エバ・B・ミリカン物語 (前編)

ねん
に ほん
めい じ
じ だい
しゅう
1887 年 ―日 本 では明 治 時 代 のこと―、アメリカのインディアナ州 で、ブライ
け
ちょうじょ
う
のち
せんせい
アン家の長女として、エバが生まれました。後のエバ・B・ミリカン先生です。
とう
しんりん ち たい
き
けい い みん
エバのお父さんは、ヨーロッパの森林地帯から来たドイツ系移民でした。
とう
のう ち
つく
き
たお
き
まる た ご や
た
お父さんは、農地を作るときに切り倒した木で丸太小屋を建てました。
か ぞく
す
さむ
ふゆ
た
ひろ
と ち
のうぎょう
そして家族で住み、寒い冬に耐えながら広い土地で農業をしていました。
かあ
はや
ぎ り
かあ
そだ
さい
エバは、お母さんを早くになくしたので、義理のお母さんに育てられて、11 歳に
とう
のうじょう
か
い
き せつ
ひと
き
なりました。お父さんの農場では、刈り入れの季節になると、たくさんの人が来て
はたら
ひと
しょく じ
て つだ
いえ
し ごと
働 いていました。エバはその人 たちの食 事 のしたくを手 伝 ったり、家 の仕 事 を
かあ
いっしょ
いっしょうけんめい
はたら
お母さんと一緒にしたり、一生懸命に働いていました。
て つだ
おわ
つか
ちい
「ふう、お手 伝 いが終 ったわ。
」 ちょっと疲 れたのでしょうか、エバは小 さな
ためいきをつきました。「なんだかよくわからないけど ・・・ わたし、さみしい ・・・。
」
りょうしん
きょうだい
のうじょう
はたら
ひと
エバのまわりには両親や兄弟たちもいたし、農場で働く人もおおぜいいたのに、
こころ
なか
さみ
じ ぶん
わ
心の中が寂しかったのです。
「どうしてなのかしら・・・。
」エバは自分でも分かり
ませんでした。
ひ
す
まち
がっ こう
せい しょ
よ
でん どう かい
ひら
ある日 のこと、エバの住 んでいた町 の学 校 で、伝 道 会 が開 かれました。エバも
でんどうかい
い
その伝道会に行きました。
でん どう かい
きょう かい
ぼく し
はなし
伝 道 会 では、教 会 の牧 師 さんが聖 書 を読 んで、イエスさまのことをお話 して
はなし
き
くれました。エバは、イエスさまのお話を聞いて、とてもうれしくなりました。
かみ
こ
つみ
じゅう じ
か
「イエスさまって、神 さまの子 なのに、わたしの罪 のために十 字 架 にかかって
し
くだ
ゆる
くだ
死 んで下 さったのね。そしてわたしを赦 して下 さったなんて・・・、そんなに
あい
わたしを愛してくださるなんて・・・ああ、うれしい、ありがとう!イエスさま!」
すく
ぬし
しん
とき
エバは、そのときイエスさまを救 い主 として信 じました。その時 からエバは、
すこ
さび
少しも寂しくなくなったのです。
て つだ
お
つか
のうじょう
しろ
うま
の
エバは、お手伝いが終わると、どんなに疲れていても、農場から白い馬に乗って、
きょうかい
ねっしん
はなし
き
教会へかけていきました。そして、熱心にイエスさまのお話を聞きました。
おも
エバは思いました。
「イエスさまって、ほんとにすばらしいわ! イエスさまの
おおぜい
ひと
おし
せいしょ
よ
かみ
こと、わたしも大勢の人に教えてあげたいわ。
」エバは聖書をよく読んで、神さま
み こと ば
き
せいちょう
の御言葉をよく聞きながら、成長しました。
しゅう
うつ
まもなくエバは、ワシントン州に移り、シアトル・パシフィック・セミナリーと
かみ
おし
がっ こう
しん がく
かみ
いう神さまのことを教えてくれる学校に進学しました。そして神さまは、エバが
みち
すす
い
みちび
すばらしい道に進んで行くように、導いてくださいました。
せいねん
で あ
それは、ロイ・ミリカンという青年との出会いです。ロイもまた、イエスさまを
せ かいじゅう
ひと
つた
ねが
世界中の人に伝えたいと願っていました。
けっこん
いっしょ
いの
かみ
エバはロイと結婚しました。ふたりは一緒にお祈りをしました。「 神さま、わたし
かみ
て つだ
し
たちは、神さまのお手伝いがしたいのです。まだイエスさまを知らない、たくさんの
ひと
す
くに
い
つた
かみ
くに
人 が住 んでいる国 に行 って、イエスさまをお伝 えします。神 さま、そんな国 に
つ
い
連れて行ってください。
」
かみ
いの
こた
神さまは、ふたりの祈りに応えてくださいました。
つた
せん きょう し
に ほん
い
ロイとエバは、イエスさまを伝える宣教師として、日本に行くことになったの
ふね
10
ひょう ご けん
こう べ
わた
す
です。ふたりは、船で兵庫県の神戸に渡って、そこに住みました。
せんせい
せんせい
し
おおぜい
ロイ・ミリカン先生とエバ先生のふたりは、イエスさまのことを知らない大勢の
ひと
あい
つた
人に、イエスさまがどんなにわたしたちを愛してくださっているか伝えました。
しん
ひと
う
そして、イエスさまを信じる人が生まれてきました。そのなかには、ブラジルに
し
わた
せいねん
にしずみ まさよしせんせい
まで、イエスさまのことを知らせに渡った青年もいました。西住 正義先生です。
ふう ふ
に ほん
にん
こ
ロイとエバ夫婦は、日本で8人のかわいい子どもたちにめぐまれました。エバ ・
せん せい
こ
そだ
せん せい
たす
せい しょ
ミリカン先生は子どもたちを育てながら、ロイ先生を助けて、聖書のみことばを
つた
伝えていました。
せん せい
りょう り
とく い
や
に ほん りょう り
また先 生 は、お料 理 が得 意 で、すき焼 きなどの日 本 料 理 もつくれたのです。
に ほん ご
じょう ず
はな
日本語もどんどん上手に話せるようになっていきました。
かん さい ち ほう
ねん かん
ひと
つた
ふ た り は 関 西 地 方 で 17 年 間、 た く さ ん の 人 に イ エ ス さ ま の こ と を 伝 え て、
ねん
12
か ぞく
かえ
1928 年に家族でアメリカに帰りました。
あい
に ほん
う
くに
せん そう
やがて、ふたりの愛する日本と、生まれた国であるアメリカとが戦争をすると
かな
お
だい
じ せ かいたいせん
いう悲しいことが起きてしまいました。第 2 次世界大戦です。
せん せい
せん せい
に ほん
もど
し ごと
ロイ先 生 とエバ先 生 は、日 本 に戻 って仕 事 をすることができなくなりました。
す
だい いち
か てい
きず
こ
ふたりは、シアトルに住 み、イエスさまを第 一 にした家 庭 を築 きました。子 ども
せい ちょう
かみ
よろこ
し ごと
けっ こん
じ ぶん
か てい
たちは成 長 し、それぞれ神 さまに喜 ばれる仕 事 につき、結 婚 して自 分 の家 庭 を
も
持つようになりました。
ねん
おっと
せん せい
な
かみ
かえ
1949 年、夫 のロイ・ミリカン先 生 は亡 くなって、神 さまのもとへ帰 りました。
せんせい
さい
なか よ
つた
エバ先生は 61 歳になっていました。いつも仲良くすごして、イエスさまを伝える
し ごと
いっしょ
せんせい
な
さみ
仕事も一緒にしてきたロイ先生が亡くなって、どんなに寂しかったことでしょう。
せんせい
14
でも、エバ ・ ミリカン先生はくじけませんでした。