立山・黒部アルペンルート・トロッコ列車・ 新穂高・高山・白川郷を巡る、4

立山・黒部アルペンルート・トロッコ列車・
新穂高・高山・白川郷を巡る、4日間の旅
(2015年10月20日~23日)渡 邉 徹 記
旅の3⽇⽬、新穂⾼ロープウエイの乗り⼝「しらかば平駅」に着いた途端、シンセサイザーの
得も⾔われぬヒーリング曲が⽣演奏中。そこで購⼊した「⼤空へ」のCDを聴きながら執筆中?
です。(正確には、単なる旅⾏感想⽂です。)
Ⅰ
結論
1、どんなにか美味しい料理を、グルメレポーターが「⼝の中で、とろけます。」とか
「⾁汁が、じゅわっと⼝の中に広がります。」と⾔っても、どんなにか素晴らしい景⾊を、名⽂家が
「この世の物とも思えぬ世界です。」と書いても、所詮は絵に描いた餅。旅は、⾏ってみて・
⽬で⾒て・⾃分で味わってみてなんぼのものと実感しました。
2、秋の旅⾏・春のバス旅⾏・散策のお⼿伝いをしていて気になるのが天気と参加⼈数。
⼀週間前頃から、現地の週間天気予報に⼀喜⼀憂します。今回は、台⾵24・25号が少し
気になりましたが、
東北・北海道を除き、いつ⾒ても☀☀☀☀☀。実際、出発から到着まで好天続きでした。
むしろ天気が良すぎ、気温が⾼く、霞んで⼭並みが⾒えないこともありました。4⽇間パー
フェクトは「松江・出雲・⽯⾒銀⼭・萩・津和野」の旅以来、6年ぶりの快挙でした。
Ⅱ
前置き
1、春にご案内しましたところ、ほどなく定員の36名に達しました。ところが、業界の要⼈・
超成熟集団の⽅が多く、旅⾏が近づくにつれ不都合が⽣じ、最終参加者は27名になりました。
30名以上とそれ以下では旅⾏代⾦が隋分違います。旅⾏会社と打ち合わせした結果「アイアン
クラブ様にはお世話になっており、今後もお世話になることから、旅⾏の質は落としませんが、
何とかやり繰りをして追加料⾦は、頂きません。」
業界の掟破りかもしれませんので匿名にしますが、H交通社さん本当に有り難うございました。
2、旅⾏前⽇の午後、重い荷物も送ったし、事務局から何も不都合の連絡も無いし、いよいよ
明⽇の出発を待つのみと、唾を飲み込んだら咽喉がチクリ。医者⽈く「⾵邪です。無理をしない
ように。」「いや、明⽇から4⽇間、どうしても抜けられない旅⾏がありまして。」医者重ねて
「それは、貴⽅の問題です。医者として⾔えるのは、無理の無いように。」酒と薬の⼒で8時
に就寝しました。天気と⼈様の事を⼼配する前に、⾃分の⼼配をしろと⾃戒しました。皆様、
ご迷惑おかけしました。
Ⅲ
⼤まかな旅程
1、10⽉20⽇(⽕)北陸新幹線「はくたか」で東京駅から⿊部・宇奈⽉温泉駅。昼⾷後、
⿊部川電気記念館⾒学。トロッコ列⾞で宇奈⽉温泉と釣鐘駅往復。宿は、宇奈⽉温泉:延対寺荘。
2、10⽉21⽇(⽔)バスで北陸⾃動⾞道経由⽴⼭駅。ケーブルカーで美⼥平。⾼原バスで室堂。
昼⾷後、トンネルトロリーバスで⼤観峰。ロープウエイで⿊部平駅。ケーブルカーで⿊部湖駅。
徒歩で⿊部ダムを渡り⿊部ダム駅からトンネルトロリーバスで扇沢駅。⽴⼭駅で別れたバスで
⼤町温泉:緑翠亭景⽔。
3、10⽉22⽇(⽊)
バスで新穂⾼。昼⾷後、しらかば平駅からロープウエイで⻄穂⾼駅往復。この⽇は、⾶騨⾼⼭
温泉:⾶騨亭・花扇。
4、10⽉23⽇(⾦)
バスですぐの⾼⼭陣屋・朝市・古い町並み⾒学。バスで、⽩川郷。昼⾷後、ガイドさんの案内で⽩川郷
⾒学と⾃由散策。東海北陸⾃動⾞道経由で、富⼭駅。北陸新幹線「かがやき」で富⼭駅から東京へ。
Ⅳ
本論
1、10⽉20⽇ ①27名の参加者とお世話頂く阪急交通社の添乗員那須さん、
お天気も良いせいか、ニコニコ顔で集合時間前に全員集合です。午前8時、
環境性能を考慮した、流れるようなワンモーションラインの先頭形状に、
⾞ 体 上 部 は「空 ⾊」・⾞ 体 ⾊「ア イ ボ リ ー ホ ワ イ ト」・⾞ 体 中 央 の 帯 ⾊
「銅⾊と空⾊」の12両編成の⾦沢⾏き、はくたか555号⼊線。8時12分
定刻通り出発しました。3泊4⽇の旅の始まりです。
当家にとっては、ちょいと贅沢旅⾏。グリーン⾞に深々と座り、遅い朝⾷をとっているうちに、
⼤宮・軽井沢・⻑野を過ぎ、波静かな⽇本海を眺めている間に、10時59分、⿊部・宇奈⽉温泉駅
到着。出迎えてくれたのが、4⽇間お世話になる、富⼭地⽅鉄道所属のバス運転⼿⾼⽊さんとガイドの
登⽴さん。②先ずは、本⽇宿泊先の延対寺荘にて松花堂弁当の昼⾷。(⾷事については後述。)
その後、トロッコ列⾞始発駅そばの、⿊部川電気記念館⾒学。③13時11分発⿊部峡⾕鉄道
のトロッコ列⾞リラックスシート⾞で約1時間の「鐘釣駅」へ。10⽉の半ばから暖かい⽇が
続き、沿線の紅葉は、まだまだでした。元々、作業・資材運搬⽤の狭軌の列⾞の為、乗り⼼地
良くなく、騒⾳もありましたが、暖かな⽇で、⾵もなく⿊部川の⾵景を満喫しました。健脚の
何⼈かは、200段近い階段をものともせず河原まで⾏かれたようです。万年雪(何年か前に
⾒ましたが、⿊く汚れ、これ雪?)が有名ですが、今年は消えていました。14時57分発特
別客⾞で、宇奈⽉駅へ、16時過ぎ、宇奈⽉温泉:延対寺荘に早⽬の到着です。
注:⿊部峡⾕鉄道(通称トロッコ列⾞)(а) 昭和2年、⽇本電⼒が⿊部川沿いの電源開発を
⽬的に開通させたもので、昭和12年、現在の終点駅欅平まで延伸。(20.1km)その後、関電が
引き継ぎ、昭和46年、分社化され、現⿊部峡⾕鉄道となった。今も、観光客とともに、沿線の
ダム・発電所向け資材の運搬に利⽤されている。(b)冬期、積雪が多く、12⽉〜4⽉中旬までは
運休。(この間に、⾞両その他の保守点検。)線路沿いに、ほぼ全線に亘りコンクリート製の
シェルター状の冬期歩道があり、運休期間中これを利⽤して徒歩でダム・発電所へ移動している。
④朝が早く、昼⾷が少し軽かったせいもありますが、皆さん温泉で磨き上げたお顔とお肌で
早⽬に⼣⾷会場へ。初参加の栗川さんのご挨拶。(ゴルフ・旅⾏⼤好き・エンタテイナーの
ご主⼈。奥様は、⻑く合唱団でご活躍との事。)
猪熊団⻑(第⼆事業委員会副委員⻑)から「⾬も、⾵も、寒さも無く、上天気の良い初⽇でした。」
(これには裏がありまして、昨年の対⾺の2⽇⽬、氷⾬・強⾵の⼀⽇、上島副理事⻑が、ご挨拶で
「宮沢賢治の⾬にも負けず…を思い出しましたが、皆さん今⽇は良く頑張った。」をうけたもの。)
ウイットに富んだご挨拶と乾杯のご発声。⼭海の豪華料理に、ビール・⼤吟醸・ワインの杯が
⾶び交い初⽇から⼤盛り上がりでした。
2、10⽉21⽇
①和洋バイキングの朝⾷後、8時10分
バスで出発、⿊部インターから北陸⾃動⾞道で、⽴⼭インター経由
⽴⼭駅へ。バスとはここでお別れ、⼣⽅、扇沢駅でドッキング。
(乗⽤⾞の場合、扇沢駅までの回送料26,000円だそうです。)
②いよいよ、⽴⼭⿊部アルペンルートのスタートです。⽴⼭駅
(標⾼475m)から平均勾配24度のケーブルカー7分で美⼥平駅
(標⾼977m)。⾼原バスで九⼗九折の坂道23kmを50分で
室堂駅(今回の最⾼到達地点2,450m)に到着。途中、⽇本⼀の
落差350mの「称名滝」や浸⾷カルデラの溶岩台地の弥陀ヶ原
を眺めながら、⾼地の10⽉下旬紅葉は終わっていましたが、
カーブを曲がるたびに、急峻の⽴⼭連峰をはじめとして景⾊が
くるくる変わり、⾞内は歓声に包まれていました。レストラン⽴⼭で、観光地にしてはまず
まずの昼⾷後、1時間強の⾃由散策。
閑話休題(а)観光シーズンの名だたる観光地。バスが着くたびに⼈で溢れかえり、那須さん
の旗を⾒失わないように歩きました。(b)中々商売上⼿。⽴⼭駅・美⼥平駅・室堂駅、ここ
でしか買えない駅限定商品の宣伝につられ買い。(c)沢⼭の外国⼈観光客(台湾の⽅が、
多く感じました。)、試⾷品が本⾷になりすぐ無くなるので、無い時は、⽇本語で試⾷したい
と⾔えば出てくるとか!?
室堂は、10⽉8⽇に初雪。その後、暖かい⽇が続き雪はほとんど消えていました。外気温は8度ぐらいと
低いですが、太陽がさんさんと降り注ぎ、⾵は無いのに空気は澄み渡り「いやはや恐れ⼊りました。」
の⼀⾔でした。(7⽉から室堂でほぼ毎⽇、観光案内しているボランティアの⽴⼭ガールさんも、
こんな⽇は年に何度もありませんとの事。)ミクリガ池のバックに、急峻の⽴⼭連峰の稜線が
鋭⾓に重なり、⿊い地肌・⽯灰岩の⽩・枯草の⻩・ハイ松の緑が織りなす様は、とても⾃然の
物とは思えません。砂絵の名⼈が、定規で正確に測りながら作った⼈⼯の砂絵の作品に⾒えました。
③13時45分室堂発、電気で⾛るトンネルトロリーバスで⽴⼭を10分で横断、標⾼2,316m
の⼤観峰へ。⽴⼭連峰の富⼭県側から⻑野県側に出たわけです。(まだ富⼭県です。)⼤観峰で
も⾼いのに、皆さん頑張って100段以上⾼い展望台まで、お元気そのものです。ここから
ロープウエイで1,828mの⿊部平。更に、ケーブルカーで1,455mの⿊部湖に到着です。
雄⼤な⼭並み、澄んだ空気の中で、空⾊の⾊紙を張り付けたような⿊部湖の湖⾯。ただただ、
ため息をつくだけでした。492mの⿊部ダムの堰堤を歩き⿊部湖駅⼊り⼝に。
(どれだけ素晴らしかったかは、⾏ってみてください。)
注:⿊部ダム(а)三船敏郎・⽯原裕次郎主演の映画「⿊部の太陽」で知られる⿊部ダムは、
関⻄電⼒の⿊部川第四発電所。7年の歳⽉・莫⼤な⼯費・多数の殉職者を⽣み、昭和38年
完成した⽇本屈指のアーチ式コンクリートダム。
(b)堰堤の⾼さは⽇本⼀の186m。貯⽔量2億㎥。年間100万⼈の観光客。ダムの放⽔は、
10⽉15⽇で終わりでした。
④⿊部アルペンルート最後の乗り物、トロリーバス⿊部ダム駅へと思ったら、⽌めは150段以上の階段
(那須さん「皆さんに申し訳なく事前に説明できませんでした。」)階段の上を⾒ず、⾜元だけ
⾒てたどり着きました。電気で⾛るトンネルトロリーバス、7分で⾚沢岳を横断。1,433m
の扇沢に到着。⻑野県に⼊りました。17時頃、今宵のお宿⼤町温泉:緑翠亭景⽔に到着。
⑤今⼣のご挨拶は、上島副理事⻑。「本当に今⽇も好天に恵まれ、素晴らしい景⾊も堪能し、5年寿命が
延びました。出来れば、来年は階段の無いところにしていただきたい。」(最終⽇のカラオケ会に
無理をお願いいたしました。「冷や汗をかいて、寿命が3年縮まった。差し引き2年しか得しなかった。」と
宣われてしまいました。2⽇⽬も、疲れをものともせず、呑んで⾷べて会話が弾みました。
3、10⽉22⽇ ①標⾼700mのこの地、表に出ると、ひやっとはするもののすがすがしい
朝です。此のところ、冷え込みが弱く、今年の紅葉はもう⼀歩との事でした。和洋バイキングの
朝⾷後、ゆっくりの9時15分出発。
松本⽅⾯(安曇野・穂⾼)に南下しながら新穂⾼に向かいます。⾞窓からは、北アルプスの⼭並みが⾒え
るはずでしたが、あまりにも上天気。霞がかかり残念でした。(⾒えません・・・)バスガイドさん
「⼀曲歌います。」と=緑の丘の⾚い屋根、とんがり帽⼦の時計台・・・=。昭和22年、菊⽥
⼀夫原作のNHKラジオドラマ「鐘の鳴る丘」の主題歌です。現安曇野市にあった⻘少年更⽣施設
(戦災孤児たちの共同⽣活施設)「有明⾼原寮」が、映画化された時のモデルになったそうです。
昼前に「穂⾼荘⼭のホテル」到着。美味しい昼⾷頂きました。②いよいよ、本⽇のメイン新穂⾼
ロープウエイです。標⾼1,308mのしらかば平駅から、2,156mの⻄穂⾼⼝駅まで、
121⼈乗り2階建てのロープウエイ7分で登ります。全⻑845mを3本の⽀柱で⽀えてるだけ、
⽀柱を通過するときの揺れは相当な物。⼜、すれ違う時の相⼿のスピードに驚かされました。
視界良好で、北アルプス連峰の⼭並みと眼下に広がる絶景を満喫しました。⼭頂の気温は7度。
⽇差しが少なく、今回で⼀番寒さを感じました。曇りと⾔うよりは、霞んでいるようで、南禅寺
の⽯川五右衛⾨の⼼境にはなりませんでした。でも、今宵の宿のある⾶騨⾼⼭に向かう途中、
最⾼の紅葉に出くわしました。全⻑150m・⾼さ70mの北アルプス⼤橋からの眺めです。
⾞窓からでしたが、ナナカマド・紅葉の⾚とブナの⻩が、⼣⽇に映え、それはそれは⾒事でした。
休憩地の道の駅で、⼤吟醸も仕⼊れ、⾼⼭温泉:⾶騨亭・花扇に到着。全てに床暖房が⼊って
おり、スリッパなしで歩けとても快適、ふんだんに⽊を使い重厚溢れる名旅館です。
③今晩は、恒例の⼤宴会です。先ずは、今井理事⻑(知識欲・好奇⼼旺盛。良く⾷べよく飲み、
階段があれば、躊躇なく⼀番上まで上る脚⼒。敬服いたしました。)のご挨拶。「今回は、北陸
新幹線に始まり⾊んな乗り物に乗りました。(2⽇⽬だけで、専⽤バスを⼊れると7種類。)
景⾊・天気⾔うことなしで、旅を満喫しています。添乗員那須さん、幹事さんご苦労さん。」
ねぎらいの⾔葉もいただきました。コンパニオンも⼊り宴会スタートです。
閑話休題 鄙には稀ではなく、鄙そのもののコンパニオンさん「アイアンクラブってゴルフの会。」
「違うよ。」「あ、分かった。アイアンだから鉄よね。鉄⼯所の社⻑さんの集まり?」
「違 う よ。も っ と ⼤ き な 会 社。」「私 も 知 っ て い る 会 社?」「そ う、○ ○ 会 社 と か。」
「え、嘘!!道理で皆さん、品の良いお顔をしておられる。」
聞いたお話です。
今宵も豪華な会席料理。道の駅で買い求めた地元の⼤吟醸酒に、今年も⼤喜多さん寄贈のワインが
花を添え、最初から⼤盛り上がりでした。宴たけなわですが、カラオケ会のスタートです。
アイアンクラブ歌姫の⾼崎夫⼈、今年も趣向を凝らし準備万端でしたが、直前に体調を崩され、公
演は来年に持ち越しです。
トップバッターは、栗川さん。「東京尋ね⼈」を時には歌詞を⾒ず、歌いこなしました。芸⼈です。
当分カラオケ会は安泰です。⼤喜多さん。「五番街のマリー」を切々と歌います。困ったときは、
何でも引き受けてくださる⾦丸さん。千昌夫の「⼣焼け雲」を⽬を細めて歌い上げました。⼼優しい
気配りの安達さん。「北の旅⼈」を抒情豊かに、上島さんは、北京出張の折のこの歌のエピソード
を交え「くちなしの花」を表情豊かに熱唱でした。昨年初デビユーの森脇さん。昨年の演歌から
コロッと変えて「コモエスタ⾚坂」を、持ち歌豊富と⾒ました。取りは、中澤忠義さん。なんと、
中澤夫⼈に、安達・⼤喜多・⼭⽥・渡辺夫⼈をバックコーラスに、お得意の「乾杯の歌」を熱唱、
盛り上がりましたねー!!お開きは、これも恒例の、全員壇上に上がり、三⽊前委員⻑指揮の下、
「⼭のロザリア」「⻘い⼭脈」「ふるさと」を歌い、全員⼤拍⼿の中、今⽇も⼀⽇無事終了しました。
4、10⽉23⽇ ①今⽇の朝⾷は和⾷膳。朝から宴会料理並みです。「皆さん⾷べて・飲んで・歌って・
騒いで、それでいて座は決して乱れず。」⼥将のお褒めの⾔葉を背に、ゆっくりの9時、出発です。
②バスですぐの⾼⼭陣屋跡に到着。説明員の⼥性の語り⼝・内容が素晴らしい。厳重な⾝分制の
下、⾨・⽞関・畳の縁の飾り・厠の区別。更に下の話。(ここでは書くのが憚れますので、ご⾃分で
現地でお聞きください。)説明を聞いた後、三々五々に分かれ、陣屋・宮川の朝市やら上三之町を中⼼と
する古い町並みや伝統的建造物、⼜、お⼟産屋さんを覗き、
ゆったりした午前を過ごしました。(勿論、太陽燦燦。暑く
て、仲良くソフトクリームを⾷べておられるご夫婦も。)
注:⾼⼭陣屋(а)1692年、⾼⼭藩主⾦森⽒を出⽻上⼭に
転封し幕府直轄領にした。⾦森⽒の下屋敷を代官所
(後に郡代役所)として治政を⾏った。豊富な⽊材・
鉱⼭資源と北の前⽥藩の情報収集が⽬的とか。
(b)約8,500坪の敷地には、治政を司る諸施設。
(お⽩洲もあります。)代官ほかの居室。年貢⽶他を
⼊れる広⼤な蔵。等が残っています。
③中部縦貫道・東海北陸⾃動⾞道を使い、約1時間で⽩川郷に
到着。例年だと、気温12〜3度ですが、今⽇は21度。お⾁の
朴葉味噌焼き等を肴に、ビールののど越しが格別の昼⾷でした。
(茅葺のお⾷事処忠兵衛で。)④世界遺産⽩川郷の⾒学です。
ガイドの蟻原さんと松古さんの2班に分かれ、⽩川郷が⼀望で
きる展望台に。⼀通り全体の説明を受け、その後、茅葺き
屋根の鐘楼⾨で知られる明善寺、和⽥家(1573年から
続く旧家で、国の重要⽂化財。現在の合掌造りの建物は
江⼾後期。代々、庄屋を勤め、⽕薬の原料となる「煙硝
づくり」で財を成した。養蚕も⼿広く⾏い、その名残が
2・3・4階に残っている。)を⾒学し、あとは⾃由散策。
暖かい⽇が続き、紅葉はまだ先。でも、のんびりとした
午後を過ごせました。
注:⽩川郷(荻町)(а)1995年、五箇⼭(相倉・
菅沼集落)とともに、世界遺産に登録。
(b)この荻町地区には、114軒の茅葺きの建物があり、
うち109軒が、国の重要伝統的保存建造物になっている。
(c)茅葺き屋根の葺き替えは、囲炉裏の煙の殺菌・殺⾍
効果で5〜60年に⼀度であったが、今は、囲炉裏を使う家
も少なく30年程度しか持たない由。
(d)葺き替え費⽤は、⼤きな屋根だと3000万程度(但し、国と村の補助が90%とか。)
(e)⽇本には、古来から「ゆい(結い)」呼ばれる共同労働の形態があり、⽩川郷の茅葺きの
葺き替え・⽥植え等その制度が残っているが、過疎化・少⼦⾼齢化で「結い」の維持も難しく、
屋根の葺き替えは、専⾨の業者に頼むことが多くなっている。(f)葺き替えの萱は、昔は、
当地区で賄っていたが、今、⼤部分は静岡御殿場産。
④16時過ぎ、⽩川郷に別れを告げ、旅の終点富⼭駅に17時半ごろ到着。お⼟産を買い求め、
18時12分発かがやき512号(勿論、グリーン⾞)で⼀路東京へ。軽⾷の「鱒寿司」を
⾷べてお休みになっておられ⽅が⼤半でしたが、幹事⼆⼈は、旅の成功を祝し名酒「⽴⼭」で
おだを上げました。20時18分上野。24分東京着。全員事故も無く・体調を崩すことも
無く、旅はお開きになりました。
Ⅴ
補筆
1、どれくらい⾛りました? ①⼀番北は、初⽇の⿊部・宇奈⽉温泉駅。南は、三⽇⽬の⾶騨⾼⼭。
⼀番東は、⼆⽇⽬の⼤町温泉。⻄は、四⽇⽬の⽩川郷。あくまで地図上の直線距離ですが、
北⻄の富⼭駅を⼊れると、東⻄85km・南北45kmの⻑⽅形を移動した感じです。
(途中での⾏ったり、戻ったりはあります。)これに東京まで⼊れると、柄の⻑い北⽃七星。
②バスの⾛⾏距離は、378kmでした。
2、旅館・温泉・⾷事は?
①三旅館ともご当地⼀流旅館ですが、私⾒では、⾼⼭温泉:
⾶騨亭花扇に軍配を上げます。②宇奈⽉温泉は、無⾊透明のアルカリ温泉「美肌の湯」。
⼭の神、特段の変化ありません、ローマは⼀⽇にして成らずですか?⼤町温泉は、庭園⾵呂を
はじめ七つの浴場がありますが、当⽇は、団体客多くゆっくり楽しめなかったのでは?
⾼⼭温泉は、ナトリウム炭酸⽔素塩泉。1200mから湧き出る⾃家温泉。⼤宴会が終わった
後なので、余計ほっとして温まりました。③⾷事は全て、椅⼦・⾼座椅⼦席で、⾮常に好評で
した。料理は、まさに⼭海の珍味。⽇本海の海の幸(勘⼋、⽢海⽼、イカ、マグロ、ヒラメ、
蟹、ノドグロ他)川の幸(鮎・岩⿂他)野の幸?(⾶騨⽜他)⼭の幸(松茸・エリンギ他)に
そば・うどん。⼿を変え品を替えの数々、覚えておられません。忘れてました、朴葉みそ焼き
も堪能しました。
3、お世話になりました!!①添乗員の那須さん。癒し系の声で、いつも⼼が和みました。
時間配分・各所とのネゴ等、名添乗員でした。②バスガイドの登⽴さん。説明が終わると、
必ずくすっと笑っていました。運転⼿の⾼⽊さん。誰もが嫌がる⽩川郷展望台への細い急な
道も⼆つ返事。最後の富⼭駅、駐⾞違反覚悟で、階段の無い場所にバスを⽌めてくれました。
③お世話役⼭⽥さん。
いつもニコニコ顔で、後⽅からバックアップ。
カラオケ会の裏⽅、写真班有り難うございました。皆さんに感謝です。
来年も、楽しい旅⾏企画致します。是⾮、是⾮多数の参加お待ちしています。