曽根賢一の昔話 明治 32 年 静岡県榛原郡吉田町川尻生まれ 現住所 静岡県榛原郡吉田町川尻 1 目 次 1 雷さん 3 2 雷さん 5 3 狐にだまされた話 5 4 くだ狐 7 5 のどけ 8 6 唸り墓 9 7 人柱 9 8 あほだら経 10 9 一杯飯 10 10 おとこが変わった 10 11 八つ目 11 12 風呂 11 あとがき 11 2 親の股へはさまって話を聞いた。親としては子供をだまいたずらけえがね。まず、 昔の話とゆうとねえ、たいがい雷さんか、狐 にだまされたとか、へえから嘘をゆうと 閻 魔 さんがまず舌 あ抜 くぞなんて、そんな話 ん多 かった。その中 でねえ、雷 さんの 話を聞いたのを話いてみるか。 1 雷 さん 親の股へはさまって、親から聞いた雷さんの話。それで、わしの方から、 「お父 さん、雷 さんの話 を話 いてくりょうええ」ってゆうと、ゆうのがはなだあけん、 それで、親の方で何てゆうかってゆうと、 昔 のこんだけんがなあ、まずいたずら坊 主 の、まず小 僧 があって、その小 僧 さん が、 「雷さんの弟子になりたい」ってゆうけえが、 「お父さ、どうすりゃあ雷さんの、まず弟 子になれるかなあ」ってゆうような話 で、そ れからその親がゆうに、 「秋になって、取り入 れの籾を干す頃、夕立 が来る時期になると、雷さんがまず出て くる。その雷さんに連 れてってもらうでなけりゃあ、雷さんの弟子 にゃあなれん」って ゆう話。 「それじゃあ連れてってもらうに、どうすりゃあええだ」って言やあ、 「雷 さんはまずまず高 い木 を狙 って来 るで、高 い木 の上 へ登 っていて、夕 立 の来 る のをまず待 ちて、その雷さんがまず高 い木 へ誘ええ来 るで、その時に雷さんと一緒 に空へ昇りゃあええだ」って。 「そうか」って。 せえから、まず小 僧 はいたずら坊 だもんだで、そのゆう通 りに夕 立 ん来 そうなも んだで、その松の木の上へまず登って待ちてたら、その通り夕立ん来て、雷さんが鳴 っていて、 「やあ、あんだいだなあ」ってゆっていると、その松の木雷さんがまず落ちて、帰りに そのいたずら坊主の小僧を連れちゃった。 それで、雲の上(ゆえ)へ行ってから、 「雷さん、わしをひとつ弟子にさしておくんなさい」って言ったら、 「そうか、弟 子 になりたいなら弟 子 にするもええけえが、雷 さんにゃあいろいろの仕 事があるけえが、その仕事をまずいかく分けて三つある。てゆうのは、太鼓を叩く人 と、マッチをする人 と、水 をまく人 、この三 色あるけえが、お前 どれんええだ」ってゆ われたもんで、しばらく考えて、 「そうだなあ、わしゃあそれじゃあ雨 ょ降 らかすように、水 をまずまかせてもらあ」っ てそうゆってその役 を貰 って、まずまず雲 の上 へ上 って、だんだん、まずまず風 の 3 流 れでその水 を持 ってまいてきたら、下 じゃあ秋 だもんで、籾 ょをまず干 いていて え、 「やあ、夕立んきたあ。速くそのまず籾ょをまず入れにゃあ」ってゆって大騒ぎをして いる。そりょを上からまずまず見ていりゃあ、面白くて、はあ、まずまずその自分の乗 っている雲ん薄くなったも知らずに、下ばっか見て、 「どうせ、面 白れえなあ」って、まず雨 を撒 いてたあ。そのうちん、いったん雲 の薄い とこへ行って落ちいかかった。落ちいかかったから、 「こりょを落 てえたじゃあしょんないなあ」と雷さんがちゃあっと来てえ、まず腕 を持 ってぶらんぶらんしていてえ、上へも上げてくれず、ただ持ってぶらぶらしている。 「やあ、雷さん、雷さん。わしゃあ手を持 っていられたじゃあ、もう腕ん抜けそうなで、 離いておくんなさい」って言ったら、 「離しゃ落ちる」って。 そうして、しばらく雷さんへくっついていると、 「雷 さん、どうもはあ、時 間 が経 つもんで、わしゃあ腹 がへったけん、雷 さん、何 かご っつおをひとつ貰いたいなあ」ったら、 「そうか、はあ食事の時間だで、それじゃあ食事にせっか」って。 だけんな、御飯はこっちにあって、せえから、まずまず、 「食べるおかずはそのお重箱へ入っている」ったと。 「お重箱へ入 っているで、まずお重箱の蓋あまずまずまくって食べるええ」ってゆっ て、そのお重箱の蓋を取って見たら、お臍んたんと煮っころばしになってね、 「ああ、雷さんは臍取るってけえが、臍取って、こおって煮っころばしにして、おさいに してるだなあ」ったら、 「そうだ。お臍をまず主に一番のごっつおとして、まず優れているだあ」って。へえか ら、そのまず、小僧はゆえの蓋あむくって食べたら、 「雷さん、このお臍あえらくまず剛いねえ」ったら、 「そうだ。年寄りのお臍だっけだなあ」って、こうゆうような笑 い話をして、それがそ の下のお重箱見たら、 「これは若い衆のお臍だで」 「ああ、こりゃあ、やあらかだ。この方 がええなあ」ってゆうとこで、それをよばれて え、そのうちその下 のまたお重 箱 、どんな物 が入 っとるかと思 ったら、雷 さんがちゃ っと来て、「この下あ見るもんじゃあない」って。 「何だね」ったら、 「お臍の下あ、あんまり見るもんじゃない」って。 そんなことを言って、それからそのまず、その小僧が雷さんに、 「なぜ、この下あ見たじゃあ悪りいだ」って。 「見たじゃあ悪りいってゆうのは、今、俺ん話すから。お前が、もう五つも、六つも歳ょ を取ってくりゃあ、話さんでもわかるでえ」って。 4 2 雷 さん 親父等も、雷さんが井戸へ落ちた話をしてえ、 「井戸へ落ちたで、雷さんをつかまさす」ってとこで、井戸へ蓋あして、 「雷さんがこん中へ入ってる」ってゆうとこで、そで、みんなで評判になって、 「あそこんとこの井戸 へ雷さんが落 ちて、蓋 あしてあるに行ってみまいか」ってみん な来てみて、蓋あむいてみたら何もいやあせん。 3 狐 にだまされた話 親の時代には、ここん所で塩 を採 ったらしいだ。海から塩を採 って、その塩を藤枝 、 島田の方へ売れえ行った。そうすると、まず昔のこんだで、今たあ乗り物があるわけ じゃないもんだで、担いで行くってゆうと、朝早く出て、晩遅く帰るようになった。 ここん所に悪りい狐んいて、人をだまいてしょんないだってゆうようなせんで、 「あないな人がだまされた」ってゆう。 「あの人もだまされた」ってゆう。いろいろ大勢の衆がだまされて、せえから、そうゆ う話を聞いて、その塩売りの人もやっぱそれを承知で、まず島田の方へ行って、その 塩を売っちゃって、天秤棒だけ担いで、まず帰って来て、ずうっと大井川の東を下が って来 て、海 岸 端 をずうっとこっちへ、川 尻へ渡 って越 すかと思 ったら、海 岸 端 にナ カゼとゆうようなとこで、波 と大 井 川 の境 に山 がちっとできたが、そんとこへまず 天秤棒を担 いで来たら、その悪りい狐ん、その海 岸端の山みたいな場所で昼 寝をし ている。このやろう。よく寝えっているけえが、いつも人ばっかだみゃあているで、ひ とつこの寝えっているとこを脅いてやろうと思って、その持ってる天秤棒で殴った。 殴ったら、まず狐がどうせ殴られたもんでびっくりして、誰ん殴っただかわからずに、 どうせ山ん中へ飛び込んだ。穴へ入っちゃった。 せえから、その殴った人はそのまま天秤棒を担いで家へ来て、したところが、その 後へ来た人がこんだだまされた。狐ん殴られた拍子にびっくりして、誰だか分からず に山ん中へ入って、穴 ん中へ入ちゃったもんで、人間が分からんけに、その後へ塩 売 り行って帰った人、この野郎ずらってとこで、その人をまずだまいかかった。 その人 をだますにどうしてだみゃあたったところが、そのだまされた人 は大 井 川 だもんだで、よそから見 ていりゃあ川 がある訳 じゃあないけえが、そこん所 高 ばしょ りをして、 「深いよう。深いよう」って声を出いて、川を渡ってる。川が無いのにあのたゃあ裸に なって、はしょりをして川あ渡っている。そのところが、そのだまされた人はわからん だもんだで、それで、だんだん来て、それから後を見たら、 「どうも誰 か俺 をぼってるような」ってゆうとこで、はあ、ちいっとおっかなくなった もんだで、さびしくなって、そうすると後 を見 たところが、後 へ痩 せこけた手 をさん 5 出 いて、まず、自 分 をつかませえ来るようなそぶりをするだもんで、こりゃあつかま さったあじゃあしょうなゃあと思って、だんだん逃げして行ったところ、しばらくして、 また振 り返 ったら、まだ、その後 へ手 が来 て、これじゃあたまらんで、早くどっかへ逃 げしと思 ってたところが、ええあんばいに一 軒 の家 があって、一 軒 の家 の軒 先 に梯 子 んかかってるって。この梯 子 を登 って、屋 根 へ登 ったらええらってとこで、屋 根 へ 登 ったら、屋 根 へ登 って後 を振 り返 ったら、まだそのぼんのくで、手 をさん出 いてる って。 「こりゃあしょんなゃあなあ」って。 「これにゃあ、どうも屋根からまず飛び降りにゃあしょんないなあ」って。それから、屋 根から、まずまず飛び降りたところが、それが一軒の家の屋根でなくして、川のダシ で、水 はねのダシってゆうがあるだけんどね。ダシで、ダシのゆえから、まずまず川 へ飛び込んだもんで、それ、本人は軒から下へ飛び降りた気になってたら、それん結 局ダシのうらからまず川へ飛び込んだ。それで、まずまず目が覚めて、 「俺ゃあいったいどこをどうゆうふうに歩いただかしらん」ってゆっていたと。 まだ、狐 の方 は殴 られたはらいせがあるもんだで、もっとこの人 間 をだまいてや れと思 った。へえから、ずうっとしてはあ、川 へ来 て、水 から出 てさぶくてしょうない けえがと思 ってしたところが、向 こうへまず火 が見 えるで、あの火 のめえる家 まず 行って、なんとか助 けてもらおうと思っていたら、それんちょうど古寺だったって。古 寺へ入ったとこん、入口にがん桶の新しいがあって、 「あれ、なんだこりゃあ。がん桶だじゃないか。おっかないなあ」と思ったら、そのがん 桶がガタンていのいたと思ったら、また、そのがん桶の所から細せえ手を出いてきて、 これじゃあしょんないなあ、俺 もどうもと思 って、はあ、そんとこへジンジク(腰 を抜 かす)しちゃってだな、まず、いのけなく。 狐ってものもやっぱし、はあ、一方が弱っちゃって、それへ対応できんようになっく りゃあ、はあ、まず面白くない。 「シチロテン(麹 をすくうへら)は取 られる、ハチロテンは捨 てる。今 じゃテツラテン (手ぶら)でスココンノコンよ」って逃げたって。 ジンジクしていると、どういうはずみか狐 がだませるってゆうのは、やっぱしだま す方がはあやめりゃあ、また本性へ戻るらしいが、はあそれがなくなってくりゃあ、ま た人間に戻って、 「ありゃあ、どういう訳 だっけかなあ」って、本人はよく覚えはないが、側で見 ている 衆が、 「あのたゃは何だい。昼間っから川無いに高ばしょりをして、深 いよ、深いよって来て、 おっかないよ、おっかないよって逃 げて、ダシの上 へ上 がって、川 へ飛 び込 んだり、 よその家の軒先へしゃがんだりして」って。 大 井川 の流れをゆるやかにするように止 める。止めるとうらっぽから水がはねて、 6 向う側へいく。向う側じゃあまたこられたじゃあしょうがなゃあ。島田のゴンゲンダシ。 自 然 の山 で、大 井 川 の水 の所 へ逆 らう。これへ当 たって、大 井 川 が東 を向 いていっ て、ゼンザエモンのダシへいって、それが防ぐために、こんだ吉田町の大端へいって、 大端でもダシを作る。そうすると、こんだハブチへいった。ハブチでもハブチの大ダ シを作る。こんだはねたのは川尻の浜へきた。それで、川尻の浜に受けが無い。川尻 の浜はさらわれちゃった。 ダシは堤 防 から直 角 に二 十 間 位 堤 防 を出 す。無 いと下 をえぐられる。決 壊 する。 出すとよどみができる。この下がえぐられん。 4 くだ狐 わしら方 のねえ、住 吉、川 尻 のさかいにねえ、ドウ新 田てゆうとこがあるだけえが ねえ。ここらじゃ何でもドウを付 ける。そこん所に、悪いね、くだ狐 んいて、それから、 そのくだ狐 の居 るような場 所 だもんだで、その野 原 んみたいになっていてえね。そ ん所 へ、その百 姓 が草 あ刈 れえ行 く。草 あ刈 れえ行 ったところが、まず、くだ狐 っと いうのは、三 寸 位 だってねえ。うらあ見 たこともなけりゃあ、ただ話 に聞 いただもん だで。こつい(小 さい)だって。それが昼 寝 をしていてえ、草 ん中 で。それへ、こつい もんで、草 刈 りの人 あ狐 ん居 たあ知 らずに、草 あ刈 ってたあだ。その時 に、昼 寝 をし ている狐の足を一本鎌で切っちゃった。 その狐は結局四本あるべき足が一本切られて三本足になって、それでどうもいろ いろ人 をわずらわしてしょんないってとこで、わしらんまあ親 類 になるだけえが、そ の家 で一 人 熱 病 になって、それで医 者 さんにみてもらっても、どうゆうにしたって、 ちっともどうゆう原因だか原因がわからなゃあ。 悩んでいて、それから果てに、その易の方 をやる人にまず聞いてもらって、信心 し たところが、 「これはくだ狐ん付いているだ」と。 「くだ狐ん付いたってゆうけえが、そのくだ狐、どこに居ただ知れん」ってとこが、 「このくだ狐 は僅 か三 寸 がそこらえの、くだ位 の間 だもんで、こついもんで、どこを どう、体の脇の下だあ、股根だあってゆう、そうゆうとこをしゃがんであゆくで、目に ゃあまず見えないけえが、それがわざあしているだ」って。 「そりょをひとつ、信心で追い出せる他に道ゃ無い」って。 「追い出ゃあても、ただじゃあなかなかつかますこたあできんで、この病人へ投 網ょ をかぶしておいて、まず、くだ狐 逃 げんようにして、そうしておいて病 人 の体 にくだ 狐いただで、そりょをつかます方がいい」ってゆうところになって、さあ、投網をまず かぶして、そのふうふうしている病人をあっちへころかし、こっちへころかしして、そ のくだ狐 をまずさがいたところが、くだ狐 の方でも、はあ、逃 げ場所 なくなったもん で、 7 「行くで、どうかまず許いてくよう」って、まずこんだ向こうがあやまった。 「そうか。お前ゆくようになれば、ええけえが」ってとこで、それから行くってもんで、 ます、みんなであぶらげを買ってきたりして、まず土産に持たして、へえから、まず付 いてって、その病 人は起きて、そのずうっと一 緒に行くっていうだ。あんだけふうふ うして、今かまさかってゆう人を起きて歩りいてった。せえから、後へ付いてったとこ ろが、道 のこばで転 ぶような、しゃがむような素 振 りになったら、その時 にくだ狐 が 離れたってゆうだね。それから、本人がくだ狐ん、 「まず、行くで許いてくよう」ってゆって、 「そうか、ゆくようなら」って、あぶらぎょ買ったり、土産を持たして、 「お前、いったいどこから来たあだ」ったら、 「俺はドウ新田の三本足のくだ狐だあ」ってゆうようなとこで。せえから、 「俺ゃあドウ新田にゆくで、どうか許いてくよう」ってゆって、親類衆が後へ付いて行 ったら、道のこばでしゃがみ込むような、転ぶような姿でしゃがんだ。それが同期に、 狐と人間と分かれた訳だ。 それで、それから後というものが、どうもまだ三本足がまだ業あするようだ。まだ、 ここんとこの住民を悩まかせるようだ。 「一つ、これを何 とか村でもせにゃあしょんないなあ」ってゆうけん、何 ょをおいたっ てもこつい(小さい)だもんだで、その、どこへ行ったあだかわからんもんだで、それ で、その草へこんだ火 をつけて、火攻めにしたつうだあよな。それで、たぶん死 んだ ずらってゆうだ。死骸を見た訳じゃあなゃあ。 その狐 は機 織 りのくだみたいに小 さいからくだ狐 と言 う。この話 はお父 さんから 聞いた。親がいろいろはなゃあてくれれば、そりょううれしがって聞いた。小さい時、 日向ぶくりをして聞いた。膝の中へ入いっちゃあ聞いた。 5 のどけ 昔 、六 部 ってゆう、まず貰 い(乞 食 )だあね、貰 いがまずまず門 へ立 っちゃあ物 を 貰 ったあ。それがこの川 尻 村 へも入 って来 て、わしらんうち辺 り来 たところが、その お札あ一つ、まず置いてっただ。 「このお札は咽喉 をわずらってる人を、のどけだ、のどけだってゆうとこでなぜてや れば、たいがいの咽喉なら治る」と。 「ほうだで、これはだゃあじに祭ってやってくよう」って。今だにあらあ。 せえから、わしらが学 校 に行 く時 分 に、麦 の穂 をね、麦 の穂 のうらっぽを切 って、 口へくわえてぷっうって吹いて、出しっこをした訳だ。だけん、麦の穂にゃあ逆さのと げがあるもんだで、吸やあ咽喉へ入る。吹くってゆうと出るだなあ。口からそれを出 しっこをして。出なゃあ人 はきっと逆に息 を吸うと中へ入 っちゃう。そうすると、まず 8 咽 喉 へひっかかって、せえからしょんないってとこで、そのこっちののどけのお札 が あるってゆうで、「一 つ何 とか、このとげょをはずすになでて貰え」って、わしらの子 供の頃 来たよ、みんな。そうゆってなでれば、不思議にも取れただなあ。そうだもん だで、今だにまだ祭ってるわしら。 「のどけでござんすで、一つのどけをなおいておくんなさい」ってゆってなでれば取 れたって。 6 唸 り墓 昔 ねえ、この少 し上 手 にね、堤 防 ぐろに夫 婦 で生 活 している家 でね、そののが昔 話にしてはまず身ぎれいな女房を持って、夫婦で生活 していたあ。それへその六部 が物 貰 いに来 て、その所 で門 へ立 ったとこで、ちょうどその女 房 の亭 主 が外 でもや を割 ってた。薪を割ってたあ。それへ門へ立 って、女房 がお布 施をさん出ゃあたとこ ろが、その女房 が身ぎれいな女房だもんだで、その六 部もちいっと悪 りい心を出い て、その女房 のお布施 を貰ってその後で、女 房の手をうんと握 って離さなゃあと。そ れを外でもやあ割ってる亭主がまず見て、 「この野郎、太い野郎だ」と。 「うらん女房の手を握 った」ったところが、その六部も悪りいと思ったか、そのまま衣 を着 て逃 げ出 ゃあたもんだで、その亭 主 がそのもやを割 ってたあよきを持 って、そ の後を追わいて追わいて、その道程で三町も四町も追わいて来て、せえから追い着 いて、そのよきで六 部を殴 った訳 だ。殴 ったところが、まずまず、その六 部 がその場 所 へ唸 って、二 、三 日 いて、それで死 んだと。その六 部 のおふくろぼっ立 ってる。田 圃の中だけえが。おふくろが。ちいっと三 尺 四面 位ぼっ立ってる。それを信仰 してい る衆 あったっけな。そりょを拝 めえ行 くには、田 圃 のずるったん中 を歩 いて行 かにゃ あ行 けんだけえが、それでも信 仰 心 てものは恐 ろしいもんで行 って、お手 拭 ってゆ うだか、お布巾みたいな布、たんとあがっていたっけ。 7 人柱 富 士 川 は荒 川 だもんだでね、昔 の最 寄 りの衆 で堤 防 をつくにも、雨 ん降 っちゃあ 流れちゃう。そで、 「はあ、やらずようない」ってゆったとこが、 「人 柱 たてりゃあええ」って噂になって、それへ人 ん埋めて、それで現 在 の堤 防がで きた。 9 8 あほだら経 歌の文句に、こうゆっちゃあゆっけ。 「昔々のそのまた昔のまた昔。天神七代、地神五代のそのまた昔 のまた昔。ずうっと 昔のまた昔。ちゃかぽこ、ちゃかぽこ」 9 一杯飯 一杯飯はあんまりほめたたことじゃない。 「それ、どうだで」ってゆうと、やっぱり葬 式のしさいにやったもんだなあ。葬 式 に大 勢 来 て、昔 ゃな、みんな御 膳 を出 ゃあただ。御 膳 を出 すに、後 から後 から座 らにゃあ ならんもんで、二杯なんて食っちゃあいりゃあしない。一杯飯で、たいがい。 10 おとこが変 わった ああゆう話 は話 しずらいで、まず酒 の一杯 でも飲 んでの座 ざんだらええけえが、 飲んだ場所ならええな。ただ、こうゆう時に話せんだなあ。子供の前じゃあ話されん だけえが。 昔 も今 もそうだけえが、親 が子 を思 うってことは、親 が自 分 の子 供 に仕 付 けをし るに対して、女の子が生まれたもんだで、その子を一人前に育てにゃあならんて。親 が責任があるもんで。それにはだゃあ一 、言 葉づかいが悪くてしょんないと。その女 が。それで、 「お前 はまずよそへ末 に行 かにゃあならんで、よそへ行 ってそんな言 葉 づかいじゃ 悪りいで、言葉づきゃあをちゃんと気を付けるがええ」って。それで、 「何 かの話 へおの字 を付 けよ。おはようとか、お休 みとか、おの字 を付 けて人 に対 し て話 ょをせにゃあいかんぞよ」って。こうゆうぐわゃあによく仕 付 けて、だんだん年 が重なって、今度その娘がよそへ嫁らにゃあならんってゆうとこで、そのよそへまず まず縁 付いて、それからその、明 日 の朝 早く起きにゃあと思 ったところが、お袋 の方 が先い起きて、まずお勝手に居たあ。それで、お袋が嫁にたゃして、 「昨 夜 はどうだっけね。寝 心 地 あ」ったところが、さあその嫁 がしばらくして、まず考 えてて、 「やあお母さん。昨夜あお床ん変わったもんだで」ってこうゆったって。床ん変わった っていやあいいけん、まずおの字 まず付 けたもんで、お床 ん変 わった。そうしたとこ ろがお袋の方じゃ、この娘あいったい何だやあってゆうような気持ちを持った。だん だんほってったら、別 の男 が変 わったでなく、おの字 を付 けたが悪 かったっけだと、 そういうこと。 10 11 八 つ目 よそへ嫁にいって、親が心配をして、その子供を見え行ったら、だゃあぶ大変だだ か、顔んがまずやつれたようなとこで、その女親がまず帰って来て、お父さんに、 「やあ、わしん今 日 はあの子 のとこへ行 ったけが、あの子 あちっと大 変 だだか、顔 ん やつれているけえが、養生になるようなもなあないかやあ」って相談したら、 「八つ目鰻ええなあ」ってゆうふうにお父さんゆったあ。 「そうかね。八 つ目 鰻 よけりゃあ、それをわしん行 って、いっぺんすすめてみるやあ」 ってゆって、へえから行って、 「お父さんに相 談したら、お前八つ目 をやりゃあええって」まずまずこうゆったって。 そうしたらその娘ん、何とゆうかとおもったら、 「やあ、お母 さん、わしゃあ昨 夜 七つやったら夜 が明 けた。八つ目 をやればええだか ね」という。 12 風 呂 自 分 の孫 ん可 愛 いいもんだで、お婆さんとその孫と風 呂へ入 っているだけえが、 途中、 「お婆さん、しょんべん出たいよう」ったら、 「ええに、その場 で。まずまず子 供 のこんだで、ちいっと外 へおし」って、外 へ裸 でさ せたって。それがはあ、まずまず子供へは慣れちゃって、お湯へ入ればしょんべんす る気になったそうだ。 それから、まず、亭主が、 「お前はだゃあぶ風呂ん長いで、はあええかんしてお出よ」ったら、 「うら、まだしょんべんせなゃあ」ってゆったって。 あとがき 曽 根 賢 一 さんを尋 ねたのは1989年 11月 3日 のことであった。曽 根 さんは、以 前 田 方 郡 土 肥 町 で教 師 をしていた浅 井 敬 子 さんの嫁 ぎ先 である。賢 一 さんは敬 子 さん の義理の祖父、敬子さんの子供にとっては曾祖父である。 曽 根 さんの住 む吉 田 町 は、大 井 川 が駿 河 湾 に注 ぐ河 口 の町 である。曽 根 さんの 家は元々農業をやっていたが、昭和元年の頃養鰻を始めた。吉田町では二、三番目 だったそうである。高齢になった今でも庭木の手入れをするなどお元気である。 曽 根 さんは遠 江 では初 めて出 会 った男 性 の話 者 である。ゆっくりした語 りだが、 話 の運 びがうまい。「雷 さん」の話 の落 し、「おとこが変 わった」「八 つ目 」の言 葉 あ そび、「風呂」の仕付けなどが大変おもしろかった。 11 昨年11月から、遠江の伝説と昔話の分類を始めた。その仕事が終ると県史遠江編 の原 稿に取りかかった。今年 は六 年 生の担 任であったので、成 績 やら学 年 末の仕事 に追われた。そんなことで、曽根賢一さんの昔話をまとめるのが大変遅れてしまい、 昔話を語って下さった曽根さんにはお詫びしたい気持ちで一杯である。 仕事も一段落して、曽根さんの昔話もやっとまとまった。引き続き榛原町の池田り きさん、磐田市の長谷川治太郎さん、川島喜郎さんの昔話を報告したい。また、岐阜 県徳山村の増山たづ子さんの昔話の続きも報告したい。 例年になく雪の多かった伊豆も、もう春の陽気である。今日は一日田中山で仕事 をした。ヤマガラやウグイスの声 がきこえる。山 鳥 を見 かけることもある。蕨 が出 る のももうすぐであろう。 曽根賢一の昔話 発行者 鈴木 暹 静岡県伊豆の国市三福8-5 電話 話 0558‐76‐3738 者 曽根賢一 静岡県榛原郡吉田町川尻(明治32年生まれ) 12
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