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話し合いのための質問
第1課
話し合いのための質問
①ルカが福音書を書くうえで、すでに発表されていた資料を参考にしたのなら、私たち
は聖書の霊感をどのように理解したらいいですか(Ⅱテモ3:16)
。霊感はどのように
働くのでしょうか。
『セレクテッド・メッセージ1』の第1章「預言者たちの霊感」
(3
~14 ページ)を参照してください。
②処女降誕は、神の神秘、威光、使命を特徴とする神の手段です。これは私たちの理解をま
ったく超えています。しかし、だからどうだというのでしょうか。私たちの理解できない
ことは、世俗的な事柄の中にもたくさんあります。神が存在し、宇宙を造り、維持する力
を持っておられるなら、処女降誕のようなことが、なぜ神の力を超えていなければならな
いのでしょうか。自分の世界観が(少なくとも、私たちが現在理解している)自然の法則
に限られている者たちだけが、先験的に処女降誕という考えを退けます。一方、その世
界観が超自然をも含んでいる者たちは、先験的に処女降誕を退ける理由を持ちません。
結局のところ、天使がマリアに信じがたい知らせを伝えたあとに言ったこと――「神にで
きないことは何一つない」
(ルカ1:37)――に目を向けてください。
③あるアメリカ人のテレビ・インタビュアーが、こう言ったそうです。彼が最もインタ
ビューしたいと思っているイエスに、もし取材する機会が得られたなら、
「あなたは本
当に処女から生まれたのですか」とたった一つだけ質問するでしょうと。この質問は、
そして、それに対する答えは、なぜ重要なのですか。
第2課
話し合いのための質問
きよ
①誘惑そのものは罪ではありません。聖書的な意味において、誘惑は聖 さを確認する可
能性を秘めています。誘惑を受けることと罪を犯すことは、まったくの別物です。そ
の一方で、誘惑を避けるために全力を尽くすということに関する私たちの責任は、ど
のようなものでしょうか。
②哲学者や神学者は、いわゆる「メタ・ナラティブ」
(ほかの物語を生みだす包括的な物
語)をよく話題にします。別の言い方をすれば、メタ・ナラティブは、ほかの物語や
出来事が展開するための背景とか設定のことです。私たちセブンスデー・アドベンチ
ストは、大争闘を、この地上においてだけでなく、天において起きたことのメタ・ナ
ラティブ、つまり背景と見なしています。聖書の中のどの聖句が、大争闘の現実を私
たちに示していますか。また大争闘は、この世で起きていることを説明するうえで、
いかに助けとなりますか。
③私たちの前にあらわれる誘惑に私たちが勝利できると、聖書は約束しています。その
ような聖句で、最も力強いものはどれですか。しかし、このような約束があるにもか
かわらず、なぜ誘惑に陥ることは簡単なのでしょうか。
④今週の教訓の一つは、
「神の御言葉を疑うことは、誘惑に屈する第一歩」というもので
す。なぜそうなのでしょうか。
⑤偶像崇拝はどのようにして、主以外の何かに頭を下げたり、それを礼拝したりするよ
り、もっとさりげない形を取ることがありますか。
第3課
話し合いのための質問
①キリストの人性に関するエレン・G・ホワイトの言葉(金曜日)を読んでください。
キリストの人性は、彼の神性と同様、差し当たって私たちが十分に理解できない偉大
な真理であり、私たちはその事実を直視する必要があります。彼女が、
「キリストの受
肉はこれまでも、そしてこれからも、ずっと神秘のままだろう」と書いているとおり
です。では、必ずしも私たちと同じようにこの「神秘」を理解していない人々に対し
て、私たちはなぜ無情な裁きをしないように注意しなければならないのでしょうか。
②変貌の山で起こったことについて考えてみてください。救済史におけるこの驚くべき
出来事が起ころうとしていたとき、選ばれてイエスと一緒にこの山に来ていた弟子た
ちは、最初どうしていましたか。眠っていました! このことは、救済史におけるも
う一つの大事件(イエスの再臨)を間近にして生きている個々の信徒としての私たち
にとって、あるいは教会としての私たちにとって、どのように比喩でありえますか。
③イエスが御自分について語られたことを、いくつか読んでください。そのうえで、イ
エスが単なる偉大な人、偉大な預言者、偉大な霊的指導者であったという考えは、な
ぜ論理的に間違っているのですか。イエスは、彼が語られたとおりのお方であるか、
さもなければ、精神異常の大うそつきでした。私たちはなぜ、いずれかを受け入れる
必要があるのですか。イエスの正体に関して、私にはなぜほかに選択肢がないのです
か。
第4課
話し合いのための質問
①金曜日の「考えてみましょう」の、ルカ 10:24 に関する質問を考えてみてください。
「多くの預言者や王たちが」見たいと思ったのに見ることのできなかったもので、現
代に生きる私たちが見ることのできるものとは、何でしょうか。例えば、預言の成就
はどうでしょうか。ダニエル書2章、7章、8章の中で、多くの預言者や王たちには
未来のことであったのに、私たちには今や歴史的事実となっているものはどれくらい
あるか、考えてみてください。ほかにどのようなことが思いつきますか。
②全世界を手に入れても、自分の命を失ってしまう人に関して言われたイエスの言葉に
ついて、もっとじっくり考えてみてください。この言葉によって、イエスは何を言お
うとしておられるのですか。自分の命を救おうとして失うというのは、どういう意味
ですか。信者でない人が身勝手にこの世の物に執着するのは、別の話です。なぜでし
ょうか。彼らは持っているものしか信じないからです。彼らはそれ以外の何に執着し
たがるでしょうか。しかし、イエスを信じる私たち(この世が終わり、新しい世がい
つの日か始まると知っている私たち)でさえ、いつの間にか、進んでこの世の物をで
きるだけたくさん得ようとしています。このようなとても危険な霊的わなから、私た
ちはどのように自分の身を守ることができるのでしょうか。
③ルカ 10:17~20 を読んでください。この人たちが、キリストの名において悪魔でさえ
自分たちに従うのを見たときに感じた興奮は、理解できます。彼らに対するイエスの
反応に目を向けてください。彼は、伝道に携わるすべての者が理解すべきとても重要
なことを言っておられます。それは何ですか。
④聖書の登場人物以外で、キリストに従う選択をしたことで、どのような人たちが(た
ぶん、私たちのほとんどよりも)大きな代償を払いましたか。
「この人たちは何を失い、
キリストに従うことで彼らはどんな代償を払ったのか。自分は進んで同じことをする
だろうか」と、クラスで自問してください。
第5課
話し合いのための質問
①イエスと安息日に関して、聖書が実に明瞭であることに驚きませんか。しかしそれに
もかかわらず、教会に通っている世界中の何百万という人々が、第七日安息日はもは
や拘束力がないとか、重要でないとか、それを順守することは律法主義に等しい、と
いまだに主張しています。この事実から、揺るぎなく神の御言葉に忠実であることの
重要性について、私たちは何を学ぶべきでしょうか。神の聖なる律法の根本的なこと
に関して、大衆はひどく欺かれています。マルコ 13:22 において、イエスはどんな重
要な警告を私たちに与えておられますか。
②安息日を破壊するために、サタンがどれほど懸命に働いてきたか、考えてみてくださ
い。彼はイスラエルの指導者たちを用いて、安息日の本来の意味やあるべき姿のほと
んどの部分をはぎ取ってそれを重荷に変えたり、あるいは教会の指導者たちを用いて、
安息日を時代遅れのもの、律法主義的なもの、単なるユダヤ人の伝統であるとして拒
絶してきました。安息日のどのような点が、また安息日に関わるどのようなことが、
サタンの敵意をこれほど引き起こすのでしょうか。
③「人の子は安息日の主である」
(ルカ6:5)と、イエスは言われました。この言葉には、
クリスチャンと、安息日に対するクリスチャンの態度に関して、どのような意味が含まれ
ていますか。
第6課
話し合いのための質問
①ルカによる福音書を含めて、四福音書の最も興味深い側面の一つは、イエスの復活に
関して女性たちの果たした役割です。どの福音書の物語も、復活されたキリストを最
初に目撃し、その復活を人々に宣べ伝えたのは女性たちであるとしています。聖書の
護教論者たちは、ある人たちが否定したり、疑問視したりするイエスの肉体による復
活という実際に起きたことを支持するために、この事実を用いてきました。ここにお
ける女性たちの役割は、なぜ重要なのでしょうか。ある人たちが主張するように、も
しイエスの復活の物語が聖書記者によってでっち上げられたものであれば、なぜ彼ら
は当時の社会において高く評価されていなかった女性たちを、イエスの最初の目撃者、
証言者として登場させたのでしょうか。もし聖書記者たちが当時の人々を信じ込ませ
ようとして物語をでっち上げていたのなら、男性ではなく、なぜ女性たちを用いたの
でしょうか。
②必ずしも女性の尊厳を認めていなかった社会において、イエスは彼女たちに、神の創
造の秩序において女性のものである地位を与えられました。すなわち、神の子、アブ
ラハムの娘という地位、福音の新しい時代における男性と平等の地位です。その一方
で、神の前では平等ながら、男性と女性は同じではありません。どうしたら私たちは、
神の前における男性と女性の平等性を認めつつも、同時に、両者の違いと、その違い
が教会生活において果たす役割を認め、受け入れることができるのでしょうか。
第7課
話し合いのための質問
①ルカはイエスと聖霊を結びつけていますが、
それは彼の福音書の中だけで終わっていませ
ん。キリスト教会の歴史に関するルカの第二巻目、つまり使徒言行録を読む者はみな、ク
リスチャン共同体の生活、
その宣教活動や働き人たちの中における聖霊の圧倒的な力に気
づかされます。実際、弟子たちに対する復活後のイエスの御命令を記しているのは、ルカ
だけです。
「高い所からの力に覆われ」
(ルカ24:49)、十字架にかかって復活された救い
主のメッセージを地の果てまで届けることができるようになるまで、エルサレムにとどま
っていなさい。それからルカは、聖霊の約束(使徒1:7、8)と五旬祭で成就する約束
を繰り返しておられるイエスの描写で使徒言行録を始めています。教会生活における聖霊
の中心的役割について、これらのことは何を教えていますか。
②祈りという行為は、私たちが神に依存し、神を必要としていることを、どのように認
めていますか。ルカ 18:9を読んでください。それに続くたとえ話で、イエスはどの
ような深い霊的問題を取り上げておられますか。
第8課
話し合いのための質問
①あらゆる宗教は、人間が神を捜していると説明しますが、キリスト教は、神が捜しておら
れると述べています。アダムには「どこにいるのか」(創3:9)と、カインには「お前
の弟アベルは、どこにいるのか」
(創4:9)と、エリヤには「ここで何をしているのか」
(王上19:9)と、ザアカイには「降りて来なさい」(ルカ19:5)と……。神があなた
を捜されたという体験を、
あなたはしたことがありますか。それはどのようなものですか。
②金曜日の「考えてみましょう」の(火曜日参照)の質問をもう一度考えてみてくださ
い。兄息子の犯した致命的なミスは、何でしたか。彼の態度の中には、どのような霊
的欠陥が見られましたか。私たちが思う以上に、彼と同じ態度を取ることは、なぜ容
易なのですか。マタイ 20:1~16 も参照してください。
③イエスは「金持ちとラザロ」の物語の中で、たとえだれかが死者の中から生き返って
も、信じようとしない者がいるだろう、とおっしゃいました。このたとえ話は、イエ
スの復活に対するある人たちの反応を、どのように予告していますか。あのとき、彼
が復活したという有力な証拠にもかかわらず、依然として信じない人々が何人もいま
した。
④イエスの救済の働きの最も印象的な側面の一つは、彼がすべての人――目の不自由な
憐れみを求める人、ザアカイ、ニコデモ、サマリアの女性など――を平等に扱ってお
られることです。十字架は、ほかの何よりも、神の前におけるすべての人の平等を示
しています。この重大な真実は、他者を――(政治、文化、人種などのゆえに)私た
ちがかつて嫌な思いをさせられた人々さえ――いかに扱うかということに、どのよう
な影響を与える必要がありますか。
⑤「放蕩息子」の物語と「金持ちとラザロ」の物語を比較してください。二つの物語は、
どのようにつじつまが合っていますか。
第9課
話し合いのための質問
①日曜日の研究の最後に問われている重要な質問を熟考してください。
「神が私に言われ
たので……をしたのだ」とだれかが言うのを聞いたことのない人がいるでしょうか。
神は彼らに、どのように語りかけられたのでしょうか。同時に、私たちの行為を正当
化するために神の権威を引き合いに出すことには、どのような危険性が潜んでいます
か。
②ルカ6:24~26 に記されている「四つの不幸」について、もう一度熟考してください。
イエスがここでおっしゃっていることを、私たちはどのように理解すべきですか。こ
の世の生活において、どのようなことに注意しなさいと、イエスは私たちに警告して
おられるのでしょうか。
③権威に関するさまざまな疑問について考えてください。権威とは何ですか。どのよう
な種類の権威がありますか。ほかの権威に勝る権威とは、どのような種類のものです
か。私たちの生活の中で、さまざまな権威とどのように関わるべきですか。私たちに
対するさまざまな権威が衝突するとき、どのようなことが起きますか。
第 10 課
話し合いのための質問
①金持ちで成功した農夫を、イエスは「愚かな者」と呼ばれました(ルカ 12:20)。金持
ちでも、成功者でもないかもしれませんが、ある人が神の目に愚か者と映るのは、ど
のようなことによるのでしょうか。
②ある教会では、次のような二つのグループを見かけます。一つは、専門家、会社の重
役、教会や近隣地域の指導者、有力者などで、いずれも尊敬と注目を得ている人たち。
もう一つは、だれにも気づかれずに教会へ来て、帰って行くような物静かで、重要視
されていない人たち。二番目のグループの人たちが、最初のグループの人たちと同じ
ように大切な存在だと感じてもらうために、あなたはどのようなことができますか。
③ファリサイ派の人々が信仰を曲解したことをあざ笑うのは簡単です。しかし、信仰を
熱望する私たちが同じ過ちを犯す危険性の中にないと、どうしたらわかりますか。フ
ァリサイ人になることなく、私たちはどうしたら正しいことのために堅く立てるので
しょうか。さらに重要なことに、
「ぶよを漉して除く」のではなく、私たちはどうした
ら何が正しく、何が戦うべき価値のあるものなのかを判断できるのでしょうか。
④年を追うごとに、どんどん油断しやすくなりますが、私たちはキリストの再臨に対し
て、油断のない、準備のできた態度を保つために、どうしたらよいのでしょうか。
第 11 課
話し合いのための質問
①物理学者スティーブン・ワインバーガーは、よく知られているように(あるいは、恥
ずかしいことに)、宇宙についてこう書き記しました。「宇宙が理解できるように思え
れば思えるほど、それはますます意味がないように思える」。その言葉がかなりの物議
をかもしたので、彼は最終的に発言を和らげようとしました。しかし、宇宙には意味
がないという論争の理由が、さっぱりわからない人たちもいました。マーサ・ゲラー
は宇宙について、「宇宙に意味はあるべきなのでしょうか」と言いました。「どんな意
味ですか。宇宙は物理的システムにすぎません。そこにどんな意味があるというので
すか。私はそういう意見にいつも戸惑いを感じてきました」と。宇宙は物理的システ
ムにすぎず、そのうえ意味を持たないのでしょうか。キリストの再臨と、神の国の完
全な樹立を待ちわびるクリスチャンとして、あなたはこれらの言葉の背後にある考え
に対して、どのように答えますか。
②あらゆる世代のクリスチャンが、自分たちの時代にキリストが戻られることを期待し、
牧師や伝道者の中には、その具体的な時を設定した人たちもいました。しかし、だれ
もが失敗したのです。時を設定することは、何が間違っているのでしょうか。
第 12 課
話し合いのための質問
①イエスが宮清めをなさった場面を思い描いてみてください。私たちは自分の信仰や忠
誠を、いかにして売り物にできますか。利益、名誉、地位などのために、いかに宗教
は用いることが可能ですか。さらに重要なことですが、どうしたら私たちは教会とし
て同じ欺きに陥られないようにできるのでしょうか。
②無神論者の作家アレックス・ローゼンバーグは、すべての現実、すべての存在が純粋
に物質的であると信じています。つまり、あらゆることは、物理的な過程によって(の
み)説明されうるし、説明されなければならないといいます。そのような過程には、
言うまでもなく、意図、目標、目的、神などは存在しません。
「宇宙の目的は何だろう
か。そのようなものはない。どのような目的が宇宙の中で作用しているのだろうか。
答えは同じだ。そのようなものは存在しない」と、彼は記しています。しかし、この
きうつ
宇宙の意味のなさや目的のなさがあなたを落ち込ませるなら、
「その気鬱を深刻に」受
け止めないようにと、ローゼンバーグは警告しています。なぜでしょうか。
[彼によれ
ば]私たちの感情は、気鬱も含めて、神経細胞と神経伝達物質の組み合わせにすぎな
いので、何もそれほど深刻ではないからです。そして彼は、人生の無意味さに落胆す
る人たちのために一つの答えを持っています。気鬱は単に神経細胞の特定の配列にす
ぎないのだから、単純にその神経細胞を配列し直せばいい――それは薬で可能だ、と
いいます。
「朝、……あるいは3週間後に気分がよくなかったなら、別の薬に変えなさ
い。プロザック、ウェルブトリン、パキシル、ゾロフト、セレクサ、ルボックスとい
ったセロトニン再取込阻害剤は、たいてい3週間飲めば効果をあらわすからだ。どれ
かが効かなければ、別のが効くだろう」
。彼の答えの驚くべきところは、彼が大真面目
だということです。気が滅入ったら薬を飲め、といいます。このような人生観と、私
たちがイエス・キリストについて信じていることや、彼が十字架でなさったことを比
較してみてください。本質的な意味において、私たちが聖餐式に参加することは、な
ぜローゼンバーグと彼の無神論が提示する虚無主義や意味のなさに対するあからさま
で大胆な反論なのですか。
第 13 課
話し合いのための質問
①クリスチャンである私たちは、信仰によって生きなければなりません。つまり、私たちは
十分に証明できないこと(もの)
、直接の目撃証拠を持たないこと(もの)を信じる必要
があります。
言うまでもなく、
多くの物事において人々はいつもそうしています。例えば、
科学に関して、ある著者は次のように書いています。「要するに、私たちが信じているこ
とで直接的な証拠を持っているものは、驚くほどわずかなのである」(リチャード・デュ
ウィット『世界観――科学史と科学哲学入門』15ページ、英文)
。それにもかかわらず、
私たちの信仰や私たちが信じることには、十分な理由がたくさんあります。例えば、大宣
教命令に関して、イエスが弟子たちにおっしゃったことを見てください。
「そして、御国
のこの福音はあらゆる民への証しとして、全世界に宣べ伝えられる。それから、終わりが
来る」
(マタ24:14)
。イエスがこれらの言葉を口にされた時代について考えてください。
当時、彼に従っていた人々は、どれほどいたでしょうか。どれほどの人が彼を信じ、彼の
正体を理解し、彼が成し遂げようとしていたことをわかっていたでしょうか。ローマ帝国
の中で、何世紀にもわたって、初代教会が遭遇しなければならなかったあらゆる反対につ
いても考えてみてください。それらの事実を心にとどめつつ、イエスの先の言葉がどれほ
ど驚くべき予言であったか、また、私たちが神の御言葉を信頼するうえで、その言葉がい
かに役立つか、話し合ってみてください。
②金曜日の研究におけるエレン・G・ホワイトの引用文をじっくり考えてみてください。
罪の問題がいかに普遍的であるかを理解するうえで、これはいかに役立ちますか。天
使たちでさえ、イエスに目を向けなければ、安全ではありません。これはどういう意
味でしょうか。