日本食受容のグローバルな動態―プエブラとワルシャワの大学生を事例

Nara Women's University Digital Information Repository
Title
日本食受容のグローバルな動態 ―プエブラとワルシャワの大学生を
事例に―
Author(s)
大森, いさみ
Citation
大森いさみ:人間文化研究科年報(奈良女子大学大学院人間文化研
究科), 第30号, pp.69- 81
Issue Date
2015-03-31
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http://hdl.handle.net/10935/3975
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日本食受容のグローバルな動態
―プエブラとワルシャワの大学生を事例に―
大 森 い さ み*
はじめに
テレビや新聞といったマスメディアなどを通して、日本食の海外での人気が語られることが急
激に増えた。そこで取沙汰されることが多いのは日本食の「グローバル化」問題である。日本食
が海外で人気を集めることを歓迎する一方で、グローバル化がうんだ「本来の日本食とはかけ離
れた」「いわゆる日本食」の氾濫を懸念する言説である1。そこにあるのは、日本食とは日本を中
心として拡張している食文化であることを自明のこととする認識だ。
日本食の「グローバル化」をめぐる「グローバル化」という言葉への理解は、一般的には、
「国
際化」という言葉と同義に使用され、
「国際的な規模に広がること」(広辞苑第5版)という漠然
とした意味で用いられることが多い。しかし、現在おこっている日本食の「グローバル化」とは
果たして日本を中心に日本食が広がっている現象なのであろうか。筆者の問題意識は、現在の日
本食の「グローバル化」現象は、単に日本食の転移に伴う事象ではなく、もっと複合性を包括で
きる枠組みのなかで捉えるべき現象ではないかということにある。
本稿は地勢学的、歴史的背景が異なる海外の2地域における日本食の受容に関する学生へのイ
ンタビューを通して、海外における日本食の「グローバル化」の現状が包摂するローカルの変容
をグローバリゼーションの視角から考察しようとするものである。まず「グローバル化」という
言葉の原語である「グローバリゼーション」という概念を整理し、人類学におけるグローバリゼー
ションと食についての先行研究を検討する。さらに、日本食についての先行研究を概観したうえ
で、2013 ~ 2014年に実施したプエブラ(メキシコ)とワルシャワ(ポーランド)における大学
生へのインタビュー調査をもとに、日本食受容の動態と「ローカル」意識の相関について考察を
おこなう。
1.グローバリゼーションと食
メンネルが「グローバリゼーションのような主たる社会的移動の始まりを正確に見出そうする
のは、誤解を証するようなもの」(Mennell,1990:359)と述べたように、グローバリゼーションは、
期間や範囲を限定して捉えることができるものではないことを前提とする。そのうえで、
「グロー
バル化とは簡潔にいえば、社会的相互作用の超大陸的なフローとパターンの規模と範囲が広がっ
ているだけではなく、そのインパクトも強まっていることを表すもの」(ヘルド、2003[2002]:5)
であり、
「分離されていたエリアが一つの想像上の‘空間’で相交わりつつある過程」(Hall,1995:190)
とされる。つまり、
グローバリゼーションとは、
従来の社会的領域をこえた相互作用とともに人々
* 社会生活環境学専攻 共生社会生活学講座 博士後期課程
― 69
―
の空間認識に変革が起きている過程を捉えたものであるといえる。その核心は「人間同士の接触
の形態が変化していくことに関係して」
(スティーガー、2010[2009] :11)おり、物理的な「空間
と距離によって強化されていたはっきりとした境界が多様な連結(旅行、通商、征服、植民地化、
市場、資本と労働のフロー、モノと利益の流通)によって浸食され、‘内部’と‘外部’を区別
することは不可能になりつつある」(Hall,1995:190)。多様な次元とスケールでのつながりが網の
目のように広がるグローバリゼーションは「マルチナショナルだが、脱中心的」(Hall,1997:30)で
あり、これが固定的な国民国家の存在を前提としたトランスナショナリズム概念との大きな違い
であるとされる2。
「グローバリゼーションの過程は特定の国家的領域から大きく脱中心化され、
グローバル空間でおこっているが、トランスナショナルな過程はいくつかの国々に依拠しつつ、
その境界を超える」
(Kearney,1995:548)のである。グローバリゼーションのなかで増幅されるのは、
特定の中心を持つ階層的な関係ではなく、ユニバーサルで非人格なネットワークだ。(Kearney,
1995) アパデュライ(2004[1996])はローカリティとは関係的でコンテクスト的なものであり、「近
接(neighborhood)」との関係性によって可変的に現実化するとした。国民国家という単位を前提
とするトランスナショナリズムが新たなナショナリズムを喚起するのに対し、統制しがたい情報、
人、モノ、イメージのミクロなつながり方をも視野に入れるグローバリゼーションにおいては、
ナショナルな枠組みに代わるより柔軟性の高い「居場所」が希求される。
「私」が「今、ここ」
にいる場所としてのローカリティが覚醒され、グローバリゼーションがローカルへの回帰を刺激
するゆえんである。(Hall,1997, Kearney,1995, 岩渕、2001) このグローバリゼーションおけるロー
カル意識の覚醒と再構築は、グローバリゼーションと食をテーマにする研究において大きな関心
事となりつつある。
グローバリゼーションの過程における「交換を志向する」(Appadurai,1986:9)コモディティ化
した食をとらえた先行研究(Whatmore and Thorne,1997. Cook and Crang,1996. Crang,Dwyer
and Jackson,2003など)が指摘するのは、食のコモディティネットワークにおける社会的、文化
的位置づけの重要性の増大にともなう物理的場所の位置づけの低下とイメージとしての場所の再
構築である。従来の社会的枠組みを超えて、交換を志向して移動する食は、従前の社会集団内の
コンテクストから切り離され、物理的な距離を超えて共有しやすい、より想像しやすいコンテク
ストを付与される。ここに立ち現れるのが、
「我々」を埋没させる標準化に対峙する、「我々」の
「今、ここ」なる場所であるローカルへの志向である。
それらの研究で捉えられているローカルは所与のものとしての不変の場所ではなく「相対的空
間(relational space)
」(Sonnino,2007)としてのローカルである。重要なのは物理的な場所そのも
のではなく、美食、伝統、真正性、由来、品質、距離、社会関係、生産、供給、サスティナビリ
ティ、政策などさまざまなこと想起させる空間としてのローカルな場所である。この存在に、グ
ローバリゼーションの動きによって気づかされることで、グローバリゼーションへの抵抗として
食におけるローカルが浮上するのである。このことは、食の場所(place)への埋め込み(embedded)
による「我々」物語の付与という手法を用いた価値付(value-adding)としてのローカライズが
数 多 く 考 察 さ れ て い る こ と か ら 理 解 で き る(Fonte,2008. Sonnino,2007. Bérard and
Marchenay,2007. Caldwell,2006など)。
ルースらは「食におけるローカルの概念は多元的で相反する意味に満ちている」(Roos,
― 70 ―
Terragni and Torjusen,2007)とする。人々はグローバリゼーションが促進する匿名化、平準化、
産業化への抵抗として、
「私」が「今、ここ」にあることを指し示す、実名性や差異性、手作り
性をローカルと標識づけた食に見出そうとするのだ。言い換えれば、グローバリゼーションの過
程における場所の再編が進むなかで、食物は「他者」との示差を五感すべてに関わるイメージを
通して、さまざまなことを想起させる空間としてのローカルを明示する「領域(domain)
」とし
ての役割を増大させているのである。
2.日本食についての先行研究
本稿では「日本食」
、
「和食」
、
「日本料理」という言葉があるなかで、原則として日本食を用い
る。
「日本食」
、
「和食」
、
「日本料理」の区別について、柏木(2012)は「日本食」は日本の食の上位
概念であるとし、
「日本料理」と「和食」は重なる部分はあるものの、「和食」は家庭料理を含む
日常性の高い料理であるのに対して、専門性に重きが置かれる場合には「日本料理」という言葉
が使われるとしている。本稿において日本食という言葉を用いることを原則としたのは、日常的
に使われる言葉ではないため、
「和食」
「日本料理」と比較して言葉のユレが少なく、柏木が指摘
するように日本の食の上位概念として用いられることが多いからである。本稿で使用する日本食
とは、調理法や材料、由来等を限定せず、その場(site)において「日本」の食物であると想起さ
れる食をさす。したがって、その具体的な内容は想起する主体の持つイメージに依存し、固定的
なものではない。
前節で検討したグローバルゼーションとローカルの関係を前提とするならば、日本食は「脱日
本化」し、国民国家日本に代わる新たな「想起空間」としてのローカルが立ち現れ、場所の単位
がより柔軟に、可変的に食に紐づけられるようになると考えられる。しかし、これまで日本食研
究は、国民国家日本を前提とした視角で捉えられることが多かった。
人類学における日本の食についての研究として、まず、石毛(2009[1981])に代表されるコメに焦
点をあてた先行研究があげられる。食と風土の相関を考察したうえで、日本人の食生活を「コメ
依存型」(石毛2009[1981]:72)とし、同じく「コメの文化」である他のアジア地域との共通点や相
違点をみることで「日本」の食文化を浮かび上がらせている。また、
「日本」というフィールド
を規定して食を捉え、
「日本人」のアイデンティティをみたものとして、コメに照射される日本
人のアイデンティティをとらえた大貫(1995)やFrancks(2007)などがあげられる。これらの研究で
捉えられているのは食と「日本」という場所の関係性である。
また、
「日本」を越境する食を調査した先駆的な研究に、石毛と小山らのロスアンジェルスの
日本料理店をフィールドとした調査研究(1985)がある。
「アメリカに輸出された日本文化の変容を
鋭敏に反映しているのが日本料理店であろう」
(石毛、1985:2)とし、ロスアンジェルスの日本
料理店の立地、店構え、献立、顧客を調査したものである。ロスアンジェルスの日本料理店を通
して、移民社会という枠を超えつつあった当時の日本食が捉えられている。
上述したように日本食研究の多くが「日本」をフィールドとした、もしくは越境する「日本」
をフィールドとした研究であり、脱中心化するグローバリゼーションという視角において、日本
食を捉えた先行研究は数が少ない。
― 71
―
マーカス(1995)は1980年代後半以降、学際的研究を中心に人類学においても、マルチサイトな
フィールド研究が増加していることを指摘し、それらは「世界でおこっている実証的な変化とそ
れゆえの文化的生産の変貌する場所への」(Marcus,1995:96)対応であるとしている。さらにファ
ルゾン(2009)は「脱中心化された(地理的な)空間の様態を示す」(Falzon,2009:2)ためにもマルチ
サイトな研究の必要性が生じているとし、特にグローバリゼーションの特徴である多元性と開放
性を捉えようとするとき、特定のコミュニティや場所における社会関係を超えた異なる空間で何
が起こっているのかを観察することが有効な手法となりうるとしている。グローバリゼーション
の過程のなかでの日本食の動態を捉えようとするならば、国民国家の単位を前提とするのではな
く、
相対的な想起空間としてのローカルを射程としなければならない。したがって、日本食の「文
化的生産の変貌する場所」である「今、ここ」をフィールドにした、脱中心的なマルチサイトな
フィールド研究が有効な手法であるといえる。
本稿では、日本食研究において、あまり研究手法とされてこなかったマルチサイトなフィール
ドワークによる探究を通して、食だけでなくアニメを主としたメディアのグローバリゼーション
から日本食の受容にアプローチする。調査は、中間層が社会的に拡大しつつある海外の2地域を
選び、そこで子ども時代から日本アニメに馴染んでいる大学生に協力を得て行った。
3.日本食に対する認識―プエブラの大学生
プエブラは経済成長をとげるメキシコのなかでもきわめて高い経済成長を遂げ続ける国内第4
の経済規模を持つ 中核都市である3。ドイツ、スイス、カナダなどの外資系企業が進出している
比較的豊かな町として知られ、2009年には「デジタルシティアワード」で第1位になるなど、メ
ディアに親和性の高い新しい市民層が出現し、社会文化を推進している都市としてさまざまな調
査のフィールドとなっている(Barillas,2012)。
2013年9月に、プエブラにある州立大学に在籍する学生14名にインタビューを行った。大学生
と対象としたのは、自らの地域の伝統的特性を理解する一方で、メディア接触頻度が高く自ら情
報を収集し、進取的行動をとる食生活変化の推進者であると考えたためである。また、学童期に
日本アニメがテレビ放送されており、日本食以前に日本アニメと接する機会があった世代である
ことも理由としてあげられる。
2都市間の比較考察を前提とするため主要な質問項目を用意したものの、できるだけイン
フォーマントが自由に話すオープンエンド方式の半構造化インタビューとした。学生たちの年齢
は20 ~ 25歳であり、所属学部は工学部、医学部、言語学部、心理学部、歴史学部と分散している。
男女の内訳は男性が6名、女性が8名である。
3-1.アニメによって想起される日本と日本食
日本のアニメの視聴経験者は14名中13名、さらに10名は現在もインターネットを通じて定期的
にアニメ視聴をしていると答えている。また、日本食の摂食経験があるのは8名であり、この中
にはアニメ視聴経験がない者も含まれる。アニメの視聴経験者13名中9名は、自らの日本イメー
ジにアニメが影響しているとし、全員がアニメで知った日本食があることを認め、下記の学生の
ように日本食への接触行動につながったとする者もいる。
― 72 ―
アニメで知った日本食はラーメンとスシです。ラーメンはアニメでみていてどんなものか知りたかったか
ら友達と食べにいきました。日本食を食べるのは時々です。おいしいけれど、高いですから。誕生日など祝
いごとのときに食べに行きます。(女性・23歳)
ただし、アニメでの認知が摂食につながったと話した学生は2名のみであり、
「おにぎり、ラー
メンはアニメを通じて日本食だと知っているけれど、食べたとことはない。高いし、味が自分に
合わないと思う」とする学生や具体的な料理名を思い出せない学生もいた。またアニメで知った
日本食として、おにぎり、ラーメンをあげる学生が多いのに対し、実際に日本食を食べたことが
ある圧倒的多数の者が食べたのは、地元の日本食レストランチェーンが提供するスシ、鉄板焼き
である。つまり、アニメは日本食の想起要素ではあるものの、必ずしも実際の摂食行動に直結し
ているとはいえない。学生たちの日本食についてのコメントに「スシイット―」
(地元の日本食
レストランチェーンの名称)と「値段が高い」が頻出したことから、この要因として日本食への
接触の限定的な機会と経済的制約が考えられる。(表1)
メキシコでは、より経済的でより伝統的な家庭内で調理された食事を好む傾向が強く、多くの
人たちにとって、レストランやファストフードチェーンでの外食は割高なものである4。今回の
調査では、外食習慣には大きな個人差がみられた。7名の学生が外食はほとんどしないと答えた
のに対し、月に2~3回以上と答えた学生が4名いた。このうちの1名は外食の場所や相手を特
定する表現はしなかったが、残りの3名は継続的に日本食を外食の場で摂食している。次節では
この3名のコメントから、彼らの日本食に対する認識を考察する。
3-2.私はここに属さない
月に2~3回以上の外食習慣があり、日本食を継続的に摂食しているとする3名の学生に共通
してみられたのは、下記のようなローカルフードについてたずねた際の「他者」との差異を積極
的に示す語りである。
地元の料理は嫌いです。脂肪分が多いし、健康的ではありません。ここの人たちはみんな気にしませんけ
れど。…(中略)…健康の面からも環境の面からもメキシコの食物には問題が多いと思います。[どのように
そのような情報を得るのですか?(筆者の質問)]インターネットを通してです。世界中で関心の高いことでしょ
う? とにかく、お祭りの時に供される料理やストリートフードにはぞっとします。私は基本的に野菜中心
― 73
―
の食事をしています。外食をするときは日本料理を選びます。(男性・25歳)
彼らは、多くの学生が自らのローカルフードとしてあげたタコスやメメッラ、ケサディージャ
などのストリートフードに対する拒絶や地元の郷土料理との心的距離を呈示した。アジアを
フィールドにアニメ・マンガの動態調査を行った白石(2013)は、アジア各国でアニメやマンガ
に熱中する若者たちのなかに、アンダーソン(2007[1983])が考察した近代国民国家成立の過程
のなかで登場した「
『私はここに属さない』という孤独な若者」(白石、2013:329)との同質性を
指摘している。デジタルリテラシーを獲得した若者たちは世界中から多様な情報とつながり、新
たなライフスタイルを志向する。彼らにとって、自分の生まれ育った「ローカル」な因習は「ぞっ
とする」ものとなり、それを踏襲する「ローカル」な人々は対峙すべき「他者」として立ち現れ
る。先にグローバリゼーションへの抵抗として世界各地で出現している食におけるローカルへの
注目を述べたが、ここでみられるのは、情報が先導するグローバリゼーションに刺激された、閉
ざされたローカルへの抵抗としての日本食の愛好である。彼らが対照するのは「他者」としての
伝統的な「ローカル」な食であって、日本における日本食は現前のものではない。彼らが履いて
いた海外ブランドのスニーカーが、彼らにとって「先取的で世界に開かれた大学生」イメージの
一構成要素であるのと同様に、彼らにとって重要なのは日本食の統合的なイメージではなく、彼
らが志向する新たなライフスタイルを構成する要素であり、その要素の一つとして適合した、断
片化した日本食のイメージなのである。
4.日本食に対する認識―ワルシャワの大学生
ワルシャワは、2004年のEU加入以来、安定した経済成長をつづけるポーランドの首都であり、
最大都市である。2014年3月にワルシャワにある国立大学に在籍する学生16名にインタビューを
行った。
ポーランドでも現在の大学生の学童期に日本アニメがテレビ放送されており、アニメファ
ンを対象としたアニメ雑誌も発刊されるなど日本のアニメは一定の支持を集めていた。また2000
年頃には約2万人のマンガ人口があったとする報告もある5 。
インタビュー方法は、プエブラでの調査で用いたものと同じ質問項目を用意し、インフォーマ
ントに自由に話してもらうオープンエンド方式の半構造化インタビューとした。学生たちの年齢
は20 ~ 25歳であり、専攻は、考古学、ポーランド文化、法学、国内安全、比較文化、国際関係、
言語学と分散している。男女の内訳は男性が6名、女性が10名である。
4-1.夢中になっている人もいるアニメと自らつくる日本食
プエブラでの調査との大きな差異はアニメの視聴経験者が16名中8名と少なかったのに対し、
16名全員が日本食の摂食経験があるとし、
うち12名が定期的に摂取していると答えたことである。
また現在でもインターネットでアニメを視聴していると答えたのは2名だった。アニメの視聴経
験がない学生も日本アニメの存在(自身が視聴できる環境にあること)は認知しており、
「夢中
になっている友達はいた」
「友達に薦められたが関心がなかった」などと話している。また、学
童期に視聴経験があるとした学生は「中毒になりかけた」と表現しており、アニメは特定の人た
― 74 ―
ちが嗜好する文化として認識されていることがうかがえる。アニメが日本あるいは日本食の想起
要素となっているとした学生は2名で、そのうち1名は日本語専攻、もう1名は父親が日本アニ
メに関連する仕事をしているという特有の日本とのつながりを持つ学生たちであった。つまりプ
エブラでの調査とは逆に、ワルシャワでの調査においては日本食との近接性がアニメとの近接性
が上回る結果がみられたのである。さらに、日本食を語るなかで使われたワードは「スシ」が突
出している。
「日本食といってもスシしか食べたことがないけれど」
「スシに代表されるように」
などと用いられ、現前にあるスシを通して日本食の全体イメージを醸成していることが考察され
る。
(表2)
今回の調査で特徴的だったのは、7名の学生たちが、自分もしくは家族がつくった日本食を家
で食べる、
もしくは日本食をつくった経験があると話したことである。家でつくる理由としては、
外食すると高い、家でつくった方がおいしい、安心、家で食べることが普通だから、家族がつくっ
てくれるから、があげられた。
大学1年のときに、友達の誕生日パーティーで友達の母親がスシをつくりました。それがはじめて食べた
日本食です。どうやってそのお母さんがレシピを手に入れたのかはわかりません。たぶん、インターネット
ではないでしょうか。私も、スシをつくります。父と弟は大好きです。[レシピはインターネットで?(筆者
の質問)]そう、インターネットです。外食をするよりも、家で食べることが普通なのです。友達との間でも
そうですよ。…(中略)…いろんな国の料理をつくります。イタリア料理もつくります、ピッツアとかスパゲッ
ティとか。いつも新しい料理のレシピをインターネットで探して、それをもとに買い物をして料理をつくる
のです。(女性・25歳)
この語りに代表されるように多くの場合は、インターネットでレシピと作り方を調べて自発的
に挑戦している。ポーランドの食文化は多くの民族の影響を受けて構成されているため「他者」
の味の受容に積極的であるということも考えられるが、Smith and Jehlicka(2007)が考察した、
ポーランドの都市部の教育をうけた若い世代にとって、国際的なあるいは革新的な料理を取り入
れることが先進的な西ヨーロッパの味やライフスタイルに自分を位置付ける感覚を生むという社
― 75
―
会的なコンテクストの存在に着目したい。つまり、彼らにとって重要なのは日本食そのものとい
う よ り も む し ろ、
「 コ ス モ ポ リ タ ン な 味 の 呈 示(display of cosmopolitan tastes)」(Smith and
Jehlicka2007:403)としての日本食なのである。
ポーランドでは1989年の資本主義経済への移行以来、アメリカ資本を中心としたファストフー
ドチェーンが進出している。95%を超える10代の若者たちがファストフードを摂取すると答える
ほど彼らの生活のなかに浸透する一方で、ほぼすべての若者たちがファストフードは健康によく
ないと認識しているという調査報告(Sikora, Leszczy ska and Szyma ski,2007)や、食行動の選択
は教育水準を識別する重要な要素となっている(Warde and Martens,2000)とする考察があるよう
に、ハンバーガーなどの従来のファストフードはもはや高い教育を受けた若者にとってふさわし
い「コスモポリタンな味の呈示」とはなりえない。今回のインタビュー調査でも日本食のイメー
ジとして「健康的」
「長寿」があげられたことからも、より革新的な「コスモポリタンな味」と
して「教育を受けた野心的な若い世代(younger generations of educated and ambitious)」(Smith
and Jehlicka2007:403)に受容されているのではないだろうか。このことは、Czarniecka-Skubina
とNowak(2014)の調査においても、ワルシャワの日本食経験者の44%が高等教育を受けた人たち
であり、日本食を選択した理由としてほぼ半数の人たちが独創性をあげ、日本や日本文化への興
味とした人は3割にとどまっていることからも傍証される。すなわち、日本食摂取は日本に紐づ
けられたコンテクストの受容としてあるのではなく、高い教育を受けたコスモポリタンな新世代
を想起させるローカル領域を構成するのにふさわしい行為としてある、ということが考察できる。
4-2.ハイブリッドな食への意識
ワルシャワでの調査結果で最も特徴的だったのは、地元の食に対するネガティブ表現が出現し
なかったことである。多くの学生がワルシャワにおける食の流行はこれまでになかった「新しい
料理」であり、
「新しい料理がポーランドに入ってきたときには試すことはアリだと思う」とす
る一方で、
「ポーランドの料理がリバイバルしている」「ポーランドの料理に外国の要素を取り入
れながらでつくっている」とする。
(表3)プエブラでみられたような自分たちの「ローカル」
な食と
「コスモポリタンな味」
の対立はみられない。ポーランドにおける食が包摂するストーリー
の変容について考察したSmith and Jehlicka(2007)においても、ポーランドの若い世代においては
外国料理など新しい料理への志向が、
「伝統料理離れ(dismissal of‘traditional’foods)」(Smith
and Jehlicka2007:403)につながる結果にはなっていないとしている。
今回のインタビュー調査においてローカルフードに対する質問への回答が多様であったこと
― 76 ―
も、彼らのハイブリッドな食への意識を示唆するものだと考える。多くの学生が「ローカル」の
定義に逡巡したうえで具体的な料理名をあげずに回答したこともプエブラでの調査との好対照を
示している。自分との関係性を示さずにある特定の地域料理を例示しつつ「特有なもの」、「伝統
的」
、
「残すべき」と答えたのが4名、
「子供のときから食べているもの」、「知っておくべきもの」
と自分との関係において話す学生が3名、その他「ワルシャワではローカルフードは混ざってい
る」と柔軟性を指摘する回答や「出身地ではなく今いる場所の料理」と場所の持つ意味の相対性
を示唆する回答があった。
ポーランドにおいて、食のグローバリゼーションへの対抗としての「ローカルフード」への注
目 と 土 地 へ の 再 埋 め 込 み の 動 き を と ら え た 諸 研 究(Vanhonacker,et al.,2013. Fonte,2008.
Gorlach,et al.,2006.)にみられるように、時代遅れなものではなく価値あるものとして、食にお
ける
「ローカル」
が認識されつつあることが背景にあると考えられる。つまりここにおいて、
「ロー
カル」な食は日本食のような「コスモポリタンな味」と同様に、共有すべき味の呈示領域であり、
このハイブリッドな食事行動こそが「教育をうけた野心的な若い世代」に「ふさわしい味」と認
識されていると考察される。
結論
「グローバリゼーション」と食についての先行研究をレビューすることで、食における「場所
(Place)」の変容と「ローカル」の再編という論点が明らかになった。この知見をもとに本稿では、
「グローバル化した」日本食ではなく、
「グローバリゼーション」の過程を照射する日本食の受容
の動態を捉える試みをおこなった。プエブラ(メキシコ)
、ワルシャワ(ポーランド)の2都市
における若者たちにとっての日本食受容の意味は大きく異なるものであった。その背景にあるの
は、「グローバリゼーション」における「ローカル」の価値付けの違いである。その一方で、2
都市ともに日本食の情報はインターネットを通じた断片化したイメージとして取得され、現前の
「他者」との相対化のなかで若者たちにとって「ふさわしい味」として統合されている。アーリ
は「ローカルにアクセスできる対象とグローバルにアクセスできる対象は、いまやほとんど同一
であり、少なくとも不可逆的な同一化を進めている」(アーリ、2014:127)とし、グローバル‐ロー
カルなものは「動的に進展する世界規模での無数の反復を通じて変容をとげている」
(アーリ、
2014:126)とする。2都市におけるインタビュー調査結果から考察された若者たちの日本食受容
は異なった動態であるものの、いずれもヴァーチャルな領域と現前のリアリティを行き来しなが
ら非直接的に醸成された「ローカル」と相互依存的で動的なものであった。言い換えれば、日本
と直接的につながるものではないということである。デジタル化された情報フローのなかで日本
食は情報として脱物質化し、日本という場所から開放されているのだ。デジタル化された情報フ
ローと日本食受容との相関の具体的動態については、今後更なる実証的な研究が必要であると考
える。
謝辞
本研究はJSPS科研費26330391の助成を受けたものです。
― 77
―
注)
1
海外の日本食人気に注目が集まりはじめた2006年に農林水産省は「海外日本食レストラン推奨
について」の有識者会議を設置した。農林水産省は2006年11月2日付の報道資料のなかで「海外
日本食レストラン推奨についての」有識者会議の設置理由として、
「海外では、日本食レストラ
ンと称しつつも、食材や調理方法など本来の日本食とかけ離れた食事を提供しているレストラン
も数多く見られ」ることをあげているほか、2006年11月27日に開催された第一回有識者会議の資
料「海外における日本食レストランの現状について」のなかで、
「海外における『いわゆる日本
食レストラン』の展開状況」という表現で海外の日本食レストラン数の統計を紹介している。
http://www.maff.go.jp/j/shokusan/sanki/easia/e_sesaku/japanese_food/press/index.html
2
カーネイはグローバリゼーションとトランスナショナリズムの性格の違いを示しているのが
-izationと-ismという接尾辞であるとしている。
(Kearney,1995)
3
OECD,2013,OECE Territorial Reviews:Puebla-Tlaxcala, Mexico 2013,
DOI:10.1787/9789264203464-en
4
Minister of Agriculture and Agri-Food Canada, 2013,The modern Mexican consumer:
Behaviour, attitudes and perceptions toward food products, ISSN 1920-6593.
5
日本貿易振興機構、2008、
「ポーランドにおけるマンガ市場基礎調査」。
文献)
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The Dynamics of Global Receptiveness of
Japanese Foods :
Case Studies from Puebla, Mexico and
Warsaw, Poland
OMORI Isami
This paper examines the recent trend of global receptiveness of Japanese foods by
conducting multi-site fieldwork in Puebla, Mexico and Warsaw, Poland. The theoretical basis
of my study involves recent literature published on globalization, revival of locality, commodity
situations, and the virtual reconstruction of space. I selected university students at the
two sites for open-ended interviewing and semi-structured face-to-face questioning with an
assumption that their childhood Japanese anime viewing experiences would closely connect to
their taste preference for Japanese foods. The results determined that the students at both
sites had limited knowledge of Japanese foods, that their images of Japanese foods played
a role in adding meanings to the locality of each site, and that there are contrasts between
the two sites in the meanings associated with receptiveness of Japanese foods. The strong
receptiveness for Japanese foods shown by the Puebla students can be understood to identify
themselves away from their locality. Conversely, the popularity of Japanese foods among the
Warsaw students can be understood as a part of displaying a “highly-educated and ambitious”
person whose taste is characterized by hybridity and coexistence with local tastes. The
findings suggest that the global phenomenon of Japanese foods preference has the features
of being non-linier, irreversible and disorderly which are constituent of Urry(2003)s “Global
Complexity”.
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