380 - 久留米医師会

久留米医師会
. . 発行所
久 留 米 医 師 会
久 留 米 市 櫛 原 町 番 地
印刷所 有 限 会 社 新 幸 印 刷
6月日開催。 津村体制2期目の第1回総会にあたり、 定款第5章第条及び定款施行規則第
7章第条に則り、 津村会長より岡田 清会員を議長に、 井上謙吉会員を副議長に委嘱が行われ
承認された。 議長開会宣言の後、 故葉 亮高、 岡部三郎両会員のご冥福を祈り黙祷が行われ、 次
いで議事録署名人に重冨和治、 亀尾 恒両会員が選任された。昨年の今頃は連日新型
インフルエンザの報道が流れていたが、 今年は相撲界の野球賭博問題、 7月日投開票の参議院
選挙の話題一色である。 自らの約束を何一つ果たせなかった鳩山首相の退陣により、 政局が大き
く動くかと思ったが、 首相を支えていた副総理が首相になり新しく生まれ変わったように装った
ことに疑問符をつけられた。 また今後の医療制度を考えれば、 消費税をアップし財源に充てるこ
とは理解できるが、 唐突に消費税に触れ、 所得税の増税まで口にした政権には信頼はおけず、 よ
く考えて行動することが必要と述べられた。 3月の年度第2回定期総会の折、 会館の移転新築
の必要性について報告したが、 説明が十分でないとの指摘をうけ、 本日の議案で上程しており審
議をお願いされた。 尚、 これからも従来どおり会館建設については、 北里、 田中二理事と会長自
らで担当し間違いのないように対処していくことに理解をお願いされた。 1年前に審議された3
号会費の変更によりB会員が多数入会されたことは、 医師会の基盤が強くなっていくことに繋が
り、 今後も南・永田両副会長、 宮川理事の協力のもと更なる入会増に努めたいと述べられた。 今
年も6月から久留米市の特定健診と各種がん検診が行われているが、 行政に医師会の力を示すた
めにも、 会員の先生方のご協力をお願いされて挨拶を締め括られた。
◆庶務事業報告
(
∼
) (北里) ◆保険について (集団指導) (植田) ◆日医生涯教育申告結果について
(田中地) ◆医事調停について (集団指導) (川口)長年に亘り会の運営にご尽力頂
いた杉田 隆前監事 (6期
年)、 槇 清孝前理事 (8期
年) の表彰が行われた。
A会員1人、 B会員1人の出席があり紹介された (川口)。第1号∼第7号 (医師会会計
ならびに各種積立金決算) を田中二理事、 第8号∼第号 (看護専門学校会計ならびに各種積立
金決算) を植田理事が説明、 田中弘、 槇両監事より監査報告があり、 原案通り承認された。 次に
第号 (会館建設について) を北里理事より説明されたが議決に至らず、 後日改めて臨時総会を
開催することとし、 会を終了した。
出席
人、 委任状人
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政
策
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人
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他
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認
さ
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、
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心
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心
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首
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困
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特
徴
は
、
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語
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ル
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障
害
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特
徴
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目
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し
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詳
細
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述
は
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示
唆
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科
医
の
記
載
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ル
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害
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。
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が
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に
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用
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今
回
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参
議
院
選
挙
で
自
民
党
の
顔
−
2
−
を行った。 特に医師会館建設については、 これまでの
6月日、 「御花」 松濤館 (柳川市新外町) にて。
しく説明があり、 今後の予定などの報告を行い、 建設
柳川山門医師会の担当で開催された。 川崎 洋筑後ブ
に向けて委員会として了承された。 6月日の定期総
ロック医師会世話人の挨拶で 「今の日本の医療は医師
会で議案として上程予定。
経過、 建設資金、 会館の設備、 駐車場などについて詳
(北
里)
を取り巻く産業のみが潤い、 医師の弱体化によるいわ
ゆるドーナツ化現象が進み、 医療が崩壊しつつある」
との懸念を述べられた。 その後、 松田峻一良県医会長
$()*+,-&'
の挨拶に続いて来賓の紹介があり、 西島英利参議院議
6月日、 当医師会館にて。 津村会長挨拶の後、 重
員による 「今後の日本の医療の動向について」 と題し
冨和治委員を委員長に、 野原正敏委員を副委員長に選
た特別講演が行われた。 まず、 この6年間を振り返っ
出し、 議事がなされた。 1) 報告:①入試結果 ②卒
てみると、 自民党小泉政権より、 混合診療の導入や総
業決定会議 ③学生と職員の現況 (第1回運営会議・
枠管理制導入、 軽度低額医療保険免責導入などの医療
入試委員会で報告済み)。 2) 議題事項:①平成年
費抑制策がとられ、 毎年
億円もの医療費削減が
度看護専門学校決算について説明し、 執行部原案通り
打ち出されたが、 平成年7月に 「年金・医療等に対
承認された ②准看護科・看護科の定員減 (准看護科
する
億円削減中止の閣議決定」 がなされた。 今
は名、 看護科は名) と入学金、 校納金増額につい
もその決定は生きている。 また、 社会保障給付費や国
て協議の結果、 了承された。 3) その他:医師会館建
民医療費の伸びに対して我が国の財政事情は厳しく、
設予定についての概要を北里理事より説明された。
(植
今後は消費税の税率を上げて福祉目的化すべきである。
田)
また、 高齢者医療制度や臨床研修医制度の見直しにつ
いても言及された。 最後に、 来たる参議院選挙を前に
自民党の医療に関する公約 ( ファイル) を抜
./01&'2345
67
粋して述べられ、 社会保障費の財源をどう確保してい
89
くかが今度の選挙の争点となるだろうと締め括られ講
この4月より広報編集委員を務めさせて頂いており
演を終えた。 フロアからは日医に対する意見や法人税
ます。 実は2年程前から当委員を打診されていたので
に関する質問がなされた。 次回は大牟田医師会が担当
すが遠慮させて頂いていました。 というのは 「広報編
で開催の予定。
集委員」 は 「広報」 と 「編集」 という2種の業務があ
(宮
原)
ると大きな勘違いをしていたからです。 「広報」 は街
頭に立って医師会の宣伝活動をしたり、 メディアの取
!"#
材を受けたりと医師会以外の人々にその活動を広く知っ
てもらう仕事をすると思っていました。 「診療しなが
6月日、 萃香園にて。 山岡春夫会長の挨拶に続い
らとてもそんな時間はない、 委員の先生方はすごいなー、
て平成年度の決算書と年度の予算書が承認され、
とても自分にはできないなー」 と思っていました。
年度も労災レセプトの自主点検を継続して行うこと
「編集」 は医師会雑誌の編集なのかなーと完全に浦島
が承認された。 指定医は現在
名であるが、 今年は
太郎状態でした。 再度打診されたときに活動内容を伺
役員改選の年にあたり、 山岡春夫会長、 田平史郎副会
い 「広報の編集」 と確認できたので少しはお役に立て
長、 井星昭彦専務理事、 岡村 明会計理事以下、 名
るかもと就任させて頂きました。
の理事、 2名の監事が承認された。 総会終了後、 久留
しかし4月の初参加の時は何も判らず、 寄稿されて
米労働基準監督署との懇談会が、 轟 秀哲久留米労働
いる文章を単純に読ませて頂き納得していたのですが
基準監督署長はじめ、 他3名の監督署からの出席で行
委員の方々の校正の緻密さに圧倒されました。 内容に
われた。 轟署長の挨拶で、 労基署は、 以下の基本方針
疎い私は校正よりも字間、 行間、 段組等、 如何に読み
①労働条件の改善 ②労災事故の防止と治療 ③労働保
やすいレイアウトにするかを考える事ぐらいしかでき
険をうまく使う、 の3点に重点をおいていること、 岩
ません。 余り発言もできずまったくお荷物になってし
橋春幸労災課長から初診料の取り方が変わったことの
まいました。 これからは少しでもお役に立てれたらと
説明があり、 会員からは、 振動病の認定について質問
気を引き締めたいと思います。 診療は時までですが
があった。
まずは無遅刻無欠勤で行きたいと思います。 これから
(日
高)
もよろしくお願いいたします。
$#%&'
6月日、 当医師会館にて。 津村会長挨拶の後、 委
員長に井星昭彦外科医会長を、 副委員長に猪口哲彰内
科医会長を選出し、 ①平成年度久留米医師会歳入歳
出決算について ②医師会館建設について報告、 協議
−
3
−
むらおか
しん や
!
(村岡外科医院)
4年前に心臓手術をうけましたが元気な現役です。
振り返れば、 昭和年に聖マリア病院で医師一人の
小児科を創め、 入院患者の死亡率5%を改善するた
め、 無理を承知で救急体制づくりを進めてきました。
久留米医師会に入会させていた
年たった今、 それが 「久留米広域小児救急支援事
だき年が経ちました。 長いよう
業」 にまで発展したことを喜んでいます。 この事業
で短かったこれまでの人生を振り
が軌道にのるまで久留米と他の医師会はじめ大学、
返ります時に、 最も印象深いのは、 やはり4半世紀
各総合病院、 自治体などの皆さんの並々ならぬご尽
にも及んだ医師会活動で、 中でも医師会館建設に関
力があったはずです、 とくに企画リーダー役であっ
する記憶は今でも鮮明に蘇ります。 老朽化した会館
た井上謙吉先生には 「ご苦労さま」 と申し上げます。
の改築と同時に、 進学コースとしての看護科を併設
“未来を担う子どもたちのために”地域の総合小
することで地域の看護レベルを向上させんとするも
児科学 (病気の治療、 子どもの代弁者役、 育児と健
のでした。 会員の拠出金と、 行政からの助成金、 財
康の支援、 研究と教育、 成育のコーディネート) を
団からの補助金獲得など先輩理事の方々の並々なら
発展させねばなりません。 それには多くの若い人材
ぬご尽力で、 現在の立派な会館が立ち上がりました。
が必要です。 そういう意味で、 現在も医学生や研修
落成式には日本医師会長武見太郎氏にご出席いただ
医に 「小児プライマリ・ケアの真髄」 を指導してい
き、 全会員で完成を祝ったことが昨日のことのよう
ます。
に思い出されます。
012
程なく勤労学生には駐車場が絶対に必要との観点
もり べ
から、 現在の東側の駐車場 (約坪) の確保を画
じん
34
策しました。 紆余曲折の後、 主たる土地所有者であっ
5
(森部皮膚科醫院)
た第一勧銀のご理解を得ることは出来ましたが、 最
親父が他界して9年経ちました。
後はご高齢の会員からの“将来のためとは云え我々
私は4人姉弟の末っ子として生を
がそこまで犠牲を払う必要があるのか”なる当然と
受けました。 女だらけの姉弟の中
も云えるご質問でした。 それに対する石橋大和会長
男一人であったため、 ことのほか
の、“自分の子供の将来を願う様に、 後輩たちのこ
私に対して親父の厳しかったこと厳しかったこと・・・。
とをも考えてやっていただきたい。”なる答弁には
もの心ついた頃から
大いなる感銘を受けましたし、 それを了とされた老
への感謝
会員の心意気にいたく感動しましたことも、 私の生
す。 以前私が医者になろうか悩んでいた時
涯忘れ得ぬ思い出です。
を継いでやろうなんて思うなーっ!患者さんが迷惑
奇しくも、 去る6月日定期総会で会館建設に関
人として ・ 男とは ・ 人
じゃーっ!
など人間道をよく言い聞かされたもので
医者
と一喝されたこともありました。 私は
する議案が上程され、 この土地利用が俎上に上がっ
出来が悪くあっちぶつかりこっちぶつかりで人の
ています。 年前とは環境も異なりますが、 看護師
倍かかりやっと医者になれ、 ようやく同じ土俵
養成が最優先されるべき課題であることには変わり
に立て親父と酒を酌み交わしながら
ないでしょうし、 拙速とならぬよう充分論議を尽く
していただくことを願っています。
男とは ・ 人への感謝
人として ・
の話の続きを談議したい
と思っていたのですがそれも叶わず、 私が埼玉で勤
務している時に他界してしまいました。 そのため、
"#$%&'(
)*&+, たけ や しげる
-.
/
(たけや小児科医院)
年齢はすでに歳を過ぎ、 当医
今私が親父の後を継ぎ開業していることを親父は知
りません。 今でも
じゃーっ!
こらーっ!お前は何をしとるん
と親父の怒鳴り声が聞こえてくるよう
な気がします。 最後にこの場をお借りしてスネがな
くなるまで齧らせてもらった親父に
医者
という
師会の一会員としてお世話になっ
素晴らしい職業に導いてくれたことを感謝し、 天国
て
年目を迎えようとしています。
の親父にこの文章を贈りたいと思います。
のニュアンスのチェックなど、 他の委員の先生方の熱
心な作業に驚かされました。
学生時代以来の久々の文章との真剣な格闘を楽しん
臨床整形の矢野会長より御連絡をいただき、 4月よ
でいます。 少し診療に疲れている頭のリフレッシュも
り広報編集委員を務めさせていただいております。 実
兼ねて、 頑張ってよりよい広報誌をお届けできるよう
際に委員会に参加して、 丹念な校正作業や行間、 言葉
にしたいと思っています。
−
4
−
ひらまつ
3月日
4月日
宮川理事
日
福岡県医師信用組合理事会
津村会長
久留米地域産業保健センター窓口相談
看護専門学校進級決定会議
第回特定非営利活動法人くるめ地域支援
センター理事会及び平成年度久留米市
「ものわすれ先生」
研修会
福岡県地域精神保健筑後ブロック協議会平
成年度第3回幹事会
平成年度診療報酬点数改定説明会 (診療
所対象)
日
久留米保健所運営協議会の事前打合せ会
久留米市役所との打合せ会
実習指導者懇親会
日
留米医師会A会員として入会さ
せていただきました。 入会に際
しましては諸先生方からのご指導、 また病院に対
しましては諸先生方の日頃からのご支援、 ご協力
広報編集委員会
日
古賀病院の院長に就任し、 久
植田理事
3月日
平成年4月1日より天神会
第2回各医師会医療情報担当理事者会 (T
V会議)
(古賀病院)
平成年度福岡県医師会災害時医療救護訓
練
日
よしひろ
第回理事会
ブリヂストン健保組合との協議会
久留米保健所運営協議会
平成年度第2回久留米市社会福祉審議会
にこの場をお借りしまして、 心より感謝申し上げ
ます。 私は昭和
年九州大学卒業で第一内科入局。
循環器研究室 (伊東盛男主任) で幅広い臨床の研
鑽をさせていただき、 年から年までは研究室
の伝統である不整脈の基礎的研究で、 米国へ留学
いたしました。 この頃より心臓病のリハビリテー
ションに興味を持つようになり、 今でも取り組み
を続けております。 心臓病の運動療法に関しまし
ては久留米大学木村 登先生が世界に先駆けてそ
の重要性を発信されました。 最近の基礎的検討の
積み重ねはその有効性をより明確なものにしてき
ました。 古賀病院でも積極的な回復期心臓リハ
ビリテーションを展開しております。 かかりつけ
医の先生方との緊密な連携をとらせていただくこ
とで、 心臓リハビリテーションは患者さんの予後
の改善へさらに貢献できるものと信じております。
この点でも今後ともよろしくお願いいたします。
老人福祉専門分科会
看護専門学校教務面接
日
日
平成年度第2回定期総会
久留米市役所との打合せ会
8日
生活習慣病予防健診部会
マンモグラフィ読影会
肺がん検診部会
平成年度福岡県総合防災訓練に係る第3
楢原市長への訪問
回全体会議
日
津田久留米第一病院長訪問
第1回筑後ブロック医師会長会
乳がん検診部会
社保自主指導
前立腺がん検診部会
日
日
介護保険主治医研修会
日
認知症ネットワーク会議
平成年度第1回久留米市特定健診等合同
胃がん検診部会
検討会
第1回聖マリア病院地域医療支援講演会
大腸がん検診部会
4月1日
准看護科講師会
日
2日
5日
第回久留米つつじマーチ健康チェック
幹部候補生学校開校周年記念式典
日
予防接種について久留米市保健所との打合
大石弁護士事務所訪問
せ会
准看護科回生・看護科回生久留米医師
平成年度第1回臨床研修管理委員会
会看護専門学校入学式
日
広報編集委員会
理事会及び歓迎会 (持ち出し)
看護学校校長訓話
久留米・新幹線活用プロモーション実行委
員会第1回会議
会館運営会議
7日
第2回理事会
久留米地域産業保健センター窓口相談
日
子宮がん検診部会
骨粗しょう症検診部会
6日
日
看護科講師会
看護学校教員辞令交付
広報編集委員会
健康ウォークについての協力依頼
久留米医師会職員辞令交付
看護学校教職員辞令交付
第1回入会相談委員会
日
福岡県庁篠原氏来訪 (病診連携)