■地域活動■ 北摂 逸翁美術館 (旧「雅俗山荘」) 阪急東宝グループの創設者・小林一三 氏の遺志により昭和 32 年設立された美 術館。 小林一三氏は、明治 6 年山梨県 生まれ。阪急電鉄・阪急百貨店、東宝な どの創業者。建物は氏の旧邸 “雅俗山荘” がそのまま利用され、氏の雅号 “逸翁” を冠して館名となった。設計は小林利助、 大井弥治郎。施工は竹中工務店。建築年 は昭和 12 年である。 東大阪 ハーフティンバー風の玄関 所在地:池田市建石町 7-17 最寄駅:阪急宝塚線池田駅より徒歩 10 分 休館日:毎週月曜日(祝日の場合は翌日)・年末年始(その他休館日あり) 時間:10:00 〜 16:30 TEL:0727-51-3865 長栄寺本堂 長栄寺は、近鉄奈良線 永和駅のすぐ北側の木立 に囲まれた場所にある。寺伝によると、聖徳太子が自 ら本尊の十一面観世音菩薩を刻み安置し、百済系の 僧にて開山・創建され山号を『百済山』 と号した、真言 宗高野山派高貴寺の末寺だった。現在は「正法律根 本道場真言宗本山」 となっている。本尊は像高106㎝ の木造で、藤原時代の優れた仏像として、昭和46年 に大阪府の文化財に指定されている。中世の戦火で 荒廃していた寺を、江戸時代の後期に 大阪中之島が 山門では 石造の仁王さんが出迎えてくれる 所在地:東大阪市高井田元町 1-11-1 境内には入れるが本堂内部については問い合わせを。 最寄駅:近鉄奈良線永和駅下車 北へ 200m TEL:06-6781-0797 常光寺 やお・かしわら(じょうこ うじ) 常光寺は臨済宗南禅寺金知院末。天平 17 年(745)行基の創建で聖武天皇の勅 願所であった。南北朝の戦乱で消失した が、又五郎大夫藤原盛継が再興した。足利 義満が参詣し造営の木材を寄進し「初日山 常光寺」の扁額を寄せている。 本尊の延命地蔵は「八尾地蔵」と呼ばれ ており、日本三地蔵の一つと言われ小野 篁(おののたかむら)の自刻と伝えられる。 南河内 壺井八幡宮 (大阪府指定史跡) 鎌倉幕府を開いた源頼朝は河内源氏の嫡流と され、羽曳野市の南端、壺井・通法寺地域は、河 内源氏の発祥の地である。 壺井八幡宮は、河内源氏一代目・源頼信の子・頼義 が京都府八幡市にある石清水八幡の神を勧請して康 平7年(1064)に私邸の東側に創建した。同じ境内に隣 接する河内源氏三代の源頼信、頼義、義家を祀る壺井 神社と2社をあわせて「壺井八幡宮」と称されている。 八幡宮は創建後、南北朝や戦国時代の兵火で 建築人 20 2006−11 行基により創建された常光寺 所在地:八尾市本町 5-8-1 最寄駅:近鉄大阪線 八尾駅下車 西へ徒歩約 7 分 見学:境内自由 TEL:072-922-7749 所在地:羽曳野市壺井 605-2 構造様式:木造、三間社流造屋根桧皮葺 解体修理:平成 2 年 8 月〜 6 年 9 月 設計監理:文化財建造物保存技術協会 最寄駅:近鉄南大阪線「上ノ太子」駅 西へ徒歩 18 分 TEL:0729-56-2824 まちあるき 建物散策 主屋は RC 造。外壁をハーフティンバー 風に仕上げ、洋瓦葺の屋根、玄関上部の 壁面を四つ葉型のトレーサリーで飾る。玄 関ホールに続く広間は吹き抜けで二階へ の階段がある。食堂も含め現在は所蔵品 展示に利用されている。主屋に続き茶室 「即庵」は、三畳大目に瓦敷き土間の椅 子席を付加した近代茶室で、数寄者でもあ る一三の奇抜な発想の昭和の名席である。 貸し茶室「人我亭」の他に、二畳の茶室「費 隠」 、長屋門も移築されている。 (昇 勇) 生んだ、徳行・教化学問、いずれの面でも わが国の 仏教史上稀有の偉人と称えられた真言宗の高僧慈 雲尊者(じうんそんじゃ)によって再興されたとある。 現在の本堂などは、尊者や高弟たちによって造ら れ、境内にある弾那台は、坐禅や梵学の研究に励 んだ記念すべき庵で、尊者自身が設計したものだ そうである。これも昭和45年大阪府の文化財に指 定されている。その意匠の匠さは驚くべきもので、 修道者の庵室と本堂の龍の天井絵など、周りの 下町の風景からは想像できない、歴史を感じる寺と して注目すべき所であろう。 (磯田吉郎) 大坂夏の陣では金地院崇伝の抱え寺とし て保護され、藤堂高虎はこの寺の廊下で敵 の首実検をし、今でも血天井として残さ れている。寺宝も多く、歴代将軍の朱印状 が残っている。毎年 8 月 23 日・24 日の 地蔵盆は名高く、河内音頭による盆踊りは 河内風物詩として「日本の音風景 100 選」 に選ばれており、両日は境内いっぱいに踊 りの輪ができる。また、河内音頭発祥の地 と言われており、 「河内最古之音頭発祥地」 の碑が建立されている。 (新田俊明) 焼失、再建を繰り返したが、元禄13年(1700)に 源氏の子孫といわれる徳川第5代将軍綱吉の命 で柳沢吉保らにより再建された。それ以降は本格 的な修理がされずに老朽化が進んだ。平成2年か ら府指定史跡地内建築物の保存修理工事として 解体修理が行われ、当初の姿に甦った。現宮司の 高木保生氏は、八幡太郎義家の子孫といわれる。 境内には樹齢1000年といわれる楠の木(府指 定天然記念物)が聳え、「天光丸の太刀」(国指 定重要美術品)や河内源氏ゆかりの文化財など 見所は多い。 (鶴田晴子)
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