西安、路線バス観光 毎年4月に福島夫妻と行っているバリ島旅行に今年は行けなかった。名古屋在住中に退 職後を暮らすべく知多半島に建てた家に来冬から住む。その準備のためにかなりの出費が 見込まれるからだ。しかし行けないとなると何だか物足りない。そこで思い切って中国の 西安にできるだけ安く旅行しようと決めた。HIS の「航空券+ホテル」で行き先を「西安」 、 ホテルは「鐘楼飯店」にして安い便を探したところ、西安への直通便を利用するのではな く、セントレア(中部国際空港)から中国東方航空の青島経由の北京便に乗り、北京で乗 り継ぐという企画があった。遠回りをしてなぜ安くなるのかは分からないが、搭乗時間は 長くなっても急ぐ旅ではないのでこれに決めた。 目的地を西安にしたのは最初に訪問してから 20 年近くたち、その後どのように変化して いるかを見たかったこと、ホテルを鐘楼飯店にしたのは以前宿泊したことがあり、町のほ ぼ中心で交通の便がいいこと、比較的リーズナブルな料金であることが選定理由である。 往復の飛行機料金と4泊5日朝食付きのホテル料金で 56000 円弱。もちろん現地での昼 食・夕食代と移動にかかる費用は別である。食事はいつも通り安い食堂で、タクシーはで きるかぎり使わない、現地でしか手に入らないもの、中国で買った方が安いもの以外の無 駄な買い物はしないという原則のもとに出発した。 飛行機は 23 日の 9:00 発だが7時までには空港に行かなければならないので、いつも海 外に旅行するときには利用している東横インに前泊することにした。帰国の日の到着時間 も 21 時と遅いので 21 日と 27 日の予約を取ろうとしたが、4月・5月ともツインは満杯で ダブルしか空いておらず仕方なくダブルの部屋を予約した。 5月22日 自宅=セントレア 連れ合いの仕事の都合で家を出発したのは 18:30。サービスエリアで夕食を摂って東横 インに着いたのは 22:30。こんなに遅い時間だがホテルの玄関外やロビーのテーブルで沢 山の中国人がビールを飲んだり喫煙したりして騒いでいる。昨今のニュースで中国人観光 客が多くなっているとのことでなるほどと思う。ひょっとしてツインが取れなかったのは この中国人団体客のせいか。フロントで改めてツインの空きはないか尋ねてみたが「今日 は満室です」だった。 5月23日 セントレア~青島~北京~西安 出発の2時間前には搭乗手続きが始まるので、6 時頃朝食を摂って余裕を持ってホテルを 出ればいいと朝食場のロビーに降りてみて驚いた。ロビーは中国人客で満杯。列に並んで もとても 7 時までに食べられそうにないので 6:40 頃シャトルバスで空港へ向かう。カウ ンターには既にかなり長い列ができている。その中にカートに電気製品の段ボール箱を山 のように積んでいる中国人が沢山いる。炊飯器や湯沸かし・保温ジャー、シャワートイレ の便座などを買い込んだものだ。クレジットカードの特典を利用できるラウンジに行き、 無料で提供される生ビールとおにぎりで朝食にする。 定刻に離陸、青島着 11:00。入国手続きのために一旦飛行機を降り、大急ぎで戻って出 発。北京着は 13:00 頃。荷物を受け取って東方航空の西安行きの出る3番ターミナルへシ ャトルバスで移動。北京空港はやたら広く2番から3番への移動に 10 分もかかる。3番で 東方航空のカウンターを探しても見当たらない。案内所で聞いてみたら2番だと言う。e -チケットを確認してみたら見間違いをしていた。大慌てで再びシャトルバスに乗って遠 い2番へ戻る。東方航空を探し当ててチェックインできたのは 14:40。西安に向けて離陸 したのは 15:05。危ないところだった。移動で大汗を搔いてしまった。 17:00 西安咸陽国際空港着。案内所で聞いたところ、空港からはタクシーで直接ホテル に向かうか、城壁西門(安定門)の更に外側にある西稍門空港バス発着場まで 50 分ほどバ スに乗り、そこからタクシーなどを利用するしかないようだ。西稍門からホテルまでは近 いので空港バスに乗る。バスを降りたところに三輪のミゼットタクシー(?)がいたので ホテルまでの料金を交渉して乗る。20 元。この三輪タクシーは車両扱いを受けないらしく 歩道を平気で走るし、一方通行も逆走する。10 分足らずで鐘楼飯店到着。目前に鐘楼があ り、立地としては最高の場所だ。建物も室内の調度品もかなり古くなっているが料金から すると十分だ。 19 時頃出て近くの回民街(イスラム教徒:回教徒の町で、露天店で食事などができる。 西安の観光名所の一つ)へ歩いて行く。土曜日のせいかものすごい人でまっすぐ歩くこと もできない。串焼肉の煙、店舗から発する大音響の呼び込み音、人・人・人で圧倒される。 どこかの店に入って食事をと思って覗いて見るけれどどこにも「啤酒(ビール) 」の文字が ない。そうだ、ここはイスラム教徒の町だから酒はないんだ。ビールを飲みながらあの串 焼きの羊肉食べたい!。日本からツアーで行くとガイドは露天店の食品は絶対食べるな言 うけれども。それ以外にも味の着いた牛肉や羊肉を細かく叩いてパンのような物(莫)に 挟んだ肉夾莫、莫を細かく砕き羊肉のスープに入れた羊肉泡莫(牛肉の泡莫もあり) 、きし めんのような幅広い麺に辛いたれをかけた麻醤涼皮、イカや蟹などを串に刺して油で揚げ たものなどなどうまそうなものがいっぱいある。西安の最初の夜は食事しながら乾杯と行 きたいので回民街での食事はあきらめた。あちこち歩いてようやくホテルに近い裏道のど ん詰まりにあった「川渝小厨」という小さな食堂に腰を落ち着けたのは 21 時半。渇望して いたビールで乾杯。ビールを3本飲み、料理を4品食べて料金は 64 元。日本円にして 1200 円くらい。倹約の旅としてはまずまずの第一日目だ。 5月24日 西安市内(城壁内) 今日は日曜日なので観光地はどこも人で溢れているだろうと、ホテルから歩いて市内を 動き回ることにする。朝食を 7 時頃食べに行ったが宿泊客は少ないようだ。昨日の東横イ ンとは大違いだ。料理の品数は多くないがまあまあ。中国に来たときはいつも朝食はお粥 と卵料理、野菜の炒め物、ソーセージなどが定番だ。9時頃出る。外は日差しが強く暑い。 まず回民街入口にある鼓楼に上ってみる。入場料は 35 元と意外に高い。連れ合いはパスポ ートのコピーで 65 歳以上は免費の特典を利用する。明日行く予定の兵馬俑もひょっとする と特典があるかも知れないので持参しよう。鼓楼だけあって人間の身長より大きな太鼓が いくつもある。昔は時を知らせたり緊急事態を知らせたりするときに使ったようだ。二層 目の舞台では太鼓を使ったパフォーマンスが演じられていた。 昨晩来た回民街にある清真寺(イスラム寺院)に行ってみる。寺に続く狭い土産店街を 通り清真寺へ。住宅街のまん中にあり静寂な雰囲気の寺院だ。左右の幅はせいぜい 30mく らいだが奥行きはかなりあって一番奥に広い本堂がある。中東にあるモスクとは全く違い、 まるで仏教の寺の様相だ。始皇帝が中東風のモスク様式の建造を許さなかったのでこのよ うな建造物になったという。本堂がいわゆるモスクで、多くの人が跪いて祈りを捧げるの で床には絨毯が敷かれている。入場料 30 元。寺院を出て土産物店で強い日差しを遮るキャ ップを買う。150 元と言われたが値切って 50 元にする。昨晩歩いた回民街に出て小さな店 舗の間を見物しながら歩く。食堂や串焼き屋の他に大きな棗、胡桃などの干し果物類の店、 大きな板の上で小麦のグルテンを杵で叩いて飴を作り、それに胡麻や花生(落花生)など を混ぜて板状に延ばして切った飴菓子を店先で作っている店、近郊で作った葉巻のような 煙草や小さな木工品を売っている店、自作のヨーグルトやその場で絞ったジュースなどの 飲み物店などなど歩いていて飽きない。○○面と書いた麺類があり、○に当たる字がやた らと画数の多い見たことのない漢字で読めない。店員に聞いてみたら「biang」と読むらし い。だからこれは biang biang 麺と言うもののようだ。帰ってから画数を確認したら 62 画だった。書くとすればこの一字で縦3行、横6文字分くらいのスペースが必要だ。 昼飯は回民街を出たところにある餃子の店で食べることにする。 「徳発長安餃子」という、 日本から行くツアーも必ず寄る有名な店だ。メニューを見るとやはり観光客相手の料金だ。 3種類の餃子各3個の乗った蒸篭と、小さい蝦餃子が8個乗った蒸篭各一籠にビール一本 で 86 元。昼飯にこんなに出しては倹約の旅にならないと反省。一旦ホテルに帰って休憩。 15 時頃暑い中を東大街散策。上海の淮海路のような大店舗の並ぶショッピング街だ。店 先に特売品を並べているところでゴルフで使う白い皮ベルトを 10 元で買う。昨晩観たTV の天気予報の 33℃は当たっている。日陰に入ると汗が引くのは松本の夏のように湿度が低 いせいだろう。 暑い中の散策をやめて、明日の兵馬俑行きバスの出発場所を確認に行こうと西安駅行き のバス停を探す。バス停には停車するバスのナンバーとその経路が表示されているので西 安駅を通るバスを探せばいい。611 のバスに乗って西安駅に向かう。ワンマンバスで料金は 2元。地下鉄やコンビニでも使える交通カードを利用すると1元でいいらしい。西安駅東 広場が兵馬俑行きのバス発着場で指定の場所に並んで待てばいいようだ。 18 時過ぎに昨日夕食を食べた店に行く。ホテル周辺の表通りには普通の食堂は見当たら ない。余りにも中心街だからだろう。店では女店主が「回来了!」と顔を覚えてくれてい た。昨日はわざとそうした訳ではないのに、結果として注文したのは野菜料理ばかりだっ た。ベジタリアンではないので今日は肉料理も頼むことにする。 20 時頃帰る。今日はよく歩いた。身につけているカロリー消費計では 15000 歩を超えて いる。早く寝ると早く目が覚めてしまうので、眠いけれどすぐ寝るわけにはいかない。 5月25日 兵馬俑、回民街 6時起床。すぐ朝食を食べに行く。館内のレストランだがまだ開いていない。時間を確 認したら 6:30 から。一旦部屋に戻って出直す。7時にホテルを出て近くのバス停から 611 番の西安駅行きに乗る。兵馬俑行きのバス乗り場には列ができているがまだ人はそう多く はない。係員の誘導で先頭から座れる人数だけを乗車させている。一杯になってもしばら く待てば次のバスが来るという極めて合理的なやり方だ。幸いすぐ乗ることができた。1996 年の国慶節休みに来たときは、きちんと並ばない中国人に押しやられてなかなかバスに乗 れなかったし、やっと乗れたものの立ったまま兵馬俑まで揺られて行った。前回の料金が いくらだったか覚えていないが、今回の乗車料金は一人7元。ちょうど通勤時間帯なので 市内に入ってくる方はひどく渋滞しているが、出て行く方もかなりの渋滞だ。道路は舗装 はされているもののホコリがひどい。それを抑えるために散水車が走り、そのあとをロー ドスウィーパーが走って清掃している。何も渋滞する時間帯にやらなくてもいいのに。郊 外に出ると道路沿いは柘榴の赤い花が目立って多い。秋には大きな実をつけるのだろう。 田んぼは見えず、殆どが果樹園や畑だ。華清池(唐の玄宗皇帝と楊貴妃が好んだ温泉付き の宮殿跡)を経てほぼ 9:00 に兵馬俑到着。広大な公園になっていて、バスの発着場周辺 には土産物店やレストランが多い。時間が早いので観光客もまだ少ない。200mばかり歩い て入場券を買う。何と 150 元(約 3000 円)もするのだ。ここでも免費の特典があるようだ が、パスポートのコピーは持参したものの陝西省の住民であることを示す証明書がない人 はだめと書いてある。公園の入り口を入ったところにカート乗り場がある。歩きたくなけ ればカートに乗って行けるとのことだが、歩いたらどのくらいかかるか聞いたところ 10 分 ほどと言う。150 元も出費したのでカート代5元をケチって歩くことにする。少し上り坂で はあるが、低い木立の中を歩く道はなかなかいい。しかし今日も暑い。汗を搔いてようや く 1 号抗前にたどり着く。以前来た時は入り口を入るとすぐ1号抗だった。始皇帝の墓所 である驪山も含めて大規模な公園に整備されたようで、バスの発着場や駐車場はずっと手 前に移動させたらしい。 1974 年の最初の発見から現在までに兵馬俑は 1 号抗、2 号抗、3 号抗と発掘されている。 抗内は発光させなければ写真撮影可。兵馬俑の「俑」とは陶製の副葬品のこと。つまり兵 や馬をかたどって造られた始皇帝の墓の副葬品ということである。1 号抗から 3 号抗まで合 わせて約 8000 体の兵俑、600 体の馬俑が埋蔵されているとされる。そのうち 1 号抗には兵 俑、馬俑の 6000 体があり、東西 230m、南北 63mの最大の抗だ。まだ全部は発掘されて おらず、現在も発掘、修復が続けられている。兵俑には将軍俑、軍史俑、兵士俑などの種 類があり、鎧を身に着けているものいないもの、武器を持っているもの持たないものなど の違いもある。さらに身に着けた鎧や服装にも違いがある。兵俑の平均身長は 180 ㎝で一 体一体全て顔が違っている。1 号抗が主力部隊のようだ。2 号抗には弓矢部隊、戦車部隊が 配置され、1300 体の兵馬の俑がある。さしずめ 2 号校は機動部隊ということか。3号抗に は 72 体の兵馬の俑がありこれが指令部隊のようだ。2・3号抗もまだ一部が発掘されてい るだけだ。秦始皇帝兵馬俑博物館も併設されていて、そこの目玉展示品は2台の銅馬車だ。 いずれも4頭立てだが、1台は傘様の屋根の下に御者が乗っているもの、もう1台は貴人 が乗る屋根つきの箱車の前に御者が座っているものである。これは 1980 年、始皇帝陵付近 の土中から粉々の状態で発見されたものを復元したものである。実物の1/2大で精緻に作 られた青銅製の馬と馬車の復元作業には膨大な時間と労力が必要だったようだ。馬車の内 側は様々な顔料を使って絵や図案が書かれている。始皇帝陵には広大な地下宮殿があるこ とが分かっているが、まだ発掘調査はなされず詳細は謎のままのようだ。 時間が経つにつれ団体客などがどんどん増えてきた。2時間ほどで見学終了。続けて驪 山にも行けるようになっているが、まだ地下宮殿の発掘はされていないので兵馬俑見学を 終了して朝着いたバス停まで戻る。えー、こんなに車があるよ!。朝は車のいない駐車場 を横切って歩いて来たことを知る。乗って来たバスよりも出発が早いというので、異なる 路線の西安駅行きに乗車する。1元高くて8元だった。なるほど途中の営業所に寄ったり 団地の中を通ったりする。人家もなく停留所とも思えないような所で手を挙げていると停 車もする。道路傍では籠やリヤカーの上にサクランボや杏を山のように積み上げて売って いる。当然車で通る観光客を相手にしているのだろうが、こんなに沢山の売り手がいて全 部が儲かるのだろうかとつい余計な心配してしまう。1時間ほどで西安駅に戻ると、バス の駐車場は兵馬俑以外の様々な方向に出発するバスで一杯。駅前の定食屋に入って昼食。 定食とは別に肉夾莫があったので一つ注文してみる。定食は米飯がひどく不味かったし肉 夾莫もあまりうまいとは言えなかった。この店に入ったのが間違いだったようだ。611 バス でホテルまで帰って休憩と昼寝。 17 時はまだ日が高いが散歩と夕食に出る。今日もまず回民街へ。昨晩ほどの賑わいはな いものの今日もかなりの人出だ。ビールがないのは残念だが今日は紅柳羊肉串を食べる。 紅柳の枝で羊肉を突き刺して炭火で焼いたもので非常に美味。一本 10 元。明日は牛肉串を 食べてみようかなどと話しながらぶらつく。探すのが面倒なので昨晩行った食堂「川渝小 厨」に今日も行く。串肉を食べたあとだから控えめに注文料理は2品にしてビールを飲む。 2品の料理にはいずれも満足できた。 今日もトータル歩数は 15000 歩を超えた。さすがに脚が草臥れている。 西安は漢王朝の時代には長安と呼ばれ、西安と呼ばれるようになったのは明代からであ る。約三千年前の周王朝以降、唐王朝まで何代もの王朝の都(みやこ)として栄えたが、 度重なる戦乱や、王朝交代時に際して古い建物を壊して新しい建物の資材としたことなど どにより古い木造の建造物はほとんど残っていない。残っているのは唐王朝時代の大雁塔 や小雁塔などのレンガを建材とした建造物である。 周王朝が没落し、群雄割拠の戦国時代を制して中国全土を初めて統一したのは秦の始皇 帝で、彼は現在の西安に隣接する咸陽を都とした。彼は即位するとすぐ自分の陵墓造りに かかったが、その陵墓が驪山陵であり、その麓に陵墓を守るための副葬品として陶製の数 千体の兵士俑と数百体の馬俑を埋めた。これが兵馬俑である。 長安がシルクロードの東の起点として遠くヨーロッパとの交易が始まったのは漢王朝の 時代で、当時長安はアジアで最も先進的な国際都市であった。シルクロードの交易で長安 に住み着いたイスラム教徒の町が回民街である。 5月26日 陝西歴史博物館― 大慈恩寺(大雁塔)― 青龍寺― 興慶宮公園 陝西歴史博物館は所蔵品の数からも、陳列室総面積からしても中国を代表する博物館の 一つである。国宝級の宝物も多いが、展示されているのは全所蔵物の1%程度だそうだ。 前回も参観したが今回もぜひ行きたいと思い、9時頃ホテル前から博物館を通るバスに乗 った。博物館の停留所の手前で玄関から外の道路まで伸びた長蛇の列が見えた。複数の人 が横並びになった長蛇である。何か特別な展示がされているためかも知れないが、列の最 後部に並んでいつ入館できるかわからない。咄嗟の判断でバスを降りるのをやめた。残念 ながら今回は陝西歴史博物館は諦めよう。次のバス停が大雁塔なのでここで降車する。バ ス停から 300mくらい歩いて大慈恩寺(大雁塔を持つ寺院)の側面に出た。どちらが入り口 か分からないので左回りに外壁をたどってみたら何と裏側に出てしまった。仕方なくその まま外壁に沿って進み、ほぼ一周して正面に出た。正面には大慈恩寺に背を向けた形で玄 奘法師の立像がある。前回にはなかったと思うのでこれは新しいもののようだ。入場料 50 元。大慈恩寺は唐代に建造されたが、唐代末期の戦乱で焼失した。現在の寺は当時の 1/10 ほどの規模しかない。大雁塔は玄奘がインドから持ち帰った経典や仏像を納める場所とし て大慈恩寺境内に建立された。煉瓦を主体とした建造物なので消失を免れた。鮮やかに彩 色された釈迦三尊像などを拝観してから本堂の背部に立つ大雁塔まで行ったが、塔に上る には別途料金が必要とのことで遠慮する。 大慈恩寺前のバス停で青龍寺を通るバスを探し 19 番に乗る。地図で見るとそう遠くはな い。窓外の雰囲気が変わってきて下町の工場街のような街並に入った。地下鉄工事が進ん でいて道路は埃っぽく所々進路を遮られる。青龍寺バス停で降りたものの周りの建物の中 に寺院のようなものは見当たらない。小さな店の前に座っていたおばあさんに青龍寺の場 所を尋ねる。バス停より 100mくらい手前の信号を右に行けとのこと。地下鉄工事でバス停 が少し移動したらしい。右に曲がったらすぐ違うバス停があった。次に行く予定の興慶宮 公園を通るバスがあるかどうかを確認したところ幸いにも 408 番のバスが通る。それを見 てさらにしばらく行くと左手の高台にそれらしい建物が見えた。坂を上りようやく正面に 出る。 青龍寺は唐代の高僧恵果阿闍梨がいた寺で、空海が恵果のもとで密教の修行をしたこと で知られている。空海は死期の近い恵果のもと、半年で密教の全てを伝授されたという。 修行ののち帰国した空海は高野山に金剛峯寺を建立し、真言宗の開祖として布教に努めた。 清龍寺はいつの頃からか寂れて形もなくなっていたが 20 世紀後半に遺跡が発見され、規模 は昔に及ぶべくもないものの再建された。西安市、中国仏教協会、日本の四国4県・真言 宗門徒の協力により空海記念碑が 1992 年に、恵果空海記念堂が西安市と日本の真言宗の手 で 1994 年に建造されている。夢枕獏の小説「沙門空海唐の国にて鬼と宴す」は、留学僧と して遣唐使とともに長安を訪れ、修行した空海を題材にしたものである。空海とともに入 唐した最澄は天台山で修業し帰国後天台宗の開祖となっている。 正面を入ったところに座っていた係員に入場料はいくらかと尋ねたところ無料という。 やはり中国では観光地として扱われてはいないようだ。歩き始めたら後ろから日本語で「日 本語でガイドしましょうか」と女性が声をかけてきた。 「有料なら結構です」と言ったら「料 金は必要ありません」とのことでお願いすることにした。境内には四国4県から寄贈され た沢山の桜の樹があり、春には桜見物に多くの市民が来るそうだ。記念碑にも四国4県の 協力があったとのことで「何故四国4県が」と思っていたら、四国八十八か所札所巡りと の関係のようだ。青龍寺がゼロ番所で最後が金剛峯寺になるという。八十八か所巡りを実 行する人たちが朱印帳にゼロ番を押すためにここ清龍寺を訪れるそうだ。最後に展示館に ある土産物店に案内され「安いので買いませんか」と言われたが丁寧にお断りした。 来るときに見た次の目的地「興慶宮公園」を通るバス停で 408 番のバスを待つ。太陽が 照りつけ、暑いし埃っぽい。何台か違うバスをやり過ごし 15 分ほど待ってバスが来た。 興慶宮は玄宗皇帝が政務を執った宮城で、春は牡丹の咲く興慶宮で、夏から冬は華清池 で楊貴妃とともに過ごした。現在の興慶宮公園は宮城の跡地を公園として整備したもので あるが、かつての宮城の半分以下の広さしかない。狭くなったとは言え 50 万㎡もある。公 園の一部は遊園地になっていて休日には子供連れの家族の憩いの場所になっている。遊園 地に近い木々に囲まれたところにひっそりと阿倍仲麻呂の記念碑が立っている。これを見 るために興慶宮公園に来たのだが、日本人の建てたこの碑の阿倍仲麻呂がどんな人物であ るかに中国人は興味も持たないのではないか。阿倍仲麻呂は留学生として遣唐使とともに 玄宗皇帝の即位間もない頃長安に来た。中国名を晁衡として勉学に励み、若くして科挙試 験の進士に合格した。その後唐王朝の役人として立身出世を遂げ、詩人李白などの文化人 との交流も深まり帰国の意思をなくしていた。50 歳を超えて玄宗の許可も得て帰国する際 に詠んだとされるのが「天の原ふりさけ見れば春日なる三笠の山に出でし月かも」の歌と され、安部仲麻呂記念碑の左側面に刻まれている。日本に向けて出港した船は航路中途で 嵐に遭って遭難し、仲麻呂の訃報が長安にもたらされた。李白は仲麻呂の死を悼み「晁卿 衡を哭す」という七言絶句を作った。これが記念碑の右側面に刻まれている。遭難した仲 麻呂は流されて安南(現ベトナム、当時は唐の一部)に漂着した。その後長安に戻ること ができたが死ぬまで日本に帰ることはなかった。平日ということもあり、公園内は年配者 が散策しているだけで静寂に包まれていた。 入ったところとは別の出入り口から公園を出て、すぐ前にあったバス停でホテル方面に 行くバスを探す。ありがたいことに7番のバスが鐘楼を通る。木陰で日差しを避けながら バスの来るのを待つ。ちょうど目の前に西安交通大という理系の名門校があった。 ホテルのすぐ西側にあるビルの4階に規模はそれほど大きくないがフードコートのある ことを発見し、遅めの昼食を食べた。中央にテーブルと椅子があり、両側にそれぞれ特徴 を持つ料理の店舗が並んでいる。陝西料理が中心だが多くの中から好みの料理がチョイス できるのがいい。入ったところでプリペイドカードを購入し、各店舗でカードで清算する。 食べ終わって出るときにカードの残額を現金で戻してくれる。上海のフードコートと同じ システムだ。周りの客が慌ただしく動くので、昼飯はまだしも夕食をゆっくり楽しみなが ら食べるような雰囲気ではない。 一昨日鼓楼が高齢者割引が利いたのであわよくば鐘楼もとパスポートのコピーを示して みたら、 「中国国民だけだ!」とけんもホロロ。そんな言い方するんなら金払ってまで入っ てやるもんか! 夕方今日も回民街に行く。少しお土産を買って、串焼肉を今日も食べよう。飴菓子はゴ ルフ仲間に、落花生の唐辛子炒めは 30 日にキングサーモンでおこなわれる「ソバの会」の ために。インスタント食品に加工して売っている羊肉泡莫、牛肉泡莫(各8元)、biang biang 麺(15 元)はここで食べられなかった自分のための土産として買った。牛串にしよ うとも思ったがやはり羊串にする。うまい! 夕食は4日続けて「川渝小厨」に行く。料理3品にビール3本。女店主が声を掛けてき た。「どこの国の人?」。「日本人だよ」。「韓国人かと思った」 。そう思うかも知れない。日 中関係が悪くなって数年前までは安いツアーの行き先として目玉だった中国ツアーは今ほ とんど出ていない。その中でも西安は大人気だったはずだ。今回もこちらで日本人を3日 間見ていない。日本人客は今ほとんど来ないということだ。 「明日帰国するよ」。 「また来て ね。待ってるよ」 。もし西安にまた来る機会があったら来てみよう。それまでこの店はやっ ているかどうか。今日歩いた歩数は 16000 歩を超えた。 5月27日 南門、西安空港~上海~セントレア 朝食を遅めに食べてから荷物をまとめる。出発までには時間があるのでバスで城壁の南 門まで行って来ることにする。ホテル前のバス停で待っていた 35 番に乗りこむ。こちらが 日本語を話していたので外国人と判断した女性運転手がどこまで行くのか聞いてきた。南 門と答えると、 「歩いてもすぐだよ。それにこのバスの南門のバス停はかなり城門から離れ ているよ」 。乗車料金2元は乗車のとき入れてしまったのでこのまま乗って行くことにする。 降りて7・8分歩いて戻り南門の入り口に着く。カメラの電池切れで写真はこれ以降撮れ ない。54 元払って城門の中に入り、急な階段を登る。70 段もあって息が切れる。城壁の上 は景色がいい。天気がいいのでかなり遠くまで眺望が利くが、高い建物が増えているので 昔風の景観は城壁周りにしか見えない。 旧市内を囲んでいる高さ 10mを超える城壁は明代に造られたもので、黄土を突き固め、 その外側を黄土を焼いた煉瓦で覆った堅固なものである。煉瓦の継ぎ目は石灰、餅米、キ ウイの汁を混ぜたセメント(?)で接着されているそうだ。しばらく眺めてから帰りは歩 くことにする。運転手が言ったとおり 10 分ほどで着いてしまった。 ネットの口コミ情報で、鐘楼付近の美倫ホテル前から空港行きのバスに乗れると書いて あった。ホテルのフロントで美倫ホテルの場所を聞きバス停を探しに行く。行ってみたら ビルの壁に「美倫飯店」と消えかかった文字で書いてある。ホテルはもうなくなってしま ったようだ。バス停も見当たらない。あの口コミ情報はかなり古いものだったんだろう。 来たときの逆をたどってホテルから西稍門に行き、そこから空港バスに乗るのが正解のよ うだ。 荷物を持ってフロントに行きチェックアウト。チェックインしたときにカードから引き 落とされたデポジット金額をカードに戻してもらう。追加料金はなし。ベルボーイにタク シーを頼んだら、外まで出て拾ってくれた。玄関前は広い歩道でタクシーは入ってこない。 西稍門までのタクシーのメーター料金は 13 元。やられた! 来たときの3輪タクシーは最 初 30 元と吹っかけてきたので 20 元まで落とさせて成功したと思っていたが、メータータ クシーに乗った方が安かった。どうりで3輪タクシーのおばちゃん 20 元受け取ってうれし そうな顔してたもんな。こういうこともある。 待っていた空港バスで西安咸陽空港へ。空港ビルは新しく、天井が高くて明るい。搭乗 手続きを待つ間、空港内をブラついていたら初めて日本人を見た。男性二人が日本語を話 しながら歩いていた。東方航空のカウンターで搭乗手続きを済ませ、昼飯にする。同じフ ロアーにいくつものレストランがあるが、何と味千ラーメンの店がある。上海には市内だ けでも 10 店舗くらいあると思うが西安まで進出して来たか。そう言えば鐘楼飯店の付近で 日本料理店の看板を見かけた。 20 年ばかり前からこれまで、中国で自分から日本料理を食べたいと思ったことはほとん どない。日本では毎朝味噌汁、夕食には刺身が欠かせない自分がである。中国料理が合っ ているのかも知れない。それと関係する訳ではないが、食事を安く済ませようと思ったら まず日本食では無理だ。ラーメンやカレー、牛丼などを除き、中国の日本食は高すぎる。 セキュリティチェックで機内持ち込み用のバッグを開けろと言われた。何をチェックす のかと思ったら、漢字クロスワードの雑誌と島田荘司の文庫本「写楽―閉じた国の幻」の ページをめくって見ている。漢字の一部は読めるだろうが何を見たかったのだろう。 ” OK! Thank you very much,” だと。 15:00 離陸。上海浦東空港に降りて出国手続き。1時間遅れで雨の中をセントレアに向 けて離陸、セントレア着 21;40.荷物の出て来るのももどかしく、大急ぎで東横インシャ トルバスのバス停へ。10:00 が最終だから無理かなと思ったら待っていてくれた。荷物を 引っ張って 10 分も歩かなくて済んだ。運転手に今日も中国人客は多いかと聞いたら、貸し 切りバス 40 台分の中国人客が入っているとのこと。1台 30 人としても 1200 人も入ってい ることになる。また明日の朝食もなしか。明日は8時頃出発できればいいので大丈夫かも 知れない。 西安も中国の経済発展の恩恵(?)を受け、北京や上海ほどではないけれど建物は高層 化し、近代的な設備を持つ新しい建造物が街並を変えている。郊外には 50 階を超えるアパ ートが林立し、工事の進行中のものも多い。古都ではあっても木造の古い建造物はほとん ど残っていないので、残っているのは石や煉瓦の構造物(城壁、塔)だけである。これに 関しては 20 年前と変わることはない。世界文化遺産や古い遺跡は公園として整備が進み、 多くの観光客を受け入れられるように変わっている。バス路線も充実して移動が容易にな った。すでに2路線ができている地下鉄は現在新路線を建造中だ。20 年前に比べると当然 ながら大きな変化を遂げているし、今現在まだ進化の途中でもある。 今回の旅で印象に残ったことの第一は、4日間路線バスを多用した中、席を譲られたこ とが3回もあったことである。普段日本で公共交通機関はそう利用する方ではないにして も、70 歳を超える前から日本で席を譲られたことは皆無である。譲ってくれたのは3人と も若者で、男性2人、女性 1 人だった。これを以て中国人は敬老精神が旺盛だと決めつけ るわけではないが、考えさせられるものがある。様々な面で中国人のマナーの悪さは経験 してきているが、若者は変わりつつあるのかも知れない。交通ルールを守らなかったり、 携帯電話で電車やバスの中で大声で話しているのはほとんどが中年のおじさん、おばさん たちだ。こう考えるとこれからの日中関係にも明るい未来が開けるのではないかと期待す るのは甘すぎるか。 5月というのに真夏並みの気温の中をよく歩いた。涼しければ観光する場所ももっと増 えたと思う。華清池や半坡遺跡は前にも行ったがもう一度見てもいい。少し遠いが乾陵(唐 代の高宗皇帝とその皇后則天武后の陵墓)へも行ってみたい。碑林博物館では多くの石像 や石碑が展示されているがここはもういい。路線バスを使った観光も楽しかったが、高齢 者には体力的にいささかきついものがあったことは否めない。 4・5年前には1万円が 700 元以上あったものが1昨年は 600 元前後、アベノミクスに より更に下がって昨年から 500 元程度の価値しかなくなってしまった。今回は 498 元。 円安の影響は年金暮らし老人の海外旅行には大打撃だ。くたばれアベノミクス!! 4泊5日の西安旅行料金( 一人分 、1元=20 円として計算 ) 往復飛行機代 + 朝食付きホテル代 = 55600 円 現地食事代(二人分を2で割った) = 241 元 = 4820 円 現地交通費 = 129 元 = 2580 円 観光地入場料 = 317 元 = 6340 円 合計 69340 円
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