『ファウスト』(5)

け ん ち ん 汁
某日、鎌倉で、お母様
の代から長いこと料理一
山 内 静 夫
に則って作られるのだそ
な の か。 当 日 の 映 画﹁ 秋
蓮根もねぎも豆腐も、こ
汁の具が、大根も人参も
は、己れを無にすること
ふと、映画の世界に立
ち戻った私は、けんちん
うだ。野菜のもつ本来の
刀 魚 の 味 ﹂の ラ ス ト で 父
った娘の、空き部屋にな
親の笠智衆が、嫁いでい
味をいかに引き出すかに
心を配っておられるかが
伝わってきた。
を吹き飛ばす熱戦でボー
日米の子どもたちが小雨
頬張った。
合後、皆でついたお餅を
ん︵ ︶が1分
に進んだが惜しくも4
は仲間の声援を受け決勝
記録で優勝した。
秒
の
位。藤沢市の佐野友哉さ
ルを追いかけ、試合後に
来年3月中旬から土日
祝日のみオープン予定の
は固い握手を交わした。
緑地エリアが開放され
小学校高学年を対象に行
っている作文コンクール
任のある仕事なのです。
せん。そのくらい難しく責
してくれる業者は殆どいま
終の棲み家を考える ⑳⑳ またも雨漏れ
談がありました。
先日北鎌倉の方から連絡
で、今年は﹁大人になっ があり外壁の塗り替えの相
てどんなことをやりたい
番に対処することにしまし
ですか?﹂をテーマに、
早速訪問してお話を伺っ
原因を探していくうちに
ていると、1階の和室の天 幾つかの問題点を見つけ順
井に大きなシミがある事を
た。バルコニーと外壁部分
作文を募集し、167点
部屋からサッシをまたぎバ
た。
よってキャスティングさ
見つけ事情を聞きました。
ルコニーに出るわけです
の映画の中に小津監督に
小学2年生の佐藤孝太
くんと浅野晋伍くんは試
った二階を暗い廊下の下
実は地元の増改築専門の
︶は﹁短 南 鎌 倉 局 賞 ﹂ に 横 浜 国 業者にリフォームを依頼し
が、部屋とバルコニーの床
けんちん汁、どこの家
すじに生きてこられた料
庭でも作る家庭料理だ
事 に よ ら ず、﹁ 極 意 ﹂と
た。﹁ 無 私 で す ﹂と。 何
は言った。
携した﹁三浦半島サミッ
ち抜きのスプリント要素
たほか、佳作4人、入選
逗子と葉山で市民スポーツ交流
池子の森で日米親善
夏休み作文コンクール
個人のタイムを競う﹁タ
催で行われた=写真。
自転車競技大会の開催
は町内初。山や丘陵の上
イムトライアル﹂では、
小学生 人が応募
り坂を走るヒルクライム
﹁タグラグビー﹂では
須賀基地司令部池子支所
では異例の短距離となる
子どもたちが坂道を蛇行
﹁第5回ジェイコム湘
したり自転車を押したり 南 鎌倉局 夏休み作文
コンクール﹂の受賞者が
のデイビット・アギレラ
7百㍍のコースが南郷交
しながら必死に登る姿に
レモニーに際し米海軍横
支所長は﹁これからも市
差点から南郷上ノ山公園
声援が集まった。
集まり、山形や兵庫から
決まり、
市内で表彰式が行われた
=写真。
かされてしまったようで
手に負えないと上手くごま
原因を探すのが大変なので
避けるような業者は地元と
なければならない雨漏れを
先して、家として絶対直さ
工事のやり易い所や工事
金額の大きくなる工事を優
する会社の姿勢を見極めて
ん。金額だけでなく、依頼
いえどもお勧めできませ
す。
前にもお伝えしました
が、雨漏れについてはその
ください。
鎌倉市大船1︱ ︱3
家を建てた業者が責任を持
■日向建設
つもので、雨漏れだけを直
http://www.hyuuga.co.jp
は長い長い、帯のような
もの。叔母の生涯を考え
歳の
︵ 横 浜 国 立 大 附 属 小 6︶ 時、画家を志してオラン
ながら、人それぞれいろ
年、横浜生まれ。
ダに留学。1973年、
と思われ、ドイツ三部作
を開催している。
ヨーク、日本などで個展
同会の元会長・松本紀
子さん︵ ︶は﹁多感な
池田愛奈︵山崎小6︶
倉 第 一 小 4︶ 齊 藤 雄 生
月8日、鎌倉
▼佳作=新倉央︵稲村
☎0467・ ・5454
ヶ崎小5︶中村優護︵鎌
ジェイコム湘南鎌倉局
民との友情を深めていき
に設けられ、小学生から
ラクションには子ども連
実行委員長︵
が、辰巳先生のお話を聞
ト﹂認定の自転車競技大
を入れた競技ができた﹂
5人が表彰された。
ってくるようだった。
とお会いする機会があっ
くと、まるで別の料理の
会﹁第1回はやま南郷ヒ
と大会の成功に手応えを
大賞の﹁ジェイコム湘
の応募があった。
れたあまたの俳優たちの
た時、雨漏れも一緒に直し
の高さに差が無いこと等、
た。﹁みんなの小津会﹂
ような緻密さで作られる
てるストラックアウト、
ルクライムスプリント﹂
つかんでいた。 ︵K︶
︵K︶
タイムトライアルでは
学年、年代別の1∼3位
からじっと見上げて佇む
の男女が表彰。彦井浩孝
てもらう事になっていたそ
という小津映画の愛好家
ということを初めて知っ
空気で膨らんだ大きなク
月7日同実行委の主
町内初の自転車競技大会
あった。そこで辰巳先生
最後に司会の人が﹁料
理とは?﹂と質問した。
なつかしい姿となって、
立大学教育人間科学部附
うです。システムキッチン
たちの集いで、円覚寺の
た。根菜の一種類ずつ切
が
のお話を伺った。
姿に、年老いた父の行く
いコースでどんな競技が
属鎌倉小学校6年沖中敬
構造的な問題もあるようで
小津監督の墓を詣で、そ
マの中で飛び跳ねるアト
が集う﹁日米交流スポー
日、池子の森自然公
たい﹂と挨拶し、約百人
代までの約160人が
ニマラソンにもランナー
も参加した。
約 人が競う﹁チャン
ピオンシップ﹂は実力勝
が参加した園内3㎞のミ
として加わった。
︶
負の戦いとなり、海老名
同局が地域貢献の一環
として、鎌倉・逗子市の
みつしろ
市の土屋光城さん︵
遊人︵聖マリア小4︶大
秒毎にスタートして
︵酒場︶のウエイトレス
この日から約4カ月後
の日記には、ベルタがウ
橋彩生︵今泉小4︶小野
数字の的にボールを当
エイトレスをやめて学校
澤 英 士︵ 七 里 ガ 浜 小 6︶
いろな帯を織っていくの
・ベルタは法律家キルケ
に入ったことが記されて
にその姿を現しており、
の情婦なり。その性すこ
いる。
若き鴎外に強い印象を残
ぶる貞静にして、この社
だと思った﹂と結んだ。
会い、日本まで彼を追い
した女性であるが、﹃ド
会の人い似ず。キルケか
ユリアナ女王の肖像画を
る と、﹁ わ が 豊 太 郎 ぬ
かけてきたエリーゼがモ
イツ日記﹄だけではルチ
描く。オランダ、ニュー
し、かくまでにわれを欺
デルなのであろうか。
ウスの人物像を描くこと
▼入選=稲田はなの
︵鎌倉第一小5︶西野音
きたまいしか﹂と絶叫し
ここで留学中の鴎外
が、実際にどんな女性に
の う ち﹃ 舞 姫 ﹄ を 除 く
中 江 映︵ 稲 村 ヶ 崎 小 5︶
て気が狂ってしまう﹁お
らんと約す。ベルタの曰
﹃うたかたの記﹄﹃文使
画家・エッセイストで
よし や
オランダ在住 年の吉屋
講演会では、叔母が幼
けい
い頃からのあこがれであ
となしき性質﹂の少女で
の処理に問題があること、
辰巳先生は即座に答え
先 が 見 え た、と 辰 巳 さ ん
鍋の湯気の向うに立ち昇
鎌倉・逗子・横須賀・
三浦の4市と葉山町が連
できるのか悩んだが、勝
太朗さんの作品が選ばれ
す。
の後、寺内の如意庵とい
う塔頭で小津映画とトー
れの米軍家族の列も。
順序とか、すべてルール
り方の形や厚みが夫々違
逗子市民と池子住宅地 て親睦を深めてきた。
う上、始めに油炒めする 区の在日米海軍の家族ら
逗子での開催は今回初
めてで、オープニングセ
クを楽しむという催しで
ツフェスタ 逗子﹂が
月
園の4百m トラックを会
場に行われ、約250人
が参加した=写真。
防衛省南関東防衛局の
主催で2008年から管
内の基地所在地周辺の各
所で行われ、日米の住民
が文化やスポーツを通し
よそびと
き外人は、かえって力を
かしやすきこともあら
ん﹂といいかけたるが、
われながらわが大胆なる
く。君の好意は謝するに
い﹄にはそうした意志的
吉屋敬さんが講演
﹁吉屋信子と私﹂
︵敬称略︶
堪えたり。もし合きんの
な女性が描かれている。
いとまもなく、ここに立
鴎外はベルタのように
って︵彼女の︶為に屋を
気位の高い女性を好んだ
める目の半ば露を宿せる
心惹かれたかを﹃ドイツ は困難である。
﹃舞姫﹄のエリスは、 ある。
鴎外はエリスを一点の 日記﹄で見てみたい。
長 き 睫 毛 に お お わ れ た 父の葬儀の費用を作るた
﹃ドイツ日記﹄の中で
鴎外の最初の留学地で 人物像も明確であり、鴎
るは、なぜに一顧したる めに身を売らなければな 非の打ちどころのない純
あったライプチヒで彼が 外が深い共感をもって描
礼︵結婚式︶を挙ぐるこ
ちて泣くにや。わが臆病
少女時代、先生の小説を
読ませてもらった。今の
人たちにも読ませてあげ
たい﹂と話していた。
国際ソロプチミスト鎌
倉は、世界約130カ国
に3千クラブ、8万人の
士キルケがいた。ベルタ
ルケの友人に同姓の弁護
い、いたずらに君の愛を
君の家に住み君の食を食
り廃すべし。然らずして
あ り、﹃ 雁 ﹄﹃ 山 椒 大
は生涯に渡ってのもので
自我のある女性への好み
行われ、約百人が参加し
に
月6日、鎌倉市内で
吉屋信子と私﹂をテーマ
敬さんの講演が﹁叔母・
から手紙やハガキをもら
家 ﹂と 答 え た こ と、 叔 母
な り た い ﹂と 聞 か れ﹁ 作
っ た こ と、 叔 母 に
﹁何に
ターに中庭用防水シート
は、大船子育て支援セン
動している。 月4日に
では現在 人の会員が活
界的な奉仕団体で、鎌倉
会員を有する、女性の世
彼女を見たときの印象
はこのキルケの愛人で劇
た。﹁国際ソロプチミス
を、﹁二十五、六歳とお
夫﹄﹃最後の一句﹄﹃安
ぼしき処女のいつも黒き
受けば、これその業の卑
場のウエイトレスをして
一式を寄贈した。問い合
衣着て、面に憂いを帯び
ったことなどのエピソー
しき旗亭のウエイトレス
きざまを語った。﹁人生
ト 鎌 倉 ﹂︵ 立 川 裕 子 会
いた。
造形されている。
井夫人﹄などに印象深く
たるもあり﹂と記してい
に 百 倍 せ ん。 敢 て 辞 す
︵神奈川歯科大名誉教授︶
吉屋さんは1945
と。
でも9回﹃ドイツ日記﹄
る。ライプチヒ時代だけ
夜、両キルケとビヤホ
ー ル に 至 る。 こ の 旗 亭
わ せ 中 村 方 ☎ 0 4 6 7・
貸し、月ごとに数金を送
いているのはドレスデン
とを得ば、今の業もとよ
らないところを豊太郎に
夜の食事に通った家の下
で出合ったベルタであ
︵一目見た︶のみにて、
る。エリスはほとんどす
る。鴎外の親友・軍医キ
助けられ、それ以降、完
宿人にルチウスという女
全に豊太郎を頼り、豊太
用心深きわが心までは徹
性がいた。鴎外は初めて
郎に棄てられたことを知
音に驚かされてかえりみ
たりとも見えず。わが足
なる心は憐憫の情に打ち
したるか。
フ︶を洩れたる髪の色
たる面、余に詩人の筆な
勝たれて、余は覚えず側
粋な少女として描いてい
しかし、雨漏れについては
の入れ替えや内装等かなり
16
の工事が終わっています。
41
49
に、鴎外がベルリンで出
にあきれたり。
11
べての論者が言うよう
赤羽根龍夫
﹃ 舞 姫 ﹄と﹃ フ ァ ウ ス ト ﹄︵ 5 ︶
森鴎外﹃舞姫﹄で、エ
リスと太田豊太郎の出会
いは次のように続く。
in
は、薄きこがね色にて、
彼ははからぬ深き歎き
にあいて、前後を顧みる
年 は 十 六、 七 な る べ
きれ
し。 被 り し 巾︵ ス カ ー
20
15
167
11
長︶のチャリティー講演。 ドを織り交ぜながら、生
50
91
44
60
14
ベルリンのマリエ教会=﹃舞姫﹄
の主人公豊太郎がエリ
スと出会った舞台
︵﹁新潮日本文学アルバム﹂
より︶
・3950
11
着けたる衣は垢つき汚れ
ければこれを写すべくも
により、﹁なぜに泣きた
おもて
あらず。この青く清らに
けいるい
もうか。ところに係累な
11
14
木版画 藤本宿
11
60
10
47
理研究家の辰巳芳子さん
34
31
て物問いたげに愁いを含
25
135
第441号
2015年(平成27年)12 月1日
1部 108円
(3)