殊な形をした外部空間
町の住民にとって貴重な外部空間であった。
がつくられた。あさやかなブルーのタイルの床と円形
サードに寝間もれてくることではなかろうか。独立し
の壁。たったそれだけの遊具立てしかないのだが、空
(一二階建てのマンション)との関にはさざんかの煽一線を
つくり、季節ごとに美しい花をつける花木を植え込ん
に近いこのスベ i スは家の中で自に見えない中心をつ
分は低く押さえざるを得ず、そこを北陸とした。隣家
事が必需品となってしまった我々のまちでは、専の
だ。ピルの北側部分を連続して緑化してゆくと、新し
こに生活する人の動きをさりげなく映し出すはずである。
ためのスペースの処理が大きな問題となる。狭小な敷
くりだしているようだ。隅田川の花火を多くの人がこ
た疫に沿って上る階段や玄関となるガラスの箱は、そ
地条件の中で、人間のためのできるだけ豊かな前庭を
い自然環境が下町にも出現するかもしれない。
視線を気にせず、 口同局化された建物の一知的でそれが楽
都市のただ中でも度外生活を楽しみたい、他からの
我々の関心は内部空間の機成に向かいがちである。ま
こから見たのは一一一日うまでもない。
二世帯を結ぶ│
スを用意せざるを得ない。ここでは一本の校に支、えら
しめたら。これは集合住宅に住む多くの人が抱く思い
ちに対して閉鎖的な建物がエアコンの普及でどんどん
i中 庭
創ろうとすれば、率と人間が共存できるようなスペ i
れた大きな庇を架けて、+申?を置くこともできるが豊か
だ。コルビュジェの計画案にはこの夢が見事に描かれ
場えてゆく。閉鎖的な。構え々がまちに面し、内部が
からかい、ぇ々という
4
が建ち援ぶ風景からは、自
都市環境の怒化により、そこでの住居を考えるとき、
ハンギング・ガーデン
なアプローチ空間となるかしかけ。を計画した。
ている。メゾネット住宅の一隅をくりぬき、そこに二
分が生まれ育った下町のあの活気は見、えてこない。
うかがい知れない。いえ
H
豊かな空間にはそこに至るすばらしいアプローチが
アプローチ空間
パl スに描き込まれたボクシングの練習をしている人
層吹抜けの大きなテラス空間がしつらえられている。
用意されている。それはグまち
空間にトリップするための必婆不可欠の装置であった
の外部空間がそのまわりに仕掛けられた生活のための
閉じた箱ではなくポl ラスな箱。中間領域的な多く
器。高層化せざるを得ない現代都市の住印刷では、それ
のなんと楽しげなことか。
この計画では、もっとも日当たりの良い南側の中央
はずだ。欽一際一枚で外部と短絡してしまう集合住宅の
例は論外としても、今の時代はこうした空間をないが
に、スノコを数きつめた中庭を計画した。この中庭は
ーデンを見つけ出すことが、これからの都市住居をつ
しろにする傾向がある。この計画では人工台地上にあ
くってゆく出発点になるのではないか。近代建築の五
用意すること、すなわち我々の時代のハンギング・ガ
の空間が一体となるよう計的されている。二つの家族
際則の中でコルビュジェが主張したどロティや屋上庭
を逆手にとりアイディアに満ちた外部空間を立体的に
る長い庇に導かれてガラスの箱に入ると、エレベータ
はお互いの存在を感じながら隊れていることもでき、
関という都市の中で有用な外部空間をつくる手法が、
に面したフルオーブンのサッシを開ければ、この一一一つ
i が待っている。一一一階に着いてその扉が掬くと、エッ
一緒の生活を楽しむこともできる。無表情なドアで隔
今こそ役立つ時である。
老夫婦、若夫婦それぞれの居間に挟まれており、そこ
チングのガラスを返した違う種類の光に迎えられる。
てられるのではなく、震かな外部内エ簡で仕切られ、結
るという条件を積極的に使い、高さの移動も含めたか
右手に北庭を見ながら打放しの庇の下を歩くと住宅の
び付けられる、中庭の力はそんなところにありそうだ。
なり官民いアプローチ空間が用意された。駐車場ともな
玄関に着くという演出がされている。公から私への移
(やまもと・けいすけ/建築家)
坪庭・物見台
ていた。人工の装置に額ることのできなかった時代
まだ汲み取り式だった便所の周囲には坪庭が用意され
北田の町屋には通風のための小さな外部変問があった。
行空間として、エレベータi ホl ル、廊下などは大変
重要な意味を持っていると思うのだが・・・。
の室内環境を保つための工夫を、もう一度思い出して
近縫への配慮
まちなかの建物は、日影規制により北側部分が削り
みるべきだろう。浴室前の小さな坪庭は通風に役立つ
また士自の家の物干しには特別な役割があった。住ま
だけでなく、視党的な楽しみも与えてくれる。
取られることが多い。都市の環境を少しでも良くしよ
とするのは窓にかなってい
うというこの法律の趣旨を考、えれば、その部分を模様
6
oa黙を大事にする日本人は南側に
いの中で最も高いところにある空間、唯一大気を感じ
ることと一一一一問えよう
生活の主要空間を持ってくる。それ故、隣人に対して
ることのできる非日常伎を待った場所、物干しは、下
2
9
的に緑化してJぷちにわ
この北庭は多くの利益を与、えるはずだ。
J
レ・コ J
レピュジヱの描いた
ハンギングガーデン
(ADA'コルピュジエ全 1
むより)
特集鳳戦。まちにわ。の視点から
間一甲南酪
議み“とか農
H
住宅設討を通してかまち uと ηにわ uについて考える
W
2
i
d
b
ち笠
お
写常兵H金 子
である町屋の様式から江戸時代の姿を類推するこ
感じる。現存する町並みを観察し、、王な景観要素
とき、だれもがほっとする安堵感のようなかのを
江戸といわれた川越などに残る古い町並みを見る
歴史的都市である京都や飛騨高山、関東では小
どこの由かと自を疑いたくなる。
競い、日本の伝統を受け継ぐものなどなにもなく
狼雑な邸宅風な造り、色とりどりの材料で悟性を
本当の意味での﹁まち﹂になり得るのであろうか。
の都市郊外に広がっている新興分譲住宅地などは、
過密化の進む都内の住宅地はもとより、日本中
いの
とができる。それは地域ごとにほぼ様式が二足し、
1 京都西障の町屋と通り庭
函
フ
フ
ー
/
滋
重
量
と
一谷口宗彦
一工学院大学建築学科助教授
u
U
日
ぺ
岬
人はコルフのお振りに思いがけない効
りが発展し、銭を利用して髪のカソト
-r
行付けサービス等に治問され、ご主
日には近所の主制と中庭でのおしゃべ
トハウスである。近隣市阿倍京地減にあり、
圏構ケ及の家
木造二階建ての住宅や市間的など、川出殺
って変えられる要素も限られていたからであろう。
社会的・経済的な地位や職業、さらには好みによ
しかし、これらの町並みは、各一戸も控えめながら
ニティ!の小さな核になっている。
川を発見している。この地域のコミュ
%でこの狭小敷地に建てようとすると、
敷地際政わずか二三坪の紋小限コー
十分個性を発揮しつつ、自ずから整然とした調和
mんももそうであったが、徳川欣率八つ
のm
まずは会室の通印刷・栄光は叫止めない。
ハ
山
一
する雑然とした町並みにある。この数地
れないままに建築協定が成立していたかのようで
を保っている。暗黙のうちに、あるいは成文化き
ある。
このように中庭をとることによって
のみそれは解決された。北側近路に測
して取脊せと勝手口をとり、通りいほ的
江戸時代を通して建築業界は都市の膨大する需
要に応じるため、大工の設計・施工について技術
中庭にいったん人ってから玄関に人る。
部には鏡を倣り二倍にい仏︿見せたり、
この井戸のような小峰の一階狭山附の一
的にさまざまな工夫をしている。やでも、長い経
験を基に積み重ねられた町屋を標準化していった
この家の夫人は美谷師さんである。休一
交体的には似物をは側、える工夫をしている。
九己
ことは、注尽すべきことである。こうした標準化
図-2 最小限コートハウス
には、角水(すみず)という変形敷地での遠方の
技術や、平面計画におけるシステマティックな﹁畳
割り﹂がある。特に﹁木割り﹂は、股界に誇るモ
デュラ!・コーディネーションであり、現代でも
重要な役割を果たしている。また、木材・長・建
品化もそれらをささえていった。一方で、このよ
具、および不燃材としての桟瓦などの規格化・商
うな都市・技術・経済的姿悶に基づく町阜の変化
をささえたのは、住民の都市における生活思想で
あろう。長い都市的伝統の中で形成されてきた往
生活空間は、敷地の関口に相応しい間取りのシス
テムをも洗練させている。特に外観であるファサ
ードについては、中世以来、自治的な地縁意識で
ある﹁町﹂(ちょう)を組織し、共同体的な規制を
設けていた。﹁町並み﹂に、つまり近隣の家と伺様に
外線に関わることを筈約し、町では勝手気倦な行
形式や、ファサlドのデザインを規定し、町並み
ン
動は好まれなかった。こうした努力は町屋の屋根
の調和を生む重要な要因となっている。
3
'
pζ
u
まちにわ"
殴らんを中Iふとした
ブメントの石敷きによって、一卜足のま
から、玄関・台所・中庭へと床のペー
山山される。車寄せのある北側前断道路
過 密 化 の 進 ん だ 住 宅 街 の 一h
mにあっ
関洗足の家
て、三O 坪 の 敷 地 に 建 つ 。 老 夫 婦 を 合
の路地との関係でエンドレスな動きが
総押印される。近隣との交流がコートを
ま白山間に出入りでき、東側隣家との間
通して毎日活発に行なわれている。
む二惟帯三世代住宅。今一人の主婦と家
できるよう、大裂のキソチンテーブル
族全員が隔たりなく自由に台所を利用
を持つ。団らんを中心とした楽しい雰
凶気が中庭の自然と一体となって践し
図 -4 箆地の奥のれまちにわ"
十日い木泣尚一的街のす
圏永搭町の家
つ。瓶一一一町長さ八 m
くい災側の過山山地般に建
のアプローチ﹁路地﹂
の'民に変形数地に合わ
コトハウス。立関脇
せた馬蹄形のプランの
ビロティを通り後け、
可能。一昨附々打出土は、小
上院桜中⋮胞に人ることが
山胞とトソブライトから
が防火燃の役をする。
採光し、窓のい熱い外り
小庭は、同川洲から完全
なプライバシーをもち、
民間食常の延長として
して機能している。し
山口包された外部女間と
かも、このコ i トは'永
し い 人 ぴ と のe
H巾 に 出
肢はもちろん近隣の判明
入りできる交流の坊と
もなっている。
M
5 緑の広がるれまちにわ
図
壌調布の家
三一二山町商人り、間口約八 m。ピロティl に引事
スペースをとってアプローチを兼ね、一以小路に
HL
人ってから玄関に来る。山中山地の京峨んし鮒にはハ却を
はめこんでいる。この外部での銭は、取に広く
せる機能としては♂俳ケ丘の家﹂でその効来を総
認しているが、わずかな総を依に見せ、道路から
アプローチを透して中庭の続線が広がっていく魅
力を持たせた、という上れではこちらの方がより絞
べて粁をとり、問山内の町並みに係け込ませながら
駆的であろう。外観も関口郎のあるところにはす
木目を生かしたフアサードとしている。
まちにわ"
u
図 -6 万童委鏡をもっ
園入間町の家
鋭鮎りの小峰・印刷間の炊き政け、が
ニ1 7さにひかれ、近間仰の人述との交
1
1
5
6
コストの家である
が、このコ iト が こ の 玄 の 存 主 感 を hh
が絶え間無い。ロ
流のみならず、家族の知人関係の訪問
派ねるビロティ!の陶刊に玄関がある。
その小さな吹き炊けの対峠する昨しもや
山抗する。民間の一一昨mは 円高川となるが、
この家の特徴。討中州場とアプローチを
閉鎖約なぷ関ホi ルや廊ドから、民間
は、鋭の効果により八併の 仏
z さで訪問
反射し、民間・食常に乱入する。
小心に、木間たがさまざまな角度から
はり鋭貼りである。冬'?の浅い時期を
h
・食品Vに入った時、この小さなコ lト
符を絞かす。係かな総も八併の川引に変
γ
わる﹁ 刀法ム抗﹂である。この小山昭のユ
天井の低いニ階、街路に向かって延びる瓦屋根、
ミセの千本格子、格子戸を開いて奥に通じる通り
庭の土問。関口が狭く奥行きの深い敷地を生かす
ために、片方に土問があって表の玄関前から台所
これが街路と内部・裏機能を強く結び付け、実に
を通って、奥まで下足で通り抜けになっている。
フレキシブルで活動的性格を与えている。その通
り抜け土問の片側には、出 HA
と板の間の部屋が並ぶ。
部屋と部屋との伺に中庭がうまく配置され、通風
・採光が考慮され、プライバシーが守られている。
外壁と塀が一体となって奥の庭を取り囲む形は現
屋とは、集合住宅の形成ではなく、一戸建て独立
代 の コi ト ハ ウ ス と 何 等 変 わ り が な い 。 つ ま り 町
住宅が都市の高密度化にしたがい、洗練され様綬
化 し た も の で あ る 点 に 注 目 し た い ( 図11 京 都
現代の﹁まちなみ﹂には、我々がかつて持ち得
西陣の町屋と通り庭)。
たものはなにもない。価値観が多様化し、自宅だ
けが目立てばよいという感覚が支配的である。現
代都市の秩序はもはや、古典的都市の秩序とはあ
まりにもかけ離れ、それぞれの建築の内にのみ形
づくられる結果となってしまった。都市における
建築は、外に向かう情報発信機能と内包される秩
序の形成の如何によって、公共・商業施設にかか
わらず、一般住宅においても公共性を担うもので
ある。特に、住宅産業や若手建築家のデザインの
中には、阿波みとしての秩序や歴史的連続性も考
えることなく、際立った色彩や西洋の古典的類型
の組合せによって、その住宅のみ突出させること
を狙いとするようなものが多くある。
私は、現代の特に過密な﹁まちなみ﹂における
園東川口の家
路言者施設の所長であり、白らも車
椅子生活者である施主と、健常者の犬
人のための家である。単純な切妻屋根
の乎入りで、添い軒の⋮郊をガラス燦
りとしている。この間明るい粁下空間同は
次の三つの機能を持っている。まず周
凶の建物からプライバシーを守る。心車
椅子のための完全な平土問とし玄関を
兼ねる。そしてパッシブソ iラi ハウ
スとして、削判下の泣動ブラインドで防
光を調節し、内部土問に帯熱させる機
能である。施主は帰宅したとき、門協
の洗い場で小平精子の車輪を乗ったまま
回転淡いし、この軒下を通る間に水が
切れて中に入ることができる。この大
きな軒下はほを取り込み、日必り峰と同
じ性格をもっている。したがって、施
設仲間の事符子利用者逮が訪問しやす
く、軒下空間が通りと連続し外部の活
問として活発に利刑されている。
通り庭を軒下に取り込む
図ーア
べきであると考、えている。いかに控え目で、内に
住宅のあり方については、むしろその逆を求める
秘めた空間を創るかという在り方の議論が大切で
としての主張と存在感をもち、トータルな環境の
はなかろうか。一戸二戸の個の主張よりも、町並み
質として認識させるべきであろう。したがって、
隣棟間揺がとれ緑が補填され建物が見え限れする
郊外を除いて、私はできるだけ控え目で抑えたフ
に、コ!トハウスでは、通りと中庭を結びつけた
アサl ド デ ザ イ ン を 心 が け る こ と に し て い る 。 特
り、魅力的アイデアを備えることによって、近隣
(まちにわ)にしたいと考えている。
と の 交 流 を 大 切 に し 、 都 市 的 で 活 性 化 し た コl ト
事例は、それにそった都市型住宅実践の一部で
ある。(たにくち・むねひこ/建築家)
遇。庭をもっ現代の田7
屡:向こう 3軒両隣り
~-B
A断面パース
圏 下 町 商 底 街 の 町 議 構 成 と コi 卜ハウス
東京の下町山治問ほ曳船にあるこの向山街は、
大正から矧和にかけて建てられた木造住宅が
小心で、を朽化している。人口定授による活
力ある街づくりが目的で一九八五年コンベが
行なわれた。これはその際の人選案である。
引夜の鉱山秩序な環岐に対して、有機的な一山乏
の秩序を与えることが、街の再構築に是非と
も必姿であると考、ぇ、りえられた敷地をその
秩序の際点とし、﹁町内会の建築協定﹂を設定
し只体的建築システムとして応総付き住宅を
提案している。この匁式の特徴は、隣家との
放地境界線に構造体を共有し、府高など統一
したシステムとし再開発していく。できると
ころから単独またはグル iブで間開発していく。
敷地利別率がおく安価で平面に融通性がある。
この協定と方式にそった側々の計的が、やが
ては家々のコミュニティーをおめ、紡災上有
利な羽代の﹁うだつ﹂をあげ、町内を倒性あ
る町並に変えていく可能性を合んでいる。山南
問時間成の特徴は、町日開のもつ多科目的﹁通り庭﹂
を﹁奈の通り雫間﹂と結び付け、空間の同刊瓦
昨日入により変化と魅力ある﹁まちにわ﹂﹁ろ
じ﹂空間を燐成する。
弓 d
4
戸 d
h
特築勢。まちにわ々の視点から
足立夫
ス、アブロi チを覆い、仰いほの脇役を仰いって
の上地に九日わせたプラン。ぃ米関問の家の肢の校
なっている。
路と中路とを分け、玄関の一併の汀抑制の巡りと
しやらのかぶだちの納え込みが玄関への通
。
い ?Q
と削除りのおり帖悩が、入りげと、知市スベ l
休刊道山汀似が狭く、末広がりの似端な変形
騒本駒込の家
てかまちてこかにわ uについて考える
まいの中で人びとは生活している。係史的建物に
,
こちに残っていて、ほとんどが昔のままのたたず
説家・詩人、曲家が好んで住んでいた建物があち
たのだろう。この辺りにはイギリスを代表する小
るその風景、景色は、北口から変わること無く点っ
に溶け込んでいた。どこを眺めても絵にしたくな
み、時代を経た風絡のあるレンガの控物がその中
大きな樹木が十日くからの住宅街を静かに包み込
地好さは特別印象強かった。
れたからだろう、その町並みの美しさ、環境の心
せてもらった。テヘランから乾きさった身体で訪
の近郊ハムステッドに住む知人宅で数日を過ごさ
仕事をした後、初めてイギリスに波り、ロンドン
今は亡き韓国の建築家・金書根氏とテへ一フンで
役築資料研究れ﹁嵯﹂より
N)
信 原 修(
官寸察リ木寺市宮彦(げれ)
叩晶子文治
作庭 U A
'
J
予 を 加 え る こ と は 規 制 さ れ て い る よ 、 7だ が 、 伝 統
一 一
一一一
"
nhu
完d
を重んじ、自分の街を大切にし、誇りをもって生
いだった。馬車が駆っていた石畳の道は、灰かな
活している姿は、紳士淑女の国イギリスを見た思
璽大塚の家
奥まった玄関入り日までを、雑木林のドを
低いコンクリiトの立ち上がりの他込みと絵
浴っていくアプローチ。道路との仕切りは、
夕方見かけた落ち葉も、朝には締腿に清掃され、
明りの酒落た街路灯が路面を照らし出していた。
t
if
払弘
ーと
ヵ、j
てし
ォ
ヵ
ことからして、安会で、美しい箆かな町放みを望
抑制会の中に生活する共同意識(社会性)が乏しい
所有者の同意が得られず実行が伴わない。まして
上の道一脇になるように行政指導はされているが、
広 さ は よ り い っ そ う 狭 く な っ て し ま っ た 。 四 m以
がりで土地の細分化が進み、住宅を建てる土地の
難することも無理ではないか。異常な土地の値上
とに、大規模な火災が発生したら、消火作業も避
路襟識がやたらに立っていることだ。恐ろしいこ
その一つが、道隔が篠端に狭いうえに電柱や道
東京のほとんどの住宅街は全く貧しい。
スのとれた気持ち好い大人の街の姿にしている。
住んでいる家に誇りを持っていることが、バラン
顔であり、常みなのだろう。自分の街を大切にし、
ットであり、町並みに向けた身繕いした誇りある
家人の前庭に注ぐ気遣いは社会に対するエチケ
ち着きと豊かな気口町ある雰間関伝子を醸し出していた。
クな建物と緑、鮮やかな花の色合いが、街全体に落
ゆとりのある町並みとなっている。そして、シッ
あいだに閉が生まれ、街路の隔が広く感じられ、
が咲き乱れていた。前庭によって道路と建物との
き胤いた前庭があり、そしてどの家にも季節の花
建物との間に塀などの仕切りはなく、手入れのい
あまり広くもない道に面する河側の家は歩道と
G
ヲ
の品川村。タイル貼りの通路は山がり日で分節
して、聞にりゅうのひげを挟んで一飢えである。
mの台所窓のプランタボソクスに季節の
二m
コンクリートの穴に足元灯。
11
ぃ。
↑ν
むことは難しい。
J
常に路上に出されてい る家庭のごみが象徴して
いるように、自分で自分遠の街を不愉快なものに
している。この無責任さに気付かないことが、街
の環境を駄目にしている原田なのではないか。こ
のような状況の中にあって、いくらかでも真回目
な、気持ちの好い町並みづくりに建築家は努力し
なければならないと芯う。
自分の土地を削って道娠を広げたり、国明を取っ
て町並みのために植栽するような、施主の同意を
得にくい提案であっても、実現されたときに施、支
が社会に捻供したことが近隣の人達に及ぼす影響
関圏核窪の家
分の街に誇りをもつことがどんなに素晴らしいこ
市間の芝生のほ戸は柊もくせいの生け足。
出し。回折して視点も変わる。
通路は施、王家族の子による石の造形と洗い
雨水は土中に没透する。
スペースは緑化ブロソクを敷き、芝生を張り、
斗
囲の状況と敷地の広さ、形状を充分配慮して建物
立つ。道路や近隣の様子、たたずまいといった周
気持ちの好い環境はゆとりとバランスかぽ成り
保しておくようにもしている。
当然そのための費用は当初の予算に組み込んで確
ろいろのアイディアや知恵を得て設計をすすめ、
私は計画の段階から、造関家の金子文治氏のい
り、その機会は、新築や建替えの時にある。
らない。気持ちの好い環境は自らつくるものであ
気持ちの好い環境、街、つくりに支献しなければな
めだけの土地の有効利用に協力するばかりでなく、
築き上げていく意識が乏しい。建築家は施、王のた
していないばかりか自らの環境を好ましいものに
は望んでも庭については諦めていて、あまり期待
J砂
都内に住{宅宅を建てるとなれば敷地に余裕もなく、
設ける。一扉は開放的に見通せる絡子一戸。駐車
れに支障のないように門一与を車一台分下げて
長い路地を既存の樹木が夜、っ。中の出し入
o
とであるのか、を-説得するようにしている。
L であるのか、そして白
がいかに大きく大切なこ 乙
⑦
の大きさ、配置を計画する。建物のボリュームは
極力おさ、ぇ、できるだけまとまった有効な空地が
残るようにしてゆとりを造るように心機けている。
特に、道路から玄関までのアプローチは時間的
露中目黒の家
道路と平行に二台分の駐車スペース。引の
の立ち話の場所になる。狭い道阪にゆとりが
加熱い時には、宅配便の小平が止まり、近所の人
できた。床は併 日
7 の絞め込みと立砂利の洗い
な空間を多く取りたいし、季節感のある表情濃か
な雰囲気にしたい。その空間は前奏曲部分として
出し。
隠し。浴室を阪に配出抗して北側に窓を。
関山氏にん八を明ける。玄関一昨の前は御山松で目
立問ホ!ルの保光と杭裁を波くするためぷ
演 出 で き る 重 姿 な と こ ろ だ か ら 、 建 物 の フ ア サi
ドと外構や槌栽が浮然⋮体となるように計画して
いる。道路との境界には塀や門一扉のような仕切り
は設けないで、開放的にはするがんゑの中の様子が
リックスペ i ス と し て の プ ラ イ バ シ ー が 保 て る 程
去から見通せない目隠しの植え込みゃ、セミパブ
既存の樹木を生かしたり隣家の緑を取り込む、﹂
度の配慮が必要である。
とも豊かなかまちにわ。造りの重要な要素ともなる。
通路の幅や駐車スぺ!スは、必要最小限にしてで
とともに、雨水の土中浸透による自然の浄化・還
きるだけ土の部分を残し、縁化・級裁を多く施す
元を促すようにしている。駐車スペースも車の置
かれていない時には間の抜けた空間になってしま
うので、前庭の一部としての景観になるように設
用は家計費から出すことになるわけで、その負担
計している。住まいの手入れ、メンテナンスの費
を少なくする点でも、家人がある程度預倒をみら
れる植栽としている。また、この前庭部分は給排
水、電気、電話、ガス、 T V等 の 引 き 込 み 被 絞 通
路 に も な っ て い る 。 メi タ ー の 位 法 と も 合 わ せ て
事前に計画しておかなければいけない。庭問灯、
ポスト、自転車、ごみ置き場、勝手口等の機能を
重視しなければならない部分でもあり、それがそ
れぞれ見苦しくならない工夫が望まれる。
(あだち・たけお/建築家)
わ
イ
特終盤。まちにわ。の視点から
す・まいのテクノロジi
アノニマスな集落にみる
最性形式と自然との関わり
"
JJ
知らされたことがある。雑木林、とりわけその淵の生態と庭の木々に対する、
いる。保か百 m四 方 の 小 さ な 雑 木 林 に 一 五 年 間 、 毎 日 通 い つ め て 二 千 種 を 超
40F﹀
m
h﹀ーアの一 O号で生物誌家の菅野徹さんが雑木林について書いて
設計者としての認識のなさについてである。花や樹形にこだわって木を植え
える動植物を見出した。そこには、動植物が生命の緊張をはらんで高密に共
存する姿が要約されている。
私がいま通いつめているタイ北部の山岳地誌は、生態学上はサバンナ林に
類型される落葉樹の多い地域である。ここに住む人たちは自然のなかに身を
最近、長野県の浪合学校を見学した。叩山間の純設計画には感心させられた
タマジャクシ、蜘妹、蝶、維茸、草花などを刺繍として縫い込む。植物の分
らの民族衣装には自然界への思いが表現されている。アカ族は陸案化したオ
植物とかかわる
。
。
ヴ
が、その折、教育長から、杉や桧の林、とくに植林による林が如何に生物を
類も面白いと思った。彼らの植物に対する知識は実に豊富であるが、かかわ
置き、アニミズムをよすがに生きている。アニミズムの中味は深遠だが、彼
育まないかを伺った。林業が成立しない今となっては、森の恵みは雑木林に
0
ミコノスのF
皆段パ J
レコニー
眠ると一一一向うのである。きのこや山菜を食べながらの話には、説得力があった
路地に戸内生活が巨当然に拡がる。(伊撃手戸電築落・答宏、)
てみたが、その木々からは折に触れ不満のきしみが悲鳴のように聞こえてく
雑木林の淵に家を建て、住みはじめてちょうど一んやになる。その聞に思い
嬬
d斗
・
nHu
りのないものには名前をつけていない。食物や食器や家尿材料になる竹はそ
の用途に応じて何十種類にも細かく分類するが、沢山生えているゼンマイは
もちろん、 庭 は 食 餌 と の み か か わ っ て き た の で は な い 。 わ が 国 の 場 合 は 、
持寵型住居争意識して
らに植物の名を問、っと、必ず利的の仕方まで答えてくれるのである。そこに
居住者の観念や風格を表現する手段でもあった。誇践して言えば、庭づくり
食べる湾慣がないので名前がない。あくまでも草の一種である。しかも、彼
は、レヴィ・ストロ i ス が ﹁ 野 生 の 思 考 ﹄ の な か で 述 べ た よ う な 民 俗 分 類 法
右に託して築きあげることのできる、手頃な対象だった。だから、住まいに
このようなわが陪の庭のつくり方は、日本金宅の形一段を特徴づける外経型
ギリシア、 キ ク ラ デ ス 諸 島 の 農 家 は 有 議 農 業 を 生 業 に し て 、 い ま も 優 れ た
住民に悶有なものである。外庭型住居とは、後に述べる中庭型住民と対立す
対する芯いは自ずと田川階、つくりへと 川
r かわせたのである。しかも、その過程で
彼らの生活にはなくてはならないものである。五年前に民家の秋の行事、ヒ
るものであり、次のように説明することができる。わが国では気肢が比較的
白給自足の形態をとっている。良心永の前庭は閉季折々の花で飾られているが、
ロスフアヤ(係の屠殺﹀を見学する機会があった。彼らは豚一頭で一年分のサ
出暖で民業の生産性がおく、瓦いに生存の条件を賭けて争う必要はなかった。
出住者は自然相慨を養い、動植物に開削する知識を心育んだ。
っていたと開いて驚いた。鑑賞用とばかり忠っていた木々や草花に、もっと
確かに外との繋がりを断ち、炉で岐を採らねばならな一い季節もあるが、どち
私の郷虫では柿が不可欠な経木だった。秋の祭の味覚として、柿の葉で巻い
住まい﹂として日本人の心意のなかに生き続けてきたが、その空間構成は何
自然のなかに身を委ねて生一泊する住民は、十日くから﹁とまの庵﹂や﹁仮りの
らかといえば室内に涼風を通し、蒸暑さを避ける必要が先行した。、)のような
た 押 し 寿 司 が 欠 か せ な か っ た か ら で あ る 。 も と も と 庶a 民 の 庭 と は こ の よ う な
よりも開放的な特徴を持つものであった。
的な水準で終息する符はない。むしろ森林的思考として育まれた世界観を外
この近隣の人びとに対する融和的で開放的な構成以理は、自らの存在を自
洋料理や中華料理にエスニック料則一も加わって、庭木と食生活との関係は分
屈のなかに形象させたいと願うのが自然であろう。こうして、森のなかに住
然の輪廻に委ねることによって永遠に近づこうとする森林の思考*を反映した
断し混乱してしまった。外米磁の加入で多様化するはずの新しい住宅地の庭
H然の摂線引に教、えられて
む人びとは住民から見える白然に予を加えながら、 F
まちの底から、そのような生治に密やふ制した木々や草花が消えて久しい。こ
に 流 行 り の 風 が 吹 き 、 さ な が ら 外 食 チ ェ i ン応のメニュ i の よ う に 何 処 へ 行
円環的な世界観を築きあげていった。外陸型の住居とは、ひとつ属根の下を
も の で あ る 。 従 っ て 、 こ れ が 単 に 住 民 をz
H然 の 一 部 と し て 同 化 さ せ る 受 け 身
っても変わりばえがしなくなっていくのである。例えば、人気ナンバーワン、
間仕切り、そこから外庭へと向かう遠心的な構成を原理とし、外経なる自然
いったほかし加減が尊京されて、外来積がどんどん入ってくる。近年は、洲一
アメリカ生まれのハナミズキが一本七万円(樹高一一一 m
) にまで上昇するとい
のなかに子を加え、世界観を表現したものと言えるだろう。
こ の よ う な 庭 の つ く り 方 が 大 き く 変 化 す る の は 戦 後 の こ と で あ る 。 戦後の
う流行現象が発生する。これが新しい﹁まちにわ﹂をめぐる様初である。
だわって何となく和食の本間気を松える躍もないではないが、潤いや思いと
ものであった。
わが国でも、庭木には山淑、梅、柚子、ダイ、ダイ、枇把などを柏、えていた。
深い意味が記されていたのである。
ラ ミ を つ く る が 、 な か に 入 れ る 五 種 類 の ス パ イ ス と ハ l ブはすべてい胞でつく
ここは、単なる鑑賞用の庭ではない。花の多くは、果物や薬草や香辛料として、
Hの 共 通 言 語 の よ う な も の が 存 花 し 、 自 ら の 立 場 や 思 い を 木 々 や
には地域独r
る
の素晴らしさがある。
せ
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〔
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."tT,.
、
、
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福
岡
考
一
岡山一
,
一
、
生活の近傍依存
生活の中庭依存
h
ソ一当
F9J.策的世界観
直線的世界観
bH 一ぜ¥一日
;有暖岨
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,
虫
森のなか/イ干¥1
砂漠の淵
宇一の
森一し
内の空間誌、議
芯芯の空間認識
§己中'し、的世界観
外界依存的世界観
内
万物流転ー祭限世界
地創造一脊際世界
1
9
7
8より作成。
γ森林の怨l
考・砂淡の思考ιNHKブソクス
鈴木秀犬
(
主
義E
量的役界)
¥
(!鳥徴的世界)
/'
兄
見通しの良さ
終末一自力
永遠ー他力
ユダヤ教からキリスト教へ
バラモン教から仏教へ
外庭型住居
求心的平菌
透心的平面
防御的構成閉鎖的
融和的構成一開放約
という概念が提出された。これによって住居集会の研究が大きな拡がりをみ
せることになったが、もう一方で、外庭型住居のテクストを再構築する手掛
かりが与、えられたように思う。設計者にとっても、集合や環境への視点を取
り込んだ設計現論を構築するための、有効な概念であるに違いない。久しく
内i 外 の 繋 ぎ の 京 間 が 取 り ざ た さ れ 、 最 近 で は 中 部 領 域 と い う 言 葉 が 普 及 し
て百本的空間のあり方が模索されているが、そこに介在する本質は、単に物
理的空間や植栽などに関するつくる側の論理にあるのではない。外庭型住居
というコンテクストを確認することが出発点であり、さらにものに託してな
される居住者の生活や行為の象徴的な表現形式を如何に引きだしうるかにか
かっている。内ー外の徴妙な宅問に介在するのは、居住者の心意である。間
住者は工犬の掬したものや手取にかけて育てた草花にそれぞれの思いを託し、
外庭に向かって表出させる。それを助長するには、もう一度家族の居場所の
設営から始めなければならない。庭づくりはその延長上にあるはずだ。
一方、外に向かっての表出はわが国だけのものではない。窓辺に飾られた
鉢植えの美しい草花なら、訪れる国々で見つけることできる。草花が咲き乱
への変革を促した。池辺践は吋すまい﹄のなかで、動線の概念を庭にまで延
のような外庭型住居の構成保理とは緩めて特異なものであり、それゆえにわ
るものとなると、他に類例をみないのではなかろうか。世界的にみても、こ
かし、外庭に自己の世界を投影し、住居内部との密接な関係を持続させてい
れる英米の前庭は、それぞれを屋敷構えの型として捉、えることもできる。し
長して考、えるべきことを強調している。池辺の主張は娃のしつらいに直披言
が国独自の居住文化しこして、他に誇るべきものと考えるのである。
以後の近代的、合理的な認識への引き金のひとつになったと考えてよいだろ
う 。 そ し て 五0年 代 の 住 宅 は 、 プ ラ イ バ シ ー の 確 保 に 主 眼 を 置 い て 偶 人 や 家
人の心意や観念も断ち切られてしまった。人に見せない庭や干渉されたくな
と明らかになる。中庭型住居の構成原理は概ね外庭型のそれと対立し、構成
外斑型住居の特徴は、対立する中庭型住居の性質を把握することで、自ず
族の合理的な生活に整合性を求め、近隣への配慮を極端に欠いていた。日本
い庭が市民権を得て、外庭が分断され始めたのである。ポストモ、ダンが叫ば
中庭型住居は、乾燥地域で発生、 展 開 し た 住 居 形 式 で あ る 。 歴 史 的 に み て
ある。
図式についても外庭型住民の図と地を反転することによって得られるからで
こ の よ う な 状 況 の な か 、 七0年代の後半に住宅の研究者によって﹁表出﹂
あまり変わらないように思う。表現だけが時代性を刻んでいる。
れる現在でも、住宅や庭の設計に対する考え方の根底にあるものは、当時と
中 庭 型 住 居 の 庭 の つ くb
及するものではなかったが、住宅の空間構成とともに庭の捉え方についても、
状況を受けて、まもなく提昭された住宅の設計理論は、みる庭からつかう庭
砂漠的,皆、考
が、乾いた地域の位界佃慨を見事に象徴することになる。その効果は、言、つま
鋳物の飾り一扉を透かしみるアン、タルシア、コルドパのパティオは、住み手
でもなく、共に居住する家族の鮮として擦り込まれることにある。
に可能な眼りの財力と工夫と手聞のすべてを集中させた地上の楽園を思わせ
も空間的にみても、分布の大勢を占めている。そこでは外敵からの防御と厳
証明をかけて白らの世界を構築する必要があった。この外界に対する閉鎖的
る。とりわけ工夫と子間が強く反映されている点に楽閣の意義を見い出すの
しい白然の克服を条件にしなければならず、砂漠の思考*に忠実に自己の存夜
な構えは、必然的に中庭を中心にし、核にした求心的な構成を生みだすので
言宗率空間に変わるタ玄)
1
の路地。
内部の生活が君主出された答志の路地。
ある。居室は中庭を介してのみ結ばれ、中庭を拠り所にして生活が成立する。
答志(伊勢湾築落) :森林的思考
である。ここでは子入れの行き届いた木々や草花は温室の木々にもまして、
主主;蓄が表出しないグルシ?の道路。
閉鎖的な住居の檎え。
しかも中庭の賛を尽くしたしつらい、中央の水盤になみなみと湛えられた水
モロッコ:砂漠的思考
昔1j!i室。言主主まや香辛
ミコノスの幾家の
料が綴えてある。
階段バルコニーが林立するミコノスの退路。
く変わり、一八世紀に現在の階段パルコニ i型 の 集 落 が で き あ が っ た 。 キ ク
あった。しかし、べ、咋チアやトルコに支配される過躍で集落のかたちは大き
一方、キクラデスの場合、ビザンチン時代までは中庭型住居の分布地域で
の周りに集まって居住してきた。制度面でも支援されている。住居は花嫁側
族社会であり、人ぴとは視先の泣体や日げを納めた個人教会を拠点にして、そ
キクラデスの人ぴとは核家族でワンル!ムに居住する。もともと強固な同
問地(附以でふの
街中に点設する同族の告さ点としての個人数会。
が持参財(プリカ)として用意しなければならず、また区分所有法が放百年
ヴ
令
。
は、南イタリアの小都市やアドリア海のベネチア都市の街⋮以一とは、
キクラテス(ミコノス)
ラデスの集落に底はない。街路が唯一の外部空間である。しかし、その構成
花とはまるで異質なものである。
完全に居住者の手の内にある。自然の延長として捉えられる外庭の木々や草
コjレドパのパティオ
に中庭型住居の変形として捉、えることができるものである。それゆえ、段措
教会の周りに寄り集まって居住する形式を意味することになる。それはまさ
ら、キクラデスの住まい方は、世代や核ごとに分解した複合家族の成員が、
バルコニー型の住居群とは、このような社会システムの上に成立する。だか
も前から運用されて、住み替えがスムースに行なわれてきたのである。階段
屋敷が閉鎖的な構えをとっていたのは封建制の産物であった。
きである。武家屋敷や一部の町人屋敷が塀で因われ、農村においても庄屋の
庶民の領域に曝されることのないように塀を立てるのは、ごく自然な成りゆ
法である。封建制のもとでは、富裕な入、権力を有する人の占拠する空間が
は庶民レベルの近傍調整法であり、後者は武士など上層民レベルの近傍調整
調する方法であり、いまひとつは敷地の境界に塀を立てる方法である。前者
整法がひとつの型へと見事に収赦した例である。そこでは庭が内部に取り込
また、庶民住宅として展開した短冊状の町家の構成などは、住居近傍の調
aAVA
り
バルコニーがはみ出す通路は、同族の外部廊下であるとともに、関口部を設
ける唯一の庭となる。人ぴとはこの空間を白分や同族の庭として認識してお
り、四季折々の草花を表出させるのである。
トオ
まれているが、ここでいう中庭型と無縁である。哀の会所から展開したとみ
られる形成過程や通りニワ(土問)との関係を考えるなら、外庭型住居の系
るのは昭和一一一0年 代 の 後 半 か ら で あ る 。 都 市 居 住 者 の 庶 民 感 情 の な か で 、 絶
ようなものだった。浦安の猫実地区や東京の北品川などの下町に塀が現われ
していなかった。塀を立てることは、近隣とのあいだに絶交を意志表示する
わが国では、庶民住宅の生け垣や垣根は、塀のように閉ざすことを目的と
る方策が構じられ、しかも階層や地域の特徴を反映して﹁型﹂を生みだす方
た方が分りやすい。こうして、都市においては塀や壁によって近傍を調整す
を必要としたというよりも、外側から塀によって封じ込められた集団と考え
がその典型である。大庖の管理のもとに成立する裏長屋の場合は、自らが塀
に塀を備えざるをえなかった住居も存在した。狭臨な住居が集合する裏長屋
"まちにわ“の作法
交することに市民権が得られたのは、概ねこの時期ということになる。農村
向に展開したと考えることができるのである。
譜のなかで捉えるのが自然である。一方、貧しく権力とは無縁であるがゆえ
部では垣根どころか、人の庭先を通銘のように通り抜けでいく習慣が続いて
れている。しかも、隣戸の内部を透かしてもう一本向こうの路地が見えるく
見える外庭の空間は隣戸との聞の鑑かな隙間や路地であり、いずれも共用さ
うに‘互いに所持しあったというから、うれしくなる。答志の場合、住居から
建て替える持は、隣棟間を竹で測り、それを半分に割ってもめごとのないよ
理解され、奨文化に敬意を抱くこともでき、日本的な空間の止揚が可能にな
のこだわりを持ち続けていたい。型にこだわることによって異文化の特徴が
も均質ではない。わが国にも国有の風土や歴史、文化があるのだから、型へ
があるかも知れない。しかし、地球環境もそこに暮らす人の考えや居住様式
スのフロントヤl ド や ア ン グ ル シ ア の パ テ ィ オ が 出 現 し て も よ い と い う 意 見
誰でもつくれるようになった状況を前進とみたり、国際化時代だからイギリ
このように考えてみると、昨今の都市の庭はかなり無節操である。自由に
らいに開放的な構成をとっている。ここでは居住者の包絡する住居近傍の空
ってくる。かまちにわ々に外庭型の作法を吹き込み、﹁型﹂を再生させる作業
いた。伊勢湾の答志集落では、今でも戸境の目印になるものは一つもない。
間は互いに交差しているのであり、それを証にして過密な集落での共存が成
円J F
鈴木秀犬、森林の思与・紗淡の mbv
日本欣込山版協会刊 N H Kブ ッ ク ス に よ る
が急務であると忠う所以である。(はた・そういち/芝浦工業大学建築工中利助教校)
り立っていると一一一日つでもよい。
外庭型住居であっても、大きな都市では高密化するにしたがって、住居近
傍を調整するための物理的な解決が必要だった。江戸時代にまで遡ってみる
と、そこには、二つの方法があったように忠われる。ひとつは住居の墜を強
*
特築鳳轡。まちにわ。の視点から
アメリカの
田中 摩 子
と
一戸慾て住宅の広い前庭
私のすまいろん
委
参
ニュ i メキシコやカリフォ
ランダまで、暑さをしのぐための軒下空間が大切
のポi チ か ら ギ リ シ ア 風 列 柱 の 並 ぶ 荘 園 住 宅 の ベ
っている。南部では貧しいショットガン・ハウス
アメリカでは、地方により家や庭の在り方が異な
砂漠気候を含めて亜寒帯から班熱帯まで擁する
銘全体が見事に電飾されるのは、こうした下地が
に凝る住人の腕の見せ所である。クリスマスに街
から見られることを前提にしており、インテリア
lウインドウとよばれる居間の大きな窓は、街路
裏庭側に台所や食堂が配置されてきた。ピクチャ
パックヤiドとよぴ、伝統的に前縫開に居間が、
ーカリフォルニアのアウトドア@リビング
な生活の場であるし、
つことが暗黙の了解となっている。少しでも荒れ
ミュニティへの﹁顔﹂であるため、常に美しく保
いる。一年を通して晴天と温暖な気候に恵まれ、
てくるとその地域の不動産評価が下がるからであ
あってのことだ。前庭は山本のフアサi ドと共にコ
しかも進取の気性に溢れた南カリフォルニアは、
る。逆に裏庭は他人的な場なのでゴミ置き場と化
ルニアのように、半砂漠気候でスペインの影響が
アメリカのなかでも特に庭を生活に生かしたさま
す家もあれば、日本露関風に造開国されたり、プー
強い地域では、パティオ(中麿)の伝統が残って
ざまな住宅が建てられてきたところである。
ルが造られたりとさまざまである。
こうしたパブリックな前庭とプライベートな裏
大都市を除くアメリカの住宅の大多数は一戸建
トピアとしての郊外住宅に端を発している。一八
著述家として活躍したダウニングが提唱したユー
璽郊外住宅の前庭と裏庭
て住宅で、そのイメージのとおり家の前には塀が
一
二
庭という構成は、一九世紀半ばに東部で造園家、
なく広い芝生の前庭が道路に沿って連続している。
たたく間に東部の各都市に広がり、それまで都市
0年代に初めてアメリカで開通した鉄道は、ま
道 路 に 面 し た 前 庭 を フ ロ ン ト ・ ガi デ ン 、 裏 庭 を
d
円
o斗
速に浸透し、今日までアメリカの住宅の基本的な
ックとプライベートの区分の概念とあいまって急
系となりつつあった住宅の間取りにおけるパブリ
こうしたダウニングの考えは、当時新たな価値体
畑、果樹園、物置などに使うことが推奨された。
べきだと主張した。逆に裏庭は柵を巡らせて野菜
で塀などを設けず、広く連続した芝生で覆われる
前庭は自然と住まいの繋がりを可能にする場なの
することが理想的であると説き、この田闇住宅の
て、田園にピクチャレスクな一戸建て住宅を所有
とを可能にした。ダウニングは三冊の著書を通し
のロウ・ハウスに住んでいた人ぴとが郊外に住むこ
た。フリl ウ ェ イ の 土 手 の 草 花 や 公 園 の 芝 生 を は
さんに言われていたが、なかなか実行できなかっ
もかかってしまう。それを毎日するようにと大家
ばならず、前庭と裏庭両方に水を撒くのに一時間
たので、六つの水栓を一つずつ順に開閉しなけれ
あるのだが、その家のスプリンクラーは手動だっ
い住宅にはタイマー付きの自動スプリンクラーが
こと、庭の水やりはひと仕事であった。普通新し
たが、ほとんど雨の降らない南カリフォルニアの
側にポトンと落ちるという恵まれた自然環境だっ
大木がたわわに実をつけると、熟れた実がこちら
付きのテラスと連続していた。隣家のアボガドの
て お り 、 食 堂 の 前 面 の 、 キ ャ ノ ビl(覆いの屋根)
と同時に人ぴとの生活水準や欲求が高まり、より
大都市近郊の環境の良い敷地には限りが出てきた。
ア メ リ カ が 豊 か さ を 誇 っ た 一 九 五0年代以降、
ので、日本の植木屋さんとはちょっと職種が異なる。
季節の草花を植え替えたりというのが、王な仕事な
ち葉を吹き飛ばしたり(掃き集めるのではない/)
現在ではメキシコ系の人が多く携わっている。落
かつてガi デナi は日系人の職業といわれたが、
で行なうよりもガi デナl に任される場合が多い。
また、芝刈りをはじめとする庭の手入れは家族
額敷地の有効利用
持されているのである。
原型となっている。第二次世界対戦後の帰還兵に
じめ、南カリフォルニアの緑はすべて人工的に維
道
.
対する低利ロ i シ が 引 き 金 と な っ て 、 全 米 に 急 激
に拡大した郊外住宅地も、このダウニングの考え
方を継承している。
私はロサンジェルス郊外にいた七年程の間に七
軒の家に住んだが、コンドミニアムばかりで、一
戸建て住宅は一軒だけである。パサデナにある小
さ な そ の 家 は 、 一 九 五O年 頃 に 建 て ら れ た わ り に
は古くさく、芝生の前庭とプライベートな裏庭が
ある伝統的な構成だった。前庭からアプローチす
る玄関はフォーマルな時のみ、すなわちほとんど
使われず、もっぱら裏側のガレージに近い勝手口
察庭のパテイオ
が出入りに使われた。ちょっとした買い物をする
に も 事 が 必 要 な 郊 外 住 宅 で は 、 ガ レ i ジの近くが
便利なのである。ガレージの横はレモンやキンカ
ンの木や草花が植えられたささやかな庭園になっ
1 パサデナの家
図
d斗・
弓
i
送箔
一
建築家の一連の住宅であった。こうした住宅では
ロサンジェルスにきたシンドラーやノ千トラなど
駆 け と な っ た の は 、 一 九 二0年 代 に ウ ィ ー ン か ら
地を有効に活用するやり方が一般化した。その先
解決策として躍を住宅の一部として取り込み、敷
大きな家が望まれるようになってきたので、その
,。1..
プライバシーを守るために道路側に壁を設けたり、
シンドラ…邸パティオ
パ…キンス邸居間と庭
随 一 E シンドラー自邸(l 922~V-)
子)
図-3 ダピッドソン芭邸(l947i
一九二0年 代 に 庭 に お け る 表 と 袋 の 概 念 を い ち
ス引戸を用いて庭を住宅の一部に取り込み、狭い
居 間 に 入 り 込 ん だ パ iキ ン ス 邸 な ど 、 大 き な ガ ラ
つパ i ム ス プ リ ン グ ス の カ ウ フ マ ン 邸 、 庭 の 地 が
はやく覆した例としてシンドラ!の自邸があげら
部屋を広く見せたり、庭闘を鑑賞できたりするよ
会不安による助犯上の必然性でもあった。
れる。かつてメキシコ領だった南カリフォルニア
う設計されている。
パティオだった。ガレ i ジ脇に家庭菜関、アプロ
ティーなどの際に居間の役割を果たしたのはこの
ティオを囲んでいる。居間がないこの家で、パー
活のためのデザイン﹂を始めた。カリフォルニア
た第二次世界大戦後の郊外住宅発展の時期に﹁生
け で は な い 。 ラ ン ド ス ケlブ ・ ア ー キ テ ク ト も ま
住宅と庭の新しい関係を模索したのは建築家だ
ランドスケ iプ・アiキテクト
では、パティオ(中庭)を閉む形式の住宅が発達
していた。シンドラ│の自邸は二組の夫婦のため
の 住 宅 で 二 つ の L型 が 組 み あ わ さ っ た 形 を し て お
ーチに沿った花壇、一番奥に果樹闘があり、低い
では戦前より活躍していたチャ!チに加え、
り 、 そ れ ぞ れ の L型 が 屋 外 用 暖 炉 の あ る 芝 生 の パ
植え込みで区切られている。寝室は、スリ!ピン
パティオは庶民的なバンガロー住宅にも取り入れ
健 康 法 の 一 つ と い わ れ た 時 代 で 、 ス リl ビング・
テント張りのスペースである。屋外で眠ることが
グ・バスケットとシンドラ!が呼んだ屋根の上の
ユートピア﹂つまり民主主義が環境的に実現され
二点を上げている。一つは住宅の裏庭が﹁個人の
関わり始めた。その理由としてハルプリンは次の
プリンといった人達が住宅の庭の設計に積極的に
ボ、ロイストン、ウィリアムス、 ベイリス、ハル
た縮図であると忠われたこと。二つ日は都市のプ
られていた。
一九三0年 代 以 降 、 や は り ヨ ー ロ ッ パ か ら 移 住
パサデナ北部にあるデザイナーのソ│ル・パス
ラ ザ な ど の 大 き な ラ ン ド ス ケiブ の ア イ デ ア を 描
庭が提案された。これは住宅の内部と同様に庭も
邸(一九五八年)は、パフ・ストローブ・アンド・
した建築家、ダビッドソンの白邸に見られるように、
重視されてきたことを示している。日本建築や庭
ハ ン ツ マ ン の 設 計 だ が 、 ラ ン ド ス ケlプ は エ ク ボ
くための試作になったことである。
園に深い関心を寄せたノイトラは一九一二0年代か
に任されており、もともと敷地にあった大きなヒ
住宅内部の機能にあわせてそれぞれに造園された
ら庭と室内が一体化するような住宅を試みていた
マラヤ杉をそのまま残すなど自然が生かされてい
では、七本の樫の木の山を縫って建物を
ソール・パス邸居間と庭
プールサイドでのパーティー
ニ
コ
ク
が、戦後のものはいっそうさまざまな手法が用い
ノ、
る。また、これもエクボによるエモンズ邸(一九
年
られた。居間のレンガの床がテラス、プールへと
連続するネスビット邸、石と池の静ひつな庭を持
五
υ
d 斗・
同
ハ
の内向性はゲiト を 設 け て コ ミ ュ ニ テ ィ を 守 る か
して壁を建てた閉鎖的な﹁顔﹂を持っており、こ
を確保した設計となっている。どちらも街路に対
配置し、部屋ごとにテラスをとってプライバシー
カ リ フ ォ ル ニ ア に も 二O 世 紀 初 鋭 か ら 、 パ ン ガ ロ
並みを真似たロウ・ハウスが建ち並んでいたし、
ろん東部の大都市には一八世紀からロンドンの町
宅金体の敷地計画に関わることが多くなる。もち
ク ト は 、 ハ ル プ リ ン の シl ラ ン チ の よ う に 集 合 住
i ・コ l ト と 呼 ば れ る 中 庭 型 の 集 合 住 宅 が あ っ た
たちの最、近のコンドミニアムと通じるものである。
が、より快適な環境により多くの人が住むには集
図-5 エモンズ邸 (
1
9
5
6ir
l
露コンドミニアムの庭
合形式の方が有効かつ経済的という考えが定義し
てきたのは、最近のことである。
中庭型コンドミニアムのプール
大規模なコンドミニアムのプール
ロ
司
,
.
20
p".,19
⑬
さ
一九六0年 代 か ら 、 ラ ン ド ス ケlプ ・ アl キテ
図-4 ソール・パス邸(19
5
8年)
が付けられて、くつろぎや食事の場となっている。
代わりに、各戸の居間の前にベランダやパティオ
たコンドミニアムでは、プライベートな庭を持つ
大掛かりなコンドミニアムも増えている。こうし
もいう、川や滝などの自然環境を人工的に造った
一 般 的 で あ る 。 ま た 最 近 は ラ ン ド ス ケlプ 型 と で
ウナなどのアメニティ施設を別棟に集める形式が
ド ミ ニ ア ム で は 、 ア ス レ チ ッ ク ジ ム や ブl ル、サ
道と歩道は分離されている。一 O O戸以上のコン
ある。ガレージはたいてい住居の下に造られ、車
庭を副む形式が多く、中庭に面して各戸の玄関が
ブ ー ル や ジ ャ ク ジi (泡 の 出 る お 風 呂 ) の あ る 中
比 較 的 小 規 模 な 二O 戸程度のコンドミニアムは、
ル﹂、別の言い方では﹁遊んでばかりで知性がない﹂
ういう訳で、カリフォルニアの生活は﹁カジュア
ろ雨が少ないから、スポーツには事欠かない。そ
ジi に つ か っ て 、 ぼ ん や り す る の も 良 い 。 な に し
で泳いだ後、ビl ル を 飲 み な が ら ゆ っ く り ジ ャ ク
仕事から帰ってひと泳ぎすることが多い。プール
l ルやジャクジi は 個 人 住 宅 、 コ ン ド ミ ニ ア
フ
。
ムともに普及しており、サマータイムの時期は、
日会などがよく行なわれている。
園も沢山あり、ちょっとした集まりゃ子供の誕生
るう機会となる。また、グリルが設置してある公
で、大概の家に簡易グリルがあり、父親が腕をふ
焼くバーベキューは、簡単なおもてなし料理なの
といわれるのである。
アメリカに住み始めた頃の疑問の一つに、﹁アメ
中流以上の住宅地で庭に洗濯物を子す、﹂とはほと
現在洗濯用乾燥機が普及しているアメリカでは、
よくわからないな。ベッド辺りじゃないかな﹂とい
ところ、答はおおむね﹁どこで脱いでいるんだか
うものがあった。周聞のアメリカ人に聞いてみた
璽バーベキューとレクリエーション
んどないし、物置はガレージが兼ねているので、サ
ったものだった。義理の弟(アメリカ人)にしつ
リカの人は、家のどこで、いつ靴を脱ぐか﹂とい
ー ビ ス ・ ヤ ー ド は ご く 狭 い ス ペ i スで足りてしま
こく尋ねると、﹁朝は出掛けるまで襟足、夜は寝る
問題なのだそうだ。場所によって着脱が決まって
まで靴を履いている﹂とのこと。要するに気分の
なる。開拓精神が体質化しているためか、外で食
いる日本とは異なり、アメリカでは人の意思が先
ーティー、スポーツなどレクリエーションが主に
事をするのが大好きなアメリカ人は、キャンプの
行する。そんなところが家と庭との関わりの鍵に
う。だから庭の役割は専ら家族の寛ぎ、食事、パ
時だけでなく日常的に戸外で食事をする。ブラン
なっているのかもしれない。
(たなか・あっこ/東京芸術大学美術学部建築科助手)
チとよばれる休日の朝畳兼用の食事に友人を招い
てバーベキューをしたり、サンドイッチ片手にデ
ッキチェアに寝そべったり。肉の塊や魚を炭火で
遊園型コンドミニアムの小川
公園でのパースデーパーティー
公園でのバーベキュー
期の耐用性
第日同住総研シンポジウム︽集合住宅の維持保全、改修の現状と問題点、そして将来への展望︾へ出向けて:七月二日(会)に開催予定 於一建築会館ホ i ル
︿論文﹀
集合。の設計@
法
と
形態の変化や社会環境の変化によって要求は変化する
求のレベルや質が変化することである。居住者の生活
が、しばしば、設備機器などが技術革新によって、よ
めの包括的な検討ということにはならないであろう。
り高度な機能の製品が生産されるようになることによ
様々な分野からアプロ i チ を 行 な い 、 そ れ ら の 成 果 を
設計建設手法・生産組織といった側面から、この問題
てその仕事を担う産業をどのように育成すべきかとい
技術をどのように選定するかという個別の課題、そし
修繕のための費用負担の方法から始まって、具体的な
られている。しかし、この問題は、居住者の合意形成・
様々な研究が行なわれ、対処する仕組みの構築が考、え
が大きい問題であろう。いま一つの要問は、機能的姿
バルコニー部分の劣化・外壁の劣化・配管の劣化など
によって対応することになる。具体的には、屋根防水・
う努力し、塗装などのメンテナンスや部材の更新など
な耐久性である。これには、劣化の速度を遅くするよ
よう。一つは集合住宅を構成する部位・材料の物理的
が求められる要因は、大きく二つに分けることができ
合住宅の歴史の浅さがある。欧州の集合住宅でも向様
題であろう。そして、その背景には、日本における集
する認識が十分でないことがなんといっても大きな問
めであろうが、居住者も供給者・設計者も耐久性に対
となるのは、運用の仕組みが現実に適合していないた
修繕授の絞立てなどが行なわれている。それでも問題
となる。それらは当然予測されることであり、現実に
前者の物理的な耐久性は、主として共有部分で問題
っても、要求の変化は引き起こされる。
う社会的な課題まで、極めて広い分野にわたる問題で
集合住宅にとって、維持保全のための努力や改修等
を考、えてみたい。
ある。どのようなアブロ i チ を し て も 、 問 題 解 決 の た
当然のことながら、社会の関心も高くなりつつあり、
ンション等のほぼすべてが抱える共通の問題である。
統合して考えてみる必要がある。ここでは、構法技術・
F
│ │ ! 部 分 の 更 新 を 考臆した設計@生産体制について
試薬
この論文は♂傾向九年報﹄悶号二九九一一一年四月刊予定)に、シンポジウムへ向けての他のニ綴の論文と併せ掲載いたします。
三会見
集合住宅の維持保全・改修の図難さが大きな問題と
精
なりつつある。ここ二0 1三O年の閣に建設されたマ
回はじめに
深
毘
5
2
道であるといえよう。
これは、ある意味では、一度は通らなくてはならない
住宅の構法上の問題点が露呈してきでいる訳であるが、
かかるフィi ド パ ッ ク を 繰 り 返 し て い な い 日 本 の 集 合
考えてみたい。総合的な耐久性の検証という、時間の
注目する必要があろう。次節では、まずこの問題から
宅に特徴的に用いられている構法であるということは、
土問題となりやすいが、これらの部分が日本の集合住
ー廻りやタイル貼りの外壁といったところが維持保全
少 な い 。 日 本 で は コ ン ク リiトスラブによるバルコニ
ての構法が採用されている場合には、問題ははるかに
の問題はあろうが、永年にわたる試行錯誤の結果とし
ュリl ハウジングシステム (CHS)﹂の開発で得た知
運用に、委員会の一員としてかかわってきた﹁センチ
してみたい。特に、筆者が、研究開発・ルi ル、つくり・
確保するための設計手法・建設手法というものを考察
して住戸専用部分の構法をとりあげ、長期の耐用性を
く努力が必要であろう。この小論では、後半で、主と
全体としてサポートする生産の仕組みを作り上げてい
新を考慮した設計・建設を行なうとともに、それらを
な対応策が採りやすい。そのためには部品・部分の更
ごとに伺別の対応ができる分、共有部分に比絞して様々
ある。しかし、設備等のレベルに対する要求は、住戸
活問がそれほど察易ではないということが問題なので
めの組織の問問題でもある。そして、集合住宅ではその
が挙げられよう。勿論、 6節 で 述 べ る よ う に 、 日 本 の
一戸建て住宅の構法との簡に連続性が無いということ
まず基本的な問題として、日本の集合住宅の構法と
。
っ
λf
する際に、留意すべき点のいくつかが見えてくるであ
たい。また、そうすることにより、新しい構法を採用
上どこに問題があるのか、その一部を明らかにしてみ
特徴を持っているかを考察することにより、維持保全
された構法と比較して、日本の集合住宅がどのような
先進国である欧州における、フィードバックが繰り返
時間をかけて作りあげられるものである。集合住宅の
るといえよう。維持保会に適した構法は、基本的には
変えてよい部分とのほ別が認識されていないためであ
保全のために社会全体として変、えるべきでない部分と、
間取りは、一戸建て住宅の影響を強く受けており、日本独
集合住宅、特に初期の集合住宅の、授と襖による構成の
戸建て住宅との関係に比べ、大きな違いがあると言わ
造の抑制体によって共に造られている欧州の集合住宅と
耳目本の集合住宅の特殊註
見を述べて見たい。
後者の要悶である機能的要求の変化は、主として個々
の住一戸の中で問問題となる。エレベーターの性能に対す
レベルが変化する速度は比較的遅い。また、住戸面積
る不満など、共用部分での要求の変化もあるが、その
集合住宅の物理的な耐久性は、当然のことながら、
さるをえない。特に、生産組織が、町場を中心とする木
自のものとなっている。しかし、しっかりとした壁構
能であるが、これらはもともと改修等による改善が諦
建物の部位・部分によって異なっている。建物全体の
造の大工・工務官と、鉄筋コンクリート造などの分野を
を広げたいという要求などは、住戸内部では解決不可
められている要求といえよう。ここでは、機能的要求の
に応じた改修が不可欠である。そのため﹁計画的な﹂
耐用年数を長らえるためには、適切な維持保全と必要
実には計画的な維持保全を行なうことは困難であるこ
維持保全行為をすべきであると言われる。しかし、現
る結果となっていた。現在までのストックとして、両
あり、それが、維持保全・改修のシステムまで二分す
担う建設会社とに分かれていることは基本的な違いで
住戸ごとに機能的要求の変化があり、改修等を必要
変化への対応については、佐一戸内の問題に限って検討する。
い設備機器を比較的取り入れやすく、増改築も谷易で
とすることになるのは、日本の一戸建て住宅が、新し
者の比率が一戸建ての方が圧倒的に多かったことが、集
ていたと言えるであろう。しかし、二つのシステムが
合住宅の維持保全という課題を、より難しいものとし
とが多い。ある一定期間を経た後に、当初計画された
集合住宅の構法は異なったものとなっており、当初予
ような改修をしようとしても、その時点での一般的な
定した改修工事が行なえるとは限らない。材料が入手
とも見逃せない。特に、住戸の設備等のレベルの変化
が日本全体として激しいため、それが改善されないと
併存していることのメリットもあるはずである。また、
あるために、それとの比較で要求が高くなるというこ
住宅が陳腐化するという問題を引き起こしている。事
今後二つのシステムが変化していく上で、部分的に共
への対応については後で児に述べることにしたい。
通した仕組みの構築を考えるべきであろう。この問題
できなくなってしまうとか、その改修を行なう適切な
これは、日本における集合住宅の構法の変化が激しい
組織や職種が無くなってしまうことなどが起こりうる。
ためであり、集合住宅自体の係史が短いために、維持
がある。日本の住宅はそれらを取り込む京地があり、
変化に対応しやすい面をもっていた。これは単に設計
実、給湯機などの設備機器の発達には自を見張るもの
や構法の問題ではなく、生産組織・維持保全更新のた
造は、言うまでもなく鉄筋コンクリート迭もしくは鉄
現在、日本の中高層集合住宅の主流となっている構
のシークェンスが、その雰囲気をバルコニーに残すこ
一つである。縁を介して庭と連続する和風住宅の空間
ゃすく、維持管理上もっとも問題になりやすい部分の
なりやすい。バルコニーや手摺りは劣化などを起こし
やすい部分であり、熱に関する性能に関しても弱点と
熱的に望ましいだけでなく、耐久性の観点からも好ま
は保護すべき対象である。例えば、外断熱構法などは、
う短所ともなりうるのである。
ある時間の経過後には、部分的な更新がしにくいとい
う。これは、鉄筋コンクリート造の長所ではあるが、
る要素を、すべて一体として構築していることにあろ
圃集合住宅の師機体とシェルタi
骨鉄筋コンクリート造である。欧米でも同様であると
のかもしれない。その過程で、コンクリートのスラブ
とによって、臼本に集合住宅が受け入れられていった
そ し て 、 最 も 大 き な 違 い は 、 欧 州 の R C造 が 、 レ ン ガ
し、米国では木造の中岡崎集合住宅の建設が盛んである。
ックなどでも、かなり高層の集合住宅を建設している
構法が用いられているが、欧州ではコンクリートブロ
用年数に比べ、バルコニーに当初備わっている機能・
の躯体の耐久性に大きな負担となっている。師相体の耐
期待するかが不明快なこともあり、鉄筋コンクリート
ブ廻りの防水の考え方は、壁にどのように防水性能を
に過度の機能を期待したと一言えよう。バルコニースラ
初期の集合住宅の建設にそのような外壁の構法を求め
なった安定した構法であったといってよいであろう。
た、ささら子下見などの外壁は、生産の仕組みをとも
が必要条件となる。日本の伝統的な土壁の上に施され
して用いられているような、安定したものであること
れば申し分ない。もっとも、その構法が将米とも存続
しい構法と言えよう。仕上げ材を交換容易なもので作
そもそも、耐周年数を長らえたいのであれば、師相体
版構造などは、欧州に学んだ部分が多く、似たような
考 え が ち で あ る が 、 必 ず し も そ う で は な い 。 大 型P C
などの組積造の代替口問であったのに対し、日本では、
性能の低下の速度が早いのは当然である。専有部分か
ることは、コストの点で無理であった。しかし、磁器タ
利用権か、といった問題がからむ部分での構法の問題
イル貼りが主流となり、天然石鮎りも見られるように
日本に相応しい短体構造として認識されていたことで
であるだけに、バルコニーを設けるとすれば、そもそ
集 会 住 宅 の 建 設 が 始 ま っ た と き に は 、 す で に R C造が、
もどのような構法とすべきなのかを、原点に立ち戻っ
代替口聞として用いられる構法は、オリジナルに対し
ラブを造れるということである。組稜造の壁の関に架
ブを容易に構築できるということ、カンティレバ l ス
筋コンクリート造の長所の一つは、信頼性の高いスラ
の問題をあまり検討せずに用いてきたと言えよう。鉄
長所を持つ鉄筋コンクリートを、短所、特に耐久性上
あるために、そこに依存している機能が多く、新しい
も極めて有効である。しかし、あまりに巧妙な設計で
への延焼防止など、集合住宅の防災性能を高める上で
は好ましい装置である。また、避難経路の確保や上階
よる連続したバルコニーや庇は、建物の耐久性上から
された結果と言えないだろうか。鉄筋コンクリートに
なった構法のものも多い。これも、時間をかけて検討
は個々の居住者の責任に任される方法が考えられるべ
紡火性のある外壁材が生まれてくるべきである。
水性を向上させるためにも、軽くて薄く、かつ耐久性・
いざ改修しようとなるとやっかいな構法でもある。防
コンクリートと一体化して耐久性を発揮している分、
上げである。しかし、同時に溶下事故も跡を絶たない。
久性に優れており、メンテナンスも楽な優れた外壁仕
していく必要があろう。タイルの外壁は、たしかに耐
のであれば、二重援のような優れた外援の構法を採用
なった現在、社会ストックとしての集合住宅を求める
け渡す伝統的な様々な床の構法に比べ、コンクリート
考え方の出現を限害している商も否定できない。この
きであろう。もちろん集合住宅の外観としての統一感
欧州の集合住宅のバルコニーは、我々のものとは異
て考えてみる必要があろう。
ふめヲ匂。
てどのような長所・短所を持っかが、耐久性を含め検討
のスラブは壁と一体となって、様々な形態を自由にと
ような構法が宙定化することは、後述するように、維
されるが、日本の場合は、耐火性・耐震性など様々な
ることができる。その結果として生み出されているも
持保全を行なうにあたっての生産組織の成立のしやす
づけている。機能的にも優れた装置であるし、バルコ
問題を抱えている。その一番の理由は、部位を構成す
ハードな点工関しては、修繕が大がかりになるという
さなど、ソフトな面からはメリットが多い。しかし、
りも、個々の判断で管理を行なう方が、総合的に望ま
てはならない。しかし、一斉に合意を得て改修するよ
をどうコントロールするかという問題は解決されなく
その場合、外壁のメンテナンス・改修なども、一部
のに、バルコニーがある。
ニーへ開かれたテラス一戸が室内の空間に与えている視
南面のバルコニーは、日本の集合住宅の外線を特徴
覚的効果も見逃せない。しかし、防水上問題を起こし
方は、住宅総体としての耐用年限を高めることにも有
階供給論などにみられる、躯体と内装を分・離する考、ぇ
しい維持管理が行なわれるのではないだろうか。二段
して、最近の日本における集合住宅での勾配屋恨の復
も、時代の技術と鮫接であったわけである。これに対
を始めたところであった。モダニズムの象徴の陵屋根
る。当時、コルビュジェはスイスを中心に住宅の設計
だからこれからは陸屋根の時代である﹂という話であ
すれば、集合住宅の各部のありかたをもう一度勉強し
ある。例えば、木造で性能の良い集合住宅を造ろうと
本来どうあるべきなのかが、少しは明確になるはずで
建てられるようになれは、集合住宅の各部の構法が、
鉄筋コンクリート以外の構造で、良質な集合住宅が
のことが一⋮一一問、えるであろう。その場合のシェルタl の機
直すことになるであろう。枠組壁工法による三階建て
効 で あ る 。 外 周 援 な ど の シ ェ ル タl に つ い て も 、 同 様
集合住宅の建設が、集合住宅そのものをみつめ直すき
合住宅をそのまま持って来るのでは良質なストック形
ンクリートで勾配のあるスラブを作り、勾配屋根の外
成とは一一一日えない。いわゆるツi パ イ フ ォ ー に よ る 集 合
活は、主として景観・総並からの発想である。鉄筋コ
い。どのようにその景観が長期に維持されていくかは、
住 宅 は 、 少 な く と も ア メ リ カ で はR C造 よ り は る か に
能は、抑制体と内装の中関に位綬づけられるべきである。
その構法に必然性があるかどうかに大きく依存してい
廉 備 に で き て い る 。 ア メ リ カ で も 二O年ほど前までは、
ま た 、 そ の た め の 様 々 な ルi ル 作 り ・ 共 通 認 識 の 育 成
られるような、鉄筋コンクリートにすべての機能を依
る。屋根も本来、躯体から分離した部位として作られ
もっとも、木造集合住宅に関して言えば、北米の集
存する構法を用いるのではなく、限定された機能のも
るものである。少なくとも日本ではそれが住宅の構法
は 、 ブ ロ ッ ク 造 やR C造 よ り も 木 造 の 方 が 安 い か ら と
木造の集合住宅は多くはなく、その立場が逆転したの
っかけになれば、耐久性キみ rJ
える上でもよい機会となろう。
のを組み合わせて部位を構成し、その構成要素ごとに
の大きな特徴であった。集合住宅のシェルタ!として
いが、単なる形態操作は本当の街並づくりにはならな
更新を行なう考え方に移行するべきである。
の、適切な屋根構法を見出していく必要があろう。屋
いう、ただそれだけの理由だそうである口
観としているものが多い。それに意味がないことはな
維持保全や改修にあたって大きな問題となる陸屋根
も集合住宅の歴史が短い国である。その点では、北米
が必要である。質の高い住宅を長期にわたって使用し
の防水も、同様な問題である。防水胞の耐久性は、鉄
一歩である。
根防水と娠体とを分割して考えてみることが、その第
ていこうとするならば、バルコニーや屋根スラブにみ
筋コンクリートの躯体より明らかに短いから、その改
れは問題外であろう。ところで、近代建築の象徴とし
根は、アスファルト防水がなされていなかったが、こ
件の結果と言えよう。もっとも、初期の公団住宅の屋
ァルト妨水が一般化した後であるという、時間的な条
い。これも、日本における集合住宅の導入が、アスフ
ルなどと異なり、様々な障害を解決しなくてはならな
合住宅で実際に改修工事を行なう場合には、事務所ビ
いわゆる鉄賃アパートが、日本の集合住宅のもう一つ
貸アパート)に替わる、鉄骨系ブレフアブのアパート、
つの原因であろう。ところで、木賃アパート(木造賃
部の構法に関する検討を深めることができなかった一
るという社会の経験がなかったことが、集合住宅の各
まう一因となったと述べた。他の構造で集合住宅を造
ドバックを経ていない構法で集合住宅を伺組み上げてし
ト造が存在していたことが、時間の経過によるフィー
集合住宅の建設を始めた時に、既に鉄筋コンクリー
いる(図!1)。 建 設
備配管を組み込んで
躯体の中に平気で設
えるため、北米では
な加工も容易に行な
は現場でのどのよう
l パイフォ!の躯体
イクルをあまり経ていない物ばかりである。事実、ツ
の木造集合住宅は、時間をかけたフィードバックのサ
20 アメリカ
修は予め当然考えられなくてはならない。しかし、集
ニズムの成立過程において技術・構法がどのような意
コンドミニアムなど
後に分譲してしまう
て、陸屋根がなぜ建設されるようになったかは、モタ
の姿である。そして、それが小規模な大家の経営であ
では、将来どうなる
り、入居者の回転が早いほど良いという設計条件で構
法が決められているため、皮肉にも結果的に維持管理
のであろう。大きな
いては、ル・コルピュジェが当時の雑誌に書いた興味
がしやすくなっている。この状況は、集合住宅の適切
疑問である。
味を持っていたかを抜きにしては語れない。これにつ
深い話がある
な構、法とその生産組織を構築する妨げにもなっている。
atio簡単に紹介すると、﹁アスファルト防
すれば寒冷地でも﹁すがもれ﹂を紡ぐことができる。
水の技術が信頼のおけるものとなったから、陸屋根に
北米の木造集合住宅の配管例
1
図
建設時には浴室の改装方法などは、まず考えられてい
完結した工事として行なうことは、極めて困難である。
実際に防水工事をやり扶日、えるとなると、一住戸の中で
展を促した。浴室のユニット化は欧州の方が先にスタ
工程管理トしの問題の多さのために、浴室ユニットの発
現場防水の浴室は、主として建設時の施工性の惑さ、
圃浴室の防水
防水技術が一般化した後に導入された日本の集合住
った。これも日本独自のプロセスである。姿求条件の
厳しさが開発を促進させた例であるが、歴史がないた
iト し た に も か か わ ら ず 、 普 及 は 日 本 が 圧 倒 的 に 速 か
めにかえって良い解決策が生まれたと一色一問えよう。配管
り、健康根防水工事の信頼性が高まり、近代建築がそ
の流れの土で建設されるようになってから、集合住宅
ない。今世紀の初頭にアスファルトの入手が容易にな
が日本に導入された。初期の集合住宅として有名な、
のドイツのジl ド ル ン ク な ど の 影 響 も 大 き か っ た の で
あろう。しかし、官民い歴史の中で見れば、これは特異
ニットを作り上げていけば、部分的な更新が可能な集
方法なども含めて、将来の交換が容易なように浴室ユ
宅 は 、 初 め か ら 陸 屋 線 で ス タ ー ト し た 。 一 九 三O年四国(
な現象である。閉じことは、集合住宅の浴室について
学吉武研究室では、﹁各一戸に行水のできるよう水の
公営日 C型 標 準 設 計 の 作 成 に あ た っ て 、 当 時 の 東 京 大
初期に建設された集合住宅の浴室は、現在、維持保
も言うことができる。
しての住宅は長持ちすることになろう。
合住宅となり、一定のコストはかかるものの、総体と
i 。特に、
浴室ユニットは所詮合理化のみを追及した仮の姿で
連続する洗而・洗濯スペースを設けている
あり、リラックスした本米の入浴はできないと言う人
流せる場所が必要であること﹂として、バルコニーと
レベルのシャワースペースが設けられている。もっと
日C型 の 原 案 と な っ た 基 本 設 計 で は 、 バ ル コ ニ ー と 同
もいる。しかし、それはある時期だけに存在した、ある
て、浴室は改善の希望が多い部分であり、かつ工事が
紡水の状況・纏体の状況等の現状の把擦が困難な場合
行ないにくい部分でもある。給排水パイプシャフト・
も、この設計では、水廻り部分は居安部分のまとまり
磁のぜいたくな理想像と比較して一一品っているのである。
全上大きな問題を抱えている。住戸内部の改修に際し
も多く、改修のための設計自体も難しい。壊してみな
寝室の近くで思う存分水をかぶれるという、新しい機
正当な評価であろう。さらに、ユニットはデザイン面
能をリーズナブルなコストで予にしているというのが
とは別に設けられていて、多少の漏水はよしとしたの
住宅公団が発足した時には、公営住宅より水準を上
でも機能面でも、寄り道はしているものの、確実に進
いと現状が把握できず、そのために正確な見絞りもで
げるために風呂場を設置することにしたと言われてい
歩している。これは、部口開化することによって、その
かもしれない。
る。浴室を住一戸内に設けたいという要望が起きたとき、
きない。しかも、このような浴室は日本の集合住宅の
異なることは、よく知られていることであり、日本で
すでに技術的に防水が可能になっており、その結果、
一つの特徴である。入浴の仕方がヨーロッパと日本で
は洗い場の完全な防水が必要である。そして、それが
一つの手段であるときってもよい。大切なのは、将来
浴室の作り方の大きな違いとなっている。また、浴室・
の取り答、ぇ等を前提とした部品の開発であり、また、
ることによっている。歴史のなさの弱点をカバーする
の浴室は、湯はパス夕、フの中だけ用いるのであり、浴
え て み れ ば 、 緩 め て ぜ い た く な 訟 で あ る 。 ヨi ロッパ
部分の生産・設計のフィードバックのサイクルが早ま
ところで、都市の住宅として上下に重なって住むと
それを考慮した住戸の設計である。
ル方式という防水が採用されたこともある。これは考
いう歴史と、その山中で床をどのようにして作ってきた
槽の外はそれほど完墜な防水は必要ない。日本の一一戸
後 で 述 べ る よ う に 、 セ ン チ ュ リi ハウジングシステ
現場での防水工事が行なわれたわけである。パンパネ
かということが、集合住宅の歴史の技術的な大きなポ
建て住宅でも、つい最近までは、内風呂の場合でも沫
ムの開発では、この点をかなり重視してシステムが構
とも大きな遠いである。
イントであったことは言うまでもない。浴室について
った。日本の集合住宅だけが、完壊な妨水の上に成り
は土問であり、それほど完全な紡水は要求していなか
便 所 な ど の サ ニ タ リl部 分 が 寝 室 に 付 随 し て い な い こ
考えて見ると、特にこの問題が重要であったことが判
この開発研究の時に、浴室ユニットの耐久性をどのよ
ターフェイスの条件を整壊することが行なわれている。
うに設定したら良いかが議論されたので、簡単に紹介
築された。特に、他の建築構成材(部品群)とのイン
合住宅に、長期間の耐久性を婆求しようというのは、
立っているのである。そのようなものを取り込んだ集
住宅の浴室は、現場で防水を行なっているものが多い。
極めて厳しい設計条件であると一一一一悶える。
る。現在、わが国で維持保全上問題となっている集合
ているから、やり答、えるのが当たり前である。しかし、
防水は鉄筋コンクリートの躯体とは耐久年数が異なっ
球の限られた資源は有効に使うべきであるから、耐久
何年か毎に取り替、えてもよいであろう。もちろん、地
毎日のように使うもので、自動車より安いのであれば、
時、自動車は平均六年くらいで乗り換えられていた。
く設定すべきで、八年くらいで良いと考えていた。当
O 年はもって欲しいという考、えである。もっともな
ニ
一
意見であるが、私は異なった考えであった。むしろ短
CHSは耐周年数の長い住宅を目指すのであるから、
きだという意見が開かれた。浴室は重要な部位であり、
の耐久性(後で述べる耐周年数の型)を長く設定すべ
したい。開発に携わった委員の中には、浴室ユニット
り円十く到達するであろう。また、新しい技術・機能の
が早まり、改良が促進され、ありうべき姿の構法によ
短くすれば、その部分でのフィードバックのサイクル
分け、部分的に部品・部材の交換や補修のサイクルを
大きな問題である。集合住宅全体をいくつかの部分に
とになる。集合住宅の後進国である日本では、これは
なおさらその傾向が強くなるというジレンマに陥るこ
べて、特にその傾向が強い。長持ちさせようとすれば、
宅の設計・娃設のプロセスは、プレハブ住宅などに比
者)にフィードバックされる機会が多くない。集合住
の問題の顕在化のスピードが鈍く、特に生産者(設計
機能が取捨選択され、一部が不可欠な設備となること
見られることも多い HA- ホームオートメーションも、
しばらくは続くであろう。現在はその効用が懐疑的に
もよいのではないだろうか。そして、この傾向は今後
ードは他の先進国に比較し、群を抜いていると一言って
設備機能の高度化に閲して言うと、日本におけるスピ
ール技術なども飛躍的に進歩している。住宅における
給湯設備などに閲しては小型化が進み、温度コントロ
気・空洞を組み込んだ集合住宅も現われ始めている。
よるものは徐々に一般化し、史に、ダクトを用いた換
ていた。しかし、その冷暖房についても、倒別機器に
のは、生産の場である事務所建築に比べてかなり遅れ
住宅に設備として一般に取り入れられるようになった
は間違いないであろう。電気配線の量もかなり増えて
導入も容易に行なわれるであろう。このような部分が、
きたが、今後ますます増大すると忍われる。
維持保全を担う組織と対応する形で構築されることが
望ましく、そのような建物の部分のあり方は、ビルデ
てみた場合、その製品の交換サイクルが短いことによ
ィングサブシステムという概念でとらえる、﹂とができる。
性は長いほど良いのは確かである。しかし、成業とし
るメリットは大きい。特に浴室ユニットは、まだ完成
問題は、これらの設備のお度化・変化が急激である
ため、設備機器の維持管理のシステムが構築されてい
ままの形で一二O年も使わなくてはならないとしたら、
対する逃皮ともいえる要求が新しい技術を生み出して
一国であったと述べたが、このことは、住宅の機能に
室ユニットという住宅の部品化・工業化を促進させた
日本における浴室の構成が特殊であったことが、浴
を貫通する大きなダクトを設けて、そこに排気をする
例えば、集合住宅の排気の方法についてみると、建物
剖だけみても、集合住宅の設備に関する変化は激しい。
題であろうが、ここでは触れないでおこう。技術的な
い方と設備・装置のバランスがとれていないことも問
しているようにみられることである。もちろん、住ま
ないことと、古いレベルの設備を備えた住宅が陳腐化
その住宅は一一一O年 後 に は か な り 陳 腐 化 し て し ま う で あ
きた一例といえよう。また、そのようにして生み出さ
置設備の変化への対蕗
された部品とは一一一一口い難い。自動車と比べても、製品の
ジ ン グ シ ス テ ム の 研 究 が 始 め ら れ た の は 一 九 八O年 頃
改良は年々急速に進められている。センチュリ!ハウ
で、その八年前の浴室ユニットは、当時既に陳腐化し
ろう。安定した構法が得られるまで、部分的に耐久性
れた機能が、場合によっては必要以上の機能であって
て い た 。 ま た 、 一 九 八O 年 頭 の 浴 室 ユ ニ ッ ト を 、 そ の
を短く設定することは、資源問題からは解決すべき課
ものでも、独立した設備機器として採用されるように
化し、給気を組み込んだ換気システムのような複雑な
題の多い方法であるが、改且艮を促進するには有効な子
からは、非難を受けたり見直しを迫られることが多い
なってきている。ここで問題となるのは、新しい方式は機
が試みられたが、現在は個別機器の導入で考え方が変
が、日本における技術進歩の典型的な側同であること
械は複雑でも考え方としては単純であり、過去の方式は、
というような、住宅全体の設計を工夫する様々な方式
を 長 ら え る は ず で あ る と い うC H Sの考え方を明般に
は否定できない。特に設備機器のように、集合住宅の
も、さらに新たな要求を呼び起こすという彼環を起こ
する上でも、浴室ユニットの耐用年数型は、短く設定し、
中でも機能が明確な部分については、この傾向がはっ
工夫を凝らした分だけ維持管理は難しく、新しいもの
している。このような傾向は、住宅の研究者や建築家
交換を前提として設計すべきであると考えたのである。
きりしている。もっとも、冷暖房を例にとれば、集合
ターフェイスのチェックが総体としての住宅の耐用年数
住宅は、附久消費材に比べ、使用者による資い替え
段である。また、後で述べるように、設計段階でのイン
(建て替え)のスパンが長い。そのため、製品として
で蒋ぴ述べるが、﹁上手い設計﹂ほど維持管理・保会上
に替えにくいという点である。これについては、立節
は、逆説的であるが、この仕組みがある程度は機能し
建築家が、デザインが惑いと非難しているという状況
の表直構成材という、内装のための部材が用いられて
12)。畳敷
の構法によって間取りを構成していた(図
たやを、柱と内法材に襖の組み合せという、一戸建て住宅
いることは、日本の集合住宅の特徴であろう。そして、
きの部屋に押入れという標準設計であるが、綴体以外
この内装は、大工という一戸建て住宅の生産組織の職種
いては住宅用の部品のあり方が、集合住宅用と一戸建て
によって作られていた。このような住宅の内装は、限
ている託左でもある。この観点から見ても、日本にお
これも日本の集合住宅の大きな特徴であろう。そして、
住宅用とに大きく二分されていると言うことができる。
られた面積という決定的な制約はあるものの、作られ
問題となる危険性が高いということは、住宅の設計者・
を得るためには、設計が一般的であることが望ましく、
それが、集合住宅の維持管理の点でも、大きな障害と
開発者は常に認識しておく必要がある。長期の耐用性
オープン化された構法・部品の利用が効果的である。
なっていると一否問えよう。
住宅部品のオープン化・設備の互換性の向上が叫ば
ブシステム分部がなされ、新しい部品・設備を取り込
日本の一戸建て住宅、特に木造輪組構法は、適切なサ
修が比較的容易であった。これに比べ、現在の集合住
方、物理的な仕組みが理解されやすく、維持管理や改
れるようになって久しい。そして、一戸建て住宅の分野
ついて言えば、部品・設備の互換性は低いままに放寵
ではそれが確実に遂行している。しかし、集合住宅に
るが、集合住宅としての構法が確立し、組織が専門化
宅の内装工事は、職種としては大工による木工事であ
切れてしまっている。
され、一戸建て住宅との聞で生産組織としての連続性が
むにはうまい仕組みが構築されている。この仕組みを
合住宅は、ヨーロッパの住宅などと比べても、設俄の
集合住宅の建設にも活かすことができれば、口 u本 の 集
変化へ対応しやすいものとなれるであろう。部品・ビ
での部品の取り替えの可能性は大幅に狭められている
のが現状である。その結果、集合伎宅の設備聞での棟
されていると一一一一口わざるを得ない。特に、時間を経た後
腐化は、解消が困難な大きな問題となっている。その
る割合が増え、そのことも内装工事の一戸建て住宅との
設構造の躯体では、内部の壁面における犠体獲の占め
一方、住戸面積の拡大に伴い、一室の面積も増大し、
ルディングサブシステムの共通化が、その一つの鍵である。
置集合住宅のプランニングと構法
解決を狙って、センチュリi ハウジングシステムを始
めとして、将来の部品交換を想定した設計手法が数多
く提案されている。しかし、理論的に望ましい建設手
日本の集合住宅は、プランニングや内装の作り方の
し 、 高 層 住 宅 で の 校 梁 構 造 の 採 用 と 、 フ ロ ン テl ジセ
共通性を減少させることになったと考、えられる。しか
のような考え方が急速に広まることは望みにくい。ラ
間仕切りが多用される住宅が培、ぇ、間取りの概念がか
イビングを絶対条件としたプランニングの結果、内装
法であっても、現在の住宅供給の仕組みの中では、そ
の住宅公団などの集合住宅は、一つの部屋の耐綴が狭
!3)。さらに、鉄筋コンクリl
なり変化してきた(図
点からは、一戸建て住宅との共通性をもっている。初期
R C造の躯体で屈まれ
して設計した建物の、経年後のメリットを数量化する
かったことが主悶であろうが、
イフサイクルコストなど、維持保全のしやすさを考慮
は至っていない。
試みも行なわれているが、広範な説得力を持つまでに
公団筑波さくら臨地
部品の互換性の高い建設方式が一般化していくプロ
セスの中で、重要な役割を果たすのは、部品・設備の
の意士山決定にどのように反映されるかという仕組みで
最終利用者の婆求が、生産者・設計者(部品の選択者)
ある。集合住宅の場合には、この仕組みがほとんどと
一言ってよいほど機能していない。一戸建て住宅の場合で
3 CHS住宅
図
もうまく機能しているとは一一一日い難いが、多量に販売さ
れている商品化された住宅部品について、ほとんどの
[@-2 公営伎宅 5
1C型
非構造部材の外周壁を設ける集合住宅も増えつつある。
ト躯体の型枠工事費の高騰が、構造組体を変化させ、
は、木造と非木造との区分からの流れとして、住み分
しかし、住宅の新築工事に関して言えば、二つの領域
進出していくこともあり、明確な区分は不可能である。
日本の諮負業の特徴のひとつとして、建設会社と施
ずであり、将来の展望は必ずしも明るいものではない。
うであるが、工事規模のわりに間接費が多くかかるは
結果として、躯体で固まれた部分の面積の単位が大き
宅、特に分譲マンションの場合には、個人の要求レベ
住宅でも大規模建築でも同様である。しかし、集合住
ることを前提として成り立っていた。これは、戸建て
主との関係は、維持保全に関し、ある程度の面倒を見
していることは望ましい面が多い。臼本の住宅の建設
新築工事だけを考えれば、建設の仕組みが複数並立
けがきれいに行なわれていると一言ってよいであろう。
量と集積度は、十分それを可能にしており、集合住宅
ルに建設会社が対応することは不可能である。設計者・
40
ヨーロッパにおける、可変性や多様化をねらった実
建築家がその仲介を勤めるべきであるという考え方も
の画一化が進んできている日
くなり、日本の集合住宅の内装は、かなり特殊な形で
験的な集合住宅のプロジェクトに、日本のマンションの
の生産組織と一戸建て住宅の生産組織とが異なっている
のは、住宅全体から見れば部分的なものであり、全体
あるが、疑問である。維持保全や改修工事といったも
ことは、あまり問題が鉱山い。しかし、維持保全をサポ
ートする体制を考えると、両者が異なっていることに
現在の集合住宅の内装を、その生産の仕組みと維持
よるデメリットは、かなりあると言えよう。戸建て住
間取りに近いものが見られるが、おもしろい現象である。
ステムとして育てることができれば、躯体とは異なっ
管理の仕組みとを統合して一つのビルディングサブシ
宅の、一戸建て住宅と集合住宅の比率、例えば、ある時
の仕組みができていた。畳屋・経師康・建具屋・瓦屋・
うに、戸建て住宅の建設を担う町場の住宅生産ではそ
るものがその業を担うべきであろう。よく一言われるよ
としての調繋機能がそれほど求められないのであれば、
点での築後一 O年 の 住 宅 の 両 者 の 比 率 も 、 時 を 絞 る に
建築家ではなく、実際に生産したり施工する立場にあ
内装工事の合理化はかなり遅れていると一一員わざるをえ
したがい、常に違った値に変動することになる。築後
その結果として、維持保全をすべき一定期間を経た住
ない。しかし、躯体と切り離すことができるという特
は崩れてきているが、この保全の仕組みに替わるもの
水道屋と呼ばれる職種である。現在、このような組織
宅と集合住宅の新築の比率は、変化し統けているが、
徴を、短い耐周年数を設定することにより、フィiドパッ
る。両者のストックの比率が、経年数によって異なっ
二O年・一二O年 の 住 宅 の 割 合 は ま た 異 な っ た も の と な
の形態を作りだすことが可能なはずである。現状では、
クによる改良を速める方向に活かす、﹂とができれば、
た耐用年数の部分が独立して成立し、優れた集合住宅
住宅金体の棟腐化を遅らせることが可能である。その
る維持保全の仕組みをもった、様々なサブシステムが
はないだろうか。日本の木造軸組構法は、世界に誇れ
の一つは、取付けを含む販売体制を組織化した部品メ
る。ニュ!?タウンのように、計閥的に建設された集合
ーカーであろう。その部品が、一戸建て住宅と集合住宅
住宅地にも、地域に根世一括した生産組織は成り立たない
そのシステムを発展させることによってこそ、適切な
統合されたすばらしいシステムズビルディングである。
いく過程が、ゆっくりとした侵食のようなものである
日本の住宅の生産組織は、戸建て住宅のための組織
が、そのような住宅に対する維持保全・改修の仕組み
ていることと、戸建て住宅地に集合住宅が建設されて
とR C造などの集合住宅のための組織とに分かれてい
は、別な形で成立しうるし、公共住宅では、一応組織
ためには、様々な段階でのまとまった需要が必要である。
る。主として一戸建て住宅は大工・工務腐などが町場の
に共通であり、同じ子で交換・取付けが可能であれば、
組織として対応し、集合住宅はゼネコンが建設に当た
が形成されている。しかし、居住者の自由な要求に支
今後数十年間の両者の比率の変化にも対応できるので
っている。もちろん新しい構法の開発に伴って、組織
えられた競争が成り立ちにくいという問題を含んでいる。
とで異なっている部分については、一一つのシステムが
ことから、地域におけるメンテナンス組織が、なしく
が新たに編成される場合もあるが、プレハブ住宅の建
一般のマンションでは、個人レベルの保全・改修に対
建設会社の仕事の対象であろう。しかし、すでに述
存在する必要がある。住棟単位の計画的な修繕などは、
ずし的に機能しにくくなってきていることが問題であ
設などは前者の組織が再編成されていると考えてよい
ンリフォーム﹂と称する産業が成立しつつあるかのよ
応する組織は整備されているとは呈一口い難い。﹁マンショ
ヨ住宅の生産組織と保全組織
であろう。また、鉄骨ALC建 築 な ど の よ う に 、 町 場
もちろん、維持保全の対象が一戸建て住宅と集合住宅
保全組織が手に入れられるはずである。
的な仕事を行なっていた組織が、ゼネコン的な仕事に
が、もっとも効率的な維持管理を可能にするはずであ
べたように、個々の居住者の婆望に答える組織の構築
受け止めているようである。そして、現在のブレフア
れることが多い。しかし、一般の人は、当然のことと
異なる生産供給形態の競争の中から、長期の耐用性を
れるようになると、そのもたらす影響も無筏できない。
ずである。また、三階建以上の木造共同住宅が建設さ
ことは、十分期待できよう。もっとも、ハウスメーカ
持たせた集合住宅が、道別化の一手段として出て来る
i による集合住宅でも、規模が大きくなると、メーカ
ブ住宅は、建設後の施、王の満足度がかなり高いものと
口が明確になっているという安心感が含まれていよう。
なっている。その中には、維持保全に関する注文の窓
メンテナンスや改修の仕事は、住宅メl カi にとって
の仕組み・構法が理解されていることが重要ではない
だろうか。伝統的な木造軸組構法は、居住者にその仕
る。そのためのもう一つの前提として、居住者に住一戸
組みが把握されていた。初期の集合住宅も同様であっ
ヵーへの支任・役割分散が始まる可能性がある。やは
で は な い だ ろ う か 。 部 品 メ ー カ ー ・ サ ブ シ ス テ ム メi
り、部分の更新が容易な住宅の構法や生産組織のあり
ーが全体の保証体制を維持することができなくなるの
の経験が、生産設計に反映されるという仕組みがあり、
であろう。しかし、ブレフアブ住宅では、補修や改修
構法が改良され続けている関は、メーカーが担当する
も、経費がかかり面倒臭く、、 7まい商売とはならない
例えば、プラスターボlドの一般化に伴い、間仕切り
方が追求されることになろう。
せよ、住宅の構法もブラックボックス化し始めている。
壁も大援となり、その構法の内容は居住者にはブラッ
いが、その場合でも、ハウスメiカiは、生産者が入居者と
という仕組みは適切である。代理府を介する場合も多
たろう。それが、他の工業製品の分野ほどではないに
クボックスとなっている。現実に、マンションの内装
体となって進めたプロジェクトで、住宅に長期にわた
センチュリl ハウジングシステムとは、建設省が、五
圏センチュリヌiハウジングシステム
パートと呼ばれる住宅は、居住者の-要望が生産者側に
耐用性の短さは、問題とされてもよい。特に、鉄賃ア
る耐用性を持たせるためには、どのような作り方をす
もちろん、現在の一戸建てプレフアブ住宅の耐久性や
結び付いているという点で評価されるべきであろう。
間仕切りに軽量鉄骨下地が用いられることがあるが、
居住者は、壁の中が木であるのか鉄であるのかを知ら
まま交換できるものであれば、その中身はどうでも良
反映されないという問題を抱えている。アパ iトの経
されていない。それが工業製品の部品であって、その
いのかもしれないが、現状の集合住宅の内装の場合は
プレファブ住宅の場合も、ブラックボックスとなっ
住者にとってみれば許しがたい条件さえある。なんら
営上からは、入局者の回転が速いほど臭いという、成
ロジェクトの一つとして、一九八O年に(財)住宅部品
っこのプロジェクトは、建設省の住機能高度化推進プ
べきかという研究開発である。 C H Sという略称を持
問題である。
ている点では同じである。しかし、改修を依頼する相
開発センター(当時・現在のベタi リビング)に研究
れた。後に住宅金融公庫の割増融資制度と連動して、
委員会(内田祥哉委員長)が設置され、研究が始めら
かの保護策が必要なところであろう。しかし、住戸の
家との一対一の対応で、話が済むからである。住宅の
維 持 保 全 は 、 あ る 意 味 で は 容 易 で あ る 。 メ ー カiと大
性能向上については、入居者による選別が行なわれれ
ションの供給者が窓口になれるのであればよいが、実
際の生産者でないため限界があろう。とすると、住宅
手が明確になっていることが大きな遠いである。マン
を構成する要素が、適切に分割され、それぞれが、適
ステムの認定が制度化されている。この制度は戸建て
住宅も対象としたものとなっているが、研究の開始当
(財)ベタi リビングによる具体的なプロジェクトやシ
最近、中層集合住宅の分野へ、新しい生産主体とし
初は、ターゲットを集合住宅に置いていた。研究の対
いる効果が発揮されることになろう。
てハウスメi カi が 燥 ん に 進 出 し よ う と し て い る 。 賃
象は広範囲にわたるもので、部屋ごとの必要床爾積の
ば、差別化の努力が始まり、設計と生産が結び付いて
貸アパ iト の 大 型 化 が 主 た る 狙 い で あ ろ う 。 こ の 場 合
算定など、新しい居住水準の設定を試みている。建築
切な生産施工と保全改修の叩組織と対応するビルディン
JU
、維持保全の仕組みとしては明快である。住宅金体
計関学の分野のスタディーにもカが入れられたプロジ
ことができる。
の商品化が進められ、性能等も把握されやすくなる。
ェクトである。
グサブシステムとなっていることが必要であると一言う
一戸建て住宅の分野では、住宅の商品化が急速に進ん
現在の中高層集合住宅の供給に与える影響も大きいは
ー住宅の工業化・商品化と
匝メンテナンスの担い手
でいる。この現象も研究者や建築{永からは目の敵にさ
nHU
ハhu
耐用性が確保されるはずであるということが確認され
交換を行ないやすくすることによって、住戸の長期の
そのなかで、建築の部分的な更新、特に住宅部品の
iデイネ│シヨンという概念も魅力を失っているかのよ
コ
しいと考える設計者の方が多いであろう。モデュラ!・
建設時について言えば、寸法の白山間度が高い方が望ま
え方の共通項を見出すことは、有効な手段の一つであ
センチュリ│ハウジングシステムでは、そのための
づ令。
自由な寸法の部品を生産するための、情報伝達の組
せることを碁本としているが、その中に造る内装一間仕
系の集合住宅の抑制体の寸法は、内法をグリッドに合わ
一つの考え方を示すことを試みた。具体的には、 R C
織整備や、設計をサポートするための間接的なコスト、
うに見える。しかし、それで本当に良いのだろうか。
し、そのための建設手法を探求するために様々な検討
た。筆者は研究委員会の委員の一人として開発に参加
を行なった。委員会による研究の成果は、 CHSのシ
一
O 聞のグリッドに心押さえという標準的な一戸建て住
切等は、一二OOl九O O 叩系列のグリッドに対し、心
宅との間で部品の共通化をはかっている。寸法の押さ
押さえで配列することを原則としている。そして、九
のための組織の整備・システムの構築が可能であるか
との問でバランスするかもしれない。しかし、修繕時
口聞の寸法の有効な一つのタイプとされている。
え 方 に よ っ て 部 品 を タ イ プ 分 け し 、 一 五O m×N が部
いえば、寸法の制約からのがれることによるメリット
一戸内部の可変性、部品に互換性を与えるための寸法に
というと疑問と言わざるをえない。部品の炎換を例に
生産設備のための投資などは、建設時のことに限って
関 す る ル ー ル ( い わ ゆ る モ テ ュ ラl ・
コ l ディネi シ
とれば、その建物が新築された時期からの経過年数、
ックとしてまとめられた。そこで一不された方針は、住
ヨンの考え方)などを含んでいるが、部分の更新を考
ステムルールやコーディネーションのためのガイドブ
慮した設計手法の提案として特筆すべきことは、イン
すなわち交換時の部品の古さが、対象とする改修工事
せることを基本としているが、木造等の一戸建住宅につ
寸法は、 R C系 の 援 に 関 し て は 内 法 を グ リ ッ ド に 合 わ
のタイプに分けて考、えることを提案している。躯体の
とともに、部品の寸法の押さえ方について、いくつか
寸法に関しては、躯体の寸法の押さえ方を叩提案する
度限定されていた方が居住者にとって望ましいはずで
ては成り立たない。となると、部品の寸法は、ある程
がどうしても小口になってしまう改修工事の方法とし
設計をはじめとする間抜的な仕事が複雑になり、仕事
生産を自由な寸法で行なう仕組みを動かそうとすると、
ごとに異なっている。それらに対応するように、部品の
も そ も 、 部 品 の 寸 法 調 授 は 、 ト ッ プ ダ ウ ン の ル l ル先
え方は、急速に普及しているとはみられていない。そ
られている。しかし、残念ながら、これらの寸法の考
浴室ユニットの寸法条件を明示して、部品開発が試み
及のための努力がなされている。また、 CHS対応の
の内装システムの寸法条件をこれに合わせるなどの普
ベ タ ! リ ビ ン グ に よ っ て 、 優 良 住 宅 部 品 (BL部品)
これらの寸法の考え方は、 CHSを推進している(財)
タ ー フ ェ イ ス に 関 す る ルi ルの策定であろう。
いては、壁の心をグリッドに合わせることを、玉体に考
ム化された寸法体系が機能しているのである。ブレフ
ある。そしてなによりも、戸建て住宅の分野ではシステ
導型ではうまく機能しない性質のものであろう。一五
て住宅と中高層集合住宅とで寸法などを共通にするこ
えている。そして、継体以外の部品については、戸建
ョンを行なうべきであるという考、ぇ方が確立されてい
て 一 定 の 調 整 を 行 な い 、 モ デ ュ ラl ・コーディネーシ
部品の互換性を高めるためには、部口聞の寸法に関し
大きな意味がある。集会住宅用に開発されたステンレ
用の部品と戸建て住宅用の部品を共退化することには
集合住宅の比率は、常に変化し続けるから、集合住宅
既に述べたように、改修の対象となる戸建て住宅と
れ る 部 品 は 、 そ の 後 、 一 五O mの 倍 数 系 列 の 寸 法 の も
あげていないようにも見えるが、住宅の内部に問いら
れている。これらも、誘導型としては際立った成果を
に よ る 総 合 実 験 住 宅 計 画 、 い わ ゆ るKE?などで示さ
ころとしては、一九七四年に始められた日本住宅公団
な考え方として用いられており、部品の寸法のよりど
共 住 宅 用 の 大 型P C版 構 法 の 標 準 設 計 ) 等 で も 基 本 的
omを碁本とする寸法調整は、一九七O年のSPH(公
た。一方で、最近は、 CAD-CAMなど、コンピュ
ス流し台が一戸建て住宅にも広まったように、両者にそ
アブ住宅も、当初は様々な寸法体系のものがあったが、
ーターを利用した設計・生産が行なわれるようになっ
れほどの機能の差があるわけではない。もちろん、集
のを用意するメーカーが増えてきた。洗面化粧台や台
現在は在来木造に共通するものが多くなっている。
ているから、部品の寸法はどうでも良いという考え方
合住宅用の部品と戸建て住宅用の部品の共通化には、
所用機器類がその例である。キッチンユニットの流し
とができるようルールを設定したことが、 CHSの特
もある。実際に、情報伝達のシステムが整備され、部
様々な条件整備が必要である。その中で、す法調援のが J
徴であろう。
品製造の商からの寸法の制約は低下している。住宅の
ー
ρhu
建築構成材の更新の頻度は、住まい方・居住者の要求
品群の実際の耐用年数を代表するとは一言えない。部品・
このようにして定めた耐用年数の型は、必ずしも部
このインターフェイスマップというものは、住戸の
が提案されている。
は、インタi フ ェ イ ス マ ッ プ の チ ェ ッ ク と い う 仕 組 み
る 。 そ の た め に 、 セ ン チ ュ リl ハウジングシステムで
の長い試行錯誤の過程を、かなり短縮できるはずであ
によって大きく異なるのが現実である。例えば、可動
建設に用いられる部品群をリストアップし、それらを
しでも、短めの耐用年数の裂を充てることとされた円、
八二O 附の心々の壁の内法に納めようとして定めた寸
法 で あ ろ う 。 そ れ が 、 一 五O 聞の倍数の一六五O mに
縦軸と機材料に同じものを並べてマトリックスを構成し
の 大 型 の も の は 、 当 時 は 一 七OOmのものを用意する
変わった時期がある。尺・寸の寸法体系の木造軸組とい
で 佼 置 を 変 更 す る 場 合 も あ ろ う し 、 ニ0年 間 そ の ま ま
間仕切の耐用年数の裂を八年と定めたとしても、一一一年
メーカーが多かった。戸建て住宅の一問、すなわち一
CHSでもこの
う纏体の中に、剛単位の工業化された部品を組み込む
入れる集合住宅の部品の寸法と、一戸建て住宅の部品の
内 法 寸 法 を メ ー ト ル 法 で 押 さ え たR C誌 の 緩 体 の 中 に
考え方を導入していると一一一日うことができる。すなわち、
新が行なわれる可能性が高いというよりも、設計段階
型の設定を行なったのは、その通りに部品・部材の更
l ハウジングシステムで敢えてこのような刷周年数の
使用する場合もあろう。にもかかわらず、センチュリ
の部品群を物理的に破壊しないでも工事が可能かどう
の方の修期了更新にあたって、長く設定されている側
年数の裂の関係を比較し、短く設定されている部品群
異なる部品群潤に取り合いが生じる場合、一一者の耐周
ぞれ耐周年数の型が設定される。この表に基づいて、
たものである。リストアップされた部品群には、それ
考え方として巧妙なシステムである。
寸 法 と は 、 一 五O mゐ乞単伎として共通化が図れるとい
のチェックを行なうためという意味合いが強い。
で部品群どおしの取り合いが適切に行なわれているか
この考え方は、まず適切なものと考えてよいであろ
う考え方である。
いう仕組みである。ごく単純な作業であるが、実行し
浴室ユニットとそれに接続された配管類、その周囲の
か、部品交換が行なえるかどうかをチェックしようと
ある。この条件が満足されていない修繕工事は、必要
間仕切り壁、霞き床と呼ばれる脱衣・洗面室の床下地
ところで、建築の部位・構成材の維持保全・修理更
以上に大がかりなものとなってしまう。そして、現実
などの異なる部品群が、どのような耐用年数を想定し
新にあたって、もっともポイントとなるのは、その仕
に建設・供給されている集合住宅がこのようなことを
て設計されているかというと、どのように考えてもつ
してくれる人がいる。ただし、部品の寸法は自然に共
考慮して設計・生産されているかというと、ほとんど
じつまの合わない約まりになっているというのが現実
う 。 海 外 の 研 究 者 に も 一 五O mと い う 単 位 に 賛 意 を 示
されていないというのが実態である。集合住宅の購入
マップの例を示す。
の集合住宅なのである。函
℃みると、一般的な設計の集合住宅では意外に問題とな
には、やはり時間がかかるのかもしれない。ただ、そ
者・入居者は、将来の維持管理が行ないやすい構造で
すべての取り合い(インターフェイス)において、
る取り合いが多いことに気付くわけである。例えば、
のための努力は常に続けている必要があろう。
建設されているかどうかということに関しては、ほと
耐周年数の型の長い方の部材が短い方の部材に対して
その仕事が他の部分から独立して行なえるかどうかで
センチュリi ハウジングシステムでは、住一戸を構成
んど無関心であり、供給者側の関心も供給時の生産の
事を担当する職種が独立して存在しているかどうかと、
する同種類の部品(部品群・ビルディングサブシステ
合理化に集中しているため、設計時にそのような考慮
はないようである。優れた寸法体系が構築されるため
ムと考えてよい)ごとに、耐用年数の型を設定してい
はそのようなことはあり、えない。逆に納めざるをえな
勝って納まっているというのが理想であるが、実際に
通化されていくもので、規格等によって決めるもので
る。ここでいう耐用年数とは、単なる物理的な耐久性
いうものの歴史の浅い、日本の過渡期の問題であると
を求めるのは無理とも言えよう。これを、集合住宅と
い場所において、改修時のための配慮がなされている
閣インターフェイスに関するルiル
だけではなく、例えば間間取りの変更要求に対応して間
かをチェックしようというわけである。
4 に、インターフェイス
仕切りを移設する可能性があるとすれば、その頻度を
かな工夫と努力で先に述べた条件を満たすことができ
するのは、一つの消極的な見方である。しかし、わず
この仕組みは、集合住宅の設計段階で、住宅の総合
設定し、それを耐用年数に震き換えたものを合んでい
れば、適切な集合住宅の建設方式を獲得していくため
る。また、壁紙のように、物理的耐用年数がくる以前
に、居住者の要求で更新することが予測される物に関
絞って考えても、住宅の評価というものはもっと総合
住宅という訳でもない。耐久性・耐周年数の点だけに
チェックの結巣としての矛盾点が少ない住宅ほど良い
しかし、当然ながら、このインターフェイスマップの
かを探るためには、極めて有効であると考えられる。
的な刷周年数を高めるためにどのような配慮をすべき
ら、よほどのインセンティブがないと実行されない。
うなチェックは、余分な設計作業を強いる訳であるか
れてしまうのは避けられないことと言えよう。このよ
制度化されるも内の常として、当初の狙いから多少ず
グシステムの運用は、もともと難しい諜題を抱えており、
な っ て し ま う 。 そ の 意 味 で は 、 セ ン チ ュ リi ハウジン
することがチェック作業の目的となり、評側の対象と
ば、そして、資源問題等を真剣に考えれば、部分的な
社会ストックを形成することが求められているとすれ
することになるという自己矛腐を抱えている。良質の
短くしようとすれば、住宅金体の耐周年数を短く設定
にしていることは明らかである。そして、サイクルを
まうことが、集合住宅の維持保全・改修を難しいもの
設計へのフィードバックのサイクルが長くなってし
厨レ
な感がしないでもないが、実際に建築構成材・部品が
六O年型が⋮ 0 0年までというのは、多少こじつけ的
けである。
リーすなわち一世紀の名につながるように設定したわ
っかりしていれば一 O O年 ま で の 幅 と な り 、 セ ン チ ュ
の 幅 、 そ し て 六O年 型 の 躯 体 で あ れ ば 、 維 持 保 全 が し
一二年から二五年の一時三O 年 裂 が 二 五 年 か ら 五O年
方の良さを取り込もうとしたものである。一五年裂が
する意見が委員会で主張され、様々な討議の結果、両
た学齢などに多くみられる年数の単位をとるべきだと
倍数系をとるべきだとする意見と、一一一年、六年といっ
ーズを設定をする場合、二、四、八といった判り易い
いる。このように決めたのは、このような年数のシリ
いは持つであろうという、⋮闘を持たせた設定となって
年は使用でき、メンテナンスを良くすれば一二年くら
数の型が八年型であると一言った場合、それは、最低六
型、六O年 型 の 五 種 類 が 定 め ら れ た 。 そ し て 、 耐 周 年
年数の型として、四年型、八年型、一五年型、一二O年
な お 、 セ ン チ ュ リl ハ ウ ジ ン グ シ ス テ ム で は 、 耐 朋
あると一言ってもよい。
こ れ は 、 仮 想 の フ ィi ド パ ッ ク サ イ ク ル を 廻 す こ と で
的に行なわれるべきものである。もしくは、一許倒とい
× 耐用年数型の i
れ、縦織の部品 1
1
1
ーが、検織の都品若干の交換に際し、破lJlされるもの。
更新がどのように行なわれるべきであるかということ
。縦欄と横欄が~<I) {~う部品群で、検繍の部品群の交換に総し、縦織の部品:f,f に 1M話を与えないもの。
う行為そのものが不可能であると言ってもよいかもし
3てなる jHJjj iF数型を i設定してチエソクを行なうもの。
*I;;J一面;t~liiFで、
。0
10ートドコ1
001キ-1-
41
髭仕上げ
O!
i
-
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笠仕上げ
湯沸器
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を予測する手法は、設計プロセスや構法開発のプロセ
床仕上 1
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天井仕上げ
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号機器
冷暖E
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衛生器具
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良いシステム・考え方であるということは判っていて
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床下地
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表装壁(ユニット)
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01厨居機器
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も、日常的な設計・生産のプロセスの中では、通常の
給湯管
ガス配管
排気ダクトキ
れない。にもかかわらず、このようなしくみが制度化
O ームー ム│¥
スの中で、緩めて重要な意味をもってくると言えよう。
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やり方で行なおうということになりがちである。
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号室装壁 (躯体) 。 。
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天井下地
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湯冷壁
沸暖仕
し、ルールというよケな形で運用されると、それを通過
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Jじ附周年数どうしの部品群の取り合いで、横1
閣の部品 n
干の交換に際し、縦織の部品群が破損されるむの。
ム
A インターフェイスマップの例
密
一取り合いの生じない総み合せ。
どの程度の年数の間使用されるかには大きな隔がある。
ライフサイクルコストの計算のような場合には、この
ェック・耐用性の観点から設計を見直すための道具と
ようなラフな設定では揃いであろうが、取り合いのチ
セ ン チ ュ リi ハ ウ ジ ン グ シ ス テ ム で は 、 イ ン タ ー フ
しては、なかなか優れた区分ではないかと考えている。
ェイスのチェックの対象として、特に設備にかかわる
部品や配管と、他の建築の部伎との関係を重視してい
る。住一戸に関する、いわゆるリフォームの姿求が、設俄・
水廻りに多いこと、そして、現在までの短い日本にお
ける集合住宅の歴史を見ても、設備に関する変化が大
きいこと、更には、今後とも住一戸内の設備の内容に大
きな変化が想定されること等を考えると、当然の、﹂とで
あろう。設備部品の効率のよい更新を行なえるような
設計を工夫すれば、俊一戸の耐用年数はかなり上がるこ
一歩である。配管類に関しては、完全に分離すべきで
とになろう。躯体と設備とを切り離すことが、その第
あろう。配線に関しても、躯体内を通すことは極力避
けるべきである。梁貫通はやむを得ないとしてもスラ
ブへの埋込みは行なうべきではない。ダクト類に関し
ては、梁貫通をせざるを得ないようであるが、できれ
ば避ける、へきであろう。住宅内のダクトの設中肢のされ
方は、最近大きく変化している。当分は変化が続くで
設したCHS住宅のパイプシャフトにおける、縦同日取
り替え時のための予備貫通孔などは、はっきりとした
計鴎に基づいて設計された数少ない例である(図
!5)。
CHSの開発以前か
また、住棟の中に光庭を設け、主要な配管は住戸外の
光庭に設置する設計の考え方は、
ムの開発委長会でも、理想的な考え方の一つとされて
ら 行 な わ れ て い る が 、 セ ン チ ュ リi ハウジングシステ
16)。
いる(毘
固インターフェイスの責任
建築の部品化・トータルシステムの分割を進めると、
部品開の取り合い、すなわちインターフェイスをどの
ように納めるかが問題となる。特に、取り合う部品ど
うしの耐周年数の型が異なる場合、すなわち、どちら
かを先に交換しなくてはならない場合には、インター
い。取り替える部品について、メーカーを変えたい場
フェイスに何らかのルl ル が 定 ま っ て い る と 都 合 が よ
ために推進すべきであるという意見も多い。しかし、
合などはなおさらである。部品の規格・標準化をその
一方で、ルi ル を 決 め る と 、 そ の 部 分 が 悶 定 化 し て し
60
まい、新たな可能性を制限してしまうことが指摘され
のもあるであろう。しかし、そのような意欲的な設計
多い。また、配管工事の躯体からの分離を目指したも
将来の水廻りの変更の自由度を高めようとするものが
給持の フランバリエーションを増やすためであるとか、
材や他の部品との標準的な取り合いは、ある程度決め
ていることが多く、また、取り付ける相手の建築構成
オiブ ン 部 品 に つ い て は 、 寸 法 の シ ス テ ム が 構 築 さ れ
たい。一般に市場に出回る部品、特に一戸建て住宅用の
して無実任になってしまうという問題を強調しておき
フェイスの両側の部口聞が、共にその部分の納まりに対
これに関連して、ルi ル を 決 め る と 、 そ の イ ン タ ー
ているは
え た 設 計 は 、 セ ン チ ュ リl ハウジングシステム以外に
にあっても、具体的に将来どのような設備関係の改修
0
も、実際の集合住宅の建設でも数多く試み叩られている。
が行なわれるかをはっきりとスタディーして設計され
設備の配置・配管の方法等をシステマティックに考
それらの多くは、集合住宅の住一戸の平面計画の中で、
ら れ て い る 。 し か し 、 部 品 の メi カ ー は 、 そ の 部 品 が
水 廻 り の ゾl ン を 設 定 し 、 パ イ プ シ ャ フ ト と の 位 置 関
えたりしたものが多い。そして、それらは、主として供
大阪府住宅供給公社寺図的住宅
たものは少ないようである。大阪府住宅供給公社の建
あろう。回定的に考えるべきでないいちばんの対象で
S
図
係を工夫したり、躯体スラブの作り方を他の部分と変
ふめヲ心。
CHS住宅のパイプシャフトの例
千里いのこ谷住宅
関-6 CHS
住宅のf?
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大阪府住宅供給公社
MW
つ に 、 工 夫 を 凝 ら し た 設 計 は 、 必 ず し も セ ン チ ュ リi
だき、新たな知見を得ることもできたが、その中の⋮
、
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スがある場合でも、次に山氏い替えるまでの照問はかな
YG3νyo
り長くなろう。部品を更新しやすくするためにはどう
一
一
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一
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一
一
一
一
一
一
めるような形に工夫するものである。商品としての部
採用されるためには、取り合い部分を自分の責任で納
ハウジングシステムの本来の目的にかなうとは限らな
セ ン チ ュ リi ハウジングシステムのような場合でも、
籾みを考える必要がある。もし、それが不可能であれ
カi が 用 意 し な く て は な ら な く な る よ う な 、 う ま い 仕
な厳しい条件のもとで設計されているから、工夫を凝
説である。現在の集合住宅は、ほとんどの場合、様々
維持管即亡保全にとって、やりやすくはないという仮
設計に工夫を凝らした集合住宅は、必ずしも将来の
のあるものではないが、簡単に述べてみたい。
いということがあった。これは、はっきりとした論拠
そ う で あ る と す る と 、 メ ー カi が 部 品 を 設 計 す る 際
ルl ルというもののもつ限界が、そこにあるようにも思
ば、次世 ロ
m の策として、インターフェイスのル l ルを定
に、その部品の更新時のことを考えた取り合いをメー
われる。ルールを決めてしまうと、取り合い部分を工
らした設計というものは、どうしてもその時の厳しい
課題・俄々の条件設定に対する特殊解になりがちであ
る。一方、維持保全・改修工事などは、それを行なう
ていると一言ってよいであろう。商品化の問題点の一つ
にし、住宅全体の耐用年数を縮めてしまう結果となっ
は考えていないことが多い。それが部品の交換を困難
のためにインターフェイスがどうあるべきかについて
インターフェイスの処理方法は考えていても、更新持
えない。一般的に一言って部品のメi カlは 、 建 設 時 の
れられていく性質をもつのであろう。住宅の場合に、
の設計手法は、時間をかけた検証を経て徐々に取り入
理の点からも望ましいというような、優れた集合住宅
がら、建築の股界ではあまりなさそうである。維持管
ような設計手法が急速に広まるということは、残念な
的に設計された集合住宅も少なくない。しかし、その
という考えから、長い耐用年数をもつよう狙って良心
集合住宅は都市の良質な社会ストックであるべきだ
を抑えることができ、かつ将来の改修等も容易であろ
躯体に簡単な細工を行なったりすると、かなりコスト
ものとなってしまう。それを、配管経路を工夫したり、
ないで実現しようとすると、現状ではコストのかかる
平らであるというような設計は、様々な性能を損なわ
があり、かつ高齢者にも適するように仕上がり床泌が
みよう。躯体の設計が単純で、水廻りの配置に自由度
つはずである。例えば、水泡りの配管について考えて
ろうし、需要があれば、それを担当する職種も成り立
ないやすい。そのためのオープン部品が存在するであ
時点で、一般的な設計・ありふれた構法であるほど行
はそこにある。これに対しては、部品の使用者・消費
優れた設計手法が急速には広まらないということは、
うと忠われるものを実現できることがある。しかし、
可動夫を蹴慨ヨりした設計と
住吉の維持課金
めて、啓蒙活動を行なっていくことになろう。
にくい部品になったり、融通のきかない納まりとなっ
てしまう。だからといって、現状では、ルl ルのような
者が賢くなれはよい、という考え方もあろう。しかし、
白然なことであるのかもしれない。というのも、工夫
ものはまったく不必要であるかというと、そうとは言
集合住宅の場合には、部品の選定が居住者ではなく、
を凝らした設計は、それが維持管理のことを考えた工
とも心配されるげは、一般的でない構法となってしま
維持保全の而からも闘ってしまう危険性がある。もっ
設計者によってなされており、場合によっては、設計
センチュリl ハ ウ ジ ン グ シ ス テ ム の 普 及 ・ 運 用 に 委
うと、将来の保全や改修工事を担う組織が、改修時に
者さえも関与していないことがある。もし、部品の選
員の一口貝としてかかわってきて、いくつかの企業や設
存在してくれているだろうかという点である。逆に、
そのようにして設計されたものは、一般性が低く、設
問題と近くなることが予想される。この点からも、入居
計者が、その趣旨に合わせようと努力して設計された
計時に恕定していた条件が変化してしまうと、すぐに
者の判断によって部品の選定がなされたり、入居者の
集合住宅の国師を見せていただいたり、話を伺う機会
夫であっても、往々にして保全・改修が困難な結果と
声が設計に活かされるような仕組みを構築することが
ありきたりの設計がなされていれば、それがあまり効
なることが考、子りれるからである。
望ましい。ただし、一般の居住者にとって、集合住宅
が数多くあった。その過程で徐々な勉強をさせていた
ーフェイスの問題が個別化することになり、更新時の
を購入するチャンスはそう多くはない。複数のチャン
定に入居者が関与するようになると、建設時のインタ
3
夫しようとする意欲が低下してしまい、結果的に使い
うことになる。
ステムの仕組みは、緩く決められているほど良いとい
すべきであるか、という入居者の隠れた声が部品の設
L
J
品を売るための努力が、より災いインターフェイスの
/
計に反映される仕級みは、うまく機能しないであろう。
Q
あり方を自然に生み出すとすれば、住宅を建設するシ
ふ
よ
b
率的でない仕組みであっても、需要はまとまるため、
また、資淑問題・環境問題などからも適切でない場合
な仕組みでもよいが、区分所有された集合住宅の場合
ていて保全工事最もまとまっている場合は、そのよう
ちにくいであろう。例えば、集合住宅の外壁の帰属が
などを対象としては、メンテナンスの仕組みは成り立
住一戸ごとになっていて、そのメンテナンスがそれぞれ
が多い。我々は、維持保全の観点から、より禁ましい
い設計の構法を導入する場合には、その構法の維持保
構法を常に希求していく必要があろう。ただし、新し
全を担う組織が、将来とも存在するかどうかを検証す
ると一言悶えよう。
例えば、一般的な住宅用のカーテンは、スーパーマ
なんらかの維持保全の手が確保されることが期待でき
ーケットで売られており、何時でも簡単に交換するこ
の居住者にまかされていれば、無計画な維持管理とな
だけの需要、対象となる母体が十分に集絞していなく
全を担う職種が成立するためには、それを成り立たす
ちろん、そのような住宅は、別の様々な問問題を抱えこ
のための産業は、むしろ成り立ちゃすいであろう。も
ってしまうようにも思われるが、その外壁の維持保全
ることが章一姿である。
手間がかかることが多い。残念ながら、建築家が設計
むことになるであろうが、一つの考え方である。そし
メンテナンス産業、もしくはメンテナンス・維持保
とができる。一方、建築家の設計した住宅では、デザ
した家は住みにくいと一高われる一つの理由であろう。
てはならない。一般的な流通形態による商品と遠い、
インは優れていても、カーテンの交換には、かなりの
倍々の条件に対して工夫を凝らした設計よりも、条
このような視点になっと、維持管理の行ないやすい
て、その場合の外壁の構法は、部品メーカーによるオ
集合住宅を実現するためには、統合されている構法や
ープンなビルディングサブシステムとなるであろう。
には有利であり、逆に、 DIY(り
2 マ吉己門的三円)が成り
た意味では、 8本 は メ ン テ ナ ン ス の 組 織 を 構 築 す る の
取り付け工事などを含む住宅の部品等では、需要の発
ともできる。抽象的な言い方であるが、様々な条件に
これは、建築を構成する単位が小さければ小さいほど、
部品を、小さな単位に分解していく必要性が出てくる。
生する場所の密度が問題となるはずである。そういっ
対応できるように設計することが必要である。システ
例えば安定した社会であった江戸から東京へかけての
立ちにくい条件を備えているということもできよう。
の方が、将来の変化に対応できる設計であると一言うこ
ムを構築してから、個々の設計を行なうという設計の
件の変動に対しても設計内容が変化しないような設計
プロセスは、そのための一つの方法であろう。システ
一方、施工の合理性からは、。フレファブ化がそうであ
部品の量産性が噌すという原則に似ているといえよう。
るように、建築を構成する単位にある程度の大きさが
ングサブシステムを成立させるのに最適であったので
あった方がよい。したがって、適切な維持保全の社会
都市は、生産組織と保全組織が⋮体となったビルディ
あろう。登尽などの下識が地域に適切に配置されてい
ムといっても、どんな間取りにも対応できる設計や、可
たはずである。在来木造住宅のような一戸建て住宅で、
変伎をもち、将来の変化への対応を考慮した設計など
い。それも真実であり、設計のシステム化を図ったと
というものは、過大投資であると指摘されることが多
の仕組みを成り立たすためには、河者のバランスした
改修工事などのためには、部品の単位が小さければ
単位を見出していくことが求められる。
小さいほどよく、伎一戸ごとに独立して行な、えば良いと
メンテナンスの仕組みが成り立っていた理由の一つと
時期に、独立して維持保全行為がなされるので、集積
なると、集まって住むという、集合住宅のメリット・
して、ある地域の範殴を考えると、住宅ごとに適当な
効果が高いにもかかわらず、長期間に分散された安定
意味をどのように考えたらよいかということも問題と
きに陥りやすい落とし穴である。普遍性のおい設計を
した需要があったということをあげることができよう。
なってくる。同じものを大きな単位の同じ構法で作る
するためのシステムの構築を考えていく必要があろう。
これに対し、集合住宅の場合には、防水工事のやりか
ということは、建設時の生産の側からは、確実に合理
固メンテナンスを担う組織
前節で述べたように、一般的な作り方をしている住
てまとまって大きくなるため、建設会社の仕事の対象
ての集合住宅をみると、現在の作り方に比べて、もの
えにしても外援の改修にしても、工事の単位が量とし
の決定の単位をある程度小さな単位とすることは、明
宅の維持保全に関しては、それが維持管理に適してい
り、維持保全の仕組みとしては柔軟性を欠くことにな
的と言えるからである。しかし、現状の都市住宅とし
発生するため、そのための維持保全を行なう業務が、
る。公共の賃貸住宅のように、管理主体がはっきりし
となりうるが、その分、改修需要としては不安定であ
仕事として成り立ちうる。しかし、このような楽観的
ない構法で作られていたとしても、まとまちた需要が
な考え方は、居住者にとっては最善のものとは一言えず、
らかに望ましい方向と一言えるであろう。現在の集合住
との個別の供給が行なわれる方が望ましい。それを成
の供給方式は、現状のようなやり方ではなく、住一戸ご
やりやすくなるはずである。そのためにも、集合住宅
ような構法を作り出すことと、同じことであると考え
構法を求めることは、内部工事の分離を行ないやすい
修昨吋に出てくる障害なのである。住戸の改修が容易な
てよい。
ティティi の 無 さ を 解 消 す る た め に 、 構 成 単 位 を 小 さ
に対応できるような組織が構築されなくてはならない。
立させるためには、入居者・住戸の購入者の個別の要求
宅のもつ画一性や、無味乾燥な住宅としてのアイデン
なものとすることは、ある稜の普通性をもった設計と
みのようなものを、集合住宅の分野で構築することに
その、ある種の並回一過性とは、在来木造戦組構法の仕組
なっても、維持管理の点からは望ましいことになろう。
ォーム専門の会社が、今後増えてきそうではあるが、
ることも難しそうである。既存の組織でない住宅リフ
不可能であろう。建設会社いわゆるゼネコンに期待す
の一般的なマンションの供給者・ディべロッパーには
個別の住戸設計を含んだ、そのような対応は、現在
意味があると一世一問えよ、っ。
けでなく、維持管理上の、問題点の発掘という点でも
式などの試みは、新しい供給方式の開発という意味だ
ィル分陣論や、京都大学巽研究室による二段階供給方
N ・J- ハブラiキ ン の 唱 え た 、 サ ポ ー ト ・ イ ン フ
なっていれば、建設時には多少の手間がかかることに
よって得られるはずである。それは、一般にシステム
あまり採算が合うとは思えない。むしろ、新築も改修
最近、良い住宅とは居住者の満足度が高い住宅であ
でありながら、顧客の要求を取り入れることにより、
ら、高い生産性を実現している。二罪組問内での対応
現在のハウスメi カl は 、 適 当 に 伺 別 対 応 し て い な が
アブ住宅メーカ!のような組織と物の作り方であろう。
組織が必要である。それは、たとえて一言、っと、ブレフ
をえない。住宅生産の周辺の技術も進歩し、社会的環
能が変化したり、要求が高まると、構法は変化せざる
宅と一言うこともできる。しかし、住宅に求められる機
で建設され使用されている、一般的な構法を用いた住
すい住宅とは、極一ず一目すると、構法の変化が少ない状況
維持保全の行ないやすい住宅、改修工事の行ないや
固おわりに
ズビルディングと呼ばれる形態であり、集合住宅のシ
ると一 因われることが多い。そのためには、集合住宅の
居住者に満足感を与えるという仕組みが出来上がって
いものを求めて、新たな住宅のあり方を常に追及して
境も変化すれば、住宅は変化せざるを得なく、より良
も担当するような、入隠者の要求に対応出来るような
ステムズハウジングと呼んでよいであろう。
住一戸の設計は、居住者の要求に合わせて設計され施工
いる。設計を含めた広い意味での生産の合理化が進ん
置システムズハウジングと耐用性
されることが望ましい。しかし、現状では、住一戸の設
でいると一言、えよう。
品でも、交換をする時には個々に工事が行なわれてい
建設時には一括臨納入されることになる。そのような部
例えば、仮設工事鶴見を誰が負担するかなどが問題とな
様々な問題があって、実行が難しいことは否めない。
住戸の内部工事を分離することに行き着く。現実には
集合住宅でこのような満足感を与えようとすると、
味でのデザインを向上させることに関しては、建築家・
る設計・デザインではない。この、集合住宅の広い意
て言えば、現状の平均的なものは、決して満足のでき
いかなくてはならないであろう。特に集合住宅につい
t
かない。そして、集合住宅に用いられている部品は、
計が住棟の設計と切り離されている例は数えるほどし
つの要因である。
る。これは、集合住宅の維持保全を難しくしている一
試みが行なわれているにもかかわらず、急速に広まる
る。これは、極めて手間のかかることであり、様々な
部品の選定も、個々の住戸ごとに行なわれることにな
のは大変凶難である。しかし、そのような障害は、と
が出てくるであろう。そのような供給方式を実現する
による建設方式の中で行なった場合には、様々な障害
よる建設を、現状の集合住宅生産の仕組み、ゼネコン
題が生じることになる。あえてそのようなプロセスに
る。また、共有部分とのインターフェイスで様々な問
すれば、長期的な維持管理の点からは問題が生ずるこ
設計者に変革・設計上の新しさを期待すれば、ややも
が、住宅の設計の特徴である。そのような条件下で、
の間でのフィードバックのサイクルに時間がかかるの
とは難しいことなのかもしれない。設計・生産・使用
久性・耐期性に関する問題の改善を同時に期待するこ
設計者の役割が大きいはずであるが、その提案に、耐
もし、住一戸が倒別に供給されていれば、住一戸の設計
ことはないかのようである。しかし、そのような仕組
りもなおさず、個別に行なわざるをえない補修時・改
は、必然的に個別に対応されることになる。そして、
みが成立すれば、将来の改修への対応や部品の交換は
についても、他の用途の建築よりも入念にスタディー
新しいことに挑戦する以上は、問時に耐久性・耐用性
とが多い。デザインにしても、構法の選択にしても、
ムを成立させるためのシステムが必要なのである。
ビルディングサブシステ
い 。 そ の た め に は 、 部 分 [ii
避けながら、集合住宅を良くしていかなくてはならな
宅金体の維持保全が難しいものとなってしまうことを
のもとで、より良い集合住宅を作り出そうと努力され
の集合住宅の構法を批判したが、それは、厳しい条件
う。もちろん、躯体と設備は完全に分離することが=望
システムの基本の一つは、担体と設備の分離であろ
ステムの構築に、当時の意気込みの数分の一でも振り
失いがちな現代において、維持保全のしやすい住宅シ
かも否定するものではない。研究・開発の方向性を見
た、極めて意欲的であった先達たちの功績を、いささ
2 1 4節 で 、 臼 本 の 集 合 住 宅 の 特 殊 性 を 述 べ 、 初 期
ころへ向けられるべきである。
を行なう必要がある。フィードバックに時間がかかる
って検討を深めるべきであろう。インターフェイスマ
分、仮想のフィードバックのサイクルを廻すことによ
ましいが、コスト・使いやすさ・住宅らしいデザイン
向けられれば、日本の集合住宅は現在よりはるかに素
など、完全に分離するには障害となる要素が数多くあ
晴らしいものとなるであろう。
ップの検討は、その、一つの例を提案していると一一一日っ
る。躯体と設備を複合化した設計を、どの程度許容す
しい姿ではない。この問題の解決のためには、住宅の
用が、住宅の画一化につながるとしたら、それも望ま
っとゆとりを持たせるべきであるということである。
一つはっきりと言えることは、集合住宅の設計に、も
ていくべきであるかは、かなり不透明である。しかし、
基本的にこれからの集合住宅の設計をどの方向にもっ
り、ご教示くださった皆様に、深く感謝申し上げたい。
られた知見ではない。今日まで様々な指導をしてくださ
する項をはじめとして、多くの部分が著者一人によって得
こ の 小 論 は 、 セ ン チ ュ リl ハ ウ ジ ン グ シ ス テ ム に 関
るか、これが一つのポイントであろう。
てよい。
なるべく一般的な構法を採用すべきであるというこ
とと、より良い構法を採用すべきであるということは、
﹁部分﹂を一般化すればよい。なるべく一般的な部分
量から質の時代へ変わったと一一一一口われて久しいが、住一戸
工夫を凝らした設計が、必ずしも良くないとなると、
の組み合せによって、多様な住宅の設計を生み出すこ
の数が数字の上で満足されただけであって、むしろ、
矛盾するかのようにみえる。また、一般的な構法の採
とができれば、その住宅の維持保全の仕組みは、自然
﹁数の量﹂から﹁ゆとりの量﹂へ変わるべきだと一言った方
その 1 1そのu
s 日本建築学会学術議淡岡山概集、一九一八
三年 1 一九九O年
竹之内崇日日ほか吋集合住宅の内部構成材に山附する調資研究
4 深尾精一、安燦正維、小品治士、古川橋晩、一戸倉健太郎、
誌建築年相判明、初べ!ジ、一九六二年
3 鈴木成文吋公的住宅における住戸設計の現状﹄建築地靴
ジ、新建築社刊
て﹄続出地築住宅特集一九八八年一一月号、ぬ lHHべi
1 安藤正雄十深尾精一﹁作法としてのディテール一 3bA+
U 一九七九年三月号、 miMmべlジ、エ!アンドユ l刊
2 深尾精一﹃技術としてのγ ×U A口現住・経済性を求め
(ふかお・せいいち/東京都立大学建築工学科助教授)
に出来上がるであろう。その部分の単位が適切なもの
がよいであろう。ゆとりの量が得られれば、質は自然
間のゆとりが最も問題となる。面積が増えれば、か
{注}
いれば、その部分だけフィードバックのサイクルを速
であって、独立した部品群│!サブシステムとなって
その部分だけを替えることが容易になり、改修が産業
なりの問題は解決される。しかし、面積を増やすこと
についてくるものである。そのゆとりについては、空
として成立し、住宅も改善されることになる。ただし、
が無壊となれば、今は、階高を増すべきであろう。ゆと
く廻すことも可能である。部分の単位が共通であれば、
多 様 な 設 計 を 可 熊 に す る よ う な 部 分 の 組 み 合 せ 方lil
りのある階高は、豊かな空間も生み出すはずである。
設備の変化、例、えば換気空調システムの高度化に伴
システムを一般化しておかなくては維持保全の仕組み
も機能しない。現夜の日本の集合住宅には、この﹁シ
うダクトの増加などにも、階高のす同い住宅は対応しや
すい。そして、何よりも、一般的な構法、一般的な設
ステム﹂が一番欠けているのである。
w とが察関切にできるようになるであろう
俄を組み込む ﹂
シ ス テ ム ルi ル ブ ッ ク ﹄ 一 九 八 四 年
:/
5 ( 財)住宅郎口問開発センター吋センチュリi ハウジング
ρえ
木造住宅のような﹁システム﹂は自然に出米上がる
そうすれば、特殊な設計の工夫もしなくてもすむであ
し、一戸建て住宅との共通の部品を組み込みゃすくなる。
一九七七年、杉国社刊
6内問符政﹃住宅生産のオープンシステム
1
5
4
のか、誰かが提案すべきものなのか、供給、主体ごとに
関まっていくものなのか、その成立のしかたを明確に
ろう。より良い設計をする努力は、もっと水質的なと
することはできない。いずれにしても、部分のフィー
ドバックを促進し、部分を良くすることによって、住
1
5
2
スコティッシュタワiハウス
11
壁の中の空間
叶工m
ω のO↓叶一ωェ ↓02m刃ヱ OCωmillω 古田口∞三円才一コ毛色一的
う に 配 置 さ れ て い ま す 。 こ れ ら の J促
。
の空間は厚い壁の中に組み込まれ、
である。そして多くの場合、小さめ
せわしない東京の都心部に移築した
コットランドの荒涼とした山岳から
。
本で建築を勉強しています。私の故郷
的 な 小 部 屋 は 、 タ ワl ハウス自身の精
あたかも巨大な岩肌を彫りぬいたか
とすれば、案外うまく機能するので
に対し、タワ!ハウスは完全な石造
に特有な、スコットランド風塔状住居
造体でもある厚い量感溢れる壁の内側
のようである。
が♂王。的な大きな空間をとり阻むよ
iilスコティッシュタワl ハウスーーー
に作られ、その結果として、中央に閉
間的な領域が重層される日
本家屋に対し、タワ!ハウ
スは屋外とは厳格に断絶さ
れている。これは寒く、、混
った、印刷の強いスコットラ
(東京芸術大学建築科片山研究室)
はないでしょうか?
も し も 今 、 こ の タ ワl ハウスをス
を紹介し、私の視点から日本の伝統的
じられた形の壬。的共有空
Q
フ
家屋との簡単な比較を行ないたいと思
i
は、興味深いことに、臼本の一ザム
今
,
屋外と内部空間の問に中
います。その小規模でかつ空間利用が
です。一一ハ
に少なからず示唆を与えると思います。
スコティッシュタワl ハウス(以下
1
(うらがえしアということー
外部に対する基本的な防待機能を満
*
山岳に建ち、厚い援で規定されたその
ができるのではないでしょうか。本質
たすためのものである。
おられることまで、研究者・実務者から市民の
日本家屋の略国
(そのうらがえし)
3階 平 箇E
自
コンロングナン 7ワーハウス
スコントランド、ダンフ I
}ーズ
n皆平面図
は上下方向の空間的秩序をもってい
強く水平に広がろうとする傾向を
ンドの風土への防御を合む、
外形の内側には、上下方向に積層され
的に以下の三つの相違点を挙げること
皆さま方の怠憾のないご投稿をお待ちしてお
日本家屋の略図
すまいろん綴築部﹁ひろば﹂係
財団法人住宅総合研究財団
一T156東京都世酒谷町民船橋4Tgm18
︿宛て先﹀
さい。
せていただく機合がありますので、ご諒承下
なお、内容を偶っけない範囲で一部手直しさ
は住所、氏名、年齢、機縁を御記入下さい。
原務用紙(図O O字詰)三枚程度。原稿に
ります(採用文については簿謝進塁)。
﹁住﹂に関する援索から
a頃お感じになって
︿ひろば﹀へのご投稿をお待ちしております。
た内部空間が展開しています。それは
も っ 日 本 家 康 に 対 し 、 タ ワi ハウス
ス
日本家屋が木材と紙で作られるの
ができます。
階段室等からなるか従。的な小部屋群
よ'iナ ッ ツ 。 空 間 と で も 呼 ぴ 得 る も
伝統的な家屋の m、ネガティブ
2
ので、寝室、クロi ゼット、トイレ、
内部空間の関わり合い
3
タワi ハウス)は、スコットランドの
以 上 の よ う な タ ワi ハ ウ ス 一
問を作り上げることになるの﹀一ユ
彫り込まれた断面
壁の中に部農が見える
効率的である点は、日本の都市住環境
私はスコットランドから留学し、日
サイモン@フレーザー
バZ
λ
U
ら伊藤毅、村松伸、建築構法・生産から野城智也の
築計画から在塚礼子、鈴木毅、横山勝樹、建築史か
八五年。今年で満七年になる。現夜の委員会は、建
当財団に国書・情報委員会が設けられたのは一九
2日本の都市および住宅・民家に関する文献
地図も、子に入るものは揃えられている。
ろう。あわせて海外の都市・地域ごとの建築案内や
ら、この種の文献は今後も幅広く集められる、へきだ
今までの図書室だよりでも紹介されているように、
とってきたことになる。こうして、この七年ほどの
ックされ、新たに充実されていくというプロセスを
ごとに新陳代謝することで、それまでの蔵書がチェ
九七五年以降文化庁が続けてきた伝統的建造物株保
書の類いはあまり集まっていない。わが国では、一
ら刊行されているものを別にすると、いわゆる被安
海外に比べるとこちらはかなり寂しい。出版社か
建築・住宅関係の一般的な新刊書については、東大建
ると思われるが、収集に着手していない。ムマかあり集
存対策報告書が比較的まとまったドキュメントであ
各氏、そして都市計画から福川、という構成である。
築学科の図書室におられたベテランの宮崎蔦議さん
ョン﹂ができてきた。図書室のご案内と蔵書の点検
めてもあまり多くは期待できないだろう。なお、頒
間 に い く つ か の テi マごとにまとまった﹁コレクシ
似の調査に、(財)観光資源保護財団(現・日本ナショ
の関心領域からそれぞれが読みたい本を選ぶことで
みる。
を兼ねて、どんな本が集まっているか少し怒現して
に集めていただける。そこで委員の役目は、それぞれ
ろ、自分の研究用であれば自分で買うか学校で賀、っ
世界各地の民家や住宅を紹介する本がひとつのグ
タートが遅かったせいもあって、沼地区程度の報告
の報告書の収集が試みられたことがある。ただしス
しての側商が強いが、 HOPE計画(地域住宅計画)
入手可能なものは揃えられている。また、一計画委と
ナルトラスト)によるものがあるが、その報告書で
ある。しかし、実はこれは容易ではない。正直なとこ
***
ルiプ を な し て い る 。 こ の よ う な 文 献 の 収 集 は 初 代
ー世界の都市および民家・住宅に関する文献
るときには、(特に洋書は)とにかく買ってみるとい
らばともかく、新しい領域に取り組もうと思ってい
阻害委員会の方針であった。この槻の前は問書室の
書が集まったにとどまっている。ほかに、重要文化
いうのも変な話である。また、評価の定まった図書な
かしたい。それが叶わない分を当国警護に由す?と
うことになる。しかしこのような﹁実験﹂を限られ
財修理報告書を住宅と関東に限って収集している
x芯ロ色一向洋2uqH門出口出(これはむ
イタリアの円巾n
集まっているが、まとまったシリーズものとしては、
3江戸・東京関係の文献
0
の時間を過ごすことができる。多彩な装傾の書物が
中でも華やいでいて、住宅に興味のある人なら南太福
べきかl lを 考 え な い わ け に は い か な い 。 初 代 委 員
ま っ て い る べ き か │!lつまりどういう図書主である
しろ都市形成史だが)、ドイツのり
というわけで、住総研の図書室にはどんな本が集
た図書費用で大々的に行なう、﹂とははばかわれる。
の内田雄迭さんは﹁住宅建築の専門図書館であるが、
gロ2gny巾∞母-
文献を集めることも当図書館のひとつの諜怒とされ
催に取り組んできた。東京のすまいやまちに関する
イギリスの﹀ロ宮︿
g 吉吋旬。ご宮話。552Z、フラ
ンスの円﹀足立ぽ円Z325庁内吋出呂田一おなどが揃っ
りにくい。とりあえずの目的をたとえば、旧都心九
総が広く、なかなかまとまったコレクションとはな
前委員の内問雄造さんが阿川、カされた。戦前から戦
医の区史をそろえるといったことにおいて、白書官
てきた。そこで少しずつ古書等が集められているが、
住教育の扱当者、住宅逐動、まちづくりに取り組む
ている。カルフォルニア大学パ i クレーのわ巾三句
の日銭に出れば買うといった体制がとられている。
y
r
H
印
巾
吋
仏
巾
一
吋 ω円ゲヨ2N、
住 総 研 で は 長 ら く ﹁ 江 戸 ・ 東 京 フ ォi ラ ム ﹂ の 開
専門家の図書館である必要はあるまい。わが家の家
m巾門町出口出、スイスのりぽ∞出口巾﹁
市民、住宅・住文化に興味をもっ市民に対しても、
﹃。吋開口三
巾門誌同}む
mmmRqny((
の寸門出白
一
関
口
5
2
5
2
書55一円)巧巾}}弓盟国昆∞巾門門}巾52円一巧 Cユハ一口
mE℃巾吋
造りにすぐ役立つ資料をそろえたいとは考、えないが、
関かれた図書館でありたい﹂と図書室のイメージを
4戦 前 日 本 の 住 宅 問 題 、 住 宅 政 策 関 係 の 文 献
っている方だと思う。住宅研究のための図書室だか
リ 閉 山 口 HN)
描かれている(﹃本誌﹄一九八八年秋号)。やはり、このあ
ω巾ユ巾印も人っている。中国の民家綴告書もよく集ま
結局、少しずつ関心領域の呉なる委員が一一了四年
たりが目指すべきところではないかと思われる。
らきっと何か見つかると思う
0
学佼論文については、各著者の多大な協力のもと、
幅広く集まっている。
後にかけて活践した都市計画家石川栄耀著作がよく
都市計同一般の基礎的な文献を終備充実するとと
大 変 よ く 撤 っ て き た 。 年 代 は 、 一 九 五0年代のもの
もに、とりわけ既成市街地の整備や歴史的街区の保
9 その他
6町 づ く り に 隠 す る 文 献
可都市の生態﹄﹃都市計画と国土計雨﹄などである。
存に注目して文献のリストアップを行なってきた。
集まっている。﹃日本国土計画論﹄﹃皇国都市の建設﹄
ほかに、関一、池田宏、片時安などの表作、また当
ちょっと変わったところでは、昨年度にご己わ円kh
上記以外に今年度は、-建築・環境心理に関する
から、そして領域も構法、都市計雨などの分野まで
した調査書、法令集、そして﹃戦災復興誌﹄﹃清都
料となる絵閃の類い、が購入された。
以 上 、 い く つ か の テi マごとに形成されつつある
基本文献、 2 日 本 建 築 史 ・ 都 市 史 の ビ ジ ュ ア ル な 資
﹁コレクション﹂を紹介した。今後の充実を期した
ー
2nRga(い丘一時。門白一色の発行する一連のり028巾
己主 Cコを捕、えた。なお、同会のPEEDmCFU ピ・
い。さらに、委員会の活動とは独立して形成されつ
つあるコレクションもある。たと、えば住宅の設計図
計画分野ばかり白立つが、建築を作るほうの文献
れたコンペの作品集(﹃報日住宅図案内﹄昭和四年、
昭和始めにかけて新開社の主催などで経んに行なわ
な文紋があったのだが、それに加えて、大正末から
集である。もともと清水組可住宅建築図集﹄のよう
や資料も筏野に収めなければならない。しかし、こ
など)を定的さんが集めておられる。これらも当図
轟科+玄
て定期購読されている。
円
号山口 ω吉会2 の2225由巾も雑誌とし
由
民 Oロ含門 I
C
︿
出σgZ22}巾立旬、またイギリス Z由民。口出]﹀ECR
(円込町
S
E
c
s
- 沼田wzmccg ピ︿5zhoえqg
時の市政調査会、同潤会、厚生省社会局などが発行
刊行・復刻された、﹃東京都市計画資料集成﹄﹃都市
復興事業誌﹄もそろっている。なお、最近相次いで
。
計画婆鍛﹄﹃都市公論﹄﹃毘同整理﹄も購入されてい
h
づv
5最 近 の 住 宅 政 策 に 関 す る 文 献
さて、住宅政策がここ数年急速に展開しつつある。
くことも課題とされてきた。まず、第一住宅建設協
の生産・施工分野は意外に文献が乏しい。また、そ
この最近の住宅政策に係わる文献・資料を集めてお
会 、 住 宅 産 業 情 報 サ ー ビ ス 、 日 本 住 宅 総 合 セ ン タi
の資料は散逸しがちで、建設会社にもきちんと残っ
7'
44j
など各調査機関の調査研究レ。ホlト は 逐 次 受 け 入 れ
ψmyψ 白γ ゆ hγ
られており、すべて揃っている。それ以外では、各
住総研凶書室は、ちょっと場所が不便だが、小ぢ
書室に相応しいコレクションとなっていくかもしれ
一九九一年度から﹁吉川文庫﹂が設けられた。これ
んまりとしたとても快適な図書{歪である。研究の手
ない。
は元理事長の吉川清一氏の功績を記念して(古川氏
掛かりを慢し求めている時や、欲しい文献・資料が
ていないケi ス が 多 い 。 そ こ で 、 建 築 生 産 ・ 施 工 の
二三区の住宅政策関係資料を今年度中に各自治体に
はこの分野に強い関心を寄せられていた)、関害予
文献、資料の保管、収集を少し重点的に行なおうと、
お願いして集めたいと考えている。これは私を含む
算の中にそのための枠を設けたものである。まだま
口小力によって揃えられた。なお、東京都および東京
グループが助成をいただいて行なった調資をもとに
自治体が作成した地域高齢者住宅計画が在塚委口貝の
行なう。これに限らず、財団の助成研究がもう少し
である。管理も行き届いているので、上にあげたよ
うな文献・資料(あるいはそれ以外でも)で、どこ
見つからない時には、きっと何かのお役にたつはず
か適切なところで保管して欲しいというような場合
だ未整備であるが、今後に期待される。
アメリカと日本のものが集められている。アメリ
があったら、ご寄制問いただけると幸いである。
問書室の文献収集とリンクしたほうがよいかもしれ
カは一九八0年 代 の も の が 主 で 、 こ れ ら に つ い て は
ない。海外に関しては、昨年度、イギリス・アメリ
服部本生前委員の紹介が本誌一九八八年春号に載っ
8住 宅 関 係 の 学 位 論 文
ている。その後、あまり継続的に購入していないが、
カの最近の住宅政策関係の文献を集中的に集めた。
るが、ここ数年、海外でも大きく変動した住宅政策
リストアップしたうち購入できたのは半数ほどであ
どうするか思案のしどころである。一方、わが国の
でし叩くかわ・ゅういち / J
図
F 書・情報委員千葉大学工学部建築学科助教授﹂
のは玉石混治であるが、この分野に関心のある人な
の動きを伝える文献がかなり集まった。集まったも
広い分野から住生活に貢献する研究を
注目課の蕗募を期待
1 1 i一 九 九 三 年 度 住 総 研 助 成 候 補 者 募 集 中
と研究内容・方法との関連⑬既往関連研究成
⑦研究の特色⑧研究予算及び内訳⑨研究予算
希望の有無⑤研究の目的⑥研究内容及び方法
究者・所属機関名③助成申議総領④継続研究
一九九三年二月末日までに、①研究題目②研
募集要領
一件一 001三O O万円程度。
一九九三年度ニO件程度。
件数
川研究助成
論文原稿を添、えて提出する。
一九九三年五月末日までに所定の申請用紙に
募集要領
文の印刷刊行。
刷刊行、その他、住にかかわる優れた研究論
当財団効成研究の成巣としての研究論文の印
対象
程度。
一九九三年度二O件程度、総額一 000万円
件数
叩印郡助成
一九九一一一
当財日出では、現在、広く建築学内外の領域にわたり、往生活の向上に貢献しうる学術性、 実践性、
社会的先見性に富んだ研究(住宅を合む建築一般に関する技術的課題等も可)について、
果、を所定の申請用紙に記入して提出する。
申誇用紙
年度の助成候補者を募集中です。概要は次のとおり。
研究期濁
次号予告
明春ロ守
四月一日発行
特集日こどもの遊び
︿
品
川
山
市
⋮
﹀
こどもの遊びはいま
︿ミニシンポジウム﹀
こどもの環境学資
延藤安弘(熊本大学工学部建築学科教佼)
聞き手口
野城川口也(武蔵工業大学建築学科効教授)
計同附された空間におけるこどもの遊び
(鳴門教育大中学校教育学部教筏)
湯川聡子
遊びと人総形成
深谷呂志(級岡大学教佼)
︿すまいのテクノロジi﹀
遊ぴの環論と遊具
仙限満(環境デザイン研究所・代表)
︿私のすまいろん﹀
こどもの遊びの過去と未来
荻原礼子(こどもとまち研究所)
︿すまい再発見﹀
同判例会後江町アパート
小林秀樹(建設省建築研究所)
ま
当 財 団 ま で 、 二 ⋮0 円 切 手 を 貼 付 し た A 4判
も
一九九一一一年六月一日より九四年九月末日まで。
あ
返信用封筒(あて名明記)を同封して申し込む。
4
申請用紙
名
立
[
変
わ
る
場
合
川出年度助成研究姿旨
材L
駅
東 京 都 世 田 谷 区 船 橋4 i m 8
{
反
題
問い合せ僻住宅総合研究財団
ト
Tm
一
ノ
レ
は
当 財 団 ま で 、 一 七 五 円 切 手 を 貼 付 し た A 4判
返信用封筒(あて名明記)を同封して申し込む。
8 0 3 3 4 8 4 1 5 3 8 1 助成担当まで。
?{也
⑧ 研 究 治 8 8 1 7、 8 9 1 8
住 総 研 研 究 論 文 新刊のお知らせ
像研究恥 8 8 1 0
関する研究
大都市における住宅開発と市街化の構造に
iliタ イ ・ バ ン コ ク を 例 と し て
都 市 築 合 住 宅 地 で の ﹁ 住 み 方 ル l ル﹂に関
する研究
渡辺定夫
i11割安の三年継続購読をどうぞ
すまいろん年間予約購読のお願い
毎回方確実に入手していただくために、予約
刊行物のご案内
0住総研﹁研究年報治問﹂
一一一年間のご自宅郵送制です。一一一年間総統購
購読をおすすめいたします。一年間または
読の場合は左記のとおり割引になります。
一九九0年 度 の 助 成 研 究 二 六 件 と そ の 他 二
はじめ、一九九二年七月開催の第ロ図住総
件の計二八件の﹁研究報告姿旨・綬概﹂を
@年開購読料(年間品川)
2 0 0 0円 ( 送 料 共 )
とを収録。わが国の住研究の水準を示すも
研シンポジウムのための三編の委託論文な
5 0 0 0円 ( 送 料 共 )
2 1 0 0内 ( 送 料 別 )
商村一期・今井範子・久保妙子
A 4判 7 8ページ
一年間
1 8 0 0円 ( 送 料 別
三年間
A 4判 6 7ページ
のとして、国内は勿論、海外でも好評をい
⑧研究尚 8 7 2 0
ただいております。一九九二年七月刊。
@グループ予約の場合は次のとおり割引料
A 4判 4 7 2ページ
ォーラム﹂の記録を収録。講師は横浜市総
5口すは、第 4 日山﹁高齢者のすまいづくりフ
初人以上
6人 以 上
3人 以 上
I 4 0 0円/ 3 5 0 0円
1600円/4000同
1 8 0 0円/ 4 5 0 0円
一年間三年間
金にいたします。(一人当り・送料共)
合リハビリテーションセンターのリハ医師
O高 齢 者 の す ま い づ く り 通 信5号
3 5 0 0円(送料別)
アメリカの州および地方住宅政策に関する
@研究治 9 0 1 3
1 5 0 0円 ( 送 料 別 )
上野真城子・海老塚良士口
研究
住宅の空間構成手法と室内環境形成との関
1500m門(送料別
連性に関する研究∞
高橋公子
A 4判 4 9ページ
A 4判 3 4ページ
ヨーロッパ・アメリカの集合住宅研究
⑧研究治 8 5 1 8
③研究尚 8722
の 調 査 研 究 ( そ の2)
綴と住宅計画の図駒山比較
伊藤氏からはチームケア、チーム医療の主
杉並区上井草保健相談所の収川遂の一二氏。
込警(振替用紙)をご利問いただくか、現金
臨時読申し込みは、本誌はさみ込みの鱗読申
@購読申し込み方法
伊藤利之、帝京平成短期大学の太田貞可、
服部本生
または郵便切手(小額切手でお願いします)
1 5 0 0円(送料開川)
要性が、太田氏からはそれぞれの住宅改造
を同封の上、財同﹁ム9ま い ろ ん 購 読 係 ﹂ 宛
資料頒布所、南洋覚書庄でお願いします。
お求めは、当財団あるいは下記の建築学会
A 4判 6 2ページ
ルパ l、 保 健 婦 、 ワ ー カ ! の 役 割 が い か に
を発想する第一発見者、すなわちホ│ムヘ
││海外集合住宅計画研究からみた住生活
超高層住宅の長周期振動に対する振動感党
J
2 1 0 0内 ( 送 料 別 )
超 高 層 住 宅 振 動 怒 限 度 委 員会 ・ 神 田 順
A 4判 7 3ページ
⑧研究恥 9024
住宅の寿命分布に関する調査研究報告欝
I 5 0 0河 ( 送 料 別 )
住宅の寿命研究会・加藤裕久
A 4判 4 8ページ
いずれの場合にも、氏名、住所、屯話番
にお送り下さい。
号、勤務(所属)光名、所在地、郵送希望先
んどん外へ連れ出し、地域の中で閉じこも
重要かが、場川氏からは寝たきりの人をど
っている人をつなぎ合わせていく活動が報
@﹁すまいろん﹂は次の庖頭でも販売して
おりますのでご利用下さい(底頭での予約
を明記してお申し込み下さい。
購読の受付けはしておりません)。
合されました。このフォーラムには住宅改
イ タi と し て 参 加 い た だ き 、 焦 点 を 絞 っ た
造に関わる八職種の代表の方々にコメンテ
討論が交わされています。
- 建 築 学 会 資 料 頒 布 一 昨 港 区 芝5 m l m
喝
一
詰
A
W
幻
(03)3291111338
・南洋堂書応千代田区神田神保町1
電話 ( 0 3 ) 3 4 5 6 2 0 5 1
B 5判初べ l ジ 無 料
山
米
国
6号 は 近 日 発 行 予 定 で す 。 お 問 い 合 わ せ は
吋財閉まで。
アムスデル夕、ム派の別荘地
パーク・メルヴァイク
文・写真片山和俊
〈アムステルダム派〉は 20
世紀初頭に起ったオランダの表現主義的建築家グル プで、同時期に活動した構成主
義のくデ・ステイル〉とは対比的な作品を生んだ。このパーク・メルヴアイクはその志がよく表われたもので、
レンカ・の経に薬屋般が采った幻想的な 1
7戸の住宅からなる。この{也、アムステ/レダムの集会住宅(クラー夕、他)、
パリ 1装美術博オランダ館(スターノレ、ウェイド 7 ェルト)などがある。
ダのあまりにも明快な風景にびっくりしてし
な広がりとその上半分を占める大空、オラン
どこまでも続く幾何学模様の団関、真平ら
戸惑いを感じた。
な類推から、この延長線上にアムステルダム
という思いが斑観的にした。旅の途中の勝手
や人間的スケールが求められるのではないか
ろがあり、きっと対比的に、不規則な偶然性
パ ル ク ・ メi ルヴアイクにある別荘地は、
ーの三連住宅以外、完全に残っている。
設計してやる。一九一二年に焼失したグラマ
どのアムステルダム派のメンバーが数軒ずつ
ホ ラ ー やP ・クラマi、C - J・ブラi ウな
五軒と入口のガーデンハウス、 M- クロップ
の敷地で、一七軒ある。そのうちスタールが
れている。各一戸の広さは、一二分の一エーカー
つ全体としてのまとまりを保つように計画さ
各々の建築家が自由な発想を描け、なおか
で あ る 。 配 置 計 画 も ス タl ルによる。
画された芸術家やインテリのためのコロニー
YSTEEと い う タ イ ル 製 造 業 者 の た め に 計
(一八じ九i 一九四O
)。 彼 の 施 主 で あ るH E
設計を、王導したのは、 J - F ・スタl ル
なかった。
の住宅が、まさか実際にあるとは思ってもみ
見えてきたからである。しかしその古い写真
の 住 宅 と 緑 が 絞 っ て い た 11!が 急 に 魅 力 的 に
コ ピ ー し た 雑 誌 の 記 事 111
そこには特異な形
彩のない風景を前にして、旅の前に何気なく
てられたもの。ここを探した動機は、平らな
ダム派のメンバーによって設計され、翌年建
ネ ン に あ る 。 一 九 一 六 i 一七年にアムステル
ラ ン ダ の 海 岸 に あ る 小 さ な 町 、 べ l ゲン・ビ
ア ム ス テ ル ダ ム の 北 、 ア ル カ 7lル に 近 い オ
派や、オランダの町と村を見たいと考、えた。
木的スケールには、相内か取り止めのないとこ
える規即位、干拓から生み出された大地の土
に嬉しかった。それと同時に、この風土が与
か。と、難解なパズルの答えを見つけたよう
学的構成も、この間関に育ったからじゃない
じたのかもしれない。ヶモンドリアンの幾何
まった。緩やかな起伏が波のうねりのように続
住宅平函 (
J
.
F
.スタール)
く地形の英国の次に訪れたから、特にそう感
配蜜図
住宅外観 (
Mクロップホラ ー)
連続住宅 (
J.
F スタール )
住宅外観(J
.F スタ ール)
,
(かたやま・かずとし /東京五術大中往築科助教佼)
しても寅重な。戸惑い。を感じた 一日であった。
いている安がある 。 風 景 と と も に 、 時 間 に 対
時代を超えて 生 き 続 け 、 し か も 生 き 生 き と 輝
しかしここには、時代が乍み出したものが、
建 築 は 時 代 の 潮 流 と 無 関係 ではいられない。
した住宅群のもつ心地好さの方にひかれる。
り込むと、その時代の 意 味 を 問 う こ と を 忘 れ
てしまいそうである 。 むしろ織境に良く適合
指摘されている。しかし、今この別荘地に入
アンドクラフ ト を 多 分 に 意 識 し て い る こと も
った。 こ の 敷 地 が 北 海 に 而 し 、 英 国 の アl ツ
流 の 中 に あ り 、 雑 誌 ﹃ヴ ア ン デ イ ン ゲ ン ﹄ に
集 ま った ア ム ス テ ル ダ ム 派 の 運 動 の 渦 中 に あ
られる。 加 え て 、 当 時 の さ ま ざ ま な 影 響 と 潮
特に日本やインド、不シアなどの影響が認め
われているように、その中には東洋的要素
伝統的な材料を用いて造られている。 良く言
根、機板貼り、レンガ積みなど、オランダの
バルク ・メルヴアイクの仕事は、藁古耳き屋
うに岡山うほど、自然な印象を受ける 。
。幻 想 的 な 形 態 。 は 思 い 込 み が 過 ぎ て い た よ
見える。頭に描いていたアムステルダム派の
ように、ふと立ち現われる。明るく楽しげに
や ﹁つ ぐ み の 家 ﹂ も 襟 の 小 径 で 出 会 っ た 時 の
﹁
小鳥の山県﹂
箱船﹂も、クロソプホラーの ﹁
いに遊んでいるように家がある。スタールの
に 開 け た 日潟 ま り に 、 小 鳥 や 小 動 物 が 思 い 思
に家々が点在している。ちょうど森のわずか
できないほど、樹々が成長し、森の木立の中
訪れてみると、現在では配置の全体が想像
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