第10回 林道てくてく 江戸時代の五街道の一つ甲州道中と林道を歩く

第10回
林 道
てくてく
(高尾駅∼小仏峠∼栃谷坂沢林道∼小原宿∼相模湖駅)
江戸時代の五街道の一つ甲州道中と林道を歩く
看板もある。途中の水場から急勾
配の林道をフーフー歩いて200
mも行くと車道の終点となる。歩
き出しておよそ40分。ここから
つづらおりの急な山道が続く。し
かし、
道は砂利を敷き詰めてあり、
登山者が多く通るためか踏み固め
られているので歩きやすい。
第10回の「林道てくてく」は
県北部の林道を歩く。
県北部は「てくてくの3原則」、
すなわち日帰り、公共交通機関利
用、見所ありに即してみると、交
通の便や見所に欠けるきらいがあ
り、格好なルートを見つけにくい。
考えたすえ、林道を歩く距離は
短いが、江戸時代の主要道路であ
った甲州道中と連結させて歩くこ
とにした。
コースは、中央本線「高尾駅」
―(バス)―終点小仏―小仏峠―
栃谷坂沢林道――国道20号線―
小原本陣――中央本線「相模湖駅」
の約8kmの道のりで、休みや小
原本陣などの見学を入れても5時
間あれば十分である。
甲州道中
甲州道中は、東京日本橋と下諏
訪を結ぶ延長210kmの道。 小仏峠を超えて県内の小原、与
瀬、吉野、関野の宿場を通り、山
梨県を縦断し、長野県の下諏訪で
碓氷峠を越えてくる中山道と合流
する。国道ができる明治21年以
前は、
江戸と幕府直轄領の甲斐
(甲
州)を結ぶ大動脈で、富士や身延
山への参詣の道でもあった。 小仏峠に向って
高尾駅を出たバスは、往時の面
スギ林の中に残された広葉樹林
影を残す細い道に入り、関所のあ
った駒木野宿の軒をかすめて走る。 の日だまりで一休み。今日は1月
初旬、時期が時期だけに汗をかく
中央高速道路と中央本線も同じ
ほどでないが、時期によってはそ
谷間に平行して通る。高尾山の裏
れなりの覚悟がいる道である。
にあたる地域で、その名もずばり
つづらおりから斜面にそった道
の裏高尾町。
20分ほどで終点の小仏に着く。 となり、だんだんと展望も開けて
くる。八王子方面の市街地が谷の
ここも、かつては「小仏宿」であ
ったが、その面影は残っていない。 形に縁取られて見えてくると峠は
すぐそこ。バスを降りてから約1
小仏峠までは2.
8kmの距離。
時間半の行程である。
少し行くと、東京都の天然記念
小仏峠
物に指定されている「カゴノキ」
小仏峠は、関東山地の高尾山に
の大木がそびえる宝珠寺がある。
連なる城山と影信山の鞍部にある
この木は県内でも高麗山などで
標高548mの峠で、東京都と神
見ることができるが、中々お目に
かかれないので一見の価値がある。 奈川県の境になっている。
舗装道路が終わり砂利道となる。
周りはヒノキが一部混じるスギ
の林。樹齢は50∼60年生くら
いであろうか。所々に大木も混じ
る1面の人工林となっている。
この甲州道中のルートは、東京
都道・神奈川県道516号淺川相
模湖線となっているが、500m
峠から八王子方面の展望
ほどは国有林の林道としても利用
江戸時代末期に編纂された新編
されているようである。
相模国風土記は、
「武相2州境界の
緑の保全を訴える東京営林局の
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底沢林業
峠なり。
・・・北は案下山より檜原
ここ相模原市緑区相模湖町底沢
山、大菩薩峠に連り南は日蓮牧野
一帯は底沢林業地として知られた
の諸山より大室山・足柄山・箱根
所である。
植林する場合、
尾根松、
山につづく・・・」と記す。
谷スギ、中ヒノキといわれている
峠に小さな仏像が安置されてい
スギは湿った土壌を好み、
たのが名前の由来であるという。 ように、
峠には昔から2件の茶屋があり、 山の斜面の下部で水分が多く、し
明治天皇も明治13年(1880) かも水はけのよい土地を好む。破
の山梨巡幸の際に休んだというが、 砕された小仏層はスギの生育に適
した地質で神奈川の美林50選に
この日は営業していなかった。
も選ばれている。スギと日本の文
このあたりの地層は、砂岩と粘
板岩の互層からなる小仏層といい、 化に果たした役割などについては、
「スギは日本の杉である。
そして、
県内最古の地層である。7千万年
日本はスギの日本であった」で始
∼1億年前の中生代白亜紀に海底
まる遠山冨太郎の名著「スギのき
にできた地層で丹沢山地の衝突に
た道」に詳しい。ぜひ一読を。
より地層が隆起しため傾斜角度が
急で、しかも粘板岩が変成して千
枚岩状になり、水が浸透しやすく
崩れやすい。
山を下る
下り道は、風土記にいう「坂路
曲折その数を知らず」のとおりで、
つづらおりの急な下り坂となる。 山道は東京都側のように手を加
えられていないため、往時の面影
底沢の植林地と中央高速道路
を残している。坂道にあえぐ旅人
県北部地域と御林
の息遣いが聞こえてきそうである。 甲州道中は、相模川の河岸段丘
あたりはスギやヒノキの林とな
に開けた集落の間を通っている。
っているが一部に竹林もある。
この地域は合併により相模原市
緑区となったが、旧の相模湖町、
藤野町、津久井町、城山町は津久
井郡に属し、中世時代には愛甲郡
奥三保(おくさんぼ)と呼ばれ、北
条氏滅亡後は徳川家康などの領地
となったが、貞享元年(1684)
に幕府領となる。これにともない
神奈川県側の甲州道中
津久井領という名前を全国でもこ
こ一つという「津久井県(つくいが
中央高速道路が見えてくると栃
た)」と改め、明治3年まで続く。
谷坂沢林道は目と鼻の先。
地域を支配する幕府代官は、1
右に行くと美女谷温泉との標識
8世紀半ばからは伊豆韮山に代官
がある。何ともいい名前の温泉で
所を置く江川太郎左衛門であった。
あるが、風土記には「伝説に往昔
是処より美女出でければ、遂に地 地域の大部分を占める森林は木
材、薪、炭の供給地であったこと
名となるという今その事実を探る
から、幕府は仙洞寺山や城山など
に詳なることを知らず」とそっけ
の森林1400haを「御林」と
ない。地元では小栗判官と照手姫
の話をむすびつけて語られている。 して、江川氏のもとに山守をおい
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て厳しい管理を行った。現在、御
林は国有林となっている。
栃谷坂沢林道
林道を左手に行く。
ようやく「林
道てくてく」となる。栃谷坂沢林
道は、旧相模湖町底沢から旧藤野
町栃谷地区とを結ぶ幅員4m、延
長10.9kmの林道である。昭
和35年(1960)に開設に着
手し、昭和61年(1986)に
全線が開通した。林道は、底沢林
業地を貫き、森林の整備や利活用
だけでなく、一部の区間は地域の
生活道路ともなっている。
栃谷坂沢林道
しばらく静かな林道を周囲の
山々を眺めながら行くと、ほどな
く国道20号線。
小原宿と小原本陣
小原の宿に入る。江戸から16里
(63km)
、
9番目の宿場である。
宿場や本陣の資料等を展示して
いる施設もある。通りには面影を
残す古い家も残り往時を偲ばせる。
大名などが宿泊した本陣は、県
の重要文化財に指定されている
堂々とした造りの建物で、中を見
学することもできる。
県内で唯一現存する小原本陣
国道をしばらく行くと相模湖駅
となる。 (2011.1 瀧澤)