折伏とは何か①

折伏 とは何 か
廣
田
頼
道
私 が京 都 の平 安 寺 へ在 勤 し た のは、昭和 四十 四年、
四十 五年 の二年 間 だ ったと思 う。
そ の後 、立 正 大 学 へ行 く都 合 上 、 池 袋 の法 道 院 ヘ
四十 六 年 か ら 五十 年 迄 在 勤 し た。
京 都 の平 安 寺 へ在 勤 し た頃 は、 さす が に創 価 学 会
の折 伏 大 行 進 は下 火 にな っては いたが まだ そ の名残
り ︵
体 質 ︶ があ った。
私 は、定 時 制 高 校 へ通学 し て、 昼 間 は、 法 事 、 葬
式 、 御 授 戒 、 結 婚 式 と、 そ の日 そ の日 の法 務 と いう
名 前 の ついた仕 事 を こな し て行 く のが 日課 だ った。
であ れば 、 僧 侶 が指 導 力 を持 つこと は無 意 味 な こと
であ り、 指 導 のく い違 いは活 動 の停 滞 を招 き、 ト ラ
ブ ルの原 因 にな る。 ま し てや、 宗 門 の教 学 部 長 、 総
監 の寺 院 で、 そう い った ト ラブ ルが発 生 し た ら、 面
目丸 つぶれ にな る為 、 私 達 在 勤 者 も、 創 価 学 会 員 に
深入 りし な い様 な空 気 を察 知 し て、 そう いう自 分 を
作 って行 く わ け であ る。
私 の体 験 は平 安寺 で夜 に起 った こと だ か ら学 校 の
な い忙 し い日曜 日 の こと だ った と思 う。
夜 の十 二時 を 過 ぎ た頃 、 玄 関 の大 き な 一枚 ガ ラ ス
の扉 を た たく、 太 鼓 の様 な異 様 な 低 い音 が響 いた。
たし か夜 の七 時 が 最後 の御 授 戒 で、 そ の御 授 戒 が終
り次 第 、 本 堂 の点検 を し て、 道 路 に面 し た門 扉 を 締
め 一日が終 りと な っていたと 思 う 。 ︵ど の御 寺 も 同
じ様 なも のだ と 思 う︶
ガ ラ スを た た い ていると いう こと は、 道 路 に面 し
て いる身 の丈 以上 の門扉 を乗 り越 え て来 たと いう こ
何 か 大 変 な こと が 起 き た の で は な いか と 思 い、 私
が 最 後 の受 付 番 だ った 関 係 で受 付 へ走 って電 気 を 付
そ の生 活 の中 で、 信 仰者 と し て僧侶 と し ての信 念
と か精 神 的 な点 を折 々 に触 れ、 折 々 に教 え てく れ る
こと は ほと んど な く、 仕 事 を手 際良 く さば き、 信 者
さ ん の対 応 を ど の様 にす るか と いう、 ノウ ハウが ほ
と ん ど であ り、 そ の こと が出 来 る こと が、 僧 侶 と し
て 一人 前 の仕 事 が出 来 ると いう証 しと いう感 覚 だ っ
け た。
と にな る。
た。 創 価 学 会 が指 導 し、 寺 院 は典 礼 部 と いう分 業 制
-12-
す ると、 二人 か 四人 の男 の人 達 が、 ほ っと し た感
じ の顔 を し て笑 っている。
﹁ど う し た ん です か、 今 日は終 った ん です けど﹂
い︱ ︱ ︱ ︱ 空 しか った。
﹁あ な た方 の様 に遊 ん でいた んじ ゃな い。 折 伏 し て
﹁
仕方 な いな あ︱ ︱ ︱ や ってく れ。﹂
それだ け の言葉 だ った。 自 分 が や ると いう言 葉 も 無
す と、
と いうと、
﹁御 授 戒 御 願 いし ます。 今 日じ ゅう にしな いと いけ
﹁今 日はも う こんな時 間 で遅 い です の で、 明 日来 て
く れ ま せ んか﹂
﹁住本 寺 でも こと わ ら れ て、 や っと の思 い でこ っち
御 経 を 唱 え、御 授 戒 を す る間 じ ゅう釈 然 と し な い
異様 な思 いが心 に巡 る。 御 本 尊 様 に取 次 ぐ等 と いう
葉。
夜 の十 二時 過ぎ の夜 討 の様 な御 授 戒 。
来 た んだ。﹂
一日 で本 人 の気 が変 るかも し れ な いと いう脅 し の言
に来 た ん です よ、 今 迄 折 伏 し て来 た ん です よ。 私 達
は広 宣 流 布 の為折 伏 し て来 た ん です よ。 遊 ん で いた
な いん です 。﹂
んじ ゃな いん です よ。﹂
﹁ですから明 日の朝 の勤行 の時 でも いいですから⋮⋮⋮
のか と いう思 いが、 今 でも 澱 の様 に自 分 の心 に沈 ん
でい て、 時 折 頭 の中 に蘇 って来 て、 心 を ジ クジ クと
す みな さ い。﹂
と発 言 し たが、 これ が本 当 の折 伏 な のか、 御 授 戒 な
﹁
御 苦 労 様 でし た。 気 を付 け て御 帰 り下 さ い。 お や
慇懃 に
帰 る創 価 学会 員。
信 仰 の精 神 状態 には ついぞな れ な いま ま、 心 な いめ
く ら判 の様 な形式 で終 った。
終 って ニコ ニコし て、
一応 の感 謝 の言 葉 を 言 って
・
・
﹂
。
﹁
本 人 の気 が変 ったら ど うす るん です か、責 任 取 っ
てく れ る ん です か。 私 達 は仏 法 の為折 伏 し て来 た ん
です よ。 あ な た方 の様 に遊 ん で いるんじ ゃな いん で
す よ。﹂
ム ッと し た、 喧 嘩 は いけな い。自 分 の 一存 で結 論 を
出 し てはまず いと思 い、 住職 に この創 価 学会 員 を説
得 し て断 っても ら お う と思 い、 奥 へ行 って事 情 を話
―-13-一
つき さす の であ ります。
実 は、 ジ クジ クと つき さす 澱 の様 な も のは これだ
け ではあ り ま せ ん。
夜 の御授 戒 の勤 行 を し ている時 に、 ど うも後 ろ に
気 配 が な いな あ と思 ったけれ ども、勤 行中 に振 り返
るわ け にも いか な い の で、 そ のま ま御 経 を あげ てい
た ら、 受 付 の者 が ポ ンポ ンと肩 を たたく、 ﹁ア レ ッ﹂
と 思 って見 ると、本 人 も紹介 者 も消 え て いな くな っ
て いる。 私 だ け が御 経 を あげ ている。本 人 が逃 げ た
の で紹 介者 も逃 げ た よ うだ と いう の であ ります。
紹介者 が、 ○ ○ さ んと促 し ても、背 中 を押 し ても 、
前 に出 てこようと し な い。 柱 にし が み つい て、 紹 介
者 が そ の指 を 一本 一本 はず し、 はず し た後 か ら ま た
柱 に指 がか ら み つい て行 く人 も いた。
﹁あ な た は自 分 の意志 で こ の場 所 に来 て、 自 分 で こ
の信 心 を す ると い った ん です ね。﹂
﹁は い﹂
﹁じ ゃあ、 私 が ここか ら降 り て行 き ます 。﹂
と言 って御 授 戒 本 尊 を持 って、 そ の人 の所 へ行 き 、
か たく な にそ こに座 って いる人 の正 面 に座 って、 頭
に御本 尊 を 頂 か し た こと が あ る。 柱 にし が み つい て
れば と いう気 持 と共 に、 こ こま でし て何 の折 伏 な ん
だ ろう、 何 の御授 戒 な んだ ろうと 思 った。
私 は、実 家 は元 々創 価学 会 を縁 にし て、 この日蓮
大 聖 人 様 の仏 法 に縁 し たわ け です か ら、 創 価学 会 総
体 に憎 し み や恨 み の感 情 は持 っていな か った。 し か
し、 創 価 学会 の中 には極 端 に走 る偏 執 な人 が いると
いう認識 は、 たく さ ん の創 価 学会 員 と接 す る中 で感
又、 御授 戒 を受 け る人 が御 経 に遅 れ て来 ると、 最
後 の題 目 三唱 に間 に合 えば 御 授 戒 を受 け さ せ てし ま
いる人 の所 迄行 って御授 戒 を し たわ け であ ります 。
こ の時 も、折 伏 し て来 た人 の心 に報 い てあげ な け
じ て いた。 そし て、 そう いう人 達 を産 み出 す土 壌 が
あ ると いう こと も分 っていた。
うと いう御授 戒 も随 分 行 って来 た。 走 って御 寺 へか
け こん で来 て、御授戒 が終 ったと言 って五分位 で帰 っ
て行 く。 入信 の出 発 に際 し、 御 経 を 唱 え る こと も な
い。
法 道 院 へ在 勤 し た時 も、福 山 の正教 寺 へ在 勤 し た
時 も、 御経 が終 って御 授 戒 をす る為 にふ り返 って、
﹁一番 前 へ出 て下 さ い﹂ と いう と、
﹁︰。
・
︰・
︰・
︰・
︰・
︰﹂
―-14-―
私 は今 でも、 そう いう場 面 に関 わ って来 た 一人 の
背 信 者 と し て、 澱 と いう より毒 と言 え る、 い つま で
た っても、 消 え る こと も、薄 くな る ことも 、分 解 す
る ことも な い物 が ひ っか か っている の であ ります。
僧 侶 は い つの時 代 も 正 し い、 前 か ら間違 いに気付
い て いた等 と いう人 が いるが、私 は言 えな い。 正信
覚 醒 運 動 の道 を 選 んだ のも 、 こう い った事 への反 省
ツか り んご の箱 か な んか に白 い紙 を は って、 御 本 尊
様 を御 安 置 し て、信 心 が はじ ま ると いう よ り、 学 会
活動 が はじ ま る。 常 に気 が変 ら な いよう にと いう 不
信 の思 いと戦 い乍 、 こ こま でも って来 る のが ほと ん
ど の折 伏 と いわ れ るも の であ った の であ ります 。
御 本 尊 様 に ﹁今身 よ り佛 身 に至 る迄 ⋮ ⋮﹂ と誓 っ
た心 が、御 授戒 が終 った瞬 間 に、創 価 学 会 入 会 の為
の御 授 戒 にす り変 って ﹁
今 身 より人間革命す る迄 は、
組織 の為 、幹 部 の為 、 池 田先 生 の為 に⋮ ⋮ ⋮ ⋮﹂ に
な ってし ま っている の であ ります 。 ︵現 に、 御 授 戒
心 し か な い の であ りま す。
本 当 の折 伏 と はど う いう折 伏 な のだ ろうか。
の後 、 本 堂 の隅 で、 ﹁これ か ら 信 心 し て行 く 上 で、
この御寺 へこな く て良 いんだ か ら ね﹂ と 言 って いる
こと を 聞 いた こと があ る。︶
選挙 活動 、聖 教 新 聞啓 蒙 、購 読 、特 別財 務 要 員 へ
少 な く と も前 にあげ た事 柄 は折 伏 では無 いと言 え
レ?つ。
たを す ると御 本 尊 下 附 の御 供 養 ま で紹介 者 が包 む。
初 め て御 経 本 を 見 て、 初 め て数 珠 を手 にし、 初 め
は世 直 しす る使 を 担 う
自
で
全 であ
あ
り
完
り
分
達
命
、
者 であ る。 逆 に、世 の中 の信 仰 し て いな い者 ︵
創価
であ り、 組 織 も完全 であ る。 信 仰 し て いる者 は正 義
と育 って行 く わ け であ ります
。
池 田大 作 ︶ は完 全 者
●自 分 達 の創 価 学会 の指 導 者 ︵
て御 寺 へ来 て、 初 め て僧 侶 を 見 て、 初 め て御 経 を 聞
き 、 初 め て題 目 を 唱 え な さ いと いわれ て唱え てみる。
学会 員 でな い者 ︶ は不完 全 者 であ り、 謗 法 者 、 あ わ
れな 罪人 で、自 分達 創 価 学 会 員 は彼 等 を救 ってあ げ
御 寺 へ来 る。 御 授 戒 を受 け る本 人 に、 初 め て御 経
本 、 御 数 珠 を紹 介 者 が プ レゼ ントと言 って買 う。 ヘ
そし て、 御本 尊 を自 宅 へ持 ち 帰 ってか ら、謗 法 払 い
を し、 ど こに御本尊を御安置す るかを考 え、 ワイ シャ
一-15-―
な けれ ば いけ な い。
● ど んな折 伏 であ ろう と、創 価 学 会 員 は良 い ことを
し ている のだ か ら、 ゆ るされ る の であ る。 発 心真 実
な らぎ ると も、 功 徳 があ って当 然 であ る。 創 価学会
の邪魔 を す る者 は、謗 法 者 であ り邪 宗 であ り害 毒 で
あ る。
●世 界 を自 分 達 の立 てた 理屈、 主 張 が自 由 自 在 に通
る世 界 ︵
仏 国土 イ コー ル創 価 王 国 と いう発想 ︶ を築
く為 に自 分 達 は信 心 活 動 ︵
創 価 学会 活 動︶ を や って
いる んだ。 そ の為 に選挙 は法 戦 であ り、 そ の為 に 一
票 を依 頼 す る際 に土 下 座 を し ようが、身 替 り投 票 を
し よう が創 価 学会 活 動 が選挙 活動 そ のも のにな ろう
が法 律 や、社 会 の常識 や ルー ルを無視 し ても、仏 法
︵
創 価 学 会 ︶ の方 が大 切 だ か ら 、 社 会 的 に罪 が あ っ
ても、 仏法 の上 では功 徳 にな る。
●創 価 学 会 し か見 えな い、 考 えな い。 創 価 学 会 の御
陰 で、 池 田先生 のおかげ でと いう偏狭 さ、ブ ロイ ラー
鶏 のゲ ージ の様 な 環境 の中 で、 洗 脳 され て いると思
わ な い様 に自 分 の心 を 殺 さ せ、集 団 思考 的 軍 隊 の様
に洗 脳 され、 そ こに喜 びを感 じ る人 間 にな る。
● 創 価 幼 稚 園 、 小 学 校 、 中 学 校 、 高 校 、 大 学 と他 の
思想 、 哲 学 、 価 値 観 、 目的 観、 人 生 観 に 一次 的 に触
れ る こと な く純粋 培 養 され、 創 価 学 会 の価 値 観 し か
分 らな い者 を エリ ー トと し指導 者 とす る。
大 石 寺 も東 京 渋 谷 に ﹁
法 敬 院 ﹂ な ど と いう 一般 大
学 に行 か せな い で、大 石 寺 法 門 を教 え る学 校 を 運 営
し ているが。 そ こ で大 石 寺 の主 張 だ けを詰 め込 ん で
みた所 で、
一般世 間 の人 々 に仏 法 を伝 え て行 く こと
か ら はど んど ん遊 離 し、 閉 鎖 、 独 善 、 偏 見 、 孤 立 を
深 め て行 くだ け な の であ り ます。 ﹁貫 首 本 仏 ﹂ ﹁
戒壇
絶対 ﹂ を徹 底 し て教 え込 み、
一般 世 間 の人 々が、 何
を考 え、生 活 し ている のか も触 れ な い で、 ど うす る
と いう のか。創 価 学会 と同 じ思考 回路 ではな いか。
●入信 し な け れば従業 員 と し て働 い て貰 う ことを 考
えな け れば な ら な い。 仕 事 上 の取 引 を考 え な けれ ば
な らな い。 三 ケ月 以内 に事 故 や病 気 に見 舞 わ れ死 ぬ
かも し れ な い。
女 子部 が人 ご み の中 で ﹁
良 い所 へ行 き ま せ んか﹂
と声 を か け折 伏 会 場 へ連 れ て行 き 入信 さ せ る。 こう
い った脅 し、 嫌 し、甘 言 を 臓 し て折 伏 の成 果 を あ げ
て来 た の であ る。 そう いう入信 の仕 方 であ っても た
く さ ん信 心 し ている人 々が いる ではな いか と主 張 す
-16-
下 種 され ていな い の であ ります。
●会 員 を 組 織 し、 政 治 団 体 を持 ち 、 政 治 権 力 を 行 使
るだ ろう。 た し か に御 経 を読 み御 題 目 を 唱 え てい て
も 、 日蓮 大 聖 人 の本 因妙 の仏法 には縁 し て いな い。
尋 ね ら れ た の で、 ﹁カ ト リ ック です ﹂ と 答 え た。 こ
の所 英 国 で創 価学会 は着 実 にゲ イ の会 員 を 増 やし て
で、 何 に でも す が り た い。 彼 も そ の 一人 だ った。
﹁
富 士 の大 石 寺 へは 三度 行 き ま し た。 私 は 日本 人 が
好 き です﹂ とも 言 った。
が学会 の信 者 集 め のう た い文 句 だ。検 査 の結 果 、 ポ
ジ テ ィブ と宣 告 され た ゲ イ たち は、藁 を も 掴 む 思 い
いた。 ﹁ナ ンミ ョー ホ ー レ ンゲ ー キ ョー﹂ と 大 声 で
唱 えれ ば、 エイズ にかからな い、もし エイズ にかか っ
ても 日蓮 聖 人 が たち まち 治 癒 し て下 さ る、 と いう の
し 、 自 分 達 の思 想 で社 会 を コ ント ロー ルし 制 圧 し
︵
創 価 王 国 思想 ︶ て行 く こと が 広 宣 流 布 と 考 え て い
る、 日蓮 大 聖 人 の教 え に存 在 しな い間違 った考 え方。
●御 本 尊 を持 って いれ ば良 い こと があ る。 やめ れば
罰 が当 る。 入 信 し て何 年 た っても 現世 利 益 の信 仰 観
と折 伏 観 。 治 し難 い病 根 にな ってしま って いる の で
あ り ます。
日本 エ ッセイ スト ・ク ラブ編
く な ったと いう人 が います が、 十 年 一日、 創 価 学 会
の体 質 は、 変 ら ぬ指 導 者 と 同 様変 れ な い の であ り ま
以上 八点 の●を挙 げ ま し た が、 も ち ろ ん● は、 悪 い
サ ンプ ルと し て私 達 が見 て来 た創 価学 会 の姿 を そ の
ま ま あげ ま し た。 今 は創 価 学 会 は随 分 昔 と違 って良
九 十 七 P︶ の所 を 何
の中 の ﹁百 人 分 の巻 き ず し﹂ ︵
す。
% 年 版 ベ スト ・エ ッセイ集
﹁お父 っ つあ ん の冒 険 ﹂ 文 春 文 庫
気 な く読 ん で いた時 、 私 は創 価 学 会 の こう いう考 え
○折 伏 は時 間 を か け な け れば 出 来 な い、
一晩 で熱 病
の様 に入信 させ ても、 し ても いけな い。
○折 伏 と は御授 戒 を受 け さ せ る、 御 本 尊 を 安 置 さ せ
る こと ではな く、 自 分 の仏 性 に目 覚 め さ せ る こと で
方 は、 も う治 し難 いと 思 いま し た。 英 国在 住 の ハウ
スキ ーパ ーを され て いる高 尾 慶子 さん の文章 です が、
こ の方 が パ ー テ ィー の手 伝 い に行 った場 面 で、 そ の
家 の主 人 の ヘンリ ーさ んと の会 話 で
﹁私 は ソーカガ ッカ イ の会 員 です。 ケイ コは? ﹂ と
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う いう も のか自 分自 身 で知 る。
○ 入 信 し御 授 戒 を受 け る際 に、 自 分 の意 志 で判 断決
詣 日 に参詣 し、 個 人 的 、全 体 的 に話 がく い違 う こと
が な いか、 指 導 者 と し て得 る物 があ るか良 く聞 い て
み る。 自 分 が これ か ら や って行 こうとす る信 心 が ど
に唱 え てみ る。 手 を合 せ てみ る。 御 寺 に参詣 し自 分
の考 えを 示 し、 僧 侶 の話 を 聞 い てみ る。 全 体 的 な参
○ 入信 す る迄 に、 日蓮 大 聖 人 の人 生 、御 本 尊 、読 む
御 経 、 題 目 の意味等 々の概略を聞き、題目を い っし ょ
け心 、 いやし さ等 々を持 って いる。 持 っているけ れ
ども 一切 諸法 の要 であ る妙 法 を想 い出 し て想 い出 し
組織 は完 全 、 御 寺 は完 全 、 住 職 完 全 、先 輩 完 全 では
一切 衆 生 皆 んな 凡夫 と し て、 迷 い、 弱 さ、 怠
な く、
○人 に折 伏 す る時 、 後 輩 に接 す る時 、 信 心 し て いる
自 分 は完 全 者 で、 あ な た は不完 全 者 、劣 った人 間。
決 し て信 仰 を か く し ては いけな い。 信 仰 、 折 伏 の第
一歩 は自 分 が 日蓮 大 聖 人 の仏 法 を 信 仰 し て いる こと
れ て いると いう状 態 はあ ってはならな いこと であ る。
家 族 の反対 があ れば、 内 得 信 仰 で、 朝 晩 決 め た場 所
で胸 を張 って勤 行 し、家 族 に信仰 の姿を示し て行 く。
あ り ます 。
断 す る。
○ 入 信 す る時 は、 伴 侶 や家 族 に、 こう いう内 容 の信
て、 貫 き 通 す 勇気 を持 って、 そう いう凡夫 だ け れ ど
も、 御 互 い に戒 め合 い、導 き合 って精 進 し て行 き ま
し ょう。 私 の方 が縁 あ って早 く入信 しただけ です よ。
し て行 く か否 かだ け です 。 誰 も完 全 者 、 絶 対 者 、 生
き仏 な ど いな いと いう のが 日蓮 大 聖 人 の示 さ れ た仏
な成 仏 出 来 ると いう教 え の信 心 です 。 ただ信 仰者 の
中 に役 割 立 場 が協 力 仕 合 う為 にあ り、 そ の責 任 を 果
信 心 の年 数 や、 僧 侶 だ信者 だ、 役 員 だ の肩 書 で上 下
があ る の ではな く、 皆 んな 平 等 、 皆 んな 凡夫 、皆 ん
を さら し て行 く こと であ り ます。
心 を し た いと伝 え、 た と え徹 底 し た反対 が あ っても
秘 密 やだ ま し で御 本 尊 を持 つこと は いけな い。 持 っ
て いれば良 い こと が あ る。 やめ れば 罰 があ た ると い
う精 神 的 強 迫 を絶対 にし てはな ら な いし、 個 人 の折
伏 の ノ ル マ 成 果、 組 織 の成 果 の為 の折 伏 、 折 伏 す
、
る者 の幸 福 ︵
創 価 学 会 式 功 徳 欲 し さ︶追 求 の為 の折
伏 は折 伏 ではな い。 そ のよ うな手 段 の為 に入信 す る
こと は入信 ではな い。
何 十 年 も御 本 尊 を巻 き っば な し でタ ンスの奥 に入
―
-18-―
法 です。
○ い つでも、 ど こ でも、 誰 に でも、袖 振 り合 うも多
生 の縁 の旅 先 で、 人 生 の中 で 一回 だ け の隣 り合 せ で
も 、 本 因妙 の仏 法 を 伝 え る こと の出来 る。 信 ず る喜
び 、 修 行 す る喜 び、 折 伏 す る喜 び を持 った信 心 を し
て下 さ い。 あ な たも仏 です よ。 あ な たも仏 です よ。
む つか し い教 理を マスタ ーし な く ても、信 ず る喜 び
を 伝 え る こと が折 伏 であ り仏 種 であ り ます 。
○ 自 分 の己心 の折 伏 こそが本当 の折 伏 だ か ら、 自 分
は まだ ま だ 己心 の折 伏 が出来 て いな いか ら、 他 人 に
折 伏 す るな ど お こが ま し く て恐れ多 く て出来 ません。
折 伏 な んか しち ゃあ いけ ま せ ん。 と いう人 が います
が、 己心 の折 伏 は死 ぬま で続 き終 り はあ りま せ ん。
じ ゃあ い つにな った ら、 折 伏 出来 る人 格 形成 が完 成
一切 衆生 は全 て凡
す る の でし ょうか。 出 来 ま せ ん。
夫 であ る こと が前 提 の日蓮 大 聖 人 の信 心 です。 凡夫
は瞬 間 瞬 間 に妙 法 と 一箇 にな って行 く こと によ って
完 全 者 ︶ には
仏 であ り、 固定 化 し た、 永 続 し た仏 ︵
な れ な い の であ ります 。 悟 った り迷 った り悟 った り
迷 った り、 気 付 いた り忘 れ た り、 気付 いた り忘 れ た
り の不完 全 な ま ま、 こ の本 因妙 の仏 法 を信 じ行 ず る
喜 び を、 自 分 の等 身 大 の器 のま ま、 伝 え る こと が、
本 因妙 の折 伏 な の であ り ます。 己心 の折 伏 が大 切 だ
か ら、 他 人 を折 伏 出 来 な いと いう のは屁理屈 であ り、
逃 げ 口上 であ り ます。
﹁
随 力 弘 通﹂
の聖戒 に外 れ るも の であ り ます 。
○今 迄 の信 心 は組 織 信 仰、 所 属 信 仰 であ りま し た。
創 価 学会 に所 属 し ているか、 大 石 寺 に所 属 し て い
るか、 正信 会 に所 属 し て いるか。 所 属 し ていれ ば 、
何 を考 え て いよう が正 し く て、 所 属 し て いな け れ ば
謗 法︱ ︱ ︱ ︱ と いう判 断 を 下 し てや って来 た の であ
ります 。 しか し信 心 は、 そ の人 が心 を ど こ に決 定 さ
せ て いるか と いう心 の問題 であ り ます。 勤 行 し な く
ても謗 法 し て い ても、 所 属 さえ し て いれば 信 仰者 と
し て認 め ると いう のは本 当 の信 心 ではな い の であ り
ます 。
所 属 し て いるだ け でそ の組織 は安 心 し、 自 分 達 の
力 を世 帯 数 や動 員数 で誇 示 し よう とす る、数 こそ正
義 の論 法 を振 り廻 す だ けな の であ ります。
たし か に所 属 は心 の置 き所 を確 認す る重 要 な条 件
かも し れ ま せ ん。 し か し団体 で成仏す るわけがなく、
-19-
寺 の所 属 こそが信 心 の根 本 で、 日蓮 大 聖 人 の仏 法 は
二 の次 、 三 の次 の こと であ り、 住 職 は仏 と同 じ完 全
者 だ と いう こと にな ってし ま う の であ ります。 完 全
Aと いう寺 に所 属 し て、 A寺 の住 職 が手 続 き の師
匠 だ か ら住 職 の言 う こと だ けを 聞 い ていろ、 他 の話
な ど聞 く必 要 が な い。︱ ︱ ︱ と いう こと にな れ ば、
徹 頭 徹 尾 一人 一人 の自 己責 任 のも と に信 仰 は され る
も のな の であ り ます。
そうす る理由 や、 今 後 の為 に御寺 に来 て下 さ いとか、
事 前 に確 認 し な ければ な ら な い ことを 現場 でバ タ バ
認 も せず出 掛 け て行 って、 日顕 師 の本 尊 であ れ ば 法
事 の時 だ け懸 け換 え て、 御 経 を 唱 え、 ま た懸 け換 え
て帰 ってく る。当 然 、法 事 の前 後 に喪 主 に対 し て、
法 事 の申 し込 みが あ れば 、 信 者 さ んが創 価 学 会 員
であ る こと が容 易 に想 像 出 来 て分 って い ても、 御 本
尊 が 日顕師 のも のか 日達 上 人 か 日寛 上 人 のも のか確
す。
る こと も、 真 剣 に考 え る こと も な い でし ょう。
そ の人 の家 に御 本 尊 を 御 安 置し ていな い状態 でも、
タと付 け焼 き 刃 で言 う でし ょう が、 法 事 さ え し ても
ら えれば良 いと思 っている人 間 は、 それ切 り連 絡 す
で い ても信 仰者 と し て認 め ると いう考 え方 が あ り ま
者 を 装 って いる池 田大 作 を離 れ て、 同 じ完 全 者 ぶ っ
て いる阿部 日顕 に変 わ る。 俺 の言 う ことを 聞 かな い
者 は成 仏 し な いぞと にら み つけ る住 職 に変 る。 人物
が変 るだ け で主 張 し て いる こと が同 じ であ れば、成
仏 の邪 魔 を し、 信 心 を 歪 め ているだ け の者 でし かな
い の であ ります 。 手 続 の師 と は 日蓮 大 聖人 並 に仏 法
に導 き手 を 継 ぐ こと を し て こそ手 続 の師 な の であ り
と分 って い ても、 自 分 が断 わ れば謗 法 の寺 院 で法 事
を す る こと が眼 に見 え て いるか ら と言 って法 事 を 受
ます 。
所 属 信 仰 、 カ リ ス マ信 仰 は、 日蓮 大 聖人 の説 く所
の信 仰 、 凡夫 個 々 の自 立 し た成 仏 を説 いた信 心 では
な い の であ り ます。
け る僧 侶 が いる。 私 は いけ な いことだと理解 し断 る。
これ か ら の時 代 、 こう いう ケ ー スは増 え ると 思 う
過去に 御 授 戒 を受 け ています 。 家 に御 本 尊 が な いか
ら御寺 で法 事 を し て下 さ いと言 えば、 それを 行 う の
か、 四十 九 日納 骨 が終 って法 燈 相 続 す る気 持 が な い
○ 御 本 尊 を 持 ってさ え いれば。 御 授 戒 を生 ま れ たば
か り の時 に でも し てさ え いれば、 現在 ど う いう考 え
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