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2013
私は仮面が支配する
ひとりぼっちの世界に
喜んで自らを閉じこめる
ジェームズ・アンソール
Ensor
アンソール
骸骨にされた私の肖像
ファブリ世界名画集
平凡社版より
舟
蟲
佐 藤 喜 孝
舟蟲が海をあがりぬ衜に上りぬ
舟蟲の前後わからず日の高し
舟蟲をほろへるやうに立ちあがる
大夕燒下のくらみに魚籠の水
贋物の円空わらふ臀呫かな
雪國は佐藤さんかな蟒草
家毀つ梅雨の日確と中天に
結婚式は神前だったがそれ以後神
仏を拝んだことはない、とおもふ。
自分のことなのにおもふとはあやふ
やだが、何処かで頭を下げてゐるか
も知れない………。
子どもの頃はよくおまもりを持たさ
れた。六年生の夏休、父方の祖母がゐ
る秋田へ行った。よそったご飯がたち
まち蠅で黒くなってしまひ驚いた。あ
る時、外厠でお守を落してしまった。
祖母が拾ひ上げてくれ綺麗に洗ひ持た
せてくれた。顔は忘れた祖母だがこの
ことは今でも覚えてゐる。お陰で罰が
当り帰って来たら盲腸になってしまっ
た。三歳の時の麻疹とこの盲腸の他病
気と云へば風邪ぐらいである。姉弟の
中で一番ひ弱であった私が元気に暮ら
してゐるのは不思議である。近頃身辺
に不幸が続く。神仏に出会ふと貧者の
一燈を投入れ家内や友人のことを頼ん
でゐる。
5
八 月
☆
吉成美代子
シャンデリア灯して暗く夏館
咲かぬ薔薇思ひ切りよく鋸で
実となりてしだれて重し姫林檎
涼しさや裾タワーの灯ひろがりに
秋の蚊の翅音枕の後ろから
吉 弘 恭 子
七十はもうすぐですよ著莪の花
☆
にげゆくとおもふ泰山木の白
靜けさの中中で待つ莟かな
あぢさゐや日向日蔭を咲きていま
隠れなき富士のお山に梅雨しとど
魚の目も行くか戦に夏はじめ
腸が口から夏の鴉かな
両の手でなまあたたかき蚊をはさむ
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ぶらりコンサート
赤 座 典 子
焼畑の煙車内に梅雨の明
日盛や蛞蝓めける在来線
十階の風に風鈴鳴止まず
山の峰厚くなぞれる雲の峰
やるせなき歌声に酔ふ夏の宵
羅に刺すバンジョーの金属音
井 上 石 動
淡々と百二回目の夏受入れて
☆
深峪を揚がる川風青葉かな
大月の山全山の滴れり
雲湧くを呑みつつ見遣り夕端居
藪つ蚊の待ってゐたかと攻めにけり
ふんじゃあね振り手小躍る夕焼なか
葉洩日の淋漓と降りぬハンモック
夕焼雲伊豫が熟田津凪にけり
昨年十二月、国から町興しの補助
金を受けて、湯沢町の店主等有志が
「お休み処ぶらり」を開設した。
地域の観光情報の紹介の他、コシ
ヒカリを始め、特産品やゆかりの作
家の陶芸作品も展示・販売されてい
る。囲炉裏のあるカフェも併設され
ていて、御当地銘菓セットもある
先日は 飲み物付きのジャズコン
サ ー ト が 開 か れ た。 ト ラ ン ペ ッ ト、
キ ー ボ ー ド、 女 性 ボ ー カ ル に 加 え、
バンジョーが参加。海外でも高い評
価を受けているという奏者で、ウェ
スタンで聞くゆったりとした奏法と
は大違いの、素晴らしい技術を駆使
したものであった。約七十人の満員
の聴衆が、三時間を大いに楽しんだ
越後湯沢温泉に新名所出現?!お
出での節は是非お立寄り下さい!
き けり つ ぬ たり り
6月号「能登だより」で、ホトトギス
句群に『いわゆる過去の助動詞「し」が
多 用 さ れ、 も ち ろ ん 過 去 の 意 は 一 切 な
い。( 中 略 ) 文 語 の 調 べ が 欲 し い た め の
使 用 だ か ら 理 解 は し ま す が 鼻 に つ く。」
と定梶さん。私も同感。この用法は子規
さんからもう始まっているので、りっぱ
な「純然ホトトギスお流儀」なのだろう。
句歴初年目に「吾が舞ふ写真出で来し
た か し の 忌 」( 公 表 恥 ず か し ) を 作 っ て
す ぐ、『 旧 か な を 楽 し む 荻 野 貞 樹 』 を
読み、冷汗百斗。以降私の句から「き句」
は 激 減。 そ れ 以 降 い つ も 念 頭 に 在 り、
サッカー日本代表に対し「選ばれしイレ
ブ ン 」 な ど 聞 く と「 選
< ばれたる だ
>
ろう?」などとブツブツ………。
で も 「 新 涼 や は ら り と 取 れ し 本 の 帯
長谷川櫂」などを見ると、別にもう「ホ
トトギスご用達用法」ではないのかも。
『 臨 時 ニ ュ ー ス を 申 し 上 げ ま す。 帝 国
陸海軍は今八日未明、西太平洋に於いて
米英軍と戦闘状態に入りし。(大本営)』
とは放送はされなかった。放送は「入れ
り」だった。こと語法に関してだけは、
大本営はしっかりしていた?
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春惜しむ
大日向幸江
噴水に街逆さまに写りけり
小満や娘に母となる兆し
赤鳥居八本までの木下闇
縁側に大の字に寝て春惜しむ
お多幸に人の入りゆく荷風の忌
浅蜊取り潮満ちてくる帰らうか
木村茂登子
ストローを螺旋に上るソーダ水
蜘蛛の圍
あぢさゐを剪る衰への見えぬ間に
菖蒲田の花みな美しき名をもてる
爪先で探る筍雨後の朝
茗荷汁今さら何の物忘れ
庭隅の綠蔭実生の名を知らず
蜘蛛の圍や好きも嫌いも女偏
葉隠れにみたり蹲踞の雨蛙
大宮氷川様の参道をすすみ赤鳥居の
すぐ左手に松尾神社がある。松尾神社
は食物神で中でもお酒の神様だ。本宮
は京都の松尾神社、飲むことの大好き
な私は氷川様より先に松尾神社に頭を
下げた。今の私は肝臓を患ってをりお
酒を飲むことも少なくなった。松尾神
社の裏手に小さな沼があり木下闇の沼
には鯉や亀が音も立てずに泳いでい
る。わずかに初夏の陽が当る所では亀
が甲羅干しをしている。ふと我にかえ
り急いで氷川様に足を向ける。手水場
では宮鴉が滴りを受けているような素
振りをしている。夏と春を行ったり来
たりの今年は亀も鴉もうかうかとはし
ていられない。帰り道どこからかカッ
コーの声が聞えたような感じがした。
ゆっくりと私も歩き、季節もゆっくり
と進むだろう。
「便利屋コーナー 無理して骨折等の事
故を起さないために身近なところで気軽に
手伝ってもらえるコーナーです。掃除・庭
木の枝切り・ペンキ塗り・簡単な日曜大工
等々。」
こんなチラシを近所の方から見せられた
のは何年も前のことだった。
その折は余り気にもとめていなかった
が、近頃八十の坂を越え、一人暮しをして
いると家事が億劫に感ずるようになり、こ
のチラシのことを思い出し気になっていた
庭木の枝を払ってもらいたく電話してみ
た。
二三日してkさんが来てくれて繁りすぎ
た庭木の枝を一時間程で綺麗に払ってくれ
た。必要な道具はすべて持参して後片付け
した上で払った枝も持って帰ってくれたの
である。
自 分 で し た 時 は 半 日 が か り で あ っ た が、
またたく間にと云って良い程の手際の良さ
で、つくづく頼んでよかったと思った。帰
り 際、「 無 理 し な い で 何 で も 気 軽 に 声 を か
けて下さい」と云ってくれた。
一時間の料金も明示されており決して高
くない。こうした人が近くに居てくれるこ
とは本当に有難いことと思った。
私の近所でも一人暮しの高齢者が増加し
つつあるらしい。「元気で長生きしようヨ。」
を目標に住みなれた地域でのふれあいの一
環として半ばボランティアのこうした組織
のあることは高齢者にとって心強い味方で
ある。
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☆
斉 藤 裕 子
実梅捥ぐまだ三つ四つは葉隠れに
初々しリクルート娘の白き衿
青柿やアルルカンの衿立てて
ネット見て母に尋ねて辣韮漬
初夏の川いつの遅れる子鴨一羽
篠 田 純 子
箱入りのオオムラサキ群れ深大寺
A
出奔の蠛Aの浮游かな
夏椿黄昏泣きの保育園
きっかけの青いカクテル夏の雨
唐突にみぎむけ右の夏颱風
酸漿の花の白さや愛宕山
荒梅雨トトロのバスの来るやうな
白シャツの中学生の楽屋入り
母が、やっと使い始めた携帯電話をか
けてきた。同居している弟が、これから
加世田のバラ園を見に連れて行ってくれ
るという。「こんな事は初めてだ。」と、
とても嬉しそうだった。確かに優しい弟
だが母を何処かに連れて行くなんて事は
初耳だった。有難いと思うと同時に、ち
ょっと不安な気持にもなった。最近電話
をしても、母の応対に根気がなくなって
きた気がしていた。車の運転はしても、
足が痛くて散歩はしなくなったらしい。
想像以上に一年の月日は、 才の母に大
きな変化をもたらしているのだと感じ
た。
様子を見に帰ろう。飛行機の手配をし
た。母と弟、主人、私で一泊の国民宿舎
を予約した。そして今度は私が母の携帯
にお電話をした。
四月から仕事の地区が変わり、主
に 芝・ 新 橋・ 虎 ノ 門 を 周 っ て い る。
芝から虎ノ門へ行く時に 愛, 宕のト
ンネルをよく通るようになった、雨
の 日 は 傘 を す ぼ め て 一 息 つ け る し、
照る日はひんやり涼しく、ホッとす
る。ある日トンネルの辺りに、のぼ
り旗が沢山立っていて 干
「 日まい
り 」 と 書 い て あ る。「 ほ お ず き 市 」
とも書いてある。
六月二十三日に愛宕神社を詣で
た。境内は二百人程の列が出来てい
て、 順 番 に 茅 の 輪 を 潜 り 参 拝 す る。
社務所で籠入りのほおずきを買う
と、 昇
「 殿してお祓いを受けて下さ
い と
」 のこと。普段は間近に見られ
ない、馬で出世階段を昇る絵馬(大
正時代)や討入りの絵馬を見た。ほ
おずき市は浅草が有名だが、愛宕の
方が古いらしい。
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虻の逡巡
定梶じょう
井のふちに鳴く雨蛙井を深み
墓所買ふはさびしきつとめ蛇苺
ででむしの渦の緊張なゐ永く
己が白に恍惚の鷺青田かな
物干しにあまたの軍手奇妙な町
大いなるほうたるあらぬ方にともる
須 賀 敏 子
降りんとし虻の逡巡夏薊
☆
アスパラを立たせて運ぶクール便
青鷺の動かぬままにサッパ舟
睡蓮の咲くころあひに宿を出る
橋十二くぐる舟より七変化
大いなる茅の輪潜りて鹿島宮
日光の山のはなやぎ桷の花
メジャーリーグの帽子の届く父の日に
完璧といっていい精度で天気が予
報される現代と違って、以前は風を
見、雲を見、水平線を見て占うのが
普通だった。占う、という言葉は適
当ではないかもしれぬ。少なくとも
漁師は科学的に天気の変化を知ろう
と努めていたものだ。そんな中で無
風、曇天の日は海と空との堺が消え
て、四字熟語でいう「水天一色」の
状態になる。漁師にとり一番天気の
予 想 が つ け に く い 日 だ。 か つ て そ
ん な 時 に 吟 行 会 が あ っ た が、「 海 と
空 一 つ に 溶 け て 」「 水 平 線 見 え な い
昼 の 」、 そ し て 拙 句「 ど こ 迄 が 空 ど
こからが海」等々、それぞれ表現に
努力苦吟している。他にも熟語とし
て「 水 天 彷 彿 」「 江 天 一 色 」 な ど は
曇天であろうか。「水天一碧」「一碧
万傾」は空と海が青一色になったも
の、晴天だろう。王岩さんに伺いた
東
「 京原発」
いところだ。
映画「東京原発」を観た。
二〇〇四年に公開されたがほとん
ど ヒ ッ ト し な か っ た。 三、一 一 の 後
に我々が知った原発の現実がそのま
ま描かれている。役所広司扮するカ
リスマ都知事が「東京に原発を誘致
する」との発言に諸派の意見が噴
出、演技派俳優を使いブラックユー
モアで仕上げている。
笑 い な が ら も 三、一 一 で 原 発 事 故
を経験した我々はズッシリと重い物
を感じるだろう。とても上質な娯楽
作品になっている。
原発再稼働へ進みつつある今、上
映会がありましたら是非行ってみて
下さい。
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☆
雀降る復活祭の水溜り
竹 内 弘 子
吊革の生あたたかき風邪心地
恋の眼と風邪のまなこと紛らはし
蛍くさい掌嗅いで別れけり
羅の小さい母を覚えておく
春愁や笑殺せんと思ひしに
田 中 藤 穂
葉生姜をかりりと噛むも母のため
櫨 の 花
石段を緑に染めて櫨の花
弔問や真っ盛りなる花柘榴
ゼラニウム不発彈処理作業中
金魚草咲かせ定年後の男
くたびれて湯に足をもむ風露草
岩煙草皇女の寺の崖濡れて
踏みくだく気はなかりしを梅雨茸
諏訪神社のお祭は毎月二十七日
で、昼頃になると露店を出す人がリ
ヤカーに荷を積んでやってくる。私
達は学校が終るとランドセルをおろ
すとすぐ小遣いをもって飛んでゆ
く。
ヤキソバやみかん飴は買ってはい
けないと母に言われているので、買
うのはぬり絵、綿飴、べっこう飴、
ママゴト道具等々。それが八月にな
ると例祭が二十六日、二十七日と行
われて、特に本祭の時は境内は勿論
今の西日暮里駅の横から私の家の前
を通って日暮里駅の方まで露店が並
ぶ。境内にはいくつかの見世物小屋
も建つ。お祭の半月程前からその木
組みが始まって、だんだんと小屋の
(つづく)
形になってゆくのを、ドキドキしな
がら見ている。
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溝
浚
長 崎 桂 子
日暈してまたまた暴れ夏の雨
隣人の葬送に立つ青嵐
青葉山下りて来たりし青葉風
若者の手早き処理や溝浚
腰曲が大きく息する溝浚
笑ひ声時時漏れる溝浚
雨
早 崎 泰 江
一輪車上手く使へぬ溝浚
梅
梅雨さなかたつた一人のエレベーター
端々のふるさと訛著莪の花
額の花雨に打たれて濃く深く
せはしなく蝶とびかひし梅雨晴間
朝夕に鳩含みなく梅雨曇
玄関の人を迎へる山法師
すくすくと子の育つさま青田中
六月に入っても、五月末からの昼
間はぎらぎらと照り付けているのに
夜は温度がぐっと下り風の冷たい状
態が続いて、背筋がなんとなく寒い
感じがする時があり、知人にも不調
な人が二、三人いらっしゃる。
それにしても元気なのはどくだみ
で、すこし離れて見てれば悪臭は気
にならないし、曇りがちな日にも白
く清潔な花は清清しくて美しい。暫
く眺めていて時を過ごす。
早、梅雨に入り、災害でなくどう
か恵みの梅雨でありますようにと、
お祈りしています。
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蛍
森 理 和
緑濃し単線軌道鳥の立つ
わくわくと蛍に合はせ早夕餉
合歓の葉の閉じ初めたる烏賊釣火
梅雨晴れ間道路工事の迂回指示
梅雨のはて斜めななめに障子じわ
一粒に笑みの溢るるさくらんぼ
伊豆急行、伊東駅から七つ目の伊
豆大川駅。特急、急行は通過する静
かで素朴な駅です。とても気に入っ
ていて移住したいとも思う程です。
蛍の自生池があり、たまたま今年
初めて蛍に出会いました。平日でし
たから、蛍の数より人の数にもなら
ずに、係の人から丸提灯を一人一人
お借りして、池から三十分程下りま
した。池には沢山蛍がスースーと飛
び買い、常に水面が照らし出されて
いて、小さな蛍の発する明るさに驚
かされました。闇にスーと消え、ス
ーと闇から現れ掌にとまったり、た
またま満天の星、提灯を片手に下る
道々に蛍がスー。池に群れる蛍もさ
ることながら、スーと草陰からの一
匹、二匹の蛍は私の為にと思い込め
て、特別な体験でした。
花十薬丘なす裾に遊水池 森 理 和
篠田純子・長崎桂子・佐藤喜孝
都議選は死票にならず青葡萄
七月作品より
佐 藤 喜 孝
気 持 が 癒 さ れ ま す。 梅 雨 時 に 満 開 に な る 真 っ
白 な 花 は、 鬱 陶 し い 季 節 に 清 涼 感 を も た ら す。
藤の花キリンのゐない動物園 普 通 な ら、 動 物 園 で 見 た 動 物 を 句 に す る と こ
ろですが「居ない」キリンを、句にしています。
その景は、少し離れて見るのがいいでしょう。
(桂子)
葦掴む脱皮のをはりぎんやんま 森 理 和
藤 の 花 の 揺 れ 具 合 が「 な ー ん だ、 キ リ ン を 見 た
(純子)
か っ た の に ………」 と 拗 ね た 気 分 と 合 っ て い る
ように思いました。 佐 藤 喜 孝
て 頑 張 る が な か な か 尾 が 抜 け な い。 抜 け た 瞬 間
笹舟の水際に寄りぬ押しやりぬ 清 し い 小 川 が 流 れ 長 閑 な 景 が 浮 び ま す。 小 学
生 の 頃 お 友 達 と「 わ い わ い 」 言 い な が ら 道 草 を
に バ ネ の よ う に 戻 り 枝 に つ か ま る。 抜 殻 に も 手
YOU TUBEで「ヤゴからトンボへ」を見
てみました。頭・背から脱皮しはじめ、仰け反っ
し て、 笹 舟 を 流 す の に 服 を 濡 ら し な が ら 一 生 懸
れ!」 と 声 を 掛 け て い る 作 者 が 見 え て く る よ う
足がありそれもしっかりつかまっている。
「頑張
(桂子)
命に土手で取組んでいた自分が甦りました。
です。(純子)
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東大寺の鴟尾にあつまる五月の陽 吉成 美 代 子
奈 良 東 大 寺 の 大 仏 殿 の 鴟 尾 が 輝 い て い ま す。
他 の 月 で は な く「 五 月 」 が こ の 句 に ピ ッ タ リ と
思 い ま す。 あ つ ま る と い う 表 現 が、 人 々 が 参 詣
吉 弘 恭 子
(純子)
に来ている賑々しさをも表現していると思いま
した。
手枕の寝息乱るる春の猫 作者が毎夜飼い猫に手枕をしていると聞いて
い ま す。 突 然 夢 で も 見 た の か 猫 の 寝 息 が 乱 れ ま
す。 楽 し い 夢 な の か、 戦 っ て い る 夢 な の か、 作
者の優しいまなざしの感じられる句です。(純子)
大皿のロールキャベツと夏に向ふ 赤 座 典 子
大 宮 の 吟 行 で は、 私 も ロ ー ル キ ャ ベ ツ を 完 食
しましたが、ちょっと覚悟のいる大きさでした。
気な句と思いました。
崎 展宏
炎天へ打って出るべく茶漬飯 川
(純子)
つつましき女人の家も菖蒲の湯 木 村 茂 登 子
御年配の方の御自分にとっての一年間の行事
の 一 つ で し ょ う か、 五 月 五 日 は 端 午 の 節 句、 柏
(桂子)
餅 を 食 べ 菖 蒲 で 邪 鬼 を は ら う。 幼 き 時 か ら の 習
慣なのでしょう。
新じゃがの丸ごと皮つき甘辛煮 木 村 茂 登 子
斉 藤 裕 子
(純子)
新じゃがの煮物のほろ苦い香りを感じました。
是非茂登子さんにレシピを教えていただきたい
ものです。
塗畦は天下一品お父ちゃん 瀧
春一
佐藤鬼房
夏大根四五本下げて金借りに 浅
川 正
借金の云ひ訳がまし雪を蹴る とりかいたかし
金借りて冬本郷の坂くだる 石川啄木
「畦塗り」という私には絶対に作れない季語を
使 っ た 句 で す。 と て も 上 手 に 畦 が 出 来 た の を 娘
実務には役に立たざるうた人と こ れ を 食 べ て「 夏 に 向 う 」 と い う 意 気 込 み。 元
の 作 者 も 得 意 げ に 見 て い ま す。 天 下 一 品 と い う
(純子)
我を見る人に
篠 田 純 子
金借りにけり 金を借ととのへて疲る春の雲 表 現 に、 今 も 父 親 を 愛 し 誇 り に 思 う 作 者 が 見 え
ます。
アメンボの足に喰ひつく蝌蚪のくち
昆虫もさうだが蛙もオタマジャクシの時代と
全く姿を変へてしまふ。子どもの頃の記憶が残っ
と金を借りる立場の句は枚挙にいとまはないが、
て 居 た ら 気 が 変 に な っ て し ま ふ だ ら う。 と こ ん
なことを考へてゐたら、カフカの小説に「変身」
わが友の
後姿の肩の雪かな 明
「 鏡国語
掲 句 は 湿 り が ち な 内 容 を 表 現 が 支 へ て ゐ る。
作 者 の 心 意 気 で あ る。 そ の ひ と つ は「 借 銭 」 で
石川啄木
金を貸す立場の句は知らない。なぜだらう。
(喜孝)
定梶じょう
いささかの銭借りてゆきし が あ る こ と を 思 ひ 出 し た。 だ う も 読 む 気 に な ら
な い。 掲 句 か ら 離 れ て し ま っ た。 見 た こ と、 観
察 し た こ と に 新 鮮 に 驚 い て ゐ る。 こ の 驚 く こ こ
ろは若さの秘訣である。
春深しついては借銭でけへんか
先月は「猫の子になつかる金を借りにきて 」
の句を採り上げた。
あ る。 借 金 と は 云 は ぬ 古 い 云 ひ 方 と
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に「雪が来て落着く………」と句にあるような、
須 賀 敏 子
(桂子)
辞典に書かれてゐる。
厳冬をすぎ明るい春の訪れを、「大手を広げたる」
神職の浅葱の袴涼しげに に望みと喜びを感じます。
もひとつは関西弁である。
どちらはんどしたかいなあ生身魂 稲畑廣太郎
大 宮 の 氷 川 神 社 で 私 も 見 た 光 景 で す。 さ わ や
か な 浅 葱 色 が 印 象 的 で し た。 袴 の 折 目 も ピ ン と
円虹」祝賀会
秋灯こんなええ会出たことない
明易や今夜は帰つたらあかん
田 中 藤 穂
長 崎 桂 子
(喜孝)
(喜孝)
してゐる。
と表した。自然を友とした生き方。
時 は 初 夏、 万 物 の 精 気 漲 る 時 候 で あ る。 そ の
中を歩く心地よさ、それを「主役を得たやうな」
若葉道行けば主役を得たやうな 若 葉 に 囲 ま れ た 新 居。 笑 顔 と 喜 び の 声 に、 未
来は希望に満ち溢れた幸せを感じます。 (桂子)
窓若葉新居に笑ひ声の満つ (純子)
して神社の格を感じます。
定梶じょう
(純子)
田 中 藤 穂
(純子)
田 中 藤 穂
夏帽子昨日も飛ばしてたんちやふ
阪神と残暑何とかならへんか
と稲畑廣太郎作品に関西弁を使った句を散見す
る。 大 阪 弁 と 言 ふ の で あ ら う か、 や は ら か い 雰
囲気で心の隙間にすっと入ってくる効果がある。
最 後 は 季 語 で あ る。 俳 句 に 生 き る も の と し て
「春深し」の忘られぬ一句となった。 (喜孝)
揚雲雀空は大手を広げたる 田 中 藤 穂
明 る く 広 広 と し た 空 が 見 え ま す。 能 登 だ よ り
神域の大樹より生る風みどり 神 が 人 々 を 包 込 む か の よ う に、 大 樹 か ら 風 が
湧 く。 神 々 し い 場 所 と 大 樹、 そ こ に 居 る だ け で
心が落着くようです。
子ら馳けて夏の匂をまき散らす 「夏の匂をまき散らす」の表現が好きです。喚
声・ 汗・ 好 奇 心。 夏 の 子 供 は、 元 気 を 撒 散 ら し
て い ま す。 目 を 細 め て 子 ど も 達 を 眺 め て い る 作
者が見えてきます。
団子屋に教師と児童夏の風 特 別 作 品 は 旅 吟 に 片 寄 り 勝 ち、 今 回 は 大 宮 の
氷 川 神 社 で の 収 穫。 何 か 懐 か し い 光 景。 作 者 も
自分が育ってきたときの先生と生徒の関はり方
を眼前の景から懐かしく思ひ出されたのであら
う。 団 子 屋 が 先 生 と 生 徒 の 親 密 度 を 増 す 働 き を
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懐かしき幼稚園なりいぬふぐり
笹舟の岸に寄りきし押しやりぬ
森 理 和
長崎桂子
佐藤喜孝
六月抄
む
あめんぼを跨ぎあめんぼあちら側
古 時 計 気 儘 に 鳴 り て 春 闌 け る
大日向幸江
井上石動
赤座典子
沈
散 り ぎ は に 水 鏡 せ る 桜 か な
木村茂登子
船
待たされてゐて若葉風ほしいまま
斉藤裕子
に
げんげ田や蹠ひんやり鬼ごっこ
篠田純子
線
河鹿鳴くなきやみてまたきょきょきょきょきょ
定梶じょう
平
囀
吉成美代子
寄るべなく曲がって蜷が道つくる
須賀敏子
水
星あかりやもりの声の鳴きやまず
吉弘恭子
蕗 の 薹 少 し 刻 ん で ス パ ゲ テ ィ
竹内弘子
や
梅 の 実 の ふ つ く ら 結 ぶ 家 解 体
梧 桐 や お か ぐ ら と い ふ 二 階 建
田中藤穂
か
朝寝して今日人来るを思ひ出す
お
吉弘恭子
お
大岡越前の立ちし石階手に温し
〃
お
散 る さ く ら 背 に 銀 座 の 猫 走 る
喜孝 抄
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七月抄
佐藤喜孝
井上石動
縫 物 を 膝 か ら 下 ろ す 柿 若 葉
落 ち 縁 の 青 道 心 や 柿 若 葉
木村茂登子
森 理 和
お國振り土佐は高知の塩かつを
斉藤裕子
卯 の 花 や 這 出 て 亀 の 泥 塗 れ
手 の 平 に 小 さ き 蝋 細 工 柿 の 花
篠田純子
吉成美代子
アメンボの足に喰ひつく蝌蚪のくち
定梶じょう
バス一台逃したあとのゼラニューム
春深しついては借銭でけへんか
須賀敏子
吉弘恭子
新 し き ミ シ ン を 使 ふ 夏 は じ め
竹内弘子
恋 猫 の 手 鞠 の や う に 眠 り こ む
竜の玉いくつ投げてもたよりなき
田中藤穂
赤座典子
寿
丁 石 の 然 と 十 八 椎 の 花
萬 綠 に 気 圧 さ れ て ゐ る
長崎桂子
団 子 屋 に 教 師 と 児 童 夏 の 風
〃
田中藤穂
いのちなが
若葉道行けば主役を得たやうな
子ら馳けて夏の匂をまき散らす
〃
喜孝 抄
参 道 や 十 八 丁 の 木 下 闇
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火事跡を炎天となり灼けつくす
没落の父の死手作り蕃茄熟れ
父偲ぶ目線を過ぎる鬼蜻蜒
ちんぐるま
病室白し稚児車の大群落の中
風鈴の音色昭和の風絶へだへ
標識を拾ひ訪ねて木槿垣
雷鳴や余命は天の意のままに
肋なき身を震はせる蟬しぐれ
世のために役立たぬ身や夏怒涛
阿 部 寒 林
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能 登 だ より(
定梶じょう
人が保守的な性格に育つのは当然といっていい。
て、いわば島に近い。反動とまではいいませんが、住
くまれる気質です。まして能登は日本海に細く突き出
うで、生まれて育った地より知らなかったら当然はぐ
る保守的な気質のこと。どこの半島でもそうであるよ
一方、「半島気質」ということばがあります。誰で
も遣うことばとは言いかねますが、旧態を守ろうとす
辞典には、既成の観念や形式にとらわれないで先進
的であることが前衛、と説明されています。
どなかったでしょうが、定型さえ否定しました。
しかり。荻原井泉水は一般の俳人に対する影響はさほ
も当時はそう見られた可能性がありますし、正岡子規
難しいことは手に余るので今は述べませんが、芭蕉で
) 俳句に「 前 衛 」 と い う こ と ば を 不 用 意 に 冠 す る の
は避けたいとおもうけれど、前衛と名づく俳句が現在
もつくられていること間違いない、と思うのです。
そんな能登にも、多分四十年ほど前から『青玄』や『海
程』に投句する人がありました。青玄や海程を前衛誌
を読んでそうじゃないことがわかります。そして同じ
前衛とそうじゃない句の境はどこにあるか、などの
とすることに異論があるかもしれませんが、少くとも
つある、と思ってしまうのです。
その日その日のひらがなのよう昼寝覚
関戸美智子
には、いわゆる前衛俳句にも月並な型ができあがりつ
作者の〈螢追いとうとう兄は戻らない〉のような作品
伊丹 公子
『ホトトギス』の傾向とは違う。やっぱり新しい。
枯骨董店
陶器の天使が売れた 木
そして稲畑汀子さんには
野の果と空の果合ふ鳥雲に
のようないい句があるけれど、我々のレベルの方に組
する句ではある。
遣うひらがな文字のようなやさしさを寝覚めに覚え
「その日その日」が難しい措辞で、イメージの繋が
りを重視した句作りのようですから、その日その日に
今ここに『狼』という俳誌があります。句友の句寿
夫さんからお借りしたもので、成員十人ほどの同人誌。
た、と一応鑑賞しておきますが、「ひ」の音を重ねて
ろう
逢ったことのある方はいませんが、相当古くからある
関
戸美智子
のような句を発表なさる方が、前衛俳句では常套に近
啄木忌五円切手を貼りました
いです。〉の「戦後の匂いです」は完全に月並み。
いは当たった。ただし、〈桃の日のテーブル戦後の匂
韻きのしなやかさを求めた句なのでしょう。作者の狙
大沢 輝一
ようで、代表者は加賀の方に住まう方らしい。
螢螢ひとつがついてきてという
大沢 輝一
この句だけみれば既成の傾向の句のようですが、
八月が丁度来ました乗りますか
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33
6
前衛固有の軽さをかんじてしまうのです。しかしこの
ません。能登にも前衛的な俳句をつくる方がいる、と
誉褒貶、私ごときのいうべきことではないのかもしれ
い言いまわしの「戦後の匂いです」を使うのは頂けな
館 百合子
方々にとってこのような俳句が狙いなのですから、毀
い。
甲冑の口から謡洩れる首夏
いうことに今は満足して。
さて六回にわたりつまらぬ文章につきあって頂きま
した。ありがとうございます。
この方は、私の隣町の住人であるらしい。そして、
こういう先駆的な俳誌に同人参加している能登人がい
ることを同慶としたいと思う。
文語と口語の垣根、既存の句とそうじゃない句の垣
根、いずれも低くなっていること確か。したがってこ
そのいずれを行くにしても旧かな遣いの範囲内で
作ってゆきたい、そう思う昨今です。 〈了〉
と思う。
こは口語調でいこう、ここは前衛風でいこう、など選
百合子
ころがりてもの言いたげな胡桃の実 館
館 百合子
館 百合子
択する自由がふえて、句作りの愉しみが広がっている
この句にしても、所謂「前衛俳句」とは言えぬ、真っ
当な(語弊のある言い方かもしれません)句です。
海からの風存分に干鰈
にしてもそう。しかし、
母あらば紙風船と置き薬
の「母あらば」に既成の句とは違う気配を感じますし、
豊島園に花火が揚る北病棟
見舞いの方には手元の葡萄の葉書を返事にしている。いつも立秋の頃田舎から葡萄を送っ
てくる。
本家の立子氏(従姉)分家の武男氏(従弟)で、今年は武男氏から巨峰(種無し)を送っ
てきた。病室に一房小さな笊に入れて食卓台の上にのせた。そんた訳けで二十数年拙いが葡
萄を礼状の替りに出してきた。
名の長い行列になった。天候にも恵ま
声援している姿は微笑ましい風景である。この親子の呼応が人間愛の原点であると思う。殊
に最近親子関係の面白からぬニュースが流れる中で、斯くあるべしとつくづく感じる。今日
は8月 日終戦の日、反省を籠めて鉢洗いを行う。さて、今回、韓国料理の町会員から近く
〈二〇一〇・八 十
・ 四〉
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主治医の寺嶋先生から術後の説明をうけた。胆管は癌であった。
退院したら店を直したいとか、句集を出したいとか、南画を書こうなどと欲は深い。癌に
〈二〇〇四・八 七
負けては居られない。 ・〉
蟇みてゐるやうでみてゐたり
名ぜんたいで
わが町の市谷亀岡八幡宮祭礼も無時終つた。8月6日~8月8日の3日間で、6日はお神
酒所での神輿入魂式。8日は町内月桂寺門前に集合、午後1時に出発。山車を先頭に子供神
輿と町内を賑やかに巡行。子供は約
130
れ猛暑に備え、冷たいものを用意したり役員の配慮怠りなし。お母さん達が周りから吾子を
60
の役員が 神
「 とは何か と
」 聞かれたそうだ。さて、神とは。 15
堀内一郎さんのホームページより
〈はやばやと試着室から蝶になる〉などの譬喩に所謂
一郎わすれぐさ
獐 回 頭
断 崖 に 白 靴 を 脱 い で は な ら ぬ 高島茂 選評
竹内 弘子
昭和六年に『モロッコ』というアメリカ映画あった。ゲーリー・クーパーとマリーネ・ディートリッ
ヒの共演である。ディートリツヒは、ドイツの俳優あったが、ナチに反対してアメリカで映画の殆ど
に出演した。『モロッコ』は名作で大いに当時の観客をわかせ、以来いく度も上映されて有名である。
筋は、フランスの外人部隊がアフリカ北岸の町モロッコに駐在、討匪作戦をつづける。クーパーの役
は遊び人のアメリカの兵士。ディートリッヒはフランスから来た歌手で富豪の紳士に愛される過去を
もつ美貌の女。砂漠の町モロッコのエキゾチヅクな風景と明日をも知れぬ運命に情熱をかける女の姿
が描かれている。大きな羽の風扇で二人がキッスをするシーンは不思議と六十年も経っているのに『モ
ロッコ』という映画を思うたびに眼に浮かぶ。この映画はリアルに撮られた映画であるが、最後に砂
漠へ出動する兵士を追って、女が履いていた白靴を脱いで砂上に放りながら素足になって、鼓笛隊の
軍楽とともに進む。この白靴を砂上に放げられる一瞬から、この映画はフィクションに変わるのであ
る。熱砂の砂漠を女が素足で歩いて行ける訳がない。スタンバーグという監督はこの映画を最後の場
面で、フィクションをもちいるのである。白靴を放げることによって、女の愛の生きざまを見事に象
徴して観せた。白靴の存在感を証明するために『モロッコ』の最後のシーンを語ったが、さてこの作
品の白靴も実に存在感が強い。断崖に脱いではならないと言って、当然のように、断崖上には白靴が
揃って置かれてあるのを読者は想像する。自殺であれ、殺人であれ、危険な場景には違いない。断崖
の持つイメージと白靴。この白靴もやはり女性のものである。
石森 和子
死は私を驚かせない。実際、私自身がいつか死ぬというきわめて明確な意図を持っているからであ
る。 ジョージ・バーナード・ショー
この断崖の白靴は、生と死を頒つ存在なのである。
ふる里の朝市で食ふ今川焼 「 味 み れ よ 」 朝 市 の 梨 み ず み ず し
朝の市おまけしとくよ疵の梨
東京近県では、梨がよく産れる。多摩川を挟んで登戸の周辺。千葉も梨の産地である。作者のふる
さとは千葉の御宿と聞く。その朝市に出かけられたのである。スーパーや店舗で買物をするのとは
違って朝市の新鮮な感覚。野菜であれ、果実であれ、暁けに採ったものばかりが野天に並べ売られる。
青菜はまだ露に濡れている。トマトも梨も瑞々として食欲をさそって呉れる。今川焼も出ている。ト
マトや梨やとうもろこし野菜などを売る人はおばさん達であろう。売り手も買い手も気軽に声をかけ
(一九九四年九月号)
あっている。梨を剥いて、「味みれよ」というのも朝市である。梨を買えばおまけが付く。愉しき哉
ふるさとの朝市である。
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近江八幡水郷巡り
手漕ぎ舟迷路のごとく葭茂る
老鶯や葭のはざまに手漕ぎ舟
葭の原分け入る蛇の悠然と
水郷の遠くかすむは淡海かな
淡海に乗り出すかまへ水馬
万緑や憂きこと忘れ舟遊び
風涼し水面をすべる櫓のさばき
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むさし野は校歌の中に春の富士
むさし野の春を流れてゐたる水
迯水の中にむさし野収りぬ
六月の武藏野の雨垂直に
武藏野を油障子で圍ひたる
武藏野に油絞の音洩す
むさし野の痂硬き夏の果
むさし野の二階にあがり秋の風
月の夜にうかぶむさしのけものみち
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武藏野に刺さるあかんぼ大の彈
武藏野のゲリラ豪雨に古衜現る
むさし野や月に長尾を靡かせむ
武藏野は驛の後架に廿日月
武藏野を一歩踏出す枯薄
の鑑賞文は読ませる。映画の好きだった茂さんの頼みでよ
森 理和 様
(喜孝)
くビデオ録画をしたことを思ひ出した。名鑑賞文である。
ご厚志多謝
田中藤穂 様 二〇一三年八月号
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竹僊房
印刷・製本・レイアウト カット/恩田秋夫・松村美智子
表紙・佐藤喜孝
会費 一〇〇〇〇円(送料共)/一年
郵便振替 00130 6
- 5
- 5526(あを発行所)
乱丁・落丁お取替えします。
発行日 八月十七日
- 発行所 東京都中野区中央
電 話 090 9828 4244
ファックス 03 3371 4623
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吟行案内
九月二十四日(火)
吟行地その他未定ですが、予定に入れて下さい。
あとがき
「 れらの句は昨
阿部寒林先生から玉稿を戴いた。 こ
月入院~今年の7月までの句で………腰痛は去らず
年
毎日がまんです。7月~心不全で衛生病院に緊急入院し
ました。8月に入り一歩も外へ出られません。 八月五
日」と書き添へられてゐる。句の背景は山好きの先生に
相応しいかと東亜未さんの絵を使はせて頂いた。会員の
方も毎月七句では力が余ってしまふことであらう、特別
作品をいつお募集してゐます。
「 能 登 だ よ り 」 今 月 で 終 了 し た の が ち ょ っ と さ び し い。
須賀敏子さんが今年能登に出掛けられたやうだが、機会を
得て私も訪れてみたい。地図で見ると近くに 琴
「 ヶ浜 が
」
あ り 鳴 砂 が あ る と 云 ふ。「 能 登 だ よ り 」 は 六 回 連 載、 七 月
の
」 「断崖に白靴を脱いではならぬ」の高島茂
号(五)とするところを(四)としてしまった。汗顔。
獐
「 回頭
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