太陽通信 - 社会福祉法人 太陽の家

Japan Sun Industries
太陽通信
挑戦!自分と未来に
2015 年 創立 50 周年
2015(H27)8
社会福祉法人太陽の家広報紙 http://www.taiyonoie.or.jp/
316
No.
が務めました。全国シルバー人材センター事業協会専務
理事の村木太郎氏は、「高齢者と障がい者の就労協働など
中村裕記念基金事業
「創立50周年記念シンポジウム」
開催される
7 月 8 日 1 4 時 か ら 本 部 コ ミ ュ ニ テ ィ セ ン タ ー で、
先進的な取り組みに期待する」と述べ、三菱商事常任
監査役の鍋島英幸氏は、「精神障がい者や高齢化への対応
「創立50周年記念シンポジウム」が開催されました。
が必要であり、先頭を走るよう希望」し、目白大学大学院
このシンポジウムは、太陽の家の創立50周年記念事業で
教授で障がい者の矢島卓郎氏は、「知的障がい者に適った
あるとともに、大分県がホスト県を務めた第25回日米
仕事開発の必要性や当事者の運営参画への期待」を説き
草の根交流サミットの一環として開催され、長野恭紘
ました。また、投資ファンド顧問でご自身も障がい者で
別府市長や草野俊介大分県福祉保健部長をはじめ行政、
ある並木秀之氏は、「太陽の家のオリジナルプロダクト
企業、福祉施設、利用者、関連企業社員や職員など県内外
を創る必要性」を指摘、日本障がい者スポーツ協会常務
から約230人が出席しました。第1部として、中村太郎
理事の山田登志夫氏は、「2020年東京パラリンピックの
理事長による「太陽の家の50年の歩み」が写真とともに
遺産に太陽の家の知見が活きることを期待し『太陽の
紹介されました。1964年の東京パラリンピック開催を
家 は 障がい者スポーツの館』であり全国へアピール
提唱した故中村裕博士の足跡や、太陽の家の開所に至る
すべき」と述べ、大分ロボケアセンターの安永好宏氏は、
歴史、オムロン創業者の立石一真氏との出会い、その後の
「今後も障がい者を雇用し続けて欲しい」と話しました。
多数の共同出資会社の創業など半世紀にわたって障がい者
の就労にどのように取り組んできたか、そしてフェス
ピック大会や大分国際車いすマラソン大会の開催とその
発展、地域との交流について説明しました。中村理事長
は、最後に「障がい者の高齢化や障がいの重度化と取り
組み、取り残される人のない社会の実現に取り組んで
いきたい」と話しました。
続く第2部では、「太陽の家の使命とこれからの障がい
者支援のあり方」についてパネルディスカッションを行い、
モデレータは読売新聞東京本社取締役の南砂(まさご)氏
草の根交流サミットの起源は今から170年以上前の幕末
の時代までさかのぼります。土佐藩の漁師だった14才の
草の根交流サミットメンバー来訪
卓球バレー体験
ジョン万次郎が遭難しているところを、アメリカの捕鯨船
7月8日、アメリカ
船長ホイットフィールドに助けられ、その後、アメリカ
から草の根交流サミッ
で養育され10年後に帰国。ペリー提督の来航時にも
トのメンバー12人が
日本とアメリカの両方を理解している人物として活躍
太陽の家を訪問しま
しました。今回、太陽の家にはジョン万次郎、ホイット
した。日米草の根交流
フィールド船長、ペリー提督、それぞれの子孫の方々が
サミット大会は、CIE
視察に訪れ、太陽の家、障がい者雇用について熱心に
(財団法人ジョン万次郎
耳を傾けていました。
ホイットフィールド記念国際草の根交流センター)の
主催で、日本とアメリカで交互に行われ、今年は大分県
での開催となりました。日本とアメリカの市民一人ひとり
が国境・言葉・生活習慣などの違いを超え、同じ人間と
して互いに心を通わせ合い、理解し合い、友情を深め合う
ことによって、日本とアメリカの良好な友好関係を築き
上げていくことを目的としています。
三菱商事太陽にて
Japan Sun Industries
富士通エフサス20周年記念式典&記念植樹
八番目の共同出資会社としてこれからも皆さんに愛される
会社としてさらに飛躍していただきたい」とお祝いの言葉
を述べました。
7月3日、
1992年富士通エフサスの協力を得て、FJ機器科を発足
富士通エフ
し、ATMのリペア事業を開始しました。現在はシステム
サス太陽株式
運用事業とリペア事業の比率が半々となり、内容も高度化
会社(堀信之
しています。社員は60人となり、うち障がい者は30人。
社長)は創立
2014年度の売上高2億8900万円で、経常利益2千万円へと
20周年を
成長しました。式に先立ち、堀社長と中村理事長によって
迎え、17日
太陽の家の正門横で記念植樹が行われ、ハナミズキが植え
別府湾ロイヤルホテルで記念式典を開催しました。式には
られ、式典後は祝賀会が盛大に行われました。
広瀬勝貞大分県知事や阿南俊晴別府市副市長、富士通エフ
サスの髙萩弘代表取締役社長、中村理事長、各関連企業の
代表、社員、FJ機器科利用者など約120人が出席しました。
堀社長は、「20周年を迎えて感無量です。障がい者の雇用を
増やして事業を拡大し、『人間成長の経営』の実践を通じて
社会に貢献したい」とあいさつ。また、中村理事長より
「ATMやパソコンの修理やメンテナンスを事業とした富士通
エフサスの誕生は障がい者に新たな職域の開拓でした。
サラ・オレインさん へ
インタビュー
納涼大会開催
サラ・オレインさんが出演(本部)
★ ★ ★ ★ ★ ★ ★ ★ ★ ★ ★ ★ ★ ★ ★ ★ ★ ★ ★ ★
7月18日、創立50周年記念納涼大会が司会にタレントの
サラ・オレインさんは7月17日
大野タカシさんを迎えて、事務局の清成さんとともに開催
大分へ到着し、その足で日出町の
されました。今回企画された○×クイズは、太陽の家の
ゆうわでミニコンサートを開きま
関係者を対象に行われた事前の予選会を通過した23人で
した。日頃ライブを聞く機会の
行われ、太陽の家や太陽の家を支援していただいた方々に
ない利用者の皆さんは大変感激し、
関連したマニアックな問題が出題されました。
いつまでも余韻に浸っていました。
ブログラムもBMXのパフォーマンスやダンス、大抽選会
サラさんは施設や病院でのボランティアに関心があり、
と盛りだくさん。特にメインゲストのサラ・オレインさん
今回の訪問を楽しみにされていたそうです。18日の納涼大会
のコンサートが始まると、過去にないぐらいの観客となり
本番では、夕方からリハーサルに臨み、本番前のわずかな
ました。2012年にデビューした、アーティストのサラ・
時間にインタビューを行いました。
オレインさんは、特別な波長と清涼さを併せ持つ美しい
歌声で魅了し、バイオリンを奏で、流ちょうな日本語を
Q1:太陽の家を見学していかがでしたか?
今までに福祉施設を訪問したことがありますか?
話します。納涼大会では、「Let it go ありのままで」や
「今日、太陽の家やゆうわを訪問し、日本で初めての福祉
「糸」などを歌っていただきました。また、アンサンブル太陽
施設を見学しました。ゆうわではコンサートもさせていた
とバイオリンで「世界にひとつだけの花」を共演し、聴衆
だき、みなさん温かく、利用者の方が職員の皆さんと一緒
を魅了しました。
に家族のように暮らしているのが印象的でした。そして、
演奏を喜んでいただき、直接お話しする時間もありとても
よかったです。
太陽の家の理念“No Charity, but a Chance”が素晴
らしいと思いました。利用者の方と職員の皆さんがお互いを
尊重して、できる限りのことをされています。このイベント
を通じて、私が皆さんから元気をいただきました」。
Q2:どんな気持ちで歌いたいですか?
「大分は初めてで楽しみでしたし、太陽の家で歌うことは
とても意味があると感じます。音楽はユニバーサルな言語
であり、音楽を通じて多くの方と時間を共有したいと思い
ます」。
アジアドリームカップ2015開催される
アジアドリームカップ2015国際車いすバスケットボール
大会が7月25∼26日、別府市のべっぷアリーナで開催され
ました。大会は九州車いすバスケットボール(渡邉祐一
会長)が主催し、大分中村病院の中村太郎理事長が会長を
務めました。大会は、車椅子バスケットボール55周年を記念
してその発祥の地である大分県で8年ぶりに開催され、
2020年東京パラリンピックを見据え競技力の向上とアジア
地域における障がい者スポーツの発展と交流促進を目的と
しています。
今大会にはチャイニーズタイペイ、ラオス、タイの選手団
と大分県選抜、九州選抜(県選抜を除く)の5チームが
参加し、25日に開会式、予選リーグ6試合、26日に予選
4試合と決勝戦が行われました。開会式には厚生労働省の
創立50周年企画
第2回
太陽の家創世記を語る
太陽の家は今年10月5日に創立50周年を迎えます。
トラックの上で第1回フェスピック大会の準備をする筆者
フェスピックは極東・南太平洋身体障害者スポーツ大会の
略で、故中村裕博士が提唱してはじまった大会であり、現在の
アジアパラ競技大会の先駆けとなった。
前号に引き続き開所当時を知る事務局の伊方博義さんに
原稿の作成をお願いしました。
【私と太陽の家のつながり】
幼いころ、祖父が近所のマッサージ師さん(その頃は、
按摩と呼ばれていた)に肩や腰を揉んでもらっていた。
その人を呼びに行くのが私の役目だった。彼は全盲だっ
た。背の高い彼は私の肩に手を置いて一緒に我が家に
やって来る。近所の遊び友達が聴覚言語障害だったし、
同級生の弟さんは脳性まひで歩くことが出来なかった。
体が不自由でもみんな仲良しで遊ぶのはいつも一緒だった。
このように私は幼いころから障がいのある人とごく自然に
触れ合いながら暮らしてきた。しかし、ある日から彼ら
が私の目の前から突然消えてしまった。当時、聾学校や
療育施設の整備が進み、任意か強制的か知らないが彼ら
はそこに移ったことを後になって知った。
高校の時、
「別府整肢園に慰問に行こうよ」と同級生に
誘われてついて行った。何度目かの訪問のとき、整肢園の
事務長さんに紹介され中村裕先生に初めてお会いした。
仏頂面の取っ付きにくい人だというのがその時の印象
村木厚子
事 務 次 官、
大分県の
二日市副
知事、八代
英太ご夫妻
などをお
迎えし、
大分県の
川添優樹
選手が高ら
かに選手宣誓を行いました。
決勝では九州選抜とチャイニーズタイペイが対決し、52対
34で九州選抜が優勝しました。3位にタイ、4位に県選抜、
5位がラオスでした。大会を通じて技術の向上が図られ、
大会後は選手同士の交流に花がさきました。
だった。
その後社会人となった私は、中村裕先生が太陽の家を
作ることを地元紙の記事で知り、先生を訪ねた。「世界一
の障がい者の工場を作るのだ」と口元に泡を溜めながら
熱っぽく語ってくれた。私には福祉の仕事は専門外だが、
生産管理なら手伝うことが出来ると思った。それが理由
で、太陽の家の開設以降、仕事の合間にちょくちょく
顔を出すことになった。中村先生から請われたわけで
なく、自分が勝手に押しかけたのであった。
【太陽の家の仕事の理念】
東京オリンピックが終わり、景気が落ち込んだタイ
ミングに、太陽の家は誕生した。思うように仕事が確保
されず、中村先生は病院の出入り業者やこれと思う患者
さんに声をかけて、仕事の提供をお願いした。その内に、
パイプ椅子メーカーから、プレス作業の話が持ち込ま
れた。その金属プレス作業では事故が時々発生した。
ある時、そのプレス機で大腿切断の人が手の指先を押し
つぶす事故が発生した。中村先生は、「太陽の家は、
障がいのある人を今以上重い障がい者にしてはならない」
と憤然としてその仕事を断った。
それから2年後、ロボット博士の森政弘先生(ロボコン
大会の生みの親、当時東大助教授)が顧問として就任
された。中村先生は「ロボットを使って手指機能がマヒ
した頸椎損傷者に木工機械を操作させたい」と、森先生
に開発をお願いした。東大生産技術研究所からエンジニア
が派遣された。市販の木工機械にエアーシリンダーを
組み込み、頸損者が口スイッチで木工機を操作出来る
ようになった。中村先生はたいそう喜んで、いろんな学会
で発表した。しかし、実のところこの機械は実用的では
なかった。材質や硬度が均一な金属と異なり、木材では
年輪という固い部分と柔らかい部分の硬度差が大きく、
加工精度を保てなかった。金属加工なら狙い通りだった
かも知れない。そのとき得たシーケンス回路の知識や
空気圧・油圧などの動力を使うアイデアはいろんな場面
で活用できた。このことが、「足りないところは科学の
力で」という太陽の家における働く障がい者支援の基本的
考え方につながった。
★グリーンカーテン∼緑化活動報告(愛知)★
緑化活動として愛知
事業本部の会議室前の
花壇をグリーンカーテン
にすることとなり、3月
に土を耕すことから
始まり消毒作業を行い
ました。4月には培養土
と肥料を入れての農作物
の育つ土へと作りかえて
いく作業を行い、朝顔
の種をまきました。
カボチャやメロンの後
には朝顔が咲くように2段構えのグリーンカーテンを目指し、
5月18日には昼休憩を利用してカボチャ・メロン・枝豆・
落花生などの苗植えを行いました。
6月にはネットを設置してグリーンカーテンへの準備は
万端となり、カボチャの花が咲き、人工授粉も行い7月に
カボチャのグリーンカーテンが完成。採れたカボチャなどは
美味しくいただく予定にしています。7月後半から8月には
朝顔のグリーンカーテンに変わっていきます。カボチャとは
また違う花のグリーンカーテン、今からとても楽しみです。
★ゆうわで野菜栽培★
7月初旬に、待望の「ゆうわファーム」が完成しました。
この場所はもともと大型空調機があった所で、跡地を有効活用
したものです。花畑が1つ、野菜畑が2つあります。ゆうわ
利用者、デイサービス利用者、ご家族、職員、ボランティア
が一緒になって、植え付けから収穫まで行います。収穫した
野菜は、職員への販売や面会で
来られたご家族へのお土産、デイ
サービスの調理実習で使ったり
と様々。早速、サツマイモ・
きゅうり・トマト・かぼちゃ等の
苗を植えました。サツマイモの
収穫時には、地域の保育園児を
招待することも
考えています。
観賞も良し、
お手伝いも良し。
皆さんが一緒に
楽しめる触れ合い
の場、憩いの場
にしたいと思い
ます。
6/16∼7/15
主な来訪者[6/16∼7/15]
6/15
6/17
6/19
6/25
6/26
〃
〃
〃
〃
〃
6/29
〃
7/ 1
7/ 2
7/ 3
7/ 7
7/ 8
〃
〃
7/ 9
〃
〃
〃
7/10
7/14
愛 知
6/18
6/19
7/ 8
指定障害者支援施設 福祥園 5人
韓国聖水総合福祉館 24人
柳川リハビリテーション学院 PT 42人
野村総合研究所 特例子会社社長 柴山様 2名 3人
大分大学付属特別支援学校 10人
厚生労働省 黒岩室長 他4名 5人
杵築市老人クラブ 15人
柳川リハビリテーション学院 OT 37人
旭川医科大学 竹光義治名誉教授
SEJONG CYBER UNIVERSITY 20人
玖珠町八幡地区民生委員 7人
別府市立亀川小学校 37人
長崎リハビリテーション学院 86人
ホンダ太陽新入社員 2人
佐伯豊南高校 50人
CYBERDYNE株式会社 尾股主任研究員
太陽の家50周年記念シンポジュームパ ネリスト 6人
読売新聞東京本社取締役 南様
三菱商事 小谷野様 朝日新聞 飛松記者
韓国東元大学 21人
日本財団パラリンピック研究会 前田様 日本経済新聞 摂待記者
日田市咸宜地区民生・委員児童委員 16人
㈱and pictures 門馬監督他 8人
小林市野尻地区民生児童委員 22人
日刊工業新聞 大櫛記者 安城市作野地区民生・児童委員 22人
栃木県那須町民生委員児童委員協議会 28人
オリンピック・パラリンピック組織委員会 副会長 山脇様他 7人
京 都
6/18
〃
茨木市春日はたけだ地区民生児童委会 19人
京都産業大学経営学部ソーシャルマネジメント学科佐々木ゼミ 39人
別 府
京 都
6/19
6/24
〃
6/25
〃
6/26
〃
〃
6/29
6/30
7/ 1
7/ 2
7/ 3
7/ 6
(株)平山 16人
枚方市立地域活性化支援センター 15人
株式会社シービジョン 2人
京田辺市 大住民生児童委員協議会 24人
九州経済産業局 2人
耳原地区福祉委員会 29人
OCB-GC代理店ご一行 14人
日新電機 3人
《日本·精品サービスと精益鍛造》研修団 18人
京都工業会 9人
中山大学 25人
中国 中小企業経営者 36人
吉田機械興業株式会社 26人
日本財団パラリンピック研究会 3人
在籍者数
区 分
就 労 移 行 支 援
就労継続支援B型
障 害 者 支 援 施 設(ゆ た か)
障 害 者 支 援 施 設(ゆ う わ)
介
護
施
設
施設利用者小計
就労継続支援A型
(サンストア)
就労継続支援A型
(福祉工場)
関 連 企 業
事 務 局
雇用労働者小計
合 計
2015年7月1日現在
別府・大分
8
184
40
0
26
258
21
(5)
41
(9)
516
(261)
141
(129)
719
(404)
977
(404)
日出
0
0
0
79
0
79
0
0
0
0
173
(62)
69
(67)
242
(129)
321
(129)
杵築
0
0
0
0
79
79
0
0
0
0
0
(0)
59
(59)
59
(59)
138
(59)
愛知
0
34
0
0
0
34
0
(0)
88
(16)
83
(6)
23
(21)
194
(43)
228
(43)
京都
0
60
0
0
0
60
0
(0)
86
(21)
37
(20)
23
(21)
146
(62)
206
(62)
計
8
278
40
79
105
510
21
(5)
215
(46)
809
(349)
315
(297)
1360
(697)
1870
(697)
( )
:障がいのない人 再掲
日出はソニー・太陽 ㈱ のみ 川崎は別府に含む。
「太陽通信」
(毎月発行) 発行責任者/中村太郎 編 集/人事・広報課 印 刷/㈱電子印刷センター
発行/〒874−0011 大分県別府市大字内竈1393番2 社会福祉法人太陽の家 TEL:0977(66)0277 FAX:0977(67)0453 E-mail:[email protected]