研究題目 難聴児の充実した生活を目指して ~通級指導教室と在籍校が連携して進める支援~ 目 1 2 次 主題設定の理由 研究の内容と方法 (1) より確かな実態把握と指導計画の作成 (2) 充実した生活を保障する環境づくり (3) 在籍校学級担任との連携 3 実践事例1「自信喪失から脱却する生徒A」 (1) (2) (3) (4) 4 実践事例2 「自己との葛藤の中,自分の居場所を見つける生徒B」 (1) (2) (3) (4) (5) 5 対象 実態把握と指導計画の作成 環境づくりへの働きかけ 在籍校学級担任との連携で進める通級指導 対象 実態把握と指導計画の作成 環境づくりへの働きかけ 在籍校学級担任との連携で進める通級指導 考察 成果と課題 (1) 事例を通して見えた成果 (2) 今後の課題 新潟県立長岡聾学校 教諭 23 佐々木 裕一 1 主題設定の理由 勤務校の新潟県立長岡聾学校には,平成13年度より設置された難聴通級指導教室が ある。通級指導教室は,通常の学校に在籍している難聴児に対する支援を行う教室であ る。平成19年4月の改正学校教育法の施行より,特別支援学校には,センター的役割 が求められている。当校において,このセンター的役割を担っているのが支援センター 部であり,難聴の乳幼児から小学生,中学生,高校生の支援を中心に仕事を行っている。 私は,平成22年度から当校へ赴任してより,特別支援教育コーディネーター及び通級 指導担当として,このセンター的役割にかかわる業務を推進してきた。本研究は,この センター的役割の中で私が直接担当してきた難聴通級指導教室の運営について検討し たものである。 当教室(難聴通級指導教室,以下当教室)には,通常の学校で学ぶ難聴児が通ってき ている。難聴児は数が少なく,一つの学校に一人だけというのが通例であり,健聴の子 供たちの中で生活することは決して容易なことではない。聞こえにくさから孤立感を感 じたり,聞こえる周囲の仲間との差異を思い悩んだりして,周囲には見えにくい困り感 を抱えていることも多くある。その子供たちが,健聴の子供たちと共に,充実した学校 生活を送れるようにしたいと考え,通級指導教室が難聴児サポートの中心となって機能 できるようにしてきた。 さて,難聴児のサポートとして,大きくは,次の二つがあると考える。一つは,本人 へのアプローチである。集団の中でのコミュニケーションや学習をうまく進めるための 力をいかに高めるか,また,本人のもっている力をいかに高めるかということである。 もう一つは,難聴児を取りまく周囲へのアプローチである。これは,人や物に対しての ものである。子供が個性や力を発揮できる環境づくりが重要であると考えるからである。 そして,これらのサポートを有効に働かせる鍵が,“連携”であると考える。本研究 では,その中心をなす通級指導教室と在籍校との連携の具体的な姿を明らかにした。そ して,担当する難聴児が充実した生活(日々通う学校で,意欲的に学び,活動する姿が 見られること,集団の中で自分の存在を確認できること)を過ごせる支援の在り方を検 討した。 2 研究内容・方法 通級指導教室は,通級する子供への指導を主体 図:難聴児を取り巻く人々の関係 としながら,子供にかかわる人々との連携を図っ 在籍学校(担任) ていくことが重要である。特に,在籍校の担任と 難聴児 保護者 の関係はその中心をなす。なお,保護者や他の専 通級指導教室 門機関等との関係もあるが,本研究では,在籍校 専門・関係機関 との連携にしぼって検討していく。 一方的な連絡や情報提供で終わらない,機能的な連携を行い,通級する難聴児の充実 した生活を目指すために,次の3点を研究内容とし,事例の検討をしたい。 25 (1) より確かな実態把握と指導計画の作成 通級指導は,個に対する指導であるので,個に応じた指導計画,指導方法の工夫を,行動 観察,検査結果,情報の収集により,策定していく。その際,重要なことは,通常の学級 担任,保護者からの情報と通級担当者の目から見た情報とを照らし合わせ,より確かな実 態把握と効果的な指導方法を検討することである。 (2) 充実した生活を保障する環境づくり 難聴は見えにくい(わかりにくい)障害だといわれている。そのため,誤解も生まれや すい。そこで,きこえの障害を原点から理解し,難聴児への接し方をつかんでもらいたい と考える。そのために,専門的なノウハウをもった通級指導教室が,子供の充実した生活 につながる、環境づくりを働きかけていく必要がある。 その環境づくりへの働きかけの具体として,1点目は,在籍校担任を中心としたスタッ フとの懇談である。難聴児についての状況や課題を把握し,適切な対応をするために行う。 2点目は,通級指導教室便りの配布である。これには,毎回,聴覚障害の特性や支援に関 する内容を記載し,通級生の家庭に加え,校長先生を始めとした在籍校スタッフにも読ん でもらう。間接的に難聴理解の啓発となる。3点目は,在籍校スタッフの研修の場の設定 である。 これは,難聴についての正しい理解をうながすことができる。 (3) 在籍校学級担任との連携 確かな連携を行うためには,双方向の情報交換が継続的に行われなければならないと考 える。そのために,通級指導教室と在籍校の担任との間で行き来する連絡ノートを用いる。 集団の子供を指導し,支援を要する子供は難聴児以外にも複数いる通常の学級担任に,過 度の負担をかけず(分量や内容は書く人に委ねられる),連絡調整を進める方法として連絡 ノートが適切であると考えてきた。連絡ノートのよさは,文字として記されることにより, 双方の連絡が記録として残ること,経過がわかること,継続的に情報を交換できることで ある。なお,緊急を要する件については,電話や直接訪問で連絡を取り合う。 3 実践事例1 「自信喪失から脱却する生徒A」(平成 22 年度~平成 23 年度) (1) 対象(中学校男子,片耳難聴,吃音) 初回面談は,中学校2年生の 4 月であった。1 歳の時,左耳の聴力が検査不能の片耳難聴 を診断される。特別な相談や支援を受けずに,通常の教育を受けてくる。小学校中学年よ り吃音症状が現れる。中学校入学後から吃音が悪化,学習意欲を失い,不登校傾向となる。 中学校2年生4月より,当教室へ通い始める。 (2) 実態把握と指導計画の作成 通級開始当初,在籍校関係職員との面談の機会を設定し,学校での情報(学習・生活の 様子)を収集,通級指導教室での相談や検査の結果等の情報を交換し合った。また,保護 者との面談を通して,家庭での情報(生活の様子)を収集した。 26 <在籍校担任からの情報> 人前で話をしなければならない状況で,最初のことばが出ず,スムーズに話ができない。 教師や仲間との会話はほとんどない。苦手な学習,単元があると,欠席することが多い。 清掃などの当番活動にはまじめに取り組む。 <保護者からの情報> 話そうとするが,最初のことばが出ないで,苦しそうなことが多い。左側からの音声が 入りにくく,テレビなども大きな音で聞いている。家に籠らないよう,外へ連れ出し,い ろいろな体験に誘っている。 <通級指導教室での実態把握> 吃音の状態は最重度であり,難発(最初のことばが出ない) ,連発(ことばを繰り返す), 随伴症状(身体の緊張や動き),異常呼吸(吸気を極度に繰り返す)が見られた。学習の理解 度が低く,意欲もほとんどなかった。自分の状態(片耳難聴や吃音)についての知識,理 解もほとんどなかった。性格的には素直さと真面目さが表れていた。 以上の情報を基に,指導計画を作成した。指導の方針のみ,次に示す。 <指導の方針> ・吃頻度の減少,吃症状の質的緩和を目指して直接的アプローチ(吃音の軽減を目指し た個別指導)を行う。 ・片耳難聴及び吃音を受け入れられるよう心理的アプローチも同時に行う。 ・連絡ノートを活用して担任及び保護者と情報交換を行い,継続的な連携を図っていく。 ・教科の補充学習を行い,わかる,できる経験を積み重ねていく。 (3) 環境づくりへの働きかけ ① 在籍校の関係職員(学年主任をはじめとした学年部職員と養護教諭)との懇談と理解研 修を行った。片耳難聴や吃音についての理解は,ほとんどない,あるいは,誤った理解(吃 音の症状が出たら,何度もやり直しをさせるなど)がなされていた。正しい知識と情報を 提供すると,もとより熱心な在籍校職員は,正しい理解と適切な支援への努力をしてくれ た。関係職員と共通理解を図った主な内容は,次の3点である。 ○片耳難聴の特性と対応の仕方(座席の配慮,板書等視覚的な提示など)を確認。○集団生 活において,話し方を直させること,教えることは避けるなど,吃音への対応の仕方を確 認。○生徒Aのよさが認められ,安心して過ごせる環境づくり。 ② 通級便りを通して,在籍校スタッフへの啓発を図った。月1~2回配布,難聴児の特徴 や支援のポイント,通級指導の具体的事例等を載せている。 (すべての通級生在籍校に配布) 緊急時の対応について 1 視覚情報の活用が効果的です クラス全体に避難訓練の意義や具体的な行動についての話をする際,図解や文字に よる視覚的な情報が加えられますと,難聴児にもよく理解できます。 ・・・ (中略)放 送連絡等を,クラス全員のだれもが教えてくれる環境が大切です。 (通級指導教室便りの内容例:便りの一部より) 27 (4) 在籍校学級担任との連携で進める通級指導 次に,在籍校担任との連絡ノートを活用し,連携を図りながら進めた実践の一部を挙げ る。 ※「 」は,連絡ノートに記述された文面である。 ※ 下線,太字の部分は,本論における内容の強調のために,加えたものである。 ※ 通級指導担当としては,在籍校における支援,配慮に対して,感謝を伝えるという姿 勢で連絡ノートを書いている。 担任からの情報発信 <2 年生 5 月時の連絡ノートより> 「体育の時間に,50メートル走を計測し た 通級指導教室での対応と情報発信 ◎吃音については,呼吸法やリラックス法1を取り入れ指導を行った。 50メートル走のことを話題にすると,笑顔で, 「陸上部があればよか ったんだけど。」と語る。 ら,クラスで一番速いタイムが出ました。 本人はとてもうれしそうで,自信になっ 「学校,家のことなどいろいろ話してくれました。吃症状はかなり 厳しいですが,ゆっくり,急がず対応していきます。 」 たと思います。なお,教室の座席は,本人 と相談し,きこえる方の耳で聞き取りやす い場所にするようにしていきます。 」 <2 年生6月時の連絡ノートより> 「笑顔が見られる日が多くなりました。教 ◎吃音に対する指導に加え,英語の基本的なことを確認する学習を行 った。教科補充も行った。 科連絡係は,伝えようとしても,スムーズに 「吃音の状況は強く出ていますが,話そうとする意欲は高いので, ことばが出ず,ペアの子がうまく関わってく いろいろな話を聞いてあげることにしました。学習についても,一つ れています。あせらず,ゆっくり見守りたい でもわかることを増やしたいと思います。」 と思います。」 <2 年生7月時の連絡ノートより> 「教職員全員で,○○さんの症状について 導を行った。教科補充も行った。 理解を図っているところです。職員と話をし 「先生方が,○○としっかり向き合っていただいていること感謝し ている際,吃音の症状が見られる場合はどう ます。話そうという気持ちがあれば,それを受け止めてください。吃 すればよろしいでしょうか。症状が収まるま 音が強く出ても最後まで聞いてあげ,話の内容の方を注目してくださ で待てばいいのか,それとも無理して話をさ い。話そうという気持ちを大切に,肯定的に対応していただければあ せない方がよいのか,教えてください。」 りがたいです。」 <2 年生9月時の連絡ノートより> ◎吃音の症状は明らかに軽減してきているが,強く出るときもある。 「最近は,自ら話すことが多くなったの で,吃音の症状が多少あっても最後まで聞い てあげたいと思います。」 「学校で話をする機会が増えました。国語 1 ◎自己理解(片耳難聴及び吃音の知識と自己の状況把握)をうながす指 楽に話せる,吃音を受け入れられるように,指導を行った。 「本人は, 『つっかえるけど,苦しくない』 『前よりよくなってきた』 と言っていました。関心の高い理科の学習も一緒に始めています。」 「今日は,吃音症状が少し強く出ていました。一進一退は吃音の特 の担当者が,音読ができるようになったと, 徴です。大切なことは楽に話せる方法を身につけることと考えていま 喜んでいました。 」 す。」 吃音症状が強い場合,胸式呼吸で,体の筋肉が固くなっていることが多い。ここで言う呼吸法とは,腹 式呼吸のことである。腹式呼吸は,副交感神経を刺激し,緊張をほぐす効果があることと横隔膜を動か し,スムーズな発声にも効果を現す。リラックス法とは,腹式呼吸をしながら,固くなっている筋肉を 弛緩させること。自分の好きな情景をイメージしながら進める。 28 <2 年生 10 月時の連絡ノートより> 「基礎学力テストの国語は,漢字勉強をし ◎スムーズに話をしている自分をイメージしたトレーニングを行っ た。 た成果で,合格ラインを越えたそうです。他 「学習への意欲が向上しているようでうれしいです。国語の学習の の教科もがんばっています。学習意欲が出て がんばり,大いに褒めておきました。今日は,発音,発声,イメージ いますので,今後も継続できるよう支援して トレーニングを集中して行いました。」 いきます。」 <2 年生 11 月時の連絡ノートより> ◎イメージトレーニングと教科補充を行う。 「社会科の担当者に話を聞くと,教科書を 「ご多用の中,教科担当の先生方と情報交換をされていること,本 しっかり読むことができ,発問に対しても全 当にありがとうございます。たくさんの先生方から見守られ,○○さ 員に聞こえるように答えられたそうです。春 んは幸せです。基礎学力テストの社会で満点を取ったといって喜んで に比べて見違えるようによくなったと言っ いました。柔道の授業にも参加し,休まないで登校していること,先 ていました。」 生のご指導のおかげです。」 (5) 考察(生徒Aの変容) 片耳難聴は,補聴器をつけている難聴(一般的に片耳難聴は補聴器を装用しない)以上に 周囲には大変わかりにくいものである。また,吃音については,その対応に戸惑ったり, 誤った対応をしたりすることにより,悪化を招くこともある。生徒Aは,まさにそのよう な中にあり,自分自身をどうしたらよいか分からず悩み,周囲もどうかかわったらよいか 分からない状況からの出発であった。通級開始当初の吃音症状は,最重度で,話すことイ コール苦しみに近い状況であった。通級指導ではまず,生徒Aが話すのを待つことに徹し た。急がず,どんなに激しい吃音症状が出ても,吃音に注目せず,話の内容に注目した。 生徒Aは,入学当初入部した部活動を 1 年時退部して以来,1年数ヶ月ぶりで文科系の 部に入り,部長となった。部では,興味関心の同じ仲間との会話も弾んでいた。生徒総会 では,部長として,報告したり,質問に答えたりしなければならなかった。総会当日,生 徒Aは,はっきりとした口調で質問にも応答したとのこと,吃音はまったく現れなかった との話を担任や本人から聞くことができた。もちろん,総会の前後には,部活担当者を中 心に,職員の連携の下で支援が行われていた。片耳難聴や吃音について理解し,そして生 徒の心理面をつかんだ支援であったことがうかがえる。 本人においては,自分自身の障害に対する理解が進み,集団生活においても,楽に,自 然体で話せる姿が増えてきた。また,学習面にも前向きに取り組む姿が表れてきた。生徒 Aは,自分の能力と適性を熟考し,進学先を自ら選択,受検をし,進んでいった。ただし, 片耳難聴は治ることがない,吃音も軽減しても完全に消失することはなく,場合によって は激しくなることもある,そのことも認識し,しっかり歩んで行ったのである。 通級指導終了時,自分の思いを伝える(通級の後輩などを対象とした)作文を書いてく れた。その文面を以下に挙げる。 29 話したいのにことばが出ない。苦しい。日直で話さなければならないとき,授業で先 生に指名されたとき,どうしようかと思った。学校へ行きたくなかった。でも,今は違 う,ことばがつまるときもあるが,話すのは苦しくない。部活の後輩や友達と話をする のも楽しかった。先生と話をするのも楽しかった。自分はこの2年間で変わったと思う。 人間は変わることができる。 4 実践事例2 「自己との葛藤の中,自分の居場所を見つける生徒B」 (平成 23 年度~平成 25 年度) (1) 対象(中学校女子,高度の感音性難聴,両耳に補聴器を装用) 初回面談は,中学校1年生の5月であった。1 歳の時,髄膜炎に罹り,髄膜炎後聾の診断 を受ける。診断後即,補聴器の装用を開始する。その後,聾学校の教育相談,幼稚部にお いて聴覚活用と言語発達促進の指導を受ける。幼稚部修了後は,地元の小学校で聞こえる 子供たちと共に生活,中学校も地元の中学校へ進学する。小学校 6 年生より,学校や家庭 内で問題行動(学校にお菓子を持ってきて食べる,級友の持ち物を隠す,家庭で,母親に反 抗的態度で暴れる等)が見られるようになる。 (2) 実態把握と指導計画の作成 通級開始当初,在籍校関係職員との面談の機会を設定し,学校での情報(学習・生活の 様子)を収集,通級指導教室での相談や検査の結果等の情報を交換し合った。また,保護 者との面談を通して,家庭での情報(生活の様子)を収集した。 <在籍校担任からの情報> 人とのかかわりを求めて積極的に会話をするなど,明るさも見られるが,気持ちが安定 せず,いらいらして,級友にとげとげしい言葉を発してトラブルになることもある。授業 へは普通に参加し,家庭学習もしているが,学習意欲は決して高くない。当初入部したバ レーボール部をやめ,自分の意思で吹奏楽部に転部した。なお,バレーボール部への入部 は,母の希望が大きく影響し,本人の意思は薄かった。幼少時より,母の考えが優先し, 引かれたレールの上を進む傾向が強い。 <保護者からの情報> 両親,特に母親への反抗的な態度が現われていて,口げんかとなることが多い。また, 物を投げたり,叫んだりすることもある。家庭学習の時間は毎日とっているが,集中して 学習している様子が見られない。 <通級指導教室での実態把握> 聴力は両耳ともかなり厳しく,音声に加え,話し手の口の動きを手掛かりに聞き取って いる。また,自分自身の難聴の状態について十分に理解できている状態ではない。本来, 明るく話好きであり,中学生らしく様々なことに興味関心がある。 以上の情報を基に,個別の指導計画を作成した。指導の方針のみ,次に示す。 30 <指導の方針> ・常に受容的態度で会話し,心理的安定を図る。 ・それぞれの立場で,本生徒のよさを見つけられるよう,連絡ノートを活用して担任及 び保護者との情報交換を行い,継続的な連携を図っていく。 ・難聴についての正しい理解(自己理解)をうながす。 ・学習方法,内容の見直しのアドバイスと,わかる,できる経験につながる補充学習を行 う。 (3) 環境づくりへの働きかけ ① 在籍校の関係職員(学年部職員及びコーディネーター)との懇談と理解研修を行った。在 籍校職員は,生徒Bをよく見て,ていねいに対応していた。さらに障害の状態を正確に把 握することにより,よりきめ細かい対応をしてくれた。関係職員と共通理解を図った主な 内容は,次の3点である。 ○個別に話を聴く,分かりやすく説明する場面の設定をする。○生徒Bの活躍の場面を提 供する。○重要事項を決めるときは,本人の希望,保護者の考え,学校側のアドバイスを もとに十分相談して決める。 ② 事例1と同じく通級指導便りを配布し,在籍校スタッフへの啓発を図った。 (すべて の通級生在籍校に配布) 指示や発問が理解できると「授業が分かった」と感じることが多い。 本時の学習の柱となる課題や指示や発問が伝われば,授業に参加しやすくなります。 そこで 次のような「目に見える」手立てがとても有効です。 ・学習課題の板書 ・フラッシュカードの活用 ・ワークシートの準備 など 難聴児にわかりやすい授業は,他の児童生徒にもわかりやすい授業です。 (通級指導教室便りの内容例:便りの一部より) (4) 在籍校担任との連携で進める通級指導 実践の一部を挙げる。記載方法は実践事例1に同じ。 担任からの情報発信 <1年生6月時の連絡ノートより> 通級指導教室での対応と情報発信 ◎聴くことに徹し,本時のいろいろな語りに耳を傾けた。学校生活 「以前より笑顔が多くなり,仲間とよく会 での楽しみと嫌な事,仲のいい友達とどうしても受け入れられない 話をしています。しかし,時々いらいらして, 同級生について,好きな芸能人や好きな食べ物についてなどを語っ 他に強い口調で接してしまうこともありま た。そのうち,自分の聴覚障害について,学校では,自分だけが聴 す。」 覚障害で,孤立感を感じていることを徐々に話し始めた。 「こちらへ来ると,学校生活や私生活について,とにかくよく話 をします。学校では一人しかいない難聴の自分というものに葛藤を 感じているようです。しかし,先生方がよく話を聞いてくれるし, 仲のいい友達もいるから,学校は楽しいと言っています。生徒 B の 心を受け止めた対応をしていただき,ありがとうございます。」 31 <1年生7月時の連絡ノートより> 「自由テーマの作文課題を出したら,生徒 生徒Bが書いた『今,伝えたいこと』を読むと,難聴であること の葛藤や心の苦しみ,また,聞こえる世界への憧れが綴られていた。 B は,『今,伝えたいこと』という題で書き ◎自己理解をうながす学習(難聴という障害の詳しい理解,難聴であ ました。難聴である彼女の内面がよく表れて っても努力次第で可能性は拡がること,補聴器や福祉についての知 いる文章です。文章表現が素晴らしく,校長 識)を開始し,段階的,継続的に学習を進めることとした。作文につ をはじめ職員でほめました。コピーをお届け いては,表現の上手さを称賛するとともに,勇気をもって自分の心 しますので,先生も読んでください。」 の内を表したことを大いに称賛した。 「よく自分の内面を表現できたと,大いに褒めました。また,生 徒Bの心の葛藤がよくわかりましたので,自己理解をうながす指導 を続けていきます。」 <1年生9月時の連絡ノートより> ◎学校生活のことを話題に出して話を聞くと,吹奏楽部での練習曲 「吹奏楽部に、転部してから,練習をがん の話,パーカッションの難しさと楽しさなどを語った。同学年の男 ばっています。どの程度できるか心配してい 子と1年生の女子と3人で充実した活動であると,満足そうに笑顔 ましたが,これがけっこうやるんです。演奏 で話していた。自己理解をうながす学習を進めた。 会では,パーカッションの主になってもらお うと思っています。」 「こちらでも,吹奏楽部の話題が出ました。2年生の○○さん, 1年生の△△さんと教え合って楽しく活動をしている様子がよくわ かります。自分で選んだ部活なので,がんばろうという気持ちが強 いのではないかと感じます。」 <1年生10月時の連絡ノートより> ◎学習方法について一緒に再確認をした。本生徒は,英語に限らず, 「英語の担当から,勉強はしているんだけ じっくり考えたり,コツコツ練習したりすることが苦手であった。 れどもなかなか定着しない。勉強にむらがあ 学習内容をしぼって極力少なくし,それを確実に練習するという方 り,ていねいさに欠ける点があるとのことで 法を提案した。内容を,基本用語の正しい理解,基本問題の解法, す。」 語彙,単語の練習にしぼった。問題を一つずつ行わせ,理解を確認 しながら,スモールステップで進め,自分の向上を自覚できるよう にした。 「生徒Bの学習方法を見ると,あれもこれも欲張って手を出し, 結局どれも定着しない,向上が実感できないことがわかりました。 学習内容をしぼって,しっかり学習すると,分かるようになること を認識させたいと思います。 <1年生11月時の連絡ノートより> テストの答案を持ってきて見せてくれた。 「定期テストが終わりました。前回より総 ◎まずは,目標をもってがんばったことを大いに褒め,向上した結 得点が数十点アップしました。学習方法を見 果を喜び合った。一緒に答案を見ながら,よくできたところ,間違 直し,がんばった成果が出て,満足そうでし ったところ,分からなかったところを確認し,問題の意味,問題の た。」 解き方,正答を説明した。 秋の校内音楽祭で,吹奏楽部の演奏や合唱を見に来てほしいと言 う。 「テストへ向けたがんばりを称賛し,よい結果が出たことを共に 喜び合いました。校内音楽祭を見に来てほしいと訴えるので,おじ ゃまさせていただこうと思います。 」 32 (5) 考察(生徒Bの変容) 通級開始当初の生徒Bの表情は硬く,笑顔は少なかった。通級時は,とにかく聴くこと に徹した。ここでは,カール・ロジャーズの来談者中心療法2を基にし,感情の明確化をう ながし,共感的理解の姿勢で対応した。生徒Bは,学校生活,家庭生活の他愛もない会話 から,徐々に心の内を語るようになった。学校の中で難聴者は自分だけという悩み,治る ことがない自分自身の難聴に付き合う悩み,聞こえる世界への憧れを語った。時を同じく して,在籍校では,作文で自分の心の内を表現した。その作文の一部を以下に挙げる。 私は,耳が聞こえないと言う障害があります。私の耳の障害は,一生治ることはない そうです。どうしても耳の障害は治らないのでしょうか。かぜをひいた時,薬を飲めば 治るのに,どうして私は,耳が聞こえなくなってしまったのでしょうか。今,すぐには 無理でも,いつか,普通の人と同じように聞こえる補聴器ができたら。いつか,手術を して,普通の人と同じように,聞こえるようになったら。 誰か,たくさん研究をして,すべての聞こえない人が,聞こえるようになれたら,も し,それができたら,とてもすばらしく,とてもうれしいことです。(中略) 今の私は,聞こえる世界にあこがれます。無理なのはわかっているけど,すべての音, 自然の音を聞いてみたいです。 生徒Bは,自らの心の内を自己開示したのである。それまでは,自分の思いを抑え,決 して家族であっても語ることのなかった心の内である。抑圧された感情は,学校や家庭内 での問題行動として表れていた。そこで,通級指導においては,正しい情報をもとにした 自己理解の促進を意識してアプローチした。つまり,難聴という障害は,聞こえる人と比 べれば限界を感じることも確かにある。しかし,本人の意欲と努力により多くの可能性が あることを認識させたかったのである。例えば,職業選択において,国家資格を必要とす るような専門的な職業であっても,難聴者が資格を得て活躍している事例は多くある。く じけず,あきらめず取り組むことの大切さに気づかせたかったのである。 (なお,生徒Bは, 国家資格を必要とする職業に就きたいという淡い思いがあった。)この自己開示を機に,生 徒Bの変容が始まった。 在籍校においては,部活動に前向きに取り組む姿が表れた。吹奏楽部において,自分の 技術を高める努力をする,周囲と協力して曲を作り上げようとする姿が見られた。委員会 の仕事にも積極的に取り組むようになった。先輩の仕事ぶりを目標に,自分の活動を振り 返って,よりよい仕事をしようとする姿が見られた。学習方法に偏りがあり,学習の成果 が表れなかった状態から,周囲のアドバイスを受け入れ,自分の学習方法を見直そうとす る姿が見られた。何れも本人の前向きな努力によるものであるが,その背景には,生徒B の話をよく聴く学級担任や教科担当,部活動や委員会で自己有用感を感じられるような活 動の場面を用意した担当教師の存在があった。 2 1940 年代はじめにアメリカの心理臨床学者カール・ロジャーズとその共同研究者たちにより創始された カウンセリングの理論と方法のこと。傾聴や共感を基盤とした方法であり,来談者自らが自己の内面や 現在の事態を理解し,自ら決定していくのを助けることを重視している。 33 生徒Bが2年生の秋のある日,在籍校で行われた合唱祭を参観した。クラスの一員とし て,全校の一員として,笑顔で,精一杯歌う生徒Bの姿があった。また,難聴の生徒にと っては厳しいであろう吹奏楽部に所属し,演奏する姿があった。聞こえる生徒とともに, 音楽を作り上げようとする意欲に満ち溢れる姿であった。もちろん,そこには,さりげな い教師の支援が存在した。 抑圧された感情を問題行動という形でしか表現できずにいた生徒Bは,感情を抑えずに 表現できる環境を得,自分の難聴と正面から向き合いながら,前向きな生活を送る生徒へ と変わっていった。もちろん,中学校生活はいつも順風満帆ではなく,悩みや迷いが湧き 上がるときもあったが,自分自身と正面から向き合う姿勢は決してぶれなかった。中学校 卒業後の進路については,当教室でも在籍校でも,様々な情報を提供しながら相談を進め た。そして,親子で真剣に考え,話し合いながら,自分自身の夢と目標の実現につなげら れる学校を自らの意思で選択,受検し,進んでいった。 通級指導終了時,自分の思いを伝える(通級の後輩などを対象とした)作文を書いてく れた。その文面を以下に挙げる。 私が中学校3年間で頑張ったことは部活動です。私は吹奏楽部に所属していました。1 年生の時は,自分のことだけで精一杯でした。そして,先輩が引退し,パートリーダーを させてもらったので,とても責任を感じ,また周りを見る力をつけることができました。 朝練や自主練を繰り返し,3年最後のコンクールではとてもよい緊張の中で,満足の演奏 ができました。部活動を通し,最初はできないことでも続けることで,目標は達成できる と感じました。簡単にはできないことがたくさんありましたが,友だちが「頑張ろう。」 と励ましてくれたときは,私一人だけが苦しんでいるのではなく,みんな努力しているん だと,そして,諦めなければできると強く感じることができた中学校生活でした。 5 成果と課題 (1) 事例を通して見えた成果 ■生徒Aの過去の姿 ― 自信喪失,無気力,現状からの逃避 要因・・・吃音に対するコンプレックス,自分の話を受け入れてくれる人の不足 □その後の生徒A ― 部活動への参加,他者との積極的な会話,生徒総会での報告 ★自分自身の片耳難聴という身体的特徴と吃音症状(課題とそれを乗り越える方途)につ いて自己理解ができ,吃音のコントロールができるようになったことが,自分への自信に つながったと思われる。 ★自分を受け入れてくれる仲間や教師がいることを実感できたことが,安心感につながっ たと思われる。 34 ■生徒Bの過去の姿 ― 自己肯定感の低下,不安定な精神状態,問題行動 要因・・・難聴である自分との葛藤,他の仲間との溝を感じる自分,用意された枠の 中で生きる自分との葛藤 □その後の生徒B ― 部活動への前向きな取り組み,委員会活動への積極的な参加,学 習面での意欲的な姿,自分自身での意思決定 ★蓄積した悩みの開示と自分自身の自己理解が進むことにより,自分の存在を見失わない 安定感につながったと思われる。 ★努力すればできる体験,教師をはじめとした周囲の賞賛,励ましにより,自分への自信 と心理的な充実感につながったと思われる。 これら生徒A,生徒Bの変容から,明らかとなった有効な手立ては,以下のようである。 ○通級指導における心理的アプローチ・・・まず,心理的安定を図ることである。その具 体的な内容は,とにかく聴くということである。子供は,聴いてもらうこと,安心して語 ることにより,自分自身の中にあるエネルギーの高まりを実感できる。そして,それが心 理的安定や他の学習,諸活動への前向きな取り組みへと発展していくと考えられる。また, 聴くということはその子供を深く理解することである。理解することにより,次に適切な 対応の方途も得ることができる。さらに,子供の自己理解(自己の特性や障害についての正 しい認識)の促進を図ることである。難聴という障害があることによる限界を差し引いても, はかり知れない可能性があることを意識づける,勇気づけのアプローチである。 ○在籍校との連携である。当教室としてアプローチすることは,難聴児の周囲の人たちが 子供を正しく理解し,適切な対応をするよう,陰からそのコーディネートをすることであ る。当教室がつかんだ正しい情報を在籍校へ伝えることにより,学校では適切な対応がな される。さらに,適切な対応が継続するよう,継続的,双方向性のある連絡が必要である。 この積み重ねにより,子供の変容と安定した姿が現われてくる。また,当教室は個別の指 導であり,この場では指導に限界がある。子供が集団生活の中で充実した日々を送るため には,自己肯定感,自己有用感を得なければならない。この視点に直接アプローチできる のは,日々集団の中で一人一人の子供を指導している在籍校の職員である。そのためにも, 子供一人を深く見つめられる当教室と集団の中でのその子の実態をつかめる在籍校の両者 が連携することは,互いの指導を補完するというよりも,それぞれの場での指導が相乗し て,効果を表すものと考える。 (2) 今後の課題 平成 24 年 7 月に中央教育審議会から『共生社会形成に向けたインクルーシブ教育システ ム構築のための特別支援教育の推進(報告)』が出され, 「合理的配慮」と「基礎的環境整備」 というキーワードが示された。また,平成 25 年 6 月には, 『障害を理由とする差別の解消 の推進に関する法律』(障害者差別解消法)が制定された。さらに,平成 26 年 1 月には, 『障 害者の権利に関する条約』を日本が批准した。まさにインクルーシブ教育構築に向けて, 本格的に動き始めている今日である。これまで,難聴児の充実した生活を目指すための支 援,配慮について取り組んできた。集団の中で,どのような点を配慮すればよいか,どの 35 ような環境づくりをすればよいか在籍校の職員とともに実践してきたことを,今後は, 『合 理的配慮』,『基礎的環境整備』という視点で整理し,それぞれの子どもにとって,最も有 効なものを提供できるようにしたい。ただし,難聴という障害は同じであっても,一人一 人のニーズは当然異なる。法律,制度を生きたものにする大切なものは,子供の今と将来 の幸せのために,その子を理解しようとする周囲の熱意と協働の姿勢である。 36
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