世躙陰豹肝頬叢 囲踏拝邸指 発行 : 社会福祉 法人 光摂会 理事長 渡 辺 達雄 〒5 6 6 ‐ 0 0 3 4 摂 津市香露園 3 4 - 2 Te11072‐ 638-4872 638-4871 Fax1072‐ 〓一 ダ・ 手 ・ 宅メ ヽ 編集 : 編集委 員会 代表 山本 聖 二 〒5 6 6 ‐ 0 0 2 5 摂 津市東正雀 4 ‐ 22 T e 1 1 0 66‐ 382‐ 0210 Fax:06‐ 6382‐ 0245 こ 毛 毛 第 20号 2015年 8月 5日 発 行 佐藤和子さん ありがとうございました 統 括施 設 長 勝 本 彰 去る7 月 2 9 日 午前 0 時 5 5 分 、佐藤和子さんがお父様 、お母様の眠る天国に旅 立たれました。5 9 年 5 ヶ月の生涯でした。ここに謹 んでご冥福をお祈りいたします3 和 子 さん の 5 9 年 、摂 津 での 4 3 年 ■ 子さんは昭和4 7 年 、1 6 虚 で兵庫 県声屋市か ら摂津市に転居されました。以後 1 1 年 間お父さん 、お母さん、そして 1 歳 違 いの お兄さんと和 子 さん中心の温 かい在 宅での暮 らしだつたと聞いています 。昭和 5 8 年 、2 7 歳 か ら「摂津 ハ ッピー 作業所」に9 年 間通 所されました。当時を振 り 返 り、「 年齢も考え方もそれぞれ違つておもしろかつた」と話されていました。 平成4 年 からは新 設 の 「 摂津交流 センター バクの家 」にかわ り、実 に2 3 年 という長 い年月通 われました。ここでもまた、いろんな人との 出会 い を喜び、楽 しまれました。 平成 1 2 年 には 、お母さんの元 を離れ 、摂津市では先駆的な重度障害者の 一 人暮 らしを実現 し、今 日まで1 5 年 間頑 張つてこられました。 佐 藤さんの 一 人暮 らしを応援する会 がつくられ 、多くのボランティア、バ クの家関係者 がかかわ り、そうした方 々に障害者の支援 や 「 地域 で暮 らすこと」の意味 、理念を教 え導いてくれました。 和子さんが残してくれたもの│ 当時 、和子 さんと支 援 を通 じて、ともに人 生 を歩 ん だ方 々に 言卜報 を知 らせ ると、多くの方 が , い か らの お梅 やみ とともに、「自分 は佐 藤 さん に育 て てもらつたんです よ」としヽ う言 葉 が返 つてきました = 'お '通 二 丹けれ の 会 」を開 催 しま▼た . そ の す ヨの 7 月 3 ・ヨ十 夜 _ も含 めて、和 子 さん の 支 援 にか かわ られ た居 宅 介 護 事 業所 の ヘ ル ハ ー さんも多 く、お線 香 を手 向 けに来 られ ました。この 方 々か らも、一 人 の サ ー ビス 利用 者 が 亡 くなられ たということだ けでなく、「 和 子 さんの 支 援 を通 じて障 害 者 支 援 とは何 かで あ つた り、自分たちの 仕 事 の意 味 、言 い 換 えれ ば 「 福 祉 の 理 念 」というもの を学 んだんです 」という言 葉 が 多く聞 かれ ました。 一 人暮 らしを始 め るに あた って、多くの支 援 者 とともに市 役 所 の 障 書 福 祉 の 方 々 も本 気 にな つて共 に考 え、出 来る限 りの 手 立 てを話 じてくださ つたと聞 いています = この ように多くの 方 々に 影 響 を与 え、摂 津 の町 に 「 福 祉 の 理 念 」の 「 種 」をまき続 けてくれ た和 子 さん の 功 績 は大 変 大 きなもの が あ ります 。私 た ちは 、この 「 種 まき」をしつか り引き継 いでい か なけれ ばならないと思 います 。 ん どうぞ安らか│ 昨年 10月 に入 院 されてか ら何 度となく、「 今度 はもう無理かな」という気持ちを吹つ飛 ばす 危ない状態」になり、その度 に駆 けつける私たちの 「 ように復活し続 けてきました。「 私 、100ま で絶 対生きる」という口癖 は嘘でないと思 い知 らされ る日々でした。 「 パ クの家」の長 年の 「 友」の 「 佐藤 さあ∼ん」という甘 い声か けに 「 うるさいなあ」と笑 つて返 す姿 が 目に浮かびます。 和子さん、どうぞ安らかにお眠 りください。 後は私たちがしつか り受け継ぎ、種 をまき、花を咲かせていきます。 和子さんは、動く左足指で「 チャット」を器用 に使い、数 々の 短歌を詠まれました。 友という 強き絆に 支えられ 心充ちたる 日々の営み 合掌 8目 号 TEL:072‐ 638・4871 FAX:072‐ 638‐4872 多大な被害をもたらした台風 の通過 とともに梅雨もあけ、日々暑 さが増す今 日この頃ですが、パク の家のメンバーさんは照 りつける太陽の 日差 しの中、公園清掃や活動に取 り組まれています。そ んな夏の輝 く太陽のようなメンバーさんの 7月 の活動 の様子 をご報告 させていただきます。 幕 簿= す ミニ 争 々 会 手 尋 井 先月号でご報告 した「ミニ七夕会」を 7 月 7 日 にお こない ました。 メンバー さんの願 い事 を書い た笹の実を飾 り、皆 で願 い事を披露 ' ス f i イヤと― 、 した りと共 し1 : l i ! を │よ とこ しましたE 令4 i ▼■! !│「 ワリなど 『 夏』 をイメージしたとて もカラフルな短冊 です。 スイ角 の 贈 呈 式 7月 14日 に佐竹食品様 よ り、毎年恒例 のスイカのプレゼ ン トがあ りました。大 きくて甘い、とて も立派な スイカにメンバ ー さんも大喜 び。おやつの時間 にみんなで美味 しくい ただ きました。佐竹食品様あ りが とうござい ます。 遺樽 ー欝つ番大会 毎年 メンバ さんが楽 しみにされてい る 「 お花見 7月 のお華教室 は ピン クの薔薇 と黄 DE餅 つ き大会」 を主催 い ただいてい る摂津市鍼 灸 マ ッサ ージ師協会の宮崎 さんを偲ぶ 「 追悼 餅 つ 色 い 百合 が可憐 な き大会」が 7 月 1 9 日に開催 されました。当日は 宮崎 さんを偲ぶメンバーをはじめとする皆で天国 れたア レカ ヤ シと の宮崎 さんへ の感謝の気持 ちをこめて餅 つ きをお こない ました。 雰 囲気 をか もしだ 作 品 で す。添 え ら ヒペ リカ ムが夏 の してい ま した。 を ょ 巻勢 機簿数室 しよ │ナ 「カラオケ喫茶 和(かず)」き/′ 業務│!! のか き氷機 をい ただきました。 早速、 メンバーのおやつの時間に機械 を 鞄 途 重 動 か しました。大 きな氷 を削 るため、氷 T もふわふわで とって もお い しい カキ氷 で した 。 また、 イベ ン トや活動 で使 ってい きたい と思 い ます 。「 和」 さんあ りが と うご ざい ま した。 幸 警 会 を 塾 建 重F を ユP 生 7月 30日 に総合支援 センターにて 「 平成 27年 度 第 1回 バ クの家 家族会」が開催 されました。統括施 設長 の勝本 よ り、「 桂吉弥 落語会」 についての 目的や今後 の協力券 ・ 協 賛広告 の販売 につい ての説明 があ りました。参加 された ご家族様 の積 私 たちの大切 な仲 間であ る佐藤和子 さんが 7月 29日 に永眠され ました。 バ クの家の開所 当初か らご利用 されてお り、メンバ ーの良 きお姉 さん的 極的な協力姿勢へ の感謝 とともに、 な存在 であ り、職員 にとって も支援 の方法や活動等においてア ドバ イス を下 さる大切 な存在 で した。いつ も車椅子か ら賑やかなメ ンバ ー さんを 家族様、職員が協 力 して取 り組 んで 眺 めては微失 んでおられる佐藤 さんの顔が 目に浮 かび ます。 B標 数 が達成 で きる よ う今後 もご い きたい とお もい ました。 社会福祉法人光摂会 バ クさんの くつ ろぎ 〒5 6 6 - 0 0 5 3 摂津市 鳥飼 野 々 1 - 3 0 - 1 1砥 ・Fax 072-654-5 534 天然温泉 に行 ってき孝 した ゴ 台風 の影響 で温泉行 きが変更を余儀 な くされて少人数 の参加 になって しまい ましたが、楽 しんで来 られ ましたc大 衆演劇があってあんまり見 ることがないので面白か った と言 われ てい ました。い ろい ろなお風 呂があ りゆ っ くり出来 た と帰 って来 られたけれ ど少 しお疲 れ の ご様子 で した。 また機会があればみんなで行 く事 に します。 今 月 も調理 実習 でお昼 ごはん をみ ん なで作 って美味 しくいただきました。 は あねす 車 基津 ニュ ス 毒 書 摂津障害者生活支援センタいはぁねす 〒564'0034摂 2 津市香露同34‐ TELi072-638‐5151 FAX1072‐ 638‐4872 7 月 2 6 日 ( 日) の 集 まってみ よ う会 は、 夏 のデザ ー トを作 りま した。今回のメニ ュー→ 白玉 パ フェ& ミ ル ク うい ろ う。 ☆ まずは白玉作 りか ら⇒ ( 写真 1 ) 2 か 所 に分 かれ 白玉粉 に少 しず つ水 を入れて混ぜていきます ( 写真 2 3 ) ま とまってきた ら全員で成形 し ( 写真 4 ) 丸 く成形で きた ら真ん中を少 し窪 ませて、沸騰 した鍋 に投入 します。浮 いて きてか ら 1 分 ほ どぐつ ぐつ煮て白玉 の 中ま で火 を通 し ( 写真 5 ) 網 です くい氷水 で冷 や します。( 写真 6 ) ☆ 白玉成形中 には ミル クういろ うを作 ります → 牛乳 と砂糖、小麦粉 を混ぜて器 に流 し込 んで レンジでチ ン ( 写真 7 ) す るとお、 っ くらあつ あ つの ミル クうい ろうが完成です^ ☆ あん こはお湯 で溶 か して汁粉 に して、冷蔵庫 で冷や して準備 O K ( 写 真 8 ) ☆ 白玉、 あん こ、 バニ ラアイス、抹茶 アイス、 フル ー ツをガラスの器 に盛 り盛 り… ミル ク ういろうも冷や して切 つて夏のデザ ー トが完成 です ! ! ! ミ ル ク ういろ うはよ く冷 えていて甘 くて とつても美味 ! 白 玉 パ フェも冷 たい汁粉 が絶妙 に自玉 とマ ッチ していて とて もお い しか ったです ! 食 べ きれないかも? と 言 いなが ら、 あま りの美味 しさに皆 さんほぼ完食で した ♪ 来月 の集ま ってみ よ う会は毎年恒例 の夕食会 です。去年 は 中華料理 だつたので、今年 は ピザやポテ トを頼み ます。 お酒 を飲 まれ る方は各 自お好み の物 を ご持参 ください。 水と自玉粉を 氷水で 清や します H 路 基 ◆ 8月 声 の 集 ま って み よ う会 の お矢□らせ ◆ 0 日 時 : 2 0 1 5 年 8 月 2 3 日 ( 日) 1 6 時 から1 9 時 頃まで ● 場 所 :摂津交流センタ ーバクの家 2階 ● 内 容 :夕食会 (ピザなど) ● 参加費 :1000円 程度 ☆食材準備 の都合上、参加希望の力は8月 18日 までにご連絡 くださしヽ 。 (参加費は当 日でも大 丈夫です) や 化ギ寸メタ ゴ 去︶ ち を占 主化 ヤ ヽ 螂凩 日時 候 息 択 辞 市駅 か, , 徒 ケ5 ' ) 罫 ☆協 力券取扱 い先 i 072-638-5151】 ● 生;を丈援 センターはぁねす(春 露 国)〔 0726384872】 ● 根洋 交流 センターパ クの 家(香 露 園)【 パ パ の ン屋さん(庄屋 )【 06… 6369-7845】 ● ク S、 06-6170-4855】 ぇ(庄屋 )【 ● パクか、 06-63820210】 ● ハッピーワールド(表 工雀 )【 パ つ 072-654-5534】 ● クさんのく ろぎ(烏飼 野 々 )【 070-5348-7361】 ☆ 各種 お問い合わせ先 !実行 委 員会 事務 局〈春露 園)〔 (勝本 ) 【 全 席 自由 席 】 浮 │!f町 邸 ︱ 桂 吉弥】【 桂 弥太郎〕 ( 落誇 3 席 ) ◇ 出演 ! 【 ◇ 主催 : 社会福祉法人光摂谷 桂吉弥落誇会実行委員会 ◇ 争l 作協力: 米朝事務所 ◇枚援 i 根洋市、根津市社会福社協議会 のみ) : 2 , 0 0 0 円 ◇ 参加協力券( 前売り □ 養話品ゴ許 軒 O私 たちは、障害者 ・家族 の思 い ・願 いを真正面 に受け止 め、共 に考 え、共 に悩 み、共に成長 してい く 法人 を目指 します。 ② 私 たちは、障害者 やその家族 の支援 を通 じて、誰 もが住みやすい街 づ くりを進めます。 0私 たちは、障害者、家族、関係者 の安心 した暮 らしのため、平和 と人権 を大切 に します。 事業所 (実施事業)一 覧 1 . 摂津 交流 セ ン ター バ クの 家 ( 生活介護 ) 1 〒 5 6 6 - 0 0 3 4 摂津市香露 園 3 4 番 2 号 `ノ_ タ TEL 072-638-4871 FAX072-638-4872 2 バ ク さんの くつ ろぎ ( 生活介護 ) 2 〒 5 6 6 0 0 5 3 摂 津市 鳥飼野 々1 丁 目 3 0 番 1 号 TEL FAX 3 ハ ッ ピー ワー ル ド ( 就労継続 支援 B 型 ) 072-654-5534 3 〒 5 6 6 - 0 0 2 5 摂津市 東正雀 4 番 2 2 号 TEL 06-6382-0210 FAX 06-6382-0245 4 バ クの パ ン屋 さん ( 就労継 続 支援 B 型 ) 4 〒 5 6 6 - 0 0 2 5 摂津市庄 屋 2 丁 目 1 番 5 0 号 TEL 06-6369-フ 8 45 FAX 06-6369… フ846 5 . パクかお、え ( 就労継続支援 B 型 ) 5 〒 5 6 6 - 0 0 2 5 摂津市庄屋 2 丁 目 4 番 2 8 号 TEL/FAX 06-6170-4865 6 摂 津 交流 セ ンター バ クの家 内 6 . 摂津障 害者 生活支 援 セ ンター は あねす 一 般相談 支援) c ! け ( 委託 ・ 特 定・ TEL 072-638-5151 FAX 072-638-4872 ゃ ・ 訓鳩 告安 隷 卦 昼 1堂 督 跡 喜 栓 軍 光 摂 会 の め ざす 地域 総合支援 グル ー プホ ーム Aさ ん の 場 合 困 った 時 ゃ 練 留 用 の 7言メヽお もヽ 女 そ う しの仕 ● 日 中 活 動 セ ン タ三 Cさ んの場 合 。 嵐番内さ 発 か し作 り Dさ ん の 場 合 今│よ 筆 鉄 とヽ ら して い ま す が 一 人暮 ら しに t 8 れています、 常来 に 向 け て 、 月 に ス ポ ー ツ汚 助 数回 宿 泊 体鞍 を して い ます 。 ―a のボージ ならいごとにいつています。 かいものもして、たのしかつた。 出 笠 1_」 ::晋 f■ :I__w軍 かいものにいきました。 たのしかったです。 えいがにい きま した。 こん どは、 コ ンサー トにいきたい。 かい ものに行 きま した。 こん どは神戸にいきたいな。 エ ア ロ ビにい きま した。 かい ものに もい きま した。 えいがにいきたいな。 かいものにいきました。 またおなじところにいきたい。 ガイ ドさんじゃないけど、こんど野球かんせんします。 ヤ 1 公ヤi れ │ ■ア 、比十t 食 バ ク の パ ン屋 さ ん 〒ぅ r i fliⅢ l i : L :iせ l〔 = │ざ i, '│!市 ― 【 「 l i l i( Xii″IrHヽ り ヽ 「卜1 5 す ヽ l j r i ;_HTi、 ,lⅢ 『 iヽ Xl】 韓 ∼醒庭 留露題(春〕 回蛭磐 :8薦 冒2圏 (機〕 縮 註先 :守ン艶 ッジ歯轟 (者に ) く奈 農県 〉 ーベ極 …革寵3逸〔 ギ 量子…ジ)、衰然温泉、 内容 :ゴ 塵轟轟 鱒謙策害釜 /]宅 】 脅 ま 寵勢 喜 範i沖 t晶 る 手 主F き を 岳 塾 志 8月 12日∼ 17日ほ夏 季体業のためお体 みさせてしヽ ただ さ ます 。 ・ ハンバ ーガーセット ・ 照り焼きチキンバ ーガーセット ワ BLTバーガーセット バ ーガー+ポ テト十ド│プ 〔 ンタ) 吾 400円 ∼ ハ ン 犀 ― 同皆 勝の ごデ `よ りお簿も してお i少 iぐ 盾 rFえ ます ∼ 社会福祉法人光摂会 ノ\ ッピーワールド 審 器 T566-0025 摂津 市 東正 雀 4 - 2 2 電 :話 06-6382-0210 FAX 06-6382--0245 happy-02100hcn.zaq.ne.」 p って詳堆姦義 購も!盛 吉住 智 栄子 ー 私 が ハ ッピ に来 て 1 5 , 6 年 にな ります3 そ の 中で楽 しかったことを書 きたい と思 い ます 。 1 番 嬉 しか ったこ とは、l o 年 ほ ど前 に大きな発作 を起 こ し、「もうハ ッピーの 1 泊 旅行 には行 けない」 と思 : 年の ` って ましたが、日 午 + 4 成2 6 年 1 0 月 に蒜山 に行 くことが で きました。 みんなで蒜山焼 きそ ば を食 べ た り 出デ =☆ 革 ヽガ Ⅲ げ 楽 しい 1 泊 旅行 で した。次 に嬉 しか ったことは、料理教室 で包丁が なん とか使 えるようにな り、料理 が作 れ るよ うにな ったことです。次 に絵画教室 で 1 時 間以上 なにも描 けなか った私 が、なん とか絵 が描 け るように な り、私 の絵 が カ レンダー に載 った時 は本当 にうれ しか ったです 3 そ れか らバ ンの注 文取 │ ) やク ツキーl l l t 売 や カ レンダー の販売 でた くさんの 人た ちが注 文 して くれた り買 って くれ たのでや りが いがあ って婚 しか っ たです。 これか らも頑張 ってや りたいです c 35空 ′ 花 韓 来多 r_ 「 中西さん あ りが とう」 啓発部会 カラオケで 中西 さんと出がかぶった り、健康 スポーツ教室 の終 わった後 に、将棋 を指 していい勝負がで きて楽 しい思い 出になりました。マ ラソン大会で私 をはげ ましなが ら走 つていただきあ りが とうござい ました。 冷麺 を作 ってみんなで食べ たのがおい しかった。 グループホームで、女性 のスタッフが忙 しい ときに、料理 を ス タッフの中西 さんが作 って くれた。 カレンダー販売 で、民生委員 さんか ら注文のあ ったカレンダー を中西 さ んと一緒 に届けに行 った。 た くさんの本数 を自転車 に積 んで一緒 に行 って くれた。一緒 に蒜山焼 きそばを食ベ に行 った り、伊勢志摩 に近鉄特急 で 旅行 した │,できてあ りが とう。 ′ ′ じ,こ ,志チを こめて 7月 15:ギ′ キ十で退職 されたi■ 夫 iき ′ 午まです 35年 目を迎えたハッピーワールドのあゆみ 第 3卜ii i∼ 摂津 ハ ッピー作 業所がで きる まで 12+∼ ス ロー ガン も部会 も決 まり、あ とは 具体的 に動 くだけで したc啓 発部会 は、地域 へ の ビラ まき、中学校校 区 単位 の地区懇談会 を開 き、地域 の拠点 となる作業所 の必要性 と重要性 を、きめ細 か く説明 し、理解 と協力 を 求 め ま した。ほ とん どの人 に理 解 を して もらえま したが、少 しの人がやは り 「 施設 と同 じだ」 とい う批判 が あ ったの も事 実 です。次 に資 金作 りの部会 では、初期費用 として 300万 円が必 要 と判 断 し、 目標 に しま し た。債券 (一口 5000円 、5年 後 に返 済)を 発行 しま した。個人 ・団体 ・企業 に も寄付 をお願 い し、駅前 で も作業所作 りの カンパ を行 って きました。なん とか 目標 とす る金額 が 集 ま り、 作業所作 りも本格化 しました。 次 に仕事 を考 える部会 では、当時 のほ とん どの作業所 が活版 印刷 (名刺 ・はが き)と 洗濯 バ サ ミ作 りだ った ので、摂津 ハ ッピー作業所 も活版印刷 と洗濯 バ サ ミ作 りか ら始める こ ととし、職員 に内定 した人が研修 に行 “ "と い うだ け きま した。最後 の 、場所探 しの部会 が 1番 大変 で、 障害 のある人た ちが集 まって作業 をす る で 、ほ とん どの不動産屋 さんか ら断 られ、なかなか場所 が決 まらず イライラす ることが度 々で したが、年が 摂津 ハ ッピー作業所」の 開所 の 目途 が た 変 わ った 2月 に、なん とか文化住宅 を借 りることがで き、や っ と 「 ち、 1981(昭 和 56)年 4月 5日 、旧味舌小 の体育館 で盛大 に開所式 を行 うこ とがで きました。 独 り言 そ の二 サ ー ビス業 ?」 福祉 の仕事 は 「 勝本 彰 あぁサービス 先 日、若い職員が保険の加入にあたって仕事 を聞かれ、あれこれ説明したら 「 業ですね ・・。 」 と言われたそうです。 お客様」で支援や介護 という「 サービス」を提供するのだからサービス業なんだ… ・ 利用者は「 と。そういえば 「 サービス管理責任者」などなど最近の福祉は 「 サ 障害福祉サービス事業」「 ービス」 という言葉ばか りですね ・・・。 権利 としての社会福祉」 という言葉が堂々と力強く語 られた時代 またひとつ昔話 を思 い出 しました。 私が 19歳 、知的障害幼児通園施設 で 「 指導員」 としてアルバ イ トしないか と誘 われた時 のこと、後 に 「 戦争はあかん」 と堂々と発 吉 し、革新的な活動 を続けた私 の父親 ですが、 当時 は猛反対 し、こう言い放ちました。「そんな子 どものウンチの始末な ど、男子一生の仕事 ではない」 と。 その時、施設長 の佐藤 さん (私の師匠の一人)は 私 の父親に向かって力強 くこう語 りました。 「 息子 さんは障害の子 どものウンチの始末 をしなが ら、生きること、普通 に暮 らす こと、い わば人間の権利 を発展 させてい く仕事 をされるのです。 こんな立派 な仕事 をしようとい う息 子 さんを誇 りにこそ思 うべ きだ」 と ・・・。 当時、1971年 に大阪 に黒田了一知事が誕生 し、京都、東京、大阪 に革新知事 が並ぶ時代 で した。 1973年 には田中角栄首相が 酵冨祉元年」を宣言 し、「 老人福祉 は枯れ木に水 をや 一 るようなもの」と思 わず 口を滑 らせた厚生大 臣 (当時)が 夜 に して解任 される時代 で した。 憲法 を暮 らしに生か し、「 権利 としての社会福祉 の充実」 とい う言葉が力強 く語 られる時代 。 私 たちの仕事 は紛れ もな く 「日々の支援 を通 じて権利 としての社会福祉 を発展 させ 、 世 の中をよ くしてい く仕事」 だったのです。 っぱり 「 サービス業」であってはいけないと思うのです 時代 がかわ り、憲法 さえもないが しろにされる現在、私 たちの仕事 は 「 人間の権利 を発展 さ せ、世 の中をよ くしてい く仕事」 か ら 「 サー ビス業」 に変わって しまったので しょうか。 利用者 とのかかわ り方 を 「 接遇 マナー」 と して業者 が高いお金で研修す る時代 はおか しい と 私 は思 い ます。 利用者 は 「お客様」 ではあ ってはならない。一緒 に苦労 しなが ら、生 きることの権利 を守 り発展 させてい く人間同士 です。その ような対等な人間同士 だから 「クンちゃん呼 び」や 「 指 導監督」 は間違いで、人権侵害 は許せないのではないで しょうか。 も昔も私たちの仕事は ・・・ 保険の勧誘員 さんに問われたら、私 は 自分 の仕事 をこう答えたい と思 い ます。 人間の生 きる権利」 に真摯 に向 き合 い、平和 と人権 を守 り、世 の中をよくしてい く仕事 「 だ と。
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