平成27年2月1日発行 号 5 第 同 窓 会 通 信 発行:北海道長沼高等学校同窓会 長沼高等学校 オーストラリアからの留学生アントニア、学校生活満喫 昨年1月より長沼高校で1年間学校生活を送り、日本語も上手に 話せるようになり学校生活を楽しみ、先月帰って行きました 同窓会への一層のご理解と支援を 長沼高等学校同窓会 会長 菊池 武司 寒さ 厳 しい 折 皆 様方 に は、 ご 健勝 にて ご活 躍の こと と存 じ ます 。 昨年 春 に 五十 四 期 生七 十 一名 の卒 業生 が学 業・ 就職 に と全 国 に活 躍 の 場を 求 め 旅立 ち まし た。 各界 にて ご活 躍の 同 窓生の皆さまには何かとご支援をお願いする次第です。 この 一 年 ソチ オ リン ピ ッ ク、 パ ラリ ンピ ック・ サッ カー ワ ール ド カ ップ ・ アジ ア 競 技大 会 等の アス リー トの 国際 大会 が 数多 く あ りま し た 。フ ィ ギア ス ケー トの 羽生 選手 の華 麗な 演 技の 金 メ ダル は 日 本中 が 歓喜 し 、参 加選 手と 共に 一丸 とな り 勝利 に 向 けて の 戦 いは 感 動的 な もの でし た。 そし て、 北海 道 出 身の 葛 西選 手 の スキ ー ジャ ン プの 最高 齢で の銀 メダ ル獲 得 は、 「まだ、やれるぞ」と言う気概が伝わってきました。 ま た、 全 米テ ニ ス 大会 で は 、錦 織選 手の 準優 勝、 そし て、 ノーベル物理学受賞の3人は日本人の誇りに思います。 数 多く の同 窓生 から も、 スポ ーツ・ 文化 芸 ・術 技 ・ 術系 など 様 々な 分 野 から の 優秀 な 人 達が 輩 出さ れる こと を期待 する と ころです。 長 沼高校 も春 に入 学者 が入 り活 気づ きま した が、 数多 い行 事の中でも学校祭は生徒全員の意欲的な出し物も「仲間の和」 を 基 本と し た演 出 が 素晴 ら し く、 また 、先 生方 やP TA の皆 さ ん の協 力 が一 助 に なり 楽 し い祭 典に なり まし た。 生徒 は、 部 活 動や ボ ラン テ ィ ア活 動 ・ 町内 企業 協力 によ るイ ンタ ーン シップ等積極的に参加しております。 ま た 、同 窓 会 は毎 年 、学 校 祭 の花 火大 会・ 卒業 記念 品・生 徒 の 活動 な ど の学 校 支援 を 行 って いま す。 夕や け市 にお いて も 、 学校 P R を兼 ね て PT A と共 に学 校紹 介ビ デオ や長 高新 聞 の 配布 ・ 野 菜販 売 で は、 P TA や同 窓生 から 野菜 の提 供を し て 頂 き販 売 し、 成 功 裡に 終 わる こと が出 来ま した 。こ うい う 活 動 を通 し て、 一 人 でも 多 く の中学 生が 長高 に入 学し てく れる事を期待します。 同 窓 会 では こ れ から も 、町 ・ 学校 ・P TA 等、 関係 機関 と 連携して長沼高校を応援していこうと思っています。 最 後 に なり ま す が、 今 後と も 同窓 会へ の、 より 一層 のご 理 解とご支援のほどお願いし挨拶とします。 長高の現在、そして、未来(Ⅱ) 北海道長沼高等学校長 西野 晴彦 同窓会の皆様には、益々ご清栄のこととお喜び申し上げます。 また、日頃より長沼高校を物心両面にわたり応援していただき、心より深く感謝を 申し上げます。 さて、本校の特色ある取組として、まず、9月下旬の週末に開催された「夕 やけ市」への協力ということで、今年も道銀長沼支店前で出店いたしました。 同窓会とPTA、学校が一体になって学校のPRをしていただいており、私 は大変有り難い、すばらしい企画だと思っております。 次に、今年度は久しぶりにオーストラリアから留学生を受け入れております。 右下の写真は、7月16日に行われました記念植樹祭の一コマです。留学生 のアントニア(17歳)さんがツツジを植樹いたしました。 一昨年、長沼ロータリークラブから依頼があり、本校で受け入れるにあたっ て色々な課題もありましたが、それを乗り越えて、生徒たちにとってすばらし い思い出と国際交流ができたものと思っております。 最後に、10月24日には本校のボランティア活動に 対して、ソロプチミスト協会吉村幸子会長から佐藤翔太 生徒会長、谷村歩望Sクラブ会長に対して感謝状と記念 品が贈呈されました。地域から感謝される本校のボラン ティア活動は、現在も力強く続けられております。 同窓会の皆様、長高の生徒たちは同窓会の方々が築き上げてきたすばらしい 校風をより成長させ、未来へ向けしっかり受け継いでおります。 今後とも母校への熱いご支援、よろしくお願い申し上げます。 恩 師 の 声 昭和33年から昭和39年在任 長 高 ー わがふるさと ー 林 恒 子(旧姓 広瀬) 歴史教育者協議会・札幌女性史研究会 戸川町長はじめ卒業生の活躍を伝える「同会通信」をうれしく拝見しました。 初めて家を離れて就職した長沼高校の6年間は、私の教員生活の原点です。 当時、町立高校が他校の分校からではなく独立して発足というのは珍しかったそうで、万事「自分 たちで作る」という気風が満ちていました。校歌も実は福井教頭が作詞、鳴海先生(数学・ピアノも 堪能)が作曲されたもので合唱部分が斬新でした。 岩本校長は農繁休暇ならぬ農繁短縮授業(6時間の授業を午前中に圧縮)の間 に、教員を引率して道立聾学校や町内の単級複式授業など見学させました。 初年度は仮校舎でもっぱら将来計画。伊藤隆先生が厚紙で作ったプールつきの 精巧な校舎模型は、長く校長室兼会議室に置かれました。私も図書室と閲覧机や 椅子を設計しました。 2年目からは校地整備、生徒の素早く刈る草をレーキで集める中に首尾良く青大将をとらえ、カン シンされたこともありました。 生徒と自転車で登った伏見台が、最後の陸軍大演習の地だったことは後に分かりました。裏書きさ れた地券や日露戦争従軍記録のある軍隊手帳を譲ってもらい、授業に効果的に活用しました。 3年目が60年安保の年です。土曜の午後、町の目抜き通りを反対デモに参加して「小作争議のム シロ旗から30年ぶりだ」という声を聞きました。 翌年これも30年ぶりの大水害で冠水した農家出身の一人は、生活改良普及員になって立派な聞書 き「開拓農民記」を作りました。堂林遺跡の発掘を見学・参加した一人は考古学を専攻しました。放 課後の資料集めや「昭和史」の学習会、田植えの援農など次々に思い出されます。 初年度に勤めた教員は新卒の二人以外みな鬼籍に入りましたが、10周年の時北長沼の篠島清作さ んから頂いたドウダンツツジは、我が家の庭で健在です。 また、数年前ある会合で富士戸ダムから揚水機場まで藪田町議の説 明を伺い、夕やけ市で石尾さんの蕎麦を味わいました。有機農業やグ リーンツーリズムの取り組みなども頼もしく思います。 長高を離れて50年。あらためて長高との縁を感じます。 卒業生と旧職員共通のふるさととして、長高が歴史をつないでいく ことを願っています。 会 3年間の記憶 員 の 声 第13期・昭和48年卒業 ー 高校生の仲間が一生の友 ー 高 橋 義 博 昨年還暦を迎え、近年、更に「物覚え悪く物忘れが速い」に拍車がかかり、 既に卒業から40年以上経過していることもあり、記憶に残っているものは数少な くなってきております。私は、3年間クラス替えなく学生生活を送りました。 そのころの遊びと言えば、ゲーム機・パソコン・スマホなど無い時代、いつも 仲間と群れ遊び、常に仲間と接していた良き時代でした。晴れている日は、昼休みになると学校南側 にあった芝生でソフトボール、雨の時、冬には、歌謡本を見ながら仲間で「流行り歌」を口ずさんだ ことなどが記憶に残っています。 そのころ既に学生運動も下火となっていましたが、締め括るような衝撃的事件として、連合赤軍に よる「あさま山荘事件」がありました。テレビでは、毎日一進一退の動向が生中継され、逮捕後の取 り調べから、仲間の「総括」によるリンチ殺人事件が次々と明らかとなるなど、この時こそ、「同志 とは?」 「仲間とは?」を考えさせられる事件として、数人で議論したことが記憶に残っております。 一方、明るい話題としてアジア初めての開催となった札幌冬季オリンピック、北海道での開催、そ れも僅か30数㎞しか離れていない札幌での国際的大会ということで、未だかって見たことの無い多 くの外国人の来道に驚き、札幌市が国際都市へ仲間入りしたうれしさ、ジャンプ70㍍級の表彰台独 占など、日本人に多くの感動を与えてくれたオリンピックでした。 書き進んでいくと、いろいろな事を思い出してきましたが、文字数の制限もありこのくらいにして おきますが、いろいろな事があった三年間でした。 卒業後毎年、幹事のお世話になりながらクラス会を重ね、“たかが”三年、多感な時期に一緒に机 を共にした“仲間”が、今も一生の“友”として続いていること、 これからも続いていくであろう事に感謝しております。 在校生のみなさん、一度きりの人生、貴重な三年、失敗は経験と 捉え“恐れず”“はつらつ”とした三年間であることに期待します。 最後に私が好きな言葉を送りたいと思います。 「無駄をおそれてはいけないし、無駄を軽蔑してはいけない。 何が無駄で何が無駄でないかはわからない」 長沼町、長沼高校万歳! 忘れられない「命の授業」 第14期・昭和49年卒業 森 下 由美子 有限会社 森下松風庵 取締役専務 私の長沼高等学校時代は、中学校から続けていた卓球部に入りましたが数ヶ月で 挫折。書道同好会を立ち上げ、書道に没頭しました。書道はなんとか続けることが でき、師範の資格を取得することができました。これからは、仕事の合間を縫って、日本の文字の美 しさを伝えたいと思います。 さて、高等学校時代の一番の思い出は、道徳の授業です。内容は、 『自殺について』 。 その時の担任の先生は、クラスの中で思う存分、死について自由に話し合いをさせて下さいました。 生徒代表が「今まで、自殺しようと思ったことがある人手を挙げて。」と、問いかけ、半数以上が手 を挙げたような気がします。自分もその中の一人です。ある生徒が、「自殺するって、すごい。自分 には、自殺する勇気なんてない。」と、発言しました。私は、そのような考え方に驚き、色々な考え 方があることを思い知らされました。 現在、わが子が社会に旅立ち、目の届かぬところにいます。小さいうちから、「命の大切さを教え ただろうか・・・?」と、不安になることもあります。 みなさんも、一度や二度は死について考えたことがあるのではないでしょうか? なぜ、思いとどまったのでしょう? やはり、家族や愛する人たちへの想いですね。自分の命を大切 にすることは、他の人の命も大切にすることに繋がります。 死をみつめることにより、より良い生き方を考えていくことができるような気がします。私の年代に なると、生きたくても生きていくことができなかった友人が何人もいま す。その友人の分も精一杯生きて、社会に貢献できる人生を歩みたいと 思っています。 北海道の冬は、雪も多く厳しい日々が続きます。でも、雪の下にはた くさんの命が春の芽吹きを待っています。つらい、苦しいことがたくさ んあっても無理せずにそっと待っていましょう。 いつか雪は消えて、そこに新しい自分が育っていくのです。 平成26年度 平成2 6年4月 6月 7月 9月 平成2 7年2月 3月 事 業 計 画 入 学式・PTA と同窓会の 合同歓迎会 役 員会 理 事会・学校祭 協力(花火 打上補助・仮 装行列とク ラス企画審査 員) 夕 やけ市に協力 (PTAと 合同) 同 窓会通信第5 号発行・同 窓会入会式 第 55回卒業式 ・PTAと 同窓会の合同 送別会 平成26年度 職 名 顧 問 相 談 役 会 長 副 会 長 会 計 監 査 事務局長 事務局員 西野 晴彦(校 長) 石川 昌司(教 頭) 菊池 武司( 7期) 漆原 衛(17期) 高田 賢一(27期) 吉井 富徳( 7期) 石井 浩道(19期) 吉田 潤(事務長) 渡部 喜郎( 1期) 山崎 常慧( 5期) 栗林 邦幸( 9期) 松尾 嘉則(13期) 山本 仁(17期) 大沢 統治(21期) 片岡 仁美(25期) 新谷 正寿(29期) 佐々木孝志(33期) 石山 卓(37期) 柳原 隆次(41期) 柏木 崇(45期) 桂 万梨恵(49期) 小野 弘喜(53期) 理 事 2月 同窓会入会式 長沼高等学校同窓会事業計画 長沼高等学校同窓会役員一覧 氏 鳥井 俊行( 5期) 高木 名 繁秀( 6期) 森下由美子(14期) 記虎さちえ( 9期) 森本 明美(20期) 相田 誠(38期) 荒木美智雄(総務部長) 安田 修( 2期) 波川 良正( 6期) 中原 久勝(10期) 木工 順人(14期) 真室 隆(18期) 山田 和夫(22期) 向 亮司(26期) 渡辺 直美(30期) 山村 由紀(34期) 相田 誠(38期) 中山 敏弥(42期) 小西 力也(46期) 伊藤 明恵(50期) 駒谷 楓(54期) 6月 岩崎 縁(総 務) 吉田 勝( 3期) 吉井 富徳( 7期) 佐々木博美(11期) 小西寿栄子(15期) 石井 浩道(19期) 大橋 明美(23期) 高田 賢一(27期) 和泉 咲織(31期) 松本 香織(35期) 川瀬 良恵(39期) 山本 徹(43期) 三木 達弘(47期) 伊藤 伸貴(51期) 山村 博基(36期) 中山 正一( 4期) 堂田 忠( 8期) 石川 博昭(12期) 山本 利幸(16期) 飛谷 博秀(20期) 大沢 誠治(24期) 福島 聡(28期) 久保 敦(32期) 山村 博基(36期) 石田枝利子(40期) 三上 貴生(44期) 西城 幸恵(48期) 桑野 仁美(52期) 9月 定例の同窓会役員会 7月 夕焼け市 学校祭花火 編 集 後 記 今回の表紙は、オーストラリアからの留学生アントニアの長高での学校生活の様子の写真を掲載しました。 約20年ぶりの留学生の受け入れで、最初はどうなるかと心配していましたが、当初本人は、片言の日本語がわか る程度で、よく分からない日本の授業を一生懸命受けていました。しかし、いつの間にか日本語も上手に話せ、こち らの話もわかるようになり、学校生活を楽しんでいました。途中、ホームシックにかかりましたが、それも乗り越え 12月に涙涙のお別れ会が開かれました。本人は日本が大好きで、将来、また日本に戻ってきたいと話して、1年間 の留学生活を終えました。 昨年夏、長沼農協青年部より長沼の大豆で豆腐を作っているが名前が決まっていないので、長高生に名前を考えて 欲しいと依頼があり、募集したところ多数の応募の中から「誉とうふ」と決まりました。お礼に生徒全員一人1丁の 豆腐を頂きましたが、とても甘く美味しい豆腐でした。当面、イベントのみの販売でお店に並ぶという事はないと言 うことでしたが、早くお店に並び、それが長沼町の地域活性化に繋がると良いですね。 学校の近況については、 「長沼高等学校HP」や「長沼町HP」で学校の様子を随時掲載しておりますので是非 ご覧下さい。 事務局 岩崎
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