服部 正俊

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ヴォーカル
学に在学中の学生だったとい
う彼ら。サザン・オールスタ
ーズが作ったベターデイズと
いう軽音楽サークルで、メン
バー達は知り合った。バンド
名のイエロー太陽’ の由来
は何だったのか聞いてみると
⋮
﹁当時の日本人がイエロー
人種等と呼ばれていたので、
日本人によるニューウェーブ
ということで、︻イエロー︼
と、朝帰りに見える﹁黄色い
太陽﹂がどこかで融合された
のかもしれません⋮正直あま
り覚えてないんです⋮笑﹂
﹁イカ天に出演してみたい
と思ったキッカケは、殆どノ
リでしたが、ライブハウスの
限られた人々だけではなく、
もっと幅広く自分たちの力を
突如世間に問いたくなり⋮出
てるバンドを観ていたら、こ
れならひょっとして、俺達で
も出れるのでは?と思って応
募してみました 笑﹂
その頃の番組は、4月8日
に3代目イカ天キングだった、
﹁フライングキッズ﹂が初代
グランドイカ天キングに輝き、
キング不在だった翌週の 日
に﹁パニック・イン・ザ・ズ
ゥ﹂が仮イカ天キングになっ
ている時だった。この日の出
演者の中には、後に、イカ天
出演バンドの中でも、一目置
かれる存在となる﹁梅毒ジェ
ラシー﹂もいた。イエロー太
陽’ は、一度聞いたら、耳
から離れない﹁赤いチョコレ
ートの下で﹂という曲で挑戦。
仮キングだった﹁パニック・
イン・ザ・ズゥ﹂を破って、
第4代目イカ天キングになる。
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﹁︵﹃赤いチョコレートの
下で﹄は︶秘話という美しい
ものは一切なくて、とにかく
アッ!という間に 分位で出
来たのを覚えています。永福
町のマンションの一室で、パ
ンツ一丁で作りました﹂
キングになった曲、﹃赤い
チョコレートの下で﹄は、軽
快なリズムのポップス。冒頭
でも触れたように、﹃チョッ
コレート、チョッコレート、
チョッコ、チョッコ、レート﹄
のフレーズは、頭の中に残っ
て何度も聞きたくなる。
名曲誕生秘話
↓イカ天出場時のイエロー太陽’S
服部さんは、 分で曲を作
ったと答えているが、 分で
出来た曲にしては、完成度が
非常に高い。この曲、イカ天
を代表する名曲のひとつであ
るが、名作とか、名曲という
のは、案外、頭の中から形に
なるときは、すぐに出来るも
のなのかもしれない。
30
S
結成当時のメンバーは、服
部正俊︵ヴォーカル︶、今野
潤一郎︵ギター︶、古屋敷正
巳︵ドラム︶、吉田展子︵ベ
ース︶、山崎浩続︵キーボー
ド︶。このメンバーで、彼ら
はイカ天の番組に出演する事
になる。
イエロー太陽’ がイカ天
に出演したのは、1989年
4月 日の事だった。
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30
イカ天は、
カ天キングに輝いた﹁イエロ
ー太陽’ ﹂。歴代のキング
の中でも、仮イカ天キングに
なった﹁パニック・イン・ザ
・ズゥ﹂と並び、後期にも出
演したバンドである。
今回の﹁この人に聞く!﹂
は、 年経った現在も、元気
に音楽活動を続けている、ヴ
ォーカル担当の服部正俊さん
に、イカ天時代から、現在の
活動についてお話を伺いまし
た。
メンバー全員が青山学院大
VOL.005
原点
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インタビュー
歴代のイカ天キングの中で、
年経った今でも鮮明に記憶
に残っている何組かのバンド
があるが、彼らも、その﹃記
憶に残るバンド﹄の一組であ
る。
女性一人と男性4人の編成。
ヴォーカルが大きな太陽マー
クのTシャツで出演したのが
印象的で、一度、聞いたら頭
から離れない﹃チョッコレー
ト、チョッコレート、チョッ
コ、チョッコ、レート﹄のフ
レーズでお馴染の、第4代イ
20
この人に ﹃ずっと年を取らない恋人﹄
聞く!
イエロー太陽’S
服部 正俊
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