WIJC151122感謝祭「10人癒されたのでは?」Eng

2015 年 11 月 22 日 Nov 22, 2015
聖書:ルカによる福音書
聖書:ルカによる福音書 17 章 11-
-19 節 タイトル:癒されたのは
タイトル:癒されたのは 10 人では?
Luke 17:11-19
Were not all 10 people healed?
そして,エルサレムに進んで行かれる途中,[イエス
そして,エルサレムに進んで行かれる途中, イエス]はサマリアとガリラヤの真ん中を通っ
イエス はサマリアとガリラヤの真ん中を通っ
12
ておられた+。
ておられた 。 そして,ある村に入って行かれる際に,十人のらい病+の人が彼に出会った
そして,ある村に入って行かれる際に,十人のらい病 の人が彼に出会った
が,彼らは遠く離れたところで立ち上がり, 13 声を上げてこう言った。「イエスよ,先生,わ
たしたちに憐れみをおかけください+!」
それで,彼らを見かけた時,[イエス
イエス]はこう言わ
たしたちに憐れみをおかけください
!」 14 それで,彼らを見かけた時,
イエス
はこう言わ
11
れた。「行って,自分を祭司たちに見せなさい+」。すると,出かけて行く途中で,彼らは清
れた。「行って,自分を祭司たちに見せなさい 」。すると,出かけて行く途中で,彼らは清
められたのである+。
そのうちの一人は,自分がいやされたのを見て,大声で神
められたのである
。 15 そのうちの一人は,自分がいやされたのを見て,大声で
神の栄光をた
たえながら+戻って来た。
そして,[イエス
イエス]*の足もとにうつ伏して
の足もとにうつ伏して+感謝した。しかも,そ
たえながら
戻って来た。 16 そして,
イエス
の足もとにうつ伏して
感謝した。しかも,そ
17
れはサマリア人であった
った+。
れはサマリア人であ
った
。 イエスは答えて言われた,「十人が清められたのではありませ
んでしたか。では,ほかの九人はどこにいるのですか。 18 神に栄光を帰するために戻って来た
のは,この他国の人のほかにはだれもいなかったのですか」。
のは,この他国の人のほかにはだれもい
なかったのですか」。 19 そして,その人にこう言われ
た。「立って,出かけて行きなさい。あなたの信仰があなたをよくならせた*のです
のです+」。
た。「立って,出かけて行きなさい。あなたの信仰があなたをよくならせた
のです
」。
Luke 17:11-19 New International Version (NIV)11 Now on his way to Jerusalem, Jesus traveled
along the border between Samaria and Galilee. 12 As he was going into a village, ten men who had
leprosy[a] met him. They stood at a distance 13 and called out in a loud voice, “Jesus, Master, have
pity on us!”14 When he saw them, he said, “Go, show yourselves to the priests.” And as they went,
they were cleansed.15 One of them, when he saw he was healed, came back, praising God in a loud
voice. 16 He threw himself at Jesus’ feet and thanked him—and he was a Samaritan. 17 Jesus asked,
“Were not all ten cleansed? Where are the other nine? 18 Has no one returned to give praise to God
except this foreigner?” 19 Then he said to him, “Rise and go; your faith has made you
well.”Footnotes: Luke 17:12 The Greek word traditionally translated leprosy was used for various
diseases affecting the skin.
序
論
●今
今週は、クリスマス、イースターと並んで、アメリカの
クリスマス、イースターと並んで、アメリカの最大行事
アメリカの最大行事の一つ
最大行事の一つ、
の一つ、「感謝祭」を祝
「感謝祭」を祝う週
である。
This coming week we’ll celebrate Thanksgiving, which is more widely celebrated in American than
all other holidays, Christmas and Easter included.
●「
「感謝祭」
」の前後は、アメリカで最も人々が移動するとき、旅
感謝祭」、即ち、「
、即ち、「Thanksgiving Day」
の前後は、アメリカで最も人々が移動するとき、旅
行者が多いときと言われる。主には、家族に、友人たちに会い、共に楽しいときを過ごすた
行者が多いときと言われる。主には、家族に、友人たちに会い、共に楽しいときを過ごすた
めであるが、その数は 4300 万人以上になると言われる
以上になると言われる。
と言われる。
Namely on Thanksgiving Day (and the days before and after), is when so many Americans travel,
that it is dubbed the most heavily travelled day. Going to see friends, family and getting together
to enjoy the holidays, more than 4.3 million people are said to be on the roads every year then.
●しかし、この
しかし、この米
しかし、この米国で「一体、この日が
国で「一体、この日がなぜ国民的な休日として祝われるようになったのか」「な
「一体、この日がなぜ国民的な休日として祝われるようになったのか」「な
ぜ『感謝祭』と呼ばれるのか」などということを考える人は、
ぜ『感謝祭』と呼ばれるのか」などということを考える人は、どんどん少なくなっているよう
ばれるのか」などということを考える人は、どんどん少なくなっているよう
に思われる。
However, I think that now very few people actually sit back and reflect on:“Why is it that this day
became such a celebrated day among people?””Why is it called Thanksgiving?”
1
●先日も「感謝祭」の日にアメリカの人々は何をするのかということを、短期の予定で
先日も「感謝祭」の日にアメリカの人々は何をするのかということを、短期の予定で日本から
先日も「感謝祭」の日にアメリカの人々は何をするのかということを、短期の予定で日本から
来ている方に話していたら、「まるで日本のお盆みたいですね」と言われた。「親戚が、知り
合いが、集まる時」という意味でいうなら、正にそのとおりである。
Yesterday while talking to a short term visitor from Japan and explaining what Americans do on
Thanksgiving, the visitor said “It’s a lot like Obon in Japan, isn’t it?”Well, if you consider that
it’s a holiday and chance to gather friends and family together; that’s not too far off the mark.
●しかし、
しかし、この「感謝祭」の
しかし、この「感謝祭」の最近の
この「感謝祭」の最近のもう一つのイメージは、
最近のもう一つのイメージは、「ショッピング・デー」としての
もう一つのイメージは、「ショッピング・デー」としての
イメージである。
イメージである。即ち、
である。即ち、「サンクス・ギビング・デー」そのものの
即ち、「サンクス・ギビング・デー」そのもののことより、その翌日の
「サンクス・ギビング・デー」そのもののことより、その翌日の
「Black Friday」
」、更には、「Grey
Thursday」と呼ばれる
」と呼ばれる、正にクリスマス(ホリデー)ショ
、更には、「
」と呼ばれる、正にクリスマス(ホリデー)ショ
ッピングの
ッピングの「始まり」
「始まり」を告げる
を告げる「
「
大安売り」
大安売り
」
、「大特売」
大特売」の方に人々の関心が移っているよ
グの「始まり」を告げる
うに見える。
However, Thanksgiving has recently also has the image as “Big Shopping day! “such that “Black
Friday” is more the main attraction now than “Thanksgiving Day” itself. It’s already called
“Grey Thursday”, before the big bargain day to start off Holiday (Christmas) shopping
●今や、米国の「感謝祭」は、その名前の意味するところを
今や、米国の「感謝祭」は、その名前の意味するところを、
今や、米国の「感謝祭」は、その名前の意味するところを、遠い昔のこととして歴史の中に
葬り去られよとしている
葬り去られよとしていると言って
去られよとしていると言っても過言ではない
と言っても過言ではない。
も過言ではない。
So, it’s not an exaggeration to say that the true history and meaning of Thanksgiving has been
buried under the new image that is only associated with shopping.
●最近も、パリでのテロ事件への対応として「移民者」をどのように扱うかの問題に対して、
最近も、パリでのテロ事件への対応として「移民者」をどのように扱うかの問題に対して、
オバマ大統領は、米国
オバマ大統領は、米国の歴史的な基本精神を「移民の国」として再強調した。
米国の歴史的な基本精神を「移民の国」として再強調した。確かにそうで
の歴史的な基本精神を「移民の国」として再強調した。確かにそうで
ある。
Also, with the recently terrorist incidents in Paris, and the issues surrounding immigration that
have been raised, President Obama made it clear once again that the USA is a country of
immigrants. That’s for sure.
●しかし、この
しかし、この「
その「移民」の背
しかし、この「感謝祭」
感謝祭」を歴史的に見ると
祭」を歴史的に見るとき
を歴史的に見るとき、米国建国の精神の土台は、その「移民」
その「移民」の背
後にある理由と目的
後にある理由と目的の中にあること
の中にあることをもっと強調しなければならない
をもっと強調しなければならない。
。
即ち、米国建国の精
理由と目的の中にあることをもっと強調しなければならない
神的土台は、
神的土台は、「移民」問題ではなく、ピルグリム(清教徒)を中心とする
「移民」問題ではなく、ピルグリム(清教徒)を中心とする人々の
ピルグリム(清教徒)を中心とする人々の「信仰的自
人々の
由」への希求であった。
であった。
However, it must be emphasized when exploring the history of Thanksgiving that the building of
this country was due to goals and ambitions of the immigrants. However, it was not an
immigration problem, but the goal of the Pilgrims was to seek out religious freedom.
●さて、
さて、ここで
を復習したい。
さて、ここでもう一度、簡単に
ここでもう一度、簡単に「感謝祭」の歴史的背景を
もう一度、簡単に
復習したい。
Here, briefly, is the history and background of Thanksgiving:
(1)1620 年の秋、102
2名ほどのピルグリム・ファ
名ほどのピルグリム・ファー
と呼ばれ清教徒たちが、信仰の自由
ファーザーズと呼ばれ清教徒たちが、
を求めて、英
めて、英国からメイフ
国からメイフラワー号に乗って 66 日間の厳しい航海
しい航海の後、マサ
航海の後、マサチュ
の後、マサチュー
チューセッ
ツ州に
-8m
m、180 トン?)
ツ州に到着。
到着。(全長 30m 前後、幅
前後、幅 7-
In 1620 (Fall), 102 people known as “Pilgrim Fathers”came from England searching religious
freedom during a 66 day cruise across the Ocean on board the Mayflower ship (30m/90feet
long; 7-8m/21feet wide and about 180 metric tonnes?), and landed in Massachusetts.
(2)しかし、その年の
しかし、その年の冬
しかし、その年の冬は、殊
は、殊のほか厳
のほか厳しかった。気候
しかった。気候の
気候の厳しさに加
しさに加えて、食料不
えて、食料不足も
食料不足も重
足も重なり、
一年後の秋
一年後の秋には、生き残
には、生き残った人々は約半
った人々は約半数の
約半数の 50 数名だった。
However, that winter was exceptionally cold, and the climate was harsh. Food was scarce, and one
year later, the number of Pilgrims remaining was less than half – just 50 people.
(3)しかし、その
しかし、その間
しかし、その間、その地域
、その地域のインデ
地域のインディ
のインディアンたち
アンたちが、
たちが、彼らを
が、彼らを恐
彼らを恐れながらも、移住
れながらも、移住者たちの惨
者たちの惨
状を見かねて、作物
を見かねて、作物の
作物の作り方を教えるなど、様
り方を教えるなど、様々な親
々な親切な助けをしたとのこと。
However, during that time, the local Indian tribes, despite being afraid of the immigrants, saw
their sorry state and taught them how to harvest and build things, helping the Pilgrims in
many ways.
2
(4) ピルグリム・ファ
ピルグリム・ファー
ファーザーズたちは、移住
たちは、移住一周年を迎
年を迎えた翌年の秋
えた翌年の秋、様々な悲
々な悲しみと
しみと苦渋の
苦渋の
中にも、一年
中にも、一年間
間
、神様
、神
様
に
守
られたこと、頂
られたこと、
頂
いた祝福を神様
いた祝福を神
様
に感謝するときを計画
に感謝するときを
計画した
した。
、一年
計画した。
The Pilgrim Fathers during the following autumn, having survived a full year as immigrants,
despite the difficulties and losses, were thankful to God for keeping them alive for a full year
and starting planning to formally give thanks for all the blessings.
(5)そのとき、その一年の
そのとき、その一年の間
、何くれとなく助けてくれたインディ
けてくれたインディアンたちにも感謝を表
アンたちにも感謝を表すた
そのとき、その一年の間、何くれとなく助
め、彼らをも
め、彼らをも招
彼らをも招いて、ささやかながら精一
いて、ささやかながら精一杯
ささやかながら精一杯の食事の席
事の席を設けて、彼らと
けて、彼らとともに祝ったの
彼らとともに祝ったの
が、現在
が、現在の
現在の「感謝祭」
感謝祭」の始まりだと言われている。
At that time, in order to show gratitude to the Indians who had helped the Pilgrims in so many
ways, they organized a heartfelt dinner to which they invited the Indians, and that has since
been called the first Thanksgiving.
●私
私たちがアズベ
たちがアズベリー大
ズベリー大学
リー大学、アズベ
、アズベリー神
ズベリー神学校
リー神学校という
学校というケ
というケンタッキ
ンタッキーにある二
ーにある二つの学校
つの学校で
学校での学び
を終えて、
えて、次の学びのために
学びのために NJ のプリンストンに移っ
リンストンに移った。そこでの
に移った。そこでの最
た。そこでの最初の「感謝祭」
感謝祭」を迎え
たとき、ア
たとき、アズベリー神
ズベリー神学校
学校時
時
代同級であった
代同級
であった
NJ
出
身
の
ひ
とりの友人家族の家に招
とりの友人家族の家に
招かれた。実
かれた。実
リー神学校
は、彼は
は、彼は例
彼は例の最初
の最初のピルグリム・
のピルグリム・ファー
ファーザーズの中で生き残
中で生き残った 50 数名の内
数名の内の一人を直系
の一人を直系の
直系の
先祖に持つ人であった。
つ人であった。
We studied at both Asbury University and Asbury Seminary in Kentucky, and following that we
went to Princeton (NJ) to study. There we had our first Thanksgiving day at a colleague’s house.
Actually, this person could connect his heritage as a direct descendant of one of the surviving
original Pilgrims in the history of Thanksgiving.
●食
食事のとき、その家の伝
事のとき、その家の伝統だと言って、家長
統だと言って、家長である彼が、木製
である彼が、木製の
木製の長細い
長細い小さなお皿
さなお皿をみなの
をみなの
前に差
前に差し出した。その中には
し出した。その中には、トウモ
、トウモロ
ロ
コ
シの粒
シの
粒
がほんの少しあるだけであった。それは
がほんの少しあるだけであった。
それは、
ウモ
それは、
先祖がアメリカに渡
がアメリカに渡って 1 年を経
年を経たときに「乏
たときに「乏しい食糧
しい食糧」
食糧」をもって最
をもって最初に祝ったあの
祝ったあの感謝祭
あの感謝祭
の出来事を思い出して、今
の出来事を思い出して、今も続く、神様
く、神様のご加護
のご加護と祝福に
加護と祝福に、
と祝福に、個人として、家族として、改
人として、家族として、改め
て神様
て神様に感謝するためであった。
During the dinner, that family’s Thanksgiving tradition was to place a small long wooden dish on
the table in front to everyone that contain several kernels of corn. This was as a reminder of his
ancestors and the small portion they had after that first year in the new land. And to also take the
opportunity to thank God one by one as family members for the many blessings.
●こういう中で
こういう中で、
たちは、クリスチャンとして、この「感謝祭」をどのように
こういう中で、私たちは、クリスチャ
チャンとして、この「感謝祭」をどのように受
ンとして、この「感謝祭」をどのように受け留め、ど
のように過ごそうとしているのだろうか?
のように過ごそうとしているのだろうか? ただ家族や友人で集まり、伝
ただ家族や友人で集まり、伝統的ター
統的ターキ
ターキー・デ
ィナーを
ィナーを食べ
ーを食べて
食べて、交わり、フ
わり、フットボ
ットボールを見て終
ールを見て終わるのだろうか?
In the midst of this, as Christians, how do we embrace and celebrate Thanksgiving? Is it just a
traditional gathering of friends and family to eat turkey and watch football?
●「感謝の大
「感謝の大切
to Worship)で
で読んだ詩篇
「感謝の大切さ」について、聖書は、今日の
さ」について、聖書は、今日の交読文
聖書は、今日の交読文(Call
交読文
んだ詩篇 136 篇も、
その典型
その典型的
典型的一例であるが、いたるところで、繰
であるが、いたるところで、繰り返し強く主張
強く主張している。
“The importance of giving thanks” is outlined in the Bible in Psalm 136 as we read today’s call to
worship, as a model for giving thanks everywhere.
●新約
新約聖書の
新約聖書の第
聖書の第一テサロニケ
一テサロニケ 5 章 18 節も、「感謝」に関しての有
節も、「感謝」に関しての有名なもうひ
名なもうひとつの箇所
とつの箇所である
箇所である。
である。
即ち、「すべ
即ち、「すべてのことについて感謝しなさい」
てのことについて感謝しなさい」である
感謝しなさい」である。
である。聖書は、その後で
聖書は、その後で、す
、その後で、すぐ
、すぐに続けて言
う。「これが、キ
う。「これが、キリスト・イエスにあって、神があなたがたに望
リスト・イエスにあって、神があなたがたに望んでおられることです」と
んでおられることです」と。
Another famous verse about how to give thanks. I Thessalonians 5:18: “18 give thanks in all
circumstances; for this is God’s will for you in Christ Jesus.”
●しかり、
しかり、「
しかり、「感謝」
感謝」する人生こそが、神様
する人生こそが、神様が私たちに望
たちに望んでおられる人生である。「
んでおられる人生である。「感謝」
感謝」す
る人こそ、神様
る人こそ、神様が求めておられるクリスチャ
めておられるクリスチャン
チャン像である。
However, God desire that we live a life of gratitude (giving thanks). The image of a true Christian is
one who gives thanks.
3
●感謝は人生に
感謝は人生に力
感謝は人生に力を与える。悲
える。悲しみに慰
しみに慰めと希望
めと希望を
希望を与える、感謝は人生に潤
える、感謝は人生に潤いと輝
いと輝きと魅力
きと魅力を
魅力を
与える。
Giving thanks brings strength to one’s life. Destroying sorrow and bringing about hope. Bringing in
warmth, radiance and charm to our lives.
●今日、ご一
今日、ご一緒
今日、ご一緒にもう一度皆
にもう一度皆さまと、この「感謝」について考え、み言
さまと、この「感謝」について考え、み言葉
、み言葉からメッセ
からメッセージを頂
ージを頂
きたい。
きたい。
Today with all of you, I would like to once again today, learn more about what the Bible says about
“giving thanks”.
●今日の聖書の
今日の聖書の箇所
古い訳では、
今日の聖書の箇所は、
箇所は、ルカによる福音書
は、ルカによる福音書 17 章に記
章に記されている「10
されている「 人の重
人の重い皮膚病
皮膚病(古
「らい病」、最近の新改訳
「らい病」、最近の新改訳では、
新改訳では、ツァ
では、ツァラアト
ツァラアト、今で言う「
ラアト、今で言う「ハ
、今で言う「ハンセン氏病」に当
病」に当たるかもしれな
い)にかかっていた人々が
にかかっていた人々が癒された出来事
癒された出来事」
」
から、この「感謝」のことについて、神様
から、この「感謝」のことについて、神
様からメッ
にかかっていた人々が癒された出来事
セージを頂
ージを頂きたい。
Today’s verse is: Luke 17:11-19 Jesus Heals Ten Men With Leprosy. Leprosy was called all sorts of
different things in the past, and the Greek word traditionally translated leprosy was used for
various diseases affecting the skin. But we are going to receive the message today from God
pertaining to the healing of those people and giving thanks to God.
本
論 Main
Ⅰ.この出来事から学ぶ第一のメッセージは「私たちは皆全員、神様に感謝する理由を持ってい
る」と言う事実である。換言するなら、皆が感謝するべきであり、感謝しなくて良い人、感
謝のない人はいないということである。
We all have a reason to give thanks to God. So we should give thanks. No one is exempt.
A.
イエス様は17節で明確に言われた。「十人
十人いやされたのではないか?」と。この
十人
点で、英語 NIV はもっとハッキリしている。”Were not ALL ten cleansed?” (もっとも原語
では、ALL はないが)
Jesus asked “Were not all 10 cleansed?”(“all” is added here for emphasis)
1.イエス様
イエス様がここで「10
ここで「 人」と言われたとき、
人」と言われたとき、それは「全員
それは「全員」を意味していた。
全員」を意味していた。10
」を意味していた。 people
= all
2.なぜなら、イエス
2.なぜなら、イエス様
なぜなら、イエス様は、10
は、10人
10人全員を、この
全員を、この難
を、この難病、重
病、重病から、見事に癒し、救
病から、見事に癒し、救いだ
されたからで
15, 17)。
。All 10 were healed for the sickness, and saved.
されたからである
からである(14,
ある
3.一人だけではない。イエス
3.一人だけではない。イエス様
一人だけではない。イエス様は、そのお力
は、そのお力によって 10 人全員を癒し、
全員を癒し、祝福されたの
を癒し、祝福されたの
である。All
10 received blessings.
である。
4.即ち、
4.即ち、10
即ち、 人全員が、神
全員が、神様
が、神様に、イエス様
に、イエス様に「感謝」を捧
「感謝」を捧げる理由を持
げる理由を持っていたのであ
っていたのであ
る。So all 10 had reason to thank God.
5.だからこそ、イエス
5.だからこそ、イエス様
だからこそ、イエス様は、一人だけでなく、10
は、一人だけでなく、 人全員が、感謝を
全員が、感謝を捧
が、感謝を捧げるためにイエ
げるためにイエ
ス様のところに戻ってくることを期待
why Jesus commented
のところに戻ってくることを期待されたのである。That’s
されたのである。
on the return of just one.
6.しかし、
6.しかし、実
しかし、実際に戻って来たのは、一人だけだった。後の 9 人は、イエス様
人は、イエス様に感謝を
捧げるために戻っては来なかったのである。The
other 9 did not return to give thanks.
げるために戻っては来なかったのである。
B.私たちはどうであろうか? How about us?
1.ま
このハンセン氏病にかかっていた 10 人の人々に勝
1.まず、私たちも、
たちも、みな全員、こ
も、
人の人々に勝ると
も劣らない素晴
らない素晴らしい
素晴らしい祝福
らしい祝福を
祝福を、しかも一杯
、しかも一杯、神様から頂
から頂いてきたことを
いてきたことを認識したい。
認識したい。
We have all received blessings for God equal to those bestowed upon these lepers.
(1) 神様の祝福は、
の祝福は、第
は、第一に、私
一に、私たちのごく
たちのごく普
ごく普通の、日
通の、日常生活、通常
、通常の生活
の生活、当たり前の生
活の中に溢
の中に溢れていることを
れていることを認識
ことを認識したい
認識したい。
したい。
God’s blessings are rich in our lives.
●多くの人々が、「
多くの人々が、「私
多くの人々が、「私は、特に感謝するようなことを、神様
は、特に感謝するようなことを、神様から何もして頂
から何もして頂いてい
ない」と言わんばかりに、感謝の少ない、否
ない」と言わんばかりに、感謝の少ない、否、むしろ不平
しろ不平に
不平に満ちた人生を歩
ちた人生を歩んで
いる。
4
Many people claim “God has not given me anything in particular for which I should
give thanks” as they live a dissatisfied thankless life.
●なぜか?
なぜか? 毎日の通常
日の通常の生活
の生活を、当
を、当たり前、当然
たり前、当然のこととしか感
当然のこととしか感じ
のこととしか感じていないから
である。
Because it’s easy to take things for granted every day.
●しかし、
しかし、ほとんどの人のほとんどの人生は、
で、drudgery
で、
である。
しかし、ほとんどの人のほとんどの人生は、monotonous
ほとんどの人のほとんどの人生は、
平凡で、何の
平凡で、何の変哲
で、何の変哲もない、
変哲もない、退屈
もない、退屈とさえ感
退屈とさえ感じ
とさえ感じる生活
る生活の繰り返しかもしれない。
Maybe most people’s lives are monotonous, humdrum, tedious.
●人生の
人生の幸
な人生をどのように生き
人生の幸福とは、そのような
は、そのような monotonous で、drudgery
で、
な人生をどのように生き
るかである。言い
るかである。言い換
換
えるなら、人生の幸
えるなら、人生の
幸
福のカギ、幸
福のカギ、
幸
せと不幸
せと
不幸せの
岐点は:
言い
不幸せの分
せの分岐点は:
How we live that monotony and humdrum life is the key to happiness.
―特
特別なことがあったときだけ、
なことがあったときだけ、興奮
あったときだけ、興奮して
興奮して喜び
して喜び、感謝する人か、
喜び、感謝する人か、
As people that give thanks only when a special thing happens? or
―それとも、
それとも、当
たり前のこと、普通のことに、感動と感謝を覚
通のことに、感動と感謝を覚えられる人かで
それとも、当たり前のこと、普
ある。
Giving thanks for things that appear normal, that we take for granted?
●日本にいるときは見
日本にいるときは見向
日本にいるときは見向きもしなかった「演歌
きもしなかった「演歌」なるものを
演歌」なるものを私
」なるものを私に米国で初
米国で初めて紹介
めて紹介
してくださった日本人牧師
してくださった日本人牧師がいる。
がいる。その一つ
その一つが、
が、五木ひ
五木ひろしの「
ろしの「川
川
は
流
れる橋
れる橋の
牧師がいる。その一つが、五木ひろしの「
下」であった。彼は冗談
」であった。彼は冗談のように
冗談のように言った。「この
のように言った。「この歌
言った。「この歌を聞くたびに思うが、川
に思うが、川が橋
の下を流れるのは当
れるのは当たり前じゃ
たり前じゃない
じゃないです
ないですか、
ですか、何で、
か、何で、そんなことを今更
何で、そんなことを今更、わ
そんなことを今更、わざ
、わざわざ
歌わなくてもと」。
In Japan I was never into “enka” traditional Japanese songs. But a fellow Japanese
Pastor introduced me to one here: “The river flows below the bridge”. He joked
saying that “Isn’t it a given that the river flows under the bridge? Why sing about
that?”
●冗談
冗談とは知りつつも、そ
もそうだなと思った。しかし、
失礼ながら
冗談とは知りつつも、そのときは
とは知りつつも、そのときは、
のときは、私もそうだなと思った。しかし
。しかし、失礼ながら
今は逆
今は逆に、「人生の豊
に、「人生の豊かさや新発
かさや新発見というものは、
新発見というものは、む
見というものは、むしろ、しばしばそんな日
しろ、しばしばそんな日頃
しばしばそんな日頃
当たり前だと思っている出来事の中から生まれるのだ」と思っている
たり前だと思っている出来事の中から生まれるのだ」と思っている。
っている。
I once thought that too, but now I know that life’s blessings come from such normal
things in life.
●「リン
「リンゴ
「リンゴの実が木から落
から落ちる」と言う現象
ちる」と言う現象は、
現象は、誰
は、誰もが当
もが当たり前のこととして特に
たり前のこととして特に
気に留めはしない。しかし、J.ニュ
めはしない。しかし、J.ニュートンは
J.ニュートンは、
ートンは、そこに目を留
そこに目を留め、特
め、特別な関心を
持った。それが
った。それが、「万
。それが、「万有引力
、「万有引力」という
有引力」という偉
」という偉大な科学
大な科学的
科学的発見を生み出したのである。
“An apple falls from a tree”- such an obvious truth. But Sir Issac Newton had the
amazing scientific discovery of why: The universal law of gravitation
●重
重度の身障
度の身障者として
身障者として口
者として口で詩と絵を描かれる星野富弘
かれる星野富弘の
星野富弘の詩に、「
に、「・・・・」
・・・・」という
のがある。詩
のがある。詩人とは、私
人とは、私たちが当
たちが当たり前だ
たり前だと思っている、当
と思っている、当たり前の出来事や、
事象に、その背後にある深
に、その背後にある深くて広
くて広い真理を感じ
い真理を感じ、感動し、興奮
、感動し、興奮し、
興奮し、それを
し、それを伝
それを伝えて
くれる人である。
Hoshino Tomomi: A famous painter/poet with a major disability who write poems
with “…” that have a remarkable way of evoking deep emotion and feeling with just
simply poems stating obvious things.
●それは、
それは、私
それは、私たちクリスチャ
たちクリスチャンもまた
チャンもまた同じ
ンもまた同じである。
同じである。クリス
である。クリスチャ
クリスチャン生
チャン生涯
ン生涯の豊かさ、輝
かさ、輝
きは、毎
きは、毎日の普
日の普通の生
通の生活に起こっている当
こっている当たり前の出来事の一つ一つを、
たり前の出来事の一つ一つを、当たり
前のこととせ
前のこととせず
こととせず、その一つ一つに感動し、感謝する生
その一つ一つに感動し、感謝する生涯
感動し、感謝する生涯の中にある。
の中にある。
The same is true for Christians. And we need to give thanks for each seemingly
ordinary thing.
●それは、「今生きている」、「生かされている」ということ自体への感謝である。
それは、「今生きている」、「生かされている」ということ自体への感謝である。
5
E.g., Now I am alive= God gave me life. Give thanks for this very thing.
●聖書は言う。「わがたましいよ。主をほめたたえよ。主のよくしてくださったこ
聖書は言う。「わがたましいよ。主をほめたたえよ。主のよくしてくださったこ
とを何ひ
:2)。「何一つ」である、即ち、大きいこ
とを何ひとつ忘
とつ忘れるな」(詩篇
れるな」(詩篇 103:
)。「何一つ」である、即ち、大きいこ
とだけでなく、小
とだけでなく、小さいことも、うっかり
さいことも、うっかり忘
、うっかり忘れてしまいそうなことも、何一つ忘
れてしまいそうなことも、何一つ忘れ
ないで感謝し、主をたたえることである。
Psalm 103:2 “Praise the LORD, my soul, and forget not all his benefits—“ Remember to
give thanks for the big and small things alike.
(2) 第二に、神
第二に、神様
に、神様の祝福は、私
の祝福は、私たちの人生の「危機
たちの人生の「危機的」な
危機的」なときにも、しばしば
的」なときにも、しばしば顕
ときにも、しばしば顕される
される。
God’s blessings are revealed in our lives during critical times.
●この
この10
皮膚病を患
っていた人々が経験したことはまさにそれであった。
この10人の
10人の重
人の重い皮膚病を
病を患っていた人々が経験
経験したことはまさにそれであった。
重い病という通常
い病という通常ではない問題を抱
ではない問題を抱え、彼らはその中で、奇跡
え、彼らはその中で、奇跡的とも言う
奇跡的とも言うべ
的とも言うべき神
様の祝福を経験
の祝福を経験したのである。
経験したのである。
The lepers were healed miraculously, during a critical (not so normal) situation.
●先の
先の詩篇
-4 節を見ると、そこにもそのことが記
節を見ると、そこにもそのことが記されている。
先の詩篇 103 篇 3-
Psalm 103:3-4: “who forgives all your sins and heals all your diseases, 4 who redeems your
life from the pit and crowns you with love and compassion,”
●そこには、この
そこには、この詩篇
そこには、この詩篇の
詩篇の作者が、神様
者が、神様から、病のときにいやして頂
から、病のときにいやして頂き、いのちの危
き、いのちの危
険や人生のピンチ
や人生のピンチから救
から救ってもらったことなどが記
ってもらったことなどが記されており、彼はそれを感謝
し、主をたたえている。
Give thanks to God for getting us out of a pinch, or for healing and keeping us from
harm’s way.
●私
私自身のことを言わせて頂
のことを言わせて頂くなら、私
くなら、私も病気からの癒しを
からの癒しを経験させて
経験させて頂
いた。
させて頂いた。7
年ほども前になるが、不整脈
年ほども前になるが、不整脈の
不整脈の診断を
診断を受け、最
け、最終検査の
検査の結果心
結果心臓にステントとペ
ステントとペ
ースメーカーのようなものを入れることになった。しかし、
ースメーカーのようなものを入れることになった。しかし、手術
った。しかし、手術の日、
手術の日、全身
の日、全身麻酔
全身麻酔
までかけたその直
までかけたその直後に、それらの必要
後に、それらの必要がないという
必要がないという決断
がないという決断が
決断が緊急に
緊急にくだされただけ
くだされただけ
でなく、その後
でなく、その後の
の
検査においても
検査
においても、
、
実
際の体の兆
際の体の
兆
候
でも、一
でも、
一
切
不整脈の問題
不整脈
の問題は
、その後
においても
の問題は消
えてしまった。癒されたのである。
I have been healed from a critical illness. About 7 years ago now, I was diagnosed with
irregular pulse (arrhythmia) and the doctors say I had to get a stint and pace maker
put in. When I was supposed to undergo surgery, that day the doctor said there was
no longer a need. And the follow up exam showed I had been completely healed of
the previously critical problem.
●経
経済的な経験で
経験でも、米国
も、米国での
米国での留学
での留学生時
留学生時代
生時代であったが、月の生活
あったが、月の生活費が家族 4 人で
$500 であったとき、フ
であったとき、フード・スタンプ
・スタンプにお世
にお世話になった時代
話になった時代、健康保険
健康保険が学生
保険で掛け金が少ない一方、カバーがほとんどなかった
少ない一方、カバーがほとんどなかった時
い一方、カバーがほとんどなかった時代、そんな中で、子供
、そんな中で、子供
が 2 時間で 4 回もひきつけを起
きつけを起こし、入院
こし、入院することになり、お金
することになり、お金のことが心配
のことが心配で、
お医者さんに心
者さんに心配されながらも、二
れながらも、二日で子供
日で子供を中途
子供を中途退
を中途退院させたり、それでも
させたり、それでも借金
たり、それでも借金
を暫く抱えることになったとき、
えることになったとき、また子供
また子供に
に
誕
生日やクリスマスのプ
生日やクリスマスの
プレゼントを
子供
買うお金
うお金がなかったとき
がなかったとき、・・・
とき、・・・などなど、
、・・・などなど、様
などなど、様々なところを通った。皆
々なところを通った。皆さまの中
にも同様
にも同様な
同様な経験を通られた方もあられると思うが
経験を通られた方もあられると思うが、
を通られた方もあられると思うが、神様は、そのような
は、そのような危機
のような危機の
危機の中、
いつも助
いつも助けてくださって、ここまで来ることができた。それは、主が主ご自身
けてくださって、ここまで来ることができた。それは、主が主ご自身の
方法で、考えられないような祝福与
で、考えられないような祝福与えてくださった一つ一つ、
えてくださった一つ一つ、奇跡
一つ一つ、奇跡の
奇跡の道であった。
I was also brought out of critical financial situations: during my time as a student, we
didn’t have enough money for food, so we went on food stamps. At that time health
care was minimal for poor people. We were worried about how we would pay when
my wife was pregnant, and the doctor knew we had no money, so he discharged her
on the second day after having my daughter. We had a lot of debt for a while…And
then there was no money for birthday and Christmas presents. Many of you have
6
gone through similar critical situations I’m sure. But God always provide for us. We
were blessed in ways that we had never imagined possible. Miracles.
●主は、人
主は、人間
主は、人間的にどうにもならないような
的にどうにもならないような状
どうにもならないような状況の中で、奇跡
の中で、奇跡的祝福と
奇跡的祝福と勝
的祝福と勝利を与えて
くださる。その例
くださる。その例には枚挙
には枚挙にいとまがない。
枚挙にいとまがない。
God does miracles in ways we cannot imagine. The ways are numerous.
●レー
レーナ
・マリアさんもその一人である。日本でもよく知られている人物である。
である。
レーナ・マリアさんもその一人である。日本でもよく知られている人物
1991 年にテレビ朝
年
年にテレビ朝日の「ニュ
日の「ニュース・ステーション」で
ニュース・ステーション」で全
ース・ステーション」で全国に紹介
国に紹介され、
紹介され、1998
され、
の長野冬季
長野冬季パラリンピックの開
パラリンピックの開会式で歌声を披露
声を披露した。彼
披露した。彼女
した。彼女は生まれながら両腕
は生まれながら両腕
がなく、左
がなく、左足の長
足の長さが右
さが右足の半
足の半分しかないという原因
分しかないという原因不
原因不明の障害を抱える人生で
あった。その中で、信仰をもって一生懸命
あった。その中で、信仰をもって一生懸命生きて来た人であったが、
生きて来た人であったが、決
してすべ
懸命生きて来た人であったが、決してすべ
てが順
てが順調であった訳
調であった訳ではない。燃
ではない。燃え尽き症候群の苦しみも、10
しみも、 年の結婚
年の結婚生
結婚生活の
後、離婚
後、離婚という悲
という悲しみと痛
しみと痛みも経験
みも経験した。しかし、その中で、彼
経験した。しかし、その中で、彼女
した。しかし、その中で、彼女は言う。「も
は言う。「も
し私が障害をもって生まれていなかったら、今のような私
をもって生まれていなかったら、今のような私にはならなかったでし
ょう。そうすれば、今味わっているほどワ
う。そうすれば、今味わっているほどワクワクするような人生は送
クするような人生は送れなかった
に違いないと思うのです」と。
Lena Maria is a famous singer born without arms, and with one leg much shorter than
the other. Well-known also in Japan since 1991, and in 1998 Paralympics she sung
the opening song. Living life with that disability she was always optimistic, but it
was not easy. She suffered from burn-out syndrome, and her 10-year marriage
ended in divorce. In her sorrow and pain she said “If I had never been born with this
disability, I would not be this way right now. Likewise, I would never have lived the
exciting life I have lived”
●私
私たちは、このような
たちは、このような危機
このような危機的祝福を
危機的祝福を受
的祝福を受けて来た。それを、「喉元
けて来た。それを、「喉元(のどもと
喉元 のどもと)過
のどもと 過ぎ
れば熱
れば熱さを忘
さを忘れる」式
れる」式に、忘
に、忘れてはならない。詩篇
れてはならない。詩篇 103 篇の作者のように感謝を
し、主をほめたたえる者でありたい。
Psalm 103: Critical blessings we received: “Praise the LORD, my soul,
and forget not all his benefits—“ We should want to give thanks to God.
(3) 私たちは、更にこれらの
たちは、更にこれらの肉
更にこれらの肉体的、物
体的、物質的、精神的、地
的、精神的、地上的救
上的救いと祝福に加
いと祝福に加えて、
God gives blessings: physical, material, spiritual salvation and blessings.
●彼らの病が
彼らの病が象
する「罪」からの救
」からの救いと言う祝福を神様
いと言う祝福を神様から頂
から頂いた。
彼らの病が象徴する「罪
Blessings of salvation from sin that causes sickness.
●それを
それを詩篇103篇
とが)を
それを詩篇103篇の
詩篇103篇の作者も3
者も3節で「主はあなたのすべ
節で「主はあなたのすべての咎
ての咎(とが
とが を赦し」と
記す。
Psalm 103: 3“who forgives all your sins and heals all your diseases,
●即ち、
即ち、それは、
即ち、それは、魂
それは、魂の救い、良
い、良心の咎
心の咎めからの救
からの救い、永
い、永遠の命
遠の命への救
への救い、即ち、神
様の子としてどんなときでも地
としてどんなときでも地上であれ、天
上であれ、天であれ永
であれ永遠に神と共に生きる救
遠に神と共に生きる救いを
意味していた。
Spiritual salvation, and from rebuke of conscious; giving eternal life with God.
●これこそがイエス
これこそがイエス様
これこそがイエス様の命と交換に、神
交換に、神様
に、神様が私たちのために備
たちのために備えられた救
えられた救いの究極
いの究極
である。
Provides interaction with Jesus, and who God provided for our ultimate meeting with
God.
(4) あのハ
あのハンセン氏病とも言える「重
とも言える「重い皮膚病
皮膚病」で苦しんでいた 10 人の人達
人の人達は、今
は、今学ん
で来たような意味で、紛
で来たような意味で、紛れもなく、明
れもなく、明らかに主の祝福、病のいやしを
らかに主の祝福、病のいやしを経験
主の祝福、病のいやしを経験したのであ
経験したのであ
った。
The healing of the leper that returned to Jesus was clearly not just by chance. (and the
other 9). They were blessings from God.
7
2.にも関わら
2.にも関わらず
にも関わらず、主に感謝し、崇
、主に感謝し、崇めるために戻ったのは、10
めるために戻ったのは、 人の内1
人の内1人だけであった。
内1人だけであった。
9人は主に感謝し、崇
人は主に感謝し、崇めるために主の下
めるために主の下に来ようとはしなかった。あなたは、私
に来ようとはしなかった。あなたは、私た
ちは、どっちであろうか?
ちは、どっちであろうか? あの1
あの1人の人のように
の人のように感謝するのか
ように感謝するのか?
感謝するのか?それとも9
それとも9人の
人たちのようなのか?
Which are we – the person that fell at Jesus’s feet and gave thanks, or the 9 that did not?
Ⅱ.この出来事から学ぶ第二のメッセージは、「感謝」と「喜び」の違いに関してである。
The difference between “thanks” and “joy”
A.
今も学んだように、10人全員が、神様の祝福を受けて、ハンセン氏病にも匹敵
すると思われる大病(特に当時は尚のこと)からの完全ないやしを経験したのである。
Looking at the 10 healed from Leprosy, which was no small disease at the time.
1.換言するなら
1.換言するなら10
言するなら10人
10人全員が神に感謝し、
全員が神に感謝し、崇
が神に感謝し、崇めたたえるべ
めたたえるべき十分な理由を
き十分な理由を持
な理由を持っていた
のである。
All had reason to give thanks.
2.しかし、それを
2.しかし、それを実
際にしたのはたった一人であり、後の9
しかし、それを実際にしたのはたった一人であり、後の
したのはたった一人であり、後の9人はそれをしなかったの
である。
But, only one did.
B.
このことが意味することは何か?What does that mean?
1. ここで確実
ここで確実なことは、いやしを
なことは、いやしを経験
いやしを経験した
経験した「
した「10 人」全員
人」全員が、その
全員が、その病からのいやし、大
が、その病からのいやし、大
病から救
病から救われたことで「
われたことで「大喜び」
喜び」したことである。彼らが
たことである。彼らが全員
彼らが全員「
全員「喜んだ」
んだ」ことは確実
ことは確実、
明瞭である。
明瞭である。
All were “joyful” after being healed. That is for sure.
2. 即ち喜
即ち喜んだのは10
んだのは10人
全員であった。しかし
しているように、神を崇
10人全員であった
であった。しかし16
。しかし16節が
16節が記
節が記しているように、神を
神を崇
めつつ戻って来て「イエスの足もとに
つつ戻って来て「イエスの足もとにひ
「イエスの足もとにひれ伏して感謝した」のは、その内
れ伏して感謝した」のは、その内のたった1
たった1
人だけであった。
But Luke 17:16 says that only one returned to fall at Jesus’s feet and give “thanks”.
3.聖書は、この
3.聖書は、この違
いを明確に強調している。The
確に強調している。
Bible makes a distinction.
聖書は、この違いを明
(1)1
17-19節を見て頂
を見て頂きたい。「9
きたい。「9人はどこにいるのか?」と言うイエス様
人はどこにいるのか?」と言うイエス様の言
葉には、怒
には、怒りとも、失望
りとも、失望とも、
失望とも、嘆息
とも、嘆息・
嘆息・慨嘆とも言える
慨嘆とも言える嘆
とも言える嘆きが明
きが明らかである。
17
Jesus asked, “Were not all ten cleansed? Where are the other nine? 18 Has no one returned to
give praise to God except this foreigner?” 19 Then he said to him, “Rise and go; your faith
has made you well.”
Jesus’s words are full of anger, disappointment, resentment and grief.
(2)即ち
即ち明
即ち明らかなことは、イエス様
らかなことは、イエス様は彼らが「
彼らが「喜んだ」
んだ」だけでは満
だけでは満足されなかったの
である。
Jesus was not satisfied simply because they were “joyful”
(3)言い
言い換
言い換えるなら、「彼らが喜
えるなら、「彼らが喜んでいるなら、それで良
んでいるなら、それで良いよ。何もわざ
いよ。何もわざわざ私のと
ざ私のと
ころに戻って来て、お礼
ころに戻って来て、お礼など言わなくても良
など言わなくても良いよ」とは言われなかったの
いよ」とは言われなかったのである。
In other words, it’s not like Jesus said “Ok. As long as they were happy. They don’t need
to come back and tell me themselves”
(5) 明確に、イエス様
確に、イエス様は、ここで、10
は、ここで、10人
10人全員に、そして、
全員に、そして、私
に、そして、私たちに、神
たちに、神様
、神様から頂
から頂いた救
いた救
いを、
いを、祝福を「喜
祝福を「喜ぶ」だけでなく、「感謝する」ことを
」だけでなく、「感謝する」ことを求
「感謝する」ことを求めておられるのである。
It is not enough just to rejoice, but we need to give thanks too.
(5)「
「喜び」と「感謝」は
vs Thanks
喜び」と「感謝」は違
」と「感謝」は違う。Joy
う。
●喜び
喜びは、自
喜びは、自己
は、自己の内で始まり自己
で始まり自己の中で、単に
の中で、単に「
、単に「嬉しい」という感情
しい」という感情を持つだけ
で終われる。「自己完結
われる。「自己完結」できるのである。
己完結」できるのである。即ち、
」できるのである。即ち、喜び
即ち、喜びは自動
喜びは自動詞
は自動詞である。
Joy = being happy starts from within; self-sufficiency
8
●感謝は、確かに
感謝は、確かに喜び
感謝は、確かに喜びから始まる。しかしそこで
喜びから始まる。しかしそこで終
から始まる。しかしそこで終わらない。漢字
わらない。漢字でも、
漢字でも、喜び
でも、喜びと
喜びと
「感」じ
「感」じたことを「言(葉
たことを「言 葉)」で「
」で「射
射
る」と書くように、誰
る」と書くように、
誰
かに向
かに
向
かって、どこか
」で「
に向かって、弓
かって、弓で矢を射るように、その喜び
るように、その喜びを「ありがとう」の
喜びを「ありがとう」の気持
を「ありがとう」の気持ちをもっ
気持ちをもっ
て表すことである。
“thanks” starts with happiness, but it doesn’t end there. The Japanese (Chinese)
kanji for “gratitude: means “thanks for the joy”
●英
英語で GIVE THANKS と言うように、「
と言うように、「感謝」
感謝」は本来「意味」的には「他動
は本来「意味」的には「他動
詞」なのであり、必
」なのであり、必ず、神に対して、人に対してというが
、神に対して、人に対してというが「対象
「対象」が必要
」が必要であ
必要であ
る。
In English “Giving thanks” is a transitive verb, so it always implies to someone – God.
●そして、それは、
そして、それは、単に感
そして、それは、単に感じ
単に感じるだけ、思うだけでなく、あの一人のサマリヤ人が、
るだけ、思うだけでなく、あの一人のサマリヤ人が、
わざわざイエス様
イエス様のところに戻って来て、ひ
のところに戻って来て、ひれ伏し礼
れ伏し礼拝したように、実
したように、実際に、
私たちの言
たちの言葉や行動で
や行動で表さなければならない。それが感謝である。
さなければならない。それが感謝である。
It’s not simply thinking it, or feeling it. But putting those feelings into action and like
that one leper, giving thanks where thanks is due. That is giving thanks.
結
論 Summary
●メッ
メッセ
メッセージを締
ージを締めくくりたい。今日、
めくくりたい。今日、私
今日、私たちは全員
たちは全員、
全員、例外なく、あの
なく、あの重
あの重い皮膚病を
皮膚病を患
病を患わって
いた10
いた10人
10人全員のように、
全員のように、神
のように、神様から素晴
から素晴らしい
素晴らしい救
らしい救いと祝福を頂
いと祝福を頂いていることを認識
いていることを認識したい。
認識したい。
God provides amazing salvation and blessings. Evidenced by the story of the 10 Lepers.
●しかし、あなたは、それを
しかし、あなたは、それをあの
人のように、自分の中で「喜
」こと「嬉しい」こととし
しかし、あなたは、それをあの9
あの9人のように、自分の中で「
自分の中で「喜ぶ」こと「
て終わらせてしまうのか、それとも、あの一人のサマリヤ人のように「
わらせてしまうのか、それとも、あの一人のサマリヤ人のように「感謝
あの一人のサマリヤ人のように「感謝」
感謝」として表
として表すの
か?Will
you be the 9 or the 1?
か?
●イエス
イエス様
イエス様は、今日も、あの一人のサマリヤ人が現
は、今日も、あの一人のサマリヤ人が現れることを期待
れることを期待しておられる。あの9
しておられる。あの9人が
「感謝」するために戻ってくることを待
「感謝」するために戻ってくることを待っておられる。
Jesus is still waiting for each of us, like those 9 who were healed, to come back and give thanks.
●最後に以前も
最後に以前も引
最後に以前も引用した例
した例話で締
話で締めくくりたい:榊原寛
めくくりたい:榊原寛先生の本に
榊原寛先生の本に紹介
先生の本に紹介されている
紹介されている例
されている例話である。
昔、300
両という大金
昔、
という大金を持って木
って木曽街道を旅している一人の
曽街道を旅している一人の商
を旅している一人の商人がいた。寂
人がいた。寂しい道
しい道にさしか
かったとき、いきなり山賊
かったとき、いきなり山賊に
に
襲
われた。この旅人は「
われた。この旅人は
「
金
は
奪
われても、命
われても、
命
あっての物
あっての
物種だ」と
山賊
観念して、
両そっくり差
観念して、300
して、
そっくり差し出す覚
し出す覚悟した。ところが丁
した。ところが丁度そこに、
度そこに、ひとりの侍
とりの侍が通りかか
り、山賊
り、山賊を
山賊を追い払ってくれた。
ってくれた。命
た。命はもちろん 300 両も難を逃れたのである
れたのである。彼は
のである。彼は本
。彼は本当に嬉し
かった。そして、
かった。そして、その
た。そして、その侍
その侍に 300 両全部をお礼
をお礼に上げても
に上げても良
ても良いと思いながらふ
と思いながらふもとの宿屋
もとの宿屋にや
宿屋にや
ってきた。二
ってきた。二人はそれぞ
人はそれぞれの部屋
れの部屋に通されたが、
に通されたが、商
商
人は部屋
人は
部屋に入りほっとした
に入りほっとした瞬
瞬
間
、「何も、
部屋に通されたが、
部屋に入りほっとした
全部あげることはないな」と思った。「100
両ぐらいでもいいじゃ
あげることはないな」と思った。「
らいでもいいじゃないか」。やがて彼は
じゃないか」。やがて彼は「
ないか」。やがて彼は「50 両
ぐらいでもいいじゃ
らいでもいいじゃないか」と思い
じゃないか」と思い、それももったいなくなり、
ないか」と思い、それももったいなくなり、「せっか
、それももったいなくなり、「せっかく
「せっかく苦労してためた金
してためた金
じゃないか。上げることはない」とまで思い始めた
じゃないか。上げることはない」とまで思い始めた。そして
ないか。上げることはない」とまで思い始めた。そして遂
。そして遂には翌朝早
には翌朝早く
朝早く侍がまだ寝
がまだ寝ている
うちに、そっと起
うちに、そっと起きて一両
きて一両も置かず、礼も言わず
も言わずに出立してしまったという。
Last, I’ll conclude with a reference I’ve made in the past from the book of Pastor Sasakihara
Hiroshi: A Long time ago there was a trader travelling the highway with 300 ryou (old Japanese
money) who was suddenly attacked by bandits. The most important thing he though was “He lost
the money, but kept his life” because he prepared exactly 300 ryou. But right then a warrior came
and chased away the bandits. He was very happy. As they walked to the nearby Inn, the trader
though to himself that he should give the money to the warrior because he helped him. Then after
getting into his separate room, he decided, ok maybe I’ll just give him 100 ryou.Then eventually
the amount he felt he should give got smaller, until he decided not to give anything, since it was
his own hard earned money. The next day he left early without leaning even one you.
●「
「喜び」を感
喜び」を感じ
」を感じたら、そこで終
たら、そこで終わらせず
わらせず、「感謝」と言う実
、「感謝」と言う実行に移したい。Do
行に移したい。 not stop at
“joy”, give “thanks”.
9