曲面結び目のカンドルコサイクル不変量の多重化公式

曲面結び目のカンドルコサイクル不変量の多重化公式
成瀬 透(京都大学 数理解析研究所)∗
概要
本稿では,曲面結び目のカンドルコサイクル不変量の多重化公式について概説す
る.特に具体的な有限カンドルとして奇素数位数の二面体カンドル,及び四面体カン
ドルの場合について得られた結果を紹介する.
序文
1
曲面結び目とは連結閉曲面の 4 次元ユークリッド空間 R4 への滑らかな埋め込みの像の
ことをいう.1990 年代に (1 次元結び目や) 曲面結び目の不変量であるカンドルコサイクル
不変量が定義された ([1, 2]).特に曲面結び目理論には三重点数の評価を与えるなど様々な
応用をもたらしている ([7]).1 次元結び目に対しては,不変量が定められたときその不変
量の多重化公式が発見されることがある.結び目不変量の多重化公式とは,枠つき結び目
K の枠に沿って n 重化をして得られる絡み目 K(n) の不変量の値を K の不変量を記述した
ものである.例えば 1 次元結び目の不変量であるジョーンズ多項式の多重化公式 ([5]) は,
色つきジョーンズ多項式という不変量を用いて表される.1 次元結び目の不変量について
は様々な不変量の多重化公式が知られているものの,曲面結び目の不変量にはそういった
多重化公式は知られていなかった.
本稿では,曲面結び目のカンドルコサイクル不変量の多重化公式(定理 4.1)を概説す
ることにする.また,有限カンドルとして奇素数位数の二面体カンドルの場合(定理 4.3)
と四面体カンドルの場合(定理 4.4)について得られた結果も紹介する.
準備
2
この節ではカンドル(ラック)や曲面結び目のカンドルコサイクル不変量を復習する.
集合 X とその二項演算 ∗ : X × X → X が
(R1) 任意の y, z ∈ X に対して,x ∗ y = z を満たす x ∈ X が唯一つ存在する.
(R2) 任意の x, y, z ∈ X に対して,(x ∗ y) ∗ z = (x ∗ z) ∗ (y ∗ z) である.
を満たすとき,(X, ∗) をラックという.更に次の
(Q) 任意の x ∈ X に対して,x ∗ x = x である.
∗
〒 606-8502 京都市左京区北白川追分町 京都大学 数理解析研究所
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1
を満たすときカンドルという.特に X が有限集合のときは有限ラック,有限カンドルと
いう.
例 2.1. n ∈ Z>0 とする.Rn = Z/nZ に x ∗ y = 2y − x mod n と二項演算を定めたもの
はカンドルとなり,二面体カンドルという.
例 2.2. 正四面体の頂点集合 Q4 = {1, 2, 3, 4} に図 2.1 のような演算を入れたものを四面
体カンドルという.
例 2.3. k ∈ Z>0 とする.Ck = Z/kZ に i ∗ j = i + 1 mod k と二項演算を定めたものは
ラックとなり,巡回ラックという.
図 2.1: 四面体カンドルの演算
紙面の都合上,カンドルコサイクル不変量は簡単に説明するだけにとどめておく.曲面
結び目のカンドルコサイクル不変量は,ダイアグラムを用いて定義される状態和不変量で
ある.まず,曲面結び目のダイアグラムのカンドル彩色を導入し,それを「状態」と考え
る.各「状態」(カンドル彩色)において,ダイアグラムの各三重点にウエイトとしてそ
のカンドルの 3 コサイクルを用いたものを乗せ,そのウエイトを三重点全てにわたって掛
け合わせる.カンドルコサイクル不変量は,このウエイトの総積を全ての「状態」(カン
ドル彩色)にわたって足し上げたものとして定義される.不変性(ダイアグラムの選び方
に依らないこと)の証明は,1 次元結び目ダイアグラムのライデマイスターの定理に相当
するローズマンの定理を用いることで得られる.
3
枠つき曲面結び目の線つきダイアグラムとラックコサイクル不
変量
この節では枠つき曲面結び目とその線つきダイアグラム,枠つき曲面結び目のラックコ
サイクル不変量について概説する.
まず,枠つき曲面結び目とその線つきダイアグラムについて説明しよう.F ⊂ R4 を有
向曲面結び目とする.
(以下,曲面結び目は有向なものしか扱わないことにする.
)νF を
F の単位法バンドルとする.νF の切断 s : F → νF を F の枠という.νF は自明バンド
ルであることが知られているため,F にはいつでも枠は存在する.曲面結び目と枠の組
F = (F, s) を枠つき曲面結び目という.1 次元結び目の枠は H 1 (S 1 ; Z) の元と特徴づけら
れているが,曲面結び目の枠にも同様に H 1 (F ; Z) の元と特徴づけることができる.D を
2
曲面結び目ダイアグラムとする.D と D 上のいくつかの向き付けられた線分,円周たち
L の組 (D, L) であって次の (1),(2),(3) を満たすものを線つきダイアグラムという:
(1) L の端点は D の分岐点であり,逆に任意の分岐点から L が伸びている.
(2) 各分岐点の近傍において L の向きは図 3.1 のようになっている.
(3) L は三重点や分岐点を通過せず,二重点曲線と交わる際は横断的に交わっている.
図 3.1: 分岐点の近傍
図 3.2: 線つきダイアグラムの例
図 3.2 は線つきダイアグラムの例である.任意の枠つき曲面結び目が線つきダイアグラ
ムをもつこと,線つきダイアグラムが枠つき曲面結び目を表していることについては割愛
する.曲面結び目には 1 次元結び目のライデマイスターの定理に相当するローズマンの定
理がある.著者はそのローズマンの定理に相当する枠つき曲面結び目の定理を証明した.
定理 3.1 ([6] 参照). (D1 , L1 ), (D2 , L2 ) をそれぞれ枠つき曲面結び目 (F1 , s1 ), (F2 , s2 ) の線
つきダイアグラムとする.(F1 , s1 ), (F2 , s2 ) が同値な枠つき曲面結び目であることの必要
十分条件は,(D1 , L1 ), (D2 , L2 ) が図 3.3 の局所変形とシートのアンビエントイソトピーと
「線」のかき換え,R3 のアンビエントイソトピーの有限の列で互いに移りあうことである.
証明の概略. 図 3.3 の局所移動が同値な枠つき曲面結び目を表すことは,通常のローズマ
ンの定理,及び小さな円板内には枠が一意的に拡張できることを用いることで示すことが
できる.
逆に同値な枠つき結び目の 2 つのダイアグラムが図 3.3 の有限列で移りあうことは,次
のようにして分かる.まず「線」を忘れたダイアグラムを考え,そのダイアグラムが移り
あうローズマン移動の列を固定する.その後,その列をなす各ローズマン移動を枠が変わ
らないようなものに修正すればよい.
3
図 3.3: 線つきダイアグラムの局所変形
図 3.4: 線つきダイアグラムの「線」のかき換え
4
枠つき曲面結び目のラックコサイクル不変量の定義の概略を説明する.
(詳細は [6] を参
照のこと.
)ラックコサイクル不変量も,カンドルコサイクル不変量と同様状態和の形で定
義される.以下,カンドルコサイクル不変量との相違点のみを述べる.まず「状態」とし
て,枠つき曲面結び目の線つきダイアグラムのラック彩色を考える.カンドル彩色と異な
る点は,二重点の近傍に関する公理の他に「線」の近傍に関する公理を要請する点である.
ウエイトにはラック 3 コサイクルを用いるのだが,ウエイトを乗せる点は三重点の他に図
3.5 に挙げたような「線」と二重点曲線の交点や,向きを表す法線ベクトルが向いていな
い方向にカールが現れる分岐点にも乗せる.残りはカンドルコサイクル不変量と同様,そ
のウエイトの総積を全ての「状態」にわたって足し上げたものとして定義する.不変性の
証明には定理 3.1 を用いて示す.
図 3.5: ラックコサイクル不変量のウエイトを乗せる点
曲面結び目 F (枠つき曲面結び目 F )のカンドル(ラック)彩色数を col(F )(col(F))
とかき,カンドル(ラック)コサイクル不変量を Φf (F )(Φf (F))とかくことにする.た
だし,f はカンドル(ラック)3 コサイクルとする.特にカンドル(ラック)3 コサイクル
f が自明なものであるとき,カンドル(ラック)コサイクル不変量はカンドル(ラック)
彩色数と一致することが分かる.これより,カンドル(ラック)コサイクル不変量はカン
ドル(ラック)彩色数の改良版であるといえる.
カンドルコサイクル不変量の多重化公式
4
この節では,まず定理 4.1 を述べたのち定理 4.1 で用いている記号の説明を行う.その
後定理 4.1 の証明の概略を述べ,特に有限カンドルとして奇素数 p 位数の二面体カンドル
Rp の場合(定理 4.3),四面体カンドル Q4 の場合(定理 4.4)について得られた結果を説
明する.
曲面結び目のカンドルコサイクル不変量の多重化公式は次のとおりである.
定理 4.1 ([6]). F = (F, s) を枠つき曲面結び目とし,F (n) を枠 s に沿って n 重化して得ら
れる曲面絡み目とする.このとき
1.
colX (F (n) ) = cn,1 · colY1 (F) + · · · cn,m · colYm (F)
2.
Φf (F
(n)
)=
cn,1
∑
in,1 =1
∑
cn,m
Φf˜i
n,1
(F) + · · · +
5
Φf˜i
n,m
in,m =1
(F)
である.ここで f˜in,k は,X n の連結ラックへの分解に現れる cn,k 個の Yk と同型なラック
に番号を定めたときの,f˜ の in,k 番目の Yk への制限としている.
定理 4.1 で用いている記号の説明を行う.
まず,X n はカンドル X から次のようにして得られるラックである.a ∈ X, b = (b1 , ..., bn ) ∈
X n に対して,a ∗ b := (· · · (a ∗ b1 ) ∗ · · · ) ∗ bn とかくことにする.このとき X n の二項演
算∗を
a ∗ b := (a1 ∗ b, ..., an ∗ b)
と定義する.このとき (X n , ∗) はラックであることが確かめられる.
次に f˜ は X のカンドル 3 コサイクル f を用いて定義される X n のラック 3 コサイクル
である.図 4.1 のように,n3 個の三重点に乗る f を用いたウエイトの総和として定義す
る.このとき次が成り立つ.
補題 4.2. f˜ は,X n のラック 3 コサイクルである.
図 4.1: f˜ の定義
X が有限カンドルであるとすると,内部自己同型群 Inn(X) が有限群であることと X n
のラック演算の定義から,X n (n = 1, 2, ...) を連結ラックに分解したときに現れる連結ラッ
クは有限種類しか存在しないことが分かる.即ちある Y1 , ..., Ym が存在して,X n を連結
ラックへの分解が
Xn ∼
= cn,1 · Y1 ⊔ · · · ⊔ cn,m · Ym
と表せる.
定理 4.1 の証明の概略. D を F の黒板枠づけによる線つきダイアグラムとする.ここで,
黒板枠づけという用語は 1 次元枠つき結び目のアナロジーとして用いている.まず,向き
を表す法線ベクトル方向に D を n 重化して得られるものを D(n) とかくと,これは F (n)
のダイアグラムとなっていることに注意する.X を有限カンドルとする.X 彩色された
D(n) の平行する n 枚のシートを 1 枚のシートとみなすことを考える.その際その 1 枚の
シートには,元の n 枚のシートに乗っていた X の元を並べた n 組を乗せる(図 4.2 参照).
実は X n のラック構造の定義より,この X n の元が乗った D は「X n 彩色された D」とな
り,しかも元の D(n) の X 彩色と D の X n 彩色には 1 : 1 の関係にある.f˜ の定義から,
F (n) の X を用いたカンドルコサイクル不変量は F の X n を用いたラックコサイクル不変
6
量となる.最後に F の連結性を用いることにより,X n の連結ラックへの分解が X n 彩色
集合の分解と対応することが分かり,結論を得る.詳細は [6] を参照されたい.
図 4.2: X 彩色と X n 彩色
次に奇素数 p 位数の二面体カンドル Rp 及び四面体カンドル Q4 について得られた結果
を述べる.まず,Rp の場合について述べる.証明は [6] を参照されたい.
定理 4.3 ([6]). F = (F, s) を枠つき曲面結び目とし,φ を望月 3 コサイクルとする.
([4])
(1)
n が奇数のとき,
{
colRp (F
(n)
)=
pn−1 colRp (F ) (枠 s が H 1 (F ; Z) の中で 2 で割り切れるとき)
colRp (F ) (枠 s が H 1 (F ; Z) の中で 2 で割り切れないとき)
である.
n が偶数のとき,
{
colRp (F (n) ) =
pn (枠 s が H 1 (F ; Z) の中で p で割り切れるとき)
pn−1 (枠 s が H 1 (F ; Z) の中で p で割り切れないとき)
である.
(2) n が奇数であるとき,
{
pn−1 Φφ (F )|v7→vn (枠 s が H 1 (F ; Z) の中で 2 で割り切れるとき)
Φφ (F (n) ) =
Φφ (F )|v7→vn (枠 s が H 1 (F ; Z) の中で 2 で割り切れないとき)
である.
定理 4.3 より,Rp 彩色数の多重化公式については完全に決定できた.また,望月 3 コサ
3 (R ; Z/pZ) ∼ Z/pZ の生成元であること([4])に注意すると,カンドルコサ
イクルが HQ
=
p
イクル不変量の奇数重化公式については完全に決定できた.
次に,Q4 の場合に述べる.Q4 彩色数の多重化公式は次の通りである.証明は [6] を参
照されたい.
定理 4.4 ([6]). F = (F, s) を枠つき曲面結び目とする.このとき,
7
n が 3 で割り切れないとき,
colQ4 (F (n) ) = colQ4 (F ) +
4n−1 − 1
· colZ (F)
3
(n が 3 で割り切れないとき)
である.ここで Z は {(x, y) ∈ Q24 |x ̸= y} にラック演算を (x, y) ∗ (a, b) := (x ∗ a, y ∗ a)
と定義した位数 12 の連結ラックである.
n が 3 で割り切れるとき,
{
4n−1
(n)
colQ4 (F ) =
4n
(s が H 1 (F ; Z) の中で 2 で割り切れないとき)
(s が H 1 (F ; Z) の中で 2 で割り切れないとき)
である.
謝辞 「結び目の数学 VII」において講演の機会を与えてくださった東京女子大学の大山淑
之教授と新國亮准教授に深く感謝申し上げます.
参考文献
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