天童ロータリークラブ 天童ロータリークラブRI ロータリークラブRI DD-2800 20142014-2015 会長 鈴木修次 幹事 佐々木孝宏 2015年3月20日(金) 日 時 司会 伊藤秀治 君 ○本日のプログラム 移動例会・懇親会 18時~ 水車そば3F・2F 会員スピーチ 「モンテディオ山形とサポーター 」 卓話者 会長挨拶 須藤 智 君 鈴木修次 君 今日は、プログラム委員会の皆様にご無理を言いイブ ニング例会を開催して戴きました。誠に有難うございま す。今年度私は、4つの柱の基、クラブテーマに「ロータ リーを楽しみましょう」と掲げさせて戴きました。そし てその柱の1つに「会員同士の親睦を深めましょう」があ ります。例会に於いて卓話を戴きその後、その共通した 話題で互いに話し合う機会が出来れば、互いに親睦を もっともっと深めることが出来ると考えます。ロータ リーは確かに哲学があり、それを学ぶことを最優先にし なければなりませんが、親睦からも大いに学ぶことが出 来ると思います。ロータリーは人をつくると言います が、私達が例会に出て、「今日は、啓発を受けて磨かれ た。や は り、 ロータリーは素 晴らしい」など という事はあり ません。 1915 年に書かれた、 初期ロータリー のバイブルとい われるガイガン ディカの「ロー タリー通解」で 彼は、「ロータ リークラブの個々のロータリアンに対して与える自己改 善の要素は、一瞬、一刻の尺度をもって図ることは出来 ない。十年、二十年と時間をかける内に、ロータリーが その人の心にインプットしたその進歩は単なるメッキの 域を脱して本質的な体質改善になるのである」と言って います。私達ロータリアンが、良質な会員になる為には 時間が必要です。現在、天童RC会員の現状を見ると、3 年未満の会員数は10人で全体の約24%を占めています。 そこでロータリーの初期の目的であった、職業上の結び 付を通じて友好的交流関係(物質的互恵と親睦)を大い に 行いた いと 考え、今日 の例会 とな りまし た。私達 は ロータリアンは、その親睦を以って、自分を磨き、その 磨いたエネルギーを以って行動に移せば、ロータリーの 奉仕に繋がるのです。 通算回数 2800回 本年度第35回 また、ガイガンディカの「ロータリー通解」の中に次 のようにも記載がされています。「ロータリークラブは 一業一会員制度を以って選ばれた良質な職業人の自己研 鑚を遂げるべき場の事をロータリーは親睦と呼ぶ、ロー タリーはその親睦の場に於いて自己を磨いた後は、その 自己を磨いたエネルギーを以って、世の為、人の為に外 部的に活動するのであります。これがロータリーにおけ る奉仕の理念であります。」つまり「片や親睦、片や奉 仕」の2原則と言われています。今日は大いに親睦を図 りましょう。 本日のプログラム 会員スピーチ 「モンテディオ山形とサポーター 」 卓話者 須藤 智 君 本日は卓話をさせて頂きますこと、誠に感謝いたして おります。 Jリーグ開幕 リーグ開幕 当然昨年の劇的な結果、今年見事にJ1に復帰しまし た、モンテディオ山形に関わる話になりますが、それだ けに留まらない内容にしていきたいと思っています。 さ て現在のサッカープロリーグはJ1からJ3まで存在し クラブ数は52にもなっています。しかしJリーグの最初 は、23年 前1992年 の ナ ビ ス コ カ ッ プ か ら 始 ま り、1993 年5月15日のリーグ戦が開幕 しました。会場は現在改修中 の国立競技場、ベルディ川崎 と横浜マリノスの試合は、皆 様もテレビでその試合をご覧 になった方も多くいらっしゃ ると思います。しかし、私は サッカーそのものにあまり関 わりが無く興味もなかったことで、どんなチームがある のかと思っていた程度でした。 その中で一番気になっていたチームは荒井副会長さん のふるさとにある鹿島アントーズでした。後に知ること になるのですが、実はアントラーズは最初のJ リーグ 開幕時の10チーム中では唯一日本リーグ時代の二部に 入っていたチームでありました。それでも参加できた理 由は条件として提示されたサッカー専用競技場新設が達 成できたからということです。この様にJリーグは百年 構想というサッカーを含めたスポーツで、豊かな日本を 築くことを目的に掲げたプロリーグであり、楽しむだけ でなく新しい職場を創造し、施設や環境を整備すること も目的に作られたものと聞きます。新たな取り組みだっ たからこそ、新しい物語が出来てくるのですが、その最 初の奇跡となったのが、二部から参加したアントラーズ のファーストステージ優勝でありました。この勝因は、 ブラジル代表でも大活躍していたジーコの加入による、 アマチュアチームからしっかりとしたプロサッカークラ ブへの取り組みという大きな改革が花開いた結果であり ました。 NEC山形全国リーグへ べにばな国体で強化指定されていた山形のサッカー チームが東北チャンピオンになり、全国リーグへ昇格し たことを知りました。そのチームこそ後のモンテディオ 山形であるNEC山形でした。その当時Jリーグは12 チームあり、その下がJFLリーグでしたが、18チームに よりリーグ戦を行うもので、Jリーグ程の華やかさはな いものの、全国との戦いが楽しみになっていました。そ して年が開けて1994年NEC山形の初戦を見に現在のN Dソフトスタジアムに行きました。 サッカーの見方も分からない、選手に誰がいるかも分 からない、スタジアムでなんとなくぼんやりと眺めてい たように覚えています。その試合は残念ながら負けまし た。そして第二戦目が5月5日の子供の日、4000人以 上の 観客でうまったようでした。試合は1対1のままPK戦に突 入し、何と勝ってしまったのでした。その時にPKであ るものの、ゴールする喜び、勝つことの楽しさなどを知 り、私がずっとサポートするのも、ここが原点だったよ うな気がします。 J2リーグ参戦 1999年。Jリーグにも二部のリーグが始まることにな り、参加の条件である法人化が山形にとっては最大の問 題になっていました。ずっとチームを支えていたNEC 山形でも資金的な問題があり会社を作ることは不可能と なりました。そこで、最終的には川淵チェアマンからの 助言もあり社団法人という形でのJ2リーグ加入となり ました。そして大きな転機となったのが2001年。次の年 が日韓ワールドカップということもあり、全国的にも サッカー熱が高くなっていた時、就任したのが柱谷幸一 監督でした。それまで全国的に名前の知られた人のいな いチームにはじめての有名人が加わったのでした。そし て迎えた11月18日の最終戦。その試合でモンテディオ山 形が勝てばJ1昇格ということになり、スタジアムはな んと1万8千人もの人で膨れ上がりました。とりあえず青 いもの身につけようと、ユニフォームは当然売り切れ、 ユニクロやイオンなどの青いフリースも売り切れ、街中 から青い着るものが 消えた状況でした。 結果は残念ながら仙 台の昇格、がっかり して燃え尽きた中、 肩を落とす選手に 「顔上げろ」「よく やった」と最後まで 応援の声を続けたサ ポーターに感動し、 昇格が決まれば揚げるつもりの「山形の誇り」という 旗を掲げていました。その内容は山形新聞にも掲載され ました。 J1三年目2011年東日本大震災があったことが理由で はないのでしょうが、山形は力なくJ2降格してしまい ます。でも選手はそのままの戦力を保ちながら3年が経 ちましたが、昨年のプレーオフへ6位ですべりこみ。山 岸選手奇跡のヘッドと山崎の意地の一点と必死に攻撃を 食い止めたことで4年振りにJ1リーグでの戦いになり ます。52チームあると言っても、施設の整備も必要で あり、ただ強ければJ1に行ける訳でもありません。お 金も少ない、山形出身の選手もいない、そんな山形です が、事実としてJ1のチームです。ただし安心して見て だけいては、いつ落ちるか分かりません。とにかくスタ ジアムを常に一杯にすること。これが一番のサポートで す。そして会社の方は是非賛助会員や看板等のスポン サーになって頂きサポートしてほしいと思います。 17 年間サポートを続けられたこと、これは夢の実現に関わ る楽しさなのかもしれません。但しJリーグ100年構想 の途中ですから、まだ83年。その時山形のチームがどの ようになっているのか夢見て、今できることをやる。こ の行動は多くの楽しさを産みました。 市立公民館毎に 応援隊があり、天童市の連合組織もある。Jリーグの中 でどこを見てもそんな事をやっているチームはありませ ん。元々社団法人であったこと、住民の税金によって運 営されていること、山形は実はその存在そのものが奇跡 なんです。このように試合を楽しむことも良いのです が、関わることで様々な物語を感じることができます。 いよいよJ1が始まりました。奇跡のチームを楽しんで 応援していきましょう。モンテディオ山形の選手は色々 と移籍等はありますが、サポーターは移籍しません。山 形総力戦をやっていきましょう。山形県民全員のチーム なんですから。 二年間有り 二年間有り難うございました 本日最後の例会出席となりま した。はじめて東北に転勤にな り、この二年間大変貴重な経験 をさせていただきました。有り 難うございました。 例会場 :ほほえみの宿 天童ロータリークラブ 天童ロータリークラブ 松村正幹 君 滝の湯 例会日 :毎週金曜日 12:30~13:30 事務局 :天童商工会議所内 遠藤啓子 電話/654-3511 天童RC クラブ会報委員会 委員長 ☆須藤孝一 副委員長 (作成担当者☆印) 委員 伊藤秀治 加賀善子 仲野益美 武田幸夫
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