音 速

日本機械学会誌 2011. 5 Vol. 114 No. 1110
388
連載講座
解説
学力低下時代の教え方(最終回)
音 速
Velocity of Sound
清水 昭比古
ラグランジの見方で論ずる(図 1).微小でない変形は流
体力学の領分に入り,基本的にオイラーの見方で扱われる
のである.2010 年 10 月号 p812 で述べたグリーン・ラグ
ランジの歪みテンソルは,実際には殆ど出番がない.
Akihiko SHIMIZU
◎九州大学工学部応用原子核工学科卒
業,高温ガス炉,超高中性子束実験炉,
核融合炉などの熱流動工学研究に従事
◎研究・専門テーマは,熱工学,原子力
工学.日本原子力文化振興財団派遣講
師,九州エネルギー問題懇話会委員,
評論家西部邁氏の九州発言者塾塾頭な
どの活動を通じて,原子力の社会的受
容,教育刷新,日本再生を目指す言論
活動を展開
◎正員,九州大学名誉教授
E-mail:[email protected]
A B
図1
足掛け三年に及んだ連載も最終回である.
これまで,材料力学と流体力学を連続体という共通の視
点で見通すための数学的手法を展開してきた.今や,両科
目はその基礎の上に堅牢に築くことができる.但し,それ
はそれぞれの練達の士にお任せする.
学生が戸惑う論理の飛躍は能う限り排して,演繹の連続
性・一貫性を維持した積りである.筆者は,
「これでわからんなら知らん」
と言いたいところだが,自身の学生時代を振り返ってもそ
れは不遜である.学生は躓き,迷い,ときに絶望する.筆
者の言いたいのは,そのような学生を放置したり突き放し
たりせず,
「どこからわからなくなったかはわかるだろう.必ずその
原因に戻れ.それが線形代数なら線形代数に戻れ.それが
微積分なら微積分に戻れ.高校の物理・数学の理解が怪し
いなら高校の教科書に戻れ.それが早道だ」
,
と励まして,
全体として彼らの地力の底上げを図るべきだ,
ということである.担当するのは或る一つの科目に限られ
ても,理系大学人の矜持にかけて,学生のそのような“全
体像”への目配りが大切である.多忙過ぎる現下の大学人
には,とかくその姿勢が不足していよう.理系は“アラカ
ルト(お好み)
”ではいけない.
最終回のテーマとして音速を論ずる.音速は,流体と弾
性体に共通な“微小圧力擾乱の伝播速度”であるから,連
載の仕上げに相応しい.既往の各号を振り返りつつ,楽し
みながら追って頂きたい.
あた
力が掛からない時の棒の密度を とする.変形は微小
なので,断面積 は力が加えられても変化せず,密度だ
けが変化するものとする(
).
物質座標 の点が時刻 に存在する位置の1次元外部座
標を,
(1)
とすると,時刻 における
点の局所歪みは,
(2)
つまづ
ぢりき
である(2010 年 8 月号).従って,縦弾性係数(ヤング率)
を として 断面における応力は,
(3)
である. は,図のように棒を 面で左右に分割して考え
るとき,
“ の大きな方(表,B 側)が の小さな方(裏,
A 側)に及ぼす単位面積あたりの力”であったから,正負
を含めて B 側は A 側に,
(4)
の力を及ぼしている.
でんぱ
1.初等のやり方による弾性体中の音速
A
断面積 の一様な弾性体の棒の一端が壁に固定されて
いる.
この棒に長さ方向の力が加えられた時の微小変形を,
─ 80 ─
B C
図2
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次に,棒の隣接する 2 点( ,
)間の部分(図
2の B 部)の運動方程式を作る.その質量
は,変形
の前後で変らないから,
(5) 図の BC の境界では
“C が B に及ぼす力”,
または は,
AB の境界では“B が A に及ぼす力”であるから,後者に
作用反作用の法則を適用して,B 部の運動方程式は次であ
る.
従って,
て,難しいことは無い.そこで,同じ結果を,連載で展開
してきた完全に一般的な方程式体系から導いてみる.その
準備のために,既往の号から二課題の解答を提示しよう.
式番号などは改めている.
[課題1]
(余因子,逆行列の添え字表現,2010 年 7 月号
p 554)
行列
に対する次式(同号同所の式(20))
,
(12)
に
を掛けた結果を
で割って整理すると, の
余因子
の添え字表現, の逆行列
の添え字
表現などが得られる.逆行列と余因子の復習かたがた挑戦
せよ.
(解答)
式(12)
を作る.
(6) これは波動方程式である
(2010 年 8 月号p 670,
式
(28)).
波動の伝播速度 は,
(7) となる.踏切で聞く列車の接近音はこの速度でレールを伝
わって来る.また,地震の縦波(P 波)の伝播速度もこれ
である.
式(7)
を次のように変形する.
(8) そこで,
(応力の微小変化)
(密度の微小変化)
み な
と看做し,
と近似すれば,式
(8)
を,
(9) と書くことができる.
とは近似できても(微
小変化)/(微小変化)は有限値であることに注意.微分
概念の基本である.
変形が完全弾性的なら,すなわち弾性エネルギーの熱エ
ネルギーへの散逸を伴わないなら,この変化を等エントロ
ピー変化と看做せるから,上式を,
(10) (①は 2010 年 4 月号 p276 の式(20))
ここでは,括弧内の生きた添字が と
としてある.上式は,
すなわち,
だから,これを
であるから,
(13)
が, の逆行列の添え字表現である.
一方, の逆行列の作り方は,
(1) の
余因子
を 全 て 求 め て, 余 因 子 行 列
を造り,
(2) 転置させ,
(3) で割る,
であった(線形代数の教科書を復習せよ).つまり,
(1)
→
(2)→(3)の結果が式(13)であるから,逆に辿って
の
余因子
が,
であることがわかる.添え字を整理すると,
(14)
[課題2]
(面積要素の関係,2011 年 3 月号p 204)
と書いてよい.負号を中に入れたのは,のちに応力を圧力
と対比させるためである.すなわち,押し合い(
)
のとき,
(
)で正になるようにしてある.
棒の比体積を (
)とすれば,
(11) 空間
2.連載の成果から同じ結果を
空間
図3
以上は,材料力学講義の導入部あたりの流儀に沿ってい
─ 81 ─
■
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図3中の微小体積
,
の関係は,
(15) であった(2010 年 11 月号 p888 左欄,式
(19)
)
. はヤコ
ビアン
である.これに対して, 空間中の面積要素
する 空間中の面積要素
の間には,
と,対応
(16) の関係がある.これを示せ.
,
はそれぞれ
の単位法線ベクトルである.ヒントは図4.
図5
■
さて,運動方程式は 2011 年 3 月号p 201 の式(11)
である.
(20)
“粒子 の実体”を伴った元の形は,上式に
グリーンの公式に拠って次式である.
を乗じ,
(21)
空間
空間
図4
を基準配置(変位前の物質座標)
,
材料力学では
を現配置(変位後の座標)と呼ぶのであった(図5)
.
式(20)右辺中の偏微分演算
は,実は,式
(21)の
対応する項①によって粒子 が周囲から受ける力の合力
(足し算)を現配置で勘定する操作に相当する.ばねに掛
かる力は伸びた状態で勘定するのであるから,これは自然
な表現である.しかし,2011 年 3 月号 p201 右欄で述べた
ように,ラグランジ表現では
が独立変数で
は
従属変数であるから,従属変数による偏微分が式中にある
ことは甚だ面白くない.それは,当該項を以下のように基
準配置における足し算,すなわち 空間における面積分に
置き換えて解決する.
項①は,
(解答)
図4によって,
はなは
である.式中 は“ 空間における”グリーンの公式で
ある.これによって式(21)は,
ついでに,
式
(16)
で 空間と
空間の役割を入れ替えれば,
(17) である.式中,
は,
(単位行列)
の両辺の行列式を作って得られる.
微小表面上の“微々小面”の間なら,式
(16)
,
(17)はそ
れぞれ,
(18) (19) である(図5)
.
となる.
で割れば,式(15)によって,
(22)
これでもまだ右辺括弧内に
の操作が残っているが,
課 題 1 の 解 答 中 の 式(13)に よ っ て,
の逆行列
の
成分は,
であるから,式(22)は,
(23)
となる.これで解決した.
式(23)の生きた添え字は 一つだが,右辺には縮約が六
─ 82 ─
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つもあって卒倒しそうになる.しかし,Eddington のイプ
シロンは,
以外はゼロだから,前節の1次元問題では意外に簡単であ
る.
[1 次元微小変形問題]
(26)
である.従って,式(23)右辺中の に関する縮約は
の場合だけが残って,
図6
図6の 1 次元微小変形問題を考える.変形の前後で
は
から変わらないとすれば,現配置と基準配
置の関係は,
(24) である.このとき,
ラメの定数
に戻して,
(25) である.
微小変形理論に基づく応力テンソルは,2011 年 2 月号
p 129 式
(35)
の構成方程式である.
(35)
は体積歪みであった.
上式を丹念に書き下す.
によって,
では,
と式(25)
を元のヤング率とポアソン比
の表現
が一定なら,
である.外力が無いとし,両辺を変位前の密度
と式(15)によって,
で割る
となる.ポアソン比 をゼロとし,さらに変化の前後で粒
子 の質量は一定(
)であるから,
かくて,目出度く前節の式(6)に達した.
(注意) 前節の初等のやり方では棒の断面積 を一定と
し,本節でも,現配置のうち
はそれぞれ基準配置
から変わらないとした.現実には伸ばして細くなら
ない棒は無いので,本当に伸ばして細くならないなら,そ
れを担保する応力
が無ければならない.初等のやり
方では初めからそれを考慮していないので,本節の厳密な
やり方をそれと合わせるには,ポアソン比を無理矢理ゼロ
にして主役と脇役の連携を断ち切るほかはないのである.
3.流体中の音速
図7のように,流体中を伝播する音波を,その前後で圧
力,密度,流速がそれぞれ{ , , }から{
,
,
}に不連続に変化する平面波と看做し,波
─ 83 ─
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面の位置から現象を見る.
衝撃波面をイメージすればよい.
(31)
とすることができる.この時,式(29)は,
(32)
波面
は比熱比である.
となる.式中 は配線図の⑥,
理 想 気 体 で は, 状 態 方 程 式 が
または
であるから,式(32)は,
図7
従って,理想気体の等エントロピー音速は,
波面を垂直に貫く断面積1の検査体積を図のようにと
る.質量保存則は次式である.
(27) 次に,検査体積から単位時間に流出する正味の流れ方向
運動量(運動量の発生分)は,同じ体積に働く流れ方向の
力の正味の値に等しい.但し,粘性の影響を無視する.
左辺を展開する.2 次の微小項を省略し,式
(27)
を使う.
よって,
であるが,粘性を無視しているので
変化は等エントロピー的と看做してよく,
(28) となる.比体積 (
となって温度のみの関数である.
分子の熱運動の平均運動エネルギーは,ボルツマン定数
を用いて絶対温度と次の関係にあるのであった.
は分子 1 個の質量, は熱運動の速度である,音速が
に比例することは,圧力擾乱が熱運動と分子間衝突で
伝えられることの正確な反映である.
[課題3]
弾性体の音速でそうしたように,初等のやり方による上
記の音速を,完全な連続の式とナビエ・ストークスの方程
式のセットを“削ぎに削いで”導いてみよ.
(ヒント)削ぎに削いだ式を図 7 の検査体積で積分し,グ
リーンの公式を使う.
)を用いれば,
5.結びに替えて
(29) となる.この音速を等エントロピー音速と呼ぶ.実際の音
速との差は極めて小さい.
式(28)の は無論正である.流体運動の垂直応力には
押し合いしかないのであった.式
(28)
,
(29)
を弾性体の場
合の式
(10)
,
(11)
と比較せよ.
次に,気体の比エントロピー の全微分は, を温度
と比体積 で
と表した場合と,温度 と圧力
で
と表した場合で,それぞれ,
(30) である(先月号 p279 の熱力学の関係式配線図の,�).
等エントロピー変化では両式左辺がいずれもゼロであるか
ら,
手許に一冊の古書がある.古書と言ってもれっきとした
理系の書籍で,「航空發動機」とある.
これは亡父の形見なのである.同時に,歴史の置き土産
でもある.
父は,敗戦の日,九州帝国大学工学部航空工学科助教授
の職にあって海軍の研究嘱託を兼ねていた.玉音放送のあ
と,九大航空工学科は全蔵書を教官に分担保持させて秘匿
を命じ,同時に全員に青酸カリを配った.言うまでもなく,
学科を挙げて聖戦完遂のための研究に邁進した構成員を先
で待ち受ける運命に備えるためである.量はそれぞれの家
族分に足りたという.父は,家族を福岡市南郊の山中の知
人宅に疎開させ,自らは自宅と大学に残って来たるべき事
態に備えた.
書籍はそのうちの一点である.
米軍の占領は予想に反する寛大なものだった.その時,
すべての日本人から言わばふっと力が抜けたその様子は,
多くの述懐が残っている.我が家族も,どうやら殺戮は無
いと知って,のそのそ山から下りてきた.
筆者は,その四年後に亡父にとって唯一の男子として生
まれた.
幼時,自宅のあった村には風呂が二つしかなかった.一
つは戦前相当の地主でもあった寺にあり,もう一つは村人
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もや
が「舫い風呂」と呼んだ共同風呂であった.
ささやかな社交場だったその舫い風呂で村人たちが声を
顰めて語る話は,戦時中の体験談ばかりだった.聞きなが
ら筆者は,自分の生まれる前に起った「恐ろしいこと」に
想像を巡らしていた.
身内に犠牲者の無い家は無かったと言ってよい.福岡県
の百二十四連隊は,ガダルカナルとインパールと言う,大
戦中もっとも過酷な戦場を戦ったのである.養家から出征
した我が叔父の一人もインパールで散った.
その,
ふっと力の抜けた日から「Give me chocolate」や「民
主主義」や「個人主義」が一斉に始まって国じゅうに氾濫
した.大人たちは誰もがそこに虚構の存在を感じ取ってい
たが,黙っていた.
「負けたのだから仕方がなかった」に
違いない.
戦前戦後の不連続は,殆どの日本人にとってほぼそのよ
うに起こったのである.
虚構は,その後さまざまな虚飾を加えて肥大化した.し
かし,亡父は知識人の矜持としてもその嘘話の類いを一切
肯んじなかった.父は,ことある毎に村の鎮守の杜に筆者
を連れ出した.社の拝殿には村の子供社中が奉納して歴史
上の名場面を描いた多くの絵馬が掛かっていて,父は,そ
れを教材に古代から筆者の生まれる前までの歴史を語り聞
かせた.八幡太郎義家の「吹く風を勿来の関と思へども…」
も,広瀬中佐の「轟く砲音飛び来る弾丸…」も筆者はすべ
てその中で覚えたのである.中でも
「楠公父子櫻井の別れ」
の一幅は特に大きな絵だった.
ひそ
つつおと
いまし
汝をここより帰さむは我が私の為ならず
正成討ち死にせむのちは世は尊氏の儘ならん
早く生い立ち大君に仕へまつれよ国の為
お
筆者の前半生は,いわゆる左翼全盛の時代である.その
中で筆者が如何に孤立したかはご想像頂けよう.昭和
四十四年の大学管理法の大騒動の中で,九大教養部のほぼ
全クラスがスト決議をしたとき,筆者は,
「こんなものはインチキだ.我が S24 クラスは断固とし
て反対する」
と大演説をぶってクラスから全共闘を追い出し,唯一のス
ト反対決議に導いた.その結果連中に睨まれて,或る夜,
大学近くの暗がりで十人ほどに囲まれてリンチを受ける羽
目になった.
かろうじて大学に職を得て,連載の序に述べた原子力系
学科の改組の作業に挺身した頃は,独法化に代表される改
革が大学を席巻した時期とぴったり重なる.
,
「大学はサービス機関
「マーケットがすべてを決める」
で学生は受益者」
,
「国際化・グローバル化」
,
「数量評価こ
そ公平」
・・・.
筆者の鼻は,数々の流行語の洪水の中に「あの虚構の続
き」の存在を嗅ぎ取っていた.改組作業の信念と情緒の源
は,生まれ故郷のあの鎮守の杜である.作業は,行えば行
うほど我がベクトルは大学のそれと向きを異にするように
なった.
能う限りの抵抗はした積りである.幾つかは実際に押し
留めた.マーケットがすべてなら“お客様満足度調査”だ,
とばかりに大学が,卒業生の就職先企業に当の卒業生を五
という制度を始めたときは,
段階評価して返送して下さい,
「卒業生は“モノ”ではない,生身の人間だ.可愛い娘も
嫁にやったら先 様 の人ではないか.アホ馬鹿間抜けの所
はやりことば
さき さま
業!」
と書いて大学じゅうに撒き散らした.学生の投票によって
良い講義を表彰する制度を始めようとした学部長殿には,
「教育者が学生に媚を売るようになったらおしまいです.
松陰先生が草場の陰で泣いておられますよ」
と諌めもした.学部長殿は長州人だったのである.
小渕内閣以来,内閣の助言役として「マーケットがすべ
てを決める」という与太話を拡げた経済学者は,数年前の
文芸春秋誌上で,
「竹中君,僕は間違っていた」
と反省して見せはした.経済学者連は,とかく外にあるモ
デルを持ってきては「だから日本は遅れている」と言い募
るのである.
ついに昨年三月,予定延長を含めれば定年まで五年を残
して九州大学を去った.このまま留まれば人格の全崩壊に
至るだろう,と予感してのことである.決意したのは,平
成二十年夏の大学総長選考において,執行部が学内投票の
最高得票者を差し措いて次点者を総長に据えたときであ
る.そう決めた会議の学外者委員は,筆者の抗議に対して,
「大学の先生は甘えてるよ.トップに人事権がないなん
て考えられん.社長を選挙で選ぶ会社なんてないだろう」
と仰った.大学が停滞しているのは,それが「会社のよう
でないからだ」というのである.
教育と国防はともに国家枢要の機能である.教育は,そ
れで育った人材が社会の汎る部署に配置されてそれぞれの
職責を担い,国家全体として採算が取れているというのが
あるべき姿であり,それ自体は赤字で当然である.教育に
局所の採算性を求めるなどは,自衛隊にそれを求めると同
様の烏滸の沙汰である.
情けないが,大学人にはそれに反論する哲学も信念も度
胸も無かった.
こ
東日本大震災が発生した.未曽有の災害は,間違いなく
我らが文明のありようそのものを問うている.
原子力屋の筆者は,実は「無くて済むなら原子力は無い
方が良い」と密かに思っている.人々は,今更ながら原子
力が“異様な世界”であることを思い知った.しかし,そ
の異様なものを国内に五十五基も造って昼となく夜となく
ぶんまわして,できる電気が全需要の三分の一に満たない
のである.異様と言うなら,現代文明と現代人そのものが
余程異様なのではなかろうか.
二つしか風呂の無かった故郷の村の家々にある電気製品
は,殆どが電燈とラジオだけだったし,村人は学歴も無く
貧乏だった.しかし,思い返してみても彼らは間違いなく
今の日本人より遥かに高貴な人々だった.高貴とは,私心
と公心の平衡のとり方において絶妙だったという意味であ
る.
これから「震災後」が始まる.今度こそ,借り物でない
自前の文明像,国家像をキャンバスに描かなくてはならな
い.そこに,あの「戦災後」の出発点に似た虚構を持ち込
んではならないと思うのである.
教える情熱は聊かも衰えていないので,日雇いでも非常
勤でも拾って下さるところがあれば出向こうと思う.
我が祖父清水猛雄,祖母清水ユウ,父清水浩はいずれも
魂魄の教育者だった.今宵は連載の完結を仏壇に報告し,
古女房に酌をさせてささやかに盃を傾けよう.
(完)
─ 85 ─